Coolier - 新生・東方創想話

姉子猫の首

2012/08/01 23:13:58
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 私には出来損ないの妹がいた。
 幼い頃の話だ。まだ存命中だった母が私とこいしに問題を出した。
「どちらかの手には飴玉が一つだけ入っているの。さあ、どちらに入ってるか分かるかな?」
 普通の家庭であるならば、これは他愛のないやり取り。何の能力もない人間に飴玉の位置など分かるはずがない。
 だけど私は古明地だった。他人の心を読む覚の一族。
「こっち?」
 妹は向かって右の手を指さした。適当に違いない。だが私は間違っても当てずっぽうで答えたりしないのだ。年齢はさほど変わらないけれど、実力の差は雲泥ほどある。母も無邪気なこいしを微笑ましく見守りながらも、期待の籠もった眼差しで私を見つめた。
「さとりはどっちだと思う?」
 私は間髪入れずに答えた。
「どっちの手にも飴玉は入ってない。お母さんのポケットの中にある」
 満足げに微笑んで、母はポケットの中から二つの飴玉を取りだした。こいしは驚いているけれど、むしろ外れている方が驚きなのだ。他人の心を読めるということは、すなわち問題の答えを見ているようなもの。
 まだまだ未熟なこいしには理解できないだろう。どこか得意気に胸を張った。
「さすがお姉ちゃんね。はい、これはご褒美」
「いいなあ……」
 羨ましそうに見つめる視線が哀れに思えて、私は一つだけこいしに飴玉をあげた。考えてみれば不憫ではないか。覚のくせに心を読むのが苦手だなんて。せめて私ぐらいが優しくしてあげないと、こいしは一生可哀相なまま生きていくのだろう。
 偉いわねと褒められ、ありがとうと感謝され、私は上機嫌だった。
 あれは確か、五歳の頃の話だったか。
「お姉ちゃん?」
 不意に名前を呼ばれ、ハッと目を覚ます。母や幼いこいしの姿はどこにもなく、いつもの自室と成長したこいしが私を出迎えてくれた。慣れ親しんだ現在の地霊殿だ。机には手つかずの書類が幾枚か置かれている。
 不覚にも居眠りをしていたらしい。ここ最近の忙しさが祟ったのか。
 口元を拭う。涎が出ていなかったのは不幸中の幸いだ。妹とはいえ、あまりだらしない姿を見せたくはない。
「ごめんなさい、少しボーッとしてたみたい。それで何か用かしら?」
 誤魔化しきれていなかったらしく、こいしはクスクスと私の方を見ながら笑っていた。
 我慢しよう。居眠りしていたのは事実なのだから。
「笑うだけなら私は仕事を再開するわよ」
「ごめんごめん。あんまり必死に誤魔化そうとするもんだから、ついね」
 まったく、恥ずかしい所を見られてしまった。射命丸じゃないだけマシではあるが、身内という点ではマイナスだ。これから何日かは弄られるのだろう。このネタで。
 頭痛がしそうだ。
「別に難しい話じゃないんだよ。ただちょっと新しい古道具を拾ってきて――」
「捨ててきなさい」
 即座に答える。最近、地霊殿の中で使い道の見あたらないガラクタが増えつつあるのだ。主犯は言うまでもなく、目の前のこいし。ペット達からも邪魔だから何とかして欲しいと苦情が何件もあがっている。
 地霊殿の主としては、何としても食い止めなければならない。
「えー、でも今度のはとっても役に立つんだよ。ゴリアテ人形って言ってね、凄く大きなお人形なの!」
 聞き覚えのある名前だ。確か魔法の森にいた人形使いが、似たようなものを所有していたような。まぁ、おそらくは偶然の一致だろう。そうでなければまるで、こいしが黒い魔法使いよろしく人形使いの家から盗んできたことになる。
 まさか、ね。
 信じたいのだが、どうにも疑わしい。
「ちなみに、そのゴリアテ人形はどこで売っていたのですか?」
「魔理沙の家」
 完膚無きまでに窃盗品だった。そもそも、あの魔法使いはどうやって盗んだのか。
 そこから気になる。
「よくもまぁ、あの魔理沙が売ってくれましたね」
「うん、私も売ってくれないだろうと思ったから黙って持ってきたの!」
 窃盗品の窃盗品だった。
 今頃人形使いは涙目になって探しているのだろう。彼女のことを思えば、今すぐにでも返してあげるべきではないか。
「まず一つ、余所様が持っている物を黙って持ってきてはいけません。そして地霊殿にゴリアテ人形を置く場所なんてありません。最後にそんな人形が何の役に立つと言うのよ」
「魔理沙避け」
「まぁ、玄関ぐらいになら置いてあってもいいわね」
 我が地霊殿においても、霧雨魔理沙の窃盗には甚大な被害を被っていた。一部では今日のおやつを盗まれたと証言するお燐やお空もおり、そちらの方は厳しく折檻をしておいたから大丈夫だろう。
 かなり大きな人形ときく。もしも稼働するのなら、魔理沙を撃退するのに一役買ってくれるはずだ。
 中ならともかく、外に置いておく分には邪魔にもならないだろうし。
「じゃあ捨てなくてもいいんだね!」
「あくまで玄関に置いておくなら、の話ですよ。絶対に中へ持ち込まないこと」
「はあい!」
 元気の良い返事が、逆に不安を刺激する。これが異変の引き金にならなければ良いのだが。
 人形使いの方は後でフォローしておくことにしよう。相手の心を読めば、何をして欲しいのか簡単に分かる。慰めるのも虐めるのもお手の物。私に励ませない相手はいないのだ。
 こいしを除けば。彼女の心だけはどうしても読めない。
「お姉ちゃん、大好き!」
「……はいはい、いいから早く運んできなさい」
 嬉々として部屋を出て行くこいしの背中を見ながら、私はふと思い出していた。そういえば、あの時も同じ台詞を言っていたっけ。
 第三の目を閉じた、あの日も。





 双子の姉妹だけあって、私とこいしの外見はとてもよく似ていた。同じ髪型で同じ服装をしていれば、両親でも見分けが付かないのではないか。そんな戯れ言を吐かれるぐらいには、うり二つだったのだろう。
 しかし当然の話だが中身は全くの別人。とりわけ能力の優劣に関しては、神様もキチンと区別をしてくれた。飛び抜けて優秀な方がさとり。断トツに劣っている方がこいし。天才の姉と出来損ないの妹。覚の中にはそんな陰口を叩く輩すらいたぐらいだ。
 だけど否定は出来ない。意識を防御した覚の心すら読み取る私と、動物の心すら満足に読めないこいし。比較されても無理はなく、むしろ馬鹿にされてもヘラヘラしているこいしに怒りすら覚えたものだ。
 一応は自分の妹。多少の才能ぐらいは有しているはずなのに、どうして向上心がないのか。
 努力せずとも出来るのは、あくまで私の特権。劣っている妹が真似していいようなものではない。
 だから私は自分にも厳しく努めた。せめてこいしが真似してくれるようにと、誰も見ていないのに模範たれと常識的な生活を送っていたように思える。いつのまにかそれが癖になって、こいしの為にという目的は薄れていったけど。
 ちなみに肝心のこいしは全く真似をしてくれなかった。要は面倒な事が嫌いらしい。明け透けな心がそう語っていた。
 優秀な姉と出来損ないの妹。両親の期待が掛かっていたのも、当然のように私だった。
 古明地の次期当主は私しかいないと、父は何度となく太鼓判を押してくれたし、あなたなら絶対になれるわと母も応援をしてくれた。
 当時、古明地には本家と幾つもの分家が存在していた。私達はあくまで分家の一つ。地位は低く、さほどの発言権も与えられていなかった。
 だからこそ両親は期待したのだろう。覚の歴史を紐解いても例がないぐらい、優秀で模範的な私に。
 普通だったら多少は天狗になってもいいのだが、あくまで私は模範たれと規則的な生活を崩しはしなかった。勿論、心の防衛に関しても一族の中では秀でている。長老集と呼ばれる覚の中での権力者や実力者の集まりでさえ、私の心を読める者は一人もいなかったぐらいだ。
『次期当主は古明地ので間違いあるまい』
『鳶が鷹を産んだか。羨ましい話だ』
 一族の間ですら、私の次期当主は確実だと噂されていた。だが私はこの程度で満足するつもりはなかった。より確実に、より強固に、当主の座へ就こうと必死だったのだ。
 そこまでする価値があるのか、現在の私からすれば甚だ疑問だ。しかし当時の私は、それだけの価値がある座なのだと信じて疑わなかった。
 是非曲直庁と文を交わしては閻魔達との親交を深め、天狗や鬼の集まりにも躊躇いなく参加した。当然のように最初は毛嫌いされたけれど、そのうちに段々とうち解けていった。元から覚は気配りに長けている。ただ余計な一言が多すぎて、疎遠にされる連中が多すぎるのだ。
 私に抜かりは無かった。空気を読む必要はない。心を読めば、誰が何を欲しているのかすぐさまに分かるのだから。
 酒が切れた天狗には徳利を傾け、鬼が喧嘩を吹っかけてくれば怪我を恐れずに受けてたつ。勝てはしないけれど、信頼を勝ち取ることなら出来た。臆せず立ち向かう私の姿勢が、単純な鬼には受けたのだ。勿論、これも計算のうち。
 閻魔との繋がりもあり、天狗や鬼からの信頼も厚い。
 私が当主へ就くための準備は万全であり、この頃になると私自身も信じて疑わなかった。
 私こそが古明地の当主になるのだと。





 雪がちらつき始める頃。こいしは空から落ちてくる白い塊に夢中だった。
 子犬のようにはしゃぎ、中庭を飛び跳ねながら駆け回っている。
 微笑ましい光景に思わず頬が緩み、すぐさま顔の筋肉を引き締めた。平素ならまだしも、今は館の中で長老集と父が話し合いをしている。さすがに参加は出来ないと閉め出され、こうして中庭で妹と戯れているのだ。
 うっかり緩んだ顔を見られようものなら、私の評価も下がってしまうかもしれない。気を引き締めなければ。
「あれー? お姉ちゃんは何でそんなに難しい顔をしてるの? 雪だよ、ほら雪」
 見せつけるように差し出されても、手の熱ですっかり溶けて水になっている。笑いそうになるのを必死で堪えて、澄ました表情で答えた。
「長老の方々がいらしているのよ。無様な姿を見せるわけにはいかないわ」
「ああ、おじいちゃん達?」
「……あまり大声で言わないように」
 仮に聞こえても咎める者はいないだろう。当人達が許可しているのだ。
 長老の関心は専ら私にあった。しかし可愛がっているのはこいしの方だ。確かに妙な愛嬌があるのは認めるし、見ていても飽きない。私にとっては愚かしくも可愛い妹だが、長老集は孫のように思っていた。あくまで当主として勧めるのは私。しかし可愛いものは可愛い。
 両親は心配していたが邪険にされているわけでもなし。度を過ぎなければ問題ないだろう。
「ほらまた難しい顔してる。もっとはしゃごうよ、お姉ちゃんも」
「生憎と私はあなたほど無邪気な性格をしていないのですよ。私に構わず、好きなだけはしゃぎなさい。此処で見ているから」
 頬を膨らませたかと思えば、すぐさま雪に向き直る。感情の切り替えは早い。そこは評価すべき所だろう。いつまでも引きずっている軟弱者よりかは遙かに好感が持てる。
 それにしても寒い。こいしはよくもまぁ、あんな薄着ではしゃげるものだ。
 今はまだ多少ほどしか積もっていない雪も、明日になれば足首まで届くだろう。出来ればコタツから出たくない所だ。そうも言っていられないのが、当主候補の辛いところなのだが。
 俄に館が騒がしくなる。どうやら長老衆がお帰りらしい。
 これでようやく、私も部屋でゆっくり出来る。
「おお、さとりちゃんにこいしちゃん。元気しとったか」
「お久しぶりです、江曽原のお爺さま。腰痛も最近は随分と良くなられたようですね」
「ははは、さすがは当主候補だな。敵わんわ」
 禿頭をさすりながら、甘楽甘楽と愉快げに笑う。
「小原のお爺さまや霞森のお爺さまもお変わりないようで安心しました」
「いやはや優秀すぎるのも困りものですな。お世辞なのかどうか判断ができない」
「まったく。これでは儂に気があるのかと勘違いしてしまいそうだ」
 実際のところ、こんな会話が出来るぐらい気に入られているのも私達姉妹ぐらいのものだろう。あくまで当主候補という立場だからなのかもしれない。本当に当主ともなれば、こんな会話も出来なくなる。それほどまでに当主という立場は重く、現在でも空席なのはそういう理由があるからだ。
 もしもさとりが不適格なら、当分は空席が続くだろうとも言われていた。
 だがその心配はあるまい。
 などと考えていたら、不意に後頭部に痛みを覚えた。さすってみれば冷たい感触。雪玉をぶつけられたのだとしたら、犯人は振り向くまでもなく分かる。出来れば声を荒げたいところだが、長老衆が見ている前では叶わぬのが悔しい。
「こいし。長老衆の方々の前ですよ。あまりはしたない真似はしないで頂戴」
「はーい、じゃあねおじいちゃん達!」
 陽気に手を振って、こいしは雪と戯れ始めた。まったく、あれだけ無邪気でいられるのもこいしぐらいのものだろう。さすがの私ですら長老衆の前ではしゃごうとは思わない。
「失礼しました、妹がお見苦しい所を……」
 頭を下げる。普段ならばこれで「良いんじゃ、良いんじゃ」と丸く収まるのだが。いつまで経っても許しの言葉がない。まさか今日に限って虫の居所が悪かったのかと顔を上げてみれば、長老衆の誰もが固まっていた。
 雪玉をぶつけられたのは私なのに、これは一体どうしたことか。思わず首を傾げそうになる。
「あの、どうかされましたか?」
 訝しげな声で、ようやく三人とも現実へ戻ってきた。
「い、いや何でもない。のお」
「あ、ああ。何でもない何でもない」
「……うーむ」
 難しい顔の三人は、そのまま挨拶もそこそこに立ち去っていった。心を読もうかと思った矢先の事だけに、彼らが何を考えていたのか分からず仕舞いだった。あるいは余程、さとりには知られたくなかった事でもあるのか。
 それが分かるのは、もう少し先の話だった。





 それは突然の宣告だった。
「残念ながらお前は当主になれない。代わりにこいしが有力候補になったんだ」
 父から告げられた言葉。それは私の知っている言語なのか。それとも別の意味があるのか。俄には信じられなかった。
 あれほど努力してきたのに、これほど才能があるのに。
 どうして私ではなく、こいしが当主に選ばれようとしているのか。冗談ではないのだと父の心を読めば分かる。長老衆も手のひらを返すようにこいしを支持していた。いや、長老衆こそがこいしを推薦していたのだ。
 最近になってこいしは何度も長老衆の家へと招かれていた。以前から勝手に訪問することはあったし、ただその回数が増えただけ。私はそう思っていたのだが。
 母も動揺が隠せない。どういうことなのかと父に詰め寄る。
「私も最初は何の冗談かと思っていた。だが、あの子には私達だけじゃなく歴史上の誰もが持ち得なかった才能を持っている」
「才能? あの子は心を読むのだって苦手なのよ」
「いや違う。長老衆が調べてみたところによれば、こいしは心を読めないんじゃない。読もうとしていないだけなんだ。だから本当は誰よりも優秀で、だからこそ覚の中でも特殊な能力を持っているるそうだ。無意識を読むという、特殊な力を」
 覚はあくまで心を読み取る妖怪。反射神経だの無意識だのは範疇の外にある。
 だからさとりとて、他人の無意識までを読み取ることは出来ない。それが当たり前のことだし、出来なくても不思議ではないと信じていた。今日までは。
 驚きで声も漏らせない。だが両親はさとりの葛藤をよそに、こいしの凄さについて熱い議論を交わしている。やれ新しい覚の形だとか、天才という言葉ですら生ぬるいだとか。とても聞いていられない。
 私はこいしの元へと駆け出した。冗談じゃない。
 あんな劣っている子が実は私よりも優れていたなんて。出来の悪い三文芝居ではないか。
 長老衆の様子がおかしかったのは、私が雪玉がぶつけられてから。確かに、あれは失点だったかもしれない。常に他人の心を読んでいたら、雪玉の一つや二つぐらいは簡単に避けられるはず。優秀な覚は心の声が聞こえくる方向も察し、目を瞑っても攻撃が避けられるはずなのだ。
 無意識を読む力? そんなものではない。あれはただ、私が油断していただけの話。
 当主の座を代わるほどの事ではない。
 そう思っていた。
「今はまだ当主に就任するような時期ではない。だがきっと、君が当主になるだろう。おめでとう、古明地こいし」
 こいしを探してみれば、見つけたのは長老衆から祝福される妹の姿。
 今すぐ飛びだして、それは違うのだと訂正したい。しかしそんな無様な姿を見せれば、長老衆は失望してしまうだろう。冷静に、ゆっくりと、彼らの誤解を解いていかなければ。
 しかしそんな考えは簡単に打ち砕かれた。他ならぬ、こいし自身の手によって。
「私が当主? それよりもお姉ちゃんの方が当主として相応しいと思うけど」
 他人の言葉には敏感な方だ。劣っていると決めつけず、改めて聞いてみればどうだ。
 こいしの言葉はまるで私に配慮しているようではないか。
 いや、そんな言葉の機微などどうでもいい。問題はいま、ちらりとこいしが私の方を見たということ。長老衆でさえ気付かなかった私の存在に気付いた妹。優秀な覚は心の声が聞こえてくる方向も分かる。
 だとしたら。いや、有り得ない。
 もしも私の心を読んだのなら、私だってすぐに気付く。こいしの心は常に読んでいた。気付かないはずがない。それこそこいしが飛びっきり優秀で、わざと心の一部を垂れ流しにしていたのなら話は別だが。
 馬鹿らしいにも程がある。そんなものは覚ですらない。ただの化け物だ。
 私は井の中の蛙ではない。しっかりと大海を知っている。それなのに大海どころか世界を知る蛙がいるなんて、そんなの認められるはずがない。有り得るわけがない。
 優秀なのは私。劣っているのはこいし。
 そうでなければ、今まで私は何のために頑張っていたのだ。あれだけ当主になろうと努力してきたのに、これでは全部が水の泡ではないか。
 気が付けば私は柱の影でボロボロと涙を流していた。声を押し殺し、せめて長老衆には聞こえないようにと。こいしは気付いているのだろう。私の存在を察知したくらいだ。姿が見えずとも泣いていることぐらい把握している。
 意識を読む力でも敗北を喫した。この上さらに、あちらには無意識も読む力があるのだという。最早さとりに敵う術などなかった。
 当主として相応しいのは、誰がどう見てもこいしの方だ
 ちらりと覗けば喜ばしそうな長老衆の顔に比べ、こいしは寂しそうな表情をしている。あちらも自らの失態に気付いたのだろう。
 だがもう遅い。私は知ってしまった。
 本当に劣っていたのは、自分の方だということを。





 優秀な姉の妹から、優秀な妹の姉に変わった。
 今や覚の注目はこいしに集まり、嫉妬も羨望も全てこいしの物だった。さすがに私を邪険にする者はいなかったけれど、同情の念が増えたことは間違いない。
 私が荒れる原因となったのは、間違いなくこの時期だ。
 社交的な性格は攻撃的に変わり、肉親であろうと他人であろうと容赦なく心をえぐり取る。まるでそれが自分の力を見せつけているように、慈悲はなく、遠慮も無かった。周りから次第に人が離れていき、閻魔や鬼も私を見限った。
 当然の判断。私は彼らを引き留めようとしなかった。むしろ望んで遠ざけた。
 調子に乗って幻想を見ていた出来損ないの覚。付きあっていても得はしないし、そもそも同情されるのはまっぴら御免だ。中には殊勝にも自分だけは味方だよ等という輩もいたが、徹底的にトラウマを暴いたら二度と姿を見せなくなった。
 それでいい。それがいい。
 だが両親すらも敬遠する中で、最後まで私に付きまとった奴が一人だけいる。
 こいしだ。
 最初はこいしも同情しているのかと、汚い言葉を何度もぶつけた。彼女のトラウマを暴くことはできなかったので、直接傷つけたこともあった。
 それでもこいしは私の側にいてくれて、無邪気な笑顔を絶やさなかった。
「駄目だよ。お姉ちゃんは当主候補なんだから。しっかりして貰わないと」
 もしも彼女以外の奴が言っていたら、私は怒り狂って手を血で染めていたかもしれない。だがこいしだけは違う。その言葉には些かの同情も含まれておらず、本気でこいしは私を更正させようとしていた。
 確かに心は読めない。だから真意は分からない。
 でもいつのまにか、私はこいしの笑顔に癒されるようになっていた。かつて私が向けていた、同情の愛情とは違う。これが本当の家族愛という奴なのか。俄には理解しがたく、しかし私は段々と元のさとりに戻りつつあったのだと思う。
 どれだけ私がこいしに救われたことか。優秀な妹にはしっかりと伝わっただろう。
 そして次第と、私も考えるようになった。当主という地位に相応しいのは、やっぱりこいしの方ではないか。当人は私になってくれと言うものの、こんな惨めな覚よりも、ずっと優秀な覚が就けばいい。
 そう思うたびにこいしは悲しそうな顔をして、「お姉ちゃんの方が適任だよ」と呟くのだ。
 そんな事ないのに。こいしの方が適任なのに。
 だから私は、こいしが当主に就任すると聞いても穏やかな気持ちでいられた。
 私の過去は、きっと幻に過ぎない。
 現実を見よう。こいしを祝福しよう。
 私に出来ることは、それぐらいなのだから。
 就任式の前日。私はこいしに告げた。
「おめでとう、当主様」
 こいしが浮かべた泣きそうな顔を、私は今でも忘れない。





 就任式の夜だった。月夜が綺麗な晩のこと。
 盛大に持て囃されるこいしを尻目に、私は一人寂しく自宅へと戻っていた。気持ちの整理はついていても、やはり素直に見ることが出来ない。明日からは精一杯頑張るつもりだけど、せめて今日ぐらいは目を背けても許されるのではないだろうか。
 床に就いても眠ることができず、ゴロゴロと寝返りをうちながら過去の自分と向き合っていた。ああすれば良かったとか、こうすれば良かったとか、未練がましい後悔は今も変わらず浮かび上がっては消える。
 ふと、耳障りな声を聞いたような気がした。自宅には誰もいない。こいしは当然のこと、両親も今頃は顔を赤らめながら酒の魔力に屈している頃だろう。
 まさか泥棒か。あるいは族か。
 有り得る話だ。こいしの就任を妬み、当主候補の誰かが私を浚いにきたのかもしれない。一応は本家や他の分家からも候補者は出ていた。ただあまりにもこいしが優秀だったので、霞んでいただけの話。
 彼らは当然のようにこいしの就任を認めたがらないだろう。脅迫材料として私を使ったとしても、何ら不思議でもない。
 だが丁度いい。私とて虫の居所が悪かったところだ。返り討ちにして、泣いて許しを請うまでトラウマを暴いてやろうか。
 足音を立てず、ゆっくりと階段を降りていく。人の気配した。誰かいるのは間違いない。
 壁に背をあて、すり足で近づく。どうやら玄関にいるようだ。
 強盗か?
 何にせよ、この目で確かめれば分かる話だ。そして誰にせよ、私の攻撃から逃れることは出来ない。思い出したくもないトラウマに苦しみ、悶え苦しみながら気絶するといい。
 怨むなら機嫌の悪い時に忍び込んだ、自分の運の悪さを怨め。
 獰猛な笑みが、壁に貼り付けられた鏡に映っていた。
 だがもう自制するつもりはない。目指していた当主の座は消えてしまったのだから。
 躊躇う理由はどこにもない。
 曲がり角からこっそりと顔を覗かせ、玄関の様子を窺う。
 暗闇が覆い隠していた光景を、うっすらと月明かりが灯す。
 いつのまに玄関の内装を変えたのかしらなんて、暢気に思っていられたのは一瞬の内だった。私はあらん限りの悲鳴をあげて、へたり込んでしまう。
 赤は血の色。白は骨の色。ピンクは内蔵の色。
 様々な色で飾られた玄関で佇むのは、当主になったばかりのこいし。
 バラバラに引き裂かれた肉塊の傍らには、見覚えのある頭部が二つほど転がっていた。見まごうはずもない。私の両親なのだから。
 白い湯気が立ちこめる中、頬を血や肉片で染めたこいしの顔がこちらを向いた。
「起きちゃったんだ、お姉ちゃん。夜更かしはお肌の天敵だよ」
 服の色が分からないほどに、こいしの身体は汚れていた。何で汚れているかなんて想像したくもない。
 だが傷は見あたらなかった。服も汚れてはいるが、ほぐれたり破れたりした跡は見えない。両親とて抵抗しただろうに。どうして彼女だけは衣服すら傷ついていないのか。
 私は必死で逃げようとしていた。だけど腰が抜けて動けない。
 まるで不格好な私の姿は、こいしの笑いを誘った。お腹を押さえながら愉快に笑う彼女の姿は酷く恐ろしく、月が浮かぶ背景と不釣り合いに思えた。
「あ、あ、あなたはっ!」
「うん?」
 涙を拭いながら、こいしが不思議そうな顔で私を見つめる。
「何で二人を殺したのっ!」
 最近はすっかりと疎遠になっていた。会話をしたのも、果たして何日前のことだろう。
 しかし肉親は肉親だ。死んでも平気な顔をしているほど、さとりは薄情でなかった。
 ましてや殺してしまうなんて。理解の範疇を越えている。
 当然のように、こいしは心を防御していた。
 何を考えているのか、私には全く分からない。
「だって、この人達ときたら私を当主にしようと必死なんだもん。知ってるでしょ、お姉ちゃん。私は当主になんか成りたくなかった。お姉ちゃんが当主になって、私は自由勝手にやりたかったの」
「そ、そんなこと長老衆が……」
 さとりの言葉を遮り、こいしが微笑む。
「もういないんだから、いいじゃん」
 手に染みこんだ血の跡は両親だけのものではなかった。今宵の宴会は覚の一族をあげて行われた壮大なもの。殆どの覚が参加しており、そこで長老衆を殺めたとなればタダでは済まないはず。
 だけどこうして目の前にいるということは、つまり覚の一族を殆ど殺してしまったということになる。
 先程まではまだ妹だと思えていたのに、今は不気味な殺人鬼にしか見えない。
 心が読めないだけでも怖いのに、そのうえ同族を殺しているとなれば。
 床を擦りながら、必死の体でこいしから離れようとする。
 だがそんな抵抗、あっさりと近づかれて終わりだ。
「もう、逃げないでよお姉ちゃん。話はまだ終わってないんだから」
 悲鳴をあげるよりも早く、私は気付いてしまった。
「あなたっ、それ!」
「ん、ああ、これ?」
 取り出した第三の目はしっかりと縫いつけられたように閉じられている。覚にとっては命の次に大事だとされる目が閉じているということは、つまり。
「うん、もう私は他人の心が読めない。だけど変わりに無意識を読むだけじゃなくて、操れるようになったんだよ。むしろ、私はこっちの方が便利でいいなあ」
 覚の中には屈強な男衆もいる。か細いこいしが簡単に殺せたのも、あるいはその能力のおかげなのだろうか。
「これで当主候補からは外されると思ったんだけど、おじいちゃん達が怒っちゃってさ。それでも私を当主にしたいみたいだから、もう面倒くさくなって全員殺しちゃった」
 地べたを這いずる私。それを見下ろすこいし。
 優劣の差は明確に現れている。今や私は逃げる者であり、こいしは狩る者だ。
「だけどさ、他にも当主を求めている連中はいるんだよ。お姉ちゃんも知ってるでしょ。閻魔とか大妖怪とか。そういうのを一々殺して回るのも面倒だし、やっぱりお姉ちゃんが当主になれば良いと私は思うんだよ。大丈夫、どうしても反対するような奴がいたらちゃんと殺しておくから」
 あれほど望んでいた当主の座が、血にまみれて汚れていく。
 嫌がる私を無理矢理、穢れた座に座らせようとしているのか。
 拒否すべきだ。そんなものいらないと、はね除けてやればいい。
 だけど断れば、こいしはきっと。
 私を殺すのだろう。
「どう思う、お姉ちゃん?」
 かがみ込み、笑顔のままで、こいしは訊いた。
「私を叱ってもいい。私を殴ってもいい。私を戒めてもいい。私を罰してもいい。当主ってのはそういうものだからね。だから私もそこは諦める」
「………………」
「だけど絶対に私へ逆らわないでね。当主はお姉ちゃんだけど、優秀なのは私なんだから」
 優れた妹のこと。幼い頃から私が見下していたことを知っているのだろう。
 だからこその台詞。だからこその優越感。
 当主になってと頼む言葉の裏では、密かにこいしは見下していたのだろう。それに気づけなかった自分。それなのに優秀なのは自分だと自惚れていた私。
 全てが悔しくて、それでも逆らうことができなくて、私は涙を流しながら頷いた。
「はい……分かりました」
 古明地さとりはこの瞬間、完全にこいしへ膝を屈した。
 全身から力が抜けていく。死んだ両親も、死んだ覚達のことも、もうどうでもいい。
 こいしは上機嫌で私の手をとり、
「お姉ちゃん、大好き!」
 そうして私は古明地の当主になったのだ。





 懐かしい記憶を掘り出してしまった。仕方ない。あの日のことは今も強烈に覚えているのだから。むしろ忘れろという方が無理な話だ。
 飴玉の話も、振り返ってみれば全てこいしの作戦通りだった。優秀な彼女のこと。どちらの手にも飴玉がないことぐらいに分かっていたのに、こいしは母親の中で眠る無意識を読み取っていたのだ。
 正解してほしい。でも出来ることなら子供達は自分が導いてやりたい。出来の悪い子ほど可愛いという心理を逆手にとり、敢えてこいしは間違いを選んだ。もしも母が厳しく、心の底から正解を望んでいたとしたら。こいしは間違わなかったのだろう。
 いや、ひょっとしたらこいしは最初から当主になることを避けていたのかもしれない。だからわざと自分を無能に見せかけ、私を当主にしようとしていたのだとしたら。思わず背筋が寒くなる。
 一体、彼女の心はどこまで深いのか。今となっては見えるはずもなく、仮に第三の目が開いたところで理解はできないのだろう。
 私は溜息を吐いた。
「あ、そうだお姉ちゃん」
 出て行こうとしたこいしが、不意に引き返してくる。
「実はゴリアテ人形だけじゃなくて、子猫も拾っちゃんだよね。飼っても良い?」
「駄目です」
 即断だった。当然だ。
 うちには何匹のペットがいると思うのだ。確かにさとりもペットは好きだ。しかし物事には限度がある。これ以上増えるようなら、そろそろ地霊殿の経営にも陰りが見える始める頃。
 今度ばかりに絶対に譲ることは出来ない。
「ええー! どうしても?」
「駄目と言ったら駄目です。猫は生き物ですから、玄関に置いておくわけにもいかないでしょう」
「だけど可哀相じゃん。死んだらどうするの?」
「それで面倒をみていたら、うちは猫で溢れかえるでしょう」
 地霊殿が地猫殿になっては困るのだ。
 こいしは頬を膨らませ、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
「どうしても?」
「だ、駄目です」
「私ね、捨て猫を見ていると誰かのことを思い出すんだ。哀れで可哀相で、ただ鳴くことしか出来ないか弱い存在。保護してあげたいと思うのは当然のことだと思わない?」
 詰め寄ってくるこいし。気が付けば壁に背中が当たっている。
 背後に逃げ場はない。
「それとも殺した方が良かったのかな? 猫なんて首を捻れば簡単だよ。コキッって。ねえ、お姉ちゃん。私は間違っていたのかな?」
 伸びてきた手はさとりの首に回され、
「分かりました! 飼ってもいいです! 許可します!」
 途端に手は腰に回され、熱い抱擁がかわされた。
 先程までの迫力はどこへやら。今は無邪気にはしゃいでいる。
「お姉ちゃん、大好き!」
 ああ。
 つくづく私はこの言葉に弱い。
 
 
 
 
 
 私の妹の精神がこんなにもマトモなわけがない。どこか歪んでいる古明地姉妹に魅力を感じてしまうのは私だけでしょうか。
 何気ない言葉も背景が変われば意味合いが変わるという物語でした。
赤天道
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コメント



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1.100点もんてまん 削除
こいしが怖いよ……。

面白かったです。こういうのもいいですね。
2.100点名前が無い程度の能力 削除
コワイヨコワイヨ
3.90点奇声を発する程度の能力 削除
こいし…
4.無評価名前が無い程度の能力 削除
なんでこういう作品を書く人はちゃんと住み分けが出来ないんだろうか。
8.90点名前が無い程度の能力 削除
歪んだ性悪さとりんが密かに好きな私ですが、こいしちゃんはノーマークだったなあ
これはこれで好きかも///
11.100点愚迂多良童子 削除
ちょいと怖気が走る話だ。
さとりは自業自得なところがあるから同情しがたいな・・・
それよかこいしがどうやって歪んでしまったのかが気になるけど、それは誰にも分からないのかな。
12.無評価愚迂多良童子 削除
そう言えば誤字が。
>>長老集
長老衆
13.100点名前が無い程度の能力 削除
心理描写が素晴らしい。覚妖怪ならではという感じ。
21.100点名前が無い程度の能力 削除
こういうのは好きだ。
22.40点名前が無い程度の能力 削除
(iPhone匿名評価)
23.50点名前が無い程度の能力 削除
自分はこいしの心理がよくわからなかったです。
歪んでいるというのは、この物語の基本設定なのでおいておくとして、
五歳の頃から、他の覚りに本心を読ませない技術及び偽りの性格を演じる頭の良さがあったというのに、当主云々を気にしているのはどうなんでしょう?
姉のさとり含めまわりの覚り達に愛着もなかったのは明らかですし、これだけの能力があれば、覚り社会を抜け出し、いくらでも自由に生きることができたのでは?
25.100点名前が無い程度の能力 削除
なんて妖しいこいしちゃんなんだ
27.100点名前が無い程度の能力 削除
さとりたちの過去も謎なのでこういう作品は妄想が広がっていいですね
若干ホラーなのも季節にあっていい
29.100点名前が無い程度の能力 削除
いい感じに狂ってるなぁ。雰囲気がとても自分好みでした。
30.100点名前が無い程度の能力 削除
面白かった
32.100点名前が無い程度の能力 削除
うぉ……すげえ……すげえ……。
35.100点名前が無い程度の能力 削除
裏ボスですねこいしちゃん
36.無評価名前が無い程度の能力 削除
こういうのは某サイトに投稿するべきでは?
この手の話が大好きな人がたくさん居ますよ。

心理描写が良かったです。
38.100点名前が無い程度の能力 削除
なかなかキツいこいしちゃんですが、こんな無意識を操る妖怪らしさも良いですね
43.70点名前が無い程度の能力 削除
こいしが「意識的」すぎる違和感が、ちょっと残りますね。
ラスト、こいしが詰め寄るシーンは、怖い場面であるにも関わらず、妙にほのぼのとしてしまいました。

ゴリアテは返してあげなさいw