夜遅いけど貴方は人里の人間でしょう。
布団を敷いてあげるから横になりなさい。
枕元にいてあげる。別に貴方が男だからという訳ではないけど。
ねえ、少しだけ。
貴方が此処に来た目的は敢えて聞かないけど、私の話を少し語らせて。
似たような夜が、前にもあっただけよ。
ほら目を閉じて。博麗霊夢は枕元にいるから……。
神社に来た不気味な男。穴を繕われた古い鈍色の襤褸布を着こなしており、一目で貧乏な男だとわかった。身長は私より低かった。
頭には見たことのない昏い帽子を被り、ボサボサに乱れた髪が傍から覗いていた。顔は暗くてよく見えない。少し臭う。
夏の静かな夜だった。男は路頭に迷った憐れな人間だ。一晩停めてはくれないかと頼み込んできた。声は瀕死の動物のそれに似ていた。
私の生業は妖怪退治だが、目の前の男は妖怪ではないらしい。人里から出て帰り道が不安になったと男は付け足して言った。
真っ暗な夜である。妖怪がこの男を襲うのを阻止するには、今から人里へ還すよりも停める方が良策だった。
中に入れて軽い食事を餐し、神社唯一の布団を敷いてやった。夜遅かったから自ら進んで気を利かせただけだった。男はとくに何も言わず望むこともなく従った。
男が寝転んだのはいいが、夏の夜はムンムン暑かった。蚊も飛んでいたので五月蝿いのに敵わず線香を炊き、煙のある暗闇の畳の部屋は化けて百鬼夜行が屯したようだった。
不思議なのは帽子を身に付けたままだということだった。風呂は手配しなかったが、食事のときも帽子に手を掛けて床に添えることはまったくなかった。
私は男が寝息を立てるまで枕元に座っていようと決めた。
途端、男が布団から起き上がって胡座を掻いた。虚ろな目をしばたき、不気味だった。
私はやはり黙っていた。
男はいきなり静かに身内を語り始めた。あの変な声で。里で聾桟敷にされて何者かに家が焼かれた。村外れの暗い藁敷きで生活をし、冬は寒く夏は虫が集る。女は私を除いて数年見ておらず、性欲に飢えている。そのような行為をしたら殺して構わん。食べ物は別に遣り繰りしている。生きることに飽き、清浄な巫女の祈りに縋って此処を訪れたという事実を最後に語った。
閻魔は見えぬが地獄が見える。頼む。安息と浄土の祈祷を捧げてくれーーと。それが男の真実らしかった。
私は今夜は遅いから早朝に大幣を振ると約束した。男は髑髏が項垂れるように頷いた。
ーー里に省かれた理由を教えてやろうか。
胡坐を解いて足を延ばす男はそう言った。男は勝手に灯りを付け、私は初めて顔をまともに見、男が眼帯をしていることに気付いた。
どんな時でも取らなかった帽子を男は突然取った。髪の毛が数十本抜け落ち、今まで帽子に隠れて晒さなかった頭に巻かれた包帯を巻き取る。河童の皿のように禿げた頭頂部を見て私は息を呑んだ。
人間の顔があった。それは間違いなく死んでいた。人間の顔面の目と鼻と口だけを頭に貼り付けたようだった。これが聾桟敷の原因だと悟り、確かに奇妙で忌み嫌われるようなものだった。
男はそれを人面瘡に似た奇病だと証言した。そしてこれは人面瘡の中でも最も珍しく奇怪で醜い種類で、既に死んだ自分の双子の弟だという。
男は更に語った。供給していた僅かな脳の一部が弟の死によって死んだ。記憶を一部失って弟に怨恨が募った。夜な夜な脳髄が疼き、蹂躙される。だから取り除いて御祓を受けたいのだと。
男は刃物を取り出し、布団の上で頭頂部の弟を剥いでいく。刃が肉に減り込むと血が溢れた。皮膚ごと取り除かれた血に染まる弟を床に置き、明日はこれを一緒に焼いて祓ってくれと言った。男の表情に変化はなかった。
私は慣れた風に了解した。
男は血が滴らないように包帯を頭に巻いて帽子を被り、静かに眠り始めた。
次の日の朝。男は死んでいた。自殺ではないことは一目瞭然だった。
弟の姿はなかったが、皮膚が棄てられていた場所から赤い血が点々と続いていたのだ。
辿ると地獄の入り門ーー男の口に詰め込まれていた。
怯えないで。男は妖怪ではなかったけど、人間は妖怪より恐ろしいものよ。
疎外と怨恨に苛まれた男の末路は見るも無惨だけど、それが世の不条理な情けという運命。
貴方も今夜、静かに眠れるといいわね。
巫女の小さな怪談はこれにてお終い。
ところで貴方。そろそろ頭に被っているそれを、取って下さらない?
布団を敷いてあげるから横になりなさい。
枕元にいてあげる。別に貴方が男だからという訳ではないけど。
ねえ、少しだけ。
貴方が此処に来た目的は敢えて聞かないけど、私の話を少し語らせて。
似たような夜が、前にもあっただけよ。
ほら目を閉じて。博麗霊夢は枕元にいるから……。
神社に来た不気味な男。穴を繕われた古い鈍色の襤褸布を着こなしており、一目で貧乏な男だとわかった。身長は私より低かった。
頭には見たことのない昏い帽子を被り、ボサボサに乱れた髪が傍から覗いていた。顔は暗くてよく見えない。少し臭う。
夏の静かな夜だった。男は路頭に迷った憐れな人間だ。一晩停めてはくれないかと頼み込んできた。声は瀕死の動物のそれに似ていた。
私の生業は妖怪退治だが、目の前の男は妖怪ではないらしい。人里から出て帰り道が不安になったと男は付け足して言った。
真っ暗な夜である。妖怪がこの男を襲うのを阻止するには、今から人里へ還すよりも停める方が良策だった。
中に入れて軽い食事を餐し、神社唯一の布団を敷いてやった。夜遅かったから自ら進んで気を利かせただけだった。男はとくに何も言わず望むこともなく従った。
男が寝転んだのはいいが、夏の夜はムンムン暑かった。蚊も飛んでいたので五月蝿いのに敵わず線香を炊き、煙のある暗闇の畳の部屋は化けて百鬼夜行が屯したようだった。
不思議なのは帽子を身に付けたままだということだった。風呂は手配しなかったが、食事のときも帽子に手を掛けて床に添えることはまったくなかった。
私は男が寝息を立てるまで枕元に座っていようと決めた。
途端、男が布団から起き上がって胡座を掻いた。虚ろな目をしばたき、不気味だった。
私はやはり黙っていた。
男はいきなり静かに身内を語り始めた。あの変な声で。里で聾桟敷にされて何者かに家が焼かれた。村外れの暗い藁敷きで生活をし、冬は寒く夏は虫が集る。女は私を除いて数年見ておらず、性欲に飢えている。そのような行為をしたら殺して構わん。食べ物は別に遣り繰りしている。生きることに飽き、清浄な巫女の祈りに縋って此処を訪れたという事実を最後に語った。
閻魔は見えぬが地獄が見える。頼む。安息と浄土の祈祷を捧げてくれーーと。それが男の真実らしかった。
私は今夜は遅いから早朝に大幣を振ると約束した。男は髑髏が項垂れるように頷いた。
ーー里に省かれた理由を教えてやろうか。
胡坐を解いて足を延ばす男はそう言った。男は勝手に灯りを付け、私は初めて顔をまともに見、男が眼帯をしていることに気付いた。
どんな時でも取らなかった帽子を男は突然取った。髪の毛が数十本抜け落ち、今まで帽子に隠れて晒さなかった頭に巻かれた包帯を巻き取る。河童の皿のように禿げた頭頂部を見て私は息を呑んだ。
人間の顔があった。それは間違いなく死んでいた。人間の顔面の目と鼻と口だけを頭に貼り付けたようだった。これが聾桟敷の原因だと悟り、確かに奇妙で忌み嫌われるようなものだった。
男はそれを人面瘡に似た奇病だと証言した。そしてこれは人面瘡の中でも最も珍しく奇怪で醜い種類で、既に死んだ自分の双子の弟だという。
男は更に語った。供給していた僅かな脳の一部が弟の死によって死んだ。記憶を一部失って弟に怨恨が募った。夜な夜な脳髄が疼き、蹂躙される。だから取り除いて御祓を受けたいのだと。
男は刃物を取り出し、布団の上で頭頂部の弟を剥いでいく。刃が肉に減り込むと血が溢れた。皮膚ごと取り除かれた血に染まる弟を床に置き、明日はこれを一緒に焼いて祓ってくれと言った。男の表情に変化はなかった。
私は慣れた風に了解した。
男は血が滴らないように包帯を頭に巻いて帽子を被り、静かに眠り始めた。
次の日の朝。男は死んでいた。自殺ではないことは一目瞭然だった。
弟の姿はなかったが、皮膚が棄てられていた場所から赤い血が点々と続いていたのだ。
辿ると地獄の入り門ーー男の口に詰め込まれていた。
怯えないで。男は妖怪ではなかったけど、人間は妖怪より恐ろしいものよ。
疎外と怨恨に苛まれた男の末路は見るも無惨だけど、それが世の不条理な情けという運命。
貴方も今夜、静かに眠れるといいわね。
巫女の小さな怪談はこれにてお終い。
ところで貴方。そろそろ頭に被っているそれを、取って下さらない?
怖かったです
深夜に読むんじゃなかった…
「ーー」は「――」のが宜しいかも。
投稿がiPhoneなので打ち方がわかりません
ですので今後はそれをコピーさせていただきます
ありがとうございました
>男は髑髏が項垂れるように頷いた
が違和感?頷くって元々「項を突く」なので妙な感じでした。
不気味さは満天なぶん、読んでいてもっと情緒不安定になるような展開を期待しちゃう。目が肥えてるだけかもしれないけども
いえw よかったです。たまには怪談話も乙でございますね。