それは些細な間違いから 秋吉善一
「ししょー、永琳師匠。お手紙が来てますよ」
私――鈴仙は、迷いの竹林入口で拾った手紙を掲げて言った。
師匠の治療術は「よく効く」と人里で話題になっている。
なっているのは良いが――無断で竹林に入る者、迷う者、遭難する者など、厄介な事例が後をたたない。
そこでてゐと相談して、私たちは郵便受けを作ったのである。
竹林の入り口に箱を設置、投書された病気相談のうちから『これだ!』というものをピックアップして対処するのである。
今日は記念すべき、その初日。これが、どの程度師匠の負担軽減や、竹林の秩序回復に役立つか。それはやってみないと分からない。
しばらくして師匠の声が返ってきた。
「ちょっと手が離せないから、読み上げてもらえる?」
「わかりました! ええと……」
幾分か震えながら書かれた毛筆の手紙は、すべてひらがなで書いてあり、かなり読みにくい。
それでも私は根性で解読していった。
「薬草が欲しいみたいですね。朝鮮朝顔、ドクダミ、カミツレ……」
「なによ、そのくらい人里でいくらでも手に入るじゃない」
「あ、あとヒマワリが欲しいって書いてあります!」
「ヒマワリぃ!?」
事ここに至って、師匠はタオルで手を拭きながら顔を出した。
ドアの向こう、ちらりと見えたベッドに縛り付けられた姫様には、今は気付かなかったふりをしておこう。
師匠は「ちょっと見せて」と、自分で手紙を読み始めた。
そして、なぁんだと気の抜けた声をあげた。
「これ私宛じゃないわ。めーりんさま、って書いてある」
「え? どこどこ?」
慌てて手紙を読みなおす。
一番最初、汚い字で、はいけいめーりんさまと書いてあった。
ということは、この手紙は紅美鈴宛ということである。えーなにそれー。
「うどんげ。悪いけど、郵便受けに張り紙してきて。『永遠亭専用』ってね」
「わかりました。この手紙はどうしましょう?」
「届けてあげたらいいんじゃない?」
師匠はいとも簡単に言いきった。
えー……湖つっきって飛んでくの私なんですけど……
* * *
一刻後、郵便受けに注意書きを貼り終えた私は、紅魔館を訪れた。
途中、氷精の足止めこそ受けたものの、紅白や白黒に絡まれなかったのは僥倖というより他に無い。
私は早速、手紙の受取人に声をかけた。
「めーりんさん! 紅美鈴さん!」
「むにゃむにゃ、えへへ、やわらかーい……はっ!?」
門にもたれて眠っていた美鈴さんは、ガバッと身を起こすと何やら奇妙な構えをとった。
「重点! アンブッシュを許すとは……ウカツ! このままサクヤ=サンにケジメされる前に事を終わらせなければセプクだって……アイエエエエエエ……」
「あの、もしもーし?」
「この門は通さないわよ!」
「用があるのは貴女なんですけど……」
ジュージツ、ジュージツと謎の単語を発しながら、にじりよってくる美鈴。
こっちとしては、野良犬か何かをやり過ごすような気で、いなしにかかる。
「ほら、これ見て。手紙。わかる?」
「ばっ、バカにしないでください! 手紙くらい書いたことあります!」
なぜか頬を染めて抗議してくる美鈴。
うん、まあ会話が進むなら何でもいいや。
私はパサッと手紙を投げると、後ろ向きに飛び上がった。
「貴女宛の手紙を届けにきました。次は読まずに捨てますから、出した人によく言っておいてくださいね」
それだけ言い捨てて、私は永遠亭へと帰ることにした。
* * *
「そろそろ出てくるかなぁ……」
美鈴が館の中に入って、しばし。私は自分の位相をずらして、姿を透明にして待っていた。
はい、どうもこんにちは。鈴仙=優曇華院=イナバです。
いや、あのまま帰っても良かったんですけれど……
気になるじゃないですか、ねえ?
だって美鈴ですよ、美鈴。あのぐうたら門番に用事を頼むなんて、どんな人間なんでしょう?
あっ、美鈴が出てきました!
肩から緑色のトートバッグを提げて、どこかへ出かけるつもりのようです!
私は気付かれないように、そっと彼女の後をつけた。
よく観察すると、トートバッグには中身が詰まっている。
漂ってくる匂いから察して――薬草。
しかしヒマワリはどこで調達する気だろう?
私は気付かれないよう、更に注意深く位相をずらした。
美鈴が降り立ったのは、一面のヒマワリ畑だった。
それは、まるで太陽の海。美しい黄金色の花弁が、十重・二十重となって広がっている。
そして風が吹く度に、緑色の波を伴ってそれらが浮き沈みするのだ。
まさに荘厳という言葉がふさわしい、そんな場所だった。
(え? ここって――ええ?)
嫌な予感が脳裏にちらつく。
私は美鈴から、できるだけ離れて彼女の動向を見守った。
「幽香さん、幽香さん! ヒマワリ、ヒマワリを下さい!」
「対価に足を一本もらうけど、それでいい?」
一瞬の離れ業だった。いつの間にか、美鈴の首を手が締め上げている。
黄金色の海の底から、緑色の髪をした妖怪が音も無く浮上した。
「ゆゆゆ幽香さん、お久……ぐえっ」
「私にとって、ここのヒマワリは貴女の命より大事なの。まったく、何度言ったら分かってくれるのかしら」
はあ、と溜息をつくのは風見幽香。この畑の主である。
彼女は歯ぎしりしながら、もう片方の手に持っていたもの――カットされたヒマワリの花――を取り出した。
美鈴は、けほっけほっとせき込んでいる。
「それじゃ急ぐよ。この暑さだ、何があっても不思議じゃないからね」
「ま、待って幽香さん……」
二人の妖怪は並んで飛び上がり、私も後を追った。
幽香と美鈴――およそ不釣り合いな二人に、どんな共通の秘密があるのだろう?
なんだかわくわくしてきた。
* * *
山のふもとにある里は妙に賑やかだった。
一軒の農家に人が集まり、わいわい騒いでいる。
幽香と美鈴がその真ん中に降り立つと、人々は水を打ったようにシンとなった。
幽香が威風堂々と辺りを見回すと、手近な村人に質問をした。
「あの、おはるさんは――?」
「祖母なら今朝がた、亡くなりましたが――あの、どちら様で?」
答えを聞くなり、二人は走って家の中に入っていった。
四畳半の畳の上に、小さな白い布団が敷かれ、その上に小さな老婆が目をつぶって横たわっていた。
美鈴がその肩をつかんで揺さぶる。
「ハルちゃん! おはる!」
「やめなよ、ハルちゃん気持ち良さそうに寝てるじゃないか……」
一方の幽香は、目を逸らしながら、絞り出すように言った。
さっき「祖母は」と答えた男が、三人の間に割って入った。
「あのぅ、お二人とも祖母とはどういう関係で――?」
「ぐすっ……子供のハルちゃんが怪我していたのを、私が近くの小屋に運んだら幽香さんが居てですね……」
「よしなよ、恥ずかしい」
きっぱりと言い捨てた幽香の目元も、心なしかうるんでいるように見えた。
「何か死ぬ間際に言い残したことは?」
「ええ、何か言っていましたが……私どもには聞き取れませんでした」
「そう。お邪魔したわね」
帰るわよ、と幽香は宣言して、美鈴の腕を引いた。
美鈴は何か言いたそうに、もっと老婆のそばに居たそうにしていたが、しぶしぶといった態で立ちあがった。
私は、半ば白けた気分で一連の騒ぎを見ていた。
妖怪と人間は寿命が違う。それを承知で、人間の子供と縁を持つなど、愚の骨頂だ。
関わるなら師匠のように、淡々と、医療についてのみ事務的に関わるべきだったのだ。
二人が家を出て、飛び去ろうとした瞬間だった。
『YAHOOー!』
突然、山の向こうから大きな声が響いてきた。
『美鈴さーん、幽香さーん!』
「ハルちゃん!?」
「おはる!?」
二人は同時に振り向くと、息を飲んで言葉の続きを待った。
『今までありがとう、楽しかったよー!』
「……」
『生まれ変わったら、また遊ぼうねー!』
「……ばかっ」
幽香が目元を抑えた。美鈴は、その場にヘナヘナとしゃがみこむと、わんわん人目もはばからずに泣き始めた。
今朝、老婆が残そうとした言葉は、山彦となって二人の訪れを待っていたのだった――
* * *
私は迷いの竹林に戻ってきた。
もう見るべきものは全て見た、あれ以上あの空気の中に留まっていることはできなかった。
ドアを開けると、偶然ドアの向こうに居た師匠と目が合ってしまった。
「あっ……」
「あ……」
お互いアンブッシュの形になってしまい、反応に困る。
ふと、私は自分の胸に湧き上がった疑問をぶつけてみた。
「師匠。師匠は私が死んだら泣いてくれますか?」
「え? ……ええ、泣くと思うわ。たぶん」
「そうですか」
その答えを聞いて、私は安堵した。
「ならいいです。師匠、これからもよろしくお願いします!」
「? え、ええ……なんだか変な鈴仙ねえ」
はてなマークを出す師匠の横で、私はニコニコと笑い続けた。
そっと、師匠の右腕に絡みついて。
了
「ししょー、永琳師匠。お手紙が来てますよ」
私――鈴仙は、迷いの竹林入口で拾った手紙を掲げて言った。
師匠の治療術は「よく効く」と人里で話題になっている。
なっているのは良いが――無断で竹林に入る者、迷う者、遭難する者など、厄介な事例が後をたたない。
そこでてゐと相談して、私たちは郵便受けを作ったのである。
竹林の入り口に箱を設置、投書された病気相談のうちから『これだ!』というものをピックアップして対処するのである。
今日は記念すべき、その初日。これが、どの程度師匠の負担軽減や、竹林の秩序回復に役立つか。それはやってみないと分からない。
しばらくして師匠の声が返ってきた。
「ちょっと手が離せないから、読み上げてもらえる?」
「わかりました! ええと……」
幾分か震えながら書かれた毛筆の手紙は、すべてひらがなで書いてあり、かなり読みにくい。
それでも私は根性で解読していった。
「薬草が欲しいみたいですね。朝鮮朝顔、ドクダミ、カミツレ……」
「なによ、そのくらい人里でいくらでも手に入るじゃない」
「あ、あとヒマワリが欲しいって書いてあります!」
「ヒマワリぃ!?」
事ここに至って、師匠はタオルで手を拭きながら顔を出した。
ドアの向こう、ちらりと見えたベッドに縛り付けられた姫様には、今は気付かなかったふりをしておこう。
師匠は「ちょっと見せて」と、自分で手紙を読み始めた。
そして、なぁんだと気の抜けた声をあげた。
「これ私宛じゃないわ。めーりんさま、って書いてある」
「え? どこどこ?」
慌てて手紙を読みなおす。
一番最初、汚い字で、はいけいめーりんさまと書いてあった。
ということは、この手紙は紅美鈴宛ということである。えーなにそれー。
「うどんげ。悪いけど、郵便受けに張り紙してきて。『永遠亭専用』ってね」
「わかりました。この手紙はどうしましょう?」
「届けてあげたらいいんじゃない?」
師匠はいとも簡単に言いきった。
えー……湖つっきって飛んでくの私なんですけど……
* * *
一刻後、郵便受けに注意書きを貼り終えた私は、紅魔館を訪れた。
途中、氷精の足止めこそ受けたものの、紅白や白黒に絡まれなかったのは僥倖というより他に無い。
私は早速、手紙の受取人に声をかけた。
「めーりんさん! 紅美鈴さん!」
「むにゃむにゃ、えへへ、やわらかーい……はっ!?」
門にもたれて眠っていた美鈴さんは、ガバッと身を起こすと何やら奇妙な構えをとった。
「重点! アンブッシュを許すとは……ウカツ! このままサクヤ=サンにケジメされる前に事を終わらせなければセプクだって……アイエエエエエエ……」
「あの、もしもーし?」
「この門は通さないわよ!」
「用があるのは貴女なんですけど……」
ジュージツ、ジュージツと謎の単語を発しながら、にじりよってくる美鈴。
こっちとしては、野良犬か何かをやり過ごすような気で、いなしにかかる。
「ほら、これ見て。手紙。わかる?」
「ばっ、バカにしないでください! 手紙くらい書いたことあります!」
なぜか頬を染めて抗議してくる美鈴。
うん、まあ会話が進むなら何でもいいや。
私はパサッと手紙を投げると、後ろ向きに飛び上がった。
「貴女宛の手紙を届けにきました。次は読まずに捨てますから、出した人によく言っておいてくださいね」
それだけ言い捨てて、私は永遠亭へと帰ることにした。
* * *
「そろそろ出てくるかなぁ……」
美鈴が館の中に入って、しばし。私は自分の位相をずらして、姿を透明にして待っていた。
はい、どうもこんにちは。鈴仙=優曇華院=イナバです。
いや、あのまま帰っても良かったんですけれど……
気になるじゃないですか、ねえ?
だって美鈴ですよ、美鈴。あのぐうたら門番に用事を頼むなんて、どんな人間なんでしょう?
あっ、美鈴が出てきました!
肩から緑色のトートバッグを提げて、どこかへ出かけるつもりのようです!
私は気付かれないように、そっと彼女の後をつけた。
よく観察すると、トートバッグには中身が詰まっている。
漂ってくる匂いから察して――薬草。
しかしヒマワリはどこで調達する気だろう?
私は気付かれないよう、更に注意深く位相をずらした。
美鈴が降り立ったのは、一面のヒマワリ畑だった。
それは、まるで太陽の海。美しい黄金色の花弁が、十重・二十重となって広がっている。
そして風が吹く度に、緑色の波を伴ってそれらが浮き沈みするのだ。
まさに荘厳という言葉がふさわしい、そんな場所だった。
(え? ここって――ええ?)
嫌な予感が脳裏にちらつく。
私は美鈴から、できるだけ離れて彼女の動向を見守った。
「幽香さん、幽香さん! ヒマワリ、ヒマワリを下さい!」
「対価に足を一本もらうけど、それでいい?」
一瞬の離れ業だった。いつの間にか、美鈴の首を手が締め上げている。
黄金色の海の底から、緑色の髪をした妖怪が音も無く浮上した。
「ゆゆゆ幽香さん、お久……ぐえっ」
「私にとって、ここのヒマワリは貴女の命より大事なの。まったく、何度言ったら分かってくれるのかしら」
はあ、と溜息をつくのは風見幽香。この畑の主である。
彼女は歯ぎしりしながら、もう片方の手に持っていたもの――カットされたヒマワリの花――を取り出した。
美鈴は、けほっけほっとせき込んでいる。
「それじゃ急ぐよ。この暑さだ、何があっても不思議じゃないからね」
「ま、待って幽香さん……」
二人の妖怪は並んで飛び上がり、私も後を追った。
幽香と美鈴――およそ不釣り合いな二人に、どんな共通の秘密があるのだろう?
なんだかわくわくしてきた。
* * *
山のふもとにある里は妙に賑やかだった。
一軒の農家に人が集まり、わいわい騒いでいる。
幽香と美鈴がその真ん中に降り立つと、人々は水を打ったようにシンとなった。
幽香が威風堂々と辺りを見回すと、手近な村人に質問をした。
「あの、おはるさんは――?」
「祖母なら今朝がた、亡くなりましたが――あの、どちら様で?」
答えを聞くなり、二人は走って家の中に入っていった。
四畳半の畳の上に、小さな白い布団が敷かれ、その上に小さな老婆が目をつぶって横たわっていた。
美鈴がその肩をつかんで揺さぶる。
「ハルちゃん! おはる!」
「やめなよ、ハルちゃん気持ち良さそうに寝てるじゃないか……」
一方の幽香は、目を逸らしながら、絞り出すように言った。
さっき「祖母は」と答えた男が、三人の間に割って入った。
「あのぅ、お二人とも祖母とはどういう関係で――?」
「ぐすっ……子供のハルちゃんが怪我していたのを、私が近くの小屋に運んだら幽香さんが居てですね……」
「よしなよ、恥ずかしい」
きっぱりと言い捨てた幽香の目元も、心なしかうるんでいるように見えた。
「何か死ぬ間際に言い残したことは?」
「ええ、何か言っていましたが……私どもには聞き取れませんでした」
「そう。お邪魔したわね」
帰るわよ、と幽香は宣言して、美鈴の腕を引いた。
美鈴は何か言いたそうに、もっと老婆のそばに居たそうにしていたが、しぶしぶといった態で立ちあがった。
私は、半ば白けた気分で一連の騒ぎを見ていた。
妖怪と人間は寿命が違う。それを承知で、人間の子供と縁を持つなど、愚の骨頂だ。
関わるなら師匠のように、淡々と、医療についてのみ事務的に関わるべきだったのだ。
二人が家を出て、飛び去ろうとした瞬間だった。
『YAHOOー!』
突然、山の向こうから大きな声が響いてきた。
『美鈴さーん、幽香さーん!』
「ハルちゃん!?」
「おはる!?」
二人は同時に振り向くと、息を飲んで言葉の続きを待った。
『今までありがとう、楽しかったよー!』
「……」
『生まれ変わったら、また遊ぼうねー!』
「……ばかっ」
幽香が目元を抑えた。美鈴は、その場にヘナヘナとしゃがみこむと、わんわん人目もはばからずに泣き始めた。
今朝、老婆が残そうとした言葉は、山彦となって二人の訪れを待っていたのだった――
* * *
私は迷いの竹林に戻ってきた。
もう見るべきものは全て見た、あれ以上あの空気の中に留まっていることはできなかった。
ドアを開けると、偶然ドアの向こうに居た師匠と目が合ってしまった。
「あっ……」
「あ……」
お互いアンブッシュの形になってしまい、反応に困る。
ふと、私は自分の胸に湧き上がった疑問をぶつけてみた。
「師匠。師匠は私が死んだら泣いてくれますか?」
「え? ……ええ、泣くと思うわ。たぶん」
「そうですか」
その答えを聞いて、私は安堵した。
「ならいいです。師匠、これからもよろしくお願いします!」
「? え、ええ……なんだか変な鈴仙ねえ」
はてなマークを出す師匠の横で、私はニコニコと笑い続けた。
そっと、師匠の右腕に絡みついて。
了
しかし、後半に家を訪れてからの3人が他のキャラに差し替えても特に問題がないくらいに薄かった気がします。