深い闇夜に雪が舞い降りる。
パチュリー・ノーレッジによって紅魔館の正門に取り付けられた魔法灯が、ぼんやりとそれを照らしていた。
門番がため息をつくと白い息が辺りに霧散する。腕組みをしたまま彼女は誰に言うとでもなく呟いた。
「やー、しっかし雪の日は冷えるわね……」
肩が震える。どうせ返事なんて期待していない独り言だったが今夜はいつもと違った。
「妖怪がこの程度の寒さで泣き言漏らすなんて、ウチの門番は随分と情けないのね」
美鈴が背をそらせて上を見上げると、門の上にはレミリア・スカーレットがいた。ガーゴイルの彫刻の如き姿勢で座っている。違う言い方をすれば、両足を揃えたヤンキー座りで両腕を足の甲に重ねて置いている。
「精神的な問題ですよ。コートの一つでもあれば別なんですけどね」
大抵の妖怪は精神面に対する比重が大きいので、実際の温度よりも雰囲気で寒さを感じ取ってしまうことがある。成熟した妖怪なら自らの精神を支配することでその辺りの調整は容易にこなすが、それを無粋だとするものもいた。彼女はそのクチのようだ。
「そう言うと思って持ってきた」
レミリアが指を鳴らすとベージュ色のコートがどこからともなく現れる。比較的簡単な魔法は吸血鬼にも使えるらしい。
彼女は下にいる門番にそれを投げた。美鈴は上にそれを着込みながら主人を揶揄する。
「今夜はいつもと違って随分と気が聞きますねぇ」
「そう、今日の私はできる上司なのさ。略してデキジョ」
彼女は片目を閉じてやや誇らしげに言う。はは、と門番が呆れ気味に笑った。上司の冗談はとりあえず笑っておくのができる部下だ。
「しかし今日はどうしたんです?」
「部下のサボらないように見張るのも上司の仕事だろう」
「本音は?」
「かまえ、暇だ」
「だと思いました」
まったく、と門番はまた一つ白いため息をつくが口元は何だか緩んでいた。彼女は両手を息で温めながら、頭上にいる主君に向かって言う。
「そんなにやることが無いなら、妹様と遊んでやったらどうです?」
「お前も知ってるだろ。昨日派手にやりあったせいで体の節々が痛いんだ」
そう言いながら彼女は大げさに自分の肩を右手でもむ。勿論吸血鬼たる彼女が疲労を翌日まで残しているはずもないのだが。
「歳ですねぇ」
「歳だねぇ」
今度はレミリアが白いため息をつく。ついでに姿勢を変えて足を組んだ形で門の上に座り直した。
「でも妹様は今日もお姉様と遊びたいって言ってましたよ」
「まだまだアイツは子供だから疲れを知らなくて困る」
「その上フルパワーで遊べる相手は限られてると」
「まー探せばそれなりの実力者はいるけどな。ただわざわざフランに付き合ってくれるかは別の話だ。あいつの遊び相手探しは深刻な問題だよ」
美鈴は「難儀ですね」と苦笑した。その数秒後、何かを思いついたらしく目を少し大きく開いた。
「そういや、ウチ以外に吸血鬼っていないんですか?」
吸血鬼は目をパチクリとした後、目を細めて遠くに視線をやった。いつかの遠い日に思いを馳せるように。
「そうだな――――――――」
石造りの階段を下りる足音が一つ一つ反響する。らせん状に続く階段を降りているのはレミリア・スカーレットだ。ここは幻想郷にある吸血鬼の館、といっても紅魔館ではない。彼女は自分ら姉妹以外の唯一の吸血鬼に別れを告げにきたのだ。
彼女はやがて鉄製の扉の前で立ち止まった。
「入るぞ」
彼女が指を鳴らすと、扉が鈍い音をたて重々しく開いていく。完全に開いた状態になると部屋の中の二本しかない蝋燭に明かりがひとりでにともる。それを見計らって彼女は部屋の奥に歩みを進めた。
蝋燭でも照らしきれない暗さのせいで部屋の全貌はつかめなかったが、そう大きい部屋ではないだろう。照らされている部分に目をやると、ここが石ごしらえの牢獄のような場所であることが分かった。その中心には黒い棺が置いてあり、その上には一人の男が腰掛けていた。
「……無様だな、同胞」
レミリアが腕を組んで問いかけると、吸血鬼たるその男は大儀そうに顔を上げた。
「やあ……客人」
彼はかすれた声で答えた。
オールバック、鋭い犬歯、黒い服、眉なし、大きい襟。吸血鬼の手本のような格好だ。
ただし男は頬は痩せこけ、手足は骨と皮だけになっており餓死寸前という有様だった。最強の幻想種の一つとしてうたわれる吸血鬼とは到底思えない姿だ。
それを見てレミリアは不機嫌そうな声で言う。
「血が飲みたいのなら余るほどあるぞ」
彼女の提言を彼は力なく笑い飛ばした。
「パックに入った血液を俺は血とは呼ばん……吸血鬼は首に噛み付くのが礼儀というものだ」
「だが、生き延びられる」
「無理だ。俺は血を直に吸わねば吸ったことにならない……お前たちはその意味で異端児だ……いや、進化なのかも知れんな」
血を間接的に飲むだけで充分な体である彼女のことを、古典的な吸血鬼は進化と評した。
彼は天井を見上げる。その目はどこか遠くを見ているようだ。
「それに……惚れた女との約束だからな」
「愛人との?」
「……悪い言い方をすればそうだな」
少女がにやりと笑うと、ばつが悪そうに男は「言っておくが妻が生きているときは関係は持っていなかった」付け加え、天井から右上に目線をそらした。彼女はその様子を見て更に深く追及する。
「いや、お前は女にだらしない」
からかう様な調子の彼女に、男はこのまま良いように言われるのが嫌だったのかおどけるような調子で言う。
「むしろ吸血鬼が人間の女に恋するなんて……むしろ作り話のようで純粋だと思うがね」
「リヴァプールで会ったワーウルフの女」
「……あれは若さゆえの過ちだ」
「カイロのミイラ女」
「……一夜限りの過ちだ」
「東洋の女狐」
「……あれは……」
「新大陸のホワイト・バッファロー」
「…………」
「お前は女にだらしない」
レミリアが楽しそうにもう一度繰り返すと、彼は小さい声で「そうかもしれんな」と言う他なかった。どうやら負けを認めたようだ。
男が「最期位顔を立てろ」と愚痴を言えば、少女は「会いに来ただけ嬉しいと思え」と笑う。
「はぁ……」
「…………」
何も今日は冗談を言うためだけに来たわけではなく、出来ることなら男をひきとめに来たのだ。
少女は一度目を閉じると、もう一度男に血を飲めと言った。その表情は硬い。
「なあ、今からでも人間を……」
間髪を入れずに男が答えた。
「惚れた女に……人を殺すなと約束させられた……それにもう……生きながらえる必要は無い」
蝋燭の火が揺れる。
声こそかすれていたものの、芯のある喋り方だった。たとえ死ぬほど飢えようとも彼は誇り高き吸血鬼なのだ。たとえ世界中が彼を糾弾しようとも、彼は自分の考えを貫き通すだろう。
レミリアは数秒黙った後、最後の通告をした。
「私じゃ、生きる理由にならないのか」
「年を考えろ……」
「……まあ、そうだな」
二人は苦笑する。ひとしきり笑うと男が次の言葉をつむいだ。
「それに……この幻想郷とやらに俺はそぐわない。俺のような旧式の妖怪にとって……ここは少し……住みにくいんだ」
「ここは良い場所だよ。ちと刺激に欠けるが」
それは反論でもなんでもなく、ただの彼女の本心だった。
しかし男はゆっくり首を振る。
「……ここにお前達は……対応しているからだ」
それは彼女たち二人の新世代が血を飲むやり方に拘らなくても良いということだけでなく、増殖性や力のセーブ、精神性などにおいてもだ。幻想郷という新天地に来て彼女らは進化している。そして男は幻想郷に適応できず、吸血鬼らしい吸血鬼であり続けた。どちらが悪いという問題でもなく、それはただの純然たる事実だ。
「フランにお前の死を告げるか?」
「……顔も知らん……男の死を告げても……仕方なかろう」
「そうか……」
彼女は目を僅かに伏せた。噛んだ下唇にどんな感情が込められているのかは本人以外誰もわからない。
「…………」
会話が途切れた。暗闇にそっと沈黙が降りる。気まずさはなく、仲の良い友人達だからこそ許されるような静けさだった。石造りの部屋の中、静寂という音だけが横たわっている。今となっては二人とも無言の時ですら愛しいのかもしれない。一分か、十分か、一時間か。どれ程の間そうして過ごしただろうか。
やがて終わりが訪れる。男は「そろそろ時間だな」と僅かに口角を上げて歯を見せた。
「何が楽しい」
「お前が……最期に……会ってくれたことだよ……」
ふん、とレミリアは鼻で笑う。それを男は優しい目つきで見つめた。
蝋燭の灯火はいつの間にか随分と小さくなっていた。彼は微笑んで別れの言葉を告げる。
「……それじゃあ……な……おやすみ……吸血鬼……」
「ああ。おやすみ、吸血鬼」
吸血鬼はゆっくりと頭をたれた。もう二度とその顔は上げられることはない。
灯された火が大きく揺れて、消える。
「さようなら……父さん」
暗闇と化した部屋の中、彼女はずっとそこに立ち尽くしていた。
「――――――――少なくとも、幻想郷の中にはいないね」
目を閉じてレミリアが答える。
「あー、いれば妹様の遊び相手になると思ったんですけどねぇ」
吸血鬼は門を飛び降りて美鈴の数歩先にとんっ、と着地した。彼女は舞い散る雪を見上げ、後ろ向きのまま門番に話しかける。
「そういや美鈴。お前、父親は?」
「私に親なんか元々いませんよ。そういうお嬢様は?」
「いた、ねぇ」
「あ……何かすいません」
吸血鬼は「そんなこといちいち気にするな」と笑った。門番からは彼女が口から白い息を零したのが視界に入った。表情は見えない。その後ろ姿がほんの少しだけ寂しそうに見えるのは気のせいか。
美鈴は組んでいた両手をほどいて、両脇に置いた。僅かに風が吹いて、雪たちが踊る。
「どんな人……でした……?」
柔らかい声で美鈴が聞いた。
レミリアは後ろを首だけで振り返り、目を細めて楽しそうに微笑んだ。
「女にだらしない奴さ」
魔法灯の光が、少しだけ揺れた。
っていう下手な批評めいたことはともかく、「いた、ねぇ」は良かったです。白々しい表情が見えるようで可愛かったw
とりあえず一番の突っ込みどころはせっかく前作で名前の威光を示したのになぜチェンジ…… 。
雰囲気が好みでした。面白かったです。
父親がどうして、血を吸わなくなったのか。女にだらしない奴なのに、その内の誰か一人に操を立てるのはなぜかというところまで、書ききってくれると尚良かったように思います。
>「パックに入った血液を俺は血とは呼ばん……吸血鬼は首に噛み付くのが礼儀というものだ」
昨今のチャラい吸血鬼が増えた中、クラシックな様式を大事にする見上げたオヤジだなぁ
ちゃんと三日三晩、犠牲者の部屋の窓を訪ねるんだろう
ただなんか、好きな女のくだりが(個人的にだけど)幽々白書と被っちゃって、
なんか興醒めだったのでそこは別の理由とかが良かったかなー、なんて
個人的なんで別にこれでも良いって人もいるんでしょうが
それでも、素敵な雰囲気で良かったです
父さんとの会話に中身がもう少し欲しかった
意味のない会話の中に想いだけはぎゅうぎゅうに詰まっている感じが良かったです。
監禁してみごろしするのも、絶食も理由不足
あとペンネームは無意味にコロコロ変えるのは悪影響しかない
どこか幽〇白書を思い出させるような展開で
それ以上のものがいまいちなかったかもです。
それ自体はすきなのですが。
全然関係なかったのならすいません。