少し汗をかくことも多くなってきた日和だが、紅魔館はそこそこ涼しい立地にあるから、炎天下に曝されない限りは門番の仕事が辛いという事はなかった。一日の半分はこうやって門の傍に立っているだけで良いし、そもそも森や湖を抜けてまでここに来る人間は殆どいない。だから私が相手をするのは「来訪者」ではなく妖怪の「襲撃者」である事が多かった。戦闘なら自分の得意分野だ。ただまあ、近頃は環境が変わったのか人間もちらほら見るようになってはいるのだが。
「……それにしても、日陰がない……」
私は拭うものもなく衣服をびしょ濡れにして、かれこれ数時間は門扉の前にいた。というのも今日は館に「お客」が来るらしく、番以外の業務は免除されたからだ。言い渡された時は気がつかなかったが、寧ろいつもより数倍キツい。今日の天候のせいもあるがとんだぬか喜びだった。
「あー……、喉がカラカラだ」と口に出すのも億劫で、私は既に緩めきっていた胸元を一層はだけさせる。こんな格好を見つかれば叱られるのは必至だが、この際背に腹は変えられないだろう。
いっそ湖でフラフラ遊んでいるあの氷妖精を捕まえて、かき氷でも作らせようかと考える。しかし自分はどのみちここから離れられないのだから、流石にそこまでするリスクはリターンをはるかに上回っているだろう。妖精狩りに行ったら捕まったのは自分でした、が笑い話にならないのがこの紅魔館である。
「この前なんてヒドかったもんな……」
知らず寒気が体を襲い、ぶるりと身震いが出る。思わぬ形で納涼することとなったが、いくら暑さを凌ぐ為とはいえこんな方法は全く楽しくない。
そういえば怪談話などというものをされた事があったが、私にはその良さが全く理解できなかったのを思い出す。意地悪なメイド長が楽しむばかりで、自分としては、ああいうのはもう二度と御免だった。
さきほどから気の流れでもいじろうかとあれこれ試してみているのだが、効果が表れる様子は一向にない。
とにかく、病は気からと言うように、こういうものは気持ち次第でどうにかなるに違いないのだ。そう腹を決めると私は、妖怪ではなく直射日光と闘いながら「お客」を待つ事にしたのだった。
「やっとか……」
昼食を済ませた後さらに数時間経ち、どうやらようやく「お客」がやってきたようだった。どこからどうやって来るのか知らされていなかったとはいえ、まさか徒歩とは思いもよらない。その人影は三つあり、一人はどうやら日傘をさしていて、残りの二人が後ろについて歩いていた。さほど敵意も感じられないが、かといって友好的な感じでもない。そう言えば今朝、「文句を言いに来た」とお嬢様が仰っていたから、特に先頭の妖怪が放つこのピリピリした感じは、そのせいなのだろう。
「あなたが門番さんかしら?」と、到着して一番に話しかけてきたのは、日傘を指したまさにその妖怪だった。
「はい。そちらさまはご予約いただいていたご一行様でしょうか」私は事務的にそう返す。こういうことは苦手なのだが、相手は正式な手順を踏んでここまで来ているから、こちらも相応の態度で相手をしなければならない。こんなところでヘマをして、紅魔館の品位を落とすわけにはいかないのだ。
「あら、そんな畏まらなくて結構よ」
「いえそういうわけにも……」
「……まあ、別に不快というわけではないけど」
「恐れ入ります」
そうやって私達が会話する後ろでは、従者らしき二人がぼそぼそと何か言っている。立ちふさがる大きな傘が視界を遮って、生憎とその姿までは確認できなかった。
「藍様、藍様、大きいお家」と、笑う子供らしい声が言う。
「そうだな橙。今からお邪魔するんだ、失礼のないようにな」対して応えるのは、優しく落ち着いた声だった。
その様子を聞いていると母親と娘のようであり、ますますこの集団に対する謎が深まってしまう。何となく似た空気を持つ後ろの二人と比べて、目の前の女性はかなり異質なのだ。どこがどと問われれば困ってしまうのだが、この感覚は恐らく間違っていないだろう。
「……それで? 入っても構わないのかしら?」
という声で私は我に返り、今の言葉の意味を咀嚼する。考え事に耽るのはもはや職業病といってもよく、こうやって度々会話の邪魔になるのだから笑ってもいられなかった。
「……えーっと、そうですね、どうぞお入りください。中は妖精が案内しますので」となんとか返事をし門を開けた。こんな咄嗟の判断ができるのも、もしかしたら門番をやっているせいかも知れない。
「分かったわ。……藍、橙、行くわよ」
「あ、はい紫様。では、お勤めご苦労様です」
「ごくろうさまです!」
そう挨拶を残して門をくぐっていく一行に笑顔で会釈し見送ると、私は頭を振りそっと息をついた。拳で語ることが多い門番にとっては慣れない仕事で、上手くできただろうかと少し不安が残る。気遣い症のメイドさんのお陰で一通りのマナーは身につけているものの、今回、あまり役に立ったようには思えなかった。
「ん~……さて、と」
門扉を閉め鍵をかけてから、ぐっと一息で伸びをし、残りの時間のことを考える。あの「お客」が帰るのは恐らく夜頃だろうから、それまではいつも通りにしていれば問題ないはずだ。今日に限ってはほかの業務が免除されているので、やる事といってもそう選べはしないが。
太陽も傾きつつある昼下がりは幾分か過ごしやすくなっており、棒立ちの門番の仕事も大して苦ではなくなっていた。風も出てきたせいか、寧ろ外にいるほうが快適なのではないかとすら思えるほどだ。
「…………寝るかー……」
そう決めると私は目を閉じて、あまり深くなりすぎないよう注意しつつ、眠りに落ちたのだった。いつもなら飛んでくる鋭いナイフも、さすがに今日ばかりは、「お客」の対応でそれどころではないはずだ。
とんとん、と肩を叩かれる刺激で目を覚ました。日はだいぶ傾いていたが、星が見えるほど空は暗くはないようだった。
「――スミマセンッ! 咲夜さん!!」
私は咄嗟にそう言い、まずは眠気を覚ますことに努める。
「これはですね! あの、」そうしながらとにかく話をし、口を閉じないようにする。居眠りが見つかった時は、これら二つが大切だった。素早く目覚めるのは当然ながら、場をつなぐ技術というのも必要なのである。
「目をつぶって侵入者を油断させまして! それで、」
「いやあ相手も手練でしてね、どうやら――」
「――あのう……」と聞こえた声は想像と違い柔和なものだが、それでも私は慌てて振り返った。万が一の事というのは起きてからでは遅いのであり、これはそういう種類の出来事なのだ。
「……え?」
しかし、目の前にいた声の主は先ほどのお客」の一人だった。わけのわからない状況に私は開いたままの口を閉じられず、「何か言わねば」とだけ咄嗟に思いつく。だが彼女の名を知らない私にできたのは、その顔を黙って見つめるくらいだった。ただし妖怪の知識に疎い自分でも、彼女が九尾の狐である事くらいは見当がつく。整った顔立ちと金色に透き通った髪、特徴的なつり目がその印象を強く光らせていた。
「私の姿が何か? 身だしなみは整えてきたつもりなのですが……」
「あ、いえ、なんでもありません」
突然の事にジロジロ観察してしまったわけだが、確かにあまりにも不審な行動だっただろう。その人は服装や髪型を確認するように、手や視線をあちこちに動かしていた。
「……自己紹介がまだでしたよね」と、失敗を取り返すつもりで私は話しかける。
「こちら、紅魔館の門番兼庭師、紅美鈴と申します」
生まれ地域の恭しいお辞儀をしてそう名乗ると、何が可笑しいのか彼女はクスリと笑う。続けて頭を下げ、その人は口を開いた。
「ご丁寧にどうも有難うございます。わたしは、八雲紫が式と仕える九尾妖狐、藍と名乗り申す者です」
そのあまりにも堅苦しい自己紹介に、私はしばし面食らってしまう。どうやら頭の出来はあちらが遥かに上のようで、とすると、さっき彼女が笑ったのは私の言葉が拙かったからだろうかと恥ずかしくなった。
「えーと……」と迷いながらも気持ちを抑えて、私はどうにか右手を差し出し握手を求める。あれこれ考えるのは良いが、過ぎたるは猶及ばざるが如し、とも言うから、立ち止まらずに行動することも時には必要なのだ。
「……よろしく」と、意図を察した向こうが手を握ってきた。私は力を込めてその手を握ると、
「こちらこそ、よろしくお願いします」とやっと口にできたのだった。
「一体どうしたんですか」そう尋ねると私は、庭から失敬した長椅子を置き、藍さんにも座るよう促す。それに小さく会釈すると、彼女は腰を下ろしながら、
「それがですね――」と説明を始める。
「橙――私の式なのですが、……ほら、あのように友達ができたようで。」
そういえば閉めるのを忘れていた門から中庭をを見ると、そこにはキャッキャウフフと戯れる妹様と橙という件の式がいた。二人はどうやら館に侵入した小動物を追い掛け回しているらしく、特にトラブルもなく仲良くしているようだった。
「藍さんのご主人は?」微笑まし気に庭の様子を見守る彼女に、私はそう質問する。「式」というものが何なのかはよく分からないが、先ほどの自己紹介から察するに彼女もメイドのような存在なのだろう。
「紫様ですか? それが、どうも内密な話がしたいとのことで、追い出されてしまったんですよ」
「え、そうなんですか」
「ハハハ……まあ、よくある事ですから、こうして出てきたというわけです。呼ぶまで自由にしていて良い、とも仰られましたし」
藍さんは苦笑し頭を掻くと、座ったまま空を仰いだ。私もつられて見上げればいつの間にやら夕方で、真っ赤な景色が広がっていた。月が出れば大層よく見えるだろう、綺麗に晴れた空だった。
「……好きなんですね」
「えっ!?」
驚きの声を上げこちらを向く彼女に、私はもう一度言う。
「藍さんはそのご主人のことがとても好きなんだ、ということが伝わってきますよ」
言いながら私が思い起こすのは、世話焼きのメイド長の事だ。あの人も、自分の主を慕う真っ直ぐな心が、言動の端々から透けて見えるのだ。少し悲しい話だが、多分私などよりもレミリア様の方が、咲夜さんにとって大切な存在だろう。庭にいても湖畔にいても、彼女や私の部屋にいたって、二人きりの時、咲夜さんは決まって主の心配をしている。寒さ暑さで身体を壊されていないか、退屈ではないか、何かに悩まれてはいないだろうかと、散々私にこぼすのである。
「そんなに気になるのなら、ご様子を見に行けばいいじゃないですか」と、そんな時は自分もお決まりのセリフを言うのである。すると彼女は首を振って口をつぐみ、中断していた作業を再開する。そうやって続けられる水やりや洗濯や編み物は、決して私には手伝わせてくれないのも日常だった。
「……色々とお忙しい方ですから」と言う藍さんの声で 私は現実に引き戻された。庭の二人が、とうとう捕まえたネズミを取り合っていて、彼女が返事をするまでに少し時間が経っていたことが分かった。
「……そうなんですか?」
私はそう聞くと、ぼんやりとどこを見るでもない彼女の横顔を眺める。お尻に敷いた自身の尻尾をいじるのは癖なのか、心ここにあらず手だけは忙しなく動いていた。
「いつも、場所を告げずに外出してしまうんですよ」
「突然ですか」
「そうなんです。書き置きもないことが殆どで、あっても、『○○時には帰る』だのと曖昧なもので……」と、今度は顔をこちらに向けて彼女はこぼす。先程から風が吹いているせいで、その髪の毛は少し乱れが目立ち、顔全体がほんのりと赤くなっていた。
「でも、帰っては来るんですよね」
「ですがつかまえて問い詰めても、『藍には関係のないことよ』なんて平気な顔で」と、怒った顔を今度は伏し目がちにして彼女は続ける。
「少しはこっちの身にもなって欲しいものです」
「何をしているか全くわからない、と」
「そうですね……何か大仰なことをしている、とは一度だけ」自分の質問に、藍さんは静かにそう応えた。
「なるほど。想像もつきませんね……」
「ええ、私にもです」
一つため息を吐くと、彼女は視線を落としてそれきり黙ってしまう。その様子を見て私はどこか安心していた。他人が悩んでいるのに何をのんきなと言われるかも知れないが、そう大げさに捉える必要もないだろう。しかしこんな立派な人を悩ませる主人というのも、それはそれですごいとは思うが。
「……ですから、自分なんかじゃ何の役にも立たない様な気がして」
藍さんはしばし逡巡しそう言った。相変わらず俯いたままの顔が、苦しそうに歪んでいる。けれどそうやって打ち明けてくれたことが、こちらとしては嬉しく、ありがたかった。何故なら話を聞くだけに留まらず、色々な提案や、もしかしたら打開策すら伝えられるかも知れないからだ。
「それならですね――」と、あまり早口にならないよう気をつけながら、私は口を開く。こういう事は分かりやすく言うに限る。
「――それなら、別に、何もしなくて良いんじゃないですか」
「何も?」
「ええ。……例えば……帰りを待っている人がいる、というのも、十分励みになることだと思いますよ」
「…………」
藍さんは黙って私を見つめているだけだったが、頭の中では何やら考えを巡らせているように見える。それにしてもこういう時に両腕を組むのは、どこか人間臭くて興味深いものがあった。といっても自分の知る人間観などごく狭いものであろうが。
「そういう、ものですか」
一段落したのか、視線を外して藍さんはそう言った。庭からはメイド妖精の声も聞こえてきていて、どうやら別の遊びが始まっていたようだった。
「保証します。上に立つ者というのは案外、寂しがり屋だったりするんです」と、私は藍さんに応える。
「ふふふ……面白いことを言いますね」
「ありゃ、冗談のつもりはなかったんですが」
「いえ、そうじゃなくて。……なるほど、何だかスッキリしました。ありがとうございます」
彼女は立ち上がって言うと、振り返りにっこり笑ってみせた。その姿に少しドキッとしたのを悟られないように、
「いえいえ、私はただ話を聞いていただけですよ」とこちらも笑みをつくって返したのだった。
どうやら館での話し合いも終わったらしく、私達が長椅子を戻し終わったところで、丁度よく咲夜さんとレミリア様、お客人が庭に出てきた。もう暗くなってきたのですぐに出発するとの事だが、私だけが門前で三人に挨拶することに決まった。レミリア様はどうにもご気分が優れないらしく早々に戻ってしまわれ、咲夜さんはその付き添い、最後まで別れを惜しんで渋っていた妹様は、もうお休みの時間ということだった。となれば順当に、暇な自分が役割をこなすのは当然だろう。
「初対面なのにすみません。あんな話」と藍さんが言う。
「いえいえ。こういうのは溜め込むとよくありませんからね。私でよければ、またいつでも!」私はそう応え、親指を立ててみせた。
「フフ、そうですか? ……ありがとうございます」
「ちぇーん! 約束ねー!」
「うん、バイバイ、フランちゃん!」
一階の窓から妹様が顔を出して叫び、それに橙ちゃんが応えている。どうやら私の想像以上に、二人は仲良くなったようだった。
「それじゃあね門番さん。」
「それでは、美鈴さん」
「ばいばい」
「はい、お三方とも、さようなら。夜道にお気を付けください」
私は言ってから、とりあえずしばらくは八雲家一行を見送ることにした。道は思いの外暗かったが心配はいらないようで、一行の行く先を浮かぶ光球が先導している。私は大きく息を吸い込むと、それをゆっくり吐き出していく。まだ白い光が揺れているのが見えるが、私は後ろ髪引かれる思いで内側から門を閉めたのだった。
「ん?」私は視線を感じ、何の気はなしに振り返る。庭に灯りは殆どないから、花壇の傍に人影がある事に気付けなかった。
「見送りはもういいの?」
「咲夜さん!」
まるで隠れるように佇んでいたのは完璧で瀟洒と言われるメイド長で、暗い中僅かな光源だけでは、その顔ははっきりとは見えない状態だった。
「いつまで外にいるのかと思ったわ」
「まあ何となく、名残惜しくて」
「そ」と咲夜さんは短く応え、スタスタと屋敷の扉へと歩いて行ってしまう。私は普段とは全然違うその態度に内心首をかしげながらも、早足で咲夜さんの隣に追いつく。それにしても、こうして咲夜さんが迎えに来てくれたのには驚いたが、それ以上にとても嬉しかった。時たま思い出したように優しくしてくれるのが、この人の狡さと可愛さだと心底思う。咲夜さんは鍵を差し込み大きな扉を開け、するりと自分だけ内側に入ってしまった。
「……ちょっと待って、ホコリを払ってからよ」
咲夜さんは少しばかりこちらを睨んで言うと、人差し指を向け確認するよう促す。私はそれに頷き、一応、上着やらズボンやらをチェックしていった。
「それにしても、今日は一日立ちっぱなしで疲れましたよ」
「あらそう」
胸元が派手に開いていたのを忘れていて、私はボタン素早く留めていく。服装の乱れは見つかった途端に叱られるのが常たが、どうやら今は暗くてバレていないようだった。だが念には念を入れ、会話が途切れないよう適当な話題を探した。
「あー、でも、夕方からは座って話をしていたんですけどね。ほらあの、分かります? 藍さんっていうんですけど」
「……」
胸元は何とかなったが、咲夜さんは無言でじっとしている。もしや別に叱られるところがあるのだろうか。というより、先ほどから明らかに態度がおかしい。そういう日ではないにもかかわらずここまで不機嫌そうにしている事は今までに数える程しかないから、自分が気づかないヘマをしたか、病気か何かを疑ってしまう。
「……咲夜さん?」
「何かしら」
「怒ってます?」
「…………」
思わず中途半端な笑いになって聞くが応えは返ってこず、私はまたもや無言で見つめられるだけだった。どうにも雰囲気が悪くなっているようだが原因はわからない。それならいっそ、変な空気を吹き飛ばしてはどうだろうか。グゥ、と自分のお腹の鳴るのを聞いて、私はピンと閃くものがあった。
「あ、もしかしてお腹減ってるんですか? だったら、早く入って夕御飯に―ー」
「―ーないわ」と、咲夜さんは冷たい調子を微塵も変えずに言った。
「え?」
「だから、ないの。あなたのご飯」と、事務連絡をするように淡々と咲夜さんは言う。雰囲気を良くしようとした私の作戦が、全く意味をなしていなかった。
「ど、どうしてですか」
「…………」
「咲夜さん?」
「……知らないわよ。とにかくそういうコトだから」と、わざわざ言うのも面倒という風に咲夜さんは告げ、ゆっくりと扉を閉めていく。
「ちょ、ちょっと!? 待ってください、知らないってどういう―ー」突然の事態に頭が追いつかず、私にできたのは質問することだけだった。だがそんな自分を肩ごしにちらりと一瞥すると、咲夜さんは閻魔の最終宣告よろしく、
「―ーあ、あと、今日はそこで寝なさい。お休み、……門番さん」と無慈悲に言い放ったのだった。
「は」
パタン、と僅かに開かれていた扉さえも閉まり、鍵のかかる音がする。まさかと思い取っ手を引いても、時すでに遅し、全く動く様子もない。どういうことなのか一から十までわけが分からず、私はしばし呆然とする。だがこのままではマズいと思い、どこか窓か何かが開いてやしないかと、ざっと数えても百以上はあるそれらをとにかく一つずつ調べてみる事にした。
そうやって紅魔館の今日という夜は更け、明日が始まっていくのであった。
「……それにしても、日陰がない……」
私は拭うものもなく衣服をびしょ濡れにして、かれこれ数時間は門扉の前にいた。というのも今日は館に「お客」が来るらしく、番以外の業務は免除されたからだ。言い渡された時は気がつかなかったが、寧ろいつもより数倍キツい。今日の天候のせいもあるがとんだぬか喜びだった。
「あー……、喉がカラカラだ」と口に出すのも億劫で、私は既に緩めきっていた胸元を一層はだけさせる。こんな格好を見つかれば叱られるのは必至だが、この際背に腹は変えられないだろう。
いっそ湖でフラフラ遊んでいるあの氷妖精を捕まえて、かき氷でも作らせようかと考える。しかし自分はどのみちここから離れられないのだから、流石にそこまでするリスクはリターンをはるかに上回っているだろう。妖精狩りに行ったら捕まったのは自分でした、が笑い話にならないのがこの紅魔館である。
「この前なんてヒドかったもんな……」
知らず寒気が体を襲い、ぶるりと身震いが出る。思わぬ形で納涼することとなったが、いくら暑さを凌ぐ為とはいえこんな方法は全く楽しくない。
そういえば怪談話などというものをされた事があったが、私にはその良さが全く理解できなかったのを思い出す。意地悪なメイド長が楽しむばかりで、自分としては、ああいうのはもう二度と御免だった。
さきほどから気の流れでもいじろうかとあれこれ試してみているのだが、効果が表れる様子は一向にない。
とにかく、病は気からと言うように、こういうものは気持ち次第でどうにかなるに違いないのだ。そう腹を決めると私は、妖怪ではなく直射日光と闘いながら「お客」を待つ事にしたのだった。
「やっとか……」
昼食を済ませた後さらに数時間経ち、どうやらようやく「お客」がやってきたようだった。どこからどうやって来るのか知らされていなかったとはいえ、まさか徒歩とは思いもよらない。その人影は三つあり、一人はどうやら日傘をさしていて、残りの二人が後ろについて歩いていた。さほど敵意も感じられないが、かといって友好的な感じでもない。そう言えば今朝、「文句を言いに来た」とお嬢様が仰っていたから、特に先頭の妖怪が放つこのピリピリした感じは、そのせいなのだろう。
「あなたが門番さんかしら?」と、到着して一番に話しかけてきたのは、日傘を指したまさにその妖怪だった。
「はい。そちらさまはご予約いただいていたご一行様でしょうか」私は事務的にそう返す。こういうことは苦手なのだが、相手は正式な手順を踏んでここまで来ているから、こちらも相応の態度で相手をしなければならない。こんなところでヘマをして、紅魔館の品位を落とすわけにはいかないのだ。
「あら、そんな畏まらなくて結構よ」
「いえそういうわけにも……」
「……まあ、別に不快というわけではないけど」
「恐れ入ります」
そうやって私達が会話する後ろでは、従者らしき二人がぼそぼそと何か言っている。立ちふさがる大きな傘が視界を遮って、生憎とその姿までは確認できなかった。
「藍様、藍様、大きいお家」と、笑う子供らしい声が言う。
「そうだな橙。今からお邪魔するんだ、失礼のないようにな」対して応えるのは、優しく落ち着いた声だった。
その様子を聞いていると母親と娘のようであり、ますますこの集団に対する謎が深まってしまう。何となく似た空気を持つ後ろの二人と比べて、目の前の女性はかなり異質なのだ。どこがどと問われれば困ってしまうのだが、この感覚は恐らく間違っていないだろう。
「……それで? 入っても構わないのかしら?」
という声で私は我に返り、今の言葉の意味を咀嚼する。考え事に耽るのはもはや職業病といってもよく、こうやって度々会話の邪魔になるのだから笑ってもいられなかった。
「……えーっと、そうですね、どうぞお入りください。中は妖精が案内しますので」となんとか返事をし門を開けた。こんな咄嗟の判断ができるのも、もしかしたら門番をやっているせいかも知れない。
「分かったわ。……藍、橙、行くわよ」
「あ、はい紫様。では、お勤めご苦労様です」
「ごくろうさまです!」
そう挨拶を残して門をくぐっていく一行に笑顔で会釈し見送ると、私は頭を振りそっと息をついた。拳で語ることが多い門番にとっては慣れない仕事で、上手くできただろうかと少し不安が残る。気遣い症のメイドさんのお陰で一通りのマナーは身につけているものの、今回、あまり役に立ったようには思えなかった。
「ん~……さて、と」
門扉を閉め鍵をかけてから、ぐっと一息で伸びをし、残りの時間のことを考える。あの「お客」が帰るのは恐らく夜頃だろうから、それまではいつも通りにしていれば問題ないはずだ。今日に限ってはほかの業務が免除されているので、やる事といってもそう選べはしないが。
太陽も傾きつつある昼下がりは幾分か過ごしやすくなっており、棒立ちの門番の仕事も大して苦ではなくなっていた。風も出てきたせいか、寧ろ外にいるほうが快適なのではないかとすら思えるほどだ。
「…………寝るかー……」
そう決めると私は目を閉じて、あまり深くなりすぎないよう注意しつつ、眠りに落ちたのだった。いつもなら飛んでくる鋭いナイフも、さすがに今日ばかりは、「お客」の対応でそれどころではないはずだ。
とんとん、と肩を叩かれる刺激で目を覚ました。日はだいぶ傾いていたが、星が見えるほど空は暗くはないようだった。
「――スミマセンッ! 咲夜さん!!」
私は咄嗟にそう言い、まずは眠気を覚ますことに努める。
「これはですね! あの、」そうしながらとにかく話をし、口を閉じないようにする。居眠りが見つかった時は、これら二つが大切だった。素早く目覚めるのは当然ながら、場をつなぐ技術というのも必要なのである。
「目をつぶって侵入者を油断させまして! それで、」
「いやあ相手も手練でしてね、どうやら――」
「――あのう……」と聞こえた声は想像と違い柔和なものだが、それでも私は慌てて振り返った。万が一の事というのは起きてからでは遅いのであり、これはそういう種類の出来事なのだ。
「……え?」
しかし、目の前にいた声の主は先ほどのお客」の一人だった。わけのわからない状況に私は開いたままの口を閉じられず、「何か言わねば」とだけ咄嗟に思いつく。だが彼女の名を知らない私にできたのは、その顔を黙って見つめるくらいだった。ただし妖怪の知識に疎い自分でも、彼女が九尾の狐である事くらいは見当がつく。整った顔立ちと金色に透き通った髪、特徴的なつり目がその印象を強く光らせていた。
「私の姿が何か? 身だしなみは整えてきたつもりなのですが……」
「あ、いえ、なんでもありません」
突然の事にジロジロ観察してしまったわけだが、確かにあまりにも不審な行動だっただろう。その人は服装や髪型を確認するように、手や視線をあちこちに動かしていた。
「……自己紹介がまだでしたよね」と、失敗を取り返すつもりで私は話しかける。
「こちら、紅魔館の門番兼庭師、紅美鈴と申します」
生まれ地域の恭しいお辞儀をしてそう名乗ると、何が可笑しいのか彼女はクスリと笑う。続けて頭を下げ、その人は口を開いた。
「ご丁寧にどうも有難うございます。わたしは、八雲紫が式と仕える九尾妖狐、藍と名乗り申す者です」
そのあまりにも堅苦しい自己紹介に、私はしばし面食らってしまう。どうやら頭の出来はあちらが遥かに上のようで、とすると、さっき彼女が笑ったのは私の言葉が拙かったからだろうかと恥ずかしくなった。
「えーと……」と迷いながらも気持ちを抑えて、私はどうにか右手を差し出し握手を求める。あれこれ考えるのは良いが、過ぎたるは猶及ばざるが如し、とも言うから、立ち止まらずに行動することも時には必要なのだ。
「……よろしく」と、意図を察した向こうが手を握ってきた。私は力を込めてその手を握ると、
「こちらこそ、よろしくお願いします」とやっと口にできたのだった。
「一体どうしたんですか」そう尋ねると私は、庭から失敬した長椅子を置き、藍さんにも座るよう促す。それに小さく会釈すると、彼女は腰を下ろしながら、
「それがですね――」と説明を始める。
「橙――私の式なのですが、……ほら、あのように友達ができたようで。」
そういえば閉めるのを忘れていた門から中庭をを見ると、そこにはキャッキャウフフと戯れる妹様と橙という件の式がいた。二人はどうやら館に侵入した小動物を追い掛け回しているらしく、特にトラブルもなく仲良くしているようだった。
「藍さんのご主人は?」微笑まし気に庭の様子を見守る彼女に、私はそう質問する。「式」というものが何なのかはよく分からないが、先ほどの自己紹介から察するに彼女もメイドのような存在なのだろう。
「紫様ですか? それが、どうも内密な話がしたいとのことで、追い出されてしまったんですよ」
「え、そうなんですか」
「ハハハ……まあ、よくある事ですから、こうして出てきたというわけです。呼ぶまで自由にしていて良い、とも仰られましたし」
藍さんは苦笑し頭を掻くと、座ったまま空を仰いだ。私もつられて見上げればいつの間にやら夕方で、真っ赤な景色が広がっていた。月が出れば大層よく見えるだろう、綺麗に晴れた空だった。
「……好きなんですね」
「えっ!?」
驚きの声を上げこちらを向く彼女に、私はもう一度言う。
「藍さんはそのご主人のことがとても好きなんだ、ということが伝わってきますよ」
言いながら私が思い起こすのは、世話焼きのメイド長の事だ。あの人も、自分の主を慕う真っ直ぐな心が、言動の端々から透けて見えるのだ。少し悲しい話だが、多分私などよりもレミリア様の方が、咲夜さんにとって大切な存在だろう。庭にいても湖畔にいても、彼女や私の部屋にいたって、二人きりの時、咲夜さんは決まって主の心配をしている。寒さ暑さで身体を壊されていないか、退屈ではないか、何かに悩まれてはいないだろうかと、散々私にこぼすのである。
「そんなに気になるのなら、ご様子を見に行けばいいじゃないですか」と、そんな時は自分もお決まりのセリフを言うのである。すると彼女は首を振って口をつぐみ、中断していた作業を再開する。そうやって続けられる水やりや洗濯や編み物は、決して私には手伝わせてくれないのも日常だった。
「……色々とお忙しい方ですから」と言う藍さんの声で 私は現実に引き戻された。庭の二人が、とうとう捕まえたネズミを取り合っていて、彼女が返事をするまでに少し時間が経っていたことが分かった。
「……そうなんですか?」
私はそう聞くと、ぼんやりとどこを見るでもない彼女の横顔を眺める。お尻に敷いた自身の尻尾をいじるのは癖なのか、心ここにあらず手だけは忙しなく動いていた。
「いつも、場所を告げずに外出してしまうんですよ」
「突然ですか」
「そうなんです。書き置きもないことが殆どで、あっても、『○○時には帰る』だのと曖昧なもので……」と、今度は顔をこちらに向けて彼女はこぼす。先程から風が吹いているせいで、その髪の毛は少し乱れが目立ち、顔全体がほんのりと赤くなっていた。
「でも、帰っては来るんですよね」
「ですがつかまえて問い詰めても、『藍には関係のないことよ』なんて平気な顔で」と、怒った顔を今度は伏し目がちにして彼女は続ける。
「少しはこっちの身にもなって欲しいものです」
「何をしているか全くわからない、と」
「そうですね……何か大仰なことをしている、とは一度だけ」自分の質問に、藍さんは静かにそう応えた。
「なるほど。想像もつきませんね……」
「ええ、私にもです」
一つため息を吐くと、彼女は視線を落としてそれきり黙ってしまう。その様子を見て私はどこか安心していた。他人が悩んでいるのに何をのんきなと言われるかも知れないが、そう大げさに捉える必要もないだろう。しかしこんな立派な人を悩ませる主人というのも、それはそれですごいとは思うが。
「……ですから、自分なんかじゃ何の役にも立たない様な気がして」
藍さんはしばし逡巡しそう言った。相変わらず俯いたままの顔が、苦しそうに歪んでいる。けれどそうやって打ち明けてくれたことが、こちらとしては嬉しく、ありがたかった。何故なら話を聞くだけに留まらず、色々な提案や、もしかしたら打開策すら伝えられるかも知れないからだ。
「それならですね――」と、あまり早口にならないよう気をつけながら、私は口を開く。こういう事は分かりやすく言うに限る。
「――それなら、別に、何もしなくて良いんじゃないですか」
「何も?」
「ええ。……例えば……帰りを待っている人がいる、というのも、十分励みになることだと思いますよ」
「…………」
藍さんは黙って私を見つめているだけだったが、頭の中では何やら考えを巡らせているように見える。それにしてもこういう時に両腕を組むのは、どこか人間臭くて興味深いものがあった。といっても自分の知る人間観などごく狭いものであろうが。
「そういう、ものですか」
一段落したのか、視線を外して藍さんはそう言った。庭からはメイド妖精の声も聞こえてきていて、どうやら別の遊びが始まっていたようだった。
「保証します。上に立つ者というのは案外、寂しがり屋だったりするんです」と、私は藍さんに応える。
「ふふふ……面白いことを言いますね」
「ありゃ、冗談のつもりはなかったんですが」
「いえ、そうじゃなくて。……なるほど、何だかスッキリしました。ありがとうございます」
彼女は立ち上がって言うと、振り返りにっこり笑ってみせた。その姿に少しドキッとしたのを悟られないように、
「いえいえ、私はただ話を聞いていただけですよ」とこちらも笑みをつくって返したのだった。
どうやら館での話し合いも終わったらしく、私達が長椅子を戻し終わったところで、丁度よく咲夜さんとレミリア様、お客人が庭に出てきた。もう暗くなってきたのですぐに出発するとの事だが、私だけが門前で三人に挨拶することに決まった。レミリア様はどうにもご気分が優れないらしく早々に戻ってしまわれ、咲夜さんはその付き添い、最後まで別れを惜しんで渋っていた妹様は、もうお休みの時間ということだった。となれば順当に、暇な自分が役割をこなすのは当然だろう。
「初対面なのにすみません。あんな話」と藍さんが言う。
「いえいえ。こういうのは溜め込むとよくありませんからね。私でよければ、またいつでも!」私はそう応え、親指を立ててみせた。
「フフ、そうですか? ……ありがとうございます」
「ちぇーん! 約束ねー!」
「うん、バイバイ、フランちゃん!」
一階の窓から妹様が顔を出して叫び、それに橙ちゃんが応えている。どうやら私の想像以上に、二人は仲良くなったようだった。
「それじゃあね門番さん。」
「それでは、美鈴さん」
「ばいばい」
「はい、お三方とも、さようなら。夜道にお気を付けください」
私は言ってから、とりあえずしばらくは八雲家一行を見送ることにした。道は思いの外暗かったが心配はいらないようで、一行の行く先を浮かぶ光球が先導している。私は大きく息を吸い込むと、それをゆっくり吐き出していく。まだ白い光が揺れているのが見えるが、私は後ろ髪引かれる思いで内側から門を閉めたのだった。
「ん?」私は視線を感じ、何の気はなしに振り返る。庭に灯りは殆どないから、花壇の傍に人影がある事に気付けなかった。
「見送りはもういいの?」
「咲夜さん!」
まるで隠れるように佇んでいたのは完璧で瀟洒と言われるメイド長で、暗い中僅かな光源だけでは、その顔ははっきりとは見えない状態だった。
「いつまで外にいるのかと思ったわ」
「まあ何となく、名残惜しくて」
「そ」と咲夜さんは短く応え、スタスタと屋敷の扉へと歩いて行ってしまう。私は普段とは全然違うその態度に内心首をかしげながらも、早足で咲夜さんの隣に追いつく。それにしても、こうして咲夜さんが迎えに来てくれたのには驚いたが、それ以上にとても嬉しかった。時たま思い出したように優しくしてくれるのが、この人の狡さと可愛さだと心底思う。咲夜さんは鍵を差し込み大きな扉を開け、するりと自分だけ内側に入ってしまった。
「……ちょっと待って、ホコリを払ってからよ」
咲夜さんは少しばかりこちらを睨んで言うと、人差し指を向け確認するよう促す。私はそれに頷き、一応、上着やらズボンやらをチェックしていった。
「それにしても、今日は一日立ちっぱなしで疲れましたよ」
「あらそう」
胸元が派手に開いていたのを忘れていて、私はボタン素早く留めていく。服装の乱れは見つかった途端に叱られるのが常たが、どうやら今は暗くてバレていないようだった。だが念には念を入れ、会話が途切れないよう適当な話題を探した。
「あー、でも、夕方からは座って話をしていたんですけどね。ほらあの、分かります? 藍さんっていうんですけど」
「……」
胸元は何とかなったが、咲夜さんは無言でじっとしている。もしや別に叱られるところがあるのだろうか。というより、先ほどから明らかに態度がおかしい。そういう日ではないにもかかわらずここまで不機嫌そうにしている事は今までに数える程しかないから、自分が気づかないヘマをしたか、病気か何かを疑ってしまう。
「……咲夜さん?」
「何かしら」
「怒ってます?」
「…………」
思わず中途半端な笑いになって聞くが応えは返ってこず、私はまたもや無言で見つめられるだけだった。どうにも雰囲気が悪くなっているようだが原因はわからない。それならいっそ、変な空気を吹き飛ばしてはどうだろうか。グゥ、と自分のお腹の鳴るのを聞いて、私はピンと閃くものがあった。
「あ、もしかしてお腹減ってるんですか? だったら、早く入って夕御飯に―ー」
「―ーないわ」と、咲夜さんは冷たい調子を微塵も変えずに言った。
「え?」
「だから、ないの。あなたのご飯」と、事務連絡をするように淡々と咲夜さんは言う。雰囲気を良くしようとした私の作戦が、全く意味をなしていなかった。
「ど、どうしてですか」
「…………」
「咲夜さん?」
「……知らないわよ。とにかくそういうコトだから」と、わざわざ言うのも面倒という風に咲夜さんは告げ、ゆっくりと扉を閉めていく。
「ちょ、ちょっと!? 待ってください、知らないってどういう―ー」突然の事態に頭が追いつかず、私にできたのは質問することだけだった。だがそんな自分を肩ごしにちらりと一瞥すると、咲夜さんは閻魔の最終宣告よろしく、
「―ーあ、あと、今日はそこで寝なさい。お休み、……門番さん」と無慈悲に言い放ったのだった。
「は」
パタン、と僅かに開かれていた扉さえも閉まり、鍵のかかる音がする。まさかと思い取っ手を引いても、時すでに遅し、全く動く様子もない。どういうことなのか一から十までわけが分からず、私はしばし呆然とする。だがこのままではマズいと思い、どこか窓か何かが開いてやしないかと、ざっと数えても百以上はあるそれらをとにかく一つずつ調べてみる事にした。
そうやって紅魔館の今日という夜は更け、明日が始まっていくのであった。