Coolier - 新生・東方創想話

海魔記 前編

2012/07/20 21:50:58
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     序 戯言語り

 鬼神集う幻想郷。ここに人間もまた営みを有せり。人里に護り手有り。名を上白沢慧音という。日頃、寺子屋の主として、里の子弟に教えを授けるを生業とする。
 ある日、上白沢慧音の盟友にして不老不死の奇人、藤原妹紅が、その留守を預かりて、寺子屋の子弟に学を加えんとするに、はて、何をか教えんや、難しく学問を説くもまた可なりといへども、あえて子弟らの不評を買い、笛吹けど踊らずの苦難を感じるは、これまたつまらぬことと厭い、久しく生きる間に伝え聞きし妖語りなどして過ごす。

 さて、藤原先生、格好の聴者を得るに至りて、得意満面、揚々として語りすごすそのさなかに、

「随分、賑やかなことだな」

 と、帰り来るは慧音先生。

「いやいや、これはだな、幼い人たちには、やはり楽しき工夫がなくてはと思ってだな」

 と、藤原先生、弁明を試みるに、

「ふむふむ。なるほど、それはもっとも。ではでは、私も一つ、藤原先生の授業風景を見学させてもらおうかな」

 と言い、

「さぁ、やはりここは、自らの学びしことを語るが良いよ。実体験であってこそ、語る言葉に力も宿ろう」

 と続ける慧音先生に、子供たちも合わせて、やいのやいのと囃し立てる。

「むむむ、そう言われては、語らぬわけにもいかないぞ。分かった分かった。では、どんな話を聞きたい?」

 と問わば、あれやこれやと、注文多く、とても定まらず。

「いや、これは参った。う~ん、仕方ない。残念だが、またの機会ということに……」
「ははは、そうはいかない。それでは、私から指名させてもらおうか」
「う。な、なんだ?」
「ふむ。そうだな。それでは、妹紅がこれまでに遭遇した一番の困難というのはどうだ? 千三百年の長き齢だ。人生五十年では到底味わえぬような、尋常ならざる困難もあったろう。その、最たるものを語りたまえよ」

 こうして蓬莱人、藤原妹紅の過去語りが、はじまったのであった。

     一 風来坊「藤原高嶺」

 これは昔、私がまだ幻想郷の外にいたときのこと。
 当時私は、日の国中を歩き回り、つわものあらばこれと死合い、怪異あらばこれを退けるという、風来の武者修行をしていた。
 そのとき、女の形では不都合も多いから、若武者の格好をして、名も「藤原高嶺」と名乗っていた。これは、富士=高嶺という、安易な言葉の連想から来ているもので、特別、他に意味もない。
 もっとも、妹紅という名前も、本来の私の名ではない。しかしこれはこれで、特別な意を込めて名乗っているのだから、これを私の本名と言っても間違いとはいえまいよ。
 さて、風来の武者修行といえば、何だかカッコイイように聞こえるかも知れないが、そんなことはない。とにかく、強敵があれば、これに挑むという生活なのだ。善人悪人、人間妖怪、人食いの獣に至るまで、何にでも挑んだ。時に勝ち、時に負け、何度と無く殺し、また何度と無く殺されたが、そこは蓬莱の人の形、私は不死だから、生死には全く無頓着でな。そうしてまた不老でもあるから、どれだけだって、そんな生活を続けられた。おいおい、慧音。そう睨むなよ。教育上よくないって、そう言いたいんだろう? だが、私の実体験を語れと言ったのは君だぞ? ふふふ。まぁ、慧音先生をからかうのはこんなところにしておいてだな、つまり、私にもやんちゃな時代があったということさ。それでとりあえず済ませてしまおう。
 さて、当時私は、霊山立山にいた、神獣「雷鳥」を討つという、神殺しの大変重たい罪を負っていた。「雷鳥」は国津神が荒神となった果ての姿であったのだけれども、それでも修験者たちの信仰がなくなったわけではなかったし、また荒神となったことで、むしろ近くに住むものたちからは畏怖され、篤く祀られていたから、むやみに人に害を与える存在ではなかった。
 しかし、私がこれを討ったために、死して大変な怨念が残り、そのあたりは凄まじい雷雨が毎日続く人外の地になってしまったのだ。地獄というのは、これをさして言うのかと思うくらいで、結局誰も住むものはいなくなってしまった。
 私の武名悪名は国中に知れ渡り、また国津神を殺めた罪と、天津神の法を破った咎で、八百万の神々の怒り憎しみを買ってしまったから、流石に日の国にはいられなくなってしまった。そこで私は、ほとぼりが冷めるまで、一つ大陸に渡って暮らそうと考えたのだ。もちろん、平穏に暮らすのではない。以前と同じように、またつわものを見つけては、これを倒すという、修羅の道を行く考えだったから、反省も何もあったものじゃない。
 本当は西国から船出をしたかったのだが、どうにもそれができない情勢だったから、不死であることを頼りに、北国からの船出となった。夏真っ盛りの、大変暑いころだった。途中、幾つかある島を伝って、段々と西に行けば、いつかは大陸に着くだろうという、なんとも気楽な考えだったよ。

     二 地獄の大海

 さてさて、こんな罪深いことをしておいて、どうして大陸に逃げ渡るようなことを、高天原におわする神々がお許しになるだろうか。当然私は、罰を受けることになるのだった。
 死なず老いずの蓬莱人だが、喉も渇くし飢えもする。孤独は思いのほか寂しい。夏の日差しは暑い。海の磯臭さと塩のべたつきも気持ちが悪い。何よりもぞっとするのは、このまま海上で永遠に漂うことにはなりはしないかというその念だ。死ぬことができず苦しみが続くのだから、まさに地獄じゃないか。そうしてまた、思ったことは、もし私が海底に沈むことがあればどうなるのかということだ。私は死ねないが、しかし海の底に沈めば、戻ってくることもできないのではないか。息が続くのはどのくらいか。三分くらいは、続けられる。となると、三分ごとに、死んでは蘇り、蘇っては死ぬことを繰り返すのではないか。それが永遠に繰り返されるとなると、どうだ。こんな恐ろしいことはないじゃないか!

     三 海上の虹

 遭難してから、どれくらい経ったか分からない。すっかり私は憔悴しきっていた。
 そんなある日、私はそう遠くない海上に、虹がかかっているのを見つけた。
 普通、虹というのは、どれだけ追ったって、追いつくことはない。そんなことは、私も知っているのだが、何だか不思議に、この虹へはたどり着けそうな、そんな気持ちがしたのであった。
 まぁ、バカな話だと思うかも知れないが、死に際の直感というのは、なかなか侮れないものだよ。これが不思議と、段々虹に近づいていっているのだからね。そうして近づくにつれて、霧がもの凄まじく立ち込めてくるのだ。ところが、虹の輝きばかりは、いっそう強まるのだからなお不思議だ。朦朧とした頭では、不思議だ、不思議だと思うのだが、全く恐れる感情が湧いて来ない。そうして、もうあたり一面が霧に隠され、見回しても何も見えなくなったころ、驚いたね! なんと、虹を間近に見ることができるのだから。それどころか、今にも虹へと手が届くような、そんなところまで迫ってさ。虹に手をぐっと伸ばして、届け届けと念じながら、ふと、虹の橋を潜った瞬間、トンでもない大吹雪だよ! え? 信じられないって? いや、これが本当のことなんだから、仕方ない。私も、何が何やら分からなかった。ただきっと、あの虹ってのは、こう、世界の狭間とでも言うべきかな、きっと違う世界につながる、そういう扉だったんだと思うね。どうだい? 道理だろう。だからきっと、虹を渡ったその瞬間に、大吹雪に見合わされたんだ。そうじゃなくっちゃ、説明がつかない。いくらなんでも、季節はまだ冬にはなっちゃいなかったんだからな。

     四 絶壁の孤島

 大吹雪になす術も無く、船と共に私は流されに流された。枯渇の苦しみは大いに味わったし、猛熱地獄に大いに苦しんだが、今度は心寒骨冷、全身凍てついて、針で刺されるような痛みに苦しまされてしまったよ。
 なに? それなら、暖を取って温まればよい? ははは、良い知恵だ。しかし、どうして火を起こすことができる? 何? 妖術で? なるほど、確かに不死の火の鳥が宿ったこの身だ。火を操ることくらいは造作もないがね。それで、船が焼けて沈んでしまったらどうするんだね? そのときは空を飛べばよいって? 猛吹雪の中、空を飛ぶなんて、そりゃ、本当に自殺行為さ。それに、このとき私は疲労困憊の極みにあったからね。もう煙も出ないくらいにくたびれてしまっていて、飛ぶことなど思いもよらなかったよ。
 そうしてすっかり打ちのめされていると、ハッと気がついたことには、なんと眼前にそびえ立つ凄まじい絶壁があることさ。気がつけば、こ~んなに!! 恐ろしい絶壁の孤島へと流れ着いていたというわけ。
 しかし、絶壁だろうが孤島だろうが、鬼が島だって言われたって、念願の陸地には違いないのだ。これが人間、底力ってのがあるものでね。急に元気付いて、最後の力を振り絞って、断崖絶壁をよじ登ったのさ! まぁ、長い諸国行脚の生活の中で、私は忍術をかじったこともあってね。少しでもくぼみがあれば、そこにうまいこと指をひっかけて、登って行くこともできるのさ。ふふふ、コツはあくまで、骨を使って、うまく関節に基点を置くことなんだが、この話はまた今度にしようかね。とにかく、私はようやく、陸地に上がることができたってわけだ。

     五 意外な出会い

 さて、この島だが、崖を上ると、あまりにも木々が深く繁っていることに驚かされた。極寒にも耐える緑濃の厚い草葉。平気で人の腕くらいある太さの蔦に、この蔦の絡みついた大木のまた見事なこと。まぁ、今まで見たことのないような不気味不可思議の森が続いていた。そうして見下ろすと例の絶壁。打ち寄せる波は落雷の如く轟きこだまするのだから、生きた心地がしないのなんのって。思わず、あの「雷鳥」を私は思い出したね。こうやって流されてきたのも、ヤツの怨念がもたらした復讐に違いないってね。
 しかし後悔は先に立たない。とにかく、陸に上がれた安堵と、また寒さから逃れたい一心で、周囲を探索し、どこかに洞窟でもないかと探し回った。すると、ちょうど寒波に晒されないで済むような形で、くぼんだ洞窟を見つけてね。よし、とりあえず今日はこの洞窟の中で寒さを凌ごう、あぁ、ようやく、揺れることのない地上で眠ることができる! その一時にどれほど心が安らいだことか! いやぁ、君たちには分からないだろうな。仮に転覆すれば、それでもう絶命さ。そういう窮地に立たされての睡眠ってのは、寝ようとしても寝られないものだ。そこから開放されたんだからね! この喜び、言葉では言い表せないよ。
 そうして、洞窟の奥に奥にと進んで行くとだ、なにか気配がするんだ。むむ、これは何かいるぞ。きっと、動物の巣なのだろう。熊か虎か、分からぬが、いや、結構なことじゃないか。むしろ、これを殺して、毛皮と肉を得る絶好の機会だ。そう考え、抜き足忍び足で、奥に進んで行くと、おや? なんということか! 火の光ではないか! そうして、その火に両手をかざしているのは、間違いない! あぁ、恋しや、人間だ! その念は私ばかりではなかったようで、こちらが相手を確認すると同時に、相手もこっちを確認して、「あぁ!」と声を出して駆け寄ってきて、私の胸に飛び込んできたのだ。
 年の頃、十四五というところ。可憐な少女が、一人こんなところでいたのだから、どれほど心細かったことかと、簡単に察せられたことだ。おいおい、おいおいと泣くこの少女の背を抱き寄せて、腰まである艶やかな長い黒髪を、手で優しく上のほうから撫でてやると、少し気持ちも落ち着いたと見えて、

「あ、あの。ごめんなさい。急に、びっくりしましたよね。私ったら、はしたない……」

 と、赤面して俯きかげんに言うのは、初々しくてかわいいことだ。
 それが、雪のように白い肌で、やや幸の薄そうな薄い唇、幼さを感じさせる紅い頬、眼は涙あらずとも潤みがあって、眉は細く整っている。なんと言うべきか、少女らしさと女性らしさとの中間点にあるような、不思議な魅力を持った年頃の乙女で、どこか薄幸の美少女とも思われるのだから、同じ女の私も、何となくドキッとしてしまった。
 もっとも、このとき私は袴をはいて帯刀していたから、端から見れば、若武者とその恋人という風だったろうな。年の頃合も釣り合っていて程好い。彼女が小柄だったために、なおさら絵にもなったろう。
 どうもその感は、彼女もあったらしく、

「お侍様に、こんなことをして……恥ずかしいです」

 と、消え入るような声で言うのだ。

「ハッハッハ。いや、気にすることはない。ホラ、私はこんな服装をしているがね、この通り……実は、女なんだ」
「まぁ、そんな……うふふ、驚きました」
「私の名前は、藤原……高嶺だ。君の名前は?」
「私は、真奈子と申します」

 そういうと真奈子は礼儀を正して、私を奥へと迎え入れてくれた。そうしてこころよく暖をすすめ食をもてなしてくれた。やはりこうして、薪に焚かれた火に手をかざして温まるのが一番で、心もホッとするのだ。人心地つくっていうのは、きっとこのことをいうのだと、実感も一入さ。私は好意に甘え、満足するまで飲食した。酒などないし、食べ物も干物ばかりだが、いや、それでも痛快だったね。数多の美食美酒を味わったことのある人生だが、あれほど満足した食事はなかった。空腹こそ最大の調味料とは、よくいったものだよ。
 そうして、腹が膨れて眠たくなると、意を察した彼女が、藁を引いてくれた。

「申し訳ありませんが、二人分の藁はありませんので、どうか高嶺様がお使いください」
「いやいや、それでは君が寒かろう」
「いえいえ、私のことはお気になさらず」
「そうもいかないさ。君が嫌でなければ、女同士だ。一緒に寝よう。特にこんな寒いところでは、肌を寄せ合って少しでも温かくしていないと辛いばかりだ」
「嫌だ何てトンでもない! そう仰っていただけるのでしたら、申し訳ありませんが、失礼いたします」

 そうして、肌を寄せ合わせて眠る一夜の温かみは、今になっても忘れられないことだ。

     六 怪奇なる島

 翌日もまた、ひどい吹雪だった。
 どうにもこうにも、詮方なく、ただ藁に包まって寒さに耐えるばかり。それでも、海上のあの苦しみに比べれは、なんてことはない。むしろ、快を覚えるくらいなのだから、おかしいったらありゃしない。
 さて、そう思って、一人密かに苦笑していると、真奈子がうやうやしくこんなことを言い始めるのだ。

「世に稀有のものがたりも、数多伝えられてはおりますが、この地ほど妖言・奇言の幾つも集まった不吉なところはないと思います。遭難の折、気丈な高嶺様でも、不安を感じることがありましょう。そこにまた、不吉を重ねるように、このようなことを申し上げるのは憚られますが、どうしてもお伝え申し上げるべきことでございますので……」

 そうして真奈子の口から伝え聞く島の不思議。
 この島の怪奇なるは、私の考えていた以上だった。
 よくよく考えてみると、海に漂い、虹を越え、突然の吹雪に見合われ、そうして絶壁の孤島に流れ着く……何一つとして尋常なるものはなかったというのに、何故かこの島にて安楽を得られると思い込んでいたのだから恐ろしい。
 真奈子が言うには、この島は四季の移ろいが恐ろしく早く、また夏冬の極厳、著しく、人の住み難い場所だということ、断崖絶壁で外に逃れることはできぬということ、誰もこの島に訪れるものはないということ、そうしてこの島には真奈子より他に人が住んではおらぬということ、そしてこの島の森には恐ろしい「怪物」が潜んでいるとのこと。
 その他、にわかには信じがたきこと、数多教えられたが、どうにも実感が乏しかった。その旨を真奈子に伝えると、

「それも仕方のないことです。しかし二日三日の後には、きっと高嶺様も、信じて疑われませんわ」

 と言うのであった。
 半信半疑のまま、話を聞いた私だったが、真奈子の言に違えず、すぐに私はこの島の不思議を信じさせられることになるのだった。

     七 驚愕の春

 島に到着して三日目のこと。
 瞬く間に冬があけて、春が来たのであった。
 全く、なにがどうなっているのやら。
 空を見上げれば、春の麗らかな日差しが、優しく私を照らしている。春日に照らされるのは私ばかりではない。もちろん、積もりに積もった雪をも照らす。その陽光が雪に反射して眩しいことは海の上と変わらぬほどだ。また、私の腕よりもよっぽど太く長い大つららが、大汗を垂らしている。そうして、今にも折れて地面に落ちて来そうに見える。
 私は久方ぶりに、地上で太陽の光を満足いくまで浴びることができた喜びで、思わず頬も緩み、嬉しさいっぱいに、

「いやぁ、よく晴れた。う~む、気持ちが良いものだ。人間、日の光に浴びないとダメだ。それも、足場のしっかりとしたところでね」

 とひとりごちた。
 すると、横にいた真奈子が、「本当に。海の上は大変でしたでしょう。」とか、「私も久しぶりのお日様です。あったかくって、きもちいいですね。」などと言って、答えてくれるから、会話も弾む。そうして、「雪雲も、大いに吐き出してしまったから、一旦休憩というところかな。」と真奈子に言うと、「これからは日に日に、暑くなってまいりますわ。」と言うのだった。

「ハハハ、それはいいな。ドンドン、温かくなってもらわないと」

 そう、陽気に言う私に、相変わらずの微笑で答えてくれた真奈子であったが、この微笑が少し含んだものであったことに、後になって私は気がついた。
 日に日に、温かくなるなんてものではない。一直線に、夏へと向かって行き、一週間もしないうちに、春の季節は終わってしまい、うだるような暑さとなったのであった。

     八 万海の幸

 この島の奇怪の一つは、陸上の生命が殆どないことだ。鳥のさえずりも聞こえず、獣のいななく声も聞こえない。虫の音すらもしないのだから、実に気味が悪い。ただ、それでもフナムシだけは、見飽きるほどにいるのだから、何ともいえない。ん? フナムシが分からない。フナムシというのは、海に住んでいるゴキカブリさ。まぁ、あちらさんは、御器を被っている姿に見えないから、いっそう気味の悪い様だけれども。
 しかし、このフナムシなくしては、この島では生きていけないのだ。というのも、このフナムシを捕まえて、釣の餌にしなくては、魚を捕ることができないからだ。
 この島は、陸上に生命が少ない一方で、海中には大変多くの生き物がいる。そうして釣り人が他にいないから、何の工夫をしなくとも、馬鹿みたいに魚が釣れる。だから、食うにはいっこう困らないのだ。そうして、その釣れる魚が、これまた大きく多様だから驚く。四季の魚が、どの季節でも、どんな種類でも釣れるのだ。君たちの背丈ほどある、鯛や平目なんかも、釣れたことがあるぞ。石鯛は、特有の甘みがあって美味しくてな。本ムツや甘鯛、メバルなんていう珍しくまた美味な魚もたくさん食べたものだ。鱸も、蒸し焼きにするとこれが絶品で……もちろん、カキやあわびも沢山あるのだが、なにせ、海が荒れすぎていて、取りに行けないからな。こう見えて、私も命は惜しくてね。ん? なんだみんな。ポカンとしてしまって。あぁ、そうか。君たちは、海の魚なんて分からないよな。う~む、かわいそうに。あの美味を味わうことができないなんてな……。

     九 森の怪

 さて、この島に来てからほんの十日ばかりで、冬から夏へと変わったのだから驚き呆れる。つい先日までは残っていた雪が、もはや名残すらも見つけられない。しかしながら、雪に覆われて進めなかった森の中へも、ようやく進むことができるようになった。とりあえず、すぐに抜け出すことのできそうにないこの孤島。少しでも生活を楽にするため、得られるものは何でも得ておきたい。そう考え、森の中へ進む旨を真奈子に伝えると、彼女はこのように言った。

「この森を奥へと進みますと、不思議と名前を呼ぶ声がいたします。そうして、その呼び声に誘われて、さらに奥へと進んで行きますと、そこには末恐ろしい怪物がおりまして、人を殺して喰らうのです。それ故、この島には生き物がいないのであります。私も、以前森に入ったときに、この声を聞いたことがあります。必死になって洞窟まで逃げてきて、なんとか一命を取りとめたのです。
 今では私一人きりになったこの島ですが、以前はまだ他に生き残りもおりました。その方々も森の奥へと向かうと仰られました。私は怪しいから止めたほうが良いとお諫めもうしあげたのですが、ここで一生を暮らすわけにもいかないと仰って、私が止めるのも聞かずに奥へと進まれたのです。そうして、もう帰らないのであります。ただ一人、辛うじて逃げ延びてこられた方も、その後、怪物の瘴気に侵されたのでしょうか。すぐに亡くなってしまいました」

 そう言われると、これが私の悪い癖だ。どうにもこうにも、挑んでみたくなる。

「真奈子の忠告、確かに了解した。しかし、私はこれでも腕が立つ。剣術のみならず、忍術法術、その真髄を会得して久しく、実戦経験も豊富にある。なに、心配はいらない。むしろその怪物を仕留めて、この島に平穏をもたらしてやろう」

 そう言い残して、私は一人森の中へと入っていったのだった。

     十 奇怪遭遇

 さて、化け物の様な大木と大草の生い茂る森を進むと、何か奥から、呼ぶような声が聞こえてくる。

「高嶺、高嶺……」

 そう呼び声を聞き取ったとき、私はこれが、真奈子の言っていた、森の怪物であると悟った。

(ふふふ、面白い。ようし、森の怪の姿、この目で確かめてやる)

 そう思い、私は森の怪の誘いにのることにした。
 そうして、周囲に気を張りながら森の奥へと進んで行くと、不思議な殺気が背後からするのだ。

(しまった!! 後ろを取られたか!!)

 そう思って、振り返ると、そこには何もいない。

(おかしい。確かに殺気があったはず……)

 そう思うと、目の端に影が横切るのをとらえ、私はとっさにクナイを投げつけた。大木に刺さる二本のクナイが、カカッと空しく音を立てる。ハッと見上げると、そこには薄気味の悪いおぼろな影が見える。

(あれが森の怪か!! くそ、遠くて暗いから、どうしても見えないぞ)

 そう思って目を凝らしていると、なんと眼前に迫り来るものがあるのだ。私はわけも分からずに、その場で横転して一撃を交わした。そして、敵も一撃の後、すぐに消えたのだ。

(むむ、コイツ、できるぞ。気配を隠しての襲撃、見事であった。そうして私の力量を知るや、逃げ去る慎重さ。これは強敵だ)

 そうして周囲にもう敵の気配がないことを確認して、先ほどまで敵のいた場所をよく調べてみる。すると、何故か足跡が見つけられないのだ。

(どういうことだ? まさか幻というわけでもあるまい。あるいは、亡霊か何かか……)

 何だか私は嫌な予感がして、探索は中止し、洞窟へと戻ることにしたのだった。

     十一 ささやかな契り

 さて、そうして洞窟へと帰ると、真奈子が出迎えてくれた。

「あぁ、心配いたしました。大事がなくて本当に良かったです。しかし、そうしてお召し物が土で汚れていらっしゃるのを見ますと、きっと森の怪に遭遇されたのでしょう。高嶺さまが如何に逞しき武人であられても、相手は人外にてございますれば、近寄らぬが吉であります。どうか、真奈子の願いを聞き入れて、もう二度と森の中に入ろうなどとは思わないでくださいませ」

 そう、真剣に請われたのでは、私としても無下にはできない。内心、もう一度ヤツと対峙し、次こそはその姿を明かしてやろうと意気込むのであったが、どうにも、真奈子の目を見ると、何だかそういう気が収まってくる。収まってくるどころか、心も頭も、平らかになってしまうのだ。そうして、吸い込まれるような眼に釘付けにされてしまって、目を逸らすこともできないのだ。

「どうして返事をしてくださいませんか? 真奈子が高嶺さまを心配する気持ちが、分かって頂けませんか? お疑いになられるのでありますか? そんな偽りの多い女に思われるのですか? あぁ、真奈子は悲しゅうございます」

 そうして、よよと袖を濡らすありさまは、なんとも見ていて胸が詰まる。

「分かった分かった。真奈子が私を思いやっての言葉であることは疑い様がない。お前が心配するのも当然のことだ。この魔所にふたりぎりでは、どれほど心細いことか。それでも、一人でないだけで、どれほど心強いことか。私もよく分かるぞ。お前の気持ちを軽んじるようなことはできない。もう、軽率なことはすまい」

 そういうと、真奈子が「あぁ、安心いたしました。高嶺さまのお優しい気持ちが何より嬉しい。」と言って、ピタと添いよって来るかわいさは、全く心くすぐられることであった。

     十二 四週の四季

 さて、森の怪のことも気になるのだが、とにかく、身辺のことがある。この調子だと、一年がわずか一月でめぐることになる。冬になれば、外には出られない。今のうちに、果実や魚を干しておいて、食料を確保せねばならない。また、小枝を刈り取り、非常に細かく切って干しておかねばならない。生木を乾かすだけの、長い晴れの日がこの島ではないからだ。そうしてそこから十日ほどは、生活を確保するための準備に追われていた。すればあっという間に、また冬である。そうして冬の寒さを堪えると、わずか二十八日で次の春が来たのである。事前に教えられ、途中その結果が察せられたといっても、目の当たりにしたときの衝撃はなんともいえないものであった。

     十三 再襲

 さて、また春がやってきた。とにもかくにも、食料調達が最優先課題だ。二年目となると、私も勝手が分かってくる。早めに小枝も切っておき、夏の暑い日に干す準備をしておく。山菜も取っておく。どうしてこの山菜は、このような四季の移ろいの速さに適合できるものかと不思議に思ったが、私たち人間だって辛うじて適合しているのだから、考えるだけ無駄とあきらめた。しかしあそこで取れる山菜はどれも大きく、その分大味で繊維が多くて困ったものだ。自然薯ばかりは、大きくて甘みがあって、大変美味ではあったけどな。
 さて、しかし今度は越冬の準備が順調すぎて、少し時間が空いてしまった。すると、私の悪い血が騒いで仕方がない。あの怪奇を明らかにしたい……一泡ふかせられた復讐をしてやりたい……そんな思いで、滾ってしまうのだ。
 そうして私は、いよいよ抑えきれなくなって、再度森の中へ向かうことにした。またもやどこからか、「高嶺……高嶺……」と誘う声がする。いよいよヤツが来たのだ!! そう思うと、ゾクッとする。たまらなく嬉しいのだ。
 さて、そうしてどこから来るかと周囲を警戒していると、今度は意外、眼前に立ちふさがる怪奇。よろしい、次は真っ向勝負ということか。望むところよ。私は剣を構え、徐々に間合いをつめて行く。微動だにしない敵。怪しい奴だ。これだけハッキリと目視できる距離にいて、実態が僅かにもつかめぬのだ。黒く、おぼろげな、影が人の形をしているような、そんな姿で、なんとも薄気味悪い。漂うのは生温かい嫌な風。すると突然、バッ!! と奴さん、私に襲い掛かってきた。これが速い!! 刹那に見切り、紙一重でかわす。しめた、ここだ!! と襲い掛かろうとしたとき、なんと!! かわしたったはずの太刀が、ありえない角度から迫り来る。そうして私は肩に一撃をくらってしまった。そうしてヤツは、「引き返せ……」の言葉を残し、スッと消え去った。こうなってはどうしようもない。私は気味の悪さを抱えながら、とりあえず一度戻ることにした。

     十四 再約

 さて、そうして真奈子のところに帰ってからが実に所在無かった。何せ、もう森の中へは入らぬと約束していたのだからな。これが、ヤツを討って帰って来たならば名誉挽回だし、無事に帰って来たならばそ知らぬ顔ですませられたのだが、これではもう弁解の余地がない。参ったなぁっと思っている私を、真奈子が何か咎めるかといえば、そういうこともない。ただ心から心配して、黙って傷の手当をしてくれるのだ。いやぁ、こういうのが、男は一番堪える。って、私は男じゃないんだが、まぁ、なんだ。そういう男の気持ちが分かるって話さ。
 そうして気まずい雰囲気の中、肩の傷を手当してくれる真奈子だが、突然、傷を舐めはじめたのだ。私はちょっとビックリしてしまった。だが、なにぶん、不便極まるところであったから、水も節約せねばならないし、薬もあるわけじゃない。そうしてあの怪物の持っていた太刀に、毒がついていないとも限らない。単純に傷が膿むかも知れぬ。そういう配慮からだろう。事実、真奈子は肩の傷を舐めると、口を隠してぺっと吐いた。それを何度も繰り返す。すると、次第次第に、何だか私の肩の傷を舐め回すかのようにするのだ。たまらず私は、「ちょ、ちょっと痛いぞ。」と言うのだが、「約束を破られて、大事なお体に傷を受けてお帰りになられた罰です。」と返されては、ぐぅの音も出ない。そうして、真奈子の目を見ると、潤んでいるのが分かる。どうやら、真奈子は私のために泣いてくれているようなのだ。これには、胸が痛んだ。そうしてあの瞳……そう、引き込まれるような魅力があるあの瞳だ。あの瞳を見ると何も言えなくなる。そして甘い香り。さらには鈴の音が鳴るような声色。いや、女ながら私は、思わず唾を飲み込んだよ。
 そうして真奈子は、「もう、本当に誓いを破らないでくださいますね。」と私に問うのだ。私は何だかふわふわした心地で、「あぁ。」と答えた。

     十五 清水の考

 それからまた一年が経った。
 二度の契りがあることもあり、私はさすがにもう、森の中へは行くまいと考えていた。そうして、また越冬の準備にあれこれと労していると、ふと、清き泉の湧き出るところを発見した。

「これは良い!! いや、早速水浴びをさせてもらおう!!」

 そう思い、水に身体を浸からせ、腹一杯に水を飲む。浅い川から雪解けの水は得られたが、こうして全身を浸からせることのできるだけの大量の水が湧くところはどこにもなく、どうにも身体が磯臭くて嫌だった私は、これですっかり身も心も再起させられる心地がした。
 人心地ついた後、私は衣服を着て、真奈子を呼びに行こうと考えた。そのとき、私は常に帯刀していた神剣「神威(カムイ)」のことを思い出した。何を隠そう、この「神威」こそが荒神を打ち破った剣なのだ。しかし、どうしたことだろうか。何故私は今、あの剣を帯びていないのだろうか。決して肌身離すことがないあの剣を……そう思うと、何だか妙な気がしてくる。
 私は急ぎ洞窟へ帰った。
 そこには、真奈子の姿がなかった。真奈子も越冬の準備のために出て帰っていないのだろう。私は「神威」を探した。すると、荷物の奥の奥に、「神威」がしまわれているのを見つけ出した。どうしてこんな奥に……それもまた妙なことだった。私はスッと剣を鞘から抜いた。そうして、その美しい刀身を見詰めると、俄然、またあの森へ挑まねばならぬ気がしてくるのだった。
 私は決意した。
 次は、必ずあの森の怪異を退けると。
 いざ、中央の森へ。

     十六 再々戦

 「鬱蒼と繁る」の形容は、やはりこの森にこそ相応しい。富士の樹海もかくやというほどの深い深い緑の闇。このような場所で、どうして新たな生命の芽生えることがあるだろうか。ただ、苔のむすばかりなのだ。

 ゆらり、ゆらりと現れるは、見間違えぬぞ、森の怪!! これが三度目。先の勝負で、間合いは見抜いた。しかし、この怪には、得体の知れぬところがある。私は注意して、決して間合いを詰めることはしない。やや間合いの離れたところから、ひたすらに観察する。そうして、じっと見ていると、ハッと驚いた。もう既に遅い!! 胸が、刃で貫かれている!! 恐ろしい死の予感がして、愕然、膝を落とす。が、胸に外傷はない。

(なんだと? どういうことだ?)

 どっと滝のように流れる汗。さすがに私は混乱した。そうして目を上げると、そこにはもう、ヤツの姿はない。

「高嶺……高嶺……引き返すのだ……」

 そう言葉を残したきり、ヤツは姿を現さなかった。
 私は何とか平常心を取り戻し、冷静に今起こったことから、森の怪を分析した。

(……これは、間違いない。幻術だ。あの怪奇は、幻術を用いるのだ。そうしてあの死の予感。アイツは私を殺すことができた。この身は不滅だが、魂は不滅ではない。私の死とは、魂の死。あるいは、心の死だ。幻術はそもそも、心や魂を殺す術。しかるに私は、殺されていたぞ。だが、死んでいない。これはつまり、アイツが私を殺さずにおいていたということ……何故だ……いや、まてよ……そもそも、これは……そういうことなのか!?)
以上前編。

2012/07/25
文章を一部改めました。
道楽
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コメント



0.770簡易評価
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頑張れ!
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おう、おう。語り部もこたんの即興寄席ですか。味があっていい文体だ。うむ、後半も期待。
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(iPhone匿名評価)
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かなり盛り上がった所で中断はともかく、後書きでもなくコントっぽい会話を挟むのは勿体無いなーと思った。
やや肩透かし。
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面白かった!後編も楽しみです
12.80愚迂多良童子削除
後編に期待。
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面白かったです
この作品の雰囲気に「!!」の多用は陳腐かも。そこで萎えてしまいましたので
21.無評価直江正義削除
レスありがとうございます。
後編は完成したのですが、何度か読み直してから投稿しようと思うので、もうしばらくお待ちください。
あと、相変わらずの自画自賛で80点つけていきますけど、一人一票なので、削除申請は不要です。

>>10番さん

説話って、結局、エログロナンセンスなんですよね。『遠野物語』は、遠野地方に伝わる話の中から、エログロナンセンスを省いて、文学的な修辞を加えただけで、実際にはやっぱり、遠野地方に伝わる物語の多くは、エログロナンセンスだったようです。そういう、言い伝えといえば、エログロナンセンスで、それを幼い頃から当たり前の娯楽としてきた人々が、どういう話の聞き方をするのかということを考えると、やっぱりこの程度なんじゃないかなぁっというのが、あったのです。
まぁ、でもそれは、我々が鑑賞する上では、確かに邪魔なだけなんですよね。
そこまでリアルを考慮する必要はなかったというか、そういう余計な部分は省いてしまわなくてはならない。
少し、深く考えすぎていたかなぁっと反省しています。

>>20番さん

妹紅が語っているというスタイルで、語り手の力の入れている部分をどうあらわすのかという問題があって、一番便利なのが、やっぱり、「!!」とか「!?」なんですよね。まぁ、でも、そういう分かりやすい記号に頼って表現しちゃうのは、やっぱり露骨で萎えちゃいますよね。後編は、少しそのあたりを考えてみます。