断言しよう。
本日、紅美鈴は勤務中に寝た。
朝の暖かな日差しの中、睡魔に負けて3時間。
昼を過ぎ、うとうとしてたらいつのまにやら3時間。
曰く、美容と健康には最低6時間の睡眠が必要とのこと。
つまり健康のためには6時間寝る、これが健康優良門番の秘訣である!
「……えーっと?」
なんて口走ると、命に関わりそうな現状がここにあった。
健康を気にしすぎると普段は咲夜からの鋭い教育的指導(物理)が飛んでくるわけであるが、
「美鈴……」
メイド長でも、優しく起こしてくれる小悪魔でもない。
不穏な気配を感じて目を開けたとき、そこに立っていたのは……
いや、立っていらっしゃったのは、
「話は、すべて聞かせてもらった」
「いや、えーっと何の話――」
「へぇ、私に対してその余裕は何? もしかして、隠し通せるとでも?」
紅魔館の主、レミリア・スカーレット。
しかも、どこか決意を秘めた眼差しをして、美鈴をまっすぐ見つめていた。
うっすらと暗くなった世界の中、半身で夕日を背負う姿は、その小さな外見に似つかわないほど威厳を感じさせる。
……はずなのだが。
「えっと、じゅーじゅーって音が……」
「……気のせいよ」
「白っぽい煙も……」
「気のせいよ」
「なんか一生懸命羽を動かしてません?」
「気のせいって言ってるでしょ!」
弱まっても日の光は日の光。
どうやら早く出すぎたようで、まだ夕日が肌に痛いらしい。
傘を差すよりも、夕日の中に立つほうが様になっているとでも思ったのだろうか。
服に覆われていないところを羽で防御する涙ぐましい努力が、そのカリスマをマイナス方向に反転させてしまっている。
しかし、そんな愛らしい動きを必要としながらも美鈴の前に出たということは、それなりの理由があるに違いない。
冷静に判断すれば、
① 日頃の職務に敬意を表しに。
② 勤務中に寝るほど疲れが溜まった美鈴に休暇を与えるため。
③ 今日の夜の相手をしなさいと誘いに来た。
この三つ以外の何か悪いことだろう。
あまりに冷静な判断に、美鈴は自分を褒めてやりたくなるほどだ。
ということは、一番確率の高い居眠り一択か。
しかし、である。
美鈴と対峙しているレミリアの魔力がじわりじわりと上昇しているのはどういうことか。寒気を感じさせるほど、瞳が紅に染まっているのは――
「美鈴、私はあなたが門番として機能していない今でも、紅魔館に必要だと思っている。賭け値なしにね」
「お嬢、様?」
美鈴の言葉がわずかに止まったのは、動揺があったからかもしれない。
けれど、それより大きな要因は、巻き起こった風。
レミリアが紅の魔力を纏い、その手に血の色に染まった槍を構えた。
ただそれだけで発生した、暴力的な力の流れに気圧されたから。
「でも、わかるでしょう? 私は屋敷の主として、相応しい行動を取らなければならない。それで一人の運命を狂わせることになっても、我が手で下さなければならない」
怒りでも、悲しみでもない。
紅魔館の主としての断固たる意思、それが力を持った渦となって美鈴にぶつかる。美鈴はそれを正面から受け止め、身構えた。
よくわからないけど、その場のノリで。
「そうよ、わかっているじゃない。美鈴。己が欲望を貫くには力を見せつけ、相手を屈服させることが必要なのよ! さあ、その意思の力を見せてみなさい!」
ばさりとレミリアが羽を揺らす。
その一瞬で、景色全体が、大気が震えた。
音など置き去りにするほどの速度で、レミリアが動いたのだ。
はっ、と気付いたときにはもう、美鈴の目の前。
グングニルには十分すぎる間合いで、その刃を振り上げて――
しかし――
「がはっ」
「っ!?」
苦悶の声を上げたのは、一歩行動が遅れた美鈴ではなく。
グングニルを持った手を弾かれ、腹部に掌を受けたレミリアだった。
気を込めた一撃は、妖怪にも効果がある。
レミリアはそれを証明するように、ゆっくりと膝を付いた。
「お嬢様……何故……」
手に持っていたグングニルを杖代わりにして、なんとか立ち上がるレミリア。それでも、疑問の声は美鈴から上がった。
何故、最後の一瞬力を緩めたのか。
何故、夕日の中という不利な条件を選んだのか。
そんな疑問を言葉に乗せて。
それと――
成り行きでカウンターぶつけちゃったけど、私の立場大丈夫なのかな、と。
「ふふ、野暮なことは言わないものよ、美鈴。あなたはこのレミリア・スカーレットを倒した。それは普遍なのだから、さあ、私の気が変わらないうちに早くいきなさい」
「で、でも――」
美鈴は、戸惑い。レミリアを支えようとする。
それでも、プライドが邪魔をするのか。
レミリアはそれを弾き、紅い瞳を美鈴に向けた。
しかし、美鈴は迷った。
この流れでどこにいけばいいんだろう。
もしかして、新手の追い出し方かこれ、と。
混乱し続ける美鈴を置き去りにして、さらにレミリアは懐を探り、
「情けは無用、さあ、これを受け取りなさい」
「え?」
手のひらサイズの少々厚い紙を手渡してくる。
もしかしたらこの紙の中に真相が書かれているのかもしれない。
そう思ったのだろうか、美鈴は慌ててその紙を手に取るが。
――書かれていない。
ひっくり返してみても、裏からみても、ましてや夕日に透かしてみても、書かれている内容は美鈴の期待するものではなかった。
金色に縁取られた、割と豪勢な紙の上に乗っていた文字は、
『誓約書――
レミリア・スカーレットは、
紅美鈴に館の権利を一時的に譲渡するものとする』
――え? 何これ?
受け取ったはいいが、どうしろというのだこの状況。
壊滅的だった意思疎通が、4次元的な不思議空間へと突入し始めた。
怖くなってその紙を叩きつけようとしたのを止め、なんとか胸元にそれを押し込んだのは、理性のファインプレーと言っていいかもしれない。
あまりに衝撃的な事件が続き、激しく動揺する美鈴に何か思うところがあったのか、レミリアは少し強めにその背を押し。
周囲に響き渡る声で、はっきりと叫ぶ。
もう、聞き間違いようもない声で、こう。
「美鈴、あなたを待っている人がいるのでしょう!」
これ以上何があるというのだろう。
レミリアが封筒を取り出したのをみて、一瞬身を硬くする美鈴であったが。
はっ、と頭が冷めたほうに切り替わる。
よく考えろ美鈴。
突発的屋敷移譲契約以上の事件が起きるはずがない。
ゆえに、封筒の中に真実が書かれていたとしても、何の問題があろうか。
いや、あるはずがない。
あるとしても、些細な問題。
『やだなぁ~、お嬢様~』
なんてフランクに肩を叩ける内容に違いない。
美鈴は半ば笑いながら封筒を開け、
『闇夜の盗賊団より
美鈴、貴様の子供は預かった。
返して欲しくば、屋敷の権利書を持って人里の外れの丘まで来い!
時間は、今夜。日付が変わる頃。
家族以外にばらしたら……わかっているな?』
「…………」
「…………」
ぱたんっ
「え、ちょっと、美鈴!? しっかりしなさい美鈴っ」
極度の緊張で考えることを理性が拒否した美鈴は、そのまま門の前で倒れたのだった。
◇ ◇ ◇
なるほど、あまりにショックだったということか。
私にも知られないように隠し子を作っていたなんて驚きだけれど。
それがいきなり誘拐され、交換条件で紅魔館を要求される。
その心意的ストレスといったところかしらね。
もう、せっかく私が勝たせてあげたというのに、台無しじゃない。
「咲夜」
ぱちん、と。
頭の上で軽く指を鳴らせば、いつもどおり。
咲夜の気配が右斜め後ろに現れる。
今頃、私からは見えないところで一礼でもしているところだろう。
「美鈴を部屋まで運んであげなさい」
「……また昼寝ですか?」
「罰は必要ないわ、私のせいでもあるのだから」
日が完全に沈んだおかげで幾分か動きやすくなったから、私が運んでも良かったのだけれど。主が従者を抱えて屋敷をうろつくのもあまり見られたものではない。
素直に咲夜にお願いするとして、私は――
「あの、お嬢様……この手紙は……」
しまった、私としたことが……
美鈴が手紙を持って昏倒しているのを忘れていた。
もちろん、封筒も一緒に。
しゃがみ込んで身体を起こそうとしたら、見つけてしまったのだろう。両手と一緒に胸の前に置かれたその脅迫文を。
見るなと言わなかった私の落ち度でもあるだろうし、知ってしまったのなら隠しておくのも無駄だろう。
「そうよ、驚いたでしょう?」
「はい、まさかこんなことが……」
咲夜はしゃがみ込んだまま動こうとしない。
いつもなら仕事を与えたら即座に動くというのに、それだけその手紙には考えさせるところがあったのだろう。
完璧で瀟洒な咲夜が、心乱されること、か。
それほど、美鈴が大切な存在なの?
なんて声を掛けたら、この子はどんな顔をするかしら。
試してみたいけれど、今はそんな場面でもなさそうだしやめておくけれど。
「確かに、手紙の内容も驚きましたが、それ以上に……」
「ええ、私もそれが気になった」
やっぱり咲夜もそのことは気になっているみたい。
そう、隠し子。
美鈴のことだから、いつか私たちに説明するつもりだったのかもしれないけれど。
「これが運命の悪戯というものなのかしら」
「運命、ですか? そういえばこの手紙はどなたが」
「あの騒がしい新聞記者よ。人里で新聞を配っていたら、渡すように言われたらしいわ」
「そういうことでしたか、それなら運命と言ってもおかしくないかもしれませんね」
今考えれば、美鈴が寝ているから、ベランダで紅茶を楽しむ私のところに文が持ってきたのも、私から溢れ出る運命の力によるものなのかもしれない。
そう考えたほうがおもしろいし、ね?
「近頃、花の種を買うのに外出していたのも、この状況を生み出す要因になったのかもしれません。文も人里に出入りする妖怪ですし」
「へぇ……」
面白い言い方をするじゃない、咲夜
私に謎掛けなんて。
そうね。美鈴が人里へ頻繁に出かけていたのは、きっと花の種の他に子供に会うためということ。
それで新聞記者もうっすらと気付いていた。
そんなところかしら。
「それであなたはどう思う?」
「……そうですね、やはり間違いは正されるべきかと」
ふむ、私も同じ意見ね。
子供が親元にいないというのは、正しくない。
おそらくは父方の家族と一緒にいるのだろうけれど、月に何度かは美鈴に世話をさせるようにしないといけないね。
それを行うには、まずこの事件を解決するしかないのだけれど美鈴はこの調子だし。
「でも、私は直接手を下すつもりはないよ」
「ご心配なく、この件は私が対処いたします」
ふふ、いい仲間意識じゃない。
そうね、美鈴が明日までこの調子なら、時を止める能力を持つ咲夜が動いた方が何かとスマートだし。
保険も必要でしょう。
「そう、任せるわよ」
「それでは食事の準備をしますので、お嬢様はお部屋に」
「ええ、そうさせていただくわ」
さあ、忙しくなるわよ。
咲夜が動くなら、解決したも同然。となればいろいろ準備しないとね。
妖怪の赤ちゃん? 子供? なんてあまりみたこともないし、それがもしかしたら紅魔館にやってくるかもしれない。
フランと遊ぶにはちょっと、難しいかしらね。
美鈴みたいに頑丈ならいいのだけれど……
ああ、そうだ! パチェなら何か知識を持っているかも!
「では、食後にこの間違って届いた手紙を人里に返してきます」
あー、うん。
だから咲夜、そっちは任せたと言ったじゃない。
何度も確認しなくても結構、
そんな、間違って届いたとかわかりきったこ――
「今、なんて?」
館へ向かい始めた足を止め、咲夜の方へ回れ右。
さっきまで心地よかったはずの夜の風が、妙に生暖かく感じるのは、気のせいかしら。
「え? ですから? 間違って届いた手紙を封筒ごと返しに、と」
「間違い?」
「ええ、お嬢様もわかっていらしたのでは?」
――おっけー、落ち着け私。
咲夜が妙なことを口走っているけれど、あせるところじゃない。
まだ、あわてるところじゃない。
咲夜の方をみれば、何か見落としがあったのかと手紙の内容を再度チェックしている様子。
深呼吸して、そんな咲夜に近づいてみれば、ちょうど私の頭の高さに封筒の表面が、そこには当然、宛名が書かれているはずで。
『紅 美鈴 様』
ほら、何よ咲夜!
私を驚かそうとするなんて、なんて悪いメイドかしら?
ちゃんと書いてあるじゃない、ほぉん めぃ りんって――
あれ?
なんか感じの横に、小さな文字が……
ミスズ
『 紅 美鈴 様』
……
クレナイ ミスズ
『 紅 美鈴 様』
えっとぉ……
『クレナイ ミスズ』
……誰? これ?
「お嬢様、やはり手紙の内容も特に妙なところもないようです。加えて、人里のほうで子供の行方不明事件が起きていたので、おそらくその件かと。
確かに同じ漢字を書くのは珍しいですが、まさか美鈴に子供がいるなどと信じられるわけがありません」
「ぐふっ……!」
ふ、フフ……ぐさっときたよ……
さすが魔物を狩るナイフの使い手ね。
まさか主の痛いところをピンポイントで抉ってくるなんて……
私じゃなかったら再起不能だわ。
「どうかなさいましたかお嬢様?」
「ふ、ふふふ……なんでもない、なんでもなぁいよぉ、咲夜」
ということは、何?
文が間違って持ってきた封筒で、私が勘違い?
それで、美鈴に子供がいるなんて、結論付けて?
よくわからない勝負を美鈴に挑んで、わざと敗北して?
館の権利を譲るなんて、とち狂った紙を手渡して?
子供のところにいってあげなさいなんて、勘違いも甚だしい狂言を吐いて?
咲夜の前で、事情をどや顔で説明したって……こと?
この、レミリア=スカーレットが?
そんなことをさせられたということ?
そんな恥じの上塗りを繰り返した後で――
「あの、お嬢様? 美鈴の服の、胸のあたりにもなにかあるようですが……」
え? 死ぬよ?
『アレ』が咲夜に見つかったら、精神的に死ぬ。
「っ!? さ、咲夜!
わた、わたち、やっぱり私が運ぶわ! うん、それがいい。咲夜はこれからその手紙を届けてくると良いわ」
「え?」
「いいのよ! いいの! 全然大変とかじゃない。最近運動不足だったからちょうどいいと思っていたのよ。それに咲夜にも少しくらい楽をさせてあげないといけないじゃない? ね? ね? 思うわよね? それでいいわよね? そうと決まれば、早く持って行ってあげたほうが良いわね、善は急げ!」
「あ、……はい、お嬢様がそうおっしゃるのなら。私はさっそくこの手紙を届けてまいります」
「ええ、そうしなさい! 人里の方でもきっと困っているからね! いってらっしゃーい!」
「はい、いってまいります」
こんぐらちゅれいしょん!
私の頭の中でファンファーレが鳴る。
何とか奇跡的に命を繋いだ。
って、何この顔の熱さ。
吸血鬼なのになんでこんな身体全体が汗ばんでるの。
何はともあれ、今のうちにあの権利書だけでも燃やしておかないとね。
えっと、ここかしら?
もぞもぞ……
んー、服の上からは大体わかるのに、なんて邪魔な肉。
私の捜索の邪魔をするなんて、ハンバーグの具材にしたほうがいいわね。
もぞもぞ……
ええい、気絶してるくせに変な呻き声出すな。
じれったい!
もう、胸のところだけでもこう、引き裂いて!
ビリビリっ
よし、あった! あったわー!
この紙をこうやって、魔力の炎で消し炭にね。
えいってしたら。ほら、簡単。
あっという間に風に溶けて消えた。簡単なことじゃないか。
そうね、後は美鈴に今日のことは忘れなさいとでも言っておけばいい。
うん、完璧だ。
「ふふ、あはは、あははははっ!」
達成感が満ちてきて、自然と笑い声が溢れてしまう。
さあ、さっさと美鈴の上からどいて、運んでしまいま――
あれ? なんか気配が。
くるりって、上半身だけ動かして後ろを振り返れば、おや? 咲夜じゃない。
時間を止めながら移動したのね、こんな早く戻って来れるなんて。
「戻ったなら戻ったといいなさいな」
でも、何かおかしい。
口に両手を当ててつつ、目を見開いて私を見てる。
しかも、小刻みに震えているときた。
なんでそんな、信じられないような顔をしているかさっぱりね。
「聞こえないの? 咲夜、戻ったなら戻ったと!」
でも、主人に挨拶をしないのは駄目ね。
駄犬以下だわ。
私はこっちに来なさい、と表現するために座ったまま地面をばんばんっと叩いた。
が、
ばいんばいん
「ん?」
おかしい、効果音が違う。
惜しいけど、違う。
「……ふふ」
そうね、忘れていたわ。
私は今、美鈴の上に馬乗りになっていた。
それで、権利書を燃やすために服をちょっと裂いたから、美鈴のリーサルウェポンの二分の一が自己主張してるってところね。
あー、それで手がちょうどそこに当たったから、ばいんばいんかー。
うけるー。
「って、うけてる場合かー! ち、違う! 違うのよ咲夜! これは私が美鈴にどうこうしようとしていたわけじゃなく!」
「……わかっています」
「ええ、咲夜ならそう言ってくれると信じて――」
「私を里に行かせたのは、美鈴とそんな行為をするため……」
「わかってなあああい、全然わかってないよ!」
「いえ、あのような……あんな満足げな笑い声を聞けば、私でもわかります」
「だーかーらー! 違うのよ~! そういうんじゃないのぉ~!
これは、そう。あれよ。
美鈴が急に起きて、錯乱してたから。私が仕方なく気絶させて運ぼうとしたら、そのときに失敗して服が裂けてしまっただけで!
そう、事故的な何かよ!」
「……はい、お夕飯の準備、しますね」
「おい、待てこらメイド長! 何その満面の笑みは!」
なんかもう、最後は『お幸せに……』とか言って駆け足で館に入ってった。
追いかけようにも、半裸状態の美鈴を置いてってらまた二次災害とか起きそうで怖い。
行くも地獄、
そして、とどまるも地獄。
「もう、どうしろっていうのよーーー!!」
私は叫んだ。
ただ、闇夜に叫んだ。
ぶつけようのない憤りで、その身を焦がし――
と、そのとき、瞳が一層、紅に染まった。
◇ ◇ ◇
月明かりが差し込む林の中――
人里から少し離れた場所にそれはあった。
小さな納屋、もしくは山小屋のようにも見える建物であり、妖怪避けの札が壁に貼り付けられていた。
人里の外で農業や林業を行う人間はこのような小屋を持つのが常識であり、荷物置き場兼いざというときの逃げ込み場所として役立っている。
今は深夜であるから、誰もいないはずなのだが。
「これで、明日には大金持ちって寸法だ……」
「兄貴、さすがですぜ!」
その小屋の中には5名の招かれざるむさ苦しい客と、
「んー、んーーー!!」
「おいおい、黙ってろよ。そんなうるさくすると、耳が片方なくなっちまうぜ?」
目と口を布で塞がれた少女がいた。
椅子に座り算段をする中年の男たちとは違い、少女は無造作に床に転がされ、両手両足も縛られている。
抵抗らしい抵抗といえば今のように唸り声を上げる程度であるが、それもまた男の脅しで
男たちが何者かといえば、山賊。
表の顔は林産物や農産物を里に下ろす集団だが、裏では人里の中でのさまざまな強盗事件に関与していた。
このような業種が生まれても、仕方のないこと。
幻想郷は狭く、顔見知りが必然的に多くなる。
そのため誰かを貶めるために個人が動けばすぐに嗅ぎ付けられ、策謀を練った側が一生里の中で暮らせなくなる可能性が高い。
そのため様々な犯罪を仲介する『誰か』の需要が必然的に発生するというわけだ。
それが個人であっても、グループであっても。
『必要悪』
そんな単語でひとくくりにされ歴史の裏に残り続ける。
彼らもまた、その中の山賊の一団。
幻想郷が生まれてからずっと活動してきた組織で、屋敷の権利書を不当に奪い、借金の形として正式に買い取ったものとして、売りに出す。
そういった活動を主としてやってきた。
「兄貴、今回はどうするんです?」
「なぁに、いつものやり方だ」
しかし、正式に流したとしても、契約書やその権利書が不当だと訴えられたら、組織から買い取る側も安心して買えない。
だからこそ、言わせないようにしなければならない。
「人里の外を出歩く親子が、妖怪に襲われた。たったそれだけのことだろう?」
「っ!?」
少女の身体がびくり、と震えた。
もう寺子屋に通う年頃だ、慧音から授業を受けて知っているのだろう。
人と妖怪の歴史を語る上で必ず出てくるもの。
そう、人里を無用心に出た人間がどうなるか。
「おーい、そろそろ見張りいってくれや。妖怪が近くにいたら面倒だからな」
「了解」
だから、その山賊の誰かが動いたのが少女にとって唯一のチャンス。
入り口の戸が開き、冷たい風が少女の頬を撫でたとき、少女はわずかに緩んでいた足の縄を外し、風が入ってきたほうに全力で駆けた。
「あ、こら! てめぇ!」
目が見えていないので、肩をわずかに壁にぶつけてしまう。
しかし、その急な変化は最初で最後の好機を生み出す。
見張りに出かけようとしていた男の腕は、不意に体勢を崩した少女の上を掠めただけで、少女が飛び出すのを止められない。
走って、走って、走って。
わけもわからず走り続ける少女であったが、幸運はそこまでだった。
「あうっ!?」
いくばくか進まないうち。
目が見えないので、地面を這う蔦に足をとられそのまま転ぶ。
早く立ち上がって逃げようとしても、両手がしばられたままなのでうまく起き上がれない。焦りが焦りを生む中、少女がやっと膝を付くまで体を起こしたとき。
少女の目を塞いでいた布が誰かに外された。
その誰か、というのは……言うまでもない。
きっと、山賊の誰か――
「ねぇ、ちょっと聞きたいのだけれど」
では、なかった。
恐る恐る目を開くと、しゃがみながら微笑む少女が一人。
桃色の服と帽子を月明かりの下にさらしていたが、その少女には人間にはない外的特徴があった。
背中に生える漆黒の翼と、炎のように紅い瞳。
逃げ出した少女が呆気に取られている中で、いきなり現れた少女は一枚の紙を差し出してくる。
「一つだけ教えなさい、この文字に見覚えは?」
「っ!?」
見覚えは、なかった。
それでも、その内容には心当たりがある。
『闇夜の盗賊団より
美鈴、貴様の子供は預かった。
返して欲しくば、屋敷の権利書を持って人里の外れの丘まで来い!
時間は、今夜。日付が変わる頃。
家族以外にばらしたら……わかっているな?』
「……お母さん宛の、手紙……」
少女は目に一杯の涙を溜めて、その手紙を眺めた。
求めた答えとは別の答え、それでも羽の付いた少女は、『そう』と短く答えて、少女が逃げてきたほうへと視線を送る。そして、一瞬だけ、くすっと息を漏らすと。
とん。
足を軽く踏み鳴らす。
すると、逃げてきた少女を紅い柱が、簡易な魔力の結界が包み込んだ。
「これには隠蔽の術式が組み込まれてるから、外からは見えないし、探る意欲も奪う。
だから、そこでじっとしてなさい。私にはあなたが必要だから、それと……」
羽の付いた少女は、まるで舞台に立つ役者のように仰々しく両手を胸の前に置き。
「逃げて無駄死にするくらいなら……私が殺してあげる。
他の誰でもない、この私がね」
少女が一度だけその羽を揺らすと。
その姿は霧となって消える。
まるで、夢か幻のように。
それでも少女を包む紅い結界だけが、その存在を証明し続けた。
そんな幻想的な光の中で――少女は、何故かくすっと笑ってしまった。
やっぱり、恐怖で頭がおかしくなってしまったのかもしれない。
自分でもそう思った。
なにせ、
あの少女の『殺す』という言葉が、
『守る』という言葉に聞こえたのだから。
たった一回のミスですべてを無にするわけにはいかない。
男たちは必死で小屋の周囲を探し回る。
「駄目だ! 兄貴、どこ探しても見当たりませんぜ」
「探査用の術式も反応がないようで……足跡も途中で消えちまってる」
「……仕方ねぇか、別の作戦にうつる」
それでも男たちにはまだ策があった、もし少し探してもいないようなら人里の出入り口を固めてしまえばいいと。
それで捕まえられればよし、数日待っても現れなければ死んだということにしてしまえばいい。
すでに親元に帰っていた場合は、強引な手段に移るまで。
ただ、子供にくっつけた生き物に反応する式が反応しないということは……
「妖怪に襲われて死んじまったとは思うが、念のためだ。お前ら任せるぜ」
「おうよ、任せてくれ」
とりあえず何人かを人里に走らせて、今夜の取引を含めて事態を動かさなければならない。
5人のうち2人に指示を出して、走らせようとしたとき。
「よし行くぞ! って、なんだ……?」
出発しようとしたときだった。
いつもとは違う紅い霧が周囲を覆い始めると同時に。
「ねぇ、ちょっと聞きたいのだけれど」
霧の中から、一人の少女が浮かび上がる。
逃がした少女とはまた別の、可愛らしい少女だった。
それでも、男たちが思わず一歩足を引く。
いや、もしかすると足を引いたという自覚すらないのかもしれない。
身長は、男たちのわき腹くらいの高さまでしかない。
小さな、小さな、シルエットのはず。
なのに、その小さな体から生み出される威厳は、禍々しさすら感じさせた。
そんな少女が、霧の中をゆっくりと歩く。
「な、なんだてめぇは……」
「単なる人探し、それだけでは駄目かしら?」
「人、探し?」
「ええ、こちらの文面を書いた方を探しているのだけれど」
少女はおもむろに封筒を一人の男に投げつける。
その男は恐る封筒を開き、暗がりに目を慣れさせながら文字を見て、
「あ、兄貴! これ!」
今にも飛び上がりそうなくらい驚き、慌ててそれを代表格のところへ持っていく。
その反応だけで、レミリアには十分であった。
「……」
そして、その代表格も気付いた。
この手紙を持ってきたということが、どんな意味を持つか。
「どこで、これを?」
「ちょっとした笑い話でね、その宛名と同じ文字を持つ従者が私のところにいるのよ。だから間違って届いた。しかたなく人里の人間のところまで届けさせたのだけれど、必要になったからまた借りたというわけ」
「よく、借りることができたものだな」
「そうね。私もそう思うわ。おかげで厄介なお願いをされたのよ。でも、結果は同じことになるのだから、二つの運命を重ねるのも面白いと思って」
その5人の集団の代表格とレミリアが話しながら距離を詰めているとき。
後10歩ほどの距離まで来たところで。
レミリアの両肩に何かが触れる。
その直後。
レミリアの周囲の霧が薄くなっていく。
わずかに目を細めてその自身の肩をレミリアが覗けば、そこには霊夢が良く使う札のようなものが張り付いていた。
「ふん、油断したな。吸血鬼!
俺たちのような山で暮らす奴らが妖怪について詳しくないとでも思ったかい?」
妖怪の力を封じる札による影響で、霧が完全に消え、また闇夜が戻ってくる。
その効果を十分理解している男の部下たちは、笑い声をあげながらレミリアに近づいていき、とうとうレミリアを取り囲んでしまった。
それでも、レミリアはてくてくと、進もうとする。
目の前を塞がれているのが見えないように、
「おいおい、どこに行くつもりなんだ」
力を封じられたことに、気付いていない。
そう感じた部下たちは、一斉にレミリアに手を伸ばす。
人間の少女並になった彼女を捕まえるのはわけもない。
「親方、やりました!」
「ああ、よくやった。人里との交渉が終わるまで、大人しくして貰うとしよう」
前後左右。
すべての方向から男の手が伸びてレミリアの身体を固定してしまう。
後は札を貼り付けたまま縄で縛っておけば、この異常事態も終わり。
ずず……
「それで、話を元に戻すのだけれど」
なのにレミリアが紅い目をしたまま、代表格の男に声を掛ける。
男たちに取り囲まれたまま、動揺も何もなく。
「あなたが、あの手紙を書いたのかしら?」
ずずずず……
男たちに掴まれながらも進もうとしているのだろう。
足が地面を擦る音が寂しげに響いた。
諦めの悪い行動に、代表格の男はため息混じりでレミリアを見つめる。
まだ、8歩程度距離がある中で悪あがきを続ける吸血鬼を。
「ああ、俺が手紙を作り、部下に指示をした。それだけだ」
「そう、なら安心したわ。人間の雄って見分けが付きにくいから、人違いだといろいろとうるさい奴がいるのよ」
ずずずずずず……
まだ吸血鬼は諦めていないらしい。
この根性だけは見習いたい、そう思った男はまだまだ5歩程度離れたレミリアに縄を掛けようと、自らも一歩近づいて。
ふと、違和感を受けて、地面を見た。
まだ、地面からは時折、ずずず……と何かを引きずる音が響いている。
その中心にいるのはレミリアに違いない、が。
それを取り囲む男たちの様子がおかしい。
前にいる奴は右肩をレミリアの腹に当てて全身で押し。
左右の男は、お互いレミリアの両肩に両手を置いて押し。
後ろにいる男は、そのまま引っこ抜いて投げてしまいそうなほど、レミリアの腹部に手を回し引っ張っている。
全員汗だくで、余裕の欠片もない。
そして、この引きずる音だ。
音が響く度、地面に大きな溝が形作られていった。
その溝は小さな少女の足では描けるものではなく。
それは確かに――
四人の男の足から伸びていた。
「なっ!?」
能力封じの札の効果は間違いないはずだ。
それで実際妖怪を退治したこともあるし、追い払った経験もあった。
何も違わない。
いつものと同じ。
それでも、レミリアは笑みを崩さぬまま男たちを引きずっていく。
「……ねえ? 人間? あなた少し前に油断と口走ったね?
なら、油断とはいったいどういうものかしら?」
そしていつしか、手を伸ばせば届きそうなほど代表格の男とレミリアの距離が縮まる。
驚愕に染まる男の顔を見つけて、一層嬉々とする様は……
新しいおもちゃを見つけた子供のよう……
「獅子が地を這う数匹のアリの上を、お腹を晒して歩いていたとして、
それは人間で言う油断になるのかしら?」
そんな笑みに男が、見とれているときだった。
レミリアがいきなり背中からこうもりに似たの羽を生み出して、後ろにいた男を弾き飛ばし、
「血を捧げるためだけに生きる家畜の分際で、いつまで触れているつもり?」
たぶん、少し本気になっただけ。
完全な夜を迎え入れた、彼女たちの時間の中。
吸血鬼としての魔力をその身に宿らせただけで、両肩に貼り付けたはずの札が焼け落ち。
「――っ!?」
レミリアに触れていた残りの部下たちが、放射線状に10メートルほど吹き飛び、そのまま動かなくなる。
気絶したのか、それ以上に危険な状態なのか。
代表格の男には判断すらできない。
そんな余裕があるはずがない。
「さあ、その手に握り締めたままの縄で私を捕まえる?」
「……俺を、どうするつもりだ」
「そんなに心配することはないわ。少々、報いを受けてもらうだけ」
報い。
それだけで、男は理解した気がした。
男たちと同じように、裏の仕事で恨みを晴らす者たちがいると聞く。
幻想郷であるのなら、それを妖怪が引き受けていても不自然ではない。
「は、はは、それで、その依頼主は、俺たちを殺せ、と?」
「そんな命令受けたことはないのだけれど」
「惚けるな! 俺たちの根城は裏の人間しか知らないはずだ!」
「手紙の運命を辿ってここを見つけただけだけよ。本当は書いた人までさぐりたかったのだけれど、逃げられるかもしれないでしょう? だから急いでやってきたというわけ」
男はきょとんとするが、事実なのだから仕方ない。
手紙の運命を見るのではなく、紙が手紙になる運命を逆に読んでいった。
そんな馬鹿げた能力の使い方を信じろというほうが無理な話だ。
「そ、それにだ! 子供の親から何かを頼まれた、と」
「ああ、それはある。手紙を貸すから子供を連れ戻してほしいですって」
「……ちょっと待て! じゃ、じゃあ俺に対するその親の復讐というのは?」
「子供だけ連れてきてくれれば、他の事はいいって」
「そ、そうか……なら俺の報いというのは、仕事の信頼を失うという奴か……」
裏の家業は美味しいが、信頼を失えば後は転がり落ちるだけ。
もう二度と仕事は来ないだろう。
それがレミリアの言う報い。
男は夜空を見上げ、今まで自分が積み上げた歴史を振り返るように瞼を閉じて……
「そんなものがあなたの報いであるはずがないじゃない」
「なに?」
「あなたが私にしたことを償う。それが報いよ」
「……俺が、お前に?」
「そうよ、忘れたとは言わせないわ! あなたの罪! 数えてあげる!」
ごごごご……
冗談抜きでレミリアの周囲の空気が振るえ、怒りに染まったレミリアの瞳が男に向けられる。
そして、びしっと男を指差して、言い放つ。
彼の重過ぎる罪を。
「美鈴に子供がいると勘違いさせた罪!」
「え?」
「わざと美鈴と戦わせ、ましてや私に敗北の歴史を刻ませた罪!」
「え?」
「館の権利を危うく美鈴に、委譲させようとした罪!」
「え、ええ?」
「それに……咲夜の前で、美鈴とできちゃってる感じにさせた罪!!」
「え、あの、今、何が起きて……?」
「すべて、許しがたし! 万死に値する!」
「え、ぇぇぇぇええええっ!?」
声を発するたびに威圧感を増すレミリア。
その気配に耐え切れなくなったか、男はその場でしりもちを付き、脅えながら見上げている。
それもそうだろう。
男が恐怖するのも無理はない。
人間は闇や混沌といった理解しがたい概念を恐怖するもの。
すなわち……
まったく身に覚えがないことを並べられ『殺す♪』
みたいなことを言われたら怖くないはずがない。
「その脅えよう、ふふ、己の罪深さを理解したようね。
いいわ。その態度に免じて、死亡確定のところを、一発だけ殴るだけに留めてあげる。私の寛大な措置に感謝することね」
「……」
男は、無言のまま周囲を見た。
弾き飛ばされた男たちが呻き声を上げ始めたことから、なんとか生きていることを確認する。しかし、である。
まだ、誰一人として。
今のレミリアの、まともな攻撃を受けていない。
『ハエが近寄ってきたから追い払うために手を振りました』
程度の攻撃で、ああなったのだ。
ならば、しっかり構えて殴られようものなら……
「さあ、覚悟はいい?」
「え、いや、ちょっと待て……」
そして、とうとう男は。
恐怖の果てに禁じられた言葉に行き着いてしまう。
咲夜ですら空気を読んで伝えなかった、その言葉を。
「それって、単なる八つ当たりじゃ……、あっ」
それを受けたレミリアが真っ赤な顔で拳を振り上げ――
その夜、一つの流れ星が幻想郷の空に流れた。
「お情様? 昨夜はどちらにいらっしゃいました?」
「部屋にいたよ」
「そうですか、こちらの新聞記事で誘拐事件の特集が書かれているのですが、子供を助けたのが黒い羽を持った少女だそうで」
「ふーん」
「それで、昨夜は、どちらにいらっしゃいました?」
「部屋にいたわよ」
「誘拐犯もお嬢様に似た服を着た少女を見たそうで」
「部屋にいたってば!」
「美鈴と一緒に?」
「だから、部屋にいたっていって――あっ」
「そうですか、お幸せに……」
「え、ちょ、ちがっ、さ、さくやぁぁぁああああっ!!」
事件から一夜過ぎても、紅魔館は限りなく平和である。
咲夜がお嬢様で遊べるくらいに。
本日、紅美鈴は勤務中に寝た。
朝の暖かな日差しの中、睡魔に負けて3時間。
昼を過ぎ、うとうとしてたらいつのまにやら3時間。
曰く、美容と健康には最低6時間の睡眠が必要とのこと。
つまり健康のためには6時間寝る、これが健康優良門番の秘訣である!
「……えーっと?」
なんて口走ると、命に関わりそうな現状がここにあった。
健康を気にしすぎると普段は咲夜からの鋭い教育的指導(物理)が飛んでくるわけであるが、
「美鈴……」
メイド長でも、優しく起こしてくれる小悪魔でもない。
不穏な気配を感じて目を開けたとき、そこに立っていたのは……
いや、立っていらっしゃったのは、
「話は、すべて聞かせてもらった」
「いや、えーっと何の話――」
「へぇ、私に対してその余裕は何? もしかして、隠し通せるとでも?」
紅魔館の主、レミリア・スカーレット。
しかも、どこか決意を秘めた眼差しをして、美鈴をまっすぐ見つめていた。
うっすらと暗くなった世界の中、半身で夕日を背負う姿は、その小さな外見に似つかわないほど威厳を感じさせる。
……はずなのだが。
「えっと、じゅーじゅーって音が……」
「……気のせいよ」
「白っぽい煙も……」
「気のせいよ」
「なんか一生懸命羽を動かしてません?」
「気のせいって言ってるでしょ!」
弱まっても日の光は日の光。
どうやら早く出すぎたようで、まだ夕日が肌に痛いらしい。
傘を差すよりも、夕日の中に立つほうが様になっているとでも思ったのだろうか。
服に覆われていないところを羽で防御する涙ぐましい努力が、そのカリスマをマイナス方向に反転させてしまっている。
しかし、そんな愛らしい動きを必要としながらも美鈴の前に出たということは、それなりの理由があるに違いない。
冷静に判断すれば、
① 日頃の職務に敬意を表しに。
② 勤務中に寝るほど疲れが溜まった美鈴に休暇を与えるため。
③ 今日の夜の相手をしなさいと誘いに来た。
この三つ以外の何か悪いことだろう。
あまりに冷静な判断に、美鈴は自分を褒めてやりたくなるほどだ。
ということは、一番確率の高い居眠り一択か。
しかし、である。
美鈴と対峙しているレミリアの魔力がじわりじわりと上昇しているのはどういうことか。寒気を感じさせるほど、瞳が紅に染まっているのは――
「美鈴、私はあなたが門番として機能していない今でも、紅魔館に必要だと思っている。賭け値なしにね」
「お嬢、様?」
美鈴の言葉がわずかに止まったのは、動揺があったからかもしれない。
けれど、それより大きな要因は、巻き起こった風。
レミリアが紅の魔力を纏い、その手に血の色に染まった槍を構えた。
ただそれだけで発生した、暴力的な力の流れに気圧されたから。
「でも、わかるでしょう? 私は屋敷の主として、相応しい行動を取らなければならない。それで一人の運命を狂わせることになっても、我が手で下さなければならない」
怒りでも、悲しみでもない。
紅魔館の主としての断固たる意思、それが力を持った渦となって美鈴にぶつかる。美鈴はそれを正面から受け止め、身構えた。
よくわからないけど、その場のノリで。
「そうよ、わかっているじゃない。美鈴。己が欲望を貫くには力を見せつけ、相手を屈服させることが必要なのよ! さあ、その意思の力を見せてみなさい!」
ばさりとレミリアが羽を揺らす。
その一瞬で、景色全体が、大気が震えた。
音など置き去りにするほどの速度で、レミリアが動いたのだ。
はっ、と気付いたときにはもう、美鈴の目の前。
グングニルには十分すぎる間合いで、その刃を振り上げて――
しかし――
「がはっ」
「っ!?」
苦悶の声を上げたのは、一歩行動が遅れた美鈴ではなく。
グングニルを持った手を弾かれ、腹部に掌を受けたレミリアだった。
気を込めた一撃は、妖怪にも効果がある。
レミリアはそれを証明するように、ゆっくりと膝を付いた。
「お嬢様……何故……」
手に持っていたグングニルを杖代わりにして、なんとか立ち上がるレミリア。それでも、疑問の声は美鈴から上がった。
何故、最後の一瞬力を緩めたのか。
何故、夕日の中という不利な条件を選んだのか。
そんな疑問を言葉に乗せて。
それと――
成り行きでカウンターぶつけちゃったけど、私の立場大丈夫なのかな、と。
「ふふ、野暮なことは言わないものよ、美鈴。あなたはこのレミリア・スカーレットを倒した。それは普遍なのだから、さあ、私の気が変わらないうちに早くいきなさい」
「で、でも――」
美鈴は、戸惑い。レミリアを支えようとする。
それでも、プライドが邪魔をするのか。
レミリアはそれを弾き、紅い瞳を美鈴に向けた。
しかし、美鈴は迷った。
この流れでどこにいけばいいんだろう。
もしかして、新手の追い出し方かこれ、と。
混乱し続ける美鈴を置き去りにして、さらにレミリアは懐を探り、
「情けは無用、さあ、これを受け取りなさい」
「え?」
手のひらサイズの少々厚い紙を手渡してくる。
もしかしたらこの紙の中に真相が書かれているのかもしれない。
そう思ったのだろうか、美鈴は慌ててその紙を手に取るが。
――書かれていない。
ひっくり返してみても、裏からみても、ましてや夕日に透かしてみても、書かれている内容は美鈴の期待するものではなかった。
金色に縁取られた、割と豪勢な紙の上に乗っていた文字は、
『誓約書――
レミリア・スカーレットは、
紅美鈴に館の権利を一時的に譲渡するものとする』
――え? 何これ?
受け取ったはいいが、どうしろというのだこの状況。
壊滅的だった意思疎通が、4次元的な不思議空間へと突入し始めた。
怖くなってその紙を叩きつけようとしたのを止め、なんとか胸元にそれを押し込んだのは、理性のファインプレーと言っていいかもしれない。
あまりに衝撃的な事件が続き、激しく動揺する美鈴に何か思うところがあったのか、レミリアは少し強めにその背を押し。
周囲に響き渡る声で、はっきりと叫ぶ。
もう、聞き間違いようもない声で、こう。
「美鈴、あなたを待っている人がいるのでしょう!」
これ以上何があるというのだろう。
レミリアが封筒を取り出したのをみて、一瞬身を硬くする美鈴であったが。
はっ、と頭が冷めたほうに切り替わる。
よく考えろ美鈴。
突発的屋敷移譲契約以上の事件が起きるはずがない。
ゆえに、封筒の中に真実が書かれていたとしても、何の問題があろうか。
いや、あるはずがない。
あるとしても、些細な問題。
『やだなぁ~、お嬢様~』
なんてフランクに肩を叩ける内容に違いない。
美鈴は半ば笑いながら封筒を開け、
『闇夜の盗賊団より
美鈴、貴様の子供は預かった。
返して欲しくば、屋敷の権利書を持って人里の外れの丘まで来い!
時間は、今夜。日付が変わる頃。
家族以外にばらしたら……わかっているな?』
「…………」
「…………」
ぱたんっ
「え、ちょっと、美鈴!? しっかりしなさい美鈴っ」
極度の緊張で考えることを理性が拒否した美鈴は、そのまま門の前で倒れたのだった。
◇ ◇ ◇
なるほど、あまりにショックだったということか。
私にも知られないように隠し子を作っていたなんて驚きだけれど。
それがいきなり誘拐され、交換条件で紅魔館を要求される。
その心意的ストレスといったところかしらね。
もう、せっかく私が勝たせてあげたというのに、台無しじゃない。
「咲夜」
ぱちん、と。
頭の上で軽く指を鳴らせば、いつもどおり。
咲夜の気配が右斜め後ろに現れる。
今頃、私からは見えないところで一礼でもしているところだろう。
「美鈴を部屋まで運んであげなさい」
「……また昼寝ですか?」
「罰は必要ないわ、私のせいでもあるのだから」
日が完全に沈んだおかげで幾分か動きやすくなったから、私が運んでも良かったのだけれど。主が従者を抱えて屋敷をうろつくのもあまり見られたものではない。
素直に咲夜にお願いするとして、私は――
「あの、お嬢様……この手紙は……」
しまった、私としたことが……
美鈴が手紙を持って昏倒しているのを忘れていた。
もちろん、封筒も一緒に。
しゃがみ込んで身体を起こそうとしたら、見つけてしまったのだろう。両手と一緒に胸の前に置かれたその脅迫文を。
見るなと言わなかった私の落ち度でもあるだろうし、知ってしまったのなら隠しておくのも無駄だろう。
「そうよ、驚いたでしょう?」
「はい、まさかこんなことが……」
咲夜はしゃがみ込んだまま動こうとしない。
いつもなら仕事を与えたら即座に動くというのに、それだけその手紙には考えさせるところがあったのだろう。
完璧で瀟洒な咲夜が、心乱されること、か。
それほど、美鈴が大切な存在なの?
なんて声を掛けたら、この子はどんな顔をするかしら。
試してみたいけれど、今はそんな場面でもなさそうだしやめておくけれど。
「確かに、手紙の内容も驚きましたが、それ以上に……」
「ええ、私もそれが気になった」
やっぱり咲夜もそのことは気になっているみたい。
そう、隠し子。
美鈴のことだから、いつか私たちに説明するつもりだったのかもしれないけれど。
「これが運命の悪戯というものなのかしら」
「運命、ですか? そういえばこの手紙はどなたが」
「あの騒がしい新聞記者よ。人里で新聞を配っていたら、渡すように言われたらしいわ」
「そういうことでしたか、それなら運命と言ってもおかしくないかもしれませんね」
今考えれば、美鈴が寝ているから、ベランダで紅茶を楽しむ私のところに文が持ってきたのも、私から溢れ出る運命の力によるものなのかもしれない。
そう考えたほうがおもしろいし、ね?
「近頃、花の種を買うのに外出していたのも、この状況を生み出す要因になったのかもしれません。文も人里に出入りする妖怪ですし」
「へぇ……」
面白い言い方をするじゃない、咲夜
私に謎掛けなんて。
そうね。美鈴が人里へ頻繁に出かけていたのは、きっと花の種の他に子供に会うためということ。
それで新聞記者もうっすらと気付いていた。
そんなところかしら。
「それであなたはどう思う?」
「……そうですね、やはり間違いは正されるべきかと」
ふむ、私も同じ意見ね。
子供が親元にいないというのは、正しくない。
おそらくは父方の家族と一緒にいるのだろうけれど、月に何度かは美鈴に世話をさせるようにしないといけないね。
それを行うには、まずこの事件を解決するしかないのだけれど美鈴はこの調子だし。
「でも、私は直接手を下すつもりはないよ」
「ご心配なく、この件は私が対処いたします」
ふふ、いい仲間意識じゃない。
そうね、美鈴が明日までこの調子なら、時を止める能力を持つ咲夜が動いた方が何かとスマートだし。
保険も必要でしょう。
「そう、任せるわよ」
「それでは食事の準備をしますので、お嬢様はお部屋に」
「ええ、そうさせていただくわ」
さあ、忙しくなるわよ。
咲夜が動くなら、解決したも同然。となればいろいろ準備しないとね。
妖怪の赤ちゃん? 子供? なんてあまりみたこともないし、それがもしかしたら紅魔館にやってくるかもしれない。
フランと遊ぶにはちょっと、難しいかしらね。
美鈴みたいに頑丈ならいいのだけれど……
ああ、そうだ! パチェなら何か知識を持っているかも!
「では、食後にこの間違って届いた手紙を人里に返してきます」
あー、うん。
だから咲夜、そっちは任せたと言ったじゃない。
何度も確認しなくても結構、
そんな、間違って届いたとかわかりきったこ――
「今、なんて?」
館へ向かい始めた足を止め、咲夜の方へ回れ右。
さっきまで心地よかったはずの夜の風が、妙に生暖かく感じるのは、気のせいかしら。
「え? ですから? 間違って届いた手紙を封筒ごと返しに、と」
「間違い?」
「ええ、お嬢様もわかっていらしたのでは?」
――おっけー、落ち着け私。
咲夜が妙なことを口走っているけれど、あせるところじゃない。
まだ、あわてるところじゃない。
咲夜の方をみれば、何か見落としがあったのかと手紙の内容を再度チェックしている様子。
深呼吸して、そんな咲夜に近づいてみれば、ちょうど私の頭の高さに封筒の表面が、そこには当然、宛名が書かれているはずで。
『紅 美鈴 様』
ほら、何よ咲夜!
私を驚かそうとするなんて、なんて悪いメイドかしら?
ちゃんと書いてあるじゃない、ほぉん めぃ りんって――
あれ?
なんか感じの横に、小さな文字が……
ミスズ
『 紅 美鈴 様』
……
クレナイ ミスズ
『 紅 美鈴 様』
えっとぉ……
『クレナイ ミスズ』
……誰? これ?
「お嬢様、やはり手紙の内容も特に妙なところもないようです。加えて、人里のほうで子供の行方不明事件が起きていたので、おそらくその件かと。
確かに同じ漢字を書くのは珍しいですが、まさか美鈴に子供がいるなどと信じられるわけがありません」
「ぐふっ……!」
ふ、フフ……ぐさっときたよ……
さすが魔物を狩るナイフの使い手ね。
まさか主の痛いところをピンポイントで抉ってくるなんて……
私じゃなかったら再起不能だわ。
「どうかなさいましたかお嬢様?」
「ふ、ふふふ……なんでもない、なんでもなぁいよぉ、咲夜」
ということは、何?
文が間違って持ってきた封筒で、私が勘違い?
それで、美鈴に子供がいるなんて、結論付けて?
よくわからない勝負を美鈴に挑んで、わざと敗北して?
館の権利を譲るなんて、とち狂った紙を手渡して?
子供のところにいってあげなさいなんて、勘違いも甚だしい狂言を吐いて?
咲夜の前で、事情をどや顔で説明したって……こと?
この、レミリア=スカーレットが?
そんなことをさせられたということ?
そんな恥じの上塗りを繰り返した後で――
「あの、お嬢様? 美鈴の服の、胸のあたりにもなにかあるようですが……」
え? 死ぬよ?
『アレ』が咲夜に見つかったら、精神的に死ぬ。
「っ!? さ、咲夜!
わた、わたち、やっぱり私が運ぶわ! うん、それがいい。咲夜はこれからその手紙を届けてくると良いわ」
「え?」
「いいのよ! いいの! 全然大変とかじゃない。最近運動不足だったからちょうどいいと思っていたのよ。それに咲夜にも少しくらい楽をさせてあげないといけないじゃない? ね? ね? 思うわよね? それでいいわよね? そうと決まれば、早く持って行ってあげたほうが良いわね、善は急げ!」
「あ、……はい、お嬢様がそうおっしゃるのなら。私はさっそくこの手紙を届けてまいります」
「ええ、そうしなさい! 人里の方でもきっと困っているからね! いってらっしゃーい!」
「はい、いってまいります」
こんぐらちゅれいしょん!
私の頭の中でファンファーレが鳴る。
何とか奇跡的に命を繋いだ。
って、何この顔の熱さ。
吸血鬼なのになんでこんな身体全体が汗ばんでるの。
何はともあれ、今のうちにあの権利書だけでも燃やしておかないとね。
えっと、ここかしら?
もぞもぞ……
んー、服の上からは大体わかるのに、なんて邪魔な肉。
私の捜索の邪魔をするなんて、ハンバーグの具材にしたほうがいいわね。
もぞもぞ……
ええい、気絶してるくせに変な呻き声出すな。
じれったい!
もう、胸のところだけでもこう、引き裂いて!
ビリビリっ
よし、あった! あったわー!
この紙をこうやって、魔力の炎で消し炭にね。
えいってしたら。ほら、簡単。
あっという間に風に溶けて消えた。簡単なことじゃないか。
そうね、後は美鈴に今日のことは忘れなさいとでも言っておけばいい。
うん、完璧だ。
「ふふ、あはは、あははははっ!」
達成感が満ちてきて、自然と笑い声が溢れてしまう。
さあ、さっさと美鈴の上からどいて、運んでしまいま――
あれ? なんか気配が。
くるりって、上半身だけ動かして後ろを振り返れば、おや? 咲夜じゃない。
時間を止めながら移動したのね、こんな早く戻って来れるなんて。
「戻ったなら戻ったといいなさいな」
でも、何かおかしい。
口に両手を当ててつつ、目を見開いて私を見てる。
しかも、小刻みに震えているときた。
なんでそんな、信じられないような顔をしているかさっぱりね。
「聞こえないの? 咲夜、戻ったなら戻ったと!」
でも、主人に挨拶をしないのは駄目ね。
駄犬以下だわ。
私はこっちに来なさい、と表現するために座ったまま地面をばんばんっと叩いた。
が、
ばいんばいん
「ん?」
おかしい、効果音が違う。
惜しいけど、違う。
「……ふふ」
そうね、忘れていたわ。
私は今、美鈴の上に馬乗りになっていた。
それで、権利書を燃やすために服をちょっと裂いたから、美鈴のリーサルウェポンの二分の一が自己主張してるってところね。
あー、それで手がちょうどそこに当たったから、ばいんばいんかー。
うけるー。
「って、うけてる場合かー! ち、違う! 違うのよ咲夜! これは私が美鈴にどうこうしようとしていたわけじゃなく!」
「……わかっています」
「ええ、咲夜ならそう言ってくれると信じて――」
「私を里に行かせたのは、美鈴とそんな行為をするため……」
「わかってなあああい、全然わかってないよ!」
「いえ、あのような……あんな満足げな笑い声を聞けば、私でもわかります」
「だーかーらー! 違うのよ~! そういうんじゃないのぉ~!
これは、そう。あれよ。
美鈴が急に起きて、錯乱してたから。私が仕方なく気絶させて運ぼうとしたら、そのときに失敗して服が裂けてしまっただけで!
そう、事故的な何かよ!」
「……はい、お夕飯の準備、しますね」
「おい、待てこらメイド長! 何その満面の笑みは!」
なんかもう、最後は『お幸せに……』とか言って駆け足で館に入ってった。
追いかけようにも、半裸状態の美鈴を置いてってらまた二次災害とか起きそうで怖い。
行くも地獄、
そして、とどまるも地獄。
「もう、どうしろっていうのよーーー!!」
私は叫んだ。
ただ、闇夜に叫んだ。
ぶつけようのない憤りで、その身を焦がし――
と、そのとき、瞳が一層、紅に染まった。
◇ ◇ ◇
月明かりが差し込む林の中――
人里から少し離れた場所にそれはあった。
小さな納屋、もしくは山小屋のようにも見える建物であり、妖怪避けの札が壁に貼り付けられていた。
人里の外で農業や林業を行う人間はこのような小屋を持つのが常識であり、荷物置き場兼いざというときの逃げ込み場所として役立っている。
今は深夜であるから、誰もいないはずなのだが。
「これで、明日には大金持ちって寸法だ……」
「兄貴、さすがですぜ!」
その小屋の中には5名の招かれざるむさ苦しい客と、
「んー、んーーー!!」
「おいおい、黙ってろよ。そんなうるさくすると、耳が片方なくなっちまうぜ?」
目と口を布で塞がれた少女がいた。
椅子に座り算段をする中年の男たちとは違い、少女は無造作に床に転がされ、両手両足も縛られている。
抵抗らしい抵抗といえば今のように唸り声を上げる程度であるが、それもまた男の脅しで
男たちが何者かといえば、山賊。
表の顔は林産物や農産物を里に下ろす集団だが、裏では人里の中でのさまざまな強盗事件に関与していた。
このような業種が生まれても、仕方のないこと。
幻想郷は狭く、顔見知りが必然的に多くなる。
そのため誰かを貶めるために個人が動けばすぐに嗅ぎ付けられ、策謀を練った側が一生里の中で暮らせなくなる可能性が高い。
そのため様々な犯罪を仲介する『誰か』の需要が必然的に発生するというわけだ。
それが個人であっても、グループであっても。
『必要悪』
そんな単語でひとくくりにされ歴史の裏に残り続ける。
彼らもまた、その中の山賊の一団。
幻想郷が生まれてからずっと活動してきた組織で、屋敷の権利書を不当に奪い、借金の形として正式に買い取ったものとして、売りに出す。
そういった活動を主としてやってきた。
「兄貴、今回はどうするんです?」
「なぁに、いつものやり方だ」
しかし、正式に流したとしても、契約書やその権利書が不当だと訴えられたら、組織から買い取る側も安心して買えない。
だからこそ、言わせないようにしなければならない。
「人里の外を出歩く親子が、妖怪に襲われた。たったそれだけのことだろう?」
「っ!?」
少女の身体がびくり、と震えた。
もう寺子屋に通う年頃だ、慧音から授業を受けて知っているのだろう。
人と妖怪の歴史を語る上で必ず出てくるもの。
そう、人里を無用心に出た人間がどうなるか。
「おーい、そろそろ見張りいってくれや。妖怪が近くにいたら面倒だからな」
「了解」
だから、その山賊の誰かが動いたのが少女にとって唯一のチャンス。
入り口の戸が開き、冷たい風が少女の頬を撫でたとき、少女はわずかに緩んでいた足の縄を外し、風が入ってきたほうに全力で駆けた。
「あ、こら! てめぇ!」
目が見えていないので、肩をわずかに壁にぶつけてしまう。
しかし、その急な変化は最初で最後の好機を生み出す。
見張りに出かけようとしていた男の腕は、不意に体勢を崩した少女の上を掠めただけで、少女が飛び出すのを止められない。
走って、走って、走って。
わけもわからず走り続ける少女であったが、幸運はそこまでだった。
「あうっ!?」
いくばくか進まないうち。
目が見えないので、地面を這う蔦に足をとられそのまま転ぶ。
早く立ち上がって逃げようとしても、両手がしばられたままなのでうまく起き上がれない。焦りが焦りを生む中、少女がやっと膝を付くまで体を起こしたとき。
少女の目を塞いでいた布が誰かに外された。
その誰か、というのは……言うまでもない。
きっと、山賊の誰か――
「ねぇ、ちょっと聞きたいのだけれど」
では、なかった。
恐る恐る目を開くと、しゃがみながら微笑む少女が一人。
桃色の服と帽子を月明かりの下にさらしていたが、その少女には人間にはない外的特徴があった。
背中に生える漆黒の翼と、炎のように紅い瞳。
逃げ出した少女が呆気に取られている中で、いきなり現れた少女は一枚の紙を差し出してくる。
「一つだけ教えなさい、この文字に見覚えは?」
「っ!?」
見覚えは、なかった。
それでも、その内容には心当たりがある。
『闇夜の盗賊団より
美鈴、貴様の子供は預かった。
返して欲しくば、屋敷の権利書を持って人里の外れの丘まで来い!
時間は、今夜。日付が変わる頃。
家族以外にばらしたら……わかっているな?』
「……お母さん宛の、手紙……」
少女は目に一杯の涙を溜めて、その手紙を眺めた。
求めた答えとは別の答え、それでも羽の付いた少女は、『そう』と短く答えて、少女が逃げてきたほうへと視線を送る。そして、一瞬だけ、くすっと息を漏らすと。
とん。
足を軽く踏み鳴らす。
すると、逃げてきた少女を紅い柱が、簡易な魔力の結界が包み込んだ。
「これには隠蔽の術式が組み込まれてるから、外からは見えないし、探る意欲も奪う。
だから、そこでじっとしてなさい。私にはあなたが必要だから、それと……」
羽の付いた少女は、まるで舞台に立つ役者のように仰々しく両手を胸の前に置き。
「逃げて無駄死にするくらいなら……私が殺してあげる。
他の誰でもない、この私がね」
少女が一度だけその羽を揺らすと。
その姿は霧となって消える。
まるで、夢か幻のように。
それでも少女を包む紅い結界だけが、その存在を証明し続けた。
そんな幻想的な光の中で――少女は、何故かくすっと笑ってしまった。
やっぱり、恐怖で頭がおかしくなってしまったのかもしれない。
自分でもそう思った。
なにせ、
あの少女の『殺す』という言葉が、
『守る』という言葉に聞こえたのだから。
たった一回のミスですべてを無にするわけにはいかない。
男たちは必死で小屋の周囲を探し回る。
「駄目だ! 兄貴、どこ探しても見当たりませんぜ」
「探査用の術式も反応がないようで……足跡も途中で消えちまってる」
「……仕方ねぇか、別の作戦にうつる」
それでも男たちにはまだ策があった、もし少し探してもいないようなら人里の出入り口を固めてしまえばいいと。
それで捕まえられればよし、数日待っても現れなければ死んだということにしてしまえばいい。
すでに親元に帰っていた場合は、強引な手段に移るまで。
ただ、子供にくっつけた生き物に反応する式が反応しないということは……
「妖怪に襲われて死んじまったとは思うが、念のためだ。お前ら任せるぜ」
「おうよ、任せてくれ」
とりあえず何人かを人里に走らせて、今夜の取引を含めて事態を動かさなければならない。
5人のうち2人に指示を出して、走らせようとしたとき。
「よし行くぞ! って、なんだ……?」
出発しようとしたときだった。
いつもとは違う紅い霧が周囲を覆い始めると同時に。
「ねぇ、ちょっと聞きたいのだけれど」
霧の中から、一人の少女が浮かび上がる。
逃がした少女とはまた別の、可愛らしい少女だった。
それでも、男たちが思わず一歩足を引く。
いや、もしかすると足を引いたという自覚すらないのかもしれない。
身長は、男たちのわき腹くらいの高さまでしかない。
小さな、小さな、シルエットのはず。
なのに、その小さな体から生み出される威厳は、禍々しさすら感じさせた。
そんな少女が、霧の中をゆっくりと歩く。
「な、なんだてめぇは……」
「単なる人探し、それだけでは駄目かしら?」
「人、探し?」
「ええ、こちらの文面を書いた方を探しているのだけれど」
少女はおもむろに封筒を一人の男に投げつける。
その男は恐る封筒を開き、暗がりに目を慣れさせながら文字を見て、
「あ、兄貴! これ!」
今にも飛び上がりそうなくらい驚き、慌ててそれを代表格のところへ持っていく。
その反応だけで、レミリアには十分であった。
「……」
そして、その代表格も気付いた。
この手紙を持ってきたということが、どんな意味を持つか。
「どこで、これを?」
「ちょっとした笑い話でね、その宛名と同じ文字を持つ従者が私のところにいるのよ。だから間違って届いた。しかたなく人里の人間のところまで届けさせたのだけれど、必要になったからまた借りたというわけ」
「よく、借りることができたものだな」
「そうね。私もそう思うわ。おかげで厄介なお願いをされたのよ。でも、結果は同じことになるのだから、二つの運命を重ねるのも面白いと思って」
その5人の集団の代表格とレミリアが話しながら距離を詰めているとき。
後10歩ほどの距離まで来たところで。
レミリアの両肩に何かが触れる。
その直後。
レミリアの周囲の霧が薄くなっていく。
わずかに目を細めてその自身の肩をレミリアが覗けば、そこには霊夢が良く使う札のようなものが張り付いていた。
「ふん、油断したな。吸血鬼!
俺たちのような山で暮らす奴らが妖怪について詳しくないとでも思ったかい?」
妖怪の力を封じる札による影響で、霧が完全に消え、また闇夜が戻ってくる。
その効果を十分理解している男の部下たちは、笑い声をあげながらレミリアに近づいていき、とうとうレミリアを取り囲んでしまった。
それでも、レミリアはてくてくと、進もうとする。
目の前を塞がれているのが見えないように、
「おいおい、どこに行くつもりなんだ」
力を封じられたことに、気付いていない。
そう感じた部下たちは、一斉にレミリアに手を伸ばす。
人間の少女並になった彼女を捕まえるのはわけもない。
「親方、やりました!」
「ああ、よくやった。人里との交渉が終わるまで、大人しくして貰うとしよう」
前後左右。
すべての方向から男の手が伸びてレミリアの身体を固定してしまう。
後は札を貼り付けたまま縄で縛っておけば、この異常事態も終わり。
ずず……
「それで、話を元に戻すのだけれど」
なのにレミリアが紅い目をしたまま、代表格の男に声を掛ける。
男たちに取り囲まれたまま、動揺も何もなく。
「あなたが、あの手紙を書いたのかしら?」
ずずずず……
男たちに掴まれながらも進もうとしているのだろう。
足が地面を擦る音が寂しげに響いた。
諦めの悪い行動に、代表格の男はため息混じりでレミリアを見つめる。
まだ、8歩程度距離がある中で悪あがきを続ける吸血鬼を。
「ああ、俺が手紙を作り、部下に指示をした。それだけだ」
「そう、なら安心したわ。人間の雄って見分けが付きにくいから、人違いだといろいろとうるさい奴がいるのよ」
ずずずずずず……
まだ吸血鬼は諦めていないらしい。
この根性だけは見習いたい、そう思った男はまだまだ5歩程度離れたレミリアに縄を掛けようと、自らも一歩近づいて。
ふと、違和感を受けて、地面を見た。
まだ、地面からは時折、ずずず……と何かを引きずる音が響いている。
その中心にいるのはレミリアに違いない、が。
それを取り囲む男たちの様子がおかしい。
前にいる奴は右肩をレミリアの腹に当てて全身で押し。
左右の男は、お互いレミリアの両肩に両手を置いて押し。
後ろにいる男は、そのまま引っこ抜いて投げてしまいそうなほど、レミリアの腹部に手を回し引っ張っている。
全員汗だくで、余裕の欠片もない。
そして、この引きずる音だ。
音が響く度、地面に大きな溝が形作られていった。
その溝は小さな少女の足では描けるものではなく。
それは確かに――
四人の男の足から伸びていた。
「なっ!?」
能力封じの札の効果は間違いないはずだ。
それで実際妖怪を退治したこともあるし、追い払った経験もあった。
何も違わない。
いつものと同じ。
それでも、レミリアは笑みを崩さぬまま男たちを引きずっていく。
「……ねえ? 人間? あなた少し前に油断と口走ったね?
なら、油断とはいったいどういうものかしら?」
そしていつしか、手を伸ばせば届きそうなほど代表格の男とレミリアの距離が縮まる。
驚愕に染まる男の顔を見つけて、一層嬉々とする様は……
新しいおもちゃを見つけた子供のよう……
「獅子が地を這う数匹のアリの上を、お腹を晒して歩いていたとして、
それは人間で言う油断になるのかしら?」
そんな笑みに男が、見とれているときだった。
レミリアがいきなり背中からこうもりに似たの羽を生み出して、後ろにいた男を弾き飛ばし、
「血を捧げるためだけに生きる家畜の分際で、いつまで触れているつもり?」
たぶん、少し本気になっただけ。
完全な夜を迎え入れた、彼女たちの時間の中。
吸血鬼としての魔力をその身に宿らせただけで、両肩に貼り付けたはずの札が焼け落ち。
「――っ!?」
レミリアに触れていた残りの部下たちが、放射線状に10メートルほど吹き飛び、そのまま動かなくなる。
気絶したのか、それ以上に危険な状態なのか。
代表格の男には判断すらできない。
そんな余裕があるはずがない。
「さあ、その手に握り締めたままの縄で私を捕まえる?」
「……俺を、どうするつもりだ」
「そんなに心配することはないわ。少々、報いを受けてもらうだけ」
報い。
それだけで、男は理解した気がした。
男たちと同じように、裏の仕事で恨みを晴らす者たちがいると聞く。
幻想郷であるのなら、それを妖怪が引き受けていても不自然ではない。
「は、はは、それで、その依頼主は、俺たちを殺せ、と?」
「そんな命令受けたことはないのだけれど」
「惚けるな! 俺たちの根城は裏の人間しか知らないはずだ!」
「手紙の運命を辿ってここを見つけただけだけよ。本当は書いた人までさぐりたかったのだけれど、逃げられるかもしれないでしょう? だから急いでやってきたというわけ」
男はきょとんとするが、事実なのだから仕方ない。
手紙の運命を見るのではなく、紙が手紙になる運命を逆に読んでいった。
そんな馬鹿げた能力の使い方を信じろというほうが無理な話だ。
「そ、それにだ! 子供の親から何かを頼まれた、と」
「ああ、それはある。手紙を貸すから子供を連れ戻してほしいですって」
「……ちょっと待て! じゃ、じゃあ俺に対するその親の復讐というのは?」
「子供だけ連れてきてくれれば、他の事はいいって」
「そ、そうか……なら俺の報いというのは、仕事の信頼を失うという奴か……」
裏の家業は美味しいが、信頼を失えば後は転がり落ちるだけ。
もう二度と仕事は来ないだろう。
それがレミリアの言う報い。
男は夜空を見上げ、今まで自分が積み上げた歴史を振り返るように瞼を閉じて……
「そんなものがあなたの報いであるはずがないじゃない」
「なに?」
「あなたが私にしたことを償う。それが報いよ」
「……俺が、お前に?」
「そうよ、忘れたとは言わせないわ! あなたの罪! 数えてあげる!」
ごごごご……
冗談抜きでレミリアの周囲の空気が振るえ、怒りに染まったレミリアの瞳が男に向けられる。
そして、びしっと男を指差して、言い放つ。
彼の重過ぎる罪を。
「美鈴に子供がいると勘違いさせた罪!」
「え?」
「わざと美鈴と戦わせ、ましてや私に敗北の歴史を刻ませた罪!」
「え?」
「館の権利を危うく美鈴に、委譲させようとした罪!」
「え、ええ?」
「それに……咲夜の前で、美鈴とできちゃってる感じにさせた罪!!」
「え、あの、今、何が起きて……?」
「すべて、許しがたし! 万死に値する!」
「え、ぇぇぇぇええええっ!?」
声を発するたびに威圧感を増すレミリア。
その気配に耐え切れなくなったか、男はその場でしりもちを付き、脅えながら見上げている。
それもそうだろう。
男が恐怖するのも無理はない。
人間は闇や混沌といった理解しがたい概念を恐怖するもの。
すなわち……
まったく身に覚えがないことを並べられ『殺す♪』
みたいなことを言われたら怖くないはずがない。
「その脅えよう、ふふ、己の罪深さを理解したようね。
いいわ。その態度に免じて、死亡確定のところを、一発だけ殴るだけに留めてあげる。私の寛大な措置に感謝することね」
「……」
男は、無言のまま周囲を見た。
弾き飛ばされた男たちが呻き声を上げ始めたことから、なんとか生きていることを確認する。しかし、である。
まだ、誰一人として。
今のレミリアの、まともな攻撃を受けていない。
『ハエが近寄ってきたから追い払うために手を振りました』
程度の攻撃で、ああなったのだ。
ならば、しっかり構えて殴られようものなら……
「さあ、覚悟はいい?」
「え、いや、ちょっと待て……」
そして、とうとう男は。
恐怖の果てに禁じられた言葉に行き着いてしまう。
咲夜ですら空気を読んで伝えなかった、その言葉を。
「それって、単なる八つ当たりじゃ……、あっ」
それを受けたレミリアが真っ赤な顔で拳を振り上げ――
その夜、一つの流れ星が幻想郷の空に流れた。
「お情様? 昨夜はどちらにいらっしゃいました?」
「部屋にいたよ」
「そうですか、こちらの新聞記事で誘拐事件の特集が書かれているのですが、子供を助けたのが黒い羽を持った少女だそうで」
「ふーん」
「それで、昨夜は、どちらにいらっしゃいました?」
「部屋にいたわよ」
「誘拐犯もお嬢様に似た服を着た少女を見たそうで」
「部屋にいたってば!」
「美鈴と一緒に?」
「だから、部屋にいたっていって――あっ」
「そうですか、お幸せに……」
「え、ちょ、ちがっ、さ、さくやぁぁぁああああっ!!」
事件から一夜過ぎても、紅魔館は限りなく平和である。
咲夜がお嬢様で遊べるくらいに。
少し誤字がありましたが、とても面白かったです
しかし、その斜め上を行く咲夜さんも侮れん。ぐぬぬ。
いいな
漢字?
おぜうかわいいwwww
最後の会話の部分が
>お情様
になってました。恐らく誤字かと~。