宝塔を無くした事は通算334回くらいある私だけれど、流石にそれをぶっ壊してしまった事は一度も無かった。
どこに置いたかをすぐ忘れてしまっても、心持ちでは物を大切に扱っているつもりである。宝塔はきちんと紫外線から隔離して保管しているし、噛んだ後は銀紙に包んでくずかごに捨てている。
だからこそ、今日という今日に気を抜いてしまったのは油断だった。
ムラサに「ねえ星、いっしょに野球やろう!」と誘われ、ボールが無いからと宝塔を使った事が運のツキ。
ムラサの柄杓バットによるフルスイングが捕らえた宝塔は、まさにスタンド一直線ならぬスクラップ一直線だった。微粒子レベルで粉々になった宝塔が、キラキラと輝きながら命蓮寺の庭へ散りばめられていく。
「……へっ?」
この絶望的な事態を目の当たりにして、私とムラサが目を丸くしたのはほぼ同時だった。
しばし原型を留めていない宝塔を呆然と見つめていて、それから私ははたと気づく。
あ、これ……あれですわ。「やっちまった(笑)」って奴ですわ。
「うわああああああああああ!!?」
反射的に地面へ這いつくばった私は、何とか粉々になった宝塔パウダーをかき集めようと努力するものの、言うまでもなくそれは回収不可能な状態だった。
orzの体位で絶望する私は、背後から何やらコソコソとした足音を耳で捉える。
シャフ度で背後を確認すると、そこには抜き足差し足で逃走を試みるムラサの姿。真顔でスカートをずり下ろし半ケツにしてあげると、「ひゃうっ!?」という声と共にムラサは耳まで真っ赤になる。
「ちょ、星なにをっ」
「それはこっちの台詞ですっ! なに逃げようとしてるんですかっ!」
「い、いや、ちょっとぬかどこをかき混ぜようかと思って」もうちょっとマトモな言い訳してくださいよ!「でも、そのええと……惜しい宝塔を亡くしました」
葬式でありがちな台詞を言えば何とかなると思っているみたいだけれど、そう簡単に責任逃れ出来る話では無い。
ムラサには私の絶望感を割り振られる義務があるのである。その旨をムラサに伝えると、彼女は真っ赤になっていた顔をリトマス反応の如く真っ青にした。
「ちょ、待って星、私は悪くないわ」
「何が悪くないのです、巨人小笠原ばりのフルスイングで宝塔を粉々にしたのは誰ですかっ!」
「うん、例えが分からない!」
「うぅ、あそこでムラサがバントに徹していればこんな事には……っ!」
「というか、それ以前に宝塔をボールにして投げたのは星じゃないのっ!」
痛いところを突かれた。
ムラサも言ってから「しめた」とでも思ったか、私に全ての罪があるかのように語気を強め始める。私の気分はすっかり斑目委員長だ。
うぐぐ……だって仕方ないじゃないですか、宝塔って何か神聖な力で守られてそうだしっ!
「前に間違えてTNT爆薬で爆破した時には壊れなかったんですもん、野球くらいなら大丈夫だと思うじゃないですか!!」
「どんな間違いをしたら宝塔をTNT爆薬で爆破するのよ!」
「私の部屋にゴキちゃんが出現したから爆破駆除しようとして間違えたんですっ!」
「ゴキちゃんというか部屋が吹き飛ぶよね!」
ともかく……こんな筈じゃなかったのだ。
100歩ゆずって宝塔を野球ボールに使った私が悪いとしても、まさか柄杓如きに粉砕されるとは思わないじゃないか。
急激に気分が落ち込んできた私の脳裏には、最早日常茶飯事と化したナズの軽蔑の視線が浮かんでくる。「そうかそうか、つまり君はそんな奴だったんだな」と、これまたテンプレのエーミール語録を引っ張り出してくるナズの姿が。
「ちょ……ちょっと、そんなに落ち込まないでよ星」
私がナズのSM妄想に浸っていると、突然声色を穏やかにしたムラサが、orz状態の私と視線の高さを同じにする。
どうやら、ムラサの厳しい糾弾で私が落ち込んでしまったと思っているらしい。現実は違うのだけれど、少しでもムラサが私に気を遣ってくれたのが嬉しくて、私は心の内を彼女にさらけ出してしまう。
「……ムラサ」
「な、なに?」
「このままでは、私はナズの言葉の暴力を受けて世界一周旅行にでも出てしまいそうです」
「なんか物凄く切実な話だった」
「……なんとかならないでしょうか?」
涙の滲んだ目でムラサを見つめると、ムラサはきまりが悪そうに視線をそらす。
やっぱり駄目か……と半ば諦めかけた時、ムラサは改めて私の目を見つめて、その唇を動かした。
「……根本的な解決にはならないけれど、方法なら無い事もないよ」
「え……それはどういう」
私はムラサを見上げたまま、突然視界に入ってきた光明に戸惑いを隠せない。
ムラサはまるで救世主でも降りてきたかのような微笑みを浮かべ、再びその口を開い――――
「おや、ご主人。それとムラサ船長も。探しましたよ」
と、そこに悪魔が降臨する。
ムラサの背後からひょっこりと顔を出したのは、今私が最も恐れているダウジング妖怪鼠にしてエーミールの異名を持つ(と私が勝手に決めた)――ナズだ。
「ひっ…………コホン、ナズですか」
思わず素の反応をしそうになるも、あくまで私はナズの上司であるから、誤魔化し誤魔化し尊大な態度を取らなければいけない。
ナズーリンの前に立っていたムラサは、若干目が泳ぎつつもささっと庭の脇へ隠れていく。
「一瞬腹の底から湧いて出たような声が聞こえたけど……まあいいや」
「気にしたら負けですよナズ。それで、要件は何でしょう?」
「ああ、それなんですが……ご主人、今宝塔は持っているかい?」
心臓が飛び出るかと思った。
「ほっ……宝塔、ですか?」
「ええ、少し見せて貰いたいんですが」
なんでいきなり大ピンチなんですか! 心の奥でそう叫ばずにはいられない。
とはいえ、この急場をしのがない事には話は始まらないのだ。というか始まる前に終わってしまう。
「ご主人?」
「ほ、宝塔はその、ちちちょっとクリーニングに出していまして」
「聞いた事無いクリーニングですね……ご主人も潔癖症だ」
「えへへ……だからちょっと急には用意できないですかね……」
よし、何とか誤魔化せた! これで勝つる!
ナズは若干首を傾げたものの、どうやら私の言葉を信じてくれたらしい。それから周りにチラチラと視線を送り、小さく頬を掻きながら口を開いた。
「それにしても、この辺りに妙な粉が降り積もっているんだが……ご主人、何か知りませんか?」
今日は絶対に厄日である。もしくは厄神様か何かが、命蓮寺の屋根の上でアルゼンチンサンバでも踊っているに違いない。
何故、何故こうなるのだろう。ピンチはピンチを呼ぶという奴だろうか。そんなピンチなら初めからいりません。作ったのは私だけれど。
「……ご主人? なんか、今日はいつにも増して挙動不審ですね」
「い、いえいえ……それよりこの粉の話でしたね、私にはちょっと分かりません」
「そうですか……怪しいな。もし炭疽菌なんかだったら困るし、これは一度検査にかけて」
「わあああーっ! 思い出しましたよナズっ!」検査なんかかけられたら終わるじゃないですかー!「それはですね、さっき私が自分で撒いた粉なのですっ!」
そう言った途端、庭の隅に隠れているムラサの目が白くなった。
ふふ、安心しなさいムラサ……ちゃんと計画は練ってありますとも。だからそんな絶望な顔をしないで。黒目取り戻して。
ムラサの黒目の危機など露知らず、「自分で撒いた、と言うと……?」とナズ。私はorz状態から立ち上がり、胸を張って答える。
「ふふ、その粉はですね……幸せを呼ぶ粉なのですっ」
「幸せを呼ぶ粉?」
「ええ、最近とある筋から……ええと、『ありがとう教』の方から頂きまして」
「それカルト宗教としか思えないんですけど」
絶対例示するべき宗教を間違えたけれど、最早後には引けないのです。
「とにかく危険なものではありませんから、ご心配なさらず!」
「は、はあ……まあいいや。ではご主人、宝塔はまた貰いに来ます」
「それがいいです!」
「で、いつ頃取りに来ればいいでしょう?」
これは出来る限り猶予を伸ばさなければいけないヤツだ。ナズは強敵だけれど、何とか私の交渉能力を発揮しなければならない。
ひーふーみーと指を折りながら日数を数えるフリをして、それから勢いよくナズに切り出す。
「それでは――1週間ほど経ったら」
「え゛?」
「明日には必ず」
これぞ、外の世界に聞くM党ばりの外交能力を見せつけた瞬間であった。
◇
ナズが去って行ったのち、庭に隠れていたムラサが姿を現した。
ムラサの目は先程よりも確実に白くなっていた。私の弱腰交渉術を見た結果としてもこれは白すぎますね……
「もしや目に漂白剤でもかけましたかムラサ」
「かけてないっ!」
目に光が戻ったかと思えば、突然大声を出すものだから鼓膜が破れるかと思った。
とはいえこれ以上茶化すと本気でキレそうだったので、私は頭上の蓮の飾りを弄りながら苦笑いをムラサへ向ける。
「いやあその……、そんなこんなで猶予は今日1日だけになりましたね(笑)」
「なりましたね(笑)じゃねーよっ! 1週間は無理にしても、どうしてそこから最低猶予期間まで暴落させるのっ!?」
「うぅ……だって、ナズの目がなんかこう『ゆらり』と揺れたんですもん……」
あの時のナズの瞳はやばかった。あれ以上ちょっかいを出したらTNT爆薬なんて屁でもない、っていうようなレベルでやばいヤツだった。
その恐怖を身振り手振りでムラサに伝えると、はあと彼女は息を漏らす。
「……いずれにせよ、今から動かないと間に合いそうにないね。早速『あいつ』のところへ行く事にしようか」
「……『あいつ』、とは?」
というか先程聞きそびれてしまった『ナズーリンにバレない方法』さえ分からないのだから、『あいつ』が誰なのか、そして何をするつもりなのかも全く分からない。
そんな事を考えていると、ムラサは不意にポケットからとうもろこしを取り出した。何故ですか、何故とうもろこしが入ってるのですか。
私の疑問は差し置いて、彼女は突然そのとうもろこしを右手で掲げる。
「さあ、ナズーリン! この宝塔を受け取りなさいっ!」
ムラサがおかしくなってしまった。
「……熱病ですか?」コソッ
「どうしてそーなるのよっ! これは来たるべき運命の瞬間の想定!」
「想定、と言われても……」とうもろこしを掲げる運命の瞬間って何でしょうね。「いや、その、真面目に何をしているか分からないんですけれども」
私がそう問いかけると、ムラサは手に持ったとうもろこしに目を向ける。
それから彼女は得意気な笑顔を私に見せた。
「今は熱病なんて言われたけれど、実際にこのとうもろこしが宝塔に見えたらどう思う?」
「どう思う……って、そりゃあそんな事が出来ればどうにでもなる……って、」
そこまで言って、ようやく私もムラサの言いたい事の意味を理解した。
そう、例えとうもろこしでも唐辛子でも、それが宝塔に見えれば何の問題も無い。そして、それが出来る妖怪を私は1人知っている。
しかも、その妖怪は命蓮寺の中にいるのだ。ああ、何という親切設計でしょう?
◇
正体不明の種とは、植え付けた対象物について『他人が見ると、その人が持っている知識で認識できる物に見える』ように出来る、原理まで不明の種の事である。
例えばかつて聖の封印を解こうという際、この種のおかげで飛び散った飛倉がUFO(という飛行物体らしいけれど、詳細は博麗の巫女辺りから聞いてほしい)に見えたりと、その効力がバッチリである事は実証済みだ。
これはとある妖怪の専売特許のようなもので、もったいぶらずに言うとぬえの事なのだけれど、とにかく彼女が私達の救世主になってくれそうだった。
……そう。なってくれそう『だった』。
見事に過去形です。
「ぬえならインドへ旅に出たらしいよ」
ぬえは今どこにいるのだろう、と居間に居た一輪に訊ねて、返ってきたのがこの答えである。
なんかもう色々突っ込みたい事はあったけれど、その辺は取りあえず重要じゃないから横にでも置いておいて……
「「……え?」」
私とムラサの口からそんな声が出たのは、ほとんど同時の出来事だ。
「え、いや、ちょ……」
「い、インドに旅って……冗談キツいっすわ一輪さんマジパネッすわー」
「ムラサその話し方うざい」
「ごめんなさい」
コントをやっている場合じゃない。もし一輪の言う事が正しいのならば、私達の計画は志半ばどころか志すら抱けずに終了してしまう。
「まあ、私もさっきナズから聞いた話なんだけどね」という一輪の声は全く耳に入ってこない。もしくは右耳から入って左耳に受け流された。それだけこの絶望感は半端じゃなかったのである。……え、ていうか、どうすればいいんですかこれ。
「アハハ、アリガトウゴザイマシタソレデハ」
最早バレバレの愛想笑いで体面上のお礼を言った私は、怪訝な表情を浮かべる一輪を置いて居間を後にする。
カタとゆっくり障子を閉じて、しばらく無言で廊下を歩いたのち、居間から十分に離れた辺りで私の精神は崩壊した。
「うわあああああああああ!! 詰んだああああああああ!!」
「し、星落ち着いてえっ!?」
これが落ち着いて居られますかという話だ。ぬえが命蓮寺に居ないと分かった今、私の死刑は殆ど確定されたようなものである。要するに「ぬえはインドへ旅に出た」が私に対する死刑宣告だったのだ。アホみたいな死刑宣告で何ともやりきれないけれど、これが避けられない現実なのである。
ああ、私……死ぬのか。来世は何をしようかなあ? たこ焼き屋でもやろうかなあ? 何だか希望に満ち溢れていて、すごく楽しい気分だ。なのに、どうして私は今泣いているのだろう?
「星……諦めるにはまだ早いわ。ぬえの事だから、インドに行くとか言っておきながら結局面倒臭くなって、幻想郷の茶屋でカリフォルニアロールでも食べてるかも」
「あはは、どうせ居ませんよぉ……、今頃ぬえはガンジス川でバタフライしてますよぉ……うぅ」
若干引き気味のムラサが慰めてくれるものの、今回ばかりは私も立ち直れる気がしなかった。何しろナズから軽蔑視されるとかいうレベルの失敗じゃなくて、毘沙門天様から処刑されるレベルの大失敗である。溢れる涙が口に入ってきてしょっぱい。
こんな状態で幻想郷中をぬえ捜索に駆け回る事など出来る訳も無く、結局その日は不貞寝して一日が終わった。
そして翌朝、私はムラサに起こされて、右手に何かを握らされる。新鮮なとうもろこしだった。細く伸びたヒゲが私の手首をこしょこしょとくすぐっている。多分、私はこの手首の血管をカミソリで切る事になるのだろう。
「ほら、星……最後くらい華々しく散りましょうよ。この種も仕掛けも無いとうもろこしをナズーリンに突き出して『君は何をしているんだ』オーラを一身に受けましょう!」
「……そうですね。これが最後のナズですものね」
ムラサの言う通りだ。例え受けるのが軽蔑の視線であっても、現世でナズに会えるのはこれで最後なのだから、大切なひと時にしなければいけない。
朝の忙しい時間を通り過ぎて、いよいよナズに宝塔を渡す時間がやって来た。いよいよ処刑の時間である。今、私は中庭という名のグリーンマイルに立ってます。グリーンマイルの先からナズという名の処刑台が近づいてきます。
「やあ、ご主人」
「こんにちは、ナズ」
そして、いよいよ邂逅(今生最後の瞬間なので格好良さそうな言葉を使っている)の時が訪れた。ムラサは前回と同じく、庭の隅っこで成り行きを見守ってくれている。
舞台は整った。あとは散り行く桜のように、美しい花吹雪を舞わせるのみだ。
「で、宝塔のクリーニングは終わりましたよね?」
「ええ、勿論ですとも」私はゆっくりと後ろのポケットに手を回す。入っている新鮮なとうもろこしを確かに掴む。「さあ、ナズ……受け取ってくださいっ!」
現世への未練だけをそのとうもろこしに乗せて。私はナズーリンにとうもろこしを突き出した。
男性が好意を寄せる女性に対して「付き合って下さい!!」と言いながら花を差し向けているような、そんな構図である。違うのは突き出している物がとうもろこしという事くらいだろうか。
……さあ、そろそろ来てもいい頃じゃないですか? ありったけの侮蔑を込めた「君は何をやっているんだ」が。
私の命の壁を越えて、来世に向かう原動力になる「君は何をやっているんだ」がっ!!
「……おいおいご主人、それは宝塔じゃなくてとうもろこしじゃないですか」
……えっ?
「……え、ちょ、ナズ、え?」
「ふむ、やはりすごいな……とうもろこしが宝塔に見えるなんて」
すごい、というのは私の頭の馬鹿さ加減がすごいという事でしょうか。じゃなくて!
何故、何故こうなった。大番狂わせとはこういう事を言うのだろう。思わず振り向いて庭の隅を見れば、ムラサも信じられないといった面持ちで目を丸くしている。
まさか。まさかの。ナズ、まさかの。
ま さ か の マ ジ レ ス で あ る 。
「な、ナズ……?」
「ん、ああすまない、それだけじゃ意味が分かりませんね」
しかし、真に驚くべきタイミング――それは、実はこのタイミングでは無かった。
ナズは、先程私がとうもろこしを突き出した時よろしく、後ろ手にポケットをまさぐって何かを取り出した。
その手に収まっていたのは――――宝塔。昨日、私とムラサが野球をして粉砕した筈の……宝塔だった。
「……え?」
人間、もとい妖怪、真に驚いた時こそノーリアクションになるものである。
今の私は実にそんな感じだ。固まったまま動けずにいると、ナズは宝塔を左手で撫でながら唇を動かす。
「はは、驚かせてすみません。ご主人は、そのとうもろこしの事を宝塔だと思っているのでしょう?」
「あ、あははもちろん」思ってないです。
「実はその宝塔……もといとうもろこし、正体不明の種で宝塔に見えているだけなんですよ」
「…………え!?」
え、えと、これはどういう事でしょうか?
責任逃れのために活用しようとした正体不明の種が、持っていた宝塔をとうもろこしにして、いやとうもろこしを宝塔が正体不明の種に……ああややこしい!
「……星。これは、もしかして現世生存ルートじゃない?」
背後から聞こえるその声はムラサ。さっきまで庭の隅っこに居たのに、突然隠れるのを止めて飛び出してきたらしい。
「お、ムラサ船長」
「話は聞かせてもらったわ、ナズ。要するに、星が昨日まで持っていた宝塔は偽物だった――そういう事でしょう?」
「ああ、理解が早いなムラサ船長は。さっきやっとぬえが吐いてね、カツ丼を出すまで自供しないとは中々強情な奴だったよ」
え、ちょっと待ってください。話の流れが速くて着いていけません。
困惑の表情でオロオロしていると、それを見たムラサが苦笑いを浮かべつつ説明を始めてくれる。
「だから星、昨日私達で野球……ごにょごにょをしたじゃない?」
「え、ええ、まあそうですね」
「でも、実はその時から宝塔はとうもろこしだったの。本当は宝塔じゃなくてとうもろこしだったからこそ、TNT爆薬でも壊れなかった宝塔が一撃で粉砕されてしまったのよ!」
「おいちょっと待てTNTとか粉砕とか何の話だ」というナズの抗議を完全に無視して、ムラサはそう説明してくれた。
でも、まだよく分からないところがいくつかある。なお私は頭を抱えながらムラサに問いかける。
「で、でも、とうもろこしだったら、柄杓程度であんなに粉砕しなくありませんか?」
「そう、それなの。私も今思い出したんだけど、この柄杓には水難事故を起こすと同時に、『とうもろこし』を『もろこし粉』に変換する能力があってね」
「どんな能力ですか!?」しかも酷いご都合主義!
そこからはナズも加わって、2人でこの騒ぎについて纏めてくれた。
まず前回私が宝塔を紛失した時、相も変わらずナズがそれを回収してきてくれたのだけれど、どうやらそれがぬえに掴まされた偽物だったらしい。
要するに、ぬえがとうもろこしに『正体不明の種』を植え付けて宝塔に偽装していたのだそうだ。
それから暫くして、普段の宝塔の輝きと比べて違和感を覚えたナズが独自に調査をしたところ事実が発覚し、本物はぬえが持っているという事も同時に分かった……とか何とか。
……最も身近にいたにもかかわらず、何も違和感など覚えなかった私がちょっと恥ずかしい。
ともあれ、そんな裏番組がある事など全く知らない私とムラサは、宝塔(とうもろこし)の野球ボールを、あろうことか『とうもろこし』を『もろこし粉』に変換する柄杓でジャストミートしてしまった訳である。
当たり前のように宝塔――ではなく『とうもろこし』は『もろこし粉』となり中庭へばら撒かれ、それが私達には宝塔が粉砕したように見えた。
これがこの騒ぎの顛末だった。
「それでは……私は生きても良いのですか……?」
事件の一部始終を理解した私の中で、絶望に満ちていた現世を生きる道筋がくっきりと浮かび上がった。
そんな私の問いかけに、ムラサはそっと悪戯めいた笑みを浮かべてくれる。
「まあ、宝塔も無事だったみたいだし、いいんじゃない?」
「……ああ」
その嘆息は、決して幸せを逃がす嘆息ではない。
すっかり捨て去ったと思っていた生きる事への喜び。とうもろこしと共に突き出してしまった現世への執着心。
自然と溢れてくる涙と入れ違いに、それらが私の心の中へ湧き上がってくる。それはとても心地よくて、肩にポンと載っているムラサの手のひらも安らぎを与えてくれた。
「……私の話はまだ終わっていないんですけどね、ご主人」
「ぎくり」
「今の話を聞くに、宝塔で野球をしようとしてたみたいですね。ん?」
と、忘れていた(忘れていたかった)不祥事が再燃する。この流れはいけない。いけないヤツだ。
「そ、それよりナズ! ぬえは今どこにいるのですかっ?」
「……そうやって話題を逸らそうとして。まったく本当に君は……」
「そのフレーズは現世に居るうちに聞かなくても結構ですからぁっ!!」
「……腑に落ちないが、まあいいや。ぬえなら今はインドに居ますよ、というか一輪にそう伝えておいたんですが、聞いていないのかい?」
……え、本当にインドへ旅行に行ったんです?
そのままを質問すると、ナズは「ああそういう事では無くて」と顔の前で手を横に振る。
「ぬえは、この幻想郷の中に居ますよ。まあ、ある意味ではインドですけど」
◇
間欠泉地下センターは、山の神様の指導によって麓に建設されたよく分からない施設だ。
そこには大勢の河童が働いていて、エレベーターを使うと旧地獄の最深部近くまで一気に下りる事も出来てしまうらしい。色々と先進技術が使われているとか何とか。
とまあ、ここまで話してはみたけれど、基本的にこのセンターの話は関係なかったりする。
真に関係があるのは、その横に聖の指導のもと建設された『間欠泉カレーセンター』だ。「このカレーセンターでぬえは働いていますよ、罰としてね」と笑みを浮かべながらナズは私に教えてくれた。
そういう訳で、今私はくだんのカレーセンターにいます。今も働いているであろう、ぬえへの『お土産』を持って。
「……はあ、聖さえいなければなあ。ナズになんか負けなかったのに」
センター内を探し回ってようやくぬえを見つけた時、ぬえは溜め息がちにそんな事を呟いていた。
聞くに、ぬえを捕まえる際ナズは聖の力を借りていたらしい。ナズ単体の力ではぬえを捕まえる事など不可能に近い筈だから、この判断は正しかったのだと思う。ナズの長所は、そういう事を客観的に分析できるところだ。
まあその話はともかく、ぬえは色々文句を言いつつしっかり仕事をこなしているようである。カレーだらけの茶色い職場でよく投げ出さずに出来るものだ。
「ふふ、精が出ますね、ぬえ」
「ひゃあっ!?」
背後からぬえの脇腹をくすぐると、一瞬ぬえは変な声を出して、それから「なんだ星か」と溜め息を漏らした。
私の持つ残念度の高さが垣間見える反応ですね……
「とにかく……今日は頑張っているぬえを労う為『お土産』を持ってきましたよっ!」
「はあ……」
「では、少し場所を移動しましょうか」
私はぬえの手を引っ張って、センター内の食堂まで移動する。
訳が分からないといった様子のぬえも何だかんだ大人しく着いて来てくれたので、サックリと本題に移ることが出来そうですね。
食堂に着いてすぐ、私は給仕さんの河童へカレーを注文する。それを聞いたぬえは「げ」と舌を出した。
「食堂へ行くから何か差し入れでもあるのかと思ったら……結局カレー?」
「と言いますと、最近はカレーしか食べてないんです?」
「というか、ここの食堂メニューはカレー以外ないんだよね」
溜め息がちに、ぬえはそう教えてくれる。
ちらりと壁に貼られたメニューを見てみれば、そこに『カレー』というカタカナ3文字以外は存在しなかった。これ最早メニューじゃないですよね。
それからぬえは毎食毎食カレーである事の苦痛を語ってくれた。「まだ数日しか食べ続けてないけどさ」という自嘲的な呟きから、これは序章に過ぎないのだという彼女の絶望感がひしひしと伝わってくる。
「なるほど、だから『インド』なのですね……」
「……? 何の話よ」
「いえ……あ、カレー来ましたよ。早いですね」
給仕さんの河童が、私とぬえの前にコトリとカレーの皿を置いた。
ぬえの顔からいっそう元気が消え去っていくのが分かる。しばらくカレーを食べていない私からすれば、とても美味しそうに見えるのだけれど。
いずれにせよ、こういうものは食べ方を変えれば美味しく感じられるものだ。という訳で、私は持参の風呂敷から『とある物』を取り出した。
「なにそれ、星……って」
「カレーも『ご飯』だけとは限りませんよ、ぬえ。時には『ナン』で食べるのも悪くないものです」
私はふっくらと焼き上がったナンを、ぬえの目の前へそっと置く。
ぬえは暫く丸い目をパチクリさせていたけれど、少しすると「うぅ……」と声を漏らして、今にも泣いてしまいそうな表情を私に向けた。
「ありがとう、ありがとう星……本当、宝塔をとうもろこしとすり替えたりなんかしてごめんなさいい……」
「いいのですよ、ほら泣いていないで、早速ナンカリーを頂きましょう」
「うん……!」
ぬえは力強く頷くと、一口大にちぎったナンでカレーをすくい、そのまま大きく開いた口へ運ぶ。
と、同時に、ぬえは若干首を傾げた。もぐもぐと咀嚼して喉を通したのち、怪訝な面持ちで私に問いかけてくる。
「ねえ星、その、図々しいんだけどさ……なんかこのナン美味しくないね。ボソボソしてるというか」
「あら、美味しくないですか……? 普通のナンとは違う材料で作ってみたんですが」
「え」
キョトン、とぬえは目を丸くする。
そんな彼女に、私は持ってきたナンをちぎりながら、小さな笑顔を浮かべて言った。
「このナン、もろこし粉で作ってみたんです。ついこの間、もろこし粉がたくさん手に入ったものですから」
何故だか、ぬえの瞳が少しだけ白くなったように見えたのでした。
笑わせてもらいました。面白かったです。
違和感を覚えるとはいえ、とうもろこしからありがたい雰囲気の光が発せられていたかと思うと…
懐かしすぎるwww
屋根の上でアルゼンチンサンバを踊っている厄神様を想像して何故かにやけてしまった。
宝塔だろうととうもろこしだろうと関係ない……ボールを投げろよww
エーミールとか中学に習ったぞw
とりあえずこのうっかり星ちゃんは悔い改めるべきかと
そして釈然としない
面白かったー
あとエーミール語録は今でも胸を抉られる(涙)
宝塔パウダーが妙にツボにきたw
カリフォルニアロールとかすごろくとかこの星ちゃんたち最高すぎるww
狂っていやがるw