七月二十五日 昼前 人間の里
若い夫婦があぜ道の草刈りをする人里の上空、鼻歌を歌いながら里に向かう少女がいた。
雁の群れに正面から突っ込んでゲームでも楽しむかのように紙一重で避けていく。
しかし雁はそんな脅しにはまったく動じない、というよりも脅かされた事に気づいていないのだ。
少女は徐々に高度を下げ、音もなく地上に降りる。
最近ちょくちょくと地上へ遊びに来るこいしが必ず立ち寄るのがここ、寺子屋だ。
窓は開け放たれているのでこいしは背伸びして窓枠に手を掛け中を覗く、誰もいない。
「あれ~?」
いつもなら里の子供がここで勉強しているはずなのだが、いない。
きょろきょろと辺りを見回してみる、いない。
建物の裏に回ってみる、探している子供達はそこにいた。
建物の裏には草むらがあり真ん中に小さな木が生えているのだが、木の周りを取り囲むように子供達が倒れている。
そして木にもたれ掛かって子供達よりも年上の女性が芝生に腰を下ろしていた。
こいしが女性に駆け寄るが女性はまったくこいしには気づかない。
あわてたこいしが自分の上着の首元に手を掛けて引っ張ると上着の中から一匹のゴールデンハムスターが飛び出した。
姉であるさとりがこいしに与えた専属のペットの中の一匹である。
実は彼はさとりから専属ペットとは違う役割も与えられていた、こいしが地上に遊びに行って人間や妖怪に迷惑を掛けないように見張ること、つまりは監視役という事になるだろう。
子供というのは無邪気ゆえに残酷な生き物だ、人間の子供でさえ戯れに自分より小さな生き物命を奪うこともある。
もっとも普通の子供ならばそうする事で命というものがどういうものか学び、戯れに命を奪う事に禁忌を感じるようになっていく、所謂成長するという事だ。
しかし第三の目を閉じてしまったこいしは同時に感情をコントロールする術も失ってしまった。
動物、人間、妖怪問わずその命を奪い、死体を部屋にコレクションする、しかもそれをおもちゃで遊ぶように楽しみながら。
しかしおくうの一件から二~三日過ぎた頃からこいしのコレクションが増える事がほとんどなくなった。
関係があるのかどうかわからないが、さとりは一度だけこいしの第三の目が薄くほんの少しだけ開いているのを見たような気がしていた。
心当たりがあることと言えば守矢神社に出向いて博麗の巫女と弾幕勝負をして初めての敗北を経験した事くらいだったが、やはり閉ざされたこいしの心を解放するには様々な経験をさせるほうがいいという結論にいたる。
それからさとりはこいしの行動にあまり干渉しないことにした、ただ周りに迷惑を掛けてはいけないし心配なので彼を監視役としてこいしに同行させることにしたのだ。
ちなみにこいしも彼が自分の行動を監視して姉に報告してる事は知っている。
散歩から帰って自分と別れた後で彼がどこへ行くのか気になって後をつけたのだ。
彼も、彼の報告を受けるさとりもその場にいたこいしの存在にはまったく気づかなかった。
今まで人に存在を気づかれない事をなんとも思わなかったこいしだが、その時は自分でもわからないなんだかモヤモヤとした気分を味わったのをはっきりと覚えている。
こいしの上着から飛び出したハムスターが座っている女性に飛びつく。
膝から腕を伝って肩にのぼり、後ろ足で立ち上がると彼女の頬に前足を押し付けて力一杯にゆする。
「え、あら、貴方はこいしちゃんの・・・」
どうやら彼女は寝ていただけのようだった。
突然夢の世界から呼び戻された女性、上白沢慧音は注意深く辺りを見回した。
「こいしちゃん、こんにちわ。」
普段ではこいしの存在を知覚する事はできない、姿は見えているのだがこいしに注意を払うという事をしないのだ。
それは道端に落ちているなんの変哲もない小石を見た時の事とよく似ている。
普通に歩いていればいちいち小石に気を配ることはない、しかしその小石に躓いたりなんらかの好奇心がその小石に対して働いた場合に人はその小石を風景から切り出し特別な物として扱う。
こいしの存在を感じる事ができない人間や妖怪もこうして何らかのトリガーがあればその時点からこいしを知覚する事ができるようになるのだ。
だがそのトリガーを必要としない者達も存在する、大人と比べて非常に強い好奇心をありとあらゆる方向に発信し拡散する者、子供である。
子供は道端の小石にも特別な好奇心を抱く、それによって自分の世界にその小石を引き込んでいく。
霊力も妖力も持たない子供が何の特別なトリガーも必要とせずこいしを知覚する事ができる理由がここにあった。
そしてこいし自身もそんな地底の妖怪達とは違う子供達に興味を抱き、最近ここに遊びに来るようになったのだ。
こいしは恥ずかしそうに軽く会釈した。
子供達とはよく遊んでいるのだが年上の女性とはなかなか接触する機会も少なく未だに苦手感は否めない。
「今日は暑いから予定を変えて川に泳ぎに行ったのよ、そうしたらみんな疲れて寝ちゃったみたい、私も最近徹夜仕事が多いからついね。」
「もう少ししたらみんな起こしてお昼にしましょうか、今日はお弁当持ってきたから、もちろん来ると思ったからこいしちゃんの分もあるわよ。」
「えへへ・・・」
はにかんだこいしの隣から突然大きな鳴き声が聞こえた。
こいしがなんだろうと思う間もなく泣き声の主はこいしに抱きついて嗚咽を漏らす。
「え、どうしたの?」
「こわかったの、ようかいみたいなおひさまがね・・・ここにおちてきて・・・さとこもあきちゃんものぶちゃんもけーねせんせいもみんなたべられちゃったの・・・」
「怖い夢見たの?」
こいしの上着の袖をぎゅっと握り締めた女の子は震えながら頷いた。
「そっか、でも大丈夫。怖い妖怪がここに来てもこいしがやっつけてあげるから、ね。」
「ほんとに?」
「ほんとだよ、こいしはお姉ちゃんよりもずっと強いんだから。」
最近巷で話題になっている二つ目の太陽、恐らくその話を聞いた子供が夢に魘(うな)されていたのだろう。
恐ろしい力を持っているのは纏っている妖気ではっきりとわかるが何を考えているの何が目的なのかまったくわからない、こいしを初めて見た時の慧音の印象。
目的がわからない相手というのはもっとも警戒すべき相手である、敵なのか味方なのかもわからないのだから。
しかし毎日子供達と接している慧音も驚くほどすんなりと子供達に溶け込んで仲良くなったこいしを見て当初の不安はすぐに払拭された。
「じゃあごはんの時間までもう一回お昼寝しよ、今度は怖い夢みないようにこいしが一緒に寝てあげる。」
子供の隣に寝転んで指切りをするこいしを見る慧音は妖怪も人間も子供は同じなんだなと思った。
そういえば以前に命蓮寺の住職と会った時に人間も妖怪も同じだと言っていた、それを聞いた時はそんな馬鹿なと思ったが今のこいしと子供を見ているとそれが少し理解できたような気がした。
七月二十七日 昼時 紅魔館内貴賓室
目を覚ましたこいしはきょろきょろと辺りを見回した、見慣れない景色、地霊殿と似ている雰囲気があるものの地霊殿にはこんな部屋は無かったはずだ。
自分にかけられていたシーツを跳ね除けて上半身を起こし、なぜ自分がここにいるのかを考える。
思い出した、里の子供との約束を守るため姉と一緒にあの太陽をやっつける為の会議に出て退屈し、ここにきて新しく出来た友達フランと遊んでいて遊びつかれて寝てしまったのだ。
するべき事を思い出したこいしはまだ寝ているフランを横目に貴賓室を抜け出した。
抜け出したはよかったが案内がいないとどっちへ向かえばいいのかさっぱりわからない。
とりあえずこいしは気の向くままに館内を探すことにした。
七月二十七日 昼時 守矢神社上空
ほんのわずかに感じる懐かしい神力を頼りに早苗は目的地に向かっていた。
目的地はもちろん二つ目の太陽が存在するところ、恐らくそこにいるであろう二柱に会い、真意を問いただすのが目的だった。
風を操り自在に空を翔る事ができるようになったのはいつだったか記憶していない、自分が果たしてどこまで高く飛べるかなど考えた事もない。
それを記録として残すのであれば恐らく今が新記録だろうがそんな事を考える余裕はない、高みへ上りすぎて何か身によくないことが降りかかるかもしれない不安を感じる余裕すらない。
どれほど上へ向かったかわからないが、漸く目印になるものが見えてきた。
それはあの時に見たのとは印象がまったく違っていた、あの時に見たものは表面は波打っているものの大まかには単なる球体だった。
しかし今目の前に迫ってきたそれはまったく様相が違う、灰色の何かがそれを縛るように幾重にも巻き付いている。
「あれは・・・?諏訪子様の・・・?」
早苗の全身から汗が吹き出る。
怨霊が発する熱、自分の周囲に風を纏わせて軽減してはいるが完全に防ぐことはできないほどの高熱。
近寄るにつれ、気を抜けば意識が飛んでしまいそうな熱気に苛まれるが早苗は止まるわけにはいかなかった。
やがておぼろげだった二つ目の太陽がはっきり見えるほどの距離に接近する。
見た瞬間に早苗が予想した通り、巻きついていたのは諏訪子が操るミシャグジ様だった。
懐かしい人影も見える、実際に顔を合わせなくなって半月余りしか経っていないはずなのだがとても懐かしく感じる。
初めに気づいたのは諏訪子だった。
「え?早苗がなんでここに?!」
諏訪子は胸の前に両手をかざし、ミシャグジに神力を分け与えているようだ。
ミシャグジ自体も強大な力を持つ祟り神であり、多少の事であれば諏訪子が指示するだけでもこなしてしまう。
多少の事、といっても町ひとつふたつを滅ぼしてしまう程度に多少の事、であるが。
こうして絶えず諏訪子自身の力を与え続けるというのは尋常な事ではない、早苗もそれは知っていた。
諏訪子の声で神奈子も予想外の来客に気づいたようだ。
神奈子は神奈子で最近は滅多に見せない完全な戦闘態勢を整えている。
傍に寄らずとも軍神としての格が早苗を圧倒する、いつも神社で見ていた二柱ではない、実際にここへ来てはっきりとそれを感じた。
「早苗、何をしにきたの?早く地上へ戻りなさい。」
荘厳な神奈子の声、早苗もこんな神奈子を見るのは初めてなので少々怯んでしまうがここまできて来て目的を果たさずに黙って戻るわけにはいかない。
「戻りません、お二人が何をなさろうとしているのか教えて頂くまでは戻れません!」
「早苗はそれを知ってどうするのさ?私と神奈子が幻想郷を灰にしようとしてるって言ったら止めるの?早苗ごときの力で止められるの?」
早苗は絶句する、諏訪子の言葉は早苗の想像を遥かに超える内容だった。
「早苗、貴方には貴方の役割があるの、私の巫女としてではなく幻想郷の現人神としてのね。」
「でも早苗は私の巫女だけどね。」
神奈子の言葉に悪戯っぽく口を挟む諏訪子。
「この際どっちの巫女でも同じ事、もし信仰する神が狂神に堕して悪を働くようになったらそれを鎮める巫を行うのも巫女の務め。」
「そんな!なぜそんな事をする必要があるのですか!」
「もう後戻りはできないの、その為に貴方に風祝の力を残してある事に本当は気づいているんでしょう?」
そうなのだ、早苗が一番腑に落ちなかった点。
もし二柱が自分を完全に蚊帳の外にして邪魔させないようにと思えば自分の力を奪う事もできるはずなのだ、早苗の風祝の力は神奈子が与えている(本当は諏訪子なのだが)のだから。
「それは、私にお二人を倒せと言う事でしょうか。」
声を絞り出す早苗、二柱を直視する勇気が持てずに視線は地上に向けている。
「そう、それとこの厄介なシロモノもなんとかして貰わないと困るわね。仮に私達を捻じ伏せる事が出来たとしてもこれを放置したら結果は同じ事よ。」
「でも無理だね、早苗一人じゃ私のミシャグジ一匹にも勝てないと思うよ。自分でもわかってると思うけどさ。」
「私は・・・何をすれば・・・」
「簡単な事、あの時に言ったはずよ。私達を止められるだけの強い力を集めなさいって。それが今、貴方が行うべき役割。」
「自分の役割を果たしなさい早苗。それが今の私と神奈子の望みなのよ。」
「わかりました、それがお二人の御指示であれば・・・従います。」
何も考えられない、頭の中まで怨霊の熱にやられてしまったかのようだ。
先の事は考えられないし後戻りはできない、もう考えるより先に前に進むしか道は残されていなかった。
二柱がそうしろというのであればそうする、巫女の務め、古代において巫女が狂った神を鎮める行為はさほど珍しい事ではない。
信仰が失われ神職につく者ですら神の存在を心の底では否定するようになった外の世界、巫女の勤めは参拝客相手に作り笑顔を振りまいての商売や境内の掃除が主になってしまった。
本来の巫女の務めとはもっと神の存在と密着し、時に称え時に畏れ時に鎮める、そんな巫女と神の古い関係を諏訪子から繋がる早苗の血が思い出したのかもしれない。
「いい子だね早苗、いい働き期待してるよ。」
「必ず、私は・・・!」
漸く二柱に視線を向けた早苗、しかしその視界に入ったのは禍々しい赤黒い恨みの一色だった。
「早苗えええぇぇぇぇ!」
諏訪子の絶叫はもう早苗の耳まで届かなかった。
球体から剥がれ落ちた怨霊の一部が早苗の体を包みこみ、そのまま地上へ落下していく。
「神奈子!」
「ダメだ!今あいつをやったら早苗も危ない!」
諏訪子の手元から石のような蛇が現れて早苗を包んだ怨霊に取り付くが落下を止めることはできない。
「ギリギリでなんとか一匹取り付かせた、完全に無事では済まないだろうけど早苗だったら死ぬような事もないはずよ。」
二人は思わず同時に溜め息をついた。
「まいったねぇ、まさか早苗が一人でここまで来るとは思ってなかったよ。」
「私はそんな気がしてたよ。意外とそういうところあるからねぇ。なんたって私の子孫だし。」
「でもこれで早苗も自分の役割をわかってくれたかしらね。」
神奈子は一瞬で姿が見えなくなった早苗の方向を見て心配そうに呟いた。
七月二十七日 夕刻 紅魔館内魔法図書館
紅魔館をあちこち彷徨ったこいしがなんとか会議場に戻った頃にはもう会議も終盤に差し掛かっていた。
こそこそとさきほど座っていたさとりの隣に座りなおす。
「計算の結果、物理的な力であのレギオンを一度にすべて分解する為には六万メガトンの力が必要という事になります。」
紫が河童から取り上げた計算機を弾きながら答えた。
しかし場にいるほとんどの者は紫が使っている道具が何なのか、六万メガトンの力がどれほどの物なのかもわかってはいない。
「紫様、ちょっとわかりにくいです。六万メガトンとは具体的にどのような力なのでしょうか。」
「そうねぇ、例えば空にこの幻想郷と同じくらいの大きさの星があるとして、それが落ちてきた時の衝撃がそれくらいかしら。」
「あの、もっと実感がわかないんですが・・・」
「あら、藍にはまだちょっと難しいかしら。」
紫は困ったような顔をしている式を見てクスクス笑っている、もう妖怪の賢者の威厳を示す事はいつの間にかやめてしまったようだ。
「とりあえず現実的ではない、と思ってもらって結構。いくら鬼の怪力でも空の星を砕く事はできないでしょう?」
紫が巫山戯た調子なので仕方なく永琳が代わりに仕切る事にする。
「うーん、やった事はないからやれるかどうかは正直わからんな、山くらいなら簡単に崩して見せるんだが。」
「勇儀の馬鹿力ならできるかもねー、私には無理だと思うけど。」
いつの間にか勇儀の隣に移動してきていた萃香がケタケタと笑っている。
この二人は明らかに会議を始めた時よりも酒臭い、会議中もずっと飲んでいるのだろうか。
「え、でも萃香は伝承に残ってなかったか?天蓋を真っ二つにしたって。」
勇儀は不審に思った、確か萃香にはそういった伝承があったはずである。
「伝承は伝承、時に事実とは違う場合もあるんだよ。」
なるほどそんなものか、勇儀は妙に納得しなような気がしてまた黙って話を聞く事にした。
「絶対に失敗するわけにいかない作戦なので【できるかもしれない】という方法を採るわけにはいきません。なのでここはもう一つの方法、高熱で分解するという方法を採りたいと思っています。」
「ちなみに熱による分解を試みた場合に必要な熱量は瞬間的に24ペタジュール、これを瞬間的にぶつける事ができれば分解は可能という計算ね、まあきっとわかってくれてないとは思うけど。」
紫が計算機で藍の頭を軽く小突く。
口を尖らせて紫のほうを向いて何か言いたそうにしている藍だが、確かに紫の言うとおりわかっていないのだから反論の余地などなかった。
「重要なのはその熱量を出す事が可能かどうか、という事ですが可能という計算なのですよね?」
真剣に話を聞いていたさとりはハッとした。
ここは狭い空間に大勢が集まっているので心が読みにくい、しかし今の心の声ははっきりと感じた。
さとりは自分のペットの事を全面的に信頼している、だがさすがに今回は荷が重過ぎると思った。
「今集まってもらっているメンバーの中で、特に高熱を出すスペルが得意なメンバーの力を集めて収束させれば計算上は可能です、ロスを考えたら正直もう少し余裕が欲しいところではありますが。」
「だったらもっとたくさん集めたらいいんじゃないのか?妖精だって数え切れないほど集めたら少しは足しになるだろ?」
大きく背伸びをしながら、魔理沙が意見する。重大な話なのはもちろんわかっているがさすがにそろそろ退屈になってきているようだ。
「数が多いだけではダメなのよ、正確に収束させる為には数が多すぎてはやりにくいの。拡散させてしまったら逆に効率が落ちてしまうわ。」
「へー、なんだかよくわからんな。」
「魔力を一本の線に収束させるのは貴方もよくやっているでしょう?それが分散したら正面の破壊力が減衰するのと同じよ。」
「あー、それならなんとなくわかるぜ。んで、結局のところ誰がやるんだ?」
「作戦の中心になるメンバーはパチュリーノーレッジ、霊烏路空、古明地さとりの三人、残りはこの三人のバックアップに回ってもらう事になるわね。」
「パチュリーと空はわかるとしてなんでさとりなんだ?」
魔理沙の疑問はもっともだった、地霊殿では散々苦しめられたしさとりの強さはわかっているが炎や熱とは結びつかない、むしろ精神的な攻撃が得意なはずである。
「私が使うのは想起ですね。しかしおくうにそんな大役ができるでしょうか。」
もちろんさとりは空を信用していないわけではない、しかし空はさとりにとって子供のような存在、やはり心配になってしまう。
「そうね、あなたが心配する気持ちはわかるわ。でも空さんは今回の作戦の核になる存在、絶対に外せないの。」
「そうですか、わかりました、おくう共々善処させていただきます。」
「では、ここまでで質問はありますでしょうか?」
永琳の声にこたえる者はいない、永琳、パチュリー、紫の三人が相談して決めた作戦だ、異論の余地などない事は明白である。
「無いようであればここまでとします。作戦決行は八月七日十九時から、ギリギリですが妖怪の力が一番強まる満月を選びます。」
「失敗したらもう後は無いって事ですね。」
作戦の主役の空はプレッシャーを感じているのか声がやや震えている気がする。
「そうです、失敗は許されません。失敗すれば幻想郷どころか外の世界までも巻き込む未曾有の大災害に発展しかねません。」
「じゃあ解散しましょう、各自ちゃんと時間に集まってね、集合場所はここの中庭だから。」
紫の言葉にレミリアがムッとする。
「ちょっと、今日の会議はいいけどそんな事まで許可した覚えはないわよ。」
「いいじゃないのそれくらい、世界を救うヒロインの前線基地になるのよ。光栄に思ってもらわないと。」
「仕方ないわね、もうこうなったら最後まで面倒見るわよ。」
紫と言い合いをしても恐らく無駄な時間を過ごすだけになるのはレミリアもわかっている、それ以上追求はしなかった。
「(世界を救う大役、これを無事に果たす事は私の贖罪になるのかしら。)」
空はそんな事を考えながら地底に帰ろうと立ち上がった空は突然バランスを崩して尻餅をついた。
見渡すとよろけたのは空だけではないようである。
「何?今の地震?!」
「お嬢様!外で何かあったようです!」
早苗を送って行った美鈴が会議場へ駆け込んできた。
「あら、美鈴やけに早いじゃない。ちゃんと早苗を送って行ってくれたの?」
「いや、早苗さんは行くところがあるからって館を出てすぐにそこで別れたんですよ。」
「え・・・バカ!何の為に貴方を付かせたと思ってるの?!」
「へ?」
「早苗が行くところったらあの二柱のところに決まってるじゃないの!」
「あ・・・!」
「とにかく、早苗を探しましょう、いえ、その前に外で何かあったってなに?!」
ここまでずっとカリスマを保ってきたレミリアが狼狽し慌てふためく。
「わかりません、行ってみます!」
「私も行くわ!」
その場にいた全員がただ事ではない空気を感じレミリア美鈴について外へ飛び出した。
七月二十七日 黄昏時 紅魔館南の空き地
「何よこれ・・・」
すでに日が沈んだのを確認して日傘を畳んだレミリアは目の前の光景に絶句した。
紅魔館を囲む湖を出てすぐの幻想郷中心部へ向かう平原、そこに見た事のない大穴が開いている。
穴の直径は4mほど、周辺には大小様々な岩が飛び散っている、大きな岩の塊がどこかから落ちてきたのだろうか?
実際に覗き込んでみると広さに対して深さはさほどでもなくせいぜいレミリアの身長と同程度。
これは自然に出来た物としては明らかに不可解である。物理学や数学には疎いレミリアでもこれが自然の現象でできた物でない事は容易に想像できた。
穴の中にもいくつかの岩が散らばっており中心には黒い油のような粘液が溜まっている。
他の者達もやってきて一様に穴を覗き込む。
突然黒い粘液が盛り上がった、身構える一同、しかし予想を裏切って中から出てきたのはよく見知った人物で全員拍子抜けする。
「早苗?!」
レミリアが素っ頓狂な声を上げる、無理もない。
「あ、皆さん・・・」
「早苗、二柱のところへ行ったんじゃないの?」
「はい、行ってきました。でも追い返されてしまいまして。」
「追い返されたはいいけどよく無事だったわね、見たところ相当の高度から落ちてきたはずだけど。でもこの穴もそれにしては不自然ね。」
「そうです、でもミジャクチ様が守ってくださったので。」
「まあ、話は後でもいいわよね。早く上がってきなさいな。」
「あはは、それが流石にちょっと体中がガタガタで力が入らないです、手伝ってもらえませんか。」
「巫女ってのはみんな世話が焼けるもんだねぇ。」
ボヤキながら助けに行った萃香に霊夢が少しムッとしたような表情を浮かべた。
「ほら、捕まって。」
萃香がまだ粘液に半身浸かったままの早苗に手を伸ばす、がそのまま何かに足元を掬われて倒れてしまった。
「きゃ!」
先ほどまで真っ黒だった粘液のような物がおぼろげに赤く光を放つ。
それは熱気を放ちはじめ、10メートルほどの大きな人型のような形をとった。
「これ、まさか・・・」
「はい、これがきっと二つ目の太陽の破片です、追い返されるときに捕まってしまったので。」
早苗は落ち着いていたが実際そんな場合ではない、彼女の体は人型のちょうど右手首の辺りに肩まで浸かるような状態で埋まってしまったままなのだ。
禍々しい、形容としてはそれしか浮かばない姿。
赤黒い全身はところどころ脈打ち、全身いたるところに顔のような物が見える、その顔はすべて苦悶の表情を浮かべていた。
「ちょっと!なんで早苗があんな事になってるの?!あいつらグルじゃなかったの?!」
狼狽して隣の魔理沙に食ってかかる霊夢、まったく予想していなかった光景が目の前で起こっている事に浮き足立ってしまっていた。
「そんな事私に聞かれたって困るぜ、グルだってのもお前が勝手に思ってるだけだろ?」
「いいから助けないと!霊符・・・」
魔理沙を押しのけて霊夢の隣に入り込んだレミリアが幣を持つ霊夢の手首を掴んで抑える。
「ちょっとレミリア邪魔しないで!」
「落ち着きなさいな、この状況でそんな事したら早苗もタダでは済まないわよ。」
足元を掬われて巨大な人影の足元に転がっていた萃香が起き上がって不敵に微笑んだ。
「つまり私の出番って事だね、鬼符!ミッシングパワー!」
萃香がどこからともなく取り出したカードを後ろ手に放り投げる。
カードは淡い光を放ちながら空気に溶け込むように消えた。
カードが消えると同時に萃香の体に変化が現れる、彼女の能力は密と疎を操る程度の能力、それを自分の体に使えば大きさを変化させる事など造作ない。
見る間に目の前の人型と同じくらいの大きさに膨れ上がった萃香が人型に掴みかかる。
相手の両腕を掴んで力をこめる萃香。
「きゃぁ!」
早苗が短い悲鳴を上げた、落とし穴に落ちるようにずるりと人型の中に埋もれ、今は左足だけが埋まった状態で宙吊りになってしまっていた。
勇儀が叫ぶ。
「おい萃香!何やってんだよ!まずその子を何とかして助けないと!」
「わぁってるて、見てな!」
萃香は両手で人型の右腕を掴んで腹の辺りに自分の右足裏を押し付ける。
「そらよっとぉ!」
掛け声と共に勢いよく人型の右腕を引きちぎる、引きちぎった右腕を足元にいる勇儀の前に置いた。
勇儀は埋まっている早苗の足の両側に思い切り自分の両腕を突っ込んだ、勇儀の自慢の筋肉が盛り上がる。
「うあああああああああああああああああ!!」
気合とともに勇儀が両腕を左右に開くと人型の腕が真っ二つに割れる、割れた腕はそれぞれさらに細かい四つと五つの破片に分かれて何処かへ飛んで行ってしまった。
「あ・・・ありがとうございます。」
それだけ言うと早苗は気を失ってしまった、さすがに緊張の糸が切れたのだろう。
急いで永琳が早苗の傍らにしゃがみ込み、その様子を見る。
「命には別状なさそうだけど、さっきの衝撃で足が折れてるかもしれないわ、永遠亭に運んで詳しい検査をしてみるわ。」
「もちろん、そう言うと思って準備はできてるわよ。」
すぐ後ろで紫が隙間を開けて待っていた。
その隣ではお燐がどこから持ってきたのか、猫車のハンドルを持って待機している。
「あたいの猫車は死体専用だけどおねえさん大変な事になってるみたいだから今回は特別よ。」
「藍!手伝って!」
「はい!」
紫に呼ばれた藍と永琳が早苗の体を慎重に猫車に乗せる。
「(このおねえさん、ここにいるんだから自分でやればいいのに。)」
そんな事を思っていたら薄ら笑いを浮かべる紫と目が合って驚いたお燐の尻尾がピクン!と跳ね上がった。
「じゃ、じゃあ行ってくるにゃ!」
お燐は紫から逃げるように慌てて隙間に飛び込んだ。
「ちょっと、ケガ人なんだからもっと大事に運んでちょうだい!」
永琳もあわててお燐の後について隙間に飛び込んでいった。
「こいつ、木偶の坊のクセになかなかの力だよ・・・!」
萃香が引きちぎったはずの腕はすぐにまた再生した、それよりも驚いたのは組み合った萃香が本気で力を入れているにも関わらずまったく体勢を崩せない事だ。
ミッシングパワーを使った巨大化はあくまで自身の体の密度を操っているだけで、大きくなるというよりも広げるといった方が適切である。
広げれば隙間が大きくなりその分だけ力は落ちる、ある程度は周囲の有機物などを変化吸収させて補う事もできるが完全に大きさに比例して力が強くなるわけではない。
とはいえ妖怪とは桁外れな怪力を誇る鬼である、巨大化で弱くなった分を差し引いても目の前の人型を押し切れない事が俄かには信じられなかった。
「これはきっついねぇ・・・」
力比べの体勢でしばらく均衡を保っていたが萃香が徐々に押され始めた。
余裕そうに装ってはいるがその実、かなり焦っていた。
今まで色々な相手と力比べをしたことがあるものの同じ四天王以外に負けた事は一度も無い、そんな自分がこうも簡単に押されているのだ。
「萃香!肩貸しな!」
駆け寄ってきた勇儀が萃香の肩に飛び乗った。
「もうちょっと寄って!こんな胡散臭いやつは私がぶっ飛ばしてやるよ!」
萃香は腕にこめた力をフッと抜いた、意表を疲れた相手が体勢を崩す隙を見逃さず突進し腰のあたりを抱え込む。
「よし、上手い!」
萃香の肩に登り、大きく拳を振りかぶって待ち受けた勇儀の目の前に赤黒い壁が立ちふさがる。
「でええええええぇぇぇぇい!!!」
振りかぶった拳を目の前の壁に突き刺すが何も起こらない、その場の誰もがダメだったのかと思い次の手を考え始めた、勇儀と萃香を除いて。
ミシミシと何かが軋むような音が静寂を破る。
勇儀が拳を突っ込んだ辺りが膨れ上がっている、さらにもう一度、今度はさらにハッキリと音を立てて膨れ上がる。
「ふんっ!」
さらに勇儀が気合と共に腕に力を込めると目の前の禍々しい壁を内部から突き破り無数の鬼気の塊が四方八方へ飛び散った。
内部からバラバラに破壊された怨霊は彼岸へ向けて飛び去り、後には地面に穿たれた大穴だけが残されている。
「へへん、四天王奥義三歩必殺。こいつをまともに食らって無事だった奴はいないってね。」
「(何これやっば、地底で戦った時にこいつ本気だったら間違いなく私が死んでたぜこれ・・・)」
魔理沙が恐れるのも無理は無い、鬼の本気など早々見られるものではないのだから。
とりあえず目の前の厄介ごとは片付いた、そうなると当然次に気がかりなのは早苗の事である。
「早苗は大丈夫なのかしら。」
霊夢が誰に言うとでもなく漏らした声を紫は聞き逃さなかった。
「ん~、心配なら今からお見舞いに行ってみる?それなら送ってあげるわよ。」
「べ、別に心配してるわけじゃないわよ・・・」
何かにつけて紫は霊夢をからかうのだが霊夢は一向に慣れる事がない、今も顔中真っ赤にしているのが実にわかりやすく早苗を心配しているのが見て取れた。
「大丈夫よ、私が見たところ死ぬような事はないわ。それに今行っても邪魔になるだろうから明日にでも行ってらっしゃいな。」
「だから行かないってのに・・・」
「霊夢には明日早苗のところに行ってもらうとして、一つ問題が発覚したわね。」
「ん、問題って何よ?」
パチュリーまでもそんな事を言い出したがもう霊夢はイチイチ反撃するのも面白がられるだけだと思って反論するのをやめた。
「怨霊が発する熱が予想以上に高かった。あれでは熱に強い地底の妖怪以外は近づいたら攻撃する前に熱でやられてしまうわね。」
「それは紫がなんとかできるんじゃない?こないだも自分だけ涼んでたみたいだし。」
「一人二人なら境界で熱を防ぐ事もできるわよ、でも大勢は流石に無理ね。逆に何か大きな物があればそれを境界で切り離して安全な空間を作る事ができるけど。」
「ロケットを使ったら?月に行った時のアレ。」
「ロケットはダメね、あのエンジンは空中で静止できないし何より今から準備したのでは間に合わないわ。」
霊夢とパチュリーのやり取りを聞いていて心当たりのある人物が二人いた。
聖輦船の船長村紗水蜜と命蓮寺の住職聖白蓮である、口を開いたのは白蓮の方だった。
「あの、それならば聖輦船を使えばいいのではないでしょうか。」
「なるほど、聞いた事があるわ、それなら使えそうね。是非お願いするわ。」
「わかりました、当日ここへ来るよう手配しておきます。」
「さとり様、どうしました?」
さとりはその場にしゃがみこんで口元を押さえていた。普段から地底で暮らす彼女はお世辞にも血色がいいとは言いがたいがそれにしても顔色が悪い。
そんなさとりの顔を心配そうに覗きこむ空。
「大丈夫です、久しぶりに地上に来たので少し空気に酔ってしまいました。」
すぐに普段の調子に戻ったさとりに安心する一同、しかし妹のこいしだけはそんなさとりの様子を見て何か難しいことを考えているようだった。
七月二十七日 夜分 命蓮寺
命蓮寺の檀家は人間も多いが妖怪も少なくない、必然的に説法は昼と夜の2回に分けて行われる事が多い。
ほとんど無い事だが、稀に白蓮が不在の時は所化として一輪が行う場合もある。
今夜もそのつもりで一輪が支度をしていたのだがちょうど白蓮が帰って来たので今は白蓮が説法を行っていた。
村紗はいつも夜の説法を楽しみにしている、まだ仏法に対する理解も浅く白蓮の言葉の半分も理解はできないが、慈愛を含んだ白蓮の声を聞いているだけでも安らかな気持ちになれるような気がした。
今日も本堂の最前列で白蓮の説法を聞いていたが、今日はなぜか心ここにあらずといった風でまったく上の空だった。
「と言うところで、これにて今日のお話を終わらせて頂きます。」
いつも決まり文句のような閉めの文句を聞いて皆、それぞれ帰っていく。
後に残されたのは村紗と白蓮、白蓮は正座したまま考え事をしているような村紗に声を掛けた。
「村紗、ひょっとして船の事で悩んでいるのですか?」
図星だった、やはり白蓮はすべてお見通しである。
「はい、今でも観光で聖輦船を動かすことはありますが今回は戦ですので勝手が違います。」
「聖輦船を失うのが不安なのですね。」
「私自身、聖に授かった聖輦船を失えば今の自分を保てなくなってしまう事に不安はあります。でもそれ以上に命蓮寺が無くなってしまったら私も含めてここへ来ている者達が路頭に迷ってしまうのではないのかと・・・」
「なるほど、貴方の考えはわかります。では伽藍というものが何のために存在するのか考えた事はありますか?」
「伽藍、命蓮寺そのものですか。」
そういえば過去に聖の説法で聞いたような記憶がある、一生懸命に記憶の山を辿るが思い出せない。
「申し訳ありません、聞いたような記憶があるのですが。」
「あら、先週の説法でお話したのにもう忘れてしまったの?寂しいわね。」
すねた様な聖の態度に恐縮しきりな村紗。
「仕方ないわね、でも貴方にはまだ少し難しい話だったと思うわ。」
聖は真面目な顔に戻る。
「伽藍と言うのは本来仏の教えを聞きに来る者、仏に帰依して修行する者を守る為の建物にすぎないの。外の世界では伽藍仏教みたいな建物自体に神聖性を持たせる考え方が横行しているようだけどこれは完全に間違いね。」
「もっと言うと釈尊の説いた自灯明・法灯明の理(じとうみょうほうとうみょうのことわり)、これに照らし合わせたら偶像崇拝も本来間違った方策なの。」
「え、でも命蓮寺にも仏像がありますよね?」
「ええ、でも私は仏像そのものが信心の対象だと説いた事は一度も無いわよ。仏像を置くのは単なる目印、ここが道場であるという形式的な物よ。」
「なんだかよくわかりません、じゃあ命蓮寺も仏像も信心の為に本来は必要無いという事ですか?」
「無いと困るのは確かよ、特に命蓮寺はね、最初に言ったように信徒を守る為の建物だから。でもそれ以上でも以下でもない。」
「難しいですね、必要ないけど必要という事なのでしょうか。」
「もっと単純に考えて、伽藍なんて所詮ただの建物だから壊れたらまた立て直せばいいのよ。それに命蓮寺は人を守る為の伽藍なんだから、その為に壊れたのであれば本望だと思うわ。」
それでも村紗にはまだ不安があった、命蓮寺は壊れたらまた立て直せばいい、それは理解できた。
しかしそもそも自分が救済されたのは聖輦船によるところが大きい、これを失ってしまえばまた以前のように恨みの念に縛られた悪霊に戻ってしまうのではという不安。
そんな村紗の不安を察した聖がうな垂れている村紗の頭を抱きしめた。
「え、聖?!」
村紗は真っ赤になって振りほどこうとするが聖は離さない。
「大丈夫、貴方に何かあっても私が責任を持って救済するわ、貴方ももうここの家族なんだから。」
「わかりました、わかりましたから離してください!」
村紗を解放した聖は菩薩のような慈悲深い笑みを浮かべている。
「じゃあ、村紗船長。聖輦船の事はお任せするわね。」
もう不安はない。村紗は聖の期待に応える為、自分にできるすべてを出し切る決意を固めた。
それと、今後は少しだけいたずらの回数を減らす努力をしようなどとも思っていた。
七月二十七日 夜分 永遠亭
「鈴仙!てゐ!」
猫車を押しながら長い廊下を歩くお燐、永琳はお燐を案内しつつ早苗の状態をチェックしている。
「なんですか?お師匠様今日は紅魔館だって言うものだからパーティーで朝帰りだと思ってましたが。」
のんきな事を言いながら鈴仙が自室から出てきた、すっかり寛いでいたようでまったく緊張感が無い。
しかし永琳の険しい表情と後ろについてくるお燐の猫車に乗せられている早苗を見てすぐにただ事ではないと悟った。
「左足骨折してるかもしれないわ、あと火傷が左足DDB5%、上体首筋から右肘までEB、あと全身打撲もあるかもしれないから慎重に扱って、とりあえず局部麻酔とX線撮影の準備を、てゐはいないの?!」
「ん~、お師匠様今日は帰ってこないんじゃなかったですか。」
てゐが目を擦りながら自室から這い出てきた、こっちは寛いでいたどころか完全に寝ていたらしい。
「てゐは抗生物質、親水コロイドと念のためアルブミンの用意!」
「へ、お師匠様やけどしたんですか?」
「いいから早く!モタモタしない!」
「はい!」
てゐも漸く緊急事態であることが飲み込めたようでバタバタと治療室に駆け込んでいった。
「そこを右に曲がって突き当たりの部屋、あわてないでゆっくりね。」
「あいよ、任せて。」
二人が治療室についた時にはすでに鈴仙とてゐが粗方指示された準備を終えていた。
ダラダラしているに見えても常日頃からの永琳の指導が生かされているのだろう。
永琳と鈴仙がやや窮屈な猫車から治療室のベッドに早苗を寝かす。
永琳はなんだか見た事のない機械をいじり始め、鈴仙は水?薬?よくわからないが濡れた布で丁寧に早苗の左足を拭いている。
「見た目ほど深くはなさそうです、これなら切開の必要は無いですね。」
「そうね、てゐの方はどう?」
「ん~、上体の火傷は面積が広いけどごく軽度です、打撲もそんなに無いです、右肘がやや腫れてますね、あと思ったより裂傷が多いです。」
「じゃあてゐはすぐに傷の消毒と火傷の冷却を、鈴仙は現像にいって。」
「(おねえさん達、本物のお医者さんみたい・・・)」
お燐はてきぱきと動く三人の姿に圧倒されていた、そして段々自分がここにいるのが邪魔なのではないかと思い始める。
「じゃあ、あたいはこれで戻ります。」
「待って、貴方もてゐを手伝ってあげてちょうだい。」
「へ、あ・・・はい。」
お燐は恐る恐る早苗の腕に触れようとする、死体に触るのは慣れているし死体を運ぶ事も好きだが、自分から進んで命を奪うような事は実際あまり好きではない。
そんなお燐だからこそこのような切迫した状況で自分が手を出す事になんとも言えない不安感があった。
「先にそこで手を洗って、ちゃんと石鹸つけてよ。」
「はい!」
てゐの指摘に焦ったお燐は弾かれたように手洗い場に駆けて行った。
「あら、輝夜どうしたの?」
一息つこうと治療室から診察室に来た永琳を待っていたのは永遠亭の姫、蓬莱山輝夜。
診察を受ける患者用の席に座り、デスクの上の麦茶を飲んでいる。
「どうしたも何も大変そうだからお茶持ってきて待ってたのよ。あんまり待たせるもんだからぬるくなっちゃったけどね。」
「そう?ありがとう。珍しく気が利くじゃないの。」
「お酒のほうがよかったかしら?」
「お茶でいいわ、もう大丈夫だとは思うけど念のため私も今夜はここで待機するつもりだから。」
輝夜は永琳が持ったコップにややぬるくなった麦茶を注ぐ。
「どうなの?なんか大騒ぎだったけど。」
「大丈夫よ、火傷も思ったより軽いし、骨折もあるけど綺麗に折れてたからすぐ繋がるわね。彼女が頑丈なのか、彼女を守ったっていうミシャクチがすごいのかはわからないけど。とりあえず今夜は鈴仙とてゐに交代で診てもらうことにしたわ。」
「ふぅん、でもミシャクチって敵じゃなかったの?」
輝夜は日ごろからほとんど外に出ることは無い、幻想郷ではもう隠れる心配が無い事がわかったのだが長い年月ずっと隠れていた者がじゃあ今日から外に出るという事もなかなかに難しい。
ずっと身の回りの世話は永琳や兎が行ってくれるのでがそもそも自分が何かしようと思っても何をすればいいか思い浮かばないのである。
それでも最近は盆栽の世話などを始めたり、自分から妹紅にちょっかいを出しに行く事も多くなってきた。
そんな具合で竹林の外の事情には疎いのだが大方の話は永琳などから聞いているので多少は理解しているつもりだ。
「複雑な事情があるみたいね、やっぱり一筋縄でいくような件ではないわ。」
「作戦はどうなの?今日会議だったんでしょ?上手く行きそうなの?」
そんな話をしているとてゐがやってきた。
てゐは診察に訪れた患者の順番待ち用の丸椅子を持ってきて手近なビーカーを手に取るとぬるくなった麦茶を注いだ。
「こら、てゐ。そういう事はダメだっていつも言ってるでしょう。」
「だってコップが二個しかないんだからしょうがないじゃん、あたしも今日はしっかり働いて疲れてるんですよ。地獄猫はオロオロしちゃってたしー、交代までのんびり寛がせてもらいます。」
いつも通りの減らず口にやれやれといった表情を浮かべる永琳。
それを見て輝夜は口元を手で押さえて笑いをこらえていた。
「ああ、それで作戦ね。正直ギリギリだわ。総熱量が3%ロスしたら失敗ね。」
輝夜には意外な言葉だった、八意永琳という人物をよく知っているが彼女がそんな分の悪い作戦を採る事が少々信じられない。
「なにそれ、そんな作戦実現できるの?」
「実現性は低いわ、でも現在考えられる中では一番成功率が高い作戦なの。物理破壊も可能だけどこっちは試算したら成功率0.156%。」
「なんだか大変な事になってるのね、幻想郷で火を扱える強い妖怪って意外と少ないのかしら?」
「予定が狂ったのよ、一番アテにしてたのが一人ダメになっちゃったから。紅魔館の魔法使いと地底の地獄鴉、覚の三人ね。」
「え、あのバカはなんで入ってないの?」
実に意外だった。気に食わないしバカだが正義感は強い奴だというのは輝夜もよく知っている、幻想郷の危機だと聞けば頼まれずとも飛び出してきそうにも思えるのだが。
「妹紅はアテにしてたんだけどね、地獄鴉と妹紅の二人だけでも充分なくらいの火力が出せる計算だし。」
「いや、でもあいつが来ないってちょっと考えられないわよ、何か事情があるのかしら。」
「わからないわね、今日の会議も招待状は送ったんだけど結局姿を現さなかったから。」
「わかった、私が行って引きずり出してやるわよ、どうせ竹林でフラフラしてるんだろうし。いや行き倒れてるかもしれないわね。」
「あ、輝夜・・・!」
永琳の言葉を待たずに輝夜は診察室を飛び出して行った、一方のてゐは本当に疲れているのかいつの間にかデスクに伏してすやすやと寝息を立てていた。
七月二十七日 深夜 迷いの竹林
普通の妖怪や人間には肉眼で見えない二つ目の太陽、長い間肉体と精神の鍛錬を積んだ妹紅にはおぼろげながらその姿が見えていた。
当然巷で都市伝説扱いされている噂が本当に起こっている危機なのだという事も承知している。
「まったく不気味だな、確かに毎日少しづつ大きくなっているようにも見えるし、こうしてはいられないな。」
まだ小さな子兎を大事そうに抱えた妹紅、子兎に話かけてはいるがこの子兎は妖怪兎ではないので人の言葉はわからない、実質妹紅の独り言のようなものだ。
藤原妹紅、遠い昔に命の恩人から蓬莱の薬を強奪し服用するという大罪を犯した咎人、同じ殺人は犯さずとも蓬莱の薬を服用するという大罪を犯した輝夜を付け狙い永遠亭に近い迷いの竹林に住み着いた。
輝夜とは顔を合わせれば殺し合いをするくらいに険悪な仲ではあるが、それはお互いに不死である事を前提に行われる、二人にしか理解のできない不思議な関係だ。
同じ境遇を持つ者同士、長い年月顔を合わせる間にいつの頃からか自分達にもよくわからない不思議な親近感を感じているのも確かだった。
永遠亭には人間の医者には手に負えない重い病や怪我を負った者が永琳を頼って訪れることもあるが、彼らはほぼ例外なく道に迷う。
そもそも永遠亭に誰も近づけさせないためにあるのが迷いの竹林なのだからそれが当然なのだ。
そんな人間を目的地まで案内するのが最近の妹紅の日常で、輝夜はどうだかわからないが永琳は妹紅のその働きに対してそれなり感謝しているようである。
そしてもう一つ、道に迷うのは人間だけではない。
永遠亭にはたくさんの兎がいる、妖怪兎のようにある程度の力を持っている兎はまだいい、しかし中にはごく普通の兎もいる。
そういった兎も例外なく迷いの竹林で道に迷う、そんな不幸な兎を保護して永遠亭まで届けるのも最近の妹紅の日常である。
さっきも一匹の子兎を保護して永遠亭に向かう所である、いつもならば永遠亭が見えた辺りで放してそのまま自分は引き返すのだが今日はそうはいかない。
この子兎を無事に送ったらそのまま輝夜の部屋まで乗り込んで一回殺してやらないと気がすまないとまで考えていた。
「まったく永遠亭の連中ときたら・・・」
ぶつぶつとまた独り言を言いながら歩く妹紅の足が止まる、上空に感じ慣れた殺気、どうやら隠すつもりはないようだ。
「ふふっ、こちらから殺しに行く手間が省けたようだな。」
妹紅のすぐ目の前に輝く五色の弾幕が着弾する。
少し顔に風を感じるが妹紅は動じない、これはいつもの威嚇だ。
しかし困った事がある、自分一人ならばなんの問題も無いが今は兎を一匹抱えている、巻き添えにするわけにはいかない。
「仕方ないな、少しきついが我慢してくれ。」
その辺りの茂みに隠すよりも安全だと重い、妹紅は自分の上着の懐に兎を押し込んだ。
「お前の弾幕は毎回毎回ワンパターンだな、輝夜!」
頭上にいる輝夜を追って妹紅も空を蹴って宙をまう。
「この姫様がわざわざ殺しに来てあげたんだから、一発目で終わっちゃったらつまらないでしょう?」
余裕綽綽といった風な輝夜に妹紅が体ごと突っ込む。
「えっ?!」
意表を突かれて動けない輝夜の襟と袖を掴んだ妹紅が背負い投げのように地上に向けて投げ飛ばす。
ガサガサと大きな音を立てて笹の中に落ちていく輝夜。
「時効!月のいはかさの呪い!」
妹紅が取り出した一枚のカードが空気に溶け込むように消え、代わりに無数の刀状の弾幕が現れる。
「死ねええええええええ!!」
命令するように両腕を振りかざすと刀は一斉に輝夜が落ちた辺りに降り注ぐ。
「神宝!蓬莱の玉の枝 夢色の郷!」
そんな妹紅の頭上から聞こえるはずのない輝夜の声が聞こえた。
考えるよりも早く瞬時に身を翻して輝夜の攻撃を往なす妹紅。
勘を頼りに狭い弾幕の隙間をぬって輝夜に接近する。
「神宝!サラマンダーシールド!」
しかし輝夜の判断が一瞬早かった。
目の前を弾幕で塞がれた妹紅は止む無く後退する。
「そんなに毎回貴方の野蛮な力押しの攻撃を食らうわけがないでしょう。」
「それならこうするまでだ、貴人!サンジェルマンの忠告!」
妹紅が懐からカードを取り出そうとするのを見て輝夜も動く。
「いいわよ、ならこっちも受けてたってあげるわ。新難題、金閣寺の一枚天井!」
輝夜が取り出したカードが巨大化し、眩い光を放つ大きな板に変化する。
輝夜が持ち上げている板は端からボロボロと剥がれるように落ち、一つ一つ金色の玉となって零れ落ちる。
一方懐を探っている妹紅はなかなか目的のカードを取り出せない、焦りながらも漸く一枚のカードを取り出す。が、あろう事かカードを出した拍子に隠していた子兎を落としてしまった。
「しまった!」
カードを放り投げて落下する兎を追う妹紅。
自身の出せる最高速度で地上に向かう、落ちていく兎が今の妹紅の目にはスローモーションに見えた、必死で兎に向けて両腕を伸ばす。
なんとか着地寸前で捕まえる事はできた妹紅だが勢いでそのまま地面に激突してしまう。
抱えた兎をかばう様に背中から着地した妹紅が地面に尻餅をついたまま咳き込みながら頭上を見上げる。
頭上では大板を持ち上げたままゆっくりと降りてくる輝夜がいた。
「あーもうやめやめ、あんたなんで兎なんか連れてるのよ。せっかく勝てる勝負だったのに興が削がれちゃったじゃないの。」
持ちあげていた大板が光を放って掻き消えるとそのまま輝夜が妹紅の所へ降りてきた。
「仕方ないだろう、この兎が迷子になったのも元はといえばお前達のせいなんだから。」
「あら、やっぱりうちの兎なのね、最近よくふらふら出て行って迷子になるから困ってるのよ。」
「ふらふら出て行く?巫山戯るのもいい加減にしろ!」
妹紅は怒りを顕にした、その声は先ほど輝夜と殺しあっていた時よりも激しい怒気を孕んでいる。
「ちょっと、何を怒ってるの?兎が勝手に迷子になっちゃうんだから仕方ないでしょ?」
「兎が勝手に迷子になるだと?だったらこれは何だ!」
妹紅はもんぺのポケットから封筒を取り出して輝夜に投げつけた。
「ん、手紙?これがどうかしたの?」
「どうしたもこうしたもあるか!それはお前の所の永琳が私に宛てた手紙だ、よりにもよってなんでこんなまだ幼い普通の兎に持たせた?迷子になるのは当たり前じゃないか!」
「え、ちょっと知らないわよそんなの!大体永琳がそんないい加減な事するわけないじゃないの!」
「それは今から永遠亭に行って本人に確かめさせてもらう、それよりお前も私に何か用があったんじゃないのか?」
「ん、私の用事はこの手紙の事よ、貴方が臆病風に吹かれて来なかったって永琳に聞いたから私が発破かけに来てあげたんじゃない。」
「バカな、私がその手紙を受け取ったのはついさっき、しかも迷子になっていたその兎をたまたま私が見つけたんだ。」
「あれ?なんだか話がよくわからないわね。まぁ、いいわ。参加してくれるってなら永琳にも会わないといけないし特別に永遠亭に招待してあげる。」
「言われなくとも乗り込むつもりだ。」
お互いに釈然としない思いを抱いたまま二人は永遠亭に向かって歩き出した。
七月二十七日 深夜 永遠亭
「永琳、妹紅を連れてきたわよ。」
「あら、本当に連れてきてくれたのね。いらっしゃい、そこに座って。」
永遠亭に帰ってきてから休む間も無かったはずだが永琳はまったく疲れた様子を見せなかった。
それは彼女もこっそりと服用したと噂される蓬莱の薬の力なのか、医者としての義務感でそう振舞っているのか本人以外にはわからない。
「八意永琳、手紙は読ませてもらった。危機に際して私の力が必要というのであれば喜んで協力させてもらう。」
「ありがたいわね、でもそれならもう少し早く来てくれたらよかったのに。」
「この手紙、いつ私に送ったのだろうか?」
「遅くても一昨日には送ったはずよ、紫に話を聞いてすぐに準備したんだから。」
「だがこの手紙を持っていた兎は今日まだ道に迷っていたぞ、私が見つけなければまだ迷子になっていたかもしれん、かわいそうに。あんな子兎まで使いにしなければいけないほど困っているわけではないだろう。」
「え、ちょと待って。子兎にその手紙を預けた覚えなんて無いわよ。」
妹紅の言葉に驚いた永琳が反論する、嘘をついている様子はない。
「その手紙は大事なものだから必ずしっかり本人に届けるようにって鈴仙とてゐに言いつけたのに、なんでそんな子兎が・・・」
三人とも顔を見合わせ、同時に脇で寝ているてゐに視線を向ける。
すべて答えが出た気がするが確認のために永琳がデスクに伏して小さくイビキをかいているてゐの肩をゆすって起こす。
「てゐ、ちょっといい?」
「え、もう交代の時間?これからにんじん食べ放題パーティーだったのに・・・」
まだ寝ぼけているようでなんだかよくわからない事を言っているてゐ。
「一昨日私が頼んだ手紙、ちゃんと確実に全員届けてくれたかしら?」
「あーあの手紙ならちゃんと間違いなく全員に届けたウサよ。」
「妹紅は受け取ってないって言ってるんだけど?しかも手紙は貴方の部下の子兎が持っていて迷いの竹林で迷子になってたそうだけど。」
「え・・・えと・・・それは・・・おかしいウサね、あ!もう交代の時間ウサ!鈴仙ばっかり働かせるわけにはいかないウサ!」
てゐは身を翻し文字通り脱兎のごとく治療室に続く扉に逃げ込んだ。
「ごめんなさい、大事な手紙をてゐに任せた私が間違いだったみたいね。」
永琳は深く溜め息をついた。
「仕方ない、それより私は会議とやらに出られなかったから簡単に説明してほしいのだが。」
七月二十八日 早朝 永遠亭
「そんなに心配そうな顔しなくても大丈夫よ、じきに目を覚ますわ。」
「べ、別に心配なんかしてないわよ。」
「あらそう?まあいいわ、ちょっと奥で薬を作ってるから目が覚めたら教えてちょうだい。」
永琳はそう言い残して奥の部屋へ消えていった。
結局霊夢は朝一番で永遠亭を訪れていた。
本人曰く裏切り者が逃亡しないように監視するためだと言っていた、永琳にはとてもそんな風に見えなかったようだが。
いつもの巫女装束から薄桃色の長襦袢に着替えさせられた早苗が治療室のベッドに寝かされている。
あちこちに見え隠れする包帯は痛々しいが呼吸と共に静かに上下する胸を見て霊夢は少し安心した。
左足はなんだかよくわからない物で動かないように固められている、永琳は骨が折れているのだと言っていた。
他にもあちこちに包帯が巻かれ、肌が見えているのは左の手のひらと顔くらいのものだ。
霊夢が何の気なしに素肌の左手を自分の手に取ると手のひら越しに早苗の体温が伝わってくる。
「(生きてる・・・あれだけの事があったのに、大体どれだけ人に心配させれば気が済むのよこいつらは・・・)」
「早苗!離しなさい!」
「離しません!早く神社へ戻りましょう!」
二つ目の太陽のすぐ近く、早苗は神奈子の手をしっかりと握って離そうとしない。
「私達と早苗はもう敵同士なんだよ、帰るんなら早苗一人で帰りな!」
諏訪子が窘(たしな)めるが早苗は聞きわけない。
「なぜこのような事をなさっているのですか!」
「貴方には教えられない、知りたければ力ずくで聞き出しなさい。それが幻想郷のルールよ。」
「納得できません、神奈子様も諏訪子様も幻想郷に来てこの世界の為に色々考えておられたじゃないですか、それが急に幻想郷を滅ぼすだなんて!」
「しつこいよ早苗、早苗は自分の役目に戻りなって言ってるでしょ。」
諏訪子の手から湧き上がったミシャグジが赤い大口を開けて早苗に噛み掛かる。
「そんな、諏訪子様!」
ミシャグジは早苗を飲み込み、とぐろを巻いて空に溶け込むように消えてしまった。
「痛い痛い、ちょっと離しなさいよ!」
神奈子の声ではない、だが早苗がよく知っている人物の声だ。
目を覚ました早苗は自分が誰かの手を握りつぶしかけている事に気づくまで数秒を要した。
「あれ、霊夢さんおはようございます。」
「おはようございますじゃないわよ、気になって見に来てみたらこんな仕打ちを受けるとは思わなかったわ。」
よほど痛かったのか霊夢はまだ自分の手をさすっている。
「ちょっと待ってなさい、藪医者を呼んでくるから。」
霊夢は永琳を呼びに奥へ入っていった。
治療室に一人になった早苗は自分の記憶を整理する作業を始めた。
会議場を出てからそのまま二柱の所へ赴き話をした事は覚えているがどうもその辺りの記憶が曖昧だ。
「おはよう、気分はどうかしら?」
すぐに霊夢が永琳を連れて戻ってきた、永琳はお盆に載せた土鍋を持ってきてベッドの隣の小さな机に置く。
「痛むところは無い?」
「左足が、少し痛いです。」
「そう、我慢できるくらいなら我慢したほうがいいけどどうにも痛いようなら痛み止めを出すから言ってね。」
永琳はそういうと再び奥に戻ろうとした。
「え、どこ行くのよ?」
「大丈夫そうだから仕事に戻らせてもらうわ。ご飯食べさせてあげてね。」
「なんで私が・・・」
永琳は霊夢の言葉を無視して奥に戻ってしまった。
紅魔館で霊夢と早苗が険悪な雰囲気だったのはもちろん永琳も覚えている、だからこそ仲直りのチャンスだと思ったのだろう。
「あ、いいです、自分でやります。」
早苗はベッドの縁に掴まってなんとか上体を起こし手を伸ばすが机までは届かない。
「あーもう!いいわよ、やってあげるわよ!」
ガチャガチャと音を立てて土鍋の蓋を机に置き、茶碗を手に取るとおざなりに粥をよそいれんげを突き刺して早苗に差し出す。
「ほら、食べなさい。」
「うふふ、ありがとうございます。」
ぶっきらぼうに差し出された茶碗を受け取り、中身をれんげに取って口に運ぶ。
「(あったかい・・・)」
思えば神託を受けた日から何も喉を通らずにロクな物を食べていなかった。
「ん、おかわり?ほら貸しなさい。」
瞬く間に空になった茶碗をひったくるように受け取った霊夢がもう一度粥をよそう。
そんなやり取りが何度も続くうちにすぐ土鍋の中身が空になってしまった。
「これで最後よ、まったくこんな事態なのによく食べるわねぇ。」
明るかった早苗の表情が曇る、差し出された最後の一杯を食べ終わった早苗は茶碗とれんげを綺麗にそろえて枕元に置いた。
気まずい沈黙が場を支配する。
先ほどまでは聞こえなかったが廊下のほうから微かにブウブウという何かの生き物の声だけが聞こえる。
霊夢と早苗には声の正体がわからなかったがこれは永遠亭の兎が朝食にありついて喜んでいる声だった。
「で、どうだったのよ?」
沈黙を破ったのは見舞い用の丸椅子に腰を下ろした霊夢だった。
「へ?」
「へ?じゃないわよ、行ったんでしょ?あいつらのところに。」
「あ、その事ですか・・・」
「何かわかったの?」
「少し待ってください、まだ記憶がはっきりしないんです。」
早苗はもう一度記憶の糸を辿る、二柱に会って話をして、結局どうなったのだろうか。
「かんなぎ・・・」
「巫?」
「巫を行えと、言われた気がします。」
「巫を行えってまた漠然とした話ね、具体的にどうしろって言われなかったの?」
「言われたんだと思います、でも思い出せなくて・・・」
「巫といえば古い言葉で巫女が行う儀式の事よね、狭義では自分が信仰する神霊を自分の体に降ろして口寄せを行うとかそういった意味だったかしら。」
いつの間にか永琳が戻ってきていた。
手洗い場で手を洗い綺麗な包帯を持って早苗の隣にきて丸椅子に座る。
「包帯を交換するから、少しおとなしく寝転がってちょうだい。」
「あ、はいお願いします。」
早苗はあわてて元のようにベッドに寝転んだ。
「記憶が混乱していると思うから無理に思い出さなくても大丈夫よ、そのうちに思い出すわ。」
「はい、でも大事な事を言われた気がするんです、だから思い出さないと。」
永琳が慣れた手つきで早苗の腕に巻かれた包帯を剥がしていく。
「霊夢。」
「何よ。」
「そこに手ぬぐいがあるから洗面器の水で濡らして腕を拭いてあげて、ちゃんと手を洗ってからそっとね。」
「何で私がそんな事しなきゃいけないのよ。」
「どうせ暇でしょ?」
「あーもうわかったわよ、やるわよ!」
さすがにこれはおざなりに行うわけにはいかない、霊夢は早苗の手を取って丁寧に拭いてやる。
「(ひどい火傷・・・大した事はないって言ってるけど。)」
「霊夢、手ぬぐいを洗うときはもっとしっかり沈めて、それじゃばい菌が取れないわよ。」
「はいはい、わかりましたよ。」
これ見よがしに手ぬぐいを洗面器の奥に押し付けてバシャバシャ洗う霊夢。
「しずめる・・・沈める、静める?」
記憶のどこかに引っかかる感じ、早苗はぶつぶつと同じ単語を繰り返し呟いた。
「少し、思い出しました。お二人は私に自分達を鎮めろとおっしゃっていた気がします。」
「なるほど、そう言う事なのね。」
大きなハサミで早苗の左足のギプスを取り外し、肌の状態を確認すると手早く消毒をし、厚めの包帯を巻く。
これは普通の包帯とは違い水硬化性のガラス樹脂を含んでおり水を含ませると硬化してギプスになる物だ。
外の世界にはあるが里の医者にはこんな技術は無い、幻想郷でこんな医療技術があるのは永遠亭だけだろう。
「狂神を鎮めるのも巫女の務め、そういう事ね。」
「何それ?聞いた事ないんだけど。」
「貴方は巫女なのに何も知らないのね、もっとも妖怪退治やら異変解決が仕事のほとんどだから問題はないのでしょうけど。幻想郷に来たのは最近だけど早苗のほうがずっと巫女らしいわ。」
永琳のちょっとした冗談で霊夢はハッキリと悟った。
今回ずっと早苗に対して敵対心を燃やし続けていた理由、最近になって幻想郷にやってきた早苗が自分よりも巫女として巫女らしく振舞っている事。
嫉妬、地底へ異変解決に行った時に緑眼が印象的だった妖怪が言っていた事を思い出した、嫉妬は本人すら気付かぬ間に心を蝕み人を狂わせのだと。
仕組みがわかってしまえば単純な話だ、だが単純な話だからこそ自分でも気付かないうちに狂ってしまっていた自分に恥じ入るほかなかった。
「あの、早苗・・・悪かったわ。」
「え?」
「ほら、貴方の事、疑って・・・」
「あぁ、その事ですか、疑われても仕方なかったですし気にしていませんから。」
永琳は黙って霊夢が拭いた早苗の腕に包帯を巻きなおす。
「じゃあ私はまた仕事に戻るから、何かあったら呼んでね。」
てきぱきと古い包帯や道具を纏めて入れたバケツを持って永琳が戻って行った。
「段々思い出してきました、聞いてもらえますか。」
「いいわ、話してみて。」
「紅魔館を出てから美鈴さんが神社まで送ってくれると言ったのでお断りして、すぐにお二人のところへ向かったんです。」
「そこでお二人とお話をしました、そして巫女の務めを果たせと、狂神に堕ちた自分達を鎮めろと仰いました。」
「自分達でそんな事言ったの?何か裏があるんじゃない?」
「裏は、あると思います。私に止めさせるために私の力を残しているのですから。」
「どういう事?」
「私の風祝の力は神奈子様の神力を分けて頂いているんです、だから神奈子様がそのつもりなら私の力を無くす事も簡単なはずなんです。」
「なるほどね、あんたの所はそういう仕組みなんだ。」
霊夢は机に置いてある湯飲みに麦茶を注いだ。
「あんたも飲む?」
「私はいいです、あの・・・あんまり飲むとおトイレが・・・」
「そうね、そのザマじゃ自由にトイレも行けないから仕方ないわね。」
「実は霊夢さんに裏切り者だって言われた時に思ったんですよ。私に風祝の力が残ってるって事は本当に、裏切り者なんじゃないのかって。」
「そう・・・悪かったわ、正直そこまで気にするとは思わなくて・・・いや、違うわね。あんたの事が羨ましかったのかも。」
「え、羨ましいってなんです?」
「その話はいいわよ、それよりあんたの話の続きを教えて。」
「そうです、だから私に自分の役割を果たせ、自分達を止めろと仰っていました。で、追い返されてきたんです。」
「あの怨霊の塊で?」
「そうですね、う~ん、でも私が怨霊に捕まった時の神奈子様、ものすごく驚いていたような。あれはアクシデントだったのかも?」
「何か言ってなかったの?」
「何か言ってたとは思います、声は聞こえましたけど。でも怨霊に耳をふさがれてたので何を言ってたかまでは・・・」
「なるほどね、それであんたはどうするつもりなの?」
「もちろん、私は務めを果たして巫を行います、でも一人では無理なのはわかりきってるから、霊夢さんや他の皆さんにも協力して欲しいんです。勝手なお願いだとは思いますけど。」
「あんたのところの神なんだから自分でやれって言いたいところだけどね、どの道私もあいつらをぶっ飛ばすつもりだから、私の邪魔しないなら手伝わせてあげるわ。」
奥の部屋から聞き耳を立てていた永琳がやってきた。
「はい、面会はもうおしまいね。貴方も怪我人なんだから少し休みなさい。」
「じゃあに当日までしっかり治しなさいよ。私の足を引っ張られちゃたまらないからね。」
霊夢はそういい残して治療室を出ていった。
「仲直りできたみたいね。」
「はい、霊夢さんが協力してくれるなら心強いです。」
「私たちももちろん協力するわよ、でも貴方はまず怪我を治しなさい、当日までに完全には治らないだろうけど少しでも治しておかないとね。」
「では少し休ませていただきます、ほんとはすごく眠かったので。」
「はいはい、おやすみなさい。」
ずっと胸につかえていたものを吐き出して楽になった二人の巫女はこの日、実に数日ぶりで熟睡する事ができたのだった。
若い夫婦があぜ道の草刈りをする人里の上空、鼻歌を歌いながら里に向かう少女がいた。
雁の群れに正面から突っ込んでゲームでも楽しむかのように紙一重で避けていく。
しかし雁はそんな脅しにはまったく動じない、というよりも脅かされた事に気づいていないのだ。
少女は徐々に高度を下げ、音もなく地上に降りる。
最近ちょくちょくと地上へ遊びに来るこいしが必ず立ち寄るのがここ、寺子屋だ。
窓は開け放たれているのでこいしは背伸びして窓枠に手を掛け中を覗く、誰もいない。
「あれ~?」
いつもなら里の子供がここで勉強しているはずなのだが、いない。
きょろきょろと辺りを見回してみる、いない。
建物の裏に回ってみる、探している子供達はそこにいた。
建物の裏には草むらがあり真ん中に小さな木が生えているのだが、木の周りを取り囲むように子供達が倒れている。
そして木にもたれ掛かって子供達よりも年上の女性が芝生に腰を下ろしていた。
こいしが女性に駆け寄るが女性はまったくこいしには気づかない。
あわてたこいしが自分の上着の首元に手を掛けて引っ張ると上着の中から一匹のゴールデンハムスターが飛び出した。
姉であるさとりがこいしに与えた専属のペットの中の一匹である。
実は彼はさとりから専属ペットとは違う役割も与えられていた、こいしが地上に遊びに行って人間や妖怪に迷惑を掛けないように見張ること、つまりは監視役という事になるだろう。
子供というのは無邪気ゆえに残酷な生き物だ、人間の子供でさえ戯れに自分より小さな生き物命を奪うこともある。
もっとも普通の子供ならばそうする事で命というものがどういうものか学び、戯れに命を奪う事に禁忌を感じるようになっていく、所謂成長するという事だ。
しかし第三の目を閉じてしまったこいしは同時に感情をコントロールする術も失ってしまった。
動物、人間、妖怪問わずその命を奪い、死体を部屋にコレクションする、しかもそれをおもちゃで遊ぶように楽しみながら。
しかしおくうの一件から二~三日過ぎた頃からこいしのコレクションが増える事がほとんどなくなった。
関係があるのかどうかわからないが、さとりは一度だけこいしの第三の目が薄くほんの少しだけ開いているのを見たような気がしていた。
心当たりがあることと言えば守矢神社に出向いて博麗の巫女と弾幕勝負をして初めての敗北を経験した事くらいだったが、やはり閉ざされたこいしの心を解放するには様々な経験をさせるほうがいいという結論にいたる。
それからさとりはこいしの行動にあまり干渉しないことにした、ただ周りに迷惑を掛けてはいけないし心配なので彼を監視役としてこいしに同行させることにしたのだ。
ちなみにこいしも彼が自分の行動を監視して姉に報告してる事は知っている。
散歩から帰って自分と別れた後で彼がどこへ行くのか気になって後をつけたのだ。
彼も、彼の報告を受けるさとりもその場にいたこいしの存在にはまったく気づかなかった。
今まで人に存在を気づかれない事をなんとも思わなかったこいしだが、その時は自分でもわからないなんだかモヤモヤとした気分を味わったのをはっきりと覚えている。
こいしの上着から飛び出したハムスターが座っている女性に飛びつく。
膝から腕を伝って肩にのぼり、後ろ足で立ち上がると彼女の頬に前足を押し付けて力一杯にゆする。
「え、あら、貴方はこいしちゃんの・・・」
どうやら彼女は寝ていただけのようだった。
突然夢の世界から呼び戻された女性、上白沢慧音は注意深く辺りを見回した。
「こいしちゃん、こんにちわ。」
普段ではこいしの存在を知覚する事はできない、姿は見えているのだがこいしに注意を払うという事をしないのだ。
それは道端に落ちているなんの変哲もない小石を見た時の事とよく似ている。
普通に歩いていればいちいち小石に気を配ることはない、しかしその小石に躓いたりなんらかの好奇心がその小石に対して働いた場合に人はその小石を風景から切り出し特別な物として扱う。
こいしの存在を感じる事ができない人間や妖怪もこうして何らかのトリガーがあればその時点からこいしを知覚する事ができるようになるのだ。
だがそのトリガーを必要としない者達も存在する、大人と比べて非常に強い好奇心をありとあらゆる方向に発信し拡散する者、子供である。
子供は道端の小石にも特別な好奇心を抱く、それによって自分の世界にその小石を引き込んでいく。
霊力も妖力も持たない子供が何の特別なトリガーも必要とせずこいしを知覚する事ができる理由がここにあった。
そしてこいし自身もそんな地底の妖怪達とは違う子供達に興味を抱き、最近ここに遊びに来るようになったのだ。
こいしは恥ずかしそうに軽く会釈した。
子供達とはよく遊んでいるのだが年上の女性とはなかなか接触する機会も少なく未だに苦手感は否めない。
「今日は暑いから予定を変えて川に泳ぎに行ったのよ、そうしたらみんな疲れて寝ちゃったみたい、私も最近徹夜仕事が多いからついね。」
「もう少ししたらみんな起こしてお昼にしましょうか、今日はお弁当持ってきたから、もちろん来ると思ったからこいしちゃんの分もあるわよ。」
「えへへ・・・」
はにかんだこいしの隣から突然大きな鳴き声が聞こえた。
こいしがなんだろうと思う間もなく泣き声の主はこいしに抱きついて嗚咽を漏らす。
「え、どうしたの?」
「こわかったの、ようかいみたいなおひさまがね・・・ここにおちてきて・・・さとこもあきちゃんものぶちゃんもけーねせんせいもみんなたべられちゃったの・・・」
「怖い夢見たの?」
こいしの上着の袖をぎゅっと握り締めた女の子は震えながら頷いた。
「そっか、でも大丈夫。怖い妖怪がここに来てもこいしがやっつけてあげるから、ね。」
「ほんとに?」
「ほんとだよ、こいしはお姉ちゃんよりもずっと強いんだから。」
最近巷で話題になっている二つ目の太陽、恐らくその話を聞いた子供が夢に魘(うな)されていたのだろう。
恐ろしい力を持っているのは纏っている妖気ではっきりとわかるが何を考えているの何が目的なのかまったくわからない、こいしを初めて見た時の慧音の印象。
目的がわからない相手というのはもっとも警戒すべき相手である、敵なのか味方なのかもわからないのだから。
しかし毎日子供達と接している慧音も驚くほどすんなりと子供達に溶け込んで仲良くなったこいしを見て当初の不安はすぐに払拭された。
「じゃあごはんの時間までもう一回お昼寝しよ、今度は怖い夢みないようにこいしが一緒に寝てあげる。」
子供の隣に寝転んで指切りをするこいしを見る慧音は妖怪も人間も子供は同じなんだなと思った。
そういえば以前に命蓮寺の住職と会った時に人間も妖怪も同じだと言っていた、それを聞いた時はそんな馬鹿なと思ったが今のこいしと子供を見ているとそれが少し理解できたような気がした。
七月二十七日 昼時 紅魔館内貴賓室
目を覚ましたこいしはきょろきょろと辺りを見回した、見慣れない景色、地霊殿と似ている雰囲気があるものの地霊殿にはこんな部屋は無かったはずだ。
自分にかけられていたシーツを跳ね除けて上半身を起こし、なぜ自分がここにいるのかを考える。
思い出した、里の子供との約束を守るため姉と一緒にあの太陽をやっつける為の会議に出て退屈し、ここにきて新しく出来た友達フランと遊んでいて遊びつかれて寝てしまったのだ。
するべき事を思い出したこいしはまだ寝ているフランを横目に貴賓室を抜け出した。
抜け出したはよかったが案内がいないとどっちへ向かえばいいのかさっぱりわからない。
とりあえずこいしは気の向くままに館内を探すことにした。
七月二十七日 昼時 守矢神社上空
ほんのわずかに感じる懐かしい神力を頼りに早苗は目的地に向かっていた。
目的地はもちろん二つ目の太陽が存在するところ、恐らくそこにいるであろう二柱に会い、真意を問いただすのが目的だった。
風を操り自在に空を翔る事ができるようになったのはいつだったか記憶していない、自分が果たしてどこまで高く飛べるかなど考えた事もない。
それを記録として残すのであれば恐らく今が新記録だろうがそんな事を考える余裕はない、高みへ上りすぎて何か身によくないことが降りかかるかもしれない不安を感じる余裕すらない。
どれほど上へ向かったかわからないが、漸く目印になるものが見えてきた。
それはあの時に見たのとは印象がまったく違っていた、あの時に見たものは表面は波打っているものの大まかには単なる球体だった。
しかし今目の前に迫ってきたそれはまったく様相が違う、灰色の何かがそれを縛るように幾重にも巻き付いている。
「あれは・・・?諏訪子様の・・・?」
早苗の全身から汗が吹き出る。
怨霊が発する熱、自分の周囲に風を纏わせて軽減してはいるが完全に防ぐことはできないほどの高熱。
近寄るにつれ、気を抜けば意識が飛んでしまいそうな熱気に苛まれるが早苗は止まるわけにはいかなかった。
やがておぼろげだった二つ目の太陽がはっきり見えるほどの距離に接近する。
見た瞬間に早苗が予想した通り、巻きついていたのは諏訪子が操るミシャグジ様だった。
懐かしい人影も見える、実際に顔を合わせなくなって半月余りしか経っていないはずなのだがとても懐かしく感じる。
初めに気づいたのは諏訪子だった。
「え?早苗がなんでここに?!」
諏訪子は胸の前に両手をかざし、ミシャグジに神力を分け与えているようだ。
ミシャグジ自体も強大な力を持つ祟り神であり、多少の事であれば諏訪子が指示するだけでもこなしてしまう。
多少の事、といっても町ひとつふたつを滅ぼしてしまう程度に多少の事、であるが。
こうして絶えず諏訪子自身の力を与え続けるというのは尋常な事ではない、早苗もそれは知っていた。
諏訪子の声で神奈子も予想外の来客に気づいたようだ。
神奈子は神奈子で最近は滅多に見せない完全な戦闘態勢を整えている。
傍に寄らずとも軍神としての格が早苗を圧倒する、いつも神社で見ていた二柱ではない、実際にここへ来てはっきりとそれを感じた。
「早苗、何をしにきたの?早く地上へ戻りなさい。」
荘厳な神奈子の声、早苗もこんな神奈子を見るのは初めてなので少々怯んでしまうがここまできて来て目的を果たさずに黙って戻るわけにはいかない。
「戻りません、お二人が何をなさろうとしているのか教えて頂くまでは戻れません!」
「早苗はそれを知ってどうするのさ?私と神奈子が幻想郷を灰にしようとしてるって言ったら止めるの?早苗ごときの力で止められるの?」
早苗は絶句する、諏訪子の言葉は早苗の想像を遥かに超える内容だった。
「早苗、貴方には貴方の役割があるの、私の巫女としてではなく幻想郷の現人神としてのね。」
「でも早苗は私の巫女だけどね。」
神奈子の言葉に悪戯っぽく口を挟む諏訪子。
「この際どっちの巫女でも同じ事、もし信仰する神が狂神に堕して悪を働くようになったらそれを鎮める巫を行うのも巫女の務め。」
「そんな!なぜそんな事をする必要があるのですか!」
「もう後戻りはできないの、その為に貴方に風祝の力を残してある事に本当は気づいているんでしょう?」
そうなのだ、早苗が一番腑に落ちなかった点。
もし二柱が自分を完全に蚊帳の外にして邪魔させないようにと思えば自分の力を奪う事もできるはずなのだ、早苗の風祝の力は神奈子が与えている(本当は諏訪子なのだが)のだから。
「それは、私にお二人を倒せと言う事でしょうか。」
声を絞り出す早苗、二柱を直視する勇気が持てずに視線は地上に向けている。
「そう、それとこの厄介なシロモノもなんとかして貰わないと困るわね。仮に私達を捻じ伏せる事が出来たとしてもこれを放置したら結果は同じ事よ。」
「でも無理だね、早苗一人じゃ私のミシャグジ一匹にも勝てないと思うよ。自分でもわかってると思うけどさ。」
「私は・・・何をすれば・・・」
「簡単な事、あの時に言ったはずよ。私達を止められるだけの強い力を集めなさいって。それが今、貴方が行うべき役割。」
「自分の役割を果たしなさい早苗。それが今の私と神奈子の望みなのよ。」
「わかりました、それがお二人の御指示であれば・・・従います。」
何も考えられない、頭の中まで怨霊の熱にやられてしまったかのようだ。
先の事は考えられないし後戻りはできない、もう考えるより先に前に進むしか道は残されていなかった。
二柱がそうしろというのであればそうする、巫女の務め、古代において巫女が狂った神を鎮める行為はさほど珍しい事ではない。
信仰が失われ神職につく者ですら神の存在を心の底では否定するようになった外の世界、巫女の勤めは参拝客相手に作り笑顔を振りまいての商売や境内の掃除が主になってしまった。
本来の巫女の務めとはもっと神の存在と密着し、時に称え時に畏れ時に鎮める、そんな巫女と神の古い関係を諏訪子から繋がる早苗の血が思い出したのかもしれない。
「いい子だね早苗、いい働き期待してるよ。」
「必ず、私は・・・!」
漸く二柱に視線を向けた早苗、しかしその視界に入ったのは禍々しい赤黒い恨みの一色だった。
「早苗えええぇぇぇぇ!」
諏訪子の絶叫はもう早苗の耳まで届かなかった。
球体から剥がれ落ちた怨霊の一部が早苗の体を包みこみ、そのまま地上へ落下していく。
「神奈子!」
「ダメだ!今あいつをやったら早苗も危ない!」
諏訪子の手元から石のような蛇が現れて早苗を包んだ怨霊に取り付くが落下を止めることはできない。
「ギリギリでなんとか一匹取り付かせた、完全に無事では済まないだろうけど早苗だったら死ぬような事もないはずよ。」
二人は思わず同時に溜め息をついた。
「まいったねぇ、まさか早苗が一人でここまで来るとは思ってなかったよ。」
「私はそんな気がしてたよ。意外とそういうところあるからねぇ。なんたって私の子孫だし。」
「でもこれで早苗も自分の役割をわかってくれたかしらね。」
神奈子は一瞬で姿が見えなくなった早苗の方向を見て心配そうに呟いた。
七月二十七日 夕刻 紅魔館内魔法図書館
紅魔館をあちこち彷徨ったこいしがなんとか会議場に戻った頃にはもう会議も終盤に差し掛かっていた。
こそこそとさきほど座っていたさとりの隣に座りなおす。
「計算の結果、物理的な力であのレギオンを一度にすべて分解する為には六万メガトンの力が必要という事になります。」
紫が河童から取り上げた計算機を弾きながら答えた。
しかし場にいるほとんどの者は紫が使っている道具が何なのか、六万メガトンの力がどれほどの物なのかもわかってはいない。
「紫様、ちょっとわかりにくいです。六万メガトンとは具体的にどのような力なのでしょうか。」
「そうねぇ、例えば空にこの幻想郷と同じくらいの大きさの星があるとして、それが落ちてきた時の衝撃がそれくらいかしら。」
「あの、もっと実感がわかないんですが・・・」
「あら、藍にはまだちょっと難しいかしら。」
紫は困ったような顔をしている式を見てクスクス笑っている、もう妖怪の賢者の威厳を示す事はいつの間にかやめてしまったようだ。
「とりあえず現実的ではない、と思ってもらって結構。いくら鬼の怪力でも空の星を砕く事はできないでしょう?」
紫が巫山戯た調子なので仕方なく永琳が代わりに仕切る事にする。
「うーん、やった事はないからやれるかどうかは正直わからんな、山くらいなら簡単に崩して見せるんだが。」
「勇儀の馬鹿力ならできるかもねー、私には無理だと思うけど。」
いつの間にか勇儀の隣に移動してきていた萃香がケタケタと笑っている。
この二人は明らかに会議を始めた時よりも酒臭い、会議中もずっと飲んでいるのだろうか。
「え、でも萃香は伝承に残ってなかったか?天蓋を真っ二つにしたって。」
勇儀は不審に思った、確か萃香にはそういった伝承があったはずである。
「伝承は伝承、時に事実とは違う場合もあるんだよ。」
なるほどそんなものか、勇儀は妙に納得しなような気がしてまた黙って話を聞く事にした。
「絶対に失敗するわけにいかない作戦なので【できるかもしれない】という方法を採るわけにはいきません。なのでここはもう一つの方法、高熱で分解するという方法を採りたいと思っています。」
「ちなみに熱による分解を試みた場合に必要な熱量は瞬間的に24ペタジュール、これを瞬間的にぶつける事ができれば分解は可能という計算ね、まあきっとわかってくれてないとは思うけど。」
紫が計算機で藍の頭を軽く小突く。
口を尖らせて紫のほうを向いて何か言いたそうにしている藍だが、確かに紫の言うとおりわかっていないのだから反論の余地などなかった。
「重要なのはその熱量を出す事が可能かどうか、という事ですが可能という計算なのですよね?」
真剣に話を聞いていたさとりはハッとした。
ここは狭い空間に大勢が集まっているので心が読みにくい、しかし今の心の声ははっきりと感じた。
さとりは自分のペットの事を全面的に信頼している、だがさすがに今回は荷が重過ぎると思った。
「今集まってもらっているメンバーの中で、特に高熱を出すスペルが得意なメンバーの力を集めて収束させれば計算上は可能です、ロスを考えたら正直もう少し余裕が欲しいところではありますが。」
「だったらもっとたくさん集めたらいいんじゃないのか?妖精だって数え切れないほど集めたら少しは足しになるだろ?」
大きく背伸びをしながら、魔理沙が意見する。重大な話なのはもちろんわかっているがさすがにそろそろ退屈になってきているようだ。
「数が多いだけではダメなのよ、正確に収束させる為には数が多すぎてはやりにくいの。拡散させてしまったら逆に効率が落ちてしまうわ。」
「へー、なんだかよくわからんな。」
「魔力を一本の線に収束させるのは貴方もよくやっているでしょう?それが分散したら正面の破壊力が減衰するのと同じよ。」
「あー、それならなんとなくわかるぜ。んで、結局のところ誰がやるんだ?」
「作戦の中心になるメンバーはパチュリーノーレッジ、霊烏路空、古明地さとりの三人、残りはこの三人のバックアップに回ってもらう事になるわね。」
「パチュリーと空はわかるとしてなんでさとりなんだ?」
魔理沙の疑問はもっともだった、地霊殿では散々苦しめられたしさとりの強さはわかっているが炎や熱とは結びつかない、むしろ精神的な攻撃が得意なはずである。
「私が使うのは想起ですね。しかしおくうにそんな大役ができるでしょうか。」
もちろんさとりは空を信用していないわけではない、しかし空はさとりにとって子供のような存在、やはり心配になってしまう。
「そうね、あなたが心配する気持ちはわかるわ。でも空さんは今回の作戦の核になる存在、絶対に外せないの。」
「そうですか、わかりました、おくう共々善処させていただきます。」
「では、ここまでで質問はありますでしょうか?」
永琳の声にこたえる者はいない、永琳、パチュリー、紫の三人が相談して決めた作戦だ、異論の余地などない事は明白である。
「無いようであればここまでとします。作戦決行は八月七日十九時から、ギリギリですが妖怪の力が一番強まる満月を選びます。」
「失敗したらもう後は無いって事ですね。」
作戦の主役の空はプレッシャーを感じているのか声がやや震えている気がする。
「そうです、失敗は許されません。失敗すれば幻想郷どころか外の世界までも巻き込む未曾有の大災害に発展しかねません。」
「じゃあ解散しましょう、各自ちゃんと時間に集まってね、集合場所はここの中庭だから。」
紫の言葉にレミリアがムッとする。
「ちょっと、今日の会議はいいけどそんな事まで許可した覚えはないわよ。」
「いいじゃないのそれくらい、世界を救うヒロインの前線基地になるのよ。光栄に思ってもらわないと。」
「仕方ないわね、もうこうなったら最後まで面倒見るわよ。」
紫と言い合いをしても恐らく無駄な時間を過ごすだけになるのはレミリアもわかっている、それ以上追求はしなかった。
「(世界を救う大役、これを無事に果たす事は私の贖罪になるのかしら。)」
空はそんな事を考えながら地底に帰ろうと立ち上がった空は突然バランスを崩して尻餅をついた。
見渡すとよろけたのは空だけではないようである。
「何?今の地震?!」
「お嬢様!外で何かあったようです!」
早苗を送って行った美鈴が会議場へ駆け込んできた。
「あら、美鈴やけに早いじゃない。ちゃんと早苗を送って行ってくれたの?」
「いや、早苗さんは行くところがあるからって館を出てすぐにそこで別れたんですよ。」
「え・・・バカ!何の為に貴方を付かせたと思ってるの?!」
「へ?」
「早苗が行くところったらあの二柱のところに決まってるじゃないの!」
「あ・・・!」
「とにかく、早苗を探しましょう、いえ、その前に外で何かあったってなに?!」
ここまでずっとカリスマを保ってきたレミリアが狼狽し慌てふためく。
「わかりません、行ってみます!」
「私も行くわ!」
その場にいた全員がただ事ではない空気を感じレミリア美鈴について外へ飛び出した。
七月二十七日 黄昏時 紅魔館南の空き地
「何よこれ・・・」
すでに日が沈んだのを確認して日傘を畳んだレミリアは目の前の光景に絶句した。
紅魔館を囲む湖を出てすぐの幻想郷中心部へ向かう平原、そこに見た事のない大穴が開いている。
穴の直径は4mほど、周辺には大小様々な岩が飛び散っている、大きな岩の塊がどこかから落ちてきたのだろうか?
実際に覗き込んでみると広さに対して深さはさほどでもなくせいぜいレミリアの身長と同程度。
これは自然に出来た物としては明らかに不可解である。物理学や数学には疎いレミリアでもこれが自然の現象でできた物でない事は容易に想像できた。
穴の中にもいくつかの岩が散らばっており中心には黒い油のような粘液が溜まっている。
他の者達もやってきて一様に穴を覗き込む。
突然黒い粘液が盛り上がった、身構える一同、しかし予想を裏切って中から出てきたのはよく見知った人物で全員拍子抜けする。
「早苗?!」
レミリアが素っ頓狂な声を上げる、無理もない。
「あ、皆さん・・・」
「早苗、二柱のところへ行ったんじゃないの?」
「はい、行ってきました。でも追い返されてしまいまして。」
「追い返されたはいいけどよく無事だったわね、見たところ相当の高度から落ちてきたはずだけど。でもこの穴もそれにしては不自然ね。」
「そうです、でもミジャクチ様が守ってくださったので。」
「まあ、話は後でもいいわよね。早く上がってきなさいな。」
「あはは、それが流石にちょっと体中がガタガタで力が入らないです、手伝ってもらえませんか。」
「巫女ってのはみんな世話が焼けるもんだねぇ。」
ボヤキながら助けに行った萃香に霊夢が少しムッとしたような表情を浮かべた。
「ほら、捕まって。」
萃香がまだ粘液に半身浸かったままの早苗に手を伸ばす、がそのまま何かに足元を掬われて倒れてしまった。
「きゃ!」
先ほどまで真っ黒だった粘液のような物がおぼろげに赤く光を放つ。
それは熱気を放ちはじめ、10メートルほどの大きな人型のような形をとった。
「これ、まさか・・・」
「はい、これがきっと二つ目の太陽の破片です、追い返されるときに捕まってしまったので。」
早苗は落ち着いていたが実際そんな場合ではない、彼女の体は人型のちょうど右手首の辺りに肩まで浸かるような状態で埋まってしまったままなのだ。
禍々しい、形容としてはそれしか浮かばない姿。
赤黒い全身はところどころ脈打ち、全身いたるところに顔のような物が見える、その顔はすべて苦悶の表情を浮かべていた。
「ちょっと!なんで早苗があんな事になってるの?!あいつらグルじゃなかったの?!」
狼狽して隣の魔理沙に食ってかかる霊夢、まったく予想していなかった光景が目の前で起こっている事に浮き足立ってしまっていた。
「そんな事私に聞かれたって困るぜ、グルだってのもお前が勝手に思ってるだけだろ?」
「いいから助けないと!霊符・・・」
魔理沙を押しのけて霊夢の隣に入り込んだレミリアが幣を持つ霊夢の手首を掴んで抑える。
「ちょっとレミリア邪魔しないで!」
「落ち着きなさいな、この状況でそんな事したら早苗もタダでは済まないわよ。」
足元を掬われて巨大な人影の足元に転がっていた萃香が起き上がって不敵に微笑んだ。
「つまり私の出番って事だね、鬼符!ミッシングパワー!」
萃香がどこからともなく取り出したカードを後ろ手に放り投げる。
カードは淡い光を放ちながら空気に溶け込むように消えた。
カードが消えると同時に萃香の体に変化が現れる、彼女の能力は密と疎を操る程度の能力、それを自分の体に使えば大きさを変化させる事など造作ない。
見る間に目の前の人型と同じくらいの大きさに膨れ上がった萃香が人型に掴みかかる。
相手の両腕を掴んで力をこめる萃香。
「きゃぁ!」
早苗が短い悲鳴を上げた、落とし穴に落ちるようにずるりと人型の中に埋もれ、今は左足だけが埋まった状態で宙吊りになってしまっていた。
勇儀が叫ぶ。
「おい萃香!何やってんだよ!まずその子を何とかして助けないと!」
「わぁってるて、見てな!」
萃香は両手で人型の右腕を掴んで腹の辺りに自分の右足裏を押し付ける。
「そらよっとぉ!」
掛け声と共に勢いよく人型の右腕を引きちぎる、引きちぎった右腕を足元にいる勇儀の前に置いた。
勇儀は埋まっている早苗の足の両側に思い切り自分の両腕を突っ込んだ、勇儀の自慢の筋肉が盛り上がる。
「うあああああああああああああああああ!!」
気合とともに勇儀が両腕を左右に開くと人型の腕が真っ二つに割れる、割れた腕はそれぞれさらに細かい四つと五つの破片に分かれて何処かへ飛んで行ってしまった。
「あ・・・ありがとうございます。」
それだけ言うと早苗は気を失ってしまった、さすがに緊張の糸が切れたのだろう。
急いで永琳が早苗の傍らにしゃがみ込み、その様子を見る。
「命には別状なさそうだけど、さっきの衝撃で足が折れてるかもしれないわ、永遠亭に運んで詳しい検査をしてみるわ。」
「もちろん、そう言うと思って準備はできてるわよ。」
すぐ後ろで紫が隙間を開けて待っていた。
その隣ではお燐がどこから持ってきたのか、猫車のハンドルを持って待機している。
「あたいの猫車は死体専用だけどおねえさん大変な事になってるみたいだから今回は特別よ。」
「藍!手伝って!」
「はい!」
紫に呼ばれた藍と永琳が早苗の体を慎重に猫車に乗せる。
「(このおねえさん、ここにいるんだから自分でやればいいのに。)」
そんな事を思っていたら薄ら笑いを浮かべる紫と目が合って驚いたお燐の尻尾がピクン!と跳ね上がった。
「じゃ、じゃあ行ってくるにゃ!」
お燐は紫から逃げるように慌てて隙間に飛び込んだ。
「ちょっと、ケガ人なんだからもっと大事に運んでちょうだい!」
永琳もあわててお燐の後について隙間に飛び込んでいった。
「こいつ、木偶の坊のクセになかなかの力だよ・・・!」
萃香が引きちぎったはずの腕はすぐにまた再生した、それよりも驚いたのは組み合った萃香が本気で力を入れているにも関わらずまったく体勢を崩せない事だ。
ミッシングパワーを使った巨大化はあくまで自身の体の密度を操っているだけで、大きくなるというよりも広げるといった方が適切である。
広げれば隙間が大きくなりその分だけ力は落ちる、ある程度は周囲の有機物などを変化吸収させて補う事もできるが完全に大きさに比例して力が強くなるわけではない。
とはいえ妖怪とは桁外れな怪力を誇る鬼である、巨大化で弱くなった分を差し引いても目の前の人型を押し切れない事が俄かには信じられなかった。
「これはきっついねぇ・・・」
力比べの体勢でしばらく均衡を保っていたが萃香が徐々に押され始めた。
余裕そうに装ってはいるがその実、かなり焦っていた。
今まで色々な相手と力比べをしたことがあるものの同じ四天王以外に負けた事は一度も無い、そんな自分がこうも簡単に押されているのだ。
「萃香!肩貸しな!」
駆け寄ってきた勇儀が萃香の肩に飛び乗った。
「もうちょっと寄って!こんな胡散臭いやつは私がぶっ飛ばしてやるよ!」
萃香は腕にこめた力をフッと抜いた、意表を疲れた相手が体勢を崩す隙を見逃さず突進し腰のあたりを抱え込む。
「よし、上手い!」
萃香の肩に登り、大きく拳を振りかぶって待ち受けた勇儀の目の前に赤黒い壁が立ちふさがる。
「でええええええぇぇぇぇい!!!」
振りかぶった拳を目の前の壁に突き刺すが何も起こらない、その場の誰もがダメだったのかと思い次の手を考え始めた、勇儀と萃香を除いて。
ミシミシと何かが軋むような音が静寂を破る。
勇儀が拳を突っ込んだ辺りが膨れ上がっている、さらにもう一度、今度はさらにハッキリと音を立てて膨れ上がる。
「ふんっ!」
さらに勇儀が気合と共に腕に力を込めると目の前の禍々しい壁を内部から突き破り無数の鬼気の塊が四方八方へ飛び散った。
内部からバラバラに破壊された怨霊は彼岸へ向けて飛び去り、後には地面に穿たれた大穴だけが残されている。
「へへん、四天王奥義三歩必殺。こいつをまともに食らって無事だった奴はいないってね。」
「(何これやっば、地底で戦った時にこいつ本気だったら間違いなく私が死んでたぜこれ・・・)」
魔理沙が恐れるのも無理は無い、鬼の本気など早々見られるものではないのだから。
とりあえず目の前の厄介ごとは片付いた、そうなると当然次に気がかりなのは早苗の事である。
「早苗は大丈夫なのかしら。」
霊夢が誰に言うとでもなく漏らした声を紫は聞き逃さなかった。
「ん~、心配なら今からお見舞いに行ってみる?それなら送ってあげるわよ。」
「べ、別に心配してるわけじゃないわよ・・・」
何かにつけて紫は霊夢をからかうのだが霊夢は一向に慣れる事がない、今も顔中真っ赤にしているのが実にわかりやすく早苗を心配しているのが見て取れた。
「大丈夫よ、私が見たところ死ぬような事はないわ。それに今行っても邪魔になるだろうから明日にでも行ってらっしゃいな。」
「だから行かないってのに・・・」
「霊夢には明日早苗のところに行ってもらうとして、一つ問題が発覚したわね。」
「ん、問題って何よ?」
パチュリーまでもそんな事を言い出したがもう霊夢はイチイチ反撃するのも面白がられるだけだと思って反論するのをやめた。
「怨霊が発する熱が予想以上に高かった。あれでは熱に強い地底の妖怪以外は近づいたら攻撃する前に熱でやられてしまうわね。」
「それは紫がなんとかできるんじゃない?こないだも自分だけ涼んでたみたいだし。」
「一人二人なら境界で熱を防ぐ事もできるわよ、でも大勢は流石に無理ね。逆に何か大きな物があればそれを境界で切り離して安全な空間を作る事ができるけど。」
「ロケットを使ったら?月に行った時のアレ。」
「ロケットはダメね、あのエンジンは空中で静止できないし何より今から準備したのでは間に合わないわ。」
霊夢とパチュリーのやり取りを聞いていて心当たりのある人物が二人いた。
聖輦船の船長村紗水蜜と命蓮寺の住職聖白蓮である、口を開いたのは白蓮の方だった。
「あの、それならば聖輦船を使えばいいのではないでしょうか。」
「なるほど、聞いた事があるわ、それなら使えそうね。是非お願いするわ。」
「わかりました、当日ここへ来るよう手配しておきます。」
「さとり様、どうしました?」
さとりはその場にしゃがみこんで口元を押さえていた。普段から地底で暮らす彼女はお世辞にも血色がいいとは言いがたいがそれにしても顔色が悪い。
そんなさとりの顔を心配そうに覗きこむ空。
「大丈夫です、久しぶりに地上に来たので少し空気に酔ってしまいました。」
すぐに普段の調子に戻ったさとりに安心する一同、しかし妹のこいしだけはそんなさとりの様子を見て何か難しいことを考えているようだった。
七月二十七日 夜分 命蓮寺
命蓮寺の檀家は人間も多いが妖怪も少なくない、必然的に説法は昼と夜の2回に分けて行われる事が多い。
ほとんど無い事だが、稀に白蓮が不在の時は所化として一輪が行う場合もある。
今夜もそのつもりで一輪が支度をしていたのだがちょうど白蓮が帰って来たので今は白蓮が説法を行っていた。
村紗はいつも夜の説法を楽しみにしている、まだ仏法に対する理解も浅く白蓮の言葉の半分も理解はできないが、慈愛を含んだ白蓮の声を聞いているだけでも安らかな気持ちになれるような気がした。
今日も本堂の最前列で白蓮の説法を聞いていたが、今日はなぜか心ここにあらずといった風でまったく上の空だった。
「と言うところで、これにて今日のお話を終わらせて頂きます。」
いつも決まり文句のような閉めの文句を聞いて皆、それぞれ帰っていく。
後に残されたのは村紗と白蓮、白蓮は正座したまま考え事をしているような村紗に声を掛けた。
「村紗、ひょっとして船の事で悩んでいるのですか?」
図星だった、やはり白蓮はすべてお見通しである。
「はい、今でも観光で聖輦船を動かすことはありますが今回は戦ですので勝手が違います。」
「聖輦船を失うのが不安なのですね。」
「私自身、聖に授かった聖輦船を失えば今の自分を保てなくなってしまう事に不安はあります。でもそれ以上に命蓮寺が無くなってしまったら私も含めてここへ来ている者達が路頭に迷ってしまうのではないのかと・・・」
「なるほど、貴方の考えはわかります。では伽藍というものが何のために存在するのか考えた事はありますか?」
「伽藍、命蓮寺そのものですか。」
そういえば過去に聖の説法で聞いたような記憶がある、一生懸命に記憶の山を辿るが思い出せない。
「申し訳ありません、聞いたような記憶があるのですが。」
「あら、先週の説法でお話したのにもう忘れてしまったの?寂しいわね。」
すねた様な聖の態度に恐縮しきりな村紗。
「仕方ないわね、でも貴方にはまだ少し難しい話だったと思うわ。」
聖は真面目な顔に戻る。
「伽藍と言うのは本来仏の教えを聞きに来る者、仏に帰依して修行する者を守る為の建物にすぎないの。外の世界では伽藍仏教みたいな建物自体に神聖性を持たせる考え方が横行しているようだけどこれは完全に間違いね。」
「もっと言うと釈尊の説いた自灯明・法灯明の理(じとうみょうほうとうみょうのことわり)、これに照らし合わせたら偶像崇拝も本来間違った方策なの。」
「え、でも命蓮寺にも仏像がありますよね?」
「ええ、でも私は仏像そのものが信心の対象だと説いた事は一度も無いわよ。仏像を置くのは単なる目印、ここが道場であるという形式的な物よ。」
「なんだかよくわかりません、じゃあ命蓮寺も仏像も信心の為に本来は必要無いという事ですか?」
「無いと困るのは確かよ、特に命蓮寺はね、最初に言ったように信徒を守る為の建物だから。でもそれ以上でも以下でもない。」
「難しいですね、必要ないけど必要という事なのでしょうか。」
「もっと単純に考えて、伽藍なんて所詮ただの建物だから壊れたらまた立て直せばいいのよ。それに命蓮寺は人を守る為の伽藍なんだから、その為に壊れたのであれば本望だと思うわ。」
それでも村紗にはまだ不安があった、命蓮寺は壊れたらまた立て直せばいい、それは理解できた。
しかしそもそも自分が救済されたのは聖輦船によるところが大きい、これを失ってしまえばまた以前のように恨みの念に縛られた悪霊に戻ってしまうのではという不安。
そんな村紗の不安を察した聖がうな垂れている村紗の頭を抱きしめた。
「え、聖?!」
村紗は真っ赤になって振りほどこうとするが聖は離さない。
「大丈夫、貴方に何かあっても私が責任を持って救済するわ、貴方ももうここの家族なんだから。」
「わかりました、わかりましたから離してください!」
村紗を解放した聖は菩薩のような慈悲深い笑みを浮かべている。
「じゃあ、村紗船長。聖輦船の事はお任せするわね。」
もう不安はない。村紗は聖の期待に応える為、自分にできるすべてを出し切る決意を固めた。
それと、今後は少しだけいたずらの回数を減らす努力をしようなどとも思っていた。
七月二十七日 夜分 永遠亭
「鈴仙!てゐ!」
猫車を押しながら長い廊下を歩くお燐、永琳はお燐を案内しつつ早苗の状態をチェックしている。
「なんですか?お師匠様今日は紅魔館だって言うものだからパーティーで朝帰りだと思ってましたが。」
のんきな事を言いながら鈴仙が自室から出てきた、すっかり寛いでいたようでまったく緊張感が無い。
しかし永琳の険しい表情と後ろについてくるお燐の猫車に乗せられている早苗を見てすぐにただ事ではないと悟った。
「左足骨折してるかもしれないわ、あと火傷が左足DDB5%、上体首筋から右肘までEB、あと全身打撲もあるかもしれないから慎重に扱って、とりあえず局部麻酔とX線撮影の準備を、てゐはいないの?!」
「ん~、お師匠様今日は帰ってこないんじゃなかったですか。」
てゐが目を擦りながら自室から這い出てきた、こっちは寛いでいたどころか完全に寝ていたらしい。
「てゐは抗生物質、親水コロイドと念のためアルブミンの用意!」
「へ、お師匠様やけどしたんですか?」
「いいから早く!モタモタしない!」
「はい!」
てゐも漸く緊急事態であることが飲み込めたようでバタバタと治療室に駆け込んでいった。
「そこを右に曲がって突き当たりの部屋、あわてないでゆっくりね。」
「あいよ、任せて。」
二人が治療室についた時にはすでに鈴仙とてゐが粗方指示された準備を終えていた。
ダラダラしているに見えても常日頃からの永琳の指導が生かされているのだろう。
永琳と鈴仙がやや窮屈な猫車から治療室のベッドに早苗を寝かす。
永琳はなんだか見た事のない機械をいじり始め、鈴仙は水?薬?よくわからないが濡れた布で丁寧に早苗の左足を拭いている。
「見た目ほど深くはなさそうです、これなら切開の必要は無いですね。」
「そうね、てゐの方はどう?」
「ん~、上体の火傷は面積が広いけどごく軽度です、打撲もそんなに無いです、右肘がやや腫れてますね、あと思ったより裂傷が多いです。」
「じゃあてゐはすぐに傷の消毒と火傷の冷却を、鈴仙は現像にいって。」
「(おねえさん達、本物のお医者さんみたい・・・)」
お燐はてきぱきと動く三人の姿に圧倒されていた、そして段々自分がここにいるのが邪魔なのではないかと思い始める。
「じゃあ、あたいはこれで戻ります。」
「待って、貴方もてゐを手伝ってあげてちょうだい。」
「へ、あ・・・はい。」
お燐は恐る恐る早苗の腕に触れようとする、死体に触るのは慣れているし死体を運ぶ事も好きだが、自分から進んで命を奪うような事は実際あまり好きではない。
そんなお燐だからこそこのような切迫した状況で自分が手を出す事になんとも言えない不安感があった。
「先にそこで手を洗って、ちゃんと石鹸つけてよ。」
「はい!」
てゐの指摘に焦ったお燐は弾かれたように手洗い場に駆けて行った。
「あら、輝夜どうしたの?」
一息つこうと治療室から診察室に来た永琳を待っていたのは永遠亭の姫、蓬莱山輝夜。
診察を受ける患者用の席に座り、デスクの上の麦茶を飲んでいる。
「どうしたも何も大変そうだからお茶持ってきて待ってたのよ。あんまり待たせるもんだからぬるくなっちゃったけどね。」
「そう?ありがとう。珍しく気が利くじゃないの。」
「お酒のほうがよかったかしら?」
「お茶でいいわ、もう大丈夫だとは思うけど念のため私も今夜はここで待機するつもりだから。」
輝夜は永琳が持ったコップにややぬるくなった麦茶を注ぐ。
「どうなの?なんか大騒ぎだったけど。」
「大丈夫よ、火傷も思ったより軽いし、骨折もあるけど綺麗に折れてたからすぐ繋がるわね。彼女が頑丈なのか、彼女を守ったっていうミシャクチがすごいのかはわからないけど。とりあえず今夜は鈴仙とてゐに交代で診てもらうことにしたわ。」
「ふぅん、でもミシャクチって敵じゃなかったの?」
輝夜は日ごろからほとんど外に出ることは無い、幻想郷ではもう隠れる心配が無い事がわかったのだが長い年月ずっと隠れていた者がじゃあ今日から外に出るという事もなかなかに難しい。
ずっと身の回りの世話は永琳や兎が行ってくれるのでがそもそも自分が何かしようと思っても何をすればいいか思い浮かばないのである。
それでも最近は盆栽の世話などを始めたり、自分から妹紅にちょっかいを出しに行く事も多くなってきた。
そんな具合で竹林の外の事情には疎いのだが大方の話は永琳などから聞いているので多少は理解しているつもりだ。
「複雑な事情があるみたいね、やっぱり一筋縄でいくような件ではないわ。」
「作戦はどうなの?今日会議だったんでしょ?上手く行きそうなの?」
そんな話をしているとてゐがやってきた。
てゐは診察に訪れた患者の順番待ち用の丸椅子を持ってきて手近なビーカーを手に取るとぬるくなった麦茶を注いだ。
「こら、てゐ。そういう事はダメだっていつも言ってるでしょう。」
「だってコップが二個しかないんだからしょうがないじゃん、あたしも今日はしっかり働いて疲れてるんですよ。地獄猫はオロオロしちゃってたしー、交代までのんびり寛がせてもらいます。」
いつも通りの減らず口にやれやれといった表情を浮かべる永琳。
それを見て輝夜は口元を手で押さえて笑いをこらえていた。
「ああ、それで作戦ね。正直ギリギリだわ。総熱量が3%ロスしたら失敗ね。」
輝夜には意外な言葉だった、八意永琳という人物をよく知っているが彼女がそんな分の悪い作戦を採る事が少々信じられない。
「なにそれ、そんな作戦実現できるの?」
「実現性は低いわ、でも現在考えられる中では一番成功率が高い作戦なの。物理破壊も可能だけどこっちは試算したら成功率0.156%。」
「なんだか大変な事になってるのね、幻想郷で火を扱える強い妖怪って意外と少ないのかしら?」
「予定が狂ったのよ、一番アテにしてたのが一人ダメになっちゃったから。紅魔館の魔法使いと地底の地獄鴉、覚の三人ね。」
「え、あのバカはなんで入ってないの?」
実に意外だった。気に食わないしバカだが正義感は強い奴だというのは輝夜もよく知っている、幻想郷の危機だと聞けば頼まれずとも飛び出してきそうにも思えるのだが。
「妹紅はアテにしてたんだけどね、地獄鴉と妹紅の二人だけでも充分なくらいの火力が出せる計算だし。」
「いや、でもあいつが来ないってちょっと考えられないわよ、何か事情があるのかしら。」
「わからないわね、今日の会議も招待状は送ったんだけど結局姿を現さなかったから。」
「わかった、私が行って引きずり出してやるわよ、どうせ竹林でフラフラしてるんだろうし。いや行き倒れてるかもしれないわね。」
「あ、輝夜・・・!」
永琳の言葉を待たずに輝夜は診察室を飛び出して行った、一方のてゐは本当に疲れているのかいつの間にかデスクに伏してすやすやと寝息を立てていた。
七月二十七日 深夜 迷いの竹林
普通の妖怪や人間には肉眼で見えない二つ目の太陽、長い間肉体と精神の鍛錬を積んだ妹紅にはおぼろげながらその姿が見えていた。
当然巷で都市伝説扱いされている噂が本当に起こっている危機なのだという事も承知している。
「まったく不気味だな、確かに毎日少しづつ大きくなっているようにも見えるし、こうしてはいられないな。」
まだ小さな子兎を大事そうに抱えた妹紅、子兎に話かけてはいるがこの子兎は妖怪兎ではないので人の言葉はわからない、実質妹紅の独り言のようなものだ。
藤原妹紅、遠い昔に命の恩人から蓬莱の薬を強奪し服用するという大罪を犯した咎人、同じ殺人は犯さずとも蓬莱の薬を服用するという大罪を犯した輝夜を付け狙い永遠亭に近い迷いの竹林に住み着いた。
輝夜とは顔を合わせれば殺し合いをするくらいに険悪な仲ではあるが、それはお互いに不死である事を前提に行われる、二人にしか理解のできない不思議な関係だ。
同じ境遇を持つ者同士、長い年月顔を合わせる間にいつの頃からか自分達にもよくわからない不思議な親近感を感じているのも確かだった。
永遠亭には人間の医者には手に負えない重い病や怪我を負った者が永琳を頼って訪れることもあるが、彼らはほぼ例外なく道に迷う。
そもそも永遠亭に誰も近づけさせないためにあるのが迷いの竹林なのだからそれが当然なのだ。
そんな人間を目的地まで案内するのが最近の妹紅の日常で、輝夜はどうだかわからないが永琳は妹紅のその働きに対してそれなり感謝しているようである。
そしてもう一つ、道に迷うのは人間だけではない。
永遠亭にはたくさんの兎がいる、妖怪兎のようにある程度の力を持っている兎はまだいい、しかし中にはごく普通の兎もいる。
そういった兎も例外なく迷いの竹林で道に迷う、そんな不幸な兎を保護して永遠亭まで届けるのも最近の妹紅の日常である。
さっきも一匹の子兎を保護して永遠亭に向かう所である、いつもならば永遠亭が見えた辺りで放してそのまま自分は引き返すのだが今日はそうはいかない。
この子兎を無事に送ったらそのまま輝夜の部屋まで乗り込んで一回殺してやらないと気がすまないとまで考えていた。
「まったく永遠亭の連中ときたら・・・」
ぶつぶつとまた独り言を言いながら歩く妹紅の足が止まる、上空に感じ慣れた殺気、どうやら隠すつもりはないようだ。
「ふふっ、こちらから殺しに行く手間が省けたようだな。」
妹紅のすぐ目の前に輝く五色の弾幕が着弾する。
少し顔に風を感じるが妹紅は動じない、これはいつもの威嚇だ。
しかし困った事がある、自分一人ならばなんの問題も無いが今は兎を一匹抱えている、巻き添えにするわけにはいかない。
「仕方ないな、少しきついが我慢してくれ。」
その辺りの茂みに隠すよりも安全だと重い、妹紅は自分の上着の懐に兎を押し込んだ。
「お前の弾幕は毎回毎回ワンパターンだな、輝夜!」
頭上にいる輝夜を追って妹紅も空を蹴って宙をまう。
「この姫様がわざわざ殺しに来てあげたんだから、一発目で終わっちゃったらつまらないでしょう?」
余裕綽綽といった風な輝夜に妹紅が体ごと突っ込む。
「えっ?!」
意表を突かれて動けない輝夜の襟と袖を掴んだ妹紅が背負い投げのように地上に向けて投げ飛ばす。
ガサガサと大きな音を立てて笹の中に落ちていく輝夜。
「時効!月のいはかさの呪い!」
妹紅が取り出した一枚のカードが空気に溶け込むように消え、代わりに無数の刀状の弾幕が現れる。
「死ねええええええええ!!」
命令するように両腕を振りかざすと刀は一斉に輝夜が落ちた辺りに降り注ぐ。
「神宝!蓬莱の玉の枝 夢色の郷!」
そんな妹紅の頭上から聞こえるはずのない輝夜の声が聞こえた。
考えるよりも早く瞬時に身を翻して輝夜の攻撃を往なす妹紅。
勘を頼りに狭い弾幕の隙間をぬって輝夜に接近する。
「神宝!サラマンダーシールド!」
しかし輝夜の判断が一瞬早かった。
目の前を弾幕で塞がれた妹紅は止む無く後退する。
「そんなに毎回貴方の野蛮な力押しの攻撃を食らうわけがないでしょう。」
「それならこうするまでだ、貴人!サンジェルマンの忠告!」
妹紅が懐からカードを取り出そうとするのを見て輝夜も動く。
「いいわよ、ならこっちも受けてたってあげるわ。新難題、金閣寺の一枚天井!」
輝夜が取り出したカードが巨大化し、眩い光を放つ大きな板に変化する。
輝夜が持ち上げている板は端からボロボロと剥がれるように落ち、一つ一つ金色の玉となって零れ落ちる。
一方懐を探っている妹紅はなかなか目的のカードを取り出せない、焦りながらも漸く一枚のカードを取り出す。が、あろう事かカードを出した拍子に隠していた子兎を落としてしまった。
「しまった!」
カードを放り投げて落下する兎を追う妹紅。
自身の出せる最高速度で地上に向かう、落ちていく兎が今の妹紅の目にはスローモーションに見えた、必死で兎に向けて両腕を伸ばす。
なんとか着地寸前で捕まえる事はできた妹紅だが勢いでそのまま地面に激突してしまう。
抱えた兎をかばう様に背中から着地した妹紅が地面に尻餅をついたまま咳き込みながら頭上を見上げる。
頭上では大板を持ち上げたままゆっくりと降りてくる輝夜がいた。
「あーもうやめやめ、あんたなんで兎なんか連れてるのよ。せっかく勝てる勝負だったのに興が削がれちゃったじゃないの。」
持ちあげていた大板が光を放って掻き消えるとそのまま輝夜が妹紅の所へ降りてきた。
「仕方ないだろう、この兎が迷子になったのも元はといえばお前達のせいなんだから。」
「あら、やっぱりうちの兎なのね、最近よくふらふら出て行って迷子になるから困ってるのよ。」
「ふらふら出て行く?巫山戯るのもいい加減にしろ!」
妹紅は怒りを顕にした、その声は先ほど輝夜と殺しあっていた時よりも激しい怒気を孕んでいる。
「ちょっと、何を怒ってるの?兎が勝手に迷子になっちゃうんだから仕方ないでしょ?」
「兎が勝手に迷子になるだと?だったらこれは何だ!」
妹紅はもんぺのポケットから封筒を取り出して輝夜に投げつけた。
「ん、手紙?これがどうかしたの?」
「どうしたもこうしたもあるか!それはお前の所の永琳が私に宛てた手紙だ、よりにもよってなんでこんなまだ幼い普通の兎に持たせた?迷子になるのは当たり前じゃないか!」
「え、ちょっと知らないわよそんなの!大体永琳がそんないい加減な事するわけないじゃないの!」
「それは今から永遠亭に行って本人に確かめさせてもらう、それよりお前も私に何か用があったんじゃないのか?」
「ん、私の用事はこの手紙の事よ、貴方が臆病風に吹かれて来なかったって永琳に聞いたから私が発破かけに来てあげたんじゃない。」
「バカな、私がその手紙を受け取ったのはついさっき、しかも迷子になっていたその兎をたまたま私が見つけたんだ。」
「あれ?なんだか話がよくわからないわね。まぁ、いいわ。参加してくれるってなら永琳にも会わないといけないし特別に永遠亭に招待してあげる。」
「言われなくとも乗り込むつもりだ。」
お互いに釈然としない思いを抱いたまま二人は永遠亭に向かって歩き出した。
七月二十七日 深夜 永遠亭
「永琳、妹紅を連れてきたわよ。」
「あら、本当に連れてきてくれたのね。いらっしゃい、そこに座って。」
永遠亭に帰ってきてから休む間も無かったはずだが永琳はまったく疲れた様子を見せなかった。
それは彼女もこっそりと服用したと噂される蓬莱の薬の力なのか、医者としての義務感でそう振舞っているのか本人以外にはわからない。
「八意永琳、手紙は読ませてもらった。危機に際して私の力が必要というのであれば喜んで協力させてもらう。」
「ありがたいわね、でもそれならもう少し早く来てくれたらよかったのに。」
「この手紙、いつ私に送ったのだろうか?」
「遅くても一昨日には送ったはずよ、紫に話を聞いてすぐに準備したんだから。」
「だがこの手紙を持っていた兎は今日まだ道に迷っていたぞ、私が見つけなければまだ迷子になっていたかもしれん、かわいそうに。あんな子兎まで使いにしなければいけないほど困っているわけではないだろう。」
「え、ちょと待って。子兎にその手紙を預けた覚えなんて無いわよ。」
妹紅の言葉に驚いた永琳が反論する、嘘をついている様子はない。
「その手紙は大事なものだから必ずしっかり本人に届けるようにって鈴仙とてゐに言いつけたのに、なんでそんな子兎が・・・」
三人とも顔を見合わせ、同時に脇で寝ているてゐに視線を向ける。
すべて答えが出た気がするが確認のために永琳がデスクに伏して小さくイビキをかいているてゐの肩をゆすって起こす。
「てゐ、ちょっといい?」
「え、もう交代の時間?これからにんじん食べ放題パーティーだったのに・・・」
まだ寝ぼけているようでなんだかよくわからない事を言っているてゐ。
「一昨日私が頼んだ手紙、ちゃんと確実に全員届けてくれたかしら?」
「あーあの手紙ならちゃんと間違いなく全員に届けたウサよ。」
「妹紅は受け取ってないって言ってるんだけど?しかも手紙は貴方の部下の子兎が持っていて迷いの竹林で迷子になってたそうだけど。」
「え・・・えと・・・それは・・・おかしいウサね、あ!もう交代の時間ウサ!鈴仙ばっかり働かせるわけにはいかないウサ!」
てゐは身を翻し文字通り脱兎のごとく治療室に続く扉に逃げ込んだ。
「ごめんなさい、大事な手紙をてゐに任せた私が間違いだったみたいね。」
永琳は深く溜め息をついた。
「仕方ない、それより私は会議とやらに出られなかったから簡単に説明してほしいのだが。」
七月二十八日 早朝 永遠亭
「そんなに心配そうな顔しなくても大丈夫よ、じきに目を覚ますわ。」
「べ、別に心配なんかしてないわよ。」
「あらそう?まあいいわ、ちょっと奥で薬を作ってるから目が覚めたら教えてちょうだい。」
永琳はそう言い残して奥の部屋へ消えていった。
結局霊夢は朝一番で永遠亭を訪れていた。
本人曰く裏切り者が逃亡しないように監視するためだと言っていた、永琳にはとてもそんな風に見えなかったようだが。
いつもの巫女装束から薄桃色の長襦袢に着替えさせられた早苗が治療室のベッドに寝かされている。
あちこちに見え隠れする包帯は痛々しいが呼吸と共に静かに上下する胸を見て霊夢は少し安心した。
左足はなんだかよくわからない物で動かないように固められている、永琳は骨が折れているのだと言っていた。
他にもあちこちに包帯が巻かれ、肌が見えているのは左の手のひらと顔くらいのものだ。
霊夢が何の気なしに素肌の左手を自分の手に取ると手のひら越しに早苗の体温が伝わってくる。
「(生きてる・・・あれだけの事があったのに、大体どれだけ人に心配させれば気が済むのよこいつらは・・・)」
「早苗!離しなさい!」
「離しません!早く神社へ戻りましょう!」
二つ目の太陽のすぐ近く、早苗は神奈子の手をしっかりと握って離そうとしない。
「私達と早苗はもう敵同士なんだよ、帰るんなら早苗一人で帰りな!」
諏訪子が窘(たしな)めるが早苗は聞きわけない。
「なぜこのような事をなさっているのですか!」
「貴方には教えられない、知りたければ力ずくで聞き出しなさい。それが幻想郷のルールよ。」
「納得できません、神奈子様も諏訪子様も幻想郷に来てこの世界の為に色々考えておられたじゃないですか、それが急に幻想郷を滅ぼすだなんて!」
「しつこいよ早苗、早苗は自分の役目に戻りなって言ってるでしょ。」
諏訪子の手から湧き上がったミシャグジが赤い大口を開けて早苗に噛み掛かる。
「そんな、諏訪子様!」
ミシャグジは早苗を飲み込み、とぐろを巻いて空に溶け込むように消えてしまった。
「痛い痛い、ちょっと離しなさいよ!」
神奈子の声ではない、だが早苗がよく知っている人物の声だ。
目を覚ました早苗は自分が誰かの手を握りつぶしかけている事に気づくまで数秒を要した。
「あれ、霊夢さんおはようございます。」
「おはようございますじゃないわよ、気になって見に来てみたらこんな仕打ちを受けるとは思わなかったわ。」
よほど痛かったのか霊夢はまだ自分の手をさすっている。
「ちょっと待ってなさい、藪医者を呼んでくるから。」
霊夢は永琳を呼びに奥へ入っていった。
治療室に一人になった早苗は自分の記憶を整理する作業を始めた。
会議場を出てからそのまま二柱の所へ赴き話をした事は覚えているがどうもその辺りの記憶が曖昧だ。
「おはよう、気分はどうかしら?」
すぐに霊夢が永琳を連れて戻ってきた、永琳はお盆に載せた土鍋を持ってきてベッドの隣の小さな机に置く。
「痛むところは無い?」
「左足が、少し痛いです。」
「そう、我慢できるくらいなら我慢したほうがいいけどどうにも痛いようなら痛み止めを出すから言ってね。」
永琳はそういうと再び奥に戻ろうとした。
「え、どこ行くのよ?」
「大丈夫そうだから仕事に戻らせてもらうわ。ご飯食べさせてあげてね。」
「なんで私が・・・」
永琳は霊夢の言葉を無視して奥に戻ってしまった。
紅魔館で霊夢と早苗が険悪な雰囲気だったのはもちろん永琳も覚えている、だからこそ仲直りのチャンスだと思ったのだろう。
「あ、いいです、自分でやります。」
早苗はベッドの縁に掴まってなんとか上体を起こし手を伸ばすが机までは届かない。
「あーもう!いいわよ、やってあげるわよ!」
ガチャガチャと音を立てて土鍋の蓋を机に置き、茶碗を手に取るとおざなりに粥をよそいれんげを突き刺して早苗に差し出す。
「ほら、食べなさい。」
「うふふ、ありがとうございます。」
ぶっきらぼうに差し出された茶碗を受け取り、中身をれんげに取って口に運ぶ。
「(あったかい・・・)」
思えば神託を受けた日から何も喉を通らずにロクな物を食べていなかった。
「ん、おかわり?ほら貸しなさい。」
瞬く間に空になった茶碗をひったくるように受け取った霊夢がもう一度粥をよそう。
そんなやり取りが何度も続くうちにすぐ土鍋の中身が空になってしまった。
「これで最後よ、まったくこんな事態なのによく食べるわねぇ。」
明るかった早苗の表情が曇る、差し出された最後の一杯を食べ終わった早苗は茶碗とれんげを綺麗にそろえて枕元に置いた。
気まずい沈黙が場を支配する。
先ほどまでは聞こえなかったが廊下のほうから微かにブウブウという何かの生き物の声だけが聞こえる。
霊夢と早苗には声の正体がわからなかったがこれは永遠亭の兎が朝食にありついて喜んでいる声だった。
「で、どうだったのよ?」
沈黙を破ったのは見舞い用の丸椅子に腰を下ろした霊夢だった。
「へ?」
「へ?じゃないわよ、行ったんでしょ?あいつらのところに。」
「あ、その事ですか・・・」
「何かわかったの?」
「少し待ってください、まだ記憶がはっきりしないんです。」
早苗はもう一度記憶の糸を辿る、二柱に会って話をして、結局どうなったのだろうか。
「かんなぎ・・・」
「巫?」
「巫を行えと、言われた気がします。」
「巫を行えってまた漠然とした話ね、具体的にどうしろって言われなかったの?」
「言われたんだと思います、でも思い出せなくて・・・」
「巫といえば古い言葉で巫女が行う儀式の事よね、狭義では自分が信仰する神霊を自分の体に降ろして口寄せを行うとかそういった意味だったかしら。」
いつの間にか永琳が戻ってきていた。
手洗い場で手を洗い綺麗な包帯を持って早苗の隣にきて丸椅子に座る。
「包帯を交換するから、少しおとなしく寝転がってちょうだい。」
「あ、はいお願いします。」
早苗はあわてて元のようにベッドに寝転んだ。
「記憶が混乱していると思うから無理に思い出さなくても大丈夫よ、そのうちに思い出すわ。」
「はい、でも大事な事を言われた気がするんです、だから思い出さないと。」
永琳が慣れた手つきで早苗の腕に巻かれた包帯を剥がしていく。
「霊夢。」
「何よ。」
「そこに手ぬぐいがあるから洗面器の水で濡らして腕を拭いてあげて、ちゃんと手を洗ってからそっとね。」
「何で私がそんな事しなきゃいけないのよ。」
「どうせ暇でしょ?」
「あーもうわかったわよ、やるわよ!」
さすがにこれはおざなりに行うわけにはいかない、霊夢は早苗の手を取って丁寧に拭いてやる。
「(ひどい火傷・・・大した事はないって言ってるけど。)」
「霊夢、手ぬぐいを洗うときはもっとしっかり沈めて、それじゃばい菌が取れないわよ。」
「はいはい、わかりましたよ。」
これ見よがしに手ぬぐいを洗面器の奥に押し付けてバシャバシャ洗う霊夢。
「しずめる・・・沈める、静める?」
記憶のどこかに引っかかる感じ、早苗はぶつぶつと同じ単語を繰り返し呟いた。
「少し、思い出しました。お二人は私に自分達を鎮めろとおっしゃっていた気がします。」
「なるほど、そう言う事なのね。」
大きなハサミで早苗の左足のギプスを取り外し、肌の状態を確認すると手早く消毒をし、厚めの包帯を巻く。
これは普通の包帯とは違い水硬化性のガラス樹脂を含んでおり水を含ませると硬化してギプスになる物だ。
外の世界にはあるが里の医者にはこんな技術は無い、幻想郷でこんな医療技術があるのは永遠亭だけだろう。
「狂神を鎮めるのも巫女の務め、そういう事ね。」
「何それ?聞いた事ないんだけど。」
「貴方は巫女なのに何も知らないのね、もっとも妖怪退治やら異変解決が仕事のほとんどだから問題はないのでしょうけど。幻想郷に来たのは最近だけど早苗のほうがずっと巫女らしいわ。」
永琳のちょっとした冗談で霊夢はハッキリと悟った。
今回ずっと早苗に対して敵対心を燃やし続けていた理由、最近になって幻想郷にやってきた早苗が自分よりも巫女として巫女らしく振舞っている事。
嫉妬、地底へ異変解決に行った時に緑眼が印象的だった妖怪が言っていた事を思い出した、嫉妬は本人すら気付かぬ間に心を蝕み人を狂わせのだと。
仕組みがわかってしまえば単純な話だ、だが単純な話だからこそ自分でも気付かないうちに狂ってしまっていた自分に恥じ入るほかなかった。
「あの、早苗・・・悪かったわ。」
「え?」
「ほら、貴方の事、疑って・・・」
「あぁ、その事ですか、疑われても仕方なかったですし気にしていませんから。」
永琳は黙って霊夢が拭いた早苗の腕に包帯を巻きなおす。
「じゃあ私はまた仕事に戻るから、何かあったら呼んでね。」
てきぱきと古い包帯や道具を纏めて入れたバケツを持って永琳が戻って行った。
「段々思い出してきました、聞いてもらえますか。」
「いいわ、話してみて。」
「紅魔館を出てから美鈴さんが神社まで送ってくれると言ったのでお断りして、すぐにお二人のところへ向かったんです。」
「そこでお二人とお話をしました、そして巫女の務めを果たせと、狂神に堕ちた自分達を鎮めろと仰いました。」
「自分達でそんな事言ったの?何か裏があるんじゃない?」
「裏は、あると思います。私に止めさせるために私の力を残しているのですから。」
「どういう事?」
「私の風祝の力は神奈子様の神力を分けて頂いているんです、だから神奈子様がそのつもりなら私の力を無くす事も簡単なはずなんです。」
「なるほどね、あんたの所はそういう仕組みなんだ。」
霊夢は机に置いてある湯飲みに麦茶を注いだ。
「あんたも飲む?」
「私はいいです、あの・・・あんまり飲むとおトイレが・・・」
「そうね、そのザマじゃ自由にトイレも行けないから仕方ないわね。」
「実は霊夢さんに裏切り者だって言われた時に思ったんですよ。私に風祝の力が残ってるって事は本当に、裏切り者なんじゃないのかって。」
「そう・・・悪かったわ、正直そこまで気にするとは思わなくて・・・いや、違うわね。あんたの事が羨ましかったのかも。」
「え、羨ましいってなんです?」
「その話はいいわよ、それよりあんたの話の続きを教えて。」
「そうです、だから私に自分の役割を果たせ、自分達を止めろと仰っていました。で、追い返されてきたんです。」
「あの怨霊の塊で?」
「そうですね、う~ん、でも私が怨霊に捕まった時の神奈子様、ものすごく驚いていたような。あれはアクシデントだったのかも?」
「何か言ってなかったの?」
「何か言ってたとは思います、声は聞こえましたけど。でも怨霊に耳をふさがれてたので何を言ってたかまでは・・・」
「なるほどね、それであんたはどうするつもりなの?」
「もちろん、私は務めを果たして巫を行います、でも一人では無理なのはわかりきってるから、霊夢さんや他の皆さんにも協力して欲しいんです。勝手なお願いだとは思いますけど。」
「あんたのところの神なんだから自分でやれって言いたいところだけどね、どの道私もあいつらをぶっ飛ばすつもりだから、私の邪魔しないなら手伝わせてあげるわ。」
奥の部屋から聞き耳を立てていた永琳がやってきた。
「はい、面会はもうおしまいね。貴方も怪我人なんだから少し休みなさい。」
「じゃあに当日までしっかり治しなさいよ。私の足を引っ張られちゃたまらないからね。」
霊夢はそういい残して治療室を出ていった。
「仲直りできたみたいね。」
「はい、霊夢さんが協力してくれるなら心強いです。」
「私たちももちろん協力するわよ、でも貴方はまず怪我を治しなさい、当日までに完全には治らないだろうけど少しでも治しておかないとね。」
「では少し休ませていただきます、ほんとはすごく眠かったので。」
「はいはい、おやすみなさい。」
ずっと胸につかえていたものを吐き出して楽になった二人の巫女はこの日、実に数日ぶりで熟睡する事ができたのだった。