この物語は前作『古明地こいしに10円ハゲができました』の続きとなっております。
前作を見ていない方は↑にあるリンクからどうぞ。
『古明地こいしに鼻毛が生えました』
「なるほど。そういう経緯で私の元へ訪れたというわけですか」
「えぇ、悪い風を起こす妖怪と言えば天狗がその筆頭に当たるでしょう、射命丸文さん」
さとり様があくまでも冷徹に、天狗のおねーさんに言い放つ。
さとり様は普段は温厚で根暗。引きこもりと読書をこよなく愛す駄目妖怪だが、こいし様の事となると心の奥底に隠していた第2の人格が姿を現す。
この人格がでてくると、さとり様を止められる者は存在しない。
忌み嫌われた地底妖怪の代表格として、その迷惑極まりない能力を容赦なく発揮させるのである。
アタイ――火焔猫燐はさとり様のペットだから直接被害を受けた事はないが、敵にしたくないランキング第一位を独走中なのは間違いないだろう。
「妹の古明地こいしさんに鼻毛が生える。
たしかに鼻毛が生える原因は汚染された悪風のせいだとされていますね。
事実、空気が綺麗な場所では鼻毛は生えないと言いますしね」
「空気が綺麗な場所――つまり地底に悪風を持ち込んだのは天狗。
私の推理に間違いはないでしょう?」
「残念ですが……」
天狗のおねーさんが言い終わる前に、さとり様がにやりと笑うのをあたいは見逃さなかった。
例によって例の如く。公開処刑タイムの始まりである。
「私のこのサードアイを前にして嘘が突き通せるとでも?」
「……嘘ではなく真実ならば隠し通せるのでしょう?」
「どういう意味かしら?」
「言葉で説明するより実際に読んで頂いた方が分かりやすいと思いますよ」
「大した自信ね……」
天狗のおねーさんが思わぬ反撃に出る。
さとり様の能力を防ぎきる事は絶対に不可能。発動すれば最後、後は恥ずかしい過去から隠したい黒歴史が暴かれるはずなのだが。
アタイの目から見ても、天狗のおねーさんには妙な自信が感じられた。
「さとりさんが自身の能力によって幻想郷の著名人に壊滅的被害を与えているのは百も承知。
いつか私の元へも来るだろうと思って、すでに対策済みなんです」
サードアイの発動。
これによりさとり様は絶対的有利に立つはずだった。
だがアタイの予想に反して、さとり様はため息を漏らす。そこにいつもの余裕は感じられなかった。
「なるほど……、たしかにあなたの心の中は深層心理までパンチラで埋め尽くされていますね。
しかもあなたはパンチラを撮る事、及びバラされる事に全くの危機感を覚えていない。
これではいくら過去を暴いても、あなたに精神的ダメージを与える事はできないようですね」
さとり様が素直に認める。
発動すれば防ぐ事は不可能と呼ばれていたさとり様の能力にも欠点があったのである。
それがまさかパンチラで頭を埋め尽くすとはアタイも考えなかったが、これによりさとり様が窮地に立たされる事となるのは間違いないだろう。
…………。
と、思うのが普通の意見かもしれない。
だが、忘れてはいけない。さとり様は最強ではあるが、同時に最低な妖怪なのである。
アタイ達の主がその程度の対策で看破できると思ったら大間違いなのだ。
「さ、おとなしく私の話を聞いてください。
天狗はこの件に関しては何の関与もしておりません。
さとりさんがそれで納得しないのならば、私もできるだけ異変の手助けをする事を約束いたしましょう」
「……私も甘く見られたものね」
「え?」
そこで、天狗のおねーさんの表情が一変する。
彼女は勘違いしていたのである。
自身が対峙している目の前の少女は、正々堂々などいう言葉は一切持ち合わせていない非常に悪質な存在である事を。
スペルカード戦であれば、そこにルールは存在する。
それに慣れ過ぎていた天狗のおねーさんにとって、さとり様という真逆の存在は想像しがたいものだったのである。
さとり様にルールなんて通用しない。
「いくら心がパンチラで埋め尽くされていたとしても、異変の真相に天狗が関係あるかどうかを読むのは私にとっては朝飯前。
では、なぜ、私がそれほどまでにあなたに精神的ダメージを与えるのに固執しているのか?」
「……まさか」
「ドSゆえ。
それが妹の復讐という表向きの理由を挙げられながらの行動ならば尚の事!!」
こういうのを堂々と宣言してしまうのが古明地さとりという少女である。
さとり様を普通の物差しで測ってはいけない。
さとり様は忌み嫌われた地底の妖怪たちにも嫌われた最底辺の妖怪なのである。
一般的に卑怯と呼ばれている方法がさとり様にとっての王道であり。
一般的に禁忌と呼ばれている方法がさとり様にとっての名案なのである。
実際のところ、さとり様がサードアイを発動しようがしまいかは関係なのだ。
さとり様と出会っただけで、さとり様と同じ場所で同じ空気を吸ってしまっただけで、標的となり苛められる相手となりえてしまうのだ。
「いい事を教えてあげましょうか、射命丸文さん。
私はこのサードアイによって他人の心が読める事はあなたもすでにご存じの通りです。
つまり。
私がこうやってサードアイをさも発動させたように見せて。
あなたの目を見ながら、さもあなたの心を読んだようにしゃべるだけで――それがどんな嘘であれ、事実となってしまうんですよ」
「あ……うぅ……」
さとり様の恐ろしさに気付いた天狗のおねーさんが後ずさりを始める。
それを見て、さとり様は厭らしい笑みを浮かべた。
「見えます、見えます。あなたの心が見えます。
ふむふむ、射命丸文さんは同僚のはたてさんに恋をしているようですね」
「ちょっ!? さとりさん、いきなり何を言ってるんですか!?」
「あら、あなたがはたてさんに恋しようがしまいが関係ないんです。
私が言ってる事が事実なのですから」
「あ、あぅぅ~……」
「おや、はたてさんに恋している事よりもおもしろいネタを見つけましたよ。
あなた、大天狗に反旗を翻す準備を進めているんですね」
「やめてぇ~!! 私、そんなの考えてませんから!!
パンチラを! 私のパンチラを読んで~!!!!!」
半狂乱になりながら、本当の真実を叫びまくる天狗のおねーさん。
「パンチラ、パンチラ」と叫びまくる怪しい天狗と、静かに語る少女妖怪。
傍から見ればどちらが怪しいのか一目瞭然なところも、きっとさとり様の策略の一つなのだろう。
絡め手に搦め手を重ねて、ここにさとり様の完全勝利は確実なものとなった。
「さて、次の場所へ行きましょうか」
そう言って振り返るさとり様には満面の笑みが浮かんでいた。
「手掛かりは掴めたんですか?」
「えぇ、お燐。射命丸文さんは人格崩壊の前に、重要な手掛かりを頭に浮かべてくれました」
「それは?」
「花粉ですよ。
花粉が鼻にはいるとくしゃみが出ます。それを防ぐために鼻毛が生えてきてしまう。
そう、鼻毛の原因は悪い花粉をばら撒く悪いひまわり妖怪の仕業だったんです」
☆ ☆ ☆
次にアタイ達が訪れたのは太陽の畑と呼ばれる場所である。
アタイが仕入れた情報によると、ここにはアルティメットサディスティッククリーチャーと呼ばれる最強のドS妖怪が君臨しているとの事である。
だが、さとり様はそんな事をお構いなしにずんずんと突き進む。
「暑いわね」
「そうですね……」
先ほどいた妖怪の山では周りに生い茂る木々が強い日差しを防いでくれていたのだが、ここではまともに直射日光を浴びる事になる。
普段、地底の奥底に住んでいるアタイ達にとってこの暑さはなんとも耐えがたいものであった。
「早く来ないかしらね、そのひまわりの妖怪は……」
全く臆することなく、そんな事を言い放つ我が主。
彼女には躊躇とかいう言葉も存在しないらしい。
「そういえば、ひまわりの妖怪っていうくらいなんだから、ひまわりを一本折ったらすぐに飛んできたりして~♪」
お空がそんな馬鹿な事を言い出す。
まさか、そんな事あるわけないのに。
「あぁ、それは名案だわ」
ぼきっ。
即断即決。
本当に我が主には躊躇がない。
と。
のんきに考えていた時だった――!!
ぼしゅっ! と、何かが突き抜ける音が聞こえて顔を上げる。
その瞬間に、あたいの目の前を黄金に輝く超高密度の弾幕が目に留まらない程の猛スピードで駆け抜けていく。
声を上げるのも忘れて、腰が抜けるのも気づかず、アタイはただその弾幕を見つめる事しかできなかった。
一瞬遅れて、つんざく大弩音。さらには土が削り、抉れて、その土砂が辺りに降り注いだ。
弾幕はそのままアタイ達の目の前を通り過ぎると、そのままのスピードを保ちながらはるか水平線彼方へと飛んで行く。
この間わずか1秒足らず。
まさに一瞬の出来事であった。
ようやくアタイの頭が今起こった出来事を理解し始め、同時に身体中から嫌な汗が流れ出し、膝の力が抜けてその場に跪く。
お空が本気を出した時の弾幕も恐ろしいものがあるが、これはそれと同等。
いや贔屓目というフィルターを外したらそれ以上かもしれない。
しかもこの弾幕は驚いた事にルナティックではなくイージーなのだ。
「最近の妖怪は礼儀というものを知らないようね」
そこに少女の声が静かに響いた。
先ほどの弾幕に比べれば、はるかに小さな音。大弩音を近くで聞いて鼓膜がおかしくなっていたアタイの耳からしてみれば、見逃しそうなほどの微音。
なのに、その声に畏怖と戦慄の二重奏が奏でられているのだけははっきりと感じ取る事ができた。
「こんにちは、風見幽香さん」
さとり様が何事もなかったようにその声の主に話しかける。
見ると、さとり様は別段驚いた様子も何もない。まるで、今の弾幕を予想できていたかのように。
「へぇ、誰かと思えば地底妖怪じゃない。
最近幻想郷各地で暴れ回っているっていう噂は聞いていたけど、まさか私の元に来るとはね」
「えぇ、幻想郷のみなさんは嘘つきばかりで困っているんですよ」
うふふっ、と幽香おねーさんが笑い。
あははっ、とさとり様が笑い返す。
本能的に、この二人はお互いが自分と同じ存在である事を感じ取っているようである。
運命とは残酷なもので、ついに幻想郷はこの二人を出会わせてしまった。
最低妖怪の名を欲しいままにしてきた古明地さとり様。
最強妖怪と呼ばれるに相応しい実力を持つ風見幽香おねーさん。
出会ってはいけない幻想郷一のドS妖怪が、ここに相対する事となったのである。
「たしかに嘘つきばかりね。
ひまわりを踏んでおいて謝らない地底妖怪なんてその典型的な例だわ」
「あら、ごめんなさい。
地底にはひまわりのような美しい花が咲いていないものでして。
つい嫌がらせをしたくなってしまいました」
「私を舐めているつもりかしらね、古明地さとり」
「私はいつでも真面目に生きているつもりですよ、風見幽香さん」
ばちばち、と。
文字通りの火花が二人の間を交差する。
どちらが先に攻撃をしかけるのか、それをどちらもが伺っている様子であった。
「じゃあ、真面目にあなたがその能力を使うところを見せてもらおうかしらね。
ただし、それが私に通じればの話だけど?」
「えぇ、じゃあ遠慮なくお披露目と参りましょうか」
さとり様のサードアイが怪しく光る。
先に仕掛けたのはさとり様だった。
それを、幽香おねーさんは余裕の笑みを浮かべながら見つめる。
「へぇ、幽香さんって意外にも腐女子だったんですね」
「なんですって……!?」
一瞬、幽香おねーさんの表情に陰りが見えた。
「幻想郷乙女ロードと言うんですか?
大通りから一つ入ったところにそういう腐女子さん達が通う通りがあるみたいですね。
BLとでも言うんでしょうか。
幽香さんは男の子と男の子との恋愛にはまってらっしゃるようですね」
「…………」
幽香おねーさんは黙って聞いている。
アタイには、その沈黙が恐ろしくも見えた。
「へぇ、現在はこーりん×雲山が流行っているんですか。
こーりんのヘタレ攻めとでも言うんでしょうか。
強気な雲山が落ちていくところが腐女子さん達のネタの中心となっているようですね」
容赦なくしゃべり続けるさとり様。
アタイは聞いていくうちに、幻想郷も広い世界なんだなぁ、と一人感心していた。
「……それで終わりかしら?」
そこでようやく幽香おねーさんが口を開く。
恥ずかしい過去を暴きだされたにしては、なんだか冷静すぎるような気がした。
「まだ、ありますよ。
幽香さんは最近漫画を書いていらっしゃるようですね。
自分を主人公にした恋愛もの。
とある事情から男装して男子高に入らないといけなくなった主人公が、そこで出会った男の子達に惹かれていく。
不良で見た目は怖そうだけど、雨の日に捨て猫に餌を上げる本当は心優しいAくん。
主人公ばかりに冷たく当たるけど、ある日暴漢から救ってくれたBくん。
学園の理事長の息子で主人公の男装を唯一知られてしまったCくん。……あら、この方が本命のようですね。
王道ストーリーとでも言うんでしょうか。
なかなか面白い漫画を描かれているようですね」
さらに隠したい黒歴史も暴かれる幽香おねーさん。
だが、不気味にも表情に変わりはなく、たださとり様の言う事を聞くのみだった。
その事が逆にアタイを恐ろしくさせた。
「この事実、幻想郷中にばらまいたら幽香さんの評価はガタ落ちでしょうね。
アルティメットサディスティッククリーチャー、ただし中身は腐女子――とでも呼ばれるようになるんでしょうか?
まぁ、真実というのはいつまでも隠し通せるものでもありませんし、ここら辺で自分をカミングアウトするのも一つの手と言えるでしょうね。
私がそのお手伝いをできるのは光栄の限りです。
あぁ、ちなみに今更こいしに鼻毛を生やした真相を白状しても許してあげられませんから。
だって、これは私の趣味ですもの」
「ふふふっ……、あっはっはっはっはっ!」
……そこで、幽香おねーさんが口を開いた。
幽香おねーさんの顔には笑みが浮かんでいた。
楽しくて楽しくてたまらないと言った風な笑み。
アタイはこの笑みを知っていた。そう、さとり様が相手を追い詰めた時に浮かべる笑みにそっくりだった。
幽香おねーさんは恥ずかしい過去と黒歴史を暴かれたはずなのに、この笑みを浮かべている。
究極嗜虐生物――ただし中身は腐女子――は、同時に苛められるのも大好きな両刀使いだったという事であろうか。
「もう壊れちゃいましたか。風見幽香さんといえどもあっけなかったですね」
「おかしいわよ。これを笑わずにはいられないものかしらね」
無傷だった。
さとり様のサードアイに対して、幽香おねーさんは全くの無傷で耐えてしまったのである。
先ほどの天狗のおねーさんは対策をした上でさとり様のサードアイに耐えたが、幽香おねーさんは真っ向から打ち破ってしまった。
「地底には他人の心を読む最低な妖怪がいると聞いていたから会えるのを楽しみにしていたのに……。この程度とはね」
「…………」
今度はさとり様が黙る番だった。
「私が腐女子であることがばれたら、私の評価が落ちるはずですって?
そんな事あるわけないじゃない。
なぜなら、幻想郷の住人には私が腐女子であることはすでに知れ渡っているのだから。
当然でしょう? サイン会やら先行販売、さらには腐女子仲間との交流まで大々的に行っていて、しかも大きな紙袋を堂々と持ち歩いているんだから、気づかない方がおかしいわよ。
それに、貴方はもう一つ私の黒歴史を暴いたといったわね。
残念。それもすでに幻想郷中に知れ渡っている事実よ。いえ、地底には轟いていないのだから私もまだまだなのかもしれないわね。
漫画家としての『ゆうかざみ』といえば、自分でいうのもなんだけど幻想郷のトップを突き進む大スター的な存在よ。
先日も家に大量の花束が届いちゃって困ったものだわ」
さとり様が読んだ幽香おねーさんは生ける者として堕ちた存在であるはずだった。
だが、実際の幽香おねーさんは堕ちた存在よりもさらに下、奈落の住民だったのである。
「でも、そんな事よりも私が笑ってしまった理由は別にあるの。
あなたは私の過去や黒歴史を暴いたつもりなんだろうけど、私にしてみればそんなものは序の口。
覚り妖怪といえども根底までは読み切れなかったようね」
「それは……、もしかしてスペルカードのカップリング萌えについてですか?」
「なっ……!?」
そこで初めて幽香おねーさんの顔に驚愕が広がって行く。
対して、さとり様は反対に先ほど幽香おねーさんが浮かべたような厭らしい笑みを浮かべる。
「ごめんなさい、幽香さん。
当然の事といえば当然なんですけど、幽香さんの心は根底まで読めていましたよ?
でも、相手を苛めたい心境としてはやっぱり相手に決定的な一言を言ってほしいじゃないですか。
幽香さんも分かるでしょう? 相手がつい口を滑らせてしまって、「あっ」と言いたげな表情を浮かべる瞬間を」
恍惚の表情を浮かべながら語るさとり様。
ちなみに幽香おねーさんには分かるかもしれないが、アタイには全く分からない。
未知の領域である。
ドSと言葉で書けばたった二文字なのだが、その意味のなんと腐海……じゃなかった、深いものか。
「さらに言えば、前述した腐女子趣味がこのスペルカードのカップリング萌えを隠すための、いわば表のネタである事も十分承知でしたよ。
相手のスペルカードを見て対策をするよりも先に受け攻めを考えてしまうなんて、幻想郷の住人として終わってますよね。
私が言うのもなんですけど、これって末期じゃないんですか?
ちなみに……、私の『テリヴル・スーニヴル』は攻めか受けかどちらになるんですか? うふふふっ……」
――瞬間。
幽香おねーさんからこの世のものとは思えない程の凶悪な殺気が辺りに広がり、アタイは「ひっ!」と、思わずお空にしがみついた。
幽香おねーさんは怒っていた。
元々、さとり様は精神的なドSであるが、幽香おねーさんは肉体的なドSなのである。
舌戦ではどう見てもさとり様に分がある。
だが、こうやって幽香おねーさんが戦闘モードになってしまうと、どちらに分があるかは一目瞭然となってしまう。
「……××してあげる。
身も心も、そして記憶も残らず消し尽くしてあげる」
「戦うつもりですか。ですが、戦いになったら私は逃げます。
逃げて――」
そんな幽香おねーさん相手に対しても、さとり様の態度は相変わらず――のはずだった。
だが、さとり様が言い終わるのを幽香おねーさんが一言で黙らす。
「撃つわ」
幽香おねーさんがこちらに持っていた傘を突き出す。
「逃げる前に撃つ。
あなたなら分かるでしょう? 逃げる時間よりもこれを撃つ時間の方が圧倒的に早いわ。
……つまり、あなた達が逃げるのは不可能」
その言葉により、ついにさとり様から笑みが消えた。
それはつまり、さとり様に余裕がなくなった事を示す。
アタイは初めてこんなさとり様を見た。
いつでも相手を小馬鹿にしたような表情を浮かべて、天は人の上に人を作らずを真っ向から否定する態度をとるのがさとり様の常だった。
だが、今は真剣な表情を浮かべて、おそらくだが初めて絶望という言葉が頭に浮かんでいるはずである。
「たしかに私たち四人がそれを撃たれる前に逃げるのは不可能でしょうね」
「……ついに観念したかしら?」
「えぇ、でもいくら貴方でも四人全員を一撃で消す事もまた不可能でしょうね」
「ふぅん……」
こんな時でも淡々と語るさとり様はさすがと言えた。
「よって、この場に二人が残れば、この状況を打開できるのではないでしょうか?
時間にして一人五秒。二人で十秒も稼げれば十分ですよね」
「自分と妹が犠牲になってペット二匹を逃がす……。
なかなか面白い事を考えるのね」
「主ゆえ。
それが失策を実行してしまった私が招いた事ならば尚の事!!」
堂々と宣言するさとり様。
ここに、アタイは理想的な主様を見た。
そして、アタイはそんな理想的な主様のペットでいられた事を誇らしく思った。
「行きなさい、お燐!!
今こそ主のために命を投げ捨てる時っ!!!」
「アタイの忠誠心を返せ~~~~っ!!!!!!!!!!」
思わずさとり様につっこむ。
そうとは思っていたけど! そんな格好いい事をさとり様が言うはずがないと思っていたけど!!
この仕打ちは酷過ぎるっ!!!
「いい事、お燐。
『空腹時に与えられたパンには命ほどの価値がある』という言葉があるわ。
私はこれまでに何回あなたに空腹時にご飯を食べさせてあげた?
私に捧げられる命の数は一つや二つではないはずよ。
来世でも、来々世でも、あなたは私に命を投げ出さなければいけないはずよ」
「そんな無茶苦茶な話なんて聞いた事もないですっ!」
冷静に諭そうとするさとり様に対して、アタイは再度つっこむ。
とすると、何か? さとり様は、アタイを捨て駒にするために毎日ご飯を作ってくれていた事になるのだろうか?
アタイはそれを何の考えもなしに美味しく食べていたけど、さとり様の中では食べたご飯=捧げられる命、という方程式が組みあがっていたのであろうか。
そんな重すぎるご飯は嫌だ!
「何言ってるの、あなたが尊敬して止まない主である私を助けられるばかりか、目に入れても痛くないこいしまでも助ける事ができるのよ。
これ以上の幸福が他にあって!?」
「あります! いっぱいあります!!
アタイは日々のチーズ蒸しパン生活に最高の幸福を感じています!!」
「ぐぬぬ……っ、聞きわけの悪いネコね」
このアタイとさとり様の不毛な言い争いに、幽香おねーさんは呆気に取られていた。
気づくと、傘に込めていた魔力も霧散している。
しばらくして幽香おねーさんは我に返ると、高らかに笑い声をあげた。
「あははははっ!!
まさか身代わりにしようとも思っていたペットに裏切られるなんてね。
古明地さとり、あなたの命もこれまでのようね」
「面白い事を言いますね、風見幽香さん」
さとり様がくっ、くっ、と笑みを零す。
地底最悪と言われた少女は伊達ではなかった。
「あなたはいつから時間稼ぎをするのがペット二人だと思っていたんですか?
それとも、あなたが最初に言った通りに私とこいしがペット達を逃がすための犠牲になるとでも考えていたんですか?
……まぁ、どちらも違うんですけどね」
「なんですって……!?」
「私とお燐が行った漫才によって稼げた時間は十秒以上、という事ですよ」
そう、これがアタイとさとり様が秘密裏に行った策だった。
さとり様とこいし様がアタイとお空のために時間を稼ぐのではなく。
もちろん、その逆でもない。
アタイとさとり様の二人が時間を稼ぐのである。
これぞ長年一緒に暮らしてきた主とペットが築いてきた絶大な信頼関係がなせる業と言えるだろう。
…………。
――たぶん、そう説明できたら格好いいのだろう。
しかし、真相はそうではない。
はっきり言ってしまうと、アタイは素でさとり様の言動に驚き、何の裏もなくさとり様につっこんだのである。
ここにあまり知られていないさとり様のサードアイのもう一つの力が存在する。
例えばアタイが何かをしゃべろうとする時、無意識のうちに今から何をしゃべるのかを頭に思い浮かべた後でそれを口にする。
さとり様は能力を使い、その思い浮かべた内容を先に読んでしまうのである。
後はその一拍の間に返す言葉を考えて、自分の有利になるように会話を自然に見せる事が可能なのだ。
時が違えば、さとり様は歴史に存在するどんな軍師よりも優れた人物になる事も可能だったのであろう。
だが、運命とは残酷なもので、何の皮肉か生命を司る神はさとり様を何の喧騒もない幻想郷に遣わしてしまった。
そのため、さとり様はその能力を不毛極まりない日常に使う事しかできないのである。
さとり様にとってそれは最大の悲劇であり、他にとっては迷惑極まりない悲劇なのは言うまでもない。
「でも、残念ね。十秒稼げたところで何も状況は変わっていないわ。
あなたの妹も、そこのペットも結局逃げる事ができていないじゃない」
その幽香おねーさんの言葉に、さとり様は最後の仕上げと言わんばかりに人差し指で上空を差した。
幽香おねーさんの顔が上空へと向けられ――その顔が徐々に驚愕へと変わっていく。
「空を見上げる少女の瞳に映る世界。
それは絶望ではなくて?」
上空にいたモノ。
それは霊夢おねーさんに、勇儀ねーさん、さらには天狗のおねーさんの3人だった。
いずれもさとり様に敗れた幻想郷の猛者である。
さとり様に弱みを握られた三人は己の秘密を守るべく、呼びかけに応じてたった十秒足らずでこの場所に駆けつけたのだ。
巫女、鬼、さらには天狗。幻想郷切っての実力者が三人もそろってしまえば、いかに幽香おねーさんといえどもその包囲網は簡単に突破する事はできないだろう。
「ではご機嫌よう、風見優香さん。
また出会える事を楽しみにしていますわ」
「次出会った時は……有無を言わさず××してあげるんだから。
この卑怯者め」
「卑怯者……ですか。
それは覚り妖怪にとって最大の誉め言葉ですね。
だって、覚り自体が卑怯と呼ばれるこの世の中ですもの」
☆ ☆ ☆
物語の終焉の場所にアタイ達はたどりつく。
鼻毛の原因が幽香おねーさんではない事にさとり様は途中から気付いていたらしい。
それでも最後まで手を緩めなかったのは、言うまでもなくさとり様の趣味という事だ。
その趣味にアタイまで付き合わされる事になるとは、なんとも損な役回りである。
最後の相手はもっと楽な相手だといいのだが。
「鈴蘭畑ですね。
鈴蘭の毒で周りに紫色の霧が発生しちゃってますよ」
「そうね、でも私たちにとっては何の問題もない出来事だわ。
いつものヤマメの汚染に比べたらラベンダーみたいなものね」
ラベンダーは言い過ぎでは? と思ったけど、たしかにアタイも同じような感想を抱いていた。
もし、最後の相手の能力がこの毒だけならば、さとり様が相手するまでもなくアタイだけで決着が着いてしまう事だろう。
――と、アタイが死亡フラグを立てた時だった。
「こんぱろ~♪ こんぱろ~♪」
どんよりとした毒畑としては不自然な程に陽気な歌が近づいてきた。
アタイ達の前に姿を現したのは一体の人形――いや、何の魔力もなしに自律している事から人形に宿った妖怪という事だろう。
幽香おねーさんに比べたら何の威圧感もない。
鬼に悪霊何でもござれの環境で暮らしてきたアタイにとっては、目の前の毒人形は低級妖怪であると決めつける事ができた。
毒人形はアタイ達を見るとにっこりと笑みを浮かべた。
さとり様のような厭らしい笑みではなく、少女らしい純粋な笑みだった。
「いつからヤマメと同じ程度の毒だと思ってた?」
「え?」
舐めてかかっていたアタイ達が悪かったのかもしれない。
すでに毒人形の攻撃は始まっていたのである。
もさっ。
と、効果音が出る程の勢いでアタイの鼻から毛が生えていく。
見るとさとり様もこいし様もお空にも同様の兆候が見られた。
「ヤマメに毒を教えたのはこの私、メディスン=メランコリー。
師匠と弟子では威力に差があるのは当たり前でしょう?」
くすくす笑う少女――メディに対して、我が主は――
無言だった。
いつもの相手を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる事なく、余裕綽々で相手を見下ろす事もなく、それどころかアタイの勘違いでなければ、さとり様は驚きの表情を見せていた。
「さとり様……?」
問いかけるが返答はない。
耳を澄ましてみると、さとり様が「そんな馬鹿な……」とか「ありえない……」とか憎々しげに呟いているのが分かった。
さとり様以上にありえない存在などこの幻想郷にいてたまるかと思う。
「始めましてだね、地底の主さん。
私の心を読もうとしたみたいだけど、そんな無駄な事は止めた方がいいよ?
だって、私は人形だもん」
「……心ない人形」
さとり様がぽつりとつぶやく。
ここでようやくアタイも真相に気付く事ができた。
完全自律の人形といえども、メディの身体を動かしているのはあくまでも人形に宿った念である。
ゆえに人形自体に意思や心が存在するはずもなく、さとり様が能力を発動できない。
天下無敵を誇っていたさとり様にも天敵と呼べるものが存在したのである。
「それでも……私は……!!」
絶対的に信頼を寄せていた能力が使えなくても、さとり様は立ち上がる。
シリアスなセリフを吐きながらも鼻からはみょーん、と鼻毛が出ているのが台無しだったが、それを差し引いてもさとり様は格好よかった。
「例えば勇儀に鼻毛が生えたのなら、私はそれを酒の肴に楽しみましょう。
例えばお燐に鼻毛が生えたのなら、私は見て見ぬフリをしてあげましょう」
そんな事を言われると、過去にそういった事があったのではないかと心配してしまう。
「例えば私に鼻毛が生えたのなら、嫉妬妖怪をからかってその憎悪を静めましょう。
でも……あなたは、私の大切な妹に鼻毛を生やした!!」
格好よさと理不尽さが入り混じったカオスな言葉を連発するさとり様だったが、やはり鼻毛が風で揺れるのを見ると笑えてくる。
「これを許す事はできません。
例え世界が許したとしても、私は世界を滅ぼしてでもあなたに復讐を遂げてみせましょう!!」
メディの顔から笑みが消える。
ここからが本番という事だろう。
「能力が使えない主さんに何ができると言うの?」
「……あなたこそ私を誰だと思っているんですか?
心がないのならば植え付ければいいだけの事。トラウマがなければ新たに作り出すまで。
私はあなたに復讐を遂げると決めた。
私の意思は揺るがない」
淡々と語るさとり様に、アタイは今までにない恐怖を覚えていた。
今までのさとり様はどちらかといえば遊びのようなものだった。
幽香おねーさんと対峙した時でさえ、さとり様は自分の能力がどこまで通じるのか試しているようにも見えた。
だけど今は、ようやくこいし様の仇相手に出会えた今は。
能力を封じられたとかそんな事関係なく、さとり様は本気で怒っていた。
「こいしが初めて「おねーちゃん」と呼んでくれたその日から、私は世界を敵に回してでも戦う事を誓った。
こいしが初めて私のベッドに潜り込んできたその日から、私はたとえ一人になっても戦い抜く事を誓った」
「それほどまでに貴方を支えているものは何?」
メディのその言葉に、さとり様はふぅっと息をついた。
「姉ゆえ。
鼻毛によってロリ成分が減ってしまった実の妹を救うのは姉として当然の事!!」
ここに、さとり様とメディとの戦いが始まった。
だが、さとり様の圧倒的不利は変わりなかった。
相手の弱点を突くのが天才的に上手いさとり様だが、それは全て相手の心が読めるという能力があってこその戦術である。
心ない人形であるメディに対して、さとり様は自身の能力を全て封じられていると言ってもいい。
能力のないさとり様は普通の人間と何ら変わりない。地底で暮らしているだけあって瘴気に多少強いといった程度である。
舌戦でも有利はなく、弾幕ごっこなら尚更。
それでも、さとり様は怯まず顧みずメディに立ち向かおうとした。
理由が鼻毛というのが何とも緊張感に欠ける動機ではあるが、妹のために死力を尽くそうとする姉の姿に、アタイは感動すら覚えた。
頑張れ、さとり様。
アタイは何もできないから、せめてさとり様の勝利を祈っています。
「メディスンさん、一つ教えてあげましょうか。
例えば、ここに生えている鈴蘭が何を考えているのか貴方には理解できるのでしょうか?
……無理でしょうね、心ない貴方では相手の心も理解しがたいでしょうし」
「そんな事ないわ。
私はここにいるスーさん達皆の心が分かってるもの。
分かった上でスーさん達が望む事をしてあげているのよ」
「それは、嘘ですね」
そう言うと、さとり様は足を振り上げて――
何のためらいもなく、鈴蘭を一輪踏みつけた。
「なっ……!?
なんて事をするの!! 鈴蘭だって一生懸命生きてるのに、それを踏みつけるなんてっ!!」
激昂するメディに対して、さとり様は怖いくらいに冷静だった。
「ほら、やっぱり貴方には鈴蘭の気持ちなんて分かっていないじゃないですか」
「……どういう意味?」
メディがさとり様をにらみつける。
その瞳は怒りに震え、もし下手な事を口にでもしたらすぐに鼻毛毒を撒き散らす勢いであった。
これ以上鼻毛毒を撒き散らされたら、幻想少女としてモザイクがかかってしまう恐れがある。
「この鈴蘭が踏みつけられるのを嫌がっているなんて貴方はどうして分かるんですか?
人や妖怪にS属性とM属性があるのだから、植物にだってSMがあってもおかしくないでしょう?」
「そ、そんな事……!」
「ない、とおっしゃるのですか? あぁ、そうですか。口では植物の味方と言っても、結局あなたは自分と植物は別物と考えているんですよね。
だったら……鈴蘭の気持ちが分からなくても当然ですね」
「そんな事――ないっ!!
私は一番スーさん達の気持ちが分かっているんだからっ!!
だから私は言える。踏みつけられて喜ぶようなスーさんは誰一人としていないって事を!!」
メディが宣言する――その直後の事だった。
その時、アタイは信じられないものを見た。
さとり様が……微笑んだ。
「貴方は本当に鈴蘭を大事に思っているのですね。
私の負けです。私は鈴蘭を踏みつけるようなマネはしていません。
あくまでそういうフリをしただけです」
そう言ってさとり様が足を上げると、その言葉が真実である事が分かった。
あの時は一瞬で分からなかったが、さとり様が踏みつけていたのは鈴蘭ではなくただの地面だったのである。
それを見て、メディは「あははっ」と力のない笑い声をあげた。
「私も、なんだか誤解してたみたい……。
地底の主さんってよくない噂ばかり聞いてたから、その抵抗に私の八0一ある毒の一つ鼻毛毒をばら撒いちゃったの。
ごめんなさい」
「いいえ、お互い様ですよ。
私も貴方にはずいぶんと酷い事を言ってしまいました。
非礼を申し上げます」
「ううん、そんな事ない。
あ、そうだ。じゃあこれからの友好の証に今からティーパーティーでもどうかな?
毒を育てるのも上手いけど、ハーブを育てるのもちょっとしたものなんだよ?」
「えぇ、ぜひお断りさせて頂きます」
「えっ!?」
その言葉は誰のものだったのだろう。
アタイかもしれないし、メディかもしれない。
少なくともアタイは驚いて声をあげた。それほどまでにさとり様の言葉は突拍子もないものだったのだ。
空気読めてないグランプリが存在するのなら、この時のさとり様が断トツになるくらいに。
「え、えっとぉ、私の聞き間違いだったのかな。
改めて聞くね。地底の主さん、今からティーパーティーを開くのだけれどご一緒にいかが?」
「なんでも言わせないでくれますか?
断固として拒否させて頂きます」
「な、なんで……?」
メディが涙目になっていた。
それもそうだろう。お互いの誤解も解けて、今から楽しくティーパーティーでも、と思った矢先の出来事である。
しかも謝罪はさとり様の方からなのだから尚の事である。
卑怯者と幽香おねーさんはさとり様に言い放っていたが、あれはペットであるアタイからしても間違いではないと思う。
さとり様は最低で最強で卑怯者なのだ。
さとり様は笑顔で嘘をつくし、笑顔で毒舌を吐く。
「私としても疑問なところですね。
もしかして、貴方はあの程度の事で誤解は解けて友達にでもなれたとでも思っていたのですか?
……悪いですけど、貴方はもう少し世間というものを知った方がいいと思いますよ?
あれぐらいで信頼が勝ち取れるなら、幻想郷中が詐欺で溢れかえっていますから」
「なんで……どうして……さっきは笑顔だったのに……」
ぽろり、とメディの瞳から涙がこぼれおちる。
心ない人形であるメディが初めて受けた裏切りであった。
それが、いがみ合っていた相手と理解し始めた直後の出来事なのだから、その反動により悲しみは倍増に膨れ上がる事となった。
さとり様は宣言通りに、心を読めない相手に対してもトラウマを植え付ける事に成功したのである。
「貴方が受けた苦しみよりも、貴方が受けた悲しみよりも、私の妹が受けたソレとは程遠いのだから。
私は決して貴方を許しはしない。
貴方が助けを求めても、私は決して手を差し伸べたりしない。
貴方は自分が犯した鼻毛毒という罪をもっと知るべきなのです」
さとり様が最期の決めセリフを言い放つ。
これで事態は収束するはずだった。
だが、それを善きとしない人物が一人いた。
「いや、どー考えても私に鼻毛が生えるより、メディちゃんが受けたトラウマの方が大きいから」
さとり様に堂々とつっこみを入れられる人物――それはこの世に一人しかおらず、言うまでもなくこいし様だった。
「こいし!? あなた、何を言っているの?」
「お姉ちゃんこそ何を言ってるのよ。
メディちゃんは自分が鼻毛毒をばら撒いた事を認めて、ちゃんとごめんなさいしたんでしょ?
オマケにティーパーティーに誘ってくれたのに断るなんて……。
だからお姉ちゃんは友達ができないんだよ?」
こいし様の言葉に、さとり様の精神ポイントはみるみるうちに削られていく。
さとり様にとってこいし様とは心が読めない上に身内ネタまで握られている唯一の存在である。
さとり様がトランプのキングならば、こいし様はジョーカーなのだ。
「さ、お姉ちゃん。ちゃんとメディちゃんに謝って。
それでみんなでパーティーしよっ♪」
こいし様がさとり様を引っ張ってメディの前まで連れていく。
ここでさとり様がメディに頭を下げれば、この異変はハッピーエンドで終わるはずだった。
だが、ここでまたしても運命の歯が狂いだす。
「……ねぇ、こいし。あなたが踏んでるのって何?」
さとり様がとある事に気付く。
その言葉により、メディを含む全員がこいし様の足元に注目された。
「……へ? 私、なんか踏んでたっけ?」
こいし様がぽつりとつぶやき足を上げる。
そこには、無残に踏み潰された一輪の鈴蘭があった。
いや、一輪だけではない。まるで誰かが無遠慮に駆けずり回ったかのように、大量の鈴蘭が踏み倒されている。
「そういえば疑問に思ったのだけど、私がメディスンさんと舌戦を繰り広げている間、こいしは何をしていたの?」
「……いやぁ、無意識に鈴蘭畑を駆けまわってたんだよ♪」
それを聞いたメディがぷるぷると震えだす。
「アホ姉妹のおたんこナス~~~~っ!!!!!!!!」
一度は仲直りができたさとり様にあっさりと裏切られ、そしてまた仲直りができたと思ったら今度はこいし様に裏切られる。
メディの心の傷は予想以上に大きそうだった。
さすがのアタイもこの古明地姉妹における二重のトラウマには同情してしまう。
「やるわね、こいし。
一度抉った心の傷をもう一度抉り返すなんて……。
そんなエグい真似はさすがの私でもできないわ」
「そんなつもりじゃないもんっ」
こいし様が華麗にオチをつけたところで、この異変はいよいよ終わりを迎える。
だが、この時のアタイは幻想郷の水面下でとんでもない事が起きている事をまだ知らなかった。
☆ ☆ ☆
古明地さとりによる幻想郷各地における凌辱がすさまじいスピードで広がっている。
これを重く見た幻想郷重鎮たちは、ついに古明地さとり討伐隊を結成。
弾幕勝負というルールの中で古明地さとりを処罰する事が決定付けられた。
だが、事態は簡単には進まなかった。
古明地さとりは己の拠点である地霊殿ばかりか地底全土を掌握しているために、進行が思うように進まなかったのである。
加えて力の象徴である鬼が古明地さとりの味方についたばかりか、幻想郷の目とも言える天狗たちまでも古明地さとりの味方となった。
協力を仰いだ風見幽香にいたっては「あの娘とはまだ戦う時期ではない」と拒否される結果となってしまう。
さらに最悪な事に、幻想郷の中心である博麗霊夢が討伐隊を真っ向から否定。
こうなっては力で古明地さとりを抑え込む事は不可能となってしまった。
だが、何もしなければ古明地さとりの勢力を拡大させる結果となる。
そこで、最後の手段である私――稗田阿求に行く末を託される事となった。
とはいえ、私ができる事といえば書物を書く事ぐらいである。
『東方求聞口授』
秘密裏に古明地さとりのペット(匿名希望)に取材を申し込み、できる限りの真実を書き連ねた。
これを見て、いかに古明地さとりが凶悪な妖怪であるかを知ってもらう事を、私は願うばかりである。
了。
前作を見ていない方は↑にあるリンクからどうぞ。
『古明地こいしに鼻毛が生えました』
「なるほど。そういう経緯で私の元へ訪れたというわけですか」
「えぇ、悪い風を起こす妖怪と言えば天狗がその筆頭に当たるでしょう、射命丸文さん」
さとり様があくまでも冷徹に、天狗のおねーさんに言い放つ。
さとり様は普段は温厚で根暗。引きこもりと読書をこよなく愛す駄目妖怪だが、こいし様の事となると心の奥底に隠していた第2の人格が姿を現す。
この人格がでてくると、さとり様を止められる者は存在しない。
忌み嫌われた地底妖怪の代表格として、その迷惑極まりない能力を容赦なく発揮させるのである。
アタイ――火焔猫燐はさとり様のペットだから直接被害を受けた事はないが、敵にしたくないランキング第一位を独走中なのは間違いないだろう。
「妹の古明地こいしさんに鼻毛が生える。
たしかに鼻毛が生える原因は汚染された悪風のせいだとされていますね。
事実、空気が綺麗な場所では鼻毛は生えないと言いますしね」
「空気が綺麗な場所――つまり地底に悪風を持ち込んだのは天狗。
私の推理に間違いはないでしょう?」
「残念ですが……」
天狗のおねーさんが言い終わる前に、さとり様がにやりと笑うのをあたいは見逃さなかった。
例によって例の如く。公開処刑タイムの始まりである。
「私のこのサードアイを前にして嘘が突き通せるとでも?」
「……嘘ではなく真実ならば隠し通せるのでしょう?」
「どういう意味かしら?」
「言葉で説明するより実際に読んで頂いた方が分かりやすいと思いますよ」
「大した自信ね……」
天狗のおねーさんが思わぬ反撃に出る。
さとり様の能力を防ぎきる事は絶対に不可能。発動すれば最後、後は恥ずかしい過去から隠したい黒歴史が暴かれるはずなのだが。
アタイの目から見ても、天狗のおねーさんには妙な自信が感じられた。
「さとりさんが自身の能力によって幻想郷の著名人に壊滅的被害を与えているのは百も承知。
いつか私の元へも来るだろうと思って、すでに対策済みなんです」
サードアイの発動。
これによりさとり様は絶対的有利に立つはずだった。
だがアタイの予想に反して、さとり様はため息を漏らす。そこにいつもの余裕は感じられなかった。
「なるほど……、たしかにあなたの心の中は深層心理までパンチラで埋め尽くされていますね。
しかもあなたはパンチラを撮る事、及びバラされる事に全くの危機感を覚えていない。
これではいくら過去を暴いても、あなたに精神的ダメージを与える事はできないようですね」
さとり様が素直に認める。
発動すれば防ぐ事は不可能と呼ばれていたさとり様の能力にも欠点があったのである。
それがまさかパンチラで頭を埋め尽くすとはアタイも考えなかったが、これによりさとり様が窮地に立たされる事となるのは間違いないだろう。
…………。
と、思うのが普通の意見かもしれない。
だが、忘れてはいけない。さとり様は最強ではあるが、同時に最低な妖怪なのである。
アタイ達の主がその程度の対策で看破できると思ったら大間違いなのだ。
「さ、おとなしく私の話を聞いてください。
天狗はこの件に関しては何の関与もしておりません。
さとりさんがそれで納得しないのならば、私もできるだけ異変の手助けをする事を約束いたしましょう」
「……私も甘く見られたものね」
「え?」
そこで、天狗のおねーさんの表情が一変する。
彼女は勘違いしていたのである。
自身が対峙している目の前の少女は、正々堂々などいう言葉は一切持ち合わせていない非常に悪質な存在である事を。
スペルカード戦であれば、そこにルールは存在する。
それに慣れ過ぎていた天狗のおねーさんにとって、さとり様という真逆の存在は想像しがたいものだったのである。
さとり様にルールなんて通用しない。
「いくら心がパンチラで埋め尽くされていたとしても、異変の真相に天狗が関係あるかどうかを読むのは私にとっては朝飯前。
では、なぜ、私がそれほどまでにあなたに精神的ダメージを与えるのに固執しているのか?」
「……まさか」
「ドSゆえ。
それが妹の復讐という表向きの理由を挙げられながらの行動ならば尚の事!!」
こういうのを堂々と宣言してしまうのが古明地さとりという少女である。
さとり様を普通の物差しで測ってはいけない。
さとり様は忌み嫌われた地底の妖怪たちにも嫌われた最底辺の妖怪なのである。
一般的に卑怯と呼ばれている方法がさとり様にとっての王道であり。
一般的に禁忌と呼ばれている方法がさとり様にとっての名案なのである。
実際のところ、さとり様がサードアイを発動しようがしまいかは関係なのだ。
さとり様と出会っただけで、さとり様と同じ場所で同じ空気を吸ってしまっただけで、標的となり苛められる相手となりえてしまうのだ。
「いい事を教えてあげましょうか、射命丸文さん。
私はこのサードアイによって他人の心が読める事はあなたもすでにご存じの通りです。
つまり。
私がこうやってサードアイをさも発動させたように見せて。
あなたの目を見ながら、さもあなたの心を読んだようにしゃべるだけで――それがどんな嘘であれ、事実となってしまうんですよ」
「あ……うぅ……」
さとり様の恐ろしさに気付いた天狗のおねーさんが後ずさりを始める。
それを見て、さとり様は厭らしい笑みを浮かべた。
「見えます、見えます。あなたの心が見えます。
ふむふむ、射命丸文さんは同僚のはたてさんに恋をしているようですね」
「ちょっ!? さとりさん、いきなり何を言ってるんですか!?」
「あら、あなたがはたてさんに恋しようがしまいが関係ないんです。
私が言ってる事が事実なのですから」
「あ、あぅぅ~……」
「おや、はたてさんに恋している事よりもおもしろいネタを見つけましたよ。
あなた、大天狗に反旗を翻す準備を進めているんですね」
「やめてぇ~!! 私、そんなの考えてませんから!!
パンチラを! 私のパンチラを読んで~!!!!!」
半狂乱になりながら、本当の真実を叫びまくる天狗のおねーさん。
「パンチラ、パンチラ」と叫びまくる怪しい天狗と、静かに語る少女妖怪。
傍から見ればどちらが怪しいのか一目瞭然なところも、きっとさとり様の策略の一つなのだろう。
絡め手に搦め手を重ねて、ここにさとり様の完全勝利は確実なものとなった。
「さて、次の場所へ行きましょうか」
そう言って振り返るさとり様には満面の笑みが浮かんでいた。
「手掛かりは掴めたんですか?」
「えぇ、お燐。射命丸文さんは人格崩壊の前に、重要な手掛かりを頭に浮かべてくれました」
「それは?」
「花粉ですよ。
花粉が鼻にはいるとくしゃみが出ます。それを防ぐために鼻毛が生えてきてしまう。
そう、鼻毛の原因は悪い花粉をばら撒く悪いひまわり妖怪の仕業だったんです」
☆ ☆ ☆
次にアタイ達が訪れたのは太陽の畑と呼ばれる場所である。
アタイが仕入れた情報によると、ここにはアルティメットサディスティッククリーチャーと呼ばれる最強のドS妖怪が君臨しているとの事である。
だが、さとり様はそんな事をお構いなしにずんずんと突き進む。
「暑いわね」
「そうですね……」
先ほどいた妖怪の山では周りに生い茂る木々が強い日差しを防いでくれていたのだが、ここではまともに直射日光を浴びる事になる。
普段、地底の奥底に住んでいるアタイ達にとってこの暑さはなんとも耐えがたいものであった。
「早く来ないかしらね、そのひまわりの妖怪は……」
全く臆することなく、そんな事を言い放つ我が主。
彼女には躊躇とかいう言葉も存在しないらしい。
「そういえば、ひまわりの妖怪っていうくらいなんだから、ひまわりを一本折ったらすぐに飛んできたりして~♪」
お空がそんな馬鹿な事を言い出す。
まさか、そんな事あるわけないのに。
「あぁ、それは名案だわ」
ぼきっ。
即断即決。
本当に我が主には躊躇がない。
と。
のんきに考えていた時だった――!!
ぼしゅっ! と、何かが突き抜ける音が聞こえて顔を上げる。
その瞬間に、あたいの目の前を黄金に輝く超高密度の弾幕が目に留まらない程の猛スピードで駆け抜けていく。
声を上げるのも忘れて、腰が抜けるのも気づかず、アタイはただその弾幕を見つめる事しかできなかった。
一瞬遅れて、つんざく大弩音。さらには土が削り、抉れて、その土砂が辺りに降り注いだ。
弾幕はそのままアタイ達の目の前を通り過ぎると、そのままのスピードを保ちながらはるか水平線彼方へと飛んで行く。
この間わずか1秒足らず。
まさに一瞬の出来事であった。
ようやくアタイの頭が今起こった出来事を理解し始め、同時に身体中から嫌な汗が流れ出し、膝の力が抜けてその場に跪く。
お空が本気を出した時の弾幕も恐ろしいものがあるが、これはそれと同等。
いや贔屓目というフィルターを外したらそれ以上かもしれない。
しかもこの弾幕は驚いた事にルナティックではなくイージーなのだ。
「最近の妖怪は礼儀というものを知らないようね」
そこに少女の声が静かに響いた。
先ほどの弾幕に比べれば、はるかに小さな音。大弩音を近くで聞いて鼓膜がおかしくなっていたアタイの耳からしてみれば、見逃しそうなほどの微音。
なのに、その声に畏怖と戦慄の二重奏が奏でられているのだけははっきりと感じ取る事ができた。
「こんにちは、風見幽香さん」
さとり様が何事もなかったようにその声の主に話しかける。
見ると、さとり様は別段驚いた様子も何もない。まるで、今の弾幕を予想できていたかのように。
「へぇ、誰かと思えば地底妖怪じゃない。
最近幻想郷各地で暴れ回っているっていう噂は聞いていたけど、まさか私の元に来るとはね」
「えぇ、幻想郷のみなさんは嘘つきばかりで困っているんですよ」
うふふっ、と幽香おねーさんが笑い。
あははっ、とさとり様が笑い返す。
本能的に、この二人はお互いが自分と同じ存在である事を感じ取っているようである。
運命とは残酷なもので、ついに幻想郷はこの二人を出会わせてしまった。
最低妖怪の名を欲しいままにしてきた古明地さとり様。
最強妖怪と呼ばれるに相応しい実力を持つ風見幽香おねーさん。
出会ってはいけない幻想郷一のドS妖怪が、ここに相対する事となったのである。
「たしかに嘘つきばかりね。
ひまわりを踏んでおいて謝らない地底妖怪なんてその典型的な例だわ」
「あら、ごめんなさい。
地底にはひまわりのような美しい花が咲いていないものでして。
つい嫌がらせをしたくなってしまいました」
「私を舐めているつもりかしらね、古明地さとり」
「私はいつでも真面目に生きているつもりですよ、風見幽香さん」
ばちばち、と。
文字通りの火花が二人の間を交差する。
どちらが先に攻撃をしかけるのか、それをどちらもが伺っている様子であった。
「じゃあ、真面目にあなたがその能力を使うところを見せてもらおうかしらね。
ただし、それが私に通じればの話だけど?」
「えぇ、じゃあ遠慮なくお披露目と参りましょうか」
さとり様のサードアイが怪しく光る。
先に仕掛けたのはさとり様だった。
それを、幽香おねーさんは余裕の笑みを浮かべながら見つめる。
「へぇ、幽香さんって意外にも腐女子だったんですね」
「なんですって……!?」
一瞬、幽香おねーさんの表情に陰りが見えた。
「幻想郷乙女ロードと言うんですか?
大通りから一つ入ったところにそういう腐女子さん達が通う通りがあるみたいですね。
BLとでも言うんでしょうか。
幽香さんは男の子と男の子との恋愛にはまってらっしゃるようですね」
「…………」
幽香おねーさんは黙って聞いている。
アタイには、その沈黙が恐ろしくも見えた。
「へぇ、現在はこーりん×雲山が流行っているんですか。
こーりんのヘタレ攻めとでも言うんでしょうか。
強気な雲山が落ちていくところが腐女子さん達のネタの中心となっているようですね」
容赦なくしゃべり続けるさとり様。
アタイは聞いていくうちに、幻想郷も広い世界なんだなぁ、と一人感心していた。
「……それで終わりかしら?」
そこでようやく幽香おねーさんが口を開く。
恥ずかしい過去を暴きだされたにしては、なんだか冷静すぎるような気がした。
「まだ、ありますよ。
幽香さんは最近漫画を書いていらっしゃるようですね。
自分を主人公にした恋愛もの。
とある事情から男装して男子高に入らないといけなくなった主人公が、そこで出会った男の子達に惹かれていく。
不良で見た目は怖そうだけど、雨の日に捨て猫に餌を上げる本当は心優しいAくん。
主人公ばかりに冷たく当たるけど、ある日暴漢から救ってくれたBくん。
学園の理事長の息子で主人公の男装を唯一知られてしまったCくん。……あら、この方が本命のようですね。
王道ストーリーとでも言うんでしょうか。
なかなか面白い漫画を描かれているようですね」
さらに隠したい黒歴史も暴かれる幽香おねーさん。
だが、不気味にも表情に変わりはなく、たださとり様の言う事を聞くのみだった。
その事が逆にアタイを恐ろしくさせた。
「この事実、幻想郷中にばらまいたら幽香さんの評価はガタ落ちでしょうね。
アルティメットサディスティッククリーチャー、ただし中身は腐女子――とでも呼ばれるようになるんでしょうか?
まぁ、真実というのはいつまでも隠し通せるものでもありませんし、ここら辺で自分をカミングアウトするのも一つの手と言えるでしょうね。
私がそのお手伝いをできるのは光栄の限りです。
あぁ、ちなみに今更こいしに鼻毛を生やした真相を白状しても許してあげられませんから。
だって、これは私の趣味ですもの」
「ふふふっ……、あっはっはっはっはっ!」
……そこで、幽香おねーさんが口を開いた。
幽香おねーさんの顔には笑みが浮かんでいた。
楽しくて楽しくてたまらないと言った風な笑み。
アタイはこの笑みを知っていた。そう、さとり様が相手を追い詰めた時に浮かべる笑みにそっくりだった。
幽香おねーさんは恥ずかしい過去と黒歴史を暴かれたはずなのに、この笑みを浮かべている。
究極嗜虐生物――ただし中身は腐女子――は、同時に苛められるのも大好きな両刀使いだったという事であろうか。
「もう壊れちゃいましたか。風見幽香さんといえどもあっけなかったですね」
「おかしいわよ。これを笑わずにはいられないものかしらね」
無傷だった。
さとり様のサードアイに対して、幽香おねーさんは全くの無傷で耐えてしまったのである。
先ほどの天狗のおねーさんは対策をした上でさとり様のサードアイに耐えたが、幽香おねーさんは真っ向から打ち破ってしまった。
「地底には他人の心を読む最低な妖怪がいると聞いていたから会えるのを楽しみにしていたのに……。この程度とはね」
「…………」
今度はさとり様が黙る番だった。
「私が腐女子であることがばれたら、私の評価が落ちるはずですって?
そんな事あるわけないじゃない。
なぜなら、幻想郷の住人には私が腐女子であることはすでに知れ渡っているのだから。
当然でしょう? サイン会やら先行販売、さらには腐女子仲間との交流まで大々的に行っていて、しかも大きな紙袋を堂々と持ち歩いているんだから、気づかない方がおかしいわよ。
それに、貴方はもう一つ私の黒歴史を暴いたといったわね。
残念。それもすでに幻想郷中に知れ渡っている事実よ。いえ、地底には轟いていないのだから私もまだまだなのかもしれないわね。
漫画家としての『ゆうかざみ』といえば、自分でいうのもなんだけど幻想郷のトップを突き進む大スター的な存在よ。
先日も家に大量の花束が届いちゃって困ったものだわ」
さとり様が読んだ幽香おねーさんは生ける者として堕ちた存在であるはずだった。
だが、実際の幽香おねーさんは堕ちた存在よりもさらに下、奈落の住民だったのである。
「でも、そんな事よりも私が笑ってしまった理由は別にあるの。
あなたは私の過去や黒歴史を暴いたつもりなんだろうけど、私にしてみればそんなものは序の口。
覚り妖怪といえども根底までは読み切れなかったようね」
「それは……、もしかしてスペルカードのカップリング萌えについてですか?」
「なっ……!?」
そこで初めて幽香おねーさんの顔に驚愕が広がって行く。
対して、さとり様は反対に先ほど幽香おねーさんが浮かべたような厭らしい笑みを浮かべる。
「ごめんなさい、幽香さん。
当然の事といえば当然なんですけど、幽香さんの心は根底まで読めていましたよ?
でも、相手を苛めたい心境としてはやっぱり相手に決定的な一言を言ってほしいじゃないですか。
幽香さんも分かるでしょう? 相手がつい口を滑らせてしまって、「あっ」と言いたげな表情を浮かべる瞬間を」
恍惚の表情を浮かべながら語るさとり様。
ちなみに幽香おねーさんには分かるかもしれないが、アタイには全く分からない。
未知の領域である。
ドSと言葉で書けばたった二文字なのだが、その意味のなんと腐海……じゃなかった、深いものか。
「さらに言えば、前述した腐女子趣味がこのスペルカードのカップリング萌えを隠すための、いわば表のネタである事も十分承知でしたよ。
相手のスペルカードを見て対策をするよりも先に受け攻めを考えてしまうなんて、幻想郷の住人として終わってますよね。
私が言うのもなんですけど、これって末期じゃないんですか?
ちなみに……、私の『テリヴル・スーニヴル』は攻めか受けかどちらになるんですか? うふふふっ……」
――瞬間。
幽香おねーさんからこの世のものとは思えない程の凶悪な殺気が辺りに広がり、アタイは「ひっ!」と、思わずお空にしがみついた。
幽香おねーさんは怒っていた。
元々、さとり様は精神的なドSであるが、幽香おねーさんは肉体的なドSなのである。
舌戦ではどう見てもさとり様に分がある。
だが、こうやって幽香おねーさんが戦闘モードになってしまうと、どちらに分があるかは一目瞭然となってしまう。
「……××してあげる。
身も心も、そして記憶も残らず消し尽くしてあげる」
「戦うつもりですか。ですが、戦いになったら私は逃げます。
逃げて――」
そんな幽香おねーさん相手に対しても、さとり様の態度は相変わらず――のはずだった。
だが、さとり様が言い終わるのを幽香おねーさんが一言で黙らす。
「撃つわ」
幽香おねーさんがこちらに持っていた傘を突き出す。
「逃げる前に撃つ。
あなたなら分かるでしょう? 逃げる時間よりもこれを撃つ時間の方が圧倒的に早いわ。
……つまり、あなた達が逃げるのは不可能」
その言葉により、ついにさとり様から笑みが消えた。
それはつまり、さとり様に余裕がなくなった事を示す。
アタイは初めてこんなさとり様を見た。
いつでも相手を小馬鹿にしたような表情を浮かべて、天は人の上に人を作らずを真っ向から否定する態度をとるのがさとり様の常だった。
だが、今は真剣な表情を浮かべて、おそらくだが初めて絶望という言葉が頭に浮かんでいるはずである。
「たしかに私たち四人がそれを撃たれる前に逃げるのは不可能でしょうね」
「……ついに観念したかしら?」
「えぇ、でもいくら貴方でも四人全員を一撃で消す事もまた不可能でしょうね」
「ふぅん……」
こんな時でも淡々と語るさとり様はさすがと言えた。
「よって、この場に二人が残れば、この状況を打開できるのではないでしょうか?
時間にして一人五秒。二人で十秒も稼げれば十分ですよね」
「自分と妹が犠牲になってペット二匹を逃がす……。
なかなか面白い事を考えるのね」
「主ゆえ。
それが失策を実行してしまった私が招いた事ならば尚の事!!」
堂々と宣言するさとり様。
ここに、アタイは理想的な主様を見た。
そして、アタイはそんな理想的な主様のペットでいられた事を誇らしく思った。
「行きなさい、お燐!!
今こそ主のために命を投げ捨てる時っ!!!」
「アタイの忠誠心を返せ~~~~っ!!!!!!!!!!」
思わずさとり様につっこむ。
そうとは思っていたけど! そんな格好いい事をさとり様が言うはずがないと思っていたけど!!
この仕打ちは酷過ぎるっ!!!
「いい事、お燐。
『空腹時に与えられたパンには命ほどの価値がある』という言葉があるわ。
私はこれまでに何回あなたに空腹時にご飯を食べさせてあげた?
私に捧げられる命の数は一つや二つではないはずよ。
来世でも、来々世でも、あなたは私に命を投げ出さなければいけないはずよ」
「そんな無茶苦茶な話なんて聞いた事もないですっ!」
冷静に諭そうとするさとり様に対して、アタイは再度つっこむ。
とすると、何か? さとり様は、アタイを捨て駒にするために毎日ご飯を作ってくれていた事になるのだろうか?
アタイはそれを何の考えもなしに美味しく食べていたけど、さとり様の中では食べたご飯=捧げられる命、という方程式が組みあがっていたのであろうか。
そんな重すぎるご飯は嫌だ!
「何言ってるの、あなたが尊敬して止まない主である私を助けられるばかりか、目に入れても痛くないこいしまでも助ける事ができるのよ。
これ以上の幸福が他にあって!?」
「あります! いっぱいあります!!
アタイは日々のチーズ蒸しパン生活に最高の幸福を感じています!!」
「ぐぬぬ……っ、聞きわけの悪いネコね」
このアタイとさとり様の不毛な言い争いに、幽香おねーさんは呆気に取られていた。
気づくと、傘に込めていた魔力も霧散している。
しばらくして幽香おねーさんは我に返ると、高らかに笑い声をあげた。
「あははははっ!!
まさか身代わりにしようとも思っていたペットに裏切られるなんてね。
古明地さとり、あなたの命もこれまでのようね」
「面白い事を言いますね、風見幽香さん」
さとり様がくっ、くっ、と笑みを零す。
地底最悪と言われた少女は伊達ではなかった。
「あなたはいつから時間稼ぎをするのがペット二人だと思っていたんですか?
それとも、あなたが最初に言った通りに私とこいしがペット達を逃がすための犠牲になるとでも考えていたんですか?
……まぁ、どちらも違うんですけどね」
「なんですって……!?」
「私とお燐が行った漫才によって稼げた時間は十秒以上、という事ですよ」
そう、これがアタイとさとり様が秘密裏に行った策だった。
さとり様とこいし様がアタイとお空のために時間を稼ぐのではなく。
もちろん、その逆でもない。
アタイとさとり様の二人が時間を稼ぐのである。
これぞ長年一緒に暮らしてきた主とペットが築いてきた絶大な信頼関係がなせる業と言えるだろう。
…………。
――たぶん、そう説明できたら格好いいのだろう。
しかし、真相はそうではない。
はっきり言ってしまうと、アタイは素でさとり様の言動に驚き、何の裏もなくさとり様につっこんだのである。
ここにあまり知られていないさとり様のサードアイのもう一つの力が存在する。
例えばアタイが何かをしゃべろうとする時、無意識のうちに今から何をしゃべるのかを頭に思い浮かべた後でそれを口にする。
さとり様は能力を使い、その思い浮かべた内容を先に読んでしまうのである。
後はその一拍の間に返す言葉を考えて、自分の有利になるように会話を自然に見せる事が可能なのだ。
時が違えば、さとり様は歴史に存在するどんな軍師よりも優れた人物になる事も可能だったのであろう。
だが、運命とは残酷なもので、何の皮肉か生命を司る神はさとり様を何の喧騒もない幻想郷に遣わしてしまった。
そのため、さとり様はその能力を不毛極まりない日常に使う事しかできないのである。
さとり様にとってそれは最大の悲劇であり、他にとっては迷惑極まりない悲劇なのは言うまでもない。
「でも、残念ね。十秒稼げたところで何も状況は変わっていないわ。
あなたの妹も、そこのペットも結局逃げる事ができていないじゃない」
その幽香おねーさんの言葉に、さとり様は最後の仕上げと言わんばかりに人差し指で上空を差した。
幽香おねーさんの顔が上空へと向けられ――その顔が徐々に驚愕へと変わっていく。
「空を見上げる少女の瞳に映る世界。
それは絶望ではなくて?」
上空にいたモノ。
それは霊夢おねーさんに、勇儀ねーさん、さらには天狗のおねーさんの3人だった。
いずれもさとり様に敗れた幻想郷の猛者である。
さとり様に弱みを握られた三人は己の秘密を守るべく、呼びかけに応じてたった十秒足らずでこの場所に駆けつけたのだ。
巫女、鬼、さらには天狗。幻想郷切っての実力者が三人もそろってしまえば、いかに幽香おねーさんといえどもその包囲網は簡単に突破する事はできないだろう。
「ではご機嫌よう、風見優香さん。
また出会える事を楽しみにしていますわ」
「次出会った時は……有無を言わさず××してあげるんだから。
この卑怯者め」
「卑怯者……ですか。
それは覚り妖怪にとって最大の誉め言葉ですね。
だって、覚り自体が卑怯と呼ばれるこの世の中ですもの」
☆ ☆ ☆
物語の終焉の場所にアタイ達はたどりつく。
鼻毛の原因が幽香おねーさんではない事にさとり様は途中から気付いていたらしい。
それでも最後まで手を緩めなかったのは、言うまでもなくさとり様の趣味という事だ。
その趣味にアタイまで付き合わされる事になるとは、なんとも損な役回りである。
最後の相手はもっと楽な相手だといいのだが。
「鈴蘭畑ですね。
鈴蘭の毒で周りに紫色の霧が発生しちゃってますよ」
「そうね、でも私たちにとっては何の問題もない出来事だわ。
いつものヤマメの汚染に比べたらラベンダーみたいなものね」
ラベンダーは言い過ぎでは? と思ったけど、たしかにアタイも同じような感想を抱いていた。
もし、最後の相手の能力がこの毒だけならば、さとり様が相手するまでもなくアタイだけで決着が着いてしまう事だろう。
――と、アタイが死亡フラグを立てた時だった。
「こんぱろ~♪ こんぱろ~♪」
どんよりとした毒畑としては不自然な程に陽気な歌が近づいてきた。
アタイ達の前に姿を現したのは一体の人形――いや、何の魔力もなしに自律している事から人形に宿った妖怪という事だろう。
幽香おねーさんに比べたら何の威圧感もない。
鬼に悪霊何でもござれの環境で暮らしてきたアタイにとっては、目の前の毒人形は低級妖怪であると決めつける事ができた。
毒人形はアタイ達を見るとにっこりと笑みを浮かべた。
さとり様のような厭らしい笑みではなく、少女らしい純粋な笑みだった。
「いつからヤマメと同じ程度の毒だと思ってた?」
「え?」
舐めてかかっていたアタイ達が悪かったのかもしれない。
すでに毒人形の攻撃は始まっていたのである。
もさっ。
と、効果音が出る程の勢いでアタイの鼻から毛が生えていく。
見るとさとり様もこいし様もお空にも同様の兆候が見られた。
「ヤマメに毒を教えたのはこの私、メディスン=メランコリー。
師匠と弟子では威力に差があるのは当たり前でしょう?」
くすくす笑う少女――メディに対して、我が主は――
無言だった。
いつもの相手を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる事なく、余裕綽々で相手を見下ろす事もなく、それどころかアタイの勘違いでなければ、さとり様は驚きの表情を見せていた。
「さとり様……?」
問いかけるが返答はない。
耳を澄ましてみると、さとり様が「そんな馬鹿な……」とか「ありえない……」とか憎々しげに呟いているのが分かった。
さとり様以上にありえない存在などこの幻想郷にいてたまるかと思う。
「始めましてだね、地底の主さん。
私の心を読もうとしたみたいだけど、そんな無駄な事は止めた方がいいよ?
だって、私は人形だもん」
「……心ない人形」
さとり様がぽつりとつぶやく。
ここでようやくアタイも真相に気付く事ができた。
完全自律の人形といえども、メディの身体を動かしているのはあくまでも人形に宿った念である。
ゆえに人形自体に意思や心が存在するはずもなく、さとり様が能力を発動できない。
天下無敵を誇っていたさとり様にも天敵と呼べるものが存在したのである。
「それでも……私は……!!」
絶対的に信頼を寄せていた能力が使えなくても、さとり様は立ち上がる。
シリアスなセリフを吐きながらも鼻からはみょーん、と鼻毛が出ているのが台無しだったが、それを差し引いてもさとり様は格好よかった。
「例えば勇儀に鼻毛が生えたのなら、私はそれを酒の肴に楽しみましょう。
例えばお燐に鼻毛が生えたのなら、私は見て見ぬフリをしてあげましょう」
そんな事を言われると、過去にそういった事があったのではないかと心配してしまう。
「例えば私に鼻毛が生えたのなら、嫉妬妖怪をからかってその憎悪を静めましょう。
でも……あなたは、私の大切な妹に鼻毛を生やした!!」
格好よさと理不尽さが入り混じったカオスな言葉を連発するさとり様だったが、やはり鼻毛が風で揺れるのを見ると笑えてくる。
「これを許す事はできません。
例え世界が許したとしても、私は世界を滅ぼしてでもあなたに復讐を遂げてみせましょう!!」
メディの顔から笑みが消える。
ここからが本番という事だろう。
「能力が使えない主さんに何ができると言うの?」
「……あなたこそ私を誰だと思っているんですか?
心がないのならば植え付ければいいだけの事。トラウマがなければ新たに作り出すまで。
私はあなたに復讐を遂げると決めた。
私の意思は揺るがない」
淡々と語るさとり様に、アタイは今までにない恐怖を覚えていた。
今までのさとり様はどちらかといえば遊びのようなものだった。
幽香おねーさんと対峙した時でさえ、さとり様は自分の能力がどこまで通じるのか試しているようにも見えた。
だけど今は、ようやくこいし様の仇相手に出会えた今は。
能力を封じられたとかそんな事関係なく、さとり様は本気で怒っていた。
「こいしが初めて「おねーちゃん」と呼んでくれたその日から、私は世界を敵に回してでも戦う事を誓った。
こいしが初めて私のベッドに潜り込んできたその日から、私はたとえ一人になっても戦い抜く事を誓った」
「それほどまでに貴方を支えているものは何?」
メディのその言葉に、さとり様はふぅっと息をついた。
「姉ゆえ。
鼻毛によってロリ成分が減ってしまった実の妹を救うのは姉として当然の事!!」
ここに、さとり様とメディとの戦いが始まった。
だが、さとり様の圧倒的不利は変わりなかった。
相手の弱点を突くのが天才的に上手いさとり様だが、それは全て相手の心が読めるという能力があってこその戦術である。
心ない人形であるメディに対して、さとり様は自身の能力を全て封じられていると言ってもいい。
能力のないさとり様は普通の人間と何ら変わりない。地底で暮らしているだけあって瘴気に多少強いといった程度である。
舌戦でも有利はなく、弾幕ごっこなら尚更。
それでも、さとり様は怯まず顧みずメディに立ち向かおうとした。
理由が鼻毛というのが何とも緊張感に欠ける動機ではあるが、妹のために死力を尽くそうとする姉の姿に、アタイは感動すら覚えた。
頑張れ、さとり様。
アタイは何もできないから、せめてさとり様の勝利を祈っています。
「メディスンさん、一つ教えてあげましょうか。
例えば、ここに生えている鈴蘭が何を考えているのか貴方には理解できるのでしょうか?
……無理でしょうね、心ない貴方では相手の心も理解しがたいでしょうし」
「そんな事ないわ。
私はここにいるスーさん達皆の心が分かってるもの。
分かった上でスーさん達が望む事をしてあげているのよ」
「それは、嘘ですね」
そう言うと、さとり様は足を振り上げて――
何のためらいもなく、鈴蘭を一輪踏みつけた。
「なっ……!?
なんて事をするの!! 鈴蘭だって一生懸命生きてるのに、それを踏みつけるなんてっ!!」
激昂するメディに対して、さとり様は怖いくらいに冷静だった。
「ほら、やっぱり貴方には鈴蘭の気持ちなんて分かっていないじゃないですか」
「……どういう意味?」
メディがさとり様をにらみつける。
その瞳は怒りに震え、もし下手な事を口にでもしたらすぐに鼻毛毒を撒き散らす勢いであった。
これ以上鼻毛毒を撒き散らされたら、幻想少女としてモザイクがかかってしまう恐れがある。
「この鈴蘭が踏みつけられるのを嫌がっているなんて貴方はどうして分かるんですか?
人や妖怪にS属性とM属性があるのだから、植物にだってSMがあってもおかしくないでしょう?」
「そ、そんな事……!」
「ない、とおっしゃるのですか? あぁ、そうですか。口では植物の味方と言っても、結局あなたは自分と植物は別物と考えているんですよね。
だったら……鈴蘭の気持ちが分からなくても当然ですね」
「そんな事――ないっ!!
私は一番スーさん達の気持ちが分かっているんだからっ!!
だから私は言える。踏みつけられて喜ぶようなスーさんは誰一人としていないって事を!!」
メディが宣言する――その直後の事だった。
その時、アタイは信じられないものを見た。
さとり様が……微笑んだ。
「貴方は本当に鈴蘭を大事に思っているのですね。
私の負けです。私は鈴蘭を踏みつけるようなマネはしていません。
あくまでそういうフリをしただけです」
そう言ってさとり様が足を上げると、その言葉が真実である事が分かった。
あの時は一瞬で分からなかったが、さとり様が踏みつけていたのは鈴蘭ではなくただの地面だったのである。
それを見て、メディは「あははっ」と力のない笑い声をあげた。
「私も、なんだか誤解してたみたい……。
地底の主さんってよくない噂ばかり聞いてたから、その抵抗に私の八0一ある毒の一つ鼻毛毒をばら撒いちゃったの。
ごめんなさい」
「いいえ、お互い様ですよ。
私も貴方にはずいぶんと酷い事を言ってしまいました。
非礼を申し上げます」
「ううん、そんな事ない。
あ、そうだ。じゃあこれからの友好の証に今からティーパーティーでもどうかな?
毒を育てるのも上手いけど、ハーブを育てるのもちょっとしたものなんだよ?」
「えぇ、ぜひお断りさせて頂きます」
「えっ!?」
その言葉は誰のものだったのだろう。
アタイかもしれないし、メディかもしれない。
少なくともアタイは驚いて声をあげた。それほどまでにさとり様の言葉は突拍子もないものだったのだ。
空気読めてないグランプリが存在するのなら、この時のさとり様が断トツになるくらいに。
「え、えっとぉ、私の聞き間違いだったのかな。
改めて聞くね。地底の主さん、今からティーパーティーを開くのだけれどご一緒にいかが?」
「なんでも言わせないでくれますか?
断固として拒否させて頂きます」
「な、なんで……?」
メディが涙目になっていた。
それもそうだろう。お互いの誤解も解けて、今から楽しくティーパーティーでも、と思った矢先の出来事である。
しかも謝罪はさとり様の方からなのだから尚の事である。
卑怯者と幽香おねーさんはさとり様に言い放っていたが、あれはペットであるアタイからしても間違いではないと思う。
さとり様は最低で最強で卑怯者なのだ。
さとり様は笑顔で嘘をつくし、笑顔で毒舌を吐く。
「私としても疑問なところですね。
もしかして、貴方はあの程度の事で誤解は解けて友達にでもなれたとでも思っていたのですか?
……悪いですけど、貴方はもう少し世間というものを知った方がいいと思いますよ?
あれぐらいで信頼が勝ち取れるなら、幻想郷中が詐欺で溢れかえっていますから」
「なんで……どうして……さっきは笑顔だったのに……」
ぽろり、とメディの瞳から涙がこぼれおちる。
心ない人形であるメディが初めて受けた裏切りであった。
それが、いがみ合っていた相手と理解し始めた直後の出来事なのだから、その反動により悲しみは倍増に膨れ上がる事となった。
さとり様は宣言通りに、心を読めない相手に対してもトラウマを植え付ける事に成功したのである。
「貴方が受けた苦しみよりも、貴方が受けた悲しみよりも、私の妹が受けたソレとは程遠いのだから。
私は決して貴方を許しはしない。
貴方が助けを求めても、私は決して手を差し伸べたりしない。
貴方は自分が犯した鼻毛毒という罪をもっと知るべきなのです」
さとり様が最期の決めセリフを言い放つ。
これで事態は収束するはずだった。
だが、それを善きとしない人物が一人いた。
「いや、どー考えても私に鼻毛が生えるより、メディちゃんが受けたトラウマの方が大きいから」
さとり様に堂々とつっこみを入れられる人物――それはこの世に一人しかおらず、言うまでもなくこいし様だった。
「こいし!? あなた、何を言っているの?」
「お姉ちゃんこそ何を言ってるのよ。
メディちゃんは自分が鼻毛毒をばら撒いた事を認めて、ちゃんとごめんなさいしたんでしょ?
オマケにティーパーティーに誘ってくれたのに断るなんて……。
だからお姉ちゃんは友達ができないんだよ?」
こいし様の言葉に、さとり様の精神ポイントはみるみるうちに削られていく。
さとり様にとってこいし様とは心が読めない上に身内ネタまで握られている唯一の存在である。
さとり様がトランプのキングならば、こいし様はジョーカーなのだ。
「さ、お姉ちゃん。ちゃんとメディちゃんに謝って。
それでみんなでパーティーしよっ♪」
こいし様がさとり様を引っ張ってメディの前まで連れていく。
ここでさとり様がメディに頭を下げれば、この異変はハッピーエンドで終わるはずだった。
だが、ここでまたしても運命の歯が狂いだす。
「……ねぇ、こいし。あなたが踏んでるのって何?」
さとり様がとある事に気付く。
その言葉により、メディを含む全員がこいし様の足元に注目された。
「……へ? 私、なんか踏んでたっけ?」
こいし様がぽつりとつぶやき足を上げる。
そこには、無残に踏み潰された一輪の鈴蘭があった。
いや、一輪だけではない。まるで誰かが無遠慮に駆けずり回ったかのように、大量の鈴蘭が踏み倒されている。
「そういえば疑問に思ったのだけど、私がメディスンさんと舌戦を繰り広げている間、こいしは何をしていたの?」
「……いやぁ、無意識に鈴蘭畑を駆けまわってたんだよ♪」
それを聞いたメディがぷるぷると震えだす。
「アホ姉妹のおたんこナス~~~~っ!!!!!!!!」
一度は仲直りができたさとり様にあっさりと裏切られ、そしてまた仲直りができたと思ったら今度はこいし様に裏切られる。
メディの心の傷は予想以上に大きそうだった。
さすがのアタイもこの古明地姉妹における二重のトラウマには同情してしまう。
「やるわね、こいし。
一度抉った心の傷をもう一度抉り返すなんて……。
そんなエグい真似はさすがの私でもできないわ」
「そんなつもりじゃないもんっ」
こいし様が華麗にオチをつけたところで、この異変はいよいよ終わりを迎える。
だが、この時のアタイは幻想郷の水面下でとんでもない事が起きている事をまだ知らなかった。
☆ ☆ ☆
古明地さとりによる幻想郷各地における凌辱がすさまじいスピードで広がっている。
これを重く見た幻想郷重鎮たちは、ついに古明地さとり討伐隊を結成。
弾幕勝負というルールの中で古明地さとりを処罰する事が決定付けられた。
だが、事態は簡単には進まなかった。
古明地さとりは己の拠点である地霊殿ばかりか地底全土を掌握しているために、進行が思うように進まなかったのである。
加えて力の象徴である鬼が古明地さとりの味方についたばかりか、幻想郷の目とも言える天狗たちまでも古明地さとりの味方となった。
協力を仰いだ風見幽香にいたっては「あの娘とはまだ戦う時期ではない」と拒否される結果となってしまう。
さらに最悪な事に、幻想郷の中心である博麗霊夢が討伐隊を真っ向から否定。
こうなっては力で古明地さとりを抑え込む事は不可能となってしまった。
だが、何もしなければ古明地さとりの勢力を拡大させる結果となる。
そこで、最後の手段である私――稗田阿求に行く末を託される事となった。
とはいえ、私ができる事といえば書物を書く事ぐらいである。
『東方求聞口授』
秘密裏に古明地さとりのペット(匿名希望)に取材を申し込み、できる限りの真実を書き連ねた。
これを見て、いかに古明地さとりが凶悪な妖怪であるかを知ってもらう事を、私は願うばかりである。
了。
このさとりさんだったら、こいしがくしゃみしただけでも文をしばきに行きそうだ……
知られたくない秘密は沢山あるだろうけど、果たしてそれはプライドを投げ捨てる価値があるものなのかどうか。
逆上して色々投げ捨てられないギリギリのラインも、さとりは読んでるんだろうなぁ。
対抗できるのは誰だろう。地に足をつけて、しっかり生きてる人には効かない印象。聖や美鈴辺りどうするんだろう……。
そんな事を考えながら読みました まる
このさとりんは理想的とまではいかないけどもなかなかの性悪っぷりでグフフ
しかし、こいしにも外道の地はしっかりと入っているのか……
しかしみんなメンタル弱いなw文との件なんてさとり様自身の信用がなくちゃ何言っても誰も信じないはずだから問題ない気もするし
それと、最後だけ阿求視点になるのも唐突すぎて変な感じがします。