紅魔館メイド規律
第一条……決められた仕事はきっちりこなす事。
第二条……定時まで私用で持ち場を離れない事。
第三条……主人の命には必ず従う事。
今回新しく制定されたメイド規律。私はそれをメイド掲示板に張り付けた。
紅魔館が昔から抱える問題。
それは、大多数の妖精メイドの仕事率があまりにも悪い、ということだ。
勿論しっかりと仕事をこなすメイドだっているにはいるのだが、如何せんその他が酷い。
前までのメイド規律は今で言う第三条の一つだけだった。私、十六夜咲夜はその状況に端を発しようと、お嬢様に掛け合って第一条と第二条を増やしたのだ。
今朝のメイド集会でのどよめきは凄かった。何せそれは、妖精だから仕事出来なくてもしょーがないじゃん、その常識というか醜悪な逃げ、意識、習慣を完全にぶっ壊すものだったのだから。
そう、今日から紅魔館は生まれ変わるのだ。仕事しない妖精メイド紅魔館から、エリート妖精養成紅魔館へ変身だ。
「さて、見回りに行きましょうか」
私は格好良く踵を返した。
今日からしばらく、私の今までの仕事(掃除、洗濯、炊事その他etc...)はお休みだ。その間は全ての妖精メイドの見回り、指揮を行う。その期間でみんなに自身の仕事をしっかりと再認識させるのだ。
そして、みんなが自分の仕事を私の様に完璧とはいかずとも、それなりに扱えるようになってから現場復帰だ。
――初めの一週間は酷かった。ほとんどの妖精メイドが自分の仕事内容すらも把握していないという事実が発覚したからだ。
紅魔館の内情がここまで酷いものだったとは。私は焦りに焦った。
幸い、仕事を扱える妖精メイドに私の仕事は与えてあるから、出来ないメイド達に集中することが出来た。
まずは適当に仕事分けしていたメイド達を正式に食事、掃除、戦闘の三隊に区分した。次に、毎晩メイドセミナーを開くことにした。日替わりで食事なら食事、戦闘なら戦闘用のセミナーを開いたのだ。
流石の私でも寝る間も惜しいほど忙しくなってきてしまったので、譲ることはないだろうと思っていたお嬢様の身の回りの世話をも、優秀なメイドに任せることにした。
それから一ヶ月経った。みんなは自分の仕事を把握してきたようだ。食事班は調理が出来るようになってきた。戦闘もほとんどの者がノーマルくらいならいけるようになった。掃除は未だにサボりが目立つが。
さらに一ヶ月過ぎた。みんな自分の仕事を理解したみたい。食事班は朝から仕込みをするようになってきたし、掃除班は言わなくても配置に付いて掃除するようになった。戦闘班は自主練に励んでいるようだ。
さらに一ヶ月。ようやくみんなはしっかりと働けるようになってきた。食事だって調達、調理、後処理まで出来るし、掃除も見回りの際にサボりが全く見受けられなくなった。ピカピカだ。戦闘に至っては、妖精メイドのみで魔理沙を(一度だけだが)撃退するという快挙まで成し遂げた。
これで、もう私は自分の仕事に戻ったって大丈夫だ。約三ヶ月ぶりで自分の仕事を覚えているか多少不安だが、身体が覚えていることだろう。それに、久しぶりにお嬢様のお世話がしたい。湯浴みできゃっきゃうふふしたい。
私は一週間後から現場復帰することをお嬢様に進言し、またメイド集会でその事を告げた。
さぁ、あと一週間。この生活ともお別れだ。
* * *
「何? なんだって?」
ボンベイ型血液入りの紅茶を嗜みながら、私は口を開いた。
「私たち、咲夜さんを安心させたいんです!」
戦闘全班長メイドである、ぜんちゃんが鼻息を荒げて言った。両隣にいる料理長メイドのもんばん(以前は最初の門番メイドだった)と掃除隊長メイドのすいーぱっちは同意するように何度も頷く。
世話係メイドのせっちゃんが焼いたクッキーを口に運ぶ。おいしいけれど、咲夜には遠く及ばない。
「ん、頑張ればいいじゃない」
あんた達も食べる? そう聞いたが、ぜんちゃんに断られた。すいーぱっちが「えっ」と残念そうにぜんちゃんを見た。
もんばんがぜんちゃんの後を継ぐように口を開く。
「明日、咲夜ちゃん現場復帰しますよね。その時に私たちはもう大丈夫だってことを咲夜ちゃんに知らせたいんです」
あぁ、そういえば紫が美味しい煎餅屋さんが出来たって言ってたっけ。今度フランと行ってみようかしら。
「ふぅん、そう。それでどうしろっての?」
「出来る事ならお嬢様に私たちのフォローをしてもらいたいんです!」
話す順番でも決めていたのか、今度はすいーぱっちが言った。
そういう打ち合わせは気に食わないわね。私はいつでも当たって砕けろアドリブ派よ。
「フォローて言うてもねぇ。そういうの美鈴とかの方が良くない?」
あの娘はよく気が利く。元から面倒見が良いし、こういうのには適任だろう。
しかしこの三人班長はそんな返答を予想していたのか、すぐさま言葉を返した。
「それなら美鈴さんに食事のこと頼んでいます!」
「それならパチュリー様と小悪魔さんに掃除のお手伝いお願いしています!」
「それなら妹様に戦闘のフォローのお願いを申し上げています!」
「え、なに? なんて?」
一気に三人話されても聞き取れない。私はどこぞの聖人ではないのだ。
もう一度説明を受けると、なるほどこいつらは私以外の面子にはもう話を通していたらしい。
美鈴は断りそうにないし、準コミュ症な妹は真っ直ぐに頼み事をされると断れない(精神が安定している時に限る)。パチェは、あれはあれで家族思いだし、しぶしぶといった体で納得したのだろう。小悪魔はパチェのおまけだ。
「それならあれじゃにゃい……あれじゃないかしら? 私いらなくない?」
おい、せっちゃん。お前今笑っただろ。主人を笑うとは何事だ。覚えとけよ。なんか仕返ししてやるからな。
「はい。しかし、こういう事はお嬢様に話しておかなければな、と思いまして」
「あぁ、はいはい」
どうやら、おまけは私の方らしい。
こんな事を言ってのけるもんばんは中々の度胸だ。ぜんちゃんとすいーぱっちは戦々恐々としている。
しかし、嘘を言わずに述べたのは好感が持てる。私は当たって砕ける奴には寛大だ。許して遣わそう。
「んじゃ、明日頑張ってね」
手をひらひらと振った。これは、もうなんかお前の好きにしていいよぉ、って合図だ。
私の合図を受け取った三人は嬉しそうに顔を見合わせた。
『ありがとうございます!』
「ういうい」
私のお墨付きをもらった三人は意気揚々と部屋を退出する。
そんな三人を私は横目で見送る。
「……面倒な事にならなきゃいいけどね」
私は紅茶で口を潤しながら、少し物足りないクッキーを齧るのだった。
* * *
その日の深夜。紅魔館地下大図書館内部、パチュリーの書斎。
「じゃあ、確認するわよ。まずは美鈴から」
私パチュリー・ノーレッジは、神妙な顔をして座っている美鈴へ視線を向ける。
いつも私が本を読んでいるこの書斎には、妹様、美鈴、小悪魔、そしてメイド三班長の七人が揃っていた。
咲夜を安心させたい組の集合だ。ただ今、明日咲夜を安心させるための作戦会議を行っているのだ。
因みにレミィは眠いから欠席、とのこと。吸血鬼が夜に眠いとはこれ如何に。姉の影響を良く受ける妹様も眠そうだ。
「私は咲夜さんが口にする料理へ元気が出る様に気を込めれば良いのよね?」
「はい、お願いします」
美鈴が料理長のメイドに確認をした。
美鈴の役割は簡単だ。彼女が持つその能力で、咲夜が口に運ぶ料理に気を送る事。
~計画その一、料理を食べたらわぉ元気~
一、レミィを起こし、身だしなみを整えた後、咲夜は朝食の準備に取り掛かる。その際に予め作り、気を込めた料理を味見として咲夜に出す。
二、咲夜それを食べる。
三、するとどうだろうか。一気に元気が湧いて出るではないか! さっちゃん感動! これで料理は任せても安心ね!
といった寸法だ。
中々不安の残る計画だが、悪い方向に転ぶことはないだろう。私は許可を出した。
次は私だ。
「私と小悪魔は、あ~、あんた」
「すいーぱっちです」
「そう、すいーぱっち。私と小悪魔が隠れて咲夜を監視して、咲夜が行く先々のどんな細かい埃も吹き飛ばしていけばいいのよね?」
「はい。お願いします。それと、もし掃除班員に粗相があった時は――」
「任せなさい。しっかりフォローしてあげる。
小悪魔が」
「えっ!?」
~計画その二、どこ行ってもピッカピカ!~
一、咲夜は基本休むことがない。手が空けばどこか掃除が足りていない場所はないかと見回りを開始する。それを小悪魔と私が監視する。
二、咲夜の行先に合わせて、以前より綺麗になった紅魔館を魔法でさらに綺麗にしていく。
三、するとどうだろうか。どこに行ってもピッカピカ! さっちゃん感動! これで掃除も任せても安心ね!
といった寸法だ。
完璧すぎる。流石私の考えた作戦だ。どう転んでも悪い方向に行くことはないだろう。
最後は妹様。
彼女の担当は戦闘。紅魔館において、レミィを除いてこれ以上の適任者はいないだろう。
「えと、私はぎゅっとしてドカン≪スナイパーばぁじょん≫で遠くから敵を狙撃すればいいんだよね?」
「は、はい……! お、お願いします」
妹様に怯えながらも、戦闘長は頷いた。妹様は悲しそうに眉を潜める。
今は安定期だから、妹様にそんなビビることないのに。
~計画その三、最強メイド隊~
一、まずは敵が責めてくる(どうやら妖精同士で話をつけているらしい)。
二、咲夜登場も、フランの力を借りたメイド隊が敵を圧倒。咲夜手を下すまでもない。
三、するとどうだろうか、メイドだけで戦えるではないか! さっちゃん感動! これで戦闘も任せて安心ね!
といった寸法だ。うん、まぁ、悪くはない。特に言う事もないだろう。
この三つが私たちが考えた作戦、総じてさっちゃん安心ね!計画。これで咲夜を安心させてあげるのだ。あの子はちょっと働き過ぎぐらいだったから、こうでもしないと過労死してしまう。現場復帰だと聞いたときは私も密かに心配したものだ。
この計画のリーダーである私は締めの言葉で括った。
「じゃあ、今日はこれで解散といきましょうか。
……美鈴、寝坊しないようにね?」
「まさか! しませんよ!」
そうやって空気を少し和らげてから、解散する。
明日は忙しくなりそうだ。
* * *
ぱちっ。
私はいつも通りの時間にいつも通りに目を覚ました。時計を確認する。うん、寸分の狂いもない。いつも通りだ。
今日から現場復帰だと、少し緊張して寝られなかったりしたのだが、起床時間に支障が生じなくてよかった。
「ん~~~ッあ!」
伸びをする。さぁ、着替えよう。この部屋を出れば、その瞬間から紅魔館メイド長十六夜咲夜だ。
お嬢様の部屋の前。久しぶりのモーニングコール。少し緊張する。
軽く身だしなみを整えてから、ノックする。
「咲夜でございます」
『あ~、いいわよ~』
扉越しにお嬢様のくぐもった声が聞こえた。
あら、起きているなんて珍しい。明日はグングニルでも降るのかしら。私はちょっとした笑いを堪えながら、扉を開けた。
「……え」
扉を開けて目の前に飛び込んできた光景、それに思わず声を漏らしてしまった。
私を驚かせたもの。それは――
「遅かったわね咲夜。早く朝食に向かいましょ。
ほら、せっちゃんも」
「は、はい……!」
お嬢様が着替え終わっていた、ということだ。
お嬢様の寝起きは基本悪い。起こしてから動き出されるまでブランクがある。
そして動き出されて着替え終わってからが、長い。それからしばらくの間ボーっとされるのだ。それが長ければ一時間ほど。常ならば、私はその間に朝食をご用意していた。
それなのに、すでに起きている。しかも朝食に向かう準備まで……。
これは、マズイ! まだ朝食の準備を――
「あの、咲夜さん。朝食ならもんばんが作ってるから大丈夫ですよ」
「ほぇ?」
しまったしまった。変な言葉が出てしまった。
私は咳払いをしてから、せっちゃんに尋ねる。
「それは、どういう意味かしら?」
「え? あの、どういうって。その、あの、もんばんがお嬢様の朝食を用意してるから……だ、大丈夫です」
私はその言葉に、御柱で顔面を打たれたような衝撃を受けた。
……三ヶ月。そう、三ヶ月だ。私がこの現場を退いて三ヶ月経った。
それだけあれば、朝の流れなど新しく決まっているに決まっている。もう、その流れの中に私は存在していない。限りないショックを受ける。
それだけ私はお嬢様の元を離れていたというのか……。
「ほら咲夜、どうしたってのよ。いっちゃうわよ~」
いっちゃういっちゃう~、そう口遊みながら、お嬢様はせっちゃんを連れて食堂へ向かっていく。
置いて行かれては堪らない。私は慌てて二人について行く。
「お嬢様、はしたないですよ」
「えぇ~、いいじゃないせっちゃん。いっちゃういっちゃう~」
「もう……」
お嬢様とせっちゃんは適当な話題で談笑している。会話に入る隙間がない。正直、疎外感がハンパない。
しかしながら、このまま腐る私ではない。その場に仕事がなければ、自分に出来る仕事を探すのみ。
私は口を開いた。
「申し訳ありませんお嬢様。私、朝食の確認をして参りますわ」
「んぇ? あぁそう?」
「はい、では」
返事をお返してから、私は時を止めて食堂まで一気に走り出した。お嬢様と別のメイドが並ぶ姿。それを見ているのが辛くなったのだ。
……別に泣いてないし。
仕事を求めて食堂に着くと、朝食の準備は既に終わっているようだった。後はお嬢様方々が到着するのみ、そんな完璧な状態であった。
……やるじゃない。
だけど、味はわかんないわ。私は毎日最高級のものを用意してきた。それに敵うっていうなら認めてあげないでもないけど、ダメなら作り直すしかないわね。別に仕事が欲しいとか、そんなんじゃない。
私は料理長のもんばんの前まで移動して、時を動かした。
「わわっ! 咲夜ちゃん!?」
「もう、その呼び方やめてって言ってるじゃない」
もんばんは私が幼い頃ここに来てからずっと親しくしてくれている妖精メイドだ。だからなのか、この人は私を“咲夜ちゃん”と呼ぶ。もう私は子どもじゃないっていうのに。
「そんな事より、お嬢様への料理、出来てるの?」
私はすぐさま本題に入った。もし手を抜いているようなものであったならば、即刻私が作り直すつもりだ。
親しいもんばんと言えども、そこらへんは容赦しない。別に仕事がしたいとか、そんなんじゃない。マジで。
「もっちろん! 最高級のものを毎日用意してるわよ!」
「そ、そう……」
ま、まぁ? そんなんはお嬢様に仕えるメイドなら? 当たり前だし?
うん、全然。……当たり前だし?
「そ、それなら料理を味見させてくれるかしら? 久しぶりに味を確認したいわ」
「あぁ! いいわよ~」
そう、そこが大切だ。どんなに当人が全力で作ったとしても、結果に繋がらなければ意味がない。料理は、残酷だが、美味いか否かなのだ。
私はまずスープを少しすくって口に運ぶ。
「どう? 咲夜ちゃん?」
「……いいわね」
おいしい。全然お嬢様にお出しできる。普通においしい。だけど、お嬢様の好みはこれではない。
私の方がもっとおいしく――ッ!?
「な、なに?」
このスープが喉を通るのを感じてしばらく、なぜか、力が湧いてくるような感覚に陥った。
な、なんだろうこれ……。身体がほのかに暖くなって――元気がでる。不思議な感じ。
「これ……」
「うん? どうしたの咲夜ちゃん」
「ほ、他の料理も見せてちょうだい!」
私は慌ててもんばんに他のものを要求した。
もし、他の料理もこんな風に不思議な風味を帯びているというのならば……。
「じゃ、じゃあ、ここは頼んだわね」
私はもんばんにそう告げてから、食堂を去った。
先ほどの料理。私の惨敗だ。
どの料理もおいしく出来ていたのはもちろん。しかしながら、そのどれもが私が作るものに一歩及ばず、と言えるようなものであった。そのはずだったのだが……。
その料理のどれもが、食べると元気が湧いてくる、そんな気持ちにさせてくれるものだったのだ。食べると元気が溢れる料理。そんなものに何が勝てると言うのか。
もんばんの料理レベルはこの三ヶ月でここまで上がっていたのね……。完敗、完敗よ。食堂を管理するのはあなたの方が相応しいわ。
でも、でもね! 何も紅魔館の仕事は食事を作ることだけではないのよ! 他にも色々あるんだから!
私は掃除隊長であるすいーぱっちの前で立ち止り、時止めを解除した。
「わ!? 咲夜さん!」
「精が出るわね。どう?」
箒を取り落しそうになったすいーぱっちは、慌てて箒を持ち直す。
この子はよくドジを踏んでいたのがまだ記憶に残っている。よくこの役職まで上り詰めたものだ。そして、それがこの子の努力の結果だっていうのも私はしっかり分かっている。
それでも未だ不安なところだってある。ドジなこの子のことだから、何か指示を忘れているのではないだろうか。
そうだったら、私がその分をやらなくちゃ。別に仕事が欲しいとか、そんなんじゃない。切実に。
「あ、大丈夫です!」
「ほんと? 確認してもいい?」
「はい!」
すいーぱっちは掃除班の配置表を取り出した。
掃除班は全てで一から七班まである。掃除隊長は、それ(班員も含め)と紅魔館の全てを記憶しなければならないのだ。妖精には只ならぬことである。
しかも、一日で全部掃除はできないので、日によって掃除する場所が異なってくる。それら全てを把握した上で指定の位置に班を配置しなければならない。私だって時々ミスるこの作業。果たしてこの子はこなせているのだろうか。
私は口元の笑みを押さえながら今日の配置表をチェックする。
そして、その笑みは最後に近づくにつれて消えていった。
「――こことここは、OKね。ここも……うん」
「どうですか!?」
「え!?
……い、いいんじゃない? うん、いいと思うよ?」
「良かったぁ」
すいーぱっちは息を吐く。
ま、まぁ、ここは部下の成長を存分に喜ぶべきなんじゃありませんこと? うふ、うふふ……。
「あ、見回りしないと」
すいーぱっちのその言葉で私は我に返った。
そう! 見回りよ! 指示出すだけじゃダメなのよ! しっかり仕事やってるか見て行かないといけないんだから!
見回りに入ろうとしたすいーぱっちを慌てて引き留める。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 見回りなら! 私に! 私に任せときなさい!」
「え……、は、はい!」
うん、いい返事ね! それでこそ信頼する部下よ!
「じゃあ私は見回り行ってくるから! ここ、お願いね」
「はい!」
私はすいーぱっちに任せてからその場を後にする。もちろん、廊下に埃なんかが落ちていないか念入りに確認しながら。
「……ない、ない。どこにも、ない」
私は、一人廊下をフラフラと歩いていた。
そう、どこにも、ないのだ。埃が、汚れが。
「ど、どうして……?」
これは、ありえないだろう。だって、私が今いるのは今日指定されている掃除の範囲外なのよ?
なんで、なんでこんなに完璧なのよ。私だってここまで完璧に掃除することが叶わないというのに。どういうことなの……。
他だって完璧だった。洗濯、お庭の手入れ、新人教育、その他諸々。
食事も、掃除も、洗濯も、お嬢様の世話でさえ、ここのメイド達は完璧にこなす。いや、こなすようになってしまった。
わ、私、もしかして、いらない――
「いえ! 違う!」
私はいらない子なんかじゃない! 出来る子だ! まだ出来ることだってたくさんある! 例えば、例えば――。
……。
出てこない。
「うぇ……」
思わず泣きそうになった。
私は最早いらない子なんだろうか。私の全てを妖精メイド達は上回っている。個々では私に敵わなくても、それぞれが長所を生かして紅魔館に貢献している。
それに比べ、私は――
――――!
瞬間、紅魔館に張り巡らせている結界に反応があった。
一人ではない大量だ。一人で侵入してくる魔理沙に慣れていたため、この反応が何なのか一瞬わからなかったが、これは間違いない。敵だ。
その正体は分からないが、数から見て雑多妖怪だろう。しかし、あまりにも多い。これは美鈴や戦闘班のみでは対応しきれない。
フッ、と私は自然に笑みが出た。
「……まだ、あったわね」
私にも出来る事!
私は高揚した気分をそのままに、紅魔館の門へと急行した。
現場に着いた私は、唖然といていた。唖然、今の私ほどその言葉が当てはまるものは他にないだろう。
現場に着いた時、敵の数は既に半数に減っていた。私が呆然と見守る中、我が頼もしき軍隊は敵を抹消していく。
「いっくぞー! えいや!」
一人の妖精メイドが、えいと軽く手を振った。すると、次の瞬間敵が爆発。塵も残らない。まるで妹様の能力でも使ったかのようだ。
「んじゃあわったしもー! えい!」
「とう!」
「えーい!」
その可愛らしい掛け声とともに、敵がどんどん減っていく。
それから一分も経たないうちに、大量に攻め込んできていた敵は全滅していた。
「な、なんなのよこれ……」
手を振るだけで対象を四散させる。なんと恐ろしい力。何時の間にここの妖精メイドはここまでの力を手に入れたのか。数でかかってこられては、私でも勝てないかもしれない。
いや、賞賛すべきは別にある。
それは対応の早さだ。私は敵を感知してからすぐにここに向かった。出来るだけ力を温存しておきたかったので時を止めることはなかったが、一分もかからなかっただろう。
にもかかわらず、敵は半減。後に全滅。まるで敵がいつ来るのか分かっていたかのような対応速度だ。
これほどの対処を行うには常に気を抜かない警戒が必要だ。しかしながら、幻想郷のような平和な土地でそんなことを継続するなんて不可能に近い。私だって無理だ。
……それを、戦闘班のものは実現している。
「はは……敵わないわね」
私は諦めた様に呟いた。
もうこの子達に私が教える事なんて何もない。この子達は紅魔館に必要なこと全てを行える。皮肉にも、必死に紅魔館を改善しようとすることで、私は自分自身の居場所を排他してしまったらしい。
……私は、もう紅魔館に必要ない。
その後、私は自室に引き籠っていた。
今日の出来事、その全てが脳裏に焼き付いている。
私が厨房に立つ必要もなくなった食堂、私が掃除をする必要もなくなった紅魔館、私が指揮する必要もなくなった妖精メイド達、そして、私がお世話する必要もなくなったお嬢様。
「私、いらないんだろうか……」
だって、私の存在理由は必要とされることにあった。
お嬢様のお世話も、料理も、掃除も、メイドの指揮も全て私は必要とされていた。
それが、無くなった。
それなら、私の存在理由はなんだろう。
「もう、ないじゃん」
私は紅魔館に必要ない存在だ。ここにいる意味なんてない。
一度転がり落ち始めた思考は、留まる事を知らなかった――。
* * *
その晩、辞表を出すため、私はお嬢様の事務室を訪れていた。
「急に来て、どうしたのかしら?」
お嬢様は、せっちゃんが作ったクッキーを齧っている。なんだか、少しつまらなそう。
「私、メイド長を辞任します」
「そう」
お嬢様は冷静に、そうとだけ言った。
やっぱり私必要じゃなかったのかな。そう思うとすごく寂しくなった。
「……」
「……」
部屋を静寂が支配する。ものすごく、息苦しい。どうして私はお嬢様の言葉を待っているのだろう。辞める辞めると言って、引き留めてもらう事を期待していたのだろうか。いや、そうなのだろう。
今まで、ありがとうございました。その言葉が出てこない。だって、それを言ってしまうと、もう戻れないような気がして。
……矛盾してる。辞めると言っておきながら、必要ないと言っておきながら、私はここに残りたがっている。
でも、だめだ。私はここには必要ない。
私は決意を固めた。そして、お嬢様に今までのお礼を言おうとして――
「一応、聞いておきましょうか。なぜ辞める気になったの?」
簡単に決意を砕かれる。
私はお嬢様からの言葉にどこかほっとしながら、返答した。
「私、紅魔館に必要ないってわかったんです。……だって、みんな私より全然紅魔館に貢献してる」
そこから、止まらなかった。
朝のお嬢様のこと、食堂でどれほどの料理が用意されていたのかということ、今の紅魔館が私では遠く及ばないほど掃除や手入れが行き届いているということ、そして勇敢で優秀、それでいて抜け目ない妖精メイド達のこと。それらがどれほど素晴らしかったのか、お嬢様へ事細かに説明していく。
私がその妖精メイドを育てたのだという誇りと、もう私はいらないのだという悲しみが織り交ざる。
そして、私は最後に締めくくった。
「私にもうッ、出来ることはッないんですッ……!」
涙が止まらなかった。だって、これだけ愛している紅魔館。そこに、自分の入る余地がもうないのだという絶望が、心を染めていく。
それからしばらく、お嬢様の目の前でずっと泣いていた。
すると、お嬢様がぽつりと言った。
「クッキー」
「え……?」
突然の言葉に、涙でメイクがめちゃくちゃになった顔をあげると、お嬢様はクッキーを摘まんでいた。それはせっちゃんがお嬢様によく焼いているクッキーだ。
「このクッキーね、どこかのメイド長が焼いたものと比べるとね、何か物足りないのよ。なんだろう、よく分かんないけどね」
「あ、あの……」
お嬢様の言葉の意図が分からずに困惑する。
その意味を尋ねようとした時、お嬢様は優しく微笑んで言った。
「あーあ、どこかに、あのメイド長が作っていたものと同じクッキーを焼ける。
そんな事が“出来る”人間、いないかしら?」
「……ッ!」
お嬢様はその優しい笑みのまま続けた。
「早くクッキー焼いてきてくれないかしら。私はそんな人間を必要としているわ」
「は、はい゛……ッ!」
私は未だ溢れる涙を袖でごしごし拭いて、厨房へと駆けた。
自分を必要としてくれる、愛するお嬢様にクッキーをお届けするために。
咲夜がいなくなり、一人残されたレミリアは物足りないクッキーを齧りながら、呟いた。
「ちゃんとフォロー、やっといたわよ」
第一条……決められた仕事はきっちりこなす事。
第二条……定時まで私用で持ち場を離れない事。
第三条……主人の命には必ず従う事。
今回新しく制定されたメイド規律。私はそれをメイド掲示板に張り付けた。
紅魔館が昔から抱える問題。
それは、大多数の妖精メイドの仕事率があまりにも悪い、ということだ。
勿論しっかりと仕事をこなすメイドだっているにはいるのだが、如何せんその他が酷い。
前までのメイド規律は今で言う第三条の一つだけだった。私、十六夜咲夜はその状況に端を発しようと、お嬢様に掛け合って第一条と第二条を増やしたのだ。
今朝のメイド集会でのどよめきは凄かった。何せそれは、妖精だから仕事出来なくてもしょーがないじゃん、その常識というか醜悪な逃げ、意識、習慣を完全にぶっ壊すものだったのだから。
そう、今日から紅魔館は生まれ変わるのだ。仕事しない妖精メイド紅魔館から、エリート妖精養成紅魔館へ変身だ。
「さて、見回りに行きましょうか」
私は格好良く踵を返した。
今日からしばらく、私の今までの仕事(掃除、洗濯、炊事その他etc...)はお休みだ。その間は全ての妖精メイドの見回り、指揮を行う。その期間でみんなに自身の仕事をしっかりと再認識させるのだ。
そして、みんなが自分の仕事を私の様に完璧とはいかずとも、それなりに扱えるようになってから現場復帰だ。
――初めの一週間は酷かった。ほとんどの妖精メイドが自分の仕事内容すらも把握していないという事実が発覚したからだ。
紅魔館の内情がここまで酷いものだったとは。私は焦りに焦った。
幸い、仕事を扱える妖精メイドに私の仕事は与えてあるから、出来ないメイド達に集中することが出来た。
まずは適当に仕事分けしていたメイド達を正式に食事、掃除、戦闘の三隊に区分した。次に、毎晩メイドセミナーを開くことにした。日替わりで食事なら食事、戦闘なら戦闘用のセミナーを開いたのだ。
流石の私でも寝る間も惜しいほど忙しくなってきてしまったので、譲ることはないだろうと思っていたお嬢様の身の回りの世話をも、優秀なメイドに任せることにした。
それから一ヶ月経った。みんなは自分の仕事を把握してきたようだ。食事班は調理が出来るようになってきた。戦闘もほとんどの者がノーマルくらいならいけるようになった。掃除は未だにサボりが目立つが。
さらに一ヶ月過ぎた。みんな自分の仕事を理解したみたい。食事班は朝から仕込みをするようになってきたし、掃除班は言わなくても配置に付いて掃除するようになった。戦闘班は自主練に励んでいるようだ。
さらに一ヶ月。ようやくみんなはしっかりと働けるようになってきた。食事だって調達、調理、後処理まで出来るし、掃除も見回りの際にサボりが全く見受けられなくなった。ピカピカだ。戦闘に至っては、妖精メイドのみで魔理沙を(一度だけだが)撃退するという快挙まで成し遂げた。
これで、もう私は自分の仕事に戻ったって大丈夫だ。約三ヶ月ぶりで自分の仕事を覚えているか多少不安だが、身体が覚えていることだろう。それに、久しぶりにお嬢様のお世話がしたい。湯浴みできゃっきゃうふふしたい。
私は一週間後から現場復帰することをお嬢様に進言し、またメイド集会でその事を告げた。
さぁ、あと一週間。この生活ともお別れだ。
* * *
「何? なんだって?」
ボンベイ型血液入りの紅茶を嗜みながら、私は口を開いた。
「私たち、咲夜さんを安心させたいんです!」
戦闘全班長メイドである、ぜんちゃんが鼻息を荒げて言った。両隣にいる料理長メイドのもんばん(以前は最初の門番メイドだった)と掃除隊長メイドのすいーぱっちは同意するように何度も頷く。
世話係メイドのせっちゃんが焼いたクッキーを口に運ぶ。おいしいけれど、咲夜には遠く及ばない。
「ん、頑張ればいいじゃない」
あんた達も食べる? そう聞いたが、ぜんちゃんに断られた。すいーぱっちが「えっ」と残念そうにぜんちゃんを見た。
もんばんがぜんちゃんの後を継ぐように口を開く。
「明日、咲夜ちゃん現場復帰しますよね。その時に私たちはもう大丈夫だってことを咲夜ちゃんに知らせたいんです」
あぁ、そういえば紫が美味しい煎餅屋さんが出来たって言ってたっけ。今度フランと行ってみようかしら。
「ふぅん、そう。それでどうしろっての?」
「出来る事ならお嬢様に私たちのフォローをしてもらいたいんです!」
話す順番でも決めていたのか、今度はすいーぱっちが言った。
そういう打ち合わせは気に食わないわね。私はいつでも当たって砕けろアドリブ派よ。
「フォローて言うてもねぇ。そういうの美鈴とかの方が良くない?」
あの娘はよく気が利く。元から面倒見が良いし、こういうのには適任だろう。
しかしこの三人班長はそんな返答を予想していたのか、すぐさま言葉を返した。
「それなら美鈴さんに食事のこと頼んでいます!」
「それならパチュリー様と小悪魔さんに掃除のお手伝いお願いしています!」
「それなら妹様に戦闘のフォローのお願いを申し上げています!」
「え、なに? なんて?」
一気に三人話されても聞き取れない。私はどこぞの聖人ではないのだ。
もう一度説明を受けると、なるほどこいつらは私以外の面子にはもう話を通していたらしい。
美鈴は断りそうにないし、準コミュ症な妹は真っ直ぐに頼み事をされると断れない(精神が安定している時に限る)。パチェは、あれはあれで家族思いだし、しぶしぶといった体で納得したのだろう。小悪魔はパチェのおまけだ。
「それならあれじゃにゃい……あれじゃないかしら? 私いらなくない?」
おい、せっちゃん。お前今笑っただろ。主人を笑うとは何事だ。覚えとけよ。なんか仕返ししてやるからな。
「はい。しかし、こういう事はお嬢様に話しておかなければな、と思いまして」
「あぁ、はいはい」
どうやら、おまけは私の方らしい。
こんな事を言ってのけるもんばんは中々の度胸だ。ぜんちゃんとすいーぱっちは戦々恐々としている。
しかし、嘘を言わずに述べたのは好感が持てる。私は当たって砕ける奴には寛大だ。許して遣わそう。
「んじゃ、明日頑張ってね」
手をひらひらと振った。これは、もうなんかお前の好きにしていいよぉ、って合図だ。
私の合図を受け取った三人は嬉しそうに顔を見合わせた。
『ありがとうございます!』
「ういうい」
私のお墨付きをもらった三人は意気揚々と部屋を退出する。
そんな三人を私は横目で見送る。
「……面倒な事にならなきゃいいけどね」
私は紅茶で口を潤しながら、少し物足りないクッキーを齧るのだった。
* * *
その日の深夜。紅魔館地下大図書館内部、パチュリーの書斎。
「じゃあ、確認するわよ。まずは美鈴から」
私パチュリー・ノーレッジは、神妙な顔をして座っている美鈴へ視線を向ける。
いつも私が本を読んでいるこの書斎には、妹様、美鈴、小悪魔、そしてメイド三班長の七人が揃っていた。
咲夜を安心させたい組の集合だ。ただ今、明日咲夜を安心させるための作戦会議を行っているのだ。
因みにレミィは眠いから欠席、とのこと。吸血鬼が夜に眠いとはこれ如何に。姉の影響を良く受ける妹様も眠そうだ。
「私は咲夜さんが口にする料理へ元気が出る様に気を込めれば良いのよね?」
「はい、お願いします」
美鈴が料理長のメイドに確認をした。
美鈴の役割は簡単だ。彼女が持つその能力で、咲夜が口に運ぶ料理に気を送る事。
~計画その一、料理を食べたらわぉ元気~
一、レミィを起こし、身だしなみを整えた後、咲夜は朝食の準備に取り掛かる。その際に予め作り、気を込めた料理を味見として咲夜に出す。
二、咲夜それを食べる。
三、するとどうだろうか。一気に元気が湧いて出るではないか! さっちゃん感動! これで料理は任せても安心ね!
といった寸法だ。
中々不安の残る計画だが、悪い方向に転ぶことはないだろう。私は許可を出した。
次は私だ。
「私と小悪魔は、あ~、あんた」
「すいーぱっちです」
「そう、すいーぱっち。私と小悪魔が隠れて咲夜を監視して、咲夜が行く先々のどんな細かい埃も吹き飛ばしていけばいいのよね?」
「はい。お願いします。それと、もし掃除班員に粗相があった時は――」
「任せなさい。しっかりフォローしてあげる。
小悪魔が」
「えっ!?」
~計画その二、どこ行ってもピッカピカ!~
一、咲夜は基本休むことがない。手が空けばどこか掃除が足りていない場所はないかと見回りを開始する。それを小悪魔と私が監視する。
二、咲夜の行先に合わせて、以前より綺麗になった紅魔館を魔法でさらに綺麗にしていく。
三、するとどうだろうか。どこに行ってもピッカピカ! さっちゃん感動! これで掃除も任せても安心ね!
といった寸法だ。
完璧すぎる。流石私の考えた作戦だ。どう転んでも悪い方向に行くことはないだろう。
最後は妹様。
彼女の担当は戦闘。紅魔館において、レミィを除いてこれ以上の適任者はいないだろう。
「えと、私はぎゅっとしてドカン≪スナイパーばぁじょん≫で遠くから敵を狙撃すればいいんだよね?」
「は、はい……! お、お願いします」
妹様に怯えながらも、戦闘長は頷いた。妹様は悲しそうに眉を潜める。
今は安定期だから、妹様にそんなビビることないのに。
~計画その三、最強メイド隊~
一、まずは敵が責めてくる(どうやら妖精同士で話をつけているらしい)。
二、咲夜登場も、フランの力を借りたメイド隊が敵を圧倒。咲夜手を下すまでもない。
三、するとどうだろうか、メイドだけで戦えるではないか! さっちゃん感動! これで戦闘も任せて安心ね!
といった寸法だ。うん、まぁ、悪くはない。特に言う事もないだろう。
この三つが私たちが考えた作戦、総じてさっちゃん安心ね!計画。これで咲夜を安心させてあげるのだ。あの子はちょっと働き過ぎぐらいだったから、こうでもしないと過労死してしまう。現場復帰だと聞いたときは私も密かに心配したものだ。
この計画のリーダーである私は締めの言葉で括った。
「じゃあ、今日はこれで解散といきましょうか。
……美鈴、寝坊しないようにね?」
「まさか! しませんよ!」
そうやって空気を少し和らげてから、解散する。
明日は忙しくなりそうだ。
* * *
ぱちっ。
私はいつも通りの時間にいつも通りに目を覚ました。時計を確認する。うん、寸分の狂いもない。いつも通りだ。
今日から現場復帰だと、少し緊張して寝られなかったりしたのだが、起床時間に支障が生じなくてよかった。
「ん~~~ッあ!」
伸びをする。さぁ、着替えよう。この部屋を出れば、その瞬間から紅魔館メイド長十六夜咲夜だ。
お嬢様の部屋の前。久しぶりのモーニングコール。少し緊張する。
軽く身だしなみを整えてから、ノックする。
「咲夜でございます」
『あ~、いいわよ~』
扉越しにお嬢様のくぐもった声が聞こえた。
あら、起きているなんて珍しい。明日はグングニルでも降るのかしら。私はちょっとした笑いを堪えながら、扉を開けた。
「……え」
扉を開けて目の前に飛び込んできた光景、それに思わず声を漏らしてしまった。
私を驚かせたもの。それは――
「遅かったわね咲夜。早く朝食に向かいましょ。
ほら、せっちゃんも」
「は、はい……!」
お嬢様が着替え終わっていた、ということだ。
お嬢様の寝起きは基本悪い。起こしてから動き出されるまでブランクがある。
そして動き出されて着替え終わってからが、長い。それからしばらくの間ボーっとされるのだ。それが長ければ一時間ほど。常ならば、私はその間に朝食をご用意していた。
それなのに、すでに起きている。しかも朝食に向かう準備まで……。
これは、マズイ! まだ朝食の準備を――
「あの、咲夜さん。朝食ならもんばんが作ってるから大丈夫ですよ」
「ほぇ?」
しまったしまった。変な言葉が出てしまった。
私は咳払いをしてから、せっちゃんに尋ねる。
「それは、どういう意味かしら?」
「え? あの、どういうって。その、あの、もんばんがお嬢様の朝食を用意してるから……だ、大丈夫です」
私はその言葉に、御柱で顔面を打たれたような衝撃を受けた。
……三ヶ月。そう、三ヶ月だ。私がこの現場を退いて三ヶ月経った。
それだけあれば、朝の流れなど新しく決まっているに決まっている。もう、その流れの中に私は存在していない。限りないショックを受ける。
それだけ私はお嬢様の元を離れていたというのか……。
「ほら咲夜、どうしたってのよ。いっちゃうわよ~」
いっちゃういっちゃう~、そう口遊みながら、お嬢様はせっちゃんを連れて食堂へ向かっていく。
置いて行かれては堪らない。私は慌てて二人について行く。
「お嬢様、はしたないですよ」
「えぇ~、いいじゃないせっちゃん。いっちゃういっちゃう~」
「もう……」
お嬢様とせっちゃんは適当な話題で談笑している。会話に入る隙間がない。正直、疎外感がハンパない。
しかしながら、このまま腐る私ではない。その場に仕事がなければ、自分に出来る仕事を探すのみ。
私は口を開いた。
「申し訳ありませんお嬢様。私、朝食の確認をして参りますわ」
「んぇ? あぁそう?」
「はい、では」
返事をお返してから、私は時を止めて食堂まで一気に走り出した。お嬢様と別のメイドが並ぶ姿。それを見ているのが辛くなったのだ。
……別に泣いてないし。
仕事を求めて食堂に着くと、朝食の準備は既に終わっているようだった。後はお嬢様方々が到着するのみ、そんな完璧な状態であった。
……やるじゃない。
だけど、味はわかんないわ。私は毎日最高級のものを用意してきた。それに敵うっていうなら認めてあげないでもないけど、ダメなら作り直すしかないわね。別に仕事が欲しいとか、そんなんじゃない。
私は料理長のもんばんの前まで移動して、時を動かした。
「わわっ! 咲夜ちゃん!?」
「もう、その呼び方やめてって言ってるじゃない」
もんばんは私が幼い頃ここに来てからずっと親しくしてくれている妖精メイドだ。だからなのか、この人は私を“咲夜ちゃん”と呼ぶ。もう私は子どもじゃないっていうのに。
「そんな事より、お嬢様への料理、出来てるの?」
私はすぐさま本題に入った。もし手を抜いているようなものであったならば、即刻私が作り直すつもりだ。
親しいもんばんと言えども、そこらへんは容赦しない。別に仕事がしたいとか、そんなんじゃない。マジで。
「もっちろん! 最高級のものを毎日用意してるわよ!」
「そ、そう……」
ま、まぁ? そんなんはお嬢様に仕えるメイドなら? 当たり前だし?
うん、全然。……当たり前だし?
「そ、それなら料理を味見させてくれるかしら? 久しぶりに味を確認したいわ」
「あぁ! いいわよ~」
そう、そこが大切だ。どんなに当人が全力で作ったとしても、結果に繋がらなければ意味がない。料理は、残酷だが、美味いか否かなのだ。
私はまずスープを少しすくって口に運ぶ。
「どう? 咲夜ちゃん?」
「……いいわね」
おいしい。全然お嬢様にお出しできる。普通においしい。だけど、お嬢様の好みはこれではない。
私の方がもっとおいしく――ッ!?
「な、なに?」
このスープが喉を通るのを感じてしばらく、なぜか、力が湧いてくるような感覚に陥った。
な、なんだろうこれ……。身体がほのかに暖くなって――元気がでる。不思議な感じ。
「これ……」
「うん? どうしたの咲夜ちゃん」
「ほ、他の料理も見せてちょうだい!」
私は慌ててもんばんに他のものを要求した。
もし、他の料理もこんな風に不思議な風味を帯びているというのならば……。
「じゃ、じゃあ、ここは頼んだわね」
私はもんばんにそう告げてから、食堂を去った。
先ほどの料理。私の惨敗だ。
どの料理もおいしく出来ていたのはもちろん。しかしながら、そのどれもが私が作るものに一歩及ばず、と言えるようなものであった。そのはずだったのだが……。
その料理のどれもが、食べると元気が湧いてくる、そんな気持ちにさせてくれるものだったのだ。食べると元気が溢れる料理。そんなものに何が勝てると言うのか。
もんばんの料理レベルはこの三ヶ月でここまで上がっていたのね……。完敗、完敗よ。食堂を管理するのはあなたの方が相応しいわ。
でも、でもね! 何も紅魔館の仕事は食事を作ることだけではないのよ! 他にも色々あるんだから!
私は掃除隊長であるすいーぱっちの前で立ち止り、時止めを解除した。
「わ!? 咲夜さん!」
「精が出るわね。どう?」
箒を取り落しそうになったすいーぱっちは、慌てて箒を持ち直す。
この子はよくドジを踏んでいたのがまだ記憶に残っている。よくこの役職まで上り詰めたものだ。そして、それがこの子の努力の結果だっていうのも私はしっかり分かっている。
それでも未だ不安なところだってある。ドジなこの子のことだから、何か指示を忘れているのではないだろうか。
そうだったら、私がその分をやらなくちゃ。別に仕事が欲しいとか、そんなんじゃない。切実に。
「あ、大丈夫です!」
「ほんと? 確認してもいい?」
「はい!」
すいーぱっちは掃除班の配置表を取り出した。
掃除班は全てで一から七班まである。掃除隊長は、それ(班員も含め)と紅魔館の全てを記憶しなければならないのだ。妖精には只ならぬことである。
しかも、一日で全部掃除はできないので、日によって掃除する場所が異なってくる。それら全てを把握した上で指定の位置に班を配置しなければならない。私だって時々ミスるこの作業。果たしてこの子はこなせているのだろうか。
私は口元の笑みを押さえながら今日の配置表をチェックする。
そして、その笑みは最後に近づくにつれて消えていった。
「――こことここは、OKね。ここも……うん」
「どうですか!?」
「え!?
……い、いいんじゃない? うん、いいと思うよ?」
「良かったぁ」
すいーぱっちは息を吐く。
ま、まぁ、ここは部下の成長を存分に喜ぶべきなんじゃありませんこと? うふ、うふふ……。
「あ、見回りしないと」
すいーぱっちのその言葉で私は我に返った。
そう! 見回りよ! 指示出すだけじゃダメなのよ! しっかり仕事やってるか見て行かないといけないんだから!
見回りに入ろうとしたすいーぱっちを慌てて引き留める。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 見回りなら! 私に! 私に任せときなさい!」
「え……、は、はい!」
うん、いい返事ね! それでこそ信頼する部下よ!
「じゃあ私は見回り行ってくるから! ここ、お願いね」
「はい!」
私はすいーぱっちに任せてからその場を後にする。もちろん、廊下に埃なんかが落ちていないか念入りに確認しながら。
「……ない、ない。どこにも、ない」
私は、一人廊下をフラフラと歩いていた。
そう、どこにも、ないのだ。埃が、汚れが。
「ど、どうして……?」
これは、ありえないだろう。だって、私が今いるのは今日指定されている掃除の範囲外なのよ?
なんで、なんでこんなに完璧なのよ。私だってここまで完璧に掃除することが叶わないというのに。どういうことなの……。
他だって完璧だった。洗濯、お庭の手入れ、新人教育、その他諸々。
食事も、掃除も、洗濯も、お嬢様の世話でさえ、ここのメイド達は完璧にこなす。いや、こなすようになってしまった。
わ、私、もしかして、いらない――
「いえ! 違う!」
私はいらない子なんかじゃない! 出来る子だ! まだ出来ることだってたくさんある! 例えば、例えば――。
……。
出てこない。
「うぇ……」
思わず泣きそうになった。
私は最早いらない子なんだろうか。私の全てを妖精メイド達は上回っている。個々では私に敵わなくても、それぞれが長所を生かして紅魔館に貢献している。
それに比べ、私は――
――――!
瞬間、紅魔館に張り巡らせている結界に反応があった。
一人ではない大量だ。一人で侵入してくる魔理沙に慣れていたため、この反応が何なのか一瞬わからなかったが、これは間違いない。敵だ。
その正体は分からないが、数から見て雑多妖怪だろう。しかし、あまりにも多い。これは美鈴や戦闘班のみでは対応しきれない。
フッ、と私は自然に笑みが出た。
「……まだ、あったわね」
私にも出来る事!
私は高揚した気分をそのままに、紅魔館の門へと急行した。
現場に着いた私は、唖然といていた。唖然、今の私ほどその言葉が当てはまるものは他にないだろう。
現場に着いた時、敵の数は既に半数に減っていた。私が呆然と見守る中、我が頼もしき軍隊は敵を抹消していく。
「いっくぞー! えいや!」
一人の妖精メイドが、えいと軽く手を振った。すると、次の瞬間敵が爆発。塵も残らない。まるで妹様の能力でも使ったかのようだ。
「んじゃあわったしもー! えい!」
「とう!」
「えーい!」
その可愛らしい掛け声とともに、敵がどんどん減っていく。
それから一分も経たないうちに、大量に攻め込んできていた敵は全滅していた。
「な、なんなのよこれ……」
手を振るだけで対象を四散させる。なんと恐ろしい力。何時の間にここの妖精メイドはここまでの力を手に入れたのか。数でかかってこられては、私でも勝てないかもしれない。
いや、賞賛すべきは別にある。
それは対応の早さだ。私は敵を感知してからすぐにここに向かった。出来るだけ力を温存しておきたかったので時を止めることはなかったが、一分もかからなかっただろう。
にもかかわらず、敵は半減。後に全滅。まるで敵がいつ来るのか分かっていたかのような対応速度だ。
これほどの対処を行うには常に気を抜かない警戒が必要だ。しかしながら、幻想郷のような平和な土地でそんなことを継続するなんて不可能に近い。私だって無理だ。
……それを、戦闘班のものは実現している。
「はは……敵わないわね」
私は諦めた様に呟いた。
もうこの子達に私が教える事なんて何もない。この子達は紅魔館に必要なこと全てを行える。皮肉にも、必死に紅魔館を改善しようとすることで、私は自分自身の居場所を排他してしまったらしい。
……私は、もう紅魔館に必要ない。
その後、私は自室に引き籠っていた。
今日の出来事、その全てが脳裏に焼き付いている。
私が厨房に立つ必要もなくなった食堂、私が掃除をする必要もなくなった紅魔館、私が指揮する必要もなくなった妖精メイド達、そして、私がお世話する必要もなくなったお嬢様。
「私、いらないんだろうか……」
だって、私の存在理由は必要とされることにあった。
お嬢様のお世話も、料理も、掃除も、メイドの指揮も全て私は必要とされていた。
それが、無くなった。
それなら、私の存在理由はなんだろう。
「もう、ないじゃん」
私は紅魔館に必要ない存在だ。ここにいる意味なんてない。
一度転がり落ち始めた思考は、留まる事を知らなかった――。
* * *
その晩、辞表を出すため、私はお嬢様の事務室を訪れていた。
「急に来て、どうしたのかしら?」
お嬢様は、せっちゃんが作ったクッキーを齧っている。なんだか、少しつまらなそう。
「私、メイド長を辞任します」
「そう」
お嬢様は冷静に、そうとだけ言った。
やっぱり私必要じゃなかったのかな。そう思うとすごく寂しくなった。
「……」
「……」
部屋を静寂が支配する。ものすごく、息苦しい。どうして私はお嬢様の言葉を待っているのだろう。辞める辞めると言って、引き留めてもらう事を期待していたのだろうか。いや、そうなのだろう。
今まで、ありがとうございました。その言葉が出てこない。だって、それを言ってしまうと、もう戻れないような気がして。
……矛盾してる。辞めると言っておきながら、必要ないと言っておきながら、私はここに残りたがっている。
でも、だめだ。私はここには必要ない。
私は決意を固めた。そして、お嬢様に今までのお礼を言おうとして――
「一応、聞いておきましょうか。なぜ辞める気になったの?」
簡単に決意を砕かれる。
私はお嬢様からの言葉にどこかほっとしながら、返答した。
「私、紅魔館に必要ないってわかったんです。……だって、みんな私より全然紅魔館に貢献してる」
そこから、止まらなかった。
朝のお嬢様のこと、食堂でどれほどの料理が用意されていたのかということ、今の紅魔館が私では遠く及ばないほど掃除や手入れが行き届いているということ、そして勇敢で優秀、それでいて抜け目ない妖精メイド達のこと。それらがどれほど素晴らしかったのか、お嬢様へ事細かに説明していく。
私がその妖精メイドを育てたのだという誇りと、もう私はいらないのだという悲しみが織り交ざる。
そして、私は最後に締めくくった。
「私にもうッ、出来ることはッないんですッ……!」
涙が止まらなかった。だって、これだけ愛している紅魔館。そこに、自分の入る余地がもうないのだという絶望が、心を染めていく。
それからしばらく、お嬢様の目の前でずっと泣いていた。
すると、お嬢様がぽつりと言った。
「クッキー」
「え……?」
突然の言葉に、涙でメイクがめちゃくちゃになった顔をあげると、お嬢様はクッキーを摘まんでいた。それはせっちゃんがお嬢様によく焼いているクッキーだ。
「このクッキーね、どこかのメイド長が焼いたものと比べるとね、何か物足りないのよ。なんだろう、よく分かんないけどね」
「あ、あの……」
お嬢様の言葉の意図が分からずに困惑する。
その意味を尋ねようとした時、お嬢様は優しく微笑んで言った。
「あーあ、どこかに、あのメイド長が作っていたものと同じクッキーを焼ける。
そんな事が“出来る”人間、いないかしら?」
「……ッ!」
お嬢様はその優しい笑みのまま続けた。
「早くクッキー焼いてきてくれないかしら。私はそんな人間を必要としているわ」
「は、はい゛……ッ!」
私は未だ溢れる涙を袖でごしごし拭いて、厨房へと駆けた。
自分を必要としてくれる、愛するお嬢様にクッキーをお届けするために。
咲夜がいなくなり、一人残されたレミリアは物足りないクッキーを齧りながら、呟いた。
「ちゃんとフォロー、やっといたわよ」
レミィは関西で日本語を学んでいたのか。
お嬢様はこうなることをわかってたみたいですね。なんだか会話の節々に良い性格がでてるお嬢様でした。
面白かったです
その期待通りの流れで良かった。
ラストも良かったです。
因みに咲夜は青森出身の純日本人って設定です。
>奇声を発する程度の能力さん
ありがとうございます!
クッキーとフォローの伏線を思いついた時は自分でも「おぉ~」って言っちゃいました(笑
>むーとさん
ありがとうございます!
瀟洒な咲夜も良いけれど、こういう咲夜も良いものですよね。
あと自分は、普段は気が抜けているけれど、実はカリスマっていうお嬢様が好みです。
>8さん
ありがとうございます!
文章力、構成力にいまいち自信が持てないため、そういったお言葉は本当にうれしいです!
それにしても良い紅魔館だと思います
>善意でやったことが結果的に良くなかった
実際にあった、私の苦い思い出です。
この紅魔館の良さが伝わったのなら、嬉しい限りです。
メイド妖精も含めたほのぼの紅魔館は素敵です
せっちんの意味、知りませんでした……。
流石にあれなので、せっちゃんに変更したいと思います。
オリキャラは避けられる傾向にあるので逡巡しましたが、受け入れられて嬉しく思います。
話の流れは読めてましたが、最後のレミリアの一言は読めなかったw
話の流れがわかり易いお話はオチでどう違いをつけるかが大切だと思っています(キリッ
こういうダラダラ系カリスマのお嬢様がもっと増えていったらいいなぁ。
実際お嬢様ってこんな感じなんじゃないかな、とわりと本気で思ってます
>実際お嬢様ってこんな感じなんじゃないかな、とわりと本気で思ってます
自分の中のお嬢様に一番ピッタリくるお嬢様を書いたつもりなので、そういう事を言ってもらえると、わりと本気で嬉しいです。
この人に付いていきたいと思わせる、いいカリスマレミリアでした
ありがとうございます! こういうタイプのレミリアが好きなため、好評で嬉しい限りです!
一度は紅魔館に就職してみたいなぁ。
勿論、結果的には裏目に出てしまったとはいえ、咲夜のために頑張った妖精メイド達も褒めてあげたいです。
同時に咲夜が紅魔館での存在意義に疑問を持ってしまうというのも、自分の中では新しい展開でドキドキしながら読めました。
素敵な紅魔館をありがとうございました!
ありがとうございます!
ドキドキなどを提供できたというのは、嬉しい限りです。
今後も魅力ある幻想郷の住民を書いていけるよう、頑張りたいと思います!
普段だらだらしてるレミリアですが、決めるとこはきっちり決めていきます。
そういうレミリアに魅力を感じて、紅魔館の者は集まったのかもしれませんね。