梅雨が明け、そろそろ蝉が鳴き始めてもおかしくない、そんな時分。
妖怪の山の中腹をミスティアは注意深く飛んでいた。
天狗に見つからないように、河童に見つからないように、その他誰にも見つからないように右へ左へ迂回しながら、やがて川縁に辿り着く。
誰にも見られていないことを改めて確認してから、ミスティアは目印の岩の下に隠した縄を静かに手繰り寄せる。縄の先には竹を編んで作った罠が仕掛けてあり、罠には不運な八目鰻が掛かっているはずである。結果が期待通りであれば。
「あちゃー、ここも駄目かぁ」
手繰り寄せた罠をひっくり返すが、中からは八目鰻どころか小魚の一匹も出てこない。
しばらく落胆していたミスティアだったが、やがて罠を仕掛け直すと、力なく羽ばたき麓の方へと消えていった。
★ ★ ★ ★
人間、ある特定の食べ物が無性に食べたくなることがある。
人間に限らず妖怪や神様にもそのような事があるのかもしれないが、さておき。
霊夢はその日、無性に鰻が食べたくなった。香ばしいタレで焼いた鰻の蒲焼きがとにかく食べたい。なんとしても食べたい。
鰻が食べたいのなら向かうはミスティアの屋台である。なので向かった。
「くださいなー」
「ああ、いらっしゃい」
屋台の暖簾を潜り、霊夢はにこにこと席に着く。
「蒲焼きとね、あと、うん冷酒」
「悪いね、いま鰻は切らしてるんだ」
「え、なんですって!?」
思わず霊夢はテーブルに拳を打ち付ける。
「切らしてるじゃないわよ! 今日の私はなにが何でも鰻が食べたい気分だっていうのに、一体どうしてくれるの!!」
「そりゃ悪かった。でもね、仕方ないんだ。最近さっぱり鰻が捕れなくて」
ミスティアはテーブルに置いたコップに酒を注ぎ、ついでに溜息も吐く。
霊夢は受け取ったコップに口を付け、ミスティアに尋ねた。
「鰻が捕れない?」
「うん。冬にほら、土砂崩れだとかダム計画だとかあったじゃない。あれで鰻の住処が変わっちゃったみたいでね」
ああ、そんなことあったなぁと霊夢は思い出す。神奈子たちが河童を使ってダムを造ろうとして、結局上手くいかずに中止になったっけ。
「それは気の毒だけど、でも私は今、鰻が食べたいの!」
「竹輪ならあるけど」
竹輪を受け取り口に咥える霊夢。鰻とはほど遠いが、なにも無いよりはマシか。
「土用の丑も近いってのに、どうしたらいいのかねぇ」
「鰻のない土用の丑なんて、桜のないお花見みたいなもんじゃない。締まらないわ」
「竹輪じゃ駄目かなぁ」
「駄目!」
ほとほと困り果てたミスティアの様子を見て、霊夢はしばし考え込む。
「ねぇ、白蓮のところに相談してみたら」
「白蓮? ああ、あの妖怪寺かぁ。相談したら鰻が手に入るの?」
「いやそれはわからないけど、いつもしつこいくらい妖怪の味方だって言ってるんだから親身になってくれるんじゃない」
いくら白蓮でも鰻を出すのは流石に無理だろう。
でもミスティアは困っている妖怪なのだし、なにかしら力を貸してくれるのでは無かろうか。具体的に何をしてくれるのかは霊夢にも想像つかないのだが。
「そうだね、溜息を吐いて鰻が捕れるわけじゃないし、騙されたと思って一回相談に行ってみるよ」
「騙されるかもしれないけどね」
「え、騙すの?」
「さぁ?」
不安げに表情を曇らせるミスティアに構わず、霊夢は黙々と竹輪を食べるのだった。
★ ★ ★ ★
不安がっていても事態が好転するわけでもない。他に頼る充ても無いわけだしと、ミスティアは命蓮寺に相談を持ちかけることにした。駄目なら駄目で、その時考えよう。
普段から妖怪の味方を豪語するだけあり、門前で困っているから相談にのって欲しいと告げただけでとんとん拍子に話は進み、意外なほどあっさりと白蓮への面会が許された。
「初めまして、私は住職の聖白蓮です」
「寅丸星です、はじめまして」
「えーと、ミスティアといいます、はじめまして」
案内された客間で目の当たりにした白蓮は穏やかで人当たりが良く、ミスティアは不安が払拭されるのを感じた。
「それで、ミスティアさんはなにか困りごとがあると伺いましたが」
「はい、実は……」
ミスティアは、かくかくしかじかと事情を説明した。白蓮はときおり相槌を打ちながら静かに聞き入る。
「なるほどわかりました。つまりあなたは鰻の屋台をやっているのだけれど、鰻が捕れなくて土用の丑の日に鰻を振る舞うことができずに困っていると」
「です」
「私どもは仏門の身なので鰻は食さないのですが、それでも土用の丑の日に鰻が無いのは確かに風情に欠けますね」
「土用の丑に鰻が無いのなら一体なにを出せばいいのやら、本当に困っています」
「しかし必要なのは鰻なのですよね。はたして私どもでお力になれるのかどうか……」
僅かに表情を曇らせる白蓮の様子に、ミスティアは再び不安に苛まれる。
しばらくの沈黙の後、白蓮は寅丸にさり気なくアイコンタクトを送る。
(ミスティアさんは鰻が捕れなくて困っているそうです)
(ええ、そのようですね)
(困っている妖怪を見過ごすわけにはいきません)
(でも私たちは鰻屋では無いのですから、どうすることもできません)
(困っている妖怪を見過ごすわけにはいきません)
(……鰻を入手する手段が無いのですから、残念ですが力にはなれないかと)
(ならば仕方がありませんね)
(助けてあげたくても力になれない、そういう時もあります)
(鰻が手に入らないのなら仕方ありません。鰻以外の物を提供するしかありませんね)
(鰻以外の物ですか)
(寅丸さんの、あれです)
(……)
(おわかりですよね)
(駄目です、あれは駄目です)
(何故ですか)
(あれは、鰻ではありません)
(でもミスティアさんは困っているのですよ)
(落ち着いてください。どう考えてもあれが鰻の代わりになるはずが無い)
(やってみなければわかりません)
(やらなくてもわかりますっ!)
(寅丸さんは目の前で困っている妖怪を見捨てるのですか?)
(いや、そういう問題じゃなくて)
(どうしても力になる気は無い、そう仰るのですね)
(冷静になってください聖。はい深呼吸、はい)
(私は目の前で困っている妖怪を見過ごすことができません。寅丸さんがそのつもりならば、残念ですが……力尽くでも言うことを聞いてもらいます)
(あの、私の話を聞いて下さい)
(問答無用! 光魔「スターメイルシュトロム」)
(ちょ、待っ!)
(吉兆「極楽の紫の雲路」)
(ああ、もう仕方ない! 光符「アブソリュートジャスティス」)
(くっ、何のこれしき! 魔法「マジックバタフライ」)
(危なっ、ええい! 法灯「隙間無い法の独鈷杵」)
(あなたの力はその程度ですか! 「聖尼公のエア巻物」)
(そう来ましたか。ならば! 寅符「ハングリータイガー」)
(…………)
(…………)
(次の一撃で勝負は決まります)
(ええ、でしょうね)
(遺言があるなら聞いておきますが)
(その言葉、そっくりそのままお返しします)
(…………)
(…………)
(いざ! 飛鉢「フライングファンタスティカ」)
(宝符「黄金の震眩」)
(…………)
(……ま、参りました)
白蓮のアイコンタクトを受けた寅丸は静かに頷き、奥の間へと引き下がる。
何故だか焦燥したように見えたが、きっと気のせいだろう。
「ミスティアさん」
「は、はい」
「残念ですが私どもにも鰻を用意することはできません。力になりたいのは山々なのですが」
「そ、そうですよね……ごめんなさい無理言ってしまって」
「鰻は用意できないのですが、鰻の代わりになるものならば用意して差し上げることができます。それで土用の丑の日を乗り切っていただければと」
白蓮の言葉が終わらぬうちに、奥の間からバタンバタンと何者かが暴れるような音が聞こえてきた。
何事かとミスティアが驚いていると、襖が開いて寅丸が姿を現す。
「あ……えっ、何」
ミスティアの視線は、寅丸が両手で抱えている物に釘付けになっていた。
それらはピンクや黄色の蛍光色で
それらは細くて長くて
それらは寅丸に抱えられてウネウネと動いていた。
「なっ、なんですかっ、それ!!」
「いえ鰻の代わりになればと思いまして」
「そ、そうじゃなくて、何なのか得体が知れないんですけど」
ウネウネと動く細長いそれは、見ようによっては確かに鰻に似てるような気もする。
「ああ、これはへにょりです」
「へ、へにょり?」
「ええ、へにょりです」
そんな名前の物、聞いたことも無い。ミスティアには混乱することしかできなかった。
★ ★ ★ ★
混乱して動揺して放心していたミスティアは、断る機会を逃してしまった。
気がつくと、リアカー一杯のへにょりを押しつけられて丁寧に送り出されているのだった。
「これだけの量があれば土用の丑にも十分かと思われます。がんばってください」
邪心の欠片も見られない白蓮の笑顔が印象的だった。
対照的に、リアカーで蠢く蛍光色のへにょりは酷く禍々しいもののように見えた。
というかキモい。
「ああ、なんかもうどうしよう」
脳裏に白蓮の言葉が蘇る。
「古来より日本には、見立てという文花があります。庭に砂利を敷き詰め、それを手間暇掛けて整え、川の流れの見立てとして風流とする。それが日本人の古来から伝わる心です。このへにょりも根本は同じ事。土用の丑に鰻を振る舞わず、あえてへにょりを鰻と見立てて振る舞う。これがつまり風流ということです」
鰻が欲しくても手に入らないという前提がいつのまにやら有耶無耶にされているような、そんな気がする。
「それに、砂利を川だと言い張るよりも、へにょりを鰻だと言い張るほうがよほど無理の無いことだと思いませんか」
終いには自分から言い出した風流をきっぱり否定しだす始末。
ミスティアは深い溜息を吐いた。
「まあ、眺めててもどうにもならないし、とりあえずやってみてから考えよう」
リアカーから落ちそうになってたへにょりを一匹手に取り、まな板の上にのせる。
どちらが頭なのかはさっぱり分からなかったが、なんとなく頭っぽい所に千枚通しを突き立てて目打ちをする。うねうねと動く蛍光イエロー、なんだかサイケデリックであんまり見てて気持ちの良いもんじゃない。
柳刃包丁で切り込みを入れ、尻尾に向けて刃を走らせる。長いことやってきた作業だ。目を瞑ってても出来る。
身を開くと内臓と背骨を取り除いて串を打つ。だんだんと鰻らしくなってきた。
串を持ち、七輪におこした炭火の上で炙る。炙られたへにょりから出た脂が炭に落ち、香ばしい薫りが漂ってくる。
秘伝のタレを丁寧に塗って、裏も表もじっくりと焼いていく。脂とタレの焼ける匂いが食欲をそそる。
焼き上がってみれば、なんだか思ったよりも鰻っぽい。これなら何も知らない客を騙せ……お客様にも喜んで貰えるかもしれない。
問題は味だ。箸でへにょりを摘み、恐る恐る口に運ぶ。
「これは……」
口に含むと、焦げたタレの香ばしい薫りが広がる。ボリュームのある身はよく引き締まっていて、柔らかいながらも確かな歯ごたえも感じさせる。溢れるほどの脂はタレの甘さと混ざり合って、後を引く味わいとなっていた。
長く鰻と接してきたミスティアにはわかる、これは本物の鰻、それも飛びきりの上物と比べても遜色ない味だ。
「この味なら土用の丑も乗り切れる! これで勝つる!」
ミスティアの顔には満たされた笑みが自然と浮かんでくるのだった。
★ ★ ★ ★
幻想郷の住人には、元来お祭り好きが多い。妖怪や神様がごく身近にいる環境ということも有り、言い伝えや伝統や風習などを重んじる気質は当然のこととも言えた。
もちろん季節ごとの催事にも積極的に参加し、精一杯楽しもうとするのも、ごく当たり前のこと。
土用の丑が平賀源内の考案した鰻屋の販売促進キャンペーンだということも承知はしているのだが、それでも厳しい夏は鰻を食べて乗り切ろう、そうするべきだ、なにせ土用の丑の日だからと、幻想郷の住民は自然にそう考えていた。
だから人間の里まで出張してきたミスティアの屋台が大変に繁盛したとしても、それはなんの不思議も無い、ごく当たり前の成り行きであった。
特設のテーブルまで使い臨時に拡張した屋台であったが、その席も常に埋まっている状態で、人間も妖怪も神様も分け隔て無く、みんな仲良くへにょ……鰻を楽しみ、酒を楽しみ、土用の丑を心から楽しんでいた。
「どうやら、心配することも無かったようですね」
賑やかに笑い合い酒を酌み交わす人々の姿を見て、寅丸はホッと胸を撫で下ろした。
白蓮の説得に根負けしたとはいえ、自身も何なのかよくわかっていない物をミスティアに押しつけてしまい、責任を感じこっそりと様子を見に来たのだった。
「あ、寅丸さん」
客たちの間を忙しそうに飛び回っていたミスティアが、元気に手を振りながら駆けてきた。
「その節は助けていただき、本当にありがとうございました。何とお礼を言っていいのか」
「いえ、お気になさらず。困っている妖怪を助けることで私たちも徳が積める、つまり助けたのは私たち自身のためでもあるのですから」
「また後日、改めてお礼に伺います。そうだ、寅丸さんもよかったらへにょ……鰻を召し上がっていってください」
「それは……残念ですが先を急ぎますので」
「そうですか」
客の注文の声が聞こえ、ミスティアは一礼すると再び飛んでいってしまった。
屋台では臨時アルバイトのチルノが、蛍光ピンクのへにょりを捌こうとして四苦八苦している。
寅丸はその様子を、遠い目で眺める。
「……食べれるんですね、あれ」
小さく呟いたその声は、客達の喧噪に掻き消されるのだった。
終
妖怪の山の中腹をミスティアは注意深く飛んでいた。
天狗に見つからないように、河童に見つからないように、その他誰にも見つからないように右へ左へ迂回しながら、やがて川縁に辿り着く。
誰にも見られていないことを改めて確認してから、ミスティアは目印の岩の下に隠した縄を静かに手繰り寄せる。縄の先には竹を編んで作った罠が仕掛けてあり、罠には不運な八目鰻が掛かっているはずである。結果が期待通りであれば。
「あちゃー、ここも駄目かぁ」
手繰り寄せた罠をひっくり返すが、中からは八目鰻どころか小魚の一匹も出てこない。
しばらく落胆していたミスティアだったが、やがて罠を仕掛け直すと、力なく羽ばたき麓の方へと消えていった。
★ ★ ★ ★
人間、ある特定の食べ物が無性に食べたくなることがある。
人間に限らず妖怪や神様にもそのような事があるのかもしれないが、さておき。
霊夢はその日、無性に鰻が食べたくなった。香ばしいタレで焼いた鰻の蒲焼きがとにかく食べたい。なんとしても食べたい。
鰻が食べたいのなら向かうはミスティアの屋台である。なので向かった。
「くださいなー」
「ああ、いらっしゃい」
屋台の暖簾を潜り、霊夢はにこにこと席に着く。
「蒲焼きとね、あと、うん冷酒」
「悪いね、いま鰻は切らしてるんだ」
「え、なんですって!?」
思わず霊夢はテーブルに拳を打ち付ける。
「切らしてるじゃないわよ! 今日の私はなにが何でも鰻が食べたい気分だっていうのに、一体どうしてくれるの!!」
「そりゃ悪かった。でもね、仕方ないんだ。最近さっぱり鰻が捕れなくて」
ミスティアはテーブルに置いたコップに酒を注ぎ、ついでに溜息も吐く。
霊夢は受け取ったコップに口を付け、ミスティアに尋ねた。
「鰻が捕れない?」
「うん。冬にほら、土砂崩れだとかダム計画だとかあったじゃない。あれで鰻の住処が変わっちゃったみたいでね」
ああ、そんなことあったなぁと霊夢は思い出す。神奈子たちが河童を使ってダムを造ろうとして、結局上手くいかずに中止になったっけ。
「それは気の毒だけど、でも私は今、鰻が食べたいの!」
「竹輪ならあるけど」
竹輪を受け取り口に咥える霊夢。鰻とはほど遠いが、なにも無いよりはマシか。
「土用の丑も近いってのに、どうしたらいいのかねぇ」
「鰻のない土用の丑なんて、桜のないお花見みたいなもんじゃない。締まらないわ」
「竹輪じゃ駄目かなぁ」
「駄目!」
ほとほと困り果てたミスティアの様子を見て、霊夢はしばし考え込む。
「ねぇ、白蓮のところに相談してみたら」
「白蓮? ああ、あの妖怪寺かぁ。相談したら鰻が手に入るの?」
「いやそれはわからないけど、いつもしつこいくらい妖怪の味方だって言ってるんだから親身になってくれるんじゃない」
いくら白蓮でも鰻を出すのは流石に無理だろう。
でもミスティアは困っている妖怪なのだし、なにかしら力を貸してくれるのでは無かろうか。具体的に何をしてくれるのかは霊夢にも想像つかないのだが。
「そうだね、溜息を吐いて鰻が捕れるわけじゃないし、騙されたと思って一回相談に行ってみるよ」
「騙されるかもしれないけどね」
「え、騙すの?」
「さぁ?」
不安げに表情を曇らせるミスティアに構わず、霊夢は黙々と竹輪を食べるのだった。
★ ★ ★ ★
不安がっていても事態が好転するわけでもない。他に頼る充ても無いわけだしと、ミスティアは命蓮寺に相談を持ちかけることにした。駄目なら駄目で、その時考えよう。
普段から妖怪の味方を豪語するだけあり、門前で困っているから相談にのって欲しいと告げただけでとんとん拍子に話は進み、意外なほどあっさりと白蓮への面会が許された。
「初めまして、私は住職の聖白蓮です」
「寅丸星です、はじめまして」
「えーと、ミスティアといいます、はじめまして」
案内された客間で目の当たりにした白蓮は穏やかで人当たりが良く、ミスティアは不安が払拭されるのを感じた。
「それで、ミスティアさんはなにか困りごとがあると伺いましたが」
「はい、実は……」
ミスティアは、かくかくしかじかと事情を説明した。白蓮はときおり相槌を打ちながら静かに聞き入る。
「なるほどわかりました。つまりあなたは鰻の屋台をやっているのだけれど、鰻が捕れなくて土用の丑の日に鰻を振る舞うことができずに困っていると」
「です」
「私どもは仏門の身なので鰻は食さないのですが、それでも土用の丑の日に鰻が無いのは確かに風情に欠けますね」
「土用の丑に鰻が無いのなら一体なにを出せばいいのやら、本当に困っています」
「しかし必要なのは鰻なのですよね。はたして私どもでお力になれるのかどうか……」
僅かに表情を曇らせる白蓮の様子に、ミスティアは再び不安に苛まれる。
しばらくの沈黙の後、白蓮は寅丸にさり気なくアイコンタクトを送る。
(ミスティアさんは鰻が捕れなくて困っているそうです)
(ええ、そのようですね)
(困っている妖怪を見過ごすわけにはいきません)
(でも私たちは鰻屋では無いのですから、どうすることもできません)
(困っている妖怪を見過ごすわけにはいきません)
(……鰻を入手する手段が無いのですから、残念ですが力にはなれないかと)
(ならば仕方がありませんね)
(助けてあげたくても力になれない、そういう時もあります)
(鰻が手に入らないのなら仕方ありません。鰻以外の物を提供するしかありませんね)
(鰻以外の物ですか)
(寅丸さんの、あれです)
(……)
(おわかりですよね)
(駄目です、あれは駄目です)
(何故ですか)
(あれは、鰻ではありません)
(でもミスティアさんは困っているのですよ)
(落ち着いてください。どう考えてもあれが鰻の代わりになるはずが無い)
(やってみなければわかりません)
(やらなくてもわかりますっ!)
(寅丸さんは目の前で困っている妖怪を見捨てるのですか?)
(いや、そういう問題じゃなくて)
(どうしても力になる気は無い、そう仰るのですね)
(冷静になってください聖。はい深呼吸、はい)
(私は目の前で困っている妖怪を見過ごすことができません。寅丸さんがそのつもりならば、残念ですが……力尽くでも言うことを聞いてもらいます)
(あの、私の話を聞いて下さい)
(問答無用! 光魔「スターメイルシュトロム」)
(ちょ、待っ!)
(吉兆「極楽の紫の雲路」)
(ああ、もう仕方ない! 光符「アブソリュートジャスティス」)
(くっ、何のこれしき! 魔法「マジックバタフライ」)
(危なっ、ええい! 法灯「隙間無い法の独鈷杵」)
(あなたの力はその程度ですか! 「聖尼公のエア巻物」)
(そう来ましたか。ならば! 寅符「ハングリータイガー」)
(…………)
(…………)
(次の一撃で勝負は決まります)
(ええ、でしょうね)
(遺言があるなら聞いておきますが)
(その言葉、そっくりそのままお返しします)
(…………)
(…………)
(いざ! 飛鉢「フライングファンタスティカ」)
(宝符「黄金の震眩」)
(…………)
(……ま、参りました)
白蓮のアイコンタクトを受けた寅丸は静かに頷き、奥の間へと引き下がる。
何故だか焦燥したように見えたが、きっと気のせいだろう。
「ミスティアさん」
「は、はい」
「残念ですが私どもにも鰻を用意することはできません。力になりたいのは山々なのですが」
「そ、そうですよね……ごめんなさい無理言ってしまって」
「鰻は用意できないのですが、鰻の代わりになるものならば用意して差し上げることができます。それで土用の丑の日を乗り切っていただければと」
白蓮の言葉が終わらぬうちに、奥の間からバタンバタンと何者かが暴れるような音が聞こえてきた。
何事かとミスティアが驚いていると、襖が開いて寅丸が姿を現す。
「あ……えっ、何」
ミスティアの視線は、寅丸が両手で抱えている物に釘付けになっていた。
それらはピンクや黄色の蛍光色で
それらは細くて長くて
それらは寅丸に抱えられてウネウネと動いていた。
「なっ、なんですかっ、それ!!」
「いえ鰻の代わりになればと思いまして」
「そ、そうじゃなくて、何なのか得体が知れないんですけど」
ウネウネと動く細長いそれは、見ようによっては確かに鰻に似てるような気もする。
「ああ、これはへにょりです」
「へ、へにょり?」
「ええ、へにょりです」
そんな名前の物、聞いたことも無い。ミスティアには混乱することしかできなかった。
★ ★ ★ ★
混乱して動揺して放心していたミスティアは、断る機会を逃してしまった。
気がつくと、リアカー一杯のへにょりを押しつけられて丁寧に送り出されているのだった。
「これだけの量があれば土用の丑にも十分かと思われます。がんばってください」
邪心の欠片も見られない白蓮の笑顔が印象的だった。
対照的に、リアカーで蠢く蛍光色のへにょりは酷く禍々しいもののように見えた。
というかキモい。
「ああ、なんかもうどうしよう」
脳裏に白蓮の言葉が蘇る。
「古来より日本には、見立てという文花があります。庭に砂利を敷き詰め、それを手間暇掛けて整え、川の流れの見立てとして風流とする。それが日本人の古来から伝わる心です。このへにょりも根本は同じ事。土用の丑に鰻を振る舞わず、あえてへにょりを鰻と見立てて振る舞う。これがつまり風流ということです」
鰻が欲しくても手に入らないという前提がいつのまにやら有耶無耶にされているような、そんな気がする。
「それに、砂利を川だと言い張るよりも、へにょりを鰻だと言い張るほうがよほど無理の無いことだと思いませんか」
終いには自分から言い出した風流をきっぱり否定しだす始末。
ミスティアは深い溜息を吐いた。
「まあ、眺めててもどうにもならないし、とりあえずやってみてから考えよう」
リアカーから落ちそうになってたへにょりを一匹手に取り、まな板の上にのせる。
どちらが頭なのかはさっぱり分からなかったが、なんとなく頭っぽい所に千枚通しを突き立てて目打ちをする。うねうねと動く蛍光イエロー、なんだかサイケデリックであんまり見てて気持ちの良いもんじゃない。
柳刃包丁で切り込みを入れ、尻尾に向けて刃を走らせる。長いことやってきた作業だ。目を瞑ってても出来る。
身を開くと内臓と背骨を取り除いて串を打つ。だんだんと鰻らしくなってきた。
串を持ち、七輪におこした炭火の上で炙る。炙られたへにょりから出た脂が炭に落ち、香ばしい薫りが漂ってくる。
秘伝のタレを丁寧に塗って、裏も表もじっくりと焼いていく。脂とタレの焼ける匂いが食欲をそそる。
焼き上がってみれば、なんだか思ったよりも鰻っぽい。これなら何も知らない客を騙せ……お客様にも喜んで貰えるかもしれない。
問題は味だ。箸でへにょりを摘み、恐る恐る口に運ぶ。
「これは……」
口に含むと、焦げたタレの香ばしい薫りが広がる。ボリュームのある身はよく引き締まっていて、柔らかいながらも確かな歯ごたえも感じさせる。溢れるほどの脂はタレの甘さと混ざり合って、後を引く味わいとなっていた。
長く鰻と接してきたミスティアにはわかる、これは本物の鰻、それも飛びきりの上物と比べても遜色ない味だ。
「この味なら土用の丑も乗り切れる! これで勝つる!」
ミスティアの顔には満たされた笑みが自然と浮かんでくるのだった。
★ ★ ★ ★
幻想郷の住人には、元来お祭り好きが多い。妖怪や神様がごく身近にいる環境ということも有り、言い伝えや伝統や風習などを重んじる気質は当然のこととも言えた。
もちろん季節ごとの催事にも積極的に参加し、精一杯楽しもうとするのも、ごく当たり前のこと。
土用の丑が平賀源内の考案した鰻屋の販売促進キャンペーンだということも承知はしているのだが、それでも厳しい夏は鰻を食べて乗り切ろう、そうするべきだ、なにせ土用の丑の日だからと、幻想郷の住民は自然にそう考えていた。
だから人間の里まで出張してきたミスティアの屋台が大変に繁盛したとしても、それはなんの不思議も無い、ごく当たり前の成り行きであった。
特設のテーブルまで使い臨時に拡張した屋台であったが、その席も常に埋まっている状態で、人間も妖怪も神様も分け隔て無く、みんな仲良くへにょ……鰻を楽しみ、酒を楽しみ、土用の丑を心から楽しんでいた。
「どうやら、心配することも無かったようですね」
賑やかに笑い合い酒を酌み交わす人々の姿を見て、寅丸はホッと胸を撫で下ろした。
白蓮の説得に根負けしたとはいえ、自身も何なのかよくわかっていない物をミスティアに押しつけてしまい、責任を感じこっそりと様子を見に来たのだった。
「あ、寅丸さん」
客たちの間を忙しそうに飛び回っていたミスティアが、元気に手を振りながら駆けてきた。
「その節は助けていただき、本当にありがとうございました。何とお礼を言っていいのか」
「いえ、お気になさらず。困っている妖怪を助けることで私たちも徳が積める、つまり助けたのは私たち自身のためでもあるのですから」
「また後日、改めてお礼に伺います。そうだ、寅丸さんもよかったらへにょ……鰻を召し上がっていってください」
「それは……残念ですが先を急ぎますので」
「そうですか」
客の注文の声が聞こえ、ミスティアは一礼すると再び飛んでいってしまった。
屋台では臨時アルバイトのチルノが、蛍光ピンクのへにょりを捌こうとして四苦八苦している。
寅丸はその様子を、遠い目で眺める。
「……食べれるんですね、あれ」
小さく呟いたその声は、客達の喧噪に掻き消されるのだった。
終
頭の中で蛍光色のワーム状の何かが蠢いて、しばらくうなされそうです。
でも、鰻も考えたらかなりグロですよね。
最初に食べようと思った昔の人は偉いなあ…(遠い目)
う~ん、奥深い世界だ。
というかあの弾幕に内臓や背骨があるのか…
ああ、へにょりってアレのことかww
味は良くても蛍光ピンクの出されたら誰も食べてくれないんじゃないのか。
どうせなら星ちゃんたちぬえちゃんに鰻に見せてもらえばよかったのに。
なんで弾幕に背骨と内臓があるんだよ!!
三匹ください
いや、三発?
しかし蛍光色の蒲焼か……ゼリーみたいな物と思えば食べられない事もない、かなぁ
でも確か永琳が宝塔から出るへにょりはγ線って言ってたような……まぁ妖怪なら喰っても大丈夫か
貴方のその斬新な発想に脱帽です。
うん。鰻高いよね。食べたいのに買えないよ…(´;ω;`)
いや、弾幕は公式で食ってるけどさ…
魔界ではよく取れるらしいよ
魔界産の大味だけど安いへにょりが輸入されてくるんですね分かります。
へにょりが旬の季節になってきましたね。
アレの骨は揚げるとコリコリした食感がたまらないいいつまみになるんですよね。
アイコンタクト半端ねえ……目が口以上に物を語っている。