――――夜空を流れる河のお話――――
「あ~、あっついわね~」
箒を握る手にも汗が滲み、力が入る。風通しの良い場所の筈なのに、まるで蒸籠の中のようだ。
梅雨は未だ明けず、じめりとした湿気と立っているだけで体中に汗が出てくる暑さが初夏の匂いを漂わせる。
日はもう沈みかける時なのに、依然と涼しくならない中、私はいつもの様に境内を掃除していた。
「ふぃ~、こんなものかしらね。そろそろ準備も始めないといけないし……」
「こんばんは~。こんばんわは~」
のんびりと気の抜けた声とともに、黒い球体が神社に降りてくる。
この声とこの姿は、私が知るかぎりではただ一人だ。
黒い球体と間の抜けた声の主、ルーミアは地面に降り立つと姿を表し、満面の笑みで私に話しかけてきた。
「霊夢ー。こんばんわはー」
「はいはい、こんばんは。……っていうか、何その挨拶?」
私の疑問は、別になんらおかしいものではないだろう。
少女と幼女の丁度中間ぐらいの容姿であるルーミアには、確かに似合った挨拶ではあるのだが、何故わざわざそんな挨拶をするのかは意味がわからない。
くるくる回りながら、鼻から抜け切っていない感じの高い声で挨拶する様は、大変に可愛らしいので大概の人間はそんな疑問も吹き飛んでしまうことだろうが。
「こうやって挨拶すると、里のお肉屋さんとか八百屋さんがおまけしてくれるんだー」
「あぁ、そう。確かに可愛いとは思うけどさ……ま、いっか」
「それより霊夢、私お腹がすいちゃったんだけど、ご飯まだ?」
「いつからここは食事処になったのよ。夕ご飯の時間はまだ後よ」
「そーなのかー」
完全に夕ご飯を食べていくつもりのルーミアだが、私も特に拒むつもりはない。
妖怪と人間、本来なら相容れない存在であるはずの私達もこの郷では関係ない。
いや、この郷だからこそ仲良くできているというべきか。
そんな小難しいことはどうでもいいが、私達は夕ご飯をたかりに来る、それを拒まない、という関係であるほどには仲が良かった。
「それより霊夢、さっき言ってた準備って?」
「あら。聞こえてたの。まぁ、すぐに解るわよ」
「んー?ならいいやー」
「おーい、霊夢ー。笹、持ってきたぜー」
噂をすればなんとやら、ちょうどいい所で肩に笹を担いだ魔理沙が降りてきた。
魔理沙が持っているものと、今日という日を考えれば、いくらルーミアでも答えがわかるだろう。
「あ!解ったー!」
「そうよ、今日はたな――」
「今日の晩御飯は筍ご飯なのかー!」
「違うぜルーミア。笹を持ってきてるんだから笹だんごに決まってるだろ?」
「そーなのかー?」
「違うわよー。いくらなんでも晩御飯に笹だんごはおかしいでしょう。ルーミア、本当に解らないの?」
私の問いかけに、可愛らしく小首を傾げる。
どうやら冗談でもなんでもなく、本当にまだ解ってないみたいようだ。
魔理沙も愉快そうに笑いながら、笹の葉を揺らしている。ここまでヒントが出て解らないとは流石に思わなかった。
「むー、笹が今日の晩御飯と、なんの関係があるの?」
「あんたはまず晩御飯から離れなさい。いい?今日はたなば――」
「まぁまぁ霊夢、いきなり答えを言っちゃうんじゃ面白くないぜ。ここは一つ優しい魔理沙さんがヒントをやろう」
何が面白く無いのか解らないが、魔理沙が何かしたいなら別に邪魔することもないであろう。
っというか今私は、たなばまで言ったはずなのだが、ほぼ答えみたいなものだろうに、それでも解らなかったのかこの十進法は。
「ヒント、今日は何日だ?」
「今日?今日は……七日ー」
「おー?本当に七日なのか?」
「なのかなのだー」
「なのかなのぜー」
「七日は七日でも今日は特別な七日なんだぜ」
「特別な七日?……特別なのかー、そーなのかー」
「そーなのぜー」
あぁ、もう、わけわかんない。
このまま放っておいたら話が終わらなさそうなので、私はここらへんで二人を止めることにした。
「はいはい、こんがらがって訳がわからないわよ。今日七月七日、七夕でしょう?」
「おー七夕か!知ってるよ、笹にお願いするやつでしょ?」
「正確には笹に願い事を吊るす、だぜ。なんでも、短冊に願い事を書いてそれを笹に吊るせば、年に一度だけ会える天上の恋人二人が願いを叶えてくれるんだとよ」
「おー、太っ腹なのね。でも、どうして?」
「さぁ?そんなの知らないわよ、正直どうでもいいことだしね。そんなことより今年は催涙雨も無いみたいだし、綺麗な星空が見えるんじゃないのかしらね」
七夕がどういう行事なのかぐらいは知っていたみたいだが、それなら何故ここまで気が付かなかったのやら。
もっとも、妖怪達はこのような行事にあまり関心がないのかもしれないが。
最近では人里などにも行くようになったし、人との距離も近づいているとは思うが、まだ人と妖怪の感性の差と言うものは開いているのかもしれない。
「あんたも、願い事書いて吊るしたら?このあとはどうせ人が沢山来て宴会になるだろうし、吊るすなら人が居ない今のうちよ」
「いいの?わぁ、じゃあ……えーっと……」
「焦らず考えるといいさ。どうせ願うだけならタダなんだし、夢はいくら大きくても困らないってな」
「そういう魔理沙は、何を書いたのかしら?アリスともう少し仲良く出来ますように、とか?」
「いいや、違うぜ。人と人との関係ってのは神頼みなんかするもんじゃない、自分で決めて行かないとな。私の願い事はもっと魔法の研究がうまくいきますように、だ。詰まらないと思うかもしれんが、それぐらいしか願いなんてないぜ」
随分とご立派なことだが、その割には二人の関係が顔をよく知ってるご近所さんから変わらないのは何故だろうか。
魔理沙のアプローチも中々積極的だとは思うのだが、相手の人形遣いのほうが鈍感すぎて結局全部裏目に出るというのがなんとも酷い話だ。
「今回の宴会はバッチリ決めるぜ!作戦も考えてあることだしな」
「作戦?まぁ、いいんじゃないの。爆発とかしなければ」
「名付けて作戦、星の屑!これでこの微妙な距離感から一気に詰めてやる」
「そーなのかー?」
「そーなのぜー」
大分意気込んでは居るようだが、私の勘的にはその作戦はうまくいかないと思う。
何故かはしらないが、なんとなく名前が不吉に感じる。上手く行こうが行くまいが、私には関係のない話だが。
「じゃあさ、霊夢はなんてお願いするの?」
「おぉ、私も気になるぜ。お前が願い事なんて珍しいような気がするしな」
「え、私?そうね……せ、世界平和とか?」
「うわぁ……」
「本当なのかー?」
二人にかなりの勢いで疑われてしまった。
まぁ、流石に嘘だとわかり易すぎただろうか、自分の願い事なのに、とか、って言っちゃってるし。
「いいじゃないか、別に今更隠さなくても。私とお前との仲だろ?」
「煩いわね、私にだって隠したい事ぐらいあるわよ。……それよりルーミア、何をお願いするか決まった?」
「うーん、お願い……思い浮かばないー」
「決まったらこの短冊に書いておいてくれ。私は笹を向こうに置いてくる」
「うーん……お願い……」
妖怪は人間より自由だ。
ちょっとやそっとじゃ死なないし、何かに縛られて生きているものも少ない。
そんな普通の妖怪であるルーミアに、願い事なんて言ってもやはり思い浮かばないのだろうか。
「ねぇ、ルーミア。貴方最近、人を食べた?」
「人?そういえば最近は、人を襲っても食べてないや。なんて言うか、襲った時はお腹が空いてるんだけど、こっちを見て怯えてる人間を見てるだけで、満足しちゃうのかー。それに、白いご飯も美味しいしね」
「そう」
「どうしたのー、急にそんなことを聞いて」
「いや、別に。なんでもないわよ」
「?変な霊夢ー」
根っからの人食い妖怪だったこの子が、こんな風に変わることができているなら。
私の願いも、いつか叶う日が来るのだろうか。
できれば、私が生きているうちに叶えば、いいんだけどな。
「あ、そうだ!願い事思いついたよ!」
「あら、どんなことをお願いするつもりなの」
「あのね、霊夢と一緒に、美味しいもの一杯食べたいー!」
「あんたは本当に、花より団子ね」
幸せそうな笑顔で、こんなことを願う。
そんな風に妖怪が願ってくれるなら、人間がそんな妖怪を受け入れてくれるなら。
「そーなのかー。それより霊夢、私も教えたんだから霊夢のも教えてよ」
「だから最初に言ったでしょ、世界平和よ」
「そーなのかー?」
「そーなのよー」
私の願いも、いつかきっと叶うだろう。
「叶うと、いいわね」
「うん!」
願わくば、妖怪と人が平和に暮らせるこの郷が、もっと平和に暮らせますように。
「あ~、あっついわね~」
箒を握る手にも汗が滲み、力が入る。風通しの良い場所の筈なのに、まるで蒸籠の中のようだ。
梅雨は未だ明けず、じめりとした湿気と立っているだけで体中に汗が出てくる暑さが初夏の匂いを漂わせる。
日はもう沈みかける時なのに、依然と涼しくならない中、私はいつもの様に境内を掃除していた。
「ふぃ~、こんなものかしらね。そろそろ準備も始めないといけないし……」
「こんばんは~。こんばんわは~」
のんびりと気の抜けた声とともに、黒い球体が神社に降りてくる。
この声とこの姿は、私が知るかぎりではただ一人だ。
黒い球体と間の抜けた声の主、ルーミアは地面に降り立つと姿を表し、満面の笑みで私に話しかけてきた。
「霊夢ー。こんばんわはー」
「はいはい、こんばんは。……っていうか、何その挨拶?」
私の疑問は、別になんらおかしいものではないだろう。
少女と幼女の丁度中間ぐらいの容姿であるルーミアには、確かに似合った挨拶ではあるのだが、何故わざわざそんな挨拶をするのかは意味がわからない。
くるくる回りながら、鼻から抜け切っていない感じの高い声で挨拶する様は、大変に可愛らしいので大概の人間はそんな疑問も吹き飛んでしまうことだろうが。
「こうやって挨拶すると、里のお肉屋さんとか八百屋さんがおまけしてくれるんだー」
「あぁ、そう。確かに可愛いとは思うけどさ……ま、いっか」
「それより霊夢、私お腹がすいちゃったんだけど、ご飯まだ?」
「いつからここは食事処になったのよ。夕ご飯の時間はまだ後よ」
「そーなのかー」
完全に夕ご飯を食べていくつもりのルーミアだが、私も特に拒むつもりはない。
妖怪と人間、本来なら相容れない存在であるはずの私達もこの郷では関係ない。
いや、この郷だからこそ仲良くできているというべきか。
そんな小難しいことはどうでもいいが、私達は夕ご飯をたかりに来る、それを拒まない、という関係であるほどには仲が良かった。
「それより霊夢、さっき言ってた準備って?」
「あら。聞こえてたの。まぁ、すぐに解るわよ」
「んー?ならいいやー」
「おーい、霊夢ー。笹、持ってきたぜー」
噂をすればなんとやら、ちょうどいい所で肩に笹を担いだ魔理沙が降りてきた。
魔理沙が持っているものと、今日という日を考えれば、いくらルーミアでも答えがわかるだろう。
「あ!解ったー!」
「そうよ、今日はたな――」
「今日の晩御飯は筍ご飯なのかー!」
「違うぜルーミア。笹を持ってきてるんだから笹だんごに決まってるだろ?」
「そーなのかー?」
「違うわよー。いくらなんでも晩御飯に笹だんごはおかしいでしょう。ルーミア、本当に解らないの?」
私の問いかけに、可愛らしく小首を傾げる。
どうやら冗談でもなんでもなく、本当にまだ解ってないみたいようだ。
魔理沙も愉快そうに笑いながら、笹の葉を揺らしている。ここまでヒントが出て解らないとは流石に思わなかった。
「むー、笹が今日の晩御飯と、なんの関係があるの?」
「あんたはまず晩御飯から離れなさい。いい?今日はたなば――」
「まぁまぁ霊夢、いきなり答えを言っちゃうんじゃ面白くないぜ。ここは一つ優しい魔理沙さんがヒントをやろう」
何が面白く無いのか解らないが、魔理沙が何かしたいなら別に邪魔することもないであろう。
っというか今私は、たなばまで言ったはずなのだが、ほぼ答えみたいなものだろうに、それでも解らなかったのかこの十進法は。
「ヒント、今日は何日だ?」
「今日?今日は……七日ー」
「おー?本当に七日なのか?」
「なのかなのだー」
「なのかなのぜー」
「七日は七日でも今日は特別な七日なんだぜ」
「特別な七日?……特別なのかー、そーなのかー」
「そーなのぜー」
あぁ、もう、わけわかんない。
このまま放っておいたら話が終わらなさそうなので、私はここらへんで二人を止めることにした。
「はいはい、こんがらがって訳がわからないわよ。今日七月七日、七夕でしょう?」
「おー七夕か!知ってるよ、笹にお願いするやつでしょ?」
「正確には笹に願い事を吊るす、だぜ。なんでも、短冊に願い事を書いてそれを笹に吊るせば、年に一度だけ会える天上の恋人二人が願いを叶えてくれるんだとよ」
「おー、太っ腹なのね。でも、どうして?」
「さぁ?そんなの知らないわよ、正直どうでもいいことだしね。そんなことより今年は催涙雨も無いみたいだし、綺麗な星空が見えるんじゃないのかしらね」
七夕がどういう行事なのかぐらいは知っていたみたいだが、それなら何故ここまで気が付かなかったのやら。
もっとも、妖怪達はこのような行事にあまり関心がないのかもしれないが。
最近では人里などにも行くようになったし、人との距離も近づいているとは思うが、まだ人と妖怪の感性の差と言うものは開いているのかもしれない。
「あんたも、願い事書いて吊るしたら?このあとはどうせ人が沢山来て宴会になるだろうし、吊るすなら人が居ない今のうちよ」
「いいの?わぁ、じゃあ……えーっと……」
「焦らず考えるといいさ。どうせ願うだけならタダなんだし、夢はいくら大きくても困らないってな」
「そういう魔理沙は、何を書いたのかしら?アリスともう少し仲良く出来ますように、とか?」
「いいや、違うぜ。人と人との関係ってのは神頼みなんかするもんじゃない、自分で決めて行かないとな。私の願い事はもっと魔法の研究がうまくいきますように、だ。詰まらないと思うかもしれんが、それぐらいしか願いなんてないぜ」
随分とご立派なことだが、その割には二人の関係が顔をよく知ってるご近所さんから変わらないのは何故だろうか。
魔理沙のアプローチも中々積極的だとは思うのだが、相手の人形遣いのほうが鈍感すぎて結局全部裏目に出るというのがなんとも酷い話だ。
「今回の宴会はバッチリ決めるぜ!作戦も考えてあることだしな」
「作戦?まぁ、いいんじゃないの。爆発とかしなければ」
「名付けて作戦、星の屑!これでこの微妙な距離感から一気に詰めてやる」
「そーなのかー?」
「そーなのぜー」
大分意気込んでは居るようだが、私の勘的にはその作戦はうまくいかないと思う。
何故かはしらないが、なんとなく名前が不吉に感じる。上手く行こうが行くまいが、私には関係のない話だが。
「じゃあさ、霊夢はなんてお願いするの?」
「おぉ、私も気になるぜ。お前が願い事なんて珍しいような気がするしな」
「え、私?そうね……せ、世界平和とか?」
「うわぁ……」
「本当なのかー?」
二人にかなりの勢いで疑われてしまった。
まぁ、流石に嘘だとわかり易すぎただろうか、自分の願い事なのに、とか、って言っちゃってるし。
「いいじゃないか、別に今更隠さなくても。私とお前との仲だろ?」
「煩いわね、私にだって隠したい事ぐらいあるわよ。……それよりルーミア、何をお願いするか決まった?」
「うーん、お願い……思い浮かばないー」
「決まったらこの短冊に書いておいてくれ。私は笹を向こうに置いてくる」
「うーん……お願い……」
妖怪は人間より自由だ。
ちょっとやそっとじゃ死なないし、何かに縛られて生きているものも少ない。
そんな普通の妖怪であるルーミアに、願い事なんて言ってもやはり思い浮かばないのだろうか。
「ねぇ、ルーミア。貴方最近、人を食べた?」
「人?そういえば最近は、人を襲っても食べてないや。なんて言うか、襲った時はお腹が空いてるんだけど、こっちを見て怯えてる人間を見てるだけで、満足しちゃうのかー。それに、白いご飯も美味しいしね」
「そう」
「どうしたのー、急にそんなことを聞いて」
「いや、別に。なんでもないわよ」
「?変な霊夢ー」
根っからの人食い妖怪だったこの子が、こんな風に変わることができているなら。
私の願いも、いつか叶う日が来るのだろうか。
できれば、私が生きているうちに叶えば、いいんだけどな。
「あ、そうだ!願い事思いついたよ!」
「あら、どんなことをお願いするつもりなの」
「あのね、霊夢と一緒に、美味しいもの一杯食べたいー!」
「あんたは本当に、花より団子ね」
幸せそうな笑顔で、こんなことを願う。
そんな風に妖怪が願ってくれるなら、人間がそんな妖怪を受け入れてくれるなら。
「そーなのかー。それより霊夢、私も教えたんだから霊夢のも教えてよ」
「だから最初に言ったでしょ、世界平和よ」
「そーなのかー?」
「そーなのよー」
私の願いも、いつかきっと叶うだろう。
「叶うと、いいわね」
「うん!」
願わくば、妖怪と人が平和に暮らせるこの郷が、もっと平和に暮らせますように。