幻想郷のバランスは保たれている。
人間に偏る事もなく、妖怪に偏る事もなく、幽霊に偏る事もなく、妖精に偏る事もなく。
ましてや有象無象に偏る事もなかった。
常しえの平和。
誰が強い訳でも誰が弱い訳でもない。
だからこそ、バランスは保たれている。
だからこそ、均衡は保たれる。
だからこそ、非常に危うい。
一度崩れれば、それはどうしようもない。
後は偏り続けて、ひっくり返るのを見ているしかない。
だからこそ、妖怪の賢者達は動けない。
実力ある人間は動かない。
生殺与奪の権利を持つ者は力を施行しない。
簡単には動けない世界となってしまった。
だが……
もしも、誰かが動かなければならない事態となったら?
いつかの吸血鬼異変の様に。
いつかの永夜異変の様に。
では、そんな時に誰が動く事となるのか。
その答えは、酷く簡単なものだった。
~☆~
霧の湖。
幻想郷のほぼ中心に存在し、各々の山から流れ出る川の行き着く場所である。
朝方や夜は常に霧がたちこめる為に、いつの日からかそう呼ばれる事になった。
曇りの日にも霧がかかる日が多いが、晴れると綺麗な風景を見せてくれる。
畔に建つ紅魔館も、アクセントとしては良いだろうか。
そんな湖には、一人の妖精が住んでいる……いや、棲んでいるのは有名だった。
妖精のくせに逃げも隠れもしない変わり者。
陽気で暢気で暖気を好む妖精だが、彼女が違った。
司るは氷。
明るく楽しい日々を生きるのではなく、冷たく鋭く生きる存在。
妖精という存在の正反対の妖精が、霧の湖には棲んでいる。
「ふあぁ~あぁ~。退屈~」
氷の妖精は大きく欠伸をした。
女の子だっていうのに、口の奥まで遠慮なく見せ付けるのは、まだまだ幼いからだろうか。
それとも色気よりも食い気だからだろうか。
ポッカリと浮かぶ雲を見ては時間を潰す氷精も、雲ひとつ無い快晴ならば暇を持て余すばかりだった。
冬でもない限り、そんなに活動はしたくないらしく、氷精は湖の上に顕現させた氷の上でゴロンと寝転がった。
「暇だね~、チルノちゃん」
そんな氷精をチルノと呼ぶのは、大妖精だった。
妖精の中でも力が強く、『大妖精』という固有名称で呼ばれている。
もっとも、大妖精というよりかは『大ちゃん』の愛称で呼ばれる事が多い。
彼女もまた、霧の湖に棲む妖精だ。
同じ霧の湖に棲む者同士、チルノと大妖精は仲が良かった。
しかし、それは極最近の事。
以前のチルノは自分の能力のせいで他の妖精を近づける事なく一人ぼっちの存在だった。
「あたいったらサイキョーね」
というチルノの言葉は、そのまま強がりだった。
それも冷気を抑えられる様になってからは、あまり聞かなくなる。
やはり、強がりだったらしい。
友人ができてからは、氷精も丸くなったのだろう。
光を司る三月精や大妖精がチルノの主な友達となり、いたずらを仕掛けたり暢気に過ごしたりという日々を過ごしている。
今日もまた、湖でノンビリとしているチルノと大妖精だった。
「ねぇねぇ大ちゃん。なにか面白い事ない? 誰にいたずらを仕掛けよっか?」
「え~、昨日怒られたばっかりじゃない。今度は一回休みにされちゃうかもしれないよ」
大妖精は何かを思い出したのか、ブルっと身体を震わせた。
チルノはそうでもないが、大妖精にしてみれば相当に恐ろしかったらしい。
「え~、幽香は何だかんだ言って優しいよ?」
どうやら、いたずらを仕掛けた相手は風見幽香だった様だ。
笑顔の怖さは折り紙つきである。
仏の顔は三度までだが、幽香の顔は何度か知らない。
大妖精にしてみれば、二回目でアウトな気がしてしょうがなかった。
「う~ん、いい天気だし、いい事あればいいな~」
そうチルノが呟いた時、ふと二人の小さな身体を影が通る。
それと共に風が通り、湖面に静かな波を立てた。
「なに?」
チルノは立ち上がり、空を見上げた。
バサリ、と空気を打つ音が響く。
妖力や魔力や霊力の類ではない、もっと物理的な力で空を飛ぶ音。
その音の正体を、二人はあんぐりと見上げた。
「大ちゃん……なにあれ?」
「……し、知らない」
やがて空を飛ぶモノはゆっくりと降りてきた。
湖の畔に着地すると、ズシンという重い音。
風とは別の波紋が湖にあわ立つ。
妖精の二人は冷たい氷の上に身を低くした。
「す、すげぇ。大ちゃん、あれ鳥だ」
「え~、鳥なのかなぁ……トカゲっぽくない?」
でもトカゲは飛ばないよ、というチルノの一言に、大妖精は頷いた。
それでも、大妖精にしてみればトカゲに見えて仕方がない。
二人の視線の先には、今まで見た事のない生物がいた。
羽毛ではなく鱗に覆われている事。
そして、長い尻尾がある事。
どう見ても、鳥らしい特徴ではなかった。
それでもチルノの言う事も分かる。
幻想郷で、空を飛ぶ者は多い。
でも、それは魔力や妖力を使って飛ぶのが普通だ。
それ以外となると、やっぱり鳥しかいない。
羽で空気を打って身体を浮かせるのは、鳥しかいない。
大妖精は自分の羽を見る。
一応、自由に動かせるがそこには何の意味もない。
チルノに至っては羽は氷の結晶だ。
それで飛べる訳がない。
「Ggggrrr」
トカゲ鳥から、くぐもる様な声が聞こえた。
どうやら湖の水を飲みにきたらしい。
首を伸ばすと、下部分が大きく発達したクチバシを開き、水をガブガブと飲んでいる。
「うはぁ、なんか凄いねあいつ。捕まえられないかな?」
「え~、無理だよチルノちゃん。私達よりずっと大きいよ」
遠くからなので本当の大きさは把握できなかったが、大妖精がチルノを肩車したぐらいの高さがトカゲ鳥の足の長さくらいだろうか。
人間の男よりも大きいのは確かで、およそ捕まえられる気がしない。
それでもチルノの知的好奇心は常識を上回る。
ふわり、と身体を浮かせるとトカゲ鳥の真正面から近づいていった。
「ちょ、ちょっとチルノちゃん!」
近づくチルノを大妖精が呼び止める。
しかし、その声にトカゲ鳥が気づいたらしい。
夢中で飲んでいた湖面から顔をあげて、こちらを向いた。
「げっ」
という、チルノの言葉をかき消す様に、
「Ggraaaaa!」
というトカゲ鳥の咆哮が湖面を揺らした。
そして、身体を浮かせて湖から後退する。
「おっ、戦う気? あたいに喧嘩を売る奴なんて久しぶりじゃない」
ニヤリと笑うチルノに大妖精が追いつく。
「危ないよチルノちゃん。逃げようよ」
「何言ってるの大ちゃん。女は度胸。逃げるのは普通の女だけど、逃げないのは訓練された女なんだよ」
「なにそれ意味わかんない。うわぁ、きたよ!」
再び吼えたトカゲ鳥は身体を浮かせて二人へと向かってきた。
しかし、身体が重いのか飛ぶ速度は速くない。
二人はトカゲ鳥の体当たりを難なく避けると地面へと降り立った。
ちょうどバックには魔法の森。
大妖精は森の中に逃げるつもりだったが、チルノは地面へと着地して迎え撃つつもりだった。
「来い、変な鳥! あたいのアイスソードに斬れないものはほとんどない!」
「それ妖夢さんに怒られると思う……」
チルノは右手に氷の剣を顕現させる。
剣の形をしているが、恐らく切れ味はゼロに近い。
斬れないものというより、斬れるものがほとんどないという方が正しい。
しかし、ほぼ鈍器と変わらないが、壊れてもすぐ直せるというメリットがあった。
「Gggg」
トカゲ鳥は呻く様な声と共に、チルノへと向かう。
言葉の意味は分からなかったが、チルノの意図は鳥頭でも理解できたのだろう。
翼が空気を打つ重い音を響かせて、氷精へと迫った。
「うわっぷ」
トカゲ鳥が起こした風は、そのまま攻撃となる。
風が砂を舞い上げ、チルノの顔へと当たった。
こうなると、反射的に顔を背けてしまう。
決定的な隙が生まれてしまった。
「チルノちゃん!」
大妖精の声に反応してか、チルノは反射的に氷の剣を構えた。
そんな剣に、とんでもない重さが加わる。
トカゲ鳥が剣の上に着地したのだ。
もちろんチルノに支えられる訳がなく、氷の剣を手放す。
トカゲ鳥と地面に挟まれた剣は、粉々に砕けた。
しかし、チルノにはそれを見届ける余裕がなかった。
目の前には、巨大なクチバシ。
零れ出てくる低い唸り声に、恐怖心が勝ってしまった。
「逃げて!」
大妖精の言葉に反応したのは、チルノではなくトカゲ鳥。
その硬いクチバシを上から叩きおろす様に、氷精の首をおとした。
「ぎ」
という短い悲鳴。
しかし、それだけでは終わらず、トカゲ鳥は下から掬い上げる様にチルノをクチバシで弾き飛ばした。
ふわりと簡単に身体が浮く。
チルノ自身が飛んだのではなく、物理的に飛ばされたのだ。
「ぐぇ」
吹っ飛ばされたチルノは木に当たり、奇妙な悲鳴をあげた。
「だ、だだ、大丈夫、チルノちゃん!?」
「あいたたたた……あたいってば蛙みたいな悲鳴ね。いつも聞いてるからうつっちゃったのかな」
あはは、とチルノは苦笑した。
「逃げようよ! 絶対勝てないよ!」
「ごめん大ちゃん」
チルノは謝る。
相変わらず、困った様な笑顔を浮かべながら、チルノは謝った。
「身体が動かないや。ちょっと先に逃げてて」
「そんな……!?」
大妖精は慌ててチルノの身体を起こそうとするが、ドシンという音と衝撃にチルノを取り落としてしまう。
「ふぎゃ」
「わ、わわわわわ」
衝撃の主はトカゲ鳥。
二人の妖精の目の前にまで迫っていた。
表情は読めない。
それでも、チルノには愉悦に歪んでいる様にみえた。
「Gra」
トカゲ鳥の喉奥が鳴る。
そして、生物ではおよそ有り得ない光景が見えた。
喉の奥が灼熱に光り、口から炎が溢れる。
それを見た瞬間、チルノは覚悟を決めた。
なにより自分は氷の妖精。
炎を浴びて無事な訳がない。
きっと、一回休みになるだろう。
そう思って、覚悟を決めて、ギュッと目を閉じた。
怪鳥の咆哮。
それと共に、火球が吐き出された。
ふと、自分に当たる太陽の光が遮られた。
「……?」
チルノは目を開ける。
目の前には、火球を受け止め、チリチリと燃える大妖精がいた。
「大ちゃん!?」
反射的に立ち上がった。
さっきまで動かなかった体が、自然に動いた。
「なにやってんのさ大ちゃん! 馬鹿はあたい一人で充分だよ!」
大妖精の返事はない。
代わりに、怪鳥が勝ち鬨をあげる様に咆哮した。
チルノはそれに構わず、倒れ掛かる大妖精を抱き起こす。
そして、抑えていた冷気を開放した。
合わせて大妖精の体を一旦氷で覆う。
チリチリと燃えていた服や髪は、それで消化された。
「待ってろ! 絶対に戻ってくるからな!」
チルノはそう宣言すると、大妖精を抱えて魔法の森へと逃げた。
残されたトカゲ鳥は氷精を追う事なく、まるで自分の巣の様に、その場所で羽を休めるのだった。
~☆~
霧の湖から魔法の森を抜けた先には、一軒の道具屋がある。
看板は少しばかり古ぼけているが、香霖堂という文字ははっきりと読む事が出来た。
そこに『英雄』がいる事をチルノは知っている。
もちろん、それはチルノにとっての英雄だ。
他の幻想郷住民は、みな口をそろえて言うだろう。
偏屈だ、と。
「霖之助!」
大妖精を抱えたまま魔法の森を抜けたチルノは、ドアベルを破壊する様な勢いで入り口を開いた。
お陰でドアが壁にぶち当たり、ちょっとした音が響く。
ドアベルの仕事を奪いかねない勢いだった。
霖之助、という名前は香霖堂店主、森近霖之助の名前である。
偽名なのはバレバレなのだが、すでに気にする者はいなくなった。
チルノはそれに気づいてもいなかったが。
「いま取り込み中!」
店内からは店主の声ではなく、少女の声が響いた。
なんだなんだ、とチルノが奥に進んでみると、勘定台の下で店主と少女がいた。
「なにやってんの?」
霖之助は仰向けに寝転んでおり、その上に少女……比那名居天子が馬乗りになっていた。
大妖精ならば、真昼間の情事!? と頬を染めるところだが、残念ながら本人は気絶中である。
ちなみにチルノにはそちら方面に知識は皆無に等しい。
せいぜい『色仕掛け』を知っているくらいだ。
「ちょっとばかり霖之助をボコボコにしてやろうと思ったところよ。邪魔しないで」
「待て待て、僕を殴っても何の利益も生まれない。意味なんて、ぐはっ!」
天子は言い訳をする霖之助を遠慮なく殴った。
「ふん。まぁいいわ。それで、何の用があるの、妖精?」
「大ちゃんがやられた。とりあえず、手当てしてやって」
そこで初めて天子は振り返った。
そして、あら、と驚いた声をあげる。
「時間を取らせて悪かったわねチルノ。霖之助」
「いててて……あぁ、奥の部屋に寝かせてやるがいい。ふむ、火傷か……」
霖之助は大妖精の症状をみて、腕を組む。
その間にチルノは店の奥の居住スペースにと入っていった。
何度かお世話になっている場所なので、布団の位置などは知っている。
天子も手伝って、手早く大妖精を寝かせてやった。
これで一安心とばかりに、チルノは大きく息を吐いた。
「いったい誰にやられたんだ? スペルカードルールは使わなかったのかい?」
店側に戻ると、霖之助が質問してきた。
チルノはそれに頷く。
「鳥。変な鳥だったよ」
「鳥で火傷……妹紅の鳳凰かい?」
不老不死の不死鳥は、その全身が炎で包まれている。
鳳凰に乗ろうとでもしたのかい、と霖之助は聞くがチルノはブンブンと首を横に振った。
「違う。トカゲみたいな鳥みたいな変な奴だ。空を飛んできて、それから炎を吐いた」
「はぁ、なにそれ? そんなの幻想郷にいるの?」
天子が不可解な顔をする。
そんな天子に対して、チルノは必死に説明した。
色々と特徴を説明していくうちに、どうやら霖之助の知識に引っかかったらしい。
彼は右手の人差し指を一本立てた。
「ふむ……それは、竜だな」
「りゅう? 龍神?」
天子の言葉に霖之助は、いや、と否定する。
「龍ではなく、竜だ。漢字で書くと……こうだ。そいつは神様でも鳥でもない。いわゆる幻想種だよ。西洋の物語でよく出てくるんだが、どうやら幻想入りしてきたみたいだな。空を飛ぶ巨大なトカゲで火を吐くというと、もう竜というかドラゴンとしか考えられない」
「ドラゴン……それって、勝てるのか?」
「ふむ、まぁ幻想種といえども生物だ。君達妖精と違って一回休みになったりしない。倒して殺して食料にでもしてしまえばいいだろう」
なにも殺さなくても、という天子の言葉を霖之助は否定した。
「ドラゴンと言えば、人を襲う事で物語性を保っている。彼らのアイデンティティは破壊と混乱だろう。妖怪が人間を食べる様に、人間が妖怪を退治する様に、ドラゴンは人間を襲い、人間はドラゴンを退治する。きっと、外の世界ではドラゴンすら忘れてしまったんだろう。なんとも面白味のない世界なんだろうね」
霖之助は少しだけ笑った。
「理由なんて何でもいいよ。あたいはあいつを倒す。大ちゃんの弔い合戦だ!」
「あの娘、まだ死んでないわよ。そうね、面白そうだから私も手伝ってあげるわ」
天子がニヤリと笑う。
彼女は大抵、退屈を持て余していた。
紅魔館のお嬢様と永遠亭のお姫様と三人で『放課後退屈同盟』と呼ばれる暇潰し活動をしているが、こうやって度々事件に首を突っ込むのが有名だった。
もちろん、天子が首謀者の事件も中にはある。
退屈を殺しているのか、退屈に殺されているのか、もう誰にも分からなくなっていた。
「む。あたい一人でやるから天子は引っ込んでてよ。あいつの肉は食べさせてやるから」
「生意気な妖精ね。楽しそうだから混ぜろって私は言ってんの。トドメはチルノに譲るから、弔い合戦に混ぜなさいよ」
「大ちゃんはまだ死んでねぇ!」
「あんたが言ったんでしょうが!」
がるるるるる、と睨み合う二人をみて霖之助は大きくため息を吐いた。
そして、チルノへと声をかける。
「まぁまぁチルノ。天子も大妖精を慮って協力してくれると言っているんだ。素直に仲間になればいいんじゃないか?」
「むぅ……大ちゃんの為か。だったらいいぞ。一緒に大ちゃんの敵討ちだ」
「いや、だから死んでないって……」
すっかりと大妖精は死んだ事にされてしまった。
一回休みでもない。
今は気絶してるだけである。
「霖之助、この前の武器を貸して」
「この前……あぁ、レミリアの時か。分かった、ちょっと待っててくれ」
霖之助は香霖堂の裏にある蔵へと向かった。
彼のコレクションが眠る場所であり、貴重の外の道具や、非売品の数々が眠っている。
「レミリア? なんかやったの?」
「ちょっとボコってやった」
そりゃいいわ、と天子がゲラゲラと笑っている最中に霖之助が戻ってくる。
手には一振りの脇差とベルト。
お腹を抱えてゲラゲラと笑う天子をいぶかしげに見つつ、チルノにベルトを装備してやった。
ガチャリ、と後方の金具に脇差の鞘を装着する。
「一応、レミリアに曲げられた所は真っ直ぐにしてあるよ。あと、前に言ったが刃は付いてない。鈍器として扱ってくれた方が無難だね」
「ん、分かった」
チルノは脇差を鞘から引き抜く。
偽霧雨の剣と名づけられた、頼もしい相棒である。
以前、チルノがレミリアに挑んだ時、その身を守り、レミリアへと届いた一振りの刀。
刃はないけれど、充分だった。
しっかりと手に馴染むのを感じて、チルノは鞘に収めた。
「いいな~、私にも何か武器を頂戴」
「君は剣を持っているだろ――分かった、何か探してくるからその拳を下ろしてくれ」
暴力反対と呟きながら霖之助は再び蔵へと向かう。
しばらくして戻ってきた彼が持っていたのは、武器ではなく防具だった。
「残念ながら武器はなかったが、盾なら有った。これなら君も使えるんだじゃないかい?」
「ふむふむ」
天子は盾を受け取る。
少しばかり小さめの逆三角形をしており、持つというより腕に装着するタイプだった。
早速とばかりに天子は左手に盾を装備して、右手に緋想の剣を顕現させた。
「あら、中々にいいじゃない。気に入ったわ」
「そうかい、そりゃ良かったよ」
「よし、行くわよチルノ!」
「おう!」
天子とチルノは拳を合わせて、決意を固めた。
妖精は友の為に。
天人は退屈殺しに。
そんな少女達を、道具屋の主人は嘆息交じりの苦笑で見つめるのだった。
~☆~
霧の湖の畔に、トカゲ鳥が居た。
今は猫が丸くなる様に、その体を横たえ、羽で覆う様に眠っている。
「どうして僕まで……」
天子に首根っこを掴まれたまま、霖之助がぼやく。
彼にしてみれば、厄介な天人を店から追い出す絶好の機会だったのだが、その目論見は外れたらしい。
自分も外に連れ出されては本末転倒だ。
「本当だ……トカゲみたいな鳥みたいな、変なやつね」
「あたい嘘言ってないよ」
魔法の森の一番端にある木と茂みに隠れながらチルノと天子は観察する。
相手の不意を打つには絶好の機会。
「霖之助はどうする? 一緒に戦う?」
「いや、僕は見学しているよ。せいぜい殺されない様に頑張ってくれ」
店主はひとつため息を吐いて、その場にどっかりと腰を下ろした。
梃子でも動きそうに無い、とはいうけれど、実際は簡単に動かせてしまうだろう。
そんな雰囲気が霖之助のむすっとした表情から伺えた。
「いくぞ天子」
「了解よ、チルノ」
二人は頷き合ってから、茂みから静かに出る。
音を立てない様に、空中を滑る様に移動し、トカゲ鳥の側に着地した。
「うわぁ、でかい」
天子がその大きなクチバシを覗き込み、ニヤニヤとする。
チルノはそんな天子を睨みながら、腰の脇差を抜刀した。
それを左手に持ち、右手には氷の剣を顕現させる。
合わせて、天子も緋想の剣を顕現させる。
二人は無言で頷き、そして各々の武器を振り上げた。
「やっ!」
「ふっ!」
静かな呼気をひとつ。
チルノは氷の剣を、天子は緋想の剣を振り下ろした。
ガイン、という奇妙な音が聞こえたのは天子の剣からだった。
チルノはトカゲ鳥の頭を狙ったが、天子はクチバシを狙ったらしい。
あまりの硬さに剣は跳ね返り、振り下ろした右手は逆に振り上げる状態までになってしまった。
「かたっ!?」
もちろん、その一撃でトカゲ鳥は目覚める。
ギロリと目を開けると、素早く立ち上がり咆哮をあげた。
纏わりつく蟲を払うようにドタバタと体を跳ねさせたあと、二人を確認する様にそれぞれに首を向ける。
「行くぞ鳥! 大ちゃんの仇だ!」
チルノは真正面から踏み込んでいく。
しかし、それに合わせてトカゲ鳥も動いた。
首を大きく振り上げると、チルノめがけて振り下ろす。
恐ろしいまでの硬さを誇るクチバシの一撃だ。
チルノはそれを急ブレーキで避けた。
「ちゃーんす!」
トカゲ鳥の意識がチルノに向いているのを感じて、天子はその羽へと斬りかかる。
飛び掛る様にして、大上段に構えた緋想の剣を振り下ろした。
その一撃に手応えあり。
続ける様に緋想の剣を振り上げ、切りつけた。
流石にそこまですると、トカゲ鳥の意識は天子へと向いた。
眼光するどく天子を捉えると、巨体を彼女の方へ向けてクチバシを振り下ろす。
「なんの! 私には盾があr」
果たして、天子の言葉は最後まで紡がれなかった。
左手で受けた一撃は重く、頭上に掲げた左手が弾かれる。
「えっ!?」
と言う間もなく、二撃目のクチバシが振り下ろされた。
もちろん天子に防ぐ術はない。
まともにその攻撃を受け、一気に地面へと倒れ伏せてしまった。
それでもトカゲ鳥は攻撃を止めない。
クチバシを器用に使って、天子の体を吹き飛ばすようにして地面からすくいあげた。
「天子!」
チルノの言葉むなしく、天子は放物線が描くようにして吹っ飛び、魔法の森近くの地面へベチャリと落ちた。
「ぐふっ」
偶然にもそこは霖之助が潜んでいる茂みに近く。
天子の意外にも余裕に満ちた着地声を聞いた彼は、呆れる様にため息を吐いた。
「君は馬鹿なのか。受けきれる訳がないだろう……」
「う、うるさいわね! あんたの盾の性能を試してやったのよ!」
あぁそうかい、と霖之助が言っている間に天子は立ち上がる。
おでこが少しだけ赤くなってるが、大丈夫そうだ。
むしろ、それだけで済んでいる天人の体を褒めるべきだろうか。
天子はすぐさま、チルノの横へと付いた。
「すげぇな天子! よく平気だね」
「当たり前よ! さぁ、反撃の狼煙をあげろー!」
二人は、おぉ、と気合を入れる。
それに呼応するかの様に、トカゲ鳥も首を伸ばし、挑発するかの様に咆哮をあげた。
チルノと天子はトカゲ鳥の左右へと分かれた。
もっとも簡単な作戦だ。
相手が一匹だから、素直に挟み撃ちにしてやればいい。
一人が相手している間、もう一人はフリーとなる。
トカゲ鳥は、どうやら天子を相手にすると決めたらしく、チルノにはその長い尻尾を見せた。
「どうやら私の方が脅威と判断したらしいわね」
「ちょろいから先に倒せると思ったんじゃないか」
「何か言った霖之助!?」
「なんでもないよ」
そんな茂みと会話しながら、天子は剣を構える。
その間にチルノは氷の剣と偽霧雨の剣で尻尾を切りつける。
どちらの武器も切れ味が全然ない。
それでもダメージがあるのか、蟲を払うように尻尾が振られる。
「ほいっと」
それらを器用に避けながらチルノは攻撃を続けた。
天子の方を向いたものの、後方のチルノが気になるのだろう。
トカゲ鳥の注意が疎かになっているので、天子は遠慮なく踏み込んだ。
「やっ!」
トカゲ鳥の胸を斬りつける。
クチバシとは違い、そこまで硬くはないが、やはり鱗の体は一筋縄ではいかない。
裂傷とまではいかず、鱗が数枚はがれ落ちただけだった。
「ち。やっぱり硬いわ、あっ」
相変わらず油断たっぷりの天人は再びクチバシの一撃を受けて、倒れる。
加えて、思い切りトカゲ鳥に踏まれた。
「ぐえっ」
という悲鳴をあげられるだけマシなのかもしれない。
普通の人間だと、それで死んでいただろう。
それでも尚、立ち上がる天子に鳥ながら驚いたのか、一歩だけ下がる。
その隙をついて、チルノは浮かび上がり、トカゲ鳥の後頭部を両方の剣を思い切り叩き付けた。
その一撃にはトカゲ鳥もたまらずフラついてしまう。
少しだけヨロヨロと歩くと、首を振って正気に戻った様だ。
「大丈夫か、天子?」
「我々の業界ではご褒美だけど、鳥に踏まれるのは屈辱ね」
若干意味が分からずハテナマークを浮かべる氷精を放っておいて、天子は再び剣を構える。
その隣でチルノも両手の剣を構えた。
その二人を威嚇する様にトカゲ鳥はくぐもる鳴き声をあげる。
逃げる気は無いらしい。
動物らしくない好戦的な存在らしく、チルノは笑った。
「度胸あるな。女は度胸っていうけど、お前も女か?」
チルノの言葉にトカゲ鳥は応えない。
代わりに大きく口をあけ、咆哮する。
「上等ね。どっちがサイキョーか決めようじゃない!」
「大妖精の弔い合戦じゃなかったの?」
「大ちゃんはまだ死んでないってば!」
叫びながらチルノは一歩、踏み出す。
下からアイスソードを振り上げた。
切っ先がクチバシに当たって砕ける。
それでも少しはクチバシが跳ね上がった。
その隙に足元に潜り込む。
「とりゃぁ!」
気合一閃。
チルノは偽霧雨の剣を大上段から胸へと叩き付けた。
「Gge!」
短い悲鳴。
しかし、それだけでトカゲ鳥は倒れるつもりはないらしい。
たたらを踏む様に後退すると、その口から炎を溢れさせた。
「うわ、火だ!?」
「任せなさい!」
チルノが火を見て怯んだ瞬間、天子はその前に躍り出た。
そして左手の盾を構える。
次の瞬間、トカゲ鳥が火球を吐いた。
放物線を描く様に火球は天子へと向かう。
その一撃を、天子は盾で受け止め、弾き返した。
「はっはー! どんなもんだ、ぴぎゃっ」
両手を腰に当てて、胸を張る天子の側頭部にトカゲ鳥の尻尾が直撃した。
たっぷりと遠心力をのせた体ごと回転させる一撃。
二メートル程吹き飛んだ天子は、倒れたまま、あはん、と呟いた。
「どうして私だけ……」
どうやらチルノは身長が低くて助かったらしい。
被害はリボンが少しだけかすった程度。
「て、天子! どうしてすぐに調子に乗るの!?」
「うるさいわね! 慢心してこそ天人よ!」
ヨロヨロと立ち上がる天子を尚も追撃しようとするトカゲ鳥だが、それを阻むようにチルノは羽へと斬りつけた。
だが、刃がない武器に加えて相手の鱗が邪魔をする。
「かったいなぁ、もう!」
それでも尚攻撃を加えるチルノが癪に障ったのだろう、トカゲ鳥は天子からチルノへとターゲットを変更した。
さっきからチョコチョコと攻撃を避けるので、トカゲ鳥は体当たりを慣行する。
「うわっぷ」
さすがに大きな体ごとの体当たりなのでチルノは避けられなかった。
吹っ飛ばされて、ゴロゴロと地面を転がる。
同じようにトカゲ鳥も地面に倒れる様に転んだ。
「む。チルノ」
「な、なんだ、霖之助?」
チルノが転がった先は、霖之助が隠れている茂みの近くだった。
そんな茂みの中から霖之助が声をあげる。
「足だ、足を狙え。どうやらだいぶ足にきているらしいぞ」
「わ、わかった!」
チルノは立ち上がる。
欠けてしまったアイスソードを元通りに顕現させて、滑る様にしてトカゲ鳥へと肉薄した。
立ち上がったばっかりのトカゲ鳥は反応が遅れる。
チルノは大きく両方の剣を振りかぶると、ボールを打つ様にトカゲ鳥の足にフルスイングした。
アイスソードは砕ける。
それでも尚、気にせずチルノは振りぬき、通り過ぎ、地面へと着地した。
「どうだ!」
振り返ったチルノはトカゲ鳥を睨みつける。
トカゲ鳥もチルノへと体を向けた。
ただし、チルノが打ち抜いた足を引きずりながら。
それでもトカゲ鳥はチルノへと向かって歩いていく。
足を引きずりながら。
少しだけその迫力に圧されてか、チルノは一歩だけ足を引いた。
「私を無視するとは浅はかね。さすがは鳥頭、三歩も覚えてられないのかしら」
トカゲ鳥の後ろで、天子がニヤリと笑った。
緋想の剣をチルノと同じく振りかぶると、引きずっていない方の足にむかってフルスイングする。
ざっくりと斬れる足。
さすがに、これにはたまらず、トカゲ鳥はその巨体を地面へと倒れさせた。
少しだけ揺れた地面は、湖面に波紋を呼び寄せた。
「天子!」
「比那名居、死なない! チルノ、トドメはあなたに譲るわ」
チルノは頷いて、倒れもがくトカゲ鳥へと近づいた。
「大ちゃんの仕返しだ。あと、お前みたいな奴は幻想郷では生きられないよ。ごめんね」
チルノは偽霧雨の剣を構える。
そして、トカゲ鳥の目に剣を突き刺した。
唯一の柔らかいところ。
刃のない霧雨の剣が貫ける場所。
目を貫かれたトカゲ鳥は、ひときわ体を震わせると、やがては静かになり、そして呼吸をやめた。
「ふぅ……ありがとう、天子……って、うわぁ!?」
チルノが振り返れば、そこには最後に体を震わせた時に下敷きになってしまった天子の姿があった。
「なんで、なんでそんなにボロボロになるの、天子!?」
トカゲ鳥の下から引っ張り出しながらチルノは叫ぶ。
「ひ、比那名居、死なないもん……ぐふっ」
妙に嬉しそうに気絶する天子だった。
~☆~
トカゲ鳥の死体を眺めながら、チルノは大きく息を吐いた。
これだけ大きな生き物を殺したのは初めてだった。
蛙なら氷付けにして遊んでいる。
それは、命をもてあそんでいる行動だ。
反省した事はない。
いくら大ガマに怒られても、洩矢諏訪子に怒られても、改めるつもりはない。
では、こんなにも大きな命を奪った時に感じるものは一体なんなのか。
「……分かんないや」
そう呟いた時に、チルノの後ろに大妖精が立っていた。
「大ちゃん、もう大丈夫なの?」
「うん。もう元気だよ」
大妖精は元気である証拠をみせるために、ぴょんぴょんとその場でジャンプしてみせる。
嘘をついている訳でも空元気でもなく、本当に治っているようだ。
「さすが大ちゃん。伊達に大ちゃんじゃないね」
「あはは、なにそれ」
大妖精は苦笑しながらチルノの隣に並んだ。
そして、おぉ~、とトカゲ鳥の死体を見て声をあげる。
「すごいね、チルノちゃん。竜をやっつけたんだね」
「うん! 大ちゃんの仇はとったよ!」
ありがとう、と笑顔を浮かべる大妖精。
チルノはそれをみて、笑顔をつくった。
小さい生き物の命と大きな生き物の命は同価値なのか?
そんな考えを、わざと忘れる事にした。
どうせ答えなんて、出せる訳がない。
霖之助なら答えが出せるだろうか。
そう思って、チルノは振り返った。
ちょうど、霖之助がリアカーを引いてきたところだった。
「霖之助。それでどうするの?」
「あぁ……この竜のクチバシや羽なんか、良い素材になりそうだからね。なにか道具の材料になるかもしれない。あとは、焼き鳥にでもして食べてみるか。もしかしたら、美味いかもしれない。なにせ竜の肉だからな」
「……そっか」
霖之助の言葉に、チルノは嬉しそうな表情を浮かべた。
どうしたの、と聞いてくる大妖精に、なんでもない、と笑顔をおくる。
「ねぇねぇ、こいつ名前ってあるのかな?」
「そうだな……竜、というほど竜っぽくもないし、ましてや鳥でもない。何か特徴を名前にしてやればいいんじゃないか?」
「特徴……これは? なんか耳がデカイよ」
チルノはトカゲ鳥の顔についている、耳らしき部分を引っ張った。
確かに、そこは特徴的に大きい。
霖之助はそれをみて、ふむ、と腕を組む。
「そうだな……英語で耳は『イヤー』で雄鶏の『クック』。イヤークック……イャンクックっていうのはどうだい?」
「あはは! 変な名前だな。じゃ、イャンクックはあたいが倒した!」
チルノは今更ながら、勝ち鬨をあげる様に、右手をあげた。
それに応える様に大妖精も万歳をする。
そんな二人の妖精を見て、霖之助は苦笑した。
「さて、イャンクックを荷台に乗せるのを手伝ってくれ。天子はもう帰ってしまったからな」
「は~い」
こうして、幻想郷に訪れた最初の竜は退治された。
日が落ちる中、妖精二人と店主はリアカーに竜を乗せていく。
「Grrrrr」
ふと、そんなイャンクックに似た泣き声が聞こえた気がして、チルノは顔をあげた。
空はオレンジ色に染まるだけで、空を行く者は見えない。
それでも、なにか巨大な存在が空を横切った気がして、チルノは辺りをキョロキョロとうかがった。
「チルノちゃん?」
「ううん、なんでもない」
気のせいかな、と呟いて氷精は香霖堂店主の引くリアカーを押していくのだった。
つづく?
人間に偏る事もなく、妖怪に偏る事もなく、幽霊に偏る事もなく、妖精に偏る事もなく。
ましてや有象無象に偏る事もなかった。
常しえの平和。
誰が強い訳でも誰が弱い訳でもない。
だからこそ、バランスは保たれている。
だからこそ、均衡は保たれる。
だからこそ、非常に危うい。
一度崩れれば、それはどうしようもない。
後は偏り続けて、ひっくり返るのを見ているしかない。
だからこそ、妖怪の賢者達は動けない。
実力ある人間は動かない。
生殺与奪の権利を持つ者は力を施行しない。
簡単には動けない世界となってしまった。
だが……
もしも、誰かが動かなければならない事態となったら?
いつかの吸血鬼異変の様に。
いつかの永夜異変の様に。
では、そんな時に誰が動く事となるのか。
その答えは、酷く簡単なものだった。
~☆~
霧の湖。
幻想郷のほぼ中心に存在し、各々の山から流れ出る川の行き着く場所である。
朝方や夜は常に霧がたちこめる為に、いつの日からかそう呼ばれる事になった。
曇りの日にも霧がかかる日が多いが、晴れると綺麗な風景を見せてくれる。
畔に建つ紅魔館も、アクセントとしては良いだろうか。
そんな湖には、一人の妖精が住んでいる……いや、棲んでいるのは有名だった。
妖精のくせに逃げも隠れもしない変わり者。
陽気で暢気で暖気を好む妖精だが、彼女が違った。
司るは氷。
明るく楽しい日々を生きるのではなく、冷たく鋭く生きる存在。
妖精という存在の正反対の妖精が、霧の湖には棲んでいる。
「ふあぁ~あぁ~。退屈~」
氷の妖精は大きく欠伸をした。
女の子だっていうのに、口の奥まで遠慮なく見せ付けるのは、まだまだ幼いからだろうか。
それとも色気よりも食い気だからだろうか。
ポッカリと浮かぶ雲を見ては時間を潰す氷精も、雲ひとつ無い快晴ならば暇を持て余すばかりだった。
冬でもない限り、そんなに活動はしたくないらしく、氷精は湖の上に顕現させた氷の上でゴロンと寝転がった。
「暇だね~、チルノちゃん」
そんな氷精をチルノと呼ぶのは、大妖精だった。
妖精の中でも力が強く、『大妖精』という固有名称で呼ばれている。
もっとも、大妖精というよりかは『大ちゃん』の愛称で呼ばれる事が多い。
彼女もまた、霧の湖に棲む妖精だ。
同じ霧の湖に棲む者同士、チルノと大妖精は仲が良かった。
しかし、それは極最近の事。
以前のチルノは自分の能力のせいで他の妖精を近づける事なく一人ぼっちの存在だった。
「あたいったらサイキョーね」
というチルノの言葉は、そのまま強がりだった。
それも冷気を抑えられる様になってからは、あまり聞かなくなる。
やはり、強がりだったらしい。
友人ができてからは、氷精も丸くなったのだろう。
光を司る三月精や大妖精がチルノの主な友達となり、いたずらを仕掛けたり暢気に過ごしたりという日々を過ごしている。
今日もまた、湖でノンビリとしているチルノと大妖精だった。
「ねぇねぇ大ちゃん。なにか面白い事ない? 誰にいたずらを仕掛けよっか?」
「え~、昨日怒られたばっかりじゃない。今度は一回休みにされちゃうかもしれないよ」
大妖精は何かを思い出したのか、ブルっと身体を震わせた。
チルノはそうでもないが、大妖精にしてみれば相当に恐ろしかったらしい。
「え~、幽香は何だかんだ言って優しいよ?」
どうやら、いたずらを仕掛けた相手は風見幽香だった様だ。
笑顔の怖さは折り紙つきである。
仏の顔は三度までだが、幽香の顔は何度か知らない。
大妖精にしてみれば、二回目でアウトな気がしてしょうがなかった。
「う~ん、いい天気だし、いい事あればいいな~」
そうチルノが呟いた時、ふと二人の小さな身体を影が通る。
それと共に風が通り、湖面に静かな波を立てた。
「なに?」
チルノは立ち上がり、空を見上げた。
バサリ、と空気を打つ音が響く。
妖力や魔力や霊力の類ではない、もっと物理的な力で空を飛ぶ音。
その音の正体を、二人はあんぐりと見上げた。
「大ちゃん……なにあれ?」
「……し、知らない」
やがて空を飛ぶモノはゆっくりと降りてきた。
湖の畔に着地すると、ズシンという重い音。
風とは別の波紋が湖にあわ立つ。
妖精の二人は冷たい氷の上に身を低くした。
「す、すげぇ。大ちゃん、あれ鳥だ」
「え~、鳥なのかなぁ……トカゲっぽくない?」
でもトカゲは飛ばないよ、というチルノの一言に、大妖精は頷いた。
それでも、大妖精にしてみればトカゲに見えて仕方がない。
二人の視線の先には、今まで見た事のない生物がいた。
羽毛ではなく鱗に覆われている事。
そして、長い尻尾がある事。
どう見ても、鳥らしい特徴ではなかった。
それでもチルノの言う事も分かる。
幻想郷で、空を飛ぶ者は多い。
でも、それは魔力や妖力を使って飛ぶのが普通だ。
それ以外となると、やっぱり鳥しかいない。
羽で空気を打って身体を浮かせるのは、鳥しかいない。
大妖精は自分の羽を見る。
一応、自由に動かせるがそこには何の意味もない。
チルノに至っては羽は氷の結晶だ。
それで飛べる訳がない。
「Ggggrrr」
トカゲ鳥から、くぐもる様な声が聞こえた。
どうやら湖の水を飲みにきたらしい。
首を伸ばすと、下部分が大きく発達したクチバシを開き、水をガブガブと飲んでいる。
「うはぁ、なんか凄いねあいつ。捕まえられないかな?」
「え~、無理だよチルノちゃん。私達よりずっと大きいよ」
遠くからなので本当の大きさは把握できなかったが、大妖精がチルノを肩車したぐらいの高さがトカゲ鳥の足の長さくらいだろうか。
人間の男よりも大きいのは確かで、およそ捕まえられる気がしない。
それでもチルノの知的好奇心は常識を上回る。
ふわり、と身体を浮かせるとトカゲ鳥の真正面から近づいていった。
「ちょ、ちょっとチルノちゃん!」
近づくチルノを大妖精が呼び止める。
しかし、その声にトカゲ鳥が気づいたらしい。
夢中で飲んでいた湖面から顔をあげて、こちらを向いた。
「げっ」
という、チルノの言葉をかき消す様に、
「Ggraaaaa!」
というトカゲ鳥の咆哮が湖面を揺らした。
そして、身体を浮かせて湖から後退する。
「おっ、戦う気? あたいに喧嘩を売る奴なんて久しぶりじゃない」
ニヤリと笑うチルノに大妖精が追いつく。
「危ないよチルノちゃん。逃げようよ」
「何言ってるの大ちゃん。女は度胸。逃げるのは普通の女だけど、逃げないのは訓練された女なんだよ」
「なにそれ意味わかんない。うわぁ、きたよ!」
再び吼えたトカゲ鳥は身体を浮かせて二人へと向かってきた。
しかし、身体が重いのか飛ぶ速度は速くない。
二人はトカゲ鳥の体当たりを難なく避けると地面へと降り立った。
ちょうどバックには魔法の森。
大妖精は森の中に逃げるつもりだったが、チルノは地面へと着地して迎え撃つつもりだった。
「来い、変な鳥! あたいのアイスソードに斬れないものはほとんどない!」
「それ妖夢さんに怒られると思う……」
チルノは右手に氷の剣を顕現させる。
剣の形をしているが、恐らく切れ味はゼロに近い。
斬れないものというより、斬れるものがほとんどないという方が正しい。
しかし、ほぼ鈍器と変わらないが、壊れてもすぐ直せるというメリットがあった。
「Gggg」
トカゲ鳥は呻く様な声と共に、チルノへと向かう。
言葉の意味は分からなかったが、チルノの意図は鳥頭でも理解できたのだろう。
翼が空気を打つ重い音を響かせて、氷精へと迫った。
「うわっぷ」
トカゲ鳥が起こした風は、そのまま攻撃となる。
風が砂を舞い上げ、チルノの顔へと当たった。
こうなると、反射的に顔を背けてしまう。
決定的な隙が生まれてしまった。
「チルノちゃん!」
大妖精の声に反応してか、チルノは反射的に氷の剣を構えた。
そんな剣に、とんでもない重さが加わる。
トカゲ鳥が剣の上に着地したのだ。
もちろんチルノに支えられる訳がなく、氷の剣を手放す。
トカゲ鳥と地面に挟まれた剣は、粉々に砕けた。
しかし、チルノにはそれを見届ける余裕がなかった。
目の前には、巨大なクチバシ。
零れ出てくる低い唸り声に、恐怖心が勝ってしまった。
「逃げて!」
大妖精の言葉に反応したのは、チルノではなくトカゲ鳥。
その硬いクチバシを上から叩きおろす様に、氷精の首をおとした。
「ぎ」
という短い悲鳴。
しかし、それだけでは終わらず、トカゲ鳥は下から掬い上げる様にチルノをクチバシで弾き飛ばした。
ふわりと簡単に身体が浮く。
チルノ自身が飛んだのではなく、物理的に飛ばされたのだ。
「ぐぇ」
吹っ飛ばされたチルノは木に当たり、奇妙な悲鳴をあげた。
「だ、だだ、大丈夫、チルノちゃん!?」
「あいたたたた……あたいってば蛙みたいな悲鳴ね。いつも聞いてるからうつっちゃったのかな」
あはは、とチルノは苦笑した。
「逃げようよ! 絶対勝てないよ!」
「ごめん大ちゃん」
チルノは謝る。
相変わらず、困った様な笑顔を浮かべながら、チルノは謝った。
「身体が動かないや。ちょっと先に逃げてて」
「そんな……!?」
大妖精は慌ててチルノの身体を起こそうとするが、ドシンという音と衝撃にチルノを取り落としてしまう。
「ふぎゃ」
「わ、わわわわわ」
衝撃の主はトカゲ鳥。
二人の妖精の目の前にまで迫っていた。
表情は読めない。
それでも、チルノには愉悦に歪んでいる様にみえた。
「Gra」
トカゲ鳥の喉奥が鳴る。
そして、生物ではおよそ有り得ない光景が見えた。
喉の奥が灼熱に光り、口から炎が溢れる。
それを見た瞬間、チルノは覚悟を決めた。
なにより自分は氷の妖精。
炎を浴びて無事な訳がない。
きっと、一回休みになるだろう。
そう思って、覚悟を決めて、ギュッと目を閉じた。
怪鳥の咆哮。
それと共に、火球が吐き出された。
ふと、自分に当たる太陽の光が遮られた。
「……?」
チルノは目を開ける。
目の前には、火球を受け止め、チリチリと燃える大妖精がいた。
「大ちゃん!?」
反射的に立ち上がった。
さっきまで動かなかった体が、自然に動いた。
「なにやってんのさ大ちゃん! 馬鹿はあたい一人で充分だよ!」
大妖精の返事はない。
代わりに、怪鳥が勝ち鬨をあげる様に咆哮した。
チルノはそれに構わず、倒れ掛かる大妖精を抱き起こす。
そして、抑えていた冷気を開放した。
合わせて大妖精の体を一旦氷で覆う。
チリチリと燃えていた服や髪は、それで消化された。
「待ってろ! 絶対に戻ってくるからな!」
チルノはそう宣言すると、大妖精を抱えて魔法の森へと逃げた。
残されたトカゲ鳥は氷精を追う事なく、まるで自分の巣の様に、その場所で羽を休めるのだった。
~☆~
霧の湖から魔法の森を抜けた先には、一軒の道具屋がある。
看板は少しばかり古ぼけているが、香霖堂という文字ははっきりと読む事が出来た。
そこに『英雄』がいる事をチルノは知っている。
もちろん、それはチルノにとっての英雄だ。
他の幻想郷住民は、みな口をそろえて言うだろう。
偏屈だ、と。
「霖之助!」
大妖精を抱えたまま魔法の森を抜けたチルノは、ドアベルを破壊する様な勢いで入り口を開いた。
お陰でドアが壁にぶち当たり、ちょっとした音が響く。
ドアベルの仕事を奪いかねない勢いだった。
霖之助、という名前は香霖堂店主、森近霖之助の名前である。
偽名なのはバレバレなのだが、すでに気にする者はいなくなった。
チルノはそれに気づいてもいなかったが。
「いま取り込み中!」
店内からは店主の声ではなく、少女の声が響いた。
なんだなんだ、とチルノが奥に進んでみると、勘定台の下で店主と少女がいた。
「なにやってんの?」
霖之助は仰向けに寝転んでおり、その上に少女……比那名居天子が馬乗りになっていた。
大妖精ならば、真昼間の情事!? と頬を染めるところだが、残念ながら本人は気絶中である。
ちなみにチルノにはそちら方面に知識は皆無に等しい。
せいぜい『色仕掛け』を知っているくらいだ。
「ちょっとばかり霖之助をボコボコにしてやろうと思ったところよ。邪魔しないで」
「待て待て、僕を殴っても何の利益も生まれない。意味なんて、ぐはっ!」
天子は言い訳をする霖之助を遠慮なく殴った。
「ふん。まぁいいわ。それで、何の用があるの、妖精?」
「大ちゃんがやられた。とりあえず、手当てしてやって」
そこで初めて天子は振り返った。
そして、あら、と驚いた声をあげる。
「時間を取らせて悪かったわねチルノ。霖之助」
「いててて……あぁ、奥の部屋に寝かせてやるがいい。ふむ、火傷か……」
霖之助は大妖精の症状をみて、腕を組む。
その間にチルノは店の奥の居住スペースにと入っていった。
何度かお世話になっている場所なので、布団の位置などは知っている。
天子も手伝って、手早く大妖精を寝かせてやった。
これで一安心とばかりに、チルノは大きく息を吐いた。
「いったい誰にやられたんだ? スペルカードルールは使わなかったのかい?」
店側に戻ると、霖之助が質問してきた。
チルノはそれに頷く。
「鳥。変な鳥だったよ」
「鳥で火傷……妹紅の鳳凰かい?」
不老不死の不死鳥は、その全身が炎で包まれている。
鳳凰に乗ろうとでもしたのかい、と霖之助は聞くがチルノはブンブンと首を横に振った。
「違う。トカゲみたいな鳥みたいな変な奴だ。空を飛んできて、それから炎を吐いた」
「はぁ、なにそれ? そんなの幻想郷にいるの?」
天子が不可解な顔をする。
そんな天子に対して、チルノは必死に説明した。
色々と特徴を説明していくうちに、どうやら霖之助の知識に引っかかったらしい。
彼は右手の人差し指を一本立てた。
「ふむ……それは、竜だな」
「りゅう? 龍神?」
天子の言葉に霖之助は、いや、と否定する。
「龍ではなく、竜だ。漢字で書くと……こうだ。そいつは神様でも鳥でもない。いわゆる幻想種だよ。西洋の物語でよく出てくるんだが、どうやら幻想入りしてきたみたいだな。空を飛ぶ巨大なトカゲで火を吐くというと、もう竜というかドラゴンとしか考えられない」
「ドラゴン……それって、勝てるのか?」
「ふむ、まぁ幻想種といえども生物だ。君達妖精と違って一回休みになったりしない。倒して殺して食料にでもしてしまえばいいだろう」
なにも殺さなくても、という天子の言葉を霖之助は否定した。
「ドラゴンと言えば、人を襲う事で物語性を保っている。彼らのアイデンティティは破壊と混乱だろう。妖怪が人間を食べる様に、人間が妖怪を退治する様に、ドラゴンは人間を襲い、人間はドラゴンを退治する。きっと、外の世界ではドラゴンすら忘れてしまったんだろう。なんとも面白味のない世界なんだろうね」
霖之助は少しだけ笑った。
「理由なんて何でもいいよ。あたいはあいつを倒す。大ちゃんの弔い合戦だ!」
「あの娘、まだ死んでないわよ。そうね、面白そうだから私も手伝ってあげるわ」
天子がニヤリと笑う。
彼女は大抵、退屈を持て余していた。
紅魔館のお嬢様と永遠亭のお姫様と三人で『放課後退屈同盟』と呼ばれる暇潰し活動をしているが、こうやって度々事件に首を突っ込むのが有名だった。
もちろん、天子が首謀者の事件も中にはある。
退屈を殺しているのか、退屈に殺されているのか、もう誰にも分からなくなっていた。
「む。あたい一人でやるから天子は引っ込んでてよ。あいつの肉は食べさせてやるから」
「生意気な妖精ね。楽しそうだから混ぜろって私は言ってんの。トドメはチルノに譲るから、弔い合戦に混ぜなさいよ」
「大ちゃんはまだ死んでねぇ!」
「あんたが言ったんでしょうが!」
がるるるるる、と睨み合う二人をみて霖之助は大きくため息を吐いた。
そして、チルノへと声をかける。
「まぁまぁチルノ。天子も大妖精を慮って協力してくれると言っているんだ。素直に仲間になればいいんじゃないか?」
「むぅ……大ちゃんの為か。だったらいいぞ。一緒に大ちゃんの敵討ちだ」
「いや、だから死んでないって……」
すっかりと大妖精は死んだ事にされてしまった。
一回休みでもない。
今は気絶してるだけである。
「霖之助、この前の武器を貸して」
「この前……あぁ、レミリアの時か。分かった、ちょっと待っててくれ」
霖之助は香霖堂の裏にある蔵へと向かった。
彼のコレクションが眠る場所であり、貴重の外の道具や、非売品の数々が眠っている。
「レミリア? なんかやったの?」
「ちょっとボコってやった」
そりゃいいわ、と天子がゲラゲラと笑っている最中に霖之助が戻ってくる。
手には一振りの脇差とベルト。
お腹を抱えてゲラゲラと笑う天子をいぶかしげに見つつ、チルノにベルトを装備してやった。
ガチャリ、と後方の金具に脇差の鞘を装着する。
「一応、レミリアに曲げられた所は真っ直ぐにしてあるよ。あと、前に言ったが刃は付いてない。鈍器として扱ってくれた方が無難だね」
「ん、分かった」
チルノは脇差を鞘から引き抜く。
偽霧雨の剣と名づけられた、頼もしい相棒である。
以前、チルノがレミリアに挑んだ時、その身を守り、レミリアへと届いた一振りの刀。
刃はないけれど、充分だった。
しっかりと手に馴染むのを感じて、チルノは鞘に収めた。
「いいな~、私にも何か武器を頂戴」
「君は剣を持っているだろ――分かった、何か探してくるからその拳を下ろしてくれ」
暴力反対と呟きながら霖之助は再び蔵へと向かう。
しばらくして戻ってきた彼が持っていたのは、武器ではなく防具だった。
「残念ながら武器はなかったが、盾なら有った。これなら君も使えるんだじゃないかい?」
「ふむふむ」
天子は盾を受け取る。
少しばかり小さめの逆三角形をしており、持つというより腕に装着するタイプだった。
早速とばかりに天子は左手に盾を装備して、右手に緋想の剣を顕現させた。
「あら、中々にいいじゃない。気に入ったわ」
「そうかい、そりゃ良かったよ」
「よし、行くわよチルノ!」
「おう!」
天子とチルノは拳を合わせて、決意を固めた。
妖精は友の為に。
天人は退屈殺しに。
そんな少女達を、道具屋の主人は嘆息交じりの苦笑で見つめるのだった。
~☆~
霧の湖の畔に、トカゲ鳥が居た。
今は猫が丸くなる様に、その体を横たえ、羽で覆う様に眠っている。
「どうして僕まで……」
天子に首根っこを掴まれたまま、霖之助がぼやく。
彼にしてみれば、厄介な天人を店から追い出す絶好の機会だったのだが、その目論見は外れたらしい。
自分も外に連れ出されては本末転倒だ。
「本当だ……トカゲみたいな鳥みたいな、変なやつね」
「あたい嘘言ってないよ」
魔法の森の一番端にある木と茂みに隠れながらチルノと天子は観察する。
相手の不意を打つには絶好の機会。
「霖之助はどうする? 一緒に戦う?」
「いや、僕は見学しているよ。せいぜい殺されない様に頑張ってくれ」
店主はひとつため息を吐いて、その場にどっかりと腰を下ろした。
梃子でも動きそうに無い、とはいうけれど、実際は簡単に動かせてしまうだろう。
そんな雰囲気が霖之助のむすっとした表情から伺えた。
「いくぞ天子」
「了解よ、チルノ」
二人は頷き合ってから、茂みから静かに出る。
音を立てない様に、空中を滑る様に移動し、トカゲ鳥の側に着地した。
「うわぁ、でかい」
天子がその大きなクチバシを覗き込み、ニヤニヤとする。
チルノはそんな天子を睨みながら、腰の脇差を抜刀した。
それを左手に持ち、右手には氷の剣を顕現させる。
合わせて、天子も緋想の剣を顕現させる。
二人は無言で頷き、そして各々の武器を振り上げた。
「やっ!」
「ふっ!」
静かな呼気をひとつ。
チルノは氷の剣を、天子は緋想の剣を振り下ろした。
ガイン、という奇妙な音が聞こえたのは天子の剣からだった。
チルノはトカゲ鳥の頭を狙ったが、天子はクチバシを狙ったらしい。
あまりの硬さに剣は跳ね返り、振り下ろした右手は逆に振り上げる状態までになってしまった。
「かたっ!?」
もちろん、その一撃でトカゲ鳥は目覚める。
ギロリと目を開けると、素早く立ち上がり咆哮をあげた。
纏わりつく蟲を払うようにドタバタと体を跳ねさせたあと、二人を確認する様にそれぞれに首を向ける。
「行くぞ鳥! 大ちゃんの仇だ!」
チルノは真正面から踏み込んでいく。
しかし、それに合わせてトカゲ鳥も動いた。
首を大きく振り上げると、チルノめがけて振り下ろす。
恐ろしいまでの硬さを誇るクチバシの一撃だ。
チルノはそれを急ブレーキで避けた。
「ちゃーんす!」
トカゲ鳥の意識がチルノに向いているのを感じて、天子はその羽へと斬りかかる。
飛び掛る様にして、大上段に構えた緋想の剣を振り下ろした。
その一撃に手応えあり。
続ける様に緋想の剣を振り上げ、切りつけた。
流石にそこまですると、トカゲ鳥の意識は天子へと向いた。
眼光するどく天子を捉えると、巨体を彼女の方へ向けてクチバシを振り下ろす。
「なんの! 私には盾があr」
果たして、天子の言葉は最後まで紡がれなかった。
左手で受けた一撃は重く、頭上に掲げた左手が弾かれる。
「えっ!?」
と言う間もなく、二撃目のクチバシが振り下ろされた。
もちろん天子に防ぐ術はない。
まともにその攻撃を受け、一気に地面へと倒れ伏せてしまった。
それでもトカゲ鳥は攻撃を止めない。
クチバシを器用に使って、天子の体を吹き飛ばすようにして地面からすくいあげた。
「天子!」
チルノの言葉むなしく、天子は放物線が描くようにして吹っ飛び、魔法の森近くの地面へベチャリと落ちた。
「ぐふっ」
偶然にもそこは霖之助が潜んでいる茂みに近く。
天子の意外にも余裕に満ちた着地声を聞いた彼は、呆れる様にため息を吐いた。
「君は馬鹿なのか。受けきれる訳がないだろう……」
「う、うるさいわね! あんたの盾の性能を試してやったのよ!」
あぁそうかい、と霖之助が言っている間に天子は立ち上がる。
おでこが少しだけ赤くなってるが、大丈夫そうだ。
むしろ、それだけで済んでいる天人の体を褒めるべきだろうか。
天子はすぐさま、チルノの横へと付いた。
「すげぇな天子! よく平気だね」
「当たり前よ! さぁ、反撃の狼煙をあげろー!」
二人は、おぉ、と気合を入れる。
それに呼応するかの様に、トカゲ鳥も首を伸ばし、挑発するかの様に咆哮をあげた。
チルノと天子はトカゲ鳥の左右へと分かれた。
もっとも簡単な作戦だ。
相手が一匹だから、素直に挟み撃ちにしてやればいい。
一人が相手している間、もう一人はフリーとなる。
トカゲ鳥は、どうやら天子を相手にすると決めたらしく、チルノにはその長い尻尾を見せた。
「どうやら私の方が脅威と判断したらしいわね」
「ちょろいから先に倒せると思ったんじゃないか」
「何か言った霖之助!?」
「なんでもないよ」
そんな茂みと会話しながら、天子は剣を構える。
その間にチルノは氷の剣と偽霧雨の剣で尻尾を切りつける。
どちらの武器も切れ味が全然ない。
それでもダメージがあるのか、蟲を払うように尻尾が振られる。
「ほいっと」
それらを器用に避けながらチルノは攻撃を続けた。
天子の方を向いたものの、後方のチルノが気になるのだろう。
トカゲ鳥の注意が疎かになっているので、天子は遠慮なく踏み込んだ。
「やっ!」
トカゲ鳥の胸を斬りつける。
クチバシとは違い、そこまで硬くはないが、やはり鱗の体は一筋縄ではいかない。
裂傷とまではいかず、鱗が数枚はがれ落ちただけだった。
「ち。やっぱり硬いわ、あっ」
相変わらず油断たっぷりの天人は再びクチバシの一撃を受けて、倒れる。
加えて、思い切りトカゲ鳥に踏まれた。
「ぐえっ」
という悲鳴をあげられるだけマシなのかもしれない。
普通の人間だと、それで死んでいただろう。
それでも尚、立ち上がる天子に鳥ながら驚いたのか、一歩だけ下がる。
その隙をついて、チルノは浮かび上がり、トカゲ鳥の後頭部を両方の剣を思い切り叩き付けた。
その一撃にはトカゲ鳥もたまらずフラついてしまう。
少しだけヨロヨロと歩くと、首を振って正気に戻った様だ。
「大丈夫か、天子?」
「我々の業界ではご褒美だけど、鳥に踏まれるのは屈辱ね」
若干意味が分からずハテナマークを浮かべる氷精を放っておいて、天子は再び剣を構える。
その隣でチルノも両手の剣を構えた。
その二人を威嚇する様にトカゲ鳥はくぐもる鳴き声をあげる。
逃げる気は無いらしい。
動物らしくない好戦的な存在らしく、チルノは笑った。
「度胸あるな。女は度胸っていうけど、お前も女か?」
チルノの言葉にトカゲ鳥は応えない。
代わりに大きく口をあけ、咆哮する。
「上等ね。どっちがサイキョーか決めようじゃない!」
「大妖精の弔い合戦じゃなかったの?」
「大ちゃんはまだ死んでないってば!」
叫びながらチルノは一歩、踏み出す。
下からアイスソードを振り上げた。
切っ先がクチバシに当たって砕ける。
それでも少しはクチバシが跳ね上がった。
その隙に足元に潜り込む。
「とりゃぁ!」
気合一閃。
チルノは偽霧雨の剣を大上段から胸へと叩き付けた。
「Gge!」
短い悲鳴。
しかし、それだけでトカゲ鳥は倒れるつもりはないらしい。
たたらを踏む様に後退すると、その口から炎を溢れさせた。
「うわ、火だ!?」
「任せなさい!」
チルノが火を見て怯んだ瞬間、天子はその前に躍り出た。
そして左手の盾を構える。
次の瞬間、トカゲ鳥が火球を吐いた。
放物線を描く様に火球は天子へと向かう。
その一撃を、天子は盾で受け止め、弾き返した。
「はっはー! どんなもんだ、ぴぎゃっ」
両手を腰に当てて、胸を張る天子の側頭部にトカゲ鳥の尻尾が直撃した。
たっぷりと遠心力をのせた体ごと回転させる一撃。
二メートル程吹き飛んだ天子は、倒れたまま、あはん、と呟いた。
「どうして私だけ……」
どうやらチルノは身長が低くて助かったらしい。
被害はリボンが少しだけかすった程度。
「て、天子! どうしてすぐに調子に乗るの!?」
「うるさいわね! 慢心してこそ天人よ!」
ヨロヨロと立ち上がる天子を尚も追撃しようとするトカゲ鳥だが、それを阻むようにチルノは羽へと斬りつけた。
だが、刃がない武器に加えて相手の鱗が邪魔をする。
「かったいなぁ、もう!」
それでも尚攻撃を加えるチルノが癪に障ったのだろう、トカゲ鳥は天子からチルノへとターゲットを変更した。
さっきからチョコチョコと攻撃を避けるので、トカゲ鳥は体当たりを慣行する。
「うわっぷ」
さすがに大きな体ごとの体当たりなのでチルノは避けられなかった。
吹っ飛ばされて、ゴロゴロと地面を転がる。
同じようにトカゲ鳥も地面に倒れる様に転んだ。
「む。チルノ」
「な、なんだ、霖之助?」
チルノが転がった先は、霖之助が隠れている茂みの近くだった。
そんな茂みの中から霖之助が声をあげる。
「足だ、足を狙え。どうやらだいぶ足にきているらしいぞ」
「わ、わかった!」
チルノは立ち上がる。
欠けてしまったアイスソードを元通りに顕現させて、滑る様にしてトカゲ鳥へと肉薄した。
立ち上がったばっかりのトカゲ鳥は反応が遅れる。
チルノは大きく両方の剣を振りかぶると、ボールを打つ様にトカゲ鳥の足にフルスイングした。
アイスソードは砕ける。
それでも尚、気にせずチルノは振りぬき、通り過ぎ、地面へと着地した。
「どうだ!」
振り返ったチルノはトカゲ鳥を睨みつける。
トカゲ鳥もチルノへと体を向けた。
ただし、チルノが打ち抜いた足を引きずりながら。
それでもトカゲ鳥はチルノへと向かって歩いていく。
足を引きずりながら。
少しだけその迫力に圧されてか、チルノは一歩だけ足を引いた。
「私を無視するとは浅はかね。さすがは鳥頭、三歩も覚えてられないのかしら」
トカゲ鳥の後ろで、天子がニヤリと笑った。
緋想の剣をチルノと同じく振りかぶると、引きずっていない方の足にむかってフルスイングする。
ざっくりと斬れる足。
さすがに、これにはたまらず、トカゲ鳥はその巨体を地面へと倒れさせた。
少しだけ揺れた地面は、湖面に波紋を呼び寄せた。
「天子!」
「比那名居、死なない! チルノ、トドメはあなたに譲るわ」
チルノは頷いて、倒れもがくトカゲ鳥へと近づいた。
「大ちゃんの仕返しだ。あと、お前みたいな奴は幻想郷では生きられないよ。ごめんね」
チルノは偽霧雨の剣を構える。
そして、トカゲ鳥の目に剣を突き刺した。
唯一の柔らかいところ。
刃のない霧雨の剣が貫ける場所。
目を貫かれたトカゲ鳥は、ひときわ体を震わせると、やがては静かになり、そして呼吸をやめた。
「ふぅ……ありがとう、天子……って、うわぁ!?」
チルノが振り返れば、そこには最後に体を震わせた時に下敷きになってしまった天子の姿があった。
「なんで、なんでそんなにボロボロになるの、天子!?」
トカゲ鳥の下から引っ張り出しながらチルノは叫ぶ。
「ひ、比那名居、死なないもん……ぐふっ」
妙に嬉しそうに気絶する天子だった。
~☆~
トカゲ鳥の死体を眺めながら、チルノは大きく息を吐いた。
これだけ大きな生き物を殺したのは初めてだった。
蛙なら氷付けにして遊んでいる。
それは、命をもてあそんでいる行動だ。
反省した事はない。
いくら大ガマに怒られても、洩矢諏訪子に怒られても、改めるつもりはない。
では、こんなにも大きな命を奪った時に感じるものは一体なんなのか。
「……分かんないや」
そう呟いた時に、チルノの後ろに大妖精が立っていた。
「大ちゃん、もう大丈夫なの?」
「うん。もう元気だよ」
大妖精は元気である証拠をみせるために、ぴょんぴょんとその場でジャンプしてみせる。
嘘をついている訳でも空元気でもなく、本当に治っているようだ。
「さすが大ちゃん。伊達に大ちゃんじゃないね」
「あはは、なにそれ」
大妖精は苦笑しながらチルノの隣に並んだ。
そして、おぉ~、とトカゲ鳥の死体を見て声をあげる。
「すごいね、チルノちゃん。竜をやっつけたんだね」
「うん! 大ちゃんの仇はとったよ!」
ありがとう、と笑顔を浮かべる大妖精。
チルノはそれをみて、笑顔をつくった。
小さい生き物の命と大きな生き物の命は同価値なのか?
そんな考えを、わざと忘れる事にした。
どうせ答えなんて、出せる訳がない。
霖之助なら答えが出せるだろうか。
そう思って、チルノは振り返った。
ちょうど、霖之助がリアカーを引いてきたところだった。
「霖之助。それでどうするの?」
「あぁ……この竜のクチバシや羽なんか、良い素材になりそうだからね。なにか道具の材料になるかもしれない。あとは、焼き鳥にでもして食べてみるか。もしかしたら、美味いかもしれない。なにせ竜の肉だからな」
「……そっか」
霖之助の言葉に、チルノは嬉しそうな表情を浮かべた。
どうしたの、と聞いてくる大妖精に、なんでもない、と笑顔をおくる。
「ねぇねぇ、こいつ名前ってあるのかな?」
「そうだな……竜、というほど竜っぽくもないし、ましてや鳥でもない。何か特徴を名前にしてやればいいんじゃないか?」
「特徴……これは? なんか耳がデカイよ」
チルノはトカゲ鳥の顔についている、耳らしき部分を引っ張った。
確かに、そこは特徴的に大きい。
霖之助はそれをみて、ふむ、と腕を組む。
「そうだな……英語で耳は『イヤー』で雄鶏の『クック』。イヤークック……イャンクックっていうのはどうだい?」
「あはは! 変な名前だな。じゃ、イャンクックはあたいが倒した!」
チルノは今更ながら、勝ち鬨をあげる様に、右手をあげた。
それに応える様に大妖精も万歳をする。
そんな二人の妖精を見て、霖之助は苦笑した。
「さて、イャンクックを荷台に乗せるのを手伝ってくれ。天子はもう帰ってしまったからな」
「は~い」
こうして、幻想郷に訪れた最初の竜は退治された。
日が落ちる中、妖精二人と店主はリアカーに竜を乗せていく。
「Grrrrr」
ふと、そんなイャンクックに似た泣き声が聞こえた気がして、チルノは顔をあげた。
空はオレンジ色に染まるだけで、空を行く者は見えない。
それでも、なにか巨大な存在が空を横切った気がして、チルノは辺りをキョロキョロとうかがった。
「チルノちゃん?」
「ううん、なんでもない」
気のせいかな、と呟いて氷精は香霖堂店主の引くリアカーを押していくのだった。
つづく?
意外と面白い組み合わせだと思いました