・この作品には、モブキャラが出てきます。
・また、以前に書いた作品と、世界観を共有しています。単品でも読めるように配慮しましたが、もし興味を持っていただけたなら、以前の作品も読んでいただけると、嬉しいです。
貴女の絵を、描かせてくれませんか。
何でだろうね。初めて会った時は、もっと色々話したはずなのに。今はもう、その言葉しか思い出せないの。
君が笑顔でその言葉を言ったことは憶えているのだけれど、君の笑顔が思い出せないの。
なんでだろうね。偶に思い出すと、ちょっとだけ私の顔が綻んで、だけど、胸の奥がきゅってなるの。
ねえ。
貴方は今でも、約束、憶えてくれいるのかな。
「どうしたんだ、女将」
「え、はい。注文ですか」
「違う違う。注文じゃないよ。ただ、なんか、普段と雰囲気が違ったからね」
慧音の言葉が、静かな屋台に響く。客は慧音と、その隣で酔いつぶれている魔理沙だけだった。
確かに今日はいつもよりぼうっとしていると、ミスティア・ローレライは自覚していた。働いていればきっとそんなことも無くなるだろうと思って、普段よりも早めに屋台を引いたのだが、効果は無かったらしい。
魔理沙はカウンターに額をつけて、遂には寝息を立て始めていた。慧音がミスティアにすまないと謝るが、ミスティアは気にしていないと首を横に振る。
なんでそう思ったの。ミスティアの言葉に、慧音はあやふやな笑顔を浮かべる。なんだか、いつもより大人びて見えたのだとそう言って、グラスに残っていた焼酎を飲み干した。
洗い物を終え、暖簾を外すと、今日はもう店じまいとミスティアは笑った。そう言って、慧音の空いたグラスに酒を注ぐ。魔理沙を見て、しばらく起きないでしょと慧音に言うと、慧音は苦く笑った。
「何か、あったの」
「ううん、ちょっとね。昔のことを思い出してたの」
「そうか。聞いて、いい話なのかな」
「そのつもりで店を閉めたから、気にしないで。なんか、聞いてもらいたい気分だから。いや、違うのかな」
「うん?」
「多分、話さないと忘れちゃうから。だから、センセイに聞いて欲しいんだと思う。嫌なら、別に構わないから、気にしないで」
「構わないよ。今日は色々あったし、明日は寺子屋も休みだからね。嫌らしく聞こえるかもしれないが、人の昔話には興味があるよ」
ありがとうと言って、慧音の隣に座る。酒で口を湿らせて、ミスティアは口を開いた。
結構前の話になるかな。もう、半分も思い出せない。私、あまり記憶力良くないから。
夜だった。満月が綺麗だったのは憶えてる。それを見て、私は歌を歌っていたの。好きなだけ歌って、ちょっと疲れたから、木の枝に座って休んでいたらね、人間を見つけたの。まだ、ほんの子どもだった。
人里の子だったけれど、こんな時間に外に出ているのが悪いと思って、鳥目にしてやろうと思った。
だけど、いきなり視界を奪っても、味気ないじゃない。だから、わざとその子の前に現れたの。そして、思いっきり怖がらせてから。食べようとしたのか、そのままその姿を見て笑おうとしたのか。忘れちゃった。
何を言ったかも、もう憶えていない。ただ、なんか、こう、お前をこれから鳥目にしてやるぞー。どうだーこわいだろー。みたいな感じで言ったの。そうしたらね、その子、いきなりこう言ったのよ。
貴女の絵を描かせてください、てね。
何を言っているんだ、こいつは。って最初は頭がこんがらがったの。今みたいにスペルカードも無かったし。
だけど、なんか毒気を抜かれちゃって。鳥目にする気も失せちゃった、だと思う。ただ、その子に何もしなかった。それからね、時々私のところに来るようになったの。里の外には妖怪もいるし、今よりも危険な時代だったのに、ね。
「……それで、どうなったんだい」
「そいつ、絵が描きたいとか言ってたのに、素人の私がみても分かるくらいに下手だったの。最初に描いた絵を見て私、大笑いしたもの」
魔理沙が、むにゃむにゃと寝言を呟いているのを聞いて、ミスティアは薄く笑う。その様子は、とても普段の彼女から想像できるものではなく、慧音は久しく感じなかった老成した妖怪の片鱗を、隣に座るミスティアから感じていた。
どれくらいだったかなあ。五年、十年だったかもしれない。段々と、絵が上手くなってきてね、ちょっとだけ私も嬉しくなったの。やっぱり、綺麗に描かれると、気分がいいじゃない。
ある時、そいつがいったの。歌っている姿を描きたいって。だけどね、そんなことは無理だった。だって、私が歌うと、鳥目になってしまうんだもの。
何度も言ったの、やめとけって。だけどね、そいつは言うことを聞かなかった。絶対に描くんだーって。目が見えないのに、何度も私の姿を描こうとした。また下手糞に逆戻り。
だけどね、ちょっとだけ期待してた。私が歌ってる姿って、どんな風に見えるのかなって。見てみたかったんだけどね。
私の胸くらいの背丈だったのに。その頃には、もう私を追い越して。声も、随分と低くなってた。
ある日、そいつがまったく来なくなった。妖怪に食べられたのか、それとも飽きたのかな。その時は、いい暇つぶしになったとしか思わなかった。
だけどね、今でもひょっこり現れて、また下手糞な絵を見せてくれる。そんなことを、たまあに、思い出すの。
「……そんなお話。山も無ければ落ちも無い。そんな話よ」
「そう、か」
「聞いてくれてありがとう。私、ちょっと残りの片付けしてくるから」
「いや、いい話だったよ、ありがとう。勘定は、ここに置いておくよ」
「また来てくださいねえ」
ミスティアの言葉を背に受けて、慧音は魔理沙を担いで屋台を後にした。夜空には、沢山の星と下弦の月が輝いている。
「いい加減、降りてくれないか」
「……気付いてたのか」
「あんな下手な芝居じゃあな。女将にも気付かれてたかもしれん」
「起きるタイミングが無くてなっ、と」
掛け声と共に、魔理沙は慧音の背から飛び降りる。その足取りは、思いのほかしっかりしていた。夜空の下を、ゆっくりと歩く。
今日は、慧音の頼みで人里の害虫駆除をしていた。ただ酒が飲めるという条件で請け負ったのだが、疲れがたまっていたのか、少し飲んだら寝てしまったのだ。本当はミスティアが話している途中で起きたのだが、なんとも入りづらい雰囲気だったため、寝たふりをしていたのである。
「しっかし、私にはわからんね」
「何がだ」
「あいつの気持ちさ」
あいつ、とはミスティアのことだろう。ほう、と漏らして、慧音は続きを促す。まだ酒が残っているのだろう、少しばかり上気した魔理沙の頬を見て、慧音はくすりと頬を緩めた。
「最初の部分は聞いてなかったが、あいつはその男、なんだろうな。話を聞いててそう思うけど。とにかく、何かしら思っていたんだろう?」
「そうだろうな。じゃあなかったら、あの時代に人間と、しかも里の外で過ごすことなどしないさ」
「なんつうか、その……好き、だったんじゃないか。その男のこと」
「さあ。私には分からんよ」
「いいや、そうに違いないね」
のらりくらりとかわす慧音の態度がカチンと来たのか、魔理沙の目が据わる。その様子を、横目でちらりと流し見た。
「だから、なんで、何もしなかったんだよ。好きなら好きって言っちまえばいい。私はそう思う。人間だとか、自分が妖怪だとか、そんなこと気にしないでさ。そんなに長い間、そんな気持ちを持っているなんて、なんつうか、その」
「なあ、魔理沙」
「何だよ」
「誰かを、好きになったことはあるか?」
「そりゃあ……あるさ。馬鹿にするなよ」
「ははっ、すまんすまん。そういう意味で言ったわけじゃないんだ。私だって誰かのことを好きになったことはあるしな」
歩くのが面倒になったのか、持っていた箒を浮かせると、そこに魔理沙は跨った。
「里の住人は好きだ。勿論、子ども達も好きだ。妹紅も好きだぞ。それに魔理沙、お前のことも好きだ」
「なあにを言ってらっしゃる」
「本当さ。私は、色々あってこの身になった。その時は自分のことを憎んだりもしたし、その気持ちを他人に向けそうになったことだってあった。だけど、今は感謝している」
無言で、魔理沙は耳を傾ける。普段は我の強さが前面に出ているが、それでも無為にそうしようとはしない。魔理沙の根っこの優しさを、少しは理解していると慧音は思っている。魔理沙のそんなところが、慧音は好きになったのだ。
「ミスティアの感情は、多分、言葉に出来ない感情なんだと、私は思うよ」
「言葉に出来ない、か」
「恋とか、愛とか、多分そういうのじゃあないんだ。きっと」
「ふうん。わからんが、まあ納得だけはしておくさ」
「魔理沙にも、きっと分かる日が来るさ」
「大人ぶっちゃってさ。そういうのは結構だぜ」
慧音は笑いながら、月を見上げた。どうやら自分も酔いが回っているらしい。だが、この感覚が、心地よかった。
里の入り口が見える。今日は気持ちよく眠れそうだが、その前にやっておかなくてはいけないことがある。帰るぜと言った魔理沙を呼び止め、慧音は口を開いた。
魔理沙は渋々と言った顔で慧音の言葉に頷くと、箒から星の魔法を出して帰っていった。世話焼きだなあ、私。そうひとりごちて、慧音はもう一度月を見上げて笑った。
いら……いらっしゃい。お一人様ですか?此方の席へどうぞ。
注文は……目が。そうですか。じゃあ、こちらで作りますね。何か嫌いなものは?無い?それは良かった。
ですけど、おじいさん。よくお一人でここまで来れましたね。ああ、近くにお連れがいらっしゃるんですか。その人も一緒に来ればいいのに。
はい、当店自慢の八目鰻の蒲焼です。是非……って目が不自由なんですよね。だいじょ、ああ、大丈夫ですか。なら良かったです。
他のお客様ですか。いや、今はいませんよ。今日はおじいさんだけの貸切です!なんちゃって。
目は、若い頃に……そうですか。
え?歌?構いませんけど。ははあ、さては慧音センセイ辺りに聞きましたか。こう見えても、って、見えないんですよね。すいません。
わかりました。では、お聞かせしましょう!ミスティア・ローレライの歌声を。
……ありがとうございました。
随分、歳をとっちゃったね。そっか、もうそんなに昔のことかあ。
ん、いいよ。気にしてない……なんてね。ちょっと気にしてた。早く絵を届けに来いって。
初恋?私が?ははあん、そんなこと考えてたんだ、助平小僧め……嘘だよ。確かに、そんな気がしてたかも。ごめんね、もう大分抜け落ちてて。
君のこと?ううん、どうだったかなあ。勿論、嫌いじゃあなかったよ。好きか嫌いかで言われたら、好きだった。
ただ、なんていうかね。言葉に、出来ないの。ごめんね。
これを私に?
……へったくそ。
だけど、嬉しい。
そっか、こんな風に見えるんだ。歌ってるときの私。
私は変わらないよ。ちょっと悲しいね。
今度は、奥さんでも連れてきなよ。馴れ初めとかさ、聞いてみたいな。あ、子どもでも孫でもいいな。将来うちの常連になってくれるように、なんてね。
うん、うん。約束だよ。
足元、気をつけてね。
ありがとうございました。
ある日の夕暮れ、ミスティアが屋台の準備をしていると、知り合いがやってきた。リグルとルーミアである。何の用だと尋ねると、ルーミアがおもむろに手に持っていた風呂敷をカウンターの上で広げてみせた。
「どうしたの、こんなに沢山の八目鰻」
「ルーミアと遊んでたら偶々見つけてね。せっかくだからみすちーのお店で調理してもらおうかなって」
「おねがい、みすちー」
はいはいと返事をしながら、ミスティアは早速準備に取り掛かる。ルーミアが頭を左右に揺らしながら八目鰻の歌を歌っていると、何かに気がついた。
屋台の天井に、何かが飾られている。それがミスティアの絵だと気付くのに、ルーミアは少しばかりの時間を要した。
「みすちー、この絵、どうしたの?」
「絵?どれどれって、本当だ。どうしたのよみすちー」
「ん、ちょっと前に約束しててね。それが届いたの」
「汚れちゃうんじゃないの?煙とかで」
「紅魔館のメイドに頼んでね、時間を止めてもらったの」
「そーなのかー」
しっかし、上手ねえ。
リグルが呟いた言葉を聞いて、ミスティアは頬を緩めた。
二匹の前に、八目鰻の蒲焼が出される。いただきますの声とほぼ同時に、リグルたちは箸を持った。
天井を見上げる。歌っている自分の姿を見る。今でも、少し胸の奥が切なくなる。だけど、それよりも嬉しくて、ミスティアは微笑んだ。
・また、以前に書いた作品と、世界観を共有しています。単品でも読めるように配慮しましたが、もし興味を持っていただけたなら、以前の作品も読んでいただけると、嬉しいです。
貴女の絵を、描かせてくれませんか。
何でだろうね。初めて会った時は、もっと色々話したはずなのに。今はもう、その言葉しか思い出せないの。
君が笑顔でその言葉を言ったことは憶えているのだけれど、君の笑顔が思い出せないの。
なんでだろうね。偶に思い出すと、ちょっとだけ私の顔が綻んで、だけど、胸の奥がきゅってなるの。
ねえ。
貴方は今でも、約束、憶えてくれいるのかな。
「どうしたんだ、女将」
「え、はい。注文ですか」
「違う違う。注文じゃないよ。ただ、なんか、普段と雰囲気が違ったからね」
慧音の言葉が、静かな屋台に響く。客は慧音と、その隣で酔いつぶれている魔理沙だけだった。
確かに今日はいつもよりぼうっとしていると、ミスティア・ローレライは自覚していた。働いていればきっとそんなことも無くなるだろうと思って、普段よりも早めに屋台を引いたのだが、効果は無かったらしい。
魔理沙はカウンターに額をつけて、遂には寝息を立て始めていた。慧音がミスティアにすまないと謝るが、ミスティアは気にしていないと首を横に振る。
なんでそう思ったの。ミスティアの言葉に、慧音はあやふやな笑顔を浮かべる。なんだか、いつもより大人びて見えたのだとそう言って、グラスに残っていた焼酎を飲み干した。
洗い物を終え、暖簾を外すと、今日はもう店じまいとミスティアは笑った。そう言って、慧音の空いたグラスに酒を注ぐ。魔理沙を見て、しばらく起きないでしょと慧音に言うと、慧音は苦く笑った。
「何か、あったの」
「ううん、ちょっとね。昔のことを思い出してたの」
「そうか。聞いて、いい話なのかな」
「そのつもりで店を閉めたから、気にしないで。なんか、聞いてもらいたい気分だから。いや、違うのかな」
「うん?」
「多分、話さないと忘れちゃうから。だから、センセイに聞いて欲しいんだと思う。嫌なら、別に構わないから、気にしないで」
「構わないよ。今日は色々あったし、明日は寺子屋も休みだからね。嫌らしく聞こえるかもしれないが、人の昔話には興味があるよ」
ありがとうと言って、慧音の隣に座る。酒で口を湿らせて、ミスティアは口を開いた。
結構前の話になるかな。もう、半分も思い出せない。私、あまり記憶力良くないから。
夜だった。満月が綺麗だったのは憶えてる。それを見て、私は歌を歌っていたの。好きなだけ歌って、ちょっと疲れたから、木の枝に座って休んでいたらね、人間を見つけたの。まだ、ほんの子どもだった。
人里の子だったけれど、こんな時間に外に出ているのが悪いと思って、鳥目にしてやろうと思った。
だけど、いきなり視界を奪っても、味気ないじゃない。だから、わざとその子の前に現れたの。そして、思いっきり怖がらせてから。食べようとしたのか、そのままその姿を見て笑おうとしたのか。忘れちゃった。
何を言ったかも、もう憶えていない。ただ、なんか、こう、お前をこれから鳥目にしてやるぞー。どうだーこわいだろー。みたいな感じで言ったの。そうしたらね、その子、いきなりこう言ったのよ。
貴女の絵を描かせてください、てね。
何を言っているんだ、こいつは。って最初は頭がこんがらがったの。今みたいにスペルカードも無かったし。
だけど、なんか毒気を抜かれちゃって。鳥目にする気も失せちゃった、だと思う。ただ、その子に何もしなかった。それからね、時々私のところに来るようになったの。里の外には妖怪もいるし、今よりも危険な時代だったのに、ね。
「……それで、どうなったんだい」
「そいつ、絵が描きたいとか言ってたのに、素人の私がみても分かるくらいに下手だったの。最初に描いた絵を見て私、大笑いしたもの」
魔理沙が、むにゃむにゃと寝言を呟いているのを聞いて、ミスティアは薄く笑う。その様子は、とても普段の彼女から想像できるものではなく、慧音は久しく感じなかった老成した妖怪の片鱗を、隣に座るミスティアから感じていた。
どれくらいだったかなあ。五年、十年だったかもしれない。段々と、絵が上手くなってきてね、ちょっとだけ私も嬉しくなったの。やっぱり、綺麗に描かれると、気分がいいじゃない。
ある時、そいつがいったの。歌っている姿を描きたいって。だけどね、そんなことは無理だった。だって、私が歌うと、鳥目になってしまうんだもの。
何度も言ったの、やめとけって。だけどね、そいつは言うことを聞かなかった。絶対に描くんだーって。目が見えないのに、何度も私の姿を描こうとした。また下手糞に逆戻り。
だけどね、ちょっとだけ期待してた。私が歌ってる姿って、どんな風に見えるのかなって。見てみたかったんだけどね。
私の胸くらいの背丈だったのに。その頃には、もう私を追い越して。声も、随分と低くなってた。
ある日、そいつがまったく来なくなった。妖怪に食べられたのか、それとも飽きたのかな。その時は、いい暇つぶしになったとしか思わなかった。
だけどね、今でもひょっこり現れて、また下手糞な絵を見せてくれる。そんなことを、たまあに、思い出すの。
「……そんなお話。山も無ければ落ちも無い。そんな話よ」
「そう、か」
「聞いてくれてありがとう。私、ちょっと残りの片付けしてくるから」
「いや、いい話だったよ、ありがとう。勘定は、ここに置いておくよ」
「また来てくださいねえ」
ミスティアの言葉を背に受けて、慧音は魔理沙を担いで屋台を後にした。夜空には、沢山の星と下弦の月が輝いている。
「いい加減、降りてくれないか」
「……気付いてたのか」
「あんな下手な芝居じゃあな。女将にも気付かれてたかもしれん」
「起きるタイミングが無くてなっ、と」
掛け声と共に、魔理沙は慧音の背から飛び降りる。その足取りは、思いのほかしっかりしていた。夜空の下を、ゆっくりと歩く。
今日は、慧音の頼みで人里の害虫駆除をしていた。ただ酒が飲めるという条件で請け負ったのだが、疲れがたまっていたのか、少し飲んだら寝てしまったのだ。本当はミスティアが話している途中で起きたのだが、なんとも入りづらい雰囲気だったため、寝たふりをしていたのである。
「しっかし、私にはわからんね」
「何がだ」
「あいつの気持ちさ」
あいつ、とはミスティアのことだろう。ほう、と漏らして、慧音は続きを促す。まだ酒が残っているのだろう、少しばかり上気した魔理沙の頬を見て、慧音はくすりと頬を緩めた。
「最初の部分は聞いてなかったが、あいつはその男、なんだろうな。話を聞いててそう思うけど。とにかく、何かしら思っていたんだろう?」
「そうだろうな。じゃあなかったら、あの時代に人間と、しかも里の外で過ごすことなどしないさ」
「なんつうか、その……好き、だったんじゃないか。その男のこと」
「さあ。私には分からんよ」
「いいや、そうに違いないね」
のらりくらりとかわす慧音の態度がカチンと来たのか、魔理沙の目が据わる。その様子を、横目でちらりと流し見た。
「だから、なんで、何もしなかったんだよ。好きなら好きって言っちまえばいい。私はそう思う。人間だとか、自分が妖怪だとか、そんなこと気にしないでさ。そんなに長い間、そんな気持ちを持っているなんて、なんつうか、その」
「なあ、魔理沙」
「何だよ」
「誰かを、好きになったことはあるか?」
「そりゃあ……あるさ。馬鹿にするなよ」
「ははっ、すまんすまん。そういう意味で言ったわけじゃないんだ。私だって誰かのことを好きになったことはあるしな」
歩くのが面倒になったのか、持っていた箒を浮かせると、そこに魔理沙は跨った。
「里の住人は好きだ。勿論、子ども達も好きだ。妹紅も好きだぞ。それに魔理沙、お前のことも好きだ」
「なあにを言ってらっしゃる」
「本当さ。私は、色々あってこの身になった。その時は自分のことを憎んだりもしたし、その気持ちを他人に向けそうになったことだってあった。だけど、今は感謝している」
無言で、魔理沙は耳を傾ける。普段は我の強さが前面に出ているが、それでも無為にそうしようとはしない。魔理沙の根っこの優しさを、少しは理解していると慧音は思っている。魔理沙のそんなところが、慧音は好きになったのだ。
「ミスティアの感情は、多分、言葉に出来ない感情なんだと、私は思うよ」
「言葉に出来ない、か」
「恋とか、愛とか、多分そういうのじゃあないんだ。きっと」
「ふうん。わからんが、まあ納得だけはしておくさ」
「魔理沙にも、きっと分かる日が来るさ」
「大人ぶっちゃってさ。そういうのは結構だぜ」
慧音は笑いながら、月を見上げた。どうやら自分も酔いが回っているらしい。だが、この感覚が、心地よかった。
里の入り口が見える。今日は気持ちよく眠れそうだが、その前にやっておかなくてはいけないことがある。帰るぜと言った魔理沙を呼び止め、慧音は口を開いた。
魔理沙は渋々と言った顔で慧音の言葉に頷くと、箒から星の魔法を出して帰っていった。世話焼きだなあ、私。そうひとりごちて、慧音はもう一度月を見上げて笑った。
いら……いらっしゃい。お一人様ですか?此方の席へどうぞ。
注文は……目が。そうですか。じゃあ、こちらで作りますね。何か嫌いなものは?無い?それは良かった。
ですけど、おじいさん。よくお一人でここまで来れましたね。ああ、近くにお連れがいらっしゃるんですか。その人も一緒に来ればいいのに。
はい、当店自慢の八目鰻の蒲焼です。是非……って目が不自由なんですよね。だいじょ、ああ、大丈夫ですか。なら良かったです。
他のお客様ですか。いや、今はいませんよ。今日はおじいさんだけの貸切です!なんちゃって。
目は、若い頃に……そうですか。
え?歌?構いませんけど。ははあ、さては慧音センセイ辺りに聞きましたか。こう見えても、って、見えないんですよね。すいません。
わかりました。では、お聞かせしましょう!ミスティア・ローレライの歌声を。
……ありがとうございました。
随分、歳をとっちゃったね。そっか、もうそんなに昔のことかあ。
ん、いいよ。気にしてない……なんてね。ちょっと気にしてた。早く絵を届けに来いって。
初恋?私が?ははあん、そんなこと考えてたんだ、助平小僧め……嘘だよ。確かに、そんな気がしてたかも。ごめんね、もう大分抜け落ちてて。
君のこと?ううん、どうだったかなあ。勿論、嫌いじゃあなかったよ。好きか嫌いかで言われたら、好きだった。
ただ、なんていうかね。言葉に、出来ないの。ごめんね。
これを私に?
……へったくそ。
だけど、嬉しい。
そっか、こんな風に見えるんだ。歌ってるときの私。
私は変わらないよ。ちょっと悲しいね。
今度は、奥さんでも連れてきなよ。馴れ初めとかさ、聞いてみたいな。あ、子どもでも孫でもいいな。将来うちの常連になってくれるように、なんてね。
うん、うん。約束だよ。
足元、気をつけてね。
ありがとうございました。
ある日の夕暮れ、ミスティアが屋台の準備をしていると、知り合いがやってきた。リグルとルーミアである。何の用だと尋ねると、ルーミアがおもむろに手に持っていた風呂敷をカウンターの上で広げてみせた。
「どうしたの、こんなに沢山の八目鰻」
「ルーミアと遊んでたら偶々見つけてね。せっかくだからみすちーのお店で調理してもらおうかなって」
「おねがい、みすちー」
はいはいと返事をしながら、ミスティアは早速準備に取り掛かる。ルーミアが頭を左右に揺らしながら八目鰻の歌を歌っていると、何かに気がついた。
屋台の天井に、何かが飾られている。それがミスティアの絵だと気付くのに、ルーミアは少しばかりの時間を要した。
「みすちー、この絵、どうしたの?」
「絵?どれどれって、本当だ。どうしたのよみすちー」
「ん、ちょっと前に約束しててね。それが届いたの」
「汚れちゃうんじゃないの?煙とかで」
「紅魔館のメイドに頼んでね、時間を止めてもらったの」
「そーなのかー」
しっかし、上手ねえ。
リグルが呟いた言葉を聞いて、ミスティアは頬を緩めた。
二匹の前に、八目鰻の蒲焼が出される。いただきますの声とほぼ同時に、リグルたちは箸を持った。
天井を見上げる。歌っている自分の姿を見る。今でも、少し胸の奥が切なくなる。だけど、それよりも嬉しくて、ミスティアは微笑んだ。