本日の本題は
私は暗い道を歩いていた。道はまるで干上がった川の底の様に岩だらけで、一歩一歩踏みしめる様に歩かねばならない。
これは本当に道なのだろうか。ここは何処だろう。見上げてみても空は真っ暗で、星ひとつ無い。そもそも、私はいつからどれだけ歩いているのだろう?そう考えた時、これはいつものアレだと気づいた。でも、そのいつものアレが何か分からない。分からないことは、考える気にならない。
足元は湿っていて、でも寒くも熱くもない。見渡す気にもなれない陰気さ。ただ私は前を向いて真っ直ぐ歩いている。何を目指しているのかも分からない。足を止めようか、一瞬そう思ったけれど、私の足は止まらなかった。だって、これはアレだもの。止まるはずがない。そういう確信だけがあった。
よろよろ、よろよろと足は進む。薄暗い道はどこまでも続く。灰色の岩と黒い空の境、岩々に形作られた地平線を見つめて私はただ歩かされている。
まるで、墓場みたいだ。そう思った。偶に低い岩に混じる腰ほどの高さの岩達が、どこか朽ちた墓石のように見えた。とすると、私が今踏みつけているのは砕けた墓石か、地蔵か。
――罰当たり、罰当たりだ。
その心の声は、何処かで見た気がするおばあさんの顔をしていた。蔑んだ目付きで、誰かに愚痴を言っている。
そう、私は罰当たり。
この目にこの世の裂け目が見えたなら、私から見境というものが消滅する。嘘をつく。不法侵入もする。墓も荒らす。墓を荒らすということは、死者への思いを、人の心を踏みにじるということだ。自分の興味一つでどんな物も無視してしまう。相棒一人引き連れて、汚らわしいことを平気でする。そこに自己嫌悪は無い。ただ私の自己評価が真面目な学生から罰当たりに変わるだけ。
その原動力は何か。私は朽ちた墓石を乗り越えながら答えを探す。空っぽになった頭を、様々な情景が駆け抜ける頭を探り、結論を探し求めたけども答えは出ない。でもしょうがない。
だってこれはアレだもの。
そう結論付けると、不意に低い岩の陰に灰色じゃない物が見えた。茶色い抱えられそうな何か。きっと私はこれを目指していたんだ。今までの考えも全て吹き飛んで、吸い寄せられるように私は近づいていく。
桶だ。
一歩一歩と近づくたびに、それのディティールが見えてくる。木の桶。何かが入った木の桶だ。
あと10歩、あと9歩と近づいていく。中には何が入っているのだろう?何かが桶の縁から覗いている。
残り8歩、7歩。丸い何か。中に入っているのは丸い何か。そしてさらに足を進めようとした時、ふとあることが気になった。
なぜ、明かりも何も無いのに私は物を見られるのだろう?そう思った瞬間、この世から光が落ちた。足元の岩も、見つめていた桶も何も見えなくなった。
そして、まさに暗闇で目が慣れていく時のように、ぼんやりと何かが見え始めた。それは、桶の中の何かだった。その何かは燐光を発するように、なんの光も受けず暗闇に浮き上がっている。私は目を見開いた。
それは、少女の頭だった。
柔らかく真っ直ぐな髪を二つに括った幼い娘。魅入られそうな程やわらかな笑顔を浮かべている。娘は私の方を見ているけども、その目は私の体を通り越し、その遥か向こうを見つめていた。
そうだ、この子は笑顔を浮かべた人形だ。直感的にそう思った。確かに整った顔立ちも、瞬き一つしないその目も人工的で人形的だった。何故この子は桶に入れられているのだろう。どうして私はこの子に会わなければならなかったのだろう。分からなかった。
私はまた歩み始めた。
触りたい。この人形に触りたくなったのだ。そしてその「触りたい」には突き動かされるような何かがあった。
そうだ、この子こそが私が今まで求めてきた何かなんだ。なりふり構わず、ずっと求めてきた何かなんだ。誰かに取られてしまう。早く、早く捕まえなければ。
歩み寄るのももどかしく、私は右手を少女に伸ばして――
ぱちくりした。
ぱちくりしたのは私ではない。私はずっと目を見開いている。ぱちくりしたのは人形だった。人形の目が私を捉える。人形の表情が動く。やわらかな笑顔が少し深まる。
ああ、人形は生きていたんだ。だから、この子は人形じゃないんだ。そして娘を見つめる私の心は鋭い衝撃に揺さぶられていた。何かが、おかしいと思った。でも、それが何かはわからない。
娘までもう一歩というところまで伸ばした手を引っ込めて、私はふらりと後ずさる。すると娘は小さな口を開いた。
「ちょうだい、ちょうだい」
何が欲しいというのだろう、娘は桶から右手を差し出し何かを求めた。その右手は物乞いをするように手のひらをこちらに向けられているけども、私は悲しいぐらい何も持っていない。私が欲しいくらいなのだ。だというのに、娘は何かを求め続ける。
「ちょうだい、ちょうだい」
娘は桶から身を少し乗り出して、私に両手を伸ばし始めた。桶から覗いたその体には、白装束が着せられていた。
そして、私の心に冷たいものが流れ込んだ。何故この子が人形だと思ったのか、ようやくわかったのだ。だって、人形じゃなかったら不自然なんだ。足りないんだ。私は娘を恐れてまた一歩後ずさる。
無限に広がる暗闇の中、娘は柔和な笑顔を浮かべながらガタガタと桶を揺らし、私に手を伸ばし続ける。何度も何度も「ちょうだい」を繰り返す。この子が求めている物は、この子に足りない物なんだ。
この子には――
――――――――
「下半身が無かった?」
私の話に聞き入っていた蓮子が、久しぶりに口を開いた。オウム返しに私の言葉を返したその口は、少し強張っている。大げさなリアクションのせいで、握られていたジョッキが揚げナスの載った皿に当たり、コツンと音を立てた。わりと響きそうなその音も、騒がしい居酒屋のざわめきの中ではまるで目立たなかった。
「うん。多分すっぱり腰から下が無かった。じゃないと桶に入りきらないはずなのよ。サイズ的に」
「うっわー。それホラーじゃん。あーやだ……」
猫背気味に椅子に座っていた私が気だるげに答えると、蓮子は帽子を抱きしめて怖がり始めた。その反応に私は思わず苦い顔になる。私も怖がっていたとはいえ、心霊サークルがそれでいいのか。つまんでいたお好み焼きを放り出して、箸で蓮子にぴっと指した。
「蓮子あなたねぇ、心霊サークルでしょ。もっと別のリアクションあるんじゃないの?」
「いやいやメリーさん。その子に捕まってたらあなたただじゃ済まなかったんじゃないのよ?」
「夢の話よ?」
「あなたの夢の話だからよ」
「そりゃまあ……」
そうだけど、そう呟いて私はジントニックをあおった。すると蓮子は何かに気がついたように「あ」とうめいた。
「あのさ、じゃあさ。……その子が欲しがってたのって、メリーの下半身?」
「私がそう感じただけだけど、多分ね」
うーわー、と蓮子は椅子に仰け反って頭を抱えた。正直居酒屋とはいえそこまでのオーバーリアクションは控えて欲しかった。話題が話題だけに。気になってちらりと周りを見渡すと他のテーブルの客達は自分の話に熱中していて、まるでこちらを見向きもしていなかった。わいわいがやがやと話題に花を咲かせ、味の濃い料理をつまみ酒を腹に収めている。蓮子に視線を戻すと、蓮子はキラキラした目でこちらを見ていた。
「メリーの下半身を求めるって、なんかアレだよね」
「やかましい」
私はテーブルの下から蓮子のすねを軽く蹴った。蓮子は「ぎゃあ」とこれまた大げさに呻いてテーブルにうずくまる。怖がるのかはしゃぐのかどちらか一つにして欲しい。それもこれもお酒のせいだ。蓮子のビールを奪ってグビリと飲む。ああ、お酒大好き。
「蹴ることないでしょー。メリーが夢の話がしたいっていうからわざわざ居酒屋に来てるのにさぁ…」
「居酒屋に行くって言い出したのは蓮子でしょ」
私は居酒屋に行こうなんて一言も言っていない。夢の話するのなんてどこでも出来る。ただ会って夢の話をしたいとその夢の起き抜けに電話しただけだ。したら蓮子が「じゃあさ、居酒屋行こうよ居酒屋。大学終わったらねー、はいバイバーイ」と一方的に決定してきたのだ。自分がお酒を飲みたかったから居酒屋に行っているのに私に恩を着せようったってそうはいかない。……「うん」と言ったのは私だし、お陰で暗くならずに済んでるんだけど。
「で、続きは?」
「へ?」
私の口から間抜けな声が漏れた。蓮子は呆れた顔で青椒肉絲をつまんでボリボリと噛み締め、私からジョッキを奪い返してグビと飲んだ。
「だから、その夢の話の続きよ」
「ああ、それならさっきの所で終わり。あの子に下半身が無いって気づいた直後に目が覚めたの」
「へぇー、それは助かったわね」
「お陰様でね」
はあ、と溜息をつくと私はテーブルに突っ伏した。へらへらと蓮子が尋ねてくる。
「飲み過ぎ?」
「かも」
ビール一杯にウィスキーをダブルでロック、ジントニック一杯だから飲んでいると言ったら飲んでいる。でも潰れる程じゃあない。
夢の話で蓮子に言っていない事がある。それは言えなかった事。
まず、夢を見ていた時に私が考えていた事を話せなかった。自分を罰当たりだと思ったことも、桶の少女に見せた深い執着も。ただ、不気味だったとか、怖かったとか。表面的な事だけ話した。いまだにくすぶる私の中の何かは、人に見せられるものじゃあなかった。
そして二つ目。夢はあそこで終わりでは無い。その後数十秒続いていた。別にその時に何かがあった訳ではない。相変わらず、娘は私に手を伸ばし続けるだけだった。ただ、広大な闇の中、桶を揺らして「ちょうだい」と言う娘を前にして私は恐怖しながらも――いっそこの娘に私を与えてしまえばどうだろう――そう考えていた。この娘が私の求めていた何かだとしたら、娘が私の体を求めているのだとしたら、私達の足りないものが補い合って完璧になれるんじゃないか。そう妄想してしまった。間違いなく気の迷いだ。思い返すだけでも身震いする。
さらに三つ目。これが、私が本当に蓮子に言いたかった事。私が私を冒険に突き動かす何か、私が娘に見出し求めた何か。起き抜けに布団を抱きしめながら、それが同じ一つの物だと思い至った事。
ねえ蓮子、本日の本題はね。
私が結界の向こうに何を見ていたかって話。私は結界の向こうが、神秘が、きっと私の中の足りない何かを満たしてくれると思ってたのよ。その何かはまだ良くわからないけど、将来の不安とか、代わり映えしない生活とかきっとそういう陳腐な事で、それを補ってくれる何かが向こうにはあるって、そう信じていたのよ。きっと。
子供の頃からずっと私は、辛いことがあったら結界を目で追ってた。私にはアレが見える、きっとあそこには素晴らしいなにかが在るって。
よくわからない神秘に包まれたものに、全然手に入らないからこそ、全てを解決してくれる何かを求めてしまっていた。だから私は、蓮子と出会って、そして結界暴きに熱中したんだ。
でもね、その神秘の中にいる少女にも足りない物があったのよ。完全無欠であるべきの結界の向こう側の住人が「ちょうだい、ちょうだい」って。まるで、結界暴きに突き動かされる私みたいに。
……ねえ蓮子、この私ってのが私達なんじゃないかって、それが聞きたかったの。蓮子も、月と星を見れば時間と座標が分かるっていうそのヘンテコな目に、何かを託しちゃいなかったかって。結界の向こうに、全てを解決してくれる魔法があるって信じちゃいなかったかって。
言えなかったけどね。
店員達が客に威勢よく挨拶し、ざわざわと団体客が私の横の通路を通って座敷の方へ向かって行く。その、上機嫌な雑踏の音の中に、コンとジョッキを静かに置く音が聞こえた。そして、テーブルに突っ伏す私の頭の上に湿った何かが置かれた。おしぼりだ、蓮子がそっとおしぼりを私の後頭部に置いたのだ。
「起きてるわよ」
「おふっ」
私が蓮子のすねを軽く、ホントに軽く足でつつくと、蓮子はまた大げさに痛がってみせた。全然痛くない癖に。おしぼりを後頭部に乗せっぱなしの私は団体客にきっとジロジロ見られながら、少し、笑ったのだった。
メリーさんが夢の中で自分の思った事を蓮子に打ち明けられなかった、というのが
なんか嫌なフラグにしか見えないぜ……
いよいよ現実が嫌になって夢が夢でないと気づかない事を祈ろう
しかしキスメはもうホラー要因にしか思えなくなってしまったw確かに怖ええw
それにしてもキスメが怖いです