「一つ、私と取り組みを、相撲を取っては頂けないでしょうか」
その河童の一言で、酒宴は凍りついた。
その時、妖怪の山では、酒宴が催されていた。
参加している者は、妖怪の山に住まう妖怪達、その山に住む山の神達、それに何処からともなく酒の匂いを嗅ぎつけて現れた小鬼に、神出鬼没のスキマ妖怪などで、彼女らが集まって、酒によって親交を温めていた。早い話が酒盛りをしていた。
幻想郷において、酒は重要なコミュニケーションツールである。酒が入ると、妖怪だろうが神だろうが、種族の分け隔てなく気持ちよく話せるのだ。
そうして宴もたけなわとなった頃、ある河童が進み出て、山の神に嘆願をした。
それが冒頭の言葉である。
あまりに唐突なる取り組みの要求。
その一言で脳みそにまで酒が回ったノンダクレ達も、一気に酔いが醒めてしまった。
一介の河童が、神に対して相撲の取り組みを申し出るなど、身の程知らずもはなはだしく、まさに暴挙以外の何物でもない。
対して、取り組みを申し出られた山の神は、沈黙を守っている。
機嫌を損ねたのか、虎の尾を踏んだのか、あるいは、藪を突いて蛇を出してしまったのか。人々は戦々恐々とばかりに、神と河童を見守っていた。
河童は、拝みこむように土下座をしたまま動かない。
その横顔は、真剣そのもの。決して、酒の席での悪ふざけではない事を、その顔が物語っていた。
「私と、取り組みを――私と相撲が取りたいと、そう言うのですね」
厳かに、神は問いかける。
その言葉のあまりの穏やかさに、ノンダクレ達は恐怖した。分不相応な取り組みの申し出に、この身の程知らずな河童はどうなってしまうのだろうか。
その刹那――
「申し訳ありません!」
一人の白狼天狗が河童と神の間に入る。
それは、取り組みを申し出た河童――河城にとりと仲の良い、白狼天狗の犬走椛だ。
「この、河城にとりは、莫迦なのです! 一つの物事に集中すると他に何も見えなくなって、自分が何をしているのかも分からなくなってしまう大莫迦者のこんこんちきなのです! ですから、この莫迦は、酒の席で頭がのぼせて、トチ狂って、こんな身の程知らずな事をしてしまっただけです! で……ですから、どうか、この度の事は莫迦がした事として、どうか……」
御慈悲を頂く事はできまいか。
そう言って、事を納めようとした椛の肩をにとりは掴み、彼女を制するように、こう言った。
「気の迷いなんかじゃないし、酒の所為じゃないよ。ずっと前から、こうする事は決めていたんだ」
河城にとりは、犬走椛にそう言い聞かせた。
それの目を見て、椛はようやく理解する。
この河童は本気なのだ。
本気で、神に相撲を挑もうとしている。
そんな河童に対して、山の神――八坂神奈子は、受けるとも、退けるとも言わずに、ただ、何処か懐かしそうな目をして、河童を眺めていた。
そして、そこに集まった酒客達は、そんな河童と神を黙って見ている事しか出来ない。
「……どうして」
白狼天狗は、友を止めることが出来なかった事を悔やんだ。
どうして、こうなってしまったのか。
なぜ、妖怪達が集まって、和やかに進んでいた酒宴で、こんな事になってしまったのか。
なぜ、友が神に相撲を挑むような事態となってしまったのか。
そうなった流れを、犬走椛は思い出す。
それは、今から一時間ほど前のこと。
ノンダクレたちが肩を組んで酒盛りをしていた時に始まった、どうでもいい話。
それが、全ての始まりだった。
「けれど、最近の子達は、線が細いですね」
宴が始まって、少し経過した頃。大きな杯で酒を受けながら、八坂神奈子がそんな事を言い出した。
山の神が語る所によれば、近年の人間が体格的に貧相となっており、このままでは地球の危機だという。
確かに、その言説は正しい。
アウストラロピテクスとホモ・サピエンスを比較した場合、現行人類であるホモ・サピエンス・サピエンスは、アウストラロピテクスに比べて身長こそ随分と伸びているものの、基本的な筋肉量は減少しており、骨格も華奢になって、一言で言えば、ガリになってしまった。
その現実を見据えれば、確かに八坂神奈子の主張は正しいと言えるだろう。
「そうだね。確かに、最近の人間は軟弱になった。ちょっと前だと、私らを本気で退治しようって莫迦が沢山居たものだけど、最近はそういう手合いも少なくなったもんだ」
そうして、神が愚痴を吐いていると、大吟醸を抱えた酒好きの小鬼がやって来た。
確かに、この酒好きの小鬼――伊吹萃香が好き勝手絶頂を極めていた時代は、そうした莫迦が少なくなかった。
おびただしい数の鬼を討ち果たした征夷大将軍の坂上田村麻呂、平安の都にて鬼を狩り続けた源頼光、桃太郎の原型となった吉備津彦命など、古代には鬼を狩ろうとした莫迦が沢山居たのだ。
それを踏まえれば、鬼の意見は確かに正しいのかもしれない。
かくして山の神と鬼が意見を同じくしていると、三番目の酒客が異を唱える。
「そうかしらね。その代わり、知恵は付いているのだから、それはそれでいいんじゃない?」
優雅にアイリッシュ・ウイスキーをラッパ飲みしながら、一人のスキマ妖怪――八雲紫が、山の神と小鬼を諭した。
確かに、最近の人間の知性向上には、妖怪も一目置かざる得ない物がある。
かつて、喋る言葉と言えば『ウッホ、ウッホ』と動物と変わらぬ言語を話していた人類が、現在ではいい男を見ると『ウホッ! いい男……』と言えるまでに知性を発達させたのだ。流石はホモ・サピエンスと呼ばれるだけの事はある。
八雲紫がそうした事を、微に入り細に入り説明すると、神と鬼は『確かにその通りだ。流石は紫、いいこと言った』と、大いに満足して頷いた。
山の神も、鬼も、スキマ妖怪も、かなり出来上がっていた。
それでいながら、口ぶりに怪しいところは欠片もなく、傍目には素面に見えるのだから、性質が悪い。この辺が、妖怪の山の酒宴の恐ろしいところだ。どいつもこいつも、底無しのノンダクレなのである。脳にアルコールが入って、ようやく平常運転といったところか。
そうして、酔っ払いなりに話がまとまろうとしていたところ、八坂神奈子が異議申し立てをした。
「ただ、それに一つだけ反論をしておきたいのですけど、良いかしら?」
「ええ、異論、反論は何時でも受け付けているわ」
紫の許可を受けると、神奈子は「ありがとう」と言ってから、酒を飲み飲み反論をする。
「確かに知恵は必要よ。けど、幾ら知恵があっても、それを使いこなす肉体が無ければ話にならない。そもそも現代の人間は、根本的に身体が弱くなりすぎです。前に外に居た時も、やれ痩身だの、ダイエットだの、そうして体を細くする事にばかり注視する。そんな事では、どんどん人間は貧弱になってしまう」
「ああ、確かにそれはそうね」
山の神が具体例を出した事で、スキマ妖怪も同意した。
近年、外からやって来た山の神と、外と幻想郷を行き来するスキマ妖怪は、共に『現代の外の世界』を知る数少ない存在だ。だから、神奈子の言っている懸念を紫は即座に気が付く事ができた。
その懸念とは、外の世界における強烈な痩身至上主義である。
人類の美的センスというのは、時代によって移り変わっていくもので、時と場所によって、これが同じ人類のセンスかと見紛う程に大きく異なる。例えば、古代ギリシャでは、ふくよかな人間が美しいとされていたし、近世までの中国では、小さな足こそ美しいとされていた。
かの如く、美の基準は移り変わるのであるが、そんな現在の外の世界における美とは、痩身である。
痩せた体が美しい。
太った体は醜い。
その価値観によって、外の世界では激烈なダイエットが推奨され、人々は痩せる事を強いられている。
「痩せていない子までが、ダイエットとかしているのは、明らかにおかしいと思うんです」
「アレは私もどうかと思うわ」
「ダイエットって、なんだい?」
そうして山の神とスキマ妖怪が二人で納得をしていると、外の事はあまり知らない鬼が、疑問を呈した。
「ダイエットっていうのはね。食事を節制して体重を落とす事を言うのよ」
「それは、山伏や坊主にでもなろうっての?」
「そういうのとは違うわね。痩せる事だけが目的で、徳を積もうとか、清貧に保つとか、そういった意図は全く無いわ。外では、太っていると醜いと蔑まれ、痩せていると綺麗と褒められる。だから、綺麗になりたい……いや、より正しくは、醜くなりたいくないから、みんな痩せようとする。だから、男も女も関係なく、外ではダイエットが流行しているのよ」
「ふぅん。醜くなりたくないか――成程。確かに、醜を避けていれば強くなくなるのは当然だねぇ」
鬼が、得心したように言った。
そこに隠された言霊を読み取り、山の神とスキマ妖怪は、つい笑ってしまう。
何故なら、『醜』という字には、醜いというだけではなく、強いという意味があるからだ。
古代の日本において『醜』という字には、ネガティブな要素だけではなかった。強くたくましい男の事を『醜男』と書き、その強さと大いに称えていたのである。
美形で有名な大国主にも『葦原醜男』という、強い男であることを称える異称がある。更に相撲の四股名も、元は『醜名』だ。古来、日本では『醜』という字は尊称だったのだ。
かのように『醜』には、強さの意が秘められている。
ならば、醜を避ける現代人の線が細くなって、肉体的に虚弱になっているのも、それは当然なのかもしれない。
「あっ、そうだ。今度は私の方が反論をさせてもらいたいのだけど、いいかしら」
すると紫が、何かを思いついたとばかりに発言権を求めた。勿論、その発言は認められて、山の神と小鬼から「どうぞ」と、許可をもらう。
「いえ、大した事はないのだけどね。確かに外の人間は貧弱になっている。けれど、昔から変わらずに強靭な者だって残っている、ってそういう話」
「昔から変わらない者?」
「いや、普通に醜名を受け継いでいる者、すなわち、それはおすもうさん」
そう紫が言うと、萃香は呆れたように「なんだ。力士か」と声を上げた。
「そりゃそうだ。力人が細くてどうするよ」
「それはソップ型の力士への挑戦かしら。おすもうさんにも細い人はいるのよ」
「いや、私もソップ型を否定なんてしないよ。でも、力士と言ったら、連想するのは普通はアンコ型だろう。私が言っているのは一般論だよ」
「あら、萃香はアンコ型の力士が好きなの?」
「いや、私は体型で好き嫌いとかはないなぁ。やっぱり、好きな奴は強い力士だ。例えば――雷電為右衛門の取り組みは良かったねぇ。あの時は、ちょっと江戸にまで遊びに出てて、偶然、あいつの初場所をみたんだけど、あれはほんと凄かった。いきなり関脇で出されてさ、谷風亡き後、唯一の横綱となっていた小野川喜三郎を凄い豪快に投げ飛ばすんだよ。いやぁ、アレは本当に凄かったね」
「また、古い話を持ち出すわねぇ」
スキマ妖怪と鬼は、相撲の話をし始めた。
そして、紫が、山の神にも相撲の話を振ろうとして――口をつぐんだ。
宴の空気が変わった事に気が付いたからだ。
八坂神奈子が押し黙っていている。そして、それを山の妖怪達が戦々恐々と見守っている。
そこで、スキマ妖怪は即座に、己の失態に気が付く。
そもそも八坂神奈子は諏訪大社の祭神であり、建御名方神≪タケミナカタ≫と深い関わりを持つ神だ。
そして、建御名方神と言えば、日本建国神話において日本最強の軍神と誉れ高い建御雷神≪タケミカヅチ≫と力くらべをし、屈服してしまった神である。
その建御名方神と建御雷神の一戦が問題なのだ。この一戦は、これは国譲りとして知られる葦原中国平定の一節であり、一部では『日本最初の相撲』に位置付けられる一戦なのである。
そこで、建御名方神は敗北した。相撲風に言えば、土が付いたのだ。
つまり、日本最初の相撲とは、建御名方神に類する神である八坂神奈子にとって、屈辱の一戦なのである。
だから、八坂神奈子に対して、山の妖怪たちは相撲の話題を出さないようにしていたのだ。何しろ、相手は神である。神代の事も昨日の事のように覚えているかもしれないし、それで天罰を食らってもつまらない。
君子、危うきに近寄らず。
そう、決められていたので、山の妖怪たちは神奈子に対して『相撲』『取り組み』『横綱』『大関』『関脇』『小結』『木村庄之助』等の相撲を連想させる言葉は禁句としていた。
それなのに、八雲紫と伊吹萃香は、山の禁句を破ってしまった。紫自身は山の妖怪ではないし、伊吹萃香も既に山を出た身の上だ。だから、新しくできた山の禁句を知らなかった。
だから、つい相撲の話題を出してしまった。
「――ふむ」
そして神は、笑う。
スキマ妖怪は――寒気を覚えた。
神は、凄まじい力を持つ。
確かに伊吹萃香は、鬼神などと呼ばれるし、八雲紫も神が如きなどと形容される。だが、神そのものの力は、途方も無い。その力は絶大だ。
肉体を持ってうろついているし、一緒に酒を酌み交わしているが、よくよく考えてみれば、これは神代を生きた神である。
かくして、神が如きと形容された者達と、神そのものが張り詰めた空気を形成する中――
「そうねぇ。私は、外に居た時は琴欧州がお気に入りでしたね。ハンサムだし」
神は酒を傾けながら、ちょっとミーハーにお気に入りの力士を挙げるのだった。
そこからは、普通に相撲談義に花が咲いた。
元々、妖怪は相撲が大好きだ。
幻想郷は娯楽が少ない上に、丸い土俵の中で押しっくらをして、勝った負けたをするだけの極めて単純な力比べは、妖怪の価値観にぴったりと合う。
だから、江戸時代の雷電爲右エ門は強かっただとか、いやいや市野上浅右エ門の方が良かっただの、上手投げにこそ相撲の真髄があるだの、首投げこそ至高だの、アンコ型ハァハァだの、ソップ型も味があるだの、なんとも酷い有様だ。
そんな中、気を使って、神奈子の前では相撲の話をしないようにしていた妖怪達は、堰を切ったように神と相撲の話をし始めた。
「いやぁ、神奈子様。相撲が大丈夫なら言ってくださいよ」
調子良く、とある鴉天狗が太鼓持ちのように言った。
「別に秘密にしていたわけではないのだけれどね。そもそも諏訪の神社には、雷電為右衛門の銅像を置かせているくらいですから、むしろ、私達は相撲が大好きですよ。単に、貴方達が、私と相撲の話をするのを避けていただけでしょう」
「いや、我々も気を使っていたのですよ。相撲に悪感情があるのではないかと――」
「一度や二度、身内が勝負で負けたくらいでは、相撲を嫌いになる理由になりません。相撲自体に罪はないのです。だから、昔から相撲は観戦していましたし、外の世界に居た時も、大相撲中継は欠かさず見ていました」
「そういえば、琴欧州とかいう外の世界の力士の名前、言ってましたものね。本当に、ずっと相撲は好きだったんですね」
「ええ、相撲は何百年と見ているけど、アレは飽きが来ないものですよ。横綱同士の取り組みを見るのも、幕下力士が頑張っているのを見るのも、町内会の相撲大会でも、それぞれ見ごたえがあるものです」
「成程。流石は相撲の始祖に連なる方のお言葉ですね。含蓄がある」
そうして、和やかに酒宴が進む中、なんとも剣呑な目をした河童が一人居た。
それは、相撲狂いで知られる河童の中でも、特に相撲にのめり込んでいた事で知られる、河城にとりである。
彼女は、先ほどからちびちびと杯を傾けながら、相撲談義に花を咲かせている八坂神奈子をジッと見ていた。
「なに神奈子様を睨んでるんだ。にとり」
呼び止められたのでにとりが振り返ると、酒臭い息がにとりの顔にかかる。
にとりの将棋友達である白狼天狗の犬走椛だ。この白狼天狗も、底なしで知られる天狗の例に漏れず、先ほどから一升瓶を幾つも空としていた。
そんなノンダクレに一瞥くれて、にとりは再び熱に魘されるよう神奈子を見ると、こう言った。
「――あの神と、取り組みをしたいんだ」
「はぁ?」
意味が分からないと、白狼天狗が呆気に取られた顔をする。
だが、先のにとりの言葉には、相応の理由があった。
そもそも、賢明なる読者諸兄ならご存知のことと思われるが、河童と相撲は切っても切れない関係にある。
河童と相撲と取った、河童同士の相撲を見たという逸話は日本各地に残っているし、妖怪画でも有名な浮世絵師、月岡芳年の和漢百物語にも、義侠の力士として名の知られていた白藤源太の前で相撲を取る河童が描かれているほど、相撲と河童は関わりが深い事が知られていた。
妖怪一の相撲好き、それが河童なのである。
「阿呆か」
そんな相撲に目が眩んだ河童の世迷言を、白狼天狗は一刀両断する。
「うん。まあ、阿呆だね」
「阿呆だよ。神と河童なんて、月とスッポンぐらいに立場が違うじゃないか。どうやったって相撲が成立する余地なんて無い。地力が違いすぎる。なに? にとりってば、さっきからそんな事を考えていたの?」
「まあ、そうなるかな」
少しだけ、照れ臭そうに河童は言う。
まるで、初恋の人を名前を語った子どものように、とても照れ臭そうな顔をして笑うのだ。
「あのさ。確かに、あの神様とは私達は弾幕ごっことかをして、遊んでいる。それで勘違いをしたのかもしれないけど、相撲と弾幕ごっこは違うよ? 弾幕ごっこならば、神とかそういった力の差が酷い相手でも、勝負を挑めるし、勝つことも出来る。あれは弾幕の美しさを、そして粋を競う勝負だからね。でも、相撲は違う。あれは――」
「純然たる力の勝負だ」
「なんだ、ちゃんと分かっているじゃないか。そうそう、相撲は力比べなんだからさ、どうやったって神様に勝つことなんてできっこないって」
椛の言葉尻を引き取ったにとりを見て、白狼天狗は安心をしたように笑うと、思い出したように酒を一気に飲んだ。妖怪の山で醸造している酒は、水が良いので癖がなく、気が付けばぐいぐい呑めてしまうのである。
そうして、椛が気持ち良さそうにイッキをしているところ、不意打ちのようににとりが言った。
「でも、やりたい」
「ぶぼら」
聞き訳がよかった河童が、また無茶を言い出した所為で、椛は噴いた。しかも、噴いた時に気管に酒が入った所為か、激しく咳き込んでしまう。
気管に水が入ると、それだけで、とても痛い。
これが刺激物であった時は、本当に辛い。
そして、それが酒であるならば、地獄を味わう事になる。
「私は、知りたいんだ」
そうしてもがき苦しむ親友の横で、にとりは遠い目をしながら己が心の内を解説する。
「この数百年、妖怪相撲をして、いろんな取り組みをしていて、ずっと疑問に思っていることがある」
自分の世界に入ってしまい、親友がもがき苦しんでいるのも目に入らなくなった河童は、滔々と語る。
「相撲とは、一体なんなのか――」
河城にとりは、相撲を習い覚えて最初の百年は、買った負けたを繰り返すだけの相撲をとっていた。
相撲を取る事が無性に愉しかった。そして、勝てば嬉しく、負ければ悔しかった。それで、全てが完結した。
だが、次の百年、にとりは気が付く。
勝つ事や負ける事が相撲の全てではない。そうした勝敗を超越した部分に相撲の本質があると。
だから、にとりは良い勝負を求めた。
強い相撲取り、弱い相撲取り、実力が拮抗する相撲取り、卑劣な相撲取りに、騎士が如き崇高な精神を持つ相撲取り。様々な相撲取りと大一番を繰り広げる事によって、にとりは相撲取りとして一皮剥けた。技も冴え渡り、小兵ながらも技のデパートなどと呼ばれ、相撲取りとしての名を挙げた。
そして、妖怪の山の角界で起こった大事件、鬼の力士の大量離脱を契機に、にとりの力士としての生き方は大きく変わる事になる。
幕内力士が大量に居なくなった事で、繰上り気味に大関にまで上り詰めてしまったのだ。
図らずも、力士としての栄光をにとりは手に入れた。
だが、そうして半ば相撲の頂点に上り詰めてしまった事で、にとりはある悩みを抱える事になる。
――相撲とは、何か。
相撲はにとりを、そして多くの相撲取りを幸福にしてくれる。
だが、それでは相撲とは、相撲取りだけを救う存在ではないか。ならば、相撲は何のために存在するのか。相撲には、人を救う力があるのに、限られた人しか救えない自分に、相撲をする資格は、大関たる資格はあるのか。
にとりは、相撲が分からなくなった。
だから妖怪相撲にて、大関として二百場所在位という史上空前の大記録を打ち立てた後、横綱昇進を目の前にして、にとりは大関のまま廃業した。
力士としての、栄光を捨てたのだ。
そして、一般的な河童として発明家をする傍ら、密かに、ただの一介の相撲取りとして相撲を探求し続けていた。
鬼と相撲を取ったこともあった。ゴリアテ人形とも相撲を取ったこともあった。博麗の巫女に相撲で挑み、陰陽玉をぶつけられた事もあった。そうして、様々な荒行を続けたが、にとりは相撲の真理に到達する事は敵わなかった。
そんな時、外の世界から、妖怪の山に神がやって来た。
その神は、最初の相撲を取った建御名方神に連なる神であり、背中に注連縄を背負っているという見るからに横綱といった風格を持つ女神であった。
彼女を一目見たときから、にとりはある考えに取り憑かれる。
――神代の相撲を味わいたい。この神と思う存分相撲を取りたい。
それである。
原初の相撲に触れたなら、相撲とは何かという命題が解けるかも知れぬ。
そう、思ったのだ。
だが、今までは妖怪の山には『神奈子に相撲の事を話す事はまかりならぬ』という空気があった。あの神と相撲を関連付けてはならないという雰囲気があった。
だから、にとりは自重していた。
河城にとりは社会性の高い河童である。同族に迷惑をかけることなど考えられぬ。だから、血の涙を流して、神に取り組みを願い出る事を諦めていた。
だが、今、妖怪の山にかかっていた『神奈子に相撲の話をしてはならないという呪は解けた。
だから、神奈子に相撲の取り組みを願うことをはばかる必要は、何もない。
故に、全ては冒頭に帰結する。
「一つ、私と取り組みをして頂けないでしょうか」
そう懇願する河童を神はジッと見下ろしている。
そうして、しばらくしてから、ようやく神は口を開いた。
「何故ですか?」
神は尋ねる。
「貴方なら、相撲を、相撲とは一体なんであるのかを教えてくれると思ったからです」
言葉に出してみれば、実に滑稽ですらある回答だ。これでは、まるで禅問答ではないか。
だが、それこそがにとりの嘘偽りない気持ちであったので、河童は正直に自身の欲求を神にぶつける。
すると神は、少しだけ困った顔をする。
「ですが、私の相撲は――荒いですよ」
神は、明確な拒絶をしなかった。
ただ、にとりと自身の実力差だけを問題としている。
ならば、にとりにとって、それは問題ですらない。実力差など、最初から分かりきっている。
そして、それでも神奈子と相撲が取りたいのだ。
神奈子と相撲を取りたい。
それだけしか、にとりには考えられない。
「どんな事になろうとも、構いません」
まるで愛しい人を口説き落とすように、にとりは情熱的に言葉を重ねる。
「それに、ヒトの相撲でもない」
「それは、それこそが望むところです。神と相撲を取ってみたい。それこそが、神奈子様に相撲を申し込む理由です」
「貴方に怪我をさせてしまうかもしれない」
「それは、当たり前のことです。それに、私はこの取り組みが叶うなら、どんな事になっても後悔しない」
「けれど、死ぬ事もあるかもしれないし、何よりも私の――」
「どんな代償も私は許容しますし、どんな相撲であっても受け入れます!」
にとりが、神奈子の相撲の全てを受け入れる事を宣言するに至って、神奈子は何処か困ったような、だが、少し嬉しそうな、とても複雑な顔をして――
「分かりました。やりましょう」
八坂神奈子は了承した。
そして、土俵祭りが催される。
神が相撲を取るのである。そうとなれば、草臥れた妖怪相撲の土俵では些か荷が勝ちすぎると、妖怪達は神と河童の大一番のために土俵を新しく作る事にした。
土木建築は山の妖怪達の十八番である。彼女らは、鬼の統率下で一糸乱れぬ土木建築技術を見せ、瞬く間に土俵を組んでいく。
空の俵が運ばれてきて砂利が詰められて、土俵を形作る六十六個の土俵用の俵となる。勝負の場を形作る勝負俵と徳俵、土俵と外界を区切る結界となる角俵とあげ俵、上り下りに使う踏み俵、水桶の下に敷く水桶俵へと、空の俵は生まれ変わった。
そうして俵が作られている間、土俵となる場所には土が盛られた。
幻想郷で最も土俵に適した霧の湖近くの粘土質の土が、天秤棒を担いだ妖怪達によって運ばれてくる。
それを一段一段丁寧に積んでいき、盛り終わると妖怪達は、四角い台形へと丁寧に丁寧に固めていく。
伝統的な土俵作りの道具を使って、一行程、一行程ずつ、彼女らは確りと土俵を形作っていくのだ。
固めて慣らし、削って整え、そしてまた固めて……そう繰り返しながら、柔らかいはずの土は、固い土俵へと生まれ変わる。
そうして作業が行われて、土俵祭りが催されて三日目。
ついに土俵は完成しようとしていた。
後は、鎮め物と呼ばれる供物を土俵に納めれば、この土俵は完成だ。
風祝なのだから祭主をしろと、役目を押し付けられた東風谷早苗が、適当に祝詞を上げる。
「えー、なんか天地は陰陽に別れましてー、良いものは陽で偉く、これが勝利で人生の勝利者という物です。で、濁った感じが陰でして、これが負け犬と名付けましょう。それから色々有りまして省略。兎に角、ここは土俵となりました!」
いい加減だった。
土俵祭りの際に上げられた祝詞は、元は『方屋開口の祝詞』という土俵を作った際に上げられる祝詞なのだが、現代訳され、しかも省略され、とてつもなくいい加減な物に仕上がっていた。
だが、それを聞いて妖怪達は笑っている。
神も、同じように愉しそうだ。
ならば、まあ、良いのだろう。
土俵の真ん中に掘られた穴、其処に、勝ち栗、昆布、洗米、塩、かやの実が半紙に包まれ、酒が注がれる。
注ぐ酒は勿論、大吟醸。
その後、早苗は残った大吟醸を土俵の周りに豪快に撒いて、酒好きの妖怪達に「うおお、勿体無い!」という悲鳴を上げさせた。更に、本当なら脇行司がお神酒として酒を廻すのだけれども、何故か盛大な酒盛りが始まってしまった。
まことに、幻想郷らしい土俵祭り。
人と妖怪と神の距離が近しすぎる場所ならではの、無礼講の祭りだった。
神と妖怪の立場の差異も無礼講なら関係ない。
だから、神と河童が相撲を取る事も、なんら可笑しなところはない。
そんな空気になっていく。
太鼓の音がした。
土俵祭りの終わりを、土俵の完成を告げる音だ。
つまり、ようやく準備は整った。
「やりましょうか」
神奈子が、にとりに声をかける。
「やりましょう」
それに河童は応えた。
土俵が完成して間もないというのに、既に二人の力士には、はち切れんばかりのやる気が漲っている。
この大一番の行司は、洩矢諏訪子が買って出た。
「いやぁ、まさか神奈子の相撲がまた見れるとはね」
気楽な調子で軍配を弄びながら、祟り神は嬉しそうに呟く。
「そんなに凄いんですか?」
土俵下で支度をしていたにとりが、つい尋ねてしまう。
「あれは凄いね。流石は軍神の系譜だよ。鬼のように強い……って、神に鬼って表現も変だけどさ。まあ、すげぇ強かったって事だよ。どう? 怖気づいた?」
「まさか。とても楽しみですよ」
それだけ強いというのなら、相撲の真理に一歩でも近づける。
それが待ち遠しくて、にとりは武者震いをする。
東では、神奈子が準備を着々としていた。
にとりも、それを急ぐ。
一組しか取り組みをしないのだから、土俵入りをしても締まらない。まわしを締めて早々に、神奈子とにとりの取り組みは行われる事となった。
河童は神の方をチラリと見た。
すると、山の神は髪型は、見事な大銀杏へ姿を変えている。いつ髷を結ったのかは不明であるが、それだけ気合を入れているという事だろう。
光栄な事である。
河童は四股を踏み、拍手を打ち、先日の天狗相撲で白星をとった大天狗に力水をつけてもらう。
「かたや、河城やまー河城やまー、こなた、八坂のかわー八坂のかわー」
その間に、行司の洩矢諏訪子が適当な四股名を呼び上げた。
河城山とは、山なのか川なのかよく分からない四股名であるし、八坂の川にした所で、八坂に川とは、少々可笑しな四股名であると言わざる得ない。
だが、土俵に上がってから文句は言えぬ。にとりは諦めながら、力紙にて体を清め、口中に含んだ力水をそれに吐き出す。
邪念を払うように、塩を撒き、塵を切った。
「……始原の相撲。それにぶつかっていけば、きっと相撲の真理が見える。今、考える事はそれだけでいいんだ」
四股を踏みながら、にとりは呟く。
相撲とは何か。その深遠なる問いに答えを見出すべく、思いつめたような顔をして神を見据える。
対して、神奈子はとても落ち着いていた。
その優雅な表情は、とてもこれから相撲を取る者の表情には思えない。それはまるで舞踏会に赴く貴婦人が如き面持ちで、彼女がまわしを締めていなければ、かの神が力士である事など、誰も信じないだろう。
何という目だろうか。
これが、これから相撲を取る者の目か。
全てを飲み込み、受け流すような目に、にとりは飲まれていた。
「にとりー! 気合を入れろー!」
そんな河童の耳朶を、白狼天狗の叱咤が打つ。
視線を彷徨わせると、砂被りにて他の天狗や鬼――射命丸文や姫海棠はたて、それに伊吹萃香が犬走椛と一緒に、にとりを応援していた。
その声で、神に飲まれていたにとりは、ようやく自分を取り戻す。
挑戦者たるもの、胸を借りるつもりで、ただぶつかって行けばいい。
我武者羅の先にしか、きっと相撲の真理はない。
「構えて」
行司の諏訪子が声をかける。
それを受けて、神奈子とにとりは、構えた。
「手をついて」
視線が激突する。片手を下ろす。そして神と河童はごく当たり前のことの様に、片手を下ろし――
全くの同時に立ち上がった。
「ハッケヨイ、残った!」
行司が宣言するように、土俵の中で繰り広げられる二人だけの生存競争は、今、始まった。
立ち上がりにこそ、相撲の全てがあるといっても過言ではない。
にとりは、その立ち上がりは頭から当たると決めていた。全力で、渾身の力を込めて、相手に当たるのが相撲の筋であると考えていたからだ。
だから、その瞬間もただ、全力でぶつかっていった。
だが――
「うわっ!」
身体ごとぶつかっていったにとりは、いとも容易く弾かれた。
それは、神奈子が体の回りを、金色の気流のようなものが覆っていて、『それ』によって、吹き飛ばされてしまったからだ。
『アレはなんでしょう! 解説の紫さん!』
『あれは……間違いないわ! アレこそは横綱闘気≪スモウニックオーラ≫よ! まさか、八坂神奈子の相撲は、それほどの域にあったなんて……』
『す、すもうにっくおーらってなんですか!? 』
それは超一流の相撲取りだけが発する事ができる闘気である。
始祖相撲取りである野見宿禰やそのライバルである当麻蹴速、あるいは伝説の力士である雷電為右衛門や最初の横綱である谷風梶之助等が使用したとされる高濃度の生命エネルギーの奔流であり、その圧倒的相撲力によって通常兵器の殆どを無効化するという、相撲取り最強説を支えた伝説のオーラだった。
それは絶対の矛にして、盾。
横綱闘気を纏った力士は、無敵と同義である。
『そういうことよ!』
『そ、そうなんですか』
そういう事だった。
見事な立ち上がりを見せたはずの河城にとりは、土俵際で呆然としている。横綱闘気など、河童が今まで経験した相撲には無い。
オーラによって立ち上がりを優位に展開するなど、考えてもみなかったことだ。
「土俵際に逃げたのなら、一気に蹴りをつけますよ!」
その上、八坂神奈子は追撃を仕掛けてくる。
距離を取った場合、相撲取りが仕掛けられる技は、そう多くない。
突き倒し、突き出し、押し出し、押し倒しなどの突っ張りを基本とした技を仕掛けるか、あるいは四つに組みに来るか。
どの道、突っ張るか組むかの二択だ。
「必殺、大銀杏ミサイル!」
だが、神の力士は、第三の技を放った。
八坂神奈子の見事な大銀杏から、闘気によって形成されたミサイルが一発、射出された。
そのオーラのミサイルは上空高く舞い上がると、高度百五十メートルの地点に到達し、そこから猛禽類のように急降下して、河童へと飛翔する。
「に、逃げ……」
そして、にとりが居るのは土俵際、逃げ場はない。
ミサイルが着弾し、土俵が爆ぜた。
「にとりー!!」
砂被りで観戦していた犬走椛が絶叫する。
爆発によって生じた粉塵によって視界は悪化し、土俵の上は見渡せず、河城にとりが土俵に残っているのか、それ以前に、生きているのかすら分からない。
一つだけ分かっている事は、両腕を組んで土俵の真ん中で仁王立ちしている八坂神奈子は、十分に余力を残しているという事だけだ。
『か、解説の紫さん。この大銀杏ミサイルとういうのは許されるんですか!?』
そんな土俵の上で起きた大惨事に、実況者が解説の八雲紫に詰め寄っている。
確かに、闘気のミサイルなど、人間のやって来た相撲にも、そしてそれを模して妖怪が行っていた相撲にも、無い文脈だ。
『確かに、普通の相撲なら許されない。けれど、これは神の相撲なのよ』
動揺する実況に対して、解説は厳かに宣言をした。
「そもそも、人間の相撲が形作られたのは、奈良時代に遡る」
そして、解説の言葉を引き継ぐように、土俵上の神は朗々と語り始める。
古代の相撲は、殴る蹴る突くを基本とした生死をかけた闘技であった。
人間同士の最初の相撲である野見宿禰と当麻蹴速の一番など、それが顕著で、野見が蹴速の腰骨を蹴り砕き、それによって死に至らしめる事によって勝敗を決している。
原初の相撲とは、それほどまでに荒々しいものだったのだ。
それを、人が、穏やかなる物へと作り変えた。
天平六年(七三四年)、時の朝廷は勅命を持って各地から相撲人を呼び寄せて、七夕の余興として相撲大会を開催した。この時に、近江国の相撲名人である志賀清林に命じて、殴り、蹴り、突きが中心だった原初の相撲より打撃を抜き取り、投げ、かけ、ひねり、そりを中心とした四十八手を制定した。かくして、何百年と続く宮中行事の天覧相撲は、産声を上げて、現在に続く相撲の元型が形作られた。
以降、天覧相撲、上覧相撲、武家相撲、勧進相撲、奉納相撲と様々な形で相撲は取られ、そこで形成された相撲が、現代に続く相撲文化へと受け継がれていく。
志賀清林が四十八手を制定し、織田信長が土俵を考案し、興行としての相撲が江戸時代に定着し、谷風梶之助と小野川喜三郎によって横綱が生まれ、それを陣幕久五郎が権威化し、それからも様々な力士達が土俵を、相撲を彩ってきた。
「それが、ヒトの相撲」
そして、妖怪の相撲はヒトの相撲を真似たものだ。だから、両者の相撲は、合わせ鏡のように全く同じである。
『けれど、神の相撲は違うのよ』
建御雷神と建御名方神によって行われた相撲は、神の根源たる神力をつき合わせての力比べだった。
建御名方神が建御雷神を投げ飛ばそうとしたところ、かの軍神は、腕を氷の柱や剣刃へと変化させて、建御名方神に腕を掴ませなかった。神の相撲は、本当の意味で何でもありな闘技であったのだ。
だから、神力を行使する事は、神の相撲では当然の事だ。
己の全知全能を以って、相手を叩き潰す。
それが、神代の相撲の本質である。
だからこそ、神奈子は最初に、念を押して聞いたのだ。
自分と相撲を取ることに対して、『それでいいのか』と、念を押した。それは、神奈子なりの思いやりだった。
「その結果が、これなのか……」
神代の相撲についての解説を聞きながら、椛は呆然と土俵の上を見つめている。相撲の真理を手に入れるため、無謀な取り組みを挑んだ挙句、大銀杏ミサイル等という巫山戯た技で、やられてしまう。
そもそも神代の相撲であるはずが、何で技名に英語が入っているのか。
こんな結末の為に、河童は神に挑んだのか。
白狼天狗が呆然と土俵を見ていると、ふと、風が吹いた。
大銀杏ミサイルによって舞い上がっていた噴煙が、風によって消える。
すると椛は、抉れた土俵の隅っこで倒れている河城にとりを見つけた。
「に、にとり!」
大銀杏ミサイルによって、だいぶ全身が焦げてしまっているが、それは間違いなく五体満足の河城にとりだった。
土俵の下から、椛は千里眼で見る。胸が僅かに上下していた。ちゃんと、生きている。
「い、生きてたか……!」
慌てて、白狼天狗は河童を介抱しに行こうとする。
だが――
「ちょっと待った。まだ取り組みは終わってないよ」
それを行司の洩矢諏訪子に止められた。
一瞬、椛は言葉を失う。
あれほどの大惨事が起きたというのに、この祟り神は何を言っているのだろうか。早く、河童の怪我の具合を見てやらねば大変だろう。それに、そもそも河城山は倒れ付している。だから、土が付いて、この勝負は神奈子の勝ちだろう。
そうした事を、椛は捲くし立てようとした。
だが、それを諏訪子は止める。
「土俵から出れば負け。足の裏以外に土が付けば負け。そうした事は、ヒトが決めた事であり、妖怪が倣う事である。私達、神が従う理由は無い」
「な、なんだって。それじゃあ……」
「どうやって、決着を付けるのかって? それは簡単だ。相手を完全に負かすまで神の相撲が終わる事は無い。それが、神代に決められた唯一のルールだ。それにさ、あの河伯の子。まだ、やれるよ」
諏訪子は愉しげに土俵を見る。
地面に倒れ付したまま、河城にとりは混乱していた。
今までにない相撲を前に、どう行動していいのか分からなくなっていた。相撲の真理を掴もうと、神代の相撲に挑んでみたが、相撲の根本すら分からなくなってしまった。
相撲に、ミサイルが許される。
その事実に、にとりは愕然とするしかない。
「そうして、ただ、座して黒星を待つのですか? ならば、このホーミングまわしレーザーによって、望みどおりに土を付けてあげましょう」
対して、山の神は絶好調であるらしい。
神奈子の紫のまわしが、妖しく光る。
まわしから放出される横綱闘気の誘導弾によって、神は河童に止めを刺そうとしていた。
このままでは、にとりは何も出来ないまま、負けてしまうだろう。
そうして、にとりの心が折れかけている時、マイクのハウリングが鳴り響き、実況に新しい声が混ざる。
『あのさ、紫』
『ちょっと、萃香! 今は実況中よ!』
『ああ、それは知っているよ。それよりも、見てて聞きたい事があるんだけど』
『全くもう。本当に自己中なんだから。分かったわ、答えるから、答え終わったらあっちに行ってね』
『あいあい。んで、聞きたいんだけどね』
『なに?』
『この相撲って、弾幕ごっことどう違うの?』
その時、実況を聞いていたにとりに電流が走る。
確かに、そうだ。
相撲という先入観があったため気が付かなかったが、確かに八坂神奈子の相撲は、神の相撲は、弾幕ごっことよく似ている。
神の力を用いての力試し。
これは、弾幕の美しさという点は無いけれど、幻想郷で最も親しまれている遊びである弾幕ごっこ、そのものではないか。
同じ、なのか。
何でもありの弾幕ごっこと、相撲が同じ。
それはつまり、相撲は全てを受け入れるという事である。
そこに、答えがあった。
にとりは、気が付く。
相撲とは――全てだ。
世界の中に相撲があるのではなく、相撲の中に世界がある。
この世を構成する物質の全てに、相撲は常に内在している。
つまり、相撲は全てで、全てが相撲なのだ。
弾幕ごっこと相撲が似ているのも当然だ。
弾幕ごっこは、相撲なのだから。
だから、世界中の人々はすべからく力士であり、共に相撲を取る仲間達だ。モンゴル相撲も、クシュティも、トルコレスリングも、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンも全て相撲の仲間達である。
そして、それは幻想郷も変わりはない。弾幕ごっこが相撲であるなら、この幻想郷は、力士達が舞い踊りながら取り組みをするアフガン航空相撲が如き世界だ。空飛ぶ相撲取りの楽園こそが、幻想郷の真実である。
万物の根源に相撲有り。
それより全ては生まれん。
それこそが、相撲の真理であり、この世界の解答なり。
真理を得た河童は、相撲の赴くままに神へと立ち向かう。
「相撲が私なんじゃない! 私が、私こそが相撲だ!」
――その時、にとりは確りと真理を掴んだ。
傍から聞いていれば発狂したとも受け取られない事を叫びながら、にとりは闘気を迸らせる。それは、見紛う事なき超一流の相撲取りだけが持つことの許されるオーラ、横綱闘気≪スモウニックオーラ≫である。
それは、つまり――河城にとりは、横綱として覚醒したという事だ。
そして、相撲の真理を手に入れて覚醒したにとりは、ホーミングまわしレーザーを放とうとしている神奈子を睨み据えた。
河童の横綱闘気が荒ぶっている。
「なかなかいい感じに仕上がりましたね。だが、覚醒してばかりの横綱が、神代からの横綱である私に抗する事ができるかしら!」
「それは関係ないね! そもそも横綱とは――相撲の真理を理解した者だ。そこに新参、古参は関係ない!」
「面白い。ならば、その身で確かめてくれよう!」
光は、放たれた。
まわしによって位相を揃えられた横綱闘気は、誘導レーザーとなって、不可思議な軌道を描きながら河城にとりへと着弾する。
「――横綱闘気全開!」
その刹那、河城にとりの横綱闘気は気高く燃え上がる。
まばゆい閃光が土俵を包み、砂被りで見ていた観客達は目を覆った。
『うおっ! 凄い! 耐えたよ、あいつ!』
そして、いの一番に土俵を確認した萃香が、そこに広がっている光景を見て、声を上げる。
にとりは、無傷だ。
全てを貫く矛である横綱闘気といえども、同じ横綱闘気を貫く事は出来なかった。究極のオーラと至高のオーラ。その二つがぶつかり合い対消滅を起こし、八坂神奈子の攻撃を見事に防いだのだ。
更に攻撃を止めただけに留まらず、にとりは反撃に転じる。
「来い! マイバックパ――ック!」
そう叫んでにとりが指を鳴らすと、何処からともなく河城にとり愛用のバックパックが飛んでくる。
それをにとりは装着した。
「行け! のびーる張り手!」
にとりは、バックパックよりのびーるアームを伸ばし、それに闘気を伝わらせた。そして、それを張り手の形として、土俵にて仁王立ちをしている神へと叩き込む。
横綱闘気によって、神はにとりの攻撃を防いでいる。
横綱闘気の攻撃も、同じ横綱闘気がぶつかれば、対消滅をして届かない。
だが、横綱闘気を伝わらせたのびーるアームを叩き込めば、神奈子にも攻撃が命中するのではないか。
そう、にとりは考えたのだ。
「くぅッ!」
神奈子に攻撃が命中し、その答えは、出た。
横綱闘気の激烈な負荷によって、命中と同時にのびーるアームは崩壊してしまったが、確かににとりの攻撃は、通った。
「まさか、これほどとは――素晴らしいわ」
そして、傷を負わされた神は、感嘆の表情を浮かべている。
神代が終わり、古代となって、神々は散り散りとなり、神代の相撲を取る事がなくなって幾星霜。神は、ずっと本気で相撲を取った事はなかった。
神と相撲を取ろうとする輩など居なかった。居ても大して実力もない輩で、神奈子の力士としての魂が満たされた事は無かった。
だが、今、神奈子は極めて強力な相撲取りを前にしている。
一つ間違えれば、黒星を付けるかもしれないという緊張感。それは、なんとも懐かしい。
「……困りましたね。本気になってしまいそうです」
否、もう本気になっている。
神代の相撲において、神奈子自身が禁じ手として封印していた技を、使おうとしているのだから。
神代相撲の究極奥義を――
「あ、あれは、横綱デスボール!」
それを見ていた諏訪子が声を上げた。
「な、なんですか。そのモンゴリアンデスワームみたいな名前は」
椛が問う。
「あれは、神奈子が使う最強の決まり手……いや、禁じ手だ! あんなものを使われたら、この会場ごと吹き飛ぶぞ!」
横綱デスボール。
それは、神奈子の持つ全ての横綱闘気を一点に集め、ただ叩きつけるという単純な技である。
だが、八坂神奈子の相撲闘気は王貞治のホームラン五百本分に匹敵し、それを受ければ、如何に横綱に覚醒したにとりでも、ただでは済むまい。いや、にとりどころか、この土俵全部が吹き飛びかねない絶体絶命の危機ではある。
だからこそ、これは勝機であった。
『最も無防備な瞬間とは、大技を仕掛ける時である』
これは相撲通でも知られているドイツの詩人、ゲーテの言葉だ。
その格言に従えば、横綱デスボールを放つ瞬間にこそが、神奈子に土を付ける唯一の機会だ。あれほどの横綱闘気を一点に集中させていれば、守りが疎かになっているのは明白だろう。
そこを付けば、河城にとりは大金星を拾える。
その為の決まり手も、既に決めている。
横綱闘気を高め、己の体に凝縮させ――待つ。
「喰らいなさい! 横綱デスボール!」
神の禁じ手は放たれた。
圧倒的な横綱闘気を圧縮した結果、漆黒となった禍々しいオーラの塊は、世界の全てを破壊しようとしている。
その刹那、にとりは「どすこいっ!」と叫ぶと、横綱闘気を纏ったまま、神へと頭から突っ込んでいった。
それは、百烈張り手に並んで、世界で最も高名な相撲の決まり手、スーパー頭突きだ。電脳世界で活躍する力士『エドモンド本田』が考案した、水平に飛んで頭突きをして、相手を土俵から突き出すというアクロバティックな決まり手である。
横綱デスボールとスーパー頭突き、その二つが激突し――二つの強大な横綱闘気の激突によって、全てが吹き飛ばされる。
そして、百年の時が過ぎた。
百年の年月が経っても幻想郷が早々変わる事はない。
空を見上げれば少女達が弾幕ごっこに興じ、底抜けに青い空に多彩な弾幕で彩を与えている。
百年前に比べて、少しだけテクノロジーレベルが発達し、外とは違う形で科学の恩恵を受け始めているけれど、普段の生活は今でも大して変わりは無い。
唯一つ、大きく変わった点と言えば、相撲がそれなりの隆盛を誇っているくらいだろうか。
今までは、天狗や河童の相撲愛好家が細々と取っていただけであったが、今では幾つかの相撲部屋が誕生し、きちんとした興行として成り立つまでになった。
博麗の巫女が代々の親方を務める博麗部屋。霧の湖畔にて、妖精を力士として養成しているスカーレット部屋。人間の里にて、勧進相撲を主催する命蓮部屋。地獄の妖怪を力士として地上に送り出す星熊部屋。更に幻想郷における相撲のメッカである妖怪の山には、多数の相撲部屋が存在し、幻想郷の角界を盛り上げている。
そんな妖怪の山の相撲部屋の一つに、河城山部屋という物がある。
そこの親方である河城にとりは、百年前、神代の相撲を知るものである八坂神奈子に勝負を挑み、横綱へと覚醒した伝説の力人であった。
勝敗こそは、にとりの黒星で終わってしまったが、かの一番があったからこそ、現在の幻想郷における相撲隆盛があると言っても過言ではないだろう。
勝った負けたを超越したところに、あの取り組みはあったのだ。
あの取り組みを見て、妖怪たちは再び相撲に魅せられた。
幻想郷に相撲ブームが吹き荒れた事もあった。
そうした中、にとりは対戦相手だった八坂神奈子と協力し、幻想郷に相撲を根付かせたのだ。
そんな彼女は本日も、後進の稽古をつけるべく稽古場に足を運んでいた。すると、稽古まわしを身につけた小柄な河童が真剣な眼差しで、にとりを見ている。
「どうしたんだい?」
気安い調子で、にとりが声をかける。
すると、弟子の河童はしばらく逡巡してから、こう言った。
「――親方。相撲とは、なんでしょうか」
まるで、過去のにとりのような事を、そいつは言った。
それを聞いて、にとりは、何処か懐かしい物を見るような顔をして、それから破顔する。
歴史は、繰り返される。
思いは、受け継がれる。
だから、相撲は永遠である。
にとりは弟子にこう言った。
「言葉で説明すると間違ってしまうかもしれないな。だから、どうだい? 一つ、私と取り組みをしてみないか?」
相撲の新しい夜明けが、すぐそこまで迫っていた。
了
やがてシリアスな笑いだと気付いて、ホーミングまわしレーザーで撃墜された
横綱大社長を思い出しました。
ところで、下半身がまわしと言うのは判りましたが
上半身はどうなっているのでしょう?
建御名方神と河童のあわせ技を全力投球された気分です
後半そのままだったらなー
ホーミングまわしレーザーで土につかされてしまいました。
後半でまさか民明書房あるいはゆで漫画あるいはひだんちゃん的バカギャグ一丁、シリアス餡をかけてになるとは。
神奈子様素敵。
諸々の雑学含めて読んでて楽しかったです
前半のまま進んでくれれば会社で噴き出すこともなかったのに!!
台風的なチョップなどを繰り出したら私の腹は疲労困憊になっていただろう。
ととねみぎさんの早苗さんとにとりんが相撲をする同人誌を思い出したのは俺だけでいい。
あと
>背中に注連縄を背負っているという見るからに横綱といった風格を持つ女神であった
向きを考えるとむしろ縦縄…いえ、なんでもありません
にとりの最後のセリフにしびれました。
この言葉の意味を、我々に教えてくれる快作だった。
SUMOUパワーにはまいったな!
ラストシーンのにとりも何だか素敵。
いやあ、SUMOUっていいものですね!
前半のシリアスっぷりも締まってて良い文章だったと思うし、後半のはっちゃけぶりもギャプが大きくてよく笑えましたw
SUMOUだと思ったらTOUHOUだった。
シリアスだと思ったら笑いだった。
地の文の、神代の時代なのに横文字〜などのツッコミも冴えてた