五日後が私の誕生日で、その三日後が弟の二回目の誕生日で、そして今日、さっき弟が死んだ。一ヶ月も前から一日中ずっと泣きっぱなしだった弟は、座っている私の後ろで、親戚の人たちに囲まれながらびっくりするくらい青くなって、もう声も出していない。最初は泣き疲れて寝たんだと想ったのだけれど、私もあやすのに疲れて外の井戸で水を飲んで、また戻ってきたらお父さんにすごく怒られて、弟は死んでいた。流行病だった。
お父さんにもお母さんにもおばあちゃんにも、すごく怒られた。なんでずっと見ていなかったんだ、って。なんで死なせたんだ、って。私は一日中怒られた。今まで泣きっぱなしで、みんなから嫌がられた弟は、静かになったらすぐにまたみんなから好かれるようになった。もう動かないのに、息もしていないのに。お腹も空いているし、息もしている私は嫌がられているから、私も死ねばみんなから好かれるようになるんだろうか。
三日前にお医者様に弟を連れていったとき、私もついでに診てもらった。弟と同じ流行病だって言われた。もうすぐ私も死ぬのだろうか。そうだと分かった今のところ、私を心配してくれる人は誰もいなかった。弟が羨ましかった。
――――青娥娘々曰く。肉体が死して硬直が起こる直前の死体が一番キョンシーに成りやすく、また処置や手間も少なくて済むので、キョンシーが欲しい、キョンシーを従えたい等の望みがある者はすぐさま医者に化けることを強く勧める。医者になりすますことで死に際の人間に困ること非ず、さらに上々に事が運び、時期をみて自らが生者に手を掛けることで硬直が起こる直前という通常では稀有な状況に辿り着ける。その後、キョンシー作成の手筈を整え、硬直が死体の隅々まで行き渡れば、精神の支えである三魂は天に消え術者に忠実な七魄のみを残したキョンシーが出来上がること時を割かず。手広く老若男女のキョンシーを手掛けてきた者として、医者という職業は死と隣り合わせ故に死体に事欠かぬことこの上無し。是非ともそちらにて豪儀なキョンシーを手に入れ、素晴らしく奇妙でまるで飽くことのない生涯を謳歌して貰いたい。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
しかして、青娥娘々はキョンシーを手に入れる為にわざわざ医者になりすますなどという愚かなことは決してしない。あれは嘘である。自らで考えもしない、易々と人の口車に乗るような楽をして欲しいものを手に入れようなどとぬかす横着で愚鈍で粗忽な者を靡かせる為の、所謂方便である。そもそも医者に連れてくるような人間をキョンシーにしようという考え自体がまるで違っている。キョンシーは死体が残る。故に死後、誰からも関心をひかれないような死体が一番後々の面倒が無いのに、どうして生かしてもらう為に医者に来るような、誰かから関心を得ている人間をキョンシーに出来ようか。死体が失せたことはすぐに発覚し、騙し暴かれたという屈辱を受けるであろう遺族に見つかれば最後、逆に自らが無残な死体になりかねないのだ。
それは前述のとおりの阿呆どもにはお似合いではあるが、こと青娥娘々にはまったく似つかわしくない。まるで月に延びる優雅な薄雲と月光を邪魔する場違いな松の枝のような差である。月を望む者にとって、どちらが風光明媚であるかなど一目瞭然、比較することすら馬鹿馬鹿しく、荘厳な情景を貶める輩は死して在るべきと、青娥娘々は想うのである。
「……南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
「ううっ」
「まだ死ぬのような歳じゃなかろうに……」
「人間あっけないものだな」
後ろの方で、死者のことを嘆く言葉が続いている。口々に悲しいだとか寂しいだとか、最前列に座っている者など涙をボロボロとこぼしながら、この世の終わりのように、まるで世捨て人めいた放埒な泣き方をしていて、いっそお前も死んでみたらどうかと想わずにはいられない。どうせ生者に死者の気持ちなど分からぬし、その逆も然りであるから、これは本人にとってはもしかしたら幸運なことかもしれぬのだし、そうやって泣きじゃくるのは間違いではなかろうか。流行病で手を離した箸のようにばたばたと人が倒れるこんな世の中である。本人は楽になっただろうし、いまさらお前らが死んだところでこの世が変わるわけではないのだから。
それでも、青娥娘々は念仏を唱える。死者を仏へと帰依させる言の葉とは裏腹に、想いつくのは生きている者をなじる想いばかりであった。どうしてそんなにも涙をこぼせるのか、どうして死者を哀れに想うのか。数百年前から理解出来ぬことではあったが、青娥娘々はここ数日、より一層首を傾げるようになっていた。それは、念仏を唱えているときでさえ、葬式が終わり包んでもらった布施を勘定しているときでさえ、意識している思慮のさらに奥の方で、常に残り滓のように引っかかっていたのである。きっと尼僧など似合わぬことをしているという自戒が、たまたま精神の上辺を漂っていた疑問を釣り上げてしまったのだろうと、果たして青娥娘々は取り留めて気にしてはいなかったのだが。
式の最後の会席で、なるほどこの葬儀をつぶさに現したかのように薄暗い表情の喪主が、上座でちびちびやっていた青娥娘々に膝のみで擦り寄ってきた。死者への哀れみを誰もが口にする景色を、ほとんど上の空で眺めていた青娥娘々であったから、もしやあらぬことを考えていたのを気取られてしまったのかと、少しばかり顔が引きつった。
「尼様、もうそろそろ日も傾きます故、ここらで終いにしたいのですが」
「ああ、時を忘れて亡き奥方様のことを想い耽っておりました。誠に惜しいことで、どうか御仏の元へ赴かれるように、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
つまりはさっさと生者の手の届かぬところへ行ってしまえ、ということである。しかして喪主は、
「この度はご足労頂きましてありがとうございました。妻も、きっと喜んでいることと想います。それで、こちら、お布施、なのでございますが」
喪主はさらに暗い顔をして包まれた金子を、侘びしそうに差し出した。喪主の表情とこの屋敷の間取り、それと会席での料理を鑑みて、刹那のうちに青娥娘々は中身を予想し、その上で静々とした指先で包みへと触れる。まあ、こんなものだろうと、妥協する。
貰うものを貰い、喪中の屋敷を脱出し、青娥娘々は憑き物が落ちたかのように大きな溜息をついた。やはりまだ慣れない、と、憂鬱な線香の匂いがこびり付く袈裟を放り、そのまま煙のように姿を消した。
まだ封がされてある、数枚の布施の上に先ほど頂戴した今日の分を、やはり喪主に渡されたままの状態で乱暴に、投げる。
書机の上はどこからか盗んできたのであろう芯棒の無い破かれた巻物や、書の数頁のみを裂いてきたような資料が散乱し、さらに余白の部分には細かくも小汚い字で走り書きがびっしりとされてある。それらが幾重にも積層され、さながら屑の山にも見えた。書机が抱えきれずに畳まで侵している書類はしかし、さる名高い仙人や法師、人界あらざることを探究しているならず者どもが書き記した、そちらの道を往く者にとっては垂涎の研究書であった。往年の見る影なく、点々と墨やなにかの染みがこびりついて黴が生え、汚らしい、されど野望への強かさが咽るほど濃い書類は、いまや青娥娘々の知識の奴隷として、この隠れ家で唯一の同居人と成り果てていた。他に生活感は皆無の、粗末な木造であった。
土間には異臭を放つ実験跡が残っていたので、青娥娘々は散った書類を足で追いやってその上で着替える。脱ぎ捨てた衣服は埃を巻き上げる。半裸にしか見えないような容姿で、そのまま畳の上に倒れ込んだ。黴の匂いなど、とうの昔に分からなくなっていた。
不遜と言えども霊験な仙人として生まれ変わったあの日から、成長も老いも、寝食さえ必要なくなった身体である。しかし、形容のみではあるが寝入る行為だけは毎日欠かさず準じてきた。睡眠はせずとも、その日起こったことを整理するには必要不可欠だったのである。
今日、青娥娘々が尼僧の姿をしていたのはもちろん仏門に下ったからではない。キョンシーという、正確無比なる従順な下僕を作る為である。前述した折に、医者になりすますのはキョンシー取得には明るくないとあったが、ならばどういった者になりきればより好条件の状況へと至れるのか。青娥娘々は阿呆どもとは違い、自らの頭で考えた。
人の死が間近に存在している職業は限られてくるので、選定は問題ではない。効率と死体の鮮度、それとやはり、キョンシー化の処置をした後が煩わしくないよう、死体の生前の人間関係が一等大切である。極論で言えば生きていても死んでいても、誰の関心も惹かない人物が良いのだ。
生死問わずの天涯孤独。それに見合う死体探しに骨が折れるというのは、笑い話にならない。
青娥娘々が選んだのは尼僧という職業であった。仏門を真似るというのは別に苦ではないし、むしろ道教に即する自分が私欲の為に仏の道を汚すのであるから、爽快としたものである。それらは些細なことで、肝要たる死体探しに尼僧は至極適当な職業だった。目的に対する報奨としてこの件であれば天職と言っても過言ではない。そう、青娥娘々は自負している。布施も貰える。だが、
「ああ。性に合わない」
これに尽きた。
まるで自らの性格に合ってないし、遺族どもの冴えない顔と向かい合うのは、げに鬱陶しきことで、全く以て面白きことではなかった。辟易として気が滅入る。焼香の匂いは鼻につくし、すすり泣く声が耳障りでならない。先日など、子供が亡くなったとかで赴いてみれば、その母親に泣かれてしまいあまりにも煩くて危うく張り倒しそうになった。尼僧の真似事などを始めてみれば、まったく碌な事がない。青娥娘々は疲れていた。湯浴みさえ面倒だと想い、下着を替えることも化粧を落とすことも儘ならぬ気怠さだった。
その上こうして日々面白くもない仕事に従事しているというのに、キョンシーとするのに条件を満たした死体が一向に見つからない。医者よりも向いているのではなかったのか、と、青娥娘々は自問する。きっとこの流行病のせいだろう。好条件の者もそうでない者も、等しくとにかく死んでゆく。連日の葬式に出向いたとしても、探すこちらの手数が圧倒的に少なすぎるから、良い死体に巡り逢えないのである。
生きているものが死体になれば、早晩、ほとんどが葬儀を行う。それならば話は簡単で、尼僧のふりをしつつ布施を貰い、良い死体を選り好みすればいい。その中でも人から関心を持たれない、嫌われている人物の葬儀というのは往々にして目立つものである。まず遺族が泣かない。むしろ清々した顔をする。次に、死体の鮮度が良好。さっさと葬式をあげて二度と想い出したくないらしいので、死んでからすぐの死体が多い。そういった死体をかすめ取る。良きこと尽くめなのである。
それなのにだ。
「これなら、自分で殺しにゆく方が幾らかましだわ」
だが、それだけはしたくない。
その後、青娥娘々はもはやどうでもよくなって下着さえ脱いでしまい、全裸で書物の海へと身を投げ出した。明日も葬儀があるが、早朝に準備すれば済むと想うようにした。
四日後が私の誕生日の今日、弟のお葬式をした。一年に一度しか逢わない山向こうの叔母さんや、いつもはお酒臭いとなり村の叔父さんも、私の家の親戚の人たちがたくさん集まって、今日はみんな静かに弟にお別れをしたらしい。私もお別れをしたかったけど、だめだって言われて、ずっと納屋に閉じ込められていた。やっぱり弟を見てなかったのがいけなかったんだろうか。朝ごはんも貰えなかった。
お腹が空いて横になっていると、従姉妹のお姉ちゃんが納屋の戸を開けてくれた。出してくれるのって想ったけど、私を笑いに来ただけみたいで、逃げようとした私はお腹を蹴られた。味わったこともない、なんだか酸っぱいものが喉の奥からこみ上げてきて、指先も動かせないくらい苦しくなった。
お姉ちゃんは、あんたなんかこの家に来なきゃよかったのにって私を踏みつける。私はなにも言えない。お姉ちゃんは間違ったことは言ってない。苦しくて、悲しくて、痛くて。固く丸まって痛くなくなるまでじっとしていた。
だんだんと痛みがなくなってきて、気づいたら夕方だった。お姉ちゃんはいつの間にかいなくなっていた。すごくお腹が空いて、私は納屋の戸にしがみついた。隙間から外を覗くと、橙色の庭先に綺麗なお坊さんが居た。女のお坊さんで、その人が歩く庭はいつもと違う、不思議なんだけど、始めて見るような別の世界みたいだった。見慣れた庭なのに、私が住んでいる家なのに、ここじゃない、どこか遠くの場所を私は覗いていた。
その人は離れた場所に居たのだけれど、納屋の中の私に気づいているみたいだった。私と目があって、ちょっとびっくりして、でもすぐに笑いかけてくれたからだ。生まれて始めて、私は感動した。私に笑顔をくれたのはその人が一番最初で、すごく素敵なものを貰った気がした。あの人なら私を見てくれる。あの人なら私を包んでくれる。あの人なら、私が死んでもきっと、あの人なら……。
――――青娥娘々曰く。家族というのは須らく愛が満ちる温かいものであってほしく、かつ優しさという甘さだけではない洗練された厳しさを伴って家族全員の幸せを希求するものであり、さらにその周囲の他の家族への配慮と充足は戒めとしても模範としても最大限、最大級に発揮され、たとえ血の繋がりがあらずとも家族という括りに縛られることなく博愛の精神で以てしてこれを補完、拡張させる恒久的存在であるべきとする。慎むような愛など愛に非ず。それは愛に似た別のなにかであって、意識的に捻じ曲げられたただの自己表現に過ぎない。愛は、それを発信する自らの為に存在するのではないのであるからして。
なるほど家族は血の繋がり故に強固で実直な絆がありそうではある。血縁というものは本人が拒んだとしてもその意思が尊重されるはずがなく、精神よりも肉体の方に食い込む楔のようなものである故に意識よりももっと物理的な強かさを持った、所謂、呪いである。呪いは、どんなものよりも頑固で、意固地で、故に強い。しかして家族とは果たして本当に血の繋がりだけであろうか。
答えは否で、同じ家に住む者なら血縁者でなかろうとだいたいは家族と捉えるべきである。伴侶という非血縁者がいるからこそ家族は増えるのだし、新しき血が交わることで新たな愛も生まれるというもの。そうでなければ必ずや閉鎖的に狭くなって、誰もが認めるところの家族とは呼べなくなるであろう。皮肉というか真理というか、家族以外を迎えることで家族は育まれるのである。
そして時に、それらは想いがけず利己的になる。良くも悪くも。その瞬間、愛は愛でなくなる。たとえ家族と呼べるものだとしても。
と、いうようなことを、青娥娘々は今日の葬儀にて説法として披露した。我ながら反吐が出るほどの押し付けがましい愛の贋造である。これを先だって、早朝の四半刻だけを要して揃えてしまったのだから、さながら道化のようで、こんなものを有難がる者なんぞはいっそ死ねば良いと、青娥娘々は想うのである。
「ありがたや、ありがたや」
「ありがたい説法だった、本当に」
「なんまんだぶなんまんだぶ……」
いっそ殺してやろうか、とは、言わずに。
「尼様、今日はありがとうございました。幼い息子も、尼様の経文と御説法でさぞや安らいでいることでしょうや」
その息子が死んだというのに、あまりにも節操の無い、穏やかで間の抜けた顔の喪主だったので、青娥娘々はついぞ喋ることはなかった。ひとたび口を開いてしまったが最後、止めどないほどの罵詈雑言が血潮のように溢れ出て、阿呆どもに自らが阿呆だと気づかせる前に青娥娘々の方が卒倒しそうだったからである。こちらもゆっくり、上辺を繕って見た目麗しき厳粛な尼僧を演出する。もはやこうなったら意地であった。
すると、葬儀の終わりごろになって、ついに吐き気を催すようになった。めそめそめそめそと、こちらが経を唱えている後ろで必要以上に泣きたがるし、いざ納棺となれば息子の死体に縋って、見るもおぞましき醜さで自分は悲しいのだと主張する。しかもこやつら、まるで競うかのように泣く。さぞや生前の息子はかわいがられたのであろう、そしてその息子を独占出来れば家内で優位に立てたのであろう。必死に、搾り出すようにして泣く。一番悲しそうに泣くことで、生前の息子は自分に一番懐いていたと、言葉少なに言い張るのである。一握りの優越感を得んが為に、噎び泣く。鳥肌が立つほど滑稽で、それが青娥娘々の臓腑を刺激し、中身も入っていない胃腸を逆流させ、もう少しでさらけ出すところだった。
厳粛さを装っていたのが裏目に出て、厠を借りたいなどと口が裂けても言えない青娥娘々は、必死で我慢した。その間も遺族どもは青娥娘々を追い込み、寸前というところで夕暮れに染まる庭へと脱出。間一髪、苦いものを飲み込んでなんとか耐え切った。
難を逃れたのは良いものの、こんなことを続けていたらいつか取り返しの付かないことになってしまいそうで、青娥娘々は人知れず恐れ慄いた。彼奴らに日頃溜まる悪言が暴発するならまだいい。それはそれで清々していっそ気分がいいだろう。勢いに任せて葬儀をめちゃくちゃにしてやるのでも構わない。危惧するのは、このままこうやって尼僧の真似事をし続けて、そのうちに阿呆どもの心無い妄念によって精神を病み、そしていつしか自らも彼奴らと同等かそれ以下の存在になってしまわないかということである。穢れが清くなるのは難しいが、美しいものが汚れるのは簡単だと、突如として恐ろしくなったのだ。
所詮は凡人と仙人であるから、身体の作りも強靭さも比較にはならない。しかして精神の深い部分や考え方に至っては、高次であるとは言え似ているところは多いし、俗に言う魂と呼べるものと魄と呼べるものではさほど違いが無い。そここそにつけ入れられる隙があるのだと、青娥娘々は自らの不甲斐なさを口元に残る苦味と共に噛み締める。仙人は神ではない。様々、限界が存在する。こんなもの必要ないのに。
袈裟の裏で握る掌に血が滲む。されど顔には出さずして冷静を装う。
心根を蝕む、焦燥感という名の恵まれぬ日々。それを誰にも悟らせず、さらに巡る日々。
足底から脳天に届く不快感。軽く、目眩がした。
そのうちに、妙な気配に気づいて、青娥娘々は庭から屋敷の門へと視線を移した。未だ誘う吐き気を押し退けて、気配の元を探ろうと腹の中に力を込める。どうやら門からではない。門よりも遠く、玄関前を過ぎて石畳の向こう側、煤汚れた納屋がある。
あれは、と、足を踏み出した途端、声を掛けられた。
「納屋に、なにかご用ですかな」
声の主は屋敷の主人の母親。年老いて杖をついてはいるが、妙に肌の艶だけは精気に満ちてしまって、ちぐはぐな、当て嵌まらないような印象の嫗であった。その表情は一見して青娥娘々の青い顔色を心配しているふうな憂えるものであったが、しかして視線はあの納屋に繋がっており、やはり調和がとれていない。見せかけなのである。
それがあってすぐに、青娥娘々は決めつけた。こやつは敵である。敵意など無くとも、必ずやいつか我が道を阻む、敵であると。
「いえ、ちょっとあの納屋にどなたかいらっしゃるのかなと、感じたものでして」
このような輩には真っ正直に言ってやるのが一番の威嚇となる。それでいて、こちらの警戒を撹乱することも出来る。
嫗は、未だ視線を寄越さずして、こくり、と、さも重々しく頷いてみせた。
「あすこにはもうひとりの孫がおるのです。死んだ子の姉でして、あれもまた、流行病にかかっております。だから、ああして誰も近づかぬよう、囲っているのです」
青娥娘々は目を細め、納屋の戸を凝視する。どうやら本当に娘がひとり居るようで、この嫗もまた、食えぬ者らしい。
「尼様もお近づきになられぬよう、お気をつけくださいませね」
「それはまた大変ではございませんか。お医者様には行かれたのですか」
尼僧を演ずる上で、慈しみの言葉を常に忘れてはならない。なるべくゆっくりと、顔を合わせはするが目ではなく鼻の頭を見つめて話すのが秘訣である。弱っている相手の場合、直に目を合わせてしまうと逆に萎縮したり、貶されていると勘違いされてしまうこともあるからだ。この嫗は相変わらず視線を合わせようとせぬが。
老獪な嫗は、溜息をして、
「あれがお医者嫌いでしてな。非道く嫌がってどうしても行きたくないと、申しております」
「ですがそれではご病気で手遅れに」
「ええ、ええ。分かっておりますとも」
嘆くように、悲痛を我慢するかのように、嫗は青娥娘々へと申し出る。
「きっとあの娘は自分がもう長くないと知っているのでしょう。だから最後は誰にも迷惑にならず、ひとりあすこに入ることにもなんの文句も言わずに、静かに過ごしたいというのでしょう。そんなことを考えると、かわいそうでかわいそうで……」
またこれである。この屋敷の者は全部が全部こんな嘆くことしか能のない、世迷いめいた鬱陶しい奴らばかりなのかと、青娥娘々は真実想い始めていた。そも、人間など悲観的な生き物であるがこやつらの泣き言には底がない。ほとほとたくさんになる。
この嫗は目から涙を流してはいないが、それでも十二分に青娥娘々の臓腑を刺激する。また胃液が込み上がってくる。
「尼様、あの娘が事切れた際にはありがたいお経を上げていただけますかな。わしら何も出来ぬ家族からのせめてもの償いとして」
お願いします、と、嫗は丁重に頭を下げてきた。しかして青娥娘々はすでに疲労困憊で、もはや経文も見たくはない。気持ちも悪い。もう頭ごなしに突っぱねてしまい、嫗の困り顔を手土産にして隠れ家に帰ろうと、投げやりな想いが膨れ上がってくる。
断る、と、言いかけたときである。嫗のすぐ後ろに背の高い、細面で陰険そうな顔つきの娘が佇んでいた。こんな低俗そうな者にも気づかなくなっているのかと、辟易してくる。
「お婆、言われたことしてきたよ。だからさ」
なんとも、ちぢれた糸のような掠れた声であった。あまり器量良しとは、言えない。
お婆とはこの嫗のことだろうか。そう呼ばれた割には、無表情で、無言で後ろの娘へと振り返る。
「分かったから、あとにしな」
「なんだよあいつ、まだ元気でさ。逃げようとしたから蹴っ飛ばしてやったよ」
そう言って、おなごらしからぬ仕草で、これまたおなごとは想えない大きな足を振り上げる。稀に見る下品な娘であった。これでは嫁の送り先など見つかりそうにないと、青娥娘々は無碍に顔をしかめる。
嫗はさっさと行けとばかりに娘を屋敷方向へと押しやった。
「犬の、ことでございますかね」
青娥娘々がそう放り投げてやると嫗は慌ててこちらへと身体の向きを戻した。どうしたことか、青娥娘々よりも顔が青い。身体を支える杖に非道く力が入る。
「犬の躾のことでございましょう。いくら畜生と言えども、乱暴は、あまり得心いたしませんね」
一息だけの間を経て、嫗は青娥娘々の目を見てから、
「ええ、そう、犬のことでございますよ」
また来ます、と、青娥娘々は夕闇に陰る庭先にて納屋に微笑みかけながら、そう言った。
あの綺麗な女の人は、帰ってしまった。もうここには来ないのかなって想ったけど、来るとしたら誰かが死んだときだなって考えたら、ちょっとだけ、身震いした。私があの人と逢えるのは、私が死んだときなんだ。
夜になって、お腹が空いて横になっていると、親戚のお姉ちゃんがまたやって来た。私ももうご飯を持ってきてくれたなんて期待はしてなかったけど、暗くても手にお盆みたいなものを持っているのが分かったから、想わずびっくりして身体を起こした。食べ物だって想った途端にお腹が鳴ったのにもびっくりした。
這ってお姉ちゃんの足元まで行ったら、すごい怖い顔をしながらお椀だけ渡された。なんとか片手で受け取って、中を覗くと、冷たいお味噌汁だった。私はそれ持ったまま固まってしまった。ご飯はこれだけなんだろうか。そうしたら親戚のお姉ちゃんは、いらないなら食べなくていいって私の手からお椀をたたき落とした。お味噌汁は土間にこぼれて、すぐに染み込んで消えちゃった。具の青菜とお豆腐だけ残っていた。
一回だけお姉ちゃんに頭を殴られた。せっかく持ってきたのにって、怒られた。お姉ちゃんはそのまま帰って、私はまた納屋に残された。なんだかもう、ひとりで居るのも寂しくなくなっていたから、ちょっとだけ寒かったけど、すぐにまた横になった。動きたくないし、動けないし。それよりもすごく眠たくなった。それに、夢の中だったらあの綺麗な人にまた逢えるんじゃないかって想って、私は逃げるように眠った。
朝になると、寒くて目が覚めた。結局、夢は見れなかった。昨日の夜にこぼしたお豆腐に蟻がたかっているのに気づいて、私は必死に這って行って、蟻を払った。指で拾い上げて、食べた。お豆腐はすごく冷たかった。
――――青娥娘々曰く。逃げる蝶を追いかけるという行為は、傍から見て現実的にも精神的にもあまり奨励出来るようなものに非ず。追いかける行動とは、それ即ち依存、つまりあらゆる存在へと自らを束縛することと同等の行為であり、一方的過ぎる想いはときとして見ている者へのぞんざいなる不快感として顕著である。例えば、比喩や暗喩としてではなく、実際に逃げる蝶を追いかけてみたとして、その情景は些かも同情の念を惹かないし、共感出来る隙間がまったく無いし、むしろやはり、追いかける者と追いかけられる蝶への滑稽なる想いばかりが胸に居座るというものである。どちらの感情も甘受出来はしない。何故ならば、どちらも突発的な情緒が招いた所謂、誤ちとして捉えるべきことであるからして。
蝶にしてみれば恐れや気後れという感情によって逃げているのであって、こちらはもう、許容出来うるものは微塵もない。一心不乱に遁走するのは相手への拒絶と否定で、それは問題の解決からは程遠く、世界の端から端までの距離と同じく、両極端である。誠、逃げるのであれば、むしろ相手と向き合い、癖や動きといった情報を手に入れて始めて付け入る隙を見い出せるというもので、そこまでいけば逆に攻撃でさえ可能と成りうる。自ら可能性を潰す行為は愚かである。
次に追いかける者。こちらはすでに死に体である。全く以て寛恕などあり得ない。蝶のようなこの天地において最もか弱いとも言える存在を、手に入れたいのかそれとも癪に障るのかは問題ではなく、私欲の為に追いかけるなど言語道断、非常識にも甚だしい、醜悪にも程があるというもの。そして、やはり一方的な欲の感情によって行き過ぎた行為は、どうにも見ている者の美的感覚を逆撫でするような、目障り迷惑千万であるからして、万物において最も愚かしいことのひとつであると言えよう。死すら値しない。
なにかを求めるという行為は、やはり美しくあるべきだと、青娥娘々は、想う。それが欲から生まれるものであることを重々承知しているからこそ、唯一にして誰もが持つべき真当なる清らかさであってほしいと、願ってすらいる。美徳であるべき、である。
故に青娥娘々は待ち人であった。『求め』に対するのは『応じ』と理解していた為、こちらが求めるだけでは欲しいものは手に入らないと、心の底から判断していた。求めるのにはそれ相応の対価が支払われるべきだし、支払われた対価の分だけ、手に入るものは大きくなるべきだと想っていたのである。すでに、それまで生きてきたほとんどを捨てて仙人に成ったこの身の上、これ以上なにを惜しむものがあるのだろう。欲しいものを手に入れる為なら、なにものも厭わない。つまり『応じ』への貢物が揃っているのであれば、あとは待ち受けるだけなのである。『応じ』とは、世界からの恵み。こちらの意見など一切通用しない、世の理という名の神秘に包まれし未開の宝物庫の扉を開く為には、柄ではないが奇蹟だとか偶然だとか、果ては運命なんて極大なものに任せるしか手立てはない。そんなものに挑もうなど、やはり、愚かしい。得てして、必要としている者のところには巡り巡って近づいてくるのであるからして、心静かに待つことこそが、美徳となり得るのだ。
そしてその『応じ』がいま、青娥娘々の元へと届けられようとしている。
あの娘が良い。青娥娘々は心が踊った。逸る気持ちで居ても立ってもいられなくなった。隠れ家に戻って、すぐにキョンシー作成の下準備に入った。あの娘、年齢はまだ十代だろう、ならばこの薬とあの薬は量を抑え、逆にこちらは通常の三割増し、濃度は垂れる雫が形を保つ程度、薄すぎても濃すぎても駄目である。器具は、そう、なるべく細くて長くて、奥の奥まで届くこの形式のものを。まだ未成熟であろうから、玉肌に跡が残るような傷は避けたい。それにこれと、あれも必要だし、ならばこちらも。おっと、以前使用したまま、まだ洗ってなかった。洗浄と消毒、術式を施して……。と、まるで鏡台の前に座る少女のように、我が身に降る幸福を一心に受け止め、溢れる興奮に狂いそうになるほどであった。薄ら寒気にすら、襲われる。これから訪れる『応じ』に、身悶えする。
あの娘、納屋に閉じ込められていた、あの娘。病気で囲われているなど嘘であろう。自ら進んで閉じ込もっているなど嘘であろう。嫗よ、お前があの娘を哀れんでいるなど、嘘であろう。あれは嘘つきの目であった。水面を覗けばいつでもそこに在る目と同じ目で、彼奴は納屋をじっくり見ていた。およそ同じ穴の狢だとしても、わたくしのあの娘への想いは生半可なものではない。必ずや、あの娘を掻っ攫う、と、青娥娘々の見えぬ刃が鈍く光る。
青娥娘々は見ていたのである。下品で縮れ糸のような声の娘の大きな足跡が、あの煤けた納屋に点々と続いているのを。あんな大きな足であるから、ややもすると、男のそれと見間違うほどのものであったが、得意げに見せていた足は非道く内股で、納屋に続いていた足跡もやはり内股だったのだ。あれで男の足跡だとしたら薄気味悪かろう。
そして決定的だったのが嫗の言葉であった。閉じ込めた娘を、犬と、言った。たとえ誤魔化そうとした上のことでも、無意識下で嫗はあの娘を犬と言うのである。なんとでも呼べばいい。別段、娘を犬と言うのも畜生と呼ぶのも悪いとは想わないし、一向に構わない。しかして、犬と呼ぶに至る彼奴の娘への蔑み、悪気、邪念と奸心は看過出来ない。それは青娥娘々が持論としているキョンシーとする者の条件にしっくりと嵌るのだ。あの娘は身内から疎まれ、乱暴され、弄ばれている。死んでも構わないと想われているに違いない。あの娘こそが青娥娘々が求めてきた『応じ』なのである。このつまらぬ日々への、くだらぬ尼僧と謀る生活への、ひいては青娥娘々への、これは『応じ』なのである。
じわりじわりと、外堀を埋める準備をしなくてはならない。青娥娘々は忙しい。想いつくのは嬉しきことばかりで、笑いが止められなかった。
私の誕生日まであと三日。やっぱり誰も祝ってくれないんだろうなって考えながら、今日は朝からずっと横になっていた。結局、落ちたお豆腐は全部食べた。まだ口に砂のざらざらが残ってるけど、おいしかった。本当に、いままでで一番おいしいお豆腐だった。お陰でちょっと元気は出てきて、納屋の日が差し込む場所まで這って、そこで日向ぼっこをした。太陽が当たる地面があったかくて嬉しかった。なんだか、寂しさも切なさもまぎれてゆくようだった。相変わらずお腹は空いていたけど。
やっぱり、昨日のあの綺麗な人が、私に元気を分けてくれたこともあるのだと想う。だってすごく綺麗で、白い肌に夕焼けが映えてまるで天女様みたいだったのだもの。初めて逢ったはずなのに、ちょうどこんな日向みたいな暖かさで、いままでずっと傍に居たような笑顔だったから、どこかで逢っていたのかもしれない。いや、これから逢うんだ。きっともうすぐ、私はまたあの人に逢える。
太陽が昇りきったみたいで、午後になったんだなって考えていたら、急に日差しが陰ってきた。どうやら空が曇ってきたみたい。格子戸から外を覗くと、ずっと遠くまで分厚い雲が空に広がっていた。なにか嫌な感じがして、すごく怖くなった。私は自分の身体が震えているのに気づいて、納屋の奥の方にしまっておいた、去年弟の端午の日で使った鎧兜があったから、その裏に必死に這って行って、隠れた。震える身体で鎧兜が冷たい音を出す。そのうちに、外から声がした。おばあちゃんと、聴き取りにくい声のひとが一緒に納屋に近づいて来ているらしい。私の指先が驚くほど冷たくなって、ふたり分の声が納屋の戸の前で止まった。
――――青娥娘々曰く。少なからずの道徳を所有している者ならば、他人のもの、誰かが必須としているものをたわいなく横取りするなどという愚行を、それこそ見ている目の前で、これみよがしに略奪するなどということを、果たして犯すことあり得るだろうか。先の蝶を追いかける者の喩え話でさえ、無味乾燥と散り捨てても構わないほどの、愚昧めいた、恥辱に至るほどの、散々たる阿呆さ加減である。どうしたことか人というものはそういう宙へと身を投げ出すような愚かしい行為を、時としてやってのけてしまうのだから、道理に違う救えぬ生き物であると青娥娘々は改めて実感していた。
というのも、あまりにも心が勇んでしまってどうしようもなかった青娥娘々は、ひと通りの準備を終わらせてから時間を余らせるのも勿体無いと考え、人知れず件の屋敷へと足を運んでいた。世界から青娥娘々への『応じ』たる娘を、手に入るであろうその日までつぶさに見守りたいという、恋慕にも似た想いあっての行動だった。道術で姿を消すも、早まる鼓動で危うく気配を悟られそうになりつつ、青娥娘々は納屋を遠巻きに観察出来る場所に、落ち着いた。時を同じくして、あの老獪な嫗が、剃り上げた青い頭の中年男を連れて納屋へと入って行くのを目撃した。ちょうど風下だった青娥娘々は、そこではっきりとした悪感を抱くことになる。あの中年の男、薬品臭いのである。
まさか、と、青娥娘々は慌てた。想わず声を上げそうになった。小刻みに杖を突いて先を歩く嫗が、後ろの中年男を医者と、そう言った。よくぞ来てくだすった、あれが例の娘です云々と、甲斐甲斐しくも馬鹿丁寧に説明していた。驚く心を辛くも鎮めよくよくふたりの会話を聞いてみるに、やれ首尾はどうだとかやれ口裏合わせや証拠を云々だとか、聞けば聞くほど不穏な内容だった。
要約すれば、どうやら彼奴ら、結託しているらしい。ふたりして、納屋に閉じ込めた娘を殺すつもりらしい。青娥娘々は愕然とした。
「おお、おお。あんなに震えて。見てくだされ、ほれあすこ、鎧兜の後ろ」
「ふむ。悪くない」
医者の男は暗い洞穴のようなこもった声で言い、頷く。すると医者の反応に気を良くしたのか、嫗はまるで無邪気に杖で土間を啄く。
「ほほ、お気に召したのならいますぐにでもいいのですぞ。口裏なぞ、ほほほ、後でどうとでもなるのですからな」
「急いては事を仕損じるという。しかし、本当にいいのだな。孫なのだろう」
抱えた鞄から鋭い刃物を取り出しながら、医者の男は嫗に尋ねた。その刃に道術の形跡を青娥娘々は確認する。あの術式は発露と構成。それを施した刃物で人を傷つけると、瞬間の感性を増幅し、予め明示した通りの状態へと構成出来る。なるほど、あれで娘の情緒を観察し、調査するのだろう。手間のかかることをするものである。
医者の男が一歩踏み出すと、嫗は途端に杖で啄くのを止め、断末魔のときのような微かな声で言う。
「血など繋がっておらぬのよ」
やはり、と、青娥娘々は顎を引く。
「夫の妾の子じゃ。憎らしや、夫が死んで、遺言にあるからと悪気もなくひょこひょこと屋敷に来おって、あな憎たらしや。余計なものを残しおってからに、血縁でもないくせに、この犬畜生が」
医者の男の影で、娘が驚いた顔をする。
「なんだこやつは知らなかったのか」
「知らぬよ。世間体もある。そのためにわざわざ養子縁組までして引き取ったのだ。まったく、なにも知らぬからと受け入れてみればこやつは、こやつにわしの実の孫が一番懐きおった。かわいいかわいい孫が。だのに、こやつめ」
嫗は医者を押し退け、娘の無防備な手首を踏みつけ、杖を振り上げた。小柄ながら嫗はおもいきり腕を降ろし、杖は娘の腰へと強かに打ち付けられる。さらにもう一度、振り上げて、打ち付けた。
「言ってみろ、貴様が孫を殺したのだ。まだ言葉も覚えず、歩き始めたばかりだったのに、あんなかわいらしい孫を。言え、流行病などと、謀られはせぬぞ。貴様が見てて孫が死んだのだ。貴様が来なければこんなことにはならなかったのに。貴様のせいで」
最後に娘の喉に杖を突く。呼吸も出来ず、娘は悲鳴も上げられずに顔を歪めた。嫗はそのまま、息を切らせて、咳き込み、握る杖により力を入れる。娘はもう片方の手で杖を掴むも、退かすことが出来ずにもがく。
傍らでそれをゆったりと観察していた医者は、こもる声を出しながら嫗の肩を掴んだ。
「おいおい、あれは確実に流行病だった。私が診たのだから、間違いないぞ。だから傷付けるのは止めろ、せっかくのものが台無しではないか」
そう言われ、嫗は渋々杖を娘の喉元から離した。今度は娘の方が咳き込み、未だ苦しそうに、両手で首を押さえて蹲る。少し出血しているのかもしれない、何かが絡むように咳をしていた。傷を付けるな、ということに同意しながら、青娥娘々は狩りをする獣のようにさらに息を潜める。
嫗が震える足で数歩後退りすると、改めて医者の男が娘の近くにしゃがみ込んだ。青娥娘々からは影になって見えなかったが、どうやら先ほどの刃物で髪を切ったらしい。数本のしなやかな毛髪が零れ落ちた。医者の男は再び鞄へと手を突っ込み、小さな袋を出して毛髪をそこへと入れる。術式が効いているようで、毛髪は淡い紫に変色していた。
「上々だな」
「それはなにをしているのです。髪など切ってどうしようと」
「お前の知らぬことだ。さて、今日はもう戻る。これから忙しくなるぞ、手筈を整えておけ」
青娥娘々から見える限りでも、嫗の背中が引くつくのがよく分かる。再び杖突きの音が始まり、娘の咳き込む声と共に、納屋の中は奇妙な空間となった。その中で、医者の男が娘を横目に笑った。こもるような声は出さず、裂けた口が顔面にひりつくようにして笑っていた。
その光景を見た青娥娘々は非道く気色悪いと想いつつも、すぐにこれが同族嫌悪だと至り、同じようにして、笑った。
今日はもう戻ると言った医者の男は、生来のせっかちなのか、嫗にも娘にも振り返ることなく、戸口に潜んでいた青娥娘々の脇を通り、瞬く間に屋敷から出て行った。まるで逐電のようだった。その俊敏さに医者としての思慮とは違う、ある種の共感めいた部分を敏感に察した青娥娘々は、姿を消したまま、咄嗟に後をつけることにした。未だ苦しんでいた娘は放っておくことにした。一先ず、彼奴の正体を確かめるのが先決だと、そう考えたからである。
屋敷を出てから半里ほど行っただろうか。存外近い場所に医者の住まいがあった。平屋建ての木造は半分が自宅、もう半分が診療所の体を成しており、狭い庭に枯れた桜の木が一本、その割にはじっとりとした湿り気を帯びて、佇んでいる。桜の木にあてられたわけではないが、青娥娘々の足は診療所側の門先で、どうにも固まってしまってそこから前に進まない。こんなときの直感というものは馬鹿にならないと経験則が囁き、よくよく目を凝らして見れば、当たりであった。いや、はずれとも受け取れる。門から続いた敷石の上に、目立たぬように蝋を使って紋様が描かれてあったのだ。罠である。これならばすぐには気づかれ難いし、蝋だからといって術式の効果が薄れるわけでもない。むしろ、こういう暗器めいた術式の場合、対象者は油断して近づくのでより効果的であろう。青娥娘々はしばし考えた。
結局、近場に居た野良猫を操り、蝋を舐め取らせるに至った。紋を描く術式への対策は容易で、描かれている状態の維持が難しいところに弱みがあるため、ちょっとだけでも崩したり、でたらめに書き加えたりあるいは素直に消してみたりすれば、すぐにでもその効果は皆無となってしまう。効果が高いものはその分、扱いに難しい面がある。どんなことにでも当て嵌まることである。操った猫はすぐに開放してやった。その矢先に手の甲を爪で引っかかれたことに関しては、畜生特有の愛嬌ということで、青娥娘々は受け取るようにした。
これで罠が発動する心配はなくなった。しかして青娥娘々は一旦隠れ家に戻り、準備を整えたいと想えた。いまは着の身着のまま、こんな予定ではなかったのでなんの対策も立てられそうにない。もう少しだけ調査を、という後ろ髪を引かれる想いはあるが現状では最悪の場合すら考えられるのだ。
青娥娘々は舌なめずりをし、足早にその場から立ち去った。
夕方になっても、今日はご飯をもらえなかった。もらえたとしても、どうせ喉が痛くて食べられそうにないけれど。
さっき弟と私を診てくれたお医者様が来たと想ったら、急におばあちゃんに殴られて、すごく痛かった。喉を押し潰されて、まだ変な感じが残ってる。咳をすると血の味がする。怖くて隠れたのに、足が動かないせいですぐに見つかってしまったし、髪の毛も切られちゃったし。なんだか、誰も私を助けてくれないのかな。私のことを世界中の人が知らないんじゃないかな。生きていても、死んでいても、どっちでもいいんじゃないかなって、想えた。
そう横になって考えていると、地面の冷たさに身体ごと、ぐいっと吸い込まれそうな感覚があって、お腹が減っていることも忘れるほどびっくりして身体を起こした。怖くて震えた。足は動かないけど必死に寝ていた場所から離れた。きっと、この地面の冷たさの先に行くことが、死ぬってことなんだ。冷たくて暗くて寂しくて。その場所に行ったら二度と戻ってこれないんだ。なにがあるんだろう、なにかあるのかな。なにも無いのだったら、そこに行った人たちは居るのか居ないのかきっと分からなくなっちゃうんだろうな。それが死ぬってことなのかな。もし私もそうなるなら、いまはなんでこんなに苦しまなくちゃいけないんだろう。
おばあちゃんは私のことを嫌っている。それは私がおじいちゃんと想っていた人の子供で、本当はこの家に来ちゃいけなかったから。さっきはじめて知った。誰もなにも教えてくれなかった。私は、いったいどうすればよかったんだろう。
色んなことが頭の中を廻って、その夜はぜんぜん眠くならなかった。手で触るとさっきよりも地面の冷たさが近づいて来ている気がして、私は横になることが出来なくなった。
――――青娥娘々曰く。なまじ知識をひけらかしたばかりかそれを悪食と知らずにより多くを摂り込もうと精進するよりも、自らの身の丈にあった物事をよく吟味し、しかもそれらは誰の迷惑にもならず、人畜無害、毒にも薬にもならないような部分でのみ発散しておき、高みに居るであろう天上人たる人々に対して困惑を促すこといたさぬよう、努々忘れるべからず。相応、不相応を知ってこそ人は初めて猿の類から脱却出来うるのであって、それを怠れば必ずや不相応の部分が牙を剥き、自らばかりか周囲のものへも害を為すこと過言に非ず。故に地べたには地べたなりの生き甲斐というものを見つけ、身の程知らずは早々にこの神聖な境地から立ち去るべきである。否、即刻立ち去れ。
しばらくあの医者の男の動向をつぶさに見守って分かったことがあった。道術を使い、また、それをしたり顔で私欲に肥やし、まるで自らが神にでもなったかのような気の持ちようにて、弄ぶ。道術の行使に躊躇がまったく無く、その基準に節操が無い。そして術式の用途や行動原理からして、彼奴もまた、キョンシーを欲しているという事実である。しかも青娥娘々と同じく納屋に閉じ込められた娘を以てしてそれを成就させようとしている。あまりにも奇妙であり得ない状況に、青娥娘々は別の意味で笑ってしまった。なにが面白いのかすら、自分でも分からなかった。しかして彼奴が、嫗も含めた彼奴らが敵だということは、幸いにもすぐに理解出来た。ならば話は早い。
我が道を阻む者は断固排斥する。青娥娘々はすぐさま行動に移る。まずは彼奴が何故キョンシーを欲するのか、それを知りたいと想った。敵の欲の向きを知ることで敵を征しようというのである。有言実行、先述に二言は無い。
素早い行動のうえにまだるっこしいことが嫌いな青娥娘々であるから、もう直接聞いてみるのが一番手っ取り早く、それでいて確実だと、至った。下手にちょっかいを出せば逆に殻に閉じ籠られる。そうなってからでは遅いし、最悪の場合にはこの件から手を引くことになり得るので、青娥娘々の素性が知られても別段構わないと想ったのだ。もちろん最低限に抑えるつもりではあるが、支障が出るならばまた他の地に行くだけのこと。いつものことである。そうやっていままでも転々としてきたから、決断さえしてしまえば逆に恐れることも失うものもない。それこそ清々するというものである。
そういう気構えの無い精神だったからであろうか、青娥娘々は身重の女に扮することにした。妊娠二月と嘯き、かの診療所へと赴く。我ながらどうしようもない悪趣味だと、内心ほくそ笑む青娥娘々であった。
枯れた桜の木が睨みを利かす診療所の門前まで来ると、以前猫に舐め取らせたはずの術式が直っているようであった。すでに気づかれている、と判断し、もはや隠すことすら面倒だと想い、乱暴に紋様を踏みしだく。どうやら危険察知の術式だったようで、それまで閑静だった敷地内の雰囲気が急に色の濃さを増す気配がした。拍子抜けである。これがもし攻撃的な術式であれば、腕の一本や二本、簡単に失っていたかもしれないが、青娥娘々はそうならないよう相応の準備はしてきてあったのだ。それが無駄に終わったらしい。
玄関の引き戸を一気に開ける。暗く奥まで続いた廊下が横たわり、その手前に息を潜めるようにして女が座っていた。使用人だろうか、と青娥娘々が値踏みしていると女は深く頭を下げ、ようこそ、と、まるで似つかわしくないこもった声を出す。よくよく聞けば、あの医者の男の声とそっくりであった。道術で操っているのであろう、首の後ろに、その形跡が見えた。
「お上がりにならないのかな。ささ、診察室へどうぞ。定期健診、でしたかな」
生意気な、と、想い、青娥娘々は無言で廊下へと上がる。畜生の悲鳴のような軋む音を立てて、一歩ずつゆっくりと暗い廊下を進む。てっきり操られている女が案内をするのかと想えば、夢うつつのような顔をしてすぐ傍の小部屋へと入って行き、なにやら書類作業へと取り掛かっていた。すぐに、はっと表情が好転し、目が合った青娥娘々は優しく微笑みかけられてしまう。気不味くなり、廊下を進む歩みを早めた。彼奴の道術もまだまだ完璧ではないらしい。
突き当りを右に曲がり、庭に面した廊下に出るとその奥に部屋があった。洋間らしく扉の上に標識が貼りつけてあって、そこには診察室とだけ書かれている。扉の前まで行くと横では枯れた桜の木がやはり睨みを利かせていた。こやつが門番の役割を果たしているのかと想い至り、あるいは式神なのであろう、それなりの妖気を感じる。青娥娘々はわざと素っ気なく看過し、扉に手をかけた。
「あらためて、ようこそ。初診にはカルテを書いてもらわねばならんのだが、まあ、あなたには意味がないか」
果たして、医者の男はそこに居た。聞きづらい、洞窟のようなこもった声は相変わらずで、医者の男が椅子に座ったまま振り向きざまに、言う。どことなく見下している視線が気に入らない。室内は存外平凡な診察室で、別段変わった様子は見受けられなかった。強いて上げれば、消毒液の匂いの中に、若干の刺激臭が混じっていることぐらいである。しかして、それが医者の男の正体を如実に現しているのだろう。
青娥娘々は部屋の隅々まで視線を走らせたあと、落ち着いた声を出す。
「いつごろから気づいてましたか」
「猫を使ったでしょう、その日のうちに知れましたよ。ああ、見られているなと」
「飼い猫でしたか。おかしなものを舐めさせてしまってごめんなさいね」
そう言って青娥娘々は軽く謝礼した。皮肉である。医者の男はしかし、
「いや、飼ってなどおりません。ばらしました」
「……ほほう」
「些細な趣味でしてね。偶然ではあったが今回は功を奏した。お陰であなたのような人を知ることが出来たのだから」
青娥娘々は内心で舌打ちをする。こやつは恥知らずのうえに相当な悪趣味である。
「まさか、本物の仙女様が現れるとは想ってもみなかった。此度はなに用ですかな」
「知れたこと。あの娘から手を引きなさい。あれは、わたくしのものよ」
「ご冗談を」
まるで遊びに興じるかのように、医者の男は笑みを浮かべながら椅子から立ち上がる。天井を仰ぎ、両腕を広げ、その姿は見るものが見れば鼓舞しているかのようにも想えるだろう。しかして、青娥娘々には少々の嫌悪感以外はなにも感じられなかった。彼奴が立ち上がったことで刺激臭が増した気もする。
新しい世界をご存知かな、と、医者の男はこもった声なりに精一杯の優雅さで強調する。
「これは世界を拡げる実験なのですよ。云わば新しい世界を想像することに等しい、神にも手が届くほどの偉業だ。仙女様、ご興味はおありではないですかな。新たなる世を統べることに、些かも興趣が湧かぬことございますまい。どうです」
いかがわしい、さぞや面白きことのように医者の男は論じる。それは大昔に見た、時の権力者に似ていることに気づいた青娥娘々は、腕組みをして自らが入ってきた扉に身を傾けた。あれは自分に酔っている目付きである。鼻に皺を寄せながら、青娥娘々は顎で続きを促す。
「いいでしょう。いま、私らが生きている世界の他に、世界と呼べる場所がもうひとつある。それは死後の世界。黄泉の国やあの世、来世とも言われている世界のことです。世界を分かつのが生と死だとすれば、死とは生と同意義、いや、若しくはそれ以上の意味合いを持つに至るだろう。来世などとはよく言ったものですよ。死ぬことを生まれ変わりとして享受し、死を終わりと位置づけないことで次の世界へと旅立とうとした。それは言葉遊びに始終しない、確かな方法として約束されるはずだったのです。しかし、しかしね」
晴れ渡っていた顔を、医者の男は一瞬にして曇らせる。よもやこんな話し好きとは想わなんだ。青娥娘々は話半分で聞くことにした。
「死は所詮、無でしかなかった。こちらから向こうへ行く者は居ても、あちらから帰ってくる者が皆無だったのですから。魂魄と呼べるものは、あまりにも脆かった。そこで私は帰ってくる者は居るがもしや記憶が無い故に把握されていないだけではないかと想ったのです。囁かな希望でした。しかもそれを確かめる手段さえ持ち合わせていなかった。途方に暮れていた私はある噂を聞いた。キョンシーという、生きても死んでもいない存在と道(タオ)という教え。そして医者をしていればそのキョンシーとやらが容易に手に入るというではありませんか」
へぇ、と、青娥娘々はあさっての方向を見ながら相槌を、打つ。
「私は心惹かれました。道教の太極論にもですがそれ以上にキョンシーというものに。私は想いついたのです。生と死の間の存在であるキョンシーを探査針代わりに出来ないかと、死の向こう側にある無の世界を調べ、そこに新しい世界を、私が統べる私だけの世界を構築出来はしないかと、私は、神になれるのではないかと」
「やってみればよろしいのではなくて」
浅い溜息のような声色で、青娥娘々は呟いた。煽りとか貶し、冷やかしなどではなく、素直に面白いと想えたのである。
道教とは、それ自体が始まりと終わりを示し、宇宙と人生とを悠久なる不滅の真理にて明らかにせんとする、究極の道標。表裏一体を主論とした二極一対の教え。太極図は極論の内の宇宙すべて。生死観はそれぞれであろうが、それこそ道教の教えそのものである二元論に他ならない。彼奴の言うことにも一理ある。
医者の男は、剃り上げた青い頭を狂ったように掻き回した。開かれたその瞳に乱れた奔流を垣間見せる。
「そうでしょう、そうでしょうとも。あなたなら理解してくださると信じていた。だからこそ、こうして逢う機会をわざわざ作ったのだ。あなたが操ったであろう野良猫をばらし、道術の痕跡を見つけたとき、震えました。年甲斐もなく狂喜した。あなたの道(タオ)は美しい。すぐに分かりましたよ、冷徹で無味な術式の中に、どうしようもないほどの愛が溢れていた。その脈動はどの畜生の心臓よりも激しく、流れる必然さはどんな臓物よりも紅く、鮮烈だ。この人なら私を理解してくれる。私を爪弾き者にした馬鹿者共とは違って、道教の教え故にこそ死を受け入れるために錬丹術を学ばなかった私を、包んでくれる。どうか、どうか」
小躍りするようにして、医者の男が青娥娘々に擦り寄ってくる。頬を染め、初々しい足取りを恥ずかしげに震えさせながら、中年の、三枚目にも劣るような着崩れ顔が、にへらとした気色の悪い笑みを浮かべながら悶えてくる。青娥娘々は、想わず目を細める。とても見ていられない。
傍まで来た医者の男は身体を硬直させ、粗末な動きでしゃがんだと想ったらついに、青娥娘々の足元で頭を地べたにつけて土下座をし始めた。
「わ、私はあなたに、ほ、惚れたのです。こうして逢って確信した。美しすぎるあなたは私が求める道(タオ)そのものだ。私の、その、め、女神になってほしい。私の創造する新しい世界の、女神に。是非に、是非にどうかお願い申し上げる」
見下す青娥娘々の胸中に、どす黒い、はるか底が無いほどの邪悪な渦が出来上がりつつあった。もう、こうなっては自分でもどうしようもなく、つい孕んでしまったそういう黒くて重いものを、吐き出すことも鎮めることも敵わずにただただ、大きく育ってゆくのを見守るしかない。いままでもそうであったのだ。事実、無理に追いだそうとすれば余計に苦しくなった。ならば、それが勝手に出て行くのを待つしかないではないか。
『それ』はときとして一瞬で大きく育つ、自らの分身のようなもの。邪な気持ちを餌にして成長してゆく『それ』は、得てして自身とは似ても似つかない得体の知れないものではあったが、間違いなく自身の資質というか遺伝子のようなものを確実に受け継いでおり、やはり、認めざるを得ない部分が呼応し、順応し、鳴動するのである。
「あなたが、あなたのような人が居れば、わ、私はどんなことだって出来る、いややってみせる。死を超越し、生を呑み込むことさえ、あなたと私だったら無謀ではない、確かな、新世界を、この手に、手に入れることが可能なのです」
みるみるうちに成長しきった『それ』を、もはや青娥娘々に制御出来る道理は無く、かつ、抱えるにしてもすでに大きくなりすぎてしまっていた。手に余るほどのものを、青娥娘々は好きにはなれない。しかして捨てるにも勿体無い。となれば、発散させ、萎ませるに限る。
方法はいくつかあったが、青娥娘々は一番手っ取り早いやり方を選んだ。
「お好きになさいな。わたくしは、一切邪魔をいたしません。ただし」
仰ぎ見る、集束しきった瞳孔と目が合う。
「勘違いしてらっしゃる」
その一言を振り下ろすと、最初、節穴のようになった目がゆっくり動いたかと想うと、瞼をひくつかせては、やがて焦点の定まらぬ黒い点になった。医者の男の理解力不足に辟易し、青娥娘々は左右に首を振りながら、金糸雀のように言う。
「わたくしはそちらが仰る新しい世界とやらにはまったく興味がございません。だから、ご勝手になさいまし。面白いとは想いますが、それだけのこと。そちらと一緒に世界を創るとか、理解するとか、ましてや女神なんて、ふふ、滑稽も大概にしないとそのうち本当のお馬鹿さんになってしまいますよ」
声にもならないほどの驚きなのか、医者の男の口は大きく開いたまま固まっている。どうやら本気で口にしていたらしい。若干、医者の男を憐れに想えてきたが、胸中で唸りをあげる『それ』がどうにも抑えてくれず、青娥娘々自身も気持ちよくなってきたので、果たして言の葉は止まらない。
「もしや本当にわたくしが女神とやらになるとでも想ってらしたの。呆れて目が点になるのはわたくしの方ですわ。そうね、女神は素敵ですわね。でも、ふふふ、あなただけの女神なんて御免だわ。そんなむさ苦しい、洒落っ気も無い身なりをしていてよくもまあぬけぬけと言えたものです。きっとこれまで艶やかさも無いような人生を歩んでらしたのでしょう、かわいそうに、だからこんな稚気めいた恥知らずなことも言えるのですわね」
と、青娥娘々が言の葉を紡げたのはそこまでだった。風を切って飛んできた刃物が二本、青娥娘々が寄りかかっていた扉に突き刺さった。そこから術式が広がって周囲が腐り落ちる。それをすんでのところで、青娥娘々は身体を傾げて避けていた。
「貴様」
「あらあら、手癖の悪いこと。やっぱり育ちが出ますわね」
「言わせておけばよくも女め、この私を化かしおったな女郎が。折角手を差し伸べてやろうと想ったが、やめだ。貴様も私を馬鹿にした奴らと同じだ。先ほどの罠だとて私が本気であれば、女、貴様死んでいたのだぞ。私の同情を無駄にしたな」
「同情だと」
姿勢を戻し、身体を傾げた際に庇った左手を振りながら、青娥娘々は低い声を出した。
「同情、と、言いましたか」
「そうだ、貴様が味わい損ねた美味なる馳走だ。だが心配するな、いまから再び味わわせてやろう。些か痛みを伴うがな」
そう言った男の両手が鋭く光り、そこから大小様々な刃物が突き出し、放出された。屋内だというのに所構わず腕を振り回す医者の男に、青娥娘々はもはや興が冷めていた。我の強い子供ほど癇癪を起こしたとき手に負えない。そしてその狂乱とした男の癇癪という刃物が、今や急き立てるように青娥娘々へと押し寄せる。しかし、暴れ踊る刃が青娥娘々の肌に触れそうになったとき、あろうことか、それは銀色の粉となって霧散した。
「笑止だわ、坊や」
変わらずの低い声であったが、余裕のある声質を持って青娥娘々は医者の男と対峙する。向かい合う男は逆に、青々とした剃毛頭と同じく、顔面蒼白な面持ちだった。血の気が失せていたのである。
「たかだか四十か五十生きたくらいで、自惚れないでほしいですね。それに、この程度の術で道を極めたような顔をしないでね。いい恥さらしですので」
「貴様、なにをした」
「ほら、理解していない。そんなことだから小賢しい止まりなのです」
なにも触ってはいけない、と、感じたのであろう、医者の男はまるで迷子の子供のように自らの診察室だというのによそよそしく、怯えた表情で、刃物を投擲したときの格好そのままに固まっていた。こやつは道術の有効性も危険性もよく理解しているし、筋が良いが、まだまだ青い。これに気づけただけでも御の字としよう。青娥娘々は医者の男を微かに見直しつつも、その滑稽な姿に想わず口元を歪めた。
青娥娘々が今この瞬間になにをどうしたわけではない。日々の人徳がその者の人生の良し悪しを決めるように、青娥娘々はこの診療所に来る前から準備をし、相応の根回しをした上での、これは当たり前ともいうべき結果であった。しかも、そういった準備というものは、相手に気づかれないで行われることこそ肝心であり、土壇場でも活きてくる。その準備とは、最初にこの診療所へと来たときまで遡る。野良猫に蝋で出来た術式を舐め取らせたときである。
「いつの間にこんな、どうやって」
「なにもしていませんわ。いまはね」
あの日、野良猫を操ったとき、青娥娘々は同時に別の道術を使用していた。野良猫にふたつの役割を持たせたのである。ひとつは罠である術式の無力化、もうひとつは、こちらの術式を割り込ませること。
「猫。ここでばらしたのでしょう」
そう言って、青娥娘々は診療室を見渡した。同じく、医者の男も目だけで周辺を窺う。医療器具を入れた棚、患者を寝かせる床の間、カルテをしまう机、背もたれの無い椅子。別段、いつもと変わらぬ室内のはず、だった。
「ばらしたことは予想外でしたけど、お陰でこのお部屋はわたくしの手の中。こんなふうに」
青娥娘々が、ひらり、と掌を返すと、男が座っていた椅子がみるみるうちに風化、驚く暇もなく塵と化す。流れるような塵は一旦その場に留まるが、さらに細かくなり、やがて消えてしまった。それを始終見つめていた医者の男は、もはや息をするのも難儀なようで、身体の震えを必死に抑えていた。
一見なにも変わりのない室内ではあったが、青娥娘々の目には自らが用いた術の紋様、造形がはっきりと映っていた。何故ならば、青娥娘々こそがこの術式の中心だからである。
野良猫によって割り込ませた術式は分解と置換。舐め取らせた蝋は猫の体内で一度分解され、代わりに青娥娘々が把握している道術へと置き換わる。それを体外に排出し、あとは置換の術が染み渡れば成功であった。医者の男にとって誤算だったのは、青娥娘々が術を施した野良猫を、自らの術の中心であるこの診療室で殺し、解剖し、切り刻んだことだ。野良猫の体内に残留していた青娥娘々の術式が、皮肉にも男の手によってさらに拡散、浸透してしまった。多少にでも非凡なる男がそれに気づけなかったのはまた別に理由がある。その時点ではまだ術式は完成しておらず、医者の男にはそれらが雑多なものにしか見えなかったからであった。そして、術式の引き金となるのは青娥娘々自身。自らの存在が敵の懐深く入ることによって発動する、謂わば毒のようなものであったのだ。
「こんな、こんな大掛かりな術、私が気づけぬわけがないのに」
「坊やは優秀ですよ。だからこそ気づけなかったのですわ。その隙を突いたのですから」
非凡なる者はその傲慢さ故に天を仰いで地獄に堕ちる。これまで綴られた人間の歴史に幾重にもこびりついた染みのような教訓である。そういう小汚いものを、青娥娘々は幾度も見てきた。見てきてしまった。
「非凡なら、とうの昔に間に合っていましてね」
溜息のような声色で、青娥娘々は呟いた。それを期にして医者の男へと背を向ける。彼奴の本性を露わにし、欲望の向きを確認したのだから、すでに目的は成就している。もはや、ここに居る道理は無いのだ。医者の男は目を白黒させた。
「私をこのままにして帰る気か。何故私に止めを刺さない。あなたほどの人が、あなたならば一瞬で終わるだろう。さあ、私を新世界へと導いてくれ」
「死にたければ、ご自由に」
「殺めるのが怖いのか」
青娥娘々が振り向くと、医者の男は嘲る顔で鼻息荒く笑っていた。依然、間抜けな格好だったので、大概なものだと青娥娘々には想えた。
医者の男は続ける。
「まさか、とは言いますまい。命を奪うのには覚悟が要る。あなたにはそれが無かった、そうだろう」
「まるで坊やにはそれが在るとでも言いたげですね」
「在るではないか。血が見たいと想うようになった十のころから、手にかけてきた命は先日の野良猫で三千飛んで二十八。大小様々な畜生の腹を裂き、皮を剥いては血を拭い、脳髄かき分け中の中までつぶさに記録してきた。わたしの場合、もはや覚悟さえ必要ないのかもしれないな。現に最初から、恐れなんぞ感じなかったのだから。わたしは」
「人は未だないのでしょう」
青娥娘々はうんざりしていた。
「坊やのそれは覚悟でもなんでもない。ほら、子供は好奇心のあまり捕まえた虫を虐めたり、残酷に殺したりするでしょう。あれとおんなじ。蜻蛉を背中から裂いて共食いさせるとか、蝸牛の殻を潰すとか、蛙の股裂き、蟻の巣への水攻め、蛇の尻尾を掴んで振り回したり、水蟷螂の日干し、蝉を達磨にしたり、蜘蛛を巣ごと燃やしたり。まるで是非もなく、かわいいものです。坊やはあれを少しだけこじらせただけ。お遊びの延長。そんなものは、おままごとの域を出ない」
「な、なにを」
「命を奪うのは簡単よ。でもそれを背負うのに覚悟が要る。もう自分ひとりの命じゃないですからね、わたくしは、そんな難儀なのは御免よ。坊やは命で遊んでいるの。理由は同じ、無意識に背負うことを拒んでいるから。奪っておいて投げ出すような者に、新しい世界なんて生み出せない。所詮、死の先には無しかない」
青娥娘々は扉に手をかけた。後ろから男の歯ぎしりが聞こえる。
「あの娘の命を奪ってみなさいな。坊やが弄んだ命、果たしてどうなるか。見ものね」
医者の男を残し、青娥娘々は診察室を出る。すぐ傍で枯れた桜の木がやはり睨みを利かせていたが、それもまた、軽い、遊びにすぎないのだと想えた。
非道く疲れた。帰ってもう、横になりたかった。
青娥娘々の胸中に巣食ったものは、いまでは鳴りを潜めている。しかして、まだすべてを発散出来ていないのを、青娥娘々は感じていた。まだまだ、である。
一歩踏み出すと、足の裏で細かい木目がぎしりと鳴る。閉じた扉の向こうで男がなにごとか叫んでいたが、もはや青娥娘々にはどうでもいいことであった。
明日が私の誕生日で、その三日後が弟の誕生日で、私の身体はもう動かないけれど、弟のお祝いをしようと想った。暗くてじめじめした納屋に私ひとりきりだし、なにも美味しいものも楽しい贈り物も嬉しい歌もないけれど、きっとお祝いするのは私だけだろうから、もし誰もお祝いしてくれなかったら悲しいから、弟が笑ってくれるようにお祝いしたいと、そう想った。
楽しいことを想い出しながらお祝いしよう。嬉しいことを感じながらお祝いしよう。悲しいことや切ないこと、痛いことや辛いことも、弟のことを祈れば忘れられた。私の見える世界は、もう地面が右で納屋の天井が左だけの狭い狭い、暗い色に染まっている。それでも私の心は静かになって、どんどん深くなって、まるでお菓子の袋が空っぽになるように、もうすぐやってくるそのときを待っていた。さっきまた、あの地面に吸い込まれる感じがあった。それを前よりも怖く感じなくなったのは、私の心が軽くなったからかな。身体が動かなくてもう諦めているからかな。あれに吸い込まれたら、弟にまた逢えるのかな。
もしも逢えるなら、お祝いしよう。私が私にお祝いしよう。こっちでは悲しいことばかりだったけど、弟に逢えたことは本当に幸せなことだった。だから、あっちの場所でまた逢えるなら、すごく、嬉しい。ああ、そうか、嬉しいから怖くないんだ。もう悲しい想いをしなくてすむんだ。だからなにも怖くないんだ。
でも、でも。
ひとつだけ、伝えたいことがあった。こっちでまだやり残したことがあった。それだけはどうしてもやりたいことだった。瞼が重くなってきた。声も出ない。身体も、指先も動かせない。最後なのに、伝えたいことなのに。誰か、私の代わりに、誰か伝えてほしい。
私の視界の隅っこで、格子窓の向こうの空が朝を迎えていた。やっと聞こえる私の耳が騒々しい声を拾う。この前来たお医者様だ。すごく急いでいるみたいで、どんどん納屋に声が近づいて来る。でも私はお医者様の姿は見れなかった。すうっと、私が地面に吸い込まれてしまったから。
だめよ。まだ行っちゃだめ。伝えたいことが、あるのでしょう……。
――――青娥娘々曰く。世界とは古いも新しいもなく、また、ひとつだけやふたつあるなどという数の概念にすら当て嵌まるようなものでもなく、さらに言えば、その境目さえ曖昧で、混じり合っていて、重なり合っていて、まるで色と色が混ざったときのように流麗な色相の帯を想像させる、一種の虹に例えられる。違う色同士が近づけば近づくほどお互いに似た色合いになるし、その移り変わりに段階的な様子は伺えず、ただただ、お互いに近似値の、けれども元来の色とは似て非なるものへと流れていき、究極的には別の色へと変化する。しかして、やはりそれは元来の色とは地続きとなっており、隔てるものや分かつものなどなにもない、滑らかな絹の衣のように融和で、それでいてほつれの無いしっかりとした織り目を感じさせる。世界とは、個別に存在しているようでいて、その実、それぞれを経糸と緯糸として撚り集めた平面と捉えるべきものである。
様々に着色された糸で編まれた、美しい織物と視ればよかろうか。糸の一本一本は、個々人が認識している世界の一部、つまりは主観による見え方の違いである。色は、見る者によってその心象が異なるものだ。冷ややかな青とするかそれとも真面目一辺倒の青とするか、しっかりとした意思の緑とするかそれとも底の窺い知れない緑とするか、と、色に対する心象はそれこそ無限であり、想いつくであろう比喩や暗喩でさえ親近感が湧くものもあれば遠く見慣れぬものもあって、全く当て嵌まらないとも言い切れない、奇妙な普遍性を持ち合わせている。それらは世界という、確固たる同一のものを捉えているようでいて誰もが実は手にすることの出来得ない、虹のようなものが魅せる、幻に似ている。美しい、とは、想えた。
しかしその中にも心象の悪い色に染められた糸も少なからず存在する。捉えようによっては絶対的に悪いとは言い切れないのだろうが、やはり社会という檻に住まう人間であるからして、同じ心象を共有することでこそ成り立つことも中にはあるのだ。その、不当な色の糸を見ている者は辛く、苦しい立場に陥りがちになる。人間の精神の限界である。幼き者はそれ故に幼き考え方に蝕まれる。そういうふうにしか捉えられないのであった。
もし、そこから抜け出そうとするならば、あの男のように、世界を変えるなどという面倒なことは全く以て無用な苦労である。世界は無限の面積を持つ平面であるからして、どこまで行ったとしても変わることはないのだ。なにをしても、世界は変わらない。ならば、自らを変化させればよかろう。自らの見ている糸の色を、見たい色に変えるのである。
前述のとおり色と色との境目は無いのであるから、見たい色、すなわち見たい世界に変えるのは難しいことではない。むしろ、それこそが巨大な世界に相対したときに自らを守るための常套手段であり、世界への礼儀でもある。世界とはそれほどまでに寛容であるし、それを強いるほどの厳しさも持ち合わせているのであるからして。
あの家から逃げ出したときに、青娥娘々は自らの見る世界を変えていた。家人の目を盗んで道術の研究をし、それだけを生き甲斐としてくぐり抜けた無聊を託つ日々。竹を身代わりに、闘蟋の掛け金のように自らの命を暴き出したあの夜。未だ憶える山腹を駆けずり回った素足の感触。闇夜の鼓動。土の味。陰鬱とした堂々巡りめいた世界から、真っ白な世界へと歩き出したあの日あのときあの場所を、青娥娘々はその命が果てるまで忘れることはないだろう。忘れてはならないことというのは、この世界にひとつだけある。儚く辿々しい、捕まえようと手を伸ばすもするりと逃げていってしまい、近くにあるようで遠いもの。青娥娘々はそれを、『願い』とした。
見える世界を変えたい、どこかへ行きたい、なにかを食べたい、あれが欲しいこれが欲しい。人の行動原理というものはそのほとんどが願いに帰着する。頭で欲が生まれ、欲を言葉にすることで願いとなり、身体がそれを叶える。生きること自体が欲であり、願いであり、そして願いはさらなる大きな願いを育む。まるで円環のように、命が果てるまで、終わりに向かう道程をただひたすら突き進むのである。
『願い』は、死の寸前が一番輝くものである。何故ならば、それまで生きて培われた願いの極大となるからだ。
「なぜだ、なぜ、どこで間違ったのだ」
血の臭いが充満する、悪辣の底たる診療室にて、医者の男は青く剃り上げた頭を掻き毟りながら、低い唸り声を歯の隙間から漏らしていた。その声は今まで男が殺してきた畜生たちの霊魂が乗り移ったかのような、人ならざる、恨み滴る響きであった。
寝台の上に、か細い手足の娘が、まるでしがらみの無い安らかさで横たわっていた。年少特有の柔らかで丸い身体つきはしかし、痩せ細って見る影もなく、金属の寝台がささやかに残った熱さえ奪い取っているようだった。命は、尽き果てていた。静かに、それでいて命の残滓が名残惜しそうなほどに娘の身体にすがっていて、未だ生きているかのようである。娘の身体が死した直後に医者の男はすぐさまそれを強奪し、診療室で術式を開始した。夜になって、術式は徹頭徹尾、何事も無く完了する。優秀な医者の男らしく、すべてが滞り無く、完璧であった。しかし、だ。
「動かない……。こんなこと、私にはあり得ないのに」
駄目であった。娘はキョンシーに成らなかったのである。
「馬鹿な!」
医者の男の怒鳴りが、開けた診療室の窓から外へと逃れようとするも、夜風に靡く白いカーテンに捕まってもがいて、あっけなく霧散した。しかしながら血生臭さはそれには及ばず、辺り一周りへと泳いでゆく。それは診療所の外、枯れた桜の木の縄張りに居ても悠々と野良猫をかまう青娥娘々へも届き、良い余興だったとばかりに、小さく溜息をついた。
「大したことにはならないじゃない。ねえ」
腰を落とし、動かした指の先で野良猫が喉を鳴らす。擦りつけてくる頭を撫でてやると、野良猫は糸のように目を細め、気持ち良さそうにその場に寝転んでしまった。青娥娘々はいとおしく想い、お前もそう想うでしょう、と、尻尾をゆっくり揺らす愛玩へと囁く。青娥娘々の愛を一身に受ける野良猫は、いとも簡単に欠伸をした。
形だけでは成り立たないものこそ数多くあれ、それらは真実、上辺だけを取り繕っただけの所詮は紛い物にしかなり得ない。物事の意味合いとは核となるべき意思があってこそ成り立つものであり、でなければ見栄や傲慢と言った皮被りの、中身の伴わぬ軽薄なものとなる。幾度の戦に然り、身勝手な政治や市政に然り、である。いまも診療室内にて叫び声を上げているあの医者の男にしても、その本質を理解していなかったのである。キョンシーを造るという『願い』の、本質を。
「キョンシーはね、人なの。造る側とさしてなにも変わらない、同じ人なのよ。人は常に願うという業を持ち、それは死して身体が動かなくなっても行われる。願いは、魂魄の在り方そのものだからね。三魂を失い動かなくなった身体を強制的に七魄だけで御しているキョンシーにとって、願いはその動力源になる。でもわたくしたち造る側にも願いがあって、お互いに干渉してしまうような願いだった場合、キョンシーは、動かないわ」
対立する願いは軋轢を生み、ただでさえ無理をしている身体は軋みには耐えられない。七魄は予めそれを拒んで対立する以前に受け付けない場合がある。七魄とは喜び、怒り、哀しみ、懼れ、愛、惡しみそして欲望から成り、感情の末に願いを含んで果たしてキョンシーの動力源となる。願いとは意思そのものであるから、不完全ながらも感情を伴う行為に及ぶ。つまりは、気に入らないのだろう。医者の男は青娥娘々だけではなく、あの娘にさえも「死んでも嫌だ」と突き放されたのである。自業自得であった。
「かわいそうにね」
と、心にも無いことを薄く笑って言った。野良猫はもはや動く気も無いのか、白い腹に乳首を浮き立たせてひっくり返ってしまった。馴れ馴れしいなと想いつつ、青娥娘々は合点がゆく。
「そうか」
あなたに言ってもしょうがないものね、と、野良猫の処遇を温情とした。
次は、青娥娘々の番なのである。
医者の男の手元から乱暴に戻された娘は、その弔事も行われずして、村外れの寂れた、否、いまや多くの死人が静かに寄り添っている墓地へと、早々に埋葬された。家人共は案の定、娘のことを厄介者と扱ったらしく、まるで何事も無かったかのように夕餉の熱い味噌汁を飲み干し、仮初の団欒を経て、静かに寝入った。嫗も経を上げて欲しいという約束を反故にして、やはり清々とした顔で日課の香水油が入った湯浴みを行い、ひとつ憑き物を払うかのように身体を清め、白い寝間着に袖を通すのさえさり気なく、枕を高くして床に就く。身体を清めても拭えない、彼奴らの精神の邪さを十二分に知っている青娥娘々は、それもまた人間らしさなのだろうと、寛容に切り捨てた。知ったことではなかったのである。
青娥娘々は忙しい。夜更け過ぎ、墓地を囲む木の柵をその能力で以てして優雅にすり抜ける。凪で宙が清いと仄聞の、月の大きな夜であった。
娘の墓碑はとても簡素なもので、そこらに落ちていたかのような武骨さの抜けない石の、名さえ刻まれていない有様だった。生前一緒に過ごした弟の墓碑とは他人同士の如く離されており、そちらのほうは大きく豪華な御影石である。青娥娘々は弟の墓を看過し、娘の墓碑前で立ち止まった。こんばんわ、と、口付ける。
「わたくし、あなたに逢いたかったの。すごくすごく、逢いたかったわ」
ここに来るまでに青娥娘々は、娘の願いとはなんなのだろうかと、真摯に、いつになく懸命になって考えてみた。その為に娘の家人を観察してみたり、あの屋敷に来る前に住んでいた時期のことも調べていた。出来るだけ多くの情報を手に入れ、青娥娘々なりの解釈と考慮を経て、娘の願いを、なにがしたかったのかを考えたのである。生前の扱われ方を鑑みれば、家人への復讐だとて可能性は低くない。幼かったとは言えひとりの人間なのであるから、一端の憎悪を抱くのは至ってごく普通なのだ。最初は、それが有力だと青娥娘々には想えた。しかしながら、その割には、
「綺麗な顔で眠りについたのね。まるで憎しみなんて持っていないかのよう」
影と湿気の混じる土の下。娘が休む棺桶の中に能力で踏み込んだ青娥娘々は、瞼を閉じた娘の表情を観察して、そのように呟いた。手元の灯りが二人の影を桶の内側に落とす。片方の影が手を伸ばすと、触れる頬は冷たく、血の気配もしない人の形が顕になった。頬から顎にかけて指でなぞり、そのまま唇にも触れてみる。生きている感触ではないのはすぐに分かった。さきほど野良猫を撫でていたときに抱いた幸福感というか、なにか丸みを帯びた暖かさらしきものがまったく無いのだ。されどその姿は安らぎの中で眠りについて、なにも知らぬうちに生きることをやめてしまったかのような、静かな、安穏たる死である。憎しみさえ知らぬかのように。
ならば、青娥娘々には、分からない。娘の願うかけらの一つも、分からなかった。
それはそうであろう。つい先日お互いの存在を知ったのである。これまで逢ったこともなかったのだから当たり前であるし、たまたまこの娘が青娥娘々の目に止まり、巡り合わせでキョンシーへ成るのに好条件だっただけで、そうでなければいまでも赤の他人の、知る余地もないほどの無関係であっただろう。ただでさえ人嫌いのする青娥娘々であるから、もしかしたら一生逢うこともなく娘の命は尽き果て、このような機会には辿り着けなかったかもしれない。不可思議なものであり、奇特なものであると青娥娘々には想えた。
巡り逢いは坂を転がる石のようなもの。止まれぬし、いつ始まったかも分からぬ。近くになっても、すれ違うだけということもある。ちょっとしたことですぐに坂から外れ、二度と戻って来れぬこともあり得る。故に、巡り逢いは奇特なのである。これもまた世界からの『応じ』と言えるだろうか。捉え方は千差万別、かくも世界は緩やかに強制的であった。
思慮を浮かばせつつ、娘の死に装束をすべて脱がせたところで、青娥娘々は動きを止める。
「応じ、か」
世界から与えられる『応じ』とは、可能性がある限り最大でなければならないし、それを必要とする『求め』は最低限のものでなければならない。青娥娘々が知っている範囲では、そういう道理で以てして、人と世界は成り立っている。成り立っているはずである。『応じ』に対しての貢物は求める者の願いに呼応して多様に変化する。これでなければいけないというふうに決まっているわけではないが、『求め』の大きさと性質に左右されるのでなんでもいいわけでもない。絶妙な天秤の上でのこと故に、果たしてなにが必要であるかは求める本人でさえ、代償として失うまでは分からないのだ。
それは、この現状に酷似しているのではないか、と、青娥娘々の胸中にひとつ、波打った。
「世界とはなにかと、自虐めいて考えたことはあるけれど」
答えは見つからずにそのときは有耶無耶になった。世界と向き合うこと、それは道教の教えのひとつであり、世界の、ひいては宇宙の根源的な不滅の真理を得ることである。道(タオ)と一体に成ることを究極の理想としている道教に、欲を律する教えは無い。なぜならば、欲望を抑えずして、願い叶えることこそが、世界と向き合い真理に近づくことだと青娥娘々は想う。生きる、それ自体が願いであるのだから。
キョンシーを欲する青娥娘々の『求め』に対する世界への貢物は、今にして想えばここまでの経緯と時間、及び娘の願いを叶えることだろう。世界は常に求める者に代償を迫る。考えてみれば、それは青娥娘々だけではなかった。この娘にも願いがあり、世界はその代償を必要としている。否、娘からもうすでに奪っているのかもしれない。もしそうなら、娘の願いの代償とはなんであろうか。それが分かれば、きっとそこから願いの所在も明らかになるかもしれない。
「……わたくしはね」
青白い、生気の漏れた肌を晒す少女に青娥娘々は、言う。
「家族なんて必要ないと想ったことがありました」
声は野良猫をあやすときのように。震える影に、己が心象を見た気がした。
「わたくしの家族も、それはもう非道いものでした。父は仙人になるために家から去りました。まだ幼い、男親の懐深さに飢えていたわたくしを置いて、です。一度もわたくしのもとに帰ってくることはありませんでした。母は母で、わたくしを再婚の道具としてしか見てくれませんでした。少し成長していたわたくしの、女親への憧れと尊敬を踏みにじったのです。離れて暮らすようになってからは一度たりとも逢っていません。十三で嫁いだわたくしは、新たな家族を得ているようで、その実、天涯孤独を嫁入り道具に、またいつ捨てられるのだろうと怯えきった猫のように、嫁ぎ先で愛想を振りまきながら過ごしました」
初潮間もないおぼこである。身の回りの仕事だとて自分のことだけで両手が塞がってしまう、手際の覚束ない娘である。嫁ぐ意味さえ未だ深く考えていなかったそんな娘に、他に一体なにが出来ようか。よくやっていたと、今にして想う。
形だけあれば成り立ってしまうことがある。青娥娘々の母親はそれを彼女に強要し、自らもそれに便乗した。幸せを求めるあまりに、上辺だけの付き合いと、お互いの妥協という名の愛に溺れ、ずっと楽な方へと逃げた。夫から相手にされなかった女の成れの果てに、無理もないと言えるのかもしれない。しかし、そこには悪意があった。自分以外の誰かが不幸になっても構わないという、生物の本能的な悪意が。
青娥娘々は気づいた、否、気づかされたのだ。自覚の伴わない悪意と、それを子守唄に成長した自らに。
「義理の父母は出来た人たちでした。適齢なのに女中ほども使えない嫁を貰い、あまつさえ我が娘のようにかわいがってくれました。わたくしを不憫と想ったのでしょう。夫も、少々の優柔不断に目を瞑れば、優しいだけが取り柄の素直な人でした。ただもう四十に届く年齢でしたから、親族から早く後継をと急かされながらも、わたくしに迫ることもなく、準備が出来てからでいいと言ってくれた夫と両親でした。肌に慣れぬ幸せを、それでも必死に逃さぬように、わたくしは家庭の中で生活しました」
はたちを越え、成長もやがて止まろうと緩やかになった頃、青娥娘々は夫に身体を開いた。嫁に来てから七年目のことである。それまで経験するのを拒んできたのは男を知ることに恐怖していたからでも、子を成すことに鬱屈した気持ちを抱いたからでもない。ただただ、家族に甘えていたからであった。もしかしたらこのままずっと変わらず生活出来るのかも、と、夢見に立ったことも一度や二度ではない。しかし優しさに溺れながらふと我が身を省みて、母の姿を想い出した。まるでそっくりであった。
「わたくしが床でうなづくと、夫は喜んでくれました。わたくしは母のようにはなりたくなかった。誰かの善意に甘え、自らは動こうともせず、そのくせ建前だけ善人であろうと嘘を嘘とも想わない、そんな人間にはなりたくなかったのです。何度目かの夜を数え、月経が来ないと義母に伝えると家族総出で祝いを上げてくれたのを憶えています。母への反発もありましたが、子の親になるというもの悪くないと想えましたから、素直に嬉しいと、家族が喜んでくれることに心から感謝しました。次第に大きくなるお腹を愛しく想いました。あんなふうに、血も繋がっていない誰かとわたくしは生きていけるのだと、初めて感動しました。家族は素晴らしいものです」
青娥娘々はそのときと同じように、左手を自らの腹へとあて、ゆっくりとさすった。未だ瞼を閉じている娘にもよく分かるようにと、わざわざ肌まで晒した。しかし感じるのは青娥娘々だけの体温だけである。
上着を直し、起伏があまりない声で、身籠った子は流れました、と、娘に囁く。
「ちょっとした不注意で、わたくしは初めての子を殺した。しかし誰もが非難すべきわたくしを家族は誰も責めなかった。それどころか、わたくしを悪く言う親戚連中に一番辛いのは本人なのだと、壁になって庇ってくれました。夫だって、ずっと傍で肩を抱いていてくれました。わたくしへの優しき想いやり、深き情愛。なんて心地良いのだろう。この人たちはわたくしを無限に愛してくれる。わたくしが不幸になればなるほど。その愛は幾重にも膨れ上がる。温い温い、お湯に浸っているような感覚でした」
一度は抜け出そうとした甘えから、さらに甘言を頂戴して前よりも深きところまで潜ってしまう。そこは居心地が良いと想うより先に、もはや鎖に繋がれた飼い犬のような、なにか強大なものに付き従うときの安心感と、充実感、一方的な信頼による迷いの無い心象が現れてしまって、当人からすればそれだけが唯一無二の正しさとして目の前を覆ってしまう。優しさという監獄に自ら進んで入り込んで、自分は間違ってはいないのだと、自己擁護の囚人と成り果てる。あまりにも優しいからだ。なにもかもが。
「ゆっくりと、しかし確実に罪悪感から解放されると同時に、奇妙な暗示に掛かるのです。自分はなにも悪くない、むしろ正しいことをしたのだと。味わったことのない他人の優しさは、わたくしには麻薬に等しかった。骨の髄まで、頭の奥まで。熱に浮かされた子供のように、わたくしは家族の愛に溺れました。だけど、ひとつだけ気に入らないことがあった。流れた胎盤を処置したとき、義母が非道く辛そうな目をしたのです。血にまみれた醜い我が子のなりそこないを見る目は、わたくしを見てくれる目と同じだった。ああそうか、この人達の優しさは、一部のものへしか届かない。わたくしは気づいたのです。優しさは、愛は、一種の志向性を持つ毒なのだ。この人達の目には、この胎盤と同様の薄らおぞましい姿のわたくしが映っているんだ、と」
どこからともなく青娥娘々は布巾を持ち込み、娘のやつれて骨が山を作る肌を綺麗になるよう静かに拭き始めた。布巾は水気を含んでいるのか、娘の肌は拭いたさきからしっとりと濡れ、暗くとも艶を帯びてゆく。香油と薬品の匂いが微かに棺桶内で泳ぐ。
愛情の現れは人それぞれだとしても、その正体を知ったとき、対象者はどうすればいいのだろう。当時の青娥娘々は、考えた。底の浅い女なりに、必死に考えた。
「優しさの正体と自分自身の正体を知ったわたくしは、もう、好きに生きようと想いました。所詮はあの母とあの父の子供なのだから、それと同じく好き勝手にしてみようと。蛙の子は蛙。なにも変わらない。それなら自分が変える、わたくしの周囲だけでも。だから、いつか父から道教の書物をもらったことを想い出し、少ない荷物の中からそれを見つけたとき、わたくしは得心しました。裏表紙に父の字でこう書かれていたのです。そのうち帰る、と」
あれだけ高らかに笑ったのは後にも先にも、そのときが最後であったと青娥娘々は憶えている。
「唯一父が残してくれた書物から、わたくしは道教にのめり込みました。自由で自在で、なにより道教の理想にある仙人が一番わたくしの興味をそそりました。寝食さえ後回しにして道教に励むわたくしを、家族はやはりなにも言わずに見守ってくれました。わたくしのやっていることも理解せずに、ただただ甘やかして。わたくしにとってはもはや優しさなんて都合のいい隠れ蓑に過ぎなかったのです。いえ、あれは優しさじゃありませんね。あの人達にも都合が良かったのでしょう。誰も自分が間違っているなんて考えたくないでしょうから。やがて家族に見切りをつけるのに、数年とかかりませんでした」
娘の身体を全身くまなく拭き終えて、青娥娘々はそこへ呪文や印が書かれてある呪符を貼ってゆく。艶を取り戻した肌に呪符はよく馴染んで、身体に浸透していった。
これで準備は終わりである。術式のほとんどを医者の男が完了させていたので、青娥娘々が行ったのは男の匂いを消すことと、防腐の術を施すことぐらいであった。
「ある程度の術が扱えるようになると、さらに道教を深く知りたくなりました。知れば知るほど知らなければならないことが増え、底の見えない深海のような道教の魅力に染まりつつ、わたくしは驚きました。自分にはこんな探究心がある。わたくしには、大きな欲望がある。以前のわたくしには考えられない、広大な世界がそこにはあったのです。やがてわたくしには目標が出来ました。自由を得ること、仙人になること。そして、父に逢うこと。その為にはあの家を出奔しなければならない。住み心地の良い、暖かな巣から。未練などありませんでしたし、大掛かりな道術の研究をするにはもはや手狭でしたから、すぐに行動に移しました。道術で竹を身代わりにし、わたくしが死んだと見せかけました。泣き崩れる夫と義理の父母を尻目にわたくしは夜を待って家を出ました。奇妙なものでしたね、自分の葬儀の灯りが送り火にも、迎え火にも見えて。自分がこれからどちらを踏むことになるのか、分からないまま夜の山を走り出しました。凍えるような三日月の、青くさざめく夜でした」
それまで得た幸福のすべてを、青娥娘々は蛹が脱皮するかのように捨ててしまった。父親から貰った道教の書物を、あの家に閉じ込めたまま。
数年後、風の噂でどこかの名家が没落したと流れてきた。修行の片手間でそれを耳にした青娥娘々は、そう言えばあの家も名家だったと想い出した。しかしそれもすぐに修行の日々に忙殺された。奇妙な満足感だけを残して。
「いまのわたくしが居るのは家族があればこそです。程度の良し悪しはあれど、ふたつの家族がわたくしを育んだのは紛れも無い事実。家族とは糧です。自らを成長させるための安寧たる巣であり、盾であり、矛であり、仮初の愛でもある。愛は他人の幸せを願うものであるならば、わたくしに触れたものはすべて仮初と呼ぶしかないでしょう。ひとつめの家族はわたくしを利用し、ふたつめの家族はわたくしが利用してやりました。そして必要なくなったら捨ててやればいい」
防腐の効果は正常である。腐敗が進まなくなった娘の身体は、まるで時が止まったかのように現状を固定し始めた。先程までの不完全な身体はもうどこにもあらず。目の前には術の力で補完された理想的な少女性を秘める、純粋なる肉体があった。これぞ道教、これぞ道(タオ)である。いまや青娥娘々が世界に望んでも齎されることのない『応じ』がここに存在する。他人の身体へとそれを施すことで自らには得られないものを見つけるという、青娥娘々の目論見は今ここに成就されようとしている。得るには穢れ過ぎた我が身の写し身。キョンシーを欲することの真なる理由。青娥娘々の望み。それは無謬の隙間が無いほどの、原初からそのまま生まれてきたかのような、真なるものを手にすること。そう、この娘は生まれ変わったと、青娥娘々は想うのである。新しい、真実の我が身として。
娘の身体に寄り、青娥娘々は腕の力を巧妙に蠢動させながら『応じ』を抱き締める。耳元で囁く。
「ねえ、あなたもそうするのですよ。あなたを捨てた家族を、今度はあなたが利用なさい。彼奴らにしてやりたいことはないの。言い残したことは。その想いを糧にしてあなたは新しく生まれ変わるのです。わたくしに教えてください。あなたの『願い』を。憎しみではない、あなたの静謐なる機微を。些細なことでも大仰なことでもいいのです。それがあなたの真実であるならば」
青娥娘々は、娘の身体を愛撫する。押し殺した溜息のような、焦れったく、されど厚ぼったい生々しさをよすがにして、青娥娘々の指が白い肌の上で踊る。なにも知らずに済んだ身体を、若さという完璧さを、青娥娘々はその想うままに転がす。僅か三人分にも満たぬ棺桶の内側は、赤土と静寂の気配に晒されながらもしかし、この世とあの世の境界のように曖昧な空間となった。
嗚呼、こんなことではいけないのに、と、娘の身体に口を付ける度に楔のように戒めが食い込むのだが、止めるつもりが微塵もないのが、このときの青娥娘々の胸中であった。それは誰へでもない、鋭利過ぎる自己愛の鋒であるからして。
どれほどの時間が過ぎたであろうか。感覚ではおそらくすでに朝を迎えているはずであった。一心不乱に続けた娘への愛撫を途中で放棄し、そのまま添い寝の形となった青娥娘々は、眠りもせずに、ただ始終無言で今に至った。自らのやりたいことをやり尽くしたのだから、もはやなにもすることが無かったのである。こんなとき、時間というものは毒にも薬にもならない、無味無臭の役立たずと成り果てると想えてならない。時間が解決してくれるものはせいぜい、人の恨みごとと、あらゆる物事への慣れだけである。
未だ、娘の身体は動き出さない。愛撫の最中もやはりというか、当然のことながらなんの反応も示さず、ぐったりとされるがままであった。息のひとつでも零そうものなら、途端に行為に気炎を催していたはずなのだが、分かっていたとは言え青娥娘々の気も萎えるのである。投げ出した理由もそれが大半であった。
駄目なのであろうか、と弱気を想い浮かべる程度には、萎えていた。『応じ』への貢物が足りなかったのか、それとも娘の願いが青娥娘々の考えたものとは見当違いだったのか。知る術を持たない青娥娘々は待つしかなかった。
手に入りそうでいて、惜しくも空振りに終わったことなどいままでも幾度もあった。待つことは美徳であり、恐ろしく根気を必要とする試練でもある。言うなれば修行なのだ。より強かな精神を得られ、さらに望むものも手に入るのであれば一石二鳥で言うことはない。しかし、その気概も腐り落ちそうになることがある。手に入らなかもしれないと、ちらりとでも心に根付いてしまうときだ。そうしたら最後、どれだけ刺激的で胸が躍ることであろうと、あっという間に無気力という腐臭に塗れてしまって、触りたくもなくなってしまう。青娥娘々が辛うじてでも踏みとどまっていられるのは、少なからず娘への情があったからであろうか。加えて道教の体現、真理への道程となれば尚更であった。
さらに数刻。青娥娘々の溜息で棺桶が満たされる直前である。娘の死体が突如として上半身だけを起こした。それはまた勢い余って棺桶の蓋に頭を打ち付けるほどであった。しかし娘は痛みを感じないのか、虚ろな表情のまま髪を蓋にこすりつけている。まるで植物の種子から芽が生えてきたときのような、反射めいた動きであった。
青娥娘々は未だ身体を横にしたまま、その様子を粛々と見つめていた。顔は驚きとも感嘆とも言えぬ、状況をさも当たり前と断じているような、達観した雰囲気であった。
ふと、娘の両眼が青娥娘々を飲み込むように黒々と捉える。やはりそこにも感情や逡巡といった人間らしさが無い。そのままなにも言わず、故になにも応えず。見つめ合うこと心臓の鼓動にして十三回。それが娘の言霊だと判断した青娥娘々は、承知しました、と、予め用意しておいた符を懐から取り出し、娘の額に貼り付ける。
符には『急急如律令』と記してあった。
「差し当たってあなたがすべきことはなにもありません。ただわたくしの後に付き、眺めて一緒に続けばいい。考える必要も無ければ言葉を発する必要もありません。あるいはすべての物事に影響を与えるのも自由です。つまりはあなたの好きにしなさい。わたくしの庇護の下、どんなことでも許可し、援助し、放逸でありましょう」
わたくしの手元に居るのであれば、と、青娥娘々は改めて強調するべきところを付け加えた。自らが所有者であることの意味合いを示すべく、こうして言い聞かせているのだが、それも無下に帰してしまうと想えた。当の本人である者は視線が定まらず、あちらこちらを眺めてばかりでとても耳に入れて憶えているようには見えないからである。元来それほど期待していなかった頭の明敏さであるが、明らかに呆けているわけではないものの、なにか自我が多く残ってしまったようで、キョンシーにとって余計な部分が働いているらしい。キョンシーにあるべき従順さが、ほとんど抜けているようなのである。
キョンシーとして生まれ変わった娘は、いまや自らの墓石に腰掛け、それこそ赤ん坊のように純真無垢で、気侭なものであった。空をゆく小鳥を目で追ったと想えば、死に装束の袂が気になるのか引っ張ってみたり爪で掻いてみたり、そうしていると次は耳に掛かる自らの髪が邪魔だとかき上げ、足をぶらつかせればそこに触れた草で肌が切れて間の抜けた声を出す。兎に角忙しない。幼児か、年少の子供そのものであった。これでは子守りである。
ほら、と言って、青娥娘々は娘の死に装束を整えようと手を伸ばした。すると娘はその手を掴み、鼻先に持ってきて犬のように匂いを嗅ぐ。恥ずかしげもなく、と想いつつ青娥娘々は多少強引にでもじゃれる手つきを振り払い、娘の襟元を詰め、裾を伸ばし、血が出もしない足の切り傷を指で舐めた。さらにその手際に絡んでくる娘を落ち着かせ、ついでに、乱れた髪を手櫛で軽く梳く。経験したこともない人形遊びを想像して、それならばと自らが結っていた簪を娘の髪留めとした。ちらちらと揺れる簪の飾りが、娘の青白い顔に反射した光の屑を降らせた。
眩しそうに、娘が笑う。青娥娘々が初めて見た娘の笑顔であった。
「しようがない子ね」
自らも棺桶の中でついた衣服の癖を整え、青娥娘々は娘の頬を撫でた。生きた人の肌ではあり得ない冷たさと、くすぐったくてもどかしそうな娘の表情を楽しむ。触れた先から、こちらの熱が吸い込まれそうな感覚に陥る。それは、この娘の中に新しきなにかが存在している証左であると、青娥娘々は思慮するのである。
娘が突然、なんの脈絡もなく口を利いた。
「とうふ、たべたい」
「お豆腐。お豆腐、好き?」
「すき」
青娥娘々はこの娘を愛でるために、名を与えようと想った。
明くる日、改めて尼僧の格好に身を包み、青娥娘々は件の屋敷へと赴いた。早朝ではあったが、雀の鳴き声よりもはるかに屋敷内は慌ただしかった。門のすぐ外で耳を澄まして聴き入るに、どうやら娘の以前の家族が突然押しかけて来たらしい。しきりに疑う声や怒声が上がっている。娘の死を悼む連中が、少なからず居たのである。青娥娘々はその雰囲気を道端の地蔵のように、素知らぬ表情で以って感じ取っていた。
しばらくして、門が開き、そそくさと誰かが出てきた。背の低い、杖を突いた姿はあの老獪な嫗であった。逃げてきたのであろう、嫗はまだ寝間着のまま、顔さえ洗っていないのか目をこすっている。青娥娘々は、すかさず、
「おはようございます。先日はなんとも、度重なるご不幸で」
小さな呻きを吐き、嫗が老人とは想えぬ素早さで振り向き、後退る。よほど哀れんで見えて、青娥娘々は愉しき想いを胸中に忍ばせた。嫗は尚もまだ口篭る。
「は、これは、どうも」
「失礼致しました。先日、あの納屋の娘さんも逝かれたそうで、お祖母様もさぞかし心を痛めているかと想い、遅ばせながら参じました。ご葬儀はいつごろ」
「ああ、うん」
「いえ、少しでもお力になれればと、余計なことでございました」
深々と頭を下げ、ゆっくりと姿勢を正す青娥娘々には、あと少しの辛抱すら難しいものであった。
「つい今朝方、経を上げて参りました」
「ど、どちらへ」
「娘さんの墓にです。上げ終え、立ち去ろうとするわたくしの背に、どこからともなく声がかかりまして、嗚呼、そういうことなのだなあと、染み染みしたのでございます」
嫗には、もはやなんのことか、狼狽えるばかりである。
「弟に逢わせてくれてありがとう、と、娘さん、仰っておりましたよ」
それでは次のご法要がありますので、と今度は浅く辞儀をし、来た道を戻ろうと頭を振った青娥娘々は、そのついでとばかりに門の影に向かって手招きをした。拙い足取りで、嫗には見慣れたはずの娘が現れた。
嫗と向かい合うこと一瞬、娘は、白目を剥いて舌を出す。
「さあ、参りますよ、芳香」
――――青娥娘々曰く。肩越しに見えたその嫗の顔と言えば。
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ガサツな野郎共にはできない技ですね。
そんな灰色めいた感じが良かったと思いました
動きさえすれば、これから故郷に連れて行くとか何とか言えば、ポッケないないは思いのまま。
なので、このお話の「キョンシーを作りたいのに材料を探すのがとっても大変」という前提には、なんだかとっても違和感があります。
それはそれとして、そのばばあどもは死んでよし。
青娥のカリスマっぷりが書かれているのが好きになった最もたる理由です。
ひとりのキャラを好きになったファンにとって、そのキャラがしっかり描かれていて、さらに格好いい作品は宝物たりえます。
序盤は難しそうだ、暗そうだという感じがしましたが、医者というライバルの登場から、追いかけるシーンまでの流れがスパイ映画を観るみたいでドキドキしはじめました。
悪人同士の対決って、心が躍る物がありますね。
そして医者との対決、歪んだ思想! 青娥が医者を見下すシーンにはカタルシスを覚え、圧倒的な青娥娘々には、やはり我らがの仙人様はこうでないとダメだぞお! と大興奮しました。
救いのない芳香ちゃんパートもなにか静謐な感じがして、静かでもおどろおどろしい青娥パートとの比較して雰囲気の落差にそのキャラらしさを感じました。
青娥が死体に向かって自身の過去を語るシーンは、ちょっと説明臭さを感じますが、個人的には、キャラ設定を掘り下げてくれた嬉しい場面。
青娥娘々の過去やそれから作られた人格は、作者なりに考え、構成されていて、それを基にして作品なんだと納得しました。
欲望に忠実な青娥娘々が、嫌悪するものが「偽善」、
父に捨てられ夫を捨てた青娥娘々の全ての軸になっているのが「家族」という概念、というのは、凄く良いな、と思います。
でも……やっぱり全体的に悪趣味な物語ですし、固い文章で、しかも長編なので、人を選ぶとおもいます。
(特に青娥娘々曰く。から始まる箇所は)
芳香ちゃんパートはひたすら不幸、不幸、不幸。ここでも嫌いな人は読むのをやめてしまいそうです。不幸な娘に惹かれる人種もいるのですが。
それから気になった点といえば、キョンシーに芳香と名付けた理由です。
芳香というと、その正体は古代日本の歌人・都良香だという二次創作からの影響があって
もちろんそれは公式設定ではないから芳香の正体なんてどう設定しても構わないはずなのですが、
作中の不幸な娘が芳香ちゃんたる理由がハッキリしていないと、あれ都良香は? と、モヤモヤしたものが残ってしまいました。
もしも新こんぺに投稿されていたのなら採点は8点をつけていたんじゃないかとおもいます。
この仙人大好き。
綺麗
キョンシーになる娘さんの不幸っぷりが読んでて辛いとか、味噌汁、カルテ、土葬などの記述から近代日本が舞台なのに、芳香は、札が外れると短歌を歌ったりする教養があったりするから、ちょっと原作と合わないなぁとか、気になる点もあったのですが。
芳香へのナルシシズムに似た愛情と慕情、青娥のひそやかに溜まっていくストレスが徐々に漏れ出してついには発散される流れ、全編を貫く青娥の奔放な意識と行動力が私にとって何よりの見所でした。
いい小説を読ませていただきました。
読後感は、ちょっとスッキリって感じですかね。最後に少しだけ溜飲の下がる話は結構好きな口です。
文章の味も中々のもので。
カリスマというより悪徳としての女性らしさを感じました
良かったです。
でもタイトルは作品の雰囲気とあまり合っていないように感じられました。
本当に面白かった!
青娥という人の内面を見事に描いた名作だと思います