Coolier - 新生・東方創想話

夏風邪注意報

2005/07/23 05:10:42
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夏。
例年より少しだけ短かった梅雨も終わり、毎日を太陽が彩る季節。
勿論、ここ幻想郷にも夏の空気は惜しげもなく広がっていた。
川で、山で、里で、家屋で、屋外で、地上で、空で。
燦々と降り注ぐ太陽がこれでもかと主張する。
季節は夏。
今日もまた、暑い日になりそうだ。





「……ホントに、今日も暑いな」


「――」


「こんな暑い日、こんな夏に」


「――」


「なんでお前は風邪を引くのかなぁぁぁ!?」


「――けーねウルサイ、あっち行け」





夏風邪注意報





季節は夏。山間の竹林の奥に佇む小さな庵も例外無く夏。当たり前な事だ。
とは言えさすがに山間、竹林の奥、更には少し離れたところには川も流れている所為か、里に比べればなんとも快適な涼しさを保っていると言える。
それでも遠く聞こえてくる蝉の鳴き声などは鬱陶しいことこの上無く、涼しいとは言えやはり夏。暑くない訳が無い。
そんな山奥の庵では、不死の人の形、藤原 妹紅が日々を過ごしている。
蓬莱の薬の力によって得た不老不死の身体は老いる事も無く、朽ちる事も無い。
だが腹も減るし、怪我すれば勿論痛い、死に繋がる事柄が起きてもその肝心の死が無いだけなのである。
早い話が死なないだけのただの人間なのだ。いや、さすがにただではないか。
「全く……不老不死が聞いて呆れるな」
「……不老不死だって風邪は引くのよ」
原因になる薬を作った者に是非とも伝えてみたい症例だろうと、看病に訪れた妖怪はそんな事を考える。
「いいか妹紅? 馬鹿は風邪引かないと言われているが、馬鹿が唯一引いてしまうのが夏風邪なんだぞ?」
「……くぬぅ、風邪さえなければお前なんてー」
早い話が馬鹿だと目の前の妖怪はそんなことを言うんだ。長年連れ添った相手に。病人を前に。
「大体だな、昼に川で水浴びして、ろくに身体も乾かさないで白黒の持ってきた氷菓子を山ほど食べて、また水浴びして、帰ってきたと思ったら氷室の扉開けたまま身体半分入れたまま眠ったりして、しかもろくに服を纏っていなかったじゃないか。そんなことしてたら馬鹿でも身体壊す事は分かるだろう?」
くどくどくどくど……何かあるとお小言を始める半獣半人の妖怪。歴史食い、上白沢 慧音はこれでも人間が好きだと言う妖怪きっての変わり者でもある。
文句を言いつつも手はお絞りを水で洗い直したり、手元の団扇でゆっくりと扇いでいたり、とは流石の姿だが。
「だって……暑いじゃない。ぶっ!?」
言い終わった直後に慧音の団扇が顔面に振り下ろされた。
「い、いま縦だったー!?」
「ええい五月蠅い、さっさと寝てしまえ馬鹿者。全く……」
叩いた団扇で扇ぐ。文句言いながら。
「ぅー……覚えておきなさいよ、慧音」
「安心しろ、覚えておくだけならいくらでも覚えておいてやるぞ。私は」
さらりと言っているが実際のところ覚えているからまた怖いのだ、このハクタクは。
「……」
観念して大人しく目を瞑る妹紅。
実際のところ身体はそこそこに辛い。
夏の暑さに反する身体の芯に残る嫌な寒気。汗なのか湿気なのか分からないべた付く肌、とまとわりつく服。
不快感に重なる不快感。
朝になって氷室の前で目を覚ました時に嫌な予感はしたんだ。これは不味い、と。
まぁなってから気付く辺り、慧音に馬鹿だ馬鹿だと罵られ様と当然なのかもしれない。
ほれみろ……だから風邪は苦手だ。気分も落ち込む。罵倒されたことを認める辺り特に。
それに反して外は清々しいまでに夏の空気。蝉の鳴き声だけでスペルカードの一枚や二枚ぐらいなら使ってでも掻き消してやりたいぐらいだ。
まるで普段と景色が逆転する。昨日はあの日差しの中で水浴びをしていた自分がなんと懐かしい事か、たった一日なのに。
そんな悔しいような、悔しいような、やっぱり悔しい思いに駆られていると頬を冷たい物が拭っていく。
「暑いか?」
慧音はお絞りで妹紅の頬を拭う。
「……暑い」
「素直な奴め」
慧音は目を細めて微笑むとお絞りを一度絞り直してから首筋を拭った。
さっきより冷たくなったお絞りは少しだけ気持ちを晴らしてくれた。それが慧音の笑顔のお陰だとは思ってやらないことにした。





そんな朝を過ごして数刻。
気がつけば眠りについていた私は目を覚ますと慧音がいない事に気づいた。
床から身体を起こしてみると小さなちゃぶ台の上に紙切れが一枚。


『里へ行ってくる。大人しくしていること』


用件だけ簡潔に書かれた書置き。無論、慧音だ。
なるほど、そう言えば今日は里に行く予定の日だったな。私の家に立ち寄ったのは偶然か用でもあったのか。
とりあえず慧音は居ない。
そして体調は少しだけ回復していた。幾分か楽になっている身体を少し動かす。ふむ、悪くない。
まぁ元々普通の人間とは外れたぐらいの中身なのだから、早々風邪にやられて堪るものか。
今は目の前にいない慧音の姿を思い浮かべて鼻息も荒くなる。
さて、楽になったのならいつまでも家でゴロゴロしていてもしょうがない。と言うか朝から退屈だったのだからそのぐらいは返上してやりたく思う。
「ふむ……もう昼ね」
慧音がとある屋敷の従者に貰ったと言っていた壁掛けの時計は丁度真上を指し示そうとしていた。
昼、と単語を思い浮かべるとふと腹具合が気になった。
今日は朝から倒れていた所為もあってか口に入れたのは水だけだった。飯を炊いた訳でも何か変わりになるものを食べた訳でも無い。
食事の事を考えるとますます空腹感が強くなる。
本来、病人ならばここで粥などを食すべきなのだろうが……この空腹感はそんな薄味を引き伸ばした米のとぎ汁の如く食材で満たされる訳も無く。
よし、川魚でも釣って食べよう。
……風邪のことなんてこの時点ですっかりと頭の中から消えてしまっていた。


妹紅は服を着替えると、庵の外に立てかけられた簡素な釣竿を手に取り渓流を目指すのだった。
鮎、山女、岩魚、虹鱒……滴り落ちる油の焼ける芳ばしい香りを想像するだけで妹紅の足は軽くなる。
目指すは大物。
今日の礼も兼ねて慧音の分も用意しよう。そして馬鹿の汚名返上といこうじゃないか。
嫌な汗もスッキリと洗い流そう。折角の川だ、綺麗さっぱりして今日の床に着ければきっと清々しい気持ちで明日を迎えられる。





妹紅はまるで半日の気だるい時間を払拭するかのように過ごすのだった。










……茜時までは。










「~~~っ~~~っ」
唸り声に唸り声に、声にならない呻き声が庵に響く。
時折聞き取れる言葉が、あー、だとか、うー、だとか。スペルカードかと勘違いしそうだ。
「……」
その様を眼前に、慧音はこめかみに青筋を立てながら無言のまま座っている。
「ぁーー……ぅーー……」
妹紅は手を伸ばしてありもしない中空を掻き毟る。
この暑苦しい中で重なる熱に気味の悪い悪寒。なんだってこんな思いをしているのか、と考えるとまたすぐに呻き声を上げる。
順調だった。予定通りの時間を過ごせたはずだった。
予定外と言えば白黒の魔法使いがまた氷菓子を持って現れたことだったが、焼き魚と交換で充実した食事を摂ることが出来たのに間違いはなかった。
陽が陰る前に最後に水浴び、汗を全部流してさぁ帰ろう。里から戻ってくるであろう慧音を待って余った魚でも焼きながら今日のお礼といこうじゃないか。
水浴びを済ませて、身体を拭って、さぁ戻ろうか……その時だった。
ふと目に入ったのは茜がかった夕暮れ時の空。
強い西日、陽が落ちる寸前の暑い日差し。
綺麗な景色……と普段ならそう思えただろう。
だけど妹紅の脳裏には嫌な感情が沸き溢れていた。
張り付いたように滲む汗、日差しに焼かれて熱っぽい肌。
今朝の自分を思い出す。そんな要素ばかりの光景。
そこで妹紅は急な悪寒に膝を崩すのだった。
涼しくなっていく筈の時間なのに熱くなる自分の身体。
熱くなっている筈の自分の身体に潜む悪寒。


早い話が風邪をぶり返したのである。
「ほんっっっっっっとにお前は……馬鹿者だな。馬鹿者!この大馬鹿者!!」
慧音は心底呆れたと言わんばかりに病人を前にこれほどかと言うほど言葉を荒げる。
無理も無い、何しろ庵に戻ったらもぬけの殻。まさかと思い外に出ると釣竿は無い。そんな馬鹿なと思って渓流に来た時には蹲ったまま唸り声を上げる妹紅を見つけたと言う。
これを呆れないでいつ呆れることが出来ると言うのか。
慧音は妹紅を抱きかかえると妹紅の庵まで一気に飛んだ。


『大人しくしていろ』とはつまり慧音の里での経験上こう言う事だ。
大体朝方から体調を崩した人間は昼前後で割と気分が楽になってしまう。
それは朝から昼前にかけて休む事で得られる微々たる体力回復。これにより主に小さな子供で普段から元気の良い者、風邪などに縁の無い者が勘違いし、身体を動かすなどして体力を消耗して夜になると風邪を更に抉らせると言う結果になる。
その事を含めて、里で子供が風邪を引いた場合は両親に『例え風邪が治ったように見えても丸一日は安静にしておくように』と確認を含めて伝えておくのが常である。
家族が居れば、誰か看る者が居ればこの程度の配慮でも大丈夫なのだ。
が、まさか既に子供の何倍以上もの時を生きたこの人間はあろうことか体力消耗のオンパレード。仕舞いには川の流水に身体をさらすと言う自殺行為まで働いたのだ。
大人しく寝ていてくれるだろう、とあの寝顔を見て思ってしまったのがそもそもの間違いだった。
朝から調子を悪そうにしていた妹紅が大人しく寝息を立てた頃には「この様子なら日が暮れるまでは大人しく眠っているだろう」なんて希望的観測に任せたのが悪かった。そう思うと多少自分に非があると言う部分も考えられなく無い。


「全く、里の子供となにも変わらないぞ! むしろ夏に風邪を引くような子は滅多にいない!!」
お絞りを広げながら怒鳴る慧音。
拭いても拭いても妹紅からはじわりと汗が滲んでくる。
不老不死の人の形、藤原 妹紅。歳を取らなくなり、病苦を忘れたはずの彼女が何たる姿だろうか。
「……ぅー」
何か反論のような声に聞こえなくも無いが今の状態じゃ言葉が言語にまで形作られない。
「全く……」
適当に怒鳴り散らしたら、これ以上は更に身体に堪えさせてしまうかもしれない、と邪推しとりあえず看病に当たる。
「……ぁー」
苦しそうに唸り声を上げる妹紅。
死ぬ事は無い、と分かっていてもここまで弱りきったまま捨て置くのは流石に忍び無い。
「……馬鹿は死ななきゃ治らないと言うが」
死ぬことないお前はずっと馬鹿なままなんだな、きっと。
慧音は妹紅の額のお絞りをたらいの水で洗い直し、固く絞る。
お絞りを乗せる前に自分の手を妹紅の額に当ててみる。
「……凄い熱だな」
これだけの熱があるのなら意識も朦朧としているのだろう、さっきからの奇声も当然の事か。
「……………、……ち…ぃ」
「ん?」
「……ね…て、…もち…ぃ」
妹紅がなんか言っている。
「どうした?」
「…ーねのて、…もちいぃ」
「……」
「……」
「けーねのて、きもちいぃ?」
「……コク」
全く、何を言ってくれているのやら。
目を潤ませながらそんな事言われてしまったら引っ込めようが無くなってしまう。
まぁ……引っ込めたいとも思わないのだが。
「しばらく置いておくか?」
と聞くと、コクリと首を縦に動かした。
「素直な奴め」
そう言うと妹紅は苦しそうだけどにこっと笑った。うん、やっぱりこの人間にはこの笑顔が似合う。顔が紅潮しているのは今日は風邪を引いてるからと言うことにしておいてやろう。





酉の刻に刺しかかろうとする頃。妹紅の体温は少し下がり状態としては楽になりつつあった。
そこで慧音は少し遅めの夕食を摂らせる事にした。
「ほら、出来たぞ」
土鍋をそのままにした粥とお椀と竹製のレンゲ、梅干を添えてお盆ごと妹紅の横に置く。
「ん」
妹紅は身体を起こすと大きく息を吐く。
「まだ辛いか?」
「ん、大丈夫」
と言いながらもやはり少し顔色は良くない。
「食べれるだけでいいぞ」
「ん」
妹紅は返事をする。
が、お盆の上を見たまま動かない。
「……」
「どうした? 食べないのか?」
「……」
今度はこっちを無言のまま見つめてくる。
なんか訴えかけてくるようなこの目……関係無いと思いたいが、この前に里へ降りた時の子供達に水遊びをせがまれた目を思い出した。
「……ちょっと待ってろ」
これ以上無駄なやり取りをするのもあれなので先に折れる。と言うか正直なところ病人の頼み事なんてどうせ自分が折れるに決まっている。
『甘いよなぁ』とちょっと情けなく思うが、目の前の人間は嬉しそうに目を輝かせているから良しとしておこう。


カチャカチャ……


土鍋の中からお椀に粥を移して梅干を乗せほぐしていく。今日、里で無理言っていただいた物だ。
「ふーー……」
レンゲで粥を掬って息を吹きかけて冷ます。土鍋のまま煮ていたから熱そうだった。
「こんなんかな? ほら、あーん」
「ん。あー……」
妹紅が素直に口を開ける。雛鳥に餌を与える親鳥の気持ちとはこんな感じなのだろうか。
「っっつ!?」
「あっ!? と、すまん! あ、熱かったか?」
頷きながら舌を出して手で扇ぐ妹紅。
慌てて水の入った湯のみを渡すと妹紅は水に舌を入れて冷やした。そしてそのまま睨まれた。
「す、すまないな。もう少し冷ましてからにしよう」
もう一度救い直してまた息を吹きかける。ふーー……さっきよりも長く。
ああ、そうか。試しに自分で食べてみれば良かったのか。
そのままレンゲを自分の口に運び少しだけ口に含んでみる。うん、私でも普通に口に入れられるぐらいなら問題ないだろう。
「よし、これなら食べれるだろう。あーん」
「あ……あー……」
レンゲを差し出すと妹紅は少し戸惑いながら口を開けた。
口の中に放り込んでみると何故か顔が赤い。熱の所為? ではなさそうだが。
「熱くないか?」
「ん、平気」
とりあえず大丈夫らしいので良しとしよう。


そんな感じに繰り返していると粥が半分ぐらい無くなったところで妹紅は「もういい」と言ってきた。
「一応このまま置いておくから食べたくなったら好きな時に食べると良い」
「ありが、と」
なんだか食事を始めた時から妹紅の様子がおかしいのが気になるが……まぁ風邪の所為なのだろう。
「あぁそうだ、桃をもらってきたのを忘れてた。用意しておくから好きな時に食べると良い。人間の風邪には良いらしいからな」
慧音は部屋の隅にある小さめの氷室を開いて桃を取り出す。里から戻った時に氷も足しておいたので桃は十分に冷えていた。
台所から包丁を一つ持ってくると妹紅の横に座り慧音は桃を剥き始めた。
「今食べたかったら言ってくれ。残った分は皿に盛っておくから」
「じゃあ、一切れ」
「よし、待っていろ」
慧音は慣れた手つきで桃の皮を剥いて、芯が入らないように一切れ切り離す。
「あ、串を出してなかったな。仕方無い、私の手で我慢してくれ」
慧音は包丁に張り付いている一切れを指で摘むとそのまま妹紅の口の前まで持っていった。
妹紅は慧音の指に摘まれた桃を見てまた顔を赤くする。が、そのまま口を開いてゆっくりと齧りついてきた。


かぷっ……ぺろっ……ちゅぅ


「ん……おいし」
「……」
「……けーね?」
「……指ごと食べるな」
慧音は硬直したままどうにか口を開いた。
まさか自分の指ごと食べられるとは……口に咥えた時点で指を離そうと思っていたのだが指ごと口に含まれるとは思ってもみなかった。
指先に残る妹紅の唇と舌の感触。柔らかくて熱くて。最後に手についていた桃の果汁まで吸い取っていった。
思わず一瞬硬直してしまった。
「えと……ごめん」
「え? あ、いや! いやいや! その…ちゃんと皿に盛ろう。うん。食べ辛かったな。気が利かなくてすまなかった」
一気に並べ立てると慧音は流しに行って、平たい皿と竹串を取り出して戻ってきた。
「皿に、並べていくから……好きなだけ食べて、くれ。うん」
ギクシャクとした言葉遣いになってしまいながら桃を剥き続ける。
風邪の所為なのだろうが、妹紅の振る舞いがいつもと違っていて…驚きのあまり動揺を隠せない。
確かに病気を患った人間と言うと弱気になったりする者もいたりするが、まさかこんな身近な人間がこんな風になってしまうなんて想像もつかなかった。
鼓動の音が大きい……桃の皮むきに集中してみても一向に音は小さくならない。音ばかり気にしすぎて思わず指を切りそうになる。


ドクン…ドクン…………ドクン…ドクン…………


そんな風に音ばかり気にしてしまって肝心の手が覚束無い。思わず指を切り落としそうになる。
さっきまでの手つきは何処へやら、まるで素人の手つきは桃を少し押しつぶしてしまっていた。



―――……。



「よし、と」
慧音は全部切り終えると長い息を吐き出した。
なんにせよこれで完成だ、あの様子ならまだ食べるかもしれない。
「ほら、妹紅。全部切れ――」
と言い掛けたところではっと口を塞いだ。


すぅ……すぅ……


安らいだ寝息が目の前から聞こえていた。
どうやら皮を剥いている間に眠ってしまったらしい。
それほど皮を剥いている時間が長かったのか……はたまたただ眠かっただけなのか。
「……全く」
今日何度目か分からない溜息。だけどそう悪くも無いと思った。
風邪と言っていた割にはなんと安らかな寝息だろうか。聞いている方が安心してしまうような。
「どれ……」
慧音は妹紅の顔に自分の顔を近づける。
妹紅の寝息が鼻にかかる。そんな距離に。
慧音は額に額を当てて、親が子の様子を確かめるように、妹紅の体温を感じた。
「……さすがにまだあるか」
良く眠っているとは言えやはり普通より少し熱いぐらいだった。
体温を測ったら慧音はまた妹紅から身体を離す。
眠れる時に眠っておくのが良いだろう。
起こしてしまわないよう、音を立てないよう、ゆっくりと座り直す。
目の前には皮を剥かれ、切り分けられた桃。
その一つを指で摘むと……


かぷっ……ぺろっ……ちゅぅ


「……ん、甘い」
同じように一つ食べた。指ごと。
その指がさっき妹紅に食べさせた指だったと気付いて、ハクタクは半刻ほど自問自答を繰り広げたりするのだった――。
ちなみに自問の結果は「竹串を何の為に持ってきたんだ」だった。






日付が変わったばかりの夜半。
慧音は妹紅の横に薄い布切れ被りながら並んで横になっていた。
浅い眠りについていたが、妹紅の呻くような声に目を覚ました。
慧音は横になったまま妹紅の額に手を当てた。
熱い。夕食の後に比べて断然熱が上がっていた。
だが夜中に熱が上がるのは良くあることだ。
慧音は身体を起こしてお絞りを絞り直して妹紅の額を拭った。
「……ん……んん」
寝苦しいのだろう、時折身を捩ったりするのは熱から逃れようとしているのかもしれない。
曰く不死者。死の無い者。人の形。
たかが風邪とは言え死ぬ事だってある。
だが『死ぬ』となれば妹紅は決して『死なない』のだ。心配する必要は無い筈。
それでも、
「……私が、か」
怪我をすれば血も出るし痛がる、何も食べなければ空腹になるし痩せていく。
だから手当てだってするし、たまには食事だって作ってやる。
そう……私がそうしたいからしているのだ。


首筋に手の甲を当てて、そのまま頬まで滑らせるように撫でた。
「……?」
妹紅が薄く目を開ける。
「すまない、起こしてしまったか?」
「……ううん」
吐息のような返事をすると妹紅は頬に当てられた手に頬をすり寄せた。
「……体中が熱い」
「風邪を引いているからな」
「……けーねの手が。冷たくて気持ちい」
「そうか」
頬を指先で撫でると妹紅はその手に自分の手を重ねる。
「借りる」
「好きにするといい」
慧音は微笑んでそう答えた。





「けーね、こっち」
「……もっと寝苦しくならないか?」
「平気。あ、でも伝染るかな?」
「それは心配無用だ。言っただろう? 夏風邪は馬鹿しか引かないと」
「……けーねに馬鹿って言えるのは私だけよ、きっと」
「そうかな? ……そうかもな」
「じゃあ大丈夫ね」
「あぁ、おやすみ」
「おやすみ……」





夏の夜。
まだ始まったばかりの夏の空気はそれでも夜に冷えていく。
竹林に囲まれた小さな庵は、もしかしたら凍てつくような寂しい場所だったのかもしれない。
なら今夜で大丈夫。きっと大丈夫。
いつも一人の人の形は今日は二つ。
一つは人間。一つは妖怪。
不思議な事に妖怪の胸で人が寝ているのだ。
温かい胸の中で、温かい気持ちの中で。

竹の葉の擦れ合う音の中。
二つの寝息だけが静かに夜に融けていた。





―――後日。





「なんだ、風邪引いてたのか。全然分からなかったぜ」
「何しろ川で水浴びしているぐらいだったからな……それはこの馬鹿の自己管理能力の低さ故だ。気付かないのは当然だろう」
「馬鹿とか子供とか阿呆とか、人が黙っているからってー」
「「いや、そこまで言って無い」」
昼を目前に、竹林の庵には妹紅と慧音に加えて魔理沙の姿があった。
一昨日、昨日と続いてまた氷菓子を持参して妹紅の元を訪れたと言うことらしい。
妹紅は相変わらず布団の上。膝に薄い布を掛けただけで身体こそ起こしているが外出は慧音により堅く禁じられていた。
熱は下がり、風邪もほぼ回復していると言う状態なのだが…また昨日の今日。これで繰り返すようなことをされたら幻想郷始まって以来の二人目の馬鹿だと歴史に記してやらなければならない。
「ところで妹紅。身体は平気なのか?」
「熱は殆ど無いわ。今日は慧音が怖いからここにいるだけよ」
「目を離すと何をしでかすか分からないからな」
「そうかそうか、じゃあ熱が出ただけだったんだな」
「そうだけど?」
魔理沙は妹紅の返事を聞くとふむふむと一人でなにやら納得をしている。
その様子はまるで研究成果を眺める普段の魔法使いとしての姿の様にも見える。


……研究成果?


「まぁ無事で何よりだぜ。さてと、じゃあ病み上がりにお邪魔も悪いんで私はここら辺で」
「ちょっとまてモノクロ、少しお前に聞きたい事が出来たぞ」
「そんな歴史はきっと無いぜ、だから私はこのまま黙って帰るのが当然、っとわ!?」
魔理沙がさっさと立ち上がり逃げるように飛び出そうとした時、既に庵の入り口は無くなっていた。
「そう言うな、魔理沙……この庵の周辺全ての歴史を隠した。これでもう逃げられないぞ?」
「お、おい! 人聞きの悪い事を言うもんじゃない! まるで私が悪巧みをしていたような言い草は、っっ!?」
「け、けーね?」
慧音は既に魔理沙の前に立ちはだかり逃がさんとばかりに肩を掴む。
「さぁ魔法使い……どういう事か説明してもろうか?」
「いっ!? まっ! 何のことかさっぱ、っっっりぃ!?」
魔理沙の中からありとあらゆる何かがごっそりと抜け落ちる。その感覚を味わう魔理沙は驚き声も裏返る。
「お前の今に至る魔力の殆どの歴史を隠させてもらった……抵抗できると思うなよ? さぁ吐け!」
「……魔法使いが自分の研究をばらす訳がない、ぜ」
魔力と魔法の後ろ盾が無い魔理沙は完全な無防備の恐ろしさに冷や汗を流しながらそれでも抵抗する。
だが今の一言が完全な引き金となる。
「ほぅ、研究……? まさか研究の臨床を妹紅に? それはそれはますます吐いてもらわなければ困るな」
「あ、いや……研究の、よう。な? あ、は、は、どう…だったかな?」
口が滑った。そう思った時にはもう遅かった。
「……そうかそうか、分かった魔理沙。もう言わなくていい。ああ結構だ」
「そ、そうか、それなら話がはや――」
「お前の歴史に全てを語ってもらおうと……しよう!!!!」
「いっっっ――!?」



「い、ぎゃああああああああああああああ!!!!」



白昼の山間。竹林の奥。
歴史を隠されたまさしくここは幻想郷からも閉鎖されたような異世界とも言える庵にて。
霧雨 魔理沙は自分の犯した所業を悔いる事も出来ず、彼女の彼女たらしめる全ての歴史をまさしく白昼の元に晒されるのだった。





―――……。





結局、この数日間はなんだったのか……上白沢 慧音はただ頭を抱えるだけだった。
魔理沙の歴史から引っ張り出せた結論は、まさしくただの臨床実験。妹紅と食した氷菓子がその正体だった。
風邪を引かせる効果では無いのだが、体内に取り込んだ場合に著しくその者の性能を一時的に封じ込めると言う、毒薬に等しい魔法を含んだ薬を氷菓子に混ぜていたのだった。
「信用なら無いと言うか……子供の悪戯とでも言うのか……」
ハクタクは若干人間不信に陥りそうだった。
「ま、まぁ済んだことって事でもういいじゃない」
驚く事に直接の被害者は特に気に留める様子も無いのが唯一の救いか。
結局実験はほぼ失敗。あえて言うなら身体機能の低下を招いただけの事で、それが夏風邪に繋がっただけなのだろう。
「……とりあえずお前も生活の仕方を見直すべきだな。もしかしたら魔理沙の薬の所為で無くても身体を壊しかねない」
「う、そこは……精進します」
自分にも思うところがあったのか、妹紅は素直に聞き入れた。



ぽんっ



「?」
妹紅の頭の上に慧音の手。
「まぁその、なんだ……それでもまた何が起こるか分からないからな。その時はまた私が来るから」
慧音は少し顔を赤らめて、
恥ずかしそうに、
目を逸らしたまま、そんな事を言った。
人間好きの変わり者妖怪。

「その時は……また甘えさせてもらうよ」
「素直な奴め」

人の形が二つ。
竹林の奥、古い庵は緩やかに歴史を刻み続ける。
夏のある日。
ちょっとだけ傍の誰かを意識した――そんな日がありましたとさ。





―終―











「でも慧音も酷いよね。あの氷菓子を魔理沙に食べさせるなんて」
「ふん、悪戯の過ぎる子供は一度痛い目に遭わないとわからないものだ」
「でも自分で自分の作った薬の歴史が無いんじゃ悪戯自体に気付かないような?」
「……それもそうだな」
「……仕返し?」
「さあな」





―終?―


初めまして、初投稿になります。hellnianと言う者です。
もうツッコミどころ満載な中身になってしまったこの話。

妹紅が風邪って引くのだろうか?

と思いながらも最後まで書いてしまいました。病苦を忘れてるはずなんですけどね。
それでももことけーねの甘ったるいのが書いてみたかった……甘っ!と思ってくれる人がいてくれれば幸いです。何も言い残すことはありません。もこけーね!もこけーね!

(取り乱しながら終
地獄猫
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コメント



0.2430簡易評価
2.無評価名前が無い程度の能力削除
東方の世界では、不老不死の体は病に冒されないという事らしいですが。
参照:幻想郷非公式ワールドガイド(仮)http://www2.odn.ne.jp/aar36070/genso/profileindex.html
5.無評価no削除
甘々だっ!
なんだこの初々しいカップルは!?
今なら砂糖がいくらでも生成できそうな気がする!
6.100no削除
点数入れ忘れ・・・
21.70沙門削除
桃の様な甘々なお話でした。慧音先生! 自分もアル中なので看病希望しm(caved!!!!
34.無評価hellnian削除
ご拝読頂きありがとうございます。noさん、沙門さんには甘さが伝わったようで何よりです。

>東方の世界では、不老不死の体は病に冒されないという事らしいですが。
後書きの通り、承知の上で書いてしまいましたorz
一応、筆を進ませる為に自分に言い聞かせていた屁理屈では、
病苦を忘れる、不老不死と言うのは『病=疫病や流行病』として受け止め、風邪は『病』ではなく体力の低下で起こる体調不良。病には入らない、と思いたい。と言うことで自分に言い聞かせていました。……駄目ですかね、さすがにorz

何はともあれ妹紅の指ちゅぱが書きたかった、後悔はしていない。と思いたい。
56.90名前が無い程度の能力削除
あま~
いい甘さでした。
57.100名前が無い程度の能力削除
読んで良かった

個人的文句なしの満点です
58.90名前が無い程度の能力削除
ニヤニヤしつつ読みました
けねもこはいいものですね~
62.70名前が無い程度の能力削除
楽しめました。