*この作品は、爺がメインです。そのぶん少女比率が減っていますので、爺アレルギーや少女率の高い作品を求めている方はご遠慮ください。
*あの爺が少女達と接点を持つ為に、差支えが無い程度に私的設定が少し入っています。
*少女達からではなく、爺が生活している幻想郷です。少女とは少し違った幻想郷での生活ですので、ご注意を。
*ふんどしは出てきません。
*ビバ、爺。
取り立てて特徴のある店ではなかった。二階が宿になっている料理屋で、特に上手い飯や酒が出るわけではなかった。ただ、酒の値段が安いので、この店を愛用していた。
世捨て人の身となって仕えていた主の元から去ってから、何年も過ぎた。山や森で自給自足の生活を営んでいたが、酒だけはどうにもならなかった。
本当は世捨て人となった以上は酒も絶つべきだったのだろうが、それだけは無理だった。仕えていた主がかなりの性格で、毎晩のように腹の底に堪ったものを酒の中に吐き出していた。そんな往年の友を、どうしても忘れる事が出来なかったのだ。
酒やその他の必要になった物を買い足す為に、山や森で狩った動物を定期的に里に持って行った。里の人間に獣肉を持って行くと、喜んで銭に代えてくれるのだ。そしてその銭で酒を買うのだが、ついでに酒を飲んでいく事もよくあった。
ただ、今は夏の季節だからいいのだが、冬になると野山の動物を狩るのが困難になるので、頭が非常に痛い問題であった。
いつも通り、カウンターの席に座った。ここの定期的ではあるが常連であるので、何も言わなくてもいつもの酒が出された。
椀に注がれていた酒を、一気に飲みは干す。カウンター越しに、店の親父が空いた椀に酒を注いでくれた。少し、酒がこぼれた。ここの親父は気前が良い人なのだが、少し注意の足りないところがある。たまにドジを踏んだりするのはそのためである。
少女が近くのテーブルに料理を運んでいた。料理は親父の女房が作っていて、その料理を親父の娘が運ぶ。親子三人でこの小さな店を切り盛りしていた。
「ああ、妖忌さんじゃないですか。お久しぶりです。」
少女が、わしの姿を見かけて話しかけてきた。ここの店とは古い付き合いで、この少女を赤ん坊の頃から知っていた。多分、年齢的には孫と同じぐらいの容姿である。
「おう、また世話になっているぞ。それにしても、相変らずここの二階はガラガラだな。」
「仕方ないですよ。第一、宿なんて需要がありませんから。利用する人なんて、極稀に来る他の里の人間か行商の人だけだから。」
確かにこの幻想郷には殆ど宿の必要性が無かった。極限られた地域にひっそりと人間が暮らしているだけだからである。ただ、それでも里と里の間の移動はあった。頻繁ではないにしろ、そういう背景から宿は要らなさそうで必要だった。
「今回は何日滞在していくんですか。」
「二、三日といったところだな。朝一の市で買いたいものがあるしな。」
そう言うと、少女は嬉しそうな表情をした。この少女にとって、わしは爺のような存在なのだろう。
突如、店の中が騒がしくなった。振り返ると同時に足元に置いてある袋を引き寄せた。この袋には色々と入っているが、何よりも目立たないように自分の半身を隠してあるのだ。
客の数人が、騒いでいた。酔っ払って暴れているのだろうが、出てきた親父が必死に宥めているがまるで効果なかった。
余りに見ていられなかったので出て行こうとすると、少女に止められた。
「駄目、あれはいつもの事だから。ほっとけばそのうちに帰っていくから、お父さんにまかせようよ。」
そういう問題ではないと思ったが、少女が離そうとしないので諦めるしかなかった。
結局、あの連中は騒ぐだけ騒いで帰っていった。
今夜も、昨日と同じようにカウンター席で飲んでいた。
今日中に全て買うべき物は買ったので、明日にはここを発てそうだった。店の中は昨日と同じく割と繁盛しているので、親父達は忙しそうだった。
一通り飲み終え、二階に引き上げようとした時だった。少女の悲鳴が聞こえた。見ると数人の男が酔った勢いで娘に絡んでいた。
しかし、やり方が余りに強引だった。嫌がる少女の腕を掴み、自分の方に引き寄せようとしていた。悲鳴を聞きつけた親父が飛び出して来て何とか止めさせようとしているが、まるで相手をされていなかった。他の客は見てみぬ振りをしている。
わしは立ち上がりざまに皿を数枚落とした。皿が割れる音が店の中に大きく響く。次の瞬間、誰もがわしの方を注目していた。騒いでいた奴らも、水を差されて憤りの表情をしていた。
「おい、爺さん。せっかくの気分をどうしてくれるんだ。」
「いや、すまん。近頃目が見にくくなってな。」
「んだと、すまんで済んだら誰も苦労なんかしねえんだ。痛い目に合わしてやろうか。」
そう言いながら、いきなり殴りつけてきた。拳は鳩尾に入り、息が苦しくなった。 蹴り上げられ、床に倒れた。倒れたところを袋にされ、しばらくの間いいようにされた。それでも、急所は全て腕や身をよじって守った。
気分が収まったらしく、連中は床に唾を吐きつけながら帰っていった。他の客も、嫌な物を見たという感じで帰っていった。
少女が、泣きながら寄って来た。親父も親父の女房も心配そうな表情でやって来た。体を起こし、泣きじゃくる少女の頭に手を置いて宥めた。
「妖忌さん、大丈夫ですか。今、医者を呼びに行かせますから。」
「案ずるな。この程度、怪我の範疇に入らん。老いぼれたとは言え、鍛えてあるからな。」
起き上がり、体を簡単に動かしてみた。体中が痛んだが、動けない程のものではないようだ。
「しかし、あのチンピラ集団はなんだったんだ。他の客も、またかという顔をしていたし。以前はあんな連中来なかっただろう。」
「ああ、最近になってから来る様になった連中だ。完全に、ただの嫌がらせだな。だが、ちゃんと勘定を払うから、あれでもお客だ。追い返すわけにはいかん。しかし、何故あんな事をしたんだ。無視していれば殴られずに済んだのに。」
「なに、この娘をあのままにする訳にはいかなかったし、お前の店の中で暴れる訳にはいかなかったからな。頑丈な奴が殴られて事が済めばいいと思っただけだ。」
親父と、しばし互いの顔を見合った。そして、ほぼ同時に笑いあった。こいつもわしも、昔から変わらずに頑固だった。
「なあ、あの連中が現れるようになってから、何かこの里で変わったことは起きていないか。」
「さあ、これといった事は起きていないと思うが。強いて言えば、以前新たにできた店に、メイド姿の女性が入る頻度が多くなった事ぐらいかな。しかし、何をする気だ。これはこの店の問題で、妖忌さんに迷惑を掛ける訳にはいかない。」
「何、殴られた借りを返すだけさ。それこそ、この店には関係のない話だ。」
親父に、にやりと笑って見せた。親父は深い溜息を付くだけだった。
道をのんびりと歩きながら、すれ違う人間の顔をさり気なく観察した。昨日と一昨日に店で騒いだ連中を見つけたかった。
一人一人確認するという気の長くなる作業だが、里の人口を考えれば出来ない話でもない。人に聞いて回ってもよかったが、今はまだ目立つ時ではないのでしなかった。
昼飯を終え、またぶらりと歩き回っていた時だった。昨日いた連中の一人を見つけた。気づかれないように一定の間を空けて、尾行を開始した。
実行犯を叩き潰しても、店に対する嫌がらせは止まないだろう。だから、首謀者を見つけ出す必要があった。そのためにこの男を尾行し、順々に洗い出していくしかなかった。
しばらく尾行した後、男が一軒の家に入っていくのを確認した。ここが男の家なのかは分からなかったが、しばらく物陰から見張る事にした。
日が沈みかけた頃だった。家から数人の男達が出てきた。中には見覚えのある奴もいる。恐らく、今からどこかの店に行くのだろう。
完全に日が沈み、それからしばらく経った時だった。先ほど出て行った奴らが戻ってきた。顔の表情を見て、今日もどこかの店で暴れたのだろうと推測できた。
その後、月がかなり高い位置に来たときだった。数人の男がまた出てきた。だが、今回はチンピラだけではなく、頭と思わしき男も一緒だった。その男に、周囲の人間がかなり丁重な言葉を使っているから、頭と見て間違いないだろう。
連中の後を、十分に注意を払いながら尾行した。夜の閑散とした道で足音にも気をつけばければならなかったが、幸いまだ気温が高かったので蝉の大合唱が足音を消してくれた。
しばらくして、連中はある店の裏口に入っていった。親父が言っていた店だった。しかし、店の中まで入る訳にはいかなかった。
蝉が寝静まる頃に、連中は出てきた。中で誰と何を話したのかが気になったが、連中に、直接聞くしかなさそうだ。
頃合を見計らい、襲った。完全に油断していたらしく、全員を気絶させるのに時は掛からなかった。
頭らしき男を、少々騒いでも大丈夫そうな所まで運んだ。そして、水を顔に掛けて目を覚まさせた。騒ごうとした男の首に、刀を突きつける。
「さて、手短に聞こう。あの店で、誰と何を話した。」
しかし、男はわしの顔に唾を吐きつけただけだった。刀に、殺気を篭らせる。辺りに殺気が充満し、男が萎縮しだした。所詮、勢いだけのチンピラの頭だ。
「もう一度聞く。誰と何を話した。これが、最後だと思え。いつまでも同じ事を聞きたくない。」
「ま、待ってくれ。喋る、喋るから殺さないでくれ。」
「なら、早く喋れ。ただし、偽りを言ったらどうなるか、分かっているな。」
男が分かったというように、何度も小刻みに首を振った。目が完全に怯えていて、つまらない事を考える余裕は無さそうだった。
簡単に纏めると、男はあの店の主に雇われて、手下を使って暴れさせていたらしい。そして、その結果の報告をこの男が定期的にしていたとの事だ。
大した事は聞き出せなかったが、少なくとも首謀者に近づけた事でよしとした。男を再度気絶させ、目立たないところに男を隠した。騒ぎ出すと厄介だが、今のところ店との接点を見つけられていないはずだ。
この場から立ち去り、宿に戻ろうとしたときだった。強烈な殺気を感じ、飛び退った。一瞬の間をおき、体を何かが掠めた。
振り返ると、メイド姿の銀髪の少女がナイフを構えていた。ナイフが闇夜の中で月の光で怪しく光っていた。身のこなしと気配で、只者じゃない事を悟った。
「貴方が何のために探りを入れているのかは知らないけど、手を引きなさい。これは警告で、次があると思わないで。」
有無を言わさぬ口調で、少女が最後通告をしてきた。だが、無論そんな物を飲むわけにはいかなかった。
「悪いな、小娘。わしも引く訳にはいかんでな。その要求は、飲めん。」
お互いに睨み合った。少女から来る殺気は尋常なものではなく、このまま迂闊に踏み込めば体が切り裂かれるのではないかという錯覚すら覚えた。
時。少女の気配が変化し、わしが踏み出そうとした時だった。場に新たな気配が生じた。
「こんな時間に、紅魔館のメイド長はこんな所で何をするつもりなのかな。」
目だけを声の方向に向けると、一人の少女が立っていた。目の前の少女と同じく銀髪だが、青色の服と角ばった帽子を身に着けていた。
この少女の乱入に目の前の少女は舌打ちをし、次の瞬間姿を消していた。残された少女は深い溜息を付いている。
「あれに捕まるとは、ご老人も難儀な事だったな。私は上白沢 慧音。里の顔役を勝手に自称している者だ。」
そう自己紹介をするも、少女の目は鋭かった。わしが何者か、見定めようとしているようだ。
「ところで、ご老人。貴方もこのような時間にかのような場所で何をしていたのだ。見たところ只者ではなさそうだが、返答しだいでは。」
この里で不用意に問題を抱えたくなかったので、仕方が無く袋から自分の半身を取り出し、自分が何者かを名乗った。その上で自分が何をしたいのか言い、情報提供を求めた。
「そうか、あの店か。だが、これ以上関わらん方が見の為だ。あの店は紅魔館の資金源確保の為に、紅魔館の出資で作られている。あそこの売り上げの何割かが紅魔館に納入されていて、紅魔館としては五月蝿い虫を追い払いたいはずだからな。」
「だが、あの食堂兼宿を潰させたくない。あそこの親父とは古くからの付き合いなんだ。」
「そうだな、確かにあの店のやり口は酷すぎる。元々新しい店の需要は無かった上に、食堂、宿、八百屋、小道具屋、賭博場と色々な事をやろう
として、どれも中途半端な状態になっている。それをどうにかしようとしての他の店を潰すという発想は許せん。だが、あそこの店主も従業員も皆人間だから、私は手出しできないし、したくない。せいぜい、口頭注意ぐらいしかできん。」
少女は忌々しそうに、嘆いた。本当は、紅魔館の影を里に入れたくないのだろう。
「ところで慧音殿、先ほどの娘は一体何者なのだ。」
「あれは紅魔館のメイド長、十六夜 咲夜だ。紅魔館の主レミリア・スカーレットの懐刀で、よくあの店の現状把握の為に視察に来る事がある。
今回はあの男の報告を聞いていたのだろうが、運悪くそこに妖忌殿が乱入してしまったと言うわけだ。」
「そうか、運が悪かったんだな。これで目を付けられてしまったか。しかし、それにしてもなんだって今更こんな横暴な手段に出だしたんだ、あの店は。」
「何でも、近頃急に館の修繕費が嵩むようになったらしい。なんでも今まで地下に閉じ込められていた主の妹君が普通に生活するようになってよく暴れるとか、魔法使いと巫女にかなり荒らされたとか、その魔法使いが訪れるたびに暴れて外壁を壊すとか。」
一瞬、慧音の表情に同情の色が浮かび上がった。ひょっとして、その暴れている連中を知っているのかもしれない。
「ふむ、何はともあれ色々と世話になった。有益な情報、感謝するぞ。しかし、半人半霊を見て驚かないとは、たいしたものだ。」
「いえ、私も訳ありだ。それに、以前半人半霊を見た事があるので。」
慧音がニッと笑いかけてきた。色々と含みを持った笑いだった。
宿には帰らなかった。チンピラ程度の奴らなら対処のしようがあったのだが、厄介な相手に顔が割れた。親父達に迷惑を掛けない為にも、できるだけ接点を無くすべきだった。
里の外で夜を過ごした。日が昇ると往来をぶらりと歩き、件の店をそれとなく見張った。しかし、気になる人物は出てこなかった。これを次の日も行った。
やはり狙うは店主か十六夜 咲夜。どちらかを捕まえて吐かせる事ができれば、さらに詳しい事が分かるかもしれない。紅魔館が関与している事は分かっているが、全てに関与している訳ではないだろう。何処までが紅魔館との総意なのかを見極める必要があった。
ただチャンスを待つだけなのは非常にもどかしかった。乗り込んで直接締め上げたいところだが、事を大事にする訳にはいかなかった。これはわし一人の行動で、親父達に迷惑を掛ける訳にはいかないのだ。だから、あのならず者の尋問にも細心の注意を払っている。
結局この日も夕方まで粘ってみたが、何も収穫が無かった。今日はもう切り上げて、里の外に出ようと決めた。昨日の今日だから、多少警戒されているのかもしれない。
親父の料理屋の前を通った時だった。店の看板が取り外されているのに気がついた。何事が起きたのか一瞬分からず、気が付いたら店の中に飛び込んでいた。
親父が、憔悴しきった表情で背を丸めて残っていた椅子に座っていた。店内は酷く荒らされていて、以前の面影を残していなかった。
「どうした、何が起きたんだ!」
親父が虚ろな目をこちらに向けてきて、しばらくしてわしが誰かを理解した。
「ああ、妖忌さんか。ご覧のとおり、何もかも俺の手から離れていったのさ。俺には、もう何も残っちゃいない。」
「何故こんな事になった。誰に、何をされた。」
「馬鹿な話さ。馴れない賭博なんかに手を出したツケが、俺の全財産とはな。」
親父が自嘲じみた笑いをした。しかし、笑った顔の方が凄惨な影が色濃く現れた。
「賭博だと。お前、あれほど賭博を嫌っていたのに、何故賭博などに手を出した。」
「仕方が無かったんだ。娘が通りで人にぶつかって、その拍子にぶつかった相手が荷物を落とした。その荷物の中に高価な焼き物や壺が入っていて、完全に割れていた。その弁償を求められたんだが、そんな銭がこの店にある訳が無かったんだ。」
当たり屋。ふと、そんな言葉が思い浮かんだ。恐らく、事の真意を確かめずに、相手の言葉を鵜呑みにしたのだろう。この親父は、肝心な時にはいつも注意が足りなかった。
「しかし、おかしいな。賭博は、始めは勝っていたのに。気が付いたら、いつの間にか全部身包みを剥がされていたよ。」
「愚か者。初心者が賭博で鴨にされる時は、大体そういう手口だ。わざと勝たせて調子づかせ、大きく負けさせる。みすみす相手の術中に嵌ったのだ、お前は。」
こんな事なら、この店に張り付いておくべきだった。多少は迷惑を被る事になったかもしれないが、この状態だけは回避出来たかもしれなかった。
「おい、そのぶつかった相手は誰だか分かるか。それと、どこの賭博場でやったんだ。」
「さあ、あの人が誰なのかは分からなかったが、そんな高額は払えないと言ったらメイドさんが出入りしているあの店に連れて行かれて、博打を打たされたよ。」
やはり、予想通り全てあの店の筋書き通りだった。やり口も徹底的で、事前準備も周到だったに違いない。少し、甘く見すぎていたのかもしれない。
親父が立ち上がり、店を出て行こうとした。
「何処へ行く。」
「もうそろそろ立ち退き期限なんだ。ここの土地の権利書も取り上げられたからな。まあ、立ち退きと言っても、持っていく物なんて全て取り上げられたが。」
「お前、そう言えば家族はどうした。お前の女房や娘は無事なのか。」
「女房は、離婚して実家に帰らせた。あいつだけは借金地獄から逃れさせたかったんだ。」
「そうか、辛かっただろうが、よく決断した。それで、娘は。あれも女房の所か。」
「いや、娘は借金の形に取られた。俺は賭博に負けた負債を負ったが、娘は壺と焼き物代を負わされて連れて行かれた。何処で何をさせられるのかは知らないが、今の俺にはどうする事もできない。」
あの少女が連れて行かれた。その言葉は、何か愕然とさせる響きを持っていた。あの少女に、何時しか孫に対する感情を持っていたのかもしれない。
「おい、あの娘が連れて行かれたのはいつの事だ。誰が、何処に連れて行った。」
「多分、昼前だったかな。あの店の者がやって来て、連れて行ったよ。何処へかは知らん。」
それだけを聞いて、店を飛び出した。最早、体裁なぞ構っている暇は無かった。
怒りが、胸中で渦巻いていた。この薄汚い仕打ち、許すわけにはいかなかった。
堂々と表から店に入った。今日はもう店仕舞いのようで、お客はいなかった。恐らく、親父の店の始末に追われて、人員を取られているのだろう。
止めてくる者や行く手を阻む者は、皆黙らせた。そのうちの一人を軽く締め上げ、店主の居場所を吐かせた。二回の一室にいる事を吐かせた後、他の奴らと同じく気絶させた。
二階に上がると武器を持った連中が襲ってきたが、それも黙らせた。ただ、武器を持っていた分、痛い目に合って貰ったが。
店主の部屋の戸を蹴破り、隅で店主が震えているのを発見する。店主に近づき、そのまま胸倉を掴んで睨み付けた。睨み付けるとよりいそう震えだし、情けない声まで上げだした。こんな奴に、親父達は破滅させられたのか。
「言え。昼前に連れてきた娘は、何処にやった。」
「お、お前は一体なんなんだ。こ、こんな事をしてただで済むとでも思っているのか。」
「お前の悪行をよしと出来ない者だ。それに、ぎゃあぎゃあ騒ぐな、見苦しい。首を捻り千切ってやるぞ。」
そう脅しただけで、情けない悲鳴を上げて萎縮しだした。つくづく小物だ。だが、こんな小物でも、悪知恵だけは一人前なのだろう。
扱う側としては、この程度の小物は扱いやすかっただろう。なにせ、目の前に餌をぶら下げていれば一生食いついていそうな輩だ。だが、親父に同情を禁じ得なかった。こんな溝鼠のような奴に一杯食わされたとなると、悔やんでも悔やみきれまい。
「早く言え。お前のような奴に時間を使いたくない。」
「わ、分かったから、命だけは簡便を。紅魔館、紅魔館に連れて行かれた。若い娘を借金の形に取ったって報告したら、メイド長がじきじきにやって来て連れて行った。」
「何故、連れて行った。」
「さ、さあ。俺にはサッパリ分からないけど、何せあそこの主は吸血鬼だ。きっと食料に困っていたんじゃないのかな。はは、可愛そうに。今頃は胃袋の中かもしれないな。」
男が、嫌な笑いをした。怒りで、一瞬この男を絞め殺そうかと思った。しかし、まだ聞くことがあるので生かしておこうと思い直した。この程度の奴、何時でも絞め殺せる。
「もう一つ。他の店に対する嫌がらせは、お前の指示か。それとも、紅魔館の指示か。」
「い、いや、俺の独断だ。俺はただ、売り上げを上げるようにとの指示しか受けていない。あそこの連中は商売の事なんか空っきしで、俺の言う事を鵜呑みするしかないんだ。」
男の目が、一瞬理性の光を取り戻した。急ぎ締め上げ、また軽い錯乱状態にさせる。こういう奴は頭を使わせないに限る。
口先と悪知恵だけの男。売り込んだのか認められたのかは知らないが、ひょっとしたら紅魔館も被害者なのかもしれない。
「じゃあ、お前の事を聞く。何故、真面目に商いをやろうとしなかった。あれもこれもと手を伸ばさず、どれか一つに絞って真面目に商いをする気は無かったのか。」
「そんなしみたれた事ができるか。せっかく紅魔館の力と名前を借りられるんだぜ。邪魔な奴を潰した方が手っ取り早いじゃないか。」
もう、この男と喋っていたくなかった。斬り潰してやろうかと何度も思ったが、こんな奴の血を被る刀がもったいなかった。
部屋の中を見回し、色々と書類が積まれているのを発見した。その中に親父の土地の権利書と借金の明細書が混じっていた。それを懐に仕舞い、ついでにこの土地の権利書を破り捨てた。
「な、なにをする。そんな事をしたら、俺が食っていけなくなるじゃないか。い、いや、それよりも、この土地は元々紅魔館のものだったんだぞ。それを破り捨てられただなんて知られたら、俺が殺される。」
「この里から、出て行け。お前のような奴は、どこでも生きられる。ドブ泥さえあればな。」
この男の事はどうでもいい。今は、少しでも早く紅魔館に行くことが大事だった。頼む、まだ無事でいてくれ。
「そこのお前。こんな時間に何の用だ。」
紅魔館の門のところで、呼び止められた。以前聞いた話を必死で思い出しつつ、大急ぎで紅魔館に飛んだ。余分な荷物は全て置いてきたので、半身も袋から取り出してある。
「亡霊が、紅魔館に何のようだ。ここはお前のような奴が来るところではない。大人しく、成仏でもしていろ。」
半身のせいで亡霊に間違えられる事はよくあったので、訂正する気にはなれなかった。
「ここの主に用がある。主が駄目なら、十六夜 咲夜というメイド長でも構わん。どちらかに、取り次いでもらえないか。」
「お前のような怪しい奴、通すわけには行かない。さあ、大人しく帰れ。」
「そうか、ならば押し通る。」
先頭で武器を構えていた警備の者に、当て身を食らわした。他の警備の者達は一瞬驚いた顔をしたが、直ぐに包囲をしてきた。その動きは統制が取れていて、無駄は無かった。
「おい、誰か隊長を呼びに行け。今は咲夜さんの予算会議に出ているはずだ。会議室に行って、咲夜さんに事の報告もして来い。」
そう今指揮を執っている者が言うと、一人が館の中へと駆け去って行った。その穴を埋めるように、更に包囲の幅を縮めてくる。どこからか、応援も駆けつけて来ている。
一斉に襲い掛かってきた。正面から来た槍を刀で跳ね上げ、鞘で相手を打ち倒す。体を回し、さらに斬りかかって来た者を倒した。時間が惜しかったので、本気で相手をした。
気が付くと、もう立っている者が数人に減っていた。他は皆、地面に伏していた。
「止めておけ。お前らでは、わしに敵わん。それよりも、怪我人を運んでやったらどうだ。一応殺してないから、早く手当てをしてやるんだな。」
そう言い残し、館へと向かった。さほど時間をかけていなとは言え、時間を無駄にした事が悔しかった。
館の正面玄関の戸を開けた時だった。空けた隙間から、ナイフが数本飛び出してきた。十分注意を払っていなければ、当たっていたかもしれなかった。
館の玄関に、思い思いの獲物を持ったメイドの集団と赤髪の少女、そしてナイフを構えている十六夜 咲夜が待ち構えていた。
「こんな事をして、生きて帰れると思っていないでしょうね。」
「時間が惜しい、手短に聞く。昼に連れてきた娘は、何処に居る。」
「これから死に行く貴方に、教える必要は無いわ。」
「ならば、そこをどけ。お前の主に聞く。」
刀を抜き放ち、構える。相手も弧を描くように動き、包囲してきた。正面に十六夜 咲夜と赤髪の少女が立っていた。
正面の敵を睨み据える。相変らず、凄い殺気だった。赤髪の少女も相当な気迫だ。どちらも、しばらくぶりに出会った相当な手だれだった。
他のメイド達は、そう大した事はなさそうだ。ただ、この二人が連携を取り出すと厄介な事になりかねない。赤髪の少女は構えから見て格闘を、十六夜 咲夜はナイフを飛ばす。接近戦の合間に援護をされるのは、かなり危険だった。
十六夜 咲夜の気配が、僅かだが変わった。次の瞬間、数本のナイフが目前に現れる。そのうちの半分を刀で叩き落し、さらに半分は身を捻って避けた。
その間に距離を詰めてきた赤髪の少女が、拳を突き出してくる。それを刀で受け流す事をすれば、永遠と防御に回らなければならないだろう。既に、十六夜 咲夜は新たなナイフを構えていた。
この赤髪の少女よりも、先に十六夜 咲夜を潰すべきだ。刹那の瞬間に踏み出し、ギリギリのところで拳を避け、赤髪の少女とすれ違った。そのまま十六夜 咲夜との距離を一気に詰める。
あのまま刀で受け流す事を予想していたのか、咄嗟に放たれたナイフは精度を欠いていた。ナイフが体を掠めるにまかせ、更に距離を詰めた。
十六夜 咲夜の表情に、一瞬迷いが生じた。このままナイフで迎撃するか、退くか。しかし、わしが刀を一閃させるには、その一瞬で事が足りる。
「あら、これは何の騒ぎ?」
場に、新たな気配が生じた。誰もが動くのを止め、ただ声の主の方を向いていた。わしも十六夜 咲夜を斬る事を断念し、新たな気配に向き直っていた。向かざるを得ない程の気配だったのだ。
「お嬢様、ここは危険です。この侵入者の始末は私達に任せて、お嬢様は自室にいてください。すぐに始末をして、紅茶をお持ちしますから。」
「それは頼もしい事ね。でも、せっかくお客が来てくれたのだから、紅魔館の主としてもてなさない訳にはいかないわ。」
「しかし、お嬢様・・・」
「いいから、私に任せなさい。久しぶりに、霊夢や魔理沙とは違った意味で楽しめそうなお客よ。盛大に歓迎してあげないと。」
そう言って十六夜 咲夜を下がらせた。十六夜 咲夜にお嬢様と呼ばれると言う事は、この少女が紅魔館の主、レミリア・スカーレットなのだろう。
「それにしても、好き勝手してくれたわね。貴方の来訪目的は、何。ここまでやるからには、何か大きな理由があるのでしょう。」
「わしの目的は、ここに昼間連れてこられたはずの娘を連れて帰ることだ。」
「そう、でも残念だわ。」
レミリア・スカーレットが、怪しく笑った。
「あの娘の事だけど、つい先ほど私が美味しく頂いたわ。」
もう、話す事は何も無かった。
目の前の吸血鬼を斬る。斬ればあの少女が帰ってくる訳がないが、斬られずにはいられなかった。
刀を構え、静かに踏み出した。吸血鬼がわしの反応を見て、笑った。そして、宙に浮いた。
ある距離まで行くと、それ以上踏み込めなくなった。吸血鬼は本気を出しているらしく、凄まじい気迫だった。その気迫に弾かれる様に、押し戻されそうになる。
わしも内なる気を奮い立たせ、全力で対抗した。場に気が張り詰め、息苦しくなる。周囲を包囲していたメイド達も、荒い息をたてている。
お互いに、睨み合った。全身から汗が噴出し、顎の先から汗が滴り落ちるのを感じていた。吸血鬼も、顔に行く筋も汗を流している。
これ程の相手は、初めてだった。お嬢に匹敵するのではないかというほどの力の持ち主だった。ただ、動の戦いには慣れているのかもしれないが、静の戦いに慣れていないようだ。先ほどから、どこかじれったそうに指を小刻みに動かしていた。
不用意に動けば、殺られる。我慢しきれなくなったら、負ける。動くべき時になれば、自ずと体は動く。その時まで、ひたすら相手の圧力に耐えるしかなかった。
誰かの悲鳴が聞こえ、倒れる音がした。場を占める圧力に、耐えられなくなって倒れる者が出たのだろう。
やがて、視界から吸血鬼以外のものが全て消えた。時。そう思った瞬間、既に踏み出していた。
吸血鬼が恐ろしいまでの速さで突っ込んできた。それを今までの全経験を動員して迎え打つ。吸血鬼の胴。渾身の力で薙いだ。
首筋のあたりに、痺れた感じがした。吸血鬼の爪が、そこを掠めたのだ。逆に、吸血鬼も服だけが横に切り裂かれていた。
口を開けて、大きく息をした。位置が入れ替わっただけで、対峙のかたちは変わっていない。吸血鬼も、息を荒げている。
再び睨み合いになった時だった。ナイフが、横から飛んできた。それを払い落とすと、十六夜 咲夜と赤髪の少女、そして数人のメイドが飛び出してきて、吸血鬼との間に割って入って来た。
「どういうつもり、咲夜!!」
「どういうつもりも、こういうつもりもありません。もう、見ていられません。」
「せっかくの獲物なのよ。黙って、勝負をさせようと思わないの?」
「何を言われようとも、引き下がれません。」
さらにメイドが吸血鬼の周りを囲む。吸血鬼が一瞬睨みつけてきたが、興味を失ったように顔を背けた。
「もういいわ、興ざめよ。お引取りをしてもらって。あの娘も、帰しちゃいなさい。」
「どういう意味だ、吸血鬼よ。あの娘は死んだのではないのか。」
「あら、失礼ね。私はこう見えても小食よ。多少貧血気味になっているかもしれないけど、ちゃんと人間として生きているわ。」
あの少女が生きている。その事実が、叫んで回りたいほど嬉しかった。
「ですが、お嬢様。この者を生かして返すのですか。後の憂いを絶つ為にも、今ここで殺しておいた方が。」
「いいのよ、咲夜。美鈴の部下も、怪我人だけで死亡者は出ていないし。それに、私が楽しめたんですもの、これくらいの慈悲はあってもいいんじゃなくて。」
「里に出しておいた店を、この者は潰しました。土地の権利書を破いて捨てたのです。再度申請するには、時間が掛かります。その間は、しばらく収入が苦しくなりますよ。」
「いいじゃない、それぐらい。どうせ、少しの間でしょう。そのぐらい、皆が我慢すればいいだけじゃない。」
何を気楽な事を。十六夜 咲夜の表情には決して表れてはいないが、胸中はその言葉で一杯だろう。何故か、同情を禁じえなかった。昔、お嬢に対してよくそう思ったものだ。
「十六夜 咲夜、一つ言っておく。今度雇うなら、もっとマシな奴を雇え。あんな小悪党ではなく、根っからの商売人を探す事だな。」
「・・・ご忠告、ありがたく受け取っておくわ。」
「ああ、妖忌さん。お久しぶりですね。」
いつもの様にカウンターに座っていると、料理を運んでいた少女が嬉しそうに話しかけて来た。
「今回も、ご滞在で?」
「ああ、また世話になる。それにしても、お前が元気そうで何よりだ。貧血の方は、収まったか?」
少女が頷くと新たな注文が入って、それを取りに行った。しばらく一人で飲んでいると、親父が出てきた。
「妖忌さん、これは俺のおごりだ。飲んでくれないか。」
新しい酒が出された。匂いからして、美味そうな酒だ。試しに一口飲んでみた
「これは美味いな。この酒、どうしたのだ。」
「これは俺の、妖忌さんへの感謝の気持ちさ。しばらく再建で忙しかったから、妖忌さんにはろくに感謝を伝えられなかったからな。」
「感謝してもらいたくて、やったわけじゃない。わしが、したくて暴れただけだ。」
「それじゃあ、俺の気が治まらない。妖忌さんの食事代を全部タダにしようとしたら止められたし、他の方法を思いつかなかったからな。ささやかな感謝の印だが、堪能してくれ。」
親父の顔にも、笑顔が戻った。あれから少女を連れて親父のもとに戻り、親父に取り返した土地の権利書を渡した。借金の方は、返す相手がいなくなったので無効となった。それから別れた女房を呼び戻し、また親子三人で店を始めた。
しばらく飲んでいると、数人どこかで見た顔の女が店に入ってきた。あれは、確か紅魔館のメイドではなかっただろうか。近くを通った少女を、呼び止めた。
「おい、以前は紅魔館の関係者はこの店に来ていなかったはずだが、最近は来るようになったのか。」
「うん、紅魔館関係者は割引サービスにしたら、結構来るようになったんだよ。」
「何故、そんな事をしだしたんだ。それに、以前よりも品数が増えているような気がするし、酒の種類も豊富になっている気がする。」
「ああ、そうか。妖忌さんはあれから殆ど来ていないから知らないんだ。」
確かに、再建と商売を軌道に乗せるのに忙しそうだったので、遠慮して殆ど来ていなかった。来れば、何か気を使わせてしまう事になりかねないからだ。
「ねえ、妖忌さん。この店の再建費、どこから出ていると思う?」
その問いは、腑に落ちなかった。わしはてっきり親族や親戚に借りているものだと思ったのだが。
「まさか、紅魔館からなのか。しかし、何故あんなところから借りたのだ。」
「借りた訳じゃなくて、出資してくれたの。その代わり売り上げの何割かを献上しなくちゃならないけど。でも、紅魔館の人も料理が美味しいって言ってくれるし、以前よりもお客が増えたから。」
「何故、紅魔館の店なんかをやる事にしたんだ?」
「お父さんが、また変な奴らが店を出すくらいなら俺がやるって言い出して。でも、安心して。お父さん、力を振り回すような人じゃないから。」
それは、わしも長年の付き合いから知っている。確かに親父は根っからの商売人で、酒場の親父がよく似合う奴だった。
店内を軽く見回してみた。親父も厨房にいる親父の女房も料理を運んでいる親父の娘も、そして店内にいる客も、皆顔は明るかった。
ここは料理屋兼宿屋で、美味しい飯と酒が出ればそれでいい。美味い酒に、紅魔館もそれ以外も無かった。
くだらない事を考えるのは、止めよう。せっかくの酒が、不味くなるじゃないか。
*あの爺が少女達と接点を持つ為に、差支えが無い程度に私的設定が少し入っています。
*少女達からではなく、爺が生活している幻想郷です。少女とは少し違った幻想郷での生活ですので、ご注意を。
*ふんどしは出てきません。
*ビバ、爺。
取り立てて特徴のある店ではなかった。二階が宿になっている料理屋で、特に上手い飯や酒が出るわけではなかった。ただ、酒の値段が安いので、この店を愛用していた。
世捨て人の身となって仕えていた主の元から去ってから、何年も過ぎた。山や森で自給自足の生活を営んでいたが、酒だけはどうにもならなかった。
本当は世捨て人となった以上は酒も絶つべきだったのだろうが、それだけは無理だった。仕えていた主がかなりの性格で、毎晩のように腹の底に堪ったものを酒の中に吐き出していた。そんな往年の友を、どうしても忘れる事が出来なかったのだ。
酒やその他の必要になった物を買い足す為に、山や森で狩った動物を定期的に里に持って行った。里の人間に獣肉を持って行くと、喜んで銭に代えてくれるのだ。そしてその銭で酒を買うのだが、ついでに酒を飲んでいく事もよくあった。
ただ、今は夏の季節だからいいのだが、冬になると野山の動物を狩るのが困難になるので、頭が非常に痛い問題であった。
いつも通り、カウンターの席に座った。ここの定期的ではあるが常連であるので、何も言わなくてもいつもの酒が出された。
椀に注がれていた酒を、一気に飲みは干す。カウンター越しに、店の親父が空いた椀に酒を注いでくれた。少し、酒がこぼれた。ここの親父は気前が良い人なのだが、少し注意の足りないところがある。たまにドジを踏んだりするのはそのためである。
少女が近くのテーブルに料理を運んでいた。料理は親父の女房が作っていて、その料理を親父の娘が運ぶ。親子三人でこの小さな店を切り盛りしていた。
「ああ、妖忌さんじゃないですか。お久しぶりです。」
少女が、わしの姿を見かけて話しかけてきた。ここの店とは古い付き合いで、この少女を赤ん坊の頃から知っていた。多分、年齢的には孫と同じぐらいの容姿である。
「おう、また世話になっているぞ。それにしても、相変らずここの二階はガラガラだな。」
「仕方ないですよ。第一、宿なんて需要がありませんから。利用する人なんて、極稀に来る他の里の人間か行商の人だけだから。」
確かにこの幻想郷には殆ど宿の必要性が無かった。極限られた地域にひっそりと人間が暮らしているだけだからである。ただ、それでも里と里の間の移動はあった。頻繁ではないにしろ、そういう背景から宿は要らなさそうで必要だった。
「今回は何日滞在していくんですか。」
「二、三日といったところだな。朝一の市で買いたいものがあるしな。」
そう言うと、少女は嬉しそうな表情をした。この少女にとって、わしは爺のような存在なのだろう。
突如、店の中が騒がしくなった。振り返ると同時に足元に置いてある袋を引き寄せた。この袋には色々と入っているが、何よりも目立たないように自分の半身を隠してあるのだ。
客の数人が、騒いでいた。酔っ払って暴れているのだろうが、出てきた親父が必死に宥めているがまるで効果なかった。
余りに見ていられなかったので出て行こうとすると、少女に止められた。
「駄目、あれはいつもの事だから。ほっとけばそのうちに帰っていくから、お父さんにまかせようよ。」
そういう問題ではないと思ったが、少女が離そうとしないので諦めるしかなかった。
結局、あの連中は騒ぐだけ騒いで帰っていった。
今夜も、昨日と同じようにカウンター席で飲んでいた。
今日中に全て買うべき物は買ったので、明日にはここを発てそうだった。店の中は昨日と同じく割と繁盛しているので、親父達は忙しそうだった。
一通り飲み終え、二階に引き上げようとした時だった。少女の悲鳴が聞こえた。見ると数人の男が酔った勢いで娘に絡んでいた。
しかし、やり方が余りに強引だった。嫌がる少女の腕を掴み、自分の方に引き寄せようとしていた。悲鳴を聞きつけた親父が飛び出して来て何とか止めさせようとしているが、まるで相手をされていなかった。他の客は見てみぬ振りをしている。
わしは立ち上がりざまに皿を数枚落とした。皿が割れる音が店の中に大きく響く。次の瞬間、誰もがわしの方を注目していた。騒いでいた奴らも、水を差されて憤りの表情をしていた。
「おい、爺さん。せっかくの気分をどうしてくれるんだ。」
「いや、すまん。近頃目が見にくくなってな。」
「んだと、すまんで済んだら誰も苦労なんかしねえんだ。痛い目に合わしてやろうか。」
そう言いながら、いきなり殴りつけてきた。拳は鳩尾に入り、息が苦しくなった。 蹴り上げられ、床に倒れた。倒れたところを袋にされ、しばらくの間いいようにされた。それでも、急所は全て腕や身をよじって守った。
気分が収まったらしく、連中は床に唾を吐きつけながら帰っていった。他の客も、嫌な物を見たという感じで帰っていった。
少女が、泣きながら寄って来た。親父も親父の女房も心配そうな表情でやって来た。体を起こし、泣きじゃくる少女の頭に手を置いて宥めた。
「妖忌さん、大丈夫ですか。今、医者を呼びに行かせますから。」
「案ずるな。この程度、怪我の範疇に入らん。老いぼれたとは言え、鍛えてあるからな。」
起き上がり、体を簡単に動かしてみた。体中が痛んだが、動けない程のものではないようだ。
「しかし、あのチンピラ集団はなんだったんだ。他の客も、またかという顔をしていたし。以前はあんな連中来なかっただろう。」
「ああ、最近になってから来る様になった連中だ。完全に、ただの嫌がらせだな。だが、ちゃんと勘定を払うから、あれでもお客だ。追い返すわけにはいかん。しかし、何故あんな事をしたんだ。無視していれば殴られずに済んだのに。」
「なに、この娘をあのままにする訳にはいかなかったし、お前の店の中で暴れる訳にはいかなかったからな。頑丈な奴が殴られて事が済めばいいと思っただけだ。」
親父と、しばし互いの顔を見合った。そして、ほぼ同時に笑いあった。こいつもわしも、昔から変わらずに頑固だった。
「なあ、あの連中が現れるようになってから、何かこの里で変わったことは起きていないか。」
「さあ、これといった事は起きていないと思うが。強いて言えば、以前新たにできた店に、メイド姿の女性が入る頻度が多くなった事ぐらいかな。しかし、何をする気だ。これはこの店の問題で、妖忌さんに迷惑を掛ける訳にはいかない。」
「何、殴られた借りを返すだけさ。それこそ、この店には関係のない話だ。」
親父に、にやりと笑って見せた。親父は深い溜息を付くだけだった。
道をのんびりと歩きながら、すれ違う人間の顔をさり気なく観察した。昨日と一昨日に店で騒いだ連中を見つけたかった。
一人一人確認するという気の長くなる作業だが、里の人口を考えれば出来ない話でもない。人に聞いて回ってもよかったが、今はまだ目立つ時ではないのでしなかった。
昼飯を終え、またぶらりと歩き回っていた時だった。昨日いた連中の一人を見つけた。気づかれないように一定の間を空けて、尾行を開始した。
実行犯を叩き潰しても、店に対する嫌がらせは止まないだろう。だから、首謀者を見つけ出す必要があった。そのためにこの男を尾行し、順々に洗い出していくしかなかった。
しばらく尾行した後、男が一軒の家に入っていくのを確認した。ここが男の家なのかは分からなかったが、しばらく物陰から見張る事にした。
日が沈みかけた頃だった。家から数人の男達が出てきた。中には見覚えのある奴もいる。恐らく、今からどこかの店に行くのだろう。
完全に日が沈み、それからしばらく経った時だった。先ほど出て行った奴らが戻ってきた。顔の表情を見て、今日もどこかの店で暴れたのだろうと推測できた。
その後、月がかなり高い位置に来たときだった。数人の男がまた出てきた。だが、今回はチンピラだけではなく、頭と思わしき男も一緒だった。その男に、周囲の人間がかなり丁重な言葉を使っているから、頭と見て間違いないだろう。
連中の後を、十分に注意を払いながら尾行した。夜の閑散とした道で足音にも気をつけばければならなかったが、幸いまだ気温が高かったので蝉の大合唱が足音を消してくれた。
しばらくして、連中はある店の裏口に入っていった。親父が言っていた店だった。しかし、店の中まで入る訳にはいかなかった。
蝉が寝静まる頃に、連中は出てきた。中で誰と何を話したのかが気になったが、連中に、直接聞くしかなさそうだ。
頃合を見計らい、襲った。完全に油断していたらしく、全員を気絶させるのに時は掛からなかった。
頭らしき男を、少々騒いでも大丈夫そうな所まで運んだ。そして、水を顔に掛けて目を覚まさせた。騒ごうとした男の首に、刀を突きつける。
「さて、手短に聞こう。あの店で、誰と何を話した。」
しかし、男はわしの顔に唾を吐きつけただけだった。刀に、殺気を篭らせる。辺りに殺気が充満し、男が萎縮しだした。所詮、勢いだけのチンピラの頭だ。
「もう一度聞く。誰と何を話した。これが、最後だと思え。いつまでも同じ事を聞きたくない。」
「ま、待ってくれ。喋る、喋るから殺さないでくれ。」
「なら、早く喋れ。ただし、偽りを言ったらどうなるか、分かっているな。」
男が分かったというように、何度も小刻みに首を振った。目が完全に怯えていて、つまらない事を考える余裕は無さそうだった。
簡単に纏めると、男はあの店の主に雇われて、手下を使って暴れさせていたらしい。そして、その結果の報告をこの男が定期的にしていたとの事だ。
大した事は聞き出せなかったが、少なくとも首謀者に近づけた事でよしとした。男を再度気絶させ、目立たないところに男を隠した。騒ぎ出すと厄介だが、今のところ店との接点を見つけられていないはずだ。
この場から立ち去り、宿に戻ろうとしたときだった。強烈な殺気を感じ、飛び退った。一瞬の間をおき、体を何かが掠めた。
振り返ると、メイド姿の銀髪の少女がナイフを構えていた。ナイフが闇夜の中で月の光で怪しく光っていた。身のこなしと気配で、只者じゃない事を悟った。
「貴方が何のために探りを入れているのかは知らないけど、手を引きなさい。これは警告で、次があると思わないで。」
有無を言わさぬ口調で、少女が最後通告をしてきた。だが、無論そんな物を飲むわけにはいかなかった。
「悪いな、小娘。わしも引く訳にはいかんでな。その要求は、飲めん。」
お互いに睨み合った。少女から来る殺気は尋常なものではなく、このまま迂闊に踏み込めば体が切り裂かれるのではないかという錯覚すら覚えた。
時。少女の気配が変化し、わしが踏み出そうとした時だった。場に新たな気配が生じた。
「こんな時間に、紅魔館のメイド長はこんな所で何をするつもりなのかな。」
目だけを声の方向に向けると、一人の少女が立っていた。目の前の少女と同じく銀髪だが、青色の服と角ばった帽子を身に着けていた。
この少女の乱入に目の前の少女は舌打ちをし、次の瞬間姿を消していた。残された少女は深い溜息を付いている。
「あれに捕まるとは、ご老人も難儀な事だったな。私は上白沢 慧音。里の顔役を勝手に自称している者だ。」
そう自己紹介をするも、少女の目は鋭かった。わしが何者か、見定めようとしているようだ。
「ところで、ご老人。貴方もこのような時間にかのような場所で何をしていたのだ。見たところ只者ではなさそうだが、返答しだいでは。」
この里で不用意に問題を抱えたくなかったので、仕方が無く袋から自分の半身を取り出し、自分が何者かを名乗った。その上で自分が何をしたいのか言い、情報提供を求めた。
「そうか、あの店か。だが、これ以上関わらん方が見の為だ。あの店は紅魔館の資金源確保の為に、紅魔館の出資で作られている。あそこの売り上げの何割かが紅魔館に納入されていて、紅魔館としては五月蝿い虫を追い払いたいはずだからな。」
「だが、あの食堂兼宿を潰させたくない。あそこの親父とは古くからの付き合いなんだ。」
「そうだな、確かにあの店のやり口は酷すぎる。元々新しい店の需要は無かった上に、食堂、宿、八百屋、小道具屋、賭博場と色々な事をやろう
として、どれも中途半端な状態になっている。それをどうにかしようとしての他の店を潰すという発想は許せん。だが、あそこの店主も従業員も皆人間だから、私は手出しできないし、したくない。せいぜい、口頭注意ぐらいしかできん。」
少女は忌々しそうに、嘆いた。本当は、紅魔館の影を里に入れたくないのだろう。
「ところで慧音殿、先ほどの娘は一体何者なのだ。」
「あれは紅魔館のメイド長、十六夜 咲夜だ。紅魔館の主レミリア・スカーレットの懐刀で、よくあの店の現状把握の為に視察に来る事がある。
今回はあの男の報告を聞いていたのだろうが、運悪くそこに妖忌殿が乱入してしまったと言うわけだ。」
「そうか、運が悪かったんだな。これで目を付けられてしまったか。しかし、それにしてもなんだって今更こんな横暴な手段に出だしたんだ、あの店は。」
「何でも、近頃急に館の修繕費が嵩むようになったらしい。なんでも今まで地下に閉じ込められていた主の妹君が普通に生活するようになってよく暴れるとか、魔法使いと巫女にかなり荒らされたとか、その魔法使いが訪れるたびに暴れて外壁を壊すとか。」
一瞬、慧音の表情に同情の色が浮かび上がった。ひょっとして、その暴れている連中を知っているのかもしれない。
「ふむ、何はともあれ色々と世話になった。有益な情報、感謝するぞ。しかし、半人半霊を見て驚かないとは、たいしたものだ。」
「いえ、私も訳ありだ。それに、以前半人半霊を見た事があるので。」
慧音がニッと笑いかけてきた。色々と含みを持った笑いだった。
宿には帰らなかった。チンピラ程度の奴らなら対処のしようがあったのだが、厄介な相手に顔が割れた。親父達に迷惑を掛けない為にも、できるだけ接点を無くすべきだった。
里の外で夜を過ごした。日が昇ると往来をぶらりと歩き、件の店をそれとなく見張った。しかし、気になる人物は出てこなかった。これを次の日も行った。
やはり狙うは店主か十六夜 咲夜。どちらかを捕まえて吐かせる事ができれば、さらに詳しい事が分かるかもしれない。紅魔館が関与している事は分かっているが、全てに関与している訳ではないだろう。何処までが紅魔館との総意なのかを見極める必要があった。
ただチャンスを待つだけなのは非常にもどかしかった。乗り込んで直接締め上げたいところだが、事を大事にする訳にはいかなかった。これはわし一人の行動で、親父達に迷惑を掛ける訳にはいかないのだ。だから、あのならず者の尋問にも細心の注意を払っている。
結局この日も夕方まで粘ってみたが、何も収穫が無かった。今日はもう切り上げて、里の外に出ようと決めた。昨日の今日だから、多少警戒されているのかもしれない。
親父の料理屋の前を通った時だった。店の看板が取り外されているのに気がついた。何事が起きたのか一瞬分からず、気が付いたら店の中に飛び込んでいた。
親父が、憔悴しきった表情で背を丸めて残っていた椅子に座っていた。店内は酷く荒らされていて、以前の面影を残していなかった。
「どうした、何が起きたんだ!」
親父が虚ろな目をこちらに向けてきて、しばらくしてわしが誰かを理解した。
「ああ、妖忌さんか。ご覧のとおり、何もかも俺の手から離れていったのさ。俺には、もう何も残っちゃいない。」
「何故こんな事になった。誰に、何をされた。」
「馬鹿な話さ。馴れない賭博なんかに手を出したツケが、俺の全財産とはな。」
親父が自嘲じみた笑いをした。しかし、笑った顔の方が凄惨な影が色濃く現れた。
「賭博だと。お前、あれほど賭博を嫌っていたのに、何故賭博などに手を出した。」
「仕方が無かったんだ。娘が通りで人にぶつかって、その拍子にぶつかった相手が荷物を落とした。その荷物の中に高価な焼き物や壺が入っていて、完全に割れていた。その弁償を求められたんだが、そんな銭がこの店にある訳が無かったんだ。」
当たり屋。ふと、そんな言葉が思い浮かんだ。恐らく、事の真意を確かめずに、相手の言葉を鵜呑みにしたのだろう。この親父は、肝心な時にはいつも注意が足りなかった。
「しかし、おかしいな。賭博は、始めは勝っていたのに。気が付いたら、いつの間にか全部身包みを剥がされていたよ。」
「愚か者。初心者が賭博で鴨にされる時は、大体そういう手口だ。わざと勝たせて調子づかせ、大きく負けさせる。みすみす相手の術中に嵌ったのだ、お前は。」
こんな事なら、この店に張り付いておくべきだった。多少は迷惑を被る事になったかもしれないが、この状態だけは回避出来たかもしれなかった。
「おい、そのぶつかった相手は誰だか分かるか。それと、どこの賭博場でやったんだ。」
「さあ、あの人が誰なのかは分からなかったが、そんな高額は払えないと言ったらメイドさんが出入りしているあの店に連れて行かれて、博打を打たされたよ。」
やはり、予想通り全てあの店の筋書き通りだった。やり口も徹底的で、事前準備も周到だったに違いない。少し、甘く見すぎていたのかもしれない。
親父が立ち上がり、店を出て行こうとした。
「何処へ行く。」
「もうそろそろ立ち退き期限なんだ。ここの土地の権利書も取り上げられたからな。まあ、立ち退きと言っても、持っていく物なんて全て取り上げられたが。」
「お前、そう言えば家族はどうした。お前の女房や娘は無事なのか。」
「女房は、離婚して実家に帰らせた。あいつだけは借金地獄から逃れさせたかったんだ。」
「そうか、辛かっただろうが、よく決断した。それで、娘は。あれも女房の所か。」
「いや、娘は借金の形に取られた。俺は賭博に負けた負債を負ったが、娘は壺と焼き物代を負わされて連れて行かれた。何処で何をさせられるのかは知らないが、今の俺にはどうする事もできない。」
あの少女が連れて行かれた。その言葉は、何か愕然とさせる響きを持っていた。あの少女に、何時しか孫に対する感情を持っていたのかもしれない。
「おい、あの娘が連れて行かれたのはいつの事だ。誰が、何処に連れて行った。」
「多分、昼前だったかな。あの店の者がやって来て、連れて行ったよ。何処へかは知らん。」
それだけを聞いて、店を飛び出した。最早、体裁なぞ構っている暇は無かった。
怒りが、胸中で渦巻いていた。この薄汚い仕打ち、許すわけにはいかなかった。
堂々と表から店に入った。今日はもう店仕舞いのようで、お客はいなかった。恐らく、親父の店の始末に追われて、人員を取られているのだろう。
止めてくる者や行く手を阻む者は、皆黙らせた。そのうちの一人を軽く締め上げ、店主の居場所を吐かせた。二回の一室にいる事を吐かせた後、他の奴らと同じく気絶させた。
二階に上がると武器を持った連中が襲ってきたが、それも黙らせた。ただ、武器を持っていた分、痛い目に合って貰ったが。
店主の部屋の戸を蹴破り、隅で店主が震えているのを発見する。店主に近づき、そのまま胸倉を掴んで睨み付けた。睨み付けるとよりいそう震えだし、情けない声まで上げだした。こんな奴に、親父達は破滅させられたのか。
「言え。昼前に連れてきた娘は、何処にやった。」
「お、お前は一体なんなんだ。こ、こんな事をしてただで済むとでも思っているのか。」
「お前の悪行をよしと出来ない者だ。それに、ぎゃあぎゃあ騒ぐな、見苦しい。首を捻り千切ってやるぞ。」
そう脅しただけで、情けない悲鳴を上げて萎縮しだした。つくづく小物だ。だが、こんな小物でも、悪知恵だけは一人前なのだろう。
扱う側としては、この程度の小物は扱いやすかっただろう。なにせ、目の前に餌をぶら下げていれば一生食いついていそうな輩だ。だが、親父に同情を禁じ得なかった。こんな溝鼠のような奴に一杯食わされたとなると、悔やんでも悔やみきれまい。
「早く言え。お前のような奴に時間を使いたくない。」
「わ、分かったから、命だけは簡便を。紅魔館、紅魔館に連れて行かれた。若い娘を借金の形に取ったって報告したら、メイド長がじきじきにやって来て連れて行った。」
「何故、連れて行った。」
「さ、さあ。俺にはサッパリ分からないけど、何せあそこの主は吸血鬼だ。きっと食料に困っていたんじゃないのかな。はは、可愛そうに。今頃は胃袋の中かもしれないな。」
男が、嫌な笑いをした。怒りで、一瞬この男を絞め殺そうかと思った。しかし、まだ聞くことがあるので生かしておこうと思い直した。この程度の奴、何時でも絞め殺せる。
「もう一つ。他の店に対する嫌がらせは、お前の指示か。それとも、紅魔館の指示か。」
「い、いや、俺の独断だ。俺はただ、売り上げを上げるようにとの指示しか受けていない。あそこの連中は商売の事なんか空っきしで、俺の言う事を鵜呑みするしかないんだ。」
男の目が、一瞬理性の光を取り戻した。急ぎ締め上げ、また軽い錯乱状態にさせる。こういう奴は頭を使わせないに限る。
口先と悪知恵だけの男。売り込んだのか認められたのかは知らないが、ひょっとしたら紅魔館も被害者なのかもしれない。
「じゃあ、お前の事を聞く。何故、真面目に商いをやろうとしなかった。あれもこれもと手を伸ばさず、どれか一つに絞って真面目に商いをする気は無かったのか。」
「そんなしみたれた事ができるか。せっかく紅魔館の力と名前を借りられるんだぜ。邪魔な奴を潰した方が手っ取り早いじゃないか。」
もう、この男と喋っていたくなかった。斬り潰してやろうかと何度も思ったが、こんな奴の血を被る刀がもったいなかった。
部屋の中を見回し、色々と書類が積まれているのを発見した。その中に親父の土地の権利書と借金の明細書が混じっていた。それを懐に仕舞い、ついでにこの土地の権利書を破り捨てた。
「な、なにをする。そんな事をしたら、俺が食っていけなくなるじゃないか。い、いや、それよりも、この土地は元々紅魔館のものだったんだぞ。それを破り捨てられただなんて知られたら、俺が殺される。」
「この里から、出て行け。お前のような奴は、どこでも生きられる。ドブ泥さえあればな。」
この男の事はどうでもいい。今は、少しでも早く紅魔館に行くことが大事だった。頼む、まだ無事でいてくれ。
「そこのお前。こんな時間に何の用だ。」
紅魔館の門のところで、呼び止められた。以前聞いた話を必死で思い出しつつ、大急ぎで紅魔館に飛んだ。余分な荷物は全て置いてきたので、半身も袋から取り出してある。
「亡霊が、紅魔館に何のようだ。ここはお前のような奴が来るところではない。大人しく、成仏でもしていろ。」
半身のせいで亡霊に間違えられる事はよくあったので、訂正する気にはなれなかった。
「ここの主に用がある。主が駄目なら、十六夜 咲夜というメイド長でも構わん。どちらかに、取り次いでもらえないか。」
「お前のような怪しい奴、通すわけには行かない。さあ、大人しく帰れ。」
「そうか、ならば押し通る。」
先頭で武器を構えていた警備の者に、当て身を食らわした。他の警備の者達は一瞬驚いた顔をしたが、直ぐに包囲をしてきた。その動きは統制が取れていて、無駄は無かった。
「おい、誰か隊長を呼びに行け。今は咲夜さんの予算会議に出ているはずだ。会議室に行って、咲夜さんに事の報告もして来い。」
そう今指揮を執っている者が言うと、一人が館の中へと駆け去って行った。その穴を埋めるように、更に包囲の幅を縮めてくる。どこからか、応援も駆けつけて来ている。
一斉に襲い掛かってきた。正面から来た槍を刀で跳ね上げ、鞘で相手を打ち倒す。体を回し、さらに斬りかかって来た者を倒した。時間が惜しかったので、本気で相手をした。
気が付くと、もう立っている者が数人に減っていた。他は皆、地面に伏していた。
「止めておけ。お前らでは、わしに敵わん。それよりも、怪我人を運んでやったらどうだ。一応殺してないから、早く手当てをしてやるんだな。」
そう言い残し、館へと向かった。さほど時間をかけていなとは言え、時間を無駄にした事が悔しかった。
館の正面玄関の戸を開けた時だった。空けた隙間から、ナイフが数本飛び出してきた。十分注意を払っていなければ、当たっていたかもしれなかった。
館の玄関に、思い思いの獲物を持ったメイドの集団と赤髪の少女、そしてナイフを構えている十六夜 咲夜が待ち構えていた。
「こんな事をして、生きて帰れると思っていないでしょうね。」
「時間が惜しい、手短に聞く。昼に連れてきた娘は、何処に居る。」
「これから死に行く貴方に、教える必要は無いわ。」
「ならば、そこをどけ。お前の主に聞く。」
刀を抜き放ち、構える。相手も弧を描くように動き、包囲してきた。正面に十六夜 咲夜と赤髪の少女が立っていた。
正面の敵を睨み据える。相変らず、凄い殺気だった。赤髪の少女も相当な気迫だ。どちらも、しばらくぶりに出会った相当な手だれだった。
他のメイド達は、そう大した事はなさそうだ。ただ、この二人が連携を取り出すと厄介な事になりかねない。赤髪の少女は構えから見て格闘を、十六夜 咲夜はナイフを飛ばす。接近戦の合間に援護をされるのは、かなり危険だった。
十六夜 咲夜の気配が、僅かだが変わった。次の瞬間、数本のナイフが目前に現れる。そのうちの半分を刀で叩き落し、さらに半分は身を捻って避けた。
その間に距離を詰めてきた赤髪の少女が、拳を突き出してくる。それを刀で受け流す事をすれば、永遠と防御に回らなければならないだろう。既に、十六夜 咲夜は新たなナイフを構えていた。
この赤髪の少女よりも、先に十六夜 咲夜を潰すべきだ。刹那の瞬間に踏み出し、ギリギリのところで拳を避け、赤髪の少女とすれ違った。そのまま十六夜 咲夜との距離を一気に詰める。
あのまま刀で受け流す事を予想していたのか、咄嗟に放たれたナイフは精度を欠いていた。ナイフが体を掠めるにまかせ、更に距離を詰めた。
十六夜 咲夜の表情に、一瞬迷いが生じた。このままナイフで迎撃するか、退くか。しかし、わしが刀を一閃させるには、その一瞬で事が足りる。
「あら、これは何の騒ぎ?」
場に、新たな気配が生じた。誰もが動くのを止め、ただ声の主の方を向いていた。わしも十六夜 咲夜を斬る事を断念し、新たな気配に向き直っていた。向かざるを得ない程の気配だったのだ。
「お嬢様、ここは危険です。この侵入者の始末は私達に任せて、お嬢様は自室にいてください。すぐに始末をして、紅茶をお持ちしますから。」
「それは頼もしい事ね。でも、せっかくお客が来てくれたのだから、紅魔館の主としてもてなさない訳にはいかないわ。」
「しかし、お嬢様・・・」
「いいから、私に任せなさい。久しぶりに、霊夢や魔理沙とは違った意味で楽しめそうなお客よ。盛大に歓迎してあげないと。」
そう言って十六夜 咲夜を下がらせた。十六夜 咲夜にお嬢様と呼ばれると言う事は、この少女が紅魔館の主、レミリア・スカーレットなのだろう。
「それにしても、好き勝手してくれたわね。貴方の来訪目的は、何。ここまでやるからには、何か大きな理由があるのでしょう。」
「わしの目的は、ここに昼間連れてこられたはずの娘を連れて帰ることだ。」
「そう、でも残念だわ。」
レミリア・スカーレットが、怪しく笑った。
「あの娘の事だけど、つい先ほど私が美味しく頂いたわ。」
もう、話す事は何も無かった。
目の前の吸血鬼を斬る。斬ればあの少女が帰ってくる訳がないが、斬られずにはいられなかった。
刀を構え、静かに踏み出した。吸血鬼がわしの反応を見て、笑った。そして、宙に浮いた。
ある距離まで行くと、それ以上踏み込めなくなった。吸血鬼は本気を出しているらしく、凄まじい気迫だった。その気迫に弾かれる様に、押し戻されそうになる。
わしも内なる気を奮い立たせ、全力で対抗した。場に気が張り詰め、息苦しくなる。周囲を包囲していたメイド達も、荒い息をたてている。
お互いに、睨み合った。全身から汗が噴出し、顎の先から汗が滴り落ちるのを感じていた。吸血鬼も、顔に行く筋も汗を流している。
これ程の相手は、初めてだった。お嬢に匹敵するのではないかというほどの力の持ち主だった。ただ、動の戦いには慣れているのかもしれないが、静の戦いに慣れていないようだ。先ほどから、どこかじれったそうに指を小刻みに動かしていた。
不用意に動けば、殺られる。我慢しきれなくなったら、負ける。動くべき時になれば、自ずと体は動く。その時まで、ひたすら相手の圧力に耐えるしかなかった。
誰かの悲鳴が聞こえ、倒れる音がした。場を占める圧力に、耐えられなくなって倒れる者が出たのだろう。
やがて、視界から吸血鬼以外のものが全て消えた。時。そう思った瞬間、既に踏み出していた。
吸血鬼が恐ろしいまでの速さで突っ込んできた。それを今までの全経験を動員して迎え打つ。吸血鬼の胴。渾身の力で薙いだ。
首筋のあたりに、痺れた感じがした。吸血鬼の爪が、そこを掠めたのだ。逆に、吸血鬼も服だけが横に切り裂かれていた。
口を開けて、大きく息をした。位置が入れ替わっただけで、対峙のかたちは変わっていない。吸血鬼も、息を荒げている。
再び睨み合いになった時だった。ナイフが、横から飛んできた。それを払い落とすと、十六夜 咲夜と赤髪の少女、そして数人のメイドが飛び出してきて、吸血鬼との間に割って入って来た。
「どういうつもり、咲夜!!」
「どういうつもりも、こういうつもりもありません。もう、見ていられません。」
「せっかくの獲物なのよ。黙って、勝負をさせようと思わないの?」
「何を言われようとも、引き下がれません。」
さらにメイドが吸血鬼の周りを囲む。吸血鬼が一瞬睨みつけてきたが、興味を失ったように顔を背けた。
「もういいわ、興ざめよ。お引取りをしてもらって。あの娘も、帰しちゃいなさい。」
「どういう意味だ、吸血鬼よ。あの娘は死んだのではないのか。」
「あら、失礼ね。私はこう見えても小食よ。多少貧血気味になっているかもしれないけど、ちゃんと人間として生きているわ。」
あの少女が生きている。その事実が、叫んで回りたいほど嬉しかった。
「ですが、お嬢様。この者を生かして返すのですか。後の憂いを絶つ為にも、今ここで殺しておいた方が。」
「いいのよ、咲夜。美鈴の部下も、怪我人だけで死亡者は出ていないし。それに、私が楽しめたんですもの、これくらいの慈悲はあってもいいんじゃなくて。」
「里に出しておいた店を、この者は潰しました。土地の権利書を破いて捨てたのです。再度申請するには、時間が掛かります。その間は、しばらく収入が苦しくなりますよ。」
「いいじゃない、それぐらい。どうせ、少しの間でしょう。そのぐらい、皆が我慢すればいいだけじゃない。」
何を気楽な事を。十六夜 咲夜の表情には決して表れてはいないが、胸中はその言葉で一杯だろう。何故か、同情を禁じえなかった。昔、お嬢に対してよくそう思ったものだ。
「十六夜 咲夜、一つ言っておく。今度雇うなら、もっとマシな奴を雇え。あんな小悪党ではなく、根っからの商売人を探す事だな。」
「・・・ご忠告、ありがたく受け取っておくわ。」
「ああ、妖忌さん。お久しぶりですね。」
いつもの様にカウンターに座っていると、料理を運んでいた少女が嬉しそうに話しかけて来た。
「今回も、ご滞在で?」
「ああ、また世話になる。それにしても、お前が元気そうで何よりだ。貧血の方は、収まったか?」
少女が頷くと新たな注文が入って、それを取りに行った。しばらく一人で飲んでいると、親父が出てきた。
「妖忌さん、これは俺のおごりだ。飲んでくれないか。」
新しい酒が出された。匂いからして、美味そうな酒だ。試しに一口飲んでみた
「これは美味いな。この酒、どうしたのだ。」
「これは俺の、妖忌さんへの感謝の気持ちさ。しばらく再建で忙しかったから、妖忌さんにはろくに感謝を伝えられなかったからな。」
「感謝してもらいたくて、やったわけじゃない。わしが、したくて暴れただけだ。」
「それじゃあ、俺の気が治まらない。妖忌さんの食事代を全部タダにしようとしたら止められたし、他の方法を思いつかなかったからな。ささやかな感謝の印だが、堪能してくれ。」
親父の顔にも、笑顔が戻った。あれから少女を連れて親父のもとに戻り、親父に取り返した土地の権利書を渡した。借金の方は、返す相手がいなくなったので無効となった。それから別れた女房を呼び戻し、また親子三人で店を始めた。
しばらく飲んでいると、数人どこかで見た顔の女が店に入ってきた。あれは、確か紅魔館のメイドではなかっただろうか。近くを通った少女を、呼び止めた。
「おい、以前は紅魔館の関係者はこの店に来ていなかったはずだが、最近は来るようになったのか。」
「うん、紅魔館関係者は割引サービスにしたら、結構来るようになったんだよ。」
「何故、そんな事をしだしたんだ。それに、以前よりも品数が増えているような気がするし、酒の種類も豊富になっている気がする。」
「ああ、そうか。妖忌さんはあれから殆ど来ていないから知らないんだ。」
確かに、再建と商売を軌道に乗せるのに忙しそうだったので、遠慮して殆ど来ていなかった。来れば、何か気を使わせてしまう事になりかねないからだ。
「ねえ、妖忌さん。この店の再建費、どこから出ていると思う?」
その問いは、腑に落ちなかった。わしはてっきり親族や親戚に借りているものだと思ったのだが。
「まさか、紅魔館からなのか。しかし、何故あんなところから借りたのだ。」
「借りた訳じゃなくて、出資してくれたの。その代わり売り上げの何割かを献上しなくちゃならないけど。でも、紅魔館の人も料理が美味しいって言ってくれるし、以前よりもお客が増えたから。」
「何故、紅魔館の店なんかをやる事にしたんだ?」
「お父さんが、また変な奴らが店を出すくらいなら俺がやるって言い出して。でも、安心して。お父さん、力を振り回すような人じゃないから。」
それは、わしも長年の付き合いから知っている。確かに親父は根っからの商売人で、酒場の親父がよく似合う奴だった。
店内を軽く見回してみた。親父も厨房にいる親父の女房も料理を運んでいる親父の娘も、そして店内にいる客も、皆顔は明るかった。
ここは料理屋兼宿屋で、美味しい飯と酒が出ればそれでいい。美味い酒に、紅魔館もそれ以外も無かった。
くだらない事を考えるのは、止めよう。せっかくの酒が、不味くなるじゃないか。
永遠の18歳GJ!!
若気のある爺さんもいいなぁ。
まるで時代劇を観ているようでした。
酒は好いですなぁ。
一個だけ細かい事を。地の文の最後が「~した」が多すぎて、
ちょっと読みにくいかも。体言止めとか文節を適度に繋げたり
すると読み易くなるかもしれませんね。
しかしこの話で評価したいところは、咲夜と美鈴のタッグ。ありそうだけどみたことないですから。謝々。
時代劇を見ている気分でした。GJ
良い良い。
私も時代劇で書こうと思ってたんだけどなぁ。
…でも私が書くより絶対面白く仕上がってるなぁ…。
ごちそうさまでした。
そして、弾幕少女以外がメインの話もいいですね。妖忌かっこいい!
幻想郷という女性キャラの多い世界であるからこそ、
こういった渋い東方世界は新鮮であり、貴重だと思います。
目の保養になりました。
そういった、ともすれば忘れがちになってしまう設定を思い起こさせるという点で魅力的な作品でした。