(星々の輝く宇宙空間を背景に、大きな月が浮かんでいる。
何かを掴もうとしているかの様に動く白い手、そして、何処からか聞こえてくる女声)
♪ゥドンゲィたーん ゥドンゲィたーん ゥドーンゲー
(ジャジャンジャジャンジャジャンジャジャン ジャジャジャジャ)
弾がまともにすすむと誰が決めたのだ? 弾幕をけす幻視が常識くつがえす
(ジャジャジャジャジャジャジャジャンッ!)
美しい座薬ぅは(ジャジャンッ!)菊の花散らしぃてぇ(ジャラララララララ)
巡りくるぅ切なっさ~ 快感を払ぁってぇー(チャラチャラチャラチャラチャラチャラチャラララララララ)
あなたとのぉ(ジャラララララララ)間にぃー(ジャラララララララ)師と弟子の契りぃを(チャーチャーチャーチャー)
あの月にぃ(ジャラジャラジャウー)捧げるぅー(ジャラジャラジャウー)縞柄のー(ジャン!) パァンゥツゥでぇー
(ジャジャンジャジャンジャジャンジャジャンジャジャンジャ ジャラッチャラッチャラッチャラッチャラララ)
ゥドンゲィたーん ゥドンゲィたーん ゥドーンゲー(ピーッィ フィョォ~)
ゥドンゲィたーん ゥドンゲィたーん ゥドーンゲ―――………♪
“月が吠える”
【13:00 紅魔館ロビー地下司令室 NEW MOON】
――――エマージェンシーコール、レベル1発令。
照明の抑えられた暗い室内に、けたたましい警報音が鳴り響く。オペレーターたる数人のメイド達が、各々の目の前に
在る水鏡を覗き込みながら、其処に写し出される、館内各所に配置された使い魔より送られた情報を矢継ぎ早に報告
していく。
状況開始から既に一時間近く。戦況は、お世辞にも『優勢』と言えるものではなかった。
「INABA部隊、再侵攻しています!」
「八意放出霊力、再増幅始めました」
「ディスペルマジック発動確認!」
「霊力値、8億5000… 12億! 凄まじいスピードです!!」
「八意から紅魔館内空間歪曲域へアクセス確認! アンチ・ディスペルネット展開…、回避!
歪曲空間、自動補修…妨害されました!」
「広範囲にわたって歪曲補正侵攻! …隊長!?」
隊長と呼ばれた銀髪の少女は、心の中で舌打ちをした。
館内の要所に設置してある防御結界を、敵部隊はいとも容易く突破している。それだけならまだ良い。紅魔館には結界
以外にも、彼女の能力に依る空間歪曲が施されている。よほど常識離れした勘の良さでも持っていない限り、招かれざる
客人は、無限回廊で永遠に彷徨う事になるのがその運命なのだ。
だが現在、敵の発動した解除術式により、館内の空間歪曲は急激なスピードで無効化されていっている。
銀髪の少女、十六夜咲夜は、改めて敵、八意 永琳の恐ろしさを思い知った。彼女も咲夜と同じく、空間歪曲に依り
その居城を守っているが、それだけではなく、先の異変では、本物の満月を隠し地上と月の行き来を不可能にする
という、常識外れな離れ業をも演じて見せた。その空間操作能力は咲夜を上回る。
「物理防壁を作動させなさい!」
凛とした声で指示を出す。魔術的防御策が通じぬのであれば、物理的手段に頼るしかない。だが。
「了解! オリハルコンシャッター使用します。…オリハルコンシャッター、閉鎖確認!
…駄目です! 効果ありません!」
予想通りだった。敵部隊は館内の防御結界を通過する際に、結界の解除も破壊もしてはいない。一体どの様な手段を
用いているのか、結界には何の干渉もせずに、ただ素通りしていっているのだ。そんな輩共相手にその道を壁で塞いだ
所で、効果が無いのは残念ながら予測できていた。
「INABA部隊! 尚も侵攻中! 止まりません!」
「館内フロア98%占拠!」
自分達の屋敷を我が物顔で蹂躙する兎共に対し、咲夜は再度、心の中で舌を打った。
彼女の指揮する紅魔館メイド隊、及び、紅 美鈴を隊長とするスカーレット警備隊は、INABA部隊の前に半ば壊滅
状態、美鈴との連絡も30分程前から途絶している。
彼我の戦力にそれ程の差が在るとは思えない、いや、それどころか、組織総体として見れば、紅魔館の力は幻想郷で
随一と言っても良い筈である。それが、その紅魔館が、僅か一時間足らずで陥落寸前まで追い込まれている。
お嬢様は、ここまでの状況が視えていたのだろうか。咲夜は振り向き、今は妹の腕の中に抱かれている幼い主を見る。
不安そうに見詰めてくる瞳に対して、大丈夫ですよと、優しく微笑み返した。この方だけは、命に代えても守らねばなら
ない。
「敵、侵攻方向へ攻撃的空間歪曲にて干渉! 位相空間ロジック書き替えられています!」
「空間歪曲率拡大! 館内に新たな次元回廊形成! 敵性空間転移可能になります!!」
「八意から転移座標コード発信を確認! 座標入力されました。NZ128、EZ061…本司令室です!!」
「奴等め…このまま侵攻するつもりか…」
咲夜は低く唸った。
永琳は歪曲空間を解消しただけでは飽き足らず、今度は自ら空間を捻じ曲げ、進路上に自分達に都合の良い路、
紅魔館の心臓部とも言えるこの司令室への直通路を創り出そうとしている。このままでは、此処まで来るのも時間の
問題だ。
傍らに置かれた水晶球を手に取り、口元に寄せる。これは、遠く離れた場所に居る者との通信に使用するマジック
アイテムの一種であり、その通じる先は、紅魔館のあらゆる魔法的設備を一手に取り仕切るヴワル魔法図書館。
……最後の切り札を出す。
館内の全魔力の内、九割を司令室周辺に集中する事によって構成する、多重次元攻性障壁。広次元幅を持たせた超高
密度結界を幾重にも重ね、攻撃を受ければそれをそのまま相手に反射する。紅白とスキマがその全力を合わせでもしない
限り、決して破られ事など有り得ない、正に絶対防御という概念の具現体。
一時的に館内魔法的設備の殆どが使用不能に陥るのが欠点ではあるが、通常結界が何の役にも立たない現在の状況で、
そんな事を気にする必要も無い。
図書館に居る筈の魔女に呼びかける。しかし。
「図書館! 神盾『システム・イージス』を最大発動願います!! …ヴワル図書館!! …グッ…」
幾ら呼びかけようとも、返事は無い。図書館も既に、敵の手に落ちたか……
―――決断の時が来た。咲夜は、彼女の指示を待つ部下達に、最後の命令を下した。
「以降のオペレーションはお嬢様と妹様、及び全従業員の館外転移魔方陣への避難を優先する。退避完了次第順次脱出!
これより本館を放棄する。…貴方たちも…退去しなさい…」
話は、半月前に遡る………――――
「王手詰み、ね」
テーブルに置かれた将棋盤を前に、館の主、レミリア・スカーレットは、勝利の笑みを顔に浮かべた。
「……参ったわ、降参」
レミリアに相対して座っていた友人、七曜の魔女、パチュリー・ノーレッジは、溜め息混じりに投了する。
「これで、十戦やって私の八勝二敗。うーん、パチェは下手だな」
自らの勝利にご満悦な様子の友人を見ながら、パチュリーは、再び溜め息を吐く。
……そりゃレミィが勝つに決まってるわ。何せ、王将が盤上の好きな位置に自由に移動できるんだから………
王将は、上下左右斜めに一目移動、というのが、将棋のルールである。しかし、ここ紅魔館では違う。
レミリア曰く、
「王将っていうのは、将棋の中で一番に偉い駒、つまり、私の事でしょう?
その私が、一時に一歩ずつしか進めないなんて、そんな馬鹿げた事があって良い筈が無いわ」という訳で、彼女の
使用する王将に限って、盤上の好きな位置に自由に移動できるという事にされた。我侭なお嬢様である。
彼女の持ち駒には他にも、自身を中心に四目以内は自由に移動できる桂馬、通常の将棋の駒の移動能力を全て兼ね
備える金将、進行方向に敵味方が幾ら居ても全て蹴散らして行く飛車、そして、全方位に連続で複数回行動できる銀将
(行動可能回数は、その時のレミリアの気分によって2~∞)といった、滅茶苦茶な手駒が揃っている。ついでに
言えば、前後左右に一目しか動けないものの、敵に攻撃されても倒れない『中』と書かれた駒、と言うか、牌も在る。
対する相手は、通常の駒のみ。
そんなもの、勝負になる訳も無い。それで勝って、喜んでいる。例えて言うなら、黒いのがキノコを食って大きくなる
例のゲームで、スタート地点にハッスルキノコを十個ほど配置して後はおさかなで埋める、という面を作成し、最初に八頭身に
なったらその後はBダッシュだけで残機×6323、といったプレイで楽しんでいる様なものだ。因みに、同様の
ステージを七色でクリアしようとすると、途端に難易度が跳ね上がったりする。
……それにしても、と、パチュリーは思う。
「それで二敗してるのよね」
常識的に考えれば、レミリアに負ける要素は皆無である。何せ、盤上何処にでも飛べる王が居るのだ。言うなれば、
いつでも何処でも王手の状態。極端な話、一手目で相手の玉将にバッドレディスクランブれば、それで終了。ワンターン
キルという、将棋とは余りにも掛け離れた概念も容易に実現可能だ。
それで二敗している。わざと負けた、訳ではない。
「ちょっと油断しただけよ」
それがレミィの最大の弱点ね、と魔女は思った。
レミリア・スカーレットは確かに、幻想郷でもトップクラスのカリスマの持ち主である。だが、それがそのまま、
彼女が高い戦略性や用兵術を有している、という事に繋がる訳ではない。強いカリスマは多くの人を惹き付けるが、
それで集まった者をどう扱うかは、また別の話である。
そもそも彼女は、その幼いながらも気品に溢れる外見に反して、実際は、直球勝負を好む肉弾派であったりする。そう
いった者は、得てして細かい点には気が回らなくなりがちなものなのだ。
「あ~~っ、一勝負終えたら喉が渇いたわ。咲夜、紅茶をお願い」
大きく伸びをしながら、従者の名を呼ぶ。返事は無い。
「咲夜?」
「彼女なら廊下で掃除中よ」
そう、有難う、と友人に礼を述べてから、レミリアは自室のドアを開け、廊下に顔を出した。
「咲夜~」
其処には、
「(『ツェペシュの幼き末裔』のメロディで)
れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ
れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ
れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ
れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ
れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ
れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ れみりゃれみりゃりゃ
れんれんれみりゃ れみりゃれみーりゃりゃー れーみりゃりゃれみりゃりゃ
れんれんれみりゃ れみりゃれみりゃりゃー れーみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ
れんれんれみりゃ れみりゃれみーりゃりゃー れーみりゃりゃれみりゃりゃ
れんれんれみりゃ れみりゃれみりゃりゃー れーみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ
永夜抄のドット絵が 幼すぎるのー♪
(以下、500年程繰り返し)」
絶望的な迄に人として大切な何かを忘れた素敵鼻歌を謳いながら、楽しそうに埃と格闘するメイド長が居た。
「あ、お嬢様? もしかして、今の聞かれました? や~ん、恥ずかしいですわ(はぁと)」
言いながら、明らかに嬉しそうな顔でクネクネする。端から聞かせるつもりだったのは明白だ。
「ところで、何か御用ですか?」
「……咲夜」
「何ですか(はぁと)」
「貴方クビ」
「な、な、な、な、何故でずがお嬢ざまぁ~~~~!!」
滝の様な涙と何故か鼻血も垂らしながら、主の足元に縋り付く完全で瀟洒な従者。
因みに瀟洒とは、すっきりとしてあかぬけしているさまを形容する語である。
「パチェ、小悪魔を呼んできて。彼女に新しいメイド長をお願いするから」
「待っでぐだざい、お嬢ざま!」
「え~い鬱陶しい! 取り敢えずはその涙と鼻血を何とかなさいッ!」
突然の事態に錯乱しているせいか、先程まで掃除に使っていたはたきに顔を埋め、チーンとやるメイド。埃まみれに
なる顔。赤く染まるはたき。
その様を見ながらレミリアは、やっぱり吸血鬼である自分としては、何て美味しそうなはたき、とか思ったほうが
いいのかしら、でも、あんな物を口にしたら、自分の貴重な何かが失われていきそうで嫌だ、等と、どうでも良い逡巡を
繰り返した。
「お嬢様! 私、何かしました? お嬢様のお気に障る様な事、しましたか!?」
「貴方ねぇ…」
少女を頭痛が襲う。言われなければ判らない様な事か?
「あんな、夜雀のちんちんソングすら『黄色い潜水艦』並の名曲に聞こえてしまう程の壊滅的鼻歌を発射するメイドが
居たら、館が崩壊する前にリストラして公園ブランコしてもらうのが世のため私のためってものでしょーがッ!」
「そんな! 酷いです、お嬢様!!
あの歌は、私の思いの丈の全てを溢れんばかりの優しさとチョッピリの哀しさで出来た暖かなオブラートで包み込んだ
エル!オー!ブイ!イー!LOVELOVE!お嬢様ッ!!なソングなんですよ!?」
「知らないわよ! て言うか何、暖かいオブラートって!? 何だか普通のに比べて溶け易そうよ! ちょっと手で
触っただけで、中身がだだ漏れしそうな勢いよ! 製薬会社に文句言ってやるわ!?」
「DATTEやってらんないじゃん! ストレスより、ロマンスでしょ!?
get you!LOVE LOVEモードじゃん! それが一番平和なんですッ!! なのにどおして!?」
「そもそもオブラートって嫌いなのよ! て言うか、粉薬キラいなのよ! 喉がケフケフするんだもん!
薬はやっぱり飲み薬よ! それもピンク色で甘いヤツがいいッ!! 苦いのはヤッ!!!」
錯乱気味な主従の会話は、哀しい迄にすれ違ってばかり。けれども、ある意味ではこの二人、似た者同士と言えるの
かも知れない。相手の話を全く聞かず、言いたい事ばかり叫ぶ辺り。
「二番です! 二番もあるんです! だからお許し下さい! 二番も謳いますから、私を見捨てないで下さいぃッ!!」
いい加減、収拾がつかなくなってきた。ここは一つ、日符でも使って強引に爆破オチにでもした方が良いかしら、等と
魔女が準備を始めたその時、
「あのぉ~、すみませーん……」
救世主が現れた。
「お嬢様、咲夜さん、ちょっと良いで……って、危なひゃッ!?」
白銀の刃と紅い光弾が、救世主の両脇を掠める。
「……何の用かしら、美鈴? て言うか、貴方、いつから此処に居た?」
美鈴と呼ばれた少女が、何故か殺気と共に主人から放たれた質問に答えようとする。
「ちんちんがどーだとか、喉がピンクでこーだとか、その辺りから………って、はえ?」
その目の前に、不自然なほど突然にナイフが出現し、そのまま少女の頭と合体した。
「いぎなり何するんディスか、咲夜さん!」
「いいこと美鈴。今貴方が見聞きした事は、全て夢、幻。
間違っても、他の妖怪や変な人間達に言い触らそうだなんて思わない事ね?」
「そーゆー警告は、出来れば攻撃前にお願いしたいんですが……
つーか、始めっから言い触らす気なんて無…………イ!?」
二本目追加。
「死ぬっ! 頭にナイフとかイったら、普通に死ぬる~~~ッ!!」
「口答えだなんて、美鈴のクセに生意気よ!」
少女は思う。こんにゃろう、アンタなんて、剛田咲夜とか、十六夜邪威暗とかに改名した方がよっぽどお似合いッス
よ、と。でも口には出さない。出したら、三本目が追加だから。
「って……………ぎにゅうああ!?」
「貴方今、何かとても失礼な事考えたでしょ?」
口に出さなくても、結果は同じだった。
「……美鈴のお陰で、何とか場が収まったわね」
パチュリーは、やれやれと安堵の息を洩らした。
紅 美鈴。湖外からやってくる侵入者の積極的排除を仕事とする、スカーレット警備隊のキャップ。
冷静そうに見えて意外と暴走し易いレミリアや咲夜も、美鈴の前では、途端に厳しくて冷酷で理不尽な上司に変貌
する。どれだけ収拾のつかなくなった場面でも、彼女が登場すれば、その存在自体がオチとなって全て丸く収まる。
正に、紅魔館の救世主とも呼べる存在。米利堅風に言うなら、scapegoatと言うやつだ。
「――で、用が有ったんでしょう。何、美鈴?」
「あ、ハイ、実は……」
自身に生える三本のそそり立つアレもそのままに、美鈴はメイド長の質問に答える。
「……ほら! もう大丈夫だから、出てきなさい!」
後ろに振り返って呼び掛ける。
その声に応えて、ゆっくりと、小さな身体が柱の影から出てきた。それは―――
「……ねぇ咲夜。今日のティータイムには、ミートパイが食べたいわ」
「そうですわね、お嬢様。丁度、良い材料も手に入った事ですし」
二人の会話に、折角姿を現しかけた少女が大慌てで再び柱の後ろに逃げ込んでしまった。
「ちょっと、お二人共! いきなりブラックなジョークをかまさないで下さいよ!? あの子が怖がってるじゃない
ですか~~………」
「……あの兎、食材として連れてきたんじゃないの?」
真顔で聞き返すメイド。冗談を言っている様子は微塵も伺えない。
「違いますよ!
ほら、てゐちゃん! この人達が言っているのは質の悪い冗談だから、心配しなくてホント大丈夫!」
「……ほんとですかぁ」
てゐと呼ばれた少女が、柱の後ろからその長い耳だけを覗かせる。
「大丈夫、ですよね……――――!」
念を押す様に言いながら、美鈴は咲夜とレミリアをキッと睨みつける。
自身が弄られるのは構わないが、他の者が酷い目に遭うのは黙って見ていられない。それが、紅 美鈴という少女
である。その点が、メイド長と主人が彼女を気に入る、一番の理由だった。
「冗談よ、ね、咲夜?」
「冗談です、そうですよね、お嬢様?」
「―――わかったですぅ……」
まだ少し警戒するそぶりを見せながらも、てゐは柱の影から姿を現した。
「!貴方、その格好……」
「驚いたでしょう、咲夜さん?」
因幡 てゐ。永遠亭に住む大量の兎のリーダーである。彼女が今、その白い服の所々を破損させた弱々しい姿で、
紅魔館の廊下に立っている。ただならぬ事態が起こったのは、明白だった。
「さっき突然、この子が一人こんな格好で、門の所に来たんです。幸い、怪我という怪我は無かったんですけど、
ちょっとこれはただ事じゃないぞ、と思って、それで、お嬢様達にご判断を伺おうと連れて来たんです。
どうしm
「とても良い格好ね」
美鈴の言葉を遮って、穏当でない科白が聞こえてきた。じゅるり、という、瀟洒という言葉からは余りにも掛け離れた
音と共に。
「…ハイ? 何か言いましたか、咲夜さん……?」
「フワフワモコモコの兎耳を持った素足幼女が、その白いワンピをボロボロにさせて、其処から柔らかそうな素肌が
覗いている……
何て素晴らしい格好! 神ですか、貴方はッ!?」
鼻からMELTYなBLOODを大量に滴らせながら、天を仰いで喜びの歌を奏でるメイド。
「な、なんなんですか!?
この、このみのようじょをみつけてきょうきらんぶする、ペドフィリアなはんざいよびぐんさんをほうふつとさせる
おねえさんは!? こわいですっ! さっきまでとはべつのいみで、みのきけんをかんじるですぅ~~~っ!!」
怯えながらてゐの放った言葉は、一見的外れの暴言に見えて、その実、哀しい迄に正鵠を得ていた。
十六夜咲夜。“完全で瀟洒な従者”の二つ名をを持つ彼女はまた、紅魔館が幻想郷に誇る“健全で容赦ないロリ専の狗
畜生”であったりもする。「美幼女大好きそれ以外はナイフの的」と言うのが、十六夜クオリティ。
何が彼女にここまでさせるのか、その秘された過去と関係があるのか、それは判らない。だが、現在の彼女が、幼女を
愛でる事を至高の目的とする悪魔メイドである事は間違い無い。
そんな彼女にとって、極上の美幼女姉妹が支配する紅魔館で働くという事は、正に天職としか言い様が無かった。
「……ふーん、そうなんだ。咲夜は、私よりあの兎の方がいいんだ」
拗ねた様に頬を膨らます主人に対し、従者は、いえ、そんな事はありませんわ、と無駄に優しく微笑む。
「私が心より愛するのはこの世で唯一人、レミリアお嬢様だけですわ。
あの兎は、まぁ愛玩動物みたいなものですとも、ええ。更に言うなれば、『愛』と言うよりはむしろ『玩』の方が
メインですから、心配しないで下さいな♪」
「ちょっとストップ咲夜さん!? NGです! このご時世、今の科白はかなりマズいです!! TVや新聞で、知識人
とか専門家とか言う職業の人達に思いっ切り叩かれますって!!!」
「何よ美鈴。兎が愛玩動物だ、って言う事に、一体何の問題があると言うの?」
「フツーの兎だったら邪魔無いですけど、この子は兎って言うかウサミミ幼女ですよ!? それを愛玩って、しかも、
『玩』がメインだしッ!」
「『玩』というのは、めでる、珍重する、なれ親しむ、を意味する語よ。別に問題無いじゃない」
「もてあそぶ、なぶる、なぐさみ物にする、むさぼる、って意味も有ります!」
「あら、詳しいわね」
「中国のあだ名は伊達じゃない!」
「ああそれにしても、美幼女をもてあそんで、なぶって、なぐさみ物にして、むさぼるだなんて、なんて素晴らしい情景
なのかしら…… 駄目! 私、もう、濡れちゃう! 濡れてイッt
「土水符『ノエキアンデリュージュ』」
往来で叫ぼうものなら間違い無く国家権力の狗のお世話になりそうな科白をのたまうメイドが、魔女の放った水弾に
吹き飛ばされる。
「……話が先に進まないから、少し静かにして頂戴、咲夜」
話の最中に文字通り水をさされた形となった咲夜だが、それで頭が冷えたのか、はい、申し訳ありませんと、素直に
頭を垂れた。その身体が濡れそぼっているのは、魔女の術による以外他に何の原因も無い、と、その場の全ての者が
信じた。そりゃもう、心の底から。
「……で、一体何があったの?」
興味が有るのか無いのか、いや、それ以前に、何を考えているのかも解しづらいじっとりとした視線を兎に向けて、
パチュリーが訊ねる。
「あうぅ、じつは、ですぅ……―――」
そうして彼女の口から語られた内容は、余りにも衝撃的なものであった。
永遠亭が、より正確に言うならばそれを取り仕切る八意 永琳が、幻想郷全土に対する侵攻計画を開始させた、と言う
のである。
主たる蓬莱山 輝夜はそれを黙認、永琳の弟子である鈴仙・優曇華院・イナバも師に従ったが、彼女等と違い地上の
出身であるてゐは、一人永琳の計画に反対。それに対し永琳は、
「たかが美幼女の貴方がこの私に意見するなんて、(人間年齢で言えば)5~10年早いわ! 私好みの美少女になって
から出直して来なさい!」と逆ギレし、てゐを反逆者(トリズナー)として追放。
命からがら逃げ出した彼女は、この危機を伝える為、幻想郷でもトップクラスの力を持つ紅魔館までやって来たと
言う。
「永琳め、何て馬鹿な事を……」
話を聞いて、メイドは恨めしそうに呟いた。
「女の子は幼い方が良いに決まっているのに、『美少女になってから出直せ』だなんて、全く、有り得ないわ……」
門番はツッコまない。ツッコんでも無駄だから。無駄なんだ…… 無駄だから嫌いなんだ。無駄無駄……
「……………………咲夜」
口元にその小さな手を当て、何事かを考えている様子でただ黙って話を聴いていたレミリアが、従者に命を下した。
「ミートパイの用意、お願いね」
「かしこまりました、お嬢様」
「ちょっとお二人共!? 今の話聴いてまたそのギャグですか!?」
堪らず美鈴がツッコミを入れる。兎幼女の命が懸かっているのだ。流石にこれは、黙って流せない。
「あのねぇ美鈴、今の話を聴いたからこそ、なのよ」
何が何だかまるで判っていない風な門番をよそに、友人の肩に手を置く吸血姫。
「今の話が本当だとして、パチェがあの薬師なら先ず何をする?」
友人の問いに、さも面倒臭そうに答える魔女。
「……そうね…
先ずは敵対しそうな勢力、特に、総合力では幻想郷一の紅魔館に対して、工作員でも送り込んで情報の収集や、場合に
よっては破壊活動でもさせて戦力の低下を狙うわ」
「それって……!この子がスパイって事ですか!?」
ようやく主の意を理解したのか、門番の顔に緊張が走る。
「ちがうですぅ! たしかに、おねえさんたちがてゐをうたがうのも、しかたがないのかもですけど……
でも、ほんとうですぅ! てゐはうそなんかいってないですぅ! しんじてですぅぅ!!」
その大きな瞳に涙を溢れさせ、必死の弁解を試みる少女。そこには確かに、嘘をついている様子は見えないが……
「でもね、嘘を言ってないって貴方、それをどうやって証明するの?」
言葉に詰まる少女。それを見てパチュリーは、友人の質問の意地悪さを思って、少しだけ兎に同情した。
否定的命題の証明の困難さ、つまり、『ない』という事を証明するのがどれほど難しい事なのか。『ある』を証明する
のは、実際にそれが出来るか否かは別として、方法としては非常に判り易い。証明すべきものそのものを持って来れば、
それが『ある』事の揺るぎない証拠となる。対して、『ない』を証明すると言うのは、例え如何に言を尽くし状況証拠を
揃えたところで、「隠れているだけ、見えない様になっているだけで、本当は『ある』のではないか?」と言われて
しまえば、完全な否定は出来ない。『ない』を持って来る、『ない』を見せる事など不可能だからだ。そういう意味で、
レミリアの質問は非常に意地の悪いものと言えた。
だが、と魔女は思う。今の状況ではこれも仕方無いな、と。
確かに、スパイとしては余りにもあからさま過ぎる気がしないでもない。もし永遠亭が本気で戦いを始める気なので
あれば、その事は伏せて、単なる客人に偽装させて工作員を送り込んだ方が良策の筈だ。美鈴程のお人好しでなければ、
今の状況では誰だっててゐを疑うのが普通であろう。が、それを見越しての二重のフェイクの可能性もある。紅魔館と
それほど親交の深い訳でもない永遠亭が、突然に客人を送って寄越したならば、それはそれで不自然だからだ。それ
こそ、永琳や輝夜クラスの人物が来るのでない限り。
まあ何にせよ、永遠亭が侵攻を始めるという話が真実なのであれば、この兎を紅魔館に置いておくのは余りにリスクが
高い。
「という訳で、咲夜、さっさとこの白兎を引ん剥いちゃって頂戴」
「はい! お嬢様! そりゃあもう、ジャンジャンバリバリ引ん剥かせていただきますともッ!!」
『引ん剥く』という単語に過剰反応したメイドが、大ハッスルこいて兎の首根っこを掴む。
「きゃううぅぅ~~! ころされてたべられるですぅ! カニバリズムですぅ~~~!!」
「安心なさい、てゐちゃん。
麻酔を使うとか、木の根っこに突進させてコロリだとか、そういう味気無い真似はしないわ。
ちゃんと時間をかけて、ゆっくりたっぷりじっくりどっぷりヤらせてもらうから(はぁと)」
「ぜんげんてっかいですぅ~! ていうか、ひとつついかですぅ~~!
おかされてころされてたべられるですぅぅぅっ!! エックスしていってヤツですうぅぅ!?」
ナイフを持ち歪んだ笑みを浮かべた殺人鬼が、泣き叫ぶ幼女を引き摺って行くというホラーな光景。
そんな、良識的から『し』が一つ抜け落ちた光景を前にしながらも、主の言葉を考えて門番は身動きできない。
「あっらこんなぁ所に兎肉が タッマネーギータァマネギあったぁわねっ♪」
軽やかな歌声と共に、台所と言う名の地獄への扉が開こうとした、正にその瞬間、
「待って下さい、咲夜様!」
天使の様な悪魔が、いや、悪魔の名を持つ天使が舞い降りた。
「何よ小悪魔。て言うか、何で司書の貴方がこんな所に居るの?」
「さっきパチュリー様に呼び出されたんです」
メイドへの返答を聞いて、パチュリーは、ああ、そう言えばそんな伏線も在ったかしら、と他人事の様に呟いた。
小悪魔。その何処となく淫靡な響きを持つ名とは裏腹に、館内一の常識の持ち主であり、紅魔館の良心とも称される
少女。ヴワル魔法図書館の司書、と言うよりは、まあ、図書委員の女の子、といった方が似合うかもしれない。あだ名を
付けるとしたら、『本屋ちゃん』とかそんな感じだ。
「そんな事より、そんな小さい子相手に、一体何をやっているんですか!?」
「ああコレ? 館内に侵入した敵工作員を、拉致して監禁して拷問しようとか、そういう事だけれど?」
「!何て事を…… 咲夜様、貴方それでも人間ですか? 貴方の血は何色なんですかッ!?」
いや赤だけど、と答えながら、悪魔にこんな事を言われている自分の状況を不思議に思う咲夜。
「美鈴様も、何で黙って見ているんですか!」
「!……いや、それは…その………」
同僚の女の子の前で婚約者に抱き着かれ困り果てた少年並に歯切れの悪い反応を返しながらも、メイリンは小悪魔に
今の状況を説明した。
「――――と言う訳なのよ…」
「……なるほど、判りました……」
でも、と彼女は続ける。
「この子がスパイだ、っていう証拠があるわけでもないのでしょう?
それに、万が一そうであったとしても、もうちょっと人道に適った扱い方と言うものがあるじゃないですか!」
それを聴いて彼女の上司とも言える魔女は、なるほど正論ね、と得心する。
だがそれは、あくまでも平時の場合の話だ。事と次第によっては大きな戦が始まる可能性のある現在の状況で、そんな
優しい事を言っていては足元を掬われかねない。と言うか、悪魔の支配する館で人道も何も無い気もする。唯一人の
人間も、明らかに人として間違った方向に進んでいる(主に性癖の面で)、そんな鬼畜メイデンだ。
とは言え、小悪魔は意外に頑固な面が有る。どうやって説得したものか。そうパチュリーが思案していると、
「――判ったわ、貴方がちゃんと面倒を見ると言うのなら、この子を飼っても良いわ」
状況を動かす一言が発せられた。
「本当ですか、お嬢様? やった――――っ!」
スパイの扱い云々と言う話が一瞬にして、ペットを飼いたい娘とそれを渋々認める母親の会話にすり替わっていた。
「実は私、子供の頃から猫さんとか兎さんとか好きで、でも、ウチの実家って万魔殿(マンション)だから母が許して
くれなくて…… あ、それに、私一人っ子だから、妹も欲しかったんです!」
有難う御座いますと、元気良くレミリアに礼をする小悪魔。ペットと妹を同列に扱う様な発言もどうかと思うが、人
(の様な者)と獣(の様な者)の境界が曖昧な幻想郷に於いては、これも仕方無いのであろう。因みに、外の世界で
コレをやってしまうと、家族会議開催は必至なので要注意である。
「ああ、良かったぁ…――」
その大きな胸に手を当て、安堵の息を洩らす門番。
「お嬢様がそう言うなら仕方無いわね。
いいこと、小悪魔。トイレの躾はしっかりなさい。ただ、どうしても巧く躾けられない様だったら、その時は私に言い
なさい。て言うか、ぶっちゃけトイレの躾に関しては初めから私に任せなさい。手取り足取りナニ取り教え込んであげる
から。
それと、その子の為の首輪とか鎖とか檻とかも私が用意するから。て言うか、もう既に用意してあるから。れみりゃ
様用に用意しゲフンッゲフンッ!
あ、あとね、ペットに可愛い洋服を着せるのって、それって傲慢な飼い主の身勝手な自己満足じゃないかと私は常々
思っているのよ。でも、靴下だけとかならそれはそれで構わないと思うわ? 帽子とランドセルもOKよ?? それと、
リコーダーは充分に濡らしておけばそんなに痛くないわ??? 直名札は、流石にお奨め出来ないけど????」
「……咲夜さんみたいな人を見てると、警察の必要性ってのを心の底から思い知らされます」
迂闊なチャイナの頭に、四本目追加。
「血が! スーパーブローを喰らって地面に頭から墜落した時並の大量の血がッ!?」
「幻想郷に、刑事は要らない…」
そう言い放つ紫(notゆかり)の瞳は、まるで獲物を睨む蛇の様で、確かに、警察や刑事が居たところで無意味に
思える。このメイドには、監獄よりふさわしい場所が在る。地獄だ。どんなスーパー弁護士でも、彼女の様な犯罪怪獣
ペドラを前にすれば、そう言うしか無いだろう。ジャッジメントを受けたならば、間違いなく×でデリート許可である。
喜ぶ図書委員。痛がる門番。鼻血に涎のメイド。
唯一人、魔女だけが、この成り行きに不安を感じていた。
「レミィ、本当に良いの?」
大丈夫よパチェ、と、吸血姫は友人に笑みを返す。
「―――私達の勝利は、既に視えているから。ちょっとくらいは波乱があった方が面白いでしょ?」
その言葉が彼女の能力から来るものなのか、それとも単なる慢心なのか、パチュリーには判断がつき兼ねた。
「………三敗目にならなければ良いのだけど」
部屋の中に放って置かれたままの将棋盤を見遣りながら、誰へともなく魔女はぼやいた。
それから半月の間に、彼女、因幡 てゐは、完全に紅魔館に溶け込んでいた。
彼女はその甘ったるい外見や言葉遣いからは考えられない程、利発でよく働く子だった。
料理の手伝いや掃除等、与えられた仕事は全て完璧に遣り遂げ、常に明るい笑顔を絶やさない。瞬く間に彼女は、紅魔
館のマスコットとしての地位を確立していった。
時には、レミリアに部屋まで呼び出され、将棋の相手をさせられる事もあった。
因みに、幻想郷としては珍しく明らかに西洋的な生活様式をしている紅魔館で、何故主人がチェス等ではなく将棋に
興じているのかと言えば、それはメイド長の趣味だったりする。彼女曰く、
「ロリッ娘の小さな手が将棋の駒をつまみ、プロの棋士のそれとは違ってどこかたどたどしくも盤上にタシッ!とやる
姿は、穢れたこの世に天から無垢なる御使いが舞い降りてくる光景をすら彷彿とさせる、正にミケランジェロ的美の
極致、言うなれば神の座への入り口なのよ!?」との事だった。イタリア-ルネサンスを代表する巨匠も、ペドリオンが
自らの行いを正当化する為の引き合いとされてしまっては、いい迷惑であるに違いない。
それは兎も角、てゐがレミリアと勝負をしても、てゐが勝つ事は一度も無かった。
レミリアは自陣に文字通り反則的な手駒を揃えているのだから、勝ち目が無いのは当然とも言えたが、たとえ
レミリアがどんなに手を抜いたり油断をしても、あと一歩まで追い詰める、という事はあっても、決しててゐが勝つ事は
無かった。
それが、我が侭お嬢様の気に入った。そこそこの緊張感が味わえて、且つ自分の負けは無いからである。
しかし、たまにパチュリーとの対局が組まれると、二人の勝負はほぼ互角のものとなった。
パチュリーは将棋の経験が豊富な訳ではないが、それでも、生来の優秀な頭脳と本から得た知識もあり、中級者以上の
実力は有った。そんな彼女と、てゐは互角の勝負を演じてみせる。序盤では大概パチュリーが優勢なのだが、終盤になる
としつこく食いついてくる。寄せの速さは並ではない。どう考えても、油断したレミリア相手に一勝も出来ないレベル
ではないのだ。
それが、魔女には気に喰わなかった。
そんな魔女に対し、永遠亭に居た頃から永琳や輝夜の相手をしていた為、と白兎は笑う。
魔女の疑念は、膨らむばかりだった。
【Dooms day 12:00 NEW MOON】
「れんれんれみりゃ れみりゃれみーりゃりゃー れーみりゃりゃれみりゃりゃ
れんれんれみりゃ れみりゃれみりゃりゃー れーみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ
れんれんれみりゃ れみりゃれみーりゃりゃー れーみりゃりゃれみりゃりゃ
れんれんれみりゃ れみりゃれみりゃりゃー れーみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ
萃夢想のドット絵も 幼すぎるわー♪」
相も変らぬ絶望的な鼻歌(二番)を謳いながら、紅茶を淹れる為のお湯を沸かすメイド。
その背後に、音も無く一つの影が降り立った。
「……ご苦労様。で、どうだったかしら?」
振り返る事も無く、影に向かって訪ねる咲夜。
「変わらず、です。竹林は勿論の事、幻想郷の何処にも永遠亭の存在は確認できません」
影が応える。ややハスキーがかった女声で。
彼女は、紅魔館メイド隊の中でも特に諜報活動に秀でた者達で作られたチーム、通称『隠密』のリーダーである。
半月前の来訪者との接触直後、咲夜は、彼女ら隠密に命じて永遠亭の動向を探らせた。しかし、その時には既に、
竹林には永遠亭の姿は無かった。その後も範囲を幻想郷全体に広げての捜索が行われているが、未だに発見には至って
いない。
永琳の空間操術によるものか、はたまた月の兎の催眠術か。いずれにせよ、前回の異変以前と同じく、その姿を隠した
永遠亭。何か良からぬ事が起きつつあるのは、もはや疑い無かった。
「貴方達は引き続き、調査に当たって頂戴」
「御意。
……と、それはさておき、隊長、先程の歌なのですが、いくら何でもあれは流石に―――」
何かを言い掛けた影の足元に、鈍い光を放つ白刃が放たれた。
「………失言でした」
「構わないわ。それよりも、お願いね」
再び御意、とだけ答え、現れた時と同じく、音も無く消え失せる影。
その気配が完全に無くなったのを確認してから、咲夜はふぅっ、と軽く息を吐き、背後に在る戸棚にもたれ掛かった。
この半月間、彼女とパチュリーは、今回の永遠亭の動きを白玉楼と博麗の巫女にも伝える様、何度かレミリアに進言
した。だがその度に、「未だ確定していない情報を振り撒いて、徒に混乱を広げるべきではない」という理由で退け
られていた。一見尤もらしい言葉だが、紅魔館が他の勢力に助けを求めている様に思われたくない、というのが実際の
所であろう。だからこそ、隠密を動かし『確たる証拠』を掴もうとしていたのだが、それも未だ果たせていない。
今日は新月。吸血鬼の力が最も低下する日だ。翻って永遠亭の面々は、先の異変を見る限りその力は月齢に依拠して
いる訳でも無いらしい(或いは、彼女等『自身』が満月の力を内包しているのか)。月の兎に至っては、新(真)月に
関連したスペルを持つくらいだ。何か仕掛けて来るとしたら、今日を置いて他に無い。
「ここは一つ、サクヤの名を持つ私が気合入れなきゃね――――って、あっ」
己が名の『咲』と『朔』を引っ掛けた決意表明をしたメイドは、そこで初めて、目の前の湯がとうの昔に沸騰して
しまっていた事に気が付いた。
「ちゃ~~~……… 私とした事が……」
紅茶を淹れるにはしっかり沸騰したお湯を使うのが基本ではあるが、余り長時間沸騰させてしまうと水の中の空気が
逃げてしまい、紅茶の味が落ちてしまう。
これでは先が思いやられる、と己の迂闊さを呪いながら、今度は、自身とその周辺以外の時を止めて、再び湯を
沸かし始めた。幼児退行した極上幼女……もとい、敬愛する主人に、とびきりの紅茶を目覚めの一杯として供する為に。
「打拳が鬼のメイィドを一捻り~ それゆけチャンスだメイーリン! 燃えーろメイーリン~♪」
メイド長が聞いたなら素晴らしき惨殺空間発生は必至な自分応援歌を(小声で)歌いながら、門の前でボーッと空を
見詰める門番。気分は、大歓声の中無死満塁で打席に立つ頼れるアニキそのものだ。そんな彼女の心の中では、萃夢想
ver1.11が大好評稼動中だった。美鈴VS咲夜。美鈴の連環撃の前に、咲夜は手も足もナイフも出ない。
「甘いですよ咲夜さん! 格闘では私の方に分が有りますッ!」
萃夢想は弾幕アクションであって格ゲーではない、とのツッコミを入れる者も無く、青空に向かって格好良い科白を
放つ彼女は、今間違い無く、幸せの絶頂に居た(心の中で)。
「……って、何虚しい事やってるのよ、自分…」
割とあっさり、幸せの絶頂から現実と言う名の不幸のどん底まで降りて来た美鈴。いつまでも空想に浸っていられる
程、門番の仕事と言うのは暇ではない……と言いたい所だが、実際には、彼女はとても暇だった。
「最近は紅白や黒白もあんま来ないしなぁ……」
霊夢や魔理沙は来なくとも、高位の悪魔であるレミリアを倒して名を揚げよう、などという愚か者がちょくちょく来る
事はあったのだが、そんな者の相手は、美鈴にとっては暇潰しにもならない程度の些事なのだ。
「にしてもねぇ、連環撃って、通常技の連撃と言うよりは連続入力による専用技に近いから、読み仮名を振るとしたら
チェーンコンボよりもコンビネーションアーツとかターゲットコンボって感じよね。つーか、あの攻撃力の低さは何?
見た目は何て言うか『風雲の紅龍』みたいな感じで格好良いのに、もしかして私、扱い的には最強流とかそんな感じ
だったりする!?」
他人が聞いても今一つ理解しづらい妙にマニアックな愚痴を、青い空に向かって呟く門番。肌を撫でる優しい風が、
今の彼女には何故か少し哀しかった。
「そもそもさぁ、咲夜さんと戦った後の勝ち科白、
『貴方もまだまだね、咲夜!』みたいのを期待してたのに、何と言うか、アレだと、むしろ私が負けてるッポイし……
そりゃまぁ、二次創作の色が強い、って言われればそうなのかも知れないけど、だけど、やっぱり、私が咲夜さんより
立場が下、ってのはもう準公式みたいな感じで決定項なのかなぁ……
―――いやいや、まだ望みはあるわ。文花帖で、美鈴は咲夜の先輩に当たる人物です、実は偉いです!、みたいな裏
設定が暴露されるのを期待し………――――!」
何者かの接近を感知し、延々と続けられていた愚痴が止められる。雑魚妖怪のそれとは、明らかに格の違う霊圧。
久々に現れたまともな仕事相手を前に、門番は静かに構えをとる。
その視界に現れた少女、それは、
「……久しぶりね、美鈴」
狂気の月の兎。
「……レイセン―――!」
貴き花を咲かせる霊木をその名に冠した、永遠亭のNo.3。
「………ひっさし振り~~!! 元気にしてたぁ?」
先程迄の緊張感がまるで嘘であったかの様に、親しげな笑みを相手に送る門番。
紅 美鈴と鈴仙・優曇華院・イナバ。
共に萌え系なヴィジュアルとかなりの実力を持ちながらも、本名を呼ばれる事も無く弄られキャラとして扱われ、
所属組織の実質的ヒエラルキーでは最下層、銀髪の鬼上司にジュネーブ条約もそっちのけな虐待を受けている、といった
似通った境遇に在る彼女等は、初対面の時から互いに相手の事を他人とは思えず、二人はすぐに友人となった。
「レイセンってば、ここんトコ連絡がつかなかったもんだから、医療ミスとか安楽死とか、そういう新聞の社会面に
載っちゃいそうな事態になってるんじゃないかって、心配してたのよ~?」
「ひっどいわね~! 美鈴こそ、相変わらずナイフで切られたり刺されたりしてるんでしょ? そっちの方が、よっぽど
新聞沙汰じゃない」
それもそうだ、と舌を出して笑う。それを見て、鈴仙も笑う。
余りにも物騒な日常を話しながらも、楽しそうに笑い合う二人の少女。
「立ち話もなんだしさ、詰め所に入ってよ。お茶淹れるからさ。それに――――」
そこで美鈴は言葉を切った。その先の言葉に、僅かな躊躇いがあった。
目の前の相手は、自分の大切な友人である。けれども、今は同時に――――
「――――色々と訊きたい事も…あるしさ?」
自分の中の躊躇いを悟られない様に、努めて明るく振舞う。
「………その事なんだけど、ね……」
鈴仙の表情が曇る。それだけで、彼女の言わんとしている事が美鈴には理解できてしまった。
「今日は、美鈴に用が有って来たんじゃないのよ……」
予想は出来ていた、けれども、出来れば避けたかった事態。
「……てゐちゃん、なの?」
「やっぱり此処に居るのね、てゐ。
……彼女を、引き渡して欲しいんだけど」
「何故あの娘を連れて行くの? 連れ帰って、どうするの?」
次第に詰問調になっていく自分自身に、美鈴はどうしようもない嫌悪を覚える。だが、ここは退く訳にはいかな
かった。
「それは、言えない」
「言えないなら、あの娘は渡せない」
「どうしても?」
「どうしても」
風が吹いた。先程迄とは違う、強く冷たい風。
「――ならば、力ずくでも押し通る………!」
「!戦うというの、紅魔三巨頭の一角である、この私と………!」
月兎の周りに銃のそれを模した弾丸が、門番の周囲には七色に輝く苦無が、無数に浮かび上がる。
「貴方は友達よ、でも…」
「…そうね。こうなるのも、運命だったのかも知れない」
少女達の哀しみに、風が哭いた。
「「私と貴方は、戦う事でしか解り合えない!」」
戦いの火蓋が、切って落とされた。
「ラ ジ カ ル バ ハ マ ♪
バハマと言ったら中南米!」
「ちゅうなんべいといったらぁ……ジャマイカ!」
「ジャマイカと言ったら貴水博之!」
「たかみひろゆき!? たかみひろゆきといったら……ぁ……あぅ~~」
「ブーッ! 時間切れ。お姉さまの負け~!」
「フランずるいっ! たかみひろゆきってなによ! ぜんぜんわかんないわよ~~!」
二人の少女が、部屋に敷き詰められた絨毯の上で言葉遊びに興じている。
自分の勝利にきゃっきゃと笑う金髪の少女の前で、彼女にお姉さまと呼ばれた、けれども明らかに年少の少女は、口を
『へ』の字に結びながら両手でバンバンと床を叩く。
「ん~~! ん~~! ん~~~っ!!」
「あっはは! ホント、新月のお姉様って可愛いー♪」
言いながら、ぷっくりと膨らんだ姉の頬を指で突っつく。
「プニプニしてて気持ちいい~♪」
「なによー! フランのがいもうとのクセにぃ~~!」
半分泣き顔になりながら、妹に頭から突進する幼い姉、レミリア改め、新月の影響で幼児退行したれみりゃ。
そんな姉が可愛くて可愛くて仕方が無く、からかって怒らせて喜ぶ妹、フランドール・スカーレット。
仲睦まじくじゃれ合う二人を、部屋の扉の隙間から、紅く光る二つの眼が見詰めていた。
「幼女が……より幼き幼女を相手にお姉さんぶっている……ふ、ふふふふふ………
とても良い光景ですわ、妹様……
そして、れみりゃ様… ああ、私も、あの可愛らしくプックリしたほっぺをツンツンプニプニしたい! いえむしろ、
れみりゃ様のちっちゃなおててで、私のほっぺをツンツンムニュムニュして欲しい…ッ!
もしそんな事になったら私、余りの嬉しさに
『バブバブ、さくやうれちいでちゅ~』とか幼児どころかむしろ赤ん坊にまで退行すること間違い無しだわ!?
そんな私に妹様が見下した眼で
『咲夜ったら甘えん坊ねぇ。何? お腹でも減ってるの?』とか話の流れを完全無視のやけに私に都合の良い展開で
その小さな胸をアレしてコレして、それを見たれみりゃ様が、
『フランばっかりズルいぃ~! わたしもさくやにあげるの~っ!』だなんて……
く、くふふふふ…… 幼女相手の逆転幼児プレイ……
私ならいつでも準備OKですわ、妹様、れみりゃ様?」
何処からかおしゃぶりと涎掛けを取り出し、いそいそと装着し始めるメイド長。ティーワゴン上の紅茶に鼻血が滴り
落ちているが、吸血姉妹に出す物なのだからと、別に気にしない。むしろ、愛の籠もった隠し味などと考えている。
「うふふふふ…… とても美味しいですわ。お二人から流れ出る白くて甘いトロトr
「隊長! 大変です隊長!!」
身を掻きむしりながら、熱に浮かされた様にブツブツと喋る咲夜の前に、一人のメイドが血相を変えて駆け寄って
来た。
「何よ一体。折角、これから本番開始という所だったのに……」
「本番と言うのが何の事だか判りたくもありませんが、そんな事よりも大変なんです! 隊ちょ…………お?」
「?何。用が有るなら早く言いなさい」
釣り上げられた魚の如く口をパクパクさせる部下を前に、咲夜の顔が次第に不機嫌なものになる。だが、火急の事態を
告げに来た筈のメイドは、目の前の異状に言葉を失っていた。
―――なんでこの人、おしゃぶりと涎掛けなんてしてるの………!?
目の前の上司が、鼻から赤くて鉄臭いトロトロの液体を滴らせてハァハァしている事は、まぁよくある事である。
それを見た新人がショックの余り辞める、などというのも日常茶飯事だ。その程度の事で驚きはしない。
だが流石に、完全で瀟洒とまで言われたメイド長が、赤子の付ける様な物を身に纏っている光景などはついぞ見た事が
無い。
ここは、ツッコミを入れるべき場面なのだろうか。いや、明らかにツッコまざるを得ない状況なのは確かなのだが、
そんな事をすれば何か大事なものが消えてしまいそうな、言い知れぬ不安感がある。具体的に言うと命とか。
言うべきか、言わざるべきか、二つに一つ……
「ちょっと! 用が有るなら早くなさい、って言っているでしょう? 大変って、何が大変なの!?」
「え!? あ、その!? そうそう、へんた………いへん……
た、大変なんです、隊長!!」
選んだ選択肢:無視を決め込む
「……だから、何が大変なのか、って訊いてるんだけど?」
「敵襲です!」
「敵襲ってまさか、永遠亭!?」
「はい!」
おしゃぶりと涎掛け……
「で、敵の数は?」
「確認できているのは鈴仙・優曇華院・イナバ一体のみ。現在、門前で美鈴様と交戦中の模様!」
――おしゃぶりと涎掛け……
「恐らくは彼女は斥候、みたいなものでしょうね。高々No.3如きが一人で落せるほど紅魔館は甘くない、なんて事
くらい、向こうも充分承知しているでしょうし。
此方の探査結界にギリギリ引っ掛からない地点で、既に敵部隊が展開していると考えるのが妥当ね」
「迎撃に出ますか?」
――おしゃぶりと涎掛け………
「いえ、取り敢えずは美鈴に任せて、メイド隊は館内の守りを固める。それと、図書館の方にはもうこの事は伝わって
いるの?」
「いえ、これからです」
――おしゃぶりと涎掛け………!
「そう。なら、館内の防御結界を全てアクティブにするよう、急いで伝えて頂戴。
私はれみりゃ様と妹様を連れて、地下司令室に向かいます。貴方も報告が済んだら、急いで持ち場に着くように!」
「了解です、隊長!」
背筋を伸ばした美しい姿勢で敬礼をしてから、大急ぎで図書館に向かって飛んで行くメイド。
彼女の心の中では今、余計な事を何も言わずに耐え切った自分を誉めたい気持ちで一杯だった。
「さて、と……」
部下の背中を見送った後、咲夜は主人の部屋の扉へと振り向く。
戦いが本当に始まってしまった事にショックが無い、と言えば嘘になるが、取り敢えず今の所は、予想していた範囲を
過ぎる程の事態にはなっていない。
「『図書館の面倒事』の方はパチュリー様が巧くやってくれるでしょうし、美鈴も、まぁ、簡単には負けないでしょうし
…… 今は先ず、お二人を安全な所へ連れて行くのが先決よね」
普段なら兎も角、今の主人に現在の状況を知らせて要らぬ心労をかけるのは忍びない。
出来る限りの笑顔を作り上げてから、咲夜は扉を開いた。
「失礼致します、お嬢様、妹様」
「あ、咲夜」
「おはよ~、さくや!」
妹にからかわれ泣く寸前であった顔が、咲夜が顔を出した途端、満面の笑顔へと変わる。
「こうちゃ♪ こっうちゃっ♪
ねえねぇ、おかしはないの? ケーキは? タルトは?」
「それでしたら、別のお部屋に用意し……」
「ねぇ咲夜」
幼い主を連れ出す為、それとなく話を誘導しようとした咲夜の言葉が、フランドールによって遮られた。
「何だか外で、面白い事が起きてるみたいなんだけど?」
咲夜は心の中で舌を巻いた。出来れば戦いの事は伏せておきたかったが、そうはいかないらしい。
「魔理沙や霊夢じゃないみたいだけど… 何だか面白そうなのが来てるわよね。
ねぇ咲夜、私も遊びに行っていい? お姉様と一緒に」
「!なりません、妹様!! お二人には今すぐ、ロビー地下の司令室まで来ていただきます」
咲夜のケチぃ~、と頬を膨らませるフランドール。その様が余りにも可愛らしくついつい抱きしめたい衝動に駆られる
咲夜だったが、残念ながら今はそれどころではない。
「今日は新月、しかも今は昼間です。もしもの事があったらどうするんですか!」
「大丈夫よー」
「例え妹様が大丈夫であったとしても、お嬢様はどうなるんです? 何かあったとき、絶対にお嬢様も守り切れると断言
できるのですか?」
「それは……」
言葉に詰まって姉の顔を見る。不安の色が強く出た顔を。
「さくや… かおがこわくなってる……」
「!……申し訳ありません、お嬢様。
でも大丈夫です。怖い事なんて、何もありませんから…… ただ今日のティータイムは、いつもと違うお部屋でどう
ですか、と、それだけの事ですわ」
「ほんとう……?」
「はい、本当です。お菓子もたぁーっくさん、用意しています。暫くすれば、竹の花の入った珍しいケーキもお出し
出来ると思いますわ。
ですから、さ、行きましょう?」
お菓子という言葉に反応して、れみりゃの顔がパーッと明るくなった。それを見て、メイドは安堵の息を洩らす。
「妹様も宜しいですね?」
「はーい、わかりましたー」
納得はしていない様だが、やはり姉の安全は大事らしかった。渋々頷きながら、フランドールはれみりゃを抱き
かかえた。
「て言うか咲夜、今の科白って、何だか誘拐犯みたいよね」
「あら、失礼ですわ、妹様」
少し怒った顔をしてから、すぐに小さく笑って答える。
「私がかぁいい女の子を拐かす時には、お菓子なんかで釣ったりせず、時を止めて直接お持ち帰り、ですわ(はぁと)」
美鈴あたりが居たら『ツッコミ⇒カウンターでナイフ』となりそうな場面だが、常識というものに余り明るくない
悪魔の妹は、ああ、そんなものなのか、と普通に納得している。姉に至っては、会話の中身自体が理解できていない。
「それでは行きますよ、お嬢様、妹様」
「「はぁ~~い」」
「ところで、ねぇ、フラン。なんでさくやは、おとななのに、あんな、あかちゃんみたいなのつけてるのかな?」
「う~ん、人間独特の習慣みたいなもの、じゃない? 魔理沙だって、変な茸で小さくなった時にはあんなの着けてた
気もするし。多分」
「そーなのかー」
「――――という事です。では防御結界の発動、お願いします」
「……判りました。伝令、お疲れ様です」
一礼をして去って行くメイドを見ながら、小悪魔は溜め息を吐いた。
「……どうしたですか……?」
「てゐちゃん……」
先程まで一緒に遊んでいたてゐが、不安そうな瞳で小悪魔を見詰めてきた。
「……鈴仙さんが来たそうよ。今、美鈴様と戦っているみたいだけど………」
「レイセンちゃん……!」
てゐの身体が強張る。その幼い顔には、絶望の色がはっきりと読み取れた。
「……レイセンちゃんはきっと、えいりんさまのめいれいで、うらぎりもののてゐをつれもどしにきたです!
えいえんていにつれかえって、そんでもって、てゐのかわをぜんぶひっぺがしてかいすいにブチこんで、やっとこさ
はいあがってきたら、こんどはからだじゅうにしおをぬったくっててんびぼしにするという、かみさまもビックリな
ざんぎゃくこういをして、ざんぎゃくこういてあてをもらうつもりでまちがいなしですうぅっ!?」
恐怖の余りか錯乱気味にまくし立てるてゐの両肩に手を置き、その眼を真っ直ぐに見詰め、小悪魔が優しく話し
かける。
「大丈夫よ、てゐちゃん。
ああ見えて美鈴様はとても強いし、それに万が一美鈴様が敗れたとしても、紅魔館には色んな所に防御結界が張って
あるの。霊夢さんや紫さんみたいに無条件に結界を解除できる人や、魔理沙さんみたいに桁違いな火力を持っているので
ない限り、館に入る事だって簡単には出来ないわ」
「ぼーぎょけっかい……? そういえば、さっききたメイドのおねえさんも、そんなこといってたですが……
なんなんですか、それ?」
小悪魔の言葉が効いたのか、瞳に涙を浮かべながらも、やや落ち着いた様子でてゐが訊ねた。
「防御結界って言うのは、まぁ、魔法で造った壁、みたいな物ね。
普段でも門の周囲とかお嬢様の部屋とか、そういった大事な所に張ってある結界はずっと動かしているんだけど、それ
以外の所は休ませてあるの。さっきのメイドさんは、その休ませてある結界も全部動かして、ってそういう事を言いに
来たのよ」
「? けっかいって、としょかんでうごかしてるですか??」
「実はそうなのよ。この図書館には、数多くの魔導書と共に、大量の魔力も蓄積されているの。それを使って、館内の
色々な魔法設備を動かしているのよ。
普段は自動運転になっていて、今みたいな非常時には、本当はパチュリー様が動かすんだけど……」
そこで小悪魔は言葉を濁した。図書館の主である魔女は、いつもならば頼まれても外に出ようとしないくせに、今の
様な非常事態に限ってその姿が見当たらない。
頼りにならない上司に心の中で愚痴を言いながら、他とは明らかに違う豪奢な装飾を施された書棚から一際大きな魔導
書を取り出し、よっこいしょ、という掛け声と共に、近くの机の上に広げた。
それを、興味深そうにてゐが覗き込む。
「このおっきなごほんは、なんなんですかぁ?」
「これ?
これは、館内結界用のコンソール……操作盤みたいな物ね。この本に少しの魔力を注ぎ込む事で、館内の結界を自由に
動かしたり止めたり出来るの」
「それって……」
てゐの潤んだ瞳が、上目遣いに小悪魔を見詰める。
「おねえちゃんがけっかいをつかって、てゐをまもってくれるっていうことですか……?」
てゐの仕草と「おねえちゃん」という言葉が、小悪魔の心のナニかを強く叩いた。効果音で表すならズギュ――ン!と
いった感じだ。普段は、
「この人が外の世界に居られなくなった理由って、絶対(ピ――)な犯罪をヤッちゃったせいに違いない」などと冷めた
眼で見ていたメイド長の気持ちが、今の彼女には少し理解できる気がした。
「てゐちゃん~~!!」
堪らずに抱き着く。白兎の長い耳が丁度顔に当たる形になり、そのくすぐったさも、今の小悪魔にはいとおしくて仕方
が無かった。
「安心して、てゐちゃん! てゐちゃんは、お姉ちゃんが絶対に護るからねッ!!」
「く、くるしいですぅ~~!」
顔に当たるフサフサの耳が激しく動く。それで、小悪魔は正気に戻った。
「あ! ご、ゴメンね、てゐちゃん!」
慌てててゐを離す小悪魔の顔は、その耳まで真っ赤になっていた。それを見て、てゐはクスクス笑った。
「もぅ~、おねえちゃんってば、ちょっとはおちついてですぅ~」
「あ、あはははは…… ゴメンね、てゐちゃん。そうよね、私が落ち着かないでどうするのよね……
そ、そうだ! 珈琲淹れてあげるっ。あったかい珈琲飲めば落ち着くわよね、うん! てゐちゃんも飲むでしょっ?」
そそくさと立ち去る小悪魔の背中に向かって、てゐは、
「――ありがとですぅ」
その口の端を奇妙に歪めた。
「きゃあ!」
「くうぅ!?」
美鈴と鈴仙の身体が、お互いの丁度中間で起きた爆風によって吹き飛ばされる。
「初撃は……」
「……全くの互角!」
両者共すぐさまに起き上がり、ニ撃目を放たんと体勢を立て直す。
「テュホン・レイジ!」
先に仕掛けたのは美鈴だった。高速の蹴上げが小規模な竜巻を発生させる。
「わひゃあ!?」
突風に捲られるスカートに気を取られ、一瞬鈴仙の注意が逸れた。
「そこぉッ!!」
その一瞬を、美鈴は見逃さない。
「螺光歩!」
地面に足型を残す程の強い踏み込みから繰り出される、『気』を込めた拳を突き出しての突進撃。
「って、アレ??」
だが、確実に相手を捉えた筈の一撃は、掠りもしないどころか一メートルは標的からずれていた。
「流石ね、レイセン。兎だけあって、逃げ足はかなりのものじゃない?」
動揺を隠す様に軽口を叩く。そんな美鈴を、鈴仙は鼻で笑う。
「何を言っているの? 私は、一歩も動いてはいないわよ」
その周囲に、一重の輪をなした弾幕が現れた。
「波符『赤眼催眠(マインドシェイカー)』!」
「くっ!?」
咄嗟に身を翻し、弾幕を避ける美鈴。だが、
「きゃぁあっ!?」
確かにかわした筈の弾丸が、美鈴の身体に撃ち込まれる。
「一体どういう……」
当たる筈の攻撃が当たらない。当たらない筈の攻撃が当たる。地面に片膝をつきながら、何かが狂っている事に美鈴は
気付いた。
「何が起こっているのか判らないって目ね」
双眸を赤く禍々しく輝かせながら、月の兎が美鈴を見下ろす。
「……教えてあげる。
私の能力は狂気を操る程度の能力。私の目を見た者は距離感・方向感を狂わされ、真っ直ぐに進む事すら出来なく
なる。そう、右も左も、上も下も…… 貴方はもう方向が狂って見えている。
美鈴、貴方は弾幕も使うけど、最も得意とする戦法は近接しての格闘戦でしょう? けれど、私の術に嵌った今の貴方
では、どう足掻いても私に指一本触れる事すら出来はしない。
判るかしら? 戦闘に関して言えば、私と美鈴の相性は最悪なのよ」
鈴仙の言葉に、美鈴は応えない。戦意を失ったのか、ただ黙って俯いているのみで、その表情はうかがえない。
「……ねぇ美鈴、勝負はついたわ。
師匠の命令で此処まで来たけど、やっぱり貴方とは戦いたくない。大人しく退いてもらえ――――」
瞬間、
「はえ?」
軽い衝撃と共に、鈴仙の両足が宙に浮く。
「あだっ!」
突然の事に受身も取れず、臀部から地面に叩きつけられる。
自身が足払いを喰らった事をさえ理解していないといった様子で、目を白黒させる月兎。
「……昔っから思うんだけどさぁ―――」
ゆっくりと立ち上がる少女。逆転する構図。見下ろす美鈴、見下ろされる鈴仙。
「―――超能力バトルものの敵ってさ、初めは手の内を隠して襲って来るクセに、少しでも自分が優位に立つと、すぐ
自身の能力について解説し始めたりする奴が結構居るわよね。何て言うかさ、ああいう余計な事するから負けるって、
そう思わない?」
どこかつまらなさそうに話す美鈴。その顔を見上げ、鈴仙は絶句した。
「!そんな………」
―――両の眼が閉じられている。
「目を見たら狂う、って事は、目を瞑っていれば問題無し、って事よね」
「いやちょっと、確かに目を閉じていれば私の能力は通用しないけど、それ以前にまともに動ける訳が……!」
言いながら身を起こし、素早く間合いを取る。同時に自身の前方に四体の使い魔を呼び出し、相手に向けて弾幕を
放つ。だが、
「……嘘でしょ」
美鈴は一瞬たりとも目を開く事無く、綺麗に弾を避けていく。
「残念ねレイセン。
私は気を使う程度の能力を持つ。これを応用すれば、一定の範囲内であれば『気』の流れから万象の動きを読む事が
出来る。例え、目を閉じていたとしてもね。
判るかしら? さっきあんたが言った通り、私とレイセンの能力は相性最悪なのよ………!!」
目を通して相手を狂わせる鈴仙。目を閉じていても戦闘が行える美鈴。前者の不利は明らかに思えた。
「そうだレイセン、死ぬまえにいいことをおしえておいてあげようか…
館内に居る紅魔三巨頭の残りのふたりは… さらに強さが上なのよ」
鈴仙の目が驚愕に見開かれる。目の前の相手にすら苦戦を強いられている彼女にとって、余りにも絶望的な言葉。
「紅魔館のおそろしさを今ごろ知ってももうおそいわよっ!!!」
無意識に後退る鈴仙。追い討ちをかける様に、美鈴がカードを掲げ、高々と宣言する。
「三華『崩山彩極砲』!」
七色の円陣が足元に出現する。今まさに必殺の一撃を放たんとする凄まじいプレッシャーに、鈴仙は完全に飲み
込まれていた。
「レイセン‥ 紅魔の力を思い知れ! そして、絶望と怒りの中で‥‥死ねッ!」
両手を広げ踏み込んで来る美鈴を前に、鈴仙は咄嗟にスペルを発動させる。
「散符『真実の月(インビジブルフルムーン)』!」
――――そこで彼女は、自身の迂闊さを後悔する事となる。
散符は確かに、鈴仙のスペルの中でも三本の指に入る程の上位弾幕だが、それには懐ががら空きになるという弱点が
ある。近接戦闘のスペシャリストを相手に、これは明らかな選択ミスだった。
具現化直前の弾幕を突っ切り、美鈴がその射程に鈴仙を捉えた。
「打開!」
強烈な踏み込みと共に、両手を広げての打撃が繰り出される。
「鉄山靠!!」
背中からの体当たり。その凄まじい衝撃に、鈴仙の体が宙に浮く。
「揚炮!!!」
爆音と共に打ち抜かれる止めの拳打。
それぞれが一撃必殺の威力を持つ技の三連撃を受け、鈴仙の意識は完全に闇へと没した。
「…っふぅ~~、何とか誤魔化せたか―――……」
今や完全に意識の途絶えた鈴仙を前にして、美鈴は大きく息を吐いた。
傍目には美鈴の圧勝とも思えるこの勝負、実際には、と言うよりも本来ならば、かなりギリギリの戦いであった。
鈴仙の狂眼に対し、目を瞑るといった手段で対抗した美鈴だが、それは目を瞑る事で能力が上がる、と言う事では
なく、単に目を瞑っていても通常とさほど変わりの無い動きが出来る、と言うだけの事である。いや、気の流れだけでは
相手の細かな動き迄は読む事は出来ないのだから、僅かであっても確実に戦闘能力は低下する。鈴仙が冷静に対処して
いれば互角の勝負、と言うより、はっきり言って鈴仙が有利で戦いを進められた筈だった。
だが自身の最大の能力を封じられた鈴仙は、その事で動揺してしまった。そこへ追い討ちをかける様に、美鈴は紅魔
館の強さを誇示し、更なる精神的揺さぶりをかける。止めに、ある意味芝居染みているとさえ思える程の『強者』の
科白と共にスペルを発動させた。
これにより鈴仙は、自身が受けた攻撃は前蹴腿一発、優勢も変わらない、と言う事に思いも至らぬまま、焦りからの
スペル選択ミスで半ば自滅に近い敗北を喫する事になった。
「あんまりこういう小狡いやり方は好みじゃないけど、負ける訳にもいかなかったし、それに、戦闘を長引かせて
レイセンに怪我させたくはなかったからねぇ……」
敵と味方に分かれたとは言えやはり友達。戦いの途中で鈴仙が降服を勧めてきたのも、美鈴には素直に嬉しいと
思えた。
「んっ、ん―――――――ッ!」
両手を組んで思い切り伸びをし、それから大きく息を吐く。これで疲れはほぼ完全に消え去る。伊達に毎日、悪魔
メイドに折檻だとか調教だとか愛撫だとかは受けてはいない。生命力と言う点では、吸血鬼である主をすら上回るかも
知れない。流石は幻想郷一の弄られキャラ。
「さて、と」
帽子の位置を整え、服の埃をはたく。残るは、目の前の者の始末だけ。
鼻から目一杯の空気を吸い込んで腹に送る。
しばしの静寂、そして、
「お―――――――ッッい!!!
聞こえてる――――ッ!!? 永遠亭の人おぉ―――――――ッッ!!!」
当たり一帯に響き渡る轟音。木の枝で羽を休めていた鳥達が、一斉に空へと逃げ出していく。
「レイセンはやっつけたから、彼女を回収して、とっととおウチへ帰りなさい―――――ッ!!」
いくら『寡兵よく敵を制す』とは言っても、真逆本当に鈴仙一人でやって来た訳ではあるまい。近くに必ず別動隊が
居る筈。そう読んでの美鈴の言葉。ある意味命懸けである。ただそれは、集まって来た敵の攻撃を受ける可能性がある
から、と言う訳ではなく、むしろ―――
「―――やれやれ、こりゃ間違い無く折檻ものだよねぇ………」
目の前に倒れている月兎は、半月振りに手に入った大事な情報源でもある。本来ならば動きを封じた上で館内に
移送し、色々と問い質すのが普通であろう。
だが紅魔館は、「ジュネーブ条約というのは、希少動物の保護等に関する条約です」と真顔で言い触らす元外の世界の
人間が仕切っている魔窟だ。しかも彼女、ペドフィリアのくせにハイティーンもそれはそれで好きという、間違った
意味での二刀使いであったりもする。そんな所にウサミミ制服ミニで生足な美少女を捕虜として連れ込んだ日には、命
こそ取られないまでも、それ以外の大事なアレコレが消失するのは火を見るより明らか。
実体験からもそれが判っている美鈴は、友人を捕らえずにそのまま永遠亭へ引き渡す事を考えた。
無論、あれ程の大声を出したのだから、彼女の言葉は館内の者にも聞こえているだろう。折檻は覚悟の上だ。
「………
まぁ、慣れれば気持ちいいといえなくもゲフンゴフンッ!!」
Sメイドの歪んだ愛を受ける権利を他人には渡したくないとか、そういう事では多分ない。
「さて、後は咲夜さんが出張って来る前に、向こうが鈴仙を回収してくれれば万事オッケ―――――
―――………え?」
瞬間、美鈴が動きを止めた。否、止められた。大気が怒りで満ちているのかと思える程の異様なプレッシャー。
空気そのものが重さを増した様な感覚。指一本動かせないどころか、呼吸すらまともに出来はしない。
「―――――っぷはぁっ! はあっ、はぁっ………」
酸欠で頭が真っ白になる寸前で、どうにか呼吸を元に戻す。
と同時に、全身の汗腺が歯止めを無くした様に汗を分泌し始めた。
「――何なのよ、この、幻想郷全体を包み込んじゃいそうなくらいの馬鹿でかい『気』は……!!
この力、お嬢様と同等か、下手したら………」
そこで美鈴は言葉を切る。それ以上は言う意味が無い。言ったところで、主への侮辱と、自身への死刑宣告を同時に
行う事になるだけだ。
「この『気』、まだ更に膨張を続けている――――!?」
美鈴は『気』を読む事で、相手の位置やその力量を知る事が出来る。
だが今の彼女にとって、その能力は己が絶望を増幅させるだけのものに過ぎなかった。
風景を歪めながらなお増大していく『気』。その圧力が、
「!!??」
突然に消失した。
訪れる静寂。
風船が破裂した直後ってこんな感じよね、と、どこか呆けた表情で呟く美鈴。そんな彼女の目の前に、
聖母の如き慈愛に満ちた笑みを湛えながら、ソレは静かに現れた。
「――きたですか………」
何が可笑しいのか、口の端を奇妙に歪め、誰へとも無く呟く白兎。
「てゐちゃん、さっきもそんな風に笑ってたよね」
紅魔館としては珍しく、珈琲の入れられたカップ二つを手に持ち、小悪魔が歩み寄って来る。そんな彼女に、
「……おつかれさんですぅ」
まるで抑揚と言うものが感じられない労いの言葉と共に、魔力の込められた掌が向けられた。
それを何かの冗談と受け取り、おどけた声で少女は微笑み返した。
「フフッ、やぁだ~」
光が走る。
カップが黒い液体を撒き散らしながら床に落ちる。
少女の身体が投げ捨てられた人形の様に吹き飛び、背後の書架に激突した。
「……ぅう……何故ぇ……――」
床に横たわる小悪魔を尻目に、てゐは、机の上の魔導書に向かって歩を進める。
その足元で、突然小さな爆発が起こった。
後ろを振り向くと、其処には、よろめきながらも周囲に魔力弾を配置して立つ小悪魔の姿。その姿には、先程迄の
『優しい図書委員のお姉さん』といった雰囲気は既に無く、侵入者と相対する戦士としての凄みがあった。
「4めんちゅうボスとしてのちから… そういうのも、にあってるじゃないですか」
からかう様な笑みを浮かべていた白兎の顔が、一転して濃い闇の色に包まれる。
「本当にスパイだったの、てゐちゃん……」
「はい」
表情一つ変えずに返される、余りにも簡潔で残酷な答え。
「今迄ずっと… 騙してきた訳!?」
少女の悲痛な叫びと共に、大型の魔力弾が、今度は足元ではなく敵の本体に向かって撃ち出される。
だが、着弾の刹那、白兎の姿が一瞬ぶれたかと思うと、弾は彼女の身体を素通りし、その背後の空間へと消えて
行った。
「貴方は、誰なの!」
「エンシェント… デューパー……―――!」
それは小悪魔の問いに対する答えであると同時に、ラストワード発動の宣言でもあった。
白兎の両脇に現れた光線が、瞬時に左右への退路を塞ぐ。
「くっ!?」
咄嗟に間合いを離す小悪魔。弾除けをするに当たっては、相手となるべく距離をとる。
その、基本とも言える動作を実践する少女。だが、
「…え?…きゃああ!?」
今はそれが命取りとなった。
光線の外側を軽やかに跳ね回っていた弾幕が、突如、引き込まれる様に光線の内側へと崩れ込んできた。
その弾密度を前になす術も無く、小悪魔は今度こそ完全に、その意識を手放した。
「……真逆、御大将が直々にご出陣とは、永遠亭ってば相当に人材不足なのかしら……?」
皮肉を込めた美鈴の言葉。それを受ける相手は、ただ穏やかに笑っている。母性という言葉を形として表そうとした
ならば、まさしくこれがそうなのではないか。そこまで思える程に、どこまでも温かくて優しい表情。
だが、目の前のこの相手こそが、先程の異常な『気』の発生源であるという事を美鈴は理解していた。精一杯の
皮肉も、相手に飲まれない為の、言ってしまえば唯の強がり。
「本当、ウチのは役立たずばかりで、お宅が羨ましい限りだわ」
「役立たずって……!」
美鈴の心から恐怖心が薄れてゆき、替わりに沸々と怒りが湧いてくる。
美鈴自身も、まあ、雇い主や上司から同じ様な事をちょくちょく言われていたりはするのだが、この状況で友人に対し
「役立たず」と評する敵を、彼女は許せなかった。
「レイセンはあんたの命令で此処に来たんでしょう!? それを……」
「……そうね、役立たずというのは訂正するわ」
口元に人差し指を当て、あくまでも優しく言い放つ。
「捨て駒としては、役に立ってくれたわね」
「………!!」
美鈴は絶句した。自身の命令によって傷付き、倒れた者を前にして、この様な酷薄な言葉を躊躇いも無く言えるその
気持ちが、彼女にはまるで理解できなかった。
「………あんた、自分の弟子に向かって、よくもそんな事が言えたもんね……!」
「弟子……?」
眼前に倒れる月兎に、ほんの僅かに目を移す。
「ああ、確かにこの娘は私の弟子よ。
けれどね、今回の戦いに関して言えば、彼女は私にとって唯の手駒であり、それ以上の何者でもないのよ」
その言葉が、美鈴の心の中から恐れという感情を完全に消し去った。
「―――レイセンを連れて大人しく帰ってくれるのであれば、此方としては別に何もしない積もりだったんだけど……
……気が変わった。あんたは、レイセンに代わってこの私がブッ飛ばす!」
「無理よ」
「無理でもブッ飛ばすっ!!」
美鈴の体が弾け飛ぶ。弾丸の如き突進速度。
「ハイイィ――――!」
七色の気を纏った高速連撃。目にも止まらぬ速さで打ち込まれる、無数の拳打、蹴撃。
それが、
「―――はっ、ッはあっ………」
ただの一撃すら掠りもしない。
「だから無理だって」
「……もしかして、アンタも………」
「外れ。私は何も、特別な術など使ってはいないわ。
私は貴方の攻撃を全て予測し、素早くそれに対処しているだけ。
言ったでしょう? ウドンゲは、『捨て駒としては役に立ってくれた』って」
「………! でも、あんな僅かな時間の戦いを見ただけで………」
「私の二つ名は『月の頭脳』。天才と言われた我が一族の中に於いて、更に異才と呼ばれし者。
ほら、何処かの国の、偉い思想家のお弟子さんも言っているでしょう?」
「『一を聞いて十を知る』… 孔子の弟子、子貢が言ったとされている言葉ね……」
教師が生徒に対する様に、正解、凄いわね!、と、手を叩いて誉める。
「ウドンゲを倒した手並みは… さすがは紅魔三巨頭の一人、といったところね。
けれどそこまでよ… 連戦による疲労で、あなたの戦闘力は大きく低下している……
もはやあなたは、わたしに触れることもできない…」
「はっ…」
あくまでも笑顔を崩さない相手に、美鈴が再び突進する。
「なめないでよ!!」
彼女の放った苦無を、
「左下方193度!!」
かわす。
直後の旋風脚を、
「右横74度!!」
かわす。
「ウオオオオオ!!」
滅茶苦茶に振り回される手足を、
「右上方25度!! 右下方43度!! 左横90度!!」
かわす、かわす、かわす――――!
「あっ」
バランスを崩し倒れ込む美鈴。それを穏やかに見下ろす月の頭脳。
「ハア、ハア、ハア………」
「いったはずよ… わたしはあなたの攻撃をすべて予測し、それに対処できる…」
連戦による肉体的疲労と、攻撃を悉くかわされる事からくる精神的疲労。紅 美鈴の心身は、既に限界へと達していた。
「そろそろあの子も動き出す頃だし、この辺りで終わりにさせてもらうわ」
「あの子って……もしかしててゐちゃんの……」
「その通り。貴方達も半ば気付いていたんでしょうけど、彼女は私の送り込んだ工作員。
普通の防御結界は兎も角、多重次元攻性障壁、神盾『システム・イージス』、あれは流石に、INABAでも突破
できないから」
「『イージス』の事まで知って……!?」
紅魔館防衛の最大にして最後の切り札、システム・イージス。その重要性ゆえに機密扱いとなっていた筈の情報を、
相手は既に得ている。
白兎から情報が漏れたのか。否、白兎はシステム・イージスの存在が事前に永遠亭に伝わっていたからこそ、その
発動を封じる為に送り込まれたのだ。だとすれば……
「これまた何処かの国の偉い人が言っていたでしょう? 確かに、天が張り巡らせた網の目は粗くて大きいかも知れない
けれど、悪事は決して漏らすことなく事無く捉える、ってね。監視範囲を限定すれば、大概の事は見落としはしないわ」
美鈴の頭が混乱する。敵が老子を引用しているのは判るが、その意味するところまでは理解できなかった。
「無駄話はこれ迄。悪いけど、貴方には此処で沈んでもらうわ」
その言葉と同時に、彼女の『気』が爆発的に膨れ上がる。幻想郷全土を揺るがす程の莫大な霊力。
対する美鈴に、それを防ぐ力など既に有りはしなかった。
「……見るがいい、そして恐怖なさい!
我が名は、八意 永琳―――――!!」
――――何も無かった。
数秒前までは堅牢な門が、そして門番達の詰め所が存在していた其処に、今は何も無かった。
在るのは、大きな爪で大地をえぐったかの様な傷痕と、倒れ伏して動かない二人の少女、そして、この惨劇を引き
起こした張本人。
「……いくら姫が近くに居ないからって、流石にこれはやり過ぎたわ」
掌を頭に当て、やれやれと溜め息を吐く。
「私も大人気無いわね。ついカッとなって本気を出してしまうなんて…」
四桁の年月を生きながら、今更自身を「大人気無い」などと評する自分に、思わず永琳は苦笑した。
紅 美鈴は確かに弱い相手ではないが、さりとて、永琳が全力で戦わねばならぬ程の難敵でもない。優曇華との戦いの
直後であった事を考えれば尚更だ。
そもそも今回の侵攻に於いては、この門番も大事な標的の一つなのである。万が一彼女が命を落とす様な事があれば、
それこそ洒落にもならない。永琳は門番の並外れた生命力の強さに、心の底から感謝した。
「ま、過ぎた事はしょうがないわね」
長生きのコツは余計なストレスを溜めない事。永琳はさっさと思考を切り替える
尤も彼女の場合、心身の健康といったものとは関係無く、半ば強制的に長生きを強いられている訳なのだが、まあ、
何れにせよストレスは良くない。医者の不養生をわざわざ実践する趣味も必要も、永琳には全く無かった。
「さて、結界の方はてゐが巧くやってくれるでしょうし、後は、あの子が施した館内歪曲空間の補正だけなんだけど…」
魔法図書館で制御される防御結界と、メイド長によって捻じ曲げられた館内空間。この二つを抑えれば、最早紅魔館
攻略は成ったも同然である。だが、
「……まあ、図書館の方もそうそうスムーズにはいかないでしょうし、先ずは彼女等の治療が最優先事項ね」
少女二人が不可視の力によって宙へと浮き上がる。次の瞬間、永琳と共にその姿が消え失せた。
「……永琳のやつが来たということは、こっちもさっさと仕事を終わらせなきゃですねぇ~☆」
小悪魔を屠った白兎が、机の上に広げられた結界操作用の魔導書へと向き直る。
「とりあえずこいつをブッ壊せば、いっちょ上がりってとこですぅ~~♪」
掌に魔力を集中させる白兎。
その背後に、
「……待ちなさい」
静かな、それでいて強い意思の込められた声がかけられる。
「―――またうっとうしいのが出て来やがったですぅ……★」
書架の後ろから姿を現す、紫色の魔女。
「全く… 普段から鼠がちょくちょく出没する上、今度は野兎が好き勝手し放題なんて……
いっそ図書館をやめて、ふれあい動物ランドにでもした方が良いのかしら、此処」
「ウサギはいいとしても、ふれあい動物ランドにネズミはどうかと思うですよ? 子どもが指かじられてペストに
なって、責任問題で社長が謝罪で閉園ってのが関の山ですぅ★」
「あら、知らないの? 外の世界では、黄色やら黒の鼠が子供達に大人気だそうよ。
名前は確か……ミッキー、………ロジャース?」
具体的な名前を言っても別に問題無さそうなネズミと、具体的な名前を出したらちょっとまずそうな鼠の事を話し
ながら、パチュリーは眠たそうな眼で床に倒れる小悪魔を見る。
「……彼女には、まあ、良い薬になったかもしれないけど。お蔭で、貴方のスペルの攻略法も見えたし」
「……見殺しにした、ってわけですか。
やれやれ、ウチのもそうですけど、知識人ってのにはろくなやつがいないですぅ………」
「詐欺師には言われたくないわ。
それに、悪魔の館に住む魔女がろくな奴だったら、その方がよっぽどおかしいと思うけど?」
無表情に言い放つその異様を前に、白兎の足が自身も気付かぬ内に後ろへと下がる。
だが実際のところ、パチュリーはもっと早くに登場する予定であった。
てゐをスパイだと疑っていた彼女は、永遠亭の襲撃が予想される新月の今日、わざと身を隠しててゐを監視していた。
目論見通りてゐは本性を表したのだが、そこからがまずかった。
本来なら、小悪魔が止めをさされようとするまさしくその瞬間に、「サイレントセレナ」あたりで颯爽と乱入する筈で
あった。ところが、
「『危なかったわね……』
『パチュリー様!』
『だから言ったでしょう? この兎には気を付けなさいって』
『……申し訳ありません…… あの、でも、私……!』
『……何も言う必要は無いわ』
『ですが、その、聞いて下さい! 私……!』
必死で何かを訴えようとする彼女を遮って、一冊の本を渡す。
『!これは、仏蘭西な書院の……』
『この意味、貴方なら理解できるでしょう?』
『は………はいっ!』
『閉館後、図書館の一番奥で待っているわ。それ迄に、その本を読んでしっかり予習しておきなさい』
『………ハイ』
期待と、そして僅かな不安の入り混じった眼で、小悪魔が見詰めてくる。そして――――」
などといった高速思考を展開しながら血を吐いている内に、あえなく小悪魔は撃沈。
見事にタイミングを逸したパチュリーは、それらしい言い訳をでっち上げてから、何事も無かったかの様に白兎の前に
顔を出したと、そういった次第であった。
変態メイドの妄想病が伝染したのかと少し鬱になりかけたが、そこは、血が出てきたのが鼻ではなく口からであったと
いう事にアイデンティティを見出して持ち直した。ポジティブシンキングは健康の秘結である。もとい、秘訣である。
「―――浣腸も、まあ、悪くは無いけど」
秘結と秘訣の違いに思いを馳せ、表情を変えずに不気味な事を呟く魔女。
「な、なんなんですか、こいつ? なんだかわからないけど、とにかくキモいですぅ………」
その不可思議な空気に押され、尚も後ろへ下がる白兎。
「……てゐがスパイだって、いつから気づいてたですか?」
背中に机が当たったのを感じた。これ以上は下がれない。
「半月前の会話を思い出してくれれば判ると思うけど、美鈴と小悪魔以外、初めから貴方の事など信用していなかった
わ。それに……将棋の時もそうね。あれだけ露骨にやられれば………」
「ハッ! それだけわかっていながら、ここまでてゐを放っておいてくれてたワケですか……
まったく、永琳の奴が言ってた通りですぅ!
『紅魔館のお嬢様は油断が過ぎるから、テキトーでやっても簡単に侵入できる』って!」
「結果の視えた勝負、ちょっとくらいは波乱があった方が面白いでしょう?」
半月前の友人の言葉を繰り返す。
確かに、現状では紅魔館の方がやや劣勢と思えなくも無いが、それも目の前の兎を倒せば終わり。永琳の力が如何に
強大であっても、イージスさえ発動させれば手を出す事は出来ない。その間に新月が過ぎれば、復活したレミリアを
大将に、今度は一気に反攻へ出る事が出来る。姿を消している永遠亭の場所については、白兎から辿る事が出来る筈だ。
その際に霊夢や魔理沙の力を借りれば、勝利は絶対確実。いくらプライドの高いお嬢様でも、スパイに侵入され、
門番まで倒された現在の状況を見れば、他勢力に援軍を頼む事を拒めはしないだろう。
「――――『いくぜパチュリー!』『…仕方ないわね』
『『マチュリー砲!!』』
………いいえ、ここはやっぱり、『ダブルノンディレクショナル』とかの方が良いかしら?」
誰かの真似なのか、うふ、うふ、うふふふふふふふ、と奇妙な笑い声を漏らしながらガクガク揺れる魔女。
「『さぁ、そこの白兎、大人しく捕虜になるか、一悶着あった後に捕虜になるか、どっちかを選びな!』
『美味しい所だけ持ってかないでー』」
「あの、えっと… とりあえず、大人しくやられるつもりはないですけど……
って、聞いてるですか!?」
てゐの方を全く見ずに、一人で右向いたり左向いたりしながらブツブツやっているその様は、アイスクリームを耳に
当てて、とうおるるるるるるるるるるるるるるるるるるん、と心のボスと会話している怪しい人を思い起こさせる。
「と言う訳でそこの兎、私と魔理沙の愛の為に、貴方には倒れてもらうわ」
心の中の誰かとの会話が終了したのか、てゐを指差してパチュリーが言い放つ。
「……ああ、因みに、誤解しないで欲しいけれど……
『愛』って言っても、別に私は彼女の事なんて何とも思っていないと言うか、魔理沙の方が図書館の本を持って行った
まま返さないという小学生男子並の判り易くてひねくれた気の引き方をやってくるものだからここは一つ年上の私が
それに対して大人の包容力で付き合ってあげてもやぶさかではないという方向で善処させていただきたいと申しますか
一部で報道されております様にこの私が先の満月の異変に関しましてあの七色に嫉妬の念を覚えているなどといった事は
全く記憶にございませゲボグハァッ!!!」
「ひいいぃ~~! 血が! てゐの顔面におびただしい量の血液がッッ!?」
「しくしく、貧血で長いセリフが言い切れないの」
「いやそれ、絶対貧血とか喘息とは違う病気ですよ!? 貧血や喘息で口からドバッと血は出ないですよ!?」
「……恋の病? これぞ乙女のなせる業、かしら?」
「……イヤな乙女DEATHぅ★」
ばっちいですぅ、とぼやきながら自身の服の裾で顔を拭く幼女を見つつ魔女は、こんな光景を咲夜が見たならば、
「血塗れ幼女だなんてエロですわ! 猟奇エロですわ!! 惨劇に挑めですわ!?
しかも服でお顔を拭くなんて、気を付けないと中身が丸見え!? て言うか、その辺りが血で濡れてたら、何て言うか
もう、見た目アレよ? 幼女にはまだ早いわよ? 判断力が乏しいのだから合意の上であっても犯罪なのよッッ!??」
などと叫びながら踊り狂って大変だろうなぁ、と溜め息を吐いた。ああいう変態にはなりたくない。
「――鉄くさいコントはこの辺でお開きにさせてもらうですぅ……
アンタみたいな色々と(常識とか)足りてないモヤシッ娘、とっとと『むきゅー』でワキ全開にしてやるですぅ!」
「不意打ちでやっと、小悪魔を倒せる程度の小物が相手… 正直、役不足も良いところだけど……
まぁ、可愛い部下の仇、手加減の必要は無いわね」
本に顔を埋めたままボソボソと話すその様は、顔色の悪さも相まって、どう見ても強さを感じられるものではない。
だがパチュリーは、100年を超える歳月を生きる正真正銘の魔女。単純な実力で言えば、てゐや小悪魔とはまるで
レベルが違う。
「えぇーと、目の前の白兎のアクを消極的に取り除くには・・・」
「載ってるですか?」
「……載ってるわ。
貴方に勝つには……白(素)兎だけに海水と風、といったところかしら」
白兎の耳がピンと立つ。似た様な癖を持つ友人の居る魔女は、それで自分の言葉が間違っていない事が理解できた。
栞代わりに本に挟み込んでいたカードを掲げる。
「水&木符『ウォーターエルフ』」
五味の鹹(塩辛い)にも対応する水符と、四元の風精との親和性が高い木符の合成術。まともに喰らえば、てゐは
一撃で終わりある。
「やらせはせん、やらせはせんぞ、ですぅ!」
すんでのところで身をかわし、そのままスペルを発動させる。
「いくです、『エンシェントデューパー』!!」
てゐの両脇から放たれる光線。同時に、先程の小悪魔とは逆に、パチュリーは前へと突っ込む。
小悪魔とてゐの戦いから、パチュリーはこのスペルの攻略法を掴んでいた。
定石通りに間合いを離せば、光線の内側に引き込まれる弾幕によって逃げ場を失う。だが逆に、怖れず相手に接近
すれば、本体から発射される僅かな弾を避けるだけで済む。後は攻撃の隙に、至近距離でウォーターエルフを発動すれば
それで終わり。
パチュリーの紫色の頭脳は、99%の勝利を弾き出した。
だが、
「……え?」
現実と成ったのは、残りの1%だった。
動きを止めるパチュリー。その四肢には、四羽の妖怪兎が組み付いていた。
パチュリーの周囲には、常時小型の探査結界が張られている。実際に反応できるか否かは別として、何かが近付いて
きたならそれに気付かない、という事はあり得ない。それなのに今彼女は、自身の動きが止まるその瞬間まで、四体もの
敵の存在にすら気が付かなかった。
それ以前に、紅魔館の門には未だ防御結界が張られている筈。永琳クラスの術者なら強引に解除して侵入も出来よう
が、今パチュリーの動きを封じている四羽は明らかに雑兵レベルの妖怪兎。
「一体、どういう………」
「さあ?
どこかのネコみたく、ただアンタが認識していなかっただけで、初めからその子らはそこにいたんじゃないですかぁ?
それをアンタが今、観測して認識したから、それでその子らは『在る』ほうに成ったですよ、きっと☆」
「……兎が箱の中の猫を気取るなんて、面白くもないわね。
それに、貴方が今言ったのはかなり違うわよ、シュレティンガーと」
「てゐは子どもだから、難しいお話はわかんないですぅ~♪
て言うか、最近の流行で言うなら、『神の不在証明』のがいいですかねぇ~?」
どうでも良い話で時間を稼ぎながら、何とか今の状況を理解しようとする。
「それにしても……
こんな芸当ができるなら、わざわざ危険を冒してまで、貴方がスパイとして潜り込んだ意味が無いんじゃない?
結界があろうと無かろうと、この兎達には関係が無いようだし」
「確かに、普通の結界だったら邪魔ないですぅ。
でも、あのなんちゃら言う多重次元攻性障壁、あればかりはちょっと厄介ですからねぇ……
てゐは初めから、あれを潰すためだけに送り込まれたんですよぉ~☆」
それを聞いてパチュリーは理解した。兎達が使ったのは、ネタさえ判れば何て事はない、唯のタネ無し手品の様なもの
だ。
「……チャンネル操作は、あの月兎だけの能力と思っていたけど?」
「あんな便利な能力、あの性格悪い保健医が放っておくワケがないじゃないですか?
アイツの改造手術によって、今じゃ永遠亭の全構成員がチャンネル操作を自在に使える様になっているですよぉ~♪
というワケで、紅魔館には既に、アンタをおさえてる子達の他にも、多数のINABAが入り込んでるですぅ~☆」
「INABA?」
「永遠亭が誇る隠密完殺部隊。
“IN”VISIBLE
“AB”SOLUTE
“A”SSASSINS
略して『INABA』ですぅ~~~っ!!」
「……イージスの情報も、そのINABAとやらから流れたのかしら?」
「あ? それは違うですよ? 天網恢恢疎にして漏らさず、ってヤツですぅ~☆」
「……なるほど、レミィと咲夜から少しは話を聞いていたけど、どうやらそれが、あの薬師の本来の能力の様ね」
「流石に知識人は理解が速(早)いですぅ☆
そもそもあの、ワインダーなんかで相手の動きを制限してグルグル回転させて半周ほどしたら『ついでにコレもどう
かしら?』って感じの性悪弾幕を得意とする外道が、ラストワードにあんな簡単なスペルを用意するはずがないじゃない
ですかぁ?
あれは本来、攻撃用のスペルじゃなくて、探査・監視用のスペルなんですぅ♪
その気になれば、効果は弱まるけれど幻想郷全体を覆えるし、逆に範囲を限定すれば、よほど強力な結界か何かで
護られていない限り、あらゆることがつつぬけになっちゃうですよ。えいりんは怖いですねぇ~~★」
楽しそうにペラペラと話す白兎とは対照的に、その表情は変わらないままでも、パチュリーの内心は焦っていた。
相手の手の内は把握した。何とか咲夜と連絡を取りたいが、四肢を捕られている今の状況ではそれもままならない。
いや、それ以前に、無事に現状を打開する手段さえ思い付かなかった。
「………さて、おしゃべりはこのくらいにしておくですか。
――――安心するですぅ、永琳の命令で、アンタ達はなるたけ傷の無い状態で回収するように言われてるDEATH
からぁ~~~………」
「―――94、95!」
銀の閃光が走る。
「96、97、98!」
次々と撃墜されていく敵影。
「99、100………!!」
舞を終えて、その場にへたりこむ少女。
その周囲には、足の踏み場も無いほどに積み上げられた、無数の妖怪兎の身体。
「凄いわね、咲夜! 今ので十回目の百人切り達成、流石だわ」
パチパチと拍手の音がする方向を見遣るメイド。其処には、嬉しそうな笑みを浮かべた、元凶たる薬師の姿。
「―――それにしても…… 実際に入るのは初めてだけれども、凄いわね、この地下司令室。
ウチにもこういうの造ってみようかしら?
それでもって、ピンチの時には机を叩いて『なんてこったあ』と叫んだり、若しくは慌てるウドンゲを尻目に『全て
シナリオ通りだ』とか言ってニヤッとしたり、後は、毎晩寝る時は椅子に座って『幻想郷か…… なにもかも
懐かしい……』とか言ったり……
ねえ咲夜、どうかしら? いいアイデアよね……………え?」
楽しそうに問い掛けるその顔に、突如銀の刃が突き刺さる。傷口から、ドロリと赤い血が流れ出る。
だがそれも一瞬の事。顔に刺さったナイフを無造作に引き抜くと、瞬く間に傷は塞がり、流れていた血も止まった。
「―――気安く話しかけないでもらえるかしら……?」
「あら、冷たいわねぇ。私と咲夜の間柄じゃない?」
自身の血に濡れたナイフを手の中で弄びながら、あくまで楽しそうな笑顔のまま話し掛ける。
その美しい顔に、傷の一つも残ってはいない。
「私と貴方の間柄って、一体どんな間柄よ?」
「それは秘密です(はぁと)」
人差し指を口元に当て、ニッコリと微笑む。
「にしても咲夜、貴方この間ウチに殴りこんで来た時と、随分性格が違わない? 戦闘力も比較にならないし……
あの時は愛しいお嬢様の前で、可愛らしく猫を被っていた、って事なのかしら?」
「あら、そんな事をしたら、何処ぞの狐に怒られますわ? そもそも、私は96点中24点だし」
「狐…… ああ、あの猫マニアの。あそこは今回、対象外なんだけれど……
あ、ところで、あそこの子猫より、ウチの姫の方が千倍はネコミミが似合うと思わない? ねえ?」
「何を言っているのか…… ウチのお嬢様の方が万倍似合うわ。ネコミミっていうのは、吸血鬼の為に在るものなの」
「いやいや…… ネコミミは月の民の為の物よ? 姫の方が億倍似合うわ」
「お嬢様は兆倍似合う」
「姫は京倍似合う」
「……………………」
「……………………」
ナイフを構えたまま、強く相手を睨みつける咲夜。
対する永琳は、笑顔こそ崩してはいないものの、その瞳の奥に窺い知れない黒い意思が見え隠れする。
「―――で、その半端にネコミミの似合うお嬢様は、一体どちら?」
「素敵にネコミミの似合うお嬢様なら、残念ね、此処にはもう居ないわ。
貴方がのんびりしている間に、お嬢様と妹様は既に脱出した。
ステージは此処で終了。貴方もさっさと帰ってバッドエンディングに涙なさい」
紅魔館の敗北を悟った咲夜は、部下達にレミリアとフランドールを託して脱出させ、自身は時間稼ぎの為に、唯一人
司令室に残ってINABA達と戦っていた。
「ふむ、私が遅れたのは、わざわざ先陣切って乗り込んで万全の状態の咲夜と戦うよりは、先にINABA達を
けしかけて消耗させた方が確実と考えたからなんだけど……」
「そういう暢気な事を言っているから、肝心の目標に逃げられるのよ」
「……え?……あっ、違う違う」
咲夜の言葉に、首を振って応える永琳。
「初めから、あんなガキに用は無いわ」
「?……どういう―――」
「紅魔館に於ける私の目標は、小悪魔と、紅魔三巨頭である紅 美鈴、パチュリー・ノーレッジ、そして貴方。
この四人を捕らえるのが目的。それ以外の木っ端が何処へ行こうと、そんな事に興味は無いわ」
「何それ?
て言うか、永琳、そもそも貴方がこんな馬鹿げた事を起こしたのは、一体何が目的なの? 輝夜が望んだ事?」
「違うわ。今回の件に関しては姫の意は関係無い。全て、私の考えた事よ」
「で、その目指すものは?」
腕を組んで目を瞑る永琳。
しばしの沈黙。
そして、
「裸のお付き合い」
「……は?」
永琳の答えを受け、咲夜の頭の上に大きな疑問符が浮かび上がる。
「何それ?」
「具体的に言うとね……」
懐から眼鏡を取り出し装着する。唐突に始まった、えーりん先生のはちみつ授業。
「幻想郷中から選りすぐりの美少女を集めて一大ハーレムを作る。
幼女や年増はNG。ヤローは言う迄も無し。
そのハーレムの中心には古代ローマを思わせる大浴場が在って、そこには常に少女達の嬌声が響き渡るの……
安心なさい咲夜、私はマッサージの腕も超一流よ? もうホント、身体中から汗とかその他色々な液体が止まらない
くらい気持ちいい事間違い無しよ?? 針も得意よ、針もイイわよ???
ああ勿論、裸の付き合いって言ってもマッパだけじゃ味気ないから、楽しいコスチュームも沢山揃えるわ!
YシャツとかTシャツとかエプロンとか靴下とか、色々用意するわッ!!
ネコミミイヌミミウサミミタヌミミその他諸々のケモノミミも一杯!!!
尻尾もあるわ、接続部分がチョッピリ太いし動いたりするけどねッッ!!!!」
まるで夢を語る少女の様に、両手を広げて狂狂(くるくる)と回りながら永琳は話し続ける。
その狂態を見ながら咲夜は、人としてこんな変態にはなりたくないと心から思った。
「狂っているとしか言い様が無いわね、永琳…………
…………幼女がNGなら、そんなもの、何の意味も無いじゃない」
美鈴もレイセンも居ない今、誰もツッコミは入れない。
「幼女? 何を愚かな事を……
あんな無駄に丸っこくてプニプニしたナマ物、私のエリュシオンには不要だわ」
「それが驕りと言うのよ! そもそも女性の身体というのは、男性のそれに比べて丸みを帯びているのを特徴とする。
それを極限まで高めたものこそが、幼女のプニプニなのよ!」
「詭弁ね、それは。第二次性徴をすら迎えていない身体が女体の究極などと、医学的に見てもあり得ないわ。
身体だけじゃない。精神面だってそうよ。スカートを穿いておきながら、座り方にまるで頓着が無い。恥じらいを
知らぬ精神など、知的生物のそれには相応しくない」
「どうして貴方は、そうやって小難しい事ばかり並び立てて、素直に物事を見ようとしないの!?
あの幼女の無邪気さこそが、穢きこの世を清める正に天使の微笑みの如きものだという事くらい、貴方だって判って
いるでしょう!」
「若いわね、咲夜。貴方こそ、自分の言葉に酔ってまるで現実が見えていない。
少しでも気に入らない事があると、泣いて喚いて自身の思う通りにさせようとするそれが、一体何故、穢き世を清める
ものであると言えるのであろうか、いや、ない。
まあ、己が意に沿わぬものは決して認めない辺り、『天使』という表現はあながち的外れとも言えないかも知れない
けど」
「そうじゃない!
駄々をこねる幼女を見て、可愛くて涎が出ちゃうと思える寛容な心こそ、これからの時代に必要なものなのよ!」
「その様に愚昧な感傷など、ただ世界を緩やかに殺していくだけのものに過ぎないわ。
美少女にそれとなく悪戯をしてその反応を楽しむ事の出来る知性、それを持った賢人を今、世界は必要としている。
そのくらいの事も理解できないの、咲夜?」
変態二人によるツッコミも観客も居ない喜劇は、最早、喜劇に値するものではなくなっていた。
それは、決して交わる事の無い二つの精神が織り成す、狂おしい迄の痛みにまみれた、唯の愚かしい悲劇。
「………判ったわ」
吐き捨てる様に咲夜が呟く。
「ようやく理解してくれたのね、咲夜」
「ええ、理解したわ……
貴方という人が、今日という日に居てはならない者だという事が!」
「!……そう、仕方ないわね。
出来れば話し合いで解決したかったけれど、こうなったら力ずくで、その身に女の悦びを教え込んであげましょう!」
「その言葉、屈折させずにそのままお返ししますわ!」
美幼女と美少女、世界の支配者を賭けた戦いが今、始まろうとしていた。
だが……
「――はぁ、はぁっ……」
千に及ぶINABAとの戦いで限界以上に消耗しきった咲夜と、その力の殆どを残している永琳。
戦いの始まる前から、その優劣は明らかであった。
「正直に言うとね……」
穏やかな声で永琳が語りかける。
「INABAだけで、貴方は倒せると考えていた。
何せINABAにはチャンネル操作能力が有るし、数も多い。貴方の勝ち目は零に等しいと計算していた。
それなのに貴方は、いち早くINABAの能力に気付きそれに対処した。大したものよ」
「以前に月兎と弾幕った、その経験のお蔭ね。
何故紅魔館の結界が素通りされるのか初めは判らなかったけれど、実際に対戦したらすぐにその違和感に気付いたわ」
「普通はそれでも気付かないわよ。
―――ネタさえ判れば、時空を操る事の出来る貴方の前でINABAの能力は意味を成さない。
とは言え、あれだけの数を相手にした貴方には、既に戦う力は残ってなどいない。そうでしょう?」
優しく微笑みかける永琳に咲夜は答えない。ただ肩で大きく息をするその姿が、全てを物語っていた。
「全力の貴方と全力の勝負をする、それも魅力的ではあるけれど、此処での戦いは私の計画のまだ一歩目。
此処で力を浪費する訳にはいかないの。ご免なさい………」
そこで初めて、ほんの一瞬ではあったが、永琳の笑みが解けた。
嘘偽りの無い、本心から申し訳ないと思っている、そんな表情。
それを見て咲夜は、何かを口に出しかけた。彼女自身、自分が何を言いたいのか判らなかったが、それでも何かを
言いたかった。そんな咲夜の周りを、
「秘術『天文密葬法』」
無数の使い魔が取り囲む。
「くっ!?」
「今の貴方には、この包囲網を突破できる力は無いわ」
先程迄と同じ様に穏やかな笑みを湛えた永琳の手から、大型の魔力弾が放たれる。
それは使い魔の群れの中を駆け巡り、その力の発動を促してゆく。無数の使い魔から放出される、圧倒的物量の弾幕。
「こんな所で朽ち果てる己の身を呪うがいい!」
「……おーおー、結構苦戦してたみたいですねぇ~♪」
戦いの終わった司令室に、押っ取り刀という言葉とはまるで無縁な様子で、白兎が顔を出す。
「……随分と遅い到着ね、てゐ」
「申し訳ないですぅ、こちらもちょっと手間取っちゃいましてですぅ~☆」
「とか言って、本当はその辺に隠れて様子を見ていたんじゃないの?」
「さ~て、そいつはどうですかねぇ~★」
わざとらしく口笛を吹く白兎を、永琳は一瞥する。
「にしてもまぁ……」
周囲を見渡して、てゐは溜め息を吐いた。
「てゐの可愛い子分達に、随分と被害が出たみたいですぅ~★
この落とし前、どうつけてくれるですかぁ?」
周囲からは永遠亭のNo.4と見られているてゐだが、実際のところ地上の兎である彼女とその子分達は、月の民で
ある輝夜や永琳の配下という訳ではない。強大な力を持つ二人を相手に、渋々従っているというのが正しい。
この事に関しててゐは、「頼まれて仕方ないから協力してやってるだけですぅ~★」と嘯くのだが。
「どの子も大した怪我じゃないわ。全員すぐに治してあげるから、それで文句無いでしょう?」
「そういう問題ですかぁ~~?」
「そういう問題よ。
……ところでてゐ」
永琳が優しい微笑で、白兎を見下ろす。
「貴方は本物のてゐなのかしら?」
ピンと立つ二つの長い耳。
「な、ど、どういうことですぅ!?」
「実はこのてゐは、てゐの振りをして私の不意を突こうとしている魔女が化けた偽者じゃないかって、そう疑ってるの」
傍目には笑顔のまま、けれど目は決して笑っていない、そんな表情で永琳は続ける。
「若しそうだとしたら、ここで始末しておかないとね……」
増大する霊力。部屋の中を支配してゆくプレッシャー。
「ちょ、ちょっと待ってですぅ! 何を根拠にそんな……」
「そうね、根拠と言えば…さっきの図書館でのてゐと魔女の会話。
あれって、てゐから情報を引き出す為に、わざと魔女が負けそうな振りをしている、そんな風に思えない?」
「ち、違うですぅ! あれは……
……って、え?」
其処でてゐは初めて、自分がからかわれている事に気が付いた。
「ちょっと待つですぅ!
てゐとアイツの会話内容を知ってるってことは、『天網蜘網捕蝶の法』で監視してたですね!?
だったら、てゐが本物のてゐだってことも、とっくにわかってるってことじゃないですかぁっ!」
「うっ、ふふふふふ………
ご免なさい。貴方の慌てふためく様が面白くて、つい……」
口に手を当てて笑うその姿に、先程の圧力はとんと感じられない。
「まぁ、敵に余計な情報を漏らしたのは事実なんだし、その罰って事で、ね?」
「勝ったんだからいいじゃないですかぁ……」
「あら、でも、実際かなり苦戦していたみたいじゃない?」
永琳の言葉を聞いたてゐの表情が、途端に険しいものへと変化する。
「………ぅるっさいわ!」
「事実でしょう?」
楽しそうに話す永琳に、てゐは舌打ちで応えた。
「……確かに、あの紫モヤシには手ぇ焼かされたわ。
あの女、巻き添え避ける為にワシの子分が離れた一種の隙に、相打ち覚悟で日符使いよって…… しかも多次元属性の
オマケ付きでじゃ!
まったく、手ぇ焼くどころか、危うく全身丸焼きにされるトコじゃったわ……」
可愛らしい外見に似合わない口調で喋る彼女の服には、所々に焼け焦げた様な跡が付いていた。
「此処に来るのが遅れたのも、そのせいでしょう?
なかなかに……………………ッ!?」
「ん? どうしたんじゃ?」
突如永琳が動きを止める。その足首を、
「!?
このガキ、息吹き返したんか!?」
うつ伏せに倒れたまま、シッカリと掴んで離さないメイドの姿……!
「往生せん………」
「待ちなさい、てゐ!」
攻撃を加えようとした白兎を制し、永琳は目を閉じて、静かに片手を咲夜の背中の上に置く。
「やっぱり……」
ゆっくりと目を開いたその顔に笑みは無く、ただ驚愕の色が支配していた。
「この子、気を失ったままよ」
「えう~? こいつ、意識も無いのにアンタに掴みかかったって、そういうことですかぁ~??」
「……執念、ってところかしらね」
足首を掴んだ手を解きながら、永琳は静かに咲夜を見下ろす。
「千のINABAを退けて、永琳と戦って、それでまだこんな……
このメイド、本当に人間ですかぁ?」
「―――人間よ。死んだら死んでしまう、そんな唯の人間」
両手で咲夜を抱え上げ、どこか寂しそうに呟く。
「…さってぇ――――
これでここでの仕事は終了ですし、口調が急に戻ったのを誰もツッコんでくれないですし、とっとと永遠亭に帰って
レイセンちゃんで遊ぶですぅ~~☆」
大きく伸びをする白兎の背中を、待ちなさい、と、永琳の声が呼び止める。
「その前に、姫へ連絡をするわ」
「姫って……
確か今、アッチの岸に行ってるですよねぇ? 連絡、とれるんですかぁ??」
「短時間の念話なら、ね」
そう言って永琳は目を瞑る。
数秒の沈黙、そして、
「……ふぅ――――……」
安堵の息。
「良かった、向こうも今の所、問題無く進んでいるみたい。
まぁ、あの二人も付いている事だし、姫の方は取り敢えず大丈夫そうね」
「……てゐとしては、あの二人が付いてるからこそ危険、という気もするですがぁ★」
「その辺りは抜かりないわ」
ニッコリと言い返しながら、永琳の心中は余り穏やかではなかった。
あの二人が姫を害する事はない。
だがそもそも、輝夜が実行犯として今回の計画に加わってしまった事自体、永琳にとっては望ましくない(予想外では
ない)事だった。
この度の戦いにおいては、自身が首謀者であり主犯で無ければならない。姫は、言うなれば唯の傀儡の様なもの。それ
以外の者も、あくまで単なる手駒に過ぎない。
その事を永琳は繰り返し、自分自身の心に言い聞かせた。
「……さて、てゐ。貴方は永遠亭に戻った後、ウドンゲと共に別命あるまで待機していて頂戴。
私はこの子を永遠亭に移送し負傷者の応急処置を行った後、すぐに姫の元へ向かいます。
――――冥界、白玉楼へ…………!」
「ところでこのメイド、なんでおしゃぶりとよだれかけなんてしてるですかねぇ?」
「…………愛ゆえに、よ。きっと」
何かを掴もうとしているかの様に動く白い手、そして、何処からか聞こえてくる女声)
♪ゥドンゲィたーん ゥドンゲィたーん ゥドーンゲー
(ジャジャンジャジャンジャジャンジャジャン ジャジャジャジャ)
弾がまともにすすむと誰が決めたのだ? 弾幕をけす幻視が常識くつがえす
(ジャジャジャジャジャジャジャジャンッ!)
美しい座薬ぅは(ジャジャンッ!)菊の花散らしぃてぇ(ジャラララララララ)
巡りくるぅ切なっさ~ 快感を払ぁってぇー(チャラチャラチャラチャラチャラチャラチャラララララララ)
あなたとのぉ(ジャラララララララ)間にぃー(ジャラララララララ)師と弟子の契りぃを(チャーチャーチャーチャー)
あの月にぃ(ジャラジャラジャウー)捧げるぅー(ジャラジャラジャウー)縞柄のー(ジャン!) パァンゥツゥでぇー
(ジャジャンジャジャンジャジャンジャジャンジャジャンジャ ジャラッチャラッチャラッチャラッチャラララ)
ゥドンゲィたーん ゥドンゲィたーん ゥドーンゲー(ピーッィ フィョォ~)
ゥドンゲィたーん ゥドンゲィたーん ゥドーンゲ―――………♪
“月が吠える”
【13:00 紅魔館ロビー地下司令室 NEW MOON】
――――エマージェンシーコール、レベル1発令。
照明の抑えられた暗い室内に、けたたましい警報音が鳴り響く。オペレーターたる数人のメイド達が、各々の目の前に
在る水鏡を覗き込みながら、其処に写し出される、館内各所に配置された使い魔より送られた情報を矢継ぎ早に報告
していく。
状況開始から既に一時間近く。戦況は、お世辞にも『優勢』と言えるものではなかった。
「INABA部隊、再侵攻しています!」
「八意放出霊力、再増幅始めました」
「ディスペルマジック発動確認!」
「霊力値、8億5000… 12億! 凄まじいスピードです!!」
「八意から紅魔館内空間歪曲域へアクセス確認! アンチ・ディスペルネット展開…、回避!
歪曲空間、自動補修…妨害されました!」
「広範囲にわたって歪曲補正侵攻! …隊長!?」
隊長と呼ばれた銀髪の少女は、心の中で舌打ちをした。
館内の要所に設置してある防御結界を、敵部隊はいとも容易く突破している。それだけならまだ良い。紅魔館には結界
以外にも、彼女の能力に依る空間歪曲が施されている。よほど常識離れした勘の良さでも持っていない限り、招かれざる
客人は、無限回廊で永遠に彷徨う事になるのがその運命なのだ。
だが現在、敵の発動した解除術式により、館内の空間歪曲は急激なスピードで無効化されていっている。
銀髪の少女、十六夜咲夜は、改めて敵、八意 永琳の恐ろしさを思い知った。彼女も咲夜と同じく、空間歪曲に依り
その居城を守っているが、それだけではなく、先の異変では、本物の満月を隠し地上と月の行き来を不可能にする
という、常識外れな離れ業をも演じて見せた。その空間操作能力は咲夜を上回る。
「物理防壁を作動させなさい!」
凛とした声で指示を出す。魔術的防御策が通じぬのであれば、物理的手段に頼るしかない。だが。
「了解! オリハルコンシャッター使用します。…オリハルコンシャッター、閉鎖確認!
…駄目です! 効果ありません!」
予想通りだった。敵部隊は館内の防御結界を通過する際に、結界の解除も破壊もしてはいない。一体どの様な手段を
用いているのか、結界には何の干渉もせずに、ただ素通りしていっているのだ。そんな輩共相手にその道を壁で塞いだ
所で、効果が無いのは残念ながら予測できていた。
「INABA部隊! 尚も侵攻中! 止まりません!」
「館内フロア98%占拠!」
自分達の屋敷を我が物顔で蹂躙する兎共に対し、咲夜は再度、心の中で舌を打った。
彼女の指揮する紅魔館メイド隊、及び、紅 美鈴を隊長とするスカーレット警備隊は、INABA部隊の前に半ば壊滅
状態、美鈴との連絡も30分程前から途絶している。
彼我の戦力にそれ程の差が在るとは思えない、いや、それどころか、組織総体として見れば、紅魔館の力は幻想郷で
随一と言っても良い筈である。それが、その紅魔館が、僅か一時間足らずで陥落寸前まで追い込まれている。
お嬢様は、ここまでの状況が視えていたのだろうか。咲夜は振り向き、今は妹の腕の中に抱かれている幼い主を見る。
不安そうに見詰めてくる瞳に対して、大丈夫ですよと、優しく微笑み返した。この方だけは、命に代えても守らねばなら
ない。
「敵、侵攻方向へ攻撃的空間歪曲にて干渉! 位相空間ロジック書き替えられています!」
「空間歪曲率拡大! 館内に新たな次元回廊形成! 敵性空間転移可能になります!!」
「八意から転移座標コード発信を確認! 座標入力されました。NZ128、EZ061…本司令室です!!」
「奴等め…このまま侵攻するつもりか…」
咲夜は低く唸った。
永琳は歪曲空間を解消しただけでは飽き足らず、今度は自ら空間を捻じ曲げ、進路上に自分達に都合の良い路、
紅魔館の心臓部とも言えるこの司令室への直通路を創り出そうとしている。このままでは、此処まで来るのも時間の
問題だ。
傍らに置かれた水晶球を手に取り、口元に寄せる。これは、遠く離れた場所に居る者との通信に使用するマジック
アイテムの一種であり、その通じる先は、紅魔館のあらゆる魔法的設備を一手に取り仕切るヴワル魔法図書館。
……最後の切り札を出す。
館内の全魔力の内、九割を司令室周辺に集中する事によって構成する、多重次元攻性障壁。広次元幅を持たせた超高
密度結界を幾重にも重ね、攻撃を受ければそれをそのまま相手に反射する。紅白とスキマがその全力を合わせでもしない
限り、決して破られ事など有り得ない、正に絶対防御という概念の具現体。
一時的に館内魔法的設備の殆どが使用不能に陥るのが欠点ではあるが、通常結界が何の役にも立たない現在の状況で、
そんな事を気にする必要も無い。
図書館に居る筈の魔女に呼びかける。しかし。
「図書館! 神盾『システム・イージス』を最大発動願います!! …ヴワル図書館!! …グッ…」
幾ら呼びかけようとも、返事は無い。図書館も既に、敵の手に落ちたか……
―――決断の時が来た。咲夜は、彼女の指示を待つ部下達に、最後の命令を下した。
「以降のオペレーションはお嬢様と妹様、及び全従業員の館外転移魔方陣への避難を優先する。退避完了次第順次脱出!
これより本館を放棄する。…貴方たちも…退去しなさい…」
話は、半月前に遡る………――――
「王手詰み、ね」
テーブルに置かれた将棋盤を前に、館の主、レミリア・スカーレットは、勝利の笑みを顔に浮かべた。
「……参ったわ、降参」
レミリアに相対して座っていた友人、七曜の魔女、パチュリー・ノーレッジは、溜め息混じりに投了する。
「これで、十戦やって私の八勝二敗。うーん、パチェは下手だな」
自らの勝利にご満悦な様子の友人を見ながら、パチュリーは、再び溜め息を吐く。
……そりゃレミィが勝つに決まってるわ。何せ、王将が盤上の好きな位置に自由に移動できるんだから………
王将は、上下左右斜めに一目移動、というのが、将棋のルールである。しかし、ここ紅魔館では違う。
レミリア曰く、
「王将っていうのは、将棋の中で一番に偉い駒、つまり、私の事でしょう?
その私が、一時に一歩ずつしか進めないなんて、そんな馬鹿げた事があって良い筈が無いわ」という訳で、彼女の
使用する王将に限って、盤上の好きな位置に自由に移動できるという事にされた。我侭なお嬢様である。
彼女の持ち駒には他にも、自身を中心に四目以内は自由に移動できる桂馬、通常の将棋の駒の移動能力を全て兼ね
備える金将、進行方向に敵味方が幾ら居ても全て蹴散らして行く飛車、そして、全方位に連続で複数回行動できる銀将
(行動可能回数は、その時のレミリアの気分によって2~∞)といった、滅茶苦茶な手駒が揃っている。ついでに
言えば、前後左右に一目しか動けないものの、敵に攻撃されても倒れない『中』と書かれた駒、と言うか、牌も在る。
対する相手は、通常の駒のみ。
そんなもの、勝負になる訳も無い。それで勝って、喜んでいる。例えて言うなら、黒いのがキノコを食って大きくなる
例のゲームで、スタート地点にハッスルキノコを十個ほど配置して後はおさかなで埋める、という面を作成し、最初に八頭身に
なったらその後はBダッシュだけで残機×6323、といったプレイで楽しんでいる様なものだ。因みに、同様の
ステージを七色でクリアしようとすると、途端に難易度が跳ね上がったりする。
……それにしても、と、パチュリーは思う。
「それで二敗してるのよね」
常識的に考えれば、レミリアに負ける要素は皆無である。何せ、盤上何処にでも飛べる王が居るのだ。言うなれば、
いつでも何処でも王手の状態。極端な話、一手目で相手の玉将にバッドレディスクランブれば、それで終了。ワンターン
キルという、将棋とは余りにも掛け離れた概念も容易に実現可能だ。
それで二敗している。わざと負けた、訳ではない。
「ちょっと油断しただけよ」
それがレミィの最大の弱点ね、と魔女は思った。
レミリア・スカーレットは確かに、幻想郷でもトップクラスのカリスマの持ち主である。だが、それがそのまま、
彼女が高い戦略性や用兵術を有している、という事に繋がる訳ではない。強いカリスマは多くの人を惹き付けるが、
それで集まった者をどう扱うかは、また別の話である。
そもそも彼女は、その幼いながらも気品に溢れる外見に反して、実際は、直球勝負を好む肉弾派であったりする。そう
いった者は、得てして細かい点には気が回らなくなりがちなものなのだ。
「あ~~っ、一勝負終えたら喉が渇いたわ。咲夜、紅茶をお願い」
大きく伸びをしながら、従者の名を呼ぶ。返事は無い。
「咲夜?」
「彼女なら廊下で掃除中よ」
そう、有難う、と友人に礼を述べてから、レミリアは自室のドアを開け、廊下に顔を出した。
「咲夜~」
其処には、
「(『ツェペシュの幼き末裔』のメロディで)
れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ
れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ
れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ
れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ
れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ
れみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ れみりゃれみりゃりゃ
れんれんれみりゃ れみりゃれみーりゃりゃー れーみりゃりゃれみりゃりゃ
れんれんれみりゃ れみりゃれみりゃりゃー れーみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ
れんれんれみりゃ れみりゃれみーりゃりゃー れーみりゃりゃれみりゃりゃ
れんれんれみりゃ れみりゃれみりゃりゃー れーみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ
永夜抄のドット絵が 幼すぎるのー♪
(以下、500年程繰り返し)」
絶望的な迄に人として大切な何かを忘れた素敵鼻歌を謳いながら、楽しそうに埃と格闘するメイド長が居た。
「あ、お嬢様? もしかして、今の聞かれました? や~ん、恥ずかしいですわ(はぁと)」
言いながら、明らかに嬉しそうな顔でクネクネする。端から聞かせるつもりだったのは明白だ。
「ところで、何か御用ですか?」
「……咲夜」
「何ですか(はぁと)」
「貴方クビ」
「な、な、な、な、何故でずがお嬢ざまぁ~~~~!!」
滝の様な涙と何故か鼻血も垂らしながら、主の足元に縋り付く完全で瀟洒な従者。
因みに瀟洒とは、すっきりとしてあかぬけしているさまを形容する語である。
「パチェ、小悪魔を呼んできて。彼女に新しいメイド長をお願いするから」
「待っでぐだざい、お嬢ざま!」
「え~い鬱陶しい! 取り敢えずはその涙と鼻血を何とかなさいッ!」
突然の事態に錯乱しているせいか、先程まで掃除に使っていたはたきに顔を埋め、チーンとやるメイド。埃まみれに
なる顔。赤く染まるはたき。
その様を見ながらレミリアは、やっぱり吸血鬼である自分としては、何て美味しそうなはたき、とか思ったほうが
いいのかしら、でも、あんな物を口にしたら、自分の貴重な何かが失われていきそうで嫌だ、等と、どうでも良い逡巡を
繰り返した。
「お嬢様! 私、何かしました? お嬢様のお気に障る様な事、しましたか!?」
「貴方ねぇ…」
少女を頭痛が襲う。言われなければ判らない様な事か?
「あんな、夜雀のちんちんソングすら『黄色い潜水艦』並の名曲に聞こえてしまう程の壊滅的鼻歌を発射するメイドが
居たら、館が崩壊する前にリストラして公園ブランコしてもらうのが世のため私のためってものでしょーがッ!」
「そんな! 酷いです、お嬢様!!
あの歌は、私の思いの丈の全てを溢れんばかりの優しさとチョッピリの哀しさで出来た暖かなオブラートで包み込んだ
エル!オー!ブイ!イー!LOVELOVE!お嬢様ッ!!なソングなんですよ!?」
「知らないわよ! て言うか何、暖かいオブラートって!? 何だか普通のに比べて溶け易そうよ! ちょっと手で
触っただけで、中身がだだ漏れしそうな勢いよ! 製薬会社に文句言ってやるわ!?」
「DATTEやってらんないじゃん! ストレスより、ロマンスでしょ!?
get you!LOVE LOVEモードじゃん! それが一番平和なんですッ!! なのにどおして!?」
「そもそもオブラートって嫌いなのよ! て言うか、粉薬キラいなのよ! 喉がケフケフするんだもん!
薬はやっぱり飲み薬よ! それもピンク色で甘いヤツがいいッ!! 苦いのはヤッ!!!」
錯乱気味な主従の会話は、哀しい迄にすれ違ってばかり。けれども、ある意味ではこの二人、似た者同士と言えるの
かも知れない。相手の話を全く聞かず、言いたい事ばかり叫ぶ辺り。
「二番です! 二番もあるんです! だからお許し下さい! 二番も謳いますから、私を見捨てないで下さいぃッ!!」
いい加減、収拾がつかなくなってきた。ここは一つ、日符でも使って強引に爆破オチにでもした方が良いかしら、等と
魔女が準備を始めたその時、
「あのぉ~、すみませーん……」
救世主が現れた。
「お嬢様、咲夜さん、ちょっと良いで……って、危なひゃッ!?」
白銀の刃と紅い光弾が、救世主の両脇を掠める。
「……何の用かしら、美鈴? て言うか、貴方、いつから此処に居た?」
美鈴と呼ばれた少女が、何故か殺気と共に主人から放たれた質問に答えようとする。
「ちんちんがどーだとか、喉がピンクでこーだとか、その辺りから………って、はえ?」
その目の前に、不自然なほど突然にナイフが出現し、そのまま少女の頭と合体した。
「いぎなり何するんディスか、咲夜さん!」
「いいこと美鈴。今貴方が見聞きした事は、全て夢、幻。
間違っても、他の妖怪や変な人間達に言い触らそうだなんて思わない事ね?」
「そーゆー警告は、出来れば攻撃前にお願いしたいんですが……
つーか、始めっから言い触らす気なんて無…………イ!?」
二本目追加。
「死ぬっ! 頭にナイフとかイったら、普通に死ぬる~~~ッ!!」
「口答えだなんて、美鈴のクセに生意気よ!」
少女は思う。こんにゃろう、アンタなんて、剛田咲夜とか、十六夜邪威暗とかに改名した方がよっぽどお似合いッス
よ、と。でも口には出さない。出したら、三本目が追加だから。
「って……………ぎにゅうああ!?」
「貴方今、何かとても失礼な事考えたでしょ?」
口に出さなくても、結果は同じだった。
「……美鈴のお陰で、何とか場が収まったわね」
パチュリーは、やれやれと安堵の息を洩らした。
紅 美鈴。湖外からやってくる侵入者の積極的排除を仕事とする、スカーレット警備隊のキャップ。
冷静そうに見えて意外と暴走し易いレミリアや咲夜も、美鈴の前では、途端に厳しくて冷酷で理不尽な上司に変貌
する。どれだけ収拾のつかなくなった場面でも、彼女が登場すれば、その存在自体がオチとなって全て丸く収まる。
正に、紅魔館の救世主とも呼べる存在。米利堅風に言うなら、scapegoatと言うやつだ。
「――で、用が有ったんでしょう。何、美鈴?」
「あ、ハイ、実は……」
自身に生える三本のそそり立つアレもそのままに、美鈴はメイド長の質問に答える。
「……ほら! もう大丈夫だから、出てきなさい!」
後ろに振り返って呼び掛ける。
その声に応えて、ゆっくりと、小さな身体が柱の影から出てきた。それは―――
「……ねぇ咲夜。今日のティータイムには、ミートパイが食べたいわ」
「そうですわね、お嬢様。丁度、良い材料も手に入った事ですし」
二人の会話に、折角姿を現しかけた少女が大慌てで再び柱の後ろに逃げ込んでしまった。
「ちょっと、お二人共! いきなりブラックなジョークをかまさないで下さいよ!? あの子が怖がってるじゃない
ですか~~………」
「……あの兎、食材として連れてきたんじゃないの?」
真顔で聞き返すメイド。冗談を言っている様子は微塵も伺えない。
「違いますよ!
ほら、てゐちゃん! この人達が言っているのは質の悪い冗談だから、心配しなくてホント大丈夫!」
「……ほんとですかぁ」
てゐと呼ばれた少女が、柱の後ろからその長い耳だけを覗かせる。
「大丈夫、ですよね……――――!」
念を押す様に言いながら、美鈴は咲夜とレミリアをキッと睨みつける。
自身が弄られるのは構わないが、他の者が酷い目に遭うのは黙って見ていられない。それが、紅 美鈴という少女
である。その点が、メイド長と主人が彼女を気に入る、一番の理由だった。
「冗談よ、ね、咲夜?」
「冗談です、そうですよね、お嬢様?」
「―――わかったですぅ……」
まだ少し警戒するそぶりを見せながらも、てゐは柱の影から姿を現した。
「!貴方、その格好……」
「驚いたでしょう、咲夜さん?」
因幡 てゐ。永遠亭に住む大量の兎のリーダーである。彼女が今、その白い服の所々を破損させた弱々しい姿で、
紅魔館の廊下に立っている。ただならぬ事態が起こったのは、明白だった。
「さっき突然、この子が一人こんな格好で、門の所に来たんです。幸い、怪我という怪我は無かったんですけど、
ちょっとこれはただ事じゃないぞ、と思って、それで、お嬢様達にご判断を伺おうと連れて来たんです。
どうしm
「とても良い格好ね」
美鈴の言葉を遮って、穏当でない科白が聞こえてきた。じゅるり、という、瀟洒という言葉からは余りにも掛け離れた
音と共に。
「…ハイ? 何か言いましたか、咲夜さん……?」
「フワフワモコモコの兎耳を持った素足幼女が、その白いワンピをボロボロにさせて、其処から柔らかそうな素肌が
覗いている……
何て素晴らしい格好! 神ですか、貴方はッ!?」
鼻からMELTYなBLOODを大量に滴らせながら、天を仰いで喜びの歌を奏でるメイド。
「な、なんなんですか!?
この、このみのようじょをみつけてきょうきらんぶする、ペドフィリアなはんざいよびぐんさんをほうふつとさせる
おねえさんは!? こわいですっ! さっきまでとはべつのいみで、みのきけんをかんじるですぅ~~~っ!!」
怯えながらてゐの放った言葉は、一見的外れの暴言に見えて、その実、哀しい迄に正鵠を得ていた。
十六夜咲夜。“完全で瀟洒な従者”の二つ名をを持つ彼女はまた、紅魔館が幻想郷に誇る“健全で容赦ないロリ専の狗
畜生”であったりもする。「美幼女大好きそれ以外はナイフの的」と言うのが、十六夜クオリティ。
何が彼女にここまでさせるのか、その秘された過去と関係があるのか、それは判らない。だが、現在の彼女が、幼女を
愛でる事を至高の目的とする悪魔メイドである事は間違い無い。
そんな彼女にとって、極上の美幼女姉妹が支配する紅魔館で働くという事は、正に天職としか言い様が無かった。
「……ふーん、そうなんだ。咲夜は、私よりあの兎の方がいいんだ」
拗ねた様に頬を膨らます主人に対し、従者は、いえ、そんな事はありませんわ、と無駄に優しく微笑む。
「私が心より愛するのはこの世で唯一人、レミリアお嬢様だけですわ。
あの兎は、まぁ愛玩動物みたいなものですとも、ええ。更に言うなれば、『愛』と言うよりはむしろ『玩』の方が
メインですから、心配しないで下さいな♪」
「ちょっとストップ咲夜さん!? NGです! このご時世、今の科白はかなりマズいです!! TVや新聞で、知識人
とか専門家とか言う職業の人達に思いっ切り叩かれますって!!!」
「何よ美鈴。兎が愛玩動物だ、って言う事に、一体何の問題があると言うの?」
「フツーの兎だったら邪魔無いですけど、この子は兎って言うかウサミミ幼女ですよ!? それを愛玩って、しかも、
『玩』がメインだしッ!」
「『玩』というのは、めでる、珍重する、なれ親しむ、を意味する語よ。別に問題無いじゃない」
「もてあそぶ、なぶる、なぐさみ物にする、むさぼる、って意味も有ります!」
「あら、詳しいわね」
「中国のあだ名は伊達じゃない!」
「ああそれにしても、美幼女をもてあそんで、なぶって、なぐさみ物にして、むさぼるだなんて、なんて素晴らしい情景
なのかしら…… 駄目! 私、もう、濡れちゃう! 濡れてイッt
「土水符『ノエキアンデリュージュ』」
往来で叫ぼうものなら間違い無く国家権力の狗のお世話になりそうな科白をのたまうメイドが、魔女の放った水弾に
吹き飛ばされる。
「……話が先に進まないから、少し静かにして頂戴、咲夜」
話の最中に文字通り水をさされた形となった咲夜だが、それで頭が冷えたのか、はい、申し訳ありませんと、素直に
頭を垂れた。その身体が濡れそぼっているのは、魔女の術による以外他に何の原因も無い、と、その場の全ての者が
信じた。そりゃもう、心の底から。
「……で、一体何があったの?」
興味が有るのか無いのか、いや、それ以前に、何を考えているのかも解しづらいじっとりとした視線を兎に向けて、
パチュリーが訊ねる。
「あうぅ、じつは、ですぅ……―――」
そうして彼女の口から語られた内容は、余りにも衝撃的なものであった。
永遠亭が、より正確に言うならばそれを取り仕切る八意 永琳が、幻想郷全土に対する侵攻計画を開始させた、と言う
のである。
主たる蓬莱山 輝夜はそれを黙認、永琳の弟子である鈴仙・優曇華院・イナバも師に従ったが、彼女等と違い地上の
出身であるてゐは、一人永琳の計画に反対。それに対し永琳は、
「たかが美幼女の貴方がこの私に意見するなんて、(人間年齢で言えば)5~10年早いわ! 私好みの美少女になって
から出直して来なさい!」と逆ギレし、てゐを反逆者(トリズナー)として追放。
命からがら逃げ出した彼女は、この危機を伝える為、幻想郷でもトップクラスの力を持つ紅魔館までやって来たと
言う。
「永琳め、何て馬鹿な事を……」
話を聞いて、メイドは恨めしそうに呟いた。
「女の子は幼い方が良いに決まっているのに、『美少女になってから出直せ』だなんて、全く、有り得ないわ……」
門番はツッコまない。ツッコんでも無駄だから。無駄なんだ…… 無駄だから嫌いなんだ。無駄無駄……
「……………………咲夜」
口元にその小さな手を当て、何事かを考えている様子でただ黙って話を聴いていたレミリアが、従者に命を下した。
「ミートパイの用意、お願いね」
「かしこまりました、お嬢様」
「ちょっとお二人共!? 今の話聴いてまたそのギャグですか!?」
堪らず美鈴がツッコミを入れる。兎幼女の命が懸かっているのだ。流石にこれは、黙って流せない。
「あのねぇ美鈴、今の話を聴いたからこそ、なのよ」
何が何だかまるで判っていない風な門番をよそに、友人の肩に手を置く吸血姫。
「今の話が本当だとして、パチェがあの薬師なら先ず何をする?」
友人の問いに、さも面倒臭そうに答える魔女。
「……そうね…
先ずは敵対しそうな勢力、特に、総合力では幻想郷一の紅魔館に対して、工作員でも送り込んで情報の収集や、場合に
よっては破壊活動でもさせて戦力の低下を狙うわ」
「それって……!この子がスパイって事ですか!?」
ようやく主の意を理解したのか、門番の顔に緊張が走る。
「ちがうですぅ! たしかに、おねえさんたちがてゐをうたがうのも、しかたがないのかもですけど……
でも、ほんとうですぅ! てゐはうそなんかいってないですぅ! しんじてですぅぅ!!」
その大きな瞳に涙を溢れさせ、必死の弁解を試みる少女。そこには確かに、嘘をついている様子は見えないが……
「でもね、嘘を言ってないって貴方、それをどうやって証明するの?」
言葉に詰まる少女。それを見てパチュリーは、友人の質問の意地悪さを思って、少しだけ兎に同情した。
否定的命題の証明の困難さ、つまり、『ない』という事を証明するのがどれほど難しい事なのか。『ある』を証明する
のは、実際にそれが出来るか否かは別として、方法としては非常に判り易い。証明すべきものそのものを持って来れば、
それが『ある』事の揺るぎない証拠となる。対して、『ない』を証明すると言うのは、例え如何に言を尽くし状況証拠を
揃えたところで、「隠れているだけ、見えない様になっているだけで、本当は『ある』のではないか?」と言われて
しまえば、完全な否定は出来ない。『ない』を持って来る、『ない』を見せる事など不可能だからだ。そういう意味で、
レミリアの質問は非常に意地の悪いものと言えた。
だが、と魔女は思う。今の状況ではこれも仕方無いな、と。
確かに、スパイとしては余りにもあからさま過ぎる気がしないでもない。もし永遠亭が本気で戦いを始める気なので
あれば、その事は伏せて、単なる客人に偽装させて工作員を送り込んだ方が良策の筈だ。美鈴程のお人好しでなければ、
今の状況では誰だっててゐを疑うのが普通であろう。が、それを見越しての二重のフェイクの可能性もある。紅魔館と
それほど親交の深い訳でもない永遠亭が、突然に客人を送って寄越したならば、それはそれで不自然だからだ。それ
こそ、永琳や輝夜クラスの人物が来るのでない限り。
まあ何にせよ、永遠亭が侵攻を始めるという話が真実なのであれば、この兎を紅魔館に置いておくのは余りにリスクが
高い。
「という訳で、咲夜、さっさとこの白兎を引ん剥いちゃって頂戴」
「はい! お嬢様! そりゃあもう、ジャンジャンバリバリ引ん剥かせていただきますともッ!!」
『引ん剥く』という単語に過剰反応したメイドが、大ハッスルこいて兎の首根っこを掴む。
「きゃううぅぅ~~! ころされてたべられるですぅ! カニバリズムですぅ~~~!!」
「安心なさい、てゐちゃん。
麻酔を使うとか、木の根っこに突進させてコロリだとか、そういう味気無い真似はしないわ。
ちゃんと時間をかけて、ゆっくりたっぷりじっくりどっぷりヤらせてもらうから(はぁと)」
「ぜんげんてっかいですぅ~! ていうか、ひとつついかですぅ~~!
おかされてころされてたべられるですぅぅぅっ!! エックスしていってヤツですうぅぅ!?」
ナイフを持ち歪んだ笑みを浮かべた殺人鬼が、泣き叫ぶ幼女を引き摺って行くというホラーな光景。
そんな、良識的から『し』が一つ抜け落ちた光景を前にしながらも、主の言葉を考えて門番は身動きできない。
「あっらこんなぁ所に兎肉が タッマネーギータァマネギあったぁわねっ♪」
軽やかな歌声と共に、台所と言う名の地獄への扉が開こうとした、正にその瞬間、
「待って下さい、咲夜様!」
天使の様な悪魔が、いや、悪魔の名を持つ天使が舞い降りた。
「何よ小悪魔。て言うか、何で司書の貴方がこんな所に居るの?」
「さっきパチュリー様に呼び出されたんです」
メイドへの返答を聞いて、パチュリーは、ああ、そう言えばそんな伏線も在ったかしら、と他人事の様に呟いた。
小悪魔。その何処となく淫靡な響きを持つ名とは裏腹に、館内一の常識の持ち主であり、紅魔館の良心とも称される
少女。ヴワル魔法図書館の司書、と言うよりは、まあ、図書委員の女の子、といった方が似合うかもしれない。あだ名を
付けるとしたら、『本屋ちゃん』とかそんな感じだ。
「そんな事より、そんな小さい子相手に、一体何をやっているんですか!?」
「ああコレ? 館内に侵入した敵工作員を、拉致して監禁して拷問しようとか、そういう事だけれど?」
「!何て事を…… 咲夜様、貴方それでも人間ですか? 貴方の血は何色なんですかッ!?」
いや赤だけど、と答えながら、悪魔にこんな事を言われている自分の状況を不思議に思う咲夜。
「美鈴様も、何で黙って見ているんですか!」
「!……いや、それは…その………」
同僚の女の子の前で婚約者に抱き着かれ困り果てた少年並に歯切れの悪い反応を返しながらも、メイリンは小悪魔に
今の状況を説明した。
「――――と言う訳なのよ…」
「……なるほど、判りました……」
でも、と彼女は続ける。
「この子がスパイだ、っていう証拠があるわけでもないのでしょう?
それに、万が一そうであったとしても、もうちょっと人道に適った扱い方と言うものがあるじゃないですか!」
それを聴いて彼女の上司とも言える魔女は、なるほど正論ね、と得心する。
だがそれは、あくまでも平時の場合の話だ。事と次第によっては大きな戦が始まる可能性のある現在の状況で、そんな
優しい事を言っていては足元を掬われかねない。と言うか、悪魔の支配する館で人道も何も無い気もする。唯一人の
人間も、明らかに人として間違った方向に進んでいる(主に性癖の面で)、そんな鬼畜メイデンだ。
とは言え、小悪魔は意外に頑固な面が有る。どうやって説得したものか。そうパチュリーが思案していると、
「――判ったわ、貴方がちゃんと面倒を見ると言うのなら、この子を飼っても良いわ」
状況を動かす一言が発せられた。
「本当ですか、お嬢様? やった――――っ!」
スパイの扱い云々と言う話が一瞬にして、ペットを飼いたい娘とそれを渋々認める母親の会話にすり替わっていた。
「実は私、子供の頃から猫さんとか兎さんとか好きで、でも、ウチの実家って万魔殿(マンション)だから母が許して
くれなくて…… あ、それに、私一人っ子だから、妹も欲しかったんです!」
有難う御座いますと、元気良くレミリアに礼をする小悪魔。ペットと妹を同列に扱う様な発言もどうかと思うが、人
(の様な者)と獣(の様な者)の境界が曖昧な幻想郷に於いては、これも仕方無いのであろう。因みに、外の世界で
コレをやってしまうと、家族会議開催は必至なので要注意である。
「ああ、良かったぁ…――」
その大きな胸に手を当て、安堵の息を洩らす門番。
「お嬢様がそう言うなら仕方無いわね。
いいこと、小悪魔。トイレの躾はしっかりなさい。ただ、どうしても巧く躾けられない様だったら、その時は私に言い
なさい。て言うか、ぶっちゃけトイレの躾に関しては初めから私に任せなさい。手取り足取りナニ取り教え込んであげる
から。
それと、その子の為の首輪とか鎖とか檻とかも私が用意するから。て言うか、もう既に用意してあるから。れみりゃ
様用に用意しゲフンッゲフンッ!
あ、あとね、ペットに可愛い洋服を着せるのって、それって傲慢な飼い主の身勝手な自己満足じゃないかと私は常々
思っているのよ。でも、靴下だけとかならそれはそれで構わないと思うわ? 帽子とランドセルもOKよ?? それと、
リコーダーは充分に濡らしておけばそんなに痛くないわ??? 直名札は、流石にお奨め出来ないけど????」
「……咲夜さんみたいな人を見てると、警察の必要性ってのを心の底から思い知らされます」
迂闊なチャイナの頭に、四本目追加。
「血が! スーパーブローを喰らって地面に頭から墜落した時並の大量の血がッ!?」
「幻想郷に、刑事は要らない…」
そう言い放つ紫(notゆかり)の瞳は、まるで獲物を睨む蛇の様で、確かに、警察や刑事が居たところで無意味に
思える。このメイドには、監獄よりふさわしい場所が在る。地獄だ。どんなスーパー弁護士でも、彼女の様な犯罪怪獣
ペドラを前にすれば、そう言うしか無いだろう。ジャッジメントを受けたならば、間違いなく×でデリート許可である。
喜ぶ図書委員。痛がる門番。鼻血に涎のメイド。
唯一人、魔女だけが、この成り行きに不安を感じていた。
「レミィ、本当に良いの?」
大丈夫よパチェ、と、吸血姫は友人に笑みを返す。
「―――私達の勝利は、既に視えているから。ちょっとくらいは波乱があった方が面白いでしょ?」
その言葉が彼女の能力から来るものなのか、それとも単なる慢心なのか、パチュリーには判断がつき兼ねた。
「………三敗目にならなければ良いのだけど」
部屋の中に放って置かれたままの将棋盤を見遣りながら、誰へともなく魔女はぼやいた。
それから半月の間に、彼女、因幡 てゐは、完全に紅魔館に溶け込んでいた。
彼女はその甘ったるい外見や言葉遣いからは考えられない程、利発でよく働く子だった。
料理の手伝いや掃除等、与えられた仕事は全て完璧に遣り遂げ、常に明るい笑顔を絶やさない。瞬く間に彼女は、紅魔
館のマスコットとしての地位を確立していった。
時には、レミリアに部屋まで呼び出され、将棋の相手をさせられる事もあった。
因みに、幻想郷としては珍しく明らかに西洋的な生活様式をしている紅魔館で、何故主人がチェス等ではなく将棋に
興じているのかと言えば、それはメイド長の趣味だったりする。彼女曰く、
「ロリッ娘の小さな手が将棋の駒をつまみ、プロの棋士のそれとは違ってどこかたどたどしくも盤上にタシッ!とやる
姿は、穢れたこの世に天から無垢なる御使いが舞い降りてくる光景をすら彷彿とさせる、正にミケランジェロ的美の
極致、言うなれば神の座への入り口なのよ!?」との事だった。イタリア-ルネサンスを代表する巨匠も、ペドリオンが
自らの行いを正当化する為の引き合いとされてしまっては、いい迷惑であるに違いない。
それは兎も角、てゐがレミリアと勝負をしても、てゐが勝つ事は一度も無かった。
レミリアは自陣に文字通り反則的な手駒を揃えているのだから、勝ち目が無いのは当然とも言えたが、たとえ
レミリアがどんなに手を抜いたり油断をしても、あと一歩まで追い詰める、という事はあっても、決しててゐが勝つ事は
無かった。
それが、我が侭お嬢様の気に入った。そこそこの緊張感が味わえて、且つ自分の負けは無いからである。
しかし、たまにパチュリーとの対局が組まれると、二人の勝負はほぼ互角のものとなった。
パチュリーは将棋の経験が豊富な訳ではないが、それでも、生来の優秀な頭脳と本から得た知識もあり、中級者以上の
実力は有った。そんな彼女と、てゐは互角の勝負を演じてみせる。序盤では大概パチュリーが優勢なのだが、終盤になる
としつこく食いついてくる。寄せの速さは並ではない。どう考えても、油断したレミリア相手に一勝も出来ないレベル
ではないのだ。
それが、魔女には気に喰わなかった。
そんな魔女に対し、永遠亭に居た頃から永琳や輝夜の相手をしていた為、と白兎は笑う。
魔女の疑念は、膨らむばかりだった。
【Dooms day 12:00 NEW MOON】
「れんれんれみりゃ れみりゃれみーりゃりゃー れーみりゃりゃれみりゃりゃ
れんれんれみりゃ れみりゃれみりゃりゃー れーみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ
れんれんれみりゃ れみりゃれみーりゃりゃー れーみりゃりゃれみりゃりゃ
れんれんれみりゃ れみりゃれみりゃりゃー れーみりゃれみりゃれみりゃれみりゃ
萃夢想のドット絵も 幼すぎるわー♪」
相も変らぬ絶望的な鼻歌(二番)を謳いながら、紅茶を淹れる為のお湯を沸かすメイド。
その背後に、音も無く一つの影が降り立った。
「……ご苦労様。で、どうだったかしら?」
振り返る事も無く、影に向かって訪ねる咲夜。
「変わらず、です。竹林は勿論の事、幻想郷の何処にも永遠亭の存在は確認できません」
影が応える。ややハスキーがかった女声で。
彼女は、紅魔館メイド隊の中でも特に諜報活動に秀でた者達で作られたチーム、通称『隠密』のリーダーである。
半月前の来訪者との接触直後、咲夜は、彼女ら隠密に命じて永遠亭の動向を探らせた。しかし、その時には既に、
竹林には永遠亭の姿は無かった。その後も範囲を幻想郷全体に広げての捜索が行われているが、未だに発見には至って
いない。
永琳の空間操術によるものか、はたまた月の兎の催眠術か。いずれにせよ、前回の異変以前と同じく、その姿を隠した
永遠亭。何か良からぬ事が起きつつあるのは、もはや疑い無かった。
「貴方達は引き続き、調査に当たって頂戴」
「御意。
……と、それはさておき、隊長、先程の歌なのですが、いくら何でもあれは流石に―――」
何かを言い掛けた影の足元に、鈍い光を放つ白刃が放たれた。
「………失言でした」
「構わないわ。それよりも、お願いね」
再び御意、とだけ答え、現れた時と同じく、音も無く消え失せる影。
その気配が完全に無くなったのを確認してから、咲夜はふぅっ、と軽く息を吐き、背後に在る戸棚にもたれ掛かった。
この半月間、彼女とパチュリーは、今回の永遠亭の動きを白玉楼と博麗の巫女にも伝える様、何度かレミリアに進言
した。だがその度に、「未だ確定していない情報を振り撒いて、徒に混乱を広げるべきではない」という理由で退け
られていた。一見尤もらしい言葉だが、紅魔館が他の勢力に助けを求めている様に思われたくない、というのが実際の
所であろう。だからこそ、隠密を動かし『確たる証拠』を掴もうとしていたのだが、それも未だ果たせていない。
今日は新月。吸血鬼の力が最も低下する日だ。翻って永遠亭の面々は、先の異変を見る限りその力は月齢に依拠して
いる訳でも無いらしい(或いは、彼女等『自身』が満月の力を内包しているのか)。月の兎に至っては、新(真)月に
関連したスペルを持つくらいだ。何か仕掛けて来るとしたら、今日を置いて他に無い。
「ここは一つ、サクヤの名を持つ私が気合入れなきゃね――――って、あっ」
己が名の『咲』と『朔』を引っ掛けた決意表明をしたメイドは、そこで初めて、目の前の湯がとうの昔に沸騰して
しまっていた事に気が付いた。
「ちゃ~~~……… 私とした事が……」
紅茶を淹れるにはしっかり沸騰したお湯を使うのが基本ではあるが、余り長時間沸騰させてしまうと水の中の空気が
逃げてしまい、紅茶の味が落ちてしまう。
これでは先が思いやられる、と己の迂闊さを呪いながら、今度は、自身とその周辺以外の時を止めて、再び湯を
沸かし始めた。幼児退行した極上幼女……もとい、敬愛する主人に、とびきりの紅茶を目覚めの一杯として供する為に。
「打拳が鬼のメイィドを一捻り~ それゆけチャンスだメイーリン! 燃えーろメイーリン~♪」
メイド長が聞いたなら素晴らしき惨殺空間発生は必至な自分応援歌を(小声で)歌いながら、門の前でボーッと空を
見詰める門番。気分は、大歓声の中無死満塁で打席に立つ頼れるアニキそのものだ。そんな彼女の心の中では、萃夢想
ver1.11が大好評稼動中だった。美鈴VS咲夜。美鈴の連環撃の前に、咲夜は手も足もナイフも出ない。
「甘いですよ咲夜さん! 格闘では私の方に分が有りますッ!」
萃夢想は弾幕アクションであって格ゲーではない、とのツッコミを入れる者も無く、青空に向かって格好良い科白を
放つ彼女は、今間違い無く、幸せの絶頂に居た(心の中で)。
「……って、何虚しい事やってるのよ、自分…」
割とあっさり、幸せの絶頂から現実と言う名の不幸のどん底まで降りて来た美鈴。いつまでも空想に浸っていられる
程、門番の仕事と言うのは暇ではない……と言いたい所だが、実際には、彼女はとても暇だった。
「最近は紅白や黒白もあんま来ないしなぁ……」
霊夢や魔理沙は来なくとも、高位の悪魔であるレミリアを倒して名を揚げよう、などという愚か者がちょくちょく来る
事はあったのだが、そんな者の相手は、美鈴にとっては暇潰しにもならない程度の些事なのだ。
「にしてもねぇ、連環撃って、通常技の連撃と言うよりは連続入力による専用技に近いから、読み仮名を振るとしたら
チェーンコンボよりもコンビネーションアーツとかターゲットコンボって感じよね。つーか、あの攻撃力の低さは何?
見た目は何て言うか『風雲の紅龍』みたいな感じで格好良いのに、もしかして私、扱い的には最強流とかそんな感じ
だったりする!?」
他人が聞いても今一つ理解しづらい妙にマニアックな愚痴を、青い空に向かって呟く門番。肌を撫でる優しい風が、
今の彼女には何故か少し哀しかった。
「そもそもさぁ、咲夜さんと戦った後の勝ち科白、
『貴方もまだまだね、咲夜!』みたいのを期待してたのに、何と言うか、アレだと、むしろ私が負けてるッポイし……
そりゃまぁ、二次創作の色が強い、って言われればそうなのかも知れないけど、だけど、やっぱり、私が咲夜さんより
立場が下、ってのはもう準公式みたいな感じで決定項なのかなぁ……
―――いやいや、まだ望みはあるわ。文花帖で、美鈴は咲夜の先輩に当たる人物です、実は偉いです!、みたいな裏
設定が暴露されるのを期待し………――――!」
何者かの接近を感知し、延々と続けられていた愚痴が止められる。雑魚妖怪のそれとは、明らかに格の違う霊圧。
久々に現れたまともな仕事相手を前に、門番は静かに構えをとる。
その視界に現れた少女、それは、
「……久しぶりね、美鈴」
狂気の月の兎。
「……レイセン―――!」
貴き花を咲かせる霊木をその名に冠した、永遠亭のNo.3。
「………ひっさし振り~~!! 元気にしてたぁ?」
先程迄の緊張感がまるで嘘であったかの様に、親しげな笑みを相手に送る門番。
紅 美鈴と鈴仙・優曇華院・イナバ。
共に萌え系なヴィジュアルとかなりの実力を持ちながらも、本名を呼ばれる事も無く弄られキャラとして扱われ、
所属組織の実質的ヒエラルキーでは最下層、銀髪の鬼上司にジュネーブ条約もそっちのけな虐待を受けている、といった
似通った境遇に在る彼女等は、初対面の時から互いに相手の事を他人とは思えず、二人はすぐに友人となった。
「レイセンってば、ここんトコ連絡がつかなかったもんだから、医療ミスとか安楽死とか、そういう新聞の社会面に
載っちゃいそうな事態になってるんじゃないかって、心配してたのよ~?」
「ひっどいわね~! 美鈴こそ、相変わらずナイフで切られたり刺されたりしてるんでしょ? そっちの方が、よっぽど
新聞沙汰じゃない」
それもそうだ、と舌を出して笑う。それを見て、鈴仙も笑う。
余りにも物騒な日常を話しながらも、楽しそうに笑い合う二人の少女。
「立ち話もなんだしさ、詰め所に入ってよ。お茶淹れるからさ。それに――――」
そこで美鈴は言葉を切った。その先の言葉に、僅かな躊躇いがあった。
目の前の相手は、自分の大切な友人である。けれども、今は同時に――――
「――――色々と訊きたい事も…あるしさ?」
自分の中の躊躇いを悟られない様に、努めて明るく振舞う。
「………その事なんだけど、ね……」
鈴仙の表情が曇る。それだけで、彼女の言わんとしている事が美鈴には理解できてしまった。
「今日は、美鈴に用が有って来たんじゃないのよ……」
予想は出来ていた、けれども、出来れば避けたかった事態。
「……てゐちゃん、なの?」
「やっぱり此処に居るのね、てゐ。
……彼女を、引き渡して欲しいんだけど」
「何故あの娘を連れて行くの? 連れ帰って、どうするの?」
次第に詰問調になっていく自分自身に、美鈴はどうしようもない嫌悪を覚える。だが、ここは退く訳にはいかな
かった。
「それは、言えない」
「言えないなら、あの娘は渡せない」
「どうしても?」
「どうしても」
風が吹いた。先程迄とは違う、強く冷たい風。
「――ならば、力ずくでも押し通る………!」
「!戦うというの、紅魔三巨頭の一角である、この私と………!」
月兎の周りに銃のそれを模した弾丸が、門番の周囲には七色に輝く苦無が、無数に浮かび上がる。
「貴方は友達よ、でも…」
「…そうね。こうなるのも、運命だったのかも知れない」
少女達の哀しみに、風が哭いた。
「「私と貴方は、戦う事でしか解り合えない!」」
戦いの火蓋が、切って落とされた。
「ラ ジ カ ル バ ハ マ ♪
バハマと言ったら中南米!」
「ちゅうなんべいといったらぁ……ジャマイカ!」
「ジャマイカと言ったら貴水博之!」
「たかみひろゆき!? たかみひろゆきといったら……ぁ……あぅ~~」
「ブーッ! 時間切れ。お姉さまの負け~!」
「フランずるいっ! たかみひろゆきってなによ! ぜんぜんわかんないわよ~~!」
二人の少女が、部屋に敷き詰められた絨毯の上で言葉遊びに興じている。
自分の勝利にきゃっきゃと笑う金髪の少女の前で、彼女にお姉さまと呼ばれた、けれども明らかに年少の少女は、口を
『へ』の字に結びながら両手でバンバンと床を叩く。
「ん~~! ん~~! ん~~~っ!!」
「あっはは! ホント、新月のお姉様って可愛いー♪」
言いながら、ぷっくりと膨らんだ姉の頬を指で突っつく。
「プニプニしてて気持ちいい~♪」
「なによー! フランのがいもうとのクセにぃ~~!」
半分泣き顔になりながら、妹に頭から突進する幼い姉、レミリア改め、新月の影響で幼児退行したれみりゃ。
そんな姉が可愛くて可愛くて仕方が無く、からかって怒らせて喜ぶ妹、フランドール・スカーレット。
仲睦まじくじゃれ合う二人を、部屋の扉の隙間から、紅く光る二つの眼が見詰めていた。
「幼女が……より幼き幼女を相手にお姉さんぶっている……ふ、ふふふふふ………
とても良い光景ですわ、妹様……
そして、れみりゃ様… ああ、私も、あの可愛らしくプックリしたほっぺをツンツンプニプニしたい! いえむしろ、
れみりゃ様のちっちゃなおててで、私のほっぺをツンツンムニュムニュして欲しい…ッ!
もしそんな事になったら私、余りの嬉しさに
『バブバブ、さくやうれちいでちゅ~』とか幼児どころかむしろ赤ん坊にまで退行すること間違い無しだわ!?
そんな私に妹様が見下した眼で
『咲夜ったら甘えん坊ねぇ。何? お腹でも減ってるの?』とか話の流れを完全無視のやけに私に都合の良い展開で
その小さな胸をアレしてコレして、それを見たれみりゃ様が、
『フランばっかりズルいぃ~! わたしもさくやにあげるの~っ!』だなんて……
く、くふふふふ…… 幼女相手の逆転幼児プレイ……
私ならいつでも準備OKですわ、妹様、れみりゃ様?」
何処からかおしゃぶりと涎掛けを取り出し、いそいそと装着し始めるメイド長。ティーワゴン上の紅茶に鼻血が滴り
落ちているが、吸血姉妹に出す物なのだからと、別に気にしない。むしろ、愛の籠もった隠し味などと考えている。
「うふふふふ…… とても美味しいですわ。お二人から流れ出る白くて甘いトロトr
「隊長! 大変です隊長!!」
身を掻きむしりながら、熱に浮かされた様にブツブツと喋る咲夜の前に、一人のメイドが血相を変えて駆け寄って
来た。
「何よ一体。折角、これから本番開始という所だったのに……」
「本番と言うのが何の事だか判りたくもありませんが、そんな事よりも大変なんです! 隊ちょ…………お?」
「?何。用が有るなら早く言いなさい」
釣り上げられた魚の如く口をパクパクさせる部下を前に、咲夜の顔が次第に不機嫌なものになる。だが、火急の事態を
告げに来た筈のメイドは、目の前の異状に言葉を失っていた。
―――なんでこの人、おしゃぶりと涎掛けなんてしてるの………!?
目の前の上司が、鼻から赤くて鉄臭いトロトロの液体を滴らせてハァハァしている事は、まぁよくある事である。
それを見た新人がショックの余り辞める、などというのも日常茶飯事だ。その程度の事で驚きはしない。
だが流石に、完全で瀟洒とまで言われたメイド長が、赤子の付ける様な物を身に纏っている光景などはついぞ見た事が
無い。
ここは、ツッコミを入れるべき場面なのだろうか。いや、明らかにツッコまざるを得ない状況なのは確かなのだが、
そんな事をすれば何か大事なものが消えてしまいそうな、言い知れぬ不安感がある。具体的に言うと命とか。
言うべきか、言わざるべきか、二つに一つ……
「ちょっと! 用が有るなら早くなさい、って言っているでしょう? 大変って、何が大変なの!?」
「え!? あ、その!? そうそう、へんた………いへん……
た、大変なんです、隊長!!」
選んだ選択肢:無視を決め込む
「……だから、何が大変なのか、って訊いてるんだけど?」
「敵襲です!」
「敵襲ってまさか、永遠亭!?」
「はい!」
おしゃぶりと涎掛け……
「で、敵の数は?」
「確認できているのは鈴仙・優曇華院・イナバ一体のみ。現在、門前で美鈴様と交戦中の模様!」
――おしゃぶりと涎掛け……
「恐らくは彼女は斥候、みたいなものでしょうね。高々No.3如きが一人で落せるほど紅魔館は甘くない、なんて事
くらい、向こうも充分承知しているでしょうし。
此方の探査結界にギリギリ引っ掛からない地点で、既に敵部隊が展開していると考えるのが妥当ね」
「迎撃に出ますか?」
――おしゃぶりと涎掛け………
「いえ、取り敢えずは美鈴に任せて、メイド隊は館内の守りを固める。それと、図書館の方にはもうこの事は伝わって
いるの?」
「いえ、これからです」
――おしゃぶりと涎掛け………!
「そう。なら、館内の防御結界を全てアクティブにするよう、急いで伝えて頂戴。
私はれみりゃ様と妹様を連れて、地下司令室に向かいます。貴方も報告が済んだら、急いで持ち場に着くように!」
「了解です、隊長!」
背筋を伸ばした美しい姿勢で敬礼をしてから、大急ぎで図書館に向かって飛んで行くメイド。
彼女の心の中では今、余計な事を何も言わずに耐え切った自分を誉めたい気持ちで一杯だった。
「さて、と……」
部下の背中を見送った後、咲夜は主人の部屋の扉へと振り向く。
戦いが本当に始まってしまった事にショックが無い、と言えば嘘になるが、取り敢えず今の所は、予想していた範囲を
過ぎる程の事態にはなっていない。
「『図書館の面倒事』の方はパチュリー様が巧くやってくれるでしょうし、美鈴も、まぁ、簡単には負けないでしょうし
…… 今は先ず、お二人を安全な所へ連れて行くのが先決よね」
普段なら兎も角、今の主人に現在の状況を知らせて要らぬ心労をかけるのは忍びない。
出来る限りの笑顔を作り上げてから、咲夜は扉を開いた。
「失礼致します、お嬢様、妹様」
「あ、咲夜」
「おはよ~、さくや!」
妹にからかわれ泣く寸前であった顔が、咲夜が顔を出した途端、満面の笑顔へと変わる。
「こうちゃ♪ こっうちゃっ♪
ねえねぇ、おかしはないの? ケーキは? タルトは?」
「それでしたら、別のお部屋に用意し……」
「ねぇ咲夜」
幼い主を連れ出す為、それとなく話を誘導しようとした咲夜の言葉が、フランドールによって遮られた。
「何だか外で、面白い事が起きてるみたいなんだけど?」
咲夜は心の中で舌を巻いた。出来れば戦いの事は伏せておきたかったが、そうはいかないらしい。
「魔理沙や霊夢じゃないみたいだけど… 何だか面白そうなのが来てるわよね。
ねぇ咲夜、私も遊びに行っていい? お姉様と一緒に」
「!なりません、妹様!! お二人には今すぐ、ロビー地下の司令室まで来ていただきます」
咲夜のケチぃ~、と頬を膨らませるフランドール。その様が余りにも可愛らしくついつい抱きしめたい衝動に駆られる
咲夜だったが、残念ながら今はそれどころではない。
「今日は新月、しかも今は昼間です。もしもの事があったらどうするんですか!」
「大丈夫よー」
「例え妹様が大丈夫であったとしても、お嬢様はどうなるんです? 何かあったとき、絶対にお嬢様も守り切れると断言
できるのですか?」
「それは……」
言葉に詰まって姉の顔を見る。不安の色が強く出た顔を。
「さくや… かおがこわくなってる……」
「!……申し訳ありません、お嬢様。
でも大丈夫です。怖い事なんて、何もありませんから…… ただ今日のティータイムは、いつもと違うお部屋でどう
ですか、と、それだけの事ですわ」
「ほんとう……?」
「はい、本当です。お菓子もたぁーっくさん、用意しています。暫くすれば、竹の花の入った珍しいケーキもお出し
出来ると思いますわ。
ですから、さ、行きましょう?」
お菓子という言葉に反応して、れみりゃの顔がパーッと明るくなった。それを見て、メイドは安堵の息を洩らす。
「妹様も宜しいですね?」
「はーい、わかりましたー」
納得はしていない様だが、やはり姉の安全は大事らしかった。渋々頷きながら、フランドールはれみりゃを抱き
かかえた。
「て言うか咲夜、今の科白って、何だか誘拐犯みたいよね」
「あら、失礼ですわ、妹様」
少し怒った顔をしてから、すぐに小さく笑って答える。
「私がかぁいい女の子を拐かす時には、お菓子なんかで釣ったりせず、時を止めて直接お持ち帰り、ですわ(はぁと)」
美鈴あたりが居たら『ツッコミ⇒カウンターでナイフ』となりそうな場面だが、常識というものに余り明るくない
悪魔の妹は、ああ、そんなものなのか、と普通に納得している。姉に至っては、会話の中身自体が理解できていない。
「それでは行きますよ、お嬢様、妹様」
「「はぁ~~い」」
「ところで、ねぇ、フラン。なんでさくやは、おとななのに、あんな、あかちゃんみたいなのつけてるのかな?」
「う~ん、人間独特の習慣みたいなもの、じゃない? 魔理沙だって、変な茸で小さくなった時にはあんなの着けてた
気もするし。多分」
「そーなのかー」
「――――という事です。では防御結界の発動、お願いします」
「……判りました。伝令、お疲れ様です」
一礼をして去って行くメイドを見ながら、小悪魔は溜め息を吐いた。
「……どうしたですか……?」
「てゐちゃん……」
先程まで一緒に遊んでいたてゐが、不安そうな瞳で小悪魔を見詰めてきた。
「……鈴仙さんが来たそうよ。今、美鈴様と戦っているみたいだけど………」
「レイセンちゃん……!」
てゐの身体が強張る。その幼い顔には、絶望の色がはっきりと読み取れた。
「……レイセンちゃんはきっと、えいりんさまのめいれいで、うらぎりもののてゐをつれもどしにきたです!
えいえんていにつれかえって、そんでもって、てゐのかわをぜんぶひっぺがしてかいすいにブチこんで、やっとこさ
はいあがってきたら、こんどはからだじゅうにしおをぬったくっててんびぼしにするという、かみさまもビックリな
ざんぎゃくこういをして、ざんぎゃくこういてあてをもらうつもりでまちがいなしですうぅっ!?」
恐怖の余りか錯乱気味にまくし立てるてゐの両肩に手を置き、その眼を真っ直ぐに見詰め、小悪魔が優しく話し
かける。
「大丈夫よ、てゐちゃん。
ああ見えて美鈴様はとても強いし、それに万が一美鈴様が敗れたとしても、紅魔館には色んな所に防御結界が張って
あるの。霊夢さんや紫さんみたいに無条件に結界を解除できる人や、魔理沙さんみたいに桁違いな火力を持っているので
ない限り、館に入る事だって簡単には出来ないわ」
「ぼーぎょけっかい……? そういえば、さっききたメイドのおねえさんも、そんなこといってたですが……
なんなんですか、それ?」
小悪魔の言葉が効いたのか、瞳に涙を浮かべながらも、やや落ち着いた様子でてゐが訊ねた。
「防御結界って言うのは、まぁ、魔法で造った壁、みたいな物ね。
普段でも門の周囲とかお嬢様の部屋とか、そういった大事な所に張ってある結界はずっと動かしているんだけど、それ
以外の所は休ませてあるの。さっきのメイドさんは、その休ませてある結界も全部動かして、ってそういう事を言いに
来たのよ」
「? けっかいって、としょかんでうごかしてるですか??」
「実はそうなのよ。この図書館には、数多くの魔導書と共に、大量の魔力も蓄積されているの。それを使って、館内の
色々な魔法設備を動かしているのよ。
普段は自動運転になっていて、今みたいな非常時には、本当はパチュリー様が動かすんだけど……」
そこで小悪魔は言葉を濁した。図書館の主である魔女は、いつもならば頼まれても外に出ようとしないくせに、今の
様な非常事態に限ってその姿が見当たらない。
頼りにならない上司に心の中で愚痴を言いながら、他とは明らかに違う豪奢な装飾を施された書棚から一際大きな魔導
書を取り出し、よっこいしょ、という掛け声と共に、近くの机の上に広げた。
それを、興味深そうにてゐが覗き込む。
「このおっきなごほんは、なんなんですかぁ?」
「これ?
これは、館内結界用のコンソール……操作盤みたいな物ね。この本に少しの魔力を注ぎ込む事で、館内の結界を自由に
動かしたり止めたり出来るの」
「それって……」
てゐの潤んだ瞳が、上目遣いに小悪魔を見詰める。
「おねえちゃんがけっかいをつかって、てゐをまもってくれるっていうことですか……?」
てゐの仕草と「おねえちゃん」という言葉が、小悪魔の心のナニかを強く叩いた。効果音で表すならズギュ――ン!と
いった感じだ。普段は、
「この人が外の世界に居られなくなった理由って、絶対(ピ――)な犯罪をヤッちゃったせいに違いない」などと冷めた
眼で見ていたメイド長の気持ちが、今の彼女には少し理解できる気がした。
「てゐちゃん~~!!」
堪らずに抱き着く。白兎の長い耳が丁度顔に当たる形になり、そのくすぐったさも、今の小悪魔にはいとおしくて仕方
が無かった。
「安心して、てゐちゃん! てゐちゃんは、お姉ちゃんが絶対に護るからねッ!!」
「く、くるしいですぅ~~!」
顔に当たるフサフサの耳が激しく動く。それで、小悪魔は正気に戻った。
「あ! ご、ゴメンね、てゐちゃん!」
慌てててゐを離す小悪魔の顔は、その耳まで真っ赤になっていた。それを見て、てゐはクスクス笑った。
「もぅ~、おねえちゃんってば、ちょっとはおちついてですぅ~」
「あ、あはははは…… ゴメンね、てゐちゃん。そうよね、私が落ち着かないでどうするのよね……
そ、そうだ! 珈琲淹れてあげるっ。あったかい珈琲飲めば落ち着くわよね、うん! てゐちゃんも飲むでしょっ?」
そそくさと立ち去る小悪魔の背中に向かって、てゐは、
「――ありがとですぅ」
その口の端を奇妙に歪めた。
「きゃあ!」
「くうぅ!?」
美鈴と鈴仙の身体が、お互いの丁度中間で起きた爆風によって吹き飛ばされる。
「初撃は……」
「……全くの互角!」
両者共すぐさまに起き上がり、ニ撃目を放たんと体勢を立て直す。
「テュホン・レイジ!」
先に仕掛けたのは美鈴だった。高速の蹴上げが小規模な竜巻を発生させる。
「わひゃあ!?」
突風に捲られるスカートに気を取られ、一瞬鈴仙の注意が逸れた。
「そこぉッ!!」
その一瞬を、美鈴は見逃さない。
「螺光歩!」
地面に足型を残す程の強い踏み込みから繰り出される、『気』を込めた拳を突き出しての突進撃。
「って、アレ??」
だが、確実に相手を捉えた筈の一撃は、掠りもしないどころか一メートルは標的からずれていた。
「流石ね、レイセン。兎だけあって、逃げ足はかなりのものじゃない?」
動揺を隠す様に軽口を叩く。そんな美鈴を、鈴仙は鼻で笑う。
「何を言っているの? 私は、一歩も動いてはいないわよ」
その周囲に、一重の輪をなした弾幕が現れた。
「波符『赤眼催眠(マインドシェイカー)』!」
「くっ!?」
咄嗟に身を翻し、弾幕を避ける美鈴。だが、
「きゃぁあっ!?」
確かにかわした筈の弾丸が、美鈴の身体に撃ち込まれる。
「一体どういう……」
当たる筈の攻撃が当たらない。当たらない筈の攻撃が当たる。地面に片膝をつきながら、何かが狂っている事に美鈴は
気付いた。
「何が起こっているのか判らないって目ね」
双眸を赤く禍々しく輝かせながら、月の兎が美鈴を見下ろす。
「……教えてあげる。
私の能力は狂気を操る程度の能力。私の目を見た者は距離感・方向感を狂わされ、真っ直ぐに進む事すら出来なく
なる。そう、右も左も、上も下も…… 貴方はもう方向が狂って見えている。
美鈴、貴方は弾幕も使うけど、最も得意とする戦法は近接しての格闘戦でしょう? けれど、私の術に嵌った今の貴方
では、どう足掻いても私に指一本触れる事すら出来はしない。
判るかしら? 戦闘に関して言えば、私と美鈴の相性は最悪なのよ」
鈴仙の言葉に、美鈴は応えない。戦意を失ったのか、ただ黙って俯いているのみで、その表情はうかがえない。
「……ねぇ美鈴、勝負はついたわ。
師匠の命令で此処まで来たけど、やっぱり貴方とは戦いたくない。大人しく退いてもらえ――――」
瞬間、
「はえ?」
軽い衝撃と共に、鈴仙の両足が宙に浮く。
「あだっ!」
突然の事に受身も取れず、臀部から地面に叩きつけられる。
自身が足払いを喰らった事をさえ理解していないといった様子で、目を白黒させる月兎。
「……昔っから思うんだけどさぁ―――」
ゆっくりと立ち上がる少女。逆転する構図。見下ろす美鈴、見下ろされる鈴仙。
「―――超能力バトルものの敵ってさ、初めは手の内を隠して襲って来るクセに、少しでも自分が優位に立つと、すぐ
自身の能力について解説し始めたりする奴が結構居るわよね。何て言うかさ、ああいう余計な事するから負けるって、
そう思わない?」
どこかつまらなさそうに話す美鈴。その顔を見上げ、鈴仙は絶句した。
「!そんな………」
―――両の眼が閉じられている。
「目を見たら狂う、って事は、目を瞑っていれば問題無し、って事よね」
「いやちょっと、確かに目を閉じていれば私の能力は通用しないけど、それ以前にまともに動ける訳が……!」
言いながら身を起こし、素早く間合いを取る。同時に自身の前方に四体の使い魔を呼び出し、相手に向けて弾幕を
放つ。だが、
「……嘘でしょ」
美鈴は一瞬たりとも目を開く事無く、綺麗に弾を避けていく。
「残念ねレイセン。
私は気を使う程度の能力を持つ。これを応用すれば、一定の範囲内であれば『気』の流れから万象の動きを読む事が
出来る。例え、目を閉じていたとしてもね。
判るかしら? さっきあんたが言った通り、私とレイセンの能力は相性最悪なのよ………!!」
目を通して相手を狂わせる鈴仙。目を閉じていても戦闘が行える美鈴。前者の不利は明らかに思えた。
「そうだレイセン、死ぬまえにいいことをおしえておいてあげようか…
館内に居る紅魔三巨頭の残りのふたりは… さらに強さが上なのよ」
鈴仙の目が驚愕に見開かれる。目の前の相手にすら苦戦を強いられている彼女にとって、余りにも絶望的な言葉。
「紅魔館のおそろしさを今ごろ知ってももうおそいわよっ!!!」
無意識に後退る鈴仙。追い討ちをかける様に、美鈴がカードを掲げ、高々と宣言する。
「三華『崩山彩極砲』!」
七色の円陣が足元に出現する。今まさに必殺の一撃を放たんとする凄まじいプレッシャーに、鈴仙は完全に飲み
込まれていた。
「レイセン‥ 紅魔の力を思い知れ! そして、絶望と怒りの中で‥‥死ねッ!」
両手を広げ踏み込んで来る美鈴を前に、鈴仙は咄嗟にスペルを発動させる。
「散符『真実の月(インビジブルフルムーン)』!」
――――そこで彼女は、自身の迂闊さを後悔する事となる。
散符は確かに、鈴仙のスペルの中でも三本の指に入る程の上位弾幕だが、それには懐ががら空きになるという弱点が
ある。近接戦闘のスペシャリストを相手に、これは明らかな選択ミスだった。
具現化直前の弾幕を突っ切り、美鈴がその射程に鈴仙を捉えた。
「打開!」
強烈な踏み込みと共に、両手を広げての打撃が繰り出される。
「鉄山靠!!」
背中からの体当たり。その凄まじい衝撃に、鈴仙の体が宙に浮く。
「揚炮!!!」
爆音と共に打ち抜かれる止めの拳打。
それぞれが一撃必殺の威力を持つ技の三連撃を受け、鈴仙の意識は完全に闇へと没した。
「…っふぅ~~、何とか誤魔化せたか―――……」
今や完全に意識の途絶えた鈴仙を前にして、美鈴は大きく息を吐いた。
傍目には美鈴の圧勝とも思えるこの勝負、実際には、と言うよりも本来ならば、かなりギリギリの戦いであった。
鈴仙の狂眼に対し、目を瞑るといった手段で対抗した美鈴だが、それは目を瞑る事で能力が上がる、と言う事では
なく、単に目を瞑っていても通常とさほど変わりの無い動きが出来る、と言うだけの事である。いや、気の流れだけでは
相手の細かな動き迄は読む事は出来ないのだから、僅かであっても確実に戦闘能力は低下する。鈴仙が冷静に対処して
いれば互角の勝負、と言うより、はっきり言って鈴仙が有利で戦いを進められた筈だった。
だが自身の最大の能力を封じられた鈴仙は、その事で動揺してしまった。そこへ追い討ちをかける様に、美鈴は紅魔
館の強さを誇示し、更なる精神的揺さぶりをかける。止めに、ある意味芝居染みているとさえ思える程の『強者』の
科白と共にスペルを発動させた。
これにより鈴仙は、自身が受けた攻撃は前蹴腿一発、優勢も変わらない、と言う事に思いも至らぬまま、焦りからの
スペル選択ミスで半ば自滅に近い敗北を喫する事になった。
「あんまりこういう小狡いやり方は好みじゃないけど、負ける訳にもいかなかったし、それに、戦闘を長引かせて
レイセンに怪我させたくはなかったからねぇ……」
敵と味方に分かれたとは言えやはり友達。戦いの途中で鈴仙が降服を勧めてきたのも、美鈴には素直に嬉しいと
思えた。
「んっ、ん―――――――ッ!」
両手を組んで思い切り伸びをし、それから大きく息を吐く。これで疲れはほぼ完全に消え去る。伊達に毎日、悪魔
メイドに折檻だとか調教だとか愛撫だとかは受けてはいない。生命力と言う点では、吸血鬼である主をすら上回るかも
知れない。流石は幻想郷一の弄られキャラ。
「さて、と」
帽子の位置を整え、服の埃をはたく。残るは、目の前の者の始末だけ。
鼻から目一杯の空気を吸い込んで腹に送る。
しばしの静寂、そして、
「お―――――――ッッい!!!
聞こえてる――――ッ!!? 永遠亭の人おぉ―――――――ッッ!!!」
当たり一帯に響き渡る轟音。木の枝で羽を休めていた鳥達が、一斉に空へと逃げ出していく。
「レイセンはやっつけたから、彼女を回収して、とっととおウチへ帰りなさい―――――ッ!!」
いくら『寡兵よく敵を制す』とは言っても、真逆本当に鈴仙一人でやって来た訳ではあるまい。近くに必ず別動隊が
居る筈。そう読んでの美鈴の言葉。ある意味命懸けである。ただそれは、集まって来た敵の攻撃を受ける可能性がある
から、と言う訳ではなく、むしろ―――
「―――やれやれ、こりゃ間違い無く折檻ものだよねぇ………」
目の前に倒れている月兎は、半月振りに手に入った大事な情報源でもある。本来ならば動きを封じた上で館内に
移送し、色々と問い質すのが普通であろう。
だが紅魔館は、「ジュネーブ条約というのは、希少動物の保護等に関する条約です」と真顔で言い触らす元外の世界の
人間が仕切っている魔窟だ。しかも彼女、ペドフィリアのくせにハイティーンもそれはそれで好きという、間違った
意味での二刀使いであったりもする。そんな所にウサミミ制服ミニで生足な美少女を捕虜として連れ込んだ日には、命
こそ取られないまでも、それ以外の大事なアレコレが消失するのは火を見るより明らか。
実体験からもそれが判っている美鈴は、友人を捕らえずにそのまま永遠亭へ引き渡す事を考えた。
無論、あれ程の大声を出したのだから、彼女の言葉は館内の者にも聞こえているだろう。折檻は覚悟の上だ。
「………
まぁ、慣れれば気持ちいいといえなくもゲフンゴフンッ!!」
Sメイドの歪んだ愛を受ける権利を他人には渡したくないとか、そういう事では多分ない。
「さて、後は咲夜さんが出張って来る前に、向こうが鈴仙を回収してくれれば万事オッケ―――――
―――………え?」
瞬間、美鈴が動きを止めた。否、止められた。大気が怒りで満ちているのかと思える程の異様なプレッシャー。
空気そのものが重さを増した様な感覚。指一本動かせないどころか、呼吸すらまともに出来はしない。
「―――――っぷはぁっ! はあっ、はぁっ………」
酸欠で頭が真っ白になる寸前で、どうにか呼吸を元に戻す。
と同時に、全身の汗腺が歯止めを無くした様に汗を分泌し始めた。
「――何なのよ、この、幻想郷全体を包み込んじゃいそうなくらいの馬鹿でかい『気』は……!!
この力、お嬢様と同等か、下手したら………」
そこで美鈴は言葉を切る。それ以上は言う意味が無い。言ったところで、主への侮辱と、自身への死刑宣告を同時に
行う事になるだけだ。
「この『気』、まだ更に膨張を続けている――――!?」
美鈴は『気』を読む事で、相手の位置やその力量を知る事が出来る。
だが今の彼女にとって、その能力は己が絶望を増幅させるだけのものに過ぎなかった。
風景を歪めながらなお増大していく『気』。その圧力が、
「!!??」
突然に消失した。
訪れる静寂。
風船が破裂した直後ってこんな感じよね、と、どこか呆けた表情で呟く美鈴。そんな彼女の目の前に、
聖母の如き慈愛に満ちた笑みを湛えながら、ソレは静かに現れた。
「――きたですか………」
何が可笑しいのか、口の端を奇妙に歪め、誰へとも無く呟く白兎。
「てゐちゃん、さっきもそんな風に笑ってたよね」
紅魔館としては珍しく、珈琲の入れられたカップ二つを手に持ち、小悪魔が歩み寄って来る。そんな彼女に、
「……おつかれさんですぅ」
まるで抑揚と言うものが感じられない労いの言葉と共に、魔力の込められた掌が向けられた。
それを何かの冗談と受け取り、おどけた声で少女は微笑み返した。
「フフッ、やぁだ~」
光が走る。
カップが黒い液体を撒き散らしながら床に落ちる。
少女の身体が投げ捨てられた人形の様に吹き飛び、背後の書架に激突した。
「……ぅう……何故ぇ……――」
床に横たわる小悪魔を尻目に、てゐは、机の上の魔導書に向かって歩を進める。
その足元で、突然小さな爆発が起こった。
後ろを振り向くと、其処には、よろめきながらも周囲に魔力弾を配置して立つ小悪魔の姿。その姿には、先程迄の
『優しい図書委員のお姉さん』といった雰囲気は既に無く、侵入者と相対する戦士としての凄みがあった。
「4めんちゅうボスとしてのちから… そういうのも、にあってるじゃないですか」
からかう様な笑みを浮かべていた白兎の顔が、一転して濃い闇の色に包まれる。
「本当にスパイだったの、てゐちゃん……」
「はい」
表情一つ変えずに返される、余りにも簡潔で残酷な答え。
「今迄ずっと… 騙してきた訳!?」
少女の悲痛な叫びと共に、大型の魔力弾が、今度は足元ではなく敵の本体に向かって撃ち出される。
だが、着弾の刹那、白兎の姿が一瞬ぶれたかと思うと、弾は彼女の身体を素通りし、その背後の空間へと消えて
行った。
「貴方は、誰なの!」
「エンシェント… デューパー……―――!」
それは小悪魔の問いに対する答えであると同時に、ラストワード発動の宣言でもあった。
白兎の両脇に現れた光線が、瞬時に左右への退路を塞ぐ。
「くっ!?」
咄嗟に間合いを離す小悪魔。弾除けをするに当たっては、相手となるべく距離をとる。
その、基本とも言える動作を実践する少女。だが、
「…え?…きゃああ!?」
今はそれが命取りとなった。
光線の外側を軽やかに跳ね回っていた弾幕が、突如、引き込まれる様に光線の内側へと崩れ込んできた。
その弾密度を前になす術も無く、小悪魔は今度こそ完全に、その意識を手放した。
「……真逆、御大将が直々にご出陣とは、永遠亭ってば相当に人材不足なのかしら……?」
皮肉を込めた美鈴の言葉。それを受ける相手は、ただ穏やかに笑っている。母性という言葉を形として表そうとした
ならば、まさしくこれがそうなのではないか。そこまで思える程に、どこまでも温かくて優しい表情。
だが、目の前のこの相手こそが、先程の異常な『気』の発生源であるという事を美鈴は理解していた。精一杯の
皮肉も、相手に飲まれない為の、言ってしまえば唯の強がり。
「本当、ウチのは役立たずばかりで、お宅が羨ましい限りだわ」
「役立たずって……!」
美鈴の心から恐怖心が薄れてゆき、替わりに沸々と怒りが湧いてくる。
美鈴自身も、まあ、雇い主や上司から同じ様な事をちょくちょく言われていたりはするのだが、この状況で友人に対し
「役立たず」と評する敵を、彼女は許せなかった。
「レイセンはあんたの命令で此処に来たんでしょう!? それを……」
「……そうね、役立たずというのは訂正するわ」
口元に人差し指を当て、あくまでも優しく言い放つ。
「捨て駒としては、役に立ってくれたわね」
「………!!」
美鈴は絶句した。自身の命令によって傷付き、倒れた者を前にして、この様な酷薄な言葉を躊躇いも無く言えるその
気持ちが、彼女にはまるで理解できなかった。
「………あんた、自分の弟子に向かって、よくもそんな事が言えたもんね……!」
「弟子……?」
眼前に倒れる月兎に、ほんの僅かに目を移す。
「ああ、確かにこの娘は私の弟子よ。
けれどね、今回の戦いに関して言えば、彼女は私にとって唯の手駒であり、それ以上の何者でもないのよ」
その言葉が、美鈴の心の中から恐れという感情を完全に消し去った。
「―――レイセンを連れて大人しく帰ってくれるのであれば、此方としては別に何もしない積もりだったんだけど……
……気が変わった。あんたは、レイセンに代わってこの私がブッ飛ばす!」
「無理よ」
「無理でもブッ飛ばすっ!!」
美鈴の体が弾け飛ぶ。弾丸の如き突進速度。
「ハイイィ――――!」
七色の気を纏った高速連撃。目にも止まらぬ速さで打ち込まれる、無数の拳打、蹴撃。
それが、
「―――はっ、ッはあっ………」
ただの一撃すら掠りもしない。
「だから無理だって」
「……もしかして、アンタも………」
「外れ。私は何も、特別な術など使ってはいないわ。
私は貴方の攻撃を全て予測し、素早くそれに対処しているだけ。
言ったでしょう? ウドンゲは、『捨て駒としては役に立ってくれた』って」
「………! でも、あんな僅かな時間の戦いを見ただけで………」
「私の二つ名は『月の頭脳』。天才と言われた我が一族の中に於いて、更に異才と呼ばれし者。
ほら、何処かの国の、偉い思想家のお弟子さんも言っているでしょう?」
「『一を聞いて十を知る』… 孔子の弟子、子貢が言ったとされている言葉ね……」
教師が生徒に対する様に、正解、凄いわね!、と、手を叩いて誉める。
「ウドンゲを倒した手並みは… さすがは紅魔三巨頭の一人、といったところね。
けれどそこまでよ… 連戦による疲労で、あなたの戦闘力は大きく低下している……
もはやあなたは、わたしに触れることもできない…」
「はっ…」
あくまでも笑顔を崩さない相手に、美鈴が再び突進する。
「なめないでよ!!」
彼女の放った苦無を、
「左下方193度!!」
かわす。
直後の旋風脚を、
「右横74度!!」
かわす。
「ウオオオオオ!!」
滅茶苦茶に振り回される手足を、
「右上方25度!! 右下方43度!! 左横90度!!」
かわす、かわす、かわす――――!
「あっ」
バランスを崩し倒れ込む美鈴。それを穏やかに見下ろす月の頭脳。
「ハア、ハア、ハア………」
「いったはずよ… わたしはあなたの攻撃をすべて予測し、それに対処できる…」
連戦による肉体的疲労と、攻撃を悉くかわされる事からくる精神的疲労。紅 美鈴の心身は、既に限界へと達していた。
「そろそろあの子も動き出す頃だし、この辺りで終わりにさせてもらうわ」
「あの子って……もしかしててゐちゃんの……」
「その通り。貴方達も半ば気付いていたんでしょうけど、彼女は私の送り込んだ工作員。
普通の防御結界は兎も角、多重次元攻性障壁、神盾『システム・イージス』、あれは流石に、INABAでも突破
できないから」
「『イージス』の事まで知って……!?」
紅魔館防衛の最大にして最後の切り札、システム・イージス。その重要性ゆえに機密扱いとなっていた筈の情報を、
相手は既に得ている。
白兎から情報が漏れたのか。否、白兎はシステム・イージスの存在が事前に永遠亭に伝わっていたからこそ、その
発動を封じる為に送り込まれたのだ。だとすれば……
「これまた何処かの国の偉い人が言っていたでしょう? 確かに、天が張り巡らせた網の目は粗くて大きいかも知れない
けれど、悪事は決して漏らすことなく事無く捉える、ってね。監視範囲を限定すれば、大概の事は見落としはしないわ」
美鈴の頭が混乱する。敵が老子を引用しているのは判るが、その意味するところまでは理解できなかった。
「無駄話はこれ迄。悪いけど、貴方には此処で沈んでもらうわ」
その言葉と同時に、彼女の『気』が爆発的に膨れ上がる。幻想郷全土を揺るがす程の莫大な霊力。
対する美鈴に、それを防ぐ力など既に有りはしなかった。
「……見るがいい、そして恐怖なさい!
我が名は、八意 永琳―――――!!」
――――何も無かった。
数秒前までは堅牢な門が、そして門番達の詰め所が存在していた其処に、今は何も無かった。
在るのは、大きな爪で大地をえぐったかの様な傷痕と、倒れ伏して動かない二人の少女、そして、この惨劇を引き
起こした張本人。
「……いくら姫が近くに居ないからって、流石にこれはやり過ぎたわ」
掌を頭に当て、やれやれと溜め息を吐く。
「私も大人気無いわね。ついカッとなって本気を出してしまうなんて…」
四桁の年月を生きながら、今更自身を「大人気無い」などと評する自分に、思わず永琳は苦笑した。
紅 美鈴は確かに弱い相手ではないが、さりとて、永琳が全力で戦わねばならぬ程の難敵でもない。優曇華との戦いの
直後であった事を考えれば尚更だ。
そもそも今回の侵攻に於いては、この門番も大事な標的の一つなのである。万が一彼女が命を落とす様な事があれば、
それこそ洒落にもならない。永琳は門番の並外れた生命力の強さに、心の底から感謝した。
「ま、過ぎた事はしょうがないわね」
長生きのコツは余計なストレスを溜めない事。永琳はさっさと思考を切り替える
尤も彼女の場合、心身の健康といったものとは関係無く、半ば強制的に長生きを強いられている訳なのだが、まあ、
何れにせよストレスは良くない。医者の不養生をわざわざ実践する趣味も必要も、永琳には全く無かった。
「さて、結界の方はてゐが巧くやってくれるでしょうし、後は、あの子が施した館内歪曲空間の補正だけなんだけど…」
魔法図書館で制御される防御結界と、メイド長によって捻じ曲げられた館内空間。この二つを抑えれば、最早紅魔館
攻略は成ったも同然である。だが、
「……まあ、図書館の方もそうそうスムーズにはいかないでしょうし、先ずは彼女等の治療が最優先事項ね」
少女二人が不可視の力によって宙へと浮き上がる。次の瞬間、永琳と共にその姿が消え失せた。
「……永琳のやつが来たということは、こっちもさっさと仕事を終わらせなきゃですねぇ~☆」
小悪魔を屠った白兎が、机の上に広げられた結界操作用の魔導書へと向き直る。
「とりあえずこいつをブッ壊せば、いっちょ上がりってとこですぅ~~♪」
掌に魔力を集中させる白兎。
その背後に、
「……待ちなさい」
静かな、それでいて強い意思の込められた声がかけられる。
「―――またうっとうしいのが出て来やがったですぅ……★」
書架の後ろから姿を現す、紫色の魔女。
「全く… 普段から鼠がちょくちょく出没する上、今度は野兎が好き勝手し放題なんて……
いっそ図書館をやめて、ふれあい動物ランドにでもした方が良いのかしら、此処」
「ウサギはいいとしても、ふれあい動物ランドにネズミはどうかと思うですよ? 子どもが指かじられてペストに
なって、責任問題で社長が謝罪で閉園ってのが関の山ですぅ★」
「あら、知らないの? 外の世界では、黄色やら黒の鼠が子供達に大人気だそうよ。
名前は確か……ミッキー、………ロジャース?」
具体的な名前を言っても別に問題無さそうなネズミと、具体的な名前を出したらちょっとまずそうな鼠の事を話し
ながら、パチュリーは眠たそうな眼で床に倒れる小悪魔を見る。
「……彼女には、まあ、良い薬になったかもしれないけど。お蔭で、貴方のスペルの攻略法も見えたし」
「……見殺しにした、ってわけですか。
やれやれ、ウチのもそうですけど、知識人ってのにはろくなやつがいないですぅ………」
「詐欺師には言われたくないわ。
それに、悪魔の館に住む魔女がろくな奴だったら、その方がよっぽどおかしいと思うけど?」
無表情に言い放つその異様を前に、白兎の足が自身も気付かぬ内に後ろへと下がる。
だが実際のところ、パチュリーはもっと早くに登場する予定であった。
てゐをスパイだと疑っていた彼女は、永遠亭の襲撃が予想される新月の今日、わざと身を隠しててゐを監視していた。
目論見通りてゐは本性を表したのだが、そこからがまずかった。
本来なら、小悪魔が止めをさされようとするまさしくその瞬間に、「サイレントセレナ」あたりで颯爽と乱入する筈で
あった。ところが、
「『危なかったわね……』
『パチュリー様!』
『だから言ったでしょう? この兎には気を付けなさいって』
『……申し訳ありません…… あの、でも、私……!』
『……何も言う必要は無いわ』
『ですが、その、聞いて下さい! 私……!』
必死で何かを訴えようとする彼女を遮って、一冊の本を渡す。
『!これは、仏蘭西な書院の……』
『この意味、貴方なら理解できるでしょう?』
『は………はいっ!』
『閉館後、図書館の一番奥で待っているわ。それ迄に、その本を読んでしっかり予習しておきなさい』
『………ハイ』
期待と、そして僅かな不安の入り混じった眼で、小悪魔が見詰めてくる。そして――――」
などといった高速思考を展開しながら血を吐いている内に、あえなく小悪魔は撃沈。
見事にタイミングを逸したパチュリーは、それらしい言い訳をでっち上げてから、何事も無かったかの様に白兎の前に
顔を出したと、そういった次第であった。
変態メイドの妄想病が伝染したのかと少し鬱になりかけたが、そこは、血が出てきたのが鼻ではなく口からであったと
いう事にアイデンティティを見出して持ち直した。ポジティブシンキングは健康の秘結である。もとい、秘訣である。
「―――浣腸も、まあ、悪くは無いけど」
秘結と秘訣の違いに思いを馳せ、表情を変えずに不気味な事を呟く魔女。
「な、なんなんですか、こいつ? なんだかわからないけど、とにかくキモいですぅ………」
その不可思議な空気に押され、尚も後ろへ下がる白兎。
「……てゐがスパイだって、いつから気づいてたですか?」
背中に机が当たったのを感じた。これ以上は下がれない。
「半月前の会話を思い出してくれれば判ると思うけど、美鈴と小悪魔以外、初めから貴方の事など信用していなかった
わ。それに……将棋の時もそうね。あれだけ露骨にやられれば………」
「ハッ! それだけわかっていながら、ここまでてゐを放っておいてくれてたワケですか……
まったく、永琳の奴が言ってた通りですぅ!
『紅魔館のお嬢様は油断が過ぎるから、テキトーでやっても簡単に侵入できる』って!」
「結果の視えた勝負、ちょっとくらいは波乱があった方が面白いでしょう?」
半月前の友人の言葉を繰り返す。
確かに、現状では紅魔館の方がやや劣勢と思えなくも無いが、それも目の前の兎を倒せば終わり。永琳の力が如何に
強大であっても、イージスさえ発動させれば手を出す事は出来ない。その間に新月が過ぎれば、復活したレミリアを
大将に、今度は一気に反攻へ出る事が出来る。姿を消している永遠亭の場所については、白兎から辿る事が出来る筈だ。
その際に霊夢や魔理沙の力を借りれば、勝利は絶対確実。いくらプライドの高いお嬢様でも、スパイに侵入され、
門番まで倒された現在の状況を見れば、他勢力に援軍を頼む事を拒めはしないだろう。
「――――『いくぜパチュリー!』『…仕方ないわね』
『『マチュリー砲!!』』
………いいえ、ここはやっぱり、『ダブルノンディレクショナル』とかの方が良いかしら?」
誰かの真似なのか、うふ、うふ、うふふふふふふふ、と奇妙な笑い声を漏らしながらガクガク揺れる魔女。
「『さぁ、そこの白兎、大人しく捕虜になるか、一悶着あった後に捕虜になるか、どっちかを選びな!』
『美味しい所だけ持ってかないでー』」
「あの、えっと… とりあえず、大人しくやられるつもりはないですけど……
って、聞いてるですか!?」
てゐの方を全く見ずに、一人で右向いたり左向いたりしながらブツブツやっているその様は、アイスクリームを耳に
当てて、とうおるるるるるるるるるるるるるるるるるるん、と心のボスと会話している怪しい人を思い起こさせる。
「と言う訳でそこの兎、私と魔理沙の愛の為に、貴方には倒れてもらうわ」
心の中の誰かとの会話が終了したのか、てゐを指差してパチュリーが言い放つ。
「……ああ、因みに、誤解しないで欲しいけれど……
『愛』って言っても、別に私は彼女の事なんて何とも思っていないと言うか、魔理沙の方が図書館の本を持って行った
まま返さないという小学生男子並の判り易くてひねくれた気の引き方をやってくるものだからここは一つ年上の私が
それに対して大人の包容力で付き合ってあげてもやぶさかではないという方向で善処させていただきたいと申しますか
一部で報道されております様にこの私が先の満月の異変に関しましてあの七色に嫉妬の念を覚えているなどといった事は
全く記憶にございませゲボグハァッ!!!」
「ひいいぃ~~! 血が! てゐの顔面におびただしい量の血液がッッ!?」
「しくしく、貧血で長いセリフが言い切れないの」
「いやそれ、絶対貧血とか喘息とは違う病気ですよ!? 貧血や喘息で口からドバッと血は出ないですよ!?」
「……恋の病? これぞ乙女のなせる業、かしら?」
「……イヤな乙女DEATHぅ★」
ばっちいですぅ、とぼやきながら自身の服の裾で顔を拭く幼女を見つつ魔女は、こんな光景を咲夜が見たならば、
「血塗れ幼女だなんてエロですわ! 猟奇エロですわ!! 惨劇に挑めですわ!?
しかも服でお顔を拭くなんて、気を付けないと中身が丸見え!? て言うか、その辺りが血で濡れてたら、何て言うか
もう、見た目アレよ? 幼女にはまだ早いわよ? 判断力が乏しいのだから合意の上であっても犯罪なのよッッ!??」
などと叫びながら踊り狂って大変だろうなぁ、と溜め息を吐いた。ああいう変態にはなりたくない。
「――鉄くさいコントはこの辺でお開きにさせてもらうですぅ……
アンタみたいな色々と(常識とか)足りてないモヤシッ娘、とっとと『むきゅー』でワキ全開にしてやるですぅ!」
「不意打ちでやっと、小悪魔を倒せる程度の小物が相手… 正直、役不足も良いところだけど……
まぁ、可愛い部下の仇、手加減の必要は無いわね」
本に顔を埋めたままボソボソと話すその様は、顔色の悪さも相まって、どう見ても強さを感じられるものではない。
だがパチュリーは、100年を超える歳月を生きる正真正銘の魔女。単純な実力で言えば、てゐや小悪魔とはまるで
レベルが違う。
「えぇーと、目の前の白兎のアクを消極的に取り除くには・・・」
「載ってるですか?」
「……載ってるわ。
貴方に勝つには……白(素)兎だけに海水と風、といったところかしら」
白兎の耳がピンと立つ。似た様な癖を持つ友人の居る魔女は、それで自分の言葉が間違っていない事が理解できた。
栞代わりに本に挟み込んでいたカードを掲げる。
「水&木符『ウォーターエルフ』」
五味の鹹(塩辛い)にも対応する水符と、四元の風精との親和性が高い木符の合成術。まともに喰らえば、てゐは
一撃で終わりある。
「やらせはせん、やらせはせんぞ、ですぅ!」
すんでのところで身をかわし、そのままスペルを発動させる。
「いくです、『エンシェントデューパー』!!」
てゐの両脇から放たれる光線。同時に、先程の小悪魔とは逆に、パチュリーは前へと突っ込む。
小悪魔とてゐの戦いから、パチュリーはこのスペルの攻略法を掴んでいた。
定石通りに間合いを離せば、光線の内側に引き込まれる弾幕によって逃げ場を失う。だが逆に、怖れず相手に接近
すれば、本体から発射される僅かな弾を避けるだけで済む。後は攻撃の隙に、至近距離でウォーターエルフを発動すれば
それで終わり。
パチュリーの紫色の頭脳は、99%の勝利を弾き出した。
だが、
「……え?」
現実と成ったのは、残りの1%だった。
動きを止めるパチュリー。その四肢には、四羽の妖怪兎が組み付いていた。
パチュリーの周囲には、常時小型の探査結界が張られている。実際に反応できるか否かは別として、何かが近付いて
きたならそれに気付かない、という事はあり得ない。それなのに今彼女は、自身の動きが止まるその瞬間まで、四体もの
敵の存在にすら気が付かなかった。
それ以前に、紅魔館の門には未だ防御結界が張られている筈。永琳クラスの術者なら強引に解除して侵入も出来よう
が、今パチュリーの動きを封じている四羽は明らかに雑兵レベルの妖怪兎。
「一体、どういう………」
「さあ?
どこかのネコみたく、ただアンタが認識していなかっただけで、初めからその子らはそこにいたんじゃないですかぁ?
それをアンタが今、観測して認識したから、それでその子らは『在る』ほうに成ったですよ、きっと☆」
「……兎が箱の中の猫を気取るなんて、面白くもないわね。
それに、貴方が今言ったのはかなり違うわよ、シュレティンガーと」
「てゐは子どもだから、難しいお話はわかんないですぅ~♪
て言うか、最近の流行で言うなら、『神の不在証明』のがいいですかねぇ~?」
どうでも良い話で時間を稼ぎながら、何とか今の状況を理解しようとする。
「それにしても……
こんな芸当ができるなら、わざわざ危険を冒してまで、貴方がスパイとして潜り込んだ意味が無いんじゃない?
結界があろうと無かろうと、この兎達には関係が無いようだし」
「確かに、普通の結界だったら邪魔ないですぅ。
でも、あのなんちゃら言う多重次元攻性障壁、あればかりはちょっと厄介ですからねぇ……
てゐは初めから、あれを潰すためだけに送り込まれたんですよぉ~☆」
それを聞いてパチュリーは理解した。兎達が使ったのは、ネタさえ判れば何て事はない、唯のタネ無し手品の様なもの
だ。
「……チャンネル操作は、あの月兎だけの能力と思っていたけど?」
「あんな便利な能力、あの性格悪い保健医が放っておくワケがないじゃないですか?
アイツの改造手術によって、今じゃ永遠亭の全構成員がチャンネル操作を自在に使える様になっているですよぉ~♪
というワケで、紅魔館には既に、アンタをおさえてる子達の他にも、多数のINABAが入り込んでるですぅ~☆」
「INABA?」
「永遠亭が誇る隠密完殺部隊。
“IN”VISIBLE
“AB”SOLUTE
“A”SSASSINS
略して『INABA』ですぅ~~~っ!!」
「……イージスの情報も、そのINABAとやらから流れたのかしら?」
「あ? それは違うですよ? 天網恢恢疎にして漏らさず、ってヤツですぅ~☆」
「……なるほど、レミィと咲夜から少しは話を聞いていたけど、どうやらそれが、あの薬師の本来の能力の様ね」
「流石に知識人は理解が速(早)いですぅ☆
そもそもあの、ワインダーなんかで相手の動きを制限してグルグル回転させて半周ほどしたら『ついでにコレもどう
かしら?』って感じの性悪弾幕を得意とする外道が、ラストワードにあんな簡単なスペルを用意するはずがないじゃない
ですかぁ?
あれは本来、攻撃用のスペルじゃなくて、探査・監視用のスペルなんですぅ♪
その気になれば、効果は弱まるけれど幻想郷全体を覆えるし、逆に範囲を限定すれば、よほど強力な結界か何かで
護られていない限り、あらゆることがつつぬけになっちゃうですよ。えいりんは怖いですねぇ~~★」
楽しそうにペラペラと話す白兎とは対照的に、その表情は変わらないままでも、パチュリーの内心は焦っていた。
相手の手の内は把握した。何とか咲夜と連絡を取りたいが、四肢を捕られている今の状況ではそれもままならない。
いや、それ以前に、無事に現状を打開する手段さえ思い付かなかった。
「………さて、おしゃべりはこのくらいにしておくですか。
――――安心するですぅ、永琳の命令で、アンタ達はなるたけ傷の無い状態で回収するように言われてるDEATH
からぁ~~~………」
「―――94、95!」
銀の閃光が走る。
「96、97、98!」
次々と撃墜されていく敵影。
「99、100………!!」
舞を終えて、その場にへたりこむ少女。
その周囲には、足の踏み場も無いほどに積み上げられた、無数の妖怪兎の身体。
「凄いわね、咲夜! 今ので十回目の百人切り達成、流石だわ」
パチパチと拍手の音がする方向を見遣るメイド。其処には、嬉しそうな笑みを浮かべた、元凶たる薬師の姿。
「―――それにしても…… 実際に入るのは初めてだけれども、凄いわね、この地下司令室。
ウチにもこういうの造ってみようかしら?
それでもって、ピンチの時には机を叩いて『なんてこったあ』と叫んだり、若しくは慌てるウドンゲを尻目に『全て
シナリオ通りだ』とか言ってニヤッとしたり、後は、毎晩寝る時は椅子に座って『幻想郷か…… なにもかも
懐かしい……』とか言ったり……
ねえ咲夜、どうかしら? いいアイデアよね……………え?」
楽しそうに問い掛けるその顔に、突如銀の刃が突き刺さる。傷口から、ドロリと赤い血が流れ出る。
だがそれも一瞬の事。顔に刺さったナイフを無造作に引き抜くと、瞬く間に傷は塞がり、流れていた血も止まった。
「―――気安く話しかけないでもらえるかしら……?」
「あら、冷たいわねぇ。私と咲夜の間柄じゃない?」
自身の血に濡れたナイフを手の中で弄びながら、あくまで楽しそうな笑顔のまま話し掛ける。
その美しい顔に、傷の一つも残ってはいない。
「私と貴方の間柄って、一体どんな間柄よ?」
「それは秘密です(はぁと)」
人差し指を口元に当て、ニッコリと微笑む。
「にしても咲夜、貴方この間ウチに殴りこんで来た時と、随分性格が違わない? 戦闘力も比較にならないし……
あの時は愛しいお嬢様の前で、可愛らしく猫を被っていた、って事なのかしら?」
「あら、そんな事をしたら、何処ぞの狐に怒られますわ? そもそも、私は96点中24点だし」
「狐…… ああ、あの猫マニアの。あそこは今回、対象外なんだけれど……
あ、ところで、あそこの子猫より、ウチの姫の方が千倍はネコミミが似合うと思わない? ねえ?」
「何を言っているのか…… ウチのお嬢様の方が万倍似合うわ。ネコミミっていうのは、吸血鬼の為に在るものなの」
「いやいや…… ネコミミは月の民の為の物よ? 姫の方が億倍似合うわ」
「お嬢様は兆倍似合う」
「姫は京倍似合う」
「……………………」
「……………………」
ナイフを構えたまま、強く相手を睨みつける咲夜。
対する永琳は、笑顔こそ崩してはいないものの、その瞳の奥に窺い知れない黒い意思が見え隠れする。
「―――で、その半端にネコミミの似合うお嬢様は、一体どちら?」
「素敵にネコミミの似合うお嬢様なら、残念ね、此処にはもう居ないわ。
貴方がのんびりしている間に、お嬢様と妹様は既に脱出した。
ステージは此処で終了。貴方もさっさと帰ってバッドエンディングに涙なさい」
紅魔館の敗北を悟った咲夜は、部下達にレミリアとフランドールを託して脱出させ、自身は時間稼ぎの為に、唯一人
司令室に残ってINABA達と戦っていた。
「ふむ、私が遅れたのは、わざわざ先陣切って乗り込んで万全の状態の咲夜と戦うよりは、先にINABA達を
けしかけて消耗させた方が確実と考えたからなんだけど……」
「そういう暢気な事を言っているから、肝心の目標に逃げられるのよ」
「……え?……あっ、違う違う」
咲夜の言葉に、首を振って応える永琳。
「初めから、あんなガキに用は無いわ」
「?……どういう―――」
「紅魔館に於ける私の目標は、小悪魔と、紅魔三巨頭である紅 美鈴、パチュリー・ノーレッジ、そして貴方。
この四人を捕らえるのが目的。それ以外の木っ端が何処へ行こうと、そんな事に興味は無いわ」
「何それ?
て言うか、永琳、そもそも貴方がこんな馬鹿げた事を起こしたのは、一体何が目的なの? 輝夜が望んだ事?」
「違うわ。今回の件に関しては姫の意は関係無い。全て、私の考えた事よ」
「で、その目指すものは?」
腕を組んで目を瞑る永琳。
しばしの沈黙。
そして、
「裸のお付き合い」
「……は?」
永琳の答えを受け、咲夜の頭の上に大きな疑問符が浮かび上がる。
「何それ?」
「具体的に言うとね……」
懐から眼鏡を取り出し装着する。唐突に始まった、えーりん先生のはちみつ授業。
「幻想郷中から選りすぐりの美少女を集めて一大ハーレムを作る。
幼女や年増はNG。ヤローは言う迄も無し。
そのハーレムの中心には古代ローマを思わせる大浴場が在って、そこには常に少女達の嬌声が響き渡るの……
安心なさい咲夜、私はマッサージの腕も超一流よ? もうホント、身体中から汗とかその他色々な液体が止まらない
くらい気持ちいい事間違い無しよ?? 針も得意よ、針もイイわよ???
ああ勿論、裸の付き合いって言ってもマッパだけじゃ味気ないから、楽しいコスチュームも沢山揃えるわ!
YシャツとかTシャツとかエプロンとか靴下とか、色々用意するわッ!!
ネコミミイヌミミウサミミタヌミミその他諸々のケモノミミも一杯!!!
尻尾もあるわ、接続部分がチョッピリ太いし動いたりするけどねッッ!!!!」
まるで夢を語る少女の様に、両手を広げて狂狂(くるくる)と回りながら永琳は話し続ける。
その狂態を見ながら咲夜は、人としてこんな変態にはなりたくないと心から思った。
「狂っているとしか言い様が無いわね、永琳…………
…………幼女がNGなら、そんなもの、何の意味も無いじゃない」
美鈴もレイセンも居ない今、誰もツッコミは入れない。
「幼女? 何を愚かな事を……
あんな無駄に丸っこくてプニプニしたナマ物、私のエリュシオンには不要だわ」
「それが驕りと言うのよ! そもそも女性の身体というのは、男性のそれに比べて丸みを帯びているのを特徴とする。
それを極限まで高めたものこそが、幼女のプニプニなのよ!」
「詭弁ね、それは。第二次性徴をすら迎えていない身体が女体の究極などと、医学的に見てもあり得ないわ。
身体だけじゃない。精神面だってそうよ。スカートを穿いておきながら、座り方にまるで頓着が無い。恥じらいを
知らぬ精神など、知的生物のそれには相応しくない」
「どうして貴方は、そうやって小難しい事ばかり並び立てて、素直に物事を見ようとしないの!?
あの幼女の無邪気さこそが、穢きこの世を清める正に天使の微笑みの如きものだという事くらい、貴方だって判って
いるでしょう!」
「若いわね、咲夜。貴方こそ、自分の言葉に酔ってまるで現実が見えていない。
少しでも気に入らない事があると、泣いて喚いて自身の思う通りにさせようとするそれが、一体何故、穢き世を清める
ものであると言えるのであろうか、いや、ない。
まあ、己が意に沿わぬものは決して認めない辺り、『天使』という表現はあながち的外れとも言えないかも知れない
けど」
「そうじゃない!
駄々をこねる幼女を見て、可愛くて涎が出ちゃうと思える寛容な心こそ、これからの時代に必要なものなのよ!」
「その様に愚昧な感傷など、ただ世界を緩やかに殺していくだけのものに過ぎないわ。
美少女にそれとなく悪戯をしてその反応を楽しむ事の出来る知性、それを持った賢人を今、世界は必要としている。
そのくらいの事も理解できないの、咲夜?」
変態二人によるツッコミも観客も居ない喜劇は、最早、喜劇に値するものではなくなっていた。
それは、決して交わる事の無い二つの精神が織り成す、狂おしい迄の痛みにまみれた、唯の愚かしい悲劇。
「………判ったわ」
吐き捨てる様に咲夜が呟く。
「ようやく理解してくれたのね、咲夜」
「ええ、理解したわ……
貴方という人が、今日という日に居てはならない者だという事が!」
「!……そう、仕方ないわね。
出来れば話し合いで解決したかったけれど、こうなったら力ずくで、その身に女の悦びを教え込んであげましょう!」
「その言葉、屈折させずにそのままお返ししますわ!」
美幼女と美少女、世界の支配者を賭けた戦いが今、始まろうとしていた。
だが……
「――はぁ、はぁっ……」
千に及ぶINABAとの戦いで限界以上に消耗しきった咲夜と、その力の殆どを残している永琳。
戦いの始まる前から、その優劣は明らかであった。
「正直に言うとね……」
穏やかな声で永琳が語りかける。
「INABAだけで、貴方は倒せると考えていた。
何せINABAにはチャンネル操作能力が有るし、数も多い。貴方の勝ち目は零に等しいと計算していた。
それなのに貴方は、いち早くINABAの能力に気付きそれに対処した。大したものよ」
「以前に月兎と弾幕った、その経験のお蔭ね。
何故紅魔館の結界が素通りされるのか初めは判らなかったけれど、実際に対戦したらすぐにその違和感に気付いたわ」
「普通はそれでも気付かないわよ。
―――ネタさえ判れば、時空を操る事の出来る貴方の前でINABAの能力は意味を成さない。
とは言え、あれだけの数を相手にした貴方には、既に戦う力は残ってなどいない。そうでしょう?」
優しく微笑みかける永琳に咲夜は答えない。ただ肩で大きく息をするその姿が、全てを物語っていた。
「全力の貴方と全力の勝負をする、それも魅力的ではあるけれど、此処での戦いは私の計画のまだ一歩目。
此処で力を浪費する訳にはいかないの。ご免なさい………」
そこで初めて、ほんの一瞬ではあったが、永琳の笑みが解けた。
嘘偽りの無い、本心から申し訳ないと思っている、そんな表情。
それを見て咲夜は、何かを口に出しかけた。彼女自身、自分が何を言いたいのか判らなかったが、それでも何かを
言いたかった。そんな咲夜の周りを、
「秘術『天文密葬法』」
無数の使い魔が取り囲む。
「くっ!?」
「今の貴方には、この包囲網を突破できる力は無いわ」
先程迄と同じ様に穏やかな笑みを湛えた永琳の手から、大型の魔力弾が放たれる。
それは使い魔の群れの中を駆け巡り、その力の発動を促してゆく。無数の使い魔から放出される、圧倒的物量の弾幕。
「こんな所で朽ち果てる己の身を呪うがいい!」
「……おーおー、結構苦戦してたみたいですねぇ~♪」
戦いの終わった司令室に、押っ取り刀という言葉とはまるで無縁な様子で、白兎が顔を出す。
「……随分と遅い到着ね、てゐ」
「申し訳ないですぅ、こちらもちょっと手間取っちゃいましてですぅ~☆」
「とか言って、本当はその辺に隠れて様子を見ていたんじゃないの?」
「さ~て、そいつはどうですかねぇ~★」
わざとらしく口笛を吹く白兎を、永琳は一瞥する。
「にしてもまぁ……」
周囲を見渡して、てゐは溜め息を吐いた。
「てゐの可愛い子分達に、随分と被害が出たみたいですぅ~★
この落とし前、どうつけてくれるですかぁ?」
周囲からは永遠亭のNo.4と見られているてゐだが、実際のところ地上の兎である彼女とその子分達は、月の民で
ある輝夜や永琳の配下という訳ではない。強大な力を持つ二人を相手に、渋々従っているというのが正しい。
この事に関しててゐは、「頼まれて仕方ないから協力してやってるだけですぅ~★」と嘯くのだが。
「どの子も大した怪我じゃないわ。全員すぐに治してあげるから、それで文句無いでしょう?」
「そういう問題ですかぁ~~?」
「そういう問題よ。
……ところでてゐ」
永琳が優しい微笑で、白兎を見下ろす。
「貴方は本物のてゐなのかしら?」
ピンと立つ二つの長い耳。
「な、ど、どういうことですぅ!?」
「実はこのてゐは、てゐの振りをして私の不意を突こうとしている魔女が化けた偽者じゃないかって、そう疑ってるの」
傍目には笑顔のまま、けれど目は決して笑っていない、そんな表情で永琳は続ける。
「若しそうだとしたら、ここで始末しておかないとね……」
増大する霊力。部屋の中を支配してゆくプレッシャー。
「ちょ、ちょっと待ってですぅ! 何を根拠にそんな……」
「そうね、根拠と言えば…さっきの図書館でのてゐと魔女の会話。
あれって、てゐから情報を引き出す為に、わざと魔女が負けそうな振りをしている、そんな風に思えない?」
「ち、違うですぅ! あれは……
……って、え?」
其処でてゐは初めて、自分がからかわれている事に気が付いた。
「ちょっと待つですぅ!
てゐとアイツの会話内容を知ってるってことは、『天網蜘網捕蝶の法』で監視してたですね!?
だったら、てゐが本物のてゐだってことも、とっくにわかってるってことじゃないですかぁっ!」
「うっ、ふふふふふ………
ご免なさい。貴方の慌てふためく様が面白くて、つい……」
口に手を当てて笑うその姿に、先程の圧力はとんと感じられない。
「まぁ、敵に余計な情報を漏らしたのは事実なんだし、その罰って事で、ね?」
「勝ったんだからいいじゃないですかぁ……」
「あら、でも、実際かなり苦戦していたみたいじゃない?」
永琳の言葉を聞いたてゐの表情が、途端に険しいものへと変化する。
「………ぅるっさいわ!」
「事実でしょう?」
楽しそうに話す永琳に、てゐは舌打ちで応えた。
「……確かに、あの紫モヤシには手ぇ焼かされたわ。
あの女、巻き添え避ける為にワシの子分が離れた一種の隙に、相打ち覚悟で日符使いよって…… しかも多次元属性の
オマケ付きでじゃ!
まったく、手ぇ焼くどころか、危うく全身丸焼きにされるトコじゃったわ……」
可愛らしい外見に似合わない口調で喋る彼女の服には、所々に焼け焦げた様な跡が付いていた。
「此処に来るのが遅れたのも、そのせいでしょう?
なかなかに……………………ッ!?」
「ん? どうしたんじゃ?」
突如永琳が動きを止める。その足首を、
「!?
このガキ、息吹き返したんか!?」
うつ伏せに倒れたまま、シッカリと掴んで離さないメイドの姿……!
「往生せん………」
「待ちなさい、てゐ!」
攻撃を加えようとした白兎を制し、永琳は目を閉じて、静かに片手を咲夜の背中の上に置く。
「やっぱり……」
ゆっくりと目を開いたその顔に笑みは無く、ただ驚愕の色が支配していた。
「この子、気を失ったままよ」
「えう~? こいつ、意識も無いのにアンタに掴みかかったって、そういうことですかぁ~??」
「……執念、ってところかしらね」
足首を掴んだ手を解きながら、永琳は静かに咲夜を見下ろす。
「千のINABAを退けて、永琳と戦って、それでまだこんな……
このメイド、本当に人間ですかぁ?」
「―――人間よ。死んだら死んでしまう、そんな唯の人間」
両手で咲夜を抱え上げ、どこか寂しそうに呟く。
「…さってぇ――――
これでここでの仕事は終了ですし、口調が急に戻ったのを誰もツッコんでくれないですし、とっとと永遠亭に帰って
レイセンちゃんで遊ぶですぅ~~☆」
大きく伸びをする白兎の背中を、待ちなさい、と、永琳の声が呼び止める。
「その前に、姫へ連絡をするわ」
「姫って……
確か今、アッチの岸に行ってるですよねぇ? 連絡、とれるんですかぁ??」
「短時間の念話なら、ね」
そう言って永琳は目を瞑る。
数秒の沈黙、そして、
「……ふぅ――――……」
安堵の息。
「良かった、向こうも今の所、問題無く進んでいるみたい。
まぁ、あの二人も付いている事だし、姫の方は取り敢えず大丈夫そうね」
「……てゐとしては、あの二人が付いてるからこそ危険、という気もするですがぁ★」
「その辺りは抜かりないわ」
ニッコリと言い返しながら、永琳の心中は余り穏やかではなかった。
あの二人が姫を害する事はない。
だがそもそも、輝夜が実行犯として今回の計画に加わってしまった事自体、永琳にとっては望ましくない(予想外では
ない)事だった。
この度の戦いにおいては、自身が首謀者であり主犯で無ければならない。姫は、言うなれば唯の傀儡の様なもの。それ
以外の者も、あくまで単なる手駒に過ぎない。
その事を永琳は繰り返し、自分自身の心に言い聞かせた。
「……さて、てゐ。貴方は永遠亭に戻った後、ウドンゲと共に別命あるまで待機していて頂戴。
私はこの子を永遠亭に移送し負傷者の応急処置を行った後、すぐに姫の元へ向かいます。
――――冥界、白玉楼へ…………!」
「ところでこのメイド、なんでおしゃぶりとよだれかけなんてしてるですかねぇ?」
「…………愛ゆえに、よ。きっと」
惨殺空間発生・・・ギルティギアの殺界発生+七夜志貴?
ぶっちゃけオープニングで大爆笑。
咲夜さんいつまでおしゃぶりしてるんだ( ´ー`)
全て読んでいない者がこんなことを言うのも畏れ多いのですが、もう少し、読者を意識して文章を書いていただけないでしょうか?
借り物ではない、作者様御自身の文章を読んでみたいです。
おもしろかったです。続編待ってます。
おまいら、いい加減にしなさい。
あ、永琳の野望達成の暁には、是非ともプレミアムチケットを
送って下さい。内臓売ってでも購入します。