「貸し出し……というか強奪、のべ571冊。内、返却された冊数90足らず…酷い有り様ね」
「そうなんですよ…何処をどうすればあんなに入るのか知らないですけど、時々大量に持ってきますからね、あの人」
机に向かいながら深く嘆息する。つい先程、これまでの被害を確認しようとリトルにきいてみたところだ。
きちんとまとめているらしく、尋ねてみると少ししてから、どさりと重そうな資料が目の前に置かれた。
そこには題名だけでなく、持っていかれた日付やら何について書かれた本か、などなど…そこまでしなくてもいいんじゃないかしら、と思うぐらいに事細かに書かれていた。
けれど、おかげで状況はわかった。よーく、ね。
何度目かの溜め息を吐く。溜め息を吐くと幸せが逃げると言うが、あれは間違っている。幸せが…平穏が逃げていくから、溜め息を吐くのだから。
気を取り直して。確かに蔵書数から見てみれば、取られた数は微々たるものどころか砂漠から砂を一握り持っていったようなものだ。
しかし相対量が少ないとはいっても、400冊を超えている。看過することはあってはならない。持っていくのは止められないにしても、返させなければ。
…もう一度、嘆息。ここまで見事にやられていれば、溜め息に感嘆の思いも混じろうというものだ。
「これは、何か対策を講じる必要があるわね…」
目を閉じて持っていかれた本の数々を脳裏に思い浮かべる。……よし、やる気が出てきた。
やる気が出てきたところで、頭の中でこの事態への対策考察を開始する。
対策その1 『魔理沙に本を貸さないようにする』
これは無理だ。というより、既に行っているといった方が正しいか。
そもそもここは禁帯出。これまでにも幾度となく本を持っていこうとする魔理沙を、必死に押し留めようとしてきた。
時には出口で待ち伏せたり、館内で魔理沙をストーキングしたり…色々と努力も惜しまずにやってきたのだ。
だが、そもそもこれはこちらの分が悪い勝負である。こちらは倒さなければならないが、相手は逃げるだけで良いのだから。
魔理沙が本を持っていくのを止められたら勝ち、持っていかれたら負けとすると、今までの勝率は30%を切らんばかりの勢いだ。
魔理沙がすばしっこいのもあるが、それぐらいに不利な勝負なのだ、これは。
とにかく…これは既に行っているし、これ以上本を持っていかれないようにするのは当前のこと。
以上よりこの案は大前提とするが、事と次第によっては曲げることも考慮に入れるものとする。
対策その2 『図書館を有償化。延滞料金としてさらに代価を要求』
これはなかなかに有効な手段である。何らかの実験に必要な物を対価として要求、というのは極めて建設的な思考と言えるだろう。
知識として蓄えたものを実地で学習というのは、あまり外に出ない私には実験材料という点から難しい場合が多い。
だがこうすれば今まで無理だった実験も可能になる。魔理沙の延滞も少しはマシになるだろう。うん、実に素晴しいアイデアだ。
――――――――が、それもこれも魔理沙が常識的な人間なら、という前提での話だ。
あの黒白が、そんな要求を飲むだろうか。可能性は限りなく低いような気がする。
『知ったこっちゃない。勝手に持っていくぜ』とか言っていつもどおり、というのが容易に思い浮かぶ。
案としては悪くないが、相手が魔理沙だということを鑑みると現実味に欠ける。
以上から、この案は改良を必要とし、保留処分とする。
対策その3 『魔理沙の家に取りにいく』
これが一番確実。問題は外に出るのが億劫だっていうことと、行ったからといって返してくれるとも限らないということ。
確か以前に小悪魔に取りに行かせたのだけれど、あまりに色んなものが散乱していて
さらに散乱しているもののほとんどがマジックアイテムだから、下手に動かすと何が起こるかわからないという有り様で
朝に取りに行かせたのに、結局帰って来たのは夜、それも物凄く疲れた顔で数冊だけを胸に抱えてという悲惨な状態でだ。
私が行けば効率は上がるだろうが、それでも多少は…というレベルである。
いや下手をすれば、そんな長い間掃除してないこと間違いなしな空間に行くことで喘息の発作でも起きようものなら、足手まといになること受け合いである。
とにかく、確実的ではあるものの非効率的であるし、そもそもなんでこっちがそこまでしなきゃならないのかという疑問が浮かぶ。返しに来なさいよ。
以上より、この案は最終手段とする。
対策その4 『秘密のクスリで魔理沙に素直になってもらう』
うん、この案は…やっちゃった後に色んな所から文句が出そうだ。ちょっと魅力を感じないでもないけど、却下却下。
近道には落とし穴…どころか、毒ガスが散布されていそうだ。急がば回れ。古人の至言はかく告げている。
楽しようとするとロクなことはない。以上より、この案は廃却処分とする。
それが20を超えたところで頭を振って思考を中断する。どうにも、このまま考えていても良い考えは浮かびそうな気がしない。
「ああもう、全然駄目ね。何か良い案はないかしら……」
経験上、こういうのはある程度考えて浮かばなければ、少し間をおかなければならない。
しかしとはいっても、あまり休んでばかりいるわけにはいかない。そうしていても目の前の問題は解決してくれはしないのだ。
さて、どうしようか……ああもう、魔理沙がきちんと返してくれればこんなこと考えなくてもいいのに。
「あのっ、ちょっとよろしいですか?」
「あらリトル、何か良い考えでもあるの?」
向かい合って私の様子を見ていたリトルが、ビッと挙手をして発言許可を求めた。
その様子がおかしくて少し笑いそうになるが、真面目な顔を繕ってどんな意見かを尋ねる。
「魔理沙さんとこに本を取りにいくついでにこっそり部屋のものを持って帰るんです。それで『返して欲しければ本を返却しろー』っていうのは。良いと思いません?」
リトルが羽を動かしながら、我ながらナイスアイデアとか言いだしそうな顔をしている。
ふむ、確かに悪くない、悪くはないが………
「……悪くない考えだけど、駄目ね。もともと何処に何があるかすら把握してなさそうだし、盗られたことも気がつきそうにないわ」
「あー、確かに。うーん…じゃあ盗ったものを宣言するとか」
「多分、ブッ飛ばされるわよ。その役あなたが買って出るなら採用してもいいけど」
「う…それはちょっと……でも、何か良い方法ってあります?」
「見てわからない?」
「つまり、思い付かないんですね」
「そーゆーこと」
しばらく、二人してうーんうーんと唸り続けていた。良い考えは一向に浮かびそうにない。
先程からどちらかがアイデアを出しては、もう片方がそれを否定する、というのの繰り返しである。
今では二人とも椅子に座るのでなく、寝ながら浮いてみたり、体勢を変えながら考えている。意味はないかもしれないけれど…つい、ね?
傍目には変な風に映っただろうが、そもそも見られたからって減るものでもなし。何の問題もないだろう。
そんなことより問題なのは、小田原評定の様相を見せているこの状態。
「浮かびませんねー…」
「浮かばないわねー…」
流石にそろそろ疲れてきたしネタも尽きてきていた。2人の間に漂う空気はグダグダ感で一杯一杯。
大体、すぐに思い付くようなら今までに既にやっているだろう、とかいう諦めに近い愚痴まで浮かんでくる。
諦めては駄目だとわかってはいるのだが、ここまで来るとそんな考えも浮かんでしまうのだ。察して欲しい。
――――――――――不意に、脳裏に閃くものがあった。
「ねぇ、思い付いたんだけど………………………………っていうのはどうかしら」
「あー!確かにそれなら返してくれそうですねー」
リトルが手を叩いて嬉しそうに賛同した。この不毛な時間が終わりを告げるのは私も嬉しい。この一瞬の閃きに感謝しよう。
つまるところ、これは逆転の発想だ。今までどうやったら返してくれるかを考えていた。そこまではいい。
だが、そこで返さなかった時に罰を設けようとしたのが駄目だったのだ。『あの』魔理沙がそんなものを受け入れるはずがないのだから。
そう、だからつまり―――――――鞭ではなく、飴だったのだ。
「さて…そうと決まればさっそく色々と用意しないと。手伝ってね、リトル」
「はいはい、おーせのままに。マイマスター」
そんなことがあってから早2日。既に準備は完了している。ほとんどリトルにやらせたんだけれど、それは気にしない。
今までの周期から考えて、今日辺りそろそろ魔理沙が来る頃だ。確率で言うなら85%ぐらい。
「おーっす、また来たぜー」
果たして、件の人物は大きなドアを開けて中に入ってきた。相も変わらず緊張感に欠けた声だ。人の気も知らないで……
そこまで考えて、自分が少し緊張していることに気付き、深呼吸をする。焦るな私、くーるにいこうぜ。
「魔理沙ー、ちょっと話があるからこっちに来てくれる?」
ここからが勝負だ。心の中で呟いて闖入者に声をかけると、なんだなんだといった風に魔理沙がこちらにとことこ歩いてくる。
……やっぱり手ぶらだ。まぁ返してくれたりはしないだろうと思ってはいたけれど。
「で、どーしたんだ。私としてはここにある本を全部私にくれるとかいう話だと、とても嬉しいんだが」
「寝言は寝てから言って。取り敢えず、この資料を見てくれるかしら?」
「んー、なんだこれ。えーと…」
「あなたが持っていった本をまとめたものよ。ペケ印は返却されたもの」
「おお……これは、我ながら凄いな。よくここまで持ってったもんだ」
「それはこっちの台詞」
しみじみと言う魔理沙を思わず張っ倒したくなったが、ここは我慢だ。
ここで魔理沙を張り倒してしまったら、何のためにあれを用意したのかわからない。
「私も考えたのよ…どうすればあなたが本を返してくれるのかってね。そこで考えたのがこれよ、渡しておくわね」
「んー?なんだこりゃ。ポイント冊子…?」
「説明するわ。あなたが本を返す度にそのポイントが貯まっていくの。持ってきた本を小悪魔に渡せば判子を押してくれるわ。
そして、なんと!ポイントを貯めると豪華賞品と引き換えてもらえるのよ。凄いでしょう!?」
大袈裟な身振りで魔理沙に説明する。こういうのには演出っていうものが必要なんですよ、とリトルが言っていた。
効果があったかどうかは定かではないけれど、魔理沙はしげしげと渡した冊子を見ている。
よし、食いつけ食いつけ、パクッと来い。気分はまるきり釣り人。いや、釣りなんてしたことはないのだけれど。
「その、豪華賞品ってのがどんなものなのかによるな。具体的にどんなのがあるんだ?」
「これが景品一覧よ。これを見て、欲しいものを見つけたら頑張って返却してね」
「ふーん…まぁ持って帰ってじっくり見させてもらうとするぜ」
魔理沙がそう言い残して本棚の奥の方へ消えていくのを見送りながら、心の中で『ヒィィィット!』と叫びつつガッツポーズ。
もちろんそんなことを考えている素振りはまったく見せない。ポーカーフェイスは得意な方だ。
けれど…これで返してくれるようになったら良いんだけど、そうそう上手くいくかしら?
………ちょっと不安になってきた。こういうのは常に最悪の事態を想定しておくものだ、というのが持論でもある。本でも見ながらニの手三の手を考えるとしよう。
そうして私はまた、堂々巡りの考察に没頭することにした。
「よし、今日は控えめに…取り敢えずこれとこれとこれと………………これと、あとこれぐらいにしておくか」
本日の借りていく本を物色した結果、見事9冊の本が選ばれた。言うなれば、大人買いならぬ大人借りというやつだ。
やっぱり、ここには貴重な本が腐るほどある。私でなくとも心ある魔法使いから見れば、ここはまさしく宝物庫といったところだ。
…手に取った本は少し埃をかぶっていた。掃除はある程度は行き届いているようだが、流石に全てはカバー出来ていないのだろう。
これだけの広さならそれもしょうがないという気もする。ここは随分と奥の方でもあるし。
さて話は変わるが、本は読まれてこそだと私は思う。何が言いたいのかというと、つまりは。
こんな最後に読まれたのがいつかわからないような場所で埃をかぶっているぐらいなら、私に読まれた方が本も幸せというものだろう、ということだ。
「……私が私物化していいという事とイコールにはならないのは、重々承知なんだけどな」
誰に言うでもなく呟く。
私の家にあってもほったらかしにしている場合が多い。保存状態もこことは比べ物にならないだろう。もちろん、悪い方に。
読み終わったら返してやるのが本も幸せ、なのかもな。
そこまで考えて、さっき渡された冊子のことを思い出す。随分とぶ厚い。ここまで来ると一覧っていうより本と言ってもおかしくない。
取り敢えず、本棚と本棚の間に背を預けて開いてみる。
「うわ……こりゃすげぇ」
思わず感嘆の声が漏れる。その冊子からは物凄い意気ごみというか…気合いが感じられた。いや、怨念?
冊子には『これでもか、これでもか』と言わんばかりに、景品群が所狭しと列挙されていた。ここまで来ると何かこう…先程感じた気合いとは別に、在庫処分という印象を受ける。
しかし、低いポイントの所に並んでいるのは私がよく必要とするものがほとんど。よくここまでピンポイントなチョイスが出来たもんだ。思わず感心。
…よく見たら隅の方に小さく、とても小さくではあるが『提供 香霖堂』と書いてある。
……さては、私がちょくちょく持っていくものを格安で売りやがったか?
無料で持ってかれるよりは、格安であろうと買い手がいる方がいいってか。くそ、きちんと対価は払ってるっていうのに。たまに。
いやでも、一応弁解しておくと、まったく払わない霊夢よりかは随分とマシだと思う。時々、集めたものを格安で売ってやったりしてるし。
持ちつ持たれつだと思っていたのだが…どうやらそれは私だけだったらしい。ムカついたので帰りに寄って色々持ち去ってやろう。
さて、と……それは別にしても、取り敢えず。
「ま……本、返すとするか」
景品に釣られたということがないと言えば、嘘になるかもしれないが。今回のコレから、パチュリーの本に対する執着…もとい、愛を感じたのだ。
少なくとも……私の家でほったらかしにされているよりは、随分と待遇はいいだろう。
いずれ返さねばならないものだ。結局のところ、遅いか早いかの違いでしかない。
なにより最近、パチュリーの視線が痛いしな。
取り敢えず先程選んだ本をしまいこんで、まだ見ぬ本を求めて奥の方に進んでいく。何処にしまったのかは、乙女の秘密というやつだ。
面白そうな本を見つけたら、その場で読み耽る。そして大抵その本は借りる本に組み込まれるので、その勢いたるや既に20に届いている。
今日は控えめにしようと思っていたが、気がつくといつもと同じぐらいになっていた。まぁそういうこともあるだろう。
だが、そんなことをしているとやっぱり時間が経つのは早い。朝の10時過ぎに来たはずなのに、気がつけば腹時計は5時をとうに過ぎていた。
ちなみに自慢ではないが、誤差±10分前後という正確さを誇る。いや、自慢だなこりゃ。
本を読んでる間は気付かなかったが、昼飯を抜いたことになるのか。自覚すると、訴える空腹感がいっそう強さを増す。
図書館の中だからわからないが…季節は夏、日はまだ落ちてはいないはずだ。
もうちょっといてもいいが、今日はさっさと帰ることにする。随分と奥まできてしまったので、移動は箒でひとっとび。
なんといっても、今日からは本探しを始めなくてはならないのだ。
自分で言うのもなんだが、我が家での探し物はちょっとやそっとでは見つからない。それを考えると、少しでも早く始めておきたい。
……いや、正直なところ腹が減ってるからっていうのが一番大きいのだが。
仕方ないじゃないか。人間の三大欲求は食欲、性欲、睡眠欲。徹夜中のように空腹に気付かなければまだしも、気付いてしまってはもう耐えられない。
これで本を返していれば堂々と飯を要求も出来るのだが、流石にそこまで私も厚顔無恥ではない。…言ったら否定する奴いそうだな、と自分でも思うが。
出口が見えてきた。開け放たれた扉のその前に、パチュリーが手を大の字に広げ仁王立ちしているのが見える。
一瞬跳ね飛ばそうかとも思ったが、流石にそういうわけにもいかず少し手前で停止する。
「今日はもうお帰りかしら、魔理沙」
「おお、もう帰るぜ。見送りごくろーさん、パチュリー」
停止はしたものの、箒から降りずに返事をする。パチュリーの目的はわかっている、わざわざ臨戦態勢を解く意味もない。
パチュリーの目が訴えてきているものは、とても単純。すなわち、本を置いてけ、と。
「さっき少し見えたのだけど、随分と太ったのね魔理沙。太股付近が大根を通り越して、まるでドロワーズに本でも無理矢理詰め込んだみたい」
「ああ、知らないのか?これはこーいうデザインなんだぜ、いい感じだろ?」
「とっても素敵ね。ちょっと興味があるから見せてくれないかしら?」
言いつつパチュリーが手をわきわきとさせながら、じりじりと間合いをつめる。
お前接近戦するようなキャラじゃないだろ。あとなんだ、その手はやめろ。見てて寒気がするから。
そんなやりとりをしていると、ある本の一説が浮かんだ。昔何処かで読んだことのある、誰もが知っているような童話。
「……『おばーさんの手は、どうしてそんなに妖しい動きをしているの?』」
「『それはね…お前のドロワーズから本を取り出すためだよー!』」
その言葉を一つの合図に、箒で可能な限りの加速度で横をつっきる。なんでかは知らんが、扉を開けておいたのは失敗だったな。
悪いなパチュリー、今度からはきちんと返すから我慢してくれ。
ちょっと申し訳ない思いで後ろに消えていくパチュリーを振り返ると……うっすらと笑っているように見えた。
既に物凄く遠くまで来ていて、パチェリーは豆粒程度にしか見えていない。気のせいだろうと深く考えずに、そのまま広い館内を玄関に向かって飛ぶ。
―――――――――下半身が軽くなったのにも、気付かないままで。
「魔法っていうのは遠距離からの攻撃だけが能じゃない。肉体強化、なんていう手段もあるのよね…」
手にはそれぞれ白い布の切れ端…魔理沙のドロワーズの下の部分だ。すれ違いざまに破ってやった。
作戦大成功、といったところか。対魔理沙のためだけに改良に改良を重ね、ようやく実用段階まで持ってきたこの魔法。その甲斐はあった。
ぽろぽろと魔理沙が落としていった本を回収する。ひいふうみい………どれだけ詰め込んでるのか、あの黒白は。ていうか入らないだろう、この量は。
……体中がぎしぎしと軋む。可能な限り体への反動を抑えられるように工夫はしたが、この感じだと筋肉痛は避けられないだろう。それも、もの凄く酷いやつ。
まぁいい、あんな魔法を使って反動がこれだけで済んだのだから、僥倖としよう。今はちょっと無理だが、後で治せばいいのだし。
―――――――――肉体強化というものは総じて時間制限が設けられているものであり、持続時間が長ければ長くなるほど効果も弱まる。
時間制限があるのでどうにも使い勝手が悪く、何より効果に応じて体に反動が来るので、使われることは少ないのだが。
反動がどの程度のものかというと、今回みたいなのなら何もせずに使えば、全身の筋繊維がズタズタになるぐらいはする。
まぁつまり、魔法の代用にしようなどと考える者はまずいない、というわけだ。せいぜい日常に力仕事をする時に使う程度。私もそんな1人だった。
持続時間に反比例して効果が弱まる。言い替えると、ほんの一瞬であれば、とんでもない身体能力を発揮することも出来るということだ。
私のような非力な者が今回のようなスピードで動き、かつそれに耐え得る程に強化するには、本当に一瞬だけしか魔法はもたないのだけれど………
私には、扉を開けておけば絶対に横をすり抜けていくだろうという確信があった。
それがわかっていてさらに距離をある程度詰められれば、すり抜けるその瞬間を狙うのは、そう難しくはない。
「ああ…でも、流石にこれは、多用は出来ないわね……」
本を集め終えたところで、体の痛みに耐えかねてその場にへたりこんでしまう。重い疲労感が意識を遠のかせるのがわかる。これは、不味い。
何が不味いって、こんなところで眠ったら体の痛みが余計に悪化しそうだ。
しかしこの感じだと、恐らくはものの数分で眠ってしまう。さてどうしたものかと悩んでいると、ひょいと物陰から紅い髮の人影が現れた。
「お疲れさまです、パチュリー様。部屋までお連れしますから捕まって下さい」
「…あなた、いつからいたの」
「実は最初から、ですね。とばっちり受けないように隠れてました」
痛い目に遭うのは御免ですからね、などと軽口を言いながら私の体を背負う。いわゆるおんぶというやつだ。
だったら本を拾ってくれても良かったのに、とか文句はあるけれど…とにかく今は何も言う気にならない。
だから、次に目を覚ましたら文句を言おう。そう心に決めて目を閉じる。
「…………疲れたからもう寝るわ。後は頼むわね」
背中でぼそりと呟いて。リトルの温もりを感じながら、私は意識を手放した。
…うん、一仕事終えた後っていうのは、良い気分だ。
あれから一ヶ月かけて、魔理沙は貸していた本を全て持ってきてくれた。
やれ探すのは大変だっただの、ドロワーズ弁償しろだの色々と文句は言っていたけれど
普段からきちんとしていればそんなことにはならないだろうに。私に言うのはお門違いというものだ。
まぁ、ドロワーズは私が破いたのだけれど。でも魔理沙が持っていこうとしなければそうはならなかった。ほら、やっぱり自業自得。
そう言ってもやはりというかなんというか、魔理沙は納得せず、図書館の本を持っていくことを無理矢理に了承させられた。
ただし、二週間借りたらきちんと返すという条件付きだ。これを守れなければ即刻この約束は破棄される。
どうせすぐに期限を守れずに終わるだろうとタカをくくっていたが、しばらく経った今でも、この約束はまだ有効である。
どういう心境の変化かと1度訊いてみると『この2万ポイントの奴が欲しいんだ』と子供のような顔をして言っていた。いや、実際子供か。
さて、そういうわけで今私の心はとても穏やか。本を持っていかれはするが、きちんと返してくれるのだ。
心境は、以前に戻ったといえばそれまでだが、1度あんな思いをしてからはそれが尊いものだとよくわかる。
「…うん、あなたの淹れる紅茶はやっぱり美味しいわ」
「ふふふ…ありがとうございます。パチュリー様もなかなかお上手になられましたね」
本を読む手を一旦休めて、紅茶の薫りを楽しみつつリトルに労いの言葉をかける。
こんな風に穏やかな気持ちで飲む紅茶が、格別に美味いものだと気付いたのはあれからだ。
散々頭を悩まされたけれど…この一点だけは、魔理沙に感謝するとしよう。
「そうなんですよ…何処をどうすればあんなに入るのか知らないですけど、時々大量に持ってきますからね、あの人」
机に向かいながら深く嘆息する。つい先程、これまでの被害を確認しようとリトルにきいてみたところだ。
きちんとまとめているらしく、尋ねてみると少ししてから、どさりと重そうな資料が目の前に置かれた。
そこには題名だけでなく、持っていかれた日付やら何について書かれた本か、などなど…そこまでしなくてもいいんじゃないかしら、と思うぐらいに事細かに書かれていた。
けれど、おかげで状況はわかった。よーく、ね。
何度目かの溜め息を吐く。溜め息を吐くと幸せが逃げると言うが、あれは間違っている。幸せが…平穏が逃げていくから、溜め息を吐くのだから。
気を取り直して。確かに蔵書数から見てみれば、取られた数は微々たるものどころか砂漠から砂を一握り持っていったようなものだ。
しかし相対量が少ないとはいっても、400冊を超えている。看過することはあってはならない。持っていくのは止められないにしても、返させなければ。
…もう一度、嘆息。ここまで見事にやられていれば、溜め息に感嘆の思いも混じろうというものだ。
「これは、何か対策を講じる必要があるわね…」
目を閉じて持っていかれた本の数々を脳裏に思い浮かべる。……よし、やる気が出てきた。
やる気が出てきたところで、頭の中でこの事態への対策考察を開始する。
対策その1 『魔理沙に本を貸さないようにする』
これは無理だ。というより、既に行っているといった方が正しいか。
そもそもここは禁帯出。これまでにも幾度となく本を持っていこうとする魔理沙を、必死に押し留めようとしてきた。
時には出口で待ち伏せたり、館内で魔理沙をストーキングしたり…色々と努力も惜しまずにやってきたのだ。
だが、そもそもこれはこちらの分が悪い勝負である。こちらは倒さなければならないが、相手は逃げるだけで良いのだから。
魔理沙が本を持っていくのを止められたら勝ち、持っていかれたら負けとすると、今までの勝率は30%を切らんばかりの勢いだ。
魔理沙がすばしっこいのもあるが、それぐらいに不利な勝負なのだ、これは。
とにかく…これは既に行っているし、これ以上本を持っていかれないようにするのは当前のこと。
以上よりこの案は大前提とするが、事と次第によっては曲げることも考慮に入れるものとする。
対策その2 『図書館を有償化。延滞料金としてさらに代価を要求』
これはなかなかに有効な手段である。何らかの実験に必要な物を対価として要求、というのは極めて建設的な思考と言えるだろう。
知識として蓄えたものを実地で学習というのは、あまり外に出ない私には実験材料という点から難しい場合が多い。
だがこうすれば今まで無理だった実験も可能になる。魔理沙の延滞も少しはマシになるだろう。うん、実に素晴しいアイデアだ。
――――――――が、それもこれも魔理沙が常識的な人間なら、という前提での話だ。
あの黒白が、そんな要求を飲むだろうか。可能性は限りなく低いような気がする。
『知ったこっちゃない。勝手に持っていくぜ』とか言っていつもどおり、というのが容易に思い浮かぶ。
案としては悪くないが、相手が魔理沙だということを鑑みると現実味に欠ける。
以上から、この案は改良を必要とし、保留処分とする。
対策その3 『魔理沙の家に取りにいく』
これが一番確実。問題は外に出るのが億劫だっていうことと、行ったからといって返してくれるとも限らないということ。
確か以前に小悪魔に取りに行かせたのだけれど、あまりに色んなものが散乱していて
さらに散乱しているもののほとんどがマジックアイテムだから、下手に動かすと何が起こるかわからないという有り様で
朝に取りに行かせたのに、結局帰って来たのは夜、それも物凄く疲れた顔で数冊だけを胸に抱えてという悲惨な状態でだ。
私が行けば効率は上がるだろうが、それでも多少は…というレベルである。
いや下手をすれば、そんな長い間掃除してないこと間違いなしな空間に行くことで喘息の発作でも起きようものなら、足手まといになること受け合いである。
とにかく、確実的ではあるものの非効率的であるし、そもそもなんでこっちがそこまでしなきゃならないのかという疑問が浮かぶ。返しに来なさいよ。
以上より、この案は最終手段とする。
対策その4 『秘密のクスリで魔理沙に素直になってもらう』
うん、この案は…やっちゃった後に色んな所から文句が出そうだ。ちょっと魅力を感じないでもないけど、却下却下。
近道には落とし穴…どころか、毒ガスが散布されていそうだ。急がば回れ。古人の至言はかく告げている。
楽しようとするとロクなことはない。以上より、この案は廃却処分とする。
それが20を超えたところで頭を振って思考を中断する。どうにも、このまま考えていても良い考えは浮かびそうな気がしない。
「ああもう、全然駄目ね。何か良い案はないかしら……」
経験上、こういうのはある程度考えて浮かばなければ、少し間をおかなければならない。
しかしとはいっても、あまり休んでばかりいるわけにはいかない。そうしていても目の前の問題は解決してくれはしないのだ。
さて、どうしようか……ああもう、魔理沙がきちんと返してくれればこんなこと考えなくてもいいのに。
「あのっ、ちょっとよろしいですか?」
「あらリトル、何か良い考えでもあるの?」
向かい合って私の様子を見ていたリトルが、ビッと挙手をして発言許可を求めた。
その様子がおかしくて少し笑いそうになるが、真面目な顔を繕ってどんな意見かを尋ねる。
「魔理沙さんとこに本を取りにいくついでにこっそり部屋のものを持って帰るんです。それで『返して欲しければ本を返却しろー』っていうのは。良いと思いません?」
リトルが羽を動かしながら、我ながらナイスアイデアとか言いだしそうな顔をしている。
ふむ、確かに悪くない、悪くはないが………
「……悪くない考えだけど、駄目ね。もともと何処に何があるかすら把握してなさそうだし、盗られたことも気がつきそうにないわ」
「あー、確かに。うーん…じゃあ盗ったものを宣言するとか」
「多分、ブッ飛ばされるわよ。その役あなたが買って出るなら採用してもいいけど」
「う…それはちょっと……でも、何か良い方法ってあります?」
「見てわからない?」
「つまり、思い付かないんですね」
「そーゆーこと」
しばらく、二人してうーんうーんと唸り続けていた。良い考えは一向に浮かびそうにない。
先程からどちらかがアイデアを出しては、もう片方がそれを否定する、というのの繰り返しである。
今では二人とも椅子に座るのでなく、寝ながら浮いてみたり、体勢を変えながら考えている。意味はないかもしれないけれど…つい、ね?
傍目には変な風に映っただろうが、そもそも見られたからって減るものでもなし。何の問題もないだろう。
そんなことより問題なのは、小田原評定の様相を見せているこの状態。
「浮かびませんねー…」
「浮かばないわねー…」
流石にそろそろ疲れてきたしネタも尽きてきていた。2人の間に漂う空気はグダグダ感で一杯一杯。
大体、すぐに思い付くようなら今までに既にやっているだろう、とかいう諦めに近い愚痴まで浮かんでくる。
諦めては駄目だとわかってはいるのだが、ここまで来るとそんな考えも浮かんでしまうのだ。察して欲しい。
――――――――――不意に、脳裏に閃くものがあった。
「ねぇ、思い付いたんだけど………………………………っていうのはどうかしら」
「あー!確かにそれなら返してくれそうですねー」
リトルが手を叩いて嬉しそうに賛同した。この不毛な時間が終わりを告げるのは私も嬉しい。この一瞬の閃きに感謝しよう。
つまるところ、これは逆転の発想だ。今までどうやったら返してくれるかを考えていた。そこまではいい。
だが、そこで返さなかった時に罰を設けようとしたのが駄目だったのだ。『あの』魔理沙がそんなものを受け入れるはずがないのだから。
そう、だからつまり―――――――鞭ではなく、飴だったのだ。
「さて…そうと決まればさっそく色々と用意しないと。手伝ってね、リトル」
「はいはい、おーせのままに。マイマスター」
そんなことがあってから早2日。既に準備は完了している。ほとんどリトルにやらせたんだけれど、それは気にしない。
今までの周期から考えて、今日辺りそろそろ魔理沙が来る頃だ。確率で言うなら85%ぐらい。
「おーっす、また来たぜー」
果たして、件の人物は大きなドアを開けて中に入ってきた。相も変わらず緊張感に欠けた声だ。人の気も知らないで……
そこまで考えて、自分が少し緊張していることに気付き、深呼吸をする。焦るな私、くーるにいこうぜ。
「魔理沙ー、ちょっと話があるからこっちに来てくれる?」
ここからが勝負だ。心の中で呟いて闖入者に声をかけると、なんだなんだといった風に魔理沙がこちらにとことこ歩いてくる。
……やっぱり手ぶらだ。まぁ返してくれたりはしないだろうと思ってはいたけれど。
「で、どーしたんだ。私としてはここにある本を全部私にくれるとかいう話だと、とても嬉しいんだが」
「寝言は寝てから言って。取り敢えず、この資料を見てくれるかしら?」
「んー、なんだこれ。えーと…」
「あなたが持っていった本をまとめたものよ。ペケ印は返却されたもの」
「おお……これは、我ながら凄いな。よくここまで持ってったもんだ」
「それはこっちの台詞」
しみじみと言う魔理沙を思わず張っ倒したくなったが、ここは我慢だ。
ここで魔理沙を張り倒してしまったら、何のためにあれを用意したのかわからない。
「私も考えたのよ…どうすればあなたが本を返してくれるのかってね。そこで考えたのがこれよ、渡しておくわね」
「んー?なんだこりゃ。ポイント冊子…?」
「説明するわ。あなたが本を返す度にそのポイントが貯まっていくの。持ってきた本を小悪魔に渡せば判子を押してくれるわ。
そして、なんと!ポイントを貯めると豪華賞品と引き換えてもらえるのよ。凄いでしょう!?」
大袈裟な身振りで魔理沙に説明する。こういうのには演出っていうものが必要なんですよ、とリトルが言っていた。
効果があったかどうかは定かではないけれど、魔理沙はしげしげと渡した冊子を見ている。
よし、食いつけ食いつけ、パクッと来い。気分はまるきり釣り人。いや、釣りなんてしたことはないのだけれど。
「その、豪華賞品ってのがどんなものなのかによるな。具体的にどんなのがあるんだ?」
「これが景品一覧よ。これを見て、欲しいものを見つけたら頑張って返却してね」
「ふーん…まぁ持って帰ってじっくり見させてもらうとするぜ」
魔理沙がそう言い残して本棚の奥の方へ消えていくのを見送りながら、心の中で『ヒィィィット!』と叫びつつガッツポーズ。
もちろんそんなことを考えている素振りはまったく見せない。ポーカーフェイスは得意な方だ。
けれど…これで返してくれるようになったら良いんだけど、そうそう上手くいくかしら?
………ちょっと不安になってきた。こういうのは常に最悪の事態を想定しておくものだ、というのが持論でもある。本でも見ながらニの手三の手を考えるとしよう。
そうして私はまた、堂々巡りの考察に没頭することにした。
「よし、今日は控えめに…取り敢えずこれとこれとこれと………………これと、あとこれぐらいにしておくか」
本日の借りていく本を物色した結果、見事9冊の本が選ばれた。言うなれば、大人買いならぬ大人借りというやつだ。
やっぱり、ここには貴重な本が腐るほどある。私でなくとも心ある魔法使いから見れば、ここはまさしく宝物庫といったところだ。
…手に取った本は少し埃をかぶっていた。掃除はある程度は行き届いているようだが、流石に全てはカバー出来ていないのだろう。
これだけの広さならそれもしょうがないという気もする。ここは随分と奥の方でもあるし。
さて話は変わるが、本は読まれてこそだと私は思う。何が言いたいのかというと、つまりは。
こんな最後に読まれたのがいつかわからないような場所で埃をかぶっているぐらいなら、私に読まれた方が本も幸せというものだろう、ということだ。
「……私が私物化していいという事とイコールにはならないのは、重々承知なんだけどな」
誰に言うでもなく呟く。
私の家にあってもほったらかしにしている場合が多い。保存状態もこことは比べ物にならないだろう。もちろん、悪い方に。
読み終わったら返してやるのが本も幸せ、なのかもな。
そこまで考えて、さっき渡された冊子のことを思い出す。随分とぶ厚い。ここまで来ると一覧っていうより本と言ってもおかしくない。
取り敢えず、本棚と本棚の間に背を預けて開いてみる。
「うわ……こりゃすげぇ」
思わず感嘆の声が漏れる。その冊子からは物凄い意気ごみというか…気合いが感じられた。いや、怨念?
冊子には『これでもか、これでもか』と言わんばかりに、景品群が所狭しと列挙されていた。ここまで来ると何かこう…先程感じた気合いとは別に、在庫処分という印象を受ける。
しかし、低いポイントの所に並んでいるのは私がよく必要とするものがほとんど。よくここまでピンポイントなチョイスが出来たもんだ。思わず感心。
…よく見たら隅の方に小さく、とても小さくではあるが『提供 香霖堂』と書いてある。
……さては、私がちょくちょく持っていくものを格安で売りやがったか?
無料で持ってかれるよりは、格安であろうと買い手がいる方がいいってか。くそ、きちんと対価は払ってるっていうのに。たまに。
いやでも、一応弁解しておくと、まったく払わない霊夢よりかは随分とマシだと思う。時々、集めたものを格安で売ってやったりしてるし。
持ちつ持たれつだと思っていたのだが…どうやらそれは私だけだったらしい。ムカついたので帰りに寄って色々持ち去ってやろう。
さて、と……それは別にしても、取り敢えず。
「ま……本、返すとするか」
景品に釣られたということがないと言えば、嘘になるかもしれないが。今回のコレから、パチュリーの本に対する執着…もとい、愛を感じたのだ。
少なくとも……私の家でほったらかしにされているよりは、随分と待遇はいいだろう。
いずれ返さねばならないものだ。結局のところ、遅いか早いかの違いでしかない。
なにより最近、パチュリーの視線が痛いしな。
取り敢えず先程選んだ本をしまいこんで、まだ見ぬ本を求めて奥の方に進んでいく。何処にしまったのかは、乙女の秘密というやつだ。
面白そうな本を見つけたら、その場で読み耽る。そして大抵その本は借りる本に組み込まれるので、その勢いたるや既に20に届いている。
今日は控えめにしようと思っていたが、気がつくといつもと同じぐらいになっていた。まぁそういうこともあるだろう。
だが、そんなことをしているとやっぱり時間が経つのは早い。朝の10時過ぎに来たはずなのに、気がつけば腹時計は5時をとうに過ぎていた。
ちなみに自慢ではないが、誤差±10分前後という正確さを誇る。いや、自慢だなこりゃ。
本を読んでる間は気付かなかったが、昼飯を抜いたことになるのか。自覚すると、訴える空腹感がいっそう強さを増す。
図書館の中だからわからないが…季節は夏、日はまだ落ちてはいないはずだ。
もうちょっといてもいいが、今日はさっさと帰ることにする。随分と奥まできてしまったので、移動は箒でひとっとび。
なんといっても、今日からは本探しを始めなくてはならないのだ。
自分で言うのもなんだが、我が家での探し物はちょっとやそっとでは見つからない。それを考えると、少しでも早く始めておきたい。
……いや、正直なところ腹が減ってるからっていうのが一番大きいのだが。
仕方ないじゃないか。人間の三大欲求は食欲、性欲、睡眠欲。徹夜中のように空腹に気付かなければまだしも、気付いてしまってはもう耐えられない。
これで本を返していれば堂々と飯を要求も出来るのだが、流石にそこまで私も厚顔無恥ではない。…言ったら否定する奴いそうだな、と自分でも思うが。
出口が見えてきた。開け放たれた扉のその前に、パチュリーが手を大の字に広げ仁王立ちしているのが見える。
一瞬跳ね飛ばそうかとも思ったが、流石にそういうわけにもいかず少し手前で停止する。
「今日はもうお帰りかしら、魔理沙」
「おお、もう帰るぜ。見送りごくろーさん、パチュリー」
停止はしたものの、箒から降りずに返事をする。パチュリーの目的はわかっている、わざわざ臨戦態勢を解く意味もない。
パチュリーの目が訴えてきているものは、とても単純。すなわち、本を置いてけ、と。
「さっき少し見えたのだけど、随分と太ったのね魔理沙。太股付近が大根を通り越して、まるでドロワーズに本でも無理矢理詰め込んだみたい」
「ああ、知らないのか?これはこーいうデザインなんだぜ、いい感じだろ?」
「とっても素敵ね。ちょっと興味があるから見せてくれないかしら?」
言いつつパチュリーが手をわきわきとさせながら、じりじりと間合いをつめる。
お前接近戦するようなキャラじゃないだろ。あとなんだ、その手はやめろ。見てて寒気がするから。
そんなやりとりをしていると、ある本の一説が浮かんだ。昔何処かで読んだことのある、誰もが知っているような童話。
「……『おばーさんの手は、どうしてそんなに妖しい動きをしているの?』」
「『それはね…お前のドロワーズから本を取り出すためだよー!』」
その言葉を一つの合図に、箒で可能な限りの加速度で横をつっきる。なんでかは知らんが、扉を開けておいたのは失敗だったな。
悪いなパチュリー、今度からはきちんと返すから我慢してくれ。
ちょっと申し訳ない思いで後ろに消えていくパチュリーを振り返ると……うっすらと笑っているように見えた。
既に物凄く遠くまで来ていて、パチェリーは豆粒程度にしか見えていない。気のせいだろうと深く考えずに、そのまま広い館内を玄関に向かって飛ぶ。
―――――――――下半身が軽くなったのにも、気付かないままで。
「魔法っていうのは遠距離からの攻撃だけが能じゃない。肉体強化、なんていう手段もあるのよね…」
手にはそれぞれ白い布の切れ端…魔理沙のドロワーズの下の部分だ。すれ違いざまに破ってやった。
作戦大成功、といったところか。対魔理沙のためだけに改良に改良を重ね、ようやく実用段階まで持ってきたこの魔法。その甲斐はあった。
ぽろぽろと魔理沙が落としていった本を回収する。ひいふうみい………どれだけ詰め込んでるのか、あの黒白は。ていうか入らないだろう、この量は。
……体中がぎしぎしと軋む。可能な限り体への反動を抑えられるように工夫はしたが、この感じだと筋肉痛は避けられないだろう。それも、もの凄く酷いやつ。
まぁいい、あんな魔法を使って反動がこれだけで済んだのだから、僥倖としよう。今はちょっと無理だが、後で治せばいいのだし。
―――――――――肉体強化というものは総じて時間制限が設けられているものであり、持続時間が長ければ長くなるほど効果も弱まる。
時間制限があるのでどうにも使い勝手が悪く、何より効果に応じて体に反動が来るので、使われることは少ないのだが。
反動がどの程度のものかというと、今回みたいなのなら何もせずに使えば、全身の筋繊維がズタズタになるぐらいはする。
まぁつまり、魔法の代用にしようなどと考える者はまずいない、というわけだ。せいぜい日常に力仕事をする時に使う程度。私もそんな1人だった。
持続時間に反比例して効果が弱まる。言い替えると、ほんの一瞬であれば、とんでもない身体能力を発揮することも出来るということだ。
私のような非力な者が今回のようなスピードで動き、かつそれに耐え得る程に強化するには、本当に一瞬だけしか魔法はもたないのだけれど………
私には、扉を開けておけば絶対に横をすり抜けていくだろうという確信があった。
それがわかっていてさらに距離をある程度詰められれば、すり抜けるその瞬間を狙うのは、そう難しくはない。
「ああ…でも、流石にこれは、多用は出来ないわね……」
本を集め終えたところで、体の痛みに耐えかねてその場にへたりこんでしまう。重い疲労感が意識を遠のかせるのがわかる。これは、不味い。
何が不味いって、こんなところで眠ったら体の痛みが余計に悪化しそうだ。
しかしこの感じだと、恐らくはものの数分で眠ってしまう。さてどうしたものかと悩んでいると、ひょいと物陰から紅い髮の人影が現れた。
「お疲れさまです、パチュリー様。部屋までお連れしますから捕まって下さい」
「…あなた、いつからいたの」
「実は最初から、ですね。とばっちり受けないように隠れてました」
痛い目に遭うのは御免ですからね、などと軽口を言いながら私の体を背負う。いわゆるおんぶというやつだ。
だったら本を拾ってくれても良かったのに、とか文句はあるけれど…とにかく今は何も言う気にならない。
だから、次に目を覚ましたら文句を言おう。そう心に決めて目を閉じる。
「…………疲れたからもう寝るわ。後は頼むわね」
背中でぼそりと呟いて。リトルの温もりを感じながら、私は意識を手放した。
…うん、一仕事終えた後っていうのは、良い気分だ。
あれから一ヶ月かけて、魔理沙は貸していた本を全て持ってきてくれた。
やれ探すのは大変だっただの、ドロワーズ弁償しろだの色々と文句は言っていたけれど
普段からきちんとしていればそんなことにはならないだろうに。私に言うのはお門違いというものだ。
まぁ、ドロワーズは私が破いたのだけれど。でも魔理沙が持っていこうとしなければそうはならなかった。ほら、やっぱり自業自得。
そう言ってもやはりというかなんというか、魔理沙は納得せず、図書館の本を持っていくことを無理矢理に了承させられた。
ただし、二週間借りたらきちんと返すという条件付きだ。これを守れなければ即刻この約束は破棄される。
どうせすぐに期限を守れずに終わるだろうとタカをくくっていたが、しばらく経った今でも、この約束はまだ有効である。
どういう心境の変化かと1度訊いてみると『この2万ポイントの奴が欲しいんだ』と子供のような顔をして言っていた。いや、実際子供か。
さて、そういうわけで今私の心はとても穏やか。本を持っていかれはするが、きちんと返してくれるのだ。
心境は、以前に戻ったといえばそれまでだが、1度あんな思いをしてからはそれが尊いものだとよくわかる。
「…うん、あなたの淹れる紅茶はやっぱり美味しいわ」
「ふふふ…ありがとうございます。パチュリー様もなかなかお上手になられましたね」
本を読む手を一旦休めて、紅茶の薫りを楽しみつつリトルに労いの言葉をかける。
こんな風に穏やかな気持ちで飲む紅茶が、格別に美味いものだと気付いたのはあれからだ。
散々頭を悩まされたけれど…この一点だけは、魔理沙に感謝するとしよう。
何なんでしょう、この2万ポイントの景品は。気になって夜も眠れない予定。ごちです。
パチュリー本人・・・だといいなぁ。安すぎ?
>『この2万ポイントの奴が欲しいんだ』
提供:香林堂で2万ポイントクラス? 気になる……。
パチュリーのことだから、魔理沙の興味を引く為
秘密 とだけ書いてあるとか・・・
そして中身は香林のHUNDOSH・・・(バキッ
実は…安いポイントのものを、そんなに(本をきちんと返す程)欲しがりはしないだろう、という
非常に安易な考えのもとで、適当に決めたものでして…そう、答えはあなたの心の中にあるのです。いや、すみません。
何か面白いものを考え付いたら、もしかしたらそれを手に入れる魔理沙で、何か書いたりするかもしれません。
>中に入るときに箒を預ける
ほら、魔理沙の箒っていうと、武士の刀みたいな感じじゃないですか。
図書館での日頃の行いも良くないわけですし…野良パチュリーに襲われちゃうかもしれません。
自分の安全の為にも、手放せないということで。
……ごめんなさい、本当は見た時『その手があったかぁ!』と思いました。
魔理沙の家からわずかとはいえ取り戻して来た小悪魔の偉業は称えられるべきだと思います