鏡あわせのような半月が、夜を照らす。
月下に竹林。
少女は二人。
片や銀、片や黒。あたかも頭上の明かりの如く。
隠しの腕を引き抜きもせず、飄々と。
五色の枝を、掲げ携え堂々と。
声もなく、ただ見合う。
「もう、終わりにしましょう」
銀の髪を煌めかせ、妹紅は眼前の永遠に告げた。
「……なんですって?」
ぬばたまの髪を靡かせ、輝夜は眉をひそめる。
「もう、あんたじゃ私に勝てないよ」
「巫山戯たことを」
しゃん、と玉の枝を振り、言う。口調は、聊かの変わりもない。
「二、三度勝ちが続いただけで、勝利宣言?」
「勝ちが続いた。それが答えよ」
同じく、変わらぬ口調で妹紅も続けた。
「……永遠の風上の端の端にしがみつく不死人風情が大口を」
「生まれながらの永遠ごときが、死を知る不死者に敵うと思ってんの?」
対峙する。もはや両者に言葉はなかった。
じゃん!
振りかざされる玉の枝。五色が輝き、光条となって妹紅を射抜く。
ごう!
風巻く音と共に、彼女の背から炎が噴出する。
夜の闇を裂く炎の柱は、宙で曲がって彼女を包む。翼のように。
五色の光は、あるいは弾かれ地に埋もれ、あるいは炎に消え失せた。
「……あんたは、変わらないね」
ざあ、と炎の翼をはらう。
「あんたは変わらない。初めて見たときから、なんにも」
あんたは覚えていないだろうけどさ、と彼女は笑った。
「当然よね。あんたは、永遠だもんね」
永遠は、変わらない。永遠に、変わらない。
変わらないのが、永遠。
「だからあんたにゃどうにもならない。私をどうにか、できやしない」
「なぜ?」
ゆらりと、光の穿った大穴から視線を上げる。
「貴女も私と同じでしょう? 貴女も同じ、永遠でしょう? 貴女ももはや、永遠でしょう?」
淡々と、本当に疑問に思っているのか疑わしい口調で言う。そして瞳は深すぎて、あるいは浅すぎて、何を想うのか悟ることはできない。
「あんたは、永遠だった。私は、永遠になった。あんたと私の違いはそれだけ。だけどその差は甚大」
無限、と評さなかったのは、慈悲か。
「私は、歩き方を知っている。進み方を知っている。元より永遠のあんたにゃ、意識する必要すらなかったことだろうけど」
永遠は、ただ永遠としてあるのみ。変わりはしない。
変われはしない。
「あの薬を手に入れた時、私は死んだわ」
警護の兵らを出し抜いて、まんまと薬壺を手にした昂揚は一時だった。
ひたひたと忍び寄る死の予感。
当然だ。事は帝の勅命。それを妨げた罪人を、むざむざ見過ごすはずもない。
「追われて追われて追われて追われて。怖くて怖くて怖くて怖くて。逃げて逃げて逃げて逃げて。逃げ切れなくて。追いつかれて」
殺されて。
生き返って。
そして、あの薬のなんたるかを知った。
自分に、死はなくなった。
でも、彼女は、死を知っていた。
死なない。
でも、死ぬのは嫌だ。
だから、足掻いた。
足掻いて足掻いて足掻いて足掻いた。
家柄しかない彼女は、無力だった。
なんの術ももたぬ小娘に、世界は厳しかった。
敵に満ちた世界の中で、彼女の唯一の寄る辺は、この死なない体だった。忍び寄るあまたの死の気配の中で、唯一確かなのは、生きている自分だった。
当時は、なんの利点とも思えなかったが。
死なない、ではなく。
死ねない、だった。
終わることは、許されなかった。
きっかけは、些細なことだった。
一人殺した。
それだけだった。
追いかけてくる死。
両手で石を抱え、振り下ろす。
死は、死んだ。
ただそれだけで、死は死んだ。
笑う。声をあげて笑った。
なんだ。
絶対的なまでに恐怖だった世界。死を呼ぶ世界。
それが崩れた瞬間だった。
追いかけてくるなら、振り切ればいい。
追いつかれたなら、払い落とせばいい。
私は死なない。
私が死ぬのは、世界が死ぬ時。
私は世界だ。
世界は手に負えないほどに完全でも、取りつく島もないほどに完璧でもなかった。
そして私はここへ来た。
ここで私は彼女に会った。
差し伸べられた手を振り払う。
敵からの手を、振り払う。
敵だ敵だ敵だ。だから殺す。
殺せなかった。なら殺されるのは私だ。
手が、差し伸べられた。
傷だらけの手。焼けた服。炙られた髪。笑顔。
優しい世界に私は会った。
優しい世界に初めて逢った。
ここで、立ち止まろうと思った。
ここに、留まろうと思った。留まりたいと思った。
そううまくはいかなかった。
あいつを見つけてしまったから。
相も変わらず澄ました顔の、いけ好かない女。父様に恥をかかせた女。
殺してやろう、と思った。
逆に、殺された。
怖い、怖い、怖い。
死ぬのが怖い。死ぬのは怖い。死ぬのは嫌だ。
あいつが私を殺す。あいつが私を殺しに来る。
だから私があいつを殺してやる。
殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺して。
死ななくて。
こいつもそうだと知って。
だから殺されて殺されて殺して殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺して殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺して殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺して殺されて殺されて殺して殺されて殺されて殺されて殺して殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺して殺されて殺されて殺されて殺して殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺して殺されて殺されて殺して殺されて殺されて殺されて殺されて殺して殺されて殺され殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺して殺されて殺されて殺して殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺されて殺して殺されて殺されて殺されて殺して殺されて殺されて殺されて殺して殺されて殺されて殺されて殺して殺されて殺して殺されて殺されて殺されて殺して殺されて殺されて殺されて殺して殺されて殺されて殺して殺されて殺して殺されて殺して殺されて殺されて殺して殺されて殺して殺されて殺して殺されて殺して、殺して、殺して。
そして今。
「あんた、死ぬのは怖くない?」
「馬鹿なことを」
肩をすくめて流し見る。
「無いものを、どうして恐れられるというの?」
「……そうよね」
月のような視線から、妹紅は目をそらした。
死は隣人だ。
死は親しき隣人で、親しくしたくない隣人だ。
それを遠ざけるため、柵をめぐらせ武器を取る。
追い立てる恐怖が、前に進ませる。
妹紅はそれを知っている。
輝夜はそれを知らない。
死は、終わりなどではない。
死などない。
恐怖などとは思ってもみない。
遠ざける必要などない。
永遠に追いつけるものなど、ありはしない。
輝夜はそれを知っている。輝夜はそう思っている。
妹紅はそれを知っている。
だが妹紅は、そう思っていない。そう思えない。恐怖を知っているから。追いかけてくるものを知っているから。
そしてそれが追いやれることを、知っているから。
前に進める永遠は、後ろの永遠振り切って。
「だから、あんたは私を殺せない。あんたはもう、私を追い立てない。あんたじゃ生を感じられない。遠い遠い、はるか彼方の輝夜。あんたはもう、私の死じゃない」
何の言葉か。
輝夜は、信じられないものを見るように、彼女を見る。
「さよなら輝夜」
最後に見たのは、真っ赤な炎。
最初に見たのは、真っ黒な闇。
月は翳ったか? それともまだ目が治っていないか。
口の中に、違和感。苦い。
べい、と吹き出す。土。
「……あー」
何のことはない。ただ俯せに倒れていただけだった。
意味もなく呻き、輝夜はごろりと仰向けになる。月は煌々と輝いていた。
「こわれ、ちゃっ、た」
違う。
「こわし、ちゃっ、た」
違う。
「とん、でっ、ちゃっ、た」
そう。
手を伸ばせば届くところにあった背中は、遠く遠くへ行ってしまった。
「まあ、いいか」
玩具を一つ、なくしただけだ。
あの時に、戻っただけだ。
あの時?
あの時って、いつだろう。
月で過ごした、あの時か?
地上に堕ちた、あの時か?
幻想郷に逃れた、あの時か?
よく、わからない。
自分は変わっていないのだろうか。月の頃から。
何も変わって、いないのだろうか。
地上の民は、汚れ穢れているという。
では、自分を拾ってくれた養父は、汚れていたか。自分を育ててくれた養母は、穢れていたか。
なぜ、月へ帰らなかったのか。
二人に薬を渡したのは、なぜだ。口止め料? 永琳はそう言っていたが。
永遠を往くことが、幸せなことであると思ったからではないか。
彼らと永遠を往きたいと思ったからではないか。
いつかまた会えると、思ったからではないのか。
思えたからではないのか。
思えるようになったからでは、ないのか。
地上に堕ちた私は傷ついた。
でも、永遠が傷ついたところで意味はない。
転がして転がして、削って削って、傷は消える。
珠に戻る。
永遠に、戻る。
だがその珠は、元の珠か?
その永遠は、前と違わぬ永遠か?
「違うと、思うな」
声にして、笑った。
あれほどに違った、自分と彼女の永遠。ならば、あの時と今の自分が同じ永遠だという保証もあるまい。
変わらないものなど、ないのかもしれない。
永遠ですら、移ろうのだから。
即席の永遠に啓蒙されるなんて、とてもとても、癪ではあるのだけど。
「姫様」
空からの声。
赤半分、青半分の従者が一人。
「手ひどくやられましたね」
一面の焼け野原を見、永琳は輝夜に跪いた。
「……そうね、連敗だわ」
邪気もなく、彼女はくすりと笑みをこぼし、難儀そうに身を起こした。その背に手をやり、体を支える。
そういえば、永遠も悪くないと思えたのは、彼女がいたからではなかっただろうか。
……そうだったとしても、口にしてなどやらないが。
「残念です」
「……何がかしら」
いえ、とにこやかに首を振る。
白々しい彼女の顔を撫でるように見て、ため息をつく。
「ねえ、永琳」
「なんでしょう」
しばしの沈黙の後、思いついたような姫の呼びかけに、忠実なる従者は恭しく応えた。
「永遠が、傷ついたわ」
ふ、と息を吐き、目を細める。
「それはいけません。揉まれて丸としなければ」
慇懃に言って、彼女は懐から、一枚の紙切れを取り出した。
「都合のいいことに、ここに世事への招待がございますわ」
受け取る。
差出人は、例の博霊の巫女だった。
削って揉まれて軽くなれば、追いつき易くもなるだろう。
既に宴会は始まっていた。そちらこちらで嬌声歓声が上がる。
物珍しげに、視線を左右に飛ばす。
楽器をかき鳴らす騒霊。歌う夜雀。音頭をとる魔砲使い。
そんな人妖の最中、見慣れた背中を発見した。そっとその背後に降り立つ。
相当酒が回っているようだ。追いかけてきた後ろの気配に、気付いた様子もない。
聞いたこともない笑い声をたて、聞いたこともない声音で騒いでいる。
「まー何? 畳と暇潰しの相手は新しいほうがいいってねー!」
…………
ほう。
らしくもない、らしくもない、らしくもないことを考えていたというのに。
そんなことを思っていたのか、これは。
……まあ、新しく手に入れた宴会という名の玩具を、いきなり血みどろにすることもないだろう。
……おお。これが彼女風に言うなら、前に進んだってことになるのかしら。
周囲が盛んに「後ろ、後ろー!」と騒ぎ立てはじめるが、振り向く暇は与えない。
甚だ遅い、初めの一歩だが……
にっこりと微笑み、輝夜はその背を思いっきり蹴飛ばした。
生きてるって事は、死んでない事じゃあないんです。
それゆえに久遠の世界は有為転変。
ころがれころがれ果てもなく。
まわれまわれとこしえに。
さて、今度はどこにいこうかな?
生きてるって、すばらしい。
妹紅の一死の長といったところでしょうか。質の意味で。
どちらにしろ追われる側が追う側になっただけの話で、
追いかけっこの本質はまったく変わってないみたいですね。
足引っ掛けたり、肩引っ張ったり、服掴んだりetc etc……
追い抜く手段なんて腐るほどありそうです。
そんな彼女達に送る珠玉の一作。
つ 「マリオカート」
削り削り、表と裏がなくなったとき、それは裏か表か中庸か・・
知ることが識ることに勝るとは限らないが、決して劣ることもない
それらは裏表ですらなく、同じ物ですらないのだから
どちらが妹紅でどちらが輝夜でしょうか?いや、どっちもなのかな?
何か目から鱗の気分。そしてそれを納得させる説得力。
お見事です。
蓬莱の薬は魂を不滅にするけど心までは不滅にしてはくれない。
ならば永遠を知らない妹紅の方が不利に思えます。
そんな考えを良い意味で否定してくれた作品でした。