(注)これは八雲紫の命により外界で暮らす橙のお話。「式神橙編」の最後の話になります。どうぞご了承下さい。
春のある日。
ゆるゆると温かな夜。
居候の橙とその家主の男は、近所の公園の桜の下で青いビニールシートを敷き、お花見を楽しんでいた。
料理は全て、最近めきめきと腕を上げ続けている橙の手作りだ。お重の中には和風の渋いレパートリーが並んでいる。
男は白いTシャツに、カットオフしたGジャンにGパン姿で無造作に座り、煮豆を箸でつまみつつ、『山猫』とラベルの貼られた酒瓶から小さな杯に酒を注ぎ口にしている。
橙は、初めて男の元を訪れた時と同じ白い長袖のシャツに赤いブレザーとスカート風の服を着て、木にもたれながら足をのばして座り、両手で杯を持ちチロチロと舐めている。彼女には少しきつい酒の様だ。
ふうわりとした風が吹き、桜の花弁が一枚、ほわりと舞い降りる。
二人は静かにそれを眺めている。
昼の喧噪がまるで幻だったかの様に、公園の中は穏やかな静寂に包まれていた。
ひらり
ふわり
桜の花弁がまた一枚舞い降りる。
二人はほろ酔い加減でそれを見ている。
静かに。
静かに。
静かに。
この一瞬を心に留める様に。
すでに幻想郷、マヨヒガへの出発の準備も済んでいた。
土産等は大荷物になる為、博麗神社宛に送りだしてある。
何でも外界と接触のある場所はそこだけなので、怠惰な巫女の住む神社に送れと橙の主の八雲藍から指示を受けていた。住所もきちんと確認したし、日本の貨物運送は優秀なので無事に届くだろう。
男のバイク、ツーリング用では無く、本格的な荒れ地を乗り回す事を目的とした愛馬の調子も上々だ。今日までの鍛錬も十分すぎる程こなしてきた。
再度、鹿島神宮を訪れ、神剣を貸し与えてくれた事をタケミカヅチに感謝し決意も固め直した。
妖怪相手という名目で橙に相手をしてもらい、昔身に付けた護身術の訓練もしてきた。身が軽く素早い彼女には翻弄されっぱなしだったので、役に立つかは分からないが。
重箱の中身もほとんど無くなり、男は夜空を眺める。薄曇りの空に鋭い三日月が浮かんでいる。男は一週間程前の八雲紫の言葉を思い出す。
『私の一番のお土産は、あ・な・ただから』
その言葉が男の頭の中で何度も反芻される。地元の人間達から恐れ祀られている『八蜘蛛様』は人をさらい喰らうと以前聞いた。やっぱり俺は。
喰われるのかな。
そう思った瞬間、乾いた衝撃音が男の頭を走った。アパートの部屋に祀ってあるタケミカヅチの剣『蒼雷』の仕業だろう。あの神剣様は自分が弱気になるとすかさず渇を入れてくる。慣れたとはいえ、やはり痛い。
「だいじょうぶ?」
側にいる橙が男の顔を覗き込む。茶色いショートヘアーと猫耳が風に揺れ、その顔には、ほんのりと朱が浮かんでいる。
「大丈夫じゃないが、平気だよ。それより橙、酒おかわりするかい? 」
猫耳をピクンと立ち上げて少女は答える。
「うん、でも少しでいいよ」
男は酒の瓶を手に取り、橙の差し出した杯にちょっとだけ注ぐ。少女はその酒を、ちびりと旨そうに舐める。その様子を満足そうに眺めながら男も自分の杯に酒をつぎ足す。
いよいよ明日だ。
出発の日だというのに二日酔いでは話にならないので、男も量を控えている。
風が少し強くなり、桜の花がはらはらと降り始めた。
男は、橙が秋の終わりに自分の元に来てからの数ヶ月を思い出す。
驚きもあったが楽しい毎日だった。
充足した日々だった。
空っぽだった自分が、何か見えない物で満たされていくのを感じた。
悪夢の様な戦場から、絶望して生まれ育った国に帰ってきた時と、まるで違う人間になった様だ。
だから、精一杯生きあがいてやろう。最後の瞬間まで。
ふと、男は橙が自分の顔を見ている事に気が付いた。
男は少女にたずねる。
「どうかしたかい? 」
橙は答える。
「なにか、真剣な顔してたから。景一が」
「ああ、ちょっと考え事してた。今まで楽しかったなあ。って」
男は、八雲紫からの話を聞いたその夜に、橙に自分の本当の名前を教え今まで偽ってきた事を謝罪した。
橙は始め拗ねていたが、男が彼女が作った稲荷寿司は本当に旨かったと伝えると機嫌を直してくれた。
「なあ橙、この街の事、どう思う? 」
いきなりの質問に当惑気味ながらも少女は答える。
「思ってたよりも良い所だったよ。商店街の人達にも買い物する時にお別れの挨拶してきたけど、魚政のおじさん、急に泣き出しちゃってびっくりした」
あの頑固親父にも可愛い所があるんだなと、男は苦笑する。
「あと、猫の友達もたくさん出来たし。あ、今晩ここに来るってみんな言ってた。そろそろ来るかな? 」
ふうん、と男は少々考え思いついた事を口に出した。
「なあ、橙。あれ、やってくれないか」
「あれって、あれの事・・・・・・ 」
少女は顔を赤らめる。
「そうあれ、式神橙様の舞。ほら、こんなに花も舞っている。頼むよ、ほら、お客様もご到着したみたいだし」
公園のあちらこちらに沢山の猫達が集まって来ている。猫達の瞳が月の光を受け輝いているのが見て取れた。
「でもぅ、恥ずかしいなあ」
男は頭を下げ手を合わせる。
「頼む、このとおり」
橙は観念した様に答える。
「わかりましたよー、やりますよー、はいはい」
少女は立ち上がり公園の中央に歩き出す。月の光の元、少女はお辞儀をし皆に告げる。
「それでは、舞を披露させていただきます」
橙は静かに動き始める。
ひとひらの花の如く。
ゆるやかに。
ひらり。
服の袖が弧をえがく。
ふわり。
スカートが花のつぼみが開く様に浮き上がる。
するすると。
片足を軸にして風の渦を作り出す。
舞い降りる花弁がはらはらと数を増す。
「さくら桜よ」
いつの間にか橙を中心にして子猫達が輪を作り舞に参加する。
「舞い散る花よ」
橙の動きが少しずつ早くなる。
「散りて土となり、無に還るとも、その命は受け継がれ」
公園の中央、赤い妖精が月光を受け舞い踊る。
「時は巡る、そして優しき春を待て」
少女の姿は神々しく、幻想の様だった。
「ここは命の風が吹く場所、新しき花を、命を刻め、永遠に」
すとん。
橙の舞が終わりを告げた。
「はい、いかがでしたでしょうか? 」
猫達が喝采の鳴き声を上げる。
男も手を叩き拍手を送る。
「いやぁ、今日のは最高だった。眼福したよ、ほん・・・・・・ 」
その瞬間、公園の中の空気が変わった。
異質な風が桜を揺さぶり花の雨を降らす。猫達が異変に気が付き姿を隠す。そして、拍手の音と声。
「橙、良い舞だったわ。こんばんわ、小角景一。直接会うのは初めてだったわね」
声の主である、豊かな金髪に紫色の服を着た美しい女性が男の横に立っていた。正に今そこに現れたかの如く。
男は立ち上がろうとしたが動けなかった。身体が石にでもなった様だ。力を振り絞り男はその女性の名を呼ぶ。
「八雲、紫、さま、なんでここに」
八雲紫は、男の質問を無視し公園の中央に立ち尽くしている橙に呼びかける。
「橙、あなたの役目は終わったわ。こちらにいらっしゃい」
橙は混乱気味に主の主にたずねる。
「紫様、役目って、終わったって」
彼女は橙に皆まで言わせずに再び命じた。
「こちらに来なさい」
橙は黙ると、おとなしく命に従い側に近づく。一瞬男と目があった。その瞳には不安と悲しみが浮かんでいた。
「おーよしよし、色々と身に付けたようね、元気で何よりよ。さてと」
八雲紫は橙を抱き上げ頭を撫でながら、思い出した様に男の先程の質問に答えた。男を見る目は研がれた刃先の様だった。
「前にも言ったけど、私にはあらゆる境界を操る力があるの。だから、外界に出る事など造作もない事よ」
男は更にたずねようとしたが、口が動かない。
「景一、貴方の言いたい事はだいたい分かるから答えてあげる。私の気が変わったの、博麗の巫女がまた悪巧みしてるんでしょって人の安眠を妨害してうるさいのよ」
土産を送ったのが逆効果になったかと後悔する男に、彼女は続ける。
「だから、最初の予定は変更。本当なら貴方をここで叩き潰そうかと思っていたけど、さっきの橙の舞いを見ていたらその気も失せたわ。貴方、本当に橙を大事にしてくれたのね。だから、面白い事を考えたの。元々、私は幻想郷に頻繁に出入りしたがる人間は好きじゃないわ。だから、貴方の元に橙を送りつけ、どんな人間か見定める事にしたの。下らない事をする様な奴なら瞬殺するつもりだったわ」
彼女は頭上の月を仰ぎ見る。
「でも貴方は違った、そして私の真意を理解し己を鍛え続けてきた。だから、貴方に難題を出すわ。外界から結界を越え、幻想郷のマヨヒガへ自力でいらっしゃい。そして私の試練を乗り越えなさい。それが出来たなら、貴方に幻想郷に出入りする権利をあげる。それと逃げ出す様な真似はしないでね、私の手は何処にでも届くから。じゃあ、さようなら」
八雲紫と橙の姿が霧の様にかき消えようとしている。
男は全身の力を振り絞る。
体中から掻き集めるように。
そして叫んだ。
「橙!! 」
二人の姿は消え、男の叫び声が夜空に木霊した。
明けて翌日の早朝。
部屋の中で、男はレザーパンツに厚手のライディングジャケットを着ている。
『昨晩のお主は見事だったぞ。なにしろ相手は比べられる者も少ない大妖怪だったからな』
赤い布に丁寧にくるまれた神剣『蒼雷』が男を讃える。
「俺は身動き一つ取れなかった。ただ吼える事しかできなかったよ」
男は答え、そして神剣をショルダーバックに固定し、背負う。次に摩利支天の宝輪を布にくるみ、腰のウエストポーチに収納する。
愛用のヘルメットの中に手袋を入れ、玄関に出してあるブーツに足を通す。
男は部屋の中を見渡す。本来ならもう一人の為の小さなヘルメットが寂しげに置かれていた。
再び男は視線を動かす。玄関のスチールテーブルの上に載せられた壊れたカメラ。戦場を共に駆け抜けた友。男はそれに手をかけつぶやく。
「帰ってきたら、お前を直す。約束だ、じゃあ行って来る」
男は自分の部屋の外へ飛び出す。外からの光のせいだろうか、カメラの割れたレンズが一瞬またたいた。
アパートの外には男の青いバイクが止めてある。出発前の点検は既に済ませ、異常が無いのも確認済みだ。
ヘルメットを被り、手袋をはめ、キーシリンダーに点火キーを差し込む。
『いざ出陣だな、気負うなかれよ』
「分かってるよ、まずは今日中に博麗神社まで辿り着く、安全運転でさ」
男はバイクに跨り点火キーをON。ハンドルグリップに手を添え、そしてセルボタン、鋼の馬に命を吹き込む為のスイッチに指をかける。
頼りにしているぜ、と男はバイクのガソリンタンクを左手でぽんぽんと叩く。
そして、気合いと共に馬を眠りから起こした。
ピストンが騒々しく鼓動を始め、エンジンと言う心臓がオイルと言う血液を送り出す。目覚めた愛馬は太い排気音を響かせている。こちらもやる気十分の様だ。
クラッチレバーを握り、シフトペダルをローに入れる。嘶きの排気音が重さを増す。
「目的地、幻想郷。小角景一、いざ参る!! 」
騎手は絶妙のタイミングでクラッチレバーを離し、アクセルのスロットルを開ける。鞭を入れられた機馬のエキゾーストパイプが甲高い咆吼を上げ走り出す。
男とバイクは人車一体となり、朝焼けの中、一つの疾風と化し街を駆け抜けていった。
「終・そして舞台は再び幻想郷へ」
>「なあ、橙。あれ、やってくれないか」
翔符・飛翔韋駄天かなんかだと一瞬思いました。
>貴方に難題を出すわ
死ぬ! 死んでしまう! 幻想郷辿り着けずに死ぬ! 辿り着いても死ぬ! マヨヒガに着いたらもっと死ぬ! こうなったらなりふり構わずに反則奥義(神様とか)を使うしかない!? 平安時代にてるよが出した難問より簡単で安全なら良いのにねぇ・・・。
>D-LIVE
面白いですよね。好きな台詞は、「(きのこの山を取り出しつつ)これで飢えをしのいでください」(笑
思ったんですが、幻想郷に住む人間はいったいどうやって幻想郷に辿り着いたのでしょうね。みんながみんな霊夢や魔理沙みたいな猛者ばかりではないでしょうし。ま、「幻想郷に頻繁に出入りしたがる人間は好きじゃない」というのはオフィシャルではないんでしょうけど。
>目的地、幻想郷。小角景一、いざ参る!!
これを見た瞬間、身体に電気が走りました。景一さん、格好いいですよ。
ウチの創にも見習って欲しいです。うわ、何をするはj
>元ネタ 漫画「D-LIVE」
自分もこの作品、面白いと思います。ARMSとスプリガンも好きですけれどね。ちなみに、創の名前は百舌鳥さんから頂きました。お気に入りの回は、単行本2巻「暴走列車」(地元なんです。常磐線)
沙門さんは毎回、自分の拙い作品に感想を送って下さるのに対して、自分が滅多に感想のメッセージを送らないことを、この場を借りてお詫びします。
それと、幻想卿を舞台にした次回の作品、期待しています。
それでは、また。
>翔符・飛翔韋駄天かなんかだと一瞬思いました。
えー、橙の舞の場面は前から何時やろうかと考えていたんですが、最後に何とか出来ました。詩はレイクライシスの曲の和訳を参考に。韋駄天は、というか本当は、もう一つ昼が舞台の別の話もあって、橙がBMXにのって毘沙門天かますとか考えていたのですが結果こちらの話となりました。
>こうなったらなりふり構わずに反則奥義(神様とか)を使うしかない!?
最後の話はだいたい固まっています。そこに至るまでの話が困難ですが。主人公と同じで自分の力が試されますね。
>D-LIVE
私の好きな台詞はホンダのブラックバードに乗った時の話の「お前に魂があるのなら応えろ」(だったと思います)ですね。最新刊の教習所の話も良かったなあ、教官に自分叱られまくりだったので。教習所はこりごりだったので一発試験で大型は取りました。
>思ったんですが、幻想郷に住む人間はいったいどうやって幻想郷に辿り着いたのでしょうね。
博麗大結界が張られる前から住んでた人とか、神社経由で中に入ってそのまま居着いた人とか、色々考えられます。紫様のあの台詞は「外界に幻想郷の事を言いふらして回るような人間」という意味を含んでいます。外からどっと人間が押し寄せたら、現実に幻想は打ち負かされてしまうと思いますので。長くなりましたが、でわでわ。
なにはともわれ、次回作お待ちしてます。
>第一部がこれで終わりましたね。今回も本当に面白いと思えました。
ああ、この言葉は作者冥利に尽きますね。幸せです。
>これを見た瞬間、身体に電気が走りました。景一さん、格好いいですよ。
この台詞は半分博打だったんです。読んでくれた方が萎えてしまうんじゃないかと。でも、やっちゃいました。褒めていただいて感激です。
>ちなみに、創の名前は百舌鳥さんから頂きました。お気に入りの回は、単行本2巻「暴走列車」(地元なんです。常磐線)
名前は百舌鳥さんからでしたか、気付きませんでした。不覚。私のお気に入りは鈴鹿のレースの話です。バイク絡みはどれも好きですが。蛇足ですが私の地元は鹿島線です。
>自分が滅多に感想のメッセージを送らないことを、この場を借りてお詫びします。
私は感想魔なのであまり気になさらずに。頓珍漢な感想書く事もありますし。では次の話も頭を鍛えて頑張ります。しゅっ!!(響鬼さん風に)
>「囚われた姫(橙)を助ける為、勇者が今、旅立つ!」な風に読めてしまいましたw
なにはともわれ、次回作お待ちしてます。
いや、主人公はいい年こいたおじさんなんですけどね。なんか話を作っていたら紫様から「私も出しなさい」とお告げが来てしまいました。結果いい感じに締められたかなと思います。では、またのお話でお会いしましょう。
なんとか一区切り付ける事ができました。また鹿島の森で元気を貰ってきたので今後ワンショットワンキルできる様に頑張ります。
元々気分屋の紫だから、最後に変心したのもありかと思いますが
これじゃ引っ張り出された戦神やタケミカヅチの剣はなんだったのかと問いたいところです。
…橙の部分はよかったと思います。
とりあえず、完結おめでとうございます。
ゆかりんの難題はきつそうだが、とりあえず頑張ってくれ小角君。
幻想郷に着いたらまずハクタクさんを頼れ!
話はそれからだ!!
ご指摘有り難うございます。これを教訓に、まだ続く話なので精進します。あと橙の舞の場面の事でしょうか。有り難うございます。
>おやつ様
ご感想有り難うございます。連作の初めの「マヨヒガへ」の過去の話なのでむにゃむにゃ。次からはバトル物になるので一気に締めます。
八雲紫がカニバリズム嗜好という設定に違和感を感じる俺は平和ボケも甚だしいということで。「試す」には絶好の材料であることは承知していますが。
そして物語はゼロへと還る。
それとその…続きは…?
続きドコ---------!!?
俺も続きがずっと気になってる。
もう続きは無いのかなぁ…。
あーもう本当に続きが気になるなー。