「ねぇ永琳。そういえば何でうどんげを弟子にしたの?」
「月のうさぎは本来餅ではなく薬草を搗(つ)くのですよ」
「へぇ~…ってそれだけ?」
「いえ、あくまで本人が望んだからです。何か考えあっての事でしょう」
「………。あぁ…よく分かんないわ…永琳は解ってるの?」
「まあ、それとなく」
「えーりんえーりん! 教えてえーりん!」
「さて、どうしましょうかね……」
「えーりんえーりん! ウワァァァァン!」
◆夏日幻想◆
「――佳い月ね」
聞き慣れた声に夜空を仰ぎ観れば成る程、冗談の様に……いっそ無気味な程に大きな満月が浮かんでいる。
――だがそれは錯覚だった。
能くよく視れば何の事は無い、いつもの満月だ……私が其れを見紛う筈も無い。
「――ええ、全く……お陰でおちおち寝ても居られませんが」
またも聞き慣れた声が響く。
目が闇に慣れていないのだろうか。月が出ているにも拘らず、辺りの景色は黒暗々たる一色に曇って見える。
「私は唯、今まで通りに暮らして居たかっただけなのに」
「…儘ならぬ物ですよ、ヒトには寿命が有りますから」
――違和感。
何かがおかしい……そして、それが何かを認識できない。
だが皮肉にもその事実こそが経験から解を導き出した。
――どうやら夢のようである。ひどく現実味に欠けているのだ。特に、この二人は不自然な程その存在感が希薄。
確かに目の前に居て、その気配を感じるのに……、まるで幽霊にでもなったかのように実感が無い。
……現実逃避している自分に心底同情する。現実、というのも変な話だが。
次第に視界が彩りを持つ。辺りを見渡せば月の光を蓄えた竹が―――ここはどうやら竹林であるらしい。
生温い風に竹林が軋みカサカサと葉を揺らす……肌に纏わり付く湿った空気より、何故か、その音が気に触った。
さて、ここで分かった事がある。この真夏の夜の夢は、私の単なる妄想の産物である事が非常に疑わしいのだ。ここまでリアルな夢など終ぞ見た覚えが無い。記憶が曖昧であるので断定こそ出来かねるが、そこは直感でいいだろう。
取り敢えず二人の顔を凝視する。間違いなく見覚えがある……否、あり過ぎる。家族か友人か或は私自身であるのかも知れない。名前を思い出せれば一気に分かりそうなものだが、生憎その機会には未だ恵まれていなかった。
「本当に退屈だわ。
――退屈過ぎて、気が狂ってしまいそう」
「――姫、……」
……姫、か。やはり覚えのある呼称のように思える。
だが、それよりも――。
続く言の葉が未来予知じみた精確さを以って閃き――しかし、それが形為す前に思考は著しく鈍化し、結果霧散する。
――月に語り掛けるように、今まで横顔しか見せていなかった黒髪の少女の顔が此方を向いていた。
漆黒の長髪が、酷暑の名残をはらんだ微風を受けて緩やかに広がる。
白皙の美貌が、月光に陰翳を落され、より一層その白さを際立たせる。
――だがそれらは全て余分な物……あの黒瞳を前にしたならば。
自分の中の何かが音を立ててハズれる……何者かが喚起される。
…ふふ、と笑い声が響く。
目の前の『姫』の物かと胡乱に思う。が、場の空気にそぐわぬ笑みを浮かべているのは他ならぬ私自身であった。
「……ふふ」
「…うふふふっ」
「ふふふっ、あはっ」
「あは、あはははははははっ」
「はははっ、あはっ……くくっ………くっ……」
危ういところで理性を総動員して衝動を抑え込む…この私をも狂わせるとは一体何が……。
「…くくっ」
……いや、流石に自分の独白に失笑を禁じ得ない。この期に及んで猶、現実逃避を続ける愚かな自分に。
理由など最初から分かりきっているではないか。
『姫』を見返す。その深い瞳の色に惹き込まれそうになるのを自制して、狂気の『源』を睨み付ける。
――夜空に浮かぶいつもの満月。
…そう、この私が其れを見紛う筈も無い。
――いっそ無気味な程に大きな満月。
例えこの目に映る姿に殆ど違いが無かろうとも、今、間違いなく月との距離は近い……。
そして失われて久しい筈の狂気の月の光。……これが違和感の正体。
それはそのまま、この夢の正体に直結する―――即ち、大昔の光景。
私の記憶なのか、私の頭が夢に壮大な舞台装置を設置するまでに進化を遂げたのかは定かで無いが。
或いは他の誰かの夢か? 誰の? 目の前の二人を措いて他に無い。
そして私は誰なのだろう。この二人か、その縁者か。それを確かめる術は無いのだけど―――。
***
「――厭な陽ね」
余りの暑さに蒼天を仰ぎ観れば当然の如く、一枚の絵画のようにいっそ憎々しいまでに燦々と輝く太陽がそこにある。
――夢か幻ならどんなに良いことか。
よくよく目を凝らしてみても目を灼かれるばかり……ソレが消えてなくなる筈も無い。
「――嗚呼、全く……さっさと日陰に退散しないと倒れてしまうわ」
独り言が空しく辺りに響く。
陽光が激しさを増した気がした。日の光を直視した目は、辺りの景色を擬似的な陰翳に落とし込む。
「……儘ならぬ物よねぇ、この暑さばかりは……」
――既視感。
…だがそんな物、長く生きれば珍しくもなんともない。
迂闊にも乙女と言うには無理のある己の実年齢を想起し軽く鬱に入る。
――薬草も大分採取したし当面は足りるだろう。足りなくなったらまた今度でいい。
いつまでもこの炎天下に居ては、例え吸血鬼でなかろうと灰燼に帰すこと請け合いである。
……思考を直角に捻じ曲げた自分自身に深く同情する。
漸く視界が鮮やかさを取り戻す。見渡す限りギラギラと陽光を反射する竹林が無闇に危機感を煽る。
湿気を多分に含んだ熱風が吹き付けるが、汗に濡れた体にはそれでも幾ばくかの気休めにはなった。
ふと目線を上げると割りと近く、高い場所に目出度い色と縁起の悪い色の二人組みが浮いていた。
二人は何事か言い争っていたが、声がここまで聞こえるほどではない。黒白の方が紅白の制止を振り切って飛び出し、
勢い良く高度を下げて竹林の中に突っ込んだ。紅白はしばらくその場で針を投擲していたが、やがて諦めたのか肩を落として下りてきた。途中で私に気づいたらしくこちらに向かってくる…………。
「久しぶりね。手間が省けたわ、これから永遠亭に行く所だったから」
「…何。姫に用事かしら。それとも私に?」
「どちらでもいいと思うわよ。
この竹林はあんた達の領域みたいな物だから、一応許可をもらおうと思って。
……必要ない、とか言って魔理沙が独断専行しちゃったけどね……」
「殊勝ね。何の許可? 焼畑とかなら駄目よ」
「違うわ。少し竹を分けてもらおうと思っただけ。なるべく立派なのを一本もらえればいいのよ」
「それくらいなら別にいいけど。
一応屋敷の近くのは遠慮して――ああ、そうか。七夕ね」
「七夕用なら神社の近くの奴で事足りるわよ。そうじゃなくて食事に使うの」
「え゛っ……そりゃ筍は食べられるけど今の時期の竹はちょっと……。
切るのだって包丁じゃなくて鋸が要るし、そもそも竹は火に通したくらいじゃとても歯が立たないわよ?
ほら、家に寄って行きなさい。しばらく食事を出してあげるから」
「――何言ってるのよ。私を何だと思ってるわけ?」
「…ん……そうよね、失礼したわ。人間やってやれない事は無い、か。
まあ、頑丈な歯と、壊れた味覚と、類稀なる精神力があれば攻略可能かもね。
困ったことがあったら家にいらっしゃいな。胃薬も入れ歯もたくさんあるから」
「……違うんだけど…まぁ、食事に困った時には助かりそうだから良しとするか」
紅白の巫女は小声で何事かつぶやくと「それじゃ」と言って背を向けた。逆境に負けず、施しを良しとしない彼女は立派だと思う。姫にも見習って欲しいものだ。私に信じる神は居ないのだけれど、一人の人間として彼女の人生に幸多からん事を心から願う。彼女には後で差し入れでも持って行ってやるとしよう。
――それに…彼女が現れたとき、何かの予定調和じみたものがあっさりと覆されたような気がした。
狂った時計を軽く叩いて正常に戻すような、どこか奇妙で小気味良い感覚。
気のせいかも知れないが、無意識的に何かの力が働いたような……。
――いや、この暑さによる気の迷いだろう。非論理的な空想を即座に否定し、私は屋敷に戻る道を急いだのだった。
***
精も根も尽き果てるようにして屋敷に帰り着いた私は、薬草を自室に保管した後、屋敷の主の部屋を訪れた。
一声掛けてから襖を開け中に入る。障子は開け放たれ、青い棒状の樹木が部屋から覗えた。
日の光は直接差し込んでこないが、やはり暑い。それでも外と比べれば格段にマシではあるが。
――風鈴がチリンと涼しげな音を鳴らした。現金なもので、それだけで暑さが少し和らいだ気がする。
太陽が雲に隠れたのだろうか……少しだけ外が翳って見え、それが、恐ろしく幻想的な光景を醸し出す。
部屋の真ん中、青々しい畳の上で身を丸め…まるで、眠るように姫が死んでいた。
「姫、そのような所で横になっているとお風邪を召しますよ」
そう言って優しく爪先で蹴り起こす。反応が無いが構うものか。死んでもどうせ復活するので何ら問題ないのだが、風邪を引かれると看病がめんどくさい。姫は私の処方した風邪薬を決して呑もうとしないのだ。
曰く、「ドクター○ッパーから炭酸を抜いたような地獄の味がする」
全く以って失礼な話だ。偶々あの時は炭酸を抜いたドクターペッ○ーに溶かして飲ませてみただけであって、必ずしも私の薬がそんな味がするわけではないのだから。
「………………」
両脚で交互に姫の骸(からだ)を蹴り上げる。胸とか胸に無駄な肉が付いてないので軽いものである。
……そもそも、だ。
蓬莱の薬を服用している以上、病死などは問題ではない。ただ、風邪で死ぬこと自体は稀ではあるのだが。
というよりもだ、一度死ねば健康な肉体を再構成することができるのだから薬は必要なく、風邪の引き始めに殺してしまうのが一番手っ取り早い。他の者に移らなくて済むし。……自分のアイデンティティに疑問を持ってしまう瞬間である。
「………………」
――蹴鞠、それは貴族の遊戯
ふと童心に返り、郷愁が胸を満たす。
――姫も幼いころはよくやったのだろうか。
地上での生活を始めたばかりの頃は姫も一度童女に戻っていたそうだから、きっと経験はあることだろう。
……たまにはこういうコミュニケーションもありよね。
姫(ボール)は友達。
永琳、大ハッスル。
やたらと一方通行なふれあいだった。
***
「姫、昼食の用意が出来ました」
そろそろ死のリフティングに飽き始めた頃、ウドンゲが外から声を掛ける。
もうそんな時間か……外を眺めつつ、その片手間に額の汗をぬぐう。
――いい運動だ。ちょうど小腹も空いてきたし、いい事ずくめである。
「姫、先程から何か騒がしいですが――あっ、師匠、お帰りなさいませ。
こちらにいらしてたのですね。食事はここにお運びしましょうか?
宜しいですか、ひ…………ひ、ひめぇええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!?」
全く、このくらいで騒々しいことだ。
落ち着かせるために態(ワザ)と声量を落し、厳かに口を開く。
「――静まりなさいウドンゲ。姫の御前ですよ」
「はっ……これはお見苦しい所を。あまりの事態に取り乱しました。
――って、いやいや師匠、貴女はその姫に何をしてるんですか!?」
「少し一緒に運動を。リフティングの練習」
「マズいですよソレ……言葉通りじゃないですか。よく見て下さい、首が捥げてますよ?」
…道理で軽いと思った。
「……よく聞きなさい優曇華。
例え姫の体がここで朽ち果てようとも、姫の思いは…魂は不滅よ。すぐに第二、第三の姫が……」
「ニートを2人も3人も養う余裕はありません」
使い古された常套句で体よく誤魔化そうと試みたが、その目論見は一瞬で崩れ去った。
自分の本質を端的に表す鍵単語に反応したか、軽快に跳ね上がりながら姫が口を挿む。
「うどんげ、今日のお昼はなぁに?」
「うどんげ言うな。
今日は暑いので冷し素麺にしましたよ。それと気分悪いので早く復活してください」
「はいはい―――ぴぴるぴる…ムグ」
なにやら不穏当な発言をしようとした姫の口を慌てて塞ぐ。この位なら大丈夫だろう。
芸術と銘打った若者の自己主張の如く、べったりと辺り一面に張り付いていた姫の血糊がアメーバのような動きで独立行動を敢行し、ずびずびと本体に吸い込まれる。私がつい先程までリフティングに使用していたボールが独りでに動き出し、部屋の端っこに打ち捨てられていた色々と貧しい身体へ転がって行き合体する。
にこにこと笑みを浮かべながら起き上がった姫の首には先程までの泣き別れの跡は既に無い。
奇跡の体現たる一連の現象は、敢えて歯に衣着せぬ物言いをするのなら、気持ち悪かった。
素麺は大好物だが、この光景は著しく食欲を減退させることだろう。
不思議と誰も信じてくれないが、私はとても繊細なのである―――。
◆-The Worm Ouroboros-◆
――あに図らんや、突如として私の視界は閉ざされた。先程とは違う一寸先すら見通せぬ無明の闇。
月光に目をやられたのか、不安はあるが、だが所詮は夢―――怖れる事など無い。
敢えて歯切れ良く断定する。それが私の願望に過ぎぬことをハッキリと自覚しつつも。
そう…先程のこともある。夢の中とはいえ狂ってしまえば現実に影響が出ないとも限らない。
というより、例え、夢幻の類でも太古の月には十分過ぎる力があるようだ。今は自覚があるから良いものの…。
更にこの状況で、闇もまた良し……そう思う自分は或いは既に狂っているのかも知れないのに……。
……狂気の恐るべきところの一つに、当事者がそれを自覚する事が難しいというのがある。
自分では正気のつもりでも傍から見れば異常に映るのだ。
例えば、大昔の月……その毒気に、知らず狂気に堕ちるなど本当によくある話で。
例えば、恋は盲目……嫉妬や激情に駆られて自己を見失えば、それは狂気の沙汰。
例えば、狂気の瞳……左が下に上が右に。幻視に陥れば真直ぐ前に進むことは叶わない。
……言うまでもなく、本人は真剣であるにも拘らず。
――そして真に恐るべきは狂気ではない。狂気と対を為す正気、この二つが混ざり合う事にある。
愛すべき隣人が何の前触れなく振るう凶刃……これに勝る理不尽などそうは無い。
人災でありながらほぼ不可避。予測の付かない、半ば天災の様な物である。
闇は全てを包み込み同色に染めあげる。
正気と狂気を飲み込み、それらを形作る境界線(ディマーケイション)をも溶かし去り、全が一になるのだ。
「さて…」
視覚を犠牲に他の感覚は研ぎ澄まされ鋭敏となる。
夏に色付く薫り、耳障りな葉擦れの音。
青々しい竹を融かした様な味は、より一層深く澱んだ夏風。
目は見えないが、気配――『姫』と呼ばれる方が離れていくのを感じた。
土を踏みしめる音。そして彼女らの声がはっきりと聞こえて来る。
「――姫、どちらへ?」
「…この竹林の奥深く――何時かの蓬莱人の処よ」
「彼女を殺すのですか。賛同致しかねますが」
「それは何故」
「取るに足らぬ地上の民とはいえ同じ人間です。
狂気を抑え切れないならば、そこらの妖怪を殺しましょう。適度な間引きは人の為にもなります。
我らが人を守るという名目を立てれば、以前のような共存も可能では有りませんか」
「罪人の居場所なんて人の中には無い。
それに人間も妖怪も似たような物。人に非ずという意味では私達とて妖怪と見做されるわ」
「では……妖怪を食料と見ればよいのです。
幸い、妖化を解く術を心得ていますので鳥や獣の怪を殺し、その亡骸に術を施せば食用となります。
――姫は妖を狩る。その肉は我らの糧になる。普通の肉や魚を喰らう事に罪などありませんでしょう」
「それも――欺瞞だわ。
私が殺したいから殺す。それを自覚している以上、そんな理由で罪を正当化する訳には行かないの。
普通の人間の時間ならばそれでも十分誤魔化せるけど、如何せん私達の時間は多過ぎる。
何万、何億殺してから唐突に罪の意識に目覚めたりしたらどうすればいいの。もう自害も出来ないのよ」
「では、あの娘を殺すというのは?」
「放っておけば、彼女もまた生の実感を得るために屍の山を築くかも知れない。
都合よく彼女は私に恨みを持ってるわ。殺し合いに発展するのは火を見るより。
私は彼女一人を何度も殺すことで充足を得る。彼女もまた私を何度も殺すことで精神の均衡を保つ。
……死ねない私達は他者を殺すことで自身の願望を成就する。己に無い死を他者に求める。
永遠に続く無限の苦輪……と言っても、死なない者同士の殺し合いだから擬似的な満足ではあるけどね」
「尾を貪り食う者……ウロボロスですか。
互いを殺しあうことで、という意味ではカドゥケウスの杖ですが」
「永遠のことかしら、知らないけど」
「ウロボロスは自らの尾を食み円形を為す蛇です。意味するところは『始まり』と『終わり』。
終わりを始まりとする円運動を繰り返すことから、『不死』や『無限』といった意味も持ちます。
また消滅と再生、誕生と死滅の象徴である事から『永劫回帰』、他にも錬金術において……」
「…要点を述べなさい。
結局の処、何が言いたいのかしら」
「…ウロボロスには始まりと終わりを併せ持つもの、そこから『全て』という解釈が有ります。
――転じて『世界』や『完全』など。
ただ、それは無限に変化のない時間を繰り返す事に因る物で停滞の意味も含みます」
「それ以上続くならもう行くわよ」
「蓬莱の薬に通じるところがあるのですよ。円環を為すウロボロスは停滞した『時間』、
これを退治することにより円環は崩され、一つのベクトルを持った歴史…正しい時間軸に戻される…」
「つまり、永遠は永久に永遠のままでは居られない、そう云いたいのね」
「……本来、『時間』の操作は古き神の力。
それら不死とされた神々も今では殆どが幻想となり、滅び去りました。
人の身である我々ならば猶のこと―――必ず、終りは在りますわ」
「ならば、その時まではせめて心安らかに在りたいわね…出来る事なら」
「姫の御考えを聞けて安心したのですよ。
そこまで考えての御言葉だったとは思いませんでした」
「安心……。
ねえ、『永琳』――そう見える?」
…………。
………………………………。
***
姫の部屋に食事が運ばれてくる。
私とウドンゲ、いつもの如く天井裏に潜んで『てゐの永遠亭★完殺にっき』を付けていた因幡てゐ、あと…ついでに姫。
四人で仲良く頂くことにする。余所ではどうだか知らないが、ここ永遠亭では主従が一緒に食事するのも別段珍しいことではない。うさぎもニートも寂しければ死んでしまう。世話のかかる連中だが、故に愛おしい気持ちもある。
一心不乱に素麺を啜っていると、ふと些細な疑問が湧いた。
「そういえば姫、心底どうでもいいのですが何故死んでいたのです?」
「…別に?
暑かったから死ねば体温が下がると思って。でも死んでる間は苦痛よねぇ。
苦しかったわりにあんまり体温は下がってないし…もうやらないわ」
「姫はこの永遠亭の主なのですから、思うがままに振舞えばいいのですよ」
「いや、苦しいし痛いしで散々だったからもう嫌なんだけど…」
「そんなことはどうでもいいのです!」
「師匠、自分が楽しかっただけでしょう?
もうその辺で……それよりも、おかわりは要りませんか?」
「というか殺るなら外出て殺りなよ、誰も止めやしないから。
ほら、とっとと出て逝け……お前の代わりなら私に任せて、もう帰って来なくていいからね」
ウドンゲは最近生意気だと思う。以前は師匠、師匠とまるで足りない子の様に甘えてきたのに最近はすっかり姫と仲良くなってしまって、すぐに姫の肩を持つ。しかも私はやたら蔑ろにされている。
さてはあれか? 先日、姫の命令で冥界へ出張に向かった時、刃物持った893みたいな庭師に脅され過酷な肉体労働を強制されて、ばたんキューして翌日朝帰りしたからか?
私の居ない間に少女達は大人への階段を一足飛びに駆け上がってしまったとでもいうのか。
寂しさと切なさと疎外感のあまり思わず封印されし我がこころのハンケチを力いっぱい噛み締める。
「…きぃぃィィイイ!」
「な、何ですか師匠? おかしな物でも入ってましたか?」
「それとも、暑さの余り脳みそ腐って知能が下がった?」
「放っておきなさい、うどんげ、てゐ。
――永琳はいつだってそう…。
お素麺を食べる時には勢いを付けすぎて必ず舌を噛むの。それで何度も死んでるのよ」
勝手に人の過去を捏造し、有り得ないほど間抜けなイメージ画像を無料で配信する腐れニート。
思い当たる節も無いでは無いが、こうでもしないと寂しくて舌を噛み千切ってしまいそうだからだ。自衛手段である。
「――うどんげ言うなつってんでしょう!」
「うどんげ、うどんげ、饂飩毛~~~♪」
「……ニートォォォォオオオオオオ!!」
余程腹を立てたのか、ウドンゲが怒りに任せて投げた湯飲みが姫の顔面に直撃。粉微塵になる白磁の湯飲み。
……珍しい。いや、つい本音が出ることは間々あれどウドンゲが姫に手を上げるなど初めて見たような気もする。
それだけ気心が知れたということか。
または虫の居所でも悪かったのだろう。そういう日も偶には…私はいつもだな。
まぁ、文字通り殺したって死なないような姫のことだから目くじら立てるほどでも無いか。
姫も姫で無駄に寛容だし、私や暑い奴に日常的に殺されている身だからウドンゲなら問題になるまい。
にこにこといつもの笑みを浮かべ、超適当に謝りながら何事もなかったように食事を続ける姫。
怒りをこらえて、それでも形だけは慇懃に謝罪しつつ湯飲みの破片を片付けにまわる優曇華。
―――その筈だった。
「……鈴仙? なんかおかしいよ、どうかした?」
てゐの呼びかけも聞いていないのか優曇華は返事をしない。
……見れば眼光炯々、真紅の魔眼が姫に向けられている。耐性のある月人すらも容易く狂気に堕とす、何者も抗い難い真正の狂気。不用意に見た所為で視界が大きく歪み、一瞬平衡感覚が失われる。
優曇華が立ち上がり、素早く腕を振るうと袖口から十数個の弾丸が零れ落ちた――逆の腕からも同じだけ。
総ての魔弾が緻密なコントロールで浮かび上がり音もなく滞空する。狙いは―――
彼女の突然の行動にその意図を察したのか、てゐがこちらを一瞥し――片眉をピクリと撥ね上げた。
……私は生唾を飲み込んだ。
音無き警鐘が頭蓋に響く。
優曇華の態度、てゐの反応、そこから想起し得る可能性は、焦燥感に輪をかける。
――振り向く。
ひどく見慣れた美貌がある――覚悟を決めてその一点を注視する。
甘すぎた。徹底的に打ちのめされる。
意外にも怒らせてしまっただろうか、などと一瞬でも考えた私が愚かだったのだ。
狂気に染まるでもなく全て受け入れる深き混沌。
無限に広がる夜闇を湛えた黒瞳がそこにあった。
死を称え、死を崇拝し、殺し殺されるを至上とするあの眼。
永遠を生きるには他者の犠牲は付き物。光すら逃さぬ黒瞳がそう云わんばかりに。
心を揺さぶり、惹き込もうとする。
―――見る者すべて、生の業の深さに自尽を選ぶことだろうが。
……かつては見慣れた筈の私すら心乱されずには居られない。
この場に他のイナバ達が居なかったのは不幸中の幸いだ。
地上の兎であるてゐが正気を保っているのは、一重に彼女が最も生き穢い最古参の因幡であるからに他ならない。
優曇華の赤眼が一際強く輝いた。
三十余りの魔弾が騙し絵の様に分裂し、重なり合う。見た目上数百にまで及んだ弾丸はこれが幻視で無ければ確実に
不可避。圧倒的物量を持つ幻覚が空間を満たした。…さらに符を構える。
対する姫は無手。
そもそも姫は、自ら外出する時を除いてスペルカードを携帯する習慣が無い。
――酷薄な笑み。
――それを確認するや、私は宝弓を取り出し流れる動作で矢を番えた。
限界まで威力を抑えつつ弓を引き、一切のタイムラグを排して解放。
甲高い音を響かせ、狙い違わず優曇華のスペルカードを破壊して背後の壁に突き立つ。
発動のために私への注意が疎かとなった隙を衝いたのだ――、幻視が弱まる。
更にその隙を突いて素早く接近したてゐが優曇華の胸倉を引っ掴み膝蹴りを叩き込む。
肉を打つ鈍い音が響き渡り、一撃で昏倒する。
姫は倒れた優曇華を冷めた眼差しで一瞥し、こちらに向き直った。
怖気が走るのを抑えながら、しばし目を合わせる。
――結局そのまま無言で目を逸らし、畳の上に座り直す姫。
…色の薄れた黒瞳は、非難しているようにも安堵しているようにも見えた。
それでも、
「………。ありがとう」
そう言って食事に手を伸ばす。
その言葉が聞けただけで良しと思うことにする。
――私は間違っていなかったのだ。
***
その後、ウドンゲに特製の気付け薬を炭酸抜きのドクタ○ペッパーで希釈して流し込むと、まさに黄泉返るような勢いで
飛び起きた彼女は何故か大量の水を要求し、然る後に厠に駆け込んでゲェゲェいって戻ってきた。
日頃の不摂生が祟ったのだろう。全く、「医者の不摂生」とはよく言ったものである。
ウドンゲが語るには、激昂した後の事は思考が鈍くなって自分でも何故そうなったのか良く分からないという。
ただ、自分の行いは漠然と覚えていたようで、目に見えて萎縮し可哀相なほど何度も何度も謝った。
それを見た姫が神妙な顔で
「私こそ、つい悪ふざけが過ぎたわ。本当にごめんなさい、うどんげ。」
などと宣うので、りんごに見立てて射抜いておいた。
これは最早、蛆でも湧いているに相違あるまい。
「だーーかーーらーー! うどんげ言うなつってんでしょう!」
「そんな…ひどいわ。永琳ばっかり贔屓して」
「平仮名で呼ぶのが気に入らないんです。ただでさえ語感最悪なのに!」
「そんな…ひどいわ。デフォルトなのに……」
「漢字で呼んで下さい! ん? どっかで聞いたことあるような…」
「お前、平仮名デフォだって言ったら『てるよ』になるけどそれでもいいの?」
「そんな…ひどいわ。てるよなんて…カッコ悪いじゃない。そう思わない、うどんげ?」
「やっぱり自覚があるんじゃないですかッッ!? あと、うどんげ言うな!!」
「――ウドンゲ、そのくらいスルー能力を身につけなさい!」
危うく無限ループを構成しようとする会話にたまらず口を挿む。
永遠と須臾を操る程度の能力……、なんて恐ろしい……。
………。
―――きっと、すべては夏の暑さが悪いのだ。
太陽に狂わされるなんて話は聞いた事ないが、この酷暑なら不自然でもない。
ウドンゲの言葉を借りるなら、あまりの暑さに知能が下がった、そんなところだと思う。
それなら私が平静を保てたことにも説明が付く……もともとの知能が高いのだから。
―――きっと、すべては夏の日の幻想である。
ふと視線を戻すと私を置いてきぼりにして一悶着あったのかウドンゲが尻を出して畳に突っ伏していた。
それを見て興奮した姫が「もも!もも!もも!」と一人しりとりに興じている。……またも能力全開だった。
あまりの怒りに我を忘れたウドンゲが跳ね起きて姫に座薬を挿そうと飛び掛かる。
……てゐも一緒になって姫の身体を押さえつけている。
「さあ、どれがいいでしょうね、姫。
あ、これなんてどうです? 効果はバツグンですよ……」
「ひっ! や、やめて……。そんな牛乳瓶みたいなの入らない…
てゐ! 手を放して! 死んじゃう! 死んじゃう………!!」
「いえ、痛いのは最初だけですよ姫様(多分)。
それに蓬莱人は死なないの(だけ)が自慢なんでしょ?
(せいぜい)カリスマっぷりを見せてくださいね(期待してないけど)」
「う、うどんげ! 謝るから! 今までのこと全部謝るから、だから許して!!」
「うどんげ……? どうやら本格的に治療が必要らしいですね。
…といっても私に出来るのは座薬を挿す事だけですが。なに、量を増やして差し上げますよ……」
「や、やだっ…そんなの入らなっ――――ひ、ひぎぃぃィィ!!!」
…私は咄嗟に大自然に目を向けて心を洗い流した。
折しも外を飛んでいた蛍の妖怪が開け放たれた障子の中で起こる惨劇を不幸にも目撃してしまい、
あまりのショックに頭を下にして墜落した。
……米俵を投げ落としたようなヤバげな音が聞こえた気もするが私の関知するところでは無い。
…漏れ聞こえてきた咽び泣きが次第に艶を帯びていこうが、そんなものは聞こえはしないのだ。
――………。
鑑みるに彼女らは今大人になったのかもしれない……、あまりの感慨深さに眩暈すら覚える。
不思議と誰も信じてくれないが、私はとても繊細なのである…。
……そうだ。一息ついたら少し暇をもらって湯治に行こう。私一人で、少し遠出をして。
そうと決まれば早速準備に取り掛からなくては。
お酒を呑んで、美味しい物を沢山食べて、久々にゆっくり羽を伸ばすのだ。今から期待に胸が躍る――。
……惜しむらくは、これが温泉旅行というよりは逃避行である事だけ―――
(――真夏の夜の夢・了)
ひぎぃ
最初はちょっと抵抗あったんですがこういう永遠亭に憧れます。
正気と狂気も御見事。黒幕亭も勝手に期待しています。
うどんげの言葉遣いが怖いのはてゐの腹話術みたいなもののつもりです。
タイミングよく言葉を継ぐみたいな。
改めて見ると分かりにくかったですね。紛らわしくてすみません…。
カッコイイ方面にもオカシイ方面にも。
姫様、余りにもフレンドリーに過ぎます。そこが素敵。
白玉楼や紅魔館で城主がこんな扱い受けることはまず無いだろうと思うのに、これが永遠亭だと頷けてしまうのは果たしていいのか悪いのか。
語らぬ奥ゆかしさの中にある面白味が心地良い作品でした。
善哉です。
タイトルで身構え、いきなり脱力、然る後に狂気と笑いのコラボレーション。堪能させていただきました。
夢を見ていたのは誰か?
予想はつきますが安易に明示しないのもまた良し、です。こういうの好きなものでして…。