*少々オリジナルキャラクターが出ています。
体には、大小様々な傷を抱えていた。こうして地面に横たわっているだけでも、全身に激痛が走り続けている。
私の近くで、荒い息使いが聞こえた。首だけを何とか向けると、輝夜が私と同じような状態で倒れていた。
ある日の昼下がり、私と輝夜はいつもの様に殺しあった。いい天気で昼寝日和だというのに、何やっているんだと思われるだろうが、これが私の習慣である。気が向いたら、輝夜と殺しあう。もう、長い間続けてきた事だ。
今回の勝敗は、私も輝夜もダブルノックアウトという事で引き分けである。いくら不老不死でも、体力や力までは無限ではない。だから、力尽きて動けなくなった方が負けなのである。
私と輝夜が求めるのは、お互いが充実する為の殺し合い。だから、力尽きて動けない相手を念入りに殺す事に何の意味も無かった。それに、力の無駄である。
輝夜より先に、呻き声を上げて堪るか。そう思い、歯を食いしばって痛みに耐えていたが、それも限界が近づいてきた。
いくら不老不死とは言っても、ただ死なないだけの事だ。死ねば強制的に蘇生される。致命傷を負えばそのまま死んで蘇生するか、強力な治癒力が働いて傷が治る。だが、それ以外の傷はあまり反応せず、そこまで大した回復力はなかった。
だんだんと意識が遠のいていった。出血が多すぎるのだ。このままだと、遠からず死ぬだろう。死ねば今の状態から楽になれるだろうが、輝夜より先に死にたくなかった。
「まったく、早く死になさいよ、輝夜。」
「貴方の方こそ早く死になさい、妹紅。」
くそ、まだ言い返せるだけの力が残っているのか。いつも思っている事だが、どうして輝夜はこうもしぶといんだ。温室育ちのお姫様なら、すぐに音を上げるもんだろ。
痛みが、急速に引いていった。体の感覚が無くなってきたのだ。この分だと、もうすぐ死ぬだろう。もう何回も経験している事だから、死に対する恐怖は無い。
「今日は、私の勝ちだからね。輝夜が先に倒れたんだから。」
「寝言は死んでから言いなさい。私は妹紅よりも死んだ回数が少ないわ。」
私も輝夜も、か細い息で喋っていた。虫の息というやつである。
こうなったら、なにが何でも輝夜より先に死んでたまるか。そう心に誓って遠のく意識を必死に保っていたが、不意に昼下がりの空が闇に重く塗りつぶされた。
目が覚めると、見慣れた部屋で寝かされていた。身を起こすと先の殺し合いの影響なのか、体が引きつったように痛かった。死にはしないが、痛みは残るのだ。
「ようやく目が覚めたか、妹紅。」
振り返えるでも無く、この声の主が誰なのか既に分かっていた。この家の主、上白沢 慧音である。私を介抱してくれる物好きなんて、慧音以外いなかった。
「あー、おはよう、慧音。今日もありがとうね。」
「おはようじゃない。もう、夕飯時だ。」
どうでもいい事を指摘してくるところは、相変らずだった。
「まったく、いつも血まみれになっている妹紅を引きずってくるのは大変なんだぞ。まあ、今回は死にたてのホヤホヤだったから、大した外傷は無かったがな。」
そうジト目で睨んでくる慧音だが、私は笑って流すしかなかった。何だかんだと言いつつ慧音は私を助けてくれるし、私はその好意に甘えているのだ。
「いい加減、輝夜との殺し合いを止めたらどうなんだ。二人が殺しあう事に、何の意味もないだろう。ただの暇つぶしなら、もっと別な事で暇を潰すべきだ。」
こればかりは慧音に何度言われようとも、止めるつもりは無かった。
私は死ぬ事が無い、永遠を生きる身だ。何百年と生きる間に、死の感覚が薄れ死に対する恐怖を忘れていった。それと同時に、生の感覚も薄れ生に対する喜びも忘れていった。そんな状態で生き続けなければならないのは、地獄に等しい。
そんな中で私が唯一生きていると実感できるのが、輝夜との殺し合いだ。殺し合いをしている時だけ、私は真に充実していた。こうして慧音と喋っている事も楽しいが、輝夜との殺し合いは別格だ。それが何故なのかは分からないが。
物音がして振り向くと、一人の女の子が部屋にいた。手には二人分の湯飲みがあった。
「おう、ご苦労様。」
慧音が女の子の頭を撫でながら褒めた。その時、私は言いようの無い感覚に襲われた。
慧音に色々と問い詰めようと思ったが、女の子の目を見て止めた。目が、死んでいた。
「慧音、その子は。」
「ああ、この子は道で倒れていたところを私が保護した。よほど怖いめにあったのか、その時のショックで口が聞けないのだ。だから、子のこの名前はまだ知らない。」
慧音の表情と今の説明で、大体のところは掴めた。慧音が保護しなければならないという事は、恐らく両親は殺されているのだろう。それも、この子の目の前で、惨たらしく。
「ねえ、最近危険な妖怪でも出没するようになったの。」
「どうやらそのようだのだが、いまいち分からないところが多くてな。私も頑張って警戒しているのだが、一向に成果が出ない。手がかりが多すぎて、逆に混乱してくる。」
女の子の前でこの会話をするのは止めようと思った。外見は可愛らしい子で、慧音のお手伝いをしている姿なぞ、ほのぼのとしていた。ただ、目だけがハッとするほど暗かった。どういう地獄を見たら、こういう目をするようになるのだろうか。
まだ、お手伝いできる分だけ意思は保たれているようだが、女の子は慧音に頭を撫でられても嬉しそうな顔一つしなかった。
数日後、私は慧音の家を訪れた。何となく、女の子の事が気になったのだ。
「ああ、ちょうどいいところに来てくれた。これから見回りに行くから、あの子の事を頼む。あまり一人にしておきたくないからな。」
「ねえ、慧音は何であの子の歴史を食べないの。あの子も楽になれるし。」
「それは私が歴史を食べたとしても、人の心が負った心の傷まで隠せないからだ。例え惨劇を忘れることが出来たとしても、何かのきっかけで思い出したり苦しんだりする。それだけ、人の心は難しいんだ。」
慧音は、悔しそうに言ってきた。もっと自分に力があれば。そう思っているに違いない。
「それにな、全て上手く隠せたとする。だが、あの子の両親はこの世にいない。両親の事までも隠そうとするならば、始めから両親がいなかった事にするしかない。そんな事をすれば、あの子を否定するようなものになる。」
結局、あの子が全てを受けとめなければならないのだろう。例え今逃げても、いつかは直面しなければならない事だ。
「じゃあ、あの子の事は頼む。夜までには戻れると思う。」
「ねえ、私なんかでいいの。正直、私はあの子の面倒を見る自信が無いんだけど。」
「大丈夫だ。昔の妹紅だったらこんな事頼みはしなかったが、今の妹紅なら安心して任せられるからな。何せ、出会った当時の妹紅は酷かったからな。まるで獣のようだった。」
そう言いながら、慧音は懐かしそうに笑った。私も、そうだと思った。
永遠を生きなければならないという事実は、時を掛けて私の心を絶望で押し囲んだ。そして、遂には私の心を殺した。しかし、私は死ななかった。人でありながら人を止め、ただ本能が命じるままに生きるようになった。それは、獣以外何者でもなかった。
それから幻想郷に来るまでの間、山中で人を避けるように、それこそ獣のように生きてきた。そして、輝夜との幾度と無く続く殺し合いでは闘争本能を剥き出しにしてきた。
しかし、ある時慧音に出会った。始めは反発していたが、慧音に優しくされていく内に慧音を受け入れていった。そして、何時しか心の獣を檻に閉じ込め、人として生きていく事を始めた。
だが、まだ私に他人の世話をする事なぞ無理だとしか思えなかった。それも、傷心の女の子の世話など。
「じゃあ、後は任せたぞ。私が保証するぞ。妹紅はちゃんとやれるさ。」
そう言って、慧音は出かけて行った。
女の子とどう接すればいいのか、分からなかった。何を聞いても反応はしないし、何かを言いつければ黙ってそれを実行する。死ねと言えば、本当に死にかねないだろう。
それに、私は傷心を癒せれるほど人付き合いは良くなかった。付き合いと言えば、いつも世話になっている慧音と、殺し合う仲の輝夜ぐらいしかなかった。後の連中はたまに宴会に呼ばれて一緒に酒を飲む程度のものだ。
だから、私は特別な接し方などできはしなかったので、とりあえず一人の人間として接してみた。気遣ってあげるとか優しい言葉を掛けるとかは一切せず、普通に喋る事にしたのだ。
その方針でどうにか昼食を無事に終え、二人で庭先の洗濯物を取り込んでいる時だった。
「あら、やっぱりここにいたのね、妹紅。」
振り向くと、輝夜と永琳が立っていた。何て、タイミングの悪い奴らだ。
「準備はよくて。今回も私が直々に貴方に引導を渡しに来てあげたんだから、感謝して欲しいわ。」
そう言って輝夜は宙に浮き、身構えた。しかし、私はここで輝夜と殺し合いをする訳にはいかなかった。
「あー、ちょっと待って。今私は忙しいから、パスね。」
「あら、何を今更怖気づいているの。せっかく私が来てあげたんだから、それなりに楽しませてもらうわよ。」
「そうじゃない。そもそも、誰が輝夜なんかに怖気づくのさ。私はあの子を任されている身なの。だから、ここであんたと馬鹿やっている暇は無いの。」
輝夜が鼻で笑って更に何かを言おうとしたが、急に表情を変えて止めた。恐らく、あの子の目を見たのだろう。あの目の暗さは、さすがの輝夜も黙らせたのか。
輝夜が宙からあの子の傍に降り立った。永琳も神妙な面持ちで輝夜に続く。
「ねえ、この子どうしたの。」
私は面倒だと思いながらも、この子に起きた事を説明してやった。納得させて、早く追い返したかったのだ。
「ふうん、じゃあ今は妹紅がこの子の世話と更生を任されているのね。あのワーハクタクは適材適所という言葉を知っているのかしら。」
「五月蝿いな、輝夜には関係ないでしょう。それに、夜になれば慧音は帰って来るんだから、それまでの間この子を預かっていれば良いだけの事よ。」
そう言って、さっさと行けと手で合図をした。
「でも、この子も不幸ね。まさか一時とは言え妹紅に面倒を見られるなんて。こんな粗暴でアホな田舎娘に人を立ち直らせるなんて無理な事なのに。」
「はあ、じゃあ輝夜になら出来るって言うの!?」
「ええ、もちろん。永琳!」
何だよ、結局他力本願かよ!!
「姫、申し訳ありませんが、薬とは本来治癒の補助を担う物に過ぎません。この子が立ち直ろうとしない限り効果は上がりません。強制的にという話になりますと麻薬の類の劇薬になります。それでも短期でどうにかなるものでもありませんし、長期の服用はこの幼子には危険です。」
「ほら見なさい。結局口だけで輝夜には何も出来ないんじゃない。輝夜みたいな温室育ちの我が侭お嬢様に、一人で何が出来るというの。」
私と輝夜はしばしの間、睨み合った。私も輝夜も、お互いにこいつには負けたくないと思っている。
「分かったわ、そんなに言うのなら決着を付けましょう。ただし、勝負はこの子よ。この子の心を最初に開かせた者が勝ちよ。勝った方が、人間
的に全ての点において敗者より勝っている事になるわ。」
「いいわよ、受けて立とうじゃないの。ふん、せいぜいこんな提案をするんじゃなかったって悔やむ事ね。」
「妹紅こそ、あの時尻尾を巻いて逃げておけば良かったって後悔しなさい。」
そう言って、再び私達は睨み合った。
結局、その日は慧音が帰って来きたので引き分けに終わった。だが、勝負は私達のどちらかが女の子の心を開かせるまで続く。翌日からも勝負は再開されるだろう。
私は、女の子とどう接すればいいのか考えた。情けない話だが、優しい言葉を掛けようにも何を言えばいいのか分からず、親切にしてあげるにも何をしてあげればいいのか分からなかった。
普段慧音にしてもらっているような事を必死に思い出してみたが、いざ実行に移すと上手くいかなかった。私には慧音と比べて足りない物があり過ぎることを、痛切に実感した。
仕方が無いので、私は自分に出来るやり方をするしかなかった。しかし、それは普通に人と会話をするというレベルだった。それには気遣いも配慮も無かった。
ただ、輝夜の方も同レベルのものだった。あれこれと何かをやってはいたが、まるで相手の事はお構い無しというものだった。輝夜に優しさなぞ求める方が無理なのだ。
明日から、どうしようか。私に、何が出来るのだろうか。そんな自問が頭を占め、なかなか寝付けなかった。
あれから、私と輝夜は毎日のように慧音の家に通った。慧音には余りいい顔をされなかったが、だからと言って輝夜との勝負から逃げるわけにはいかなかった。
女の子と一緒に居る間は、一切の殺し合いを禁止する事になった。これは珍しく輝夜の方から言ってきた。どうやら、本当に本気らしい。さらに、完全勝利を目論んでいるらしく、永琳を同伴していなかった。
私は女の子を連れて、幻想郷の中を連れまわした。森、川、湖、山。思いつく限りの場所に連れて行ってあげた。女の子は大自然を目の前にしても表情を変える事はしなかったが、しかし見入ったようにしばらく動かなかった。
輝夜もそれによく同伴してきた。私に何かあると直ぐにケチをつけて来たり、女の子によく話しかけたりしていた。
輝夜の話は多岐にわたっていて、今まで自分が体験してきた事や聞いた話しを面白おかしく聞かせていた。まあ、自分の生い立ちや不老不死の事については巧妙に隠していたが。
ただ、一つ言える事は、私も輝夜も女の子に対しての配慮が足りないという事だ。何かあると直ぐに私達は睨み合いをしたし、私は優しい言葉一つ掛けられないでいた。輝夜にいたっては、女の子に対してかなり無茶な事まで言っていた。
ある日、私はいつも通り女の子を連れて慧音の家に帰った。輝夜は帰り道で別れ、いなかった。
「ああ、妹紅。ご苦労様。この頃、あの子がよく頷くようになったが、どうやら上手くやってくれているようだな。私だけでは、多分まだ無理だったと思うぞ。」
「別に、私が何かしてあげれたという訳じゃないよ。多分、自然の力のお陰じゃないかな。大自然には何とも言いようの無い暖かさがあるし、あの子も気に入ったみたいだし。」
「いや、それでもお前らのお陰さ。いつの間にか私より妹紅の方が懐かれているじゃないか。正直、少し嫉妬したぞ。」
私も懐かれた事に関しては嬉しいのだが、輝夜も同じぐらい懐かれているので何とも言えなかった。
「でも、変だよね。私は慧音みたいに優しくできなかったんだけどな。」
「それなんだがな。多分、あの子は優しくされると親を思い出していたんじゃないかと思うんだ。だから、私ではあの子を辛くさせる事しかできなかった。」
慧音が、悔しそうな表情をした。私も、そんな事を夢にも思わなかった。
「だから、今回は妹紅の無神経ぶりに助けられたな。何せ傷心の子供を、まるで同年代の友人と付き合っているような感じで何事もなかったように喋っているんだからな。」
「無神経って言うな!! 私だってもっと気遣ってあげられればと思っているんだよ。」
私が抗議すると、慧音は声を上げて笑い出した。でも、不思議と腹が立たなかった。
「ねえ、慧音。私さ、あの子と過ごしていて改めて思ったんだ。」
私が改めて慧音に向かい直すと、慧音も笑うのを止めて私を見据えた。
「私は慧音に一杯お世話になったんだなって。ほら、私って前はちょっと異常だったじゃない。でも、そんな私の傍に慧音はいつも居てくれた。」
私はいつからかあの子を以前の私に重ねて見ていた。私があの子の世話をしているように、私は慧音に世話をしてもらった。
ただ、私はあの子のようにはいかなかっただろう。心を閉じ押し黙っているあの子に比べて、獣と化して暴れていた私は酷く手間が掛かったに違いない。
「だから、ね。ありがとう、慧音。」
私は心の底から慧音に感謝の意を言葉にした。いくら感謝してもし尽くせないくらいだ。
「う、あ、ああ、馬鹿、もうよせ。そんなに面と向かって言われると、照れるだろう。」
私がじっと慧音を見つめていると、慧音が急に赤面して視線をそらした。
「あれ。どうしたの、慧音。」
「うわ、馬鹿。何でもない、何でもないぞ。」
この日の慧音は、これ以降ずっと調子が変だった。
慧音が女の子を保護してから二ヶ月、私と輝夜が女の子の世話をしだしてから一ヵ月半経った。女の子は少しずつだが、回復の兆しを見せだした。少しだけだが感情を表すようになったのだ。
しかし、女の子を襲った妖怪は未だに分からなかった。何度か女の子が輝夜の相手をしている時に慧音と一緒に見回りをしたし、夜遅くにも見回りをしてみた。だが、そんな妖怪の気配なぞ微塵にも感じられなかった。
しかし、犠牲者はあれから何人か出た。奇妙な事だが、慧音曰く、犠牲者の外傷は刃物による切り傷が多いそうだ。そうなると人間が犯人だという事になるが、犯行現場には妖怪のものとしか思えない気配が漂っていたそうだ。
そして、もう一つ。必ず、一人は生存者が出る事だった。しかし、その生存者もその後に自決するか気が触れたそうで、誰からも目撃談を聞きだすことが出来なかった。
今日も一日、女の子を色んな場所に連れて回った。輝夜というおまけも居たのが非常に残念だった。
今日は満月の日という事で、早めに切り上げて帰る事になった。妖怪が凶暴になり、小さな子を連れて外で活動するには適さない環境になるのだ。
慧音が満月の夜には変身する事は知っているらしく、その点については安心できた。さすがに慧音の代わりを一晩中するなんて事は、私には無理だった。
帰路の途中、私は何かの気配を感じた。誰かに見られているという感じもした。しかし、いくら気配を探ろうとしても正体をつかめなかった。
そんな私の様子を見ていた輝夜が、色々と馬鹿にしてきた。日頃輝夜と殺し合いをしていない分かなり輝夜に対して鬱憤を溜め込んでいたので、女の子を慧音の家に返した後、少し離れた所で久々に殺し合いをした。
私も輝夜も息を荒くして地面に座り込んだ頃には、もう既に日が暮れかけていた。もう少ししたら満月も出てくるだろう。
不意に、言いようの無い不安に襲われた。急ぎ身構えて周囲に神経を尖らせたが、何も分からなかった。しかし、胸を騒ぎは大きくなる一方だった。
輝夜が何かを感じ取ったらしく、慧音の家へと向かいだした。慧音。その名前が頭に浮かんだ瞬間、私はもう既に飛んでいた。
慧音。不安な思いが拭い去れない。少しでも早く慧音の家に着けれるよう、疲れ切った体に鞭を打った。
見えた。慧音の家。輝夜も私の横に居る。家の玄関を開けた。そして、凍り付いた。
血を流して倒れている慧音。返り血を浴びている、恐怖に怯えきっている女の子。その手に、血に染まった包丁が握られていた。
そこまでだった。理性が続いたのは。私の中で、何かが壊れた。
殺してやる。
正面に、慧音を刺した奴。酷く怯え、私の顔を見ながら首を横に振っている。一歩踏み出した。
「待ちなさい、妹紅。あの子、何か変よ。この気配は多分、何かに取り付かれているわ。」
輝夜が私達の間に割って入って来た。だが、そんな事知った事か。こいつが慧音を殺した事に違いないんだ。しかし、頑として輝夜はどこうとしなかった。
私の邪魔をするなら、死ね。私が輝夜に対して殺意を持った次の瞬間、もう既に輝夜は派手に吹き飛んでいた。辺りも、火の海と化している。
もう、誰も私達を遮る者はいなかった。敵は、目が完全に恐怖に支配されているにも関わらず、意外と俊敏な動きを見せた。まるで操り人形のようだが、油断ならない奴だ。
相変らず首を横に振り続けていたが、鋭い動きで私に切りかかってきた。私は包丁が体を切り裂くのを無視して、張り倒した。敵が地面に倒れ、包丁が遠くに落ちた。
倒れているところを、髪を掴んで引きずり起こした。顔を目の高さまで持ってくると、敵の目が恐怖で歪んでいるのが見て取れた。さあ、慧音の借りを返すのは、これからだ。
輝夜の叫び声が聞こえてきた。それと同時に弾が私を貫いたが、今は無視する事にした。後で、二度と生き返らないように殺してやるだけだ。
急に、何かに抱きつかれた。引き剥がそうとして、それが慧音であることが分かった。特徴的な二本の角に、片方にリボンを結び付けてあるのだから間違えようがなかった。
「止めろ、妹紅。頼むから、止めてくれ。お前は、こんな事をしちゃいけないんだ。」
「慧音、何故・・・」
「確かにこの傷は人間の時なら致命傷になるだろうが、白沢の状態なら何とかなるんだ。」
しかし、そう言う慧音の顔は、酷く青白かった。息も、かなり荒い。
「そんな事より、もう止めてくれ。せっかく人間らしくなってきたのに、また獣のようになってどうする。頼むから、元の優しい妹紅に戻ってくれ。」
泣きながら訴えてくる慧音の言葉は、殆ど懇願に近かった。その言葉で、私は何とか冷静になれた。気がついたら、満月が出ていた。どうやら、運良く変身が間に合ったのだろう。
私は掴んでいた手を離し、女の子を下ろした。しかし、これで終わったわけじゃない。取り付いている奴をどうにかしなければ、今すぐにでも襲い掛かってくるだろう。
「落ち着いたの、妹紅?」
恐る恐る聞いて来た輝夜に向き直って、慧音に聞いた。
「ねえ、慧音。あの子に取り付いている奴を引き剥がす事できる?」
「ああ、何とできるかもしれない。気絶させて完全に動けなくさせてやれば、諦めて逃げていくと思う。」
それだけ分かれば、十分だ。後は、確実を期すために、離れたところを私に取り付かせて、私ごと殺せばいい。殺し損ねても、リザレクションの炎で焼き尽くしてやる。
「じゃあ、後はお願いね、慧音。輝夜も、最高の一撃をお願いね。」
どうやら、輝夜には私がしようとする事が分かったようだ。さすがに、長い付き合いなだけはある。
私は意思とか関係無しにもがいていた女の子を捕まえ、当て身を食らわした。女の子が完全に意識を失うと、何かが出てきた気配がした。
全身の力を抜いて、その気配に体を重ねた。すると、体が何かに浸食されていく感じがした。敵は、まんまとこちらの策に嵌った。後は私が死ねばいい。
最後に残る自由で家の外に出た。そして振り返り、同じように出てきた輝夜を見た。輝夜も、私を見つめていた。そして、懐からスペルカードを取り出した。
私は目を閉じ、その瞬間を待った。スペルカードの名が高らかに読み上げられたのが聞こえて来たが、それを意識する前に衝撃が体を襲い、砕かれた。
遠くの方に見える民家で、一人の女の子が遊んでいた。一見普通の女の子に見えるが、しかしその目はハッとするほど暗かった。
あの後、慧音の計らいによって、あの時の出来事は一部を除いて無かった事にされた。しかし、女の子が負った心の傷はそうもいかなかった。何故か私を見ると酷く怯え、慧音を見ると酷くすまなさそうにして、時々意味もなく謝った。
その後、喋れるまで回復した女の子は、慧音が見つけてきた里親に引き取られていった。
私は、怯える女の子に何度も謝った。謝って済む問題ではなかったが、謝らずにはいられなかった。ただ、いくら謝っても、許される事はなかった。あの時の事が無かった事にされていて、女の子は私に何をされたのか覚えていないのだ。
私と輝夜は慧音に頼んで覚えているだけのだ。輝夜は知らないが、私は逃げたくなかったのだ。怒りに我を忘れて、その結果何をしたのかを、忘れたくなかった。
「こんな所で何をしているんだ、妹紅。」
振り向くと、慧音が私の傍にいた。
「うん、ちょっとね。それより、慧音はどうしたの。」
「私はあの敵の正体をつきとめる為に奔走していたところさ。お陰で、ようやく正体が分かったから、妹紅に教えておこうと思ってな。」
何でも、取り付いた相手の恐怖やその他もろもろの負の感情を食べて糧としていた悪霊だったそうだ。その為に本人を使って知人や親族を殺し、その時に現れた恐怖や畏怖の念を喰らっていたようだ。
しかし、私にはどうでも良かった。私がした事を、悪霊のせいにしたくなかった。
「なあ、妹紅。人には誰でも不可抗力と言うものがある。だから、そんなに自分を責めるのはよせ。」
慧音の気遣いは、嬉しかった。しかし、誰になんと言われようとも心のしこりは拭えないだろう。
「さてと、そろそろ私は行くぞ。輝夜にも事の次第を報告しなければならないからな。輝夜も輝夜で、何か考え込んでいたからな。」
輝夜が一体何を考えるというのだろうか。どうせ、あの時私に圧倒されてしまった事にでも違いない。
慧音が行ってしまってからも、私はしばらく女の子を見守っていた。どうすれば、罪を償えるのかを考えながら。
体には、大小様々な傷を抱えていた。こうして地面に横たわっているだけでも、全身に激痛が走り続けている。
私の近くで、荒い息使いが聞こえた。首だけを何とか向けると、輝夜が私と同じような状態で倒れていた。
ある日の昼下がり、私と輝夜はいつもの様に殺しあった。いい天気で昼寝日和だというのに、何やっているんだと思われるだろうが、これが私の習慣である。気が向いたら、輝夜と殺しあう。もう、長い間続けてきた事だ。
今回の勝敗は、私も輝夜もダブルノックアウトという事で引き分けである。いくら不老不死でも、体力や力までは無限ではない。だから、力尽きて動けなくなった方が負けなのである。
私と輝夜が求めるのは、お互いが充実する為の殺し合い。だから、力尽きて動けない相手を念入りに殺す事に何の意味も無かった。それに、力の無駄である。
輝夜より先に、呻き声を上げて堪るか。そう思い、歯を食いしばって痛みに耐えていたが、それも限界が近づいてきた。
いくら不老不死とは言っても、ただ死なないだけの事だ。死ねば強制的に蘇生される。致命傷を負えばそのまま死んで蘇生するか、強力な治癒力が働いて傷が治る。だが、それ以外の傷はあまり反応せず、そこまで大した回復力はなかった。
だんだんと意識が遠のいていった。出血が多すぎるのだ。このままだと、遠からず死ぬだろう。死ねば今の状態から楽になれるだろうが、輝夜より先に死にたくなかった。
「まったく、早く死になさいよ、輝夜。」
「貴方の方こそ早く死になさい、妹紅。」
くそ、まだ言い返せるだけの力が残っているのか。いつも思っている事だが、どうして輝夜はこうもしぶといんだ。温室育ちのお姫様なら、すぐに音を上げるもんだろ。
痛みが、急速に引いていった。体の感覚が無くなってきたのだ。この分だと、もうすぐ死ぬだろう。もう何回も経験している事だから、死に対する恐怖は無い。
「今日は、私の勝ちだからね。輝夜が先に倒れたんだから。」
「寝言は死んでから言いなさい。私は妹紅よりも死んだ回数が少ないわ。」
私も輝夜も、か細い息で喋っていた。虫の息というやつである。
こうなったら、なにが何でも輝夜より先に死んでたまるか。そう心に誓って遠のく意識を必死に保っていたが、不意に昼下がりの空が闇に重く塗りつぶされた。
目が覚めると、見慣れた部屋で寝かされていた。身を起こすと先の殺し合いの影響なのか、体が引きつったように痛かった。死にはしないが、痛みは残るのだ。
「ようやく目が覚めたか、妹紅。」
振り返えるでも無く、この声の主が誰なのか既に分かっていた。この家の主、上白沢 慧音である。私を介抱してくれる物好きなんて、慧音以外いなかった。
「あー、おはよう、慧音。今日もありがとうね。」
「おはようじゃない。もう、夕飯時だ。」
どうでもいい事を指摘してくるところは、相変らずだった。
「まったく、いつも血まみれになっている妹紅を引きずってくるのは大変なんだぞ。まあ、今回は死にたてのホヤホヤだったから、大した外傷は無かったがな。」
そうジト目で睨んでくる慧音だが、私は笑って流すしかなかった。何だかんだと言いつつ慧音は私を助けてくれるし、私はその好意に甘えているのだ。
「いい加減、輝夜との殺し合いを止めたらどうなんだ。二人が殺しあう事に、何の意味もないだろう。ただの暇つぶしなら、もっと別な事で暇を潰すべきだ。」
こればかりは慧音に何度言われようとも、止めるつもりは無かった。
私は死ぬ事が無い、永遠を生きる身だ。何百年と生きる間に、死の感覚が薄れ死に対する恐怖を忘れていった。それと同時に、生の感覚も薄れ生に対する喜びも忘れていった。そんな状態で生き続けなければならないのは、地獄に等しい。
そんな中で私が唯一生きていると実感できるのが、輝夜との殺し合いだ。殺し合いをしている時だけ、私は真に充実していた。こうして慧音と喋っている事も楽しいが、輝夜との殺し合いは別格だ。それが何故なのかは分からないが。
物音がして振り向くと、一人の女の子が部屋にいた。手には二人分の湯飲みがあった。
「おう、ご苦労様。」
慧音が女の子の頭を撫でながら褒めた。その時、私は言いようの無い感覚に襲われた。
慧音に色々と問い詰めようと思ったが、女の子の目を見て止めた。目が、死んでいた。
「慧音、その子は。」
「ああ、この子は道で倒れていたところを私が保護した。よほど怖いめにあったのか、その時のショックで口が聞けないのだ。だから、子のこの名前はまだ知らない。」
慧音の表情と今の説明で、大体のところは掴めた。慧音が保護しなければならないという事は、恐らく両親は殺されているのだろう。それも、この子の目の前で、惨たらしく。
「ねえ、最近危険な妖怪でも出没するようになったの。」
「どうやらそのようだのだが、いまいち分からないところが多くてな。私も頑張って警戒しているのだが、一向に成果が出ない。手がかりが多すぎて、逆に混乱してくる。」
女の子の前でこの会話をするのは止めようと思った。外見は可愛らしい子で、慧音のお手伝いをしている姿なぞ、ほのぼのとしていた。ただ、目だけがハッとするほど暗かった。どういう地獄を見たら、こういう目をするようになるのだろうか。
まだ、お手伝いできる分だけ意思は保たれているようだが、女の子は慧音に頭を撫でられても嬉しそうな顔一つしなかった。
数日後、私は慧音の家を訪れた。何となく、女の子の事が気になったのだ。
「ああ、ちょうどいいところに来てくれた。これから見回りに行くから、あの子の事を頼む。あまり一人にしておきたくないからな。」
「ねえ、慧音は何であの子の歴史を食べないの。あの子も楽になれるし。」
「それは私が歴史を食べたとしても、人の心が負った心の傷まで隠せないからだ。例え惨劇を忘れることが出来たとしても、何かのきっかけで思い出したり苦しんだりする。それだけ、人の心は難しいんだ。」
慧音は、悔しそうに言ってきた。もっと自分に力があれば。そう思っているに違いない。
「それにな、全て上手く隠せたとする。だが、あの子の両親はこの世にいない。両親の事までも隠そうとするならば、始めから両親がいなかった事にするしかない。そんな事をすれば、あの子を否定するようなものになる。」
結局、あの子が全てを受けとめなければならないのだろう。例え今逃げても、いつかは直面しなければならない事だ。
「じゃあ、あの子の事は頼む。夜までには戻れると思う。」
「ねえ、私なんかでいいの。正直、私はあの子の面倒を見る自信が無いんだけど。」
「大丈夫だ。昔の妹紅だったらこんな事頼みはしなかったが、今の妹紅なら安心して任せられるからな。何せ、出会った当時の妹紅は酷かったからな。まるで獣のようだった。」
そう言いながら、慧音は懐かしそうに笑った。私も、そうだと思った。
永遠を生きなければならないという事実は、時を掛けて私の心を絶望で押し囲んだ。そして、遂には私の心を殺した。しかし、私は死ななかった。人でありながら人を止め、ただ本能が命じるままに生きるようになった。それは、獣以外何者でもなかった。
それから幻想郷に来るまでの間、山中で人を避けるように、それこそ獣のように生きてきた。そして、輝夜との幾度と無く続く殺し合いでは闘争本能を剥き出しにしてきた。
しかし、ある時慧音に出会った。始めは反発していたが、慧音に優しくされていく内に慧音を受け入れていった。そして、何時しか心の獣を檻に閉じ込め、人として生きていく事を始めた。
だが、まだ私に他人の世話をする事なぞ無理だとしか思えなかった。それも、傷心の女の子の世話など。
「じゃあ、後は任せたぞ。私が保証するぞ。妹紅はちゃんとやれるさ。」
そう言って、慧音は出かけて行った。
女の子とどう接すればいいのか、分からなかった。何を聞いても反応はしないし、何かを言いつければ黙ってそれを実行する。死ねと言えば、本当に死にかねないだろう。
それに、私は傷心を癒せれるほど人付き合いは良くなかった。付き合いと言えば、いつも世話になっている慧音と、殺し合う仲の輝夜ぐらいしかなかった。後の連中はたまに宴会に呼ばれて一緒に酒を飲む程度のものだ。
だから、私は特別な接し方などできはしなかったので、とりあえず一人の人間として接してみた。気遣ってあげるとか優しい言葉を掛けるとかは一切せず、普通に喋る事にしたのだ。
その方針でどうにか昼食を無事に終え、二人で庭先の洗濯物を取り込んでいる時だった。
「あら、やっぱりここにいたのね、妹紅。」
振り向くと、輝夜と永琳が立っていた。何て、タイミングの悪い奴らだ。
「準備はよくて。今回も私が直々に貴方に引導を渡しに来てあげたんだから、感謝して欲しいわ。」
そう言って輝夜は宙に浮き、身構えた。しかし、私はここで輝夜と殺し合いをする訳にはいかなかった。
「あー、ちょっと待って。今私は忙しいから、パスね。」
「あら、何を今更怖気づいているの。せっかく私が来てあげたんだから、それなりに楽しませてもらうわよ。」
「そうじゃない。そもそも、誰が輝夜なんかに怖気づくのさ。私はあの子を任されている身なの。だから、ここであんたと馬鹿やっている暇は無いの。」
輝夜が鼻で笑って更に何かを言おうとしたが、急に表情を変えて止めた。恐らく、あの子の目を見たのだろう。あの目の暗さは、さすがの輝夜も黙らせたのか。
輝夜が宙からあの子の傍に降り立った。永琳も神妙な面持ちで輝夜に続く。
「ねえ、この子どうしたの。」
私は面倒だと思いながらも、この子に起きた事を説明してやった。納得させて、早く追い返したかったのだ。
「ふうん、じゃあ今は妹紅がこの子の世話と更生を任されているのね。あのワーハクタクは適材適所という言葉を知っているのかしら。」
「五月蝿いな、輝夜には関係ないでしょう。それに、夜になれば慧音は帰って来るんだから、それまでの間この子を預かっていれば良いだけの事よ。」
そう言って、さっさと行けと手で合図をした。
「でも、この子も不幸ね。まさか一時とは言え妹紅に面倒を見られるなんて。こんな粗暴でアホな田舎娘に人を立ち直らせるなんて無理な事なのに。」
「はあ、じゃあ輝夜になら出来るって言うの!?」
「ええ、もちろん。永琳!」
何だよ、結局他力本願かよ!!
「姫、申し訳ありませんが、薬とは本来治癒の補助を担う物に過ぎません。この子が立ち直ろうとしない限り効果は上がりません。強制的にという話になりますと麻薬の類の劇薬になります。それでも短期でどうにかなるものでもありませんし、長期の服用はこの幼子には危険です。」
「ほら見なさい。結局口だけで輝夜には何も出来ないんじゃない。輝夜みたいな温室育ちの我が侭お嬢様に、一人で何が出来るというの。」
私と輝夜はしばしの間、睨み合った。私も輝夜も、お互いにこいつには負けたくないと思っている。
「分かったわ、そんなに言うのなら決着を付けましょう。ただし、勝負はこの子よ。この子の心を最初に開かせた者が勝ちよ。勝った方が、人間
的に全ての点において敗者より勝っている事になるわ。」
「いいわよ、受けて立とうじゃないの。ふん、せいぜいこんな提案をするんじゃなかったって悔やむ事ね。」
「妹紅こそ、あの時尻尾を巻いて逃げておけば良かったって後悔しなさい。」
そう言って、再び私達は睨み合った。
結局、その日は慧音が帰って来きたので引き分けに終わった。だが、勝負は私達のどちらかが女の子の心を開かせるまで続く。翌日からも勝負は再開されるだろう。
私は、女の子とどう接すればいいのか考えた。情けない話だが、優しい言葉を掛けようにも何を言えばいいのか分からず、親切にしてあげるにも何をしてあげればいいのか分からなかった。
普段慧音にしてもらっているような事を必死に思い出してみたが、いざ実行に移すと上手くいかなかった。私には慧音と比べて足りない物があり過ぎることを、痛切に実感した。
仕方が無いので、私は自分に出来るやり方をするしかなかった。しかし、それは普通に人と会話をするというレベルだった。それには気遣いも配慮も無かった。
ただ、輝夜の方も同レベルのものだった。あれこれと何かをやってはいたが、まるで相手の事はお構い無しというものだった。輝夜に優しさなぞ求める方が無理なのだ。
明日から、どうしようか。私に、何が出来るのだろうか。そんな自問が頭を占め、なかなか寝付けなかった。
あれから、私と輝夜は毎日のように慧音の家に通った。慧音には余りいい顔をされなかったが、だからと言って輝夜との勝負から逃げるわけにはいかなかった。
女の子と一緒に居る間は、一切の殺し合いを禁止する事になった。これは珍しく輝夜の方から言ってきた。どうやら、本当に本気らしい。さらに、完全勝利を目論んでいるらしく、永琳を同伴していなかった。
私は女の子を連れて、幻想郷の中を連れまわした。森、川、湖、山。思いつく限りの場所に連れて行ってあげた。女の子は大自然を目の前にしても表情を変える事はしなかったが、しかし見入ったようにしばらく動かなかった。
輝夜もそれによく同伴してきた。私に何かあると直ぐにケチをつけて来たり、女の子によく話しかけたりしていた。
輝夜の話は多岐にわたっていて、今まで自分が体験してきた事や聞いた話しを面白おかしく聞かせていた。まあ、自分の生い立ちや不老不死の事については巧妙に隠していたが。
ただ、一つ言える事は、私も輝夜も女の子に対しての配慮が足りないという事だ。何かあると直ぐに私達は睨み合いをしたし、私は優しい言葉一つ掛けられないでいた。輝夜にいたっては、女の子に対してかなり無茶な事まで言っていた。
ある日、私はいつも通り女の子を連れて慧音の家に帰った。輝夜は帰り道で別れ、いなかった。
「ああ、妹紅。ご苦労様。この頃、あの子がよく頷くようになったが、どうやら上手くやってくれているようだな。私だけでは、多分まだ無理だったと思うぞ。」
「別に、私が何かしてあげれたという訳じゃないよ。多分、自然の力のお陰じゃないかな。大自然には何とも言いようの無い暖かさがあるし、あの子も気に入ったみたいだし。」
「いや、それでもお前らのお陰さ。いつの間にか私より妹紅の方が懐かれているじゃないか。正直、少し嫉妬したぞ。」
私も懐かれた事に関しては嬉しいのだが、輝夜も同じぐらい懐かれているので何とも言えなかった。
「でも、変だよね。私は慧音みたいに優しくできなかったんだけどな。」
「それなんだがな。多分、あの子は優しくされると親を思い出していたんじゃないかと思うんだ。だから、私ではあの子を辛くさせる事しかできなかった。」
慧音が、悔しそうな表情をした。私も、そんな事を夢にも思わなかった。
「だから、今回は妹紅の無神経ぶりに助けられたな。何せ傷心の子供を、まるで同年代の友人と付き合っているような感じで何事もなかったように喋っているんだからな。」
「無神経って言うな!! 私だってもっと気遣ってあげられればと思っているんだよ。」
私が抗議すると、慧音は声を上げて笑い出した。でも、不思議と腹が立たなかった。
「ねえ、慧音。私さ、あの子と過ごしていて改めて思ったんだ。」
私が改めて慧音に向かい直すと、慧音も笑うのを止めて私を見据えた。
「私は慧音に一杯お世話になったんだなって。ほら、私って前はちょっと異常だったじゃない。でも、そんな私の傍に慧音はいつも居てくれた。」
私はいつからかあの子を以前の私に重ねて見ていた。私があの子の世話をしているように、私は慧音に世話をしてもらった。
ただ、私はあの子のようにはいかなかっただろう。心を閉じ押し黙っているあの子に比べて、獣と化して暴れていた私は酷く手間が掛かったに違いない。
「だから、ね。ありがとう、慧音。」
私は心の底から慧音に感謝の意を言葉にした。いくら感謝してもし尽くせないくらいだ。
「う、あ、ああ、馬鹿、もうよせ。そんなに面と向かって言われると、照れるだろう。」
私がじっと慧音を見つめていると、慧音が急に赤面して視線をそらした。
「あれ。どうしたの、慧音。」
「うわ、馬鹿。何でもない、何でもないぞ。」
この日の慧音は、これ以降ずっと調子が変だった。
慧音が女の子を保護してから二ヶ月、私と輝夜が女の子の世話をしだしてから一ヵ月半経った。女の子は少しずつだが、回復の兆しを見せだした。少しだけだが感情を表すようになったのだ。
しかし、女の子を襲った妖怪は未だに分からなかった。何度か女の子が輝夜の相手をしている時に慧音と一緒に見回りをしたし、夜遅くにも見回りをしてみた。だが、そんな妖怪の気配なぞ微塵にも感じられなかった。
しかし、犠牲者はあれから何人か出た。奇妙な事だが、慧音曰く、犠牲者の外傷は刃物による切り傷が多いそうだ。そうなると人間が犯人だという事になるが、犯行現場には妖怪のものとしか思えない気配が漂っていたそうだ。
そして、もう一つ。必ず、一人は生存者が出る事だった。しかし、その生存者もその後に自決するか気が触れたそうで、誰からも目撃談を聞きだすことが出来なかった。
今日も一日、女の子を色んな場所に連れて回った。輝夜というおまけも居たのが非常に残念だった。
今日は満月の日という事で、早めに切り上げて帰る事になった。妖怪が凶暴になり、小さな子を連れて外で活動するには適さない環境になるのだ。
慧音が満月の夜には変身する事は知っているらしく、その点については安心できた。さすがに慧音の代わりを一晩中するなんて事は、私には無理だった。
帰路の途中、私は何かの気配を感じた。誰かに見られているという感じもした。しかし、いくら気配を探ろうとしても正体をつかめなかった。
そんな私の様子を見ていた輝夜が、色々と馬鹿にしてきた。日頃輝夜と殺し合いをしていない分かなり輝夜に対して鬱憤を溜め込んでいたので、女の子を慧音の家に返した後、少し離れた所で久々に殺し合いをした。
私も輝夜も息を荒くして地面に座り込んだ頃には、もう既に日が暮れかけていた。もう少ししたら満月も出てくるだろう。
不意に、言いようの無い不安に襲われた。急ぎ身構えて周囲に神経を尖らせたが、何も分からなかった。しかし、胸を騒ぎは大きくなる一方だった。
輝夜が何かを感じ取ったらしく、慧音の家へと向かいだした。慧音。その名前が頭に浮かんだ瞬間、私はもう既に飛んでいた。
慧音。不安な思いが拭い去れない。少しでも早く慧音の家に着けれるよう、疲れ切った体に鞭を打った。
見えた。慧音の家。輝夜も私の横に居る。家の玄関を開けた。そして、凍り付いた。
血を流して倒れている慧音。返り血を浴びている、恐怖に怯えきっている女の子。その手に、血に染まった包丁が握られていた。
そこまでだった。理性が続いたのは。私の中で、何かが壊れた。
殺してやる。
正面に、慧音を刺した奴。酷く怯え、私の顔を見ながら首を横に振っている。一歩踏み出した。
「待ちなさい、妹紅。あの子、何か変よ。この気配は多分、何かに取り付かれているわ。」
輝夜が私達の間に割って入って来た。だが、そんな事知った事か。こいつが慧音を殺した事に違いないんだ。しかし、頑として輝夜はどこうとしなかった。
私の邪魔をするなら、死ね。私が輝夜に対して殺意を持った次の瞬間、もう既に輝夜は派手に吹き飛んでいた。辺りも、火の海と化している。
もう、誰も私達を遮る者はいなかった。敵は、目が完全に恐怖に支配されているにも関わらず、意外と俊敏な動きを見せた。まるで操り人形のようだが、油断ならない奴だ。
相変らず首を横に振り続けていたが、鋭い動きで私に切りかかってきた。私は包丁が体を切り裂くのを無視して、張り倒した。敵が地面に倒れ、包丁が遠くに落ちた。
倒れているところを、髪を掴んで引きずり起こした。顔を目の高さまで持ってくると、敵の目が恐怖で歪んでいるのが見て取れた。さあ、慧音の借りを返すのは、これからだ。
輝夜の叫び声が聞こえてきた。それと同時に弾が私を貫いたが、今は無視する事にした。後で、二度と生き返らないように殺してやるだけだ。
急に、何かに抱きつかれた。引き剥がそうとして、それが慧音であることが分かった。特徴的な二本の角に、片方にリボンを結び付けてあるのだから間違えようがなかった。
「止めろ、妹紅。頼むから、止めてくれ。お前は、こんな事をしちゃいけないんだ。」
「慧音、何故・・・」
「確かにこの傷は人間の時なら致命傷になるだろうが、白沢の状態なら何とかなるんだ。」
しかし、そう言う慧音の顔は、酷く青白かった。息も、かなり荒い。
「そんな事より、もう止めてくれ。せっかく人間らしくなってきたのに、また獣のようになってどうする。頼むから、元の優しい妹紅に戻ってくれ。」
泣きながら訴えてくる慧音の言葉は、殆ど懇願に近かった。その言葉で、私は何とか冷静になれた。気がついたら、満月が出ていた。どうやら、運良く変身が間に合ったのだろう。
私は掴んでいた手を離し、女の子を下ろした。しかし、これで終わったわけじゃない。取り付いている奴をどうにかしなければ、今すぐにでも襲い掛かってくるだろう。
「落ち着いたの、妹紅?」
恐る恐る聞いて来た輝夜に向き直って、慧音に聞いた。
「ねえ、慧音。あの子に取り付いている奴を引き剥がす事できる?」
「ああ、何とできるかもしれない。気絶させて完全に動けなくさせてやれば、諦めて逃げていくと思う。」
それだけ分かれば、十分だ。後は、確実を期すために、離れたところを私に取り付かせて、私ごと殺せばいい。殺し損ねても、リザレクションの炎で焼き尽くしてやる。
「じゃあ、後はお願いね、慧音。輝夜も、最高の一撃をお願いね。」
どうやら、輝夜には私がしようとする事が分かったようだ。さすがに、長い付き合いなだけはある。
私は意思とか関係無しにもがいていた女の子を捕まえ、当て身を食らわした。女の子が完全に意識を失うと、何かが出てきた気配がした。
全身の力を抜いて、その気配に体を重ねた。すると、体が何かに浸食されていく感じがした。敵は、まんまとこちらの策に嵌った。後は私が死ねばいい。
最後に残る自由で家の外に出た。そして振り返り、同じように出てきた輝夜を見た。輝夜も、私を見つめていた。そして、懐からスペルカードを取り出した。
私は目を閉じ、その瞬間を待った。スペルカードの名が高らかに読み上げられたのが聞こえて来たが、それを意識する前に衝撃が体を襲い、砕かれた。
遠くの方に見える民家で、一人の女の子が遊んでいた。一見普通の女の子に見えるが、しかしその目はハッとするほど暗かった。
あの後、慧音の計らいによって、あの時の出来事は一部を除いて無かった事にされた。しかし、女の子が負った心の傷はそうもいかなかった。何故か私を見ると酷く怯え、慧音を見ると酷くすまなさそうにして、時々意味もなく謝った。
その後、喋れるまで回復した女の子は、慧音が見つけてきた里親に引き取られていった。
私は、怯える女の子に何度も謝った。謝って済む問題ではなかったが、謝らずにはいられなかった。ただ、いくら謝っても、許される事はなかった。あの時の事が無かった事にされていて、女の子は私に何をされたのか覚えていないのだ。
私と輝夜は慧音に頼んで覚えているだけのだ。輝夜は知らないが、私は逃げたくなかったのだ。怒りに我を忘れて、その結果何をしたのかを、忘れたくなかった。
「こんな所で何をしているんだ、妹紅。」
振り向くと、慧音が私の傍にいた。
「うん、ちょっとね。それより、慧音はどうしたの。」
「私はあの敵の正体をつきとめる為に奔走していたところさ。お陰で、ようやく正体が分かったから、妹紅に教えておこうと思ってな。」
何でも、取り付いた相手の恐怖やその他もろもろの負の感情を食べて糧としていた悪霊だったそうだ。その為に本人を使って知人や親族を殺し、その時に現れた恐怖や畏怖の念を喰らっていたようだ。
しかし、私にはどうでも良かった。私がした事を、悪霊のせいにしたくなかった。
「なあ、妹紅。人には誰でも不可抗力と言うものがある。だから、そんなに自分を責めるのはよせ。」
慧音の気遣いは、嬉しかった。しかし、誰になんと言われようとも心のしこりは拭えないだろう。
「さてと、そろそろ私は行くぞ。輝夜にも事の次第を報告しなければならないからな。輝夜も輝夜で、何か考え込んでいたからな。」
輝夜が一体何を考えるというのだろうか。どうせ、あの時私に圧倒されてしまった事にでも違いない。
慧音が行ってしまってからも、私はしばらく女の子を見守っていた。どうすれば、罪を償えるのかを考えながら。
私が好きな話のパターンの一つです。
ニケさんの作品は個人的に大好きです。
これからも頑張ってください。