このお話には、一部、作者水無月剣羅のオリジナル設定が含まれております。
その点を踏まえた上で、先にお進み下さいませ。
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紅魔館の敷地内を巡回しながら、私はふと思いを巡らせる。
あれはいつの事だっただろうか、と。
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幻想郷の外に出かけていらっしゃったお嬢様が、一人の人間の少女を連れて帰って来た
のは。
「珍しいですね、お嬢様が外から人間を連れて帰って来るなんて。」
思わず話し掛けた私に、お嬢様はにっこりと笑い返してきた。―――これは相当、ご機
嫌がよろしいらしい。
「この人間、なかなか面白い能力を持っているのよ。美鈴。」
「面白い能力?何ですか、それは?」
「その内分かるわ。」
答えたお嬢様は、ふと思い出したように付け足した。
「そうそう、美鈴。しばらく、いつも以上に襲撃に対して警戒していて貰えるかしら?」
「はい、分かりました。」
私は、お嬢様の言葉の意味が分からず小首を傾げる。
「でも、いつも以上とは?この幻想郷で、この紅魔館に襲撃をかけてくる者なんて滅多に
いませんよ?」
「違うわ、美鈴。警戒して貰いたいのは、幻想郷の外からの襲撃者よ。」
「外部?―――まさかお嬢様。」
「ええ、そのまさかよ。」
くすりと笑い、お嬢様は連れてきた少女を満足そうに見つめる。
「だって私、この人間を『奴ら』から奪ってたんだもの。」
翌日から、紅魔館の中は上も下も、お嬢様が幻想郷の外から連れてきた、銀髪青眼の人
間の少女の事で話題がもちきりだった。
「ねぇねぇ、あなたはもう見た?あの子。」
「見た見た!!!人間にしては綺麗な娘よねぇ。」
「何だか変わった能力を持ってるらしいけれど、一体どんな能力を持っているのかしら?」
「さぁ……。あの子の能力を知っているのは、お嬢様だけらしいわよ。」
「でも、わざわざお嬢様が幻想郷の外から連れてきたくらいですもの。きっと、物凄い能
力に違いないわ!!」
「そうよねぇ。門番の美鈴様や警備部隊の皆さんが、いつにも増して警戒を強めてるくら
いですものねぇ。」
「幻想郷の外から、あの子を取り戻そうとやって来る奴らがいるかも知れない、かぁ。」
「それだけの能力って、本当にどんなものなのかしらね?」
「……あれ?」
敷地内を警邏していた私は、中庭で、お嬢様が連れてきた少女に出会った。
確か、昨日あの後に会った仲の良いメイドの一人が、「お嬢様が連れてきた人間、結構
怪我がひどくて。しばらくは安静だわ。」と言っていた。それを思い出した私は、少女が
歩き回っていて大丈夫なのか気になって話し掛けた。
「ねぇ、ちょっと。」
「―――え?」
私の声に、彼女は静かにこちらを振り向いた。
「あ。あなたは、昨日……館に着いて間もなく会った……。」
「あ、一応気付いてたのね。」
私は少し驚いた。昨日会った少女は、表情もまなざしも全てが虚ろで、隣にいるお嬢様
はおろか、目の前に立って話をしていた私さえ見ていなかったから。だからてっきり、気
付いていないのだと思っていた。
「それよりも、起きていて大丈夫なの?怪我しているんでしょ?」
「ええ。でも、これくらい何ともないから。」
短く答えた彼女は、ふと私に問い掛けた。
「あの……あなたはここの人?」
「ええ、そうよ。私は、この紅魔館の門番、紅美鈴。でも、それがどうしたの?」
「ちょっと、昨日私をここに連れてきたあの人について聞いてみたくて。あなたは、彼女
の事を御存知?」
「御存知も何も、この館の住人ならみんな知っているわよ、お嬢様の事は。」
私は少女に答える。
「あなたをここに連れてきた人は、レミリア・スカーレットお嬢様。この館の主であらせ
られる方よ。」
「そう……ここの主人なの。」
彼女は納得したように頷いた。
「それで―――『お嬢様』は、強いの?」
「強いわよ。この館では、間違いなく最強の方だわ。」
私は頷く。
この紅魔館の中だけではない。『永遠に紅い幼き月』と称されるお嬢様は、幻想郷の中
でも間違いなく五本の指に入る強さだ。お嬢様は、人間だけでなく妖怪さえ畏怖する存在
の吸血鬼なのだから。
「でも、それがどうかしたの?何か不思議な事でもある?」
「ええ、大ありよ。」
少女は肩をすくめると、ひどくあっさりとした調子で言った。
「そんなに強いなら、どうして『お嬢様』は私を殺さないで連れてきたのかしらね。」
何事もなかったかのような言い方だが、少女は本気で言っていると私はすぐに理解した。
昨日に比べて意識はしっかりしているようだが、しっかりした分だけ、逆に、何か投げや
りになっているようだった。
「……さあ、私にはお嬢様の御意志は図りかねるわ。」
私は、傍の木にもたれかかった。
「ただ、ひとつだけ言える事は―――」
「言える事は?」
「お嬢様は、生きている価値がないと判断した相手には情け容赦しない。そんなお嬢様が、
あなたを殺さなかったのなら……あなたにはきっと、まだ生きている価値があるって事な
んじゃない?」
「生きる価値がある?私に?」
少女は、自虐的に呟く。
「ただの『モノ』でしかない私に、どんな生きる価値があると言うの?」
「あるわよ!!」
門番という職業柄、今まで私は数え切れない程の人間や妖怪と相対してきた。勿論、圧
倒的に幻想郷の住人が多かったが、稀に、幻想郷の外からやって来た者と相対する事もあ
った。そして、幻想郷の外からやって来た者達は、この目の前の少女のように何処か哀し
そうなオーラを持っていた。
だが、過去に相対した幻想郷の外からやって来た者達と比べても、「ただの『モノ』で
しかない自分には生きる価値がない」と言い切るこの少女が持つ哀しいオーラは、際立っ
て痛々しい。
時には戦い合う事があっても、誰もが気ままに生きる幻想郷で生まれ育った私は、幻想
郷の外の世界を知らない。けれども、このように年若い少女にさえ、哀しくて痛々しいも
のを背負わせるなんて。
思わず幻想郷の外の世界に対して抱いた怒りが、いつしか、私の語気を荒げさせていた。
「私やお嬢様は妖怪で、あなたは人間。種族の違いこそあれど、『生き物』であるという
事には―――『モノ』であるという事には変わりはないでしょ!!?だから、『モノ』だから
生きる価値がないなんて事はない!!!」
私の語気の強さに、少女は、出会って初めて表情らしい表情を―――驚いたような表情
を浮かべた。
そして、思いがけず彼女は微笑んだ。
まるで、闇夜に咲く純白の花のように美しくて。思わずその笑顔に見とれてしまった私
に対して、少女はゆっくりと口を開いた。
「そうね。『生き物』だって『モノ』よね。そんな事、考えた事がなかったわ。あなたっ
て、面白い人ね。」
「よく言われるわ。」
私は、よく私をいじって楽しむお嬢様やパチュリー様の事を思い浮かべながら苦笑した。
「……さて、と。私はもう仕事に戻らなきゃならないわ。」
「そう。」
「あなたは、館の中に戻った方がいいわ。」
短く答えた少女に、私は言う。
「見た所、あなたもなかなか強いみたいだけど……あなたのいた外の世界に比べて、この
幻想郷の妖怪は桁違いに強い。それに、幻想郷の外から来た人間なんて、格好のターゲッ
トになってしまうから。だから、館の中に戻った方がいいわ。」
その時だった。
唐突に響き渡った爆音が鼓膜を揺さ振り、爆風が周囲の草木を激しく揺らす。門の方角
からは、激しく怒鳴り合う声が響いてくる。
「!!?」
「私の傍から離れないで!!!
はっと目を見開いた少女を背後にかばい、私は厳しい視線を周囲に巡らせる。警備隊が、
この紅魔館に襲撃をかけてきた何者かと衝突している事を、私は瞬時に理解していた。
だが、戦闘体勢をとりながらも、私は湧き上がってくる疑問が否めない。
警備のシフトから考えて、現在、詰所で外部からの襲撃に対して警戒している者達は、
この紅魔館内でもトップクラスの索敵能力を持っている。彼女達が、襲撃を許すまで接近
に気付かなかったとは。
否―――仮にも警備の総責任者である私が、門から離れた所にいるとはいえ、気配にさ
え気付けないとは。
その私の思考回路を、緊迫した叫び声が断ち切る。
「―――美鈴様っ!!!」
見ると、警備隊の一人が蒼白な顔をしてこちらに駆けて来る。
その服はぼろぼろに裂け、裂け目から見える素肌には大小様々な裂傷が見える。この短
時間でここまでぼろぼろになっている所からも、戦闘の激しさが窺い知れた。
警備隊の彼女は、必死の表情で叫び続けている。
「美鈴様、早く前線へ……!!!私達だけでは、あと僅かも持ちません……!!!このままでは、
館に接近を許してしまいます!!!―――美鈴様っ!!!」
「私に構わないでいいから。」
少女が私の服の袖を強く引いた。
「私の事はいいから、早く行ってあげて。門番なんでしょ?」
「―――行く訳にはいかないわ。」
「ちょっと……」
私の短い返答に、少女は戸惑ったらしかった。
「だって、あの警備の人、助けを求めてるのに……?」
「あいつが、本当に警備隊の者だったら行くけれどね。」
私は少女をかばいながら、すっと臨戦体勢になる。
「本当に警備隊の者だったら、私を『隊長』と呼ぶわ。でも、こいつは私を『美鈴様』と
呼んだ。―――つまり、こいつは偽者!!!」
「……ふふふ、門の所にいた奴らと違って、お前はなかなか出来るようだな。」
微笑んだかと思うと、偽隊員の姿は、一瞬で長身の男に変わる。
「隊員に化けて、防衛ラインをことごとく突破してきたか。」
私は男を睨みつける。
「それに、襲撃を受けるまでこちらに接近を気付かせないとは。お前達は、一体どんな芸
当を使った?」
「何、ちょっと『時間を止める』という能力者を連れて来ていてね。彼らに能力を使わせ
たまでだ。」
にやりと笑った男は、すっと片手をこちらに差し伸べてきた。
「しかし、やはり『時間を止める』能力はお前が一番優れている。だからこそ、私はお前
を連れ戻しに来たのだ。―――さぁ、戻ろうか。朔夜(さくや)。」
「朔夜?」
私は、思わず男が口にした名前を反芻していた。
男が口にした名前―――『朔夜』が、私の背後にいる少女の名前らしい事は、流石の私
でも分かる。
だが、違和感が拭えなかった。
『朔夜』の『朔』は『新月』の意味を持つ。だから『朔夜』は『新月の夜』、すなわち
月明かりのない漆黒の闇が支配する夜という意味になる。そんな意味を持つ『朔夜』が、
私には、この銀色の―――闇夜を照らす月のような美しい色の髪を持つこの少女の名前に
は不釣合いな気がしたから。
「そう、朔夜だ。」
男は笑みを浮かべたまま、私の背後に立つ少女を見つめた。
対する私の背後に立つ少女は、差し伸べられた男の手を見つめ、動かない―――否、動
けない。彼女の双眸は恐怖に見開かれ、身体は怯えて激しく震えている。
そして……無意識に伸ばされた彼女の手が私の服を強く握り締めた。
その手を感じた瞬間、私は、少女を背後の館の壁際近くまで突き飛ばしていた。
「―――っ!!?」
「何をするつもりだ?」
突き飛ばされて驚いた少女が息を飲む音と、いぶかしむような男の声は同時だった。
「あそこは館への出入口が近いから、すぐ中へ逃げられる。」
私はきっと男を見据えた。
背中を強く握った少女の手。その震えを感じた瞬間に、私は理解していた少女は、男の
元に―――自分がいた場所に、戻りたくないのだと。
そもそも、ここまで恐怖に怯え、震える場所に少女を戻すなんて。
私には、出来ない。
「この娘を連れ戻す?―――これだけ怯えさせておいて、何を血迷った事を!!!」
私は声を張り上げていた。
「私は、紅魔館の門番・紅美鈴!!!これ以上、この館の敷地内で……お前に好き勝手はさ
せない!!!」
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「美鈴。」
凛と美しい声が私を呼んだ。だから、私はそこで一旦思考を止め、声の方を振り返る。
こちらに颯爽と歩み寄ってくるのは、この紅魔館の完全で瀟洒なメイド長、咲夜さん。
フルネームだと、十六夜咲夜。
それはお嬢様がつけた名前であって、彼女の本名ではない。
「咲夜さん、珍しいですね。どうしてここに?」
お嬢様と妹様がお目覚めになるこの時間帯。いつもであれば、咲夜さんは、お嬢様と
妹様の身支度のお世話をしている頃でもある。それを思い出して、私は訪ねた。
「昨日庭を散歩した時、ハーブがいい具合に育っているのを見たから。」
咲夜さんは、花が咲いたかのように綺麗な笑顔を浮かべる。
「だから、ハーブを取りに来たの。今日はお嬢様と妹様には取れたてのハーブを使った
ハーブティーを召し上がって頂こうかと思ったのよ。」
「そうですか。」
私も、咲夜さんにつられて笑顔になる。
「取れたてのハーブは香りが素晴らしいですからね。きっと、お嬢様も妹様もお喜びに
なられますよ。」
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男は、『時間を止める』能力者を連れて来たと言った。彼は能力者達に紅魔館の時間を
止めさせ、その間に、紅魔館に接近・侵入したのだろう。
だが、私は、男と戦闘を続ける内に、ここまで侵入を許した理由がそれだけではない事
を悟っていた。
この男の能力も、恐るべきものだと身をもって思い知らされていたからだ。
(何て厄介な能力なの。一度戦った相手の能力や容姿まで、完全にコピー出来るなんて。
『自分』と戦う事がこんなに厄介なんて思いもよらなかった。)
私は、内心で舌打ちをする。
そう、目の前の男は、私の姿と能力をコピーしていたのだ。だから、端から見れば、二
人の紅美鈴が戦っているようにしか見えない訳である。
(それに、こいつ―――かなり強い。)
「体術では、私の方が勝っているんだな。」
男は、くすくすと笑った。
「それにしても、お前の能力はなかなか面白い。使い勝手もいいし、威力もある。これは
本当にいい『モノ』だ。気に入ったよ。」
「―――『モノ』、だと?」
私は、男の言葉にぴくりと反応した。
彼の声の調子。言葉遣い。嫌悪感を押さえられない、嫌な笑み。その全てが、如実に物
語っている。彼が、朔夜という少女に、「自分は『モノ』でしかない」「生きる価値はな
い」と思わせた張本人だと。
「ふざけるなっ!!!」
激昂した私は、両手を男に向かって突き出した。
「この館を荒らし、一人の少女を傷つけた!!!お前だけは、絶対に許さない!!!!受けてみろ、
彩符・彩光乱舞―――」
「―――いけないっ!!!!」
瞬間、朔夜の叫び声が、私の耳を貫いていた。
その声ではっとなった私が見たものは、対峙している男の背中。目の前には、そびえ立
つ紅魔館。そして、必死の表情で私の両手を掴んでスペルカード発動を阻止している朔夜。
「……え?」
今まで私は、紅魔館を背にして戦っていたのに。何故、今は館が目の前にあるのか?事
態が咄嗟に飲み込めない私に、朔夜の掠れ声が届く。
「いけない……!!!あいつは、一度目にした能力は、その威力も効果も速度も、全て完全
にコピーする!!!だから、そんな大きい力を使ってはいけないわ……!!!」
「朔夜。」
男が眉をひそめ、そして冷酷な表情で朔夜を見下すような視線で射た。
「せっかく私が、強い能力を手に入れようとしていたというのに。何故、私の邪魔をする
んだ?お前は、私の『モノ』なのだ。『モノ』は『モノ』らしく、大人しく使い手の得に
なるよう動いていればいい。要らない真似はするな。」
「―――お前はっ!!!」
その言い草にかっとして口を開いた私の声に、掠れがちに、そして小刻みに震える声が
重なった。朔夜の、声だった。
「あなたの言う通り、私は『モノ』だわ。」
「分かっているのなら、大人しく戻って来い。」
男は吐き捨てるように言い、再びその手を朔夜に差し伸べる。
「そして、二度と私の邪魔をするな。大人しく、『モノ』らしく、私の言う事を黙って聞
いていろ。」
「……でも、あなただって『モノ』でしょう?」
男の眼差しに一瞬怯んだが、しかし朔夜は、しっかりと足を踏ん張って前を見た。
「人間も妖怪も、生き物という『モノ』なんだと言ってくれた人がいるわ。私は人間で、
あなたも人間。だから私は―――もう、もう二度と……同じ『モノ』でしかないあなたの
命令は聞かない!!!私は……私という『モノ』だから!!!」
「―――朔夜、お前自分が何を言っているのか分かっているのか!!?」
凶悪に目を剥いた男の声に、陽気な、でもそれ故に背筋が凍りつきそうな程の凄味をた
たえた声が重なった。
「よく言ったわ!!!」
「この声は……!!!」
よく知っているその声に反応して、私は、はっと上空を見上げる。
漆黒の翼を広げ、風に淡いピンク色のワンピースの裾を揺らして。私達のちょうど真上
に、一人の妖怪の少女が浮いていた。
この館の主人、『永遠に紅い幼き月』レミリア・スカーレットお嬢様その人が。
「お嬢様!!!」
「お、お前がこの妖怪館の主人!!?」
「あなたは、昨日私をここに連れて来た……。」
驚きに目を見開く男と朔夜を意に介する事なく、お嬢様は優雅にふわりと地面に舞い降
りた。
そして、降り立つなり眉をひそめ、お嬢様の矛先は私に向けられる。
今この場には、私をコピーした男がいるので、二人の紅美鈴がいるのに。迷う事なく、
お嬢様は本物の私を睨んだ。
「ちょっと、美鈴?」
「は、はい!!!お嬢様!!!」
「あれだけ、幻想郷の外からの襲撃者に気を付けてと言っておいたのに。これは一体どう
いう事?館の傍まで、こんな狼藉者に接近を許すなんて。」
「も、申し訳ありません!!!」
お嬢様の追求に、私は言い訳出来るはずもなく、ただ謝った。
全て、お嬢様の言う通りだからだ。門から続く何重もの防衛ラインを突破された挙句、
多くの被害を出して、その上、館自体への接近を許した。警備隊の責任者として、とても
許される状況にはない。
「―――でも。」
ふと表情を緩め、お嬢様は優しい笑みを浮かべ、私に向かってOKサインを指で作って
示してみせた。
「迎えに来た相手に怯える朔夜をかばい続けたその姿勢は、評価してあげるわ。それでこ
そ、この紅魔館の門番よ!!!」
「な、何という事だ。」
男が呻くように言う声が響いた。
「紅魔館の主人は吸血鬼の少女だという噂は聞いていたが……まさか、ここまで子どもだ
とは!!!こんな子どもに、我々人間は長年手を焼いてきたというのか!!?」
「あら、こう見えても私は五百年生きているのよ。私から見れば、あなたの方がずっと子
どもだという事が分からないのかしら?」
くすりと微笑んだお嬢様だが、その笑みには、つい数十秒前に私に見せた優しさはない。
そこにあるのは、冷たく容赦のない夜の女王の厳しさ。
「それにしても、随分と私の館の者達を痛めつけてくれたみたいね?この御礼はたっぷり
お返ししてあげないといけないわ。―――まぁ一応忠告してあげるけれど、美鈴をコピー
しているからって私にかなうと思ったら大間違いよ?」
「―――!!!」
男の顔に、初めて畏怖の色が走った。そして、一歩、また一歩と後退していく。
彼自身強いからこそ、理解したらしい。お嬢様の持つ強大な力と、己の持つ力の差を。
私の能力をコピーした程度ではとてもかなわない相手だと。
「あら。喧嘩を売った相手を間違ったと今更気付いても、私は容赦しないわよ。」
お嬢様は目を細めた。そしてすっと戦闘体勢になる。それは、男にとって死刑宣告に等
しいものだという事を私は知っている。
「朔夜は、あなたの恐怖から逃げず立ち向かい、しっかりと自分の口で決別の意志を言っ
たわ。それなのに、あなたは逃げると言うの?―――許さないわよ。」
五百年生きているお嬢様と、たかだか四十年か五十年生きているだけの人間とでは、実
力も経験も違い過ぎていた。
男はお嬢様の能力をコピーする暇さえ与えられず、文字通り瞬殺された。
そして指揮官である男の敗死が伝わると、幻想郷の外から、彼に連れられてきた人間達
の軍勢は瞬く間に瓦解した。
逃げ帰っていく彼らを追うべきかどうか、私は一応お嬢様に尋ねる。
「どうします?」
「放って置いていいわ。」
お嬢様は、既に襲撃者達から興味をなくしているようだった。
「これに懲りて、あいつらは二度とここには来ないだろうし。今はあんな奴らより、館の
復旧作業の方が先でしょう?―――あんな愚かな者達の痕跡を、早く私の館から消して貰
った方がずっとありがたいもの。」
「分かりました。すぐに動ける者達を集めて、外の片付けを始めます。」
頷いてから、ふと私は聞いた。
「あの、お嬢様……ひとつだけ、よろしいですか?」
「何?」
「あの時、どうして迷わず私に声をかけたのです?あの時、あの男は私をコピーしていた
から……紅美鈴は二人いたのに。」
「あなたも私の事をなめているの?」
お嬢様は腰に手を当てて、そして私を悪戯っぽい表情で睨んだ。
「自分の館に使えている者達を見抜けない程、私は愚かな主人に見えるのかしら?」
「―――いいえ。」
私は首を横に振る。
本当に愚かな質問をしたものだ。お嬢様は、強いだけでなく優しい方なのだ。上から下
まで、自分に仕える全ての者の顔と名前を全て覚えている方なのだ。偽者に惑わされる訳
がないのだ。
「申し訳ありません、愚問でした。」
「申し訳ないと思っているのなら、私の質問に答えなさい。」
お嬢様は、微笑みながら私を見た。
「あなたから見て、朔夜は『新月の夜』という名前が相応しい娘に、見える?」
「いいえ。」
私は突然の問いに驚きながらも、即答した。
「でも、それが一体……?」
「何でもないわ、美鈴。」
意味深な笑みを浮かべ、お嬢様は館に戻っていった。
「―――その内、きっと分かるわよ。」
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「これでもいいですか?」
摘んだハーブを入れるのに適した籠が咄嗟に見つからなかったので、何か手頃なものはな
いかと咲夜さんに頼まれ、私は、詰所から小さな籠を持ってきた。
「ちょうどいい大きさだわ。これで充分よ、ありがとう。」
籠を受け取った咲夜さんはそう言い、ハーブが生えている地面の傍に膝をついた。そして
丁寧な手つきでハーブを摘み取り始めた。―――優しくて穏やかなその表情からは、出会っ
た頃の咲夜さんが持っていた、痛々しいまでに哀しいオーラはかけらも想像出来ない。
「この子は、十六夜咲夜。今日からこの咲夜も、紅魔館の仲間入りよ。」
あの日の翌日。紅魔館の全員を集め、お嬢様は高らかに宣言した。
満足そうに微笑んだお嬢様、朔夜―――否、お嬢様によって『十六夜咲夜』という名前を
与えられた少女の背中を押した。
十六夜咲夜。
その名前が意味するのは、満月のような明るさは持たないが、それに勝るとも劣らない趣
深い美しさを誇る『十六夜』の月。そして、その月によって照らされ、美しく『咲く』夜。
漆黒の闇が支配する『新月の夜』を意味する『朔夜』という名前より、はるかに彼女に相応
しい名前だと私は思った。
そして、あの日お嬢様が「朔夜は『新月の夜』という名前が相応しい娘に、見える?」と
私に問い掛けた意味も悟ったのを覚えている。―――お嬢様はあの時、既に、紅魔館に連れ
て来た少女のために新しい名前を考えていたのだろう。
「十六夜咲夜です、よろしくお願い致します。」
恥ずかしそうに、でも明るい微笑みを浮かべて挨拶をした咲夜さんを見つめたお嬢様は、
とても幸せそうだった。
「みんな、紅魔館の事や幻想郷の事など、たくさん教えてあげるのよ?」
「―――美鈴。美鈴?」
「……はいっ!!?」
気付けば、咲夜さんが私を呼んでいた。気付くのが遅れた私は、慌てて返答するが、声が
裏返ってしまう。
「何をぼーっとしているの?門番なんだから、しっかりして。」
苦笑めいた微笑みを浮かべ、咲夜さんは私の額を軽く指で弾く。
「それじゃあ、私は館に戻るわ。籠は、後で改めて返すわね。」
「はい、咲夜さん。」
弾かれた所をさすりながら、私は頷く。
あの時私の背後で震えていた少女は、その厳しくも優しい人柄も手伝ってか、瞬く間に紅
魔館の住人達と絆を深めていった。みんなの信頼を、そしてお嬢様の絶大な信頼を得た彼女
は、異例の速さで昇進していき、いつしか他者を指導する立場に成長した。
恐怖に怯えていた、あの日の少女はもういない。
代わりに今、ここにいるのは。紅魔館にとってはなくてはならない大切な存在。己の弱さ
に立ち向かい、そして克服した、凛と強く美しい一人の女性。
それが、完全で瀟洒なメイド長の十六夜咲夜さんなのだ。
むむ?
と思う所がいくつかあり、その度に調子が崩れてしまったのが残念。
ボスや他の皆の全体的な背景をもう少し熟考すると良かったかも。
勿論、それを差し引いても楽しめました。
自作も楽しみにしてます。
優しい笑顔なんだな~。