ある日の晩。
「雲も無い良い夜だな。天気がへそを曲げないうちに、さっそく出かけようぜ」
黒い山高帽を被り、ふんわりとした金髪を赤いリボンで結わえ、白黒のエプロンドレスを着た主に、私は壁に立てかけられていた体を握られた。
主の手から、温かな体温と魔力が伝わって来る。それと楽しげな感情も。
私はそのまま家の外に連れ出された。
空を見上げ眺める。
墨で染められた様な夜空を、星々の欠片が埋め尽くしている。
主から教えられた、この季節にしか見えない星座。古代の人間が神話にたとえ、作り出された星の連なりも見える。
その中で一際大きく輝く星、北極星。
常に天上にて居場所を変える事無く、古くから人々に、今現在、自分がどこに立ち、どこを目指しているのか、その目印とされた星。
その姿は、どこかしら私の主を連想させた。
一人きりで部屋に籠もり続けていると思ったら、突然思いついた様に、誰の目から見ても分かる様な光を降り撒き空を舞う。
今晩も派手に飛ぶつもりなのだろう。
行き先は知らない。
いつも聞かされ無いし、教えてくれた試しも無い。
でもそれで良い。
それが心地良い。
どこへ行くのか、何を目指すのか。
知らない事が、逆に私の好奇心を刺激する。
今夜も楽しみだ。
「ほいほいっと」
主は楽しげに、私の細い胴体に自分が跨る為の、小さめの座布団を縄で括り付ける。
今日は、馴染みの古道具屋から拝借してきた、若緑の地に黒の巴紋の入った物だ。
その日の主の気分によって、付けられる座布団は変わる。入手経路は様々だが、主いわく、全て『借り物』と言う事で家に居座る古参もいる。
座布団以外にも、外から主に家に連れてこられた物も多い。
主の蒐集癖の為、家の中は訳の分からない物で乱雑に溢れかえっている。だが、それが主にとっては非常に落ち着くらしい。時々遊びに来る、ボブカットの金髪で、主とは対照的な明るい洋装の少女からは『相変わらず混沌としているわね』とたしなめられるが。
「ほんじゃ、よろしく頼むぜ」
主は私の体を地面と水平にし、座布団の上に跨った。すでに私は主から魔力を受け取り、自力で浮いている。
すっ、と一瞬だけ体が僅かに沈み、また元の位置に戻る。
主の重さなど皆無に等しい。私が本来あるべき姿。『空飛ぶ箒』の力を発揮する為の大事な主だ。主がいなければ私は何処へも行けず、また主も私がいなければ空を飛翔する事はできない。
私達は、お互いに欠けた部分を補い合い天空を舞う。
「よっと」
主は、かけ声と共に地面を軽く蹴る。
私はその力に逆らわず、ゆっくりと上空を目指し、するすると空気の抵抗を感じながら水平上昇を続ける。真下を見ると、我が家がマッチ箱程の大きさになっていた。
主が私の体を手の平で抑えた。上昇停止。その高度を維持し、次の指示を待つ。
「さあて、どこに行こうかな・・・・・・ 。なあ、お前はどこへ行きたい? 」
私に出来る事はたった一つ。
主の思いのままに空を駆ける事だけ。だから行き先は貴方が決めてください。
「愛想のない奴だな・・・・・・ 。まぁ、そこがお前の良い所ってか。じゃ、例の奴で決めるから準備頼むぜ」
主は私の体を軽く小突く。例の奴とは最近始めた棒倒しの様な物の事だろう。
主がつぶやく。
「チャック」
私は、ゆっくりと水平に時計回転を始める。
「チャック」
視界が右へ右へと移動する。眼下には、流れる川。そして眼前には緑深い森、どっしりと構えた黒い山肌も見える。
「チャック・イェーガー。よし決まりだ、待たせたな」
主が魔法図書館から借りてきた文献の中で、過去、この巨大な結界で覆われた世界の外で、音速の壁を突き破る事に挑戦し、それを為し遂げた男の名を唱え終え、進路は決められた。
前方には巨大な山がそそり立っているのが見えた。まるで神話に出てくる天を突き上げる巨人の様に。
「なかなかハードな夜になりそうだぜ」
主が私の体を小さな右手で握り直す。その手が少し汗ばんでいる様に思えた。
小指。
薬指。
中指。
人差し指。
そして、擦りつける様に親指を強く握り直す。この意味は。
「最大速度で、前進」
了解。私の体の中で魔力が奔流と化し、熱を持たない炎となる。
私は解放の時を待つ。すでに体の中は灼熱感で弾け飛びそうだ。
「走れ!! 」
短い指示、それと共に主は風の抵抗を減らす為、前傾姿勢を取る。
次の瞬間、私は押さえ込み続けていた力を解放した。引き絞られ、限界まで撓められた弓から解き放たれた矢の如く。
私の体の後部から、推進力を発生させる光が堰を切る濁流の様に放出される。
風を切り裂く音が、まるで断末魔の悲鳴の様に聞こえる。
だが、この体は今、歓喜で満ちている。
空を行く物の喜び。その力が熱となり、光となり、星屑の軌跡を残し、一筋の流星となる。
眼前に山が迫る。
だが、木の葉の様に風に揉まれながらも、主からは微塵の恐怖も、焦りも、動揺も伝わってこない。逆に今の状況を楽しんでいる事がその身体から感じられる。
右手の人差し指が、私の体を小突き続けている。
『もっと飛ばせよ、お前の全力はその程度かよ』
とでも言う様に。ならばと、私は更に速度を上げる。風の音が狂気の雄叫びと化し、大気が目に見えない壁となり立ち塞がる。それらを吹き飛ばし貫きながら、私達は眼前にそびえ立つ巨塊に向かって突き進む。
山が迫る。
山肌が迫る。
山肌の荒れた岩塊が見える程迫る。
このまま直進すれば、主も私も元は何だったか分からない、唯の物体を撒き散らす事になる。だが、主にも私にもそんな気は無い。
岩壁が眼前に迫る。
主は左手の人差し指と中指を一瞬離し、再び握り直した。そして重心を後方に移す。
合図だ。
私は主の体を、急激な制動の衝撃から守る為に障壁を張りかざす。
そして体の先端を天に向けて、岩壁に激突する寸前に速度を落とさず急上昇を開始する。
私の体から生じた衝撃波が、岩壁を抉り、壊し、粉砕する。私の体は竜をも貫く槍と化し、山肌を突進し続ける。
山肌は常に平坦ではない。所々に突きだした岩が見える。当然私達の進路上にも。
しかし、主は速度を落とす事を許さず、僅かな重心移動により右へ左へと紙一重で回避し続ける。
そして、山頂が視界の中に迫り始めた瞬間、悪寒を感じた。
主も同様だ。
山の神の怒りか、山肌全体がこちらに向かって地滑りを起こし始めた。このままでは荒れ狂う岩塊の嵐に巻き込まれるのは明白だ。
だが。
「こういうアクシデント位無いと飽きるぜ。なぁ」
主はそうつぶやくと、懐から素早く小さな八卦炉を取り出し、その力を解放した。
全てを無に返す光の柱が、迫り来る岩塊に道を穿つ。
その真っただ中を、私達は音よりも速く擦り抜けた。通過した岩の固まりが衝撃波で吹き飛ばされる音が後ろから聞こえてくる。
私達はそのまま天をも貫けとばかりに、天空を目指し飛翔し続けた。
数分後、興奮気味の主と私は、山の頂上に浮かんでいた。
「ふぅー、結構冷や冷やしたぜー。まあ、やれば出来るモンだな」
眼下には、私達の作り上げた破壊の跡が、山肌に深く刻み込まれていた。
主がつぶやく。
「さっきの、何かの技に応用できないか・・・・・・ 」
夜空には月が浮かぶ。
お楽しみは、まだまだ始まったばかりだ。主も私も、まだ家に帰るつもりは無い。
たぶん、この後はいつもの神社へ一服しに行くつもりだろう。
私は主の次の指示を待つ。
私は従者。
故に名を持たない。名付けられない限り。
そして主は私に名を付けない。
だが、それがどうしたというのだ。
私は主の乗騎となれた事を誇りに思う。それだけで十分だ。
「ようし、お茶でも飲んでまた飛ぼう。神社まで頼むぜ」
了解、我が主。
私は目的地目指して、星の欠片を伴いながら、天駆ける翼と化し空を走る。
「終」
さりげなく彗星誕生秘話にもなってるし。
ただ、これだったらもう少し濃い目に出来たかも。
すこしあっさり目に感じてしまいました。
願わくば無機物とも良い関係を築きたいものです。そんなわけでこの路線で熱いドラマを希望したり。