※「月ノ涙」シリーズの第五話になります。
※第一話は作品集19にありますが、先にこちらを読まれる事をオススメします。
「────ごめんなさい」
最後に呟いたのは贖罪の言葉。
しかし、いかなる事をしようとも、どれほどの年月が経とうとも、
この罪が償える日は来ないであろう。
それは裏切り。
それは罪。
これは罰。
罪には罰を。
だから私は静寂が支配するこの空間の奥底へと向かう。
二度と外の世界を見ることは無いだろう。
ただ独り、朽ちゆくその時まで、私は無となり闇となろう。
罪には罰を。
∽
「さて、今日はどうしたものか」
通い慣れた空の下をふわふわと飛びながら、魔理沙は今日の予定を考えた。
とりあえず天気が良かったので家を飛び出してみたが、別段これといってする事がない。
暫くは当てもなくあちこちを彷徨ってみたが、特に目を引く出来事もなかった。
そして気付けばいつもと同じ場所をいつもと同じ目的地に向かって飛んでいた。
この空模様なら夜までは大丈夫だろう。
きっと綺麗な星空が拝めるに違いない。
星を見ながら騒ぐというのも中々に捨てがたいではないか。
「そうだな、今日は神社で宴会でもするか」
あいつもきっと喜ぶだろう。
口にも表情にも出さないから他の奴らは解ってなさそうだが、
あれで案外そういった集まりは好きだからな。
「っと、そんな事を言ってる間にご到着だぜ」
通い慣れた紅い館が見えてくると、魔理沙は徐々に高度を下げた。
しかし、眼下に構える正門をあっさりと無視すると、館の裏側にある図書館へと回っていく。
「──っと」
ゆっくりと地面に降り立つと、風で乱れた服と髪を手早く直し、入り口へと歩いていく。
「────おい」
「さて、あいつは何処に居るのやら」
「────ちょっと待て」
「連れ出したらまずは香霖の所に行って酒の調達だな」
「待てと言ってるだろ!」
戸を開けようとした魔理沙の前に、横から美鈴が割り込んできた。
「おぉ?悪いな。どうも最近耳が遠くなってきたみたいだ」
「こんな時だけ年寄りぶるな」
なんの悪びれもないといったふうに耳をかきまわす素振りを見せる魔理沙に、美鈴は大きく溜息をついた。
「失礼な奴だな。お前達に比べたら私はまだまだ若いぜ」
「肉体的にはあんたの方がよっぽど歳を取ってるだろ」
いつの間にか魔理沙のペースに乗せられていっている事に気付いた美鈴は、ますます大きな溜息をついた。
昔は大人になれば落ち着いてくれるものだとばっかり思っていたのだが、目の前の黒いのは大人どころか老婆とも言える年齢になっても全く変わっていなかった。
「それよりなんでお前がここに居るんだ?」
美鈴の問いには応えずに、魔理沙が逆に問いかける。
普段はずっと正門に詰めている美鈴が正反対の位置に当たる図書館の入り口に居る事を疑問に思うのは当然といえば当然だった。
「パチェ様から伝言を預かっている」
「あー、なるほど」
「どうせお前は正門には来ないからな。こっちに居た方が確実だろう」
どんなもんだ、と胸を張ってそう応える美鈴を見て、魔理沙は門番が仕事を放棄していいのか、と思いつつも、その疑問を口に出す事はなかった。
「それで、伝言ってのはどんな事なんだ?」
「あぁ、そうだった。お前にはもう会えない、との事だ」
「そりゃまた突然だな」
美鈴から聞かされた予想外の応えに一瞬驚きの表情を見せた魔理沙だったが、まるで感心がないといったふうに棒読みの応えを返した。
そして、最初から何事もなかったかのようにもう一度入り口の戸に手をかけた。
「おい!聞いてなかったのか!」
「聞いてたさ。だけどそれはあいつの都合だろ?私は私の都合でここに来たんだ。だからあいつが何を言っていようと、そんな事は関係ないぜ」
そう言ってノブを回し、戸を開けようとしたその瞬間、魔理沙は突如として発せられた背後からの殺気にばっ、とその体を横へと移した。
「ふん、まだまだ衰えてはいないようだな」
そこには、一瞬前まで魔理沙が居た場所、その後頭部があった場所に拳を突き出した美鈴が居た。
「危ないな。年寄りはもっと労わるものだぜ」
「さっきはまだまだ若いとか言ってたじゃないか」
説得して駄目ならば力づくで、といったところなのだろう。
先程までとは打って変わって闘志をむき出しにしてこちらを睨み付けてくる美鈴を見て、魔理沙はやれやれと首を振った。
「それはそれ────だ」
その声は、ありえない事に美鈴の背後から聞こえてきた。
「なっ、いつの間に!?」
目の前に居たはずの相手の声が突然後ろから聞こえてきた事に、美鈴は動揺の色を隠せなかった。
(おかしい、確かに自分は魔理沙と戸の間に立っていたし、一瞬でも魔理沙から視線を外す事はなかった。それに何かが自分の周りを通過していく気配など何も感じなかった。それなのに一体どうやって………)
「おっと、別に時間を止めた────なんて事はないぜ。そんな事が出来るのはあいつだけだと思いたいしな」
こちらの考えていた事など解っていたとでもいうふうに応える魔理沙に、自分の推論があっさりと否定された美鈴はますます困惑の色に染まっていった。
「まだまだ実験段階なんだがな。やってる事は全然違うが、まぁ紫みたいなものだよ」
それが答えの全てだとでもいうように、魔理沙は信じられないものを見たというふうにぽかんと口を開けたまま固まっている美鈴を置いて図書館の中へと入っていった。
ぱたん、と戸の閉まる音を聞いてハっと我に返った美鈴は、またやられた──と片手で顔を覆うと、ちょっと待てと魔理沙の後を追っていった。
「なんだ。もう追い返そうとしないのか?」
大人しく後ろを付いてくる美鈴にそう訪ねたが、
「私が言われたのは中に入れるなって事だけ。中に入られたら後の事は知らないよ」
「────お前はお前で色々と足りてなさそうだな」
美鈴のそんな答えに思わずそう呟いてしまった。
「じゃあなんで付いて来るんだ?表で待ってるなり仕事場に戻るなりしたらどうだ?」
「こんな変な老婆が途中で行き倒れになってても迷惑するのはこっちなんだ。だからその見張りだよ」
「変な、は余計だぜ」
暫くそんな軽口を叩きながら奥へ奥へと歩いていたが、途中から何かを思い出したようにうーん、と考え込んでいた美鈴が口を開いた。
「でも、行っても無駄だと思うよ?」
何を考えていたのかと思っていた魔理沙は、美鈴の問いかけにからからと笑いながら応えた。
「この世に無駄なんてものは何もないぜ?」
その場はそう言ったし、実際魔理沙はいつでもそう思っていた。
だが、やがて見えてきた「それ」を目の当たりにすると、なるほど、とついつい先程の美鈴の言葉に納得してしまった。
「これはまたご大層な結界だな。私はそんなに嫌われてるのか?」
それは別に誰かに聞いた訳でもなく、ふいに漏らしてしまった独り言だったのだが、美鈴はそれに律儀に応えようとして、しかし応える事ができなかった。
美鈴にも何故パチュリーがこんな結界を張ってまで魔理沙を拒絶したのかが解らなかったのだ。
パチュリーが自身を隔離しようとした直前にその事を聞いてみたのだが、
「あなたもその内解るようになるわ」
そ言うだけであった。
そうして、暫く何かを呟きながら結界の前をうろうろと歩いていた魔理沙がその歩みを止めると
「まぁ最近のあいつを見てたら理由は大体解るけどな。こんな所に篭ってたらまた足りなくなるぜ。色々とな」
そう言ってぽん、と美鈴の肩を叩いた。
「言っておいてやってくれ。たまには外に出ろってな」
じゃましたな、と片手を上げて歩いていくその背中に、
「あ、おい!本当にいいのか?」
と声をかけてみたが、返事をする事も、立ち止まる事もなく、結局一度も振り返らないまま魔理沙は本棚の影に消えていった。
やがて遠くの方からぱたん、と戸の閉まる音がしたところで美鈴はふぅ、と一息つくと首だけ後ろに振り向き、
「だ、そうですよ?」
と言って、自分も出口へと向かった。
美鈴も出ていき、徐々にまた静寂が支配していく空間の中、三重四重に張り巡らされた結界の中、外の物音など何一つ届かないその場所で、パチュリーは静かに深い眠りについた。
最後に一筋、その頬を涙に濡らして。
∽
「────りさ」
「………」
「魔理沙ってば」
「………ん?」
自分の名前を呼ぶその声に、魔理沙はうすくその目を開いて声の主を確認しようとしたが、意識はまだどこか白く霞みがかっていて、加えて優しく揺すられる体は中々まどろみの中から抜け出てくれようとはしなかった。
それでも、どうにか首だけを動かして声の主を確認する。
「………おぉ、アリスじゃないか」
「アリスじゃないか、じゃないわよ。もう夕方よ。また本読みながら寝てたの?」
やれやれと肩をすくめるアリスをよそに、魔理沙はそれには応えず、んー、と体を伸ばして首をこきこきとならしていた。
その様子を見ていたアリスはますます肩を落とすと、大きな溜息を一つ。
「はぁ………いくら暖かくなってきたっていっても、まだ夜は冷え込むんだから。そんな所で寝てたら風邪引くわよ」
「大丈夫だ」
大分目も覚めてきたのか、魔理沙もいつもどおりの口調に戻ってきたようだった。
「また、何を根拠にそんな事を言ってるのよ」
「風邪をひいてもアリスがつきっきりで看病してくれるからな」
魔理沙の何気ないその一言に、アリスはボッ、と一気に顔中どころか全身を真っ赤にして、手に持っていた物を思わず落としそうになった。
「なな、ななななな何を言ってるのよ。そんなめんどくさい事は御免よ」
そんなアリスの様子が可笑しかったのか、魔理沙は口に手を当てて必死に笑いを堪えているようだった。
「そうかそうか、それは残念だ。それじゃあ私は一人寂しく闘病生活を送ることにするぜ」
「別にお見舞いくらいは来てあげるけど………って、そうじゃないでしょ」
すっかり魔理沙のペースに乗せられていたアリスは大きく首を振って少し声を荒げた。
「そもそも最初から風邪なんてひかなければいいのよ」
「残念だ。折角今日は外で寝て風邪でもひこうと思っていたんだが」
「やめなさい」
流石にもう引っかかってくれないか、と魔理沙は心底残念だというふうに肩を落とした。
「どうしたのよ。今日のあなたは何か変よ?」
訝しげな表情で訊ねてくるアリスに、魔理沙はずり落ちそうになっていた体を一旦起こして座りなおすと、傍らに置いてあった帽子をくるくると回しながら応えた。
「夢を見たんだよ。昔のな」
「昔って、どれくらい?」
「そうだな。あれは………六十年前くらいか」
「六十年前っていうと────あぁ、あの『私もついに三桁だぜ』とか言って七日七晩騒ぎ通した時の事?」
思ってもいなかったアリスの応えに、魔理沙は暫く考える素振りを見せた後、当時の事を思い出したのか、肩を震わせて笑っていた。
「あー、そういえばそんな事もあったな」
「なに?違うの?」
「あぁ、違うな。だがさっきの夢を見て一つ確信した事がある」
「なによ?」
「アリスは本当に物好きだな」
「………あなたに言われたくないわね」
からからと笑う魔理沙を見て、アリスは小さく安堵した。
最近の魔理沙はどこか元気がない、というよりか弱ってきている印象があったのだが、今日の彼女を見る分にはまだまだ元気そうに見えた。
それでも普通の人間の肉体的な寿命は120年が限界と言われている中、魔理沙はすでに160歳を超えているのだから、弱ってきていても無理はないはずなのだが。
「楽しそうね」
「まぁな」
「そう。じゃあこれは要らないわね」
そういってアリスは手に持っていた書物──グリモワール──をひらひらと見せびらかすように揺らした。
「おいおい、それとこれとは話が別だぜ」
「退屈だって言うから持ってきてあげたんじゃないの。だからそれだけ日々を楽しんでいるのなら必要ないんじゃないかしら?」
「お前がそれをくれるって言うから今日という日を楽しみにしてたんじゃないか」
まるで160歳の老婆とは思えない、子供のような拗ねた声を上げる魔理沙を見て、この辺りで勘弁してあげようかな、とアリスはその本を魔理沙へと渡した。
「まぁ約束は約束だしね。いいわよ、後は好きにしてやってちょうだい」
「おう、悪いな」
「いえいえ、どういたしまして」
本を両手で抱え、満面の笑みを浮かべる顔はまさに知り合った頃のままの魔理沙だった。
その顔を見ていると、自然とこちらまで笑みがこぼれてしまう。
そしてその度にこの笑顔が見たいから一緒にいるのだという事を深く自覚した。
「じゃあ私はもう帰るけど、夜はちゃんとベッドの方で寝るのよ?」
「あぁ、解ってるぜ」
返事こそしっかりしていたが、既に興味の全てが本の方に集中しているのは目に見えて明らかだった。
「それじゃ、また来るから」
そう言って部屋を出ようとするアリスの背に、魔理沙が声をかけた。
「あぁ、そうだ。アリス」
「ん?なに?」
「────いつもすまないな」
「────え?」
一瞬自分の耳を疑ってしまったが、聞きなおそうとしても魔理沙は既に本の世界へと旅立っているようだった。
ああなってしまえばいくら問いただした所で応えてはくれないだろう。
かれこれ100年以上の付き合いになるアリスと魔理沙だが、今までに一度として魔理沙が礼を言うなどという事はなかった。
余りにも突然の事に思わず動揺してしまったが、気を取り直すと再び魔理沙に背を向け、ひょいひょいとあちこちに雑然と積み上げられているガラクタやらマジックアイテムやらを避けつつ、玄関へと向かう。
「ほんと、どんな夢を見たのかしらね」
最後に一度、廊下の奥を顧みて、アリスは静かに玄関のドアを閉めた。
∽
それから一ヵ月後
∽
「魔理沙ー、生きてるー?」
玄関のドアを開けながら、そんな事を言って中へと入っていく。
入ったそばから色々な──どうみてもガラクタにしかみえないものばかりだ──物が雑然と積み上げられ、その間を蛇行するようになんとか人一人が通れるような道が出来ている。
アリスがここを訪れるようになった最初の頃はそんな道はなく、正に足の踏み場もない状態だったのだが、来るたびに少しずつ整理していき50年ほどかけてやっと通路と呼べるようなスペースを作り出すことに成功していた。
両側にそれらを積み上げられて作られたいくつもの塔を崩さないように、ひょいひょいと避けながら進んでいく。
そんな動きも最近ではもうすっかり慣れてしまっていた。
しかし、今日は一つだけいつもと違う事があった。
「魔理沙ー、いないのー?」
いつもならばこの辺りで
「失礼な奴だな。私はそんな簡単にくたばったりしないぜ」
とでも言い返してくるのだが、今日に限ってまだその言葉が聞こえてこない。
また本を読んでいる途中で寝てしまったのだろうかとも思ったが、それならば椅子の揺れる音が聞こえてくる。
そんな小さな違和感を感じながら、アリスはいつもの部屋へと向かった。
「魔理沙、だからそんな所で寝てちゃ駄目だって………いないわね」
魔理沙が自ら書斎と読び、一日の大半を過ごしているその部屋には誰もいなかった。
いつも魔理沙が座っている椅子の傍までいくと、そこには主の変わりに一冊の本が置かれていた。
以前来た時にアリスが渡したグリモワールだった。
本の上部には数ページおきにびっしりと付箋が貼られ、ページの隅にはクセのある字で様々なメモが書かれていた。
それが最初のページから最後のページにまで続いていたことから、この一ヶ月の間にかなり読み込まれていたことが窺えた。
「ほんとに、この手の物には目が無いわね」
ぱらぱらとページを捲っていたその手を止め、ぱたんと本を閉じると元あった椅子の上へと戻し、アリスは部屋を出た。
ここに居ないとなれば台所だろうか?
日にちも時間も、毎回いつ来るとも知らせていないのに魔理沙は時折到着早々お茶を出してくる事があった。
ただの偶然だぜ、と言っていたが、それは明らかに二人分の用意がしてあり、それを見るたびに不思議に思っていたものだ。
「魔理沙ー?」
かくして辿り着いた台所だったが、しかしそこに捜し求める姿はなかった。
ここにも居ないとなると寝室でまた寝ているのだろうか?
と、部屋を後にしようとしていたアリスは辺りに漂う微かな香りに気付いた。
「あら?お茶が入れてあるじゃない」
やはりふたつのカップに淹れられたお茶からは、まだ淹れたばかりなのであろう、暖かそうな湯気が立ち上っていた。
お茶の用意がしてあるという事は寝室でまだ寝ているという事はないだろう。
それでも念のためにと、魔理沙の姿を探して家の中を探し回ってみた。
しかし、呼べど探せどその姿は見つからず、徐々にアリスの中に不安が広がっていった。
「家の中は全部見て回ったし、地下室も行ってみた、他に残ってる場所なんてないわよ………」
再び戻ってきた書斎は先程から変わる事なく、その静けさを保っていた。
椅子の上には一冊の本が置かれ、その後ろの小さく開けられた窓から入ってくる風が部屋の埃を舞い上がらせ、森の木々の間を通り抜けてきた朝日の細い光の筋がそれらをキラキラと輝かせている。
「なにかあったの?あの魔理沙に?」
頭の中をよぎっていく様々な憶測に、アリスは思わず部屋を飛び出し外へと向かった。
通る側からがらがらと積み上げられた物たちが崩れていくが、そんな事は気にしていられない。
勢いよくドアを開け放ち、一気に空へと翔け上がる。
お茶の状態から見てついさっきまで家に居た事は間違いない。
さもなれば、外に出たとしてもまだそう遠くには行っていないはず。
「魔理沙は────いないわね」
ぐるりと周りを見渡してみたが、空にいたのは鳥たちと、あれは神社の方だろうか、巫女装束を着た二人の姿だけだった。
その姿を見て、ついこの間までまだ赤ん坊だったのにもうあんなに大きくなったのか、と思ったが、ぶんぶんと首を振るとすぐに思考を切り替え、今度は一気に下降していった。
「森の中で行き倒れなんてのは嫌よ」
そのスピードのまま森の中へと突入し、迫る枝葉を掻い潜りながら魔理沙の姿を探す。
避け切れなかった枝が服を裂き、肌からは血が滲み出していたが、それすらも気にはしていられない。
「魔理沙」
どこに行ったの?
「魔理沙──」
どうして何も言ってくれなかったの?
「魔理沙────」
あなたも私を置いていってしまうの?
「まりさっ!」
∽
すっかり暗くなってしまった幻想郷の空の下、肩を落とし、顔を俯かせるアリスの姿があった。
あの後、アリスは文字通り幻想郷を端から端まで飛び回った。
行く先々で顔見知りの者たちに声をかけて聞いてみたが、一人として魔理沙を見た者はいなかった。
最悪の場合を考えて冥界にまで足を運んでみたが、渋る妖夢をなんとか説得して会わせてもらった幽々子は
「魔理沙?まだ「こちらには来ていない」わよ。まったく、しぶとい人間もいたものね」
と言っていたので、まだその身は無事なのだろう。
「そうよ、きっと散歩にでも出てたんだわ。入れ違いになっちゃったのね」
アリスは己を納得させるようにそう呟くと、いくらなんでももう帰っているだろうと、輝く星空の下、魔理沙の家へと向かった。
だがしかし、再び訪れた霧雨邸は朝アリスが飛び出していった時のまま、開いたままの玄関のドアは風に揺られギシギシと音をたてていた。
開いたままの玄関から中へと入り、後ろ手にドアを閉める。
奥へと続く廊下には飛び出した時に崩れた様々な物たちで正に足の踏み場もない状態に戻っていた。
無造作にそれらを横に払いながら書斎へと向かう。
一欠けらの希望を胸に抱きつつ、いざ部屋へと入ってみたが、やはりそこも飛び出した時のままだった。
小さく開けられた窓から入ってくる風にきぃ、きぃ、と揺られる椅子はまるで主の不在を嘆いているかのように見えた。
一通り家の中を見て回ったが、遂に魔理沙の姿を見つける事はできなかった。
台所には既に冷たくなってしまっていたお茶がふたつ。
その内のひとつを手に取ると、それを一気に飲み干した。
「ほんと………どこに行ったのよ」
書斎に戻ったアリスはそう小さく呟きながら椅子の傍まで来ると、びっしりと付箋が貼られ、ページの隅にクセのある字で様々なメモが書かれた本をそっと抱きかかえた。
「早く帰ってきなさいよ………じゃないと、せっかくあげたこの本、持って帰っちゃうわよ………?」
つい先程まで星々が輝いていた空はいつからか厚い雲に覆われ、森の木々が無数の人の囁き声のようにその枝葉をざわざわと騒ぎ立てる。
次第に強くなっていく風は窓をガタガタと揺らし、部屋の中には主の居なくなった椅子の嘆きと、独りの少女の嗚咽だけがいつまでも、いつまでも、静かに響いていた────────
※第一話は作品集19にありますが、先にこちらを読まれる事をオススメします。
「────ごめんなさい」
最後に呟いたのは贖罪の言葉。
しかし、いかなる事をしようとも、どれほどの年月が経とうとも、
この罪が償える日は来ないであろう。
それは裏切り。
それは罪。
これは罰。
罪には罰を。
だから私は静寂が支配するこの空間の奥底へと向かう。
二度と外の世界を見ることは無いだろう。
ただ独り、朽ちゆくその時まで、私は無となり闇となろう。
罪には罰を。
∽
「さて、今日はどうしたものか」
通い慣れた空の下をふわふわと飛びながら、魔理沙は今日の予定を考えた。
とりあえず天気が良かったので家を飛び出してみたが、別段これといってする事がない。
暫くは当てもなくあちこちを彷徨ってみたが、特に目を引く出来事もなかった。
そして気付けばいつもと同じ場所をいつもと同じ目的地に向かって飛んでいた。
この空模様なら夜までは大丈夫だろう。
きっと綺麗な星空が拝めるに違いない。
星を見ながら騒ぐというのも中々に捨てがたいではないか。
「そうだな、今日は神社で宴会でもするか」
あいつもきっと喜ぶだろう。
口にも表情にも出さないから他の奴らは解ってなさそうだが、
あれで案外そういった集まりは好きだからな。
「っと、そんな事を言ってる間にご到着だぜ」
通い慣れた紅い館が見えてくると、魔理沙は徐々に高度を下げた。
しかし、眼下に構える正門をあっさりと無視すると、館の裏側にある図書館へと回っていく。
「──っと」
ゆっくりと地面に降り立つと、風で乱れた服と髪を手早く直し、入り口へと歩いていく。
「────おい」
「さて、あいつは何処に居るのやら」
「────ちょっと待て」
「連れ出したらまずは香霖の所に行って酒の調達だな」
「待てと言ってるだろ!」
戸を開けようとした魔理沙の前に、横から美鈴が割り込んできた。
「おぉ?悪いな。どうも最近耳が遠くなってきたみたいだ」
「こんな時だけ年寄りぶるな」
なんの悪びれもないといったふうに耳をかきまわす素振りを見せる魔理沙に、美鈴は大きく溜息をついた。
「失礼な奴だな。お前達に比べたら私はまだまだ若いぜ」
「肉体的にはあんたの方がよっぽど歳を取ってるだろ」
いつの間にか魔理沙のペースに乗せられていっている事に気付いた美鈴は、ますます大きな溜息をついた。
昔は大人になれば落ち着いてくれるものだとばっかり思っていたのだが、目の前の黒いのは大人どころか老婆とも言える年齢になっても全く変わっていなかった。
「それよりなんでお前がここに居るんだ?」
美鈴の問いには応えずに、魔理沙が逆に問いかける。
普段はずっと正門に詰めている美鈴が正反対の位置に当たる図書館の入り口に居る事を疑問に思うのは当然といえば当然だった。
「パチェ様から伝言を預かっている」
「あー、なるほど」
「どうせお前は正門には来ないからな。こっちに居た方が確実だろう」
どんなもんだ、と胸を張ってそう応える美鈴を見て、魔理沙は門番が仕事を放棄していいのか、と思いつつも、その疑問を口に出す事はなかった。
「それで、伝言ってのはどんな事なんだ?」
「あぁ、そうだった。お前にはもう会えない、との事だ」
「そりゃまた突然だな」
美鈴から聞かされた予想外の応えに一瞬驚きの表情を見せた魔理沙だったが、まるで感心がないといったふうに棒読みの応えを返した。
そして、最初から何事もなかったかのようにもう一度入り口の戸に手をかけた。
「おい!聞いてなかったのか!」
「聞いてたさ。だけどそれはあいつの都合だろ?私は私の都合でここに来たんだ。だからあいつが何を言っていようと、そんな事は関係ないぜ」
そう言ってノブを回し、戸を開けようとしたその瞬間、魔理沙は突如として発せられた背後からの殺気にばっ、とその体を横へと移した。
「ふん、まだまだ衰えてはいないようだな」
そこには、一瞬前まで魔理沙が居た場所、その後頭部があった場所に拳を突き出した美鈴が居た。
「危ないな。年寄りはもっと労わるものだぜ」
「さっきはまだまだ若いとか言ってたじゃないか」
説得して駄目ならば力づくで、といったところなのだろう。
先程までとは打って変わって闘志をむき出しにしてこちらを睨み付けてくる美鈴を見て、魔理沙はやれやれと首を振った。
「それはそれ────だ」
その声は、ありえない事に美鈴の背後から聞こえてきた。
「なっ、いつの間に!?」
目の前に居たはずの相手の声が突然後ろから聞こえてきた事に、美鈴は動揺の色を隠せなかった。
(おかしい、確かに自分は魔理沙と戸の間に立っていたし、一瞬でも魔理沙から視線を外す事はなかった。それに何かが自分の周りを通過していく気配など何も感じなかった。それなのに一体どうやって………)
「おっと、別に時間を止めた────なんて事はないぜ。そんな事が出来るのはあいつだけだと思いたいしな」
こちらの考えていた事など解っていたとでもいうふうに応える魔理沙に、自分の推論があっさりと否定された美鈴はますます困惑の色に染まっていった。
「まだまだ実験段階なんだがな。やってる事は全然違うが、まぁ紫みたいなものだよ」
それが答えの全てだとでもいうように、魔理沙は信じられないものを見たというふうにぽかんと口を開けたまま固まっている美鈴を置いて図書館の中へと入っていった。
ぱたん、と戸の閉まる音を聞いてハっと我に返った美鈴は、またやられた──と片手で顔を覆うと、ちょっと待てと魔理沙の後を追っていった。
「なんだ。もう追い返そうとしないのか?」
大人しく後ろを付いてくる美鈴にそう訪ねたが、
「私が言われたのは中に入れるなって事だけ。中に入られたら後の事は知らないよ」
「────お前はお前で色々と足りてなさそうだな」
美鈴のそんな答えに思わずそう呟いてしまった。
「じゃあなんで付いて来るんだ?表で待ってるなり仕事場に戻るなりしたらどうだ?」
「こんな変な老婆が途中で行き倒れになってても迷惑するのはこっちなんだ。だからその見張りだよ」
「変な、は余計だぜ」
暫くそんな軽口を叩きながら奥へ奥へと歩いていたが、途中から何かを思い出したようにうーん、と考え込んでいた美鈴が口を開いた。
「でも、行っても無駄だと思うよ?」
何を考えていたのかと思っていた魔理沙は、美鈴の問いかけにからからと笑いながら応えた。
「この世に無駄なんてものは何もないぜ?」
その場はそう言ったし、実際魔理沙はいつでもそう思っていた。
だが、やがて見えてきた「それ」を目の当たりにすると、なるほど、とついつい先程の美鈴の言葉に納得してしまった。
「これはまたご大層な結界だな。私はそんなに嫌われてるのか?」
それは別に誰かに聞いた訳でもなく、ふいに漏らしてしまった独り言だったのだが、美鈴はそれに律儀に応えようとして、しかし応える事ができなかった。
美鈴にも何故パチュリーがこんな結界を張ってまで魔理沙を拒絶したのかが解らなかったのだ。
パチュリーが自身を隔離しようとした直前にその事を聞いてみたのだが、
「あなたもその内解るようになるわ」
そ言うだけであった。
そうして、暫く何かを呟きながら結界の前をうろうろと歩いていた魔理沙がその歩みを止めると
「まぁ最近のあいつを見てたら理由は大体解るけどな。こんな所に篭ってたらまた足りなくなるぜ。色々とな」
そう言ってぽん、と美鈴の肩を叩いた。
「言っておいてやってくれ。たまには外に出ろってな」
じゃましたな、と片手を上げて歩いていくその背中に、
「あ、おい!本当にいいのか?」
と声をかけてみたが、返事をする事も、立ち止まる事もなく、結局一度も振り返らないまま魔理沙は本棚の影に消えていった。
やがて遠くの方からぱたん、と戸の閉まる音がしたところで美鈴はふぅ、と一息つくと首だけ後ろに振り向き、
「だ、そうですよ?」
と言って、自分も出口へと向かった。
美鈴も出ていき、徐々にまた静寂が支配していく空間の中、三重四重に張り巡らされた結界の中、外の物音など何一つ届かないその場所で、パチュリーは静かに深い眠りについた。
最後に一筋、その頬を涙に濡らして。
∽
「────りさ」
「………」
「魔理沙ってば」
「………ん?」
自分の名前を呼ぶその声に、魔理沙はうすくその目を開いて声の主を確認しようとしたが、意識はまだどこか白く霞みがかっていて、加えて優しく揺すられる体は中々まどろみの中から抜け出てくれようとはしなかった。
それでも、どうにか首だけを動かして声の主を確認する。
「………おぉ、アリスじゃないか」
「アリスじゃないか、じゃないわよ。もう夕方よ。また本読みながら寝てたの?」
やれやれと肩をすくめるアリスをよそに、魔理沙はそれには応えず、んー、と体を伸ばして首をこきこきとならしていた。
その様子を見ていたアリスはますます肩を落とすと、大きな溜息を一つ。
「はぁ………いくら暖かくなってきたっていっても、まだ夜は冷え込むんだから。そんな所で寝てたら風邪引くわよ」
「大丈夫だ」
大分目も覚めてきたのか、魔理沙もいつもどおりの口調に戻ってきたようだった。
「また、何を根拠にそんな事を言ってるのよ」
「風邪をひいてもアリスがつきっきりで看病してくれるからな」
魔理沙の何気ないその一言に、アリスはボッ、と一気に顔中どころか全身を真っ赤にして、手に持っていた物を思わず落としそうになった。
「なな、ななななな何を言ってるのよ。そんなめんどくさい事は御免よ」
そんなアリスの様子が可笑しかったのか、魔理沙は口に手を当てて必死に笑いを堪えているようだった。
「そうかそうか、それは残念だ。それじゃあ私は一人寂しく闘病生活を送ることにするぜ」
「別にお見舞いくらいは来てあげるけど………って、そうじゃないでしょ」
すっかり魔理沙のペースに乗せられていたアリスは大きく首を振って少し声を荒げた。
「そもそも最初から風邪なんてひかなければいいのよ」
「残念だ。折角今日は外で寝て風邪でもひこうと思っていたんだが」
「やめなさい」
流石にもう引っかかってくれないか、と魔理沙は心底残念だというふうに肩を落とした。
「どうしたのよ。今日のあなたは何か変よ?」
訝しげな表情で訊ねてくるアリスに、魔理沙はずり落ちそうになっていた体を一旦起こして座りなおすと、傍らに置いてあった帽子をくるくると回しながら応えた。
「夢を見たんだよ。昔のな」
「昔って、どれくらい?」
「そうだな。あれは………六十年前くらいか」
「六十年前っていうと────あぁ、あの『私もついに三桁だぜ』とか言って七日七晩騒ぎ通した時の事?」
思ってもいなかったアリスの応えに、魔理沙は暫く考える素振りを見せた後、当時の事を思い出したのか、肩を震わせて笑っていた。
「あー、そういえばそんな事もあったな」
「なに?違うの?」
「あぁ、違うな。だがさっきの夢を見て一つ確信した事がある」
「なによ?」
「アリスは本当に物好きだな」
「………あなたに言われたくないわね」
からからと笑う魔理沙を見て、アリスは小さく安堵した。
最近の魔理沙はどこか元気がない、というよりか弱ってきている印象があったのだが、今日の彼女を見る分にはまだまだ元気そうに見えた。
それでも普通の人間の肉体的な寿命は120年が限界と言われている中、魔理沙はすでに160歳を超えているのだから、弱ってきていても無理はないはずなのだが。
「楽しそうね」
「まぁな」
「そう。じゃあこれは要らないわね」
そういってアリスは手に持っていた書物──グリモワール──をひらひらと見せびらかすように揺らした。
「おいおい、それとこれとは話が別だぜ」
「退屈だって言うから持ってきてあげたんじゃないの。だからそれだけ日々を楽しんでいるのなら必要ないんじゃないかしら?」
「お前がそれをくれるって言うから今日という日を楽しみにしてたんじゃないか」
まるで160歳の老婆とは思えない、子供のような拗ねた声を上げる魔理沙を見て、この辺りで勘弁してあげようかな、とアリスはその本を魔理沙へと渡した。
「まぁ約束は約束だしね。いいわよ、後は好きにしてやってちょうだい」
「おう、悪いな」
「いえいえ、どういたしまして」
本を両手で抱え、満面の笑みを浮かべる顔はまさに知り合った頃のままの魔理沙だった。
その顔を見ていると、自然とこちらまで笑みがこぼれてしまう。
そしてその度にこの笑顔が見たいから一緒にいるのだという事を深く自覚した。
「じゃあ私はもう帰るけど、夜はちゃんとベッドの方で寝るのよ?」
「あぁ、解ってるぜ」
返事こそしっかりしていたが、既に興味の全てが本の方に集中しているのは目に見えて明らかだった。
「それじゃ、また来るから」
そう言って部屋を出ようとするアリスの背に、魔理沙が声をかけた。
「あぁ、そうだ。アリス」
「ん?なに?」
「────いつもすまないな」
「────え?」
一瞬自分の耳を疑ってしまったが、聞きなおそうとしても魔理沙は既に本の世界へと旅立っているようだった。
ああなってしまえばいくら問いただした所で応えてはくれないだろう。
かれこれ100年以上の付き合いになるアリスと魔理沙だが、今までに一度として魔理沙が礼を言うなどという事はなかった。
余りにも突然の事に思わず動揺してしまったが、気を取り直すと再び魔理沙に背を向け、ひょいひょいとあちこちに雑然と積み上げられているガラクタやらマジックアイテムやらを避けつつ、玄関へと向かう。
「ほんと、どんな夢を見たのかしらね」
最後に一度、廊下の奥を顧みて、アリスは静かに玄関のドアを閉めた。
∽
それから一ヵ月後
∽
「魔理沙ー、生きてるー?」
玄関のドアを開けながら、そんな事を言って中へと入っていく。
入ったそばから色々な──どうみてもガラクタにしかみえないものばかりだ──物が雑然と積み上げられ、その間を蛇行するようになんとか人一人が通れるような道が出来ている。
アリスがここを訪れるようになった最初の頃はそんな道はなく、正に足の踏み場もない状態だったのだが、来るたびに少しずつ整理していき50年ほどかけてやっと通路と呼べるようなスペースを作り出すことに成功していた。
両側にそれらを積み上げられて作られたいくつもの塔を崩さないように、ひょいひょいと避けながら進んでいく。
そんな動きも最近ではもうすっかり慣れてしまっていた。
しかし、今日は一つだけいつもと違う事があった。
「魔理沙ー、いないのー?」
いつもならばこの辺りで
「失礼な奴だな。私はそんな簡単にくたばったりしないぜ」
とでも言い返してくるのだが、今日に限ってまだその言葉が聞こえてこない。
また本を読んでいる途中で寝てしまったのだろうかとも思ったが、それならば椅子の揺れる音が聞こえてくる。
そんな小さな違和感を感じながら、アリスはいつもの部屋へと向かった。
「魔理沙、だからそんな所で寝てちゃ駄目だって………いないわね」
魔理沙が自ら書斎と読び、一日の大半を過ごしているその部屋には誰もいなかった。
いつも魔理沙が座っている椅子の傍までいくと、そこには主の変わりに一冊の本が置かれていた。
以前来た時にアリスが渡したグリモワールだった。
本の上部には数ページおきにびっしりと付箋が貼られ、ページの隅にはクセのある字で様々なメモが書かれていた。
それが最初のページから最後のページにまで続いていたことから、この一ヶ月の間にかなり読み込まれていたことが窺えた。
「ほんとに、この手の物には目が無いわね」
ぱらぱらとページを捲っていたその手を止め、ぱたんと本を閉じると元あった椅子の上へと戻し、アリスは部屋を出た。
ここに居ないとなれば台所だろうか?
日にちも時間も、毎回いつ来るとも知らせていないのに魔理沙は時折到着早々お茶を出してくる事があった。
ただの偶然だぜ、と言っていたが、それは明らかに二人分の用意がしてあり、それを見るたびに不思議に思っていたものだ。
「魔理沙ー?」
かくして辿り着いた台所だったが、しかしそこに捜し求める姿はなかった。
ここにも居ないとなると寝室でまた寝ているのだろうか?
と、部屋を後にしようとしていたアリスは辺りに漂う微かな香りに気付いた。
「あら?お茶が入れてあるじゃない」
やはりふたつのカップに淹れられたお茶からは、まだ淹れたばかりなのであろう、暖かそうな湯気が立ち上っていた。
お茶の用意がしてあるという事は寝室でまだ寝ているという事はないだろう。
それでも念のためにと、魔理沙の姿を探して家の中を探し回ってみた。
しかし、呼べど探せどその姿は見つからず、徐々にアリスの中に不安が広がっていった。
「家の中は全部見て回ったし、地下室も行ってみた、他に残ってる場所なんてないわよ………」
再び戻ってきた書斎は先程から変わる事なく、その静けさを保っていた。
椅子の上には一冊の本が置かれ、その後ろの小さく開けられた窓から入ってくる風が部屋の埃を舞い上がらせ、森の木々の間を通り抜けてきた朝日の細い光の筋がそれらをキラキラと輝かせている。
「なにかあったの?あの魔理沙に?」
頭の中をよぎっていく様々な憶測に、アリスは思わず部屋を飛び出し外へと向かった。
通る側からがらがらと積み上げられた物たちが崩れていくが、そんな事は気にしていられない。
勢いよくドアを開け放ち、一気に空へと翔け上がる。
お茶の状態から見てついさっきまで家に居た事は間違いない。
さもなれば、外に出たとしてもまだそう遠くには行っていないはず。
「魔理沙は────いないわね」
ぐるりと周りを見渡してみたが、空にいたのは鳥たちと、あれは神社の方だろうか、巫女装束を着た二人の姿だけだった。
その姿を見て、ついこの間までまだ赤ん坊だったのにもうあんなに大きくなったのか、と思ったが、ぶんぶんと首を振るとすぐに思考を切り替え、今度は一気に下降していった。
「森の中で行き倒れなんてのは嫌よ」
そのスピードのまま森の中へと突入し、迫る枝葉を掻い潜りながら魔理沙の姿を探す。
避け切れなかった枝が服を裂き、肌からは血が滲み出していたが、それすらも気にはしていられない。
「魔理沙」
どこに行ったの?
「魔理沙──」
どうして何も言ってくれなかったの?
「魔理沙────」
あなたも私を置いていってしまうの?
「まりさっ!」
∽
すっかり暗くなってしまった幻想郷の空の下、肩を落とし、顔を俯かせるアリスの姿があった。
あの後、アリスは文字通り幻想郷を端から端まで飛び回った。
行く先々で顔見知りの者たちに声をかけて聞いてみたが、一人として魔理沙を見た者はいなかった。
最悪の場合を考えて冥界にまで足を運んでみたが、渋る妖夢をなんとか説得して会わせてもらった幽々子は
「魔理沙?まだ「こちらには来ていない」わよ。まったく、しぶとい人間もいたものね」
と言っていたので、まだその身は無事なのだろう。
「そうよ、きっと散歩にでも出てたんだわ。入れ違いになっちゃったのね」
アリスは己を納得させるようにそう呟くと、いくらなんでももう帰っているだろうと、輝く星空の下、魔理沙の家へと向かった。
だがしかし、再び訪れた霧雨邸は朝アリスが飛び出していった時のまま、開いたままの玄関のドアは風に揺られギシギシと音をたてていた。
開いたままの玄関から中へと入り、後ろ手にドアを閉める。
奥へと続く廊下には飛び出した時に崩れた様々な物たちで正に足の踏み場もない状態に戻っていた。
無造作にそれらを横に払いながら書斎へと向かう。
一欠けらの希望を胸に抱きつつ、いざ部屋へと入ってみたが、やはりそこも飛び出した時のままだった。
小さく開けられた窓から入ってくる風にきぃ、きぃ、と揺られる椅子はまるで主の不在を嘆いているかのように見えた。
一通り家の中を見て回ったが、遂に魔理沙の姿を見つける事はできなかった。
台所には既に冷たくなってしまっていたお茶がふたつ。
その内のひとつを手に取ると、それを一気に飲み干した。
「ほんと………どこに行ったのよ」
書斎に戻ったアリスはそう小さく呟きながら椅子の傍まで来ると、びっしりと付箋が貼られ、ページの隅にクセのある字で様々なメモが書かれた本をそっと抱きかかえた。
「早く帰ってきなさいよ………じゃないと、せっかくあげたこの本、持って帰っちゃうわよ………?」
つい先程まで星々が輝いていた空はいつからか厚い雲に覆われ、森の木々が無数の人の囁き声のようにその枝葉をざわざわと騒ぎ立てる。
次第に強くなっていく風は窓をガタガタと揺らし、部屋の中には主の居なくなった椅子の嘆きと、独りの少女の嗚咽だけがいつまでも、いつまでも、静かに響いていた────────
×開いたままの玄関のドアは風邪に揺られギシギシと音をたてていた。
○開いたままの玄関のドアは風に揺られギシギシと音をたてていた。
続編を御待ちしております
えっと、読んでて純粋にかなり面白かったです。音楽畑の方との事ですが、文章で勝負しても相当の力があるなぁ……と感じました。
ちょっとツンデレなアリスに、むー。さんを思い浮かべたりもしましたが、まあそこはそれ(笑)いい味になってると思います。
年をとらない(或いは人間から比較すると、極端にゆっくり)な妖怪サイドと、妖怪と比べたらすぐに死んでしまう人間との境を題材にした話は何本か見た事がありますが、その中でもこの話はかなり上手い部類に入ると思います。
パチュリーなんかは特に。台詞ゼロなのに、その心情を十二分に描いていると思います。話的にも、続編への引きとしては十分。
霊夢の子供と思われるあたりとかも、自然に、それでいてそれとなく描いていて隠し方も上手です(霊夢はどーなったのかな、とは思いましたが。アリスの独白が良いヒントになってると思います)
気になった事といえば、魔理沙の年齢ですか。160というのは流石にちょい無理があるので、120歳くらいに下げるか(その位なら、まだ「しぶといな~」で済みますw)その辺りの理由付け(魔力食いつぶして年のとり方を遅らせてるとか、そーゆーの)があればもっと良いかと。
…………ぶっちゃけ、評価だけなら70点上げたいです(汗)私が30点分下げてる理由は。
>色々と中途半端な部分もありますが、その辺は本編に当たる文庫本へと続いていたり続いてなかったり。
これ読んでずっこけ(汗)はぅーん……創想話の中でちゃんと完結させてー! しくしくしくしく……(涙)本編とは別に、この「野春菊」という番外編を、これ1本で終わらないで、創想話の中で完結してくださる事を切実に望みます。
続きは本編ですか。
文庫本ですか。
宣伝は勘弁してくださいよほんとに。
ちなみに
×「危ないな。歳よりはもっと労わるものだぜ」
○「危ないな。年寄りはもっと労わるものだぜ」
一度ついてしまったイメージを払拭できるとは思っていませんが、
このエピソードを最後まで書ききる事がせめてもの償いになればと思い、
現在再び筆を取らせていただいています。
これより先、こちらに投稿させていただく物は「月ノ涙~魔理沙編~」として完結させますので、その点においてはご了解いただきたく思います。
また、この魔理沙編は文庫とは一切関係がないことを記させていただきます。
同じ世界の中の出来事を書いた両作品ですので相違点はありますが、
本文の内容は全く別の物となっています。
これらの事が到底許される事ではないというのは重重承知していますが、
どうか最後までお付き合いいただければ幸いです。
(批判的なコメントになってしまうので)
・・・ ・・・もう、もう言ってもいいですよね
続き全く書かないじゃん
やっぱりこれで終わりですか?
点数上は「次に期待しています」になってしまいますが、もう期待する事はできませんね
後から言ったところで言い訳にしかならないのですが、
このシリーズはコメントにて書いた通り、全6話の予定でした。
が、5、4、1、2と進み、3話目を書いていた辺りで、
最終話となる6話目で書こうとしていた内容が某同人誌と丸被りだった事もあって、
これはもう自分で書く必要もないな、と思った次第です。
しかし、展開は丸被りとはいえ、このシリーズで書きたかったテーマはまた別にありましたので、
それを更に昇華して、全く別の話として現在執筆中です。
残念ながらその作品は現時点では創想話での発表は出来かねますが、
このシリーズで自分が書きたかった事は今もまだ続けています、とだけ。
>このエピソードを最後まで書ききる事がせめてもの償いになればと思い
>こちらに投稿させていただく物は「月ノ涙~魔理沙編~」として完結させますので
・・・最後まで見届けて・・・最後まで書ききる・・・完結させます・・・
それ以外の言葉も含めて、むなしい言葉だなあ、おい
某同人誌と丸被りだったからこれはもう自分で書く必要もないな
と言われても、こっちにとっては????????????????????????????????????????????????????????????????????????その某同人誌とやらを知らんし、もちろん内容なんか知らん。結局、嘘吐きの打ち切りとかわらねーです
久しぶりに見ようとなんて思わなきゃよかった