藤原妹紅が住むのは、はっきり言ってあばらやだ。普通の雨風こそかろうじてしのいでいるものの、嵐でもくれば壁は割れ屋根は飛び、倒壊したことも一度や二度ではない。友人である上白沢慧音などは渋い顔で「もう少しマシな家を建てたらどうだ」と言うが、今は多少長居しているが基本的に根無し草である妹紅は、家と言うものに執着があまりない。
そもそも、時折やってくる輝夜が家ごと妹紅を吹っ飛ばしていくのでどんなに立派な家を建てても無駄もいいところである。
そんなあばらやに、戸を叩く音が響いた。
「あー、慧音? 勝手に入りなよ」
このあばらやを訪ねる者は少ない――と言うか、二人しかいない。真っ当に戸を叩いた、ということは来訪者は慧音と言うことになる。なにせもう一人の来訪者である輝夜は中に入ることもなく、神宝を使った弾幕で爆撃するのが常なのだから。
一々叩かなくても自由に入れと言っているが、規律を重んじる慧音は律儀に毎回戸を叩く。
「お邪魔するわね」
ぎしぎし音を立てながら戸が開き、同時に聞こえる聞きなれた声。
「!?」
咄嗟に妹紅は跳ね起きた。
瞬時に高熱が妹紅を覆う。高熱は紅い色を持ち、翼の形を模して広がった。
その姿、不死鳥の如き。
「あらあら、剣呑ね」
貴人は汗などかかぬと言わんばかり、如何なる芸当か予期せぬ来訪者は高熱に炙られながらも涼しい顔で、そんな風にのたまった。もとより短気な妹紅であり、しかも相手が相手である。
「輝夜っ!!」
怒号と共に炎の翼が羽撃いた。
談話など不要。会話など無意味。
いつもと出会い方が違っただけで、二人の間には殺し殺されるという行為しか在り得ない。
故に弾幕。
羽撃く翼から火焔の羽根が舞い散る。翼の起こした風に乗り、それは来訪者――輝夜へと殺到した。
だが、それが無意味になるだろうことを妹紅は知っている。
輝夜がかつて求婚者達に突きつけた五つの難題。輝夜が本物を所有しているのは蓬莱の玉の枝だけだと言うが、それ以外の宝が秘めたる力をも、この憎き少女は操ってみせるのだ。
けして燃えぬという火鼠の皮衣を持つ輝夜には、寝起きを襲われたような状態で咄嗟に出した、程度の低い炎は通じない。妹紅のテンションが上がりきった状態の、燃やすというレベルを超越した火焔ならば時に輝夜を打ち倒すことも出来るのだが。
「な――!?」
いつものように炎の羽根は防がれ、輝夜からの反撃が来るだろうと身構えた妹紅は絶句した。
舞い襲う羽根は輝夜の服を容易く焦がし、雪のように白い肌すらも黒く侵していく。
「酷いわ、妹紅。来客を火炙りにするのが貴女の家の慣習?」
流石に多少歪んではいるが、そう言葉を紡ぐ輝夜の表情はやはり笑顔だ――なにしろいつもの殺し合いの最中ですら微笑っているくらいなのだから、まあそれほど驚くことではないけれど。
驚いたのは輝夜がこの程度の弾幕を受けた、ということ。悔しいが、自分の実力が輝夜に及んでいないことは理解している。蘇生スピードの速さから、後半戦では巻き返せる為、全敗という状況にはなっていないものの、戦闘開始直後はそれこそ一方的に嬲り殺されているようなこともしばしばだ。
それが、
「……なんのつもりよ、輝夜っ!」
「なんのつもりも何も……私が貴女を訪ねてはいけない?」
「……ああ、いけないね。私とお前の間に存在するのは“殺意”だけだ。今更他に何がある?」
「そうね、今まではそれだけだったわ。でも、新しい関係を模索するのは、そんなに悪いことかしら」
出会い頭に焦がされたというのに、輝夜の口調は変わらず穏やかだ。
妹紅は混乱している。
輝夜の思考が読めない。いや、もとからそんなものは読めないし、読む気もないのだが、今日は格別だった。
輝夜は自分を消しに来る。それは、輝夜も隠れ住むこの山奥に自分が来てから当たり前のように繰り返されてきたこと。輝夜を見つける前までは死んだように毎日を過ごしてきた自分が、輝夜と殺し合いをし始めてからは“生きている”と実感できるようになった。
楽しい、なんて人間らしい感情を長い年月忘れていた。
そのことについては感謝していないわけでもない。殺し殺される毎日は充実している。
だから妹紅にとって、輝夜に対する行為と言うのは“殺す”ということだけなのだ。それ以外のことなど考えもしなかった。と言うより、輝夜はやって来るなり妹紅を殺そうと――まあ、死ねないのだが――するので、それ以外の行為を考える暇も無いと言うべきか。
「……何を企んでる」
「貴女と仲良くなろうと思って……いけない?」
穏やかな笑顔。
だが妹紅は気を許さない。この蓬莱山輝夜という少女は、自分を閃滅する瞬間でも、穏やかに微笑っているような娘だ。今この瞬間にも、自分を殺そうとしていても少しもおかしくないのだ。
とは言え、気になる点もある。
今更、輝夜が自分を騙して何の利があるというのだろうか。
単に追い出すのは簡単だが、この分ではまた平気な顔で入ってきそうな感じもする。何を企んでいるのかわからないが、この際その企みが判明するまではむしろ側に置いておく方が安心かもしれない。
そう結論付け、
「か、勝手にすればいいだろっ」
「ふふ、ありがとう。じゃあ、しばらくお邪魔するわね」
言い捨てて再びごろりと横になった妹紅の隣に、輝夜はしずしずと腰をおろした。
沈黙。
妹紅にしてみればそれは当然だ。さんざん言ったとおり今更輝夜と話すことなどない――と言うか、何を話せばいいのか、わかるはずもない。
だが輝夜は何故黙っているのか。まあ妹紅がそっぽを向いてしまっているから、あるいは話したくても話せない――いや、そんなに可愛げのある性格はしていないはずだ。
側に黙って座っていられるのも気になる。とは言え、長い年月殺し合いしかしてこなかったような相手だ。こちらから話しかけるにしても、一体どんな話題を振ればいいのか。そもそも妹紅はあまりお喋りが好きな方ではない。
思案していると、突然頬を突かれた。
「!?」
慌てて跳ね起き、振り向けば輝夜が指を一本突き出した体勢のまま、
「あら、びっくり」
などと、ちっとも驚いていないような口調でのたまった。
「なにをする!」
「なにをって……柔らかそうだな、と思って」
「お前は人の頬が柔らかそうだと突くのか!?」
「ええ、そうよ。ふふ、イナバ達や永琳とはまた違った感触ね」
「私はお前の従者じゃない! 勝手に触るな」
「まあ……ひどいわ、妹紅。親しくなるには触れ合うのが一番だと、永琳が言ってたのに」
「知るかっ!」
「でも妹紅の肌って素敵な色ね。小麦色、と言うのかしら」
「……そりゃ、お偉いお前と違って私は働かなきゃ食っていけないからね。野良仕事をすれば、肌も焼けるわよ」
不死人の妹紅は人里には住まえない存在だが、異人としての妹紅はむしろ歓迎される。里は常に人手不足の問題を抱えているし、“訪れる”と言うことはすなわち“去る”と言うことでもある。如何に妹紅が人でありながら人ならざるモノだとしても、共同体の中に存在しないのであればそれほど問題視はされない、ということらしい。近隣の里の守護者のような存在である慧音の友人である、ということも一役買っているのだろうが、とりあえず妹紅はあまり歓迎こそされないものの、里に立ち入ることは許されている。
元々妹紅も貴族の端くれであり、野良仕事など勿論したことはなかったが、長い放浪生活で肉体労働には慣れきっていた。平時は野良仕事やその他諸々里の仕事を手伝い、土砂崩れなどあれば弾幕でそれを排除する、そんな風に里と関わり、妹紅は細々と食料などを得ているのだった。
「……味も変わるのかしら」
「は?」
ぞろりとした衣装にしては俊敏な動作。
跳ね起きたままの不自然な姿勢だったことと、不意を突かれたこともあり、妹紅はその動きを止められない。見かけ通りの少女の細腕に肩を押され、そのまま床に転がってしまう。
「なにを……うひゃあ!?」
妹紅の口から可愛らしい悲鳴があがった。
妹紅の頬を、突然湿った感触が襲う。
密接した状態では勿論見ることなど出来ないが、位置を考えるに感触の正体は――
「輝夜っ!? な、なにしてるんだお前っ!」
「なにって……」
「ひゃんっ」
再び頬に触れる湿った何か。
あまりにも慣れないその感触に、妹紅は身を竦めてしまう。
「別に焦げっぽい、というわけじゃないのね」
「あ、当たり前……ひゃっ。こ、この、馬鹿っ! いい加減に離れ……ひゃぅ」
ぺろぺろと、妹紅の頬を輝夜の舌が這う。
長い年月生きてきたとは言え、艶めいたこととは無縁だった妹紅にしてみれば、その感触はほとんど初めてに近い――まあ、行き倒れた時獣に頬を舐められることはあったが。
時折熱い吐息が首筋や耳朶をくすぐる、それもまた感じたことのない奇妙な感覚だ。
すぐにでも押し退けたいのだが、力が抜けてどうにも上手くいかない。結果、輝夜のいいようにされてしまう。
「ふふ……貴女とこうしてじゃれ合うのも愉しいものね。イナバ達は柔らかいけれどあまり逆らわないから、つまらないもの」
「だ、だからっ、私はお前の従者じゃないっ! ……あ」
勢いづいて反論するも、ふぅっと耳に息を吹きかけられ、妹紅の身体から力がますます抜けていく。
輝夜は調子に乗ったのか、そのまま妹紅の上にのしかかり、あやしく手を動かす。
「あ……! こ、こら馬鹿っ、どこ触ってるっ!」
「まあ……意外に……もっと痩せてるかと思ったけれど」
「ば、馬鹿ぁっ!」
暴れるが、輝夜の方が一枚も二枚も上手だ。
じたばたともみ合いながら、サスペンダーを両方ずり下ろされる頃、それはやって来た。
「……? 妹紅、なにを暴れてるんだ?」
薄い扉越しなので、はっきりと聞こえる聞き慣れた硬質の声。
いつもは心底信頼していながらも「もう、世話焼きだなぁ」などと悪態をついてしまうが、今日ばかりは救いの神だ。
「け、けーねっ! 助けて!!」
恥も外聞もなく飛び出た妹紅の悲鳴に、扉が吹っ飛んだ。
「妹紅!? ……っ! 貴様、蓬莱山輝夜!?」
「あら、無粋ね」
扉を爆砕し、入ってきたのは言うまでもない。妹紅の数少ない――と言うか、ただ一人の友人、上白沢慧音である。その手にはいまだに剣呑な弾幕を生む輝きがあった。
流石に慧音を前に続ける度胸はないのか。輝夜はつまらなそうに呟いて妹紅から離れる。
慌てて這い寄った妹紅を庇うように前に出ながら、
「貴様、妹紅に何の用だ」
「何のって……妹紅には言ったけれど、仲良くなろうと思ったの。殺し合いばかりではつまらないでしょう?」
「戯言を。今更信じられるか」
「そう言われても……なら、どうすれば信じてもらえるのかしら」
「…………」
真偽を見抜く魔術などもこの世にはあるだろうが、慧音は習得していない。歴史そのものを見る慧音には必要無い、とも言える。だが、その歴史そのものすら操る能力が有効なのは幻想郷の内部だけであり、来訪者である輝夜には効果が無い。
「……輝夜」
慧音に隠れ気味に衣服を整えながら、妹紅が尖った声で輝夜に呼びかける。
首を傾げる輝夜に、
「今みたいに妙なことをしないなら、まあしばらく置いてやるよ」
「……いいのか、妹紅」
「……まあ、コイツが今更私を騙す意味もないだろうし。妙な真似をしたら叩き出すから、いいね」
睨みながら言うが、輝夜は嬉しそうに微笑んで、穏やかに頷くばかりであった。
そうして、時は矢の如く、十年の月日が流れる。
「今日もいい天気だな」
野良仕事の報酬としてもらった野菜が入った籠を背負いなおし、呟く妹紅の隣で、
「ええ、雲ひとつないものね」
妹紅と同じもんぺにシャツ姿の輝夜が応えた。
はっきり言ってあまり似合っていない。体質のせいか、肌も妹紅のように焼けることは無く、真っ白なままだ。
輝夜が「仲良くなりたい」などと言って妹紅のあばらやを訪ねてから早十年。結局当初危惧したような企みは無く、輝夜は本当に妹紅と生活を共にしていた。朝は共に起き、慣れぬ料理を作り、やはり慣れない野良仕事やなにかを手伝う。
その不慣れな様子は、なんだか手のかかる妹でも出来たようで、妹紅が輝夜に気を許すのはそれほど時間がかからなかった。
時には輝夜と共に永遠亭を訪れることもあった。イナバ達は寂しがり、永琳は「姫の気まぐれにも困ったものね」と苦笑い。そこは思いのほか居心地のいい空間で、妹紅もついつい自分のあばらやに帰りたくなくなるほど。
暑い夏には水浴びもしたし、寒い冬には一つの布団で寝もした。声を大きくしては言えないが、ある意味で一夜を共にしたこととて一度や二度ではない。
「妹紅、輝夜」
空から聞き慣れた声。
二人が見上げれば、そこには慧音の姿があった。
「慧音ー、よかったら晩ご飯一緒にどうー?」
籠を揺すって誘う妹紅に、
「ああ、お招きにあずかるよ」
笑って応える。
それは、いつも通りの光景だ。
輝夜も微笑って慧音に手を振る。
その手がゆっくりと下ろされ、妹紅の腹に触れた。
「? どうしたの、輝夜」
「ねえ、妹紅」
突然の輝夜の行動に、笑いながら問う妹紅に、やはり輝夜は微笑みながら言葉を続ける。
「やっぱり」
いつも通りの穏やかな言葉。
いつも通りの涼しげな笑顔。
いつも通りの――
「殺し合いの方が、愉しいわ」
――容赦無き弾幕。
輝夜の掌から放たれた五色の弾幕が、一瞬で妹紅の臓腑を蹂躙する。
「が……!?」
「!?」
血反吐を吐く妹紅の襟首を、輝夜は掴みあげた。
びちゃりと、頬に血反吐が着くのもまったく意に介さず、
「ほら、早く蘇生なさい。そうでなきゃ、今までみたいに仲良くしてた方がマシというものよ?」
「輝夜っ! 貴様ーっ!!」
蒼い閃光が、まさに光の速度で輝夜を貫かんとする。
輝夜は妹紅を放り投げ、くすくすと笑いながらそれを回避。
「ふふ……二人がかりでかかってくるの? いいわね、私も久しぶりだから、妹紅に助っ人が加わったら殺されてしまうかも」
「貴様……何故、何故だっ! 何故妹紅を裏切ったっ!」
「裏切る?」
慧音の叫びに、輝夜はきょとんとした表情を浮かべる。
何を言っているのか理解できない、そんな顔だった。
「妙な事を言うのね、慧音。私は裏切ってなんかいないわよ?」
「ふざけるなっ、それこそ戯言だ!!」
「だって、妹紅が私をどう思っているかなんて、私の知ったことではないもの」
「……な」
慧音は絶句した。
その言葉に悪意があれば、まだしも慧音は怒れただろう。
だが、
「だからね、慧音。私は妹紅を裏切ってなど、いないわ」
そう言葉を紡ぐ輝夜の顔は、変わらず穏やかで。
慧音は、
「……化け、物」
戦慄のまま、呟いていた。
半妖である慧音に化け物呼ばわりされて、輝夜は別に不機嫌になるでもなく、
「まあ、人でないことは確かね。化けてはいないけれど」
言って、慧音に抱かれたままの妹紅を見遣る。
「ほら妹紅、早くおいでなさい。寝てる貴女を眺めてるくらいなら、仲良くしてた方が愉しかった、と言ったでしょう?」
「……ああ……そうだね」
弱々しい、だが同時に果てしなく力強い声。
慧音は抱きとめた妹紅へと視線を移し、再び絶句した。
これほど殺気だった妹紅の瞳を見るのは初めてだった。慧音が制止する間も無く、
「お前は私のことなど虫ケラほどにも思っていない――そんなこと、知っていたはずなのにね!」
妹紅の周囲が爆裂する。
吹き飛ばされながら慧音が目にしたのは、紅蓮の炎で自らさえも焼き焦がす妹紅の姿。
「――――!!」
妹紅の唇が叫びの形に歪むが、空気さえ焼滅したこの場では、それが声になることはない。
最早火炎ですらない、燃やすという概念そのものが荒れ狂うような焔には火鼠の皮衣とて無意味だ。
一瞬で片手を焼き尽くされた輝夜はますます笑みを深め、
「ふ……ふふ、あははっ、ほぅら妹紅、やっぱり殺し合いの方が愉しいでしょう?」
微笑いながら、牙めいた輝きを解き放つ。
十年ぶりの殺し合いは、結局輝夜の勝ちだった。
そもそも、時折やってくる輝夜が家ごと妹紅を吹っ飛ばしていくのでどんなに立派な家を建てても無駄もいいところである。
そんなあばらやに、戸を叩く音が響いた。
「あー、慧音? 勝手に入りなよ」
このあばらやを訪ねる者は少ない――と言うか、二人しかいない。真っ当に戸を叩いた、ということは来訪者は慧音と言うことになる。なにせもう一人の来訪者である輝夜は中に入ることもなく、神宝を使った弾幕で爆撃するのが常なのだから。
一々叩かなくても自由に入れと言っているが、規律を重んじる慧音は律儀に毎回戸を叩く。
「お邪魔するわね」
ぎしぎし音を立てながら戸が開き、同時に聞こえる聞きなれた声。
「!?」
咄嗟に妹紅は跳ね起きた。
瞬時に高熱が妹紅を覆う。高熱は紅い色を持ち、翼の形を模して広がった。
その姿、不死鳥の如き。
「あらあら、剣呑ね」
貴人は汗などかかぬと言わんばかり、如何なる芸当か予期せぬ来訪者は高熱に炙られながらも涼しい顔で、そんな風にのたまった。もとより短気な妹紅であり、しかも相手が相手である。
「輝夜っ!!」
怒号と共に炎の翼が羽撃いた。
談話など不要。会話など無意味。
いつもと出会い方が違っただけで、二人の間には殺し殺されるという行為しか在り得ない。
故に弾幕。
羽撃く翼から火焔の羽根が舞い散る。翼の起こした風に乗り、それは来訪者――輝夜へと殺到した。
だが、それが無意味になるだろうことを妹紅は知っている。
輝夜がかつて求婚者達に突きつけた五つの難題。輝夜が本物を所有しているのは蓬莱の玉の枝だけだと言うが、それ以外の宝が秘めたる力をも、この憎き少女は操ってみせるのだ。
けして燃えぬという火鼠の皮衣を持つ輝夜には、寝起きを襲われたような状態で咄嗟に出した、程度の低い炎は通じない。妹紅のテンションが上がりきった状態の、燃やすというレベルを超越した火焔ならば時に輝夜を打ち倒すことも出来るのだが。
「な――!?」
いつものように炎の羽根は防がれ、輝夜からの反撃が来るだろうと身構えた妹紅は絶句した。
舞い襲う羽根は輝夜の服を容易く焦がし、雪のように白い肌すらも黒く侵していく。
「酷いわ、妹紅。来客を火炙りにするのが貴女の家の慣習?」
流石に多少歪んではいるが、そう言葉を紡ぐ輝夜の表情はやはり笑顔だ――なにしろいつもの殺し合いの最中ですら微笑っているくらいなのだから、まあそれほど驚くことではないけれど。
驚いたのは輝夜がこの程度の弾幕を受けた、ということ。悔しいが、自分の実力が輝夜に及んでいないことは理解している。蘇生スピードの速さから、後半戦では巻き返せる為、全敗という状況にはなっていないものの、戦闘開始直後はそれこそ一方的に嬲り殺されているようなこともしばしばだ。
それが、
「……なんのつもりよ、輝夜っ!」
「なんのつもりも何も……私が貴女を訪ねてはいけない?」
「……ああ、いけないね。私とお前の間に存在するのは“殺意”だけだ。今更他に何がある?」
「そうね、今まではそれだけだったわ。でも、新しい関係を模索するのは、そんなに悪いことかしら」
出会い頭に焦がされたというのに、輝夜の口調は変わらず穏やかだ。
妹紅は混乱している。
輝夜の思考が読めない。いや、もとからそんなものは読めないし、読む気もないのだが、今日は格別だった。
輝夜は自分を消しに来る。それは、輝夜も隠れ住むこの山奥に自分が来てから当たり前のように繰り返されてきたこと。輝夜を見つける前までは死んだように毎日を過ごしてきた自分が、輝夜と殺し合いをし始めてからは“生きている”と実感できるようになった。
楽しい、なんて人間らしい感情を長い年月忘れていた。
そのことについては感謝していないわけでもない。殺し殺される毎日は充実している。
だから妹紅にとって、輝夜に対する行為と言うのは“殺す”ということだけなのだ。それ以外のことなど考えもしなかった。と言うより、輝夜はやって来るなり妹紅を殺そうと――まあ、死ねないのだが――するので、それ以外の行為を考える暇も無いと言うべきか。
「……何を企んでる」
「貴女と仲良くなろうと思って……いけない?」
穏やかな笑顔。
だが妹紅は気を許さない。この蓬莱山輝夜という少女は、自分を閃滅する瞬間でも、穏やかに微笑っているような娘だ。今この瞬間にも、自分を殺そうとしていても少しもおかしくないのだ。
とは言え、気になる点もある。
今更、輝夜が自分を騙して何の利があるというのだろうか。
単に追い出すのは簡単だが、この分ではまた平気な顔で入ってきそうな感じもする。何を企んでいるのかわからないが、この際その企みが判明するまではむしろ側に置いておく方が安心かもしれない。
そう結論付け、
「か、勝手にすればいいだろっ」
「ふふ、ありがとう。じゃあ、しばらくお邪魔するわね」
言い捨てて再びごろりと横になった妹紅の隣に、輝夜はしずしずと腰をおろした。
沈黙。
妹紅にしてみればそれは当然だ。さんざん言ったとおり今更輝夜と話すことなどない――と言うか、何を話せばいいのか、わかるはずもない。
だが輝夜は何故黙っているのか。まあ妹紅がそっぽを向いてしまっているから、あるいは話したくても話せない――いや、そんなに可愛げのある性格はしていないはずだ。
側に黙って座っていられるのも気になる。とは言え、長い年月殺し合いしかしてこなかったような相手だ。こちらから話しかけるにしても、一体どんな話題を振ればいいのか。そもそも妹紅はあまりお喋りが好きな方ではない。
思案していると、突然頬を突かれた。
「!?」
慌てて跳ね起き、振り向けば輝夜が指を一本突き出した体勢のまま、
「あら、びっくり」
などと、ちっとも驚いていないような口調でのたまった。
「なにをする!」
「なにをって……柔らかそうだな、と思って」
「お前は人の頬が柔らかそうだと突くのか!?」
「ええ、そうよ。ふふ、イナバ達や永琳とはまた違った感触ね」
「私はお前の従者じゃない! 勝手に触るな」
「まあ……ひどいわ、妹紅。親しくなるには触れ合うのが一番だと、永琳が言ってたのに」
「知るかっ!」
「でも妹紅の肌って素敵な色ね。小麦色、と言うのかしら」
「……そりゃ、お偉いお前と違って私は働かなきゃ食っていけないからね。野良仕事をすれば、肌も焼けるわよ」
不死人の妹紅は人里には住まえない存在だが、異人としての妹紅はむしろ歓迎される。里は常に人手不足の問題を抱えているし、“訪れる”と言うことはすなわち“去る”と言うことでもある。如何に妹紅が人でありながら人ならざるモノだとしても、共同体の中に存在しないのであればそれほど問題視はされない、ということらしい。近隣の里の守護者のような存在である慧音の友人である、ということも一役買っているのだろうが、とりあえず妹紅はあまり歓迎こそされないものの、里に立ち入ることは許されている。
元々妹紅も貴族の端くれであり、野良仕事など勿論したことはなかったが、長い放浪生活で肉体労働には慣れきっていた。平時は野良仕事やその他諸々里の仕事を手伝い、土砂崩れなどあれば弾幕でそれを排除する、そんな風に里と関わり、妹紅は細々と食料などを得ているのだった。
「……味も変わるのかしら」
「は?」
ぞろりとした衣装にしては俊敏な動作。
跳ね起きたままの不自然な姿勢だったことと、不意を突かれたこともあり、妹紅はその動きを止められない。見かけ通りの少女の細腕に肩を押され、そのまま床に転がってしまう。
「なにを……うひゃあ!?」
妹紅の口から可愛らしい悲鳴があがった。
妹紅の頬を、突然湿った感触が襲う。
密接した状態では勿論見ることなど出来ないが、位置を考えるに感触の正体は――
「輝夜っ!? な、なにしてるんだお前っ!」
「なにって……」
「ひゃんっ」
再び頬に触れる湿った何か。
あまりにも慣れないその感触に、妹紅は身を竦めてしまう。
「別に焦げっぽい、というわけじゃないのね」
「あ、当たり前……ひゃっ。こ、この、馬鹿っ! いい加減に離れ……ひゃぅ」
ぺろぺろと、妹紅の頬を輝夜の舌が這う。
長い年月生きてきたとは言え、艶めいたこととは無縁だった妹紅にしてみれば、その感触はほとんど初めてに近い――まあ、行き倒れた時獣に頬を舐められることはあったが。
時折熱い吐息が首筋や耳朶をくすぐる、それもまた感じたことのない奇妙な感覚だ。
すぐにでも押し退けたいのだが、力が抜けてどうにも上手くいかない。結果、輝夜のいいようにされてしまう。
「ふふ……貴女とこうしてじゃれ合うのも愉しいものね。イナバ達は柔らかいけれどあまり逆らわないから、つまらないもの」
「だ、だからっ、私はお前の従者じゃないっ! ……あ」
勢いづいて反論するも、ふぅっと耳に息を吹きかけられ、妹紅の身体から力がますます抜けていく。
輝夜は調子に乗ったのか、そのまま妹紅の上にのしかかり、あやしく手を動かす。
「あ……! こ、こら馬鹿っ、どこ触ってるっ!」
「まあ……意外に……もっと痩せてるかと思ったけれど」
「ば、馬鹿ぁっ!」
暴れるが、輝夜の方が一枚も二枚も上手だ。
じたばたともみ合いながら、サスペンダーを両方ずり下ろされる頃、それはやって来た。
「……? 妹紅、なにを暴れてるんだ?」
薄い扉越しなので、はっきりと聞こえる聞き慣れた硬質の声。
いつもは心底信頼していながらも「もう、世話焼きだなぁ」などと悪態をついてしまうが、今日ばかりは救いの神だ。
「け、けーねっ! 助けて!!」
恥も外聞もなく飛び出た妹紅の悲鳴に、扉が吹っ飛んだ。
「妹紅!? ……っ! 貴様、蓬莱山輝夜!?」
「あら、無粋ね」
扉を爆砕し、入ってきたのは言うまでもない。妹紅の数少ない――と言うか、ただ一人の友人、上白沢慧音である。その手にはいまだに剣呑な弾幕を生む輝きがあった。
流石に慧音を前に続ける度胸はないのか。輝夜はつまらなそうに呟いて妹紅から離れる。
慌てて這い寄った妹紅を庇うように前に出ながら、
「貴様、妹紅に何の用だ」
「何のって……妹紅には言ったけれど、仲良くなろうと思ったの。殺し合いばかりではつまらないでしょう?」
「戯言を。今更信じられるか」
「そう言われても……なら、どうすれば信じてもらえるのかしら」
「…………」
真偽を見抜く魔術などもこの世にはあるだろうが、慧音は習得していない。歴史そのものを見る慧音には必要無い、とも言える。だが、その歴史そのものすら操る能力が有効なのは幻想郷の内部だけであり、来訪者である輝夜には効果が無い。
「……輝夜」
慧音に隠れ気味に衣服を整えながら、妹紅が尖った声で輝夜に呼びかける。
首を傾げる輝夜に、
「今みたいに妙なことをしないなら、まあしばらく置いてやるよ」
「……いいのか、妹紅」
「……まあ、コイツが今更私を騙す意味もないだろうし。妙な真似をしたら叩き出すから、いいね」
睨みながら言うが、輝夜は嬉しそうに微笑んで、穏やかに頷くばかりであった。
そうして、時は矢の如く、十年の月日が流れる。
「今日もいい天気だな」
野良仕事の報酬としてもらった野菜が入った籠を背負いなおし、呟く妹紅の隣で、
「ええ、雲ひとつないものね」
妹紅と同じもんぺにシャツ姿の輝夜が応えた。
はっきり言ってあまり似合っていない。体質のせいか、肌も妹紅のように焼けることは無く、真っ白なままだ。
輝夜が「仲良くなりたい」などと言って妹紅のあばらやを訪ねてから早十年。結局当初危惧したような企みは無く、輝夜は本当に妹紅と生活を共にしていた。朝は共に起き、慣れぬ料理を作り、やはり慣れない野良仕事やなにかを手伝う。
その不慣れな様子は、なんだか手のかかる妹でも出来たようで、妹紅が輝夜に気を許すのはそれほど時間がかからなかった。
時には輝夜と共に永遠亭を訪れることもあった。イナバ達は寂しがり、永琳は「姫の気まぐれにも困ったものね」と苦笑い。そこは思いのほか居心地のいい空間で、妹紅もついつい自分のあばらやに帰りたくなくなるほど。
暑い夏には水浴びもしたし、寒い冬には一つの布団で寝もした。声を大きくしては言えないが、ある意味で一夜を共にしたこととて一度や二度ではない。
「妹紅、輝夜」
空から聞き慣れた声。
二人が見上げれば、そこには慧音の姿があった。
「慧音ー、よかったら晩ご飯一緒にどうー?」
籠を揺すって誘う妹紅に、
「ああ、お招きにあずかるよ」
笑って応える。
それは、いつも通りの光景だ。
輝夜も微笑って慧音に手を振る。
その手がゆっくりと下ろされ、妹紅の腹に触れた。
「? どうしたの、輝夜」
「ねえ、妹紅」
突然の輝夜の行動に、笑いながら問う妹紅に、やはり輝夜は微笑みながら言葉を続ける。
「やっぱり」
いつも通りの穏やかな言葉。
いつも通りの涼しげな笑顔。
いつも通りの――
「殺し合いの方が、愉しいわ」
――容赦無き弾幕。
輝夜の掌から放たれた五色の弾幕が、一瞬で妹紅の臓腑を蹂躙する。
「が……!?」
「!?」
血反吐を吐く妹紅の襟首を、輝夜は掴みあげた。
びちゃりと、頬に血反吐が着くのもまったく意に介さず、
「ほら、早く蘇生なさい。そうでなきゃ、今までみたいに仲良くしてた方がマシというものよ?」
「輝夜っ! 貴様ーっ!!」
蒼い閃光が、まさに光の速度で輝夜を貫かんとする。
輝夜は妹紅を放り投げ、くすくすと笑いながらそれを回避。
「ふふ……二人がかりでかかってくるの? いいわね、私も久しぶりだから、妹紅に助っ人が加わったら殺されてしまうかも」
「貴様……何故、何故だっ! 何故妹紅を裏切ったっ!」
「裏切る?」
慧音の叫びに、輝夜はきょとんとした表情を浮かべる。
何を言っているのか理解できない、そんな顔だった。
「妙な事を言うのね、慧音。私は裏切ってなんかいないわよ?」
「ふざけるなっ、それこそ戯言だ!!」
「だって、妹紅が私をどう思っているかなんて、私の知ったことではないもの」
「……な」
慧音は絶句した。
その言葉に悪意があれば、まだしも慧音は怒れただろう。
だが、
「だからね、慧音。私は妹紅を裏切ってなど、いないわ」
そう言葉を紡ぐ輝夜の顔は、変わらず穏やかで。
慧音は、
「……化け、物」
戦慄のまま、呟いていた。
半妖である慧音に化け物呼ばわりされて、輝夜は別に不機嫌になるでもなく、
「まあ、人でないことは確かね。化けてはいないけれど」
言って、慧音に抱かれたままの妹紅を見遣る。
「ほら妹紅、早くおいでなさい。寝てる貴女を眺めてるくらいなら、仲良くしてた方が愉しかった、と言ったでしょう?」
「……ああ……そうだね」
弱々しい、だが同時に果てしなく力強い声。
慧音は抱きとめた妹紅へと視線を移し、再び絶句した。
これほど殺気だった妹紅の瞳を見るのは初めてだった。慧音が制止する間も無く、
「お前は私のことなど虫ケラほどにも思っていない――そんなこと、知っていたはずなのにね!」
妹紅の周囲が爆裂する。
吹き飛ばされながら慧音が目にしたのは、紅蓮の炎で自らさえも焼き焦がす妹紅の姿。
「――――!!」
妹紅の唇が叫びの形に歪むが、空気さえ焼滅したこの場では、それが声になることはない。
最早火炎ですらない、燃やすという概念そのものが荒れ狂うような焔には火鼠の皮衣とて無意味だ。
一瞬で片手を焼き尽くされた輝夜はますます笑みを深め、
「ふ……ふふ、あははっ、ほぅら妹紅、やっぱり殺し合いの方が愉しいでしょう?」
微笑いながら、牙めいた輝きを解き放つ。
十年ぶりの殺し合いは、結局輝夜の勝ちだった。
この独特の言い回しとか、庶衆には理解できない考え方とか、最高です。
対比がいい感じに表れていてすごくよかったです。
10年も共にした時間も単なる暇つぶしでとらえるところも
月人であるからなのでしょうね。
すごいなこの輝夜さん。なんて無慈悲、なんて楽しげ。この二面性が怖ろしくもあり、そしてたまらない。
興が乗ればまた何食わぬ顔で「仲良くしましょう」なんて言い出しそうで……。
ごちそうさまでした。