かぽーん、と最初に表現したのは誰だったのだろう。
ともかくそんな音が似合う場所と言えば一つしかない。
人が一日の疲れを癒す所……浴場である。
中には一日二回入りますという人もいるだろうし、三回と言われても否定するにやぶさかではない。
いやいや私は年に一回ですよと言われても、それを責める権利など私には無い。
良く分からないが、とにかく浴場なのだ。
「このナレーション、どうにかならないのかしら」
「私に言われても……」
並んで湯船に浸かっているのは、パチュリーと小悪魔。
考えてみたら、いずれも人ではないのだが、それは気にしないでほしい。
君と僕との約束だ!
さて、ここマーガトロイド邸は、外観も中身も純度100%の洋風建築であった筈なのだが、
何故か浴場だけは、総檜造りという和風な代物であった。
この件についてアリスに問いただしてみた所、
「……ひみつ」
と、何故か顔を赤らめて答えて下さった。
これに対してパチュリーは、浴場ならぬ欲情を高ぶらせる。
……などという事は無く、『なに寝惚けてんだこのアマ』と感想を浮かべた上で、
一撃必殺の地獄突きを繰り出すという、バイオレンスなリアクションを取ってしまった。
その後、当然というべきか、キャットファイトに興じた二人であったが、
途中からバーリトゥードと呼ぶほうが正しく思われてきた為、小悪魔が身体を張って静止するに至った。
運動すれば汗をかくのは道理である。
妙な所で律儀であるアリスは、仮にも仮にも仮にも客人であるという理由から、
パチュリー及び小悪魔に一番風呂を譲ったのだった。
「惜しかったわ。ヒールホールドがあと1ミリ深く極まっていれば勝っていたのに」
「極めないで下さい。というか、どうしてどうでもいい局面だとそんなに元気なんですか」
「短絡的な思考ね。一軒無駄と思える場面こそ、事の本質が隠されているのよ」
「また適当な事言って煙に巻こうとしてますね」
「……」
「いや、黙らないで下さいよ」
「今日の貴方は突っ込みが厳しいわね。あの日?」
「そうですよ」
「!?」
ざざざと、俊敏な動きで距離を置くパチュリー。
結果、勢いが良すぎて滑って転んで頭を打った。
その一連の動作には、年季すら感じられる。
「自分で言っておいてそのリアクションはあんまりです……冗談ですよ、冗談」
「そ、そう」
日頃、どこまでが冗談なのか分からない小悪魔の言であるが故だ。
この天然がっ! と脳内で罵倒するパチュリーであった。
「……てんねん?」
しっかり口に出ていた。
独り言は知識人の基本スキルなのだ。
「アリスさんって、良い人ですね」
「?」
「だって、殆ど接点すらなかった怪しげな二人組みを泊めて下さるんですよ。
もしこれが逆の立場だったら、追い出したと思いませんか?」
確かにその通りである。
以前に図書館に相談に訪れたアリスを、水やら火やら風やらを叩き付けて追い返した事は記憶に新しい。
その時の事はおくびにも出さずに……というにはやや語弊はあるものの、
結果的に自分達を受け入れてくれたアリスには、多少ながら感謝はしていた。
「それでですね、せっかくだから」
「私はこの赤い扉を選ぶ?」
「話の腰を折らないで下さい。お礼というか、何か私たちに出来る事は無いかなぁ、なんて思ったんです」
「ふぅん……」
小悪魔の言葉は理解できる。
要は何かしらの対価を支払う必要があるという事だろう。
ギブアンドテイクという奴だ。
「……あの人形はどうかしら」
「人形?」
「意味深に封印してたアレよ。魔理沙人形だったかしら」
「ああ、アレですか。……それがどうかしたんですか?」
「さっき、少し調べてみたのだけれど、封印しなければいけない理由は大体分かったわ」
「へぇー、凄いじゃないですか。偶には知識が役に立つ事も……げふんげふん」
「……口は災いの元、気を付けるのね。
それで、理由についてだけど。
まず第一に、彼女の人形はすべて魔力を糧にして行動しているけど、あの人形だけは例外。
込められているのは、情念よ」
「情念、ですか?」
「ううん、むしろ呪いと言うほうが正しいわね。
一体どれだけ溜め込んでいたのかしら。仮にアレが開放されたとしたら、この森一帯が消し飛びかねないわ」
「はあ……」
「まぁ、それだけ思い入れがあるという事なんでしょうけど、方向性が少し逸脱してしまったようね。
結局、稼動することも出来ず、破棄することも出来ず、それで封印という形を取ったんでしょう」
「……」
それほどまでの想いなら、さっさと本人に伝えてしまえばいいのではないか。
等と思う小悪魔であったが、すぐに自らそれを否定する。
出来ないからこそ、人形なのだと。
「それで、パチュリー様はどうするおつもりなんですか?」
「言ったでしょう、方向性だって。要はそのベクトルを変えてやれば良いだけの話よ」
そこまで言うと、パチュリーは立ち上がった。
華奢な外見からは想像もつかない、偉大なるツインウェポンがまことに目に眩しい。
思わず小悪魔は視線を90度下げる。
「……」
後悔した。
「(着痩せなんて迷信であるべきよ!)」
そして少し、心の中で泣いた。
入れ替わりで、アリスが浴場へと向かった事を確認すると、二人は応接間へと侵入する。
魔人形は、先程と何ら変わらぬ状態で鎮座していた。
「しかし……よくここまで精巧に作り上げた物ね」
「そうですねぇ、髪なんてまるで本物みたいですよ」
「ホンモノダヨー」
「「!?」」
最高のタイミングで放たれた返答に、二人は驚愕し硬直した後、ひとしきり悶絶した。
そんな様子を、二体の人形がきょとんとした様子で見つめている。
「……って、上海ちゃんと蓬莱ちゃんじゃない。脅かさないでよ」
「オドロクヨウナコト シテタノ?」
「……」
返す言葉も無く、黙りこくる小悪魔。
これで人形相手には三戦三敗である。
「ええと、ね。別に私たちはやましい事をしている訳ではないのよ。
ただ、七色……アリスに見付からないほうが上手く行きそうなの。
だから、これから私がやる事を見逃してはくれないかしら?」
パチュリーは、言い含めるように、優しく言った。
騙くらかしているとも言えるが。
「ソレハ アリスノ タメニ ナルコト?」
「勿論よ」
「「……」」
二体の人形は考え込むような仕草と共に、沈黙する。
『どう思う?』
『うーん……この人、何を考えてるのかよく分からないけど、
少なくとも、今言った事は嘘じゃないと思う』
『根拠は?』
『……勘』
『……当てにならないなぁ』
『あー、ひどい!』
『うそうそ、蓬莱の勘が良く当たる事くらい分かってるよ』
『……うー……』
『ああ、拗ねないでよぉ。ほんの冗談なんだから』
『……もういい。上海なんて嫌い。コンビ解消よ』
『な、なんでそうなるの!? というか私達コンビなんて組んでたっけ!?』
『今組んだの。で、今解散』
『早っ!』
『さよなら上海。貴方と過ごした時間、忘れないよ』
『……』
『……なーんて、冗談言ってる場合じゃないよね』
『……ひぐっ……』
『……え?』
『ひっく、ご、ごめん、なさい、えぐっ』
『し、上海!?』
『わたし、ひぐっ、ばかだから、ほーらいに、ぐすっ、そんなに、きらわれてたなんて、ひっく、きづかなくて』
『マジ泣き!? って、じ、冗談だってば! ほら、ただの仕返し! 私が上海の事を嫌う訳無いでしょ!』
『ひっく、いいよ、そんな、うそ、つかなくても、ぐすっ、
これからは、ひとりで、へんないろの、えぐっ、れーざー、うつから』
『それ、私の事じゃないのっ! ……ああ、もう、分かったわよ。行動で示せば良いんでしょ』
『……ふぇ?』
『……』
『……』
『……』
『……』
「……」
「……」
愛憎劇らしきを繰り広げた挙句、ついには抱擁し合う人形達。
パチュリー達には一切の台詞が聞こえなかった為、奇妙度は八割増しである。
やはり、人形とは主人に似るのであろうか。
「……ええと、パチュリー様。こういう時ってどんな顔をしたら良いんでしょうか」
「……笑えば良いんじゃないかしら」
その言葉に従い、小悪魔は精一杯の笑顔を見せる。
無論、引きつっていた。
『……ええと、何の話だっけ』
『……確か、魔理沙人形がどうとか、そんなんだった気がするけど』
『ああ、それそれ。じゃ、蓬莱がOKなら私もOKという事で』
『(……さっきのやりとりは何の意味があったんだろう……)』
『何か言った?』
『……何でもない』
ようやく結論が出たのか、上海と蓬莱がくるりと顔を向ける。
そして、同時に頷くと、手で己の両目を隠すようなポーズを取った。
「……見逃してくれる、という事?」
「「……」」
「……ありがとう」
いつになく、温和な笑みを見せると、改めて魔人形へと向かい直る。
「では始めましょう。まず、封印の調査からよ」
「はいっ」
作業そのものは、実に地味なものであった。
封印の形式を探り、解読し、解除する。
それの繰り返しである。
だが、見た目ほど、簡単なものというわけでは無い。
パチュリーにとって、この手の魔法は得意分野の一つではあったが、それでも危険なのは確かなのだ。
言ってみるなら、地雷を手探りで探し当てる感覚か。
「ああ、いたいた。どこに行ったのかと……って、何してるのあんた!!」
最後の一つ、という所だった。
風呂上りで赤くなった顔を、さらに紅潮させてアリスが迫る。
「ま、待って下さい! 別に壊そうとか悪戯しようとかそういうつもりじゃないんです!」
「なら何だって言うのよ! まり……その人形が私にとってどれだけ大切なものか、分かってるの!?」
「わ、分かってます! だから必死なんです!」
周囲の喧騒も、パチュリーの耳には入らない。
今の彼女は、最後の封印への介入にすべてを集中している。
「(指向性……これは、愛情? いえ、むしろ劣情に近いわね)」
起動に際しての引き金となる部分。
そこに込められているものが問題だった。
余りにも、術者の情念が偏りすぎている。
これを、正しい方向へと向けてやれば、すべては上手く行く筈であった。
「(取り戻しなさい……貴方の本来の姿を……!)」
パチュリーは、最後の一押しとばかりに、魔人形へと魔力を送り込んだ。
と、その瞬間。
ぱぁ、と、魔人形から、膨大な量の光が溢れ出し、ついには部屋全体が光に包まれた。
その眩しさに、思わず一同は目を閉じる。
「……くっ……ど、どうなったんですか?」
ようやく、発光が収まった事を確認すると、小悪魔はパチュリーに問いかける。
「成功……した筈よ」
「は、筈って」
二人は同時に、魔人形のあった場所へと目を向ける。
そして、絶句した。
「「……白い?」」
言葉通り、魔人形の服装は、黒から白へと変貌を遂げていた。
気のせいか、顔つきや髪の長さまで変わっている。
「ど、ど、ど、どういう事なんでしょうかこれは」
「さ、さあ……術は失敗した訳ではないから……」
パチュリーの言う通りならば、これが魔理沙本来の姿という事になる。
と、言っても、二人ともこんな姿の魔理沙を見た記憶など無い。
「……恐らくは、アカシックレコードに触れてしまったようね」
「そ、そんな大層な物だったんですかコレは……」
「……ウフ……」
「「「!?」」」
その時、初めて魔人形が口を開いた。
「ウフ ウフ ウフフフフフフフ ワタシ マリサヨ ヨロシクネ(ハァト)」
黒衣の魔人形改め、白衣の魔人形から放たれた台詞は、一同に大いなる衝撃を与えた。
パチュリーはトリリトンシェイクの符を取り出したかと思うと、有田焼を作成するべく轆轤を回し始め、
小悪魔は勢い良く後方回転しては、半回転捻りを加えて窓へとダイブし、騒音と血の雨を生み出していた。
アリスに至っては……。
「ふふふ、ついにきゅうきょくのまほうをてにいれたわ」
何故か平仮名だらけの台詞を放ちつつ、常に手に持っていた本を開いていた。
気のせいでなければ、体格がみょんに縮んでいる。
「ア ソレホシイナ ワタシニモミセテ(ハァト)」
「ふふふ、いやでもあじあわせてあげるわ」
「アラ ウレシイワ(ハァト)」
「ど、ど、ど」
「ドリフの大爆笑?」
「どうするんですかコレ! 明らかにカタストロフへの道を辿ってますよ!」
小悪魔が頭から血を噴出しつつ問い詰める。
ボケに突っ込む余裕が無いようだ。
「……安心なさい。良い解決方法を思いついたわ」
出来栄えが気に喰わなかったのか、轆轤ごと型を放り投げつつ、パチュリーは立ち上がる。
そして、一枚のスペルカードを取り出した。
それは……日符。
「館は全焼! 証拠は残さないわ!」
「それは破滅を早めるだけですってば! この家に幸運の女神像があったらどうするんですかぁ!」
『ご、ごめん! 私の勘、当たらなかったみたい!』
『見れば分かるってば! それより今は収拾を付ける方法を……!』
『で、でも、こんなのどうやって止めるのよ!』
『え、えーと……神頼み?』
『もう、それ一回やったよ! と言うか、余計酷いことになる気がするんだけど!?』
『うう……そ、それならっ!』
『な、何か浮かんだ?』
『蓬莱! 私と一緒に死んで頂戴!』
『何故に!?』
魔人形からは無数の魔弾。
アリスからは七色の光弾。
パチュリーからは無限の陽光。
そして、上海と蓬莱の突貫。
マーガトロイド邸は、ここに破壊の極みを向かえたのだった。
「……」
「……」
深夜の魔法の森を歩く魔女と使い魔。
心情を示すかの如く、足取りは鈍く、重い。
「……上手くいかないものですね」
「……そうね」
もはや、空を飛ぶ事も適わないくらいまで、二人は憔悴し切っていた。
時間にして一時間ほど前になるだろうか。
幸運にも、マーガトロイド邸の騒乱は収束した。
しかし、その代償は大きく、上海と蓬莱は半壊。
魔人形に至っては、髪一本残らない全壊である。
正気と身体を同時に取り戻したアリスが最初にしたのは、二人を追い出す事だった。
流石に、小悪魔のみならずパチュリーも必死に言い繕ったのだが、アリスはまったく耳を貸さなかった。
上海と蓬莱を抱きかかえて、泣き、怒るアリスの姿を前に、二人は次第に言葉を失い、
ついには自らその場を後にするに至ったのである。
「……慣れない事をするものじゃないわね」
ぼそり、と呟く。
やや猫背気味の、小さな背中。
普段と何ら変わり無い筈のそれが、小悪魔には今にも消えてしまいそうに見えた。
だから、なのか。
小悪魔はパチュリーを背中から抱きしめた。
「……何のつもり?」
抑揚の無い声。
ともすれば拒絶とも取れる反応であったが、小悪魔は手を緩める事なく語りかける。
「パチュリー様は何も悪くありません。今回は運が悪かっただけです」
「運?」
「はい。だから、次はきっと、良い結果が出るはずです」
「幸運と不運は等量とでも言いたいの? くだらない迷信ね」
「そうかもしれません。でも、私は信じます」
「……悪魔の台詞とは思えないわね」
「今更、ですよ」
「……」
「……今度、謝りに行きましょう。きっとアリスさんも分かってくれます」
「……ええ」
「……」
「……」
再び訪れる沈黙。
だが、そこに流れる空気は、とても暖かいものであった。
「……ありがとう小悪魔、もう大丈夫……!」
「え、パチュリー様!?」
振り返ろうとしたパチュリーの身体が、大きく崩れた。
元々良いとは言い難い顔色は、さらに悪くなっており、呼吸も荒い。
パチュリーの持病である貧血の症状なのは明らかだった。
「(ど、どうしよう……)」
経験上、しばらく安静にしていれば収まる事は分かっている。
だが、深夜の魔法の森は、それが許されるような場所ではない。
かといって、マーガトロイド邸に戻るには距離が離れすぎた。
今の体力では、飛んで行った所で、途中で墜落するのが関の山だろう。
結局、小悪魔に出来たのは、襲われない事を祈るのみであった。
「(くっ……どうして、こんな時に……)」
朦朧とする意識のなか、パチュリーは己の身体を恨む。
『因みに、ここには魔法の通用しない獣がわんさか出るから気をつけてね』
あの言葉が、ただの脅し文句などでは無い事は分かっている。
体調が万全だったとしても、この場に留まる事は自殺行為である。
ましてや、今の自分達は、一切の対抗手段を持ち合わせていないのだ。
視線を上げると、不安を全面に表した小悪魔の顔が映る。
「(……ごめんね。こんな馬鹿な事に付き合わせて……)」
と、その時。
前方の茂みから、がさりという音が発せられた。
パチュリーは本能的に、魔力を両の手へと集中させる。
だが、それは、今の状態のパチュリーにとっては、自殺行為に他ならない。
ついには、意識を保っていた気力すら失われていった。
薄れ行く視界の中、最後に目に入ったものは、
神々しいまでに巨大な二本の角であった。
パチュリーは見慣れぬ場所で目を覚ました。
「……ここは?」
見慣れぬ、というのは正確ではないかもしれない。
既視感というものか、以前にも同じような事があったように思えたのだ。
「また来たの?」
「……また来たの」
辻斬り亡霊に声をかけられるのもまた同じ。
言葉の内容そのものは、別の場所の出来事だった気もしたが。
「あー、もう! そんなに簡単に来るんじゃないの!」
そして、これまた記憶通りに姿を現す少女。
とすると、次に訪れる出来事は……
「さっさとお帰りなさいっ!」
蹴られた。
「……ん……」
「む、起きたか」
目を開けると、そこにあったのは小悪魔の顔ではなく、見慣れぬ少女の顔であった。
「小悪魔、貴方整形でもしたの? もぐりの業者だと後になって後悔するかもしれないわよ」
「……第一声がそれか」
少女は呆れ顔と共にため息を付いた。
「一緒に居た娘の事なら、今は外へ出ている。ここにいるのはお前と私だけだ」
「成る程、通りで小悪魔にしてはサイズが大きいと思ったわ」
「訳の分からない事を……気絶する前の事は覚えているか?」
「ええ、大体は」
パチュリーは一端言葉を切ると、改めて目の前の少女を見やる。
銀と青が入り混じった髪に、帽子とも何とも言い難い妙な被り物をしている。
とは言え、発せられる態度には、おちゃらけた物は感じられない。
生真面目。という言葉がよく似合う雰囲気であった。
「昨晩の影は貴方ね。ワーハクタクなんて希少な種族を実際に見るのは初めてよ」
「……成る程、話が早くて助かる。
久しぶりの満月だったものでな。つい気が昂ぶって、遠出をしてしまったんだが、
まさかあんな場所で家出娘なんぞを拾う事になるとは思わなかったぞ」
「……家出娘って、私の事?」
「違うのか?」
「……」
冷静に考えるまでもなく、全然違わなかった。
「ところで、まだ名前を聞いてなかったわ」
「ああ、そうだったな。私は上白沢慧音。この村の……そうだな、番人といった所か」
「そう。私は……」
「パチュリー・ノーレッジ。紅魔館に住む七曜を操る魔女だな。
いや、住んでいた、という表現が正しいか」
「……話が早くて助かるわ」
十分に皮肉を込めて、返してみた。
少女然とした外見とは裏腹に、相当に強かな相手であるようだ。
「ま、しばらく養生すると良い。お前が人間の敵でない限りは歓迎しよう」
「それも、承知の上で言っているのでしょう?」
確かにパチュリーは人間を襲いなどはしない。
そんな事をしても、何の特にもならないから。
「かもしれないな」
それを知ってか知らずか、慧音は薄く笑みを浮かべつつ、姿を消した。
僅かの後、入れ替わるように、小悪魔が部屋の中へと駆け込んで来た。
「パチュリーさまぁああああああああああああああああ!!」
躊躇無しの、五メートルダイブ。
パチュリーは本能的に、身体を横へと動かす。
ずがん、という音を立て、小悪魔は柱に脳天直撃した。
「あだだ……酷いですよぉ」
「……どうして貴方、そんなに元気なの」
記憶が確かなら、小悪魔は自分と同じくらい疲弊していた筈なのだが。
今の様子を見る限りでは、全快を通り越してオーバーヒート気味である。
「それじゃまるで私が体力馬鹿みたいじゃないですか。
こう見えても私は張り付かれれば二秒で沈むくらいのか弱き乙女なんですよ?」
「……」
恐らく、昨日のショックでネジが一本外れてしまったのだろう。とパチュリーは結論付けた。
「でも、元気になったみたいで良かったです。
あの時は本当に、どうしようかと思いましたから……」
「……ごめんね」
「あ、いえ、別に責めている訳じゃありません。何も出来なかったのは私も同じですし」
その後、小悪魔は昨晩の経緯について語った。
パチュリーが気絶した後、現れたのが慧音だったこと。
抵抗すべく肉弾戦を挑んだ所、コンマ二秒でのされたこと。
その後、事情を説明する暇もなく、村へと連れて来られたこと。
どう喰われるのかと戦々恐々としていたら、意外にも客人として迎え入れてくれたこと。
等々……。
「でも、不思議です」
「何が?」
「この村の人たち、私を見ても怖がったりしないんですよ」
小悪魔が、背中の羽をくりくりと弄りながら呟く。
「貴方が、あまりにもアホアホな空気を醸し出してるからじゃないの?」
「あう……」
「外見で中身を判断するのが愚かな事であるくらい、皆分かっているんだ」
声の方向を見ると、慧音がお盆を手に持って、姿を現していた。
「そ、そうですよね!」
「……まぁ、お前の場合は、別かもしれないがな」
「あう……」
小悪魔、ダウン。
「食事だ、もう起きられるか?」
「……ええ、大丈夫よ。頂くわ」
使い慣れぬ箸を恐々と操りながら食事を始めるパチュリー。
決して豪華な料理とは言い難かったが、滋味溢れる素材の引き出しっぷりに、思わず唸る。
「これは、貴方が作ったの?」
「ああ、そうだ……と言いたい所だが、うちには一人、料理に情熱を傾ける奴がいてな。
最近は完全に台所を支配されてるんだ」
「?」
「支配って、酷い言い方ねぇ」
パチュリーが疑問符を浮かべると同時に、室内にまた一人、新たな人物が姿を現した。
足元まで延びる長い髪が特徴的なその少女は、エプロンで手を拭いつつ、慧音の隣へと腰を下ろす。
「慧音は普段から忙しいんだし、料理くらいさせてくれたっていいでしょ。
……あ、どう? イケてた?」
くるりと顔を向ける少女。
恐らくは、料理の感想を問うているのだろうと判断する。
「ええ、かなりイケてるわ。85点」
「よっしゃ! ……で、それは何点満点?」
「……128点?」
「うわ半端! しかも疑問系!?」
「冗談よ。本当に美味しかったわ」
「そ、そう。良かった。あ、私は藤原妹紅。慧音の本妻よ」
「なんだその紹介は! 私とお前がいつ契りを結んだんだ!
というかそれじゃ他に愛人がいるみたいじゃないか!」
「酷い! あの夜の言葉は嘘だったの!?」
「どの夜だ! 勝手に歴史を捏造するな!」
「え、言っちゃっていいの? ……うん、恥ずかしいけど、慧音が言って欲しいなら」
「や、止めろ! 記憶に無いが、とても嫌な予感がする!」
「満月が輝くあの日。嫌がる私を、太くて硬いロングホーンが延々と……」
「ストップ! 停止! 頼むから止めてくれ! というか止めて下さい!」
「あはは、冗談冗談。じゃ、お大事に」
動揺の極みの慧音を他所に、妹紅はあっさりと席を立った。
「はぁ、ふぅ、はぁ」
「……ええと、何だか愉快な方ですね」
小悪魔としては、単数形ではなく複数形で言いたかったのだが、
それを抑えるくらいの矜持はあった。
「あ、いや、何時もはあんな奴じゃないんだが、今日は少しはしゃいでいたみたいだ。
多分、普通の客人が来るのが珍しかったんだろう」
「すると、普通じゃない客人は、良く来ているという事かしら?」
「……まあ、な」
歯切れの悪い返答に、答え辛い要素があるのだとパチュリーは判断する。
昨晩の失敗もあってか、それ以上追求する事はしなかった。
「食べ終わったなら、この薬を飲んでおけ」
慧音が置いた包み紙には、うっすらと『八意』の二文字が浮かび上がっている。
それを見たパチュリーは、何故か背中に冷たいものを感じた。
「毒?」
「何故お前を毒殺する必要がある。知り合いの薬師に調合して貰ったんだ。
安心しろ。変わった奴だが腕は確かだ」
「そ、そう」
不安を押さえ込みつつ、薬を口に含む。
「……苦い」
「当たり前だろう。良薬口に苦しと言うじゃないか」
「迷信じゃ、無い、の、ね……」
速攻で、意識が遠のいていく。
盛られたのかと判断する余地すらない。
「(本当に、良く、気絶、する、日、ね……)」
そんな感想を抱きつつ、パチュリーは意識を手放した。
「……ん……」
再びパチュリーが目覚めた時は、既に夕刻となっていた。
室内には既に、誰の姿も無い。
軽く身体を動かしてみるが、さしたる問題点は感じられない。
至って健康体だ。
感じた悪寒とは裏腹に、あの薬の効果は絶大であったようだ。
パチュリーはゆっくりと立ち上がると、表へと繰り出した。
「……」
夕焼けが、すべてのものを紅く染めていた。
その中で、パチュリーは一人、小さな丘で体育座りをしていた。
眼下には、農作業の片付けをする住民達の様子が見える。
……と、何故かその中に小悪魔の姿もある。
ふらふらと頼りない足取りで、道具を運ぶ姿は、どこか浮いているようにも見えたが、
それに対する周囲の反応は、至って明るいものであった。
「あの子は、どこに行っても馴染めるんでしょうね」
「お前は違うのか?」
「……ええ」
驚きは無い。
何となく、声をかけられる気がしていたから。
「慧音。貴方は、自分の存在意義について考えた事があるかしら」
「ん? 勿論あるさ。それこそ何十回、何百回とな。今だって考える事もある」
「……」
「でも、な。それは無意味な事なんだ。
例え存在意義を否定されたところで、今の自分が消えてしまう訳でも無いだろう」
「……」
「自分が誰かから必要とされるんじゃない、自分が誰かを必要としている。それで十分じゃないのか?」
「……別に、私は誰も必要となんてしていないわ」
「見え透いた嘘だな。人恋しさに枕を濡らすような奴が言える台詞じゃないぞ」
「……っ!?」
瞬時にパチュリーの顔が紅潮する。
「大体、な。お前は本当に誰からも必要とされてない等と思っているのか?」
「そうよ。だから、こんな所にいるんじゃないの」
「こんな所とは酷いな。まぁ確かに、お前が暮らすには向いているとも思えないが」
「……」
「ああ、そう暗い顔をするな。私が言いたかったのは……」
慧音は言葉を切ると、宙に文様のようなものを描く。
すると、その空間には、別所の情景が浮かび上がった。
期せずしてそれは、事の起こりとなったパチュリーの魔法と同系列のものであった。
『さあ、大人しく吐きなさい』
『お前なぁ、突然玄関をぶち破ったと思ったら、第一声がそれかよ?』
『うるさいわね。いいからパチェを出しなさい』
『はぁ? 何の事だ?』
『この後に及んでしらばっくれるつもり? あんた以外に誰がパチェをかどわかすって言うのよ』
『いや、だから私も今帰ってきた所だっての。あいつがどうかしたのか?』
『……いいわ。そっちがそのつもりなら、力ずくで吐かせてやるわ』
「これは数時間前の出来事だ」
「……」
「やり口は強引だが、良い友人じゃないか。
少なくとも、『要らない奴』の為に、あんなに必死になれる奴などいないと、私は思うがな」
「……」
パチュリーは答えない。
ただ、顔を隠すようにそむけ、俯いていた。
「別にお前は、他人にひけらかすつもりで知識を求めているのでは無いだろう。
なら、知識人としてではなく、友人として立てば、自ずと答えは出るんじゃないか?」
「……」
「ま、お前はまだ若い。色々と悩むのも不思議な事ではないさ」
「……若いなんて言われるの、初めてよ」
「ははは、そうだろうな」
嫌味を感じない笑いだった。
パチュリーは、はぁ、と息を付き、静かに立ち上がる。
「行くのか?」
「ええ、世話になったわね」
先程の様子からして、レミリアがこの場所を探り当てるのは時間の問題と思われた。
それが自分の為であるとは言え、この平穏な村の空気を破壊するのは好ましく無かった。
そして何より、一刻も早く紅魔館へと帰りたいと、自分自身が思っていたから。
「ああ、そうだ。友人とその従者に伝えておいてくれ」
「何かしら」
「家庭教師なら、他を当たってくれ。とな」
「……?」
何の事かと疑問符を浮かべつつ、パチュリーは空へと飛び立った。
「……あ」
そこで、ようやく気が付いた。
昨晩、レミリア達と争っていた人物。
それが、他でもない慧音であったという事実に。
「……最初から全部分かっていたという訳ね」
敵わない。
これが年の功という奴であろうか。
軽く舌打ちする。
「(やられっぱなしは癪に障るわね。今度は知恵比べで勝負してみましょう)」
そんな事を考えつつ、パチュリーは飛んだ。
自分の帰るべき場所に向かって。
「後は熱量に耐えうるだけの素材……」
独り言をつぶやきながら、山のように積まれた本とにらめっこするパチュリー。
それ自体は珍しいどころか、まったく普段と同じ行動であったが、今回異なるのはその目的である。
レミリアから発せられた突然の宣言。
『私たちも月へ行くわよ!』
その無茶な提案を可能なものとすべく、鋭意努力中という訳である。
もうかれこれ、3日は睡眠を取っていないのだが、パチュリーの顔に疲労の色は無い。
自分の知識が、有効に活用される事が、苦痛であるはずも無いからだ。
先日の慧音の言葉も一理あった。
だが、やはり自分は、こういう機会にあってこそのものだとも思うのだ。
「……ふぅ。小悪魔、お茶を入れてきて頂戴」
流石に疲れたのか、目を押さえつつ背後に向けて声をかける。
が、返答は無い。
「……小悪魔?」
振り向くと、返答以前に小悪魔の姿自体が無い。
「……」
「……」
「……!?」
そのままの体勢で黙考していたパチュリーが、突然勢い良く立ち上がる。
そして、手にいつもの本を抱えると、質量のある残像を残しつつ、今だかつて無いスピードで走り出した。
「あ、パチュリー様。お嬢様がお呼びですわ」
丁度、図書館を出たところで、咲夜に呼び止められる。
「後にして!」
「……は?」
亜光速ですっ飛んでいくパチュリーの前に、咲夜は疑問符を浮かべる事しか出来なかった。
「うん、今日も良い天気だ」
空を見上げては、満足気な表情を浮かべる慧音。
長きを生きる彼女にとって、むしろこのような些細な事こそが喜びだった。
……が、その幸せな一時は、遠方より迫り来る怪事によって妨げられた。
「な、なんだアレは……」
土煙を上げながら、猛然と迫り来る何か。
あまりの速度に、抜群の視力を誇る慧音の目にも、正確な姿形を映し出す事は出来なかった。
かろうじて、本当に辛うじて、紫っぽい事だけは確認できた。
「ま、まさか! アレは伝説のむらさきもやし!?」
慧音は帽子の中から一冊の本を取り出す。
「……ねぇ、いつも思うんだけど、それ、どう見ても帽子よりサイズ大きいよね」
突然現れては、冷徹に突っ込む妹紅。
無論、それは軽やかにスルーされた。
むらさきもやし……
おばけじゃないよ。
むらさきだけどやさしいやつだ。
いつもたいちょうふりょうなんだ。
ときどきおかしくなるのもじまんのひとつ。
きょうもじまんのふるすいんぐでだいふんかだ!
美鈴書房刊
「新説・妖怪伝説」より抜粋
「ふぅ……」
汗を拭い、一息入れる。
今日も良い仕事が出来た。
この分なら、収穫期には最高の出来となるだろう。
これまで、本の中でしか見たことのなかったもの。
それを自ら体験する事によって、彼女は新しい喜びに目覚めた。
ああ、物を作り出すって何て素晴らしいんだろう。
作物という名の子供達に囲まれて、彼女は幸せだった。
ただ、一つだけ。
何か大事な事を忘れてるような……そんなもやもやとしたものが、彼女の中に残っていた。
「……ん?」
迫り来る何かに気が付き、前方へ目を凝らす。
どどど、と土煙を上げつつ迫る紫の物体。
紫と言っても、どこぞのスキマ妖怪ではない。
それは早く、そして力強く迫り来る。
手に何か見慣れた四角い何かを持っている事が確認できた。
というか、その紫色の物体そのものに見覚えがあった。
記憶が確かなら、それは病弱極まりない人物であったはずなのだが、
動きを見る限りでは、克服することが出来たものと思われた。
「(ああ、今日は何て素晴らしい日なんだろう)」
彼女の心は、一足先に実りの秋を迎えたのだった。
「なんでやねん!!」
「はぅあーーー!!」
妖怪むらさきもやしが放った渾身のレベルスイングを受け、
前職司書、現職小作農の小悪魔は、お空へと舞い上がった。
そして美しき放物線を描き、場外へと消える。
どこの場外かは知らない。場外と言ったら場外なのだ。
だからお前はアホなのだ!
一連の光景を眺めていた農作業中の老夫婦が、こんな会話を交わしていたそうな。
「おお、これは見事なホムーランじゃ。若い頃を思い出すわい」
「お爺さん。それを言うならホームランですよ」
だとさ。
私の心はドキドキワクワクMAXハートでバウンドドッグでオーバードライブ。
全編通して何とも可愛らしいパチュリーと小悪魔があまりに素敵で
ふと気付いてみれば何故か手元には渡すアテなどない結婚届けが二枚。
おお神よ! こんなに辛い思いをするならばもう恋なんてしない!
何はともあれ実によいお話でした。
ご馳走様でございます。
むふふ♪と笑いを誘われてしまいます・・・質量を持つ残像はやられた(大笑
でも、パチュリーの暴走っていうと恋絡みの方が印象深く、
この手の話は新鮮でこれだけでも価値がありますね。
いや、本当に楽しませて頂きました。ご馳走様でした♪
ネタも面白かったですが出るキャラみんながやたらと可愛くてもうお腹いっぱいです。
つーかパチュリー、3日も小悪魔がいないことに気付かなかったのか。
小悪魔可愛過ぎですが、妹紅も可愛かった。判り易く言うと結婚希望。
フォーミュラーなむらさきによる、題名に違わぬオチもお見事としか言いようがありません。面白かったですッ!
○ 一見無駄 かと・・・
まさか魔理沙人形があんな……ガクガクブルブル
これ以上を言葉にすることなど出来ませぬ。
そんなダークヒストリーはさておき、図書館組の可愛らしさが反則級。
二人の押しと引きの匙加減が本当に巧みです。1+1が3にも4にもなっている感じ。
そして新説、脱いだらスゴイパチェさんを私はこのちっぽけな全身全霊を持って支持して往く所存であります。
暖かくて愉快なお話、ご馳走様でした。
あと上海が可愛過ぎるので100年愛でようと思います。