「もう許しませんよ!泣いて謝ったって駄目ですからね!」
「誰がそんなことするって?こっちから願い下げだね!」
「ああそうですか!」
「ああそうだとも!」
「「ふんっ!」」
――事の起こりはしばらく前に遡る。
我が主人たる寅丸星がいつものことながら宝塔を無くしてきた。
ご主人がそれをやらかすのはさながら『ラブコメ漫画の1話で新学期早々寝坊して食パンを咥えて通学路を全力疾走する果てしなく恋愛に鈍い主人公が曲がり角で美少女にぶつかって彼女がその日の朝のホームルームで転校生としてやってきて偶然にも隣の空席に座ることとなる』レベルのお約束であり、そのたびに申し訳なさそうな顔をして私に捜索を依頼する一連の流れは我々主従の日課となっている、といってしまうのはさすがに大袈裟か。
本日も平素と何ら変わらずご主人は食パンを通学路を疾走、などはしなかったものの私に頼みごとをしにやってきた。
だが私は普段と少々状況が違ったのである。
ご主人が来る数時間前、私が普段寝起きしている掘建て小屋に一人の来客があった。
『ごめんください、探しものをお願いしたいのですが』
『はい、ただいま……って、これはこれは地霊殿の主様じゃあないか。珍しいね地上に出てくるなんて』
古明地さとり、幻想郷きっての嫌われ者が戸口の前に立っていた。
心を読むという迷惑極まりない能力を持つ故、その人生の殆どをインドアに捧げているこの少女が探しものだと?
あまり想像できた姿ではない。
そもそも、ほとんど屋敷に引き篭っているのだからダウジングを必要とするほどの無くし物をしそうにはないのだが。
私は地下にもぐるなぞ真っ平御免だぞ。
『……うちの猫を寄越せばよかったかしら』
気を悪くさせてしまったようだ。
これでもあまり余計なことは考えないようにしているのだが。
あの火車なんて寄越された日には私の部下のネズミたちがパニックを起こしてしまうだろう。
私自身はともかく、部下の精神的平穏のためには御大が来てくれて助かっている。
『猫の手を借りるには及ばないよ。で、探しものはなんだい?』
さとりの元へ一匹の子ネズミが近寄り、相手の危険度を計るかのように鼻をひくつかせた。
この子に限った話ではないが、ネズミは臆病な生き物だ。
危険な存在からは逃げ出し、身をひそめる。
そしてその危険さを察知するだけの賢さも持ち合わせている。
一刻も早く要件を済ませてしまえと私の反応は告げていたが、子ネズミはさとりを安全と判断したのかより彼女の近くへと擦り寄っている。
さとりも全く嫌がる素振りを見せず、しゃがんで頭を撫でたりとかわいがってやっている。
人語を解さない動物の心も読めるから動物には好かれるのだろう。
解する者にとっては嫌悪の対象でしかないのだが。
その嫌悪の対象は私の胸中を知ってか知らずか……恐らく知っているのだろうが、子ネズミに視線を固定したまま私の質問に答えた。
『本です』
『本?』
ただ本と言われても心を読めない私にはどんな装いなのか、どれほどの厚さなのかといったダウジングに必要な情報を得ることはできないのだが。
先程からスキンシップを図っていた子ネズミの他にわらわらと現れたネズミたちを手で掬ったりして遊ぶさとり。
目を合わせたくはないけど、ここまでそっぽを向いて話されるとそれはそれで嫌なものだ。
彼女の顔に合わせていた焦点を下へずらすと、さとりの第三の目と視線がバッティングした。
すぐさま目を逸らし、何も考えてない、私は何も考えていないぞと心の中で言い訳すること数秒、またポツリとさとりが口を開いた。
『装丁はピンク基調で、金の刺繍がしてあるハードカバーです』
『わかった。具体的にどのあたりを探せばいいんだい?』
癖のある髪にしがみつくネズミを手でつまむさとりは、しかしすぐには質問に答えない。
先程までと同様ただマイペースなだけなのか、自分でも場所がわかりかねているのか。
そう思って一度は切った目線を再び彼女へ向ける。
その横顔には、笑っているような、悲しんでいるような、悩んでいるような、怒っているような、いずれにも受け取れる不思議な表情を浮かべていた。
最も、怒った表情に関しては私のせいなのかもしれないが。
『命蓮寺……だと、思います。一番怪しいのは』
自信なさげに呟くさとり。
すでに表情は困惑一色となっていた。
『命蓮寺?一体何でそんな所に……』
言ってから気づいた。
古明地こいし、さとりの妹がここ最近寺に出入りしていることを。
無意識を司る彼女ならさとりに察知されることもなく本を持ち去ることも可能だろう。
さとりの発言もそれを踏まえてのものであろう。
聖は彼女こそが空の境地の体現者なのだと持て囃していたが、実際のところ無意識と空の違いというものが私にはよくわかっていない。
毘沙門天の部下でこそあれど寺で修行することの少ない私には、仏教的観点からしてもこいしという存在が全くわかりかねていた。
そもそも、その場にいるかどうか認知すること、無意識下で行われるこのプロセスを狂わせる彼女のことなど決して理解することなどできないのかもしれない。
なにせ、姉のさとりにすらそれができていないようであるのだから。
『他にも可能性は山ほどあるんですけどね。こいしじゃなくて、おくうが間違って燃やしてしまってそれを忘れているだけかもしれません』
『……それだと探しようがないじゃないか』
さとりでも完全に記憶から抜け落ちていることは読み取れないらしい。
鳥頭に無意識の住人、私の知るだけで二人の手に負えない存在を抱えるさとりは、思っていたより苦労人なのかもしれない。
生きとし生ける者にことくごとく嫌われている時点でよっぽどの苦労人であるが。
しかし健気にその両者どちらかのものであろう不始末を解決せんとするのはいいが、人を頼る際にはもう少し口数を多くしてくれないものか。
思わず口からため息が漏れでた。
さとりもそれを見てなにか思うところはあったようだが、まただんまりを決め込んでいる。
我慢できずに私から彼女に話しかける。
『で、私は命蓮寺を中心に、こいしが君の本を持ち去ってどこかに置き忘れたりしていないかを調べればいいんだね?』
『ええ。おくうが燃やしてしまったなら誰かが関連する場面なり物なりを見ている可能性が高いはずですから』
本当に、そういうことは早めに言ってもらいたい。
まあ、それはいい。
幸いにも一番怪しい場所はすぐそこだ。
さっさと片付けてしまおうではないか。
『見つけたら……そうだね、ぬえにでも届けさせるよ。一応知らない仲でもないだろう?』
『そうですね。本当に知らないわけではないってだけの仲ですが』
そんな事情など私の知ったことではない。
命蓮寺の妖怪の多数は地底に封印されていたわけではあるが、当然といえば当然ながら誰も地霊殿の面々とは格別親しいわけでもない。
ならば最も暇な者に行かせたほうが全て円満に進むというものだ。
お使いに行かされる本人以外は。
これは前払いです、と依頼料の一部をおいて立ち去ろうとしたさとりは、ふとその足をピタリと止め私に向き直った。
何事かと一瞬たじろぐ私に、彼女は伺うような口調で切り出す。
『よかったらそのネズミ、一匹いただけませんか?』
確かに彼女の足元には別れを惜しむようにネズミがまとわりついていた。
中でも一番最初に懐いた子ネズミはついて行きたがっているようである。
しかしこの子もダウジングには必要であり、はいどうぞとあげるのは躊躇われる。
何より、生まれた頃から面倒を見てやっている私よりも今日初めて会ったばかりのさとりを子ネズミが選ぼうとしているという事実はショックであった。
相手が悪いと言ってしまえばそれまでだが、同族である自分がかくも簡単に……。
『ああ、構わないよ。その代わり、猫には気をつけてやってくれ』
『大丈夫ですよ、みんないい子ですから』
私がこの子を手放す旨を口にしてから、初めて彼女は驚いたような様子を見せた。
意を決したのはそれよりさらに数秒ほど前、その時点で驚いてもよさそうなものを。
彼女なりの優しさかは知らないが、そのリアクションは傷心の私に追撃を加えるものであった。
明らかに作り物とわかる笑顔を浮かべ一人と一匹を見送る私と、一瞬申し訳なさそうな顔をしたものの、すぐに心からの、外見相応の柔らかい笑みを子ネズミに向けたさとりは痛ましいまでに対照的だっただろう。
さとりが去った後の小屋では、他のネズミたちは確かにさとりは自分たちのことを理解してくれるが、それ以上に私のことを信頼し忠誠を誓っていると言ってくれた。
それが本心からのものなのか建前なのかを知るすべを持たない私には、それすらも精神的ダメージへと昇華されて心の傷口をえぐるかのように感じられるのだった。
そんなことがあってのご主人の来訪である。
時間が経つごとに自己嫌悪が深まってイライラしていた私は意図せずしてご主人に嫌味を言ってしまった。
普段から嫌味を言うことなどあるが、今回はまたご主人を感情的にさせるものだったらしい。
らしい、というのは自分でも何を言っていたかわかっっていなかったことを意味する。
フラストレーションのままにご主人を詰った後は冒頭の口喧嘩である。
明らかに私が悪い。
宝塔を無くしてきたこと自体はご主人に責任があるものの、それとは関係のないことで怒らせてしまったようなのだから。
そのご主人はナズに頼むくらいなら自分で探しますと怒って帰っていった。
ひとまず冷静になった今、謝りたいのはやまやまだが変に自己主張するプライドがその邪魔を始めた。
先程誰が泣いて謝ったりなどするものかと啖呵を切った手前、おめおめとご主人の前に出るきがどうも起きない。
仮にご主人が、私が謝りに行った時もなお怒っていたらどうなるか。
さっき私が言ったことそのまま言い返されるに決まっている。
全くもって情けないことだが、未熟な私にはただひたすらご主人の鬱憤のはけ口になるなど出来はしないだろう。
例えそれが自分のせいであったとしても。
心の底から、ナズーリンという矮小な存在に腹が立つ。
「……しかしいつまでも自分に腹立てていても仕方ないか」
一度自己嫌悪のループと化した心のメビウスの輪に鋏を入れ、ひとまずさとりの依頼を消化することにした。
しかし、命蓮寺か。
最初はもしかしたら楽に終わるかもしれないななどと甘い期待を抱いていたが、こうも状況が変わってしまってはこれ以上立ち入りづらい場所もない。
上手いこと敷地に入ったとしても、響子にでも「おはよーごさいますナズーリンさん!」などと山彦ボイスで叫ばれた日には私は二度と寺に顔を出すことはないだろう。
ひとまずは、何かに隠れつつ遠くから目に付く場所に落ちていないかを見ることとしよう。
そう考え、手近な木に登り寺の方へ目を凝らす。
ピンクの表紙をした本なら遠目でも簡単に見つかるだろうと踏んだが、やはりそのようなものは見当たりはしない。
よくよく考えれば、早起きかつ綺麗好きの響子がいる限りそのような不審な物体は片付けられてしまうのがオチだ。
そして響子にこんな本が落ちてましたとピンクのハードカバーを手渡された聖はどうするだろうか。
『誰かの落とし物かしら?』
そう呟き、寺の面々に私物かどうかを確かめる。
そうでないとわかると、どうやって本を持ち主の元へと返そうか考え始めるだろう。
そしてそこへ……
『毎度おなじみ文々。新聞です!』
烏天狗がやってきたとしよう。
聖は天狗に本の持ち主を探して欲しいと頼み込む。
天狗は資料としてその本を持ち帰り、次に発行する新聞のネタにする。
つまり、天狗の新聞を読めば手がかりが得られると見た。
ここまで完全に推測だが、命蓮寺に足を運ぶ事無く本を探す方法を思いついたのだ。
早速実行に移すこととしよう。
そう思い木から降りようとした時だった。
「……ん、あれはご主人?」
視界の端に一瞬見知ったシルエットが映りこみ、慌てて落下をキャンセルする。
お陰で右腕一本で枝にぶら下がる間抜けな格好となってしまったが、それはこの際関係ない。
ご主人は、寅丸星は泣いているように見えた。
いや、泣いているに違いないと私は確信した。
そういう人だ。
人という表現は適切ではないが。
気の置けない仲の者にはすぐ感情的になるのも、きっと泣きそうになるのを無理に堪えているからなのだろう。
私にあんなに怒ったのも。
素直すぎるご主人は私の苛立ちからきた皮肉も毒舌も、全て真に受けてしまったのではないか。
そんなもの、真に受けるような価値などありはしないのに。
最低だ、私は。
ご主人はこんなにも純粋で、弱みを見せまいと必死になっているのに、私ときたら、そんな彼女を泣かせて、傷つけてしまった。
知らず、枝をつかむ腕に力がこもる。
今日何度目かの自己嫌悪に陥っていると、唐突に下から声が聞こえた。
「わぁーっ!驚け~!」
「う、うわっ!」
声の主の望むままのリアクションをしてしまい、体勢を崩した。
より先端に力がかかり、ついに重みに耐えきれなくなった枝が折れて急激に地面に落下する。
その時だった。
ご主人が、顔を上げたのは。
宙に投げ出されてもなおご主人から視線を外せなかった私は、極僅かな時間だったがご主人と目を合わせてしまった。
『……ナズ?』
そう唇が動いた気がする。
高速で動く視界の先、離れた場所でのものだったが、なぜかそう動いたのだとはっきりわかった。
「ぎゃふっ!?」
ご主人と目があっていたのもほんのつかの間、まもなく私は派手に尻餅をついて、その下に「何か」を押しつぶしていた。
押しつぶした「何か」がクッションとなったお陰でなんともなかったが……明らかに変な声がした下の「何か」は大丈夫だろうか。
「うー……酷い目にあったわさ……」
いかにも苦しそうな口ぶりに、あわてて上から退くと「何か」は近くに投げ出された唐傘を拾って立ち上がった。
「何か」こと多々良小傘はスカートの裾の埃を払ってきっとこちらを睨みつける。
「いくら驚いたからって真下に落ちてこなくたっていいじゃない!」
なんという言い草。
私からすれば、小傘が邪魔さえしなければご主人に謝りに行くことだってできたかもしれなかったというのに。
目があったあの一瞬、私の胸にはただ彼女に謝ろうという念ばかりが起こっていた。
申し訳なさでいっぱいになったのだ。
それだというのにこの妖怪は……!
「な、なによ?弾幕る気?」
少し怯えたような小傘の声。
それで我に返った。
そうだ、さっきだって私は苛立ちで我を見失ってご主人に酷いことを言ってしまったばかりじゃないか。
何も成長していない。
だが、今度は相手を傷つけたりはしない。
「……いや、そうだね。飛べるんだから。上に乗ってしまって悪かったよ」
「えっ……いやそんな謝らなくても……」
突然私が態度を変えたものだから小傘は困惑しているようだ。
当然か、今までバックに毘沙門天が居るということを相手に意識付けて立ち回っていたというのもある。
その様子はさながら虎の威を借る狐、狐ならまだ様になるがこちらは鼠。
全くもって滑稽な話だ。
一人勝手に自嘲し始めた私を前に小傘はただただ頭上にクエスチョンマークを浮かべるばかり。
「なにニヤニヤしてんのよ……さっきまで怒ってたり落ち込んだり、顔芸大会でもやってんの?」
何も説明するわけにもいくまい。
そして、客観的な視点からの意見が欲しいと思った私は事の顛末を彼女に話すこととした。
「んー……そりゃあんたが悪い。あんま私が言えたことじゃないけどさ、八つ当たりはよくないよ。うんうん」
「だよなあ……はは、可笑しいだろう?普段偉そうな私がこんなことで馬鹿みたいにさ」
ヤケ気味に笑いかけるも、真剣な顔つきで小傘は首を横に振った。
少し考えるような素振りを見せ、納得のいく言葉が見つかったのか小さく頷いて話しだす。
「誰だってイライラして他人にあたっちゃうことはあるって。ほら、お寺の裏の墓地にキョンシーがいるじゃない?人間を驚かすのに失敗して、あー駄目だなー嫌だなーって思ってる時に限ってあいつに会うのさ。あいつ馬鹿だし、イライラしてるからついつい八つ当たりしちゃうんだけどね」
確かに自分が言えたことじゃないが、と前置きしただけのことはある。
話を聞いてもらっている身であるのも忘れて思わず突っ込んでしまいそうになるが、小傘は軽い語り口ながら私に口を挟ませず言葉を続ける。
「そうしたらあのキョンシー、こう言うのさ。『ふーん。でお前なんて名前だっけ?』って。もうそれで馬鹿らしくなっちゃってさ。何やってんだろ、こいつに構うくらいならもうちょい頑張るかって少し元気出るんだよね」
考えすぎるのも駄目だね、と首をすくめておどけてみせる小傘。
毒気を抜かれてしまうといったところか。
私のようにネガティブな方向に冷静になってしまうのではなく、小傘にはポジティブに気持ちを切り替えることができているようだった。
そのキョンシーのお陰で。
憐れむべきはキョンシーがストレスのはけ口になっていることだが、当人があまり気にしていないようでもあるし、まあいいか。
「そう考えるとあいつくらいなのが一番いいのかもね。馬鹿になれれば、一々落ち込むよりは幸せだし」
わちきも馬鹿になるかねー、と冗談めかす小傘の姿が私には眩しく見えた。
知らず、先ほどの自嘲めいたものとはまた別の笑みがこぼれる。
「はは、はははは……馬鹿になるか。そりゃ可笑しいや。ああ驚いた」
「えっ?驚いたの?」
他者を驚かせることを生業とする彼女もまさかこのような形で驚く者がいるとは思っていなかったようで、自身も目を丸くしている。
思えば、私は物事を悪い方へ考えすぎるのだ。
人はそれを臆病と言う。
臆病故にそれを悟られまいと虚勢を張っていた私だが、小傘の話を聞いて、もう少しありのままの自分というものをさらけ出しても良いのではないかと思い始めた。
それが、仮に今日出来ていれば、私は塞ぎこんだ後にご主人に当たり散らすよりももうすこしマシな選択肢を選べただろう。
本当に自分は部下のネズミ達にさとりよりも慕われているのか、答えは出ずともご主人に問うだけで気持ちは軽くなったに違いない。
今だって、こうして気持ちが少し晴れているのだから。
「君は柳の木の下で人間を脅かすより落ち込んでる人を励ます仕事でも始めたほうがいいんじゃないかい?」
「いや、本業を畳むのはちょっと勘弁かな……」
「冗談だよ。さて、寺に戻らないとね」
仕事だってまだ残っている。
後ろめたさの無くなった今となっては天狗の新聞漁りなど後回しだ。
小傘と別れ、私は命蓮寺へ急いだ。
「あ……」
「……」
門をくぐると、向こうも私を探しにでも行こうとしていたのかまもなくご主人と対面した。
気まずい雰囲気になるがご主人が先に口を開いた。
「な、何ですナズ?謝ったって私は……」
やはり泣いていたのか目が赤く腫れている。
それでも必死に強がるご主人を見て私は笑ってしまいそうになった。
主従とはかくも似るものなのか。
しかしここで笑ってしまってはすべてが台無しだ。
小さく息を吸い直して、私はできるだけ真面目な表情をして切り出した。
「いや、謝らせてくれご主人。酷いことを言ってしまって、ごめんなさい」
訪れる静寂、否、ご主人の口からは小さな嗚咽が漏れていた。
それを聞こえないふりをして、続ける。
「少し悩み事があってイライラしていて……いや、そんなこと言い訳にしかならないね。とにかく、申し訳なかった」
嗚咽はもはや私の話し声をかき消すほどになっていた。
傍から見ればこの状況はどう映るのだろうか。
つっかえつっかえ、泣きじゃくりながらご主人が話し始める。
「わたっ……私もずいませっ、すいませんでした……」
ご主人は怒って寺に戻ったところを聖に見つかり、説教されていたらしい。
ナズーリンにも事情があるのだろう、もっと心を広く持てるようになりなさいとの聖の弁に本人としてはむず痒いものを感じる。
兎に角、聖の話を聞いてご主人も私に謝ろうとしていた。
意を決して私の元へ向かおうとしていたところ、ここで鉢合わせたというわけだ。
「しかし……全く同じタイミングで謝りに行くなんて本当に私たちは息があっているね」
「そう……ですね。えへへ」
泣き腫らした目を細めて笑うご主人。
やっぱりご主人は笑い顔が似合う。
少し場が和んだところで私は和解の言葉を口にした。
「どうだい?一緒に宝塔を探しに行くってのは?他にも探しものがあるから手早く終わらせたいんだ」
賛同してくれるのは間違いないと思っていたのだが、意外にも彼女はかぶりを振った。
「いえ、ナズの仕事のほうが大事です。そっちを先に終わらせてしまいましょう」
「……いいのかい?」
「もちろんです。ほら、どこを探しましょうか?」
もう涙は止まったものの真っ赤に充血した目をしたご主人が私の袖を引っ張る。
これではとても外には出られないし、そもそも最初の捜索場所はここだ。
私は小さく首をすくめて言うのだった。
「命蓮寺だよ。ピンクの表紙のハードカバーを見なかったかい?」
――私達主従の絆が少し、深まったとある昼下がりだった。
「誰がそんなことするって?こっちから願い下げだね!」
「ああそうですか!」
「ああそうだとも!」
「「ふんっ!」」
――事の起こりはしばらく前に遡る。
我が主人たる寅丸星がいつものことながら宝塔を無くしてきた。
ご主人がそれをやらかすのはさながら『ラブコメ漫画の1話で新学期早々寝坊して食パンを咥えて通学路を全力疾走する果てしなく恋愛に鈍い主人公が曲がり角で美少女にぶつかって彼女がその日の朝のホームルームで転校生としてやってきて偶然にも隣の空席に座ることとなる』レベルのお約束であり、そのたびに申し訳なさそうな顔をして私に捜索を依頼する一連の流れは我々主従の日課となっている、といってしまうのはさすがに大袈裟か。
本日も平素と何ら変わらずご主人は食パンを通学路を疾走、などはしなかったものの私に頼みごとをしにやってきた。
だが私は普段と少々状況が違ったのである。
ご主人が来る数時間前、私が普段寝起きしている掘建て小屋に一人の来客があった。
『ごめんください、探しものをお願いしたいのですが』
『はい、ただいま……って、これはこれは地霊殿の主様じゃあないか。珍しいね地上に出てくるなんて』
古明地さとり、幻想郷きっての嫌われ者が戸口の前に立っていた。
心を読むという迷惑極まりない能力を持つ故、その人生の殆どをインドアに捧げているこの少女が探しものだと?
あまり想像できた姿ではない。
そもそも、ほとんど屋敷に引き篭っているのだからダウジングを必要とするほどの無くし物をしそうにはないのだが。
私は地下にもぐるなぞ真っ平御免だぞ。
『……うちの猫を寄越せばよかったかしら』
気を悪くさせてしまったようだ。
これでもあまり余計なことは考えないようにしているのだが。
あの火車なんて寄越された日には私の部下のネズミたちがパニックを起こしてしまうだろう。
私自身はともかく、部下の精神的平穏のためには御大が来てくれて助かっている。
『猫の手を借りるには及ばないよ。で、探しものはなんだい?』
さとりの元へ一匹の子ネズミが近寄り、相手の危険度を計るかのように鼻をひくつかせた。
この子に限った話ではないが、ネズミは臆病な生き物だ。
危険な存在からは逃げ出し、身をひそめる。
そしてその危険さを察知するだけの賢さも持ち合わせている。
一刻も早く要件を済ませてしまえと私の反応は告げていたが、子ネズミはさとりを安全と判断したのかより彼女の近くへと擦り寄っている。
さとりも全く嫌がる素振りを見せず、しゃがんで頭を撫でたりとかわいがってやっている。
人語を解さない動物の心も読めるから動物には好かれるのだろう。
解する者にとっては嫌悪の対象でしかないのだが。
その嫌悪の対象は私の胸中を知ってか知らずか……恐らく知っているのだろうが、子ネズミに視線を固定したまま私の質問に答えた。
『本です』
『本?』
ただ本と言われても心を読めない私にはどんな装いなのか、どれほどの厚さなのかといったダウジングに必要な情報を得ることはできないのだが。
先程からスキンシップを図っていた子ネズミの他にわらわらと現れたネズミたちを手で掬ったりして遊ぶさとり。
目を合わせたくはないけど、ここまでそっぽを向いて話されるとそれはそれで嫌なものだ。
彼女の顔に合わせていた焦点を下へずらすと、さとりの第三の目と視線がバッティングした。
すぐさま目を逸らし、何も考えてない、私は何も考えていないぞと心の中で言い訳すること数秒、またポツリとさとりが口を開いた。
『装丁はピンク基調で、金の刺繍がしてあるハードカバーです』
『わかった。具体的にどのあたりを探せばいいんだい?』
癖のある髪にしがみつくネズミを手でつまむさとりは、しかしすぐには質問に答えない。
先程までと同様ただマイペースなだけなのか、自分でも場所がわかりかねているのか。
そう思って一度は切った目線を再び彼女へ向ける。
その横顔には、笑っているような、悲しんでいるような、悩んでいるような、怒っているような、いずれにも受け取れる不思議な表情を浮かべていた。
最も、怒った表情に関しては私のせいなのかもしれないが。
『命蓮寺……だと、思います。一番怪しいのは』
自信なさげに呟くさとり。
すでに表情は困惑一色となっていた。
『命蓮寺?一体何でそんな所に……』
言ってから気づいた。
古明地こいし、さとりの妹がここ最近寺に出入りしていることを。
無意識を司る彼女ならさとりに察知されることもなく本を持ち去ることも可能だろう。
さとりの発言もそれを踏まえてのものであろう。
聖は彼女こそが空の境地の体現者なのだと持て囃していたが、実際のところ無意識と空の違いというものが私にはよくわかっていない。
毘沙門天の部下でこそあれど寺で修行することの少ない私には、仏教的観点からしてもこいしという存在が全くわかりかねていた。
そもそも、その場にいるかどうか認知すること、無意識下で行われるこのプロセスを狂わせる彼女のことなど決して理解することなどできないのかもしれない。
なにせ、姉のさとりにすらそれができていないようであるのだから。
『他にも可能性は山ほどあるんですけどね。こいしじゃなくて、おくうが間違って燃やしてしまってそれを忘れているだけかもしれません』
『……それだと探しようがないじゃないか』
さとりでも完全に記憶から抜け落ちていることは読み取れないらしい。
鳥頭に無意識の住人、私の知るだけで二人の手に負えない存在を抱えるさとりは、思っていたより苦労人なのかもしれない。
生きとし生ける者にことくごとく嫌われている時点でよっぽどの苦労人であるが。
しかし健気にその両者どちらかのものであろう不始末を解決せんとするのはいいが、人を頼る際にはもう少し口数を多くしてくれないものか。
思わず口からため息が漏れでた。
さとりもそれを見てなにか思うところはあったようだが、まただんまりを決め込んでいる。
我慢できずに私から彼女に話しかける。
『で、私は命蓮寺を中心に、こいしが君の本を持ち去ってどこかに置き忘れたりしていないかを調べればいいんだね?』
『ええ。おくうが燃やしてしまったなら誰かが関連する場面なり物なりを見ている可能性が高いはずですから』
本当に、そういうことは早めに言ってもらいたい。
まあ、それはいい。
幸いにも一番怪しい場所はすぐそこだ。
さっさと片付けてしまおうではないか。
『見つけたら……そうだね、ぬえにでも届けさせるよ。一応知らない仲でもないだろう?』
『そうですね。本当に知らないわけではないってだけの仲ですが』
そんな事情など私の知ったことではない。
命蓮寺の妖怪の多数は地底に封印されていたわけではあるが、当然といえば当然ながら誰も地霊殿の面々とは格別親しいわけでもない。
ならば最も暇な者に行かせたほうが全て円満に進むというものだ。
お使いに行かされる本人以外は。
これは前払いです、と依頼料の一部をおいて立ち去ろうとしたさとりは、ふとその足をピタリと止め私に向き直った。
何事かと一瞬たじろぐ私に、彼女は伺うような口調で切り出す。
『よかったらそのネズミ、一匹いただけませんか?』
確かに彼女の足元には別れを惜しむようにネズミがまとわりついていた。
中でも一番最初に懐いた子ネズミはついて行きたがっているようである。
しかしこの子もダウジングには必要であり、はいどうぞとあげるのは躊躇われる。
何より、生まれた頃から面倒を見てやっている私よりも今日初めて会ったばかりのさとりを子ネズミが選ぼうとしているという事実はショックであった。
相手が悪いと言ってしまえばそれまでだが、同族である自分がかくも簡単に……。
『ああ、構わないよ。その代わり、猫には気をつけてやってくれ』
『大丈夫ですよ、みんないい子ですから』
私がこの子を手放す旨を口にしてから、初めて彼女は驚いたような様子を見せた。
意を決したのはそれよりさらに数秒ほど前、その時点で驚いてもよさそうなものを。
彼女なりの優しさかは知らないが、そのリアクションは傷心の私に追撃を加えるものであった。
明らかに作り物とわかる笑顔を浮かべ一人と一匹を見送る私と、一瞬申し訳なさそうな顔をしたものの、すぐに心からの、外見相応の柔らかい笑みを子ネズミに向けたさとりは痛ましいまでに対照的だっただろう。
さとりが去った後の小屋では、他のネズミたちは確かにさとりは自分たちのことを理解してくれるが、それ以上に私のことを信頼し忠誠を誓っていると言ってくれた。
それが本心からのものなのか建前なのかを知るすべを持たない私には、それすらも精神的ダメージへと昇華されて心の傷口をえぐるかのように感じられるのだった。
そんなことがあってのご主人の来訪である。
時間が経つごとに自己嫌悪が深まってイライラしていた私は意図せずしてご主人に嫌味を言ってしまった。
普段から嫌味を言うことなどあるが、今回はまたご主人を感情的にさせるものだったらしい。
らしい、というのは自分でも何を言っていたかわかっっていなかったことを意味する。
フラストレーションのままにご主人を詰った後は冒頭の口喧嘩である。
明らかに私が悪い。
宝塔を無くしてきたこと自体はご主人に責任があるものの、それとは関係のないことで怒らせてしまったようなのだから。
そのご主人はナズに頼むくらいなら自分で探しますと怒って帰っていった。
ひとまず冷静になった今、謝りたいのはやまやまだが変に自己主張するプライドがその邪魔を始めた。
先程誰が泣いて謝ったりなどするものかと啖呵を切った手前、おめおめとご主人の前に出るきがどうも起きない。
仮にご主人が、私が謝りに行った時もなお怒っていたらどうなるか。
さっき私が言ったことそのまま言い返されるに決まっている。
全くもって情けないことだが、未熟な私にはただひたすらご主人の鬱憤のはけ口になるなど出来はしないだろう。
例えそれが自分のせいであったとしても。
心の底から、ナズーリンという矮小な存在に腹が立つ。
「……しかしいつまでも自分に腹立てていても仕方ないか」
一度自己嫌悪のループと化した心のメビウスの輪に鋏を入れ、ひとまずさとりの依頼を消化することにした。
しかし、命蓮寺か。
最初はもしかしたら楽に終わるかもしれないななどと甘い期待を抱いていたが、こうも状況が変わってしまってはこれ以上立ち入りづらい場所もない。
上手いこと敷地に入ったとしても、響子にでも「おはよーごさいますナズーリンさん!」などと山彦ボイスで叫ばれた日には私は二度と寺に顔を出すことはないだろう。
ひとまずは、何かに隠れつつ遠くから目に付く場所に落ちていないかを見ることとしよう。
そう考え、手近な木に登り寺の方へ目を凝らす。
ピンクの表紙をした本なら遠目でも簡単に見つかるだろうと踏んだが、やはりそのようなものは見当たりはしない。
よくよく考えれば、早起きかつ綺麗好きの響子がいる限りそのような不審な物体は片付けられてしまうのがオチだ。
そして響子にこんな本が落ちてましたとピンクのハードカバーを手渡された聖はどうするだろうか。
『誰かの落とし物かしら?』
そう呟き、寺の面々に私物かどうかを確かめる。
そうでないとわかると、どうやって本を持ち主の元へと返そうか考え始めるだろう。
そしてそこへ……
『毎度おなじみ文々。新聞です!』
烏天狗がやってきたとしよう。
聖は天狗に本の持ち主を探して欲しいと頼み込む。
天狗は資料としてその本を持ち帰り、次に発行する新聞のネタにする。
つまり、天狗の新聞を読めば手がかりが得られると見た。
ここまで完全に推測だが、命蓮寺に足を運ぶ事無く本を探す方法を思いついたのだ。
早速実行に移すこととしよう。
そう思い木から降りようとした時だった。
「……ん、あれはご主人?」
視界の端に一瞬見知ったシルエットが映りこみ、慌てて落下をキャンセルする。
お陰で右腕一本で枝にぶら下がる間抜けな格好となってしまったが、それはこの際関係ない。
ご主人は、寅丸星は泣いているように見えた。
いや、泣いているに違いないと私は確信した。
そういう人だ。
人という表現は適切ではないが。
気の置けない仲の者にはすぐ感情的になるのも、きっと泣きそうになるのを無理に堪えているからなのだろう。
私にあんなに怒ったのも。
素直すぎるご主人は私の苛立ちからきた皮肉も毒舌も、全て真に受けてしまったのではないか。
そんなもの、真に受けるような価値などありはしないのに。
最低だ、私は。
ご主人はこんなにも純粋で、弱みを見せまいと必死になっているのに、私ときたら、そんな彼女を泣かせて、傷つけてしまった。
知らず、枝をつかむ腕に力がこもる。
今日何度目かの自己嫌悪に陥っていると、唐突に下から声が聞こえた。
「わぁーっ!驚け~!」
「う、うわっ!」
声の主の望むままのリアクションをしてしまい、体勢を崩した。
より先端に力がかかり、ついに重みに耐えきれなくなった枝が折れて急激に地面に落下する。
その時だった。
ご主人が、顔を上げたのは。
宙に投げ出されてもなおご主人から視線を外せなかった私は、極僅かな時間だったがご主人と目を合わせてしまった。
『……ナズ?』
そう唇が動いた気がする。
高速で動く視界の先、離れた場所でのものだったが、なぜかそう動いたのだとはっきりわかった。
「ぎゃふっ!?」
ご主人と目があっていたのもほんのつかの間、まもなく私は派手に尻餅をついて、その下に「何か」を押しつぶしていた。
押しつぶした「何か」がクッションとなったお陰でなんともなかったが……明らかに変な声がした下の「何か」は大丈夫だろうか。
「うー……酷い目にあったわさ……」
いかにも苦しそうな口ぶりに、あわてて上から退くと「何か」は近くに投げ出された唐傘を拾って立ち上がった。
「何か」こと多々良小傘はスカートの裾の埃を払ってきっとこちらを睨みつける。
「いくら驚いたからって真下に落ちてこなくたっていいじゃない!」
なんという言い草。
私からすれば、小傘が邪魔さえしなければご主人に謝りに行くことだってできたかもしれなかったというのに。
目があったあの一瞬、私の胸にはただ彼女に謝ろうという念ばかりが起こっていた。
申し訳なさでいっぱいになったのだ。
それだというのにこの妖怪は……!
「な、なによ?弾幕る気?」
少し怯えたような小傘の声。
それで我に返った。
そうだ、さっきだって私は苛立ちで我を見失ってご主人に酷いことを言ってしまったばかりじゃないか。
何も成長していない。
だが、今度は相手を傷つけたりはしない。
「……いや、そうだね。飛べるんだから。上に乗ってしまって悪かったよ」
「えっ……いやそんな謝らなくても……」
突然私が態度を変えたものだから小傘は困惑しているようだ。
当然か、今までバックに毘沙門天が居るということを相手に意識付けて立ち回っていたというのもある。
その様子はさながら虎の威を借る狐、狐ならまだ様になるがこちらは鼠。
全くもって滑稽な話だ。
一人勝手に自嘲し始めた私を前に小傘はただただ頭上にクエスチョンマークを浮かべるばかり。
「なにニヤニヤしてんのよ……さっきまで怒ってたり落ち込んだり、顔芸大会でもやってんの?」
何も説明するわけにもいくまい。
そして、客観的な視点からの意見が欲しいと思った私は事の顛末を彼女に話すこととした。
「んー……そりゃあんたが悪い。あんま私が言えたことじゃないけどさ、八つ当たりはよくないよ。うんうん」
「だよなあ……はは、可笑しいだろう?普段偉そうな私がこんなことで馬鹿みたいにさ」
ヤケ気味に笑いかけるも、真剣な顔つきで小傘は首を横に振った。
少し考えるような素振りを見せ、納得のいく言葉が見つかったのか小さく頷いて話しだす。
「誰だってイライラして他人にあたっちゃうことはあるって。ほら、お寺の裏の墓地にキョンシーがいるじゃない?人間を驚かすのに失敗して、あー駄目だなー嫌だなーって思ってる時に限ってあいつに会うのさ。あいつ馬鹿だし、イライラしてるからついつい八つ当たりしちゃうんだけどね」
確かに自分が言えたことじゃないが、と前置きしただけのことはある。
話を聞いてもらっている身であるのも忘れて思わず突っ込んでしまいそうになるが、小傘は軽い語り口ながら私に口を挟ませず言葉を続ける。
「そうしたらあのキョンシー、こう言うのさ。『ふーん。でお前なんて名前だっけ?』って。もうそれで馬鹿らしくなっちゃってさ。何やってんだろ、こいつに構うくらいならもうちょい頑張るかって少し元気出るんだよね」
考えすぎるのも駄目だね、と首をすくめておどけてみせる小傘。
毒気を抜かれてしまうといったところか。
私のようにネガティブな方向に冷静になってしまうのではなく、小傘にはポジティブに気持ちを切り替えることができているようだった。
そのキョンシーのお陰で。
憐れむべきはキョンシーがストレスのはけ口になっていることだが、当人があまり気にしていないようでもあるし、まあいいか。
「そう考えるとあいつくらいなのが一番いいのかもね。馬鹿になれれば、一々落ち込むよりは幸せだし」
わちきも馬鹿になるかねー、と冗談めかす小傘の姿が私には眩しく見えた。
知らず、先ほどの自嘲めいたものとはまた別の笑みがこぼれる。
「はは、はははは……馬鹿になるか。そりゃ可笑しいや。ああ驚いた」
「えっ?驚いたの?」
他者を驚かせることを生業とする彼女もまさかこのような形で驚く者がいるとは思っていなかったようで、自身も目を丸くしている。
思えば、私は物事を悪い方へ考えすぎるのだ。
人はそれを臆病と言う。
臆病故にそれを悟られまいと虚勢を張っていた私だが、小傘の話を聞いて、もう少しありのままの自分というものをさらけ出しても良いのではないかと思い始めた。
それが、仮に今日出来ていれば、私は塞ぎこんだ後にご主人に当たり散らすよりももうすこしマシな選択肢を選べただろう。
本当に自分は部下のネズミ達にさとりよりも慕われているのか、答えは出ずともご主人に問うだけで気持ちは軽くなったに違いない。
今だって、こうして気持ちが少し晴れているのだから。
「君は柳の木の下で人間を脅かすより落ち込んでる人を励ます仕事でも始めたほうがいいんじゃないかい?」
「いや、本業を畳むのはちょっと勘弁かな……」
「冗談だよ。さて、寺に戻らないとね」
仕事だってまだ残っている。
後ろめたさの無くなった今となっては天狗の新聞漁りなど後回しだ。
小傘と別れ、私は命蓮寺へ急いだ。
「あ……」
「……」
門をくぐると、向こうも私を探しにでも行こうとしていたのかまもなくご主人と対面した。
気まずい雰囲気になるがご主人が先に口を開いた。
「な、何ですナズ?謝ったって私は……」
やはり泣いていたのか目が赤く腫れている。
それでも必死に強がるご主人を見て私は笑ってしまいそうになった。
主従とはかくも似るものなのか。
しかしここで笑ってしまってはすべてが台無しだ。
小さく息を吸い直して、私はできるだけ真面目な表情をして切り出した。
「いや、謝らせてくれご主人。酷いことを言ってしまって、ごめんなさい」
訪れる静寂、否、ご主人の口からは小さな嗚咽が漏れていた。
それを聞こえないふりをして、続ける。
「少し悩み事があってイライラしていて……いや、そんなこと言い訳にしかならないね。とにかく、申し訳なかった」
嗚咽はもはや私の話し声をかき消すほどになっていた。
傍から見ればこの状況はどう映るのだろうか。
つっかえつっかえ、泣きじゃくりながらご主人が話し始める。
「わたっ……私もずいませっ、すいませんでした……」
ご主人は怒って寺に戻ったところを聖に見つかり、説教されていたらしい。
ナズーリンにも事情があるのだろう、もっと心を広く持てるようになりなさいとの聖の弁に本人としてはむず痒いものを感じる。
兎に角、聖の話を聞いてご主人も私に謝ろうとしていた。
意を決して私の元へ向かおうとしていたところ、ここで鉢合わせたというわけだ。
「しかし……全く同じタイミングで謝りに行くなんて本当に私たちは息があっているね」
「そう……ですね。えへへ」
泣き腫らした目を細めて笑うご主人。
やっぱりご主人は笑い顔が似合う。
少し場が和んだところで私は和解の言葉を口にした。
「どうだい?一緒に宝塔を探しに行くってのは?他にも探しものがあるから手早く終わらせたいんだ」
賛同してくれるのは間違いないと思っていたのだが、意外にも彼女はかぶりを振った。
「いえ、ナズの仕事のほうが大事です。そっちを先に終わらせてしまいましょう」
「……いいのかい?」
「もちろんです。ほら、どこを探しましょうか?」
もう涙は止まったものの真っ赤に充血した目をしたご主人が私の袖を引っ張る。
これではとても外には出られないし、そもそも最初の捜索場所はここだ。
私は小さく首をすくめて言うのだった。
「命蓮寺だよ。ピンクの表紙のハードカバーを見なかったかい?」
――私達主従の絆が少し、深まったとある昼下がりだった。
面白かったです!
できればこれからもこういう作品書いてほしいです
よかったです
しかし求聞口授の「さとり様は同人作家」という公式設定を使うとは……!
ところでこの子ネズミはいずれ人型になって第二のナズーリンになるのだろうか。
確かにさとりは物書き疑惑あるけどwww
何だかほんわかできました。次作もまたのんびり待とうと思います。
みょーに説得力あるし
ナズの心の葛藤が見事に描かれていて、するりと読んでいる側にも伝わってきました。
小傘ちゃんも可愛かったです。
小傘もいいキャラしてた
あれだけ字数を割いたさとりの捜し物が本編とは関係無く、あとがきでついでのように
処理されてるのには疑問を感じました。
中盤まではそちらに読者の関心がいくよう書かれていたはずですし、素直にそちらに関心
を寄せていると、この終わり方はちょっと物足りなさすぎるわけでして。
自分が間違っていたことを認めてきちんと謝れるところが賢将の賢将たる所以なんですね