『そうして彼らは幸せに暮らすのでした。』
時折私はその一文を、物語の末尾に書き加える。
* 大鬼 *
今日のは特別大きい奴だった。
私が愛する紅魔館ですら奴の腰の高さに届かないという馬鹿げたスケールで二足歩行し、天に向かって二本の角を伸ばすそれを見て、
奴の大きさに負けないくらいのため息を吐く。
ひどい雷雨だったから嫌な予感はしたが、まあなんというかやっぱり、である。
こういう日は定期的に訪れる。
普段は無傷で雑魚を散らして館を守る素敵なご主人レミリア様でいられるのだが、
時折レミリア様も苦戦するような相手が現れる。
そして辛くも勝利したレミリア様は館に一人待つ従者に介護を受けながら、優しく従者の頭を撫でるのだ。
そんな事を望まないよう、あの子には平時からこれでもかと接してやっているつもりではあるが、
平穏な暮らしが続けばそれに飽きるのも、まあ私だってわからんでもない。
けれど最近は月一ペースが二週に一度のペースになってきた、それは些か贅沢すぎやしないかと思う。
毎度毎度ボロボロになりつついい笑顔を見せる私の身にもなって欲しい。
気の利いたセリフだってこのペースでいけば十年後には尽きることだろう。
ともあれ
心の中で愚痴っていても目の前の大鬼は居なくならないので手を振り上げる。
予想はしていたが今日のグングニルは一段と大きい。私の背丈の十倍はある。
軽くそれを振り回せる事と、あの子の間違った信頼と物理法則の知識を確認して鬼に向かって地を蹴りだす。
鬼も大きく咆哮し、胸に手を打ち付けてからこちらへと向かってくる。
こっちが仕掛けるまでは仕掛けてこないし館に向かって火を吐いたりもしないし勝手にそこらを酒まみれにもしない、見た目と違って話のわかるやつだ。
そんなに痛くないようにしてやろう、レミリア様は慈悲深い御方なのさ。
私の跳躍は鬼の胸元まで届き、大きく振るった槍は毛むくじゃらの草原を真っ赤に染める。
ここで拍子抜けして気を緩めたのが昔の私。今の私は冷静に衝撃に備えて引き戻した槍を盾にするように構える。
ほーら、きた。
大地に叩きつけられながらゴロゴロと転がり衝撃を殺しつつ服を汚してちょっと自分で破いておく。
結局のところ大事なのは演出だ。
それが短くない時間あの子と付き合ってきた私の結論である。
結果のわかっている戦いを繰り返す以上、過程で少しでも楽をするのは許されていいはずだ。
立ち上がって再び跳躍、数度の打ち合いの後に手にしたグングニルが一段と大きくなり、ズシリと重みを持つ。トドメの合図に他ならない。
私は高く飛び上がり、雷鳴が響くと同時にその巨大な槍を投げ放った。
槍が鬼の胸を貫くと同時に、雷が槍を伝って鬼の体を焦がしていく。
すまんな、だいぶ痛そうだった。胸の内でそっと謝りながら、動かなくなった鬼の体から槍を引き抜くと、鬼の体は薄い光を帯びて形をなくし、光の玉となって私の口に吸い込まれる。
こくりと喉を鳴らして飲み下すと、体の疲労感がいくらか薄れた。出鱈目でも教えておくものである。
また、真実も黙っておくものである。雷雨の中で一切の痛みを感じない自分の体を確かめながら、私は一つ頷いた。
* 猫耳 *
ある日パチュリーの頭から奇妙なネコの耳らしき物が顔を出していた。
暇だからたまには茶会でもどうかと賑やかしに行った折の事である。
動揺しながらもいつものようにテーブルに体を預けて誘いの文句を投げかけると、
友人はいつものように「気が向いたら向かうわ、今は向かないから向かわないけれど」と素っ気なく返事をした。
いつものように食い下がりがてら本来の目的である雑談とするのがここでの作法かとも思ったが、
いつものようにそんなものは破いて捨てる事にした。
「なによその耳」
「にゃー」
「あいにく、猫語はわからないのよ。人語か超音波でよろしく」
「原点回帰の末に見た原点或いは祖先とも呼ぶべき存在に対する敬意の表現とある種の実験と小悪魔の趣味」
「ええわかったわ、わからない。猫語のほうがわかる可能性が残るだけマシだったわね」
「半ばわかってるような言い回しをするわね」
「半死半生の猫って奴でしょう?」
私だって500年生きて、この偏屈な友人の友人をやっているのだ、多少の変なことくらいは知っている。
「そう、元は量子の不確定性原理に関する思考実験。存在し存在しない量子の存在と生死を連動させられた猫は半死半生の存在となり得るのか。そんな思考実験」
私はパチュリーの話を聞き流しながら、その頭の上でぴょこぴょこ動く耳を眺めていた。
「で、それって生えてるの?つけてるの?」
「生えてるし付けてるだけでもあるわ」
「じゃあ私がそれを見て決めてやろう」
言ってパチュリーの髪の毛を分けてみると、なるほど良く出来てはいるがワンタッチで外れる作り物だった。
「残念だったねパチェ、猫耳属性の取得には失敗したみたいよ」
「まぁ、私も作り物として付けてると認識しているもの。それに私としては耳が四つある暮らしは然程望んでもいないわ。ただ、あの子の趣味なだけ」
「なんだつまらない、最初から決まってるんじゃない。半分の可能性で猫混じりなパチェなんてのも面白いと思ったのにさ」
私が不満を口にしていると咲夜が紅茶を出しに現れた。
パチュリーが頭の上の耳をぴょこぴょこと動かす。どういった仕組みかは知らないが、よく出来たものだ。
「あら、パチュリー様いつの間にそんなものを」
咲夜の声が上擦っているのがわかる。普段は取り繕っているがこの手の物が大好きなのだ。
とてとてと駆け寄って、触らせて貰ってもいいですか、という問いかけに了承の言葉を貰い、ぱあっと顔を輝かせる。
ああ全く、可愛い従者だ。願いが叶えばいいと思うが、きっと作り物だと知って落胆することだろう。
咲夜はパチュリーの耳を触って、根本を見て、存分に毛並みを楽しんだ後に言う。
「素晴らしい猫耳を生やされましたわね」
咲夜が席を外した後、私はパチュリーの猫耳を調べた。
それは確かに後頭部に根付いていて、とてもワンタッチで外れるような付け耳には見えない。
私はパチュリーに問いかけた。何をしたのか、と。
「実験よ」
パチュリーは右の猫耳をパタリと倒し、満足げな表情で答えた。
「観測による決定、その優先順位の有無を確かめる実験」
そうしてパチュリーは輝かしい実験結果と同時に新たな二つの耳を得る事になったのだ。
* 観測 *
猫耳魔法少女たる我が友人曰く、客観的な観測は存在し得ない。
そもそも認識する上で観測者はその目なり耳なりの感覚器官を用いる必要があるわけで、
それらと観測者の脳髄を経由して観測が成立する以上、観測は観測者の主観である。
主観である以上は、独我論を採用しないのであれば衝突が発生する。
唯物論者であれば、そもそも最初に存在するのは実際の物質であるからそのような衝突は時折二者の仲違いを引き起こす以上の問題が無いと切って捨てられる。
しかし私達妖怪にはそうして切って捨てられない問題があった。
妖怪は人間の幻想だ。
例えば人間AとBがそれぞれパチュリーに猫耳がある、猫耳がないと観測する。
パチュリーは人間の認識を元に生成されるから、この場合同時に二種類のパチュリーが存在する事になる。
この二人が同時にパチュリーの猫耳の生え際を確認すればどうなるか、パチュリー自身が自分の姿を鏡で覗きこんだ時はどうなるか。
ここで観測の衝突が発生する。
人間同士であれば、より強固に観測結果を確信した者が優先され、妖怪と人間であれば人間が優先される。
これが事例の中心となった我が友人が猫耳をパタパタと動かしながら述べた結論である。
が、
更に、これにはとんでもない注釈が付く。
人間は、その願望を観測にすり替える場合がある。
なるほど、先の咲夜はその願望を実現したわけだ。
しかし、平時人間がそこまで思うがままに暮らしているように思えない。
これは常識というものが存在する事に起因する。
パチュリーに猫耳という事であれば、彼女は彼女を認識する者から広く魔法使いとして知られているので猫耳がついていてもおかしくはない。
だがパチュリーが白髪で髭を生やし敵を地面にバウンドさせながら星を集めてあぐらをかいて即死技を放つ、といったニッチな願望は彼女を知る多くの観測者の常識によって打ち砕かれる。
だから私達はある日突然突拍子もない事になったりはしないし、常識の中の可能性の範疇でゆるゆると変化して暮らすことができるのだ。
我々妖怪は、人間同士の認識の衝突によって安定を得ている。
人間様っていうのは随分偉いもんだねえ、とパチュリーに感想を述べると、
パチュリーは、そうねえ、と素っ気なく一言だけ、猫耳を動かしながら答えた。
気に入っているのか。
* 円環 *
咲夜が姿をくらませた。
書き置きには探さないで下さいという趣旨が記されていた、気配りという迷路を一番遠回りなルートで進む迂遠な表現で。
読む側の苦労をこそ気配るべきだとも思うが、そんな風に眉をしかめる私の姿を想像しながら楽しげに書いている様子も読んで取れる。
あいつはそういう奴なのだ。
多少の感傷を覚えながら、傷口をなぞってそんな事もあったと記憶を反芻するように、
体に傷が残らない代わりに心の傷を愛でてやろうと考えた私は随分瀟洒であったと思う。
だから一年後に「ただいま帰りました」とのほほんと言い放って現れた咲夜を見て、嗜んでいた紅茶を絨毯に飲ませていたのは帳消されて良いはずだ。
曰く、火で炙る事で多くの文字が溶け出し、残った文字を十六夜咲夜、1 3 4 1 3 9 8の順で飛ばしていくと
「い ち 年 ご 帰 り ま す」
の文字が現れる。
お嬢様ならば気付いていただけると思ったのですが、と心にもない事を言うのはその口か。
私は親切にも咲夜のしわくちゃな頬をつねって伸ばしてやるのだった。
「で、どこでどうしてどうやってきたのよそれ」
それとは咲夜が抱えていた赤子の事で、今は妖精メイド用の空きベッドですやすやと眠っている。
「跡継ぎが必要かと思いまして、どこでとどうやっては秘密です」
「そう、面倒見るのよ。名前は十七夜満開でどうかしら」
「丁重にお断りいたしますわ」
紅魔館総力を挙げた結果、その子を「ヨル」と呼ぶことになる。
それから少しして、咲夜は再び書き置きを残して姿を消した。
精巧な複製を大量に作り、炙って洗って通電させて、それらしき文字列が残った時に頭を悩ませて、
私は咲夜と最後の会話を交わすのだ。
「ざんねんはずれ」
の文字が浮かんだ時につねってやる頬が無いのは残念だけれど。
苦労の先に見つけ出した最初の咲夜の最後の言葉は
「これからはヨルを十六夜咲夜と呼んで下さい」
というものだった。
ヨルが咲夜になって、咲夜がヨルを連れてきて、咲夜が去ってヨルが咲夜になって。
咲夜の髪の色は黒、金、赤、時には始めの咲夜のような銀色と移り行く。
顔立ちも体格も違えば性格も様々だったが、それでもどこか彼女達は咲夜であった。
月が満ちては欠けるように、毎夜空に昇るように、私は咲夜と生きてきた。
また咲夜がヨルを連れてくる頃、丁度最初の咲夜から月が一巡りする咲夜となるヨルが現れる頃、
この循環は終わりを迎える事になる。
詳しい事は私も知らない。
ただ、白い光がどこかはるか遠方から、何もかもを包むように広がった。
その時私はヨルを庇うように抱き締めて、ヨルと私だけが残された。
* 二人 *
あちこち汚れて引き裂かれた私の服を、咲夜はちくちくと修繕していく。
時折針先を指に刺し、びくりと体を震わせるも、歯を食いしばって平静を顔に貼り付ける。
「上手く繕うのも中々難しいよねえ」
私はその様子を見てベッドの上に腰掛けながらけらけら笑う。
咲夜は申し訳なさそうに悔しそうに少しうつむく。
「まあ、そのうち上手くなるわ」
言って咲夜の銀髪を優しく撫でてやる。
伊達に長く付き合っていない。レミリア様はこういった繕いも手慣れたものなのだ。
それにしても奇妙なものだ。この子がこんな事に手こずるなんて。
もう私と咲夜しか居ないこの世界では、全てが咲夜の思いのままになるというのに。
認識の衝突など起こらない以上、咲夜の願望が私と唐突に現れる妖怪達の法則だ。
外から襲ってくるよくわからない怖いものと、咲夜の身を守るレミリア。
それが最初の咲夜に一番良く似た、きっと最後の咲夜が思う世界の形。
ここにパチュリーは居ない。
咲夜はヨルだった頃にパチュリーを知らなかったから。
同様にしてフランも美鈴も小悪魔もいない。
ほんの赤子だったのだから仕方がない。
そんな彼女達が居たのだと話そうかと思ったが、やめておくことにした。
仮に彼女達について話し彼女達が現れた所で、それは咲夜が伝え聞き想像した彼女達でしかない。
私の知る彼女達に限りなく近づく事は出来るだろうが私の知らない彼女達の要素を持たない以上、
それは少なくとも私の認識下において彼女達自身とは成り得ないのだ。
私はその再生された彼女達どう違うのかと、時折考える事はある。
私は咲夜の知らない過去を知っている。
けれどそれは咲夜が私は咲夜の知らない事を知っているとするからで、
例えば私が思い返す彼女達と暮らした日々は咲夜の意識のどこかに隠れた、咲夜の想像に過ぎないのではないか。
幻想郷と呼ばれた日々は、もしかすると世界にひとりきりの咲夜が生み出した妄想なのではないか。
「できましたよ、お嬢様」
出発前と比べていくらか継ぎ接ぎが目立つようになったが、帰還後よりは大分見れるようになったドレスを持って、
咲夜は大きく無い胸を張る。咲夜の左手が持つあたりから赤く血が滲んでいるが、見てないことにしてやろう。
まぁいいか、と考えた。
どちらにせよ私のやることは変わらないのだ。
最後の咲夜、もしくは最後のふりをした唯一の咲夜に付き合いきってやる事。
例え私が私だろうが咲夜の考えた私だろうが、その意志を変えるつもりは無い。
愉快に優雅に時に毒など吐きながら、
私はこの子と過ごしてやるのだ。
* 想起 *
「問題、仮に人間が世界に一人だけ残り認識の衝突が起こらなくなった時、その人間は何を見るか」
光が来る前のいつかの日に、パチュリーはいつものように猫耳を揺らしながら談義を始めた。
猫耳が生えてからというもの、パチュリーは思考実験的な事を口にする事が増えている。
まあ、全く知らない魔方陣の構築法について熱く語られるより、いくらかリアクションは取りやすい。
多少なりとも参考になった以前と違い、全くためにはならないが。
「他に見る人間がいないのなら自分でも眺めるしかないんじゃない?パチェみたく本を読んで過ごすのかもね」
「ほとんど正解。私みたいに、だけが的確ではないわ。私が読む本は他者の記述で、自著ではないもの」
「人は一人になったら自著ばかりを読むのかしら?既存の本を読み尽くしたらそうはなるだろうけれど」
パチュリーは首を二回横に振って、言う。
「人は一人になった時点で、未知の本は一冊たりとも、未知の記述は一行たりとも無くなるの」
その言葉は静かな図書館に、妙に響いて聞こえた。
ああ、幻想郷広しといえども指折りの頭脳を誇ると信じて疑わなかった友人よ、ついに猫耳に脳までやられたか。
「いい、レミィ。この世は認識の後に付いてくるのよ。そこに何があると誰かが知る事でそれはそこに存在し始めるの。
それは、そこに何かがあるのではないかという想像から生まれるわ」
パチュリーは妙に真剣な様子で席を立ち、露骨に疑いの色を浮かべる私の目を真っ直ぐ見つめる。
私は一つため息をつく。パチェがこうなれば付き合うしかないのはよくわかっていた。
「仮にそうだとして、一度存在していたものが無くなるって事は無いでしょう?」
「無くなるんじゃないわ。
繰り返すけれど、認識の衝突に打ち勝った認識が事実となるの。
その認識をしていた大元がなくなれば認識を支える根は消える。
ほんの些細な衝突で、いとも容易く元あったものは上書きされる。
最後に残った人間は、知るもの全てを上書きしていく。
全ては彼女の思いのままに、彼女の想像するものだけが、彼女の目に映る全て」
「待った待った、いつからこの世はそんなハチャメチャなモノになったのよ。
モノがあってそこに意志が宿るなんて考え方もなかったかしら?」
「我思う、故にこの世は幻。
幻想である私達に意志が宿ってモノに触れて動かせるのだもの、きっとこの世も幻想よ。
もっとも、これはレミィや私、幻想のモノにしか確信出来ないことだけれど。
人間からすれば私達が哲学的ゾンビな可能性は否定出来ないのだし」
我が友人は魔法使いでありながら猫耳を持ちついにはゾンビでもあり得るらしい。
そんな属性てんこもりの七曜魔法使いは満足したように一つ頷き座り、紅茶を口にし、
私からの反論が無いことを確認して、再び口を開く。
いつもの多少投げやりな喋り方が戻っていた。
「ま、私達妖怪は人間がいなくなった時点で消えるのだから、
そんな最後に残された存在の孤独を知ることは出来ないのだけれど。
レミィはあの子と一緒に生きるのでしょう?なら、あの子に最後まで付き合ってやることね。
自分の想像可能な事しか起きない世界なんてつまらないもの。貴方は他人としていてやりなさい」
「妖怪じゃあ人間の認識には勝てないんじゃなかったのかしら」
「人間に、正しい認識をすると認識されている妖怪なら、話は別よ」
多分ね、知らないけれど。とパチェが小さく付け加えたのは聞かなかった事にする。
* 衝突 *
気の利いたセリフが尽きてきた。
十年後には底をつくと思っていたが、まさか五年で頭を悩ませる事になろうとは。
別に大物が毎日押し寄せてくるようになったわけでもなく、純粋に私のボキャブラリーの問題だ。
問題解決のために私は私の記憶を掘り起こしてうまく流用盗用できるセリフを探していたわけで、
なるほどそうすれば昔をなぞる夢も見るか。
思い返してみれば、くっくと自然に笑いが漏れる。
パチェ、どうやら世界はお前の推測通りに動いているようだ。
猫耳にやられて完全にイカれたかとばかりに思っていたが、やはりお前は幻想郷で一番頭のいい奴らしい。
だから私はちょっぴり意地悪をする。友人の言ってることが何もかも正しいって気に食わないじゃない?
別に気にならない日が大半ではあるけれど、今日の私はそれが気に食わない気分なので意地悪をする。
早々に退場して回想でばかり姿を現す猫魔法少女を舞台に引きずり出してやろう。
私は長く伸び毛先にゆるくカーブのかかった髪を靡かせ、
かつて赤い霧の異変を起こした頃の咲夜のように伸びた手足でもって廊下を進む。
パチュリーが今の私の姿を見れば何というだろうか。
きっと怪訝な顔をするに違いない。猫耳をぴょこんと動かしながら。
咲夜、あの咲夜に最もよく似た、ヨルだった咲夜。
今日は沢山話をしよう。出鱈目めいた、私が過ごしたと信じてやまない時間の話をしよう。
友人の話をしよう、妹の話をしよう、門番の話をしよう、司書の話をしよう、使えない妖精メイドの話をしよう。
咲夜、ずっと幼さを残して成長する様子のない、老いを知らない咲夜に、
年老いてその名を譲り渡した咲夜の話をしよう。
私達はいつだって何かに弾き飛ばされ何かを弾き飛ばしている。あっちへ向けて、こっちへ向けて。
こう押されてあっちへすっとぶ。何かにぶつかって跳ね飛ばされる。時には何かを跳ね飛ばす。
四方八方から押され続けていた頃はともかく、今ぶつかればその結果どこへ飛ぶかなんて予測が私にできるはずはない。
『自分の想像可能な事しか起きない世界なんてつまらないもの』
パチュリーはそう言ったし、私も今はそう思う。だから、ちょっとぶつかりに行ってみたくなった。
それが自然な事なのだとは思うけれど重要なことではなくて、結局の所私がやってみたくなったというのが一番の理由。
なるほど、パチュリーが熱心に話をしていた理由もわかる。
どこへ行くかもわからない衝突は楽しみだ。
なあパチュリー、それならば、
ぶつかる石は多いほうが楽しそうだとは思わんかね?
* 咲夜 *
31人の咲夜が一同に介す。この状況の負荷に耐えるため、どうしてこうなったかの経緯は、全て省く。
覚悟こそはしていたものの、どうしたものかと頭を抱えていると若いころの姿をした最初の咲夜が励ましの言葉をかけてくる。
曰く、最後の咲夜は最初の咲夜と同一人物であるから30人である。
やはり、この子はどこかズレているのだった。
30人目、最後の咲夜をカウントしなければ29人目の金髪碧眼の咲夜が言った。
「月巡る時、十六夜の月は再び昇る」
咲夜達の間で語り継がれていた伝承らしい。語り継がせたのは当然最初の咲夜である。
妙に単純なのは私への遺言に労力の大半を割いたせいだろうか。
意味も極めてシンプルで、一人の咲夜を一つの月として30の月が巡った時に、最初の咲夜が再び現れるということらしい。
「最後のあの子は平行世界から赤子の頃の私を攫ってきたのですよ」
ふふんと胸を張って最初の咲夜が言い放つ。頬をつねってやりたいが、伸ばす皺が無いのに腹が立つ。
そもそもお前は時を止める事しか出来ないのではなかったか。
「人は成長するのですよお嬢様」
ああ、この真っ向に答えるようで全く真面目に取り合う気のない切り返し、紛れも無く咲夜のものだ。
不安そうに私の裾を引っ張るのは誘拐された方の最初で最後の咲夜、この子がああなるとは成長とはなんと残酷なものなのか。
それにしてもあの惜別の別れは一体どうしたというのか。仮に別れの先に再会が訪れるという筋書きとしても、ここまで感動が無い再会というのも無いだろう。
数多の苦労の先にあるはずの感動の再会が本来ここには在るべきで、こんな突拍子も無い物語の筋を大きく踏み外している。
「しかしそういう筋を語ってしまったのはお嬢様ではないですか」
ぐうの音程度はなんとか出せた。
確かに私が書いて語った筋書きは語るに耐えない。よってここでは記さない。
事実に昇華された妄言のみを記すから、そこから私の筋書きを透かし見、笑い飛ばしてくれれば良い。
「ともかく、行くしかありませんね」
「行くってどこへさ」
「世界をしっちゃかめっちゃかにした元凶を探るのでしょう?その為に30人の咲夜が集まったのですし」
「咲夜に話したのは私なのだから元凶の居場所なんてわかってるのよ」
「ではさっさと行ってとっちめましょう」
「じゃあそれは私がやるから、咲夜、とっちめられて貰えるかしら」
「ああ、そういえば若返ったり平行世界間を移動している最中に何やら踏んづけて転んだら白い光が広がったという記憶が今」
ぽんと元凶が掌を打ち合わせて、他の29人の咲夜が一斉に咲夜を床に押し付けた。
「というわけで悪者を懲らしめて大団円のスタッフロールと行きましょう」
私はグングニル(自分の背丈の三倍ほどの屋内仕様)を生成し咲夜に向けた。
「……痛くしないでくださいね」
咲夜の苦笑に私も同じく苦笑して答える。
「ごめん、それ無理」
そういえばいつか戦った大鬼などともそのうち話をしてみたいものだ。
私は巨大なグングニルを可能な範囲でゆっくりと振り下ろしながらそんな事を考えた。
* 茶会 *
世界移動というものは存外あっけなく成る事らしい。
私が咲夜に咲夜はそれが出来ると伝えたからそうなったのだがそんな事は置いておく。
ここで大切なのは私と彼女の出会いは扉を開いた時のようにいとも容易く静謐に成された事だから、
「たまには茶会でもどうかしら、最近は全く暇でも無いけれど」
私はテーブルに体を預けて誘いの文句を投げかける。
「気が向いたら向かうわ、今は向かないから向かわないけれど」
彼女の頭には相も変わらず猫耳が鎮座する。
「第一どこに向かうのよ」
パチュリーは本から怪訝な顔を上げて言う。
「それを二人で話し合うのさ」
私はにっこり笑ってパチェの顔を覗きこむ。
「レミィがどうしてそう楽天的で居られるのかがわからないわ。
白い光の原因を咲夜に押し付けて現象を世界の分断に定めて私を拾いにきたみたいだけれど、
私が作られたものだとは思わない?
私には私があの日から閉じられたこの図書館で変わらず過ごす日が続いている記憶があるけれど、
それはレミィが大法螺を吹いた日に始まったのかもしれないし、
今レミィがここに現れた瞬間生成されたパチュリーらしい何かなのかもしれないのよ」
彼女は本をパタリと閉じて、その表紙に手を添えて言う。
「そして貴方から見た私がそうであるように、私から見た貴方もレミィであると限らない」
私もレミィに会いたいと思ってしまった、私の耳にそう小さく聞き取らせたのは私の願望だろうか。
顔を伏せて表情の読み取れない彼女に、私は答える。
「ねえパチェ、この世界パチェの話した通りになりすぎてると思わない?
親切すぎるのは人間にだけじゃないわ、私にも貴方にもなのよ」
「……認識の優先順位では人間が勝っているという実験結果は私がそうなると結果を想定していたから?」
「うん、だから私はパチェがパチェだと考えよう。
私の友人は幻想郷で一番頭が良くてよくわからない事を言って悦に入るひねくれ者で、
とんだ経緯でついた猫耳を割りと気に入っている、こんな異変くらいじゃびくともしない猫耳ヒッキーゾンビ未遂魔法少女よ」
私の言葉にパチュリーはくすくすと笑いを漏らす。
「まったく。レミィもこの上無いほどレミィね」
「私はいつだって私で変わらんさ」
「良いわ、お茶会にエスコートされましょう。どこへ向かうの?」
いつものように、パチュリーの問いに私は答える。
「全ての始まりは語り始めてしまった事なのよ。
だから語りを終えましょう。納得の行くように大団円で」
パチュリーは何かを得心したように薄く笑いながら言う。
「レミィはたまによくわからない事を言うわね」
私も薄く笑って返す。
「パチェには言われたくないな」
* 結末 *
それから私が取る行動はおそらく想像に難くないだろう。
フランと美鈴、小悪魔。それに望まれるのならば幻想郷のあらゆる誰か、或いは何かをエスコートする。
なんだったらあの大鬼や、31人の咲夜とテーブルを共にするのもやぶさかではない。
私が直接エスコートしなくとも、招待状不要・会場無限広の茶会であるから招待客同士で声を掛け合い引っ張り合い、
私の知らぬ所で茶会の人数はねずみ算式に増えていく。
人数が集まってくればぶつかり合う石も増え、概ね元の位置に収まり互いにぶつかりあってその位置を安定させる事になる。
散らばっている間は自由に動けた私もその制限に収められ、平行世界間移動だとか世界の分割だとかは元々の担当者であった紫を除いて縁遠いものに戻っていった。
空に向かって唯物論バンザイと三唱し、パチュリーと共に妖怪の生成と存在について消費されるリソースを捜索してみるなど、
もう二度と変な形に変わらないよう世界の形に楔を打ってやろうとする努力についてはそのうち気が向いたら記そうと思う。きっと向かない。
かくして私達は非常識を経て常識的とは言いがたくも常識的と錯覚できる程度に常識的な世界での暮らしを奪還する。
いつの日かまた私か誰か或いはその時の住人全員が、非常識をぼんやり望んであの白い光が現れるかも知れないが、その時はまた誰かが解決することだろう。
そしてその誰かがレミリアであることはあっても私である事は無いものと思う。
だから、これで私の物語は決着である。
最後に一つ、いつからか私が抱えていた妄想にケリをつける事にする。
私は、語り手だったのではないだろうか。
例えばここで私が『再び世界の混沌が始まった』などと宣えば再び物語りは始まり、
『実は全てが夢で、私は平凡な女子高生だった』と言えば学園生活モノへと切り替わる、そんな存在だったのではないか。
思うに私の見る世界は、それが私の願望であれ悪い予測であれ、いくらか私の思うがままで有り過ぎた。
パチュリーの理論を、なるほどあり得そうだ、と聞いていたのは私なのである。
荒唐無稽極まりない妄想だと我ながら思うが、そもそもこの物語自体がそうなのだし、
その主要人物が常道を行く必要も無いだろう。
仮に聞き手が居るのであれば、頻繁に投げ出した詳細や、畳むのを放棄して燃やした風呂敷への苦言もあるだろう。
しかしそれら詳細や燃えてしまった風呂敷の畳み方を想像して貰いたいというのが私の意見だ。
せっかくぶつかる機会を得たのだから、色々な場所に飛ばされてみたいと私は思う。
あなたの中の私がどういった道程を経てどうした未来を歩んでいくのかはあなたに任せる儘にしたい。
我儘な事ではあるが、ここまでこのような話に付き合ってくれたあなたならば聞き入れてくれるのではないかと思う。
もしそれをあなたが良しとしてくれるのであれば、ここに在る私は一つだが、もう一つの私の偶像が生まれることになる。
生まれた私は正確には私とは別の私で、私にはその私を観測することが叶わないが、
分化した私が様々な形態を取る様式を夢想するため、ここにこのような願いを記したい。
さて、既に冗長に過ぎるこの語りも良い加減に終わりとしよう。
私は語りを終えなかった私が生まれることをあまり良しとはしていない。
その私は私が好きな一文を語ることが出来ないからだ。
私はもうこれ以上おかしな事が起こったなどとは言い出さないし書き出さない。
繰り返すが、これがこの荒唐無稽に過ぎる物語の結末で、私の語りの終わりである。
そうして彼らは幸せに暮らすのでした。
読者に伝える気のない作文は日記というんじゃないだろうか。
時間を忘れて一気に読みました。
このSSを読んだことで一体何人のレミリアが誕生しぶつかりあい消えたのだろうか?
せっかくめでたしめでたしで終わらせたのに、あとがきの一文でまたループしそうです。
あと咲夜さんマジナイスキャラ!
素晴らしい作品をありがとうございました。
東方は円城塔的な文と相性はいいと思う。
こういうのがもっと増えて欲しい。
あるとは思いますが、短編一つ一つに、牽引力が足りなく感じて、読み進めるのがちょっと苦しかったです。
それに短編と短編の間のつなぎがアヤフヤで、イメージの断片を見せられているような感覚でした。
面白くなかったわけじゃないんですが。
人間原理的なSFですね。東方らしく、懐かしく、新しい。
新井素子を思い出しました。
操作不可能な「外」の存在に目をつむってしまったのではないかという疑問を投げかけたい
おみしろかったです
それを作品の形に仕上げられた作者さんがちょっと羨ましくもあります
触発されて何か、もにゃもにゃとした物を書きたくなってきました
東方の世界にのみ、有り得る、理解し得るSSと言えるでしょう。
ゆえに、彼女や彼女が愛した者の認識が優先され、
世界を望み通りに作ることが出来る。
これぞ、”運命を操る程度の能力”。
とても面白かったです!