幻想郷にも梅雨はある。おおむね六月の始め辺りからじっとりとした空気が幻たちの楽園を埋め尽くす。この時期は雨のせいで僕の無煙塚巡りもできず、普段から少ない客数が更に0へと近づくので、僕の読書には持って来いの季節でもある。時々うるさい白黒が雨宿りにやってくることもあるのだが。
そんな梅雨が始まった頃のある日、僕はいつも通りカウンターで本を読んでいた。梅雨に入る前に無煙塚で拾った本であったがなかなか面白いもので昨夜から読み始め、今ちょうど半ばまで読んだ所である。そろそろお茶でも入れて休憩を取ろうとして本にしおりを挟んで閉じた。窓越しに空を眺めると空は今にも落ちてくるのではと思ってしまうような灰色をしていた。
「これは…一雨降るかもな」
曇りだからと外に出ていた魔理沙辺りが雨宿りに来るかもしれない、手ぬぐいでも準備しておいてやろうかなと考えながら店の奥で瓦斯焜炉(ガスコンロ)で湯を沸かしていた時であった。
からんからん
店のドアに付けていたベルが鳴った
こんな日に客が?魔理沙や霊夢なら店に入るなり僕を呼ぶはずだ、と思いながら、焜炉のスイッチを切り、応対のためにカウンターに戻った。
「君は…、こんな雨の多い時期に。君達は雨に弱いのではなかったのかな」
「こんにちは店主。暇だから買い物に来たわ。ここは店なのだから客が来てくれたことにもっと喜んでもいいのではなくて?」
ドアの前に立っていたのは日傘を持った紅魔館の主、レミリア・スカーレットであった。
―――――――
レミリア、もとい紅魔館の住人達はこの店の上客である。どこぞの紅白や白黒と違い、この名前まで深紅の吸血鬼やその従者たちはきちんとお代を払って品物を持っていくからだ。
彼女はこの時期になると本くらいしか娯楽が無く暇なのだと言う。それでこの時期に室内で行える娯楽を求めてこの店にやってきたというわけだ。
「お客様が来てくれた所で申し訳ないが、少しお茶を沸かしてきてもいいかな」
「結構よ。その間に品物を見ておくわ。娯楽用品は…確かあっちの棚だったわね」
「流石常連と言ったところかな」
「褒めても何も出ないわよ」
「君の分のお茶も淹れてこようか?」
「遠慮しておくわ。私は緑色をしたお茶は苦手なの」
そう言って彼女はきれいな女の子の人形や万華鏡などが置いてある娯楽品の棚へと歩いて行った。それを見届けた後、僕はお茶を淹れるために台所へ戻った。
少しして自分の湯飲みを持ってカウンターへ戻った僕は、彼女がまだ品物を漁っていると見えたので読みかけの本を開いた。
――――――
読書は順調であった。時折彼女のいる棚から多少の物音が聞こえてくるのと、お茶を沸かしている間に降り始めた雨の、屋根を叩きつけるような音以外に耳に入る情報は無かった。
異世界に迷い込んでいる兄の情報を知っている魔女と少女が、僕の読む活字の上で言い争いを始めたころに、不意にレミリアから僕に声がかかった。
「店主、これは?」
レミリアはカウンターへ少し古びた大きな箱を持ってきた。
僕はそっとそれに触れて能力によってわかったその名前と用途を彼女に教えた。
「これの名前は人生ゲーム。用途は双六によって人生を疑似体験して楽しむ、ことだそうだ」
そういうとレミリアは少し思案顔になった後、
「じゃあ店主、今日はこれを頂くことにするわ」
「運命を操る君が人生ゲームを?運命を操る吸血鬼なんだから他人の人生なんて飽きるほどに見てきただろうに」
僕がそういうと、レミリアはクスリと笑った。
「店主は、私のこの『運命を操る程度の能力』についてどう思う?」
「どう思うって。それこそ自分の思い通りの未来を得られる能力じゃないのか?」
運命とは今より先にあることを定めるものである。それを改変できるのであれば、自分の思い描いた未来を実現することだって可能なはずだ。
「半分は正解よ。確かに私の能力は私が欲しい未来の結果を得ることができる能力よ」
「半分、ということはもう半分があるのだろう?」
「そう急かさなくとも教えてあげるわよ」
レミリアはそこらへんにあった手ごろな大きさの壺を動かして、ふちに溜まったほこりを払った後、椅子代わりにしてそれに座った。
「さて、その半分なんだが、実は私は本当に望みどおりの結果を得られるわけではない」
「なかなか興味深い話だね」
「私の能力は簡単に言ってしまうと幾つか用意された結末のうちから好きなものを選び取ることよ」
「というと?」
「私は能力を使うことでこの先の私の指定した頃合いの様子を幾つか見ることができる。幾つかっていうのは、その時に至るまでの人間や妖怪たちの行動によってもたらされる結果が変化するからよ。そして私はその中から私にとって好ましい結果を選んでその結果の原因となったことを起こすわけ」
「なら質問なんだが、どうして紅霧異変の時、君は霊夢に負けたんだ?君が敢えて君の敗北という結果を選ぶとは到底思えないんだが」
「さっきも急かすなと言ったでしょう。それは原因が二つあるわ。一つ目はまず、霊夢自身が特別なこと、もう一つはあの時は私に負ける未来しか残って無かったのよ」
「霊夢は世界から浮いている、だから君の能力による未来観測の範囲に含まれない、ということかい?」
「そうね、おおむねそれで合ってるわ。私の能力でも、彼女については見えにくい。そしてもう一つの理由なのだけれど、私が未来を視た時にはどの弾をよけようとも、そのよけた先で私に当たる弾の無い未来が無かった。詰まる所、私がどれだけ努力しても私の勝利という未来を得られることは無かったっていうこと」
言い終えるとレミリアはこれで満足かというかのように目を伏せて例の大箱に向けた。
「しかし、それでもまだ疑問が残る。君の能力が言った通りであれば霊夢が君の現れる前から予め徹底的に準備をしておいて、霊夢との弾幕勝負に臨めばきっと君の勝っていた未来があったんじゃないのか?」
「フッ、ハハハハハ」
レミリアは急に笑い出した。降りしきる雨の音に少女の笑い声が混じる。
「別にそんなに笑うことはないじゃないか」
「フフッ、すまなかったよ店主。あまりにも私が思っていた通りのことを言ってくれるのでな、おかしかったんだ」
「それこそ僕の言動をお得意の能力で見たうえで誘導したんじゃないのか」
「そんなくだらないことに私は能力を使ったりしないわ。意外と疲れるのよ、能力を使うのって」
「こっちはまじめなのにくだらないことというのはどうなんだ」
「まあいいだろ、そんなこと。話を戻すわ。店主は『風が吹けば桶屋が儲かる』、という諺を知っているかな?」
「話を元に戻すんじゃなかったのか?これじゃまたそれてるじゃないか」
「それてないわよ。じきに解るわ。それより、知ってるの?知らないの?知らないんだったらそこから説明しないといけないのだけれど」
僕の必死の悪態もあっさり突っぱねられてしまったので僕はしぶしぶ答えた。
「そんなこと知っているに決まっているだろう。君より短いとはいえ何年生きて、何冊の本を読んでると思ってるんだ。風が吹くと砂埃が立って、それが目に入って盲人になる人が増える。するとその盲人が引く三味線が沢山必要になり、それに張る猫の皮が必要になって猫が減る。猫が減るとネズミが増えて桶をかじる。するとかじられた桶を買い替える客も増えて桶屋が儲かる。つまりは一つの出来事から思わぬ結果が生じるってことだろう。」
説明を終えて喉が渇いたので湯飲みに淹れてきたお茶を飲む。流石にぬるくなっていた。
「正解。よくわかってるじゃないか。じゃあ私が何で霊夢に勝つ準備ができなかったかもわかるだろ?」
「何を言ってるんだ。ちゃんと説明をしてくれよ」
「世話のかかる奴だ。風が吹いただけで桶屋は儲かるんだ。これはもののたとえではあるが、現実に些細なことが結果的に大きな変化、出来事を生み出すことは多々ある。これだけ言えば分るだろう?」
そこまで聞いて、僕の頭にはやっとレミリアの言わんとすることが理解された。
「つまり、君は未来を読めるが読む未来は選べない、だから今より先を視れると言っても時間的に遠い時点のことを読もうとするとすさまじい数の未来が視えてしまい結局何の役にも立たない、そういうことかい?」
「正解、やっと店主も解ったか。店主の言うとおりで大体あってるよ。些細なことで色々な結果はもたらされるから、私が参考にできる時点は大方一日先から一日半先が限度だろう。それに視た未来をもたらす原因についても調べないといけないしな。意外と使えない能力なんだよ」
ハハッとレミリアの自嘲するような笑い声が響く。以前外は雨の音が騒がしい。
「それに、読めるからと言って明日を視て行動するのは、台本通りに動いてるみたいで癪なんでね。そもそもこの能力は本当に必要な時しか使っていない。霊夢がうちに来るのがもし分かったとしてもそれはせいぜい霊夢の来る一日前、それにこちらは霧の維持までやってるのにあの巫女の弾幕の対策なんてやる暇はないね」
「君の能力についてはおおむね解ったよ。その能力がありながら君が自由自在に欲しい未来を得られない理由もね。ところで、話を巻き戻すようで悪いんだが」
「なにかな?」
「どうして『人生ゲーム』なんだ?娯楽品なら他にもっと色々あっただろうに」
「そういえばそんなことを話していたな」
レミリアは僕に向けていた深紅の瞳を、また『人生ゲーム』の大きな箱に向けた。
「双六、っていうのは賽、このゲームの場合はルーレットかな、を振って出た目だけ進んで止まったマスに書いてあることを受け入れないといけないだろ?」
「確かにそういうルールの遊びだからね。そこに理由があるのかい?」
「そうさ。このゲームは遊んでいるやつらみんなが自分の欲しい結果の得方を知っている。ただ単純に自分に有利なことの書いてあるマスに止まれるように賽の目を出せばいいのだからな。だけどそれは並大抵のことじゃないし失敗することがほとんど。それでも自分ならその目を出せるって思って賽を投げる姿を、私は眺めていたいのさ」
「希望を胸に抱いていても無理なものは無理だと、そういうことを示せるから双六を選んだ、ということかな?」
「そうだと今言ったばかりじゃないか」
「さながら出る目を分かっている者みたいな楽しみ方だね」
「それもさっき言っただろう」
「そうだね、君は『運命』を操る吸血鬼、さっきの僕の言は無駄だったようだ」
自覚があるならわざわざ言う必要も無かっただろうに、とぼやきながらレミリアは壺から降りた。
「そろそろ帰るわ。咲夜が館で待ってる。お代は今度咲夜が来るだろうからその時に一緒に貰っておいて。今日はなんだかんだでいい暇つぶしになったから箔をつけておいてもいいわ」
「それはありがたいな。ではこちらも君の興味深い話のお礼に多少サービスするとしよう」
そういうと僕は店の奥から赤い風呂敷を持ってきた。
「箱のままじゃ持ちづらいだろうから風呂敷で包んでおくことにするよ」
「それはありがとう。」
「それより君、雨は大丈夫なのか?君の持ってるそれは日傘だろう。店のを一本貸そう」
「その必要はないわ。」
そうレミリアが言うと、窓の外が明るくなり始めた。
「これも君の能力かい?」
「さあ、それはどうでしょうね」
レミリアはいたずらっぽく笑った。
「では店主、そろそろお暇させて頂くわ。今日はありがとう」
「こちらこそ、またのご来店をお待ちしております、お客様」
レミリアは左にに四角い風呂敷包み、右に日傘という奇妙ないでたちで店から出ようとして、何かを思い出したかのようにこちらを振り向いて言った。
「そういえばなんでこれを選んだのか、もう二つ理由があるから片方だけでも教えてあげてもいいわ」
「では最後にお聞かせ願おうか。片方だけ」
「出る目を操れない苦悩は私が運命を思いのままにできないやるせなさに似てるのさ。他の連中にも私の気持ちを味あわせてやろうと思ってね」
「それはまた、流石は『鬼』と言ったような酷い理由だね」
「そうだろう。さてこれで本当に最後だ。では、またの機会に」
レミリアはこちらに一礼した後、ドアを開けて出て行った。外で傘の開く音がした後、僕はまたカウンターで活字の世界へと旅立つのであった。
なかなか楽しめましたが、すこし単調だった気もするのでこの点数で。
次作を楽しみにしています。頑張ってください。
そして幸運のメカニズム読んだほうがいいですよ。
お嬢様の能力はこんなかんじなんじゃないかなあ。あと小悪魔こっちおいで。