※はじめに
東方でサスペンスドラマ的な物を目指した小説です。
前回の パチェコア事件簿『嘘(前篇)』 からの続きです。また、作品集166の パチェコア事件簿『殺人神遊び』 からも事件を引き継いでいるので先にお読みいただければ分かり易いと思われます。
首を吊った村紗水蜜が一命を取り留めたという報は射命丸文を通してすぐさまパチュリーに知らされた。
パチュリーはすぐに永遠亭に向かうと村紗と対面した。
パチュリーと小悪魔の顔を見ても村紗は表情を変えず、いつも以上に白い顔を向けた。
「あなたが無事で何よりよ」
村紗は無言のままだった。パチュリーは不審に思う。
「どうして首を吊ったりなんかしたの」
「……懺悔よ」
村紗の答えは短かった。
「懺悔?」
「聖を殺したのは私だよ」
その言葉を聞いた時パチュリーは驚きを露わにした。傍らにいた小悪魔も目を見開く。
「あなたが?あなたが犯人だというの」
「……そうだよ。私が犯人さ」
人間の里で起きた連続水死事件は自分の仕業で、それを聖が突き止めそうになったので殺害した。村紗はそう証言した。そしてそれっきり何も語らなかった。
「どういう事でしょうか。犯人はナズーリンさんなんじゃないんですか?」
帰り道、小悪魔は疑問を口にした。
「私の推理はあくまでも推測にすぎなかったわ。村紗が犯人でもナズーリンが犯人でもあり得る事よ。だけどあんなまどろっこしいアリバイ偽証トリック、誰かを陥れるためのようにしか私には感じられなかった」
聖白蓮が殺害された時、村紗は幽谷響子を利用して虚偽のアリバイを証言させた。パチュリーは最初そう推理した。しかし、村紗がとった一連の行動、そしてパチュリーが推理する過程も全てナズーリンにより意図的に誘導されていた物だとパチュリーは考えている。
もっとも、それを証明する術は無く、この推理を聞いているのも村紗とナズーリンだけである。一度誤った推理を皆の前で披露してしまった事への戒めからそうしたのだが、他の誰にも事実の一端を知らせないまま村紗は自分が犯人だと言って首まで吊ろうとした。現状一切の証拠を持っていないパチュリーは真相への橋頭保を失った事になる。しかし村紗がそうした理由も動機も一切不明であった。ただ、自分が犯人であると語るだけである。
パチュリーはさらに思案する。
「何より解せないのが何故このタイミングで自白などしたかよ」
小悪魔は回想した。確かに最初村紗を犯人だと思って追い詰めた時、村紗は自白どころか一切何も語らなかった。
ところが、真犯人と思しきナズーリンを問い詰めると自殺未遂までして自分が犯人だと言い張る。
「分かりました!村紗さんはナズーリンさんを庇ってるんですよ」
しかしパチュリーは冷めた視線を送る。
「普通に考えればそうね。でも何のために?共犯だとすればもっと効率のいい方法があったはずよ。ましてやナズーリンが罪を被せたのなら、自分に罪を被せようとした犯人を助ける道理なんてありもしないわ」
そんな事を言われても小悪魔だって知らない。不貞腐れたように言う。
「じゃあ愛ですよ。愛ゆえにナズーリンさんを庇ってるんです。だったら道理なんていりませんよ」
パチュリーは黙った。小悪魔は自分の迂闊さを呪った。魔理沙とアリスのラブラブツーショットが報じられたばっかりなのに「愛」だなんて口に出してしまうとは。
パチュリーは神妙な面持ちで小悪魔の方を向いた。
「小悪魔……」
「ヒィ!……なんでしょう」
恐る恐る訊ねる。
パチュリーは決して表情を崩さず。
「あなたは中々突飛な事を言うけど、実はそれが核心をついていそうなところがあるわね」
「……はい?」
パチュリーはスピードを上げて命蓮寺の方へと飛んだ。小悪魔も訳が分からず続く。
命蓮寺につくとパチュリーは早速裏に回って勝手口から中に入る。
「ちょっとパチュリー様!何やってんですか」
見咎めた小悪魔が制止しようとするがパチュリーは構わず奥へと進む。裏口に残っているわけにもいかず小悪魔も慌てて続く。
慣れた足取りで廊下を進み、付いた先は村紗の部屋だった。
パチュリーが部屋のドアを開ける。勝手に入ってしまっては今更だ。小悪魔は主を押すようにそそくさと中に入ってドアを閉める。
村紗の部屋も命蓮寺の他の部屋と同じく畳の間であった。だが自分で改造したのか窓枠は船の物のように不格好な丸型であったし、ベッドまで置かれていた。
壁に飾られている錨に輪っか状にしたロープが引っかかっている。
「これが首を吊ったロープでしょうか」
それを見ていると何だか小悪魔も息が苦しくなってきた。
「ね、パチュリー様」
同意を求めて主の方を振り向いてみたが、パチュリーはロープには見向きもせず机の引き出しを漁っていた。
「ちょっ、ちょっとパチュリー様!駄目ですよ、そんな勝手に!」
「あなたも存外に煩いわね」
言いながら次の引き出しをあける。下から順番に調べる泥棒仕様な漁り方だ。
「何か手掛かりがあるかもしれないでしょ」
「そうかもしれませんけど……あぁっ」
他人のプライバシーを覗き見るのは小悪魔とて気が引けた。しかしそんな事を思っているそばからパチュリーは次々に引き出しの中を漁る。
一番上の引き出しをあけた時、パチュリーの目に銀色の懐中時計が止まった。
本体と同じ銀色のチェーンを持ってつまみ上げる。
「銀時計ですか?咲夜さんと同じ趣味ですね」
「これと同じものを見た記憶があるわ」
「え?咲夜さんじゃないですか?」
パチュリーは記憶を弄った。銀の時計などそうそう出回っている物ではない。さほど溯る事なく思い出した。
「ナズーリンが同じものを使っていたわね」
言われて小悪魔も思い出した。パチュリーが村紗を追い詰める時ナズーリンが銀時計で時間を見ていた事を。
「そう言えば持ってましたね」
蓋を開けてくまなく調べてみるがなんの変哲もない懐中時計だ。
「村紗がナズーリンと同じものを持っている。果たしてどういう事かしら……」
「ただの偶然ってわけでは無さそうですね」
小悪魔もそれが珍しい物だということはわかっていた。
「小悪魔、ちょっとこの時計について調べてきて頂戴」
「え?私がですか?」
「その間に私は行きたい所があるのよ。それに、そんな物を扱ってる店には心当たりがあるわ」
小悪魔を送りだしたパチュリーは1人でナズーリンが暮らしているという小屋を訪ねた。ちょうど家主は何処かに出かけておらず、パチュリーは好都合とばかりに命蓮寺でやったのと同じく無断で家の中へと上がり込む。
室内は拾ってきた物品で溢れかえっており狭い家をますます狭くしている。パチュリーには用途のわからない物もあった。
何か目ぼしい物はないか。
周りを見渡すパチュリーは棚の上に置かれた缶の箱を手にとって中を開けてみた。
「写真ね……」
缶の中に無造作に収まった写真の束を一枚一枚確認していく。
「……無いわね」
星が写っている写真、村紗が写っている写真、マミゾウが写っている写真、命蓮寺のほぼ全員の写真があるのにどういうわけか白蓮の写った写真だけは見つける事ができなかった。
真犯人がナズーリンだとすれば、白蓮の事を殺したい程憎んでいたのなら、写真が一枚も無いのは納得ができる。
写真を元の場所に戻し今度は机に山積みにされている紙の類を調べる。
やはりと言うべきかプリズムリバーライブのパンフレット。そしてもう一枚、画用紙に描かれた絵が紙の間に挟まっていた。
それは稜線に沈む夕日を背景に湖を描いた物であった。だが、夕暮れ時を描いたにも関わらず湖の水は赤に染まっておらず、塗り方も雑でとてもセンスのある物とは思えない。
「絵は下手くそだったみたいね」
呟きながらもパチュリーは見つけた絵を頭の片隅に留めておいた。
紅魔館に戻ると程なくして小悪魔も戻ってきた。
その表情は明るく、どうやら調べさせていた事が思い通りの結果を得た事を確信する。
「パチュリー様のおっしゃる通りでしたよ。やっぱりこの銀時計は香霖堂で扱っていた物だそうです」
「やっぱりね。で?」
「はい。これは一週間前にナズーリンさんが二つ購入したものです。なんでも友に贈るだとか言っていたようで」
「一週間前に友にねぇ」
「その友というのが村紗さんだったんでしょうか」
「陥れる者を友とは呼ばないわ」
「え、じゃあ」
「最初から陥れるつもりなんて無かったのかもしれないわね。あの2人はやっぱり共犯だったのよ」
翌日、永遠亭の病室では村紗のベッドの横にナズーリンが座っていた。
「体の調子は大分戻ってきてるそうじゃないか。明日には退院できると先生が言ってた」
自白をした事で犯人として確定した村紗の監視役、ナズーリンはあくまでも事務的に伝えた。
「そう……」
「御主人は君をもう一度地底に封じると言っている」
「地底……ね」
村紗は寂しく呟いた。ナズーリンは押し黙って村紗の横顔を見つめている。
「少し喉が渇いたなあ。ナズ、お水貰ってきてくれる?」
「……ああ」
ナズーリンが部屋を出て行く。
村紗はため息を一つついた。
果たして回復を喜ぶべきなのか。真相は全て墓の中まで持って行くと決めたのに。そもそも幽霊が死んだらどこに行くのだろう。成仏したら天界に行けると聞くが、それでは駄目だ。天界ではきっと追いかけてくる。
と小悪魔がコソコソとした動きで病室に入ってきて部屋の外に向かって手招きをした。その動きは可愛らしい物であったが招かれて入って来るであろうパチュリーの顔を思い出すと村紗の表情は暗く沈む。
きっとどこに居ても追いかけてくるんだ。村紗は思った。
そして案の定パチュリーは小悪魔に続いて病室にあらわれた。
「何度来ても言う事は変わらないよ。犯人は私なんだ。それが真実なのよ」
出鼻を挫いてやる。村紗は変わらぬ主張を告げた。
だがパチュリーは村紗の部屋から持ってきた銀時計を取り出す。
「あなたの物で間違いないわね」
銀時計を見た瞬間だけ村紗は驚きの表情を浮かべた。
「そうだよ。勝手に人の部屋を見たんだね」
パチュリーは構わず続ける。
「そしてこれはナズーリンが一週間前にあなたに贈った物。一週間前と言えば犯行の直前よ。あなたとナズーリンの間には何か特別な絆があったようね」
村紗はこの探偵が自分達の真実へと足を踏み入れようとしている事を感じた。だが、その一歩を逆手にとり反撃へと出る。
「だったらそれで証明できたじゃない。ナズが私を陥れようとなんてしないって事。私が聖を殺したのには関係がないよ」
「そうかしら。私はこれが共犯の証としか思えないのよ」
村紗の瞳を真っ直ぐに捉えながらパチュリーは続ける。
「ずっと、聖がどうやって殺されたのか考えてきたわ。背後からの一突き。それを実現させるには聖の気を引きつけておく必要があるわ。あなたが聖と話をしている時に、ナズーリンが背後から近付き包丁で刺す。実行役のナズーリンはトイレに行く程度の時間で犯行を済ますことができるのよ。もちろんそれには2人の時間を正確に合わせておく事が必要。そのための銀時計」
村紗はパチュリーの視線から逃れるように目を閉じた。
「犯人は私よ」
「いつまでそれを繰り返すつもりかしら」
「いつまでもよ。それが事実なのだから」
まるで決意のように言う村紗。語る事は無く無言でお互いの顔を見合う。
静寂をドアの開く音が破った。
「何してるんだ君達は!」
かみつくように言ったナズーリンはパチュリーが持つ銀時計に気付くとそれを奪い取った。
「出て行ってくれ!」
取りつく島を与える事なく2人の他所者を追い出す。
村紗は安堵した。だが同時に不安も込み上げてくる。
ナズーリンは扉を閉めると肩を震わせ大きく息をしていた。そして取り返した銀時計を乱暴に村紗に返す。
「船長、捨てるように言っただろ!なんで持ってたんだ」
「捨てられないよ。そんな高価な物。ぬえへの形見にはちょっと豪華すぎるけどね」
言いながら村紗は苦笑した。
ぬえへの形見……必死すぎてそんな事考えてもみなかったな。お別れに何か渡しておこう。案外大切にしてくれるかもしれない。
そんな事を思うと可笑しく思えてきた。だが今はそれどころではない。
「それよりもどうするの?あの2人、私が墓まで持って行こうとした事実に大分気付いてるよ」
「君のせいで私の計画はめちゃくちゃさ」
言いながらもナズーリンはいつもの冷静さを取り戻したようだった。
「計画ねぇ……私の覚悟をそうまで言わなくてもいいじゃないの」
不平家然とした口調で言ってもナズーリンは笑いはしなかった。
「手は打つよ。だから船長はもう余計な事はしないでくれ。もう満足しただろう」
「満足ね……」
村紗は小さく呟いた。
永遠亭を出たパチュリーと小悪魔は人間の里を経由して紅魔館へと帰ろうとしていた。竹林から歩いて帰ろうとすれば必然的にそういう経路になる。小悪魔としてはついでに買い物でもしてから帰りたかった。
「そう言えばパチュリー様は私が香霖堂に行っている間何してたんですか?」
「ナズーリンの家に行っていたわ」
「また。勝手に入ったんですね」
小悪魔は直感的に感じたが咎めるつもりは無かった。真実を追求する時のパチュリーは何を言っても聞かない。勝手に家に上がり勝手に物を漁る。しかしいつか人の心にまで土足で入るのではないかと不安に思う時があった。
「ナズーリンの家には聖白蓮の写真だけ無かったわ。文に聞いてみたけど、写真は焼き増しして命蓮寺の全員に渡したそうよ。その中にはもちろん聖の写真もあったそうだけどナズーリンは持っていなかった……」
「やっぱり犯人はナズーリンさんなんでしょうか」
「何かしらの動機を持っていた事は事実ね」
と、小悪魔は見覚えのある通りに入った事に気付いた。
ここは……
「あっ!」
突然声を上げたのでパチュリーが驚いて振り向く。
「どうしたの?」
「パチュリー様、回り道しませんか?向こうの方から美味しそうな匂いが……」
「何も匂わないけど?」
そう言いながら周囲を見渡したパチュリーは気付く。
「ああ、ここアリスの店がある通りね」
あちゃ~。と、小悪魔は手で顔を覆った。
パチュリーの恋のライバルだったアリス・マーガトロイドが慈善事業と暇つぶしのために開業したオープンカフェ『enfer(魔界)』がある通りだ。数日前に小悪魔がアリスの店と知らずにノスタルジーに駆られて連れてきたという経緯がある。もっともその時のパチュリーはアリスと魔理沙のラブラブツーショット報道など知らなかった。
「小悪魔は私が魔理沙とアリスの事を気にしてると思ってるんだろうけど、私は気にしてないわよ」
嘘をつけ。小悪魔は心の中で呟いた。最初にその記事を見た時気を失ったのはどこのだれだ。
しかしそれ以上に小悪魔には店に近づきたくない理由があった。
初めてそこで飲食した時に盛大に食い逃げを働いてしまったのだ。だがあれはパチュリーが悪い。
小悪魔が言い訳を巡らせているとパチュリーはいつの間にか店の方へと近づいて行った。慌てて連れ戻そうとしたが敢え無く見つかる。
「出たわね食い逃げコンビ」
「食い逃げ?」
パチュリーは眉を顰める。パチュリーの中では小悪魔がお代を立て替えていたつもりだが小悪魔の発給でそれは無理だった。
小悪魔は苦笑いをしてかわそうとした。無論アリスはそんな食い逃げ犯に厳しい視線を送る。
パチュリーはそれらを全て無視し
「そんな事より、魔理沙をよろしく頼むわ」
唐突に発せられた言葉にアリスはたじろいだ。それは小悪魔も同様だ。
アリスはすぐに文々。新聞に出た記事の事だと理解した。
「パ、パチュリー、あなた誤解してるわよ」
普段ならそこで「ようやくあなたも分かったようね」と高飛車に出るアリスが明らかに動揺している。小悪魔は調子に乗って反転攻勢に出た。
「誤解だなんて、本当は誤解で無い方がいいんじゃないんですか?」
ニヤニヤと笑いながらアリスに近づこうとするが、それはパチュリーに阻まれた。
「小悪魔、そういう質問の仕方は卑怯よ」
「えっ?あ、はぁ」
なんだか調子が狂う。
「私は魔理沙が幸せならそれでいいの。後はあなたにお願いするだけよ」
「……そう、そういうつもりならそうするけど」
アリスも調子が狂わされているようだ。心を落ち着かせるように一息つく。
「悪いんだけど、片付けの邪魔になるから出て行ってくれるかしら?」
「片付け?」
言われて小悪魔は気付いた。店には客が1人もいないどころか開店もしていないし何よりアリスは店の荷物をまとめていた。
「アリスさん夜逃げでもするんですか?」
「そういう言葉を食い逃げした奴から聞きたくないわね」
それを出されると小悪魔は弱い。
「店を閉めるのかしら?」
「あなたも食い逃げ犯よ」
とは言いつつアリスは店を閉める本当の理由を話す事にした。パチュリーに経営の才覚が無いと思われるのは癪だった。
「言ってしまえば風評よ。向かいの蕎麦屋が亭主は妖怪に殺されたって騒いでるのよ。そんなんで私の所にお客が来る?」
「でもあなたは里ではそれなりに信頼されてるじゃない」
「そうね。そういう人は来てくれるけど、常連さんはみんな人形劇に来る子の親だもの。人形劇を見てくれない人を引き込みたかったのに、これなら人形劇だけで十分だわ」
アリスはアリスなりに人と妖怪の融和を進めているのかもしれない。アリスが人間の信頼を得れば得る程、妖怪という存在をより安心できる隣人としてPRする事ができる。理想や理念から融和を唱えた聖白蓮とは違い、黙って実益から与えたアリスのやり方はとてもアリスらしく思える。
買被りすぎかもしれない。全ては想像の内の事。パチュリーはそう思いながら慈善事業という言葉に納得した。
「それは大変なお向さんを持ちましたね」
「私はいいわよ。命蓮寺の村紗なんて容疑者筆頭でしょ。可哀そうに」
「やっぱり村紗は連続水死事件と関わりがあると思われてるのね」
死因が水死という点、現場に残された笹舟、怪しまれるのも無理からぬ事だ。
「そうね。でも一月以上も前の長老が死んだ時から怪しいなんて言う人もいるけど、あれは言いがかりよ」
「言いがかり?」
「だってあのセクハラ爺は足を滑らせただけの事故でしょ」
「長老さんアリスさんにもセクハラを――」
「事故?里ではあれは事故だと扱われてるの」
苦笑しかけた小悪魔だったがパチュリーがその続きを言わせなかった。
アリスは首を傾げながら答える。
「そうなんじゃないの?まさかパチュリーは村紗が犯人だって噂信じてるの?」
小悪魔は主の顔を見た。慧音から口止めされている事を言ってしまうのではないかと不安になる。しかし、パチュリーは何も答える事なく
「そういう噂があったのね……」
と、呟いただけだった。
アリスと別れてから小悪魔はパチュリーに訊ねてみた。
「パチュリー様さっき何か閃いたみたいですけど、何なんです?」
「閃いたというのは妙な言い方ね。気付いただけよ」
「すみません。で、何に気付いたんですか?」
「村紗が疑われていたって事よ」
何を今更という顔をしている小悪魔にパチュリーが説明をする。
「連続水死事件の事を言っているんじゃないわよ。それより以前から聖白蓮は村紗の事を疑っていたんじゃないかしら」
しかし小悪魔は冷静に反論した。
「でもアリスさんが言っていたようにそれはただの噂ですよ。白蓮さんがそれを信じたって言うんですか?それに犯人は私達が突き止めたんです。村紗さんもそれは知っていますし否定できたはずです」
「その疑問の後者の方から解いてあげるわ。慧音はあなたや文に対して長老が死んだ事件を口止めしていたわよね。そして村紗にもそうしていた。当然、里と関わりの深い命蓮寺なら小悪魔よりも早く口止めしていたはずよ。それこそ事件の直後くらいでね」
それは頷ける話だった。パチュリーは一拍置いて続ける。
「秋の収穫のためか故人の名誉を守ろうとしたのか、慧音が口止めをした理由はこの際いいわ。村紗はその口止めを義理堅く守っていたのよ」
仲良く見えるぬえも村紗が事件に巻き込まれた事を知らなかった。
「パチュリー様の仰りたい事は分かりました。村紗さんは内緒にしていたから立場が悪くなったんですね」
小悪魔は頷きながらパチュリーが続けるのを待った。
「そして何故聖白蓮が村紗を疑う事になったのか。ただの噂なら信じたりはしなかったでしょうね。……でも、例えばもし、密告という形で聖の耳に入ってきたとしたら」
「密告……ですか」
誰かが長老の死は村紗の仕業だと告げたとしたらそれは村紗を貶めるためなのか。しかしパチュリーの推理では、当初真犯人と思えたナズーリンは村紗と共犯だ。2人が結託して密告を信じた白蓮を害したとしたら、それとは別に白蓮に密告をした黒幕が存在することになる。
「何にせよ真相を知る白蓮さんがお亡くなりですからね」
小悪魔は落胆の声を漏らしたがパチュリーは違った。
「いえ、もう1人村紗に対して一定の疑念を抱いていた人物がいるわ。寅丸星よ。彼女なら何か知っているかもしれないわ。確かめましょう」
パチュリー達は命蓮寺に着くと迷わず寅丸星を訪ねようとした。だが庭先を通って侵入しようとした2人は敢え無く縁側で寝転がっていたぬえに見つかってしまった。
「泥棒」
2人を見て呟いたぬえ。小悪魔は無言で主の方に視線をやった。
どうやってこの場を切り抜けるのか。
しかし、ぬえは別段怒る様子も無かった。
「ちょうど真面目な一輪はいないよ。村紗の見張りだって……」
最後の言葉は寂しさを滲ませながらだった。
「だから好きにあがりなよ」
投げやりに言うと再び縁側に横になる。
お言葉に甘えて。と、小悪魔があがろうとする中でパチュリーは訊ねた。
「あなたは見張りには行かないの?」
ぬえは顔を上げる事なくそのままの体勢で答える。
「行かないんじゃなくて行けないの。私が見張りに行ったら村紗連れだして逃げちゃうからって」
そう言って顔を下に向けた。
泣いているのだろうか。この先親友と会う機会が訪れるか定かではないというのは酷い仕打ちだと小悪魔は思った。
パチュリーはもうこれ以上は何も言わずに寺に上がる。
小悪魔は小声で
「パチュリー様、もっと何か声をかけてあげてくださいよ」
慰めの言葉くらいかけてもいいだろうというのが小悪魔の感想だった。しかしパチュリーは無言で感情の籠っていない視線を小悪魔に向けた。
「少し冷たすぎると思います。悪いとこですよ」
視線を逸らせながら主に率直に伝える。
「あなたは少し感傷的すぎるんじゃないかしら」
すぎると言われてしまえばそうなのかもしれないが……
小悪魔はまだ何か言いたげであったがパチュリーはこれ以上人格について討論するつもりは無かった。小悪魔にもそれは伝わったのかこの話題には触れる事なく星を探す。
寅丸星は命蓮寺の本堂で座禅を組んでいた。
何者かの気配を感じて閉じていた目を開くと、パチュリーと小悪魔の2人組が本堂の入口に立っている。
「どうしたんですかパチュリーさん。犯人は村紗と分かり、あなたの疑惑は晴れたのに」
パチュリーがこれ以上命蓮寺に用があるとは思えなかった。
「まだ、調べ足りない事があるのよ」
星は眉を顰める。
「事件は解決していないという事ですか?」
「それを明らかにするために教えてほしいのよ。あなたや聖が村紗に疑いの目を向ける事となった原因を」
星は視線を落とし何も言わなかった。パチュリーは星の心当たりを探り当てようと次の一言を告げる。
「そう、例えば長老は村紗が殺したっていう密告とか」
下を向いていた星の目がハッと見開かれた。
「それが、何か関係しているのですか?」
「密告はあったのね?」
星は何も言わなかった。固く閉ざされた口が開かれるのをパチュリーはジッと待つ。
「いえ、そのような事があっただなんて私は聞いてません」
きっぱりと言い切るあたりにパチュリーは怪しさを感じた。
「果たしてそうかしら、あなたは――」
言いかけた時、ドンと、大きな音がパチュリーの言葉を遮る。音のした方を振り返った小悪魔はハッと息を飲んだ。
「ナズーリンさん!」
今しがた足で床を叩いて言葉を遮ったナズーリンはパチュリーをきつく睨んでいる。
「船長の次は御主人かい?君達も忙しい事だな」
強い口調の皮肉は咎めているとしか思えない。
それに対してパチュリーも言い返す。
「ええ、誰かのおかげでね」
星の方をチラッと見たナズーリンはここで舌戦をするのはまずいと感じた。
「悪いがこれから御主人に報告することがあるんだ。出ていってくれないか」
パチュリーは何とか食い下がろうと星の方に目をやった。だがナズーリンが間に割って入るように立ちふさがる。
「さぁ、出ていってくれ」
念を押すように言われる。これ以上は無理だった。
本堂から出ると小悪魔がパチュリーに向かって呟いた。
「また、ナズーリンさんに邪魔されましたね」
「ええ。でもそれは、私達が真相に近づいてる証拠でもあるのよ」
パチュリーは確かな手ごたえを感じながら図書館へと帰る事にした。
「それでナズーリン、報告とは何ですか?」
パチュリー達を追い出した本堂で星が訊ねる。
報告というのはあの2人を追い出すための方便であった。だが星にそう言う事は憚られた。
「船長の様子に変わりはなかったよ。一輪を交代にくれて感謝する」
とって付けたような報告を済ませる。
「報告ってそれだけですか?」
そう訊ねる星の表情は不安そうに見えた。
パチュリー達を追い出すために言った。星はその事に気付いている。ナズーリンは不安を吹き飛ばすようにハッキリとした声で言う。
「大切な報告だよ」
「……そうですね。大切な事でした」
星は視線を下に落としながら言った。
ナズーリンにはまるで星が自分自身に言い聞かせるように言っているように思えた。その事がナズーリンに質問の言葉を言わせた。
「御主人はパチュリー達に何を聞かれたんだい?」
星は押し黙って答えなかった。ナズーリンの中で不安がますます広がっていく。
やがて星は縋るような眼でナズーリンに問いかけた。
「……『あの事』と、事件は関係ないんですよね?そうですよね」
寅丸が言う『あの事』それを思い出しただけでもナズーリンは抑えられない程の怒りが込み上げてくるのを感じた。
ギュッと拳を握りしめたが、すぐに力を解いて星の肩に乗せる。
「ああ、関係ないよ」
ナズーリンには星が動揺している事が分かった。だからこそその不安を取り除いてやりたかった。星はナズーリンの手を握った。
「信じていいんですね?犯人は村紗なんですね?」
ナズーリンは一瞬言葉を躊躇った。
「……ああ、そうだよ。……御主人の言うとおりだ」
そう言う自分に嫌悪感すら抱く。
犯人は村紗。
ナズーリンは明確にこの場からいなくなりたい衝動に駆られて星の手を放した。
「待って!」
放した手を再び掴まれる。
「寺に戻ってきませんか?……ナズに側に居てほしいんです」
その申し出にナズーリンは応える事ができなかった。
パチュリーが唱えるように白蓮を殺害したのはナズーリンであった。そして村紗は今、ほとんど身代りになるように罪を被っている。
それなのに、自分がどうして命蓮寺で過ごす事ができると言うのだろうか。
「……そのうち、また考えておくよ」
今つける嘘はこれが精一杯だった。
歯切れの悪い言葉に星の不安はさらに大きくなっていった。
その夜、パチュリーは事件について整理していた。
聖白蓮の下に寄せられた村紗に対する密告。
星の反応からしてもこれは実際にあったと考えられる。そして白蓮はその密告を真に受けて村紗に疑惑の目を向けるようになった。村紗が身の危険を感じたとしたら動機にはなる。
「でも、いくら疑われていると言ってもそれだけで殺したりなんかするかしら……」
決定的な動機ではない気がする。
それに犯行を行ったのは村紗だけではない。ナズーリンも共犯だ。
ナズーリンは白蓮に対して何か恨みを抱いていた。村紗はそれを利用してナズーリンを共犯にしたのか。
だが2人は共犯であるにも拘らず肝心のアリバイトリックは村紗が一方的に疑われるようなものだった。ナズーリンがいざという時の保険として仕組んだものとも考えられる。村紗がナズーリンを庇って罪を被るのは小悪魔の言うとおり愛ゆえなのか、それも計画の内なのか。
里の連続水死事件についてもまだ解決していない。
村紗と白蓮が決定的な決裂をしたとすればこれが原因であることは間違いない。そもそもこの水死事件自体が怪しい。露骨に村紗を疑わせようとしている。
だが密告と水死事件が村紗と白蓮の仲を裂くために何者かが仕掛けたものだとすると村紗の殺意の矛先はその何者かに向くはずだ。
密告という事実、村紗が疑われているという事実があったとしても殺害の決定的動機は何ら関係ない所にあるのかもしれない。
「或いは密告者は既に殺されている?」
そう考えると一つの可能性が見えてくる。連続水死事件は密告者を密かに葬るために起こされた。3人の被害者の誰かが密告者。
「だとしても聖白蓮殺害には別に動機が必要になるわね」
パチュリーは紅茶のカップに手を伸ばした。すでに冷めてしまった紅茶は苦みだけが際立っていた。半分ぐらいまで減っていた紅茶にミルクを入れてかき混ぜる。その間もパチュリーは考える。
寅丸星に関しても一定の怪しさがある。白蓮が殺害され、その犯人を探すという時に密告の事についてはパチュリーに何も言わずにあくまでも村紗を疑ったりはしていないという態度をとっていた。
と、本の整理を終えた小悪魔が本棚の陰から現れた。
小悪魔は湯気の立たない紅茶のカップを見てため息をついた。
「紅茶冷めちゃいましたよ」
パチュリーは考え込んだままの体勢で答える。
「いいのよ。アイスミルクティーにしたから」
そう言い張る主のずぼらさに小悪魔は呆れる。
「せめて氷ぐらい入れてくださいよ。まだ事件について考えてるんですか?」
「ええ、一つ道筋を立ててみたわ。まだ穴だらけだけど」
小悪魔は特に興味を抱けなかった。だが聞かなければ主は満足しないだろうと、耳を傾ける。
「今回の事件の発端は聖白蓮への密告よ。その密告により白蓮が村紗を疑う事になるんだけど、ただ疑われただけではなく村紗は、いえ、村紗とナズーリンは何らかの理由で白蓮を殺害しなければならない状況に陥る。そして犯行に際して連続水死事件を起こして密告者を密かに殺し、次に白蓮を手にかける。わざわざ密告者を殺すのに水死なんて方法をとったのは後々罪を村紗に背負わせるためのナズーリンの謀略。というのはどうかしら?今まで分かってる状況をなるべく合理的に結び付けてみたのだけど」
「はぁ……、どうかしらも何も肝心の『何らかの理由』が抜けてますよ。ナズーリンさん達に訊いて話してくれますか?」
そこを突かれるとパチュリーとしてもムッとするしかない。
「その辺りの理由は寅丸が知ってると思うわ」
事件の全体像が何となくではあるが見えてきている。あとは大本である部分を何とかして聞きだせば証拠を掴む事もできる。パチュリーはそう考えていた。
「推理もいいですがそろそろお風呂に入る時間ですよ」
こんな時にお風呂なんて。
「私はいいからあなた先に入って来なさい」
「そうですか?じゃあお先に失礼します。でもパチュリー様もちゃんとお風呂入ってくださいよ」
「わかってるわよ」
「あんまり臭わせると魔理沙さんにきら……おっとっと」
ここまで言われると流石にワザとなんじゃないか。パチュリーがジロリとした視線を送ると小悪魔は二コリとしてから駆け足で図書館を出ていった。
小悪魔が入浴のために地下から紅魔館本館への階段を上がっていると踊り場に思わぬ人影があった。
「ナズーリンさん!」
小悪魔は回れ右をして戻ろうかと思った。パチュリーが追っている事件の犯人と目される人物と一対一で対峙するのは小悪魔には恐怖でしかなかった。しかし、ナズーリンは酷く疲れたように覇気の無い表情をしていた。その事が小悪魔に二の足を踏ませていた。
「ど、どうやって入ったんですか?」
沈黙が耐えられず訊ねる。
「ここの警備はザルだよ。門番があれじゃあね」
ナズーリンはいつもの皮肉っぽい笑みを浮かべた。その顔もやはりどことなく元気が無い。
「子ネズミに君が1人になるタイミングを見張らせていたんだ」
言いながら尻尾の籠に入ったネズミの頭を撫でる。
小悪魔は息を飲む。
「私を1人にしてどうしようと言うんですか?」
「少し君と話がしたいんだ」
「……話ですか」
どんなに覗きこんでも疲れ切ったような表情の真意を見通す事はできない。
「誰もいない所がいい。外に出よう」
そう言うとナズーリンは背中を見せて歩き出した。小悪魔もいざという時は逃げられるように距離を取りながら後に続く。その間もナズーリンは語りかける。
「パチュリーはもうどれくらい気付いてるんだい?」
「結構、気付いてると思います」
「脅迫の事には?」
「脅迫!?」
始めて出てきた言葉に小悪魔は驚く。
「その様子だとまだそこには辿りついていないようだね。でも近い所までは気付いているんだろ」
小悪魔は考えた。脅迫に近い事、今まで調べた中で一番近いのは何か。
「……白蓮さんに村紗さんが怪しいって密告した人がいる事には」
「密告か、そんな易しいものじゃなかったよ」
ナズーリンの手が固く握られるのを小悪魔は目撃した。
「あの……何を脅されたんですか?」
だがナズーリンは口を噤んだまま歩き続けた。
一抹の不安を抱いたままだった星は月夜の中、1人ナズーリンの住む小屋を訪ねていた。だがそこにナズーリンの姿も彼女の手下のネズミ達の姿も無かった。
「ナズ、どこに行ったんです……」
星の中で燻っていた不安がだんだんと大きくなっていく。
ナズーリンが今どこに行って何をしているのか。村紗の所?それともパチュリーの所に?
星は震える肩を抱きながら紅魔館の方へと飛び立った。
誰にも見られないよう森の中にまで来たナズーリンは最初に小悪魔からパチュリーの推理を聞かされた。それが絶対条件だと言うので小悪魔も聞いたばかりの推理を詰まりながらではあるが答える。
全て聞き終えてナズーリンは皮肉屋らしく口の端を上げた。
「大したものだな。そこまで言い当てるなんて」
「じゃあ、パチュリー様の推理は正しいんですか?」
「ああ、間違ってないよ。でも肝心な部分がまだ抜けてる」
「はい」
小悪魔は頷く。けれども大筋があっているのならば主は瞬く間に足りない部分の真実も突き止めてしまうに違いない。そう確信できる。
ナズーリンは自首をするべきだ。
「ナズーリンさん、そろそろ全部――」
「ところで君の目から見てパチュリーはどう見えるんだい?」
突然の質問に小悪魔の言葉は遮られた。
「どうって……言われましても」
そんなこと突然聞かれても困る。小悪魔はすぐには答えられなかった。
「今回みたいにすぐに事件に首を突っ込みたがるんじゃないのかい」
「確かにそう言う所はあります。でも、それは純粋に真実を追い求めているんです」
「真実か……。そう言うと確かに聞こえはいいかもしれないが、結局はただの野次馬なんじゃないのかな?」
それは小悪魔もたまに思う事であった。だがこの場でそれを肯定する事はできない。黙ったままナズーリンを見つめているとナズーリンの方が目を逸らせた。
「すまない。君の主人を悪く言うつもりはないんだ。ただ、……君らが追いかけている真実が人を傷つける事だってあるんだ。その事だけは分かってほしい」
「傷つける?……どういう意味ですか?」
小悪魔の問いかけにナズーリンは小さな声で語り始めた。
風呂に行った小悪魔の帰りが遅い事をパチュリーは少し気にし始めた。
「まさかのぼせて茹で悪魔になってるんじゃないでしょうね」
少し様子を見てみようか。そう立ち上がった時に図書館の重い扉がゆっくりと開くのがわかりパチュリーは安心した。
だがそこにいたのは小悪魔ではなく星だった。
「あの……ナズーリンが来てませんか?」
星は質問した。
「いいえ、来てないわ……」
パチュリーは首を振る。だが何よりも星が何故図書館にナズーリンを探しに来たのかが気になった。ナズーリンは図書館どころか紅魔館にもあまり縁があるとは思えない。行方不明者を探すなら行きそうな所を探すべきだ。ところが星は紅魔館の図書館を選んだ。つまり、ナズーリンにはパチュリーに会う用事があると星は考えている。昼間あんなに仲が悪そうだったのに。
「そうですか。失礼しました」
少し気を落としたように出ていこうと星は振り返る。その背中にパチュリーは問いかける。
「あなたにはナズーリンがここに来る理由があると思ってるようね」
扉へと伸ばしていた星の手が止まる。
「それは何故かしら?私はまだ聖の事件を終わったとは思っていないわ。そんな私の所に来たのはあなたも薄々気付いているんじゃないかしら……事件にナズーリンが関わっていると」
星は振り返ると噛みつくように言った。
「ナズが犯人だって言うんですか!」
その言葉を聞いたパチュリーは不敵に微笑む。
「あら、私は犯人だなんて言った事は一度も無いわよ」
しまったという顔をする星。パチュリーはさらに畳み掛ける。
「あなたにはナズーリンが犯人かもしれないという疑念があるのね。一体何を知っているのか、そろそろ教えてくれないかしら」
星は動揺を隠し切れていないようだった。白蓮が殺害された時気丈に振舞っていた毘沙門天代理の面影は今は無い。それだけナズーリンへの疑惑が不安へと転じているのだろう。パチュリーは星が言葉を発するのを無言で待った。
長い間を開けて星はようやく口を開いた。
「パチュリーは……恐ろしく思った事は無いんですか?」
迷いを含んだ声にパチュリーは静かに耳を傾ける。
「……何も知らない方がよかったと…………知ってしまう事を恐ろしくは思わないんですか?」
「いいえ」
即座に答えたパチュリーに星は瞳を震わせながら訊ねる。
「どうして、そう言いきれるんです」
パチュリーは大きく息をついた。
「知りたくない事実は、そう、初めは恐れてしまうかもしれないわね。でも私はそれ以上に知らないまま過ごす事が怖いのよ」
静かな口調で語りかける。
長い沈黙が続く。
破ったのは星だった。
「……ナズは……ナズーリンは犯人なんですか?」
「それを今調べてるのよ。あなたも真実を知りたいんでしょう?だから今こうして私に付き合っている」
星にはパチュリーを無視するという選択肢もあった。それをしないのは星自身が真実を知りたがっているから。パチュリーは訊ねる。
「教えてもらえるかしら。あなたがナズーリンを犯人だと思う理由を」
星は首を振りながら答えた。
「ナズが犯人なら……ナズが悪いんじゃないんです。ナズは私のために聖を……」
「あなたのために?どういうことかしら」
訊ねられた星は言葉を詰まらせた。嗚咽を漏らしながらゆっくりと答える。
「私が里で寺の務めをしていた時……手紙が送られてきたんです」
「手紙?」
「……村紗の秘密を知っている。一月前の水死事故の原因は村紗だって」
密告文は白蓮ではなく先に星に送られていた。それなら星が密告について知っていたのも納得がいく。
それがどう『星のため』に繋がるのか、その事に思いを馳せたパチュリーは自分が一つ思い違いをしていた事に気付いた。
これは密告ではなくて脅迫。そして脅迫によって強いられたのは――
「その手紙を送ってきた人間は……」
おぞましい記憶が蘇り星は肩を抱くようにした。それでも体の震えを押さえる事はできない。
「秘密を口外しない代わりに…………私に……」
「そう」
パチュリーは続きを言わせないように頷いた。
「聖に相談しても……耐えるようにとしか言ってくれなくて……ナズーリンが大丈夫だからって言ってくれて…………そしたらその人間が水死体で見つかったんです……」
「よく言ってくれたわね」
「もしかして、私のためにナズーリンが罪を犯したんじゃないのか……そう疑って。村紗が犯人だなんて信じられないのに、もしそうだったらと思ってしまって。パチュリー、教えてください。ナズは……ナズは悪くないですよね?」
パチュリーがそれに答える事はなかった。
小悪魔はナズーリンから事件に至る経緯を説明されていた。
「……じゃあ、寅丸さんは白蓮さんに言われて……その」
聞かされた事実は驚愕の物だった。
里の長老を殺したのが村紗だということを黙っておく代わりに星に対して体を差し出せと迫る。そんな卑劣な事がこの世にあっていいのだろうか?
「最初からそうだったわけじゃない。はじめはただ金品を要求してくるだけだったらしい。でも御主人が言われるままにしたからだんだんとエスカレートしていったんだ」
「でも白蓮さんがそんなことを……」
「あの時の白蓮はおかしかった!」
ナズーリンは語気を強める。
「真面目な僧だった白蓮は自分が幻想郷に融け込めていない事に気付いてた。幻想郷は千年も求めた理想さ。絶対に手放したくなかった。だから白蓮は御主人を売ったんだ!」
「でも村紗さんは無実じゃないですか」
「ああ、そうさ。御主人が私の所に来てすぐ船長に確認したよ。許せるかい?御主人はデマに踊らされて傷つけられたんだ!私は白蓮を殺す事を決めた。船長も次に売られるのは君だと言ったら協力してくれたよ。最後は計画通り犯人に仕立て上げさせてもらったけどね」
ナズーリンの瞳は暗く沈んでいた。
「じゃあ、本当の犯人は寅丸さんとナズーリンさん……」
「いや、御主人は知らない。全部私が1人でやった事だよ。それに知られるわけにはいかない。わかるだろ。これ以上御主人を傷つけるわけにはいかない。自分のために白蓮が殺されたなんて知ったらどんなに傷つくか。犯人は船長でなくてはならない」
「確かに言うとおりかもしれません。だからってナズーリンさんの罪が消えるわけじゃありません。パチュリー様ならきっとそう言います」
「君はどうなんだい?」
小悪魔はハッとした。
自分なら、パチュリーと同じ事が言えるのか?
ナズーリンは続ける。
「私だってただで終わるとは思っていないよ。もう命蓮寺には行けない。罰も受ける。でも御主人に真相が知られる事だけはダメなんだ。船長だってその事は分かってる。だから自分から首を吊ってまで秘密を守ろうとしたんだと思う。その覚悟さえ君達は無駄にするのかい?君達が真実を暴いても誰も喜ばないんだ」
ナズーリンの訴えを聞く内に小悪魔はどうして自分がこの場にいるのかなんとなくではあるが分かってきた。
「……ナズーリンさんはどうして私にこんな事を?」
「……パチュリーを止めて欲しいんだ。君の言うとおりパチュリーは遠からず真相に気付くだろう。でもそれが御主人の耳に入ったら……だから、パチュリーを止めてくれ。この通りだ」
地面に手を突いてまで懇願するナズーリンに小悪魔は何も言う事ができなかった。
小悪魔が図書館に戻った時パチュリーは無表情で本を読んでいた。
「推理は……もう終わりですか?」
少しの期待を込めて訊ねる。
「ええ、さっき寅丸が来たの。これで事件の全容がわかったわ」
小悪魔は息をのんだ。
「もしかしてナズーリンさんが真犯人だって言ったりしましたか?」
「いえ、それはまだよ。どうしたの突然?」
「あ、いえ……何でもないです」
「明日もう一度村紗とナズーリンに会うわ。それで全てが解けるでしょう」
パチュリーは読んでいた本を閉じた。ふと目を遣ると風呂に行ったはずの小悪魔がパジャマ姿でない事に気がついた。
「あの、もう……それでいいんじゃないでしょうか?」
小悪魔が言葉を詰まらせながら言った。パチュリーは眉を顰める。
「もう全部わかったんですよね?だったらわざわざ確認しなくても……」
「確認しないと正しいかどうかわからないでしょ」
「……それで、確認し終わったらどうするんですか?」
「どうするって?」
パチュリーはだんだんと怪訝な面持になっていく。一体小悪魔は何を言い始めたのか。その真意は未だに掴みかねていた。
「犯人がナズーリンさんだってわかったら、それを皆に言うんですか」
「そんな無暗に言いふらしたりはしないけど、命蓮寺の全員には伝えなくちゃならないわね」
「黙っておく事はできないんですか?真実は私達の胸の中だけにしまって、犯人はこのまま村紗さんだけっていうのは」
「あなたはナズーリンの肩を持つの?」
はっきりとパチュリーは咎めるような口調で言った。
小悪魔の様子がおかしい。
「そう言うわけではありませんが……」
「じゃあ村紗を貶めたいの?」
小悪魔は首を振る。
「そんな事ありません。でも……パチュリー様が真実を話すことで傷つく人がいたとしてもですか?ナズーリンさんも村紗さんもその人を傷つけないために事件をおこしたとしても駄目なんですか?」
小悪魔の言葉を聞いていたパチュリーは大きく目を見開いた。
「あなた……どうしてその事を知っているの?」
真実を暴き傷つく誰か。それは間違いなく寅丸星だ。だが小悪魔がその存在を知っている事がパチュリーには解せない。
小悪魔は黙ったまま答えない。
パチュリーはそっと目を閉じた。
事件の真相を小悪魔に語った何者かがいる。ナズーリン以外に考えられないが、何故そんな事をしたのか。その理由は今こうして小悪魔がパチュリーを説得しようとしている事からも明らかであった。
「あなたはもう忘れたの?この事件の発端は慧音が長老の死の真相を隠したからだということを。今回また同じように真実を隠せば同じ過ちがまた繰り返される事になるかもしれないのよ」
小悪魔は何も答えない。頭では理解できるが感情的にはまだナズーリンに同情的だった。そして、ナズーリンから託された事と主人の間で未だ迷っていた。
「とにかく私は明日ナズーリンの所に行くわ。今日はもう下がりなさい。一晩よく考えてどうするか決めるのね」
パチュリーはそう言うと自分も寝室へと向かった。小悪魔は無言のままいつもより一歩後ろを歩いて図書館を出る。2人はそれぞれの部屋へと、別々の方向へ向かった。
翌日、星とナズーリンは永遠亭へと退院する村紗を引きとりに向かっていた。村紗は白蓮を殺害した罪人として再び地底に封じられる事となっている。
竹林を通り永遠亭についた時、入口の前にパチュリーとその背後に小悪魔が立っていた。
小悪魔はナズーリンの方をチラッと見て気まずそうにしていた。
「また君か」
ナズーリンは睨むようにして言った。
「ええ、でも用があるのはあなただけよ」
パチュリーはそう言うと星が永遠亭の中に入れるように道を開けた。ナズーリンが主人の方を窺う。
「私は構いませんよ。先に中で待ってますから」
星はそう告げて建物の中に入った。
ナズーリンは十分に時間を開けてからパチュリーの方へと向き直った。
「こうやって毎日来られたら迷惑なんだよ」
「そうね。じゃあそろそろ決着をつけましょうか」
「決着……か」
小さく呟く。今日村紗が罪人として封印される。パチュリーにとって決着をつけるのは今しかない。逆に言えばこのタイミングで真相に気付いたとしたら……
ナズーリンは小悪魔の方に視線を送る。小悪魔は俯いたまま決して目を合わせようとはしなかった。
「あなたが小悪魔に何を吹き込んだかは知らないけれど、事の真相を教えてくれたのは寅丸よ」
「御主人が!?」
予想外の言葉にナズーリンの瞳孔は大きく開かれた。
「ええ、寅丸は真相を知りたがっていたわ。あなたが犯人なのかそうじゃないのか悩んでいる。あなたの口から真実を話す事はできないのかしら?」
「説得しに来たのかい。なら尚更言うしかないじゃないか。私は犯人じゃない。無関係だよ」
「あなたが言わないなら私が寅丸に伝えるしかないわね」
「証拠は無いのにかい?私は徹底的に否定するよ。君の妄言だってね」
証拠は何も残していない。ナズーリンは確信している。パチュリーの言う事がどんなに正しくても証拠が無ければどうしようもない。
「……確かに証拠は無いわ。だからこそあなたには自ら真実を語ってほしい。それができないのなら小悪魔に証言させるわ」
その言葉に一番驚いたのは小悪魔であった。
「私は小悪魔からは何も聞かされていないわ。けれど小悪魔があなたから事件の真相について聞かされた事はわかったわ。あなたとしては小悪魔を利用して私を止めるつもりだったんでしょうけど、だったら私はそれを利用させてもらうわ」
パチュリーは小悪魔の方を見る。だが小悪魔はまだ迷っているようだった。だが小悪魔はパチュリーの使い魔。ナズーリンの額に嫌な汗が浮かぶ。
「君だって小悪魔を利用しようとしてるだけじゃないか。御主人だけじゃなく自分の使い魔も苦しめるつもりなのか?」
「真実を追求するためなら私は何だってするわ。それが正しいと信じているから。小悪魔もそうよね?」
パチュリーが手を差し出す。
「パチュリー様……すみません!」
小悪魔はその手を振り払うようにナズーリンの方へと駆けだした。
「……あなた、昨日の私の言葉を忘れたの?」
真実を隠せばそこからまた悲劇が生まれる。パチュリーの言う事は確かに正しく感じられた。
小悪魔は絞り出すような声で答える。
「……わかりません。パチュリー様の言う事は正しいです。でも、誰かのためにつく嘘ならあっても良いって私は思います」
真っ直ぐにパチュリーの目を見ながら。
「そう、それがあなたの選択だと言うのね」
一瞬言い淀みながらも小悪魔は頷く。
「……はい」
パチュリーは大きなため息をついて小悪魔に背中を向けた。
「残念ね。……私の負けよ」
いつもと同じように淡々とした調子だった。表情を隠し、声からも感情は読みとれない。
ただ、小悪魔には主が本当に無念そうである事だけはわかっていた。声をかける事も出来ずその場に立ち尽くしている。
ナズーリンも安堵して肩の力を抜いていた。それでもパチュリーの背中をジッと見つめる小悪魔に言葉を掛ける事はできず、無言で星の後を追って永遠亭へと入った。
「……本当に残念よ」
最後にパチュリーは呟いた。
ナズーリンが村紗の病室を訪れるとそこは少しだけ騒がしかった。部屋の中が荒らされ、何より村紗の姿が無い。
だがナズーリンは驚かない。
ベッドの脇に立っていた星に声をかける。
「何があったんだい?」
星は抑揚の無い調子で答えた。
「村紗が居なくなっていたようです」
「居なくなった?もしかして逃げたのかい?」
「……いえ、窓が外から割られていたようです。何者かに攫われたと思われます」
「攫われた……まさかそんな!」
全て計画通りに事は進んでいる。予定通り村紗はぬえによって攫われたのだ。ぬえが村紗の事を慕っているのは知っている。何も知らずに利用されたぬえには悪いが今頃2人はどこか遠い所に逃げているだろう。
ナズーリンは自分がぬえを焚きつけた時の事を思い出した。村紗を連れだせるように手引きすると言った時喜んで食いついてきた。
割れた窓ガラスを掃除していた兎が出ていく。すると星は一枚の紙切れを取り出した。
「攫われた村紗のベッドにこんな書き置きがありました」
「書き置き?」
ぬえはそんな物を準備したのか?
ナズーリンは不審に思いながら紙きれの文字を読んだ。
『聖を殺した罰は私が与える』
その意味を理解した時ナズーリンの身体を悪寒が襲った。
「な、なんだいこれは」
理解したくないと言った様子で首をしきりに振る。
星がナズーリンの手から紙を取った。
「差し詰め村紗への復讐といった所でしょうか」
星は冷静に言う。だがナズーリンは冷静ではいられなかった。
「復讐?そんな……復讐なんて。早く船長を探さないと!」
どうしてこんな事に?ぬえが村紗に復讐なんて。そんなに白蓮の事を慕っていたなんて。こんなはずではなかった。ぬえなら村紗を連れて逃げてくれるはずだった。
ナズーリンはパニックになっていた。
しかし星の声は冷たかった。
「探す?どうしてですか?」
「え?」
「村紗は聖を殺害した犯人なんですよ。これくらいの罰があって当然でしょう」
ナズーリンの頭は真っ白になった。星の口からそんな言葉が出るなんて。
「……違う。違うんだ御主人」
よろめく様に後ずさる。
早く探さないと。
ナズーリンが振り返るとパチュリーが立っていた。もう何も考えられずナズーリンはパチュリーの肩を掴む。
「お願いだ。船長を探すのを手伝ってくれ!」
「探す?でもどうやって?誰が攫ったのかも分かっていないでしょう」
「ぬえだ!ぬえが船長を攫ったんだ!」
そう口にした時、星が書き置きを破り裂いた。
「ナズ……すみません。騙すような真似をして」
「え?」
ナズーリンは何が起きたのか理解できなかった。パチュリーの背後に立っていた小悪魔も事態が把握できず主と星を交互に見遣る。
パチュリーが口を開いた。
「本当は使いたくなかったんだけど、あなたと小悪魔が私の言う事を聞いてくれなかった時のための策をとらせてもらったわ」
ナズーリンは自分が嵌められた事に気付いた。
「あなたは、村紗を攫ったのはぬえだと言ったわね。それを知っている理由を説明してもらおうかしら」
パチュリーが問う。
「……君はまさかそこまで?」
「ぬえに村紗を攫うように焚きつけたのはあなたね。そして、その手引きをした」
ナズーリンは頷きはしなかったががっくりと肩を落とす。
今度は星が
「手紙は私のフェイクです。ぬえには事情を話して村紗は今隣の部屋にいます……」
その口調には無念の色が出ていた。
「あくまでも村紗を犯人にした上で、ぬえに攫わせて逃がすつもりだった。それがあなたの計画ね」
「……ぬえなら船長と逃げてくれると思っていた」
それは自白の言葉だった。
「……やっぱり、聖を殺したのは……あなただったんですね」
星が沈痛な面持ちで訊ねる。
「卑怯だなぁ……御主人も。罠にはめるなんて」
ナズーリンが呟く。星は小さく頭を下げた。
「聖白蓮を殺したのはあなたと村紗。私は最初あなたが村紗1人に罪を被せて村紗もそれを受け入れたのだと思っていたわ。でも実際は違った。村紗は自分から犯人となる事を望んでいたのね。それが脅迫の原因を作った村紗なりのけじめのつけ方だった。だから穴のあるアリバイトリックを仕掛けたのよ」
「そうなんですか、ナズーリン」
星が確認しようとした時部屋のドアが開き村紗が入ってきた。
「村紗もナズも……どうしてそんな事を。私はこんな事望んでなんていなかった……」
星の目から今まで堪えていたものが零れた。
小悪魔はその光景を見ていられなかった。
「寅丸のため……果たして本当にそうだったのかしらね」
「え?」
パチュリーの言葉に俯いていた星と村紗は顔を上げた。
「例え寅丸が酷い目にあって傷ついてもその復讐はナズーリンの個人的な感情でしかないわ」
ナズーリンは割れた窓ガラスから外を眺めながら答える
「……そうだよ。だから御主人が気に病む必要はない」
「……でも」
「悪いが御主人、少し席を外してくれないか」
ナズーリンは星に続きを言わせなかった。星は黙ってそれに従う。
扉を閉める音が静かに響いた後、ナズーリンはようやく窓から視線をずらした。
「君にしては大した嘘じゃないか」
「嘘ではないわよ」
「じゃあ優しさかい?御主人が気にしないように」
パチュリーは首を振る。
「確かにあなたが聖を殺した動機は寅丸星を傷つけた事への復讐だったわ。でもこの事件を通してあなたが守ろうとしたのは寅丸だけじゃない。あなたは村紗を守ろうとしていた。違うかしら?」
「え?」
村紗が声を上げる。
「あなたが聖を殺すと決めた時、村紗はその罪を全て背負うと言って聞かなかった」
確認するように視線を送ると村紗は頷く。
「それが私が受けるべき罰だから」
「ええ。でもナズーリンはそれを許さなかった」
小悪魔はナズーリンの顔を見た。昨日の夜聞かされた事とはまるで違う。あの時のナズーリンは村紗を罠にはめたように言っていた。
「寅丸から真相を聞いた時全てが繋がったわ。村紗が何故自殺未遂までして犯人になろうとしたのか、あなた達が何を守ろうとしていたのか。けれども一つだけ、村紗を犯人と見せるためのトリックについてだけはすんなりとは繋がらなかったわ。村紗を犯人にするならそんなまどろっこしい事はしない方がいいはずだもの」
パチュリーは一旦言葉を切るとナズーリンと村紗を交互に見てそれから続けた。
「『あなた達』の計画は、里で水死事件が起きた事に端を発して村紗が聖を殺害した。というシナリオだった。そのためにわざと穴のあるアリバイトリックを計画した。でも『ナズーリン』の計画は違ったのよ。村紗に授けたアリバイトリックの随所に登場して、村紗が起こした一連の行動が全て何者かによって仕組まれたように見えるようにした。共犯者を欺いてでも自分が真犯人であろうとした。それが、あの不自然なトリックの正体だったのよ。その意味では私はどこまでもナズーリンの計画通りに動いていた事になるわね」
村紗はそれを聞いても驚きはしなかった。予想していたようにパチュリーの言葉を受け止めてナズーリンへと視線を送る。
「でもそれじゃ星にばれちゃうじゃないか……」
「あなたは例え寅丸に真相が知れたとしても村紗を守る事を選んだ。村紗がこれからも命蓮寺で暮らせるようにしたかった」
ナズーリンは僅かに視線を落としていた。
「君が最初に私を犯人だと言った時に素直に認めるべきだった。……もう一晩だけ御主人と過ごしたかったばかりに、船長が首を吊るなんて馬鹿な事をするとはね」
「ええ。あなたにとってはそれが大きな誤算だったわね。村紗には決して自白をしないように言っておいたのでしょうが。村紗の罪を被る固い意志を知ったあなたはぬえを利用して村紗を犯人にしたまま逃がす事を思いついた」
「そこをまさに利用されたわけか。……船長、やっぱり君のせいで計画は台無しだよ」
ナズーリンは自嘲気味に笑った。
「ナズの馬鹿。どうしてそんな事したのよ」
村紗の問いかけにナズーリンは答えなかった。代わりにパチュリーが語り始める。
「どうしてナズーリンがそんな事をしたのか。その動機を考える時、私はナズーリンの家で見つけた湖の絵を思い出したわ。夕暮れ時の湖にも関わらず不自然な程青い水は、まるで誰か別の人物によって塗られたもののようだった……」
その瞬間、ナズーリンの記憶が蘇る。
湖の畔に座るナズーリンは拾ってきた画用紙と絵具で風景画を描いていた。
『ナズ絵上手いじゃないの』
いつの間にか上から覗きこまれてナズーリンは思わず絵を隠した。
『船長!何時の間に!?』
『水のある所ならどこにでも現れるのだ。そんな事よりちょっと貸して』
『ちょっと、何するんだ!』
『修正よ。修正。水の色はもっと青くしないと』
筆を奪った村紗はベッタリと青い絵の具を塗りたぐる。
『本物の海はね、もっと綺麗な青なんだよ』
『これは湖だし、今は夕方なんだ!』
文句を言って筆を取り戻す。
『せっかく描いたのに台無しだよ!』
『ハハハ、ごめん、ごめん。でもさ、ナズもいつかこんなちっぽけな湖じゃなくて本当の海を見たらわかるよ』
『そうかな。大きかろうが小さかろうが、水があるだけじゃないか』
そう言いつつもナズーリンは、その絵の中の青をいつか見てみたいと思っていた。
誰よりも海への憧れを口にする村紗と。
「仮に犯人となれば、最低でも地底への再度の封印となってしまう。千年もの時を海の無い地下で過ごし、ようやく与えられた小さな湖までもを奪ってしまう。あなたにはそれがどうしても受け入れられなかったんじゃないかしら?」
ナズーリンが村紗と目を合わせる事はなかった。
「……ナズ」
村紗が声をかけるとナズーリンは呟くように言った。
「いつか……船長に連れられて海にでも行きたかったのにな」
聖を殺害した時から片方が犯人と名乗りでなければならない事は分かっている。ナズーリンにはもう叶えられない願いだった。それでも口をついて出てしまう。
「行こう。ナズ。いつか私が連れていくからさ。みんなで行こう」
村紗が告げた時、ナズーリンの口元が微かに笑った。目に涙を浮かべながらぎこちない笑みを村紗に向ける。
それを見てパチュリーはゆっくりと踵を返した。
「これが、私が暴いた真実よ」
そう言って部屋を後にしようとした時背後から震える声が聞こえた。
「パチュリー、ありがとう」
事件の真犯人から涙が零れた。
彼女が村紗に対して素直だったら、こんな事件は起きなかったのかもしれない。
パチュリーは少しだけ立ち止ったが振り返る事なく部屋から出ていった。
後日、紅魔館の図書館でパチュリーはいつも通りに本を読んでいた。机の上には紅茶のカップも置かれていなければ、読み散らかされた本が所せましと置かれたままになっていた。
図書館を訪れた紅魔館の主、レミリア・スカーレットは大きくため息をついた。
「まさか小悪魔がいないだけでこんなに散らかるだなんてね」
それでもパチュリーは返事すらすることなく読書に耽っている。
「使い魔と喧嘩するなんてパチェも魔女としてはまだまだ二流ね」
「喧嘩なんかしてないわよ。小悪魔が勝手に出ていっただけだから」
「でもその心当たりはあるんだろう」
無いと言えば嘘になる。
永遠亭で星に真実を語るかどうかの選択を迫った時に小悪魔は隠す方を選んだ。そしてパチュリーの意と違う道を選んだ事を気にしているようだったのだ。
パチュリーはその事を気にしていなかった。小悪魔が自らの意思で選んだ事に口を出すつもりは無い。パチュリーはパチュリーの正義を貫いただけで小悪魔はその反対を選んだだけの事だ。
だが小悪魔はそうは思っていないようだ。その原因は自分にあるのだろうか?
「で、レミィは何の用なの?」
これ以上この話をされたくないパチュリーはレミリアを追い出そうと試みた。
「せっかく親友に会いに来たのに。最近館の周りを不審者が徘徊してるから何とかしてほしいのよ」
「そんなの美鈴か咲夜にやらせればいいでしょう」
「門番はあんなのだし、咲夜はお使いに出してるんだ。外は生憎の晴天だしね」
「親友にそんな事頼むのね」
「でもパチェは居候じゃない。それもこんなに散らかす居候」
レミリアはケラケラと笑いながら図書館から出ていった。
パチュリーも仕方なく重い腰を上げる事にした。
「さあさあ皆さん注目、注目、命蓮寺で起こったある悲劇の話だよ!」
威勢のいい掛け声と共に文は新聞をバラまいていた。
そのうちの一枚が足元に落ちてきて小悪魔は思わず拾った。
結局世論は星達に同情的で、村紗やナズーリンは大きな咎を受ける事は無かった。最初に嘘をついた慧音も責任感からか里の人間を宥めるのに奔走した。ただ命蓮寺が少し人間の里から遠ざかった事は事実だった。
今小悪魔は薄汚れた服のまま紅魔館の門にいた。拾った新聞を敷いてその上に座る。隣には眠りこける門番だ。
あの後小悪魔は何となく気まずくて図書館に帰れないでいた。そして今もまた門をくぐる勇気が持てずに座っていた。
「よ、小悪魔じゃないか。何かお前汚いな」
俯く小悪魔に声をかけたのは霧雨魔理沙だった。
「あれ、魔理沙さんじゃないですか。アリスさんとはどうなんですか?」
「お前までそれ信じてるのかよ」
魔理沙は頭を掻きながら持っていた人形を小悪魔に投げてよこした。
お世辞にも上手とは言えないがパチュリーを模した人形だということは何とか分かった。
「アリスに人形の作り方教えてもらって作ったんだぜ」
小悪魔は理解した。文が報じたアリスの霧雨邸朝帰り報道は人形の作り方を教えてもらっていたからだったのだ。
「他にも霊夢とか作ったけどパチュリーが一番簡単だったな」
簡単だったという言葉を疑いたくなる出来に小悪魔は苦笑した。これではテルテル坊主にしかみえない。
しかし小悪魔は思う。
これも、あの報道の真実だったのだと。もし隠そうとしたりせずに早くに確認をとっていればもっと早く誤解は解けていた。結局自分がしていた事は間違いだったのだろうか。
そんな小悪魔の心情など気にせず魔理沙は続ける。
「なんかパチュリーが誤解してるってきいたんだが、面倒だからお前、誤解解いておいてくれ」
「え?ちょっと魔理沙さ~ん」
魔理沙は箒に跨ると振り返る事なく飛んで行ってしまった。
小悪魔はパチュリー人形を掲げて睨めっこをした。
とりあえず誤解を解かなくてはならない。
小悪魔は門から一歩を踏みこもうとして扉の前に立つパチュリーに気付いた。
「あ、パチュリー様……」
「小悪魔じゃないの。……そろそろ帰って来る頃だと思っていたわよ」
「あ……あの……」
「何?」
「……怒ってませんか?」
パチュリーは少しだけ間をとってから
「それにしてもそのテルテル坊主みたいなのどこで拾ってきたの?」
「えっ?」
「汚いからお風呂に入るついでに捨ててきなさい」
そう言って館の中に入って行くパチュリーに、小悪魔は本当の事を言うべきかどうか迷いながら続いていった。
文句なく面白かったです。
パチェさんと小悪魔のやりとりが見所の
このシリーズですが、今回は伏線の回収もお見事でした。