香霖堂の店内に所狭しと置かれている大小様々なガラクタを漁るのは、魔理沙にとって大きな楽しみの一つだった。
仄暗い店の中には、商品とは名ばかりの得体の知れない物体がひしめきあっている。控えめに言ってもそれらの九割九分はゴミだろうが、残りの一分には思わぬ宝が含まれていないとも限らない。
自分の知らない物に触れる時、魔理沙は胸の高鳴りを覚える。わからない物は、たとえそれがゴミであったとしても魅力的なものだ。きっと霖之助も同じ気持ちで、だからこんな店を構えているのではないかと魔理沙は思う。
今日も今日とて魔理沙は店内を物色する。気に入った品物が見つかれば持ち帰り、弄り回すつもりだった。
支払なら問題ない。先ほどカウンターの上に茸の詰まった籠を載せておいた。
「おい魔理沙。本当に大丈夫なんだろうな? 妙に色鮮やかなんだが……」
「ああ、心配ない。ちゃんと食べられる物だけ持ってきたぜ。たぶんな」
霖之助に適当な言葉を返しつつ、まだ調べたことのなかった奥の方の棚へと回り込む。
別に、なにか目当ての物があるわけではなかった。どうせよくわからない物なのだから、選ぶ基準はその時の気分だ。
ダルマのような人形を手に取る――違う。
ボタンの沢山付いた小さな箱を掴む――これじゃない。
カメラを大きくしたような物を眺める――いまいち。
あれでもない、これでもないと品物を引っかき回す魔理沙の視界の片隅に、古ぼけた小さな黒い箱が映った。
引っ張り出してみると、ちょっと厚めの本を二冊重ねたくらいの大きさで、ずっしりとしている。表面には、円形の黒い出っ張りと目盛のようなものが幾つかあった。
「……なぁ香霖、これ」
「ん、随分とくたびれた物だな」
カウンターのところへ戻り、探し当てたそれを手渡す。
すると霖之助は眼鏡をくいっと上げ、子細に調べ始めた。
「これは『ラジオ』という名前のようだな。ふむ、どうやらラジオ放送を受信するための道具らしい。外の世界の物だね」
「ラジオ放送? なんだそりゃ」
「さぁ」
箱の横や上に付いたツマミを弄る霖之助だったが、ラジオとやらは何の反応も示さない。
魔理沙は霖之助の手元を覗き込み、首を傾げた。
「何も起きないな、壊れてるのか」
「おや、ここに蓋がある」
蓋を開いた霖之助は、合点がいったという具合に頷く。
「前にもこういう物を見たことがある。どうやら電池を使って動かす道具みたいだ」
「電池?」
「ああ、雷の力を封じ込めてある小さな筒だな。あれはどこへやったかな……」
説明を続けながら店の奥へ引っ込んだ霖之助は、ほどなくして戻ってきた。手には電池と思しき小さな物が握られている。
それをラジオにはめ込んで、霖之助はそっと裏蓋を閉じた。
「よし、これで動くはず」
カウンターに置いたラジオのツマミを無造作に弄る。
すると――
――――キュィーンザザッザザザザガガガッ!!
「うわっ!」
ラジオはそれに反応し、不規則で不気味なノイズを香霖堂内に全力で鳴り響かせた。
突然のことに、思わず魔理沙は耳を塞ぐ。
霖之助が慌てたようにツマミを戻すと、ラジオはブツッと音を立てて沈黙した。それを確認して、魔理沙は両手を耳からそっと離す。
「な、なんだこの気持ち悪い音。これがラジオ放送?」
「うーん、外の世界の人にはこんな音にも意味があるんだろうか? あるいはこれが故障しているのか」
霖之助は顎に手を当て思案顔をしたが、ほどなくして口を開いた。
「どうする、茸と交換でそれを持っていくかい」
雑音を鳴らすだけの箱に失望したのか、霖之助は「出来ればそうしてくれ。それと交換なら安上がりで助かる」とでも言いたげに、魔理沙の様子を窺う。
一瞬、「そんなわけないだろ」と返しかけた魔理沙だったが、ふと思い止まり、ラジオを手に取った。
いくら外の世界の人間でも、あんな雑音を聴いていて楽しいわけがない。ならば、この道具にはもっとちゃんとした使い途があるはずだ。じっくり調べればなにかわかるかも知れない。
それに、もし万が一これが壊れているのだとしても、河童に頼めば直してもらえるかも知れないし。
「……なぁ、電池とやらも付けてくれるか」
「ああ構わない」
「じゃあ交渉成立だな」
ラジオを眺めやり、魔理沙はニッと笑った。
◆ ◆ ◆
魔理沙は、帰宅するなりラジオの使い方の調査を始めようとした。
もっとも、広さのわりに物の多すぎる魔理沙の家は雑然としており、まずはラジオの置き場所を確保しなければならなかったのだが。
テーブルの上に高く積み上がった書物の塔を根元から持ち上げ、床から天井を目指す塔の上に積み上げる。突貫工事によってテーブルのスペースを確保した魔理沙は、満足げに頷いた。
こうして部屋の抜本的な片付けが先送りにされるのは、いつものことである。
「さて」
ラジオをテーブルにそっと置く。やはり随分と古い物のようで、改めて見ると、やはり相当くたびれている。
新品の頃はピカピカだったであろう金属のパーツは細かい錆が浮かび鈍くくすんでいるし、なにやら透明なガラスみたいな部分は擦り傷で中がよく見えない。ツルツルした黒い外装も、大きなヒビや亀裂こそ無いものの無数の細かい傷が全体にあり、長い年月を使い込まれた道具であることは疑いなかった。
しかしそれらは魔理沙にとって重要なことではない。見たことはおろか、名前すら聞いたこともない道具。使い方も、使うことによって起きる結果も皆目見当がつかない未知の道具。そんな物が眼前にあるという事実が、魔理沙の心を躍らせた。
目の前の謎を探求し解明する、その過程が楽しい。結果がつまらないものだったとしても構わない。最初から結果のわかったものよりは、ずっと楽しい。
まあ、「謎を探求」と大仰に言ったところで、魔法の道具を扱うのとは違って知識があるわけでもなく、手探りで弄りまわしてみるしか手はないのだが。
ラジオに付いているのは二つのツマミと一つのスイッチ。FM/AMと書かれたスイッチに反応はない。左側のツマミも同様。魔理沙は香霖堂で霖之助が操作したのと同じ、右側のツマミを捻ってみる。
カチリとした手応えがあった。そのまま回してみる。
「おっと」
するとラジオは先ほどと同様に、気味の悪い雑音を勢いよく吐き出す。魔理沙が回していたツマミを戻すと、それに応じてラジオの雑音も小さくなっていく。
なるほど、これは雑音の大きさを調整するツマミなわけだ。少しわかってきた。
適度な音量に調整したところでそのままスイッチを操作すると、雑音の種類が変わった。種類が変わっても雑音であることには変わりない。
今度はもう一つのツマミを操作してみる。ツマミを捻ると、捻り具合に応じて雑音が徐々に変化していく。ラジオ放送というやつは、こんな感じで好みの雑音に調整して楽しむものなんだろうか。
「ん?」
ゆっくりと左側のツマミを操作していくうちに、不規則な雑音に隠れて、奥の方で規則的な音が小さく鳴っているのに気付いた。それはまるで、陽気な音楽のような音。
魔理沙は唇を舐めた。慎重にツマミを操作し、音楽がもっとよく聞こえるよう調整する。
「うーん、やっぱ壊れてんのかなぁ」
調整の末、音楽が鳴っているというのは確信できた。つまりラジオ放送とは意味不明な雑音ではなくて、音楽が聴けるものなのだろう。
しかし聞こえる音楽はあまりにも微かで、ほとんど雑音に覆い隠されてしまっている。これでは音楽を楽しむというにはほど遠い。
他になにか弄れるところはないのだろうか? 意地になってラジオを調べる魔理沙は、やがて右隅に鈍く光る小さな突起を見つけた。
これもスイッチか何かだろうか? 突起を摘み調べると、どうやら引っ張ることができそうだ。
「おっ!?」
魔理沙は壊さないよう慎重に突起を引っ張る。その突起――アンテナは、引っ張るに従ってするすると伸びていく。
アンテナが伸びるにつれ、あれほど五月蠅かった雑音が嘘のように消えて、鮮明な音楽だけがラジオから聞こえてきた。
「よしよし、よしっ!!」
魔理沙は口元を綻ばせ、小さくガッツポーズを作る。
雑音ばかりを垂れ流していたラジオが、手間ひまを費やすことで音楽を流す道具へと変わった。そのことが、やたらと嬉しかった。
外の世界から来たラジオが鳴らす、外の世界の音楽。
はじめて聴くその音楽は、陽気で脳天気で、どこかのんびりとした雰囲気の曲だった。
静かに目を閉じて、魔理沙は音楽に耳を傾ける。楽しげなリズムに体が自然と揺れ、よくわからないながらも鼻歌が漏れ出す。
外の世界で「ブラジル」と呼ばれているサンバのスタンダートナンバー。
その陽気なメロディに釣られ、魔理沙は自然と笑みがこぼれるのを感じていた。
◆ ◆ ◆
ラジオから聞こえてくるのは音楽だけではなかった。
気さくに語りかけてくるDJの趣向を凝らしたお喋りは、魔理沙にとって新鮮な驚きに満ちていた。
『今日のテーマは、彼氏彼女のどうしても許せないクセ。いろいろありますよねー掃除が出来なかったりとか約束の時間に遅刻してきたりとか。まずメッセージ紹介します。ラジオネームのんさん。私の彼は、いつもゲームばかりしていて構ってくれません。あーありますよねー』
「ゲームって、双六とかのことか」
台所で食器をかしゃかしゃと洗いながらも、耳だけは流れてくるラジオの内容に注意を向けている。
魔理沙の知っているゲームといえば双六や、あとはレミリアがよくやっているチェスなどである。どれも二人以上で勝利を争うタイプのもので、一人でやったって面白くはない。
せっかく彼女がいるのなら一緒にやればいいのに、あえて一人で遊んでいるのなら、きっとそれは嫌がらせなんだろう。
「そんなのロクな奴じゃない、別れちゃえよ」
流した食器の水を切りながら魔理沙はラジオに答える。
『続いてのニュースです。卯酉新幹線の利用者数が今日で十万人を超えたことを記念して、京都駅で記念式典が催されました』
「へぇー」
魔理沙は洗濯物をぱんと広げ、庭の木に張ったロープへ順番に干していく。
基本的に暗くじめじめしている魔法の森だが、家の庭だけは日差しが当たるように工夫してあった。
窓際に置いてあるラジオからはニュース番組が聞こえてくる。ニュースは外の世界固有の言葉が多すぎて、魔理沙にはほとんど内容が理解できない。
理解できなくても、聞こえてくる外の世界の情報は、魔理沙の知らない光景を思い描かせてくれる。わかる言葉から断片的に得た情報を組み立てて頭の中で想像してみると、そこには未知という名の浪漫の香りが漂っていた。
『日曜日ということでお出かけの予定の方も多いんじゃないでしょうか。そこで気になる今日の天気。朝方は穏やかな陽気の過ごしやすい陽気ですが、次第に天気は崩れていき、昼頃からは雨となる模様です。所によっては強く降るでしょう』
「え、雨?」
ソファーで寛いでいた魔理沙は、天気予報を聞いて外に飛び出し、天を眺める。
「……降りそうにないけどなぁ」
呟きつつも、念のため、と干していた洗濯物を取り込み始めた。
籠に集めて家の中に戻る。その後、魔理沙がちらちらと外の様子を気にしていると、昼頃には土砂降りの雨が降ってきた。
「うわ、本当だった」
人里にある龍神様の石像みたいなものだろうか、と魔理沙は思った。あの石像は目の色で天気がわかるという優れ物だが、魔法の森に住む魔理沙はその恩恵に預かっていない。
ひょっとしたらラジオを発信している人の所にも、龍神様の像があるのかも知れない。龍神様はたいそう偉いということだし、外の世界でも崇められていてもおかしくはないだろう。
いずれにしても、うちにいながらにして天気がわかるだなんてずいぶん便利だな、と魔理沙は頷く。
『月末恒例のリクエスト特集、お送りしています。えーと続いてはラジオネームけんさんのリクエスト。奥さんと出会った頃の思い出の曲なんだそうです。へぇー、夫婦で思い出の曲があるのって何だか素敵ですね。それではお送りします、曲は――』
ラジオから聞こえる穏やかな女性ボーカルの歌が、部屋の中を満たしていく。
魔理沙はベッドでシーツに包まれて、安らかな寝息をたてている。
聴く者のいないラジオは、静かな夜を邪魔しないように、人知れず囁き続けていた。
◆ ◆ ◆
面白い物を手に入れたり楽しいことがあったりしたときには、つい他の人にも自慢したくなってしまうものである。
魔理沙の自慢相手に選ばれてしまった博麗霊夢は、ちゃぶ台の上の古ぼけたラジオを前にして不思議そうに首を傾げる。
「何これ」
「ラジオだ」
「ラジオ、って?」
「外の世界の道具だ」
眉根を寄せ怪訝な面持ちで、恐る恐るラジオを指で突く霊夢。
魔理沙が慣れた手つきでアンテナを伸ばしボリュームを捻ると、ラジオはDJの声で喋りはじめる。
その声を耳にした霊夢は「わっ!」と小さな悲鳴をあげ、のけぞるようにして身を引いた。
「えっ、なに? これ誰が喋ってるの? まさかこの中に人が」
「そんなわけないだろ」
ラジオを指差しぱくぱくと口を開け閉めする霊夢がおかしくて、魔理沙は忍び笑いを漏らす。
「ラジオ放送っていって、何処の誰かはわからないが外の世界のどっかでコレに向けて喋ってる奴がいるんだ。どういう理屈かは知らんが、その喋ってる奴の声を遠くに離れていても聞こえるようにしてくれる道具が、このラジオってわけだ」
「むぅ、んとそれじゃあ、私たちのこと見えないほど遠くにいる、私たちの知らない誰かが独り言を喋ってるのが、この箱から聞こえてるってわけ?」
「独り言っていうか、これを聴いた人が楽しくなるようなお喋りだな。たまに音楽も鳴らす。何の目的でそんなことしてるのかは見当も付かないが」
「うーん、わかったような、わからないような……」
霊夢はラジオの前に正座して背筋を伸ばし、神妙な顔つきで放送に聴き入る。
『最新の洋楽チャートの中から上位100曲をカウントダウンで紹介していくこのコーナー。トップ3予想も14時まで受け付けていますので、電話またはメールであなたの予想する上位3曲を送ってください』
「どうだ? 外の世界の話を聞くってのも、たまには新鮮で面白いだろ」
「う、うーん、なんだか、肩が凝るわね」
「いや、そんな畏まって聴くもんじゃないだろ」
まるでラジオを睨み殺さんとするかのように凝視していた霊夢は、やがて「ぷはぁー」と息を吐いて、へなりと項垂れる。
「ごめん魔理沙、これたぶん私には向いてないわ」
「そうか。まぁ無理するな」
魔理沙が笑いながら肩を叩いてやると、霊夢は悔しそうな顔をしてこちらを睨みつけてきた。
「なに笑ってんのよ」
「いや、何でもない」
「あぁ、もうっ!」
投げやりに寝転がった霊夢は、足をばたばたさせて口を尖らせるのだった。
◆ ◆ ◆
『あなたの明日の運勢を血液型ごとにお知らせする、血液型占いの時間です』
魔理沙は魔道書をパタリと閉じ、椅子にもたれて大きな欠伸をする。
夜も更けて日付が変わろうとしていた。
血液型占いは、最近の魔理沙の楽しみとなっていた。星座占いやタロット占いなら知っているが、血液型占いはラジオを聴くまで知らなかった。
血液に型があることすら知らないし、当然ながら自分の血液型が何なのかも知らない。今度、永琳に会ったら聞いてみようと思う。
自分の血液型がわからないので、魔理沙は占いを聞いて一番運勢のよかった血液型を自分の血液型にすることにしていた。毎日血液型が変わるが、べつに気にすることもないだろう。
『A型のあなたはちょっとしたトラブルに巻き込まれそう。足下に注意してください。続いてB型の――ガガッ――思わぬ出会い――ガガガッ、ガッ――』
「ん、あー?」
唐突にラジオの音に雑音が混ざりだす。
魔理沙はラジオのツマミやアンテナを弄る。
『O型の――ザザッ、ザザザッ――――』
「おかしいな、壊れちゃったのかなぁ」
いくらツマミやアンテナを弄ってみても雑音は小さくならず、むしろだんだん酷くなっていく。魔理沙はなんとか音が戻らないかと、祈るような気持ちでラジオを弄り続ける。
やがてぷっつりと雑音が途絶え、ラジオからは何の音も聞こえなくなった。
「あ……」
ランプの弱々しい光に照らされる、部屋の中。
ラジオの音が途絶えて、部屋には何の音も聞こえない。
耳に痛いほどの静寂が、部屋に横たわっていた。
「こ、こんなに静かだったっけ……この部屋」
小さく呟いた声が思わぬ大きな響きに聞こえ、魔理沙は驚きと共に焦燥感のようなものを覚える。
真夜中の部屋は寒々としており、魔理沙は我知らず自分の身を抱きしめるようにした。
◆ ◆ ◆
翌日、魔理沙の姿は河童の工房にあった。
妖怪の山の中腹。滝の裏にある天然の洞窟を活かした工房では、河童たちが思い思いに機械を作ったり解体したり直したり壊したりしている。
「あいかわらず湿気った所だな。体の調子がおかしくなってしまいそうだ」
「私たちには丁度良いんだよ。こんな所にやって来る人間なんてあんたくらいしかいないからね、我慢してくれ」
河城にとりは作業の手を止め魔理沙に向き直る。
「それで、今日は何の用だい」
魔理沙は昨晩の様子をにとりに説明し、音の出なくなったラジオを手渡した。
にとりは作業台の上にラジオを置き、部品のひとつひとつを確かめるように弄りだす。
「昨日までは綺麗に鳴ってたんだがな」
「でも今は音が鳴らない、と。ふーん、初めて見る道具だなこりゃ」
にとりもまた裏蓋に気付き、電池を取り出す。
「電気式かぁ、ちょっと苦手かも」
「どうだ直りそうか?」
「どうだろ、構造も作動原理もわかんないからなぁ。解体すれば何かわかるかも知れないけど」
「解体したら直せるのか?」
「それは保証できないし、ついでに元通り組み直せる保証もない」
「じゃあ駄目だ」
ひととおりラジオを調べたにとりだったが、さっぱりだと言いたげに肩を竦める。
「大体さ、なにかを鳴らす道具だってのはわかったけど、こいつは一体なにを鳴らすのさ」
「そりゃラジオ放送だろ」
「ラジオ放送? 何だそりゃ」
「何ていうのかなぁ、ほら、外の世界で誰かがコイツのために喋ってるんだよ。それをコイツは受けとってな、喋ってることを鳴らすんだよ」
訝しげに魔理沙の説明を聞いていたにとりだったが、次第に目を見開き、確かめるようラジオに向き直る。
「えっ、じゃあ外の世界では、その何とかっていう言霊みたいなのを飛ばしてて、この道具があればそれが聴けるの?」
「ああ、昨日までは聴けてた」
「ねぇねぇ、バラしてもいい?」
「駄目だ。バラさずに直してくれ」
ちぇっ、と小声で呟き、にとりは再びラジオを弄りだす。
「雑音はともかく、音が鳴らなくなったんだろ? だったら故障じゃないかもね」
「故障じゃない?」
「うん、どうだろ。ああ、ほらやっぱり」
にとりの指し示す手元にあるのは豆電球。そこから伸びた線はラジオから取り外した電池に接続している。
豆電球に灯りは点らなかった。
「こいつは電球といって電気の力で灯りを点す道具なんだ。繋げた電池に電気がちゃんと蓄えられていれば明るく光るはずなんだけど、これは暗いままだろ?」
「ほう、つまり」
「この電池に蓄えられた電気はもう使い切った後だってことだね。つまりラジオは腹が減ったから動けなくなったってこと。電池を取り替えればまた鳴るようになるよ」
「なるほどわかった。じゃあ私に電池をくれ」
「それは残念だけど止めておいたほうがいいだろう」
作業台から取り上げたラジオを、にとりは魔理沙に手渡す。
「私らの作る電池はまだまだ不安定なんだ。力が強過ぎたり弱過ぎたりしてね、下手すりゃこの道具を壊してしまいかねない。元々私らの作った道具ならまだ直せるけど――こいつは違うだろ?」
「ふーむ、すると外の世界の道具を動かしたいなら……」
「そう。電池もまた外の世界から漂着してくる物に頼るしかないってわけ」
「そうかぁ、じゃあ仕方ないな」
電池の入手に河童が頼りにならないのならば、やはり霖之助に頼るしかないのだろう。
やれやれ、と魔理沙は帽子をかぶり直した。
◆ ◆ ◆
――カランカラン
ドアベルの音に、霖之助はゆっくりと本から顔を上げる。
「やあ魔理沙。しばらくぶりだね」
また店の品物を引っかき回しに来たのか、と内心溜息をついた霖之助だったが、魔理沙は妙に真面目くさった顔でカウンターへやって来た。
「よう香霖。聞いて驚け」
「それはびっくりしたな」
「だと思ったぜ」
「で、何がだい」
仕方ないので話を促してやると、魔理沙は猫のように目を細めて微笑んだ。
「今日の私は、ちゃんとした客だ。買い物に来たんだからな」
「なんだって……?」
霖之助は思わず魔理沙を二度見した。
どういう風の吹き回しだろうか。魔理沙は大抵ツケと称して商品を勝手に持ち去るか、よくて物々交換を持ち掛けてくるくらいだ。お客として振舞うなんて、明日は季節外れの雪でも降るのかも知れない。
「まあ、お客さんなら歓迎するさ。で、何をお求めで?」
「電池だ」
魔理沙は短く答える。
霖之助は、ふむ、と頷いた。電池の在庫なら、まだ何本かあったはずだ。
持ってきてやろうと立ち上がったところで、霖之助は勘付いた。
「――この前のラジオか。魔理沙、君はあの道具の正しい使い方を見つけたんだね」
「いや、相変わらずだ。あれはああいう雑音を鳴らす道具だな」
「じゃあなんで電池を欲しがる」
「まぁ最初は気持ち悪くて嫌な音だったんだが、ずーっと聴いてるとなかなか味があるっていうか癒やされるっていうか癖になるっていうか」
「そういうものかね。僕には少しも理解できないが」
「肩凝りも治るしな」
どうも魔理沙の態度は胡散臭いが、一度引渡した品物を返せと言って素直に聞く性格でもない。
仕方ない、と肩をすくめ、電池を取り出してくる。相手がお客さんならば、少々のことは大目にみるべきなのだろう。
「――さて、この商品の値段は」
「ああ、支払についてだが、身体で払うぜ」
「なんだって……?」
またしても霖之助は魔理沙を見る。
魔理沙は極めて無邪気な笑みを浮かべている。少なくとも霖之助にはそう見えた。
「なんでもするぜ、やれることならな。どうする、香霖?」
「……」
結局、魔理沙に真っ当なお客さんを期待するのは誤りだったのだ、と霖之助は悟る。
心なしか楽しそうな様子で聞いてくる魔理沙を眺めつつ、再び内心で溜息をつく。
「……入り口の藪が茂ってきて不自由している」
「ああ、入るのに難儀した」
「そこで藪を苅るのが得意な魔法使いの出番だ」
「なるほ――えっ?」
霖之助は、店の裏手を指差す。
「軍手も剪定鋏も、そっちのほうに置いてある」
「……」
魔理沙はしばらく黙って俯いていたが、やがて勢いよく顔を上げてこちらを睨みつけてきた。
「わかった。見違えるようにしてやる。ただし……報酬はそこに出してある分の倍で手を打とうじゃないか」
「欲張り者は碌な死に方しないぞ」
「そんなの死んでから考えるさ」
霖之助が渋々頷くと、魔理沙は肩を怒らせてドアの方へと足音荒く向かって行ったのだった。
◆ ◆ ◆
電池がなくなったら聴けなくなってしまう以上、いままでのようにラジオを鳴らしっぱなしで生活するわけにもいかない。
魔理沙としては、霖之助に頼らずとも電池を手に入れられるようにしたいところだが、これといった当てがあるわけでもなかった。
幻想郷で電池が売っていれば話が早いのだが、そんな光景を魔理沙は見たことがない。河童にできないのなら人間にも無理なのだろう。
とりあえずは電池を手に入れる良い案も浮かばないので、今ある電池を大切に使っていくしかない。必要のない時はこまめにラジオを切って、節約していくしかないという状況であった。
『ラジオショッピングのお時間です。今日ご紹介するのは最新の超音波歯ブラシ』
「うぅー、うん……?」
魔理沙はテーブルから顔を起こす。いつの間にかうたた寝をしてしまっていたようだ。
ラジオに手を伸ばし、ボリュームを捻って電源を落とす。
ぼーっとする頭で再びテーブルに伏せ、小さな寝息をたてる。
電池を節約することで、ラジオを聴ける時間がどれほど延びるのかは、正直見当も付かなかった。
でも以前のように寝ている間も鳴らしっぱなしだなんてことは止めたわけだから、前よりも長く保つのは確実だろう。
ずっと聴き続けられたらいいんだが、と魔理沙は思った。
◆ ◆ ◆
『メッセージを紹介します、ラジオネームぽん太さん。私には付き合っている彼がいます。高校に入って知り合ったのですが、彼が東京の大学に進学を決めたため、この春から遠距離恋愛になります』
魔理沙は洗濯物を畳む手を休めて、ラジオに聞き耳をたてる。
自分と関係ない見ず知らずの人間の話を聞くのは、思った以上に楽しい。無責任に聞いて、なんとなく感情移入して、気楽に忘れてしまえる。
『高校の頃は毎日一緒に居たのに、会えない日が続い――ザザッ』
「あれっ!?」
ラジオに雑音が混ざり出す。前の電池切れと同じだ。
節約しながら使っていたから、まだ電池が切れるはずはないのに。ツマミを弄っても駄目だった。これも前回と同じ。
仕方がないと溜息をつくと、魔理沙は一旦ラジオを切り、しまっておいた予備の電池と取り替える。
『それで彼に知らせずに東京まで会いに――ザーザザッ』
「えっ、嘘だろおい!」
電池切れならば電池を取り替えたことで直るはずだが、ラジオから聞こえてくるのは相変わらず雑音混じりの音。
霖之助が渡してきた電池が全て不良品だったというのでなければ――。
「……まさか、壊れた?」
電池を取り替えても雑音が直らないということは、原因が電池ではなくラジオ本体の故障だということを意味する。
だとすれば、これ以上魔理沙にできることはない。諦めてラジオの電源を切った。
壊れた道具を修理できそうなツテを、魔理沙はにとり以外に知らない。
◆ ◆ ◆
『いま話題の映画を紹介するこのコーナー。今日ご紹介――ザザー――この映画はアカデミー賞に――ザザッ、ザー』
作業台の上で鳴るラジオに、にとりは羨望の眼差しを向けていた。
「こりゃ凄い! 聞こえてくる話の内容から推察するに、このラジオ放送という物は不特定多数に向けて送られているのだろうけど、それを受け取って鳴らすコイツも凄いが、むしろ凄いのは送っている側だな。明らかに幻想郷の外から! こんなにまで明瞭に!! 一体どんだけ凄い規模の施設なのかと想像するだけで、もう!」
「あー、まぁよくわからんが、昨日までは雑音とかなくて、もっと聞きやすかったんだよ」
「え、これよりもっと? ねぇもう我慢できない。バラすけどいいよね? いや止められてもバラすけど」
「絶対駄目だ、バラさずに直してくれ!」
ドライバーとペンチを手に、満面の笑みでラジオを見つめるにとりを、魔理沙は羽交い締めにして取り押さえる。
そこから発展した取っ組み合いの喧嘩の末、魔理沙は何とかにとりを押さえ込んだ。
「わかった降参だ。ラジオはバラさない約束する」
「ああ、バラすことなく修理してくれ」
「それは無理」
「無理だぁ!?」
魔理沙のアキレス腱固めからするりと抜け出ると、にとりは魔理沙の目をまっすぐ見つめる。
「前にも言ったじゃん。構造も原理もわかんないんだもん、お手上げだよ」
「そこを何とか!」
「あのさぁ、たとえばカレーの作り方も原材料も知らない人にノーヒントでカレー作らせたとして、美味しいカレーができあがると思う?」
「それはまぁ、無理かもしれないが」
「それに、もし構造がわかったとしても、それでも直せないかもしれない」
にとりは作業台のラジオを抱き上げるように、そっと手に取る。
「どれほど前に作られた道具なのかはわからないけど、使い古されて相当くたびれてるだろ? もう寿命だったとしてもおかしくないよね」
「寿命? 道具にも寿命なんてあるのか?」
「そりゃあ勿論、道具だって人間と同じさ。妖怪はちょっと違うかも知れないけど、でもいずれは無に還るってのは同じ。形ある物いつかは壊れる。永遠に続くのなんて蓬莱人くらいなもんだよ」
「じゃあこのラジオは寿命だから直せない、あとは死ぬのを待つだけってことか」
魔理沙の言葉に、にとりはゆっくりと頷く。
「でも寿命の尽きる最後まで、道具として大事に使われたんだ。こいつは幸せ者だよ」
「そうかな……そうだといいんだけどな」
古ぼけたラジオを眺め、魔理沙は寂しく笑った。
◆ ◆ ◆
夜になった。
風呂上がりの寝間着姿で魔理沙は鏡台の前に座り、長い髪に櫛を通す。
賑やかに物の溢れかえった部屋に、髪を梳く音だけが静かに響く。
櫛を置くと、魔理沙はベッドに寝転びシーツを被る。
枕元に置いたラジオのボリュームを手探りで見つける。もう日課となった動作だった。
そのまま何気なく動かそうとした指先が、一瞬止まる。
だが、結局ゆっくりとツマミを捻って、ラジオを歌わせる。
耳に届いてきたのは、昼間よりも更に酷い雑音混じりの声。
『続いてお送りするのは、アリ・バローゾが作曲したサンバの名曲『Aquarela do Brasil』日本では『ブラジル』の名で知られている曲です』
DJの曲紹介の後、聞き覚えのある曲が流れ出した。初めてラジオが魔理沙に聴かせてくれた、あの陽気な曲だった。
香霖堂でラジオを発掘した日。突然の雑音に驚いて、茸と交換して急いで家に持ち帰って、色々と弄ってみて。
やっと音楽が聞こえてきた瞬間の喜びは、しかし昨日のことのように鮮明に思い返すことができる。
それからの日々は、ラジオと共にあった。音楽を聴き、天気予報を確かめ、交通情報を知り、トークに相槌を打つ。ニュースについて考え、占いを楽しむ。
そこには未知の世界への憧れと、浪漫があった。
途切れ途切れに聴こえてくる音楽は、さながら最後の灯火のようで。
魔理沙は枕に顔を埋め、あの曲はブラジルという題名なのかと思った。
陽気で、どこか物悲しくも感じられるその演奏を聴きながら、魔理沙は不思議な安らぎに包まれていた。
◆ ◆ ◆
小鳥の囀りが聞こえた。
ぼんやりとした意識の中で、朝の日の光の眩しさを感じる。ラジオを聴いているうちに寝てしまったようだ。
枕元のラジオはもう音を鳴らしていない。
ゆっくり起き上がり、ラジオを引き寄せる。
ボリュームのツマミを捻ってみる。
カチリとした手応えがあったが、ラジオからは何の音も聞こえてこない。
魔理沙はラジオを枕元に置き直し、くたびれたそれを撫でる。
何故だかわからないが、自分が微笑んでいることに魔理沙はその時気付いた。
◆ ◆ ◆
それから幾許かの時が流れ、魔理沙はラジオを手に入れる前の日常へと戻った。
「本なんて自分の家でも読めるんだから、わざわざうちに来なくてもいいじゃないの」
「自分の家じゃなくても読めるんだから、自分の家じゃない所で読んでも別にいいだろ」
博麗神社の居間に腹這いで寝転がり、分厚い魔道書を読みふける魔理沙。
霊夢は小言を言いながらも、魔理沙に淹れたお茶をちゃぶ台へ置く。
「ん、すまんな」
「ねぇ魔理沙」
「なんだ」
「今もあの、何だっけ、ラジオ? あれ聴いてるの」
「いや、あれはもう聴けなくなった」
少し前まではあまり顔を見せに来なかった魔理沙が、最近はまた頻繁に訪れるようになった。
また騒がしくなったと内心溜息をつきながらも、これはこれで、と霊夢は思う。
「聴けなくなったって、壊れちゃったとか?」
「んー、寿命だな、寿命」
「そっか」
「まあ、本だって服だって使いすぎてボロボロになったら役に立たないしな」
だから仕方ない、と。魔理沙は小さく呟いた。
開け放した引き戸の向こうから、雲雀の鳴き声が聞こえてきた。
「なぁ霊夢」
「なに?」
魔理沙は魔道書を閉じて起き上がり、霊夢に笑いかけてくる。
「霊夢は、外の世界に行ってみたいとか、思うのか」
唐突にも思える問いかけに、霊夢はうーんと考え込んでしまう。
外の世界の話は紫からたまに聞くし興味がなくもないけど、今の日常も気に入ってるわけだし。真剣に悩む類いの質問でもないんだろうけど、すぐに答えが出せないのも確かで。
「魔理沙は行ってみたいの?」
だから逆に質問してみる。
「私か? 私は魔法使いだからな。魔法が使えない外の世界には用はない」
「そっか、じゃあ私もかな。ここのことも気に入ってるし」
「ああ」
「でも、ちょっとの間、覗き見するつもりで遊びに行くのはいいかもね」
「悪くないかもな」
行くつもりのない外の世界を、ちょっとの間、覗き見。
振り返ってみれば、ラジオのある日常が魔理沙にもたらしたものは、それに近い楽しさだったのではないかと、そう思えた。
あの日を境に、二度と鳴ることのないラジオ。
それは魔理沙の家の窓際に、今でも置かれている。
鳴らないラジオは只の箱でしかない。何の役にも立たない。
でも、魔理沙には、どうしてもそれを捨てようという気が起こらないのだった。
終
一貫して落ち着いた雰囲気がとてもいい。
面白かったです。
機械として寿命を迎えたんだからって、第二の人生が待ってないとも限らないじゃないかな?
ラジオならまた霖之助が見つけることがあるかもしれませんね。
魔理沙もかわいい。
さらさらとラジオを流し聴きしているかのごとく、読み進めていきましたが
最後の外の世界に対する二人の会話がいかにも二人らしいと感じました。
でも、もう一味あったら満点でした。
それとは別に、メディスンや小傘と捨てられた者ばかりが目立つ中で、
大事にされて九十九神や妖怪になる者が出てきてもいいんじゃないかと思ったりしました。
ゆったりとした雰囲気や台詞が素敵でした
ノスタルジーのような何かを感じます。
雰囲気とかとても好きです。
無性に好きです、この作品。
琴線に、すごいきた。
趣きのあるお話でした。
最近は車の中ではラジオよりCD派ですが、ラジオには独特の渋い魅力がありますよね。
そんなちょっとした渋い柔らかさが味わえる、なんとも暖かいお話でした。
自分はラジオがもはや一般的ではなくなっていた世代なので、ラジオってのはちょっとした浪漫なんですよね。
何年も前の記憶をこうも引き出してノスタルジックな気分にさせてくれたこの作品を読ませてくれた作者様(たち?)に感謝。
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