月の砕ける音を聞いた。
眠りが目蓋の裏側を煙らせる、深更のことだった。
土を枕にしてからは数刻が経っていて、彼女は血のにおいを聞いてばかりだった自分の身体を少し疑った。生き物の気配がしたからである。旅装として結った髪の毛を網代笠(あじろがさ)の下に隠し、傷病者のたむろする穴蔵を這い出ていった。
弥陀にすがる者の読経の声が、背後に高い。
拳ほどもある石に御仏(みほとけ)の面(おもて)が現れたというのは、死に瀕した者が見る一種の幻なのかもしれなかったが、今の尼公にはそれでさえも自分の代わりを務めてくれるには十分すぎると思う。彼女は、彼らを救えない。山窩(さんか)も河原者(かわらもの)も、春売る祝(はふり)も巫(かんなぎ)も、ここでは生きた骸(むくろ)だった。生きる仏よりも、冷たい石の肌の仏に手を合わせていた方が、何倍も功徳(くどく)というものだろう。山肌に穿たれた『家』に安住することを、尼公は何日かぶりに棄て去った。矢傷刃傷に塗るための“にかわ”でさえも、自分は持ち合わせていないのだ。
燃え残ったいくさの燻ぶりは、未だ夜のさなかに残っている。
赤々と遠近(おちこち)に篝る(かがる)ものは、悲嘆でもあり、また快哉でもある。
御仏の声は刃ふり下ろすを防ぐに及ばず、それどころかその一撃にさらに重みを加えるためのものに成り下がってしまっているのだ。武者(むさ)の世に乱声(らんじょう)するものなど、鬨(とき)の声であれ雑兵の下卑た笑いであれ、殺されていく者たちには変わりない。がざがさと踏み破られていく草鞋(わらじ)の下の土のもろさが、尼公の涙を塞いでしまったかのようだった。火に巻かれて死んだ人々を踏みつけたことへの罪科の念よりも、そんなものを今では何とも思わない自分自身に、彼女は、いちばい厭らしいものを感じないわけにはいかなかった。
もはや骨肉の腥い(なまぐさい)色も、夜の中には浮かび上がらない。
屍体の焼けるにおいが渦を巻き、立花のごとく地に咲く無数の矢が眼の前を飾り立てているだけなのだ。
穴蔵は、いつか豆粒みたいに小さくなるほど遠ざかって、夜闇に融けて見えなくなった。
弥陀にすがる難民たちの呻きと、いつ果てるともない勝者の驕った快哉は、もはや沈黙が長く続くかのように彼女の耳を聾するだけだ。だから、月の砕ける音だけが明瞭に響く。飢えた獣の吠えるような、――だというのに、何か物悲しい音がする。
「お顔をお上げなされませ。弔いが要るというのなら、わたしが引き受けて差し上げます」
「あなたさま、誰でございますか」
「遊行(ゆぎょう)の尼僧です。向こうの、穴蔵にしばし身を潜めておりました」
とは申しても、尼公が指し示した方角はとっぷりと夜に包まれている。相手には見えもしない。しゃがみ込み、月の砕ける音の源をよく見据えた。うつくしい、黄金(こがね)の眼をしている。癖のある髪の毛は煤にまみれ、その下で輝いているのだろうやはり黄金の髪は、すっかり汚れきっていた。
「あ、ああ……どうか。どうか、私の顔など見ないでくださりませ」
「なぜ」
「母がかなしみます。“寅丸”は物の怪なのです。そのせいで、世の人のことごとくはわが母のことを厭うておいででした。化け物の母として」
差し伸べられた尼公の手を振り払い、その人は後ずさった。
だけれど、その身の向こうには黒焦げの塊がある。
手は、その固まりから力なく伸びた棒きれのようなものを離しもしなかった。
五つの又に分かれたあいだを、手指は愛おしげに撫でている。
骸は、ほとんどが焼け爛れて腕の部分しか残っていなかったのだ。
もう亡い人への嘆きが、“寅丸”の喉から、月を砕くとさえ思わしめるほどの泣き声を上げさせていた。
「見るな、と申しても、この眼を潰しでもせぬ限りは如何な醜さと思うものでも眼には入りましょうが。わたしは、尋常の人の子と同じ容貌をしながら、その血筋や出自のために世の人に疎まれてきた者たちと寝食を共にしたこと、数えきれませぬ。今、あなたに出会うてしまう前も、そのような人々と同じ場所に居た。斯様(かよう)にわが身をお嫌いになることはない。産まれに関わりなく御仏は衆生(しゅじょう)をお救いになり、衆生もまた御仏に成ることができる」
赤く泣きはらした目蓋のうちに、“寅丸”は尼公を見返した。
少年のような容姿だが、胸元には、ひそかな乳房の膨らみが見える。
男子(おのこ)のごとき命名だと尼公は思う。
あるいは悪いものが憑かないようにするため、死んだ彼女の母がそういう名をつけたのかもしれない。
「……寅丸は御仏など信じませぬ。御仏は、母の胎のうちに物の怪、宿らしめました。この黄金の髪と眼をご覧なされませ。どうしたって、人の子のものではあり得ませぬ」
「したが、あなたは人並みに亡きお母上を慕うておられるご様子」
「私に行く当てなどどこにもないのです。だから、こうして母の元に居るより他にない。母は、弥陀を信心しておれば人はみな浄土に参ることができると言うておりました。そのように唄うてもおりました。なれど、この世は火宅(かたく)です。御仏を信心していた母の胎より寅丸が産まれるは、末法にては仏も物の怪と同じにまで堕するということなのでしょう。癩(らい)を病んで肌の溶け崩れた者たちや、飢えて人の肉を喰わねばならなかった者たち、諸々の物の怪たち。そういう者らは、みな“仏罰”と称して殺されていきました。母もまた、いくさの火にて焼かれました。ただ、舞いて唄うていることしかできぬ女性(にょしょう)であったというのに」
初めて、母の遺骸から手を離す。
そして、尼公の着物の裾に取りすがって、その金色の瞳を輝かせた。
「厭離穢土、欣求浄土のため、人は念仏唱え、仏に手を合わせますが、御仏は人をお救いしてはくださらない」
皮肉げに笑むと――“寅丸”は細い声で、しかし朗々と唄った。
たぶん、その唄こそが彼女の母が好んでいた唄なのだということが、尼公にはとっさに感づかれた。
『仏は常に在(い)ませども』
『現(うつつ)ならぬぞあはれなる』
『人の音せぬ暁に』
『ほのかに夢に見え給ふ』
唄い終えてなお、少女は落胆したままだった。
肉親が死した悲しみということを、尼公もまた知らないではない。
死の床に伏した弟の、日一日と痩せ枯れて行く腕を取り、信じてもいない生の望みを告げなければならないことの辛さを、忘れたことはいちどたりとてなかったのだ。だからこそ、邪法外法と幾ら人に痛罵されても、不死の秘術を追い求めることが尼公にはどうしても必要だった。御仏は、ともすれば逃げ水の陽炎と同じである。見えたと思って追いすがれば、実体のない潤いだけが憧れを突き刺していく。念仏は人を救わない。仏に祈っても火宅からは逃れようがない。“寅丸”は、尼公とよく似ていた。
焼け爛れて形を喪った母の遺骸のうち、かろうじて人の面影を残していた腕一本の骨を取り、“寅丸”は立ち上がる。思いのほか大柄な少女は「念仏を、少しで良いので教えてはくださりませぬか」と乞うた。
「御仏の功徳を信じてはいないと、さっき、そのように申していたはずでは」
「私のためではございませぬ。母のためです。たとえどんなにひどい嘘でも、母は御仏のことをずっと信じておりましたゆえ。だから、御仏の言葉で弔うてやらなければならないと思うのです」
なるほど、と、尼公はうなずく。
同時に、なぜだか少しだけ可笑しくもあった。御仏を信じぬ者に乞われて、御仏を疑うている者が、御仏を信じていた者を弔うのだ。これが狂気でなくて、いったい何だというのだろうか。
すでに形の崩れかけてた人の灰の中から、未だ骨のままで残っているものをふたりは探し当てた。砕けもしない月明かりは甚だ心細く、すべての骨のかけらを掘りだすまでには、暁がやって来るまで時を浪費しなければならなかった。明々と染まっていくいくさの跡には、もう冷たい夜のなかに燃え盛っていたはずの悲嘆はなかった。快哉もなかった。人々を殺す辻風のような烈しい正義は、自分たちなら創りだせると信じている、新しい時代を追いかけることの方に忙しい。はるか遠くで貝が吹かれ、鏑矢(かぶらや)が鳴り、尼公と“寅丸”の耳を弄した。それは、もう、夜のあいだに“寅丸”が唄っていた唄と、ほとんど同じだけのうつくしさを持つ旋律としか思えなかったのだが。
円匙(えんし)もなく、棺桶もなく、すべては手作業のままに終えられた。
土をかき分けたふたりの指は煤と土とで真っ黒に汚れ、爪の間には粒ほどの小石の感触が残る。盛り土をし、誰にも直ぐに唱えられるだろう簡便な経文を教え、尼公と“寅丸”はようやくにして拙い弔いを成し遂げていた。
読経のあいだ――尼公は怨嗟の声を聞いた気がする。
浄土が何なのか、どこに在るのかも解らずに、死んでいった人々の声。
それは人の眼にてとらえることのできるあらゆる天地(あめつち)が孕む宿業そのものであり、在りもしないものを信じてしまったがゆえに、永劫、冷たい苦悩の中をさまよわなければならなくなった、無数の幽鬼の影を感じさせた。
彼らもまた、救われなければならないのだ。
けれど、御仏は決して手を差し伸べてはくれなかった。
この世に浄土があるというのなら、それは浄土を夢見ながら死んでいく者たちが折り重なる、夜の光景であったのかもしれない。であるなら人を救うのは、同じ人の手と思いとを用いて成し遂げられなければならないはずだった。かつて尼公が己の弟の死に咽び、外法のすべを追い求めたときのように。
「“寅丸”と、申しましたね。これから、あなたはどうするのです」
「解りませぬ。賤しき白拍子の子である私は、まことの父も知りませぬゆえ」
形ばかりの弔いを終えると、“寅丸”は少しだけ気力を回復したように見えた。
が、唯一の肉親を亡くしたことの重みは、未だその声を一段と重いものにしてはいた。
「“寅丸”の念仏は、幾らかでも母の元に届いたのでありましょうか」
「さあ。この尼公にも、それとは判じかねることですが、」
もう直ぐ、夜が明けきるときだ。
東の空には、太陽につき従うかのように浮かび上がる明けの明星が輝いている。
「少なくとも、お母上を弔うておくことで、あなた自身は少しだけ救われたのではありませぬか」
“寅丸”は笑った。
それが尼公の詭弁であることをどこかで見抜いているような、幼い嘲りでできた笑いだった。
「死して“寅丸”は地獄に落ちましょう。御仏を信じたことはいちどとしてなかったというのに、いま、あなたの言うたことをほんの少しだけ、本当のことかもしれないと思うてしまったのですから」
明星の光を見、尼公は数歩ばかり歩みを進めた。
“寅丸”は、追いかけてこない。ただ、彼女の背を見つめているだけだ。
「現世のどこにも御仏が居られぬというのであれば、われら生者(しょうじゃ)が人の手にて、御仏を創りあげるよりほかありませぬ」
振り返ると、“寅丸”の眼は尼公の顔など少しも見てはいない。
じいと空を――つまりは尼公と同じものを見つめていた。
「仏は、きっとどこに在るものでなし。仏は、成るものに違いありませぬ」
「成るのですか。何が、仏になるというのです」
「すべてのものが。木や石でさえ仏に成り、衆生の尊崇を得ることがある。どうして、人や物の怪が仏に成れぬなどということが許されましょうか」
す、っ、……と、“寅丸”は空を指し示す。
すでに早暁の明るみに薄らいでいる明星が、彼女の指先にははっきりと捉えられていた。
「あれ。あの、うつくしき明星もまた、御仏に成ることができるのですか」
「必ず、成れます。いつか、必ず――――」
しばらく、ふたりは一緒に空を眺めていた。
明けの明星――金星が東の空から姿を消すまでのあいだ、ずっと。
夜のあいだ、尼公が背にしていた穴蔵の中のうめき声は、もう、そのすべてが絶え果てていた。お許しください、と、尼公は念じる。わたしは、あなたがたの元に居ることはできなかった。なぜなら人の成る仏は、木や石の仏よりももろく、儚い。今は未だ、何の気配もない。けれどあと数刻もすれば、穴蔵は死者たちのための『家』と化す。腐敗しきった己の善の中で、尼公は“寅丸”にそんなものを見せたくはないと思った。願わくば人の手で創り上げられる仏からは、その御名と言葉から溢れ出、人々を殺すことしかできない膿のような正義がなければ良いのに、と。
「あれは、“寅丸”が御仏を見出した星。そうです、あなたは星。寅丸星」
少しのあいだ、“寅丸星”は尼公の申し出に驚き、眼を見開いていた。
それから、何となしに仏頂面らしいものになって――何度も、何度も、うなずいて見せた。
眠りが目蓋の裏側を煙らせる、深更のことだった。
土を枕にしてからは数刻が経っていて、彼女は血のにおいを聞いてばかりだった自分の身体を少し疑った。生き物の気配がしたからである。旅装として結った髪の毛を網代笠(あじろがさ)の下に隠し、傷病者のたむろする穴蔵を這い出ていった。
弥陀にすがる者の読経の声が、背後に高い。
拳ほどもある石に御仏(みほとけ)の面(おもて)が現れたというのは、死に瀕した者が見る一種の幻なのかもしれなかったが、今の尼公にはそれでさえも自分の代わりを務めてくれるには十分すぎると思う。彼女は、彼らを救えない。山窩(さんか)も河原者(かわらもの)も、春売る祝(はふり)も巫(かんなぎ)も、ここでは生きた骸(むくろ)だった。生きる仏よりも、冷たい石の肌の仏に手を合わせていた方が、何倍も功徳(くどく)というものだろう。山肌に穿たれた『家』に安住することを、尼公は何日かぶりに棄て去った。矢傷刃傷に塗るための“にかわ”でさえも、自分は持ち合わせていないのだ。
燃え残ったいくさの燻ぶりは、未だ夜のさなかに残っている。
赤々と遠近(おちこち)に篝る(かがる)ものは、悲嘆でもあり、また快哉でもある。
御仏の声は刃ふり下ろすを防ぐに及ばず、それどころかその一撃にさらに重みを加えるためのものに成り下がってしまっているのだ。武者(むさ)の世に乱声(らんじょう)するものなど、鬨(とき)の声であれ雑兵の下卑た笑いであれ、殺されていく者たちには変わりない。がざがさと踏み破られていく草鞋(わらじ)の下の土のもろさが、尼公の涙を塞いでしまったかのようだった。火に巻かれて死んだ人々を踏みつけたことへの罪科の念よりも、そんなものを今では何とも思わない自分自身に、彼女は、いちばい厭らしいものを感じないわけにはいかなかった。
もはや骨肉の腥い(なまぐさい)色も、夜の中には浮かび上がらない。
屍体の焼けるにおいが渦を巻き、立花のごとく地に咲く無数の矢が眼の前を飾り立てているだけなのだ。
穴蔵は、いつか豆粒みたいに小さくなるほど遠ざかって、夜闇に融けて見えなくなった。
弥陀にすがる難民たちの呻きと、いつ果てるともない勝者の驕った快哉は、もはや沈黙が長く続くかのように彼女の耳を聾するだけだ。だから、月の砕ける音だけが明瞭に響く。飢えた獣の吠えるような、――だというのに、何か物悲しい音がする。
「お顔をお上げなされませ。弔いが要るというのなら、わたしが引き受けて差し上げます」
「あなたさま、誰でございますか」
「遊行(ゆぎょう)の尼僧です。向こうの、穴蔵にしばし身を潜めておりました」
とは申しても、尼公が指し示した方角はとっぷりと夜に包まれている。相手には見えもしない。しゃがみ込み、月の砕ける音の源をよく見据えた。うつくしい、黄金(こがね)の眼をしている。癖のある髪の毛は煤にまみれ、その下で輝いているのだろうやはり黄金の髪は、すっかり汚れきっていた。
「あ、ああ……どうか。どうか、私の顔など見ないでくださりませ」
「なぜ」
「母がかなしみます。“寅丸”は物の怪なのです。そのせいで、世の人のことごとくはわが母のことを厭うておいででした。化け物の母として」
差し伸べられた尼公の手を振り払い、その人は後ずさった。
だけれど、その身の向こうには黒焦げの塊がある。
手は、その固まりから力なく伸びた棒きれのようなものを離しもしなかった。
五つの又に分かれたあいだを、手指は愛おしげに撫でている。
骸は、ほとんどが焼け爛れて腕の部分しか残っていなかったのだ。
もう亡い人への嘆きが、“寅丸”の喉から、月を砕くとさえ思わしめるほどの泣き声を上げさせていた。
「見るな、と申しても、この眼を潰しでもせぬ限りは如何な醜さと思うものでも眼には入りましょうが。わたしは、尋常の人の子と同じ容貌をしながら、その血筋や出自のために世の人に疎まれてきた者たちと寝食を共にしたこと、数えきれませぬ。今、あなたに出会うてしまう前も、そのような人々と同じ場所に居た。斯様(かよう)にわが身をお嫌いになることはない。産まれに関わりなく御仏は衆生(しゅじょう)をお救いになり、衆生もまた御仏に成ることができる」
赤く泣きはらした目蓋のうちに、“寅丸”は尼公を見返した。
少年のような容姿だが、胸元には、ひそかな乳房の膨らみが見える。
男子(おのこ)のごとき命名だと尼公は思う。
あるいは悪いものが憑かないようにするため、死んだ彼女の母がそういう名をつけたのかもしれない。
「……寅丸は御仏など信じませぬ。御仏は、母の胎のうちに物の怪、宿らしめました。この黄金の髪と眼をご覧なされませ。どうしたって、人の子のものではあり得ませぬ」
「したが、あなたは人並みに亡きお母上を慕うておられるご様子」
「私に行く当てなどどこにもないのです。だから、こうして母の元に居るより他にない。母は、弥陀を信心しておれば人はみな浄土に参ることができると言うておりました。そのように唄うてもおりました。なれど、この世は火宅(かたく)です。御仏を信心していた母の胎より寅丸が産まれるは、末法にては仏も物の怪と同じにまで堕するということなのでしょう。癩(らい)を病んで肌の溶け崩れた者たちや、飢えて人の肉を喰わねばならなかった者たち、諸々の物の怪たち。そういう者らは、みな“仏罰”と称して殺されていきました。母もまた、いくさの火にて焼かれました。ただ、舞いて唄うていることしかできぬ女性(にょしょう)であったというのに」
初めて、母の遺骸から手を離す。
そして、尼公の着物の裾に取りすがって、その金色の瞳を輝かせた。
「厭離穢土、欣求浄土のため、人は念仏唱え、仏に手を合わせますが、御仏は人をお救いしてはくださらない」
皮肉げに笑むと――“寅丸”は細い声で、しかし朗々と唄った。
たぶん、その唄こそが彼女の母が好んでいた唄なのだということが、尼公にはとっさに感づかれた。
『仏は常に在(い)ませども』
『現(うつつ)ならぬぞあはれなる』
『人の音せぬ暁に』
『ほのかに夢に見え給ふ』
唄い終えてなお、少女は落胆したままだった。
肉親が死した悲しみということを、尼公もまた知らないではない。
死の床に伏した弟の、日一日と痩せ枯れて行く腕を取り、信じてもいない生の望みを告げなければならないことの辛さを、忘れたことはいちどたりとてなかったのだ。だからこそ、邪法外法と幾ら人に痛罵されても、不死の秘術を追い求めることが尼公にはどうしても必要だった。御仏は、ともすれば逃げ水の陽炎と同じである。見えたと思って追いすがれば、実体のない潤いだけが憧れを突き刺していく。念仏は人を救わない。仏に祈っても火宅からは逃れようがない。“寅丸”は、尼公とよく似ていた。
焼け爛れて形を喪った母の遺骸のうち、かろうじて人の面影を残していた腕一本の骨を取り、“寅丸”は立ち上がる。思いのほか大柄な少女は「念仏を、少しで良いので教えてはくださりませぬか」と乞うた。
「御仏の功徳を信じてはいないと、さっき、そのように申していたはずでは」
「私のためではございませぬ。母のためです。たとえどんなにひどい嘘でも、母は御仏のことをずっと信じておりましたゆえ。だから、御仏の言葉で弔うてやらなければならないと思うのです」
なるほど、と、尼公はうなずく。
同時に、なぜだか少しだけ可笑しくもあった。御仏を信じぬ者に乞われて、御仏を疑うている者が、御仏を信じていた者を弔うのだ。これが狂気でなくて、いったい何だというのだろうか。
すでに形の崩れかけてた人の灰の中から、未だ骨のままで残っているものをふたりは探し当てた。砕けもしない月明かりは甚だ心細く、すべての骨のかけらを掘りだすまでには、暁がやって来るまで時を浪費しなければならなかった。明々と染まっていくいくさの跡には、もう冷たい夜のなかに燃え盛っていたはずの悲嘆はなかった。快哉もなかった。人々を殺す辻風のような烈しい正義は、自分たちなら創りだせると信じている、新しい時代を追いかけることの方に忙しい。はるか遠くで貝が吹かれ、鏑矢(かぶらや)が鳴り、尼公と“寅丸”の耳を弄した。それは、もう、夜のあいだに“寅丸”が唄っていた唄と、ほとんど同じだけのうつくしさを持つ旋律としか思えなかったのだが。
円匙(えんし)もなく、棺桶もなく、すべては手作業のままに終えられた。
土をかき分けたふたりの指は煤と土とで真っ黒に汚れ、爪の間には粒ほどの小石の感触が残る。盛り土をし、誰にも直ぐに唱えられるだろう簡便な経文を教え、尼公と“寅丸”はようやくにして拙い弔いを成し遂げていた。
読経のあいだ――尼公は怨嗟の声を聞いた気がする。
浄土が何なのか、どこに在るのかも解らずに、死んでいった人々の声。
それは人の眼にてとらえることのできるあらゆる天地(あめつち)が孕む宿業そのものであり、在りもしないものを信じてしまったがゆえに、永劫、冷たい苦悩の中をさまよわなければならなくなった、無数の幽鬼の影を感じさせた。
彼らもまた、救われなければならないのだ。
けれど、御仏は決して手を差し伸べてはくれなかった。
この世に浄土があるというのなら、それは浄土を夢見ながら死んでいく者たちが折り重なる、夜の光景であったのかもしれない。であるなら人を救うのは、同じ人の手と思いとを用いて成し遂げられなければならないはずだった。かつて尼公が己の弟の死に咽び、外法のすべを追い求めたときのように。
「“寅丸”と、申しましたね。これから、あなたはどうするのです」
「解りませぬ。賤しき白拍子の子である私は、まことの父も知りませぬゆえ」
形ばかりの弔いを終えると、“寅丸”は少しだけ気力を回復したように見えた。
が、唯一の肉親を亡くしたことの重みは、未だその声を一段と重いものにしてはいた。
「“寅丸”の念仏は、幾らかでも母の元に届いたのでありましょうか」
「さあ。この尼公にも、それとは判じかねることですが、」
もう直ぐ、夜が明けきるときだ。
東の空には、太陽につき従うかのように浮かび上がる明けの明星が輝いている。
「少なくとも、お母上を弔うておくことで、あなた自身は少しだけ救われたのではありませぬか」
“寅丸”は笑った。
それが尼公の詭弁であることをどこかで見抜いているような、幼い嘲りでできた笑いだった。
「死して“寅丸”は地獄に落ちましょう。御仏を信じたことはいちどとしてなかったというのに、いま、あなたの言うたことをほんの少しだけ、本当のことかもしれないと思うてしまったのですから」
明星の光を見、尼公は数歩ばかり歩みを進めた。
“寅丸”は、追いかけてこない。ただ、彼女の背を見つめているだけだ。
「現世のどこにも御仏が居られぬというのであれば、われら生者(しょうじゃ)が人の手にて、御仏を創りあげるよりほかありませぬ」
振り返ると、“寅丸”の眼は尼公の顔など少しも見てはいない。
じいと空を――つまりは尼公と同じものを見つめていた。
「仏は、きっとどこに在るものでなし。仏は、成るものに違いありませぬ」
「成るのですか。何が、仏になるというのです」
「すべてのものが。木や石でさえ仏に成り、衆生の尊崇を得ることがある。どうして、人や物の怪が仏に成れぬなどということが許されましょうか」
す、っ、……と、“寅丸”は空を指し示す。
すでに早暁の明るみに薄らいでいる明星が、彼女の指先にははっきりと捉えられていた。
「あれ。あの、うつくしき明星もまた、御仏に成ることができるのですか」
「必ず、成れます。いつか、必ず――――」
しばらく、ふたりは一緒に空を眺めていた。
明けの明星――金星が東の空から姿を消すまでのあいだ、ずっと。
夜のあいだ、尼公が背にしていた穴蔵の中のうめき声は、もう、そのすべてが絶え果てていた。お許しください、と、尼公は念じる。わたしは、あなたがたの元に居ることはできなかった。なぜなら人の成る仏は、木や石の仏よりももろく、儚い。今は未だ、何の気配もない。けれどあと数刻もすれば、穴蔵は死者たちのための『家』と化す。腐敗しきった己の善の中で、尼公は“寅丸”にそんなものを見せたくはないと思った。願わくば人の手で創り上げられる仏からは、その御名と言葉から溢れ出、人々を殺すことしかできない膿のような正義がなければ良いのに、と。
「あれは、“寅丸”が御仏を見出した星。そうです、あなたは星。寅丸星」
少しのあいだ、“寅丸星”は尼公の申し出に驚き、眼を見開いていた。
それから、何となしに仏頂面らしいものになって――何度も、何度も、うなずいて見せた。
金星・毘沙門天・寅丸星あたりの要素を上手くまとめこんだ秀作だと思います。
ただ少し読みづらい。まあ仕方ないんだけどね!
そして、聖の視点で語られたこの物語も、寅丸の視点で読み直してみると、また何ともいえぬ気持ちになりますね。
聖白蓮は、仏に帰依する者でありながら、下法を使って若返りを行ったわけで、そのあたり矛盾しているのではないかと思っていました。しかし、なるほど、このように読めば腑に落ちます。
聖は、すでに多くの人を救えなかった無力感を感じているでしょう。また同時に御仏の無力さも感じていたのだと思います。
御仏にすがる事もできず、かといって自分が全てを救えるものではないことも知って、それでもなお、目の前の子供の為に、母親の墓を建てる。並の人間にはできることではありません。
無力感に襲われつつも、頼りにするものが無くても、目の前の人を救いたいと行動できる聖は、まさに聖人、いや御仏といって良いのではないでしょうか。
ヤバいや
貴方様の作品は初見でしたが圧倒されてしまいました。
大好きです。
聖白蓮は祈らない。