「へーい実質二時間しか寝てない射命丸文が来ましたよー。実質二時間しか寝ていない射命丸文が配達予定通りに新聞配達に来ましたよー」
顔のパーツを中央に寄せるような発言しつつ、縁側から居間に侵入する文。
口はよく回っているようだったが、その表情はとても冴えたものとは言いがたい。眼の下にはクマが出来ているし、溌剌とした空気を感じさせる体躯も倦怠感という重りを背負っている。
いつもは艶やかな黒髪もシャワー上がりを中途半端に乾かしてきたのか、若干湿っぽい。
「れーいーむーさーん? いないんですかー? いますよねー、寝てばっかりだと胸が痩せますよー?」
徹夜明けで頭が回っていない分、余計な口は回るらしい文は配達カバンを放り出しちゃぶ台に突っ伏すと、呼びかけを開始する。
ちなみに現時刻は午前六時であり、文の行為は割と非常識に当たるのだが、当の本人に自覚はない。寝不足の思考では配慮をするには至らなかった。
「鳥に起こされるなら、鶏の方が欲しいわね」
すぐに襖を開けて現れた霊夢はそう言うと、だるそうなため息をつきちゃぶ台に突っ伏した。
「おや、霊夢さん。おはようございます。寝すぎて胸が減ってますね。あ、いつも通りでしてたか」
「しばくぞ。それに、寝すぎて胸痩せるんなら紫なんてへこんでるわよちくしょう」
霊夢が忌々しげに言うと、文は冗談ですよ、と応えて半笑いを浮かべる。その様子に霊夢はもう一度ため息をついた。
陰陽玉をぶつけてやりたいところだったが、現在の彼女にその元気はなかった。その理由とは、
「というか、霊夢さん。すごい顔してますね。憎しみだけで人を殺せそうな感じの」
「寝てないのよ。ここ二日くらいね」
呻くように言うと、霊夢はのっそりと上半身を起こし天井を仰ぎ見る。文が言ったとおり、今の霊夢の表情はとても不機嫌そうだった。
クマに縁取られた半眼は低級妖怪ならそれだけで、逃げ出しそうなくらいに目付きが悪い。睡眠不足が余程堪えているようだ。
「寝てない? そりゃまたなんで?」
霊夢の応えに、文は驚いたような声を上げる。
普段することと言えば、食うか寝るかお茶を飲むかの巫女が睡眠不足だとは一体どういうことなのか。
「慧音に頼まれたのよ。教え子たちにお守りを作って欲しいって」
「なるほど。しかし、そんなに急ぐ必要もなかったのでは? 急を要するって言うわけでもないですし」
文の疑問はもっともである。妖怪が人を襲う、と言うことは現在の幻想郷では極めて稀な出来事だ。数世紀前ならいざ知らず、現在生きていく上で急を要する物というわけではない。
それを、わざわざ徹夜してまで完成させた理由とは?
彼女の疑問に、霊夢は大きく欠伸をして応える。
「あんたや私からすればそうだけどね、慧音や親たちから見れば違うでしょ。早く出来るに越したことはない。それに、今回作ったお守りは妖怪を遠ざけるものじゃなくて、敵意を持ったものを遠ざけるための物なのよ。まとめてやらないと面倒で仕方がないから」
ならば何故、そんな面倒なことを。
そう訊ねようとして、文はすぐに口を閉ざす。
妖怪避けのお守りでは、半人半獣の慧音にまで影響を及ぼす。たとえそれが蚊取り線香程度の効力でも、十数人集まる寺子屋では大きな影響にならないと言いきれない。だから、彼女はわざわざ手間をかけて、敵意を遠ざけるお守りを作り上げたのか。
「偉いですね」
自然と、そんな感想を口にしていた。その感想を受けた霊夢は怪訝そうに不機嫌な顔を向ける。
「どういう意味よ」
「いや、皮肉とかそういうんじゃなくて、素直にそう思っただけですよ。しっかり巫女として考えているんだな、と」
「あんたに褒められるなんて、おかしな日ね」
そう言って、霊夢はふいっと視線を外す。その反応に、文はニヤニヤ笑顔を浮かべながら彼女に身を寄せる。
「あ、もしかして照れてるんですか? いやぁ、やっぱり霊夢さんは可愛いですね。こう、見た目はクールでツンツンだけど中身は年頃の女の子って感じで素晴らしい、実に素晴らしい」
「あんた、いつもに増してウザいわね」
うっとうしい、と身を引く霊夢。
徹夜するとテンションが高くなるらしい文は、構わず霊夢の体にしなだれかかるようにして腕を回す。石鹸の柔らかい匂いが鼻腔をくすぐった。
「そんなことないですよーいつも通りに清く正しくて霊夢さんが大好きな射命丸文ですよー」
「……」
霊夢の細い肩に顎をのせてけらけらと笑う文。霊夢は無言のままで、何もしようとしない。
それに若干面食らった文だったが、そのまま体を密着させて酔っぱらいのように絡み続ける。
「あれあれ? 否定しないんですか霊夢さん?『誰があんたのことを好きだなんて言ったのよ』とか言わなくていいんですか?」
「……」
「このままだと肯定だと思っちゃいますよ? それでもいいんですか?」
「……」
「ほ、ほらツンデレっぽく『別にあんたのことが好きな訳じゃないんだからね!』でもいいんですよ? な、何か言ってくださいよ」
「……」
「れ、霊夢さん?」
ひたすら無言を貫く霊夢に、文は焦りを覚え始めていた。
これは無言の肯定としていいのか。いやしかし、普段の彼女を思い出せ。冗談っぽく「好きですよー」と言っても、呆れたように溜息をつくだけだったではないか。あれ、けど言葉そのものを否定されたことはないような……。
もしかして両思い? そんな都合のいいことがあるわけが。しかし、そうとしか思えない。考えれば考えるほど、体温は上がっていく。
どうするべきなのか、文が答えを出しかねていたとき、
「文」
「は、はいっ。な、なんでしょうか?」
無言のままだった霊夢に唐突に名前を呼ばれ、裏返った声を出してしまう。
『前から好きだったわ』『言わせんな恥ずかしい』『毎日ごはんを作ってくれない?』
次に彼女が続ける言葉を脳裏に予想――というか妄想――しつつ、固唾を飲んで言葉を待つ。体を密着させたことを後悔するくらいに、鼓動はうるさい。
霊夢はゆっくりと口を開いていき、そして、
「新聞配達、しないでいいの」
「はっ?」
予想から大きく逸れた言葉に文は思わず間抜けな声をあげてしまう。
だから、と霊夢は放り出された配達カバンを指さして言う。
「新聞配達。他のところも回らないといけないんじゃないの?」
「あ、ああ。ご心配なく。ここで最後ですよ」
「ふぅん」
なんだ、そんなことか。ほっとしたようながっかりしたような。たぶん両方だろう息を文は吐く。
けど、やっぱり期待したような応えが欲しかったなぁ、なんて不満を抑えるためにさっきよりも強く霊夢を抱きしめる。
彼女は抵抗しなかった。
「最後、ね」
霊夢のその呟きには、どこか落胆したような響きが含まれていた。
そして、目ざとい天狗はそれを見逃すことはない。
「ひょっとして、最後っていうのが不満でした? 一番最初に来て欲しかったんですか?」
「……文にだって都合はあるでしょ」
不器用な肯定に、文はニンマリと笑って彼女の耳元に向かって囁く。
「だって、一番最初に来たら霊夢さんとのんびり話もできないじゃないですか。ここに来るのは配達が終わったご褒美なんですよ。そのために徹夜までしたんですから」
余裕さえ取り戻してしまえば、十世紀生きた天狗と十年そこらの少女では、どちらが口が達者かは比べるまでもない。
そして、口ぶりこそ冗談っぽいが秘められたものは紛れも無い本音だ。
「……そう」
短い返事は寝不足のせいか、それとも気恥ずかしさのせいか。
後者だったらいいな、と文は思った。
そのまましばらく、体感では長くて、実際にはきっと短い心地よい無言の時間が過ぎる。
部屋の外に雀が飛び立つ鳴き声が聞こえたとき、
「それでですね! そんな私のご褒美に膝枕ぐらいあってもいいんじゃないですかね! いいんですねわかりまsおふぉあ!」
せっかくの余韻を台無しにする発言から、強引に膝枕に移行しようとした文。それを察知した霊夢は膝を立て、そこに文がこめかみから突っ込む。
結果、頭を抑えて悶絶する天狗が出来上がった。
「……あの、今のところはデレるシーンだと思うんですけど」
「巫女は安売りしないのよ」
這いつくばる文に霊夢は不機嫌そうな目をやると、彼女に向かって右手を差し出す。
「……?」
その意図のつかめないまま、差し出された右手をじっと見つめていると、霊夢は大きく溜息を吐いて言う。
「寝るなら布団で寝なさい。風邪引くわよ」
「霊夢さんの膝枕で寝たいです」
「私が寝れないでしょうが」
「いやですー霊夢さんの膝枕を楽しみにして原稿頑張ってたんですー」
「ああもう! いいから来なさい!」
霊夢は駄々っ子のようにその場を動かない文を、半ば引きずるように自室まで連れていく。
その間もぐちぐちと聞こえる不満不平は霊夢は一切無視する。
「ほら、はやく布団に入る」
「うー」
不満たらたらとばかりにのっそりした動作で、文は敷かれていた布団に潜り込む。何故か枕が二つ並んでいたが、文は気に留めなかった。
布団は柔らかいしいい匂いもするけど、やっぱり膝枕をして欲しかった。
寝入る前に最後の不満を言おうと文は霊夢を見据え――ようとしたが、先程まで襖近くに立っていた彼女の姿が見られない。
彼女を見つけようと視線を動かそうとしたとき、
「もっとそっち行ってよ。狭いんだから」
「あ、すいません……えっ」
隣からの苦情に従おうとして、慌てて隣を見る。
「あによ」
「え、いやちょっと。なんで極自然に同じ布団に……」
「寝るからよ」
「えー」
当然のことを聞くなという態度の霊夢に、文はどう反応するべきなのか、と思案して――すぐに解決する。
「わっ、霊夢さん?」
先ほど文がしていたように、霊夢は彼女の体に腕を回して抱き寄せた。間近に迫った二人の視線は交差して、ただお互いだけを見つめ合う。
クマだらけの顔同士では、ロマンチックには成りきれていなかったけど、当の本人たちには関係がない。
ただ、お互いの体温を、息遣いを、存在を感じられるだけで十分だった。
「人を待たせたんだから、罰として抱き枕になってなさい」
「待たせたって……何のことです?」
「っぐ……なんでもない忘れて」
寝不足で思考が回っていないのは文だけではなかったようだ。
霊夢は失言を誤魔化すように文を睨むが、それは逆効果となった。
「そう言えば、私が呼んだときすぐに出てきましたけど……ひょっとして、私が来るのを待ってくれていたんですか?」
「……」
文の指摘に、霊夢は一瞬だけ視線を逸らしたが、すぐに視線をぶつけるように彼女の瞳を見据える。
大きく息を吸って、力強く言葉を発する。
「……そうよ。楽しみにしていたのはあんただけじゃないわ」
そう言い切って、文の胸に顔を埋める。文はやさしくそれを受け止める。
そこから先、二人の間に言葉はいらない。と、言えば聞こえは良かったが、緊張の糸が切れた二人がすぐに寝入ってしまっただけの話だ。
――同じ布団にいて、何もなかったことを二人がからかわれるのはまた別の話。それまではただ良い時間を――
顔のパーツを中央に寄せるような発言しつつ、縁側から居間に侵入する文。
口はよく回っているようだったが、その表情はとても冴えたものとは言いがたい。眼の下にはクマが出来ているし、溌剌とした空気を感じさせる体躯も倦怠感という重りを背負っている。
いつもは艶やかな黒髪もシャワー上がりを中途半端に乾かしてきたのか、若干湿っぽい。
「れーいーむーさーん? いないんですかー? いますよねー、寝てばっかりだと胸が痩せますよー?」
徹夜明けで頭が回っていない分、余計な口は回るらしい文は配達カバンを放り出しちゃぶ台に突っ伏すと、呼びかけを開始する。
ちなみに現時刻は午前六時であり、文の行為は割と非常識に当たるのだが、当の本人に自覚はない。寝不足の思考では配慮をするには至らなかった。
「鳥に起こされるなら、鶏の方が欲しいわね」
すぐに襖を開けて現れた霊夢はそう言うと、だるそうなため息をつきちゃぶ台に突っ伏した。
「おや、霊夢さん。おはようございます。寝すぎて胸が減ってますね。あ、いつも通りでしてたか」
「しばくぞ。それに、寝すぎて胸痩せるんなら紫なんてへこんでるわよちくしょう」
霊夢が忌々しげに言うと、文は冗談ですよ、と応えて半笑いを浮かべる。その様子に霊夢はもう一度ため息をついた。
陰陽玉をぶつけてやりたいところだったが、現在の彼女にその元気はなかった。その理由とは、
「というか、霊夢さん。すごい顔してますね。憎しみだけで人を殺せそうな感じの」
「寝てないのよ。ここ二日くらいね」
呻くように言うと、霊夢はのっそりと上半身を起こし天井を仰ぎ見る。文が言ったとおり、今の霊夢の表情はとても不機嫌そうだった。
クマに縁取られた半眼は低級妖怪ならそれだけで、逃げ出しそうなくらいに目付きが悪い。睡眠不足が余程堪えているようだ。
「寝てない? そりゃまたなんで?」
霊夢の応えに、文は驚いたような声を上げる。
普段することと言えば、食うか寝るかお茶を飲むかの巫女が睡眠不足だとは一体どういうことなのか。
「慧音に頼まれたのよ。教え子たちにお守りを作って欲しいって」
「なるほど。しかし、そんなに急ぐ必要もなかったのでは? 急を要するって言うわけでもないですし」
文の疑問はもっともである。妖怪が人を襲う、と言うことは現在の幻想郷では極めて稀な出来事だ。数世紀前ならいざ知らず、現在生きていく上で急を要する物というわけではない。
それを、わざわざ徹夜してまで完成させた理由とは?
彼女の疑問に、霊夢は大きく欠伸をして応える。
「あんたや私からすればそうだけどね、慧音や親たちから見れば違うでしょ。早く出来るに越したことはない。それに、今回作ったお守りは妖怪を遠ざけるものじゃなくて、敵意を持ったものを遠ざけるための物なのよ。まとめてやらないと面倒で仕方がないから」
ならば何故、そんな面倒なことを。
そう訊ねようとして、文はすぐに口を閉ざす。
妖怪避けのお守りでは、半人半獣の慧音にまで影響を及ぼす。たとえそれが蚊取り線香程度の効力でも、十数人集まる寺子屋では大きな影響にならないと言いきれない。だから、彼女はわざわざ手間をかけて、敵意を遠ざけるお守りを作り上げたのか。
「偉いですね」
自然と、そんな感想を口にしていた。その感想を受けた霊夢は怪訝そうに不機嫌な顔を向ける。
「どういう意味よ」
「いや、皮肉とかそういうんじゃなくて、素直にそう思っただけですよ。しっかり巫女として考えているんだな、と」
「あんたに褒められるなんて、おかしな日ね」
そう言って、霊夢はふいっと視線を外す。その反応に、文はニヤニヤ笑顔を浮かべながら彼女に身を寄せる。
「あ、もしかして照れてるんですか? いやぁ、やっぱり霊夢さんは可愛いですね。こう、見た目はクールでツンツンだけど中身は年頃の女の子って感じで素晴らしい、実に素晴らしい」
「あんた、いつもに増してウザいわね」
うっとうしい、と身を引く霊夢。
徹夜するとテンションが高くなるらしい文は、構わず霊夢の体にしなだれかかるようにして腕を回す。石鹸の柔らかい匂いが鼻腔をくすぐった。
「そんなことないですよーいつも通りに清く正しくて霊夢さんが大好きな射命丸文ですよー」
「……」
霊夢の細い肩に顎をのせてけらけらと笑う文。霊夢は無言のままで、何もしようとしない。
それに若干面食らった文だったが、そのまま体を密着させて酔っぱらいのように絡み続ける。
「あれあれ? 否定しないんですか霊夢さん?『誰があんたのことを好きだなんて言ったのよ』とか言わなくていいんですか?」
「……」
「このままだと肯定だと思っちゃいますよ? それでもいいんですか?」
「……」
「ほ、ほらツンデレっぽく『別にあんたのことが好きな訳じゃないんだからね!』でもいいんですよ? な、何か言ってくださいよ」
「……」
「れ、霊夢さん?」
ひたすら無言を貫く霊夢に、文は焦りを覚え始めていた。
これは無言の肯定としていいのか。いやしかし、普段の彼女を思い出せ。冗談っぽく「好きですよー」と言っても、呆れたように溜息をつくだけだったではないか。あれ、けど言葉そのものを否定されたことはないような……。
もしかして両思い? そんな都合のいいことがあるわけが。しかし、そうとしか思えない。考えれば考えるほど、体温は上がっていく。
どうするべきなのか、文が答えを出しかねていたとき、
「文」
「は、はいっ。な、なんでしょうか?」
無言のままだった霊夢に唐突に名前を呼ばれ、裏返った声を出してしまう。
『前から好きだったわ』『言わせんな恥ずかしい』『毎日ごはんを作ってくれない?』
次に彼女が続ける言葉を脳裏に予想――というか妄想――しつつ、固唾を飲んで言葉を待つ。体を密着させたことを後悔するくらいに、鼓動はうるさい。
霊夢はゆっくりと口を開いていき、そして、
「新聞配達、しないでいいの」
「はっ?」
予想から大きく逸れた言葉に文は思わず間抜けな声をあげてしまう。
だから、と霊夢は放り出された配達カバンを指さして言う。
「新聞配達。他のところも回らないといけないんじゃないの?」
「あ、ああ。ご心配なく。ここで最後ですよ」
「ふぅん」
なんだ、そんなことか。ほっとしたようながっかりしたような。たぶん両方だろう息を文は吐く。
けど、やっぱり期待したような応えが欲しかったなぁ、なんて不満を抑えるためにさっきよりも強く霊夢を抱きしめる。
彼女は抵抗しなかった。
「最後、ね」
霊夢のその呟きには、どこか落胆したような響きが含まれていた。
そして、目ざとい天狗はそれを見逃すことはない。
「ひょっとして、最後っていうのが不満でした? 一番最初に来て欲しかったんですか?」
「……文にだって都合はあるでしょ」
不器用な肯定に、文はニンマリと笑って彼女の耳元に向かって囁く。
「だって、一番最初に来たら霊夢さんとのんびり話もできないじゃないですか。ここに来るのは配達が終わったご褒美なんですよ。そのために徹夜までしたんですから」
余裕さえ取り戻してしまえば、十世紀生きた天狗と十年そこらの少女では、どちらが口が達者かは比べるまでもない。
そして、口ぶりこそ冗談っぽいが秘められたものは紛れも無い本音だ。
「……そう」
短い返事は寝不足のせいか、それとも気恥ずかしさのせいか。
後者だったらいいな、と文は思った。
そのまましばらく、体感では長くて、実際にはきっと短い心地よい無言の時間が過ぎる。
部屋の外に雀が飛び立つ鳴き声が聞こえたとき、
「それでですね! そんな私のご褒美に膝枕ぐらいあってもいいんじゃないですかね! いいんですねわかりまsおふぉあ!」
せっかくの余韻を台無しにする発言から、強引に膝枕に移行しようとした文。それを察知した霊夢は膝を立て、そこに文がこめかみから突っ込む。
結果、頭を抑えて悶絶する天狗が出来上がった。
「……あの、今のところはデレるシーンだと思うんですけど」
「巫女は安売りしないのよ」
這いつくばる文に霊夢は不機嫌そうな目をやると、彼女に向かって右手を差し出す。
「……?」
その意図のつかめないまま、差し出された右手をじっと見つめていると、霊夢は大きく溜息を吐いて言う。
「寝るなら布団で寝なさい。風邪引くわよ」
「霊夢さんの膝枕で寝たいです」
「私が寝れないでしょうが」
「いやですー霊夢さんの膝枕を楽しみにして原稿頑張ってたんですー」
「ああもう! いいから来なさい!」
霊夢は駄々っ子のようにその場を動かない文を、半ば引きずるように自室まで連れていく。
その間もぐちぐちと聞こえる不満不平は霊夢は一切無視する。
「ほら、はやく布団に入る」
「うー」
不満たらたらとばかりにのっそりした動作で、文は敷かれていた布団に潜り込む。何故か枕が二つ並んでいたが、文は気に留めなかった。
布団は柔らかいしいい匂いもするけど、やっぱり膝枕をして欲しかった。
寝入る前に最後の不満を言おうと文は霊夢を見据え――ようとしたが、先程まで襖近くに立っていた彼女の姿が見られない。
彼女を見つけようと視線を動かそうとしたとき、
「もっとそっち行ってよ。狭いんだから」
「あ、すいません……えっ」
隣からの苦情に従おうとして、慌てて隣を見る。
「あによ」
「え、いやちょっと。なんで極自然に同じ布団に……」
「寝るからよ」
「えー」
当然のことを聞くなという態度の霊夢に、文はどう反応するべきなのか、と思案して――すぐに解決する。
「わっ、霊夢さん?」
先ほど文がしていたように、霊夢は彼女の体に腕を回して抱き寄せた。間近に迫った二人の視線は交差して、ただお互いだけを見つめ合う。
クマだらけの顔同士では、ロマンチックには成りきれていなかったけど、当の本人たちには関係がない。
ただ、お互いの体温を、息遣いを、存在を感じられるだけで十分だった。
「人を待たせたんだから、罰として抱き枕になってなさい」
「待たせたって……何のことです?」
「っぐ……なんでもない忘れて」
寝不足で思考が回っていないのは文だけではなかったようだ。
霊夢は失言を誤魔化すように文を睨むが、それは逆効果となった。
「そう言えば、私が呼んだときすぐに出てきましたけど……ひょっとして、私が来るのを待ってくれていたんですか?」
「……」
文の指摘に、霊夢は一瞬だけ視線を逸らしたが、すぐに視線をぶつけるように彼女の瞳を見据える。
大きく息を吸って、力強く言葉を発する。
「……そうよ。楽しみにしていたのはあんただけじゃないわ」
そう言い切って、文の胸に顔を埋める。文はやさしくそれを受け止める。
そこから先、二人の間に言葉はいらない。と、言えば聞こえは良かったが、緊張の糸が切れた二人がすぐに寝入ってしまっただけの話だ。
――同じ布団にいて、何もなかったことを二人がからかわれるのはまた別の話。それまではただ良い時間を――
そこでデレるか! っていう意外性が欲しかった。
ああ、デレてるなーとしか感じなかったのがちょっと残念。
いいぞもっとやれぇ