これは『復讐』『ボタンの秘密』『珍味な旅』の三編の短編です。
それぞれに話のつながりはありませんので、注意して下さい。
尚、ショートショートのようなものですので、一味違う東方ワールドとなっておりますのであしからず。
最後に、これらの作品を書こうという気にさせていただきました星新一先生に、最大限の感謝を。
復讐
かつて私は四本の腕を失った。
弾幕勝負による損失と、お姉様との喧嘩による損失、料理中に誤って炙ってしまった所為の損失、そして、お姉様の不意の事故による損失。
いずれも痛みはあったが、心残りは無かった。
吸血鬼は少し時間をおけばたちまち腕が回復するので、そんなことを気にしてもまったく意味がないのだ。
だから違和感なくこの腕を使える。指の感覚も問題なし。本を捲ることも、髪を束ねることも、瓶の蓋を開けることだって容易。
何不自由もなかった。
しかし、たったひとつだけ出来ないことがあった。
久々に私が紅魔館の食卓に現れた食事中の事、お姉様が咲夜に微笑んでから、ナイフを手に取ったまでは良かったのだが、いただきますと声と同時に振り上げたお姉様の左手に握られていたのは、肉を切る為だけのナイフだった。
咲夜お手製ということもあって、切れ味は抜群で、いとも簡単に左隣に座っていた私の右手を切断した。
結局、すぐに生えてくるから大丈夫だと、私はお姉様を許した。
それは四本目の腕だったのだが、五本目の腕になってからナイフを取ることができなくなった。
どうやら新たな腕には過去の痛みが記憶されているらしく、お姉様によるトラウマで右手はナイフを取れなくなってしまった。
しかし、弾幕勝負や喧嘩、料理での損失以降は、それらを簡単にこなすことができている。ナイフだけが握れないのだ。
これは私を悩ませた。腕に心があるなら、ナイフ以外も拒絶して何もおかしくない。
どちらかというとナイフの事故より弾幕勝負の方がずっと恐ろしいではないか。でも、楽しさが優っていたのかもしれない。
喧嘩も気分が良くないはずだ。しかし、私も少し悪かったのかもしれない。
料理も危ないし、汗をかいたり、涙を流したりと面倒ではないか。しかし、美鈴との料理は何もかもが楽しかった。
ではナイフはどうなのだろうか。不意だった。何も気づかず、何も感じず、不条理にキズをつけられてしまった。
自分の知らぬ間に何かが起きてしまうほど、怖いものはない。「殺す」と予め言ってから殺されるのと、何も言われずに殺されるのとでは、感じが違う。
腕はそれに恐怖したのだろうか。そうであると、私は決めつけた。
今日も咲夜から地下に持って来られたモノを、ナイフで捌けることができない。それどころか、依然としてナイフを持つことすらできない。
それなら左手でナイフを持てば良いと思ったが、右手がそれを制した。そもそも高貴なる種族において、左手でナイフを扱おうなど考えた私が愚かだった。
なんとかナイフを使わずに堪能して咲夜を欺いてきたが、吸血鬼たるもの、高貴な種族が賤しい食べ方をするのも気が引けてしまう。
なるべくなら早くこの五本目の腕のトラウマを消したかった。
私はそう祈ったが、叶わず、紅魔館の食卓での食事の日がやってきた。
もちろんこの日も豪華な肉で、ナイフを使わなければとても食べれるようなものではなかった。
私はうなだれたが、右隣のお姉様は目を輝かせていた。ナイフは右手にあった。
咲夜は、
「どうぞ、召し上がって下さい」
と言ったが、私の右手は震えていた。
ついに誤魔化しが効かなくなってしまったので、私は右手をナイフに近づけた。
その時、右手は勢い良くナイフを掴んだかと思うと、一直線にお姉様の左手を切り落とした。寸分の狂いもなく、断面も綺麗に残し、不意に見せかけた故意で、かつて私がしてやられたのと同じように右手は動いた。腕がひとりでに動いたのだ。
その後は、まるで鬱憤を晴らしたような気分で、復讐をし終えた右手は自由になった。ナイフもすっかり握れるようになった。
確かに腕には過去の記憶があるらしい。
別にわざわざナイフに触れる初手で復讐しようとこだわらなくても良かったのに……と、私は苦笑いした。
ボタンの秘密
咲夜が一人の妖精メイドを呼びつけて言った。
「これから大事な用事があるの。お嬢様方もついて行くわ。もちろん門番もね。その間に、万全な留守番をお願い」
「はい。必ずやどんなことがあろうとも、お屋敷をお守りします」
妖精メイドは咲夜からマスターキーを受け取った。
「必要があれば使ってちょうだい。ただし、私やお嬢様の部屋は開けられないわ。まあ、もしそんなことをしたらタダじゃ済まないでしょうけど」
苦笑い混じりに、咲夜は更に念を押すことを口にした。
「それと、二階の廊下の突き当たりのボタンは押さないこと。いいわね、絶対によ? 念を押しとくわよ」
「わかりました。では、いってらっしゃいませ」
まもなく咲夜たちが出掛けたころ、妖精メイドは好奇心と嬉しさに胸を踊らせていた。
最近の妖精メイドは、少なくとも以前よりかは質の高い仕事をこなしていた。特徴はいわゆる妖精メイドの中に階級付けのようなものがあって、今日咲夜がこの妖精メイドを選んだのにはもちろん理由がある。一言で言えば、この妖精メイドはまとめ役リーダーの立場で、少なくとも妖精メイドの中では、咲夜が現在最も信頼を注ぐ存在だからである。
でなければ、マスターキーなど触らせもしないに違いない。実際に彼女もこの鍵を手にするのが初めてであり、咲夜に抜擢されるのもまた、初めてのことであった。それは、妖精メイドの階級はしばしば変わり、ようやく彼女はここへ上り詰めたばかりなのであるからだった。
かくして、この妖精メイドはしばし興奮状態にあった。
その一方で、時間が追うたびに、好奇心は高まった。ボタンについてである。とうとう抑えきれなくなり、咲夜の言っていた場所の前に来てしまっていた。
何度もこの廊下は歩いている。それでも気付かないので、ボタンを簡単には見つけることができなかったのであろう。確かに、ボタンは見つけづらく、微妙に壁の色と同化していた。これだけ小さく、色も同じであれば、例え居場所を知っていてもなかなか辿り着かないだろう。
妖精メイドはしばらくこれを見つめていたが、やはり心ある生き物ゆえ、ボタンがあるとどうも押したくなる。
しかし、あれだけ咲夜が念を押したものだ。妖精メイドは可能性の限り疑った。
呪われるかもしれない。ここのお嬢様の持つ力なら、べつに指をひと振りすれば、このボタンへ呪いをかけることはできるはずであろう。そうなったら最後、どうなるかは目に見えている。
隠し部屋なのかもしれない。この屋敷の重大な秘密を隠していて、内部の者にも暴かれてはいけない何かを保管しているのだろうか。そうだとして、それを見た妖精メイドはどうなるだろうか。考えるまでもない。
ボタンを押すと、天井が降りてきて押し潰されるのではないか。だとしたら、咲夜の忠告を無視した、当然の報いとして処理されるのがオチだ。
ただ、少しくらい見てもいいだろう。べつに死ぬほどのものでもないだろう。ついに好奇心を抑えきることができなくなった。周りを確認してから、妖精メイドはボタンを軽く押した。すぐに身を構え、どんなことが起きても対処できる体制をとった。
その緊張を嘲笑うかのように、ボタンを押したすぐ隣に隠し扉が現れた。なるほど、これは隠し扉のスイッチだったわけか。
妖精メイドは空気が汚染されてないか、中に怪しく光るものはないか、鋭利で串刺しにされるようなものが落ちてこないか、慎重に確かめた。安全を確認して、恐る恐る足を踏み入れる。
中はからっぽだった。窓もなければ、家具もない。怪しい生き物も、雑巾干しでさえもない。広いとも言えるし、狭いとも言える、どちらかというと狭い。何とも不思議な間取りであった。その独特の雰囲気は、今までの好奇心に一気に水をかけた。
すっかり冷めた心のまま、もう一度部屋を見回してみるが、やはりなにもない。
「咲夜さんはこの何もない部屋に何を隠しているのだろう」
妖精メイドは扉を静かに元に戻し、やがて咲夜が帰ってきた。
「お疲れ様でした。今、紅茶を御淹れしますので」
「ありがとう。で、異常は? 大丈夫だったの?」
「はい。不審者も、ハエ一匹たりともで御座います」
「ご苦労様。まさかあのボタン、押したりはしなかったでしょうね」
妖精メイドは気を紛らわす行動をすると、すぐに勘の良い咲夜が気付いてしまうことを知っていたので、冷静に努めた。
「もちろんです。でも、何故それを押してはならないのでしょう? さては何か重大なものでも?」
「いいえ、何でもないの。べつにあれを押したからって、呪いにかかるわけでも、秘密を見るわけでも、死を見るわけでもないわ。安心して良いのよ」
「はい」
その日を境に、咲夜のその時の表情と言葉を思い出すたびに、妖精メイドは一層の頑張りを見せ、手下を指示した。自らも的確に動き回り、数々の実績を上げ、屋敷の綺麗な環境を保つ役割を始めとする様々な仕事をこなしていた。
あのボタンを押してしまった事実は変わらず、妖精メイドの心を蝕み続けた。それが葛藤し、彼女の仕事の質を格段に上げていたのは、前例のように、言うまでもない。
その罪に対する紛らしは、仕事でしかなかったからだ。こうしてなければ、いつ恐ろしい目に遭うか、呪い殺されてしまうか、わからない。妖精メイドは不安を心に、更なる努力を重ねた。
今まで部屋の掃除しか出来なかったのを、新たに庭の手入れに取り組んでみたり。紅茶しか作れなかったものを、豪勢な料理を作るまでに至らせたり。新たな施設を建てるために、建設技術の革新に挑んでみたり。ついにお嬢様側近で働くことを、しばしば任された。そのような仕事の時だけは、自然とあの罪のことを忘れているのだった。
咲夜の信頼を裏切る行為。やがて償っても償いきれなくなり、罪の意識は日に日にのしかかった。妖精メイドは必死に罪と戦い、仕事をやり遂げた。それに伴い、紅魔館の妖精メイドは驚くべき変貌をし、咲夜を唸らせるまでにも成長した。
そしてまた、咲夜が出掛ける日がやってきた。偶然にもここで二人きりになり、妖精メイドは自白を決意した。
「ひとつ、聞いておかねばならないことが御座います」
「宜しいわよ。もっとも、貴方には今後も期待してるから、その質問で仕事がはかどるのなら、是非何でも言ってちょうだい」
「はい、そのようなたぐいのものです。昔のことなので、覚えていますでしょうか。以前、咲夜さんが出掛けた後に、私は咲夜さんが押してはいけないと仰ったあのボタンを押してしまったのです。隠し扉も見つけ、中も覗いてしまいました」
「あら、そんなこと言ったかしら」
「はい。私は咲夜さんの忠告から、自身の好奇心を抑えることができずに、今に至るまでその罪の意識を忘れた日など、一度も御座いません」
「そうねぇ、そんなことも言ったかもしれないわ」
「ですが、私はてっきり、中にとても大事なものがあるとばかり思っていました。しかし、中をみても家具もなければ窓すらなく、何か無意味さえ感じられました。見てしまったからには、知らずにはいられません。あの部屋は、一体どんな秘密があるのですか?」
「ふうん。知りたいの?」
妖精メイドはひとまず、咲夜がそれほど怒ってないことに安堵した。
そして、秘密を知りたいという好奇心が、またしても新たに生まれた。
「はい、仰っていただけるのなら是非とも」
「じゃあ訊くけど、貴方、その罪を感じてから何か変わったことあった?」
「いいえ。始めは呪われてしまうのではないかと恐れていましたが、この通り、部屋の手入れはもちろんのこと、料理のような繊細な仕事にも、なに不自由を感じません」
「違うわ。そういうことを言ってるのではなくて、貴方はその罪から心を安らかにする為に、とても努力をしたでしょう?」
「あ、確かにしたのかもしれません。少なくとも、罪から少しでも遠ざかろうと、罪を感じる以前より、より一層仕事に熱中していました」
「じゃあ、貴方がもしボタンを押さずに、仕事を続けていたらどうかしら?」
「それは……好奇心で仕事どころではありません」
「そこよ」
妖精メイドは少し理解に苦しんだ。
さんざん考えた挙句、咲夜にその訳を訊ねた。
「貴方は好奇心を開放して、ボタンを押して部屋の中を見た。好奇心は収まり、約束を破った罪へと変わった。その罪は貴方を追い詰め、仕事で紛らわそうと言う結論に至らせる。その結果、今までの実績を大きく上回る出来を披露した。しかし、どうしても罪の意識を拭い去ることはできずに、更なる仕事に励んでいく。罪は重くなる一方、そのたびに、貴方は以前よりも素晴らしいことを次々に成し遂げてきた」
「確かに、よく考えればそんな気がします」
「これって、ボタンを押してから、仕事に熱中できたっていうことじゃないかしら?」
「はい」
「つまり、ボタンを押したことで、貴方をより仕事に打ち込めるような環境に陥れたのよ」
「なるほど。だからあの部屋に何をいれても意味が無いということですね」
「ええ。何もない部屋ってのも、使いようよ」
「これはまんまと咲夜さんの思う壷、と言うわけですね」
「その通り。だからといって、今日を境に仕事を緩めたら、無限のナイフとグングニルが貴方の周りに飛ぶわよ」
「承知しております。精進は怠りません」
妖精メイドはお辞儀をして、咲夜を見送りした。
このように妖精メイドのリーダーが変わるたびに、咲夜の秘策は行われ、紅魔館は更なる発展を遂げて行った。
のちにこれが『咲夜式メイド育成術』と世間に噂されるようになるのは、時代が移り変わってからもうまもなくのことであった……。
珍味な旅
旧友と桜でも見ようかと、八雲紫は白玉楼を訪れた。そのついでにお茶でも飲めれば幸せだと思っていた。まだ夜にはならない。迷惑ではないだろう。
まずは西行寺幽々子を探した。彼女がいないと寂しい。白玉楼はよく訪れるので、だいたいの廊下や部屋は把握していた。しかし、どこにもいない。
その時、すすり泣く声が耳に届いた。駆け寄ると、魂魄妖夢がハンカチを片手に、らしくない様に落魄してるようだった。
肩を叩くと、どうやら涙を堪えきれていない。
「どうしたのよ」
「だって……幽々子様が……」
ただ泣くだけで、それ以上は答えなかった。紫はどこか、身の危機を感じた。
不思議に思ったが、部屋もすみずみまでいつもと変わらず、和風な庭もみな輝いていた。
幽々子が何をしたというのだろうか。
しかし、外に出ると、ようやく私も一筋の涙を流し、事のあらましを理解した。
「何で……西行妖が……」
紫は目を疑った。
咲き乱れるはずのない、西行妖が、美しく花を咲かせていたのだから。怪しい光を放ち、美しすぎる満開であった。
「なんてこと……」
しかし現実は受け入れ難く、紫は近くを探した。ふだん目の届かない場所から、木の根もとまで、何もかも調べ尽くしたが、結局、幽々子らしきものを見ることはなかった。
幽々子を探し出すために、紫は歩き始めた。スキマを使うと、どこかで見落としてしまう可能性があったので、徒歩の手段に決めたのだ。
一縷の望みを胸に、紫は幽々子を信じた。
ひとまず、魔法の森を訪れた。先日、幽々子が森でキノコを貪り食っていたと、魔理沙から聞いたためだ。もしかしたら、いるかもしれない。死ぬ前に少しでも、という欲くらいあってもおかしくない。
探しているうちに、魔理沙の家に着いてしまった。とりあえず目撃情報がないか、試しておくのも無難だ。
入り口を叩いてしばらくして魔理沙が出てきた。
「なんだ。やけに珍しい客がきたぞ。私の家の場所を知っていたのか」
「いいえ。彷徨ううちに辿り着いただけよ。少し用があるの。幽々子を見なかったかしら?」
「さあな。先日は森でキノコ食ってるのを見かけたが、きのうおとといは目にしてないな」
「そう……」
「それよりデザート食べてくか? ちょうどブランチにしようと思ってたところなんだ」
「幽々子がいたら飛び込んで行ったでしょうね……。いいえ、用事があるからまた今度お邪魔することにするわ」
「そうかい。じゃあ私はとっておきのクッキーを堪能するかな」
とくに収穫はなかった。暢気な様子で家に戻った魔理沙だったが、紫の背後で叫び声が聞こえた。足をつまずかせたのだろう。相変わらずおっちょこちょいだと紫は思った。
続いて向かったのは、人里。食べ物ならなんでもありそうなここは、妖夢がよく買い出しに赴くエリアだ。幽々子が狙おうとするのも、理に適っていて納得できる。
歩く時はすみずみまで目を凝らした。どこかに隠れているかもしれないし、まだこの地にいるかもしれない。
やがて目に留まったのは、寺子屋前に立つ上白沢慧音の手を振る姿。ちょうど授業が終わったようで、送り出している。そもそも、紫がここを悠然と歩いてるにもかかわらず、少しここの連中は鈍感すぎやしないか。紫の食糧はここら辺にいる、彼女を目にしている彼らなのである。
「おや、珍しい客だな。八雲紫か」
「こんにちは。ちょっと用があるの。付き合ってくれる?」
「ああ、ちょうど暇を持て余してたところだ。中に入ろう。ここでは人目に触れる」
ゆっくりしてはいられないとわかってはいたが、慧音に続いた。
座っていろと言われ、慧音は何かを取りに奥へ行ってしまった。
数分は座っていただろう。どこからか話し声が聞こえてくる。奥の方だ。紫は耳を欹てた。
「妹紅。なぜお菓子がない」
「知らんな。おととい、寺子屋でパーティやったときに、餓鬼が食ったんじゃないのか?」
「いや、後片付けのときは確かに残っていた。おかしいな」
「なぜ急に菓子なんかを」
「お客だ。八雲紫が向こうに待っている」
「八雲紫か……珍しいな。よくここまで何事もなく来られたものだ。なら早く行ってやれ。探したって無いものは無いだろ。客を待たせるのも、好ましくない」
「うむ……。致し方ない」
慧音がしぶしぶといった様子で戻ってきた。
「すまない。お菓子か何かでももてなそうとしたかったのだが……」
「いいのよ。用を話せれば、なんだっていらないわ」
「申し訳ない。でだ、その用とは何なのだ?」
「ここに妖夢がよく訪れるでしょう。そのご主人を最近、見なかったかしら?」
「西行寺幽々子か。……うむ、見かけてないな」
「そう……。ありがと」
紫が立ち上がった時、慧音はもう一言付け加えた。
「何かあったのか? あるなら私も力になろう」
「いいえ、大丈夫よ。心配しないで」
また人里を横切るのも何なので、スキマを使った。
降り立ってから数分歩き、今の目の前にあるのは、いかにも怪しい雰囲気の紅魔館。ここなら、かの有名なメイドの料理もあるし、毎晩のように贅沢なディナーが開かれると、霊夢が言っていた。この際、霊夢にとっての贅沢の程度はさておき、ここに現れる可能性も拭いきれない。ここが最後の希望であり、最大の希望と言っても良かった。
居眠りする門番を横目に、通りを抜けた。中は広々としていて、全てが紅に見える。これほど異様な雰囲気の建物は、幻想郷でここ以外にはないだろう。
その時ふと、首に違和感を感じた。指を触れると、銀色に輝くナイフだった。
それはすなわち、時間操作をして、紫の背後に回った咲夜の仕業だろう。
耳元で声がした。
「珍しいお客様ね。存分のおもてなしをしなきゃだわ」
「できれば、この首に当たるナイフをどけてから、もてなしてほしいわ。冷たいの」
「ええ、そのつもりよ。一緒に奥へいらっしゃい。何も用無しに貴方がここを訪れるなんて、考えられないもの」
できれば急ぎたかったが、ここで血を見るよりはマシだ。ここは紫にとっても危険すぎる。咲夜とともに、長い廊下を歩き始める。
足音が木霊するうち、一つ、ひとまわり大きい扉の前にやってきた。
「入りましょう。中にお嬢様がいるわ」
重く扉は開かれ、椅子に座る吸血鬼の姿が見えた。
間髪いれずに、尊大な吸血鬼は話し始めた。
「ふむ。誰かと思えば神出鬼没妖怪か。面倒は省く質だから先に言うが、ここに西行寺幽々子はいないぞ」
「お見通しのようね」
「あの食欲魔人は厄介だからな。前の宴の時に、散々食い荒らされた。全く、咲夜の料理がそんなに美味しかったのね」
「さすが紅魔館の頭首様。話が早くて助かるわ」
「言っただろう。面倒は省く」
「話の途中で申し訳ないのですが、お嬢様。どう言う訳か、ケーキが無くなってます。何一つ、生クリームの残しすらもありません。お客様へのおもてなしにと保管していたはずなのですが、これは一体……」
「ご苦労咲夜。いいわよ、紅茶だけで。いや、紅茶もいらないかもね。このお客さんはどうやら急いでるようだし」
「申し訳御座いません。私の管理の怠りです」
「心配しなくていいわ。犯人はわかるもの」
「ですが……」
「下がりなさい、咲夜。大丈夫。後でツケを頂くことになってるから」
「わかりました」
咲夜が退室してからすぐ、レミリアは紫に言った。
「つまり、そういうわけだ。わかった? わかったなら早く白玉楼へ行きなさい。ここに長くいられても、邪魔なだけだ」
「え……さっき貴方、幽々子は来てないって」
「今は、と言った。昔はいたかもしれないわね。ほら、もう夜明けよ。眠たくなってきたわ」
仕方ないので、言われるままに紫はスキマを使って、紅魔館をあとにした。外はずいぶん明るく、生き物の声が四方から聞こえてくる。
しばらく歩いて着いた白玉楼はとても静かで、少し暗がりがあった。それでも、幽かに庭の花々は輝いている。
その時、紫は信じられない光景を目にした。いや、レミリアの言う限り、当たり前の光景だった。
幽々子は妖夢に怒られているようで、笑顔を見せている。彼女がこっちを見たとき、その口が開いた。
「あら、紫じゃない。そんなところにいないで、早く此方にいらっしゃいな」
「あれ……なんで……幽々子が?」
「なあに? どうしたの、幽霊でも見たような顔をして。泣くなんて珍しいわね」
「だって、西行妖は満開だったし……」
「あれのことね。妖夢、持ってらっしゃい」
紫が幽々子の前に座った時、妖夢が何かを抱えてきた。黒い布が掛けられ、たびたび揺れている。生き物を入れた籠だろうか。ときおり、甲高い鳴き声も聞こえてきた。紫は涙の流れる目を、その物体から離せなかった。
「これはなに?」
「さあ、布を取って頂戴」
妖夢が布を払うと、中では、ハムスター、或いはイタチにも似た、全く新しい生き物が動き回っていた。よく見ると、光沢が身を包み込んでいる。
「紫、帚木伝説って知ってるかしら?」
「ええ、少しくらいは。近くに行くと見えず、離れると見える大木の伝説でしょ」
「これは帚木の妖怪と言って、少し伝説とは違うけど、ある一定範囲に幻影を見せる能力を持ってるの」
「こいつが?」
「普段は深山幽谷に棲む仙人のペットみたいよ。これらは全部、死神の小野塚小町から聴いたわ。あの娘、ずいぶん仙人と仲良い様子よ。幽霊管理の件でここに来るたびに、仙人の話題で時間を潰すもの。笑える話だわ。死神と仙人は、水と油のような関係だって言うのにね」
「じゃあ、私が見た西行妖は……」
「この生き物の幻影の所為よ。まるで西行妖が満開になったように見えたでしょう。遠くから振り返れば、すぐに気付いたというのに。急がば回れ、紫は落ち着きがないのよ」
「だって、てっきり幽々子が……」
「普通そうよね。私の親友だもの」
紫は安堵の溜息を漏らした。本当に、お騒がせなお嬢様である。涙はようやく止まった。
ただ、残る疑問が一つある。
「妖夢、貴方はなんで泣いていたの?」
「楽しみにしていたプリンを食べられてしまったのですよ。私くらい熱心な庭師になれば、自分に与える至福のひと時はかけがえのないものなのです。ましてや、私がずっと楽しみにしてきた、半年に一回食べられるかどうかという、とっておきのプリンを食べられてしまったのですよ。泣くしかありませんでした」
「ごめんなさいね。まさかそんなに大事にしていたとは思わなかったの。そうだ、昨日幻想郷中のデザートを食べあさって来たわ。お土産も幾らかあるの。一緒に食べない?」
「ダメです! あのプリンじゃないと意味がないんです! あれは特別なんです!」
「頑固ねえ。我慢しましょ」
「あれ……。じゃあ人里の寺子屋や、紅魔館の食糧を食べたのは貴方なの?」
「ええ、そうよ。スリルもあって素晴らしかったわ」
「呆れた……」
それからというもの、次の夜が来るまで散々呑み食いし、歌ったりしていた。
そろそろ疲れてきたという頃、紫は幽々子に別れを告げた。もう二度と騒がせることをしないように、帚木の妖怪を仙人に返しておくようにも、特に力を込めて付け加えたのだった。
帰りはスキマで数秒ともかからず、視界に入った藍に一声かけた。
「今戻ったわよー、藍ー」
「おや、珍しいですね。こんなに長い間も。どこをほっつき歩いてたのですか」
「ちょっとね。旅してたのよ」
「はあ……。おやつは冷蔵庫にありますので、勝手に取って行って下さい」
「さすが藍。気が利くわね」
藍の尻尾を少しだけ懐かしんだあと、慣れ親しんだ道を歩き、すぐさま冷蔵庫の取っ手に手を掛けた。ただ、その中の景色は寂寞としていた。
「ああ……ここにも来たのね、幽々子」
それぞれに話のつながりはありませんので、注意して下さい。
尚、ショートショートのようなものですので、一味違う東方ワールドとなっておりますのであしからず。
最後に、これらの作品を書こうという気にさせていただきました星新一先生に、最大限の感謝を。
復讐
かつて私は四本の腕を失った。
弾幕勝負による損失と、お姉様との喧嘩による損失、料理中に誤って炙ってしまった所為の損失、そして、お姉様の不意の事故による損失。
いずれも痛みはあったが、心残りは無かった。
吸血鬼は少し時間をおけばたちまち腕が回復するので、そんなことを気にしてもまったく意味がないのだ。
だから違和感なくこの腕を使える。指の感覚も問題なし。本を捲ることも、髪を束ねることも、瓶の蓋を開けることだって容易。
何不自由もなかった。
しかし、たったひとつだけ出来ないことがあった。
久々に私が紅魔館の食卓に現れた食事中の事、お姉様が咲夜に微笑んでから、ナイフを手に取ったまでは良かったのだが、いただきますと声と同時に振り上げたお姉様の左手に握られていたのは、肉を切る為だけのナイフだった。
咲夜お手製ということもあって、切れ味は抜群で、いとも簡単に左隣に座っていた私の右手を切断した。
結局、すぐに生えてくるから大丈夫だと、私はお姉様を許した。
それは四本目の腕だったのだが、五本目の腕になってからナイフを取ることができなくなった。
どうやら新たな腕には過去の痛みが記憶されているらしく、お姉様によるトラウマで右手はナイフを取れなくなってしまった。
しかし、弾幕勝負や喧嘩、料理での損失以降は、それらを簡単にこなすことができている。ナイフだけが握れないのだ。
これは私を悩ませた。腕に心があるなら、ナイフ以外も拒絶して何もおかしくない。
どちらかというとナイフの事故より弾幕勝負の方がずっと恐ろしいではないか。でも、楽しさが優っていたのかもしれない。
喧嘩も気分が良くないはずだ。しかし、私も少し悪かったのかもしれない。
料理も危ないし、汗をかいたり、涙を流したりと面倒ではないか。しかし、美鈴との料理は何もかもが楽しかった。
ではナイフはどうなのだろうか。不意だった。何も気づかず、何も感じず、不条理にキズをつけられてしまった。
自分の知らぬ間に何かが起きてしまうほど、怖いものはない。「殺す」と予め言ってから殺されるのと、何も言われずに殺されるのとでは、感じが違う。
腕はそれに恐怖したのだろうか。そうであると、私は決めつけた。
今日も咲夜から地下に持って来られたモノを、ナイフで捌けることができない。それどころか、依然としてナイフを持つことすらできない。
それなら左手でナイフを持てば良いと思ったが、右手がそれを制した。そもそも高貴なる種族において、左手でナイフを扱おうなど考えた私が愚かだった。
なんとかナイフを使わずに堪能して咲夜を欺いてきたが、吸血鬼たるもの、高貴な種族が賤しい食べ方をするのも気が引けてしまう。
なるべくなら早くこの五本目の腕のトラウマを消したかった。
私はそう祈ったが、叶わず、紅魔館の食卓での食事の日がやってきた。
もちろんこの日も豪華な肉で、ナイフを使わなければとても食べれるようなものではなかった。
私はうなだれたが、右隣のお姉様は目を輝かせていた。ナイフは右手にあった。
咲夜は、
「どうぞ、召し上がって下さい」
と言ったが、私の右手は震えていた。
ついに誤魔化しが効かなくなってしまったので、私は右手をナイフに近づけた。
その時、右手は勢い良くナイフを掴んだかと思うと、一直線にお姉様の左手を切り落とした。寸分の狂いもなく、断面も綺麗に残し、不意に見せかけた故意で、かつて私がしてやられたのと同じように右手は動いた。腕がひとりでに動いたのだ。
その後は、まるで鬱憤を晴らしたような気分で、復讐をし終えた右手は自由になった。ナイフもすっかり握れるようになった。
確かに腕には過去の記憶があるらしい。
別にわざわざナイフに触れる初手で復讐しようとこだわらなくても良かったのに……と、私は苦笑いした。
ボタンの秘密
咲夜が一人の妖精メイドを呼びつけて言った。
「これから大事な用事があるの。お嬢様方もついて行くわ。もちろん門番もね。その間に、万全な留守番をお願い」
「はい。必ずやどんなことがあろうとも、お屋敷をお守りします」
妖精メイドは咲夜からマスターキーを受け取った。
「必要があれば使ってちょうだい。ただし、私やお嬢様の部屋は開けられないわ。まあ、もしそんなことをしたらタダじゃ済まないでしょうけど」
苦笑い混じりに、咲夜は更に念を押すことを口にした。
「それと、二階の廊下の突き当たりのボタンは押さないこと。いいわね、絶対によ? 念を押しとくわよ」
「わかりました。では、いってらっしゃいませ」
まもなく咲夜たちが出掛けたころ、妖精メイドは好奇心と嬉しさに胸を踊らせていた。
最近の妖精メイドは、少なくとも以前よりかは質の高い仕事をこなしていた。特徴はいわゆる妖精メイドの中に階級付けのようなものがあって、今日咲夜がこの妖精メイドを選んだのにはもちろん理由がある。一言で言えば、この妖精メイドはまとめ役リーダーの立場で、少なくとも妖精メイドの中では、咲夜が現在最も信頼を注ぐ存在だからである。
でなければ、マスターキーなど触らせもしないに違いない。実際に彼女もこの鍵を手にするのが初めてであり、咲夜に抜擢されるのもまた、初めてのことであった。それは、妖精メイドの階級はしばしば変わり、ようやく彼女はここへ上り詰めたばかりなのであるからだった。
かくして、この妖精メイドはしばし興奮状態にあった。
その一方で、時間が追うたびに、好奇心は高まった。ボタンについてである。とうとう抑えきれなくなり、咲夜の言っていた場所の前に来てしまっていた。
何度もこの廊下は歩いている。それでも気付かないので、ボタンを簡単には見つけることができなかったのであろう。確かに、ボタンは見つけづらく、微妙に壁の色と同化していた。これだけ小さく、色も同じであれば、例え居場所を知っていてもなかなか辿り着かないだろう。
妖精メイドはしばらくこれを見つめていたが、やはり心ある生き物ゆえ、ボタンがあるとどうも押したくなる。
しかし、あれだけ咲夜が念を押したものだ。妖精メイドは可能性の限り疑った。
呪われるかもしれない。ここのお嬢様の持つ力なら、べつに指をひと振りすれば、このボタンへ呪いをかけることはできるはずであろう。そうなったら最後、どうなるかは目に見えている。
隠し部屋なのかもしれない。この屋敷の重大な秘密を隠していて、内部の者にも暴かれてはいけない何かを保管しているのだろうか。そうだとして、それを見た妖精メイドはどうなるだろうか。考えるまでもない。
ボタンを押すと、天井が降りてきて押し潰されるのではないか。だとしたら、咲夜の忠告を無視した、当然の報いとして処理されるのがオチだ。
ただ、少しくらい見てもいいだろう。べつに死ぬほどのものでもないだろう。ついに好奇心を抑えきることができなくなった。周りを確認してから、妖精メイドはボタンを軽く押した。すぐに身を構え、どんなことが起きても対処できる体制をとった。
その緊張を嘲笑うかのように、ボタンを押したすぐ隣に隠し扉が現れた。なるほど、これは隠し扉のスイッチだったわけか。
妖精メイドは空気が汚染されてないか、中に怪しく光るものはないか、鋭利で串刺しにされるようなものが落ちてこないか、慎重に確かめた。安全を確認して、恐る恐る足を踏み入れる。
中はからっぽだった。窓もなければ、家具もない。怪しい生き物も、雑巾干しでさえもない。広いとも言えるし、狭いとも言える、どちらかというと狭い。何とも不思議な間取りであった。その独特の雰囲気は、今までの好奇心に一気に水をかけた。
すっかり冷めた心のまま、もう一度部屋を見回してみるが、やはりなにもない。
「咲夜さんはこの何もない部屋に何を隠しているのだろう」
妖精メイドは扉を静かに元に戻し、やがて咲夜が帰ってきた。
「お疲れ様でした。今、紅茶を御淹れしますので」
「ありがとう。で、異常は? 大丈夫だったの?」
「はい。不審者も、ハエ一匹たりともで御座います」
「ご苦労様。まさかあのボタン、押したりはしなかったでしょうね」
妖精メイドは気を紛らわす行動をすると、すぐに勘の良い咲夜が気付いてしまうことを知っていたので、冷静に努めた。
「もちろんです。でも、何故それを押してはならないのでしょう? さては何か重大なものでも?」
「いいえ、何でもないの。べつにあれを押したからって、呪いにかかるわけでも、秘密を見るわけでも、死を見るわけでもないわ。安心して良いのよ」
「はい」
その日を境に、咲夜のその時の表情と言葉を思い出すたびに、妖精メイドは一層の頑張りを見せ、手下を指示した。自らも的確に動き回り、数々の実績を上げ、屋敷の綺麗な環境を保つ役割を始めとする様々な仕事をこなしていた。
あのボタンを押してしまった事実は変わらず、妖精メイドの心を蝕み続けた。それが葛藤し、彼女の仕事の質を格段に上げていたのは、前例のように、言うまでもない。
その罪に対する紛らしは、仕事でしかなかったからだ。こうしてなければ、いつ恐ろしい目に遭うか、呪い殺されてしまうか、わからない。妖精メイドは不安を心に、更なる努力を重ねた。
今まで部屋の掃除しか出来なかったのを、新たに庭の手入れに取り組んでみたり。紅茶しか作れなかったものを、豪勢な料理を作るまでに至らせたり。新たな施設を建てるために、建設技術の革新に挑んでみたり。ついにお嬢様側近で働くことを、しばしば任された。そのような仕事の時だけは、自然とあの罪のことを忘れているのだった。
咲夜の信頼を裏切る行為。やがて償っても償いきれなくなり、罪の意識は日に日にのしかかった。妖精メイドは必死に罪と戦い、仕事をやり遂げた。それに伴い、紅魔館の妖精メイドは驚くべき変貌をし、咲夜を唸らせるまでにも成長した。
そしてまた、咲夜が出掛ける日がやってきた。偶然にもここで二人きりになり、妖精メイドは自白を決意した。
「ひとつ、聞いておかねばならないことが御座います」
「宜しいわよ。もっとも、貴方には今後も期待してるから、その質問で仕事がはかどるのなら、是非何でも言ってちょうだい」
「はい、そのようなたぐいのものです。昔のことなので、覚えていますでしょうか。以前、咲夜さんが出掛けた後に、私は咲夜さんが押してはいけないと仰ったあのボタンを押してしまったのです。隠し扉も見つけ、中も覗いてしまいました」
「あら、そんなこと言ったかしら」
「はい。私は咲夜さんの忠告から、自身の好奇心を抑えることができずに、今に至るまでその罪の意識を忘れた日など、一度も御座いません」
「そうねぇ、そんなことも言ったかもしれないわ」
「ですが、私はてっきり、中にとても大事なものがあるとばかり思っていました。しかし、中をみても家具もなければ窓すらなく、何か無意味さえ感じられました。見てしまったからには、知らずにはいられません。あの部屋は、一体どんな秘密があるのですか?」
「ふうん。知りたいの?」
妖精メイドはひとまず、咲夜がそれほど怒ってないことに安堵した。
そして、秘密を知りたいという好奇心が、またしても新たに生まれた。
「はい、仰っていただけるのなら是非とも」
「じゃあ訊くけど、貴方、その罪を感じてから何か変わったことあった?」
「いいえ。始めは呪われてしまうのではないかと恐れていましたが、この通り、部屋の手入れはもちろんのこと、料理のような繊細な仕事にも、なに不自由を感じません」
「違うわ。そういうことを言ってるのではなくて、貴方はその罪から心を安らかにする為に、とても努力をしたでしょう?」
「あ、確かにしたのかもしれません。少なくとも、罪から少しでも遠ざかろうと、罪を感じる以前より、より一層仕事に熱中していました」
「じゃあ、貴方がもしボタンを押さずに、仕事を続けていたらどうかしら?」
「それは……好奇心で仕事どころではありません」
「そこよ」
妖精メイドは少し理解に苦しんだ。
さんざん考えた挙句、咲夜にその訳を訊ねた。
「貴方は好奇心を開放して、ボタンを押して部屋の中を見た。好奇心は収まり、約束を破った罪へと変わった。その罪は貴方を追い詰め、仕事で紛らわそうと言う結論に至らせる。その結果、今までの実績を大きく上回る出来を披露した。しかし、どうしても罪の意識を拭い去ることはできずに、更なる仕事に励んでいく。罪は重くなる一方、そのたびに、貴方は以前よりも素晴らしいことを次々に成し遂げてきた」
「確かに、よく考えればそんな気がします」
「これって、ボタンを押してから、仕事に熱中できたっていうことじゃないかしら?」
「はい」
「つまり、ボタンを押したことで、貴方をより仕事に打ち込めるような環境に陥れたのよ」
「なるほど。だからあの部屋に何をいれても意味が無いということですね」
「ええ。何もない部屋ってのも、使いようよ」
「これはまんまと咲夜さんの思う壷、と言うわけですね」
「その通り。だからといって、今日を境に仕事を緩めたら、無限のナイフとグングニルが貴方の周りに飛ぶわよ」
「承知しております。精進は怠りません」
妖精メイドはお辞儀をして、咲夜を見送りした。
このように妖精メイドのリーダーが変わるたびに、咲夜の秘策は行われ、紅魔館は更なる発展を遂げて行った。
のちにこれが『咲夜式メイド育成術』と世間に噂されるようになるのは、時代が移り変わってからもうまもなくのことであった……。
珍味な旅
旧友と桜でも見ようかと、八雲紫は白玉楼を訪れた。そのついでにお茶でも飲めれば幸せだと思っていた。まだ夜にはならない。迷惑ではないだろう。
まずは西行寺幽々子を探した。彼女がいないと寂しい。白玉楼はよく訪れるので、だいたいの廊下や部屋は把握していた。しかし、どこにもいない。
その時、すすり泣く声が耳に届いた。駆け寄ると、魂魄妖夢がハンカチを片手に、らしくない様に落魄してるようだった。
肩を叩くと、どうやら涙を堪えきれていない。
「どうしたのよ」
「だって……幽々子様が……」
ただ泣くだけで、それ以上は答えなかった。紫はどこか、身の危機を感じた。
不思議に思ったが、部屋もすみずみまでいつもと変わらず、和風な庭もみな輝いていた。
幽々子が何をしたというのだろうか。
しかし、外に出ると、ようやく私も一筋の涙を流し、事のあらましを理解した。
「何で……西行妖が……」
紫は目を疑った。
咲き乱れるはずのない、西行妖が、美しく花を咲かせていたのだから。怪しい光を放ち、美しすぎる満開であった。
「なんてこと……」
しかし現実は受け入れ難く、紫は近くを探した。ふだん目の届かない場所から、木の根もとまで、何もかも調べ尽くしたが、結局、幽々子らしきものを見ることはなかった。
幽々子を探し出すために、紫は歩き始めた。スキマを使うと、どこかで見落としてしまう可能性があったので、徒歩の手段に決めたのだ。
一縷の望みを胸に、紫は幽々子を信じた。
ひとまず、魔法の森を訪れた。先日、幽々子が森でキノコを貪り食っていたと、魔理沙から聞いたためだ。もしかしたら、いるかもしれない。死ぬ前に少しでも、という欲くらいあってもおかしくない。
探しているうちに、魔理沙の家に着いてしまった。とりあえず目撃情報がないか、試しておくのも無難だ。
入り口を叩いてしばらくして魔理沙が出てきた。
「なんだ。やけに珍しい客がきたぞ。私の家の場所を知っていたのか」
「いいえ。彷徨ううちに辿り着いただけよ。少し用があるの。幽々子を見なかったかしら?」
「さあな。先日は森でキノコ食ってるのを見かけたが、きのうおとといは目にしてないな」
「そう……」
「それよりデザート食べてくか? ちょうどブランチにしようと思ってたところなんだ」
「幽々子がいたら飛び込んで行ったでしょうね……。いいえ、用事があるからまた今度お邪魔することにするわ」
「そうかい。じゃあ私はとっておきのクッキーを堪能するかな」
とくに収穫はなかった。暢気な様子で家に戻った魔理沙だったが、紫の背後で叫び声が聞こえた。足をつまずかせたのだろう。相変わらずおっちょこちょいだと紫は思った。
続いて向かったのは、人里。食べ物ならなんでもありそうなここは、妖夢がよく買い出しに赴くエリアだ。幽々子が狙おうとするのも、理に適っていて納得できる。
歩く時はすみずみまで目を凝らした。どこかに隠れているかもしれないし、まだこの地にいるかもしれない。
やがて目に留まったのは、寺子屋前に立つ上白沢慧音の手を振る姿。ちょうど授業が終わったようで、送り出している。そもそも、紫がここを悠然と歩いてるにもかかわらず、少しここの連中は鈍感すぎやしないか。紫の食糧はここら辺にいる、彼女を目にしている彼らなのである。
「おや、珍しい客だな。八雲紫か」
「こんにちは。ちょっと用があるの。付き合ってくれる?」
「ああ、ちょうど暇を持て余してたところだ。中に入ろう。ここでは人目に触れる」
ゆっくりしてはいられないとわかってはいたが、慧音に続いた。
座っていろと言われ、慧音は何かを取りに奥へ行ってしまった。
数分は座っていただろう。どこからか話し声が聞こえてくる。奥の方だ。紫は耳を欹てた。
「妹紅。なぜお菓子がない」
「知らんな。おととい、寺子屋でパーティやったときに、餓鬼が食ったんじゃないのか?」
「いや、後片付けのときは確かに残っていた。おかしいな」
「なぜ急に菓子なんかを」
「お客だ。八雲紫が向こうに待っている」
「八雲紫か……珍しいな。よくここまで何事もなく来られたものだ。なら早く行ってやれ。探したって無いものは無いだろ。客を待たせるのも、好ましくない」
「うむ……。致し方ない」
慧音がしぶしぶといった様子で戻ってきた。
「すまない。お菓子か何かでももてなそうとしたかったのだが……」
「いいのよ。用を話せれば、なんだっていらないわ」
「申し訳ない。でだ、その用とは何なのだ?」
「ここに妖夢がよく訪れるでしょう。そのご主人を最近、見なかったかしら?」
「西行寺幽々子か。……うむ、見かけてないな」
「そう……。ありがと」
紫が立ち上がった時、慧音はもう一言付け加えた。
「何かあったのか? あるなら私も力になろう」
「いいえ、大丈夫よ。心配しないで」
また人里を横切るのも何なので、スキマを使った。
降り立ってから数分歩き、今の目の前にあるのは、いかにも怪しい雰囲気の紅魔館。ここなら、かの有名なメイドの料理もあるし、毎晩のように贅沢なディナーが開かれると、霊夢が言っていた。この際、霊夢にとっての贅沢の程度はさておき、ここに現れる可能性も拭いきれない。ここが最後の希望であり、最大の希望と言っても良かった。
居眠りする門番を横目に、通りを抜けた。中は広々としていて、全てが紅に見える。これほど異様な雰囲気の建物は、幻想郷でここ以外にはないだろう。
その時ふと、首に違和感を感じた。指を触れると、銀色に輝くナイフだった。
それはすなわち、時間操作をして、紫の背後に回った咲夜の仕業だろう。
耳元で声がした。
「珍しいお客様ね。存分のおもてなしをしなきゃだわ」
「できれば、この首に当たるナイフをどけてから、もてなしてほしいわ。冷たいの」
「ええ、そのつもりよ。一緒に奥へいらっしゃい。何も用無しに貴方がここを訪れるなんて、考えられないもの」
できれば急ぎたかったが、ここで血を見るよりはマシだ。ここは紫にとっても危険すぎる。咲夜とともに、長い廊下を歩き始める。
足音が木霊するうち、一つ、ひとまわり大きい扉の前にやってきた。
「入りましょう。中にお嬢様がいるわ」
重く扉は開かれ、椅子に座る吸血鬼の姿が見えた。
間髪いれずに、尊大な吸血鬼は話し始めた。
「ふむ。誰かと思えば神出鬼没妖怪か。面倒は省く質だから先に言うが、ここに西行寺幽々子はいないぞ」
「お見通しのようね」
「あの食欲魔人は厄介だからな。前の宴の時に、散々食い荒らされた。全く、咲夜の料理がそんなに美味しかったのね」
「さすが紅魔館の頭首様。話が早くて助かるわ」
「言っただろう。面倒は省く」
「話の途中で申し訳ないのですが、お嬢様。どう言う訳か、ケーキが無くなってます。何一つ、生クリームの残しすらもありません。お客様へのおもてなしにと保管していたはずなのですが、これは一体……」
「ご苦労咲夜。いいわよ、紅茶だけで。いや、紅茶もいらないかもね。このお客さんはどうやら急いでるようだし」
「申し訳御座いません。私の管理の怠りです」
「心配しなくていいわ。犯人はわかるもの」
「ですが……」
「下がりなさい、咲夜。大丈夫。後でツケを頂くことになってるから」
「わかりました」
咲夜が退室してからすぐ、レミリアは紫に言った。
「つまり、そういうわけだ。わかった? わかったなら早く白玉楼へ行きなさい。ここに長くいられても、邪魔なだけだ」
「え……さっき貴方、幽々子は来てないって」
「今は、と言った。昔はいたかもしれないわね。ほら、もう夜明けよ。眠たくなってきたわ」
仕方ないので、言われるままに紫はスキマを使って、紅魔館をあとにした。外はずいぶん明るく、生き物の声が四方から聞こえてくる。
しばらく歩いて着いた白玉楼はとても静かで、少し暗がりがあった。それでも、幽かに庭の花々は輝いている。
その時、紫は信じられない光景を目にした。いや、レミリアの言う限り、当たり前の光景だった。
幽々子は妖夢に怒られているようで、笑顔を見せている。彼女がこっちを見たとき、その口が開いた。
「あら、紫じゃない。そんなところにいないで、早く此方にいらっしゃいな」
「あれ……なんで……幽々子が?」
「なあに? どうしたの、幽霊でも見たような顔をして。泣くなんて珍しいわね」
「だって、西行妖は満開だったし……」
「あれのことね。妖夢、持ってらっしゃい」
紫が幽々子の前に座った時、妖夢が何かを抱えてきた。黒い布が掛けられ、たびたび揺れている。生き物を入れた籠だろうか。ときおり、甲高い鳴き声も聞こえてきた。紫は涙の流れる目を、その物体から離せなかった。
「これはなに?」
「さあ、布を取って頂戴」
妖夢が布を払うと、中では、ハムスター、或いはイタチにも似た、全く新しい生き物が動き回っていた。よく見ると、光沢が身を包み込んでいる。
「紫、帚木伝説って知ってるかしら?」
「ええ、少しくらいは。近くに行くと見えず、離れると見える大木の伝説でしょ」
「これは帚木の妖怪と言って、少し伝説とは違うけど、ある一定範囲に幻影を見せる能力を持ってるの」
「こいつが?」
「普段は深山幽谷に棲む仙人のペットみたいよ。これらは全部、死神の小野塚小町から聴いたわ。あの娘、ずいぶん仙人と仲良い様子よ。幽霊管理の件でここに来るたびに、仙人の話題で時間を潰すもの。笑える話だわ。死神と仙人は、水と油のような関係だって言うのにね」
「じゃあ、私が見た西行妖は……」
「この生き物の幻影の所為よ。まるで西行妖が満開になったように見えたでしょう。遠くから振り返れば、すぐに気付いたというのに。急がば回れ、紫は落ち着きがないのよ」
「だって、てっきり幽々子が……」
「普通そうよね。私の親友だもの」
紫は安堵の溜息を漏らした。本当に、お騒がせなお嬢様である。涙はようやく止まった。
ただ、残る疑問が一つある。
「妖夢、貴方はなんで泣いていたの?」
「楽しみにしていたプリンを食べられてしまったのですよ。私くらい熱心な庭師になれば、自分に与える至福のひと時はかけがえのないものなのです。ましてや、私がずっと楽しみにしてきた、半年に一回食べられるかどうかという、とっておきのプリンを食べられてしまったのですよ。泣くしかありませんでした」
「ごめんなさいね。まさかそんなに大事にしていたとは思わなかったの。そうだ、昨日幻想郷中のデザートを食べあさって来たわ。お土産も幾らかあるの。一緒に食べない?」
「ダメです! あのプリンじゃないと意味がないんです! あれは特別なんです!」
「頑固ねえ。我慢しましょ」
「あれ……。じゃあ人里の寺子屋や、紅魔館の食糧を食べたのは貴方なの?」
「ええ、そうよ。スリルもあって素晴らしかったわ」
「呆れた……」
それからというもの、次の夜が来るまで散々呑み食いし、歌ったりしていた。
そろそろ疲れてきたという頃、紫は幽々子に別れを告げた。もう二度と騒がせることをしないように、帚木の妖怪を仙人に返しておくようにも、特に力を込めて付け加えたのだった。
帰りはスキマで数秒ともかからず、視界に入った藍に一声かけた。
「今戻ったわよー、藍ー」
「おや、珍しいですね。こんなに長い間も。どこをほっつき歩いてたのですか」
「ちょっとね。旅してたのよ」
「はあ……。おやつは冷蔵庫にありますので、勝手に取って行って下さい」
「さすが藍。気が利くわね」
藍の尻尾を少しだけ懐かしんだあと、慣れ親しんだ道を歩き、すぐさま冷蔵庫の取っ手に手を掛けた。ただ、その中の景色は寂寞としていた。
「ああ……ここにも来たのね、幽々子」
『ボタンの秘密』古典的な説話みたいな感じがしました。予定調和なお話というのもほのぼのとしてたまにはいいなぁ、と。
『珍味な旅』三作の中では一番SSっぽい文体ですね。最後の紫のセリフが可愛かったですw
三作とも楽しめました。一番気に入ったのは『復讐』かなぁ。
あなたの次作を楽しみにしております。
独特の雰囲気が良いですね
『ボタンの秘密』には、思わず感心してしまいましたw
面白かったです。
動揺を隠せない紫が特に素晴らしかったです。
楽しめました
短いのに楽しめました
>>11
死体を処理する上司の話だっけ?
分けて投げても良かったんじゃないかと思いましたわ。
個人的にボタンの話が面白かったです。
「復讐」が個人的には一番面白かったです。
私は『ボタンの秘密』が一番好みでした。
「復讐」では今度はお嬢様がトラウマを抱えないといいのですが
若干やりすぎ感は感じてしまいますねー
ショートショートだとどうしてもダークテイストな話を贔屓して評価してしまうなあ
ノリとしては「珍味な旅」辺りが幻想郷の雰囲気を壊さずちょうどいいしオチの台詞が良かった
あとゆかゆゆは俺のジャスティス
2番めの「ボタンの秘密」、ラストでやや語りすぎという印象を受けました。
やっぱりゆかゆゆ最高!