いやはや、この射命丸文、不覚を取りました。恥ずかしながら、只今満身創痍の体を為しております。
幻想郷最速を自認し、他者も認めるところのこの私がボコボコです。ボッコボコですよ。
あー体中が痛いです……。
何故こんな事態に至ったのか、って? あやや、聞いちゃいます? それ聞いちゃいますか? 聞くも涙、語るも涙、この射命丸文の一世一代の決死の体当たり取材を。最早、私自身を記事にした方が部数取れちゃったりするんじゃないかなーって自惚れちゃうくらいに取材している時の私は疑いようもなくカッコよかったと……え? どうでもいいから原因を話せ? せっかちですねえ……。
まぁ取材に行ったんですよ。幽香さんのお宅に。アポなし突撃取材。
……はい? もうわかったからいい? ちょっとそれはあんまりじゃないですか! そっちから聞いてきたのですからきちんときっかり最後まで聞いてもらいますからね!
……と言っても、次でオチなんですけどね。ちょっと窓から、部屋の様子を覗いたら、取材完了。もう私の脳内では記事の内容、書くべき文章、伝えるべき文章一字一句余すことなく完成してしまったのです。後はその文章に疑う余地のない真実の記録を、私のこのカメラに収めればいい。それだけの状況になったのです。私はまさに決定的瞬間に遭遇してしまっていたのです。
……どんな光景が広がっていたと思います? 想像もつかないでしょう? 知りたいですか? 知りたいでしょう? そうでしょうとも。しかしながら、その決定的瞬間を写真には収めてみせたのですが、ほらこの通り。私の商売道具にして相棒のカメラは完膚なきまでに潰されてしまいました。今や、あの光景を誰かに伝える手段はこの私の言葉だけです。
もし……もし、私が見たあの信じがたき光景を言葉にして伝えて、一人、二人……と波紋のように拡がっていくのであれば、私のこの無念も浮かばれることでしょうが、それもある程度の信憑性のある話であれば為せるかもしれない、という程度のこと。一体誰がかの幻想郷にその名を轟かせているあの風見幽香が『デフォルメされた霊夢さんのぬいぐるみを後ろから抱きしめて緩みきったニヤケ顔をしていた』なんて話を信じてくれましょうか。信じられないでしょう? 無理もありません。しかし、事実なのです。何よりの証拠が、生き証人である私がここにいるのです。
写真に収めたまでは良いものの、すぐに幽香さんの知るところになってしまい、ご覧の有様ですよ。私、一体何ヶ所骨を折られたのでしょうか。もう見当もつきません。自慢の羽根も……見るもおぞましい状態です。自力で飛べないことはないですけど……羽ばたく度に激痛が押し寄せてくるので今こうして肩を貸して体重を預けているだけで良いというのはとんでもなくありがたい状況です。本当、命の恩人ですよ。今度、人里のおいしい甘味屋で奢りますよ。
はぁ……。
何です? 失礼ですね、私だって溜め息くらいつきますよ。今回ばかりは肩の一つでも落としたいですよ。あ、いや、別に狙ってないですよ? 右肩が脱臼してることにかけていたり、なんてしていませんよ? あや、なんでちょっと笑っているんですか? そんなにおかしかったですか?
…………全身骨折しか収穫がなかっただけに、骨折り損のくたびれ儲け?
あ! 痛い痛い! ごめんなさい! 私が悪かったです! だから腰折りながら耐え忍ぶように笑わないでください! 意図せず私の身体もやばい感じになってますから!
「ごめん……でも、だって、文がおかしなこと言うから……ぷ、くく……!」
ボロボロになっている私に対して、更なる追い討ちをかけるかの如き所業をやってのけた姫海棠はたては「はぁ~、はぁ~」とどうにかこうにか呼吸を落ち着けようと息を整えようとするも、また思い出してしまったのか、私の身体を支えるために使っていない手で口元を押さえながら油断すると込み上げてくる笑いを必死に押し留めていた。まぁ、元を正せば私が駄洒落なんて言ってしまったのが原因なのだが……。
「あややや……涙出てきました……」
「えっ、あっ、ごめん! 大丈夫?」
あまりの痛みに思わず目尻に涙が溜まる。それに驚いたはたては慌てて体勢を直して心配そうな顔で私を気遣った。
「はたては優しい子ですねぇ」
「え!? い、いきなり何よ……。今のは私が悪かったから……」
はたては何でこんなにも健気なのだろうか。今のは完全に私の自業自得に過ぎないというのに、はたてはさも自分が悪いと言わんばかりのいじらしさを見せる。身体が万全の状態であれば間違いなく抱きしめていたに違いない。ならばと頭を撫でていい子いい子してあげようと思ってもみたのだが、生憎右肩が脱臼で動かせず、左腕は外傷がなかなかに痛ましい感じではあるが動かせないことはない。しかし頼みの綱の左腕ははたての首に回され手首をガッチリ彼女の柔らかくて細い左手に固定されていて動かせず……。
「ふむ……」
さて、どうすればはたてに対して感謝の意を表明すれば良いものか……。素直に「ありがとう」と一言言えばそれでいいじゃないかという選択肢は、もちろんない。
何故なら、何となく、言葉にするのは、その……、恥ずかしいのだ。こういうのは言葉より行動で示すほうが私は好みなのだ。おそらくこれははたてに対してだけかもしれない。
「?」
ではどうするかということになっていくが、さてどうしようか……。
はたてはそんな私の思案などまるで知らず、おそらく難しい顔をしているだろう私をやや首を傾げながら見ている。
そこで私はふと吸い寄せられるようにはたてのある一点へ、視界が定まっている自分に気付いた。
――はたての首……白くて、細くて、綺麗だなあ……。
頭の中でそんな素直な感想を感じた時には、もう既にあの首筋に触れてみたい衝動が溢れかえっっていた。
「えいやっ」
思った瞬間、即行動。私は満面の笑みをたたえてはたての首に自分の頬を押しつけました。
「ひゃっ!?」
はたては突然の私の行動にどうやら驚いたようで、普段より随分とオクターブの高い悲鳴を短くあげた。愛い奴だ。
「ちょっ、やめ……くすぐったいってば!」
はたての反応に調子に乗った私は、自分の頬をうりうりと擦り付けるように彼女の首を更に堪能する。自分の首を左右に動かした時、はたての首に自分の鼻が当たるのだが、その時鼻腔に入ってくる彼女の匂いはとても良い香りで、今の疲れ切った私にはずっと彼女の匂いを嗅いでいたいとすら思えるものだった。あと、何故か狼狽するはたてが妙に可愛い、という理由もあるが。
「いいじゃないですか~はたてのお肌スベスベで気持ちいいんですよ~」
「だ、大体そんな顔近づけられたら……い、意識が文の方にいっちゃうでしょ……」
「ん? 何ですって? 声が小さくてよく聞こえませんでしたよ」
「な、なんでもないっ……! ふぇ……は……は……」
「は?」
「はっくち!」
「ぐおっ!?」
はたてが急に盛大なくしゃみをした。いや、おそらくこれも原因は私にあるのだろう。首を左右に振ったことにより私の髪の毛がはたての鼻を刺激してしまったのだ。
そこまでならまあ全然いいのですが、問題はくしゃみをしたあとです。はたてがくしゃみをしたことにより、その反動で両肩が瞬間跳ねあがったのです。その反射によって、彼女の両肩の上に乗せられてがっちり固定されていた左腕も意図せず跳ね上がる。しかしながら、まこと残念な話になってしまうのだが、左腕のみをガッチリ固定された、ある意味極まってる状態のこの体勢では、跳ねた左腕と連動してその他の部位は動いてくれなかったのだ。
「あ、文!? ご、ごめん! 大丈夫!?」
「……だ、大丈夫、です……よ……」
脱臼しかけましたけど。でもこれも完全に自業自得。はたてに一切の非はなかった。だのに、はたてはまたもや申し訳なさそうに謝っている。私は本格的に悔い改める必要があると自省し、左肩を襲う激痛に負けず努めて笑顔であり続けた。
「ほ、本当にごめんね……」
「や……はたては本当に何も悪くないんで……」
いっそあのまま左肩も脱臼して、ついでにそのまま落としてくれても構わないくらいに、はたての表情を曇らせている私は彼岸の閻魔に地獄行きを言い渡されても申し開きが出来ない程度に罪深いと思う。果たしてあと何回、はたてに対して申し訳ないと思わなければならないのか。
「……う、うん……」
「…………」
「…………」
「…………」
う……何だか沈黙になってしまった。ここまで楽しくお喋りをしていた、というわけでもなかったのだけれども、お互いが申し訳ないと感じてしまっているこの沈黙は少しばかりつらい。
はたてはみてくれこそはお洒落に気を遣い、社交的な雰囲気を漂わせているが、彼女の本質はかなりの引っ込み思案の持ち主である。だから会話が行き詰るとこうして押し黙ってしまう事があるのだ。
こういった時は私のほうから話題を切り替えて場を戻すのが常だが、今の私の口から出る話題は漏れなく地雷と化しているので厳しい。しかし何も会話がないと私はともかくはたてはどんどん塞ぎ込んでいってしまうので何とかしないとああでもしかし……、と思考が堂々巡りして結局何も出来ずにいると。
「あ、あの……さ……」
私の心配をよそにはたてが沈黙を破った。少しおっかなびっくりなのは、私が黙っていたせいかもしれない。機嫌が悪いのかもと思われてしまったらしい。
ゆっくり、窺うように言葉を紡ぐはたて。その口から私は驚くべき言葉を耳にした。
「文が撮った風見幽香の写真さ……、あれ、何とかできると思う」
私は文字通り目を丸くしてはたてを見た。
「え、どういうことです?」
いや、彼女の能力についてはもちろん知っている。『念写をする程度の能力』。簡単に説明すれば、はたての持つカメラに任意のキーワードを入力することによってそれにちなんだ写真が映し出されるというものだ。要するに、すでに存在する写真を複写するはたての能力は悪く言えば二番煎じに過ぎず、彼女の新聞があまり人気がない所以がそこにあった。
聞き返す私にはたては答える。
「だからさ、私の能力を使えば写真を復元できるかもってこと」
それは私には驚くべき回答だった。
「で、できるんですかっ!?」
「写真に収めてあるなら、現像されてなくてもたぶん、大丈夫…かな」
興奮気味に喋る私と対照的に、はたては至って冷静、いやまったく普段どおりといった風だ。
俄には信じがたいのだが、どうやらはたてはカメラが破壊されようが水没しようが、カメラに撮られてさえいればそれが例えまだ現像されていないものでも念写することが出来るというのだ。使いようによっては、二番煎じという不名誉な評価を覆しかねない恐ろしい能力である。
「すっ、すごいです! よ、よーし、はたての力で早速私の血と汗と涙の結晶を蘇らせましょう!」
しかし今回のケースにおいてはまさしく一筋の救いの光そのものだ。物理的に断念させられた特ダネを世に知らしめることが出来る、ということなのだから。
「ちょっ! テンション上がりすぎっ! 大怪我してるんだからじっとしててよ!」
はたてにガッチリ固定されている私だが、抑えきれない興奮と記者魂が足をばたつかせたり、身体をよじってみたりとまるで落ち着きのない子どものようにせわしくしていると、はたてが困り顔で私を抑えようとする。
「これがテンション上がらずにいられますかっ! 今からはたての家に直行ですよ!」
だが、それは無理からぬ事だ。おそらくはたてにもこの気持ちはわかるはずだ。一分一秒でも早く、新聞にして伝えたい。
そのためにははたてに一刻も早く念写してもらう必要があると考えた私は、彼女が集中できるようにと彼女の家で作業に取りかかるのが一番だと瞬時に判断した。
「え、ええ!? 私んち!? い、医者に診てもらうほうが先でしょー!?」
しかしはたては記事よりも私の身体を気遣う。その心配はとてもとても身に沁みるが、今はそれすら振り切ってやらなければならないことがある。
「ええい、ほっぺをつねってやりたくなるくらい本当にいい子ですが、この際私の身体なんてどうでもよいのです!」
「えっ!? い、いい子?」
「そんなもんツバつけとけば勝手に治りますよ! さあレッツゴーです!」
「あ、文~!」
妖怪の肉体は頑健なのだから。重要なのは精神の方だ。今の私の精神はとても充実しています。これほどの特ダネを記事に出来る。その事実だけで、こんな痛みなど吹き飛ばすことが出来るだろう。
私ははたての提案を無視して無理矢理妖怪の山へ進路を向かわせた。
「さあ、はたて! 二人で幻想郷をあっと驚かせる記事を書いちゃいましょうよ! 見える、見えます! 私たちの書いた新聞が幻想郷中に轟くのが! 今から笑いが止まりませんね!」
今日も今日とて平穏な幻想郷の空には、何とも言えない困り顔をしているはたてをよそに、沈みゆく西の空に映える夕焼けに向かって高笑いする私の声だけが響いていた。
~それから~
――博麗神社。
まったくいつも通りの博麗神社での日常は、どこかよそよそしい霊夢の一言で音を立てて崩れ去った。
「ゆ、幽香、さぁ……」
「ん? 何かしら?」
いや、よそよそしかったのはその一言ではなかった。博麗神社に遊びに来た時点で、私の顔を見たその時から霊夢は気まずそうな顔をしていたと、霊夢の顔を見ながら思った。
この時の私の平和ボケっぷりは既に事の真相を知っている者たちから見れば見事なまでに苦笑の対象となるだろう。
「これに書いてあることってさ……本当なの?」
そう言って霊夢は新聞紙を私に寄越してきた。
事ここに至れりも未だ事態の当事者でありながら蚊帳の外にいた私は、ニコニコ顔で霊夢から差し出された新聞を受け取る。
「なになに? なにかしら――ッ!? グッハァ!!」
その瞬間、世界が止まったような気がした。
紙の上に無数に踊る文字。その一文一文が私の心の音を止めんばかりの破壊力を有していた。
その新聞の一面の見出しにはでかでかとこう書かれていた。
『大妖怪・風見幽香 巫女人形を抱いてご満悦』
こんな記事を書いたのは誰なのか、すぐに察しはついた。だが同時に大きな疑問が生まれた。
これを撮ったカメラは出歯亀とともに完膚なきまでに叩き潰したはずなのに、どうしてこの写真が存在しているのか、だ。
まさかダミーでもつかまされたのだろうか。いやそれとも天狗をシメた事に満足してもう一度霊夢人形を後ろ抱きしていたところを盗撮されたのだろうか。いやしかしその時はまったく気配などなかったし可能性は低いはず……ってちょおおおお! 何でアリス(霊夢人形製作者)はちゃっかりインタビューなんかに答えてんのよおおおおお! 内緒にするって約束だったでしょうがあああああ!!
アリスの裏切りに、私は立ち上がり天を仰ぎながら新聞を切り裂いて、そしてまた座った。
「……」
「……」
うう…、沈黙が痛い。
「…………」
「…………」
霊夢、怒ってるのかしら? 怒ってるわよね?
「……………」
「ひゃっ!?」
不意に、霊夢が立ち上がった。そしてすぐ隣に座っている私を見下ろした。
その表情は真っ赤に染まっており、果たしていよいよ私は彼女を本気で怒らせてしまったのかと内心覚悟した。色々と。
すぅ、と霊夢が息を吸い込むのを見て私はぎゅっと眼を固く閉じて俯いた。
「…………!」
身体を縮こまらせるなんて、一体どこの人間の子どもじみた真似をしてしまっているのだろう。仮にも私は大妖怪として幻想郷にその名を通していたはずなのだが。
「…………?」
あれ? どうしたことだ? 待てど暮らせど、霊夢から何らかのアクションが来ない。てっきり頭でもひっぱたかれるのかと思って大人しく罰を受ける体勢を整えていたのだけれども。
不思議に思った私が顔を上げて霊夢を仰ぎ見ようと眼を開けた、その瞬間――。
「……え?」
――霊夢が座っていた。えっと……、私の膝の上に。
「え、あ、あの……れ、霊夢?」
眼を閉じていた一瞬の間に私の視界を埋めていた霊夢の背中。真っ直ぐな黒髪の隙間から垣間見える白いうなじ。黒で埋まる頭の両端にひょっこり出ている可愛らしい彼女の耳は真っ赤に染まっていた。
え、もしかして、さっき顔を真っ赤にしていたのは怒っていたからではなくて照れていたから……? え、でも、だからといってまさか実際にやってくれるなんて……。
突然の出来事に狼狽している私に霊夢は顔だけこちらへ向いて恥ずかしさをこらえるように言った。
「だ、だって、こうしたかったんじゃ、ないの……?」
はち切れんばかりの恥ずかしさを抑えながら、唇をきゅっと結んで、私を見る瞳は少し潤んでいるようにさえ見える。
その姿に私の顔も沸騰しそうなくらい熱くなるのを感じた。霊夢の眼にも私の真っ赤になっている顔が映っているのかもしれない。
霊夢に、こんな表情で、こんな台詞を、こんな至近距離で言われてしまったら私の言うべき言葉はもはや一つしか残っていない。
「…………はい」
まさかの大逆転。あの記事のおかげで、相変わらず私の幻想郷における社会的地位(?)は至る所で暴落しているだろうけれど、霊夢に嫌われなかったのでそれでいいと思った。
口惜しいが、天狗には感謝しなければならないのかもしれない。ありがとう、ありがとう天狗。
でも今度会ったらしばく。
幻想郷最速を自認し、他者も認めるところのこの私がボコボコです。ボッコボコですよ。
あー体中が痛いです……。
何故こんな事態に至ったのか、って? あやや、聞いちゃいます? それ聞いちゃいますか? 聞くも涙、語るも涙、この射命丸文の一世一代の決死の体当たり取材を。最早、私自身を記事にした方が部数取れちゃったりするんじゃないかなーって自惚れちゃうくらいに取材している時の私は疑いようもなくカッコよかったと……え? どうでもいいから原因を話せ? せっかちですねえ……。
まぁ取材に行ったんですよ。幽香さんのお宅に。アポなし突撃取材。
……はい? もうわかったからいい? ちょっとそれはあんまりじゃないですか! そっちから聞いてきたのですからきちんときっかり最後まで聞いてもらいますからね!
……と言っても、次でオチなんですけどね。ちょっと窓から、部屋の様子を覗いたら、取材完了。もう私の脳内では記事の内容、書くべき文章、伝えるべき文章一字一句余すことなく完成してしまったのです。後はその文章に疑う余地のない真実の記録を、私のこのカメラに収めればいい。それだけの状況になったのです。私はまさに決定的瞬間に遭遇してしまっていたのです。
……どんな光景が広がっていたと思います? 想像もつかないでしょう? 知りたいですか? 知りたいでしょう? そうでしょうとも。しかしながら、その決定的瞬間を写真には収めてみせたのですが、ほらこの通り。私の商売道具にして相棒のカメラは完膚なきまでに潰されてしまいました。今や、あの光景を誰かに伝える手段はこの私の言葉だけです。
もし……もし、私が見たあの信じがたき光景を言葉にして伝えて、一人、二人……と波紋のように拡がっていくのであれば、私のこの無念も浮かばれることでしょうが、それもある程度の信憑性のある話であれば為せるかもしれない、という程度のこと。一体誰がかの幻想郷にその名を轟かせているあの風見幽香が『デフォルメされた霊夢さんのぬいぐるみを後ろから抱きしめて緩みきったニヤケ顔をしていた』なんて話を信じてくれましょうか。信じられないでしょう? 無理もありません。しかし、事実なのです。何よりの証拠が、生き証人である私がここにいるのです。
写真に収めたまでは良いものの、すぐに幽香さんの知るところになってしまい、ご覧の有様ですよ。私、一体何ヶ所骨を折られたのでしょうか。もう見当もつきません。自慢の羽根も……見るもおぞましい状態です。自力で飛べないことはないですけど……羽ばたく度に激痛が押し寄せてくるので今こうして肩を貸して体重を預けているだけで良いというのはとんでもなくありがたい状況です。本当、命の恩人ですよ。今度、人里のおいしい甘味屋で奢りますよ。
はぁ……。
何です? 失礼ですね、私だって溜め息くらいつきますよ。今回ばかりは肩の一つでも落としたいですよ。あ、いや、別に狙ってないですよ? 右肩が脱臼してることにかけていたり、なんてしていませんよ? あや、なんでちょっと笑っているんですか? そんなにおかしかったですか?
…………全身骨折しか収穫がなかっただけに、骨折り損のくたびれ儲け?
あ! 痛い痛い! ごめんなさい! 私が悪かったです! だから腰折りながら耐え忍ぶように笑わないでください! 意図せず私の身体もやばい感じになってますから!
「ごめん……でも、だって、文がおかしなこと言うから……ぷ、くく……!」
ボロボロになっている私に対して、更なる追い討ちをかけるかの如き所業をやってのけた姫海棠はたては「はぁ~、はぁ~」とどうにかこうにか呼吸を落ち着けようと息を整えようとするも、また思い出してしまったのか、私の身体を支えるために使っていない手で口元を押さえながら油断すると込み上げてくる笑いを必死に押し留めていた。まぁ、元を正せば私が駄洒落なんて言ってしまったのが原因なのだが……。
「あややや……涙出てきました……」
「えっ、あっ、ごめん! 大丈夫?」
あまりの痛みに思わず目尻に涙が溜まる。それに驚いたはたては慌てて体勢を直して心配そうな顔で私を気遣った。
「はたては優しい子ですねぇ」
「え!? い、いきなり何よ……。今のは私が悪かったから……」
はたては何でこんなにも健気なのだろうか。今のは完全に私の自業自得に過ぎないというのに、はたてはさも自分が悪いと言わんばかりのいじらしさを見せる。身体が万全の状態であれば間違いなく抱きしめていたに違いない。ならばと頭を撫でていい子いい子してあげようと思ってもみたのだが、生憎右肩が脱臼で動かせず、左腕は外傷がなかなかに痛ましい感じではあるが動かせないことはない。しかし頼みの綱の左腕ははたての首に回され手首をガッチリ彼女の柔らかくて細い左手に固定されていて動かせず……。
「ふむ……」
さて、どうすればはたてに対して感謝の意を表明すれば良いものか……。素直に「ありがとう」と一言言えばそれでいいじゃないかという選択肢は、もちろんない。
何故なら、何となく、言葉にするのは、その……、恥ずかしいのだ。こういうのは言葉より行動で示すほうが私は好みなのだ。おそらくこれははたてに対してだけかもしれない。
「?」
ではどうするかということになっていくが、さてどうしようか……。
はたてはそんな私の思案などまるで知らず、おそらく難しい顔をしているだろう私をやや首を傾げながら見ている。
そこで私はふと吸い寄せられるようにはたてのある一点へ、視界が定まっている自分に気付いた。
――はたての首……白くて、細くて、綺麗だなあ……。
頭の中でそんな素直な感想を感じた時には、もう既にあの首筋に触れてみたい衝動が溢れかえっっていた。
「えいやっ」
思った瞬間、即行動。私は満面の笑みをたたえてはたての首に自分の頬を押しつけました。
「ひゃっ!?」
はたては突然の私の行動にどうやら驚いたようで、普段より随分とオクターブの高い悲鳴を短くあげた。愛い奴だ。
「ちょっ、やめ……くすぐったいってば!」
はたての反応に調子に乗った私は、自分の頬をうりうりと擦り付けるように彼女の首を更に堪能する。自分の首を左右に動かした時、はたての首に自分の鼻が当たるのだが、その時鼻腔に入ってくる彼女の匂いはとても良い香りで、今の疲れ切った私にはずっと彼女の匂いを嗅いでいたいとすら思えるものだった。あと、何故か狼狽するはたてが妙に可愛い、という理由もあるが。
「いいじゃないですか~はたてのお肌スベスベで気持ちいいんですよ~」
「だ、大体そんな顔近づけられたら……い、意識が文の方にいっちゃうでしょ……」
「ん? 何ですって? 声が小さくてよく聞こえませんでしたよ」
「な、なんでもないっ……! ふぇ……は……は……」
「は?」
「はっくち!」
「ぐおっ!?」
はたてが急に盛大なくしゃみをした。いや、おそらくこれも原因は私にあるのだろう。首を左右に振ったことにより私の髪の毛がはたての鼻を刺激してしまったのだ。
そこまでならまあ全然いいのですが、問題はくしゃみをしたあとです。はたてがくしゃみをしたことにより、その反動で両肩が瞬間跳ねあがったのです。その反射によって、彼女の両肩の上に乗せられてがっちり固定されていた左腕も意図せず跳ね上がる。しかしながら、まこと残念な話になってしまうのだが、左腕のみをガッチリ固定された、ある意味極まってる状態のこの体勢では、跳ねた左腕と連動してその他の部位は動いてくれなかったのだ。
「あ、文!? ご、ごめん! 大丈夫!?」
「……だ、大丈夫、です……よ……」
脱臼しかけましたけど。でもこれも完全に自業自得。はたてに一切の非はなかった。だのに、はたてはまたもや申し訳なさそうに謝っている。私は本格的に悔い改める必要があると自省し、左肩を襲う激痛に負けず努めて笑顔であり続けた。
「ほ、本当にごめんね……」
「や……はたては本当に何も悪くないんで……」
いっそあのまま左肩も脱臼して、ついでにそのまま落としてくれても構わないくらいに、はたての表情を曇らせている私は彼岸の閻魔に地獄行きを言い渡されても申し開きが出来ない程度に罪深いと思う。果たしてあと何回、はたてに対して申し訳ないと思わなければならないのか。
「……う、うん……」
「…………」
「…………」
「…………」
う……何だか沈黙になってしまった。ここまで楽しくお喋りをしていた、というわけでもなかったのだけれども、お互いが申し訳ないと感じてしまっているこの沈黙は少しばかりつらい。
はたてはみてくれこそはお洒落に気を遣い、社交的な雰囲気を漂わせているが、彼女の本質はかなりの引っ込み思案の持ち主である。だから会話が行き詰るとこうして押し黙ってしまう事があるのだ。
こういった時は私のほうから話題を切り替えて場を戻すのが常だが、今の私の口から出る話題は漏れなく地雷と化しているので厳しい。しかし何も会話がないと私はともかくはたてはどんどん塞ぎ込んでいってしまうので何とかしないとああでもしかし……、と思考が堂々巡りして結局何も出来ずにいると。
「あ、あの……さ……」
私の心配をよそにはたてが沈黙を破った。少しおっかなびっくりなのは、私が黙っていたせいかもしれない。機嫌が悪いのかもと思われてしまったらしい。
ゆっくり、窺うように言葉を紡ぐはたて。その口から私は驚くべき言葉を耳にした。
「文が撮った風見幽香の写真さ……、あれ、何とかできると思う」
私は文字通り目を丸くしてはたてを見た。
「え、どういうことです?」
いや、彼女の能力についてはもちろん知っている。『念写をする程度の能力』。簡単に説明すれば、はたての持つカメラに任意のキーワードを入力することによってそれにちなんだ写真が映し出されるというものだ。要するに、すでに存在する写真を複写するはたての能力は悪く言えば二番煎じに過ぎず、彼女の新聞があまり人気がない所以がそこにあった。
聞き返す私にはたては答える。
「だからさ、私の能力を使えば写真を復元できるかもってこと」
それは私には驚くべき回答だった。
「で、できるんですかっ!?」
「写真に収めてあるなら、現像されてなくてもたぶん、大丈夫…かな」
興奮気味に喋る私と対照的に、はたては至って冷静、いやまったく普段どおりといった風だ。
俄には信じがたいのだが、どうやらはたてはカメラが破壊されようが水没しようが、カメラに撮られてさえいればそれが例えまだ現像されていないものでも念写することが出来るというのだ。使いようによっては、二番煎じという不名誉な評価を覆しかねない恐ろしい能力である。
「すっ、すごいです! よ、よーし、はたての力で早速私の血と汗と涙の結晶を蘇らせましょう!」
しかし今回のケースにおいてはまさしく一筋の救いの光そのものだ。物理的に断念させられた特ダネを世に知らしめることが出来る、ということなのだから。
「ちょっ! テンション上がりすぎっ! 大怪我してるんだからじっとしててよ!」
はたてにガッチリ固定されている私だが、抑えきれない興奮と記者魂が足をばたつかせたり、身体をよじってみたりとまるで落ち着きのない子どものようにせわしくしていると、はたてが困り顔で私を抑えようとする。
「これがテンション上がらずにいられますかっ! 今からはたての家に直行ですよ!」
だが、それは無理からぬ事だ。おそらくはたてにもこの気持ちはわかるはずだ。一分一秒でも早く、新聞にして伝えたい。
そのためにははたてに一刻も早く念写してもらう必要があると考えた私は、彼女が集中できるようにと彼女の家で作業に取りかかるのが一番だと瞬時に判断した。
「え、ええ!? 私んち!? い、医者に診てもらうほうが先でしょー!?」
しかしはたては記事よりも私の身体を気遣う。その心配はとてもとても身に沁みるが、今はそれすら振り切ってやらなければならないことがある。
「ええい、ほっぺをつねってやりたくなるくらい本当にいい子ですが、この際私の身体なんてどうでもよいのです!」
「えっ!? い、いい子?」
「そんなもんツバつけとけば勝手に治りますよ! さあレッツゴーです!」
「あ、文~!」
妖怪の肉体は頑健なのだから。重要なのは精神の方だ。今の私の精神はとても充実しています。これほどの特ダネを記事に出来る。その事実だけで、こんな痛みなど吹き飛ばすことが出来るだろう。
私ははたての提案を無視して無理矢理妖怪の山へ進路を向かわせた。
「さあ、はたて! 二人で幻想郷をあっと驚かせる記事を書いちゃいましょうよ! 見える、見えます! 私たちの書いた新聞が幻想郷中に轟くのが! 今から笑いが止まりませんね!」
今日も今日とて平穏な幻想郷の空には、何とも言えない困り顔をしているはたてをよそに、沈みゆく西の空に映える夕焼けに向かって高笑いする私の声だけが響いていた。
~それから~
――博麗神社。
まったくいつも通りの博麗神社での日常は、どこかよそよそしい霊夢の一言で音を立てて崩れ去った。
「ゆ、幽香、さぁ……」
「ん? 何かしら?」
いや、よそよそしかったのはその一言ではなかった。博麗神社に遊びに来た時点で、私の顔を見たその時から霊夢は気まずそうな顔をしていたと、霊夢の顔を見ながら思った。
この時の私の平和ボケっぷりは既に事の真相を知っている者たちから見れば見事なまでに苦笑の対象となるだろう。
「これに書いてあることってさ……本当なの?」
そう言って霊夢は新聞紙を私に寄越してきた。
事ここに至れりも未だ事態の当事者でありながら蚊帳の外にいた私は、ニコニコ顔で霊夢から差し出された新聞を受け取る。
「なになに? なにかしら――ッ!? グッハァ!!」
その瞬間、世界が止まったような気がした。
紙の上に無数に踊る文字。その一文一文が私の心の音を止めんばかりの破壊力を有していた。
その新聞の一面の見出しにはでかでかとこう書かれていた。
『大妖怪・風見幽香 巫女人形を抱いてご満悦』
こんな記事を書いたのは誰なのか、すぐに察しはついた。だが同時に大きな疑問が生まれた。
これを撮ったカメラは出歯亀とともに完膚なきまでに叩き潰したはずなのに、どうしてこの写真が存在しているのか、だ。
まさかダミーでもつかまされたのだろうか。いやそれとも天狗をシメた事に満足してもう一度霊夢人形を後ろ抱きしていたところを盗撮されたのだろうか。いやしかしその時はまったく気配などなかったし可能性は低いはず……ってちょおおおお! 何でアリス(霊夢人形製作者)はちゃっかりインタビューなんかに答えてんのよおおおおお! 内緒にするって約束だったでしょうがあああああ!!
アリスの裏切りに、私は立ち上がり天を仰ぎながら新聞を切り裂いて、そしてまた座った。
「……」
「……」
うう…、沈黙が痛い。
「…………」
「…………」
霊夢、怒ってるのかしら? 怒ってるわよね?
「……………」
「ひゃっ!?」
不意に、霊夢が立ち上がった。そしてすぐ隣に座っている私を見下ろした。
その表情は真っ赤に染まっており、果たしていよいよ私は彼女を本気で怒らせてしまったのかと内心覚悟した。色々と。
すぅ、と霊夢が息を吸い込むのを見て私はぎゅっと眼を固く閉じて俯いた。
「…………!」
身体を縮こまらせるなんて、一体どこの人間の子どもじみた真似をしてしまっているのだろう。仮にも私は大妖怪として幻想郷にその名を通していたはずなのだが。
「…………?」
あれ? どうしたことだ? 待てど暮らせど、霊夢から何らかのアクションが来ない。てっきり頭でもひっぱたかれるのかと思って大人しく罰を受ける体勢を整えていたのだけれども。
不思議に思った私が顔を上げて霊夢を仰ぎ見ようと眼を開けた、その瞬間――。
「……え?」
――霊夢が座っていた。えっと……、私の膝の上に。
「え、あ、あの……れ、霊夢?」
眼を閉じていた一瞬の間に私の視界を埋めていた霊夢の背中。真っ直ぐな黒髪の隙間から垣間見える白いうなじ。黒で埋まる頭の両端にひょっこり出ている可愛らしい彼女の耳は真っ赤に染まっていた。
え、もしかして、さっき顔を真っ赤にしていたのは怒っていたからではなくて照れていたから……? え、でも、だからといってまさか実際にやってくれるなんて……。
突然の出来事に狼狽している私に霊夢は顔だけこちらへ向いて恥ずかしさをこらえるように言った。
「だ、だって、こうしたかったんじゃ、ないの……?」
はち切れんばかりの恥ずかしさを抑えながら、唇をきゅっと結んで、私を見る瞳は少し潤んでいるようにさえ見える。
その姿に私の顔も沸騰しそうなくらい熱くなるのを感じた。霊夢の眼にも私の真っ赤になっている顔が映っているのかもしれない。
霊夢に、こんな表情で、こんな台詞を、こんな至近距離で言われてしまったら私の言うべき言葉はもはや一つしか残っていない。
「…………はい」
まさかの大逆転。あの記事のおかげで、相変わらず私の幻想郷における社会的地位(?)は至る所で暴落しているだろうけれど、霊夢に嫌われなかったのでそれでいいと思った。
口惜しいが、天狗には感謝しなければならないのかもしれない。ありがとう、ありがとう天狗。
でも今度会ったらしばく。
素晴らしかったです
そしてゆうかれいむにも悶えた!
タイトルの「ダブルで」っていうのはそういうことだったのか。
ゆうかれいむ良いじゃない
念写を活かしているところが個人的に高得点。
黒い羽が白く見えてくるわ
大変おいしゅうこざいました、はい