物部布都と霍青娥、それと宮古芳香が台所で騒ぐ声が聞こえたので、向かってみると、何か料理をしているみたいだった。
台所で料理をするのはあたりまえだな、と蘇我屠自古は思ったけれど、これまでのことをかんがみるに、あたりまえのことがあたりまえに通じるような家族ではない。なので屠自古のエモーションの変化としては、三人が台所でちゃんと料理をしているらしき姿にまずはほっとして、それからなんだか不安になったのだった。
「何作ってるんよ」
と声をかけると、
「小籠包ぉぉ」
「そうだ。うまいぞ。そなたにも食わせてやろう」
芳香と布都が先を争うようにして、順番に話しはじめた。布都がおしゃべりなのはいつものことだが、芳香は現役で死体であることもあって、どちらかというとぼーっとしていて、物事に動じないところのある娘である。今日みたいに興奮しているのはめずらしかった。
芳香の主人である青娥はというと、これも常になく、邪仙のくせに邪気のなさそうな顔をして騒ぐふたりをニコニコ見つめている。青娥がこんなに楽しそうに見えるのは、サンリオ・ピューロランドに出かけたとき以来だった。で、基本的には微笑ましい、よろこばしいことではあるものの、屠自古の不安は加速した。何か、とてつもないことが起きる前兆のように思える。
それとも、ほんとうに、歴史の流れに新たな太い支流をつくり、世界線を変更するレベルの、ハイパー美味しい料理ができたのだろうか。考えているうちに、ちょうど蒸しあがったものを布都がもってきた。さっき芳香が言ったとおり、小籠包だった。
青娥が皮生地と餡をつくり(餡は昨日の夕食の肉じゃがを流用した)、芳香がそれを死体特有の手の冷たさと正確さで包んだという、料理の名前のとおり小さな、可愛らしいものだった。箸でつまみ、千切り生姜を落とした酢醤油につけて、ひとつ、口のなかに入れた。歯で噛んだ瞬間に、薄い皮を破って肉汁がびゅびゅうと口のなかに出てきて、屠自古は火傷しそうになってしまった。
でも、ものすごく美味しかった。何種類かの小麦粉を混ぜて作った皮は、薄いくせにとても噛みごたえがあって、噛めば噛むほど小麦粉本来の甘さが出てくるようだったし、肉じゃがに少し手をくわえた餡は、ひき肉とにんじんが良く混ざっているうえに、時折こんにゃくの食感が出てきて舌がびっくりした。
何より、中につまっているたぷたぷのスープがすごかった。噛んで汁が出てくるたびに、肉の旨みと薫りがぴゅっぴゅーと出てくるようだった。それが酢醤油の味とからんで、酸っぱさのなかにまろみが隠れているような、段階のある味わいがするのだ。
霊体であることもあって、それほどグルメとはいえない屠自古だけども、これは論を待たずにデリシャスである。あまりの美味しさに感動して、ついつい、口からビームが出てしまうほどだった。はふはふ、口のなかに息を取り込みながら、あわてて「おいしいんよ!」と感想を言うと、布都はいつもの、川越シェフと同方向ながら奇跡的にかわいいというワンダフルに得意げな顔をして喜んだ。芳香は興奮して、台所じゅうをぴょんぴょん飛びまわった。死体だからほんとうにはそうならないけど、屠自古には芳香の頬に血がのぼり、ほんのり赤く染まるのが見えるようだった。
青娥はというと、屠自古が小籠包を食べる前と同じように、やっぱりニコニコ、何の含みもないように笑っていた。
さて、その笑みの後ろ側、誰も知らない邪仙のひみつの扉のなかに、今後の幻想郷を揺るがす一大計画がひそんでいようとは、神ならぬ身の屠自古には知る由もなかった。
あまりにもうるさいので、やっと姿を見せたら芳香にぶつかって倒れてひじを擦りむいて泣いた、名前に神の字が入っている、太子様こと豊聴耳神子には――もしかすると、わかっていたかもしれない。
◆
「へい、らっしぇい!」
屠自古は元気よく挨拶をした。のれんをくぐって入ってきた、新規ご来店の中年男性が、ちょっとびくっとした様子だった。
こぢんまりとした店内には三十ほどの席があり、そのすべてが客の尻で埋まっている。客層は男性が主で、店に入りきれずに外で待っている行列の面々が、待ちきれないのか、じろじろと店内をのぞきこんでいる。とても繁盛しているのだ。
青娥と芳香が肉じゃがで小籠包を作った日(よく聞くと、布都は食べただけだった)、遅れて台所にあらわれた神子もふくめて、それを食べた全員が「うまいのう」と言って口からビームを出したのに気をよくした青娥が、
「これは、ビジネスチャンスです」
と言い出して、飲食店をひらくことを決定したのだった。邪仙パワーであっという間に店舗を建築すると、青娥はすぐに材料をそろえ、料理器具を準備し、広告をうって、次の日には開店セールをはじめてしまった。
料理としては、一種類だけを出す、小籠包の専門店だった。けれども中の餡や、皮にさまざまな工夫を凝らしていて、同じ種類の料理でも、たくさんのメニューがあった。練った肉を中心とした肉包子、緑黄色野菜と筍の食感が楽しい野菜包子、肉汁が通常の五倍は出てくる角煮包子。そのどれもが美味しくて、食べたものは大阪城と同じくらい巨大化した(比喩的な表現)。
青娥が皮と餡をこしらえ、芳香がそれを包んで蒸すコンビネーションは正確無比で、大量の注文にもいささかも質を落とすことなく応えられた。開店前には、死体がつくった食べ物ってどうよ? と多少は危惧したものの、幻想郷にはおおらかな気質の人間が多いので、死体とはいえ美少女の芳香が手ずからつくった包子(パオズ)は通称「死体包子」としてすぐさま名物になった。
開店したその日から、店はてんてこまいの忙しさだった。屠自古がウエイトレス兼レジ係をやり、布都がウエイトレス兼味見係をする。神子はというと、青娥を飛び越えてするりと経営者の位置におさまってしまい、周囲の隣接する飲食店との折衝や、幻想郷の大家を気取っている、八雲紫への届出及び他勢力との談合なんかをやっていた。
なんでも、人が集まるところでは、こうした回りくどい仕事がどうしても必要になるのですよ、何まかせてください、政治は得意ですからね、とのことだった。
神子が言うならそうなのだろうが、それにしても、能力的に注文聞きのほうが適役じゃないかなあ、と、今のようにとても忙しいとき、屠自古は思うのだった。
料理を運ぶのはまあいいとしても、人に愛想よくしたり、大きな声で挨拶するのは、やはり自分には似合わない。来店したお客様が、なんだかじろじろ自分を見ているようだった。屠自古は恥ずかしくなってしまった。でもこれも、理由があってやっていることで――
屠自古。聞きなさい。
君はかわいいですね。かわいい幽霊ウェイトレスです。ほんとにかわいい。かわいいです。何度も言わなくてもわかる? そうですか。ミニスカはきませんか? そうですか。
かわいいあなたのですね、かわいい見た目にそぐわない威勢の良さが、お客様の心に響くんです。こう、きらりんと。まあ考えてください。現代社会に生きる我々は、あたかも水に落ちたひな鳥のように、まいにちストレスに溺れています。ばっしゃばしゃの濡れ濡れです。その我々の死にかけた心のなかにある、か細い、淡雪のような、でも最低限のあたたかさを持つ自分だけの灯りにですね、君が、萌えと言う名の油をそそいでやるんです。もえーって。もえー、って。もえー。はい復唱。もえー。
やがてその灯りは大きくなり、私たちの外側の体、三次元界・主物質界(プライム・マテリアル・ブレーン)に存在する我々自身の肉体を圧倒的な熱で焼きつくし、すべてを滅ぼすでしょう。
私たちの灯り。私たちの火。何百万もの火が集い、合わさって炎となるとき、世界は終わりを告げる。見えますか。あの遠い空、いつか私たちが恋焦がれた蒼穹と薄暮、それから満天の星空。瑠璃色の闇、私たちふたりだけの星座。
覚えていますか。屠自古。目と目が触れ合ったとき。屠自古。I Love You, So……屠自古。君、聞いていますか。なんでつっこまないんですか?
――と、神子が言うので、屠自古はとりあえず言うとおりにしたのだった。神子は馬鹿だけど頭がいいし、ものごとの本質的な部分や、それが周囲にもたらす影響、最終的な決着点なんかを見通す能力に長けている。ほとんど予知のごときもので、神子がいうには――
衆人の欲ばかりを見聞きしてるとね、なんだかいろいろと見えてくるんですよ。もちろん、世界はどんな知恵者にだって読み解けないほど複雑なものですが、その複雑さに切り込むための道具だって、私たちには与えられているんです。それを使うと、物事をわりあい単純化して、いくつかの抽象的なモデルとしてとらえることができるようになります。こういう言い方をすると、君にわかりやすいかもしれませんね。私たちにはフィクションが――物語が与えられています。
お店のことを考えてるんですけど。私たちの個人的な欲望の相互作用が収束する舞台としての世界を想定するとき、つまるところ、最大化と均衡を奉じる原理には正当化できる部分が多い。昔からそうですが、人間は頭がいいですからね。多少の例外ばかり考えてると、見えなくなってしまうことですが。
ちょっと話が、経営に傾きすぎてしまったでしょうか。
――ということだけれど、もちろん、屠自古には何が言いたいのかわからなかった。でも、神子の言うことを聞いておけば、経験上、それほど間違いはない。何百年も連れ添っていれば、それくらいはわかる。たしかなことだった。
でも、それほどでない間違いはよくあるので、実は大きな声を出す前からも、ずっと、周りの人間たちがじろじろと舐め回すように自分を見つめているのだった。屠自古はいたたまれない思いをしていた。
久しぶりに復活すると、戸惑うことが多い。神子の言葉を借りれば、世界とやらとのすり合わせが、どうにもうまくいかないのだ。
たぶん、足のない幽霊が、店員をやって料理を運んでいるのが、奇妙に見えているのだろう。あの巫女たちや魔法使い、半人半霊の庭師ならともかく、普通の人間が真昼間から幽霊を見ることなど、それほどないにちがいない――とここまで考えたところで、そういえば幻想郷は多くのバラエティーに富んだ人外どもがわがもの顔に闊歩している場所であり、たとえば吸血鬼幼女姉妹や、ペドさではそれに負けず劣らずの、羽根のはえた妖精たち、宇宙人やら天狗や死神、大小さまざまな耳と尻尾をそなえる数多くのケモ娘たちのことを思い起こすと、脚がエロい大根みたいだと布都から言われるにしろ自分がそこまで奇異な存在だとは思えなかった。
首をかしげる。
つまり、これは自分が美人だから注目を集めているのだろうか。例大祭に行けばカメコが群がり、Pixivのレポート漫画で「こんなレイヤーさんいました!」とたくさん描かれるような、そんなスター的な存在なのだろうか。
熟考しているところへ、ひさしぶりに神子が店に顔を出した。屠自古は反射的に挨拶をしてしまった。
「へい、らっしゃい!」
「こんにちは。繁盛しているようですね。よきかなよきかな……って、うわあ! と、屠自古、なんてものを着てるんですか! パンツまる出しじゃないですか!」
「短いほうがいいって言うから……」
「短すぎですよお! 君、ワカメちゃんですか! み、見ないでくださあい!」
神子が屠自古をひっ捕まえて、店の奥へ運んでいった。座敷に連れ込まれて、羞恥心および常識を得ることについて、屠自古はとっくりお説教された。「エロいしかわいいから」という理由で、黙ってやらせていた店の他の面々は、店がはけたあと、飛鳥文化の重みを感じる必殺技的なアタックをくらわされた。
その日の午後、人が死んだ。中華点心芳香包子(これが店の名前で、青娥のごり押しによって決められた)に来店したお客様のひとりで、ひとり暮らしの老人だった。眠るように死んでいたのを、翌日に隣人が見つけ、身寄りがなかったため、葬儀は人里の合同葬で行われた。
◆
次の日、青娥が倒れた。飛鳥文化の重みを感じるアタックのダメージもあったが、本質的には過労によるものだった。
なにせ、開店からずっと、眠る間もなく働いていたのだ。芳香をのぞけば、料理人が青娥ひとりなので、毎日のお客の回転数や仕込みの時間を考えると、そうでもしなければとても店を回せなかった。青娥はそれでも、日課の布都のポニーテールを引っ張る時間を多少は減らして、なんとか細切れにでも睡眠をとるようにしていたが、芳香のほうは完全に不眠不休で、もう少しつづけたら無理がこうじて親方キョンシーからみんなを守るために体にダイナマイトをくくりつけて自爆するところだった、と意味不明な供述をした。
布団を着込んではぁはぁ荒い息をついている青娥の額に手をやり、汗を拭いてやっていた布都が、ゆっくり休め、その間、店は自分たちでなんとかするから、と優しく諭した。
「何、心配はいらぬよ。青娥殿には及ばんであろうが、我とて、風水的なアレで多少の料理はできる風味なのだ。もしかすると、あなたの客を我が奪ってしまうかもしれぬぞ。はっはっはぁー」
「物部様。料理のさしすせそは?」
「砂糖醤油・醤油・酢醤油・せうゆ・ソイソース」
「ふう……私、がんばらなきゃ」
「これ、おとなしく寝ておらぬか。そうでなくても、あなたが荒い息をついて寝ていると書いた時点で、おさえがたいレディコミ臭がするのだ。健康優良幼女の我が料理したほうが、ロリコン受けはよかろう。石を投げれば変態に当たるこの幻想郷、マーケティングは大事だよ」
「物部様……いつの間にそのようなむつかしい言葉を覚えて……」
「風水に不可能はない」
「あっそう」
「青娥様、死ぬのか? 私と同じか?」
「芳香よしよし」
「うへらー」
「まだ、死なないわよ。巨乳の死神も枕元にはきていないですし……ただ、疲れただけ。芳香もゆっくり休むといいわ。ちょっと、無理をさせすぎてしまったかもしれない。頭がスイカみたいになってます。スイカ頭」
青娥の枕元で、仲良し三人組がわいわいやっているころ、屠自古はひとり台所にいて、料理をしようとがんばっていた。どうにも無口な性質なので、あの三人の中にいると自分が浮いているような気持ちになってしまう。大好きな家族だし、大切に思っているけれど、こんなときにはみんなとおしゃべりに興じるよりも、実際家の自分らしく、ほかに役立てることがあるだろう、と考えるのが屠自古なのだった。
包丁を持って、たけのこを切った。硬い食材なので、手に力が入って、まな板にどすんという音を立ててしまった。
次は白菜だ。これはうまくいった。青娥ほどきれいに揃ってはいないけど、まずまず細かく刻むことができた。でも、調子に乗って、指も切ってしまった。白と緑がきれいに重なった野菜のなかに、ひとすじ、赤い血が流れて混じった。
絆創膏を探していると、神子がやって来た。それで、屠自古に何か言わせるひまを与えず、神子は屠自古の指をとり、口に含んだ。
傷口を舌で舐められ、唾液で濡らされて、屠自古は痛い思いをした。けれど消毒なのでしかたがないし、嫌ではなかった。大昔、これの比ではないけれど、同じ種類の痛みを、この人から与えられたんだ、と屠自古は思った。甘美な思い出が、夢のような記憶が、意識の表側に鮮やかによみがえってきて、屠自古はあわててぶんぶんと頭を振った。
ちゅぽん、と音を立てて、神子は口から指を離した。それから救急箱を持ちだして、クマさんマークの絆創膏を貼り付ける。
手当が終わったあと、屠自古の目を見つめながら、神子は言った。
「君は昔から、こういうことをするんですね」
「……」
「何ですか」
「……神子様は、知っているでしょう? 私のことを」
「知ってます」
それでじゅうぶんだった。ふたりは会話を終えて、いっしょに料理を作りはじめた。屠自古と同じくらい、神子はぶきっちょだったので、何度もあやうい場面があったけれど、最後にはなんとか十個ほどの点心ができあがった。芳香じゃなくて屠自古が作ったから、死体包子ならぬ、幽霊包子ですね、と言って神子は笑った。
青娥に食べさせようとして持って行こうとしたときに、柱の影からこちらをのぞいている、布都と芳香と青娥の三人を見つけた。ずっと見ていたみたいだった。
「き、君たち」
「ち、ちがうのです。のぞいていたわけではないのです。ただちょっと、ちょっとだけ、我も吸ってほしいなーなんて」
「芳香、レッツリピート」
「『君は昔からぁ』」
「やめなさい。と、屠自古が放電してるじゃないですか。それより、青娥。君に包子を作ったんですよ。食べてください」
「ありがとうございます。私の太子様と……その可愛いお嫁さん」
「屠自古、どうどう」
「しかし太子様、話の都合上しかたないとはいえ、風水的に言って、幽霊である屠自古に血はないのでは?」
「布都は少し風水を忘れたほうがいいと思います……君も食べていいですよ。芳香も」
「芳香、お礼を」
「『神子様は、知っているでしょぉ』」
「と、屠自古、屠自古!」
どんがらぴっしゃん、と音を立てて雷が落ちて、それが立てつづけに四発も鳴ったから、台所の大きな部分が黒焦げになってしまった。ひとり一発づつの計算だったが、青娥はすばやく壁を抜けて逃げたのでそのぶん神子に二発落ちた。注意して、避けるように雷を起こしたので、点心は無事だった。
少しして落ち着くと、屠自古は戻ってきた青娥とともに、自分たちで作った包子をひとつずつ食べた。形は良くなかったし、汁の出がいまいちで、やっぱり、青娥が作ったものとくらべると一段も二弾も味が落ちたけれど、それを食べた青娥が、ほんとうに美味しい、と言ってくれたから、良いかと思った。
我にも食わせろ、と言って、布都が立ち上がってきた。
「雷の直撃をくらったのに、髪の毛がアフロになるだけですむなんて、物部様はほんとうに丈夫なお方」
「風水に……いや、尸解仙に不可能はない」
「素直なお方。蘇我様、物部様にも食べてもらって良いですか」
屠自古はこっくりとうなずいた。つづいて、芳香と、神子がソウルフルな挙動で立ち上がってきたので、人数分のお皿を用意して、さて食べようとしたときだった。
布都の口からビームが出た。
これまでも、青娥の小籠包を食べるたびに出ていたビームだったが、今回は包子を食べる前に出たので、これはおかしい、と屠自古は思った。それも勢いがこれまでの比ではなく、蛍光色の光の束が、アフロ幼女の口からとめどなく大量に流れ出している。口を閉じることもできないようで、布都はあがが、あがが、とうめき声をもらしながら、縦に横に首を振り、自分の口から出たビームが壁や天井を壊していくのを驚きの瞳で見つめていた。
青娥が、とても久々に――包子をつくるようになってから、ついぞ見せなかったことに――邪仙らしい、邪悪な笑顔を見せた。
「ついにはじまったわね……」
「あがが、あがが、おぼぼー」
「物部様、上を向いて」
「おぼろちゅべろんげー」
よどみない手つきで、邪仙は布都の体をたぐり寄せ、後ろから抱きとめて手を回し、首を上へ向けさせた。噴出するビームが、少しずつ天井を破壊し、穴を開けていった。やがて、空が見え、ビームが雲に届くようになった。
どれだけの強さで出ているのか、わからない。ビームは何度か色を変えて、今は蛍光グリーンと、蛍光ピンクの中間あたりの色をしていた。
屠自古は戦慄した。まさかビームがこんなにも威力のある、危険なものだったとは……。自分も毎回出していたし、お店に来てくれたお客さんたちだって、いつも出していた。そういうものだと思っていたから気にしなかったが、よくよく考えれば、ものを食べたからって口からビームが出るのはおかしい。目の前の邪仙がきっと、何かへんなものを仕込んでいたにちがいない。恐ろしい罠だった。
しかし、何が目的なのだろう。
一瞬だけ考えたが、すぐに屠自古は思考を放棄して、戦闘態勢にはいり、神子を守る位置に自分の体を置いた。屠自古がそうするように、向こうでは芳香が青娥を守っている。キョンシーはやっかいな相手で、いくら傷めつけても体力が回復するから、邪仙の守護役としてはこれ以上ないほどの適任なのだ。
神子が後ろから、屠自古の肩に手をおいた。
「神子様……」
「大丈夫ですよ。上を見なさい」
言われるがまま、屠自古は上を見た。神子が大丈夫、と言ったから、青娥のことも、芳香のことも、布都のことも忘れてしまった。天井に開いた大きな穴から夜空が見えた。雲が少しと、星がたくさんあり、星座の集まりのなかに布都のビームが新しい、それまでにない光の点を作っている。青娥が布都の顎を動かすたびに、その点が右に左に揺れる。やがて、揺れが自動化して、青娥が手を離しても、勝手にビームが夜空に何かを書いていった。何度も同じ場所をなぞる動きで、繰り返すと点が線になる。文字を書いているのがわかった。
芳香よしよし
「えぇぇー?」
「うまく書けてますねえ」
「青娥様、私、うれしい!」
「うふふ」
「おぼろべろぶむむちゅー」
夜空の、とても高い位置に書かれた、大きな文字だった。きっと人里からも、魔法の森からも、妖怪の山からも、博麗神社からも……幻想郷のすべての場所から読むことができるだろう。ちょうど今、空を見上げている幻想郷の住人みんなが、同じものを見ている。
屠自古はあっけにとられて、少しの間ただ黙ってそれを見ていた。見ているうちにまた何度か色が変わり、白や赤になった。青い色になったときは、夜のなかに溶け込んで、消えてしまうかと思ったけれど、鮮やかでまぶしい色の青だったから、闇を背景にしてもそれはちゃんとよく見えた。月のない新月の夜だったから、その文字が空のなかでいちばん明るかった。いつまでも消えない彗星のようだった。
青娥に話を聞くと、まずは小手調べに自分の性癖を晒しましたが、これはものすごく応用がきく技術なので、ゆくゆくは、お店のセール情報や太子様が売っている猿の置物の宣伝、人里を壁抜けしているあいだに見聞きした、稗田阿求108のひみつなんかを発表していくつもりであるとのことだった。
何でこういうことを思いついて、そのうえ真面目にやろうと思ったのか、という問いについては、青娥は含みのある、色っぽい視線で布都を流し見るだけだった。いまだに口から勢いの衰えないビームを出しつづけていて、口を閉じられないから、上を向いたままよだれをだらだら垂れ流している布都を見ると、屠自古もなんだか言葉ではなく心で理解できてしまった。
でも、わからないのは、神子のほうだった。どうしてこんなことを、止めもせずにやらせてしまったのか。
ビームを見たときの反応から見ると、神子はこの結果になることを、前もって知っていたのだろう。神子は頭がいい。幻想郷の他勢力にたいして、ややもすれば弱みになる事件を起こすことについて、何もせぬままほっぽっておいたどころか、手を貸しさえしていたのだ。納得がいかなかった。
「はじめの時点でわかってたんですけどね。いろいろ考えたけど、屠自古のミニスカートが見れそうだから、いいかなって。でもまさかあんなに短く」
「やってやんよ!!!(怒)」
つづけざまにに五、六発、神子に雷が落ちた。神子はさらにソウルフルになって、「げろっぱ!」と言いながら倒れた。
興奮して息を乱している屠自古に向けて、青娥が声をかけた。
「蘇我様、蘇我様」
「はぁはぁ、なんよ」
「このビーム、小籠包のなかにちょっとずつ隠し効果をいれていて、それが積み重なって臨界に達したときに発生するものなんです」
「うん」
「物部様がいちばん食べてましたから、最初に発現しましたが、もしかすると今日あたり、常連のお客様が……」
屠自古はあわてて、伴侶であるミスター・ソウル・トレインの手を引っ張って屋外に出た。布都のビームがまだ文字を作っていた。人里のほうを見る。暗く、灯りの少ない夜のなかに、蛍光色の光が、ぽつぽつとあらわれはじめていた。
すぐに、いくつもの民家からビームが立ちのぼり――夜空に位置を占めていった。文字が「芳香よしよし」でなければ、またその光が多くは屠自古のパンツ目当てに来店していた中年男性たちの口から出ているものであると知らずにいれば、とても幻想的な眺めに見えた。
私たちの空。私たちの星座。
倒れた態勢のまま、神子がそう言った。I Love You, So……「とても愛してる」という意味だと、それも昔、この人から教えてもらったことだった。
怒っていたし、どうにかしようと思って、焦っていたはずだけど、とたんに気が抜けてしまった。屠自古は神子のむき出しの腋の下に手を入れて立たせ、目を見て、何て言ってやろうかとても迷ったけども、けっきょく「どうしようもない人ですね」とだけ言って、それからキスをした。
◆
その後、事件の夜から一日ほどは、びびった住人たちの足が店から遠のいたが、よだれがばーばー出るものの他にはとくに体を壊すようなものでないことがわかると、あらためて客足が戻ってきた。屠自古のパンツがなくなったので、今度は男性客ばかりではなく女性客も増えた。あいかわらずビームが出るほど美味しいので、当然大繁盛だった。
しかし夜毎のビームメッセージについては、芳香よしよしから猿の置物の宣伝を経て稗田阿求108のひみつの三つ目にはいったところで、被害者から泣きつかれた博麗の巫女が調伏にやってきたため中止となった。青娥も神子も、ほか幻想郷のほとんどの住人が残念に思った。しかし博麗神社の事情と稗田家の財力とを考え合わせると、悲劇的ではあるがこれも運命と考えて甘受するしかなかった。
なお、包子を食べたあとに死んだ老人男性は、ふつうに寿命だったが、三途の川を渡る際に巨乳死神にセクハラをはたらいたところ現世に叩き返されて、予定より数年長生きすることになった。生き返ったその足で中華点心芳香包子にやって来て、パンツじゃなくなったことについて血の涙を流したものの、やっぱり美味しいので、今でも週に二度はビームを出している。
(了)
台所で料理をするのはあたりまえだな、と蘇我屠自古は思ったけれど、これまでのことをかんがみるに、あたりまえのことがあたりまえに通じるような家族ではない。なので屠自古のエモーションの変化としては、三人が台所でちゃんと料理をしているらしき姿にまずはほっとして、それからなんだか不安になったのだった。
「何作ってるんよ」
と声をかけると、
「小籠包ぉぉ」
「そうだ。うまいぞ。そなたにも食わせてやろう」
芳香と布都が先を争うようにして、順番に話しはじめた。布都がおしゃべりなのはいつものことだが、芳香は現役で死体であることもあって、どちらかというとぼーっとしていて、物事に動じないところのある娘である。今日みたいに興奮しているのはめずらしかった。
芳香の主人である青娥はというと、これも常になく、邪仙のくせに邪気のなさそうな顔をして騒ぐふたりをニコニコ見つめている。青娥がこんなに楽しそうに見えるのは、サンリオ・ピューロランドに出かけたとき以来だった。で、基本的には微笑ましい、よろこばしいことではあるものの、屠自古の不安は加速した。何か、とてつもないことが起きる前兆のように思える。
それとも、ほんとうに、歴史の流れに新たな太い支流をつくり、世界線を変更するレベルの、ハイパー美味しい料理ができたのだろうか。考えているうちに、ちょうど蒸しあがったものを布都がもってきた。さっき芳香が言ったとおり、小籠包だった。
青娥が皮生地と餡をつくり(餡は昨日の夕食の肉じゃがを流用した)、芳香がそれを死体特有の手の冷たさと正確さで包んだという、料理の名前のとおり小さな、可愛らしいものだった。箸でつまみ、千切り生姜を落とした酢醤油につけて、ひとつ、口のなかに入れた。歯で噛んだ瞬間に、薄い皮を破って肉汁がびゅびゅうと口のなかに出てきて、屠自古は火傷しそうになってしまった。
でも、ものすごく美味しかった。何種類かの小麦粉を混ぜて作った皮は、薄いくせにとても噛みごたえがあって、噛めば噛むほど小麦粉本来の甘さが出てくるようだったし、肉じゃがに少し手をくわえた餡は、ひき肉とにんじんが良く混ざっているうえに、時折こんにゃくの食感が出てきて舌がびっくりした。
何より、中につまっているたぷたぷのスープがすごかった。噛んで汁が出てくるたびに、肉の旨みと薫りがぴゅっぴゅーと出てくるようだった。それが酢醤油の味とからんで、酸っぱさのなかにまろみが隠れているような、段階のある味わいがするのだ。
霊体であることもあって、それほどグルメとはいえない屠自古だけども、これは論を待たずにデリシャスである。あまりの美味しさに感動して、ついつい、口からビームが出てしまうほどだった。はふはふ、口のなかに息を取り込みながら、あわてて「おいしいんよ!」と感想を言うと、布都はいつもの、川越シェフと同方向ながら奇跡的にかわいいというワンダフルに得意げな顔をして喜んだ。芳香は興奮して、台所じゅうをぴょんぴょん飛びまわった。死体だからほんとうにはそうならないけど、屠自古には芳香の頬に血がのぼり、ほんのり赤く染まるのが見えるようだった。
青娥はというと、屠自古が小籠包を食べる前と同じように、やっぱりニコニコ、何の含みもないように笑っていた。
さて、その笑みの後ろ側、誰も知らない邪仙のひみつの扉のなかに、今後の幻想郷を揺るがす一大計画がひそんでいようとは、神ならぬ身の屠自古には知る由もなかった。
あまりにもうるさいので、やっと姿を見せたら芳香にぶつかって倒れてひじを擦りむいて泣いた、名前に神の字が入っている、太子様こと豊聴耳神子には――もしかすると、わかっていたかもしれない。
◆
「へい、らっしぇい!」
屠自古は元気よく挨拶をした。のれんをくぐって入ってきた、新規ご来店の中年男性が、ちょっとびくっとした様子だった。
こぢんまりとした店内には三十ほどの席があり、そのすべてが客の尻で埋まっている。客層は男性が主で、店に入りきれずに外で待っている行列の面々が、待ちきれないのか、じろじろと店内をのぞきこんでいる。とても繁盛しているのだ。
青娥と芳香が肉じゃがで小籠包を作った日(よく聞くと、布都は食べただけだった)、遅れて台所にあらわれた神子もふくめて、それを食べた全員が「うまいのう」と言って口からビームを出したのに気をよくした青娥が、
「これは、ビジネスチャンスです」
と言い出して、飲食店をひらくことを決定したのだった。邪仙パワーであっという間に店舗を建築すると、青娥はすぐに材料をそろえ、料理器具を準備し、広告をうって、次の日には開店セールをはじめてしまった。
料理としては、一種類だけを出す、小籠包の専門店だった。けれども中の餡や、皮にさまざまな工夫を凝らしていて、同じ種類の料理でも、たくさんのメニューがあった。練った肉を中心とした肉包子、緑黄色野菜と筍の食感が楽しい野菜包子、肉汁が通常の五倍は出てくる角煮包子。そのどれもが美味しくて、食べたものは大阪城と同じくらい巨大化した(比喩的な表現)。
青娥が皮と餡をこしらえ、芳香がそれを包んで蒸すコンビネーションは正確無比で、大量の注文にもいささかも質を落とすことなく応えられた。開店前には、死体がつくった食べ物ってどうよ? と多少は危惧したものの、幻想郷にはおおらかな気質の人間が多いので、死体とはいえ美少女の芳香が手ずからつくった包子(パオズ)は通称「死体包子」としてすぐさま名物になった。
開店したその日から、店はてんてこまいの忙しさだった。屠自古がウエイトレス兼レジ係をやり、布都がウエイトレス兼味見係をする。神子はというと、青娥を飛び越えてするりと経営者の位置におさまってしまい、周囲の隣接する飲食店との折衝や、幻想郷の大家を気取っている、八雲紫への届出及び他勢力との談合なんかをやっていた。
なんでも、人が集まるところでは、こうした回りくどい仕事がどうしても必要になるのですよ、何まかせてください、政治は得意ですからね、とのことだった。
神子が言うならそうなのだろうが、それにしても、能力的に注文聞きのほうが適役じゃないかなあ、と、今のようにとても忙しいとき、屠自古は思うのだった。
料理を運ぶのはまあいいとしても、人に愛想よくしたり、大きな声で挨拶するのは、やはり自分には似合わない。来店したお客様が、なんだかじろじろ自分を見ているようだった。屠自古は恥ずかしくなってしまった。でもこれも、理由があってやっていることで――
屠自古。聞きなさい。
君はかわいいですね。かわいい幽霊ウェイトレスです。ほんとにかわいい。かわいいです。何度も言わなくてもわかる? そうですか。ミニスカはきませんか? そうですか。
かわいいあなたのですね、かわいい見た目にそぐわない威勢の良さが、お客様の心に響くんです。こう、きらりんと。まあ考えてください。現代社会に生きる我々は、あたかも水に落ちたひな鳥のように、まいにちストレスに溺れています。ばっしゃばしゃの濡れ濡れです。その我々の死にかけた心のなかにある、か細い、淡雪のような、でも最低限のあたたかさを持つ自分だけの灯りにですね、君が、萌えと言う名の油をそそいでやるんです。もえーって。もえー、って。もえー。はい復唱。もえー。
やがてその灯りは大きくなり、私たちの外側の体、三次元界・主物質界(プライム・マテリアル・ブレーン)に存在する我々自身の肉体を圧倒的な熱で焼きつくし、すべてを滅ぼすでしょう。
私たちの灯り。私たちの火。何百万もの火が集い、合わさって炎となるとき、世界は終わりを告げる。見えますか。あの遠い空、いつか私たちが恋焦がれた蒼穹と薄暮、それから満天の星空。瑠璃色の闇、私たちふたりだけの星座。
覚えていますか。屠自古。目と目が触れ合ったとき。屠自古。I Love You, So……屠自古。君、聞いていますか。なんでつっこまないんですか?
――と、神子が言うので、屠自古はとりあえず言うとおりにしたのだった。神子は馬鹿だけど頭がいいし、ものごとの本質的な部分や、それが周囲にもたらす影響、最終的な決着点なんかを見通す能力に長けている。ほとんど予知のごときもので、神子がいうには――
衆人の欲ばかりを見聞きしてるとね、なんだかいろいろと見えてくるんですよ。もちろん、世界はどんな知恵者にだって読み解けないほど複雑なものですが、その複雑さに切り込むための道具だって、私たちには与えられているんです。それを使うと、物事をわりあい単純化して、いくつかの抽象的なモデルとしてとらえることができるようになります。こういう言い方をすると、君にわかりやすいかもしれませんね。私たちにはフィクションが――物語が与えられています。
お店のことを考えてるんですけど。私たちの個人的な欲望の相互作用が収束する舞台としての世界を想定するとき、つまるところ、最大化と均衡を奉じる原理には正当化できる部分が多い。昔からそうですが、人間は頭がいいですからね。多少の例外ばかり考えてると、見えなくなってしまうことですが。
ちょっと話が、経営に傾きすぎてしまったでしょうか。
――ということだけれど、もちろん、屠自古には何が言いたいのかわからなかった。でも、神子の言うことを聞いておけば、経験上、それほど間違いはない。何百年も連れ添っていれば、それくらいはわかる。たしかなことだった。
でも、それほどでない間違いはよくあるので、実は大きな声を出す前からも、ずっと、周りの人間たちがじろじろと舐め回すように自分を見つめているのだった。屠自古はいたたまれない思いをしていた。
久しぶりに復活すると、戸惑うことが多い。神子の言葉を借りれば、世界とやらとのすり合わせが、どうにもうまくいかないのだ。
たぶん、足のない幽霊が、店員をやって料理を運んでいるのが、奇妙に見えているのだろう。あの巫女たちや魔法使い、半人半霊の庭師ならともかく、普通の人間が真昼間から幽霊を見ることなど、それほどないにちがいない――とここまで考えたところで、そういえば幻想郷は多くのバラエティーに富んだ人外どもがわがもの顔に闊歩している場所であり、たとえば吸血鬼幼女姉妹や、ペドさではそれに負けず劣らずの、羽根のはえた妖精たち、宇宙人やら天狗や死神、大小さまざまな耳と尻尾をそなえる数多くのケモ娘たちのことを思い起こすと、脚がエロい大根みたいだと布都から言われるにしろ自分がそこまで奇異な存在だとは思えなかった。
首をかしげる。
つまり、これは自分が美人だから注目を集めているのだろうか。例大祭に行けばカメコが群がり、Pixivのレポート漫画で「こんなレイヤーさんいました!」とたくさん描かれるような、そんなスター的な存在なのだろうか。
熟考しているところへ、ひさしぶりに神子が店に顔を出した。屠自古は反射的に挨拶をしてしまった。
「へい、らっしゃい!」
「こんにちは。繁盛しているようですね。よきかなよきかな……って、うわあ! と、屠自古、なんてものを着てるんですか! パンツまる出しじゃないですか!」
「短いほうがいいって言うから……」
「短すぎですよお! 君、ワカメちゃんですか! み、見ないでくださあい!」
神子が屠自古をひっ捕まえて、店の奥へ運んでいった。座敷に連れ込まれて、羞恥心および常識を得ることについて、屠自古はとっくりお説教された。「エロいしかわいいから」という理由で、黙ってやらせていた店の他の面々は、店がはけたあと、飛鳥文化の重みを感じる必殺技的なアタックをくらわされた。
その日の午後、人が死んだ。中華点心芳香包子(これが店の名前で、青娥のごり押しによって決められた)に来店したお客様のひとりで、ひとり暮らしの老人だった。眠るように死んでいたのを、翌日に隣人が見つけ、身寄りがなかったため、葬儀は人里の合同葬で行われた。
◆
次の日、青娥が倒れた。飛鳥文化の重みを感じるアタックのダメージもあったが、本質的には過労によるものだった。
なにせ、開店からずっと、眠る間もなく働いていたのだ。芳香をのぞけば、料理人が青娥ひとりなので、毎日のお客の回転数や仕込みの時間を考えると、そうでもしなければとても店を回せなかった。青娥はそれでも、日課の布都のポニーテールを引っ張る時間を多少は減らして、なんとか細切れにでも睡眠をとるようにしていたが、芳香のほうは完全に不眠不休で、もう少しつづけたら無理がこうじて親方キョンシーからみんなを守るために体にダイナマイトをくくりつけて自爆するところだった、と意味不明な供述をした。
布団を着込んではぁはぁ荒い息をついている青娥の額に手をやり、汗を拭いてやっていた布都が、ゆっくり休め、その間、店は自分たちでなんとかするから、と優しく諭した。
「何、心配はいらぬよ。青娥殿には及ばんであろうが、我とて、風水的なアレで多少の料理はできる風味なのだ。もしかすると、あなたの客を我が奪ってしまうかもしれぬぞ。はっはっはぁー」
「物部様。料理のさしすせそは?」
「砂糖醤油・醤油・酢醤油・せうゆ・ソイソース」
「ふう……私、がんばらなきゃ」
「これ、おとなしく寝ておらぬか。そうでなくても、あなたが荒い息をついて寝ていると書いた時点で、おさえがたいレディコミ臭がするのだ。健康優良幼女の我が料理したほうが、ロリコン受けはよかろう。石を投げれば変態に当たるこの幻想郷、マーケティングは大事だよ」
「物部様……いつの間にそのようなむつかしい言葉を覚えて……」
「風水に不可能はない」
「あっそう」
「青娥様、死ぬのか? 私と同じか?」
「芳香よしよし」
「うへらー」
「まだ、死なないわよ。巨乳の死神も枕元にはきていないですし……ただ、疲れただけ。芳香もゆっくり休むといいわ。ちょっと、無理をさせすぎてしまったかもしれない。頭がスイカみたいになってます。スイカ頭」
青娥の枕元で、仲良し三人組がわいわいやっているころ、屠自古はひとり台所にいて、料理をしようとがんばっていた。どうにも無口な性質なので、あの三人の中にいると自分が浮いているような気持ちになってしまう。大好きな家族だし、大切に思っているけれど、こんなときにはみんなとおしゃべりに興じるよりも、実際家の自分らしく、ほかに役立てることがあるだろう、と考えるのが屠自古なのだった。
包丁を持って、たけのこを切った。硬い食材なので、手に力が入って、まな板にどすんという音を立ててしまった。
次は白菜だ。これはうまくいった。青娥ほどきれいに揃ってはいないけど、まずまず細かく刻むことができた。でも、調子に乗って、指も切ってしまった。白と緑がきれいに重なった野菜のなかに、ひとすじ、赤い血が流れて混じった。
絆創膏を探していると、神子がやって来た。それで、屠自古に何か言わせるひまを与えず、神子は屠自古の指をとり、口に含んだ。
傷口を舌で舐められ、唾液で濡らされて、屠自古は痛い思いをした。けれど消毒なのでしかたがないし、嫌ではなかった。大昔、これの比ではないけれど、同じ種類の痛みを、この人から与えられたんだ、と屠自古は思った。甘美な思い出が、夢のような記憶が、意識の表側に鮮やかによみがえってきて、屠自古はあわててぶんぶんと頭を振った。
ちゅぽん、と音を立てて、神子は口から指を離した。それから救急箱を持ちだして、クマさんマークの絆創膏を貼り付ける。
手当が終わったあと、屠自古の目を見つめながら、神子は言った。
「君は昔から、こういうことをするんですね」
「……」
「何ですか」
「……神子様は、知っているでしょう? 私のことを」
「知ってます」
それでじゅうぶんだった。ふたりは会話を終えて、いっしょに料理を作りはじめた。屠自古と同じくらい、神子はぶきっちょだったので、何度もあやうい場面があったけれど、最後にはなんとか十個ほどの点心ができあがった。芳香じゃなくて屠自古が作ったから、死体包子ならぬ、幽霊包子ですね、と言って神子は笑った。
青娥に食べさせようとして持って行こうとしたときに、柱の影からこちらをのぞいている、布都と芳香と青娥の三人を見つけた。ずっと見ていたみたいだった。
「き、君たち」
「ち、ちがうのです。のぞいていたわけではないのです。ただちょっと、ちょっとだけ、我も吸ってほしいなーなんて」
「芳香、レッツリピート」
「『君は昔からぁ』」
「やめなさい。と、屠自古が放電してるじゃないですか。それより、青娥。君に包子を作ったんですよ。食べてください」
「ありがとうございます。私の太子様と……その可愛いお嫁さん」
「屠自古、どうどう」
「しかし太子様、話の都合上しかたないとはいえ、風水的に言って、幽霊である屠自古に血はないのでは?」
「布都は少し風水を忘れたほうがいいと思います……君も食べていいですよ。芳香も」
「芳香、お礼を」
「『神子様は、知っているでしょぉ』」
「と、屠自古、屠自古!」
どんがらぴっしゃん、と音を立てて雷が落ちて、それが立てつづけに四発も鳴ったから、台所の大きな部分が黒焦げになってしまった。ひとり一発づつの計算だったが、青娥はすばやく壁を抜けて逃げたのでそのぶん神子に二発落ちた。注意して、避けるように雷を起こしたので、点心は無事だった。
少しして落ち着くと、屠自古は戻ってきた青娥とともに、自分たちで作った包子をひとつずつ食べた。形は良くなかったし、汁の出がいまいちで、やっぱり、青娥が作ったものとくらべると一段も二弾も味が落ちたけれど、それを食べた青娥が、ほんとうに美味しい、と言ってくれたから、良いかと思った。
我にも食わせろ、と言って、布都が立ち上がってきた。
「雷の直撃をくらったのに、髪の毛がアフロになるだけですむなんて、物部様はほんとうに丈夫なお方」
「風水に……いや、尸解仙に不可能はない」
「素直なお方。蘇我様、物部様にも食べてもらって良いですか」
屠自古はこっくりとうなずいた。つづいて、芳香と、神子がソウルフルな挙動で立ち上がってきたので、人数分のお皿を用意して、さて食べようとしたときだった。
布都の口からビームが出た。
これまでも、青娥の小籠包を食べるたびに出ていたビームだったが、今回は包子を食べる前に出たので、これはおかしい、と屠自古は思った。それも勢いがこれまでの比ではなく、蛍光色の光の束が、アフロ幼女の口からとめどなく大量に流れ出している。口を閉じることもできないようで、布都はあがが、あがが、とうめき声をもらしながら、縦に横に首を振り、自分の口から出たビームが壁や天井を壊していくのを驚きの瞳で見つめていた。
青娥が、とても久々に――包子をつくるようになってから、ついぞ見せなかったことに――邪仙らしい、邪悪な笑顔を見せた。
「ついにはじまったわね……」
「あがが、あがが、おぼぼー」
「物部様、上を向いて」
「おぼろちゅべろんげー」
よどみない手つきで、邪仙は布都の体をたぐり寄せ、後ろから抱きとめて手を回し、首を上へ向けさせた。噴出するビームが、少しずつ天井を破壊し、穴を開けていった。やがて、空が見え、ビームが雲に届くようになった。
どれだけの強さで出ているのか、わからない。ビームは何度か色を変えて、今は蛍光グリーンと、蛍光ピンクの中間あたりの色をしていた。
屠自古は戦慄した。まさかビームがこんなにも威力のある、危険なものだったとは……。自分も毎回出していたし、お店に来てくれたお客さんたちだって、いつも出していた。そういうものだと思っていたから気にしなかったが、よくよく考えれば、ものを食べたからって口からビームが出るのはおかしい。目の前の邪仙がきっと、何かへんなものを仕込んでいたにちがいない。恐ろしい罠だった。
しかし、何が目的なのだろう。
一瞬だけ考えたが、すぐに屠自古は思考を放棄して、戦闘態勢にはいり、神子を守る位置に自分の体を置いた。屠自古がそうするように、向こうでは芳香が青娥を守っている。キョンシーはやっかいな相手で、いくら傷めつけても体力が回復するから、邪仙の守護役としてはこれ以上ないほどの適任なのだ。
神子が後ろから、屠自古の肩に手をおいた。
「神子様……」
「大丈夫ですよ。上を見なさい」
言われるがまま、屠自古は上を見た。神子が大丈夫、と言ったから、青娥のことも、芳香のことも、布都のことも忘れてしまった。天井に開いた大きな穴から夜空が見えた。雲が少しと、星がたくさんあり、星座の集まりのなかに布都のビームが新しい、それまでにない光の点を作っている。青娥が布都の顎を動かすたびに、その点が右に左に揺れる。やがて、揺れが自動化して、青娥が手を離しても、勝手にビームが夜空に何かを書いていった。何度も同じ場所をなぞる動きで、繰り返すと点が線になる。文字を書いているのがわかった。
芳香よしよし
「えぇぇー?」
「うまく書けてますねえ」
「青娥様、私、うれしい!」
「うふふ」
「おぼろべろぶむむちゅー」
夜空の、とても高い位置に書かれた、大きな文字だった。きっと人里からも、魔法の森からも、妖怪の山からも、博麗神社からも……幻想郷のすべての場所から読むことができるだろう。ちょうど今、空を見上げている幻想郷の住人みんなが、同じものを見ている。
屠自古はあっけにとられて、少しの間ただ黙ってそれを見ていた。見ているうちにまた何度か色が変わり、白や赤になった。青い色になったときは、夜のなかに溶け込んで、消えてしまうかと思ったけれど、鮮やかでまぶしい色の青だったから、闇を背景にしてもそれはちゃんとよく見えた。月のない新月の夜だったから、その文字が空のなかでいちばん明るかった。いつまでも消えない彗星のようだった。
青娥に話を聞くと、まずは小手調べに自分の性癖を晒しましたが、これはものすごく応用がきく技術なので、ゆくゆくは、お店のセール情報や太子様が売っている猿の置物の宣伝、人里を壁抜けしているあいだに見聞きした、稗田阿求108のひみつなんかを発表していくつもりであるとのことだった。
何でこういうことを思いついて、そのうえ真面目にやろうと思ったのか、という問いについては、青娥は含みのある、色っぽい視線で布都を流し見るだけだった。いまだに口から勢いの衰えないビームを出しつづけていて、口を閉じられないから、上を向いたままよだれをだらだら垂れ流している布都を見ると、屠自古もなんだか言葉ではなく心で理解できてしまった。
でも、わからないのは、神子のほうだった。どうしてこんなことを、止めもせずにやらせてしまったのか。
ビームを見たときの反応から見ると、神子はこの結果になることを、前もって知っていたのだろう。神子は頭がいい。幻想郷の他勢力にたいして、ややもすれば弱みになる事件を起こすことについて、何もせぬままほっぽっておいたどころか、手を貸しさえしていたのだ。納得がいかなかった。
「はじめの時点でわかってたんですけどね。いろいろ考えたけど、屠自古のミニスカートが見れそうだから、いいかなって。でもまさかあんなに短く」
「やってやんよ!!!(怒)」
つづけざまにに五、六発、神子に雷が落ちた。神子はさらにソウルフルになって、「げろっぱ!」と言いながら倒れた。
興奮して息を乱している屠自古に向けて、青娥が声をかけた。
「蘇我様、蘇我様」
「はぁはぁ、なんよ」
「このビーム、小籠包のなかにちょっとずつ隠し効果をいれていて、それが積み重なって臨界に達したときに発生するものなんです」
「うん」
「物部様がいちばん食べてましたから、最初に発現しましたが、もしかすると今日あたり、常連のお客様が……」
屠自古はあわてて、伴侶であるミスター・ソウル・トレインの手を引っ張って屋外に出た。布都のビームがまだ文字を作っていた。人里のほうを見る。暗く、灯りの少ない夜のなかに、蛍光色の光が、ぽつぽつとあらわれはじめていた。
すぐに、いくつもの民家からビームが立ちのぼり――夜空に位置を占めていった。文字が「芳香よしよし」でなければ、またその光が多くは屠自古のパンツ目当てに来店していた中年男性たちの口から出ているものであると知らずにいれば、とても幻想的な眺めに見えた。
私たちの空。私たちの星座。
倒れた態勢のまま、神子がそう言った。I Love You, So……「とても愛してる」という意味だと、それも昔、この人から教えてもらったことだった。
怒っていたし、どうにかしようと思って、焦っていたはずだけど、とたんに気が抜けてしまった。屠自古は神子のむき出しの腋の下に手を入れて立たせ、目を見て、何て言ってやろうかとても迷ったけども、けっきょく「どうしようもない人ですね」とだけ言って、それからキスをした。
◆
その後、事件の夜から一日ほどは、びびった住人たちの足が店から遠のいたが、よだれがばーばー出るものの他にはとくに体を壊すようなものでないことがわかると、あらためて客足が戻ってきた。屠自古のパンツがなくなったので、今度は男性客ばかりではなく女性客も増えた。あいかわらずビームが出るほど美味しいので、当然大繁盛だった。
しかし夜毎のビームメッセージについては、芳香よしよしから猿の置物の宣伝を経て稗田阿求108のひみつの三つ目にはいったところで、被害者から泣きつかれた博麗の巫女が調伏にやってきたため中止となった。青娥も神子も、ほか幻想郷のほとんどの住人が残念に思った。しかし博麗神社の事情と稗田家の財力とを考え合わせると、悲劇的ではあるがこれも運命と考えて甘受するしかなかった。
なお、包子を食べたあとに死んだ老人男性は、ふつうに寿命だったが、三途の川を渡る際に巨乳死神にセクハラをはたらいたところ現世に叩き返されて、予定より数年長生きすることになった。生き返ったその足で中華点心芳香包子にやって来て、パンツじゃなくなったことについて血の涙を流したものの、やっぱり美味しいので、今でも週に二度はビームを出している。
(了)
ビームとか明らかにネタなのに、それが最後にはきれいになってオチに繋がっているあたりは流石としかいいようがない。
天晴れでした。
あと、青娥も含めて家族といっている屠自古がなんか新鮮でした。
たまにはきれいなにゃんにゃんも良いよね。
元作品と比べてギャグとシリアスが両方強化されている…
屋上へ行こうぜ……久しぶりにキレちまったよ……
なんていうか、カオスってこのことだよな!
確かにビームには比喩表現だって書いてなかったけどさ、けどさ!
あと料理のさしすせそとか。
途中で死んだ人が一体どういう関係があるのか。もしかしてシリアス展開になるのか?とか色々考えててたら全然関係ないのかよ騙されたww
しかし稗田阿求108のひみつとは一体……!