長薯が食べたいの。
お腹空いたから食べたいの。
「大和芋は嫌いじゃないけど、今日は長薯食べたいな。妖夢! 今日は長薯食べたいな」
「幽々子様、長薯は、ほるの大変なんですよ」
でも、食べたいな。
熱々のご飯に、長薯トロトロご飯で食べたいの。
「お店で、売っているの買ってくればいいじゃない」
「食費がありません。幽々子様」
聞こえない、聞こえなの。
食費とか、俗世間のことは関係ないの。
煮物の長薯ほくほく食べたいな。
「食費が無ければ、長薯作ればいいじゃない」
「畑がありません。幽々子様、開拓しなければいけません」
開拓とか、そういう言葉は私は知らない無い。
知ってはいけない。……気がするの。
ふかした、長薯ふかふか美味しかったな、また食べたいな。
「ムカゴで良いから集めて、来てくれない?」
「今は、まだムカゴは取れません幽々子様。あと、3ヶ月位待ってください」
収穫期がまだなら、もう一回異変を起こして秋にしちゃうぞ。
でも、秋はサツマイモだしなあ。桜は咲かないなぁ。
うーん、ウウウーン。
「とりあえず、モロヘイヤでいいや」
「……幽々子様、モロヘイヤは夏の野菜です」
トロトロ野菜が食べたいの。
食べたいのに。
お腹すいた。
「オクラが食べたいな? 茹でて星型に切ったのに、カツオブシをかけて、醤油をかけたの食べたいな」
「あの、それも夏の野菜です」
お腹すいた。トロトロの、野菜はもう知らないの。
お腹すいた。トロトロ野菜は、もう知らないの。
でも、トロトロ野菜食べたいの。
きっと、まだトロトロ野菜はあるはずなの。
トーロトロ、トーロトロ、トーロトロ、トーロトロ、
お腹空いたから食べたいの。
「大和芋は嫌いじゃないけど、今日は長薯食べたいな。妖夢! 今日は長薯食べたいな」
「幽々子様、長薯は、ほるの大変なんですよ」
でも、食べたいな。
熱々のご飯に、長薯トロトロご飯で食べたいの。
「お店で、売っているの買ってくればいいじゃない」
「食費がありません。幽々子様」
聞こえない、聞こえなの。
食費とか、俗世間のことは関係ないの。
煮物の長薯ほくほく食べたいな。
「食費が無ければ、長薯作ればいいじゃない」
「畑がありません。幽々子様、開拓しなければいけません」
開拓とか、そういう言葉は私は知らない無い。
知ってはいけない。……気がするの。
ふかした、長薯ふかふか美味しかったな、また食べたいな。
「ムカゴで良いから集めて、来てくれない?」
「今は、まだムカゴは取れません幽々子様。あと、3ヶ月位待ってください」
収穫期がまだなら、もう一回異変を起こして秋にしちゃうぞ。
でも、秋はサツマイモだしなあ。桜は咲かないなぁ。
うーん、ウウウーン。
「とりあえず、モロヘイヤでいいや」
「……幽々子様、モロヘイヤは夏の野菜です」
トロトロ野菜が食べたいの。
食べたいのに。
お腹すいた。
「オクラが食べたいな? 茹でて星型に切ったのに、カツオブシをかけて、醤油をかけたの食べたいな」
「あの、それも夏の野菜です」
お腹すいた。トロトロの、野菜はもう知らないの。
お腹すいた。トロトロ野菜は、もう知らないの。
でも、トロトロ野菜食べたいの。
きっと、まだトロトロ野菜はあるはずなの。
トーロトロ、トーロトロ、トーロトロ、トーロトロ、
結構好きですよ。
次はもうちょっと長めにお願いしますとだけ。
トットロー トットロ
内容もゆゆ様がひたすらトロトロを欲しがっては無理と言われるだけで、まさに起承転結の承だけを書くような暴挙
だが何故か面白いと思ってしまった自分がいる
何が面白いのかまったく分からない
俺に分かるのはゆゆ様がかわいいということだけだ
それが、日常の幸福というものですし、また、実際我々の日常における幸福の大部分は、非常に些細な変化や思いつきにあるのではないか。
こういう雰囲気だけで終わる物語というのは、むしろそういう、日常を捉えているように思えます。
そういう日常を投影するのに、きっと、貴族的な生活を送っているだろうゆゆ様が一番しっくりくるのでしょうね。
物語の長さも、これが一番最適だろうと思います。
それにしてもこの作品、洗脳めいたものを感じトーロトロ、トーロトロ……
野菜じゃないな
納豆汁なんてどうでしょう
最低でも10kbくらい……
まぁこっちは一読者だからあまり言えんけどさ。
詩のような印象を受けました。
オチを! オチをー!
日常が一番の幸福、というのを対比させる出来事を出さずに見せてくれるのはうれしい