SYSTEM ALL...
もしもし、こちら幻想郷。
届いていますか。聞こえていますか。
こちらの世界は問題もなく、通常どおりに回っている模様。
システム・オールレッド、オールブルー。万事快調。
そちらの世界はどうですか。
届いていますか。わたしの声。
1.
ひなたぼっこはだいすきだけれど、ひとりぽっちでするよりは、やっぱりみんなでするほうがずっと楽しいとおもう。
けど、いまはしかたない。らんさまとゆかりさまは、道具屋さんのなかで、店主さんとお話ちゅうだから。わたしはこのあいだ、お店のものをこわしてしまったから、きょうは入れてもらえなかった。じごうじとくだから、しかたない。
ひとりでじっと待っていたら、らんさまとゆかりさまがむかえに来てくれた。見たことのない、へんなかたちの道具を持って。
「おかえりなさい、らんさま、ゆかりさま!」
「ただいま、橙。長くなって済まなかったね。よしよし」
「もう用事おわったんですか?」
「終わったよ。長時間交渉した結果、やっと譲って貰えた」
らんさまが持っているふしぎな道具を、わたしはじっくりかんさつしてみた。
上下にふたつの画面がつらなっていて、それぞれになにかの記号がかかれている。なににつかう道具なのか、さっぱりだ。
「じゃあ問題よ、橙。これは外の世界の機械なの。どうやって使うものか判る?」
「にー……ゆかりさまの問題はいつもむつかしいです。ええと……」
「ヒントはね、この二つの画面。上は青く、下は赤く光るんだけれど、同時に光ることは無いの」
「に? ……うーん、なにかのすいっち…?」
「スイッチ、ね。あながち間違いでは無いわ。これはね橙、外の世界の人間が好き勝手に移動して事故を起こさないように、道に置かれているものなの」
「みちに?」
「そう。青はすすめ、赤はとまれ。赤なったら道ゆく人間たちは足を止めて、青になったら前へ進むことを許されるの」
「えっと……にー? つまり、外のせかいのにんげんは、じゆうにあるけないんですか?」
「そういうこと。……外の世界はね、色々な物が入り乱れているの。だからそうやって一定のルールで縛らないと、物や人がぶつかりあって、世の中が上手く回っていかないのよ」
ゆかりさまがまたむつかしいことを言うので、わたしのあたまはすっかりこんらんしてしまった。
それでもがんばってかんがえていると、らんさまがわたしの名前をよんだ。じゃあ、ちぇん、ごはんたべにいこうか。わたしはおもわず笑顔になった。
「はい、らんさま! わたしおなかぺこぺこです!」
「よしよし、じゃあ座ってお弁当食べようか。紫さまはどうします? 一応三人分あるのですが……」
「私はいいわ、神社に用事があるの。……ああ、でも折角だし、私の分だけ頂いておこうかしら」
ゆかりさまは、お弁当箱と、それからあのへんな道具をらんさまから受けとって、いつもみたいにどこかへしゅんかんいどうしてしまった。
べんりそうだけど、あんなものにたよってばかりじゃ運動不足になりそうだなって、よくおもう。
「さ、私たちも行こうか、橙。ここでもいいけど、もう少し景色のいいところで食べよう」
こんなにいい天気なんだからね、ってらんさまがわらう。
おひさまがぽかぽかあったかい。見あげると、おそらはきれいな青いろだった。
2.
自分が眠っているときはどこに隠れているのやら、絶対に起こさせないくせに、他人が気持ちよく昼寝しようとしているときには構わず妨害しにくるのがこのお邪魔妖怪である。
しかも今日は何やら弁当箱を広げて私の目の前で食事をし始めていた。食事、といっても、こいつのそれは人間のそれとはまるで別物に見える。食べているものがたとえ、普通のおにぎりやお漬物でも……何と言えばいいのだろう、"食事をしている"というよりも、"口に放ってそれを飲み込む作業をしている"ように見えるのだ。決して機械的に見えるという意味ではなく、むしろ本来なら不必要であるはずの作業を、愉しんで、好きこのんで行っているような。
「あら、羨ましいの? 藍の作ったお弁当が」
にやにや笑いながらこちらを見てくるそいつを無視して、私はいつもの緑茶を啜った。
「別に。昼食ならさっき摂ったもの」
「それは残念。誰かと半分ずつ分けあえば、食事も一層楽しくなるというのに」
「あんたはそうかもしれないけれど、私は御免ね。一人前を半分ずつじゃあ、お腹が減るでしょう」
「確かにね。ふふ」
でもね、と、奴は続ける。
「世の中のあらゆるものは、半分ずつに分かれることで成り立っているのよ。たとえば、夢と現。光と闇。男と女。人と妖。……それらは1と1ではなく、1を半分に割った結果、つまり0.5と0.5なの。世界が1なら夢は0.5で現も0.5、性が1なら男も女も0.5ずつ、っていう具合にね。1に満たないものは存在することすら許されないこの世の中において、自分の片割れというものは、非常に重要になってくる」
「またよく解らない話を……。お弁当の話から、なんで世界やら何やらって話に飛躍するのかしらね」
「くす。例え話よ、例え話」
一体なんの例え話だというのだろう。
理解できない話に対しては無視を決めこむのが一番だ。しかし構わずお茶を飲み続けていると、奴は空間を切り裂いて、そこから何やら大きな棒を引っ張り出した。初めて見るものだったので、無視をしようと決めていたはずの私も興味を持ち、ついつい尋ねてしまう。
「それは何?」
よく見ると、棒の先には妙な道具?が刺さっている。四角い機械のようなもので、上下に一つずつ、記号が描かれたボタンのようなものがある、そんな道具。
「これはね、外の世界の道具よ」
「外の世界の?」
「ええ。これがないと、外の世界の人間たちはどう動いていいか解らなくなってしまうの。ひとりひとりが好き勝手に動いてしまうと、世界が乱れて、循環しなくなってしまう」
「それを防ぐための道具ってわけね。そんなに大事な道具が、どうして幻想郷に?」
「たまたま流れ着いてしまったのでしょう。これは比較的古い型のようだし」
食べかけのお弁当を膝の上に置いたまま、その道具を眺めているスキマ妖怪。
そろそろお昼という時間でもなくなってくる頃だ。見上げると、空はほんのり赤く染まっていた。
3.
陽の沈むさまがあまりにも美しかったので、温かい珈琲でも飲みつつ、カフェテラスの窓から空を眺めていた。
いつもは入れないのだけれど、今日は少しだけ砂糖を混ぜ込んでみる。ほんのり甘い味が口の中に広がって心地よい。先ほどレポートを仕上げて、期限ぎりぎりに提出したばかりだということもあり、心はとても落ち着いていた。
けれど、少し離れた席に彼女の姿を認めると、私は一人でくつろぐささやかな時間から抜け出し、言葉を投げかけた。
「何をしているの?メリー」
メリーは「ああ、蓮子」とつまらなさそうに振り向くなり、すぐまた体勢を戻して机とにらめっこをし始めた。
何か考えごとでもしているのだろうか。見てみると、メリーがじっと眺めていたのは一枚の絵だった。
恐らく水彩絵の具で描かれた、抽象画。右には青、左には赤系統の色が広がっていて、それを二分するように一本の線が引かれている。その線の色は、濃い紫。
「それメリーが描いたの?」
「ええ。でも、なんだか納得出来ないというか……しっくりこないのよね」
メリーは唸りながらも目線を離さず、ただただその絵を見つめている。
「何かしら、何かが足りないような……」
「そもそも何を表現しようとしたの?」
「世界よ。あ、世界って言ってもこの世界じゃあなくて、どこか別の世界ね。そこは青いシステムと赤いシステムに支えられた世界で、どちらのシステムが欠けても成り立たない。そして、そのふたつを調整しているのが、紫色のシステムなのよ」
メリーは時々、別の世界の話を延々と語り始めることがある。それも創作としてではなく、仮定の話でもなく、あたかも存在する事実であるように。
それが普遍的事実なのか、メリーの頭のなかに広がっている世界でしかないのか、そんなことはあまり関係がない。とにかく私はその世界に興味があるし、その世界の話を聞くのが好きだった。
「つまりその世界には、三つの大きなシステムがあるということ?」
「いいえ。正確には1.5よ」
「1.5?」
「赤が0.5、青が0.5、紫も0.5。1に満たないものは存在することすら許されないこの世界おいて、赤いシステムと青いシステムが対となっていることにはとても重要な意義がある」
「対、ねえ。じゃあ紫のシステムにも、対となるシステムが存在するということ?」
「もちろん。けれど紫のシステムは、その異質さゆえに、他の世界でしか対となる存在を見つけられなかった。どこか別の世界にまた別のシステムが存在していて、それがこの世界の紫システムの片割れとなり、連動しているの」
淀みなく話し続けるメリー。相変わらずのしかめ面だけれど、やはりこういう話をしていると、先ほどよりも少しいきいきとした様子が見てとれる。
「紫色のシステムと対になる、別の世界の別のシステム。もしかしたらそれは、私達の世界に働いているシステムかもしれないわね」
「そうね。そうだとしたら面白いわ」
「それで、結局なんなのかしら?その、赤やら青やら紫やらのシステムっていうのは」
「信号機みたいなものよ。赤はとまれ、青はすすめ」
「どういう意味?」
「赤は、世界の根幹を守り、保ち続けるシステム。世界の絶対的な面を変質させないような、静のシステムね。それに対し青は、世界の循環を守り、進み続けるシステム。世界の可変的な面が停滞し淀んでしまうのを防ぐような、動のシステムなのよ」
なるほどね、と相槌を打つ。
そしてメリーが描いたという抽象画を眺めながら、私はふっと思いついた。
「ねえ、メリー。……だったらこの絵に、黄色を足してみたら良いんじゃないかしら?」
え?と、不思議そうな顔でこちらを振り向くメリー。
「ほら、信号って、三色のものもあるじゃない。青はすすめ、赤はとまれ。そして黄色は、注意。……紫のシステムと対になっているのは、もしかしたら、黄色いシステムなんじゃないかしら」
「黄色……?」
「そう。そしてそのシステムは、赤と青のシステムに異常が起きて、紫のシステムにも制御しきれないような状況になったとき。または紫のシステム自体に異常が起きたとき、初めて作動する隠れシステムなの。……それが私の考えた仮説、どうかしら、メリー?」
メリーの瞳に、みるみる輝きが溢れ出す。
彼女は思い立ったようにがたんと立ち上がると、鞄を持って席を離れた。
「ありがとう、蓮子! ……描けるわ、足りなかった色がやっと解った!」
憑き物がとれたような顔でそう言うと、そのまま小走りでカフェテラスを去って行く。恐らくどこかの教室を借りて、画用紙を広げ、あの絵に新しい色を加えるのだろう。……作品としての完成度は別にしても、彼女の描きたかったものがようやく描けるのだから、喜ばしいことである。
数分前まで座っていた窓際の席に戻り、今し方彼女と交わした会話を思い出す。黄色か、そういえば以前、メリーが私のイメージカラーを黄色だと言ったことがあった。
それまで誰に聞いても黒か茶色という答えしか返ってきたことがなかったので、「どうして?」と訊いてみたのだけれど。
彼女の答えは、こんなものだった。
……だってあなた、月明かりみたいに鋭くて、遠くて、心地良いんだもの。
変わり者なのは自分でもよく解っている。そしてメリーも、私とはまた違った変わり者だ。それを特別、という言葉で表現したくはないけれど。
メリーが実は、別の世界の人間で。
さっき彼女が言っていた、紫のシステムとやらを司っている存在で。
片割れである、黄色いシステムを司る存在を探しにこの世界まで来ていて、その存在こそが私だったなら。
面白いなって、
思った。
窓から見上げると、空は黒く、ほんのり月の光の色に照らされていた。
もしもし、もしもし。
届いていますか。聞こえていますか。
こちらの世界は問題もなく、通常どおりに回っている模様。
システム・オールイエロー、オールイエロー。万事快調。
0.5を更に半分に割った私たちは、別の世界を生きていて。
0.25の存在として、たくさん苦労はするけれど。
あなたには0.5の赤と、0.5の青がついているように。
私には0.5の存在がついていて、毎日そばにいてくれる。
そちらの世界は1.25、こちらの世界は0.75。
ふたつ合わせて初めて2になる、赤と青と紫と、それから黄色の鮮やかなシステム。
私たちの世界はとても綺麗に色づいています。
そちらの世界はどうですか。
届いていますか。わたしの声。
もしもし、こちら幻想郷。
届いていますか。聞こえていますか。
こちらの世界は問題もなく、通常どおりに回っている模様。
システム・オールレッド、オールブルー。万事快調。
そちらの世界はどうですか。
届いていますか。わたしの声。
1.
ひなたぼっこはだいすきだけれど、ひとりぽっちでするよりは、やっぱりみんなでするほうがずっと楽しいとおもう。
けど、いまはしかたない。らんさまとゆかりさまは、道具屋さんのなかで、店主さんとお話ちゅうだから。わたしはこのあいだ、お店のものをこわしてしまったから、きょうは入れてもらえなかった。じごうじとくだから、しかたない。
ひとりでじっと待っていたら、らんさまとゆかりさまがむかえに来てくれた。見たことのない、へんなかたちの道具を持って。
「おかえりなさい、らんさま、ゆかりさま!」
「ただいま、橙。長くなって済まなかったね。よしよし」
「もう用事おわったんですか?」
「終わったよ。長時間交渉した結果、やっと譲って貰えた」
らんさまが持っているふしぎな道具を、わたしはじっくりかんさつしてみた。
上下にふたつの画面がつらなっていて、それぞれになにかの記号がかかれている。なににつかう道具なのか、さっぱりだ。
「じゃあ問題よ、橙。これは外の世界の機械なの。どうやって使うものか判る?」
「にー……ゆかりさまの問題はいつもむつかしいです。ええと……」
「ヒントはね、この二つの画面。上は青く、下は赤く光るんだけれど、同時に光ることは無いの」
「に? ……うーん、なにかのすいっち…?」
「スイッチ、ね。あながち間違いでは無いわ。これはね橙、外の世界の人間が好き勝手に移動して事故を起こさないように、道に置かれているものなの」
「みちに?」
「そう。青はすすめ、赤はとまれ。赤なったら道ゆく人間たちは足を止めて、青になったら前へ進むことを許されるの」
「えっと……にー? つまり、外のせかいのにんげんは、じゆうにあるけないんですか?」
「そういうこと。……外の世界はね、色々な物が入り乱れているの。だからそうやって一定のルールで縛らないと、物や人がぶつかりあって、世の中が上手く回っていかないのよ」
ゆかりさまがまたむつかしいことを言うので、わたしのあたまはすっかりこんらんしてしまった。
それでもがんばってかんがえていると、らんさまがわたしの名前をよんだ。じゃあ、ちぇん、ごはんたべにいこうか。わたしはおもわず笑顔になった。
「はい、らんさま! わたしおなかぺこぺこです!」
「よしよし、じゃあ座ってお弁当食べようか。紫さまはどうします? 一応三人分あるのですが……」
「私はいいわ、神社に用事があるの。……ああ、でも折角だし、私の分だけ頂いておこうかしら」
ゆかりさまは、お弁当箱と、それからあのへんな道具をらんさまから受けとって、いつもみたいにどこかへしゅんかんいどうしてしまった。
べんりそうだけど、あんなものにたよってばかりじゃ運動不足になりそうだなって、よくおもう。
「さ、私たちも行こうか、橙。ここでもいいけど、もう少し景色のいいところで食べよう」
こんなにいい天気なんだからね、ってらんさまがわらう。
おひさまがぽかぽかあったかい。見あげると、おそらはきれいな青いろだった。
2.
自分が眠っているときはどこに隠れているのやら、絶対に起こさせないくせに、他人が気持ちよく昼寝しようとしているときには構わず妨害しにくるのがこのお邪魔妖怪である。
しかも今日は何やら弁当箱を広げて私の目の前で食事をし始めていた。食事、といっても、こいつのそれは人間のそれとはまるで別物に見える。食べているものがたとえ、普通のおにぎりやお漬物でも……何と言えばいいのだろう、"食事をしている"というよりも、"口に放ってそれを飲み込む作業をしている"ように見えるのだ。決して機械的に見えるという意味ではなく、むしろ本来なら不必要であるはずの作業を、愉しんで、好きこのんで行っているような。
「あら、羨ましいの? 藍の作ったお弁当が」
にやにや笑いながらこちらを見てくるそいつを無視して、私はいつもの緑茶を啜った。
「別に。昼食ならさっき摂ったもの」
「それは残念。誰かと半分ずつ分けあえば、食事も一層楽しくなるというのに」
「あんたはそうかもしれないけれど、私は御免ね。一人前を半分ずつじゃあ、お腹が減るでしょう」
「確かにね。ふふ」
でもね、と、奴は続ける。
「世の中のあらゆるものは、半分ずつに分かれることで成り立っているのよ。たとえば、夢と現。光と闇。男と女。人と妖。……それらは1と1ではなく、1を半分に割った結果、つまり0.5と0.5なの。世界が1なら夢は0.5で現も0.5、性が1なら男も女も0.5ずつ、っていう具合にね。1に満たないものは存在することすら許されないこの世の中において、自分の片割れというものは、非常に重要になってくる」
「またよく解らない話を……。お弁当の話から、なんで世界やら何やらって話に飛躍するのかしらね」
「くす。例え話よ、例え話」
一体なんの例え話だというのだろう。
理解できない話に対しては無視を決めこむのが一番だ。しかし構わずお茶を飲み続けていると、奴は空間を切り裂いて、そこから何やら大きな棒を引っ張り出した。初めて見るものだったので、無視をしようと決めていたはずの私も興味を持ち、ついつい尋ねてしまう。
「それは何?」
よく見ると、棒の先には妙な道具?が刺さっている。四角い機械のようなもので、上下に一つずつ、記号が描かれたボタンのようなものがある、そんな道具。
「これはね、外の世界の道具よ」
「外の世界の?」
「ええ。これがないと、外の世界の人間たちはどう動いていいか解らなくなってしまうの。ひとりひとりが好き勝手に動いてしまうと、世界が乱れて、循環しなくなってしまう」
「それを防ぐための道具ってわけね。そんなに大事な道具が、どうして幻想郷に?」
「たまたま流れ着いてしまったのでしょう。これは比較的古い型のようだし」
食べかけのお弁当を膝の上に置いたまま、その道具を眺めているスキマ妖怪。
そろそろお昼という時間でもなくなってくる頃だ。見上げると、空はほんのり赤く染まっていた。
3.
陽の沈むさまがあまりにも美しかったので、温かい珈琲でも飲みつつ、カフェテラスの窓から空を眺めていた。
いつもは入れないのだけれど、今日は少しだけ砂糖を混ぜ込んでみる。ほんのり甘い味が口の中に広がって心地よい。先ほどレポートを仕上げて、期限ぎりぎりに提出したばかりだということもあり、心はとても落ち着いていた。
けれど、少し離れた席に彼女の姿を認めると、私は一人でくつろぐささやかな時間から抜け出し、言葉を投げかけた。
「何をしているの?メリー」
メリーは「ああ、蓮子」とつまらなさそうに振り向くなり、すぐまた体勢を戻して机とにらめっこをし始めた。
何か考えごとでもしているのだろうか。見てみると、メリーがじっと眺めていたのは一枚の絵だった。
恐らく水彩絵の具で描かれた、抽象画。右には青、左には赤系統の色が広がっていて、それを二分するように一本の線が引かれている。その線の色は、濃い紫。
「それメリーが描いたの?」
「ええ。でも、なんだか納得出来ないというか……しっくりこないのよね」
メリーは唸りながらも目線を離さず、ただただその絵を見つめている。
「何かしら、何かが足りないような……」
「そもそも何を表現しようとしたの?」
「世界よ。あ、世界って言ってもこの世界じゃあなくて、どこか別の世界ね。そこは青いシステムと赤いシステムに支えられた世界で、どちらのシステムが欠けても成り立たない。そして、そのふたつを調整しているのが、紫色のシステムなのよ」
メリーは時々、別の世界の話を延々と語り始めることがある。それも創作としてではなく、仮定の話でもなく、あたかも存在する事実であるように。
それが普遍的事実なのか、メリーの頭のなかに広がっている世界でしかないのか、そんなことはあまり関係がない。とにかく私はその世界に興味があるし、その世界の話を聞くのが好きだった。
「つまりその世界には、三つの大きなシステムがあるということ?」
「いいえ。正確には1.5よ」
「1.5?」
「赤が0.5、青が0.5、紫も0.5。1に満たないものは存在することすら許されないこの世界おいて、赤いシステムと青いシステムが対となっていることにはとても重要な意義がある」
「対、ねえ。じゃあ紫のシステムにも、対となるシステムが存在するということ?」
「もちろん。けれど紫のシステムは、その異質さゆえに、他の世界でしか対となる存在を見つけられなかった。どこか別の世界にまた別のシステムが存在していて、それがこの世界の紫システムの片割れとなり、連動しているの」
淀みなく話し続けるメリー。相変わらずのしかめ面だけれど、やはりこういう話をしていると、先ほどよりも少しいきいきとした様子が見てとれる。
「紫色のシステムと対になる、別の世界の別のシステム。もしかしたらそれは、私達の世界に働いているシステムかもしれないわね」
「そうね。そうだとしたら面白いわ」
「それで、結局なんなのかしら?その、赤やら青やら紫やらのシステムっていうのは」
「信号機みたいなものよ。赤はとまれ、青はすすめ」
「どういう意味?」
「赤は、世界の根幹を守り、保ち続けるシステム。世界の絶対的な面を変質させないような、静のシステムね。それに対し青は、世界の循環を守り、進み続けるシステム。世界の可変的な面が停滞し淀んでしまうのを防ぐような、動のシステムなのよ」
なるほどね、と相槌を打つ。
そしてメリーが描いたという抽象画を眺めながら、私はふっと思いついた。
「ねえ、メリー。……だったらこの絵に、黄色を足してみたら良いんじゃないかしら?」
え?と、不思議そうな顔でこちらを振り向くメリー。
「ほら、信号って、三色のものもあるじゃない。青はすすめ、赤はとまれ。そして黄色は、注意。……紫のシステムと対になっているのは、もしかしたら、黄色いシステムなんじゃないかしら」
「黄色……?」
「そう。そしてそのシステムは、赤と青のシステムに異常が起きて、紫のシステムにも制御しきれないような状況になったとき。または紫のシステム自体に異常が起きたとき、初めて作動する隠れシステムなの。……それが私の考えた仮説、どうかしら、メリー?」
メリーの瞳に、みるみる輝きが溢れ出す。
彼女は思い立ったようにがたんと立ち上がると、鞄を持って席を離れた。
「ありがとう、蓮子! ……描けるわ、足りなかった色がやっと解った!」
憑き物がとれたような顔でそう言うと、そのまま小走りでカフェテラスを去って行く。恐らくどこかの教室を借りて、画用紙を広げ、あの絵に新しい色を加えるのだろう。……作品としての完成度は別にしても、彼女の描きたかったものがようやく描けるのだから、喜ばしいことである。
数分前まで座っていた窓際の席に戻り、今し方彼女と交わした会話を思い出す。黄色か、そういえば以前、メリーが私のイメージカラーを黄色だと言ったことがあった。
それまで誰に聞いても黒か茶色という答えしか返ってきたことがなかったので、「どうして?」と訊いてみたのだけれど。
彼女の答えは、こんなものだった。
……だってあなた、月明かりみたいに鋭くて、遠くて、心地良いんだもの。
変わり者なのは自分でもよく解っている。そしてメリーも、私とはまた違った変わり者だ。それを特別、という言葉で表現したくはないけれど。
メリーが実は、別の世界の人間で。
さっき彼女が言っていた、紫のシステムとやらを司っている存在で。
片割れである、黄色いシステムを司る存在を探しにこの世界まで来ていて、その存在こそが私だったなら。
面白いなって、
思った。
窓から見上げると、空は黒く、ほんのり月の光の色に照らされていた。
もしもし、もしもし。
届いていますか。聞こえていますか。
こちらの世界は問題もなく、通常どおりに回っている模様。
システム・オールイエロー、オールイエロー。万事快調。
0.5を更に半分に割った私たちは、別の世界を生きていて。
0.25の存在として、たくさん苦労はするけれど。
あなたには0.5の赤と、0.5の青がついているように。
私には0.5の存在がついていて、毎日そばにいてくれる。
そちらの世界は1.25、こちらの世界は0.75。
ふたつ合わせて初めて2になる、赤と青と紫と、それから黄色の鮮やかなシステム。
私たちの世界はとても綺麗に色づいています。
そちらの世界はどうですか。
届いていますか。わたしの声。
しかし蓮子とメリーのコンビには女性同士の友情という現実にはまるでない幻想があるわけだけど、そこにゆかりんが入ると何だかエロチックになるのはなんでなんでしょうね。
幻想郷に届くといいですね。次の作品も楽しみにしています。
そにまんまオサレ引用だった