ちくたく。ちくたく。
時計の針は、一定のリズムを刻んで音を満たし続けている。
でもそれはとても当たり前の話だ。時計の針が進むのは一定でなくてはならない。気まぐれにいつもより速く進んでみたり、誰も見てないからと言ってサボって止まったりしてはいけないのだ。
そんなものはもう時計と呼べない。部屋の片隅に置かせてもらってるだけの、ただのガラクタだ。
だから、時計の針が動き続けるのは、本来ならとても喜ばしいことなのだ。
時計が時計として認められる。必要とされる。それは時計にとって最も誇らしい事のはずだ。そういう物として生まれてきたはずなのだから、そう思わないはずがない。
その部屋にいる人だって、時計の針がきちんとした時間を指すことを望むだろう。現在時刻。自分と他人とが共有することの出来る最も単純で確かなもの。今何時であるかが必要なのではなく、何時に誰と過ごすかというのが重要なのだ。
人は時計を求めているのではなく、時間という答えを求めているのであって。
つまるところ、人と時計の関係は、あくまでビジネスパートナーでしかない。
ちくたく。ちくたく。
今日も時計は、与えられた仕事をこなし続けている。
的確に。正確に。求められればすぐに答えを出せるよう盤面にその答えを映し出しながら。求められなくても働いていることを知らせるべく音を鳴らしながら。
いつまでも、いつまでも働き続ける。
やがて、針が止まってしまうその日まで。
☆☆☆
雨が降っていた。
お嬢様と二人で出かけた時のことだった。紅魔館へ帰る途中の道なりで、急に通り雨におそわれたのだ。
横殴りに降る激しい雨。持っていた日傘だけでは雨を遮るのには頼りなく、仕方なく大きな木の下で雨宿りをすることになった。
ざあざあと降り続ける雨を横目に、お嬢様が少しでも濡れないよう気を配りながら雨雲が過ぎるのを待つ。湿り気を帯びた風は肌寒く、夏の終わりを感じさせる。
「少し、寒いわね」
そんな私の心を見透かしたかのように、お嬢様は私にそう語りかけた。
「そうですね。……よろしければ上に何か羽織られますか?」
「ううん、いいわ。それより……少し、傍に寄っても良い?」
伏し目がちにそう尋ねるお嬢様。
そんなの、尋ねるまでもないことなのに。
「はい。勿論です」
木の根元で、二人寄り添いながら雨が上がるのを待っていた。
肩と肩とが当たる距離。近くはないけど、決して遠くはない。けれどやっぱり冷えた体が暖まるほどではない。曖昧でうつろな距離。
「……ねえ、今何時?」
ふと、お嬢様はそんなことを聞いた。
「十七時四十七分です。……この雨ではお夕食の時間までに帰れそうにありませんね」
私は胸元のポケットに入れていた懐中時計を取り出し、言われるがままに盤面に刻まれた時間を答えた。
「あら、その時計って……」
私の持っていた時計を見たお嬢様は、驚いたように声をあげた。
最初、お嬢様が驚いた理由が分からなかった。それは私にとってあまりにも当たり前のことだったからだ。
けれどその理由に思い至ると、私は思わず笑ってしまいそうになりながら答えた。
「ええ。そうですよ。ずっと昔に、お嬢様にいただいた物です」
ずっと昔。お嬢様に拾ってもらってからまだ間もない頃にメイドのたしなみとして貰った物だ。
「私のメイドになるからには、時間に正確でいてもらわなくっちゃね」そんなことを言いながら私にくれた銀の懐中時計は、お嬢様にかけてもらった魔法のおかげで手で回す必要もなく、一秒もずれることなく、正確に時を刻み続けている。
「そっか。……まだ持ってるなんて思わなかったな」
「私がお嬢様にいただいた物を失くすわけありませんよ」
笑ってそう答えながら、レミリア様にとって私にプレゼントする事はそれぐらいの意味しか持たないのかな、と少し寂しくも感じてしまった。
私にとってこの懐中時計はとても特別な意味をもつ物だ。
お嬢様から戴いたから、というだけではない。立ち止まりそうになった時、いつもこの時計に助けられてきた。
こうありたいと、思うことで。
いつでも使用者の望む結果を出してくれる時計。決して休まず、決して間違えずに、迅速に、機械的に、弱音を吐く事なんてせず、つらいと思うことすらなく。
求められる役割を完璧に瀟洒に果たすことでレミリア様の隣にいることが出来るのなら、私はこんな時計になりたいと――そう思っていた。
ふと気づくと、レミリア様が私の顔をじっと見つめていた。
その理由を尋ねるよりも早く、お嬢様は楽しげにこう言った。
「……だったらさ。ゲームしてみない?」
「ゲーム……ですか?」
「そう。だってこんなところで何もせずに待ってるのなんて退屈じゃない。だからゲームでもして暇を紛らわせましょ」
お嬢様が気まぐれに提案するのはあまり珍しいことではない。
ただ、なんとなく、いつもより唐突だったような気がしただけ。
「もちろんかまいませんよ。それで、どんなゲームなんですか?」
「簡単よ。……雨が上がる頃、その懐中時計の針が何時を指しているのか当てるってだけよ」
要するに、あとどれくらいで雨が上がるか、というのを予想するだけの、ゲームと呼べるかすら定かではないお遊びだ。
「雨が上がるまで懐中時計を見たりしちゃ駄目よ。もちろん音を聞いたりするのも駄目で、時計の時間が予想と近かった方が勝ち。……どう、シンプルでしょう?」
「はい。それでは雨が上がるまで時計はしまっておきますね」
ポケットの中にそれをしまい込む。音が聞こえてずるをしてしまわないよう、いつもより少し奥の方へ。
「それじゃあ、咲夜からどうぞ」
お嬢様の許しを受けて、私は雨雲で埋まった空を見上げた。
当然、ゲームというからには真剣にやらなければならない。お嬢様をわざと勝たせようと手を抜こうものなら怒られてしまうし、何より……天気の行く末なんて人間である私に正確に分かるわけがないのだから、そんなことを気にしたって仕方がない。
雨雲の流れと速さを見ながら推測を立てていって。
「四十分後ぐらい、でしょうか。十八時三十分だと思います」
そう予想した。
激しい雨なだけにそれほど長く続きそうにはない。けれど今降り始めたばかりで夜空に雨雲が敷き詰められている以上、三十分は止まないだろうと考えた末での答えだった。
お嬢様は私の答えにうんうんと頷きながら、自信たっぷりに言った。
「私の予想はね……十八時。十八時ぴったり」
果たしてその雨は、一時間もの間ずっと降り続けた。
時計を見て確認したわけではないが、私の能力の性格上体内時計には自信がある。どれだけ間違っていようと五分と差が出ていることはない。
つまりゲームは私の勝ちでお嬢様の負け――なのだが、ちっとも悔しそうな表情も不機嫌そうな仕草も見せたりはしていない。
「そろそろ雨も上がりそうですね」
「そうね。……それじゃあ咲夜、答えを教えてくれる?」
見るまでもないことなのに。なんてことは口にせず。私は懐中時計を取り出してその針を見た。そこに刻まれた時間は、もちろん……。
「……あれ?」
十八時、ぴったりだった。
はじめ、見間違いかと思った。次に思い至ったのは自分の数えた時間が間違ってたのではないかということだった。
そのどちらでもないと思い直した時、ようやく私は――その秒針が止まっていることに気がついた。
「十年前の今日の、十八時ぴったり」
疑問に思う私を前に、レミリア様はまるで手品のタネを明かそうとする子供みたいな表情で。
「私が貴女にその懐中時計をプレゼントした時間よ。……丁度この日にその懐中時計をまた見ることになるなんて、ふふっ、運命かしらね」
とてもおかしそうに笑った。
「その時計ね、もともと十年しか動かないように魔法をかけておいたの。あの時はこんなにも長い間貴女が隣にいてくれるなんて思ってなかったから……だって、使う人がいないのに時計だけ動いてたら、それはとても悲しいことでしょ?」
「……だからお嬢様には十八時にこの時計が止まると分かっていたんですね」
ちょっとずるかったかな、なんて言いながらお嬢様は木の幹から離れ、雨雲の消えた空を見上げた。
つられて私も夜空を見上げる。遮るものの無くなった空には徐々に星が満ち始め、その傍らにうっすらと三日月が浮かんでいた。
「本当に忘れてたわけじゃなかったんだよ」
暗がりの中、背を向けたままお嬢様は言った。
「ただ、驚いただけなの。貴女がまだ持っていてくれてるなんて思わなかったから……こうして十年後の今日も、貴女が隣にいてそれを持っていてくれてるなんて」
背中越しだったから、どんな表情をしていたのかは分からない。
「……だからね、私嬉しいんだ。貴女がこんなにも長い間私の傍にいてくれていることが。同じ思い出の中を生きてくれていることが」
ただ、なんとなく、笑ってくれているんじゃないかと。
「こうして時計の針が止まったとしても、そこに残る物があるんだって、そう思ったの」
あるいは、笑っていてくれればいいと。その後ろ姿を見ながら思った。
くるり、とお嬢様は振り返る。
「うんっ。それじゃ、早く帰ってお夕食にしましょ。フランがきっとおなかを減らして機嫌を損ねてるわ」
さっきの湿っぽい空気はどこにもなく、いつもの不安など消し飛ばしてくれそうな表情でレミリアお嬢様は言った、
「……かしこまりました、お嬢様」
ならば私も私らしく。
お嬢様のお望み通りの私でいることにしよう。
「……ああ、そうだ」
ふと、お嬢様は突然思い出したかのように声をあげて、私にこんなことを尋ねた。
「時計にもう一度だけ、魔法をかけてあげようか?」
それはきっと、悪魔の誘惑。
「今度は十年なんて言わない。もう二度とぜんまいを巻く必要なんてないように。一秒たりともくるってしまわないように。決して秒針が止まってしまわないように。私ならきっと、そんな魔法をかけてあげることが出来る」
きっと、それは本当のことだった。
今望んでしまえば、そんな時計が手に入る。自らの仕事をまっとうし、いつまでも存在を求められて、いつまでも隣にいることが出来る。
かつての私が望んでいた時計が、今目の前にある。
だけど――
「……いいえ」
私は、それを選ばなかった。
「これからは、自分でぜんまいを巻くことにします」
☆☆☆
ちくたく。ちくたく。
今日も時計は盤面の中を回り続ける。
でもその時計は、決して完璧ではない。時間が経つにつれて実際の時間とずれてしまうことだってあるし、ぜんまいを巻く人がいなければいずれは動かなくなってしまう。たとえ巻いてくれる人がいたところで、壊れてしまえばそれでおしまい。
例えどれだけ瀟洒に立ち回ろうとも、時を刻む物である以上終わりへ向かって進まなくてはならない。
けれど。
その時計の盤面を、見ていてくれる人がいるのなら。
秒針が刻む時間を、一緒に過ごしてくれる人がいるのなら。
そんな時間があったという過去が、決して無くならないものだったとしたら。
私は刻み続けましょう。
再び針が止まってしまう、その日まで。
時計の針は、一定のリズムを刻んで音を満たし続けている。
でもそれはとても当たり前の話だ。時計の針が進むのは一定でなくてはならない。気まぐれにいつもより速く進んでみたり、誰も見てないからと言ってサボって止まったりしてはいけないのだ。
そんなものはもう時計と呼べない。部屋の片隅に置かせてもらってるだけの、ただのガラクタだ。
だから、時計の針が動き続けるのは、本来ならとても喜ばしいことなのだ。
時計が時計として認められる。必要とされる。それは時計にとって最も誇らしい事のはずだ。そういう物として生まれてきたはずなのだから、そう思わないはずがない。
その部屋にいる人だって、時計の針がきちんとした時間を指すことを望むだろう。現在時刻。自分と他人とが共有することの出来る最も単純で確かなもの。今何時であるかが必要なのではなく、何時に誰と過ごすかというのが重要なのだ。
人は時計を求めているのではなく、時間という答えを求めているのであって。
つまるところ、人と時計の関係は、あくまでビジネスパートナーでしかない。
ちくたく。ちくたく。
今日も時計は、与えられた仕事をこなし続けている。
的確に。正確に。求められればすぐに答えを出せるよう盤面にその答えを映し出しながら。求められなくても働いていることを知らせるべく音を鳴らしながら。
いつまでも、いつまでも働き続ける。
やがて、針が止まってしまうその日まで。
☆☆☆
雨が降っていた。
お嬢様と二人で出かけた時のことだった。紅魔館へ帰る途中の道なりで、急に通り雨におそわれたのだ。
横殴りに降る激しい雨。持っていた日傘だけでは雨を遮るのには頼りなく、仕方なく大きな木の下で雨宿りをすることになった。
ざあざあと降り続ける雨を横目に、お嬢様が少しでも濡れないよう気を配りながら雨雲が過ぎるのを待つ。湿り気を帯びた風は肌寒く、夏の終わりを感じさせる。
「少し、寒いわね」
そんな私の心を見透かしたかのように、お嬢様は私にそう語りかけた。
「そうですね。……よろしければ上に何か羽織られますか?」
「ううん、いいわ。それより……少し、傍に寄っても良い?」
伏し目がちにそう尋ねるお嬢様。
そんなの、尋ねるまでもないことなのに。
「はい。勿論です」
木の根元で、二人寄り添いながら雨が上がるのを待っていた。
肩と肩とが当たる距離。近くはないけど、決して遠くはない。けれどやっぱり冷えた体が暖まるほどではない。曖昧でうつろな距離。
「……ねえ、今何時?」
ふと、お嬢様はそんなことを聞いた。
「十七時四十七分です。……この雨ではお夕食の時間までに帰れそうにありませんね」
私は胸元のポケットに入れていた懐中時計を取り出し、言われるがままに盤面に刻まれた時間を答えた。
「あら、その時計って……」
私の持っていた時計を見たお嬢様は、驚いたように声をあげた。
最初、お嬢様が驚いた理由が分からなかった。それは私にとってあまりにも当たり前のことだったからだ。
けれどその理由に思い至ると、私は思わず笑ってしまいそうになりながら答えた。
「ええ。そうですよ。ずっと昔に、お嬢様にいただいた物です」
ずっと昔。お嬢様に拾ってもらってからまだ間もない頃にメイドのたしなみとして貰った物だ。
「私のメイドになるからには、時間に正確でいてもらわなくっちゃね」そんなことを言いながら私にくれた銀の懐中時計は、お嬢様にかけてもらった魔法のおかげで手で回す必要もなく、一秒もずれることなく、正確に時を刻み続けている。
「そっか。……まだ持ってるなんて思わなかったな」
「私がお嬢様にいただいた物を失くすわけありませんよ」
笑ってそう答えながら、レミリア様にとって私にプレゼントする事はそれぐらいの意味しか持たないのかな、と少し寂しくも感じてしまった。
私にとってこの懐中時計はとても特別な意味をもつ物だ。
お嬢様から戴いたから、というだけではない。立ち止まりそうになった時、いつもこの時計に助けられてきた。
こうありたいと、思うことで。
いつでも使用者の望む結果を出してくれる時計。決して休まず、決して間違えずに、迅速に、機械的に、弱音を吐く事なんてせず、つらいと思うことすらなく。
求められる役割を完璧に瀟洒に果たすことでレミリア様の隣にいることが出来るのなら、私はこんな時計になりたいと――そう思っていた。
ふと気づくと、レミリア様が私の顔をじっと見つめていた。
その理由を尋ねるよりも早く、お嬢様は楽しげにこう言った。
「……だったらさ。ゲームしてみない?」
「ゲーム……ですか?」
「そう。だってこんなところで何もせずに待ってるのなんて退屈じゃない。だからゲームでもして暇を紛らわせましょ」
お嬢様が気まぐれに提案するのはあまり珍しいことではない。
ただ、なんとなく、いつもより唐突だったような気がしただけ。
「もちろんかまいませんよ。それで、どんなゲームなんですか?」
「簡単よ。……雨が上がる頃、その懐中時計の針が何時を指しているのか当てるってだけよ」
要するに、あとどれくらいで雨が上がるか、というのを予想するだけの、ゲームと呼べるかすら定かではないお遊びだ。
「雨が上がるまで懐中時計を見たりしちゃ駄目よ。もちろん音を聞いたりするのも駄目で、時計の時間が予想と近かった方が勝ち。……どう、シンプルでしょう?」
「はい。それでは雨が上がるまで時計はしまっておきますね」
ポケットの中にそれをしまい込む。音が聞こえてずるをしてしまわないよう、いつもより少し奥の方へ。
「それじゃあ、咲夜からどうぞ」
お嬢様の許しを受けて、私は雨雲で埋まった空を見上げた。
当然、ゲームというからには真剣にやらなければならない。お嬢様をわざと勝たせようと手を抜こうものなら怒られてしまうし、何より……天気の行く末なんて人間である私に正確に分かるわけがないのだから、そんなことを気にしたって仕方がない。
雨雲の流れと速さを見ながら推測を立てていって。
「四十分後ぐらい、でしょうか。十八時三十分だと思います」
そう予想した。
激しい雨なだけにそれほど長く続きそうにはない。けれど今降り始めたばかりで夜空に雨雲が敷き詰められている以上、三十分は止まないだろうと考えた末での答えだった。
お嬢様は私の答えにうんうんと頷きながら、自信たっぷりに言った。
「私の予想はね……十八時。十八時ぴったり」
果たしてその雨は、一時間もの間ずっと降り続けた。
時計を見て確認したわけではないが、私の能力の性格上体内時計には自信がある。どれだけ間違っていようと五分と差が出ていることはない。
つまりゲームは私の勝ちでお嬢様の負け――なのだが、ちっとも悔しそうな表情も不機嫌そうな仕草も見せたりはしていない。
「そろそろ雨も上がりそうですね」
「そうね。……それじゃあ咲夜、答えを教えてくれる?」
見るまでもないことなのに。なんてことは口にせず。私は懐中時計を取り出してその針を見た。そこに刻まれた時間は、もちろん……。
「……あれ?」
十八時、ぴったりだった。
はじめ、見間違いかと思った。次に思い至ったのは自分の数えた時間が間違ってたのではないかということだった。
そのどちらでもないと思い直した時、ようやく私は――その秒針が止まっていることに気がついた。
「十年前の今日の、十八時ぴったり」
疑問に思う私を前に、レミリア様はまるで手品のタネを明かそうとする子供みたいな表情で。
「私が貴女にその懐中時計をプレゼントした時間よ。……丁度この日にその懐中時計をまた見ることになるなんて、ふふっ、運命かしらね」
とてもおかしそうに笑った。
「その時計ね、もともと十年しか動かないように魔法をかけておいたの。あの時はこんなにも長い間貴女が隣にいてくれるなんて思ってなかったから……だって、使う人がいないのに時計だけ動いてたら、それはとても悲しいことでしょ?」
「……だからお嬢様には十八時にこの時計が止まると分かっていたんですね」
ちょっとずるかったかな、なんて言いながらお嬢様は木の幹から離れ、雨雲の消えた空を見上げた。
つられて私も夜空を見上げる。遮るものの無くなった空には徐々に星が満ち始め、その傍らにうっすらと三日月が浮かんでいた。
「本当に忘れてたわけじゃなかったんだよ」
暗がりの中、背を向けたままお嬢様は言った。
「ただ、驚いただけなの。貴女がまだ持っていてくれてるなんて思わなかったから……こうして十年後の今日も、貴女が隣にいてそれを持っていてくれてるなんて」
背中越しだったから、どんな表情をしていたのかは分からない。
「……だからね、私嬉しいんだ。貴女がこんなにも長い間私の傍にいてくれていることが。同じ思い出の中を生きてくれていることが」
ただ、なんとなく、笑ってくれているんじゃないかと。
「こうして時計の針が止まったとしても、そこに残る物があるんだって、そう思ったの」
あるいは、笑っていてくれればいいと。その後ろ姿を見ながら思った。
くるり、とお嬢様は振り返る。
「うんっ。それじゃ、早く帰ってお夕食にしましょ。フランがきっとおなかを減らして機嫌を損ねてるわ」
さっきの湿っぽい空気はどこにもなく、いつもの不安など消し飛ばしてくれそうな表情でレミリアお嬢様は言った、
「……かしこまりました、お嬢様」
ならば私も私らしく。
お嬢様のお望み通りの私でいることにしよう。
「……ああ、そうだ」
ふと、お嬢様は突然思い出したかのように声をあげて、私にこんなことを尋ねた。
「時計にもう一度だけ、魔法をかけてあげようか?」
それはきっと、悪魔の誘惑。
「今度は十年なんて言わない。もう二度とぜんまいを巻く必要なんてないように。一秒たりともくるってしまわないように。決して秒針が止まってしまわないように。私ならきっと、そんな魔法をかけてあげることが出来る」
きっと、それは本当のことだった。
今望んでしまえば、そんな時計が手に入る。自らの仕事をまっとうし、いつまでも存在を求められて、いつまでも隣にいることが出来る。
かつての私が望んでいた時計が、今目の前にある。
だけど――
「……いいえ」
私は、それを選ばなかった。
「これからは、自分でぜんまいを巻くことにします」
☆☆☆
ちくたく。ちくたく。
今日も時計は盤面の中を回り続ける。
でもその時計は、決して完璧ではない。時間が経つにつれて実際の時間とずれてしまうことだってあるし、ぜんまいを巻く人がいなければいずれは動かなくなってしまう。たとえ巻いてくれる人がいたところで、壊れてしまえばそれでおしまい。
例えどれだけ瀟洒に立ち回ろうとも、時を刻む物である以上終わりへ向かって進まなくてはならない。
けれど。
その時計の盤面を、見ていてくれる人がいるのなら。
秒針が刻む時間を、一緒に過ごしてくれる人がいるのなら。
そんな時間があったという過去が、決して無くならないものだったとしたら。
私は刻み続けましょう。
再び針が止まってしまう、その日まで。
でもお話としては文句なし。すげえ。
しっとりとした雰囲気で今日もよく眠れそうです。
お嬢様と咲夜さんのやりとりすごくいいなあ。
その暗喩が超分かりやすいのも爽やかで、これからも咲夜さんらしく生きていくんだなと感じました。
ネタ自体は定番なのに、見せ方が非常に上手くて「ああ、これが由緒正しきレミ咲だ」とすっきり腑に落ちた気分。これを見逃していたとは勿体無いことをした。