名前:十六夜咲夜
年齢:19
種族:人間
所属:紅魔館
尊敬する人物:霧雨魔理沙
◆
キッチンを出ると、食堂の一角に人だかりができているのが目に入った。
パチュリー様と美鈴を中心に、妖精たちが群がっている。
「……?」
よくよく見ればテーブルの上には見覚えのない小型の機械が置いてあり、同僚たちの視線はそれに釘付けになっていた。
とりあえず持っていたトレイを置き、時間を止めて2人分のお茶を淹れてくる。
「お疲れ様です」
言いながらパチュリー様と美鈴の前にお茶を置く。
「あら、ありがとう」
「お、サンキュー」
それを見たメイド妖精たちが、我も我もと集まってきた。
「あーずるーい」
「メイドちょー、わたしもー」
「もっと光をー」
平メイドたちは不平を漏らすが、全員分入れるのも面倒だ。
あなたたちは自分で淹れなさい。
「ラジオか何かですか?」
「当たりだ」
人差し指を立てて美鈴が言う。
妙に得意げな顔が腹立たしい。
「あと5分で始まるぞ、お前も聞いてけよ」
「あと3分10秒よ」
「こまけーことはいいんだよ」
言いながら、美鈴はパチュリー様の頭を乱暴に撫でる。
グリーンだよー、とうめくパチュリー様はそれに抵抗するも、結局やられっぱなしになってしまっていた。
しかし周りの妖精たちはいつもの事かと静かなもの。
慣れたものだ。
それにしてもすっかり忘れていた。
先月初めに建てられたラジオ塔。
妖怪の山に満ちるありのままの自然をあざ笑うかのような無骨な鉄塔。
それが本格的に稼動し、幻想郷中にラジオ番組を放送できるようになったのだった。
今日はその記念すべき初放送日。
守矢神社主催のトーク番組が放送されるらしいが、ラジオ自体に馴染みのない私にはどういうものなのかが良く分からなかった。
「頭を、ぐしゃぐしゃに、するんじゃ、ないわ!」
「はっはっは、そりゃ悪かった」
「パンチ!」
撫でる手を止めない美鈴に、パチュリー様が拳を放つ。
しかし、座ったままなので威力はない。
ただし、立っていてもそう変わらない。
仲の良い2人だった。
「……そろそろ時間よ」
「んん、おめーら静かにしろー」
はーい、と妖精たちの元気のいい返事を聞き流しつつ、ラジオを見つめる。
テレビじゃないんだから見つめる必要はなさそうだけれど、気分の問題かもしれない。
次の瞬間、わずかなノイズとともにレシーバから軽快な音楽が流れだす。
そして幻想郷の歴史に新たな1ページが刻まれた。
『幻想郷のみなさーん! 祀られるものですよー!!』
おおおお! と、食堂に驚嘆の声が響き渡る。
思っていたより音が綺麗で聞き取りやすい。
河童の技術も大したものだ。
『始めましての方始めまして! そうじゃない方も始めまして! ファンタジック・ラジオ・ライン、FRRの東風谷早苗でございます』
「あ、これ山の巫女さんじゃない?」
「そーなん?」
「そうですね、聞いたことのある名前です」
『 この放送は幻想郷初のラジオ番組として山、森、里、もろもろ人妖隔たりなく皆様の下にお届けしています。 本日この放送は、“そこんとこ教えて、妖怪事情”と題しまして、幻想郷の有名どころの方をスタジオにお招きして、普段どんな仕事をしているのか、どんな生活をしているのか、などなど皆さんが“知りたーい”と思うようなところを教えてもらっちゃおうというコーナーです』
日本語がおかしい所が散見されたが、まあ、意味はわからなくはない。
しかし、話している人間の緊張がこっちまで伝わってくるようだ。
声色がだいぶ怪しく、勢いで何とかしようという魂胆が見え隠れしている。
「がっちがちじゃねーか、大丈夫かこいつ」
「あらやだ、美鈴ったら卑猥なことを」
「……ちっ」
「……」
「……」
「ちょっと無視しないでよ、私だけ痛い子みたいじゃない! ほ、ほら、紅魔館家訓第4条は?」
「……ボケたら拾う」
「そうよ! ちゃんと頼むわよ!」
パチュリー様はちょっと黙っててはくれないだろうか。
『と、言う訳で記念すべき第1回は、な、なーんといきなりの超大物、幻想入りして10と数年、異変騒乱バッチこい、赤い館の吸血ガール、レミリア・スカーレッドさんです!』
『ふふ、皆さん御機嫌よう、レミリア・スカーレットよ、館はレッドだけどスカーレットだからよろしくね』
『あ゛っ、し、失礼しましたレミリアさん』
ラジオからお嬢様のお声が聞こえ、同時に食堂に歓声があがった。
「出た!」
「キター!」
「お嬢様きたー!」
「東風谷ー! 名前名前ー!」
「レミィぺろぺろしたいお!」
「お嬢様こっち見てー!」
そう、ラジオ番組第1回のゲストは、何を隠そううちの当主なのだ。
ゲストの件に関しては、スポンサー特権よ! とお嬢様は鼻息を荒くしていらっしゃったが、実際問題適役なのだろう。
外のラジオを知っていて、そこそこ以上に知名度もあって。
そして、どさくさにまぎれてパチュリー様が寝言をほざいていたが、皆一様に聞かなかったことにしていた。
本当に誰一人として反応しない。
この辺の団結力が紅魔館の強みなのかもしれない。
『おほん、さてさてレミリアさん』
『はいはい、なにかしら?』
『“そこんとこ教えて、妖怪事情”という番組名通り、レミリアさんのお仕事や私生活についてちょーっとだけ教えてほしいのですが』
『企業秘密以外なら何でも答えるわ、なんでも聞いちゃってー』
『それじゃあまずレミリアさんといえば紅霧異変ですが、そもそも発端はなんだったんですか?』
『んーと、そうねー』
まあ、インパクトで言えば吸血鬼異変の足元にも及ばないけれど、ラジオ番組で話すような内容じゃない。
『今だから言うけど、あれ紫に頼まれてやったのよ』
「あ? これ言っていいのか?」
美鈴が誰にでもなく話しかける。
確かに、グレーな内容かもしれない。
「大丈夫よ、紫には了承もらってるから」
と、パチュリー様が親指を立てた。
なぜだろう、別におかしな動作ではないのにこの人がやると非常に腹立たしい。
壊滅的に似合っていない。
いっそ不快と言ってしまっても差し支えないほど。
「……んなこといつのまに」
「このあいだよ、美鈴聞いてなかったっけ、あと咲夜、他人の表層思考くらい魔法で読めるから」
「パチュリー様は聡明なるお方、人の心に土足で踏み入るような真似はいたしません」
「ぷっぷくぷー」
……イラッ
『ええー!? そうだったんですかー!?』
『スペルカードルール普及のためにね、なるべく大規模で、実害がなくて、誰がやったか分かるようなのって無茶振りされたわ』
『ははー、それで霧を、と』
『ええ、洗濯物乾かなかった人はごめんなさいね』
番組は続く。
DJだかパーソナリティだかよくわからないが、全体を通して山の巫女が質問をしてお嬢様がお答えになる、という形で構成されていた。
単純な構成にもかかわらず不思議と飽きはせず、気がつけば結構な時間が経っていた。
『では休日は料理なんかもなされると』
『ええ、外へ行き来できるもの、秋刀魚とかよく庭で焼いて食べるわ』
『大根おろしとポン酢でですか?』
『スダチと胡椒よ』
『つ、通ですね』
妖精達の歓声、美鈴のツッコミ、パチュリー様の妄言など挟まなくて良いものまで挟みつつ、番組も終盤を迎える。
なぜだれも静かに聞こうとしないのか。
ちなみに秋刀魚もスダチも紅魔館経由で輸入しないと手に入らない。
商売上手な吸血鬼だった。
『さて、名残惜しいですが“そこんとこ教えて、妖怪事情”、おしまいの時間が近づいてまいりました』
『あら、あっという間だったわね』
『なお、番組ではリスナーの皆様からのご意見ご感想を随時募集しております』
『どこに送ればいいのかしら』
『はい、投稿はお近くの妖怪ポストか新聞配達の天狗さん、あるいは守矢神社まで直接お願いしまーす』
『番組に出てみたい、とかこういう企画やって欲しい、とかもありかしら』
『ありありですよー、じゃんじゃん送っちゃってくださーい』
時計を見たら1時間近く経っていた。
本当にあっという間だ。
パチュリー様風に言うなら『レミィの話術マジパネェ』と言ったところだろうか。
「レミィのトークスキルは世界一ィ!」
……惜しかった。
「お前ホントお嬢のいないとこだと馬鹿丸出しだよな」
「うるさいわ」
『はい、それじゃあレミリアさん本日はご多忙なところをありがとうございました、次回はレミリアさんのご友人、射命丸文さんが登場します』
『こちらことそ楽しかったわ、また呼んでちょうだい』
『ぜひともお願いいたします、それでは皆様また来週、金曜午後6時にお会いしましょう』
『お聞きの逃しのなく』
『この放送はFRR、ファンタジック・ラジオ・ラインがお送りいたしました、それではまた! ぷっぷくぷー!』
『ぷ、ぷっぷくぷー』
シンクロニシティ?
◆
「あー、終わっちゃったー」
「もうなのー?」
不満たらたらな妖精たちに持ち場に戻るよう指示すると、私も用事の途中だったことを思い出した。
置きっぱなしにしていたトレイを持ち、食堂を後にすることにした。
「あれ? 咲夜夕飯まだだっけ?」
「……ちょっとね」
「ふーん」
美鈴を適当にあしらい今度こそ食堂を出ると、後ろから声が聞こえてきた。
「食べ盛りなのよ、察しなさいな」
「ここで食えばいいじゃん」
「乙女なのよ、察しなさいな」
「そんな何もかも察せねーよ」
なにやら勝手なことを言われているが、まあいいか。
私はご飯と味噌汁の乗ったトレイを手に、地下室へと向かった。
重厚な鉄扉の前に立つ。
あちこち傷だらけのその扉は、それでも今までただの一度も破られたことはない。
パチュリー様謹製の特殊装甲で守られているからだ。
時を止め、扉の鍵を開ける。
万に一つも、中の人物が外に出ないように。
かつて妹様が使用していたこの地下室は、今はこの女のためにあった。
「起きなさい」
「うぐ……」
両手は後ろで縛られ、両足は正座の形で固定され、その人物は前のめりに倒れながらうめいている。
地面とキスでもしているようだ。
何日も風呂に入れていない上に、排泄物も垂れ流し。
そのせいか部屋には異臭が立ち込め、おおよそ衛生といったものからは縁遠い状況となっていた。
「えさの時間よ」
「……」
大型犬用のえさ皿を部屋の隅から持ってくると、トレイに乗せていたご飯を移す。
さらにその上から味噌汁をかければ、猫まんまの完成だ。
しかしこれを食べるのは、犬でも猫でもなかった。
「お腹空いたでしょう、魔理沙」
「……うぅ」
「少し冷めちゃったけど、残さず食べるのよ」
口元にえさ皿を持っていくと、魔理沙は迷うことなくかぶりついた。
もちろん両手は固定したままなので、口だけで食べることになる。
最初こそ意地を張っていたが、最近は本当に素直になった。
「知ってる? 今日ラジオが始まったのよ」
「……げほ、ラジオ?」
「離れたところの会話をみんなで聞くの」
「通信機か」
「ちょっと違うわ、娯楽品よ」
「そうか」
魔理沙はそれだけ言うと食事を再開した。
こんな目にあっているのに、受け答えはしっかりできるらしい。
腐っても魔法使い、その根性はさすがと言ったところか。
「……」
「お粗末様」
それだけ言い、えさ皿をそこらに放り投げた。
もうここに用はない、戻るとしよう。
「咲夜、待ってくれ」
「待たないわ」
「ああ、頼む、本当にすまなかったと思ってる、もう二度としない」
「聞き飽きたわ、あなたは改心なんかしない、何度でも繰り返す」
「本当だ、誰にだって知られたくないことぐらいあるって事は痛いほど身に染みたんだ」
「これで分かってなかったら脳みそを溶かしたバターと交換したほうが良いわ」
「頼む、頼むよ、本当に申し訳なかった、2度とPADだなんて言わない」
蹴った。
「痛っつ、あ、いや、今のは」
「黙れ」
もう一回蹴った。
「……っ」
「いい魔理沙、前にも言ったわよね」
「あ、ああ、そうだった、お前が怒ってるのは紅魔館に侵入したことについてだ」
「ええそうよ、あと館を壊して美鈴に怪我させて勝手に私の部屋を漁った事よ」
「ああそうだ、それ以外には何もない、本当にすまなかった」
「分かってるとは思えないわ」
「そんなことはない、どうやったら伝わるんだ」
「伝わって尚これよ」
「なんてこった」
私は1度トレイを置くと、魔理沙の油ぎった髪を掴み上げた。
「いい? これは罰なの、反省して当然、後悔して当然、そしてそんなこととは無関係に続くの」
「……そんな」
このとき初めて、魔理沙の顔が弱気にしおれた。
眉をゆがませ目をそらし、今にも大粒の涙がこぼれそう。
その姿に満足し、私は部屋を後にした。
◆
「ああ咲夜、いいところに来たわね」
翌日、山盛りの洗濯物を抱えて廊下を歩いていると、不意にお嬢様に呼び止められた。
しかしながら私の視界の半分は回収した衣類にうめつくされていて、声のする方向にはパチュリー様の勝負下着しか見えない。
こういうのどこで買うのだろう。
「そこにおいでですか、お嬢様」
「午後から神奈子たちが来るわ、あなたも同席なさい」
「かしこまりました」
それだけ言うと満足したのか、お嬢様の気配が消えてなくなる。
同時にかすかに聞こえるパサリという音。
何かと思って洗濯物かごを置いてみれば、お嬢様のお召し物1式が廊下に落ちていた。
「……」
霧になって飛んで行ったらしい。
そしてこれは洗っておけということらしい。
やりたい放題だった。
洗濯と掃除とランチを済ませ、大広間へと向かう。
普段はお嬢様の謁見などにも使う部屋なのだが、テーブルと椅子を用意すれば会議室にもなる。
さて、山の神様とその巫女さんが一体全体何の用だというのだろう。
やはりあれか、例のラジオか。
「まあ、その通りだ」
「かけなさい咲夜」
あまりにも堂々と答える神奈子にあくまでもマイペースなお嬢様。
そして苦笑いしかできない巫女さん。
3人にお茶を配り、自分も席に着いた。
カエルの神様はいないらしい。
「新番組を作りたいんだって」
「はぁ」
なんとなくそんな気はしていたので、2人が来る前にいろいろと調べてはおいた。
「やはり手っ取り早いのは音楽番組でしょうか、外の音源はクオリティの高いものばかりですし、権利団体もここまで追ってはこれません」
「ああ、悪くないね、諏訪子もそういっていたよ」
「さらに曲を紹介するだけでしたらスタッフ側の労力も最小で済むでしょうし、ネタに困ることもありません」
『外の音楽』という新規需要が生み出せれば、輸入業もさらに活性化する。
里の連中にCDを買わせてやろう。
そしてもろもろの利権は紅魔館が総取りする。
「宗教における集団心理のコントロール術にも音楽を使ったものもあります、もっともこの辺りはそちらの方がお詳しいのでしょうが」
「はは、それは密室で長時間単調な……、ああ、いや続けてくれ」
「はい、さらには外の世界でいうところの有線放送というシステムを確立できれば、その放送はすべて山の電波塔から行うことになるでしょう」
「ああ、店の中で音楽を垂れ流しにするやつか」
「はい、慣れない曲調が浸透するまでどの程度の期間がかかるかは予想の難しいところではありますが、元より独占事業、外の世界で流行ることはやはり流行るかと思われます」
「ふーむ」
神奈子は口に手を当て考える素振りをする。
その割にはジロジロと嘗め回すように私を見てくるのが気になるところだけれど。
「他には?」
「はい?」
「音楽番組の他にはあるかい?」
机の上で指を組み、こちらの瞳をまっすぐに見つめてくる。
口元が隠れて見づらいが、端が吊り上っていることは見て取れた。
ちらりと横を伺ってみると、お嬢様も似たような顔つきでこちらを覗いている。
無駄に緊張するからあまり見ないでほしい。
「通販はどうでしょう、文化レベルを上げすぎない程度の外の物品を紹介、カラス天狗がお届け」
「悪くないな、だが八雲ともすり合わせが必要だ」
「リスナー参加型の企画はどうですか? 『そこんとこ教えて、妖怪事情』でも質問を募集していたようですが、あれはあくまで補助的な意味合いに聞こえました」
「それもいいな、次はラジオネーム『ミセス・ケロちゃん』さんからのお便りってな」
「むしろリスナーに質問して面白いものを採用する形式になりますね、付いてこれるかどうかわかりませんが」
「そこはそれ、脚本とパーソナリティの腕の見せ所さね」
「ニュースはどうでしょう、天気予報や行楽情報などを一元化します」
「それは残念だが出来そうもない、新聞が売れなくなる」
「笑えませんね」
「ああ、笑えない」
「人生相談、法律番組、ご近所トラブル解決」
「得意中の得意だ」
「DJ八坂様の誕生でしょうか」
「読むのは天狗にやらせるさ」
「あとはやはりエロですね」
「……なに?」
「ラジオ文化自体がまだまだ未発達ですから、手っ取り早くリスナーを増やせるかと」
「深夜帯に猥談か、それは今まで出なかったな」
なんでしたらウチの色ボケ魔法使いを貸し出します。
「しかしまあ、よくもそんなにすぐ思いつくものね」
「ああ、神社でブリーフィングした時は同じもの出すのに1晩かかったぞ」
お嬢様と神奈子が感心したように言う。
巫女さんに至っては口が半開きだ。
そんな顔をしないでほしい。
こっちだって今朝お嬢様に言われてから慌てて調べたのだから。
「うちの巫女は優秀ね」
と、お嬢様は言う。
「それに比べてこっちのメイドは」
と、神奈子が言う。
誰が巫女か。
「え? 諏訪子様にメイド服ですか?」
「違う、何もかもが」
「どちらかというとスク水の方が」
「お前少し黙ってろ」
なんだこの子は、ふざけているのか。
「話を戻すが、猥談は興味深い、いや変な意味じゃなく」
「わかってるわ神奈子、確かに盲点だった、さすがは10代の女の子ね」
「お嬢様、その言い方は」
「あら失礼」
などと言いながらお茶を飲み干す。
謝る気はゼロらしい。
別にいいけれど。
「えーと、あー、メイド」
「申し遅れました、十六夜咲夜と申します、以後お見知りおきを」
「ああ、咲夜、外で放送された猥談中心の番組はどんなものがあった?」
「それでしたら直接聞いていただいた方がよろしいかと」
時を止め、テーブルの上にラジカセを持ってきた。
河童製ではない、外から持ち込んだものだ。
「実際に外で放送されていたものです」
驚く神奈子を尻目に、カセットテープを再生させた。
よく知らない芸能人が、素人の新婚夫婦相手に夜の生活について赤裸々に語らせている。
「……結構生々しいですね」
そう言ったのは巫女さんだ。
名前はなんだったか。
確か、昨日のラジオで言っていた気がするけれど。
こちや、なんとか。
「これどうしたの? 咲夜の?」
「いえ、パチュリー様の私物です、無断で拝借いたしました」
「不問に処すわ」
「ありがとうございます」
番組が終わる度にカセットテープを交換し、持ってきたものをいくつか聞き終える。
一応方向性の違うものを選出したつもりだ。
「なるほどな、参考になった」
「咲夜、サンプルはこれで全部なのかしら」
「いえ、同様のものが棚1つ分ありました」
「そんなにこのセクシー・オールナイトってシリーズがお気に入りなのかしら」
個人的な趣味か魔女としての性か。
パチュリー様のエロ関係への情熱にはおおよそ底というものがない。
グッズ収集に飽き足らず技能的な分野へもその食指を伸ばし、『48種類全部できるのよ』などとよく自慢している。
挙句の果てには美鈴に性転換魔法をかけて襲いかかるという暴挙にまで出る始末。
私に手を出さないのは彼女なりの倫理なのか。
お嬢様に手を出したら刺すべきか。
それ以前に今現在純潔を保っているのか。
「咲夜、ちょっと咲夜ったら聞いてる?」
「あ、はい、なんでしょう」
「だから、あの子と一緒に里の需要をリサーチしてきてほしいのよ」
「……あの子?」
嫌な予感というかなんというか、そういうことなのだろう。
ニコニコとアホ面で笑みを浮かべる巫女さんは、手のひらをこちらに向けていた。
「よろしくお願いしまーす☆」
「…………よろしく」
テーブル越しに手を握り、私は深いため息をついた。
「つまり、どんな番組が聞きたいか実際に聞いて回るということですか?」
「ええ、予想や統計も大事だけれど『生の声』っていうのも雑には扱えないものなのよ」
「左様ですか」
「頼むぞ咲夜、我らがやるよりも人間同士の方がいくらか口も開きやすかろう」
まあ、言わんとすることはわかるけれども。
「しかしながら、人間の身で妖怪に仕える私では逆に警戒される恐れもあります」
「妖怪の身で妖怪を束ねる私より?」
「神の身で妖怪を束ねる我よりか?」
「……せめて、人を使うことをお許しください」
「うむ、よかろう」
あなたには聞いてません。
「だいじょーぶです! その為に私がいっしょに行くんですから!」
お前は黙ってなさい。
「お願いね咲夜、あなただけが頼りよ」
……まあ、仕方あるまい。
別に無理する必要もないし、ほどほどに成果を出したら切り上げよう。
私は席を立ち、スカートの裾を摘まみながらお嬢様にこうべを垂れた。
「かしこまりましたお嬢様、この咲夜、俗の身ながらも全力にて」
「うん」
ニコニコと笑うお嬢様。
それとは対照的に、神奈子は獲物を狙う蛇のような目をこちらを向けていた。
その表情は玩具を欲しがる子供の様だ。
「あげないわ」
「ぷっぷくぷー」
笑みを絶やさないお嬢様に、神奈子はおどけて返した。
というか、もしかしてそれは流行っているのだろうか。
◆
「じゃ、よろしくレミきゅん」
「OK、カナりん」
と、あまり聞きたくなかった挨拶を交わして神奈子は山へと帰って行った。
いや、確かに山へと帰って行ったのだが、これだと野生動物が巣に帰ったみたいに聞こえてしまう。
まあいいか。
お嬢様はそれを見送りに行き、この場には待つように言われた私と巫女さんだけが残された。
「えへへ、がんばりましょうね」
「そうですね」
そんなことよりもこっちだ。
これと一緒に里を回らなければならない。
お嬢様のご命令とあらば致し方ないが、はっきり言って1人でやった方が効率がいい。
「さーって、メイドさん」
「なんですか巫女さん」
「聞いての通りです、里へのラジオ普及のため、顧客の声をリサーチに行くのです」
「左様ですか、しかしながら私はあまり里の情勢に詳しいわけではないのですが」
紅魔館で暮らしている限り、里との交流はほとんどない。
生活物資は『外』から持ってこれるし、輸入品の売買も向こうが持ってくる台車に載せるだけ。
ぞろぞろと護衛をつけて物資を運ぶ様子はなかなかに壮観だが、その辺の管理はすべて美鈴が行っているため私はろくに人と話すことすらない。
「あー、私もときたま買い物に行くだけでほとんど寄り付きませんね、後はお寺の敵状視察くらい?」
「仲悪いんですか?」
「……まあまあです」
誤魔化すように言う。
深入りするべき事ではないだろう。
「しかし困りましたね、博麗さんはどうですかね」
「まあ、私たちよりは里とも友好的な関係を築いているでしょうが……」
と、そこまで言って気づいた。
いるではないか、適任が。
「巫女さん、いえDJ」
「DJ!?」
「こちらでしばしお待ちください」
「え? あのDJって」
皆まで言わせず時を止め、例の部屋へと移動した。
「魔理沙」
「うお? 今日は早いじゃないか」
上目使いにこちらを覗き込みながら、にやりと歯を見せて笑って見せる。
本当に、どういう神経をしているのだろう。
何日も監禁され、散々な屈辱を味わったはず。
この状況で、この環境で、どうして笑えるのか。
「そろそろ許してあげようと思って」
「あ、本当か!?」
「ええ、いい加減反省もしているみたいだし」
「ああ、マジで悪かったよ、2度としない」
「ほんと頼むわよ、それと1つ条件があるわ」
「ああ、何でも言ってくれ」
向こうは軽口のつもりだろうが、こっちは割と本気であてにしている。
変に嘘をついても意味はないと判断し、ラジオについてのあらましを説明した。
「OK、乗った」
「……」
即決即断。
判断の早い奴だった。
魔理沙を繋いでいた拘束を解き、部屋を片付けた。
時間を止めてやった為、魔理沙には一瞬のことに思えただろう。
「うおっ、すげーな、どうやった?」
「企業秘密よ、いえ、企業秘密です」
「あん?」
「シャワーを用意してあります、どうぞこちらへ」
「ああ、そういうことか」
勝手に納得した魔理沙を立たせ、シャワールームへと案内した。
若干ふらついていたが、たぶん大丈夫だろう。
「DJ、朗報です」
「あの、私はDJではなくパーソナリティなんですが」
「DJ、私はこの呼び方が気に入りました、私たちの友好を深める意味を込めてこう呼ばせてください」
「メイドさんはもしかしてボケなのですか?」
紅魔館家訓第6条、不思議ちゃんにはツッコムな。
私を誰だと思っている。
貴様程度ではメイド妖精の足元にも及ばないし、パチュリー様の影すら踏めない。
「協力者ですか」
「霧雨魔理沙と言います、ご存知でしょうか」
「ご存知も何も有名人じゃないですか、一応面識もあります」
「左様でしたか」
それは話が早くて助かる。
ツッコミは魔理沙に全部任せよう。
「若干14歳にしてプロのトラブルバスター、森の妖怪くらいなら単身で狩ると聞いてます、流石に天狗は無理でしょうが」
「よく御存じで」
「まあ私も18ですがね、メイドさんは?」
「19です」
当然ながら紅魔館最年少だ。
まあ、メイド妖精たちを150億歳とカウントするならの話だが。
宇宙誕生の時からいるらしいし。
「ところがどっこい山の最年少は私ではないのです、去年河童の赤ちゃんが誕生したのです」
「そうですか」
「小っちゃいお皿がキュートでした」
「それは何よりで」
などと雑談に興じているうちに、魔理沙が部屋に入ってきた。
「お、ここだったか、迷っちゃったぜ」
「あ、まりりんちーっす」
「よう、さっちゃん、それにさっちゃんも」
面白い冗談だった。
「誰がさっちゃんですか」
「そう青筋を立てていきり立つなよさっちゃんB、10歳は老けて見えるぜ」
「よくもそこまで滑らかに嘘がつけますね」
「はっ、不可能を可能と騙すのが魔法の神髄なんだぜ」
そんなことは知らない。
「先ほど話した通りです、私たちは新たなラジオ番組を作らなければなりません」
「ああ、嘘はつくけど約束は守るぜ、男と男の約束だもんな」
「さしあたってどうでしょう、地道に聞いて回るにしても効率というものがあります」
「ボケたら拾うのが紅魔館の家訓だってパッチェさんが言ってたぜ」
「え? 紅魔館もそうなんですか?」
「本当に息をするように嘘をつく」
「いや嘘じゃねーよ! お前が知らないわけないだろ」
「え? え? どっちなんですか?」
「DJ、これは信用の問題です、信じたい方を信じてください」
「じゃあメイドさんで」
「なんでだぜ!」
「私にも立場というものがあります」
「これだから宮仕えは!」
宮仕えの意味をはき違えている。
無学なサルはこれだから。
「で、魔理沙、あてはないでしょうか、まとめてたくさんの意見を取り入れられるような場所は」
「寺子屋とかどうですか? あそこの先生と話してみたかったんですよ」
「ガキしかいないぜ?」
「満月の夜に変身するとか乙女心をくすぐられますし」
「人の話聞いてないぜ、寺子屋行くくらいならお寺さんの方がいくらか有意義ぜ?」
有意義ぜ? ってなんだ。
「異教のカス共に頭なんか下げられるか!」
「でかい声出すんじゃないぜ」
「テーブルを叩かないでください、それと私プロテスタントなんですが」
「……失礼しました、この話題はやめましょう」
「それがいいぜ、ちなみにうちの実家は仏教だ」
「寺子屋も命蓮寺もダメならどこが残っているでしょうか」
「商店街ならいつでもある程度の人がいるぜ?」
「悪くはないですが、どういう聞き方したらいいですかね」
「あー、そりゃどんなのが聞きたいかを……いや、それじゃピンと来ないか?」
「むふー、そもそも昨日の放送聞いてくれた人どのくらいいるのでしょうか」
「あたし聞いてないぜ」
「あ、そうだったんですか、じゃあ1回聞いてもらった方がいいですね、神社にデータはあるのですが取ってくるのも時間かかりますね、紅魔館で録音とかしてませんか?」
「……」
「メイドさん?」
「どうしたさっちゃんB、さっきから黙っちゃって」
……今更気が付いた。
これ、無理がある。
里の人間にリサーチをかける。
ラジオ初放送が昨日。
確かに新聞やらなんやらでだいぶ前から周知はしていた。
週末の午後という時間帯も聞きやすい時間かもしれない。
受信機だってタダ同然でばらまいた。
聞いてくれた人も少なくはないのかもしれない。
だからって、昨日の今日でこれはどうなのだろう。
リスナーからすれば、前例が1件しかないのだ。
アイディアなど出せようはずもない。
出たとしても机上の空論。
それでも、お嬢様や神奈子からすれば貴重な情報なのかもしれないが、もう1、2か月待ってからでも遅くはないんじゃなかろうか。
昨日は聞いてなかった人も、来週は聞くかもしれない。
音楽番組でもなんでもいいから手当たり次第に放送し、聞く側もセオリーを理解してからの方が発想の幅も広がるだろう。
それとも、番組の制作とは私の想像以上にコストのかかるものなのだろうか。
不人気な番組は決して許されないレベルで?
だとしたらなぜ2人でやれなんて言う?
もっと確実な方法はあったはず。
魔理沙を起用したのは私の判断だけど、魔理沙が話に乗ったのはたまたまだ。
たまたま、私に逆らえない状況にいたから。
運命操作?
いや、それにしても―――
「ギリギリチョップ!」
「あう!」
DJに頭をどつかれた。
思わず変な声が出てしまった。
「なに1人で盛り上がってるんですか」
「あ、すいませんDJ」
「頼むぜB、それとDJってなんだぜ」
「AでもBでもDJでもいいですけど、私らはこの無茶ぶりをこなして結果を出さないといけないのです」
「しかし、あまりにも効率が」
「効率どうこうよりもまずはやってみましょう! そもそもそういう趣旨だったはずです!」
「そうかもしれませんが、見切り発車で事をなすことはできません、事前に計画を立てるべきです」
「埒が明かないって結論になったじゃないですか」
「それは、そうですが……そうでしたっけ?」
「ならばGOです! グジグジ考えてないでいっぺんやってみろってセロテープ作った人も言ってたじゃないですか」
誰だそれは。
「せろてーぷってなんだぜ?」
「さあ行きますよ2人とも! とその前にメイドさん」
「……なんでしょう」
「昨日の放送録音してませんか?」
◆
幻想郷の里は1つではない。
大小さまざまな里が郷中にひしめき合い、その数は10に届くか届かないかといったところだ。
「私あんな声してたんですね」
「声が緊張しまくりだったぜ」
「うるさいですねー、私だからあれで済んでるんですよ」
「レミリアがなんだって?」
「レミリアさんは役者が違いますよ」
「社交界でスピーチするよりは楽だとおっしゃっていました」
「マジすか」
私たちは今、妖怪の山にいちばん近い、俗にふもとの里と呼ばれる所に足を運んでいた。
この里は幻想郷の中で最も妖怪が出入りする里の1つで、ここならばDJの顔見知りが少なからず存在するし、私への風当たりも比較的マシなものになるだろうという理由だった。
「それにしてもさっちゃんBってメイド服以外を着ると死ぬんじゃなかったのか?」
「今までメイドさんと呼んでいたことが裏目に出ましたね」
「なにがどう裏目なのかはわかりませんが、私だってあの恰好で外を出歩いたりはしません」
基本的には、と注釈がつくけども。
悪目立ちするわけにもいかないので、今は私服に着替えている。
和服はないため洋服だが、最近は里でも着ている人は少なくない。
「しかしありえないぜ」
「悪かったですね」
「お前のファッションセンスがじゃねーよ、こんな美少女が3人もいるのに誰も寄ってこねーことがだよ」
「3人? 私とメイドさんとあと誰ですか?」
「このブロンド美人が見えねーってか? さっちゃんAよぉ」
「若干匂うからでしょう」
「あー、言われてみれば」
「誰のせいだ!」
商店街に着いてからは3人バラバラで活動を開始した。
他の2人は知らない人に話しかけることに抵抗がないらしく、そこらへんにいる里の住人に笑顔で話しかけている。
素直に感心した。
いや、感心というかもっとこう、すごいと思った。
人と交わることもスキルの1つ、とパチュリー様に教わったのはいつだったか。
人と話すのがそんなに難しいわけがない、とその時は心の中で一笑に付していたが、いざやろうとすると軽く足がすくむ。
もしかしたら『交わる』の意味が違うかもしれないが、気づかないふりをしておこう。
道を行き交う見たこともない人たちに話しかけ、情報をもらう。
やるしかない。
やるしかないのだが、怖い。
遠くの方でDJがケラケラ笑いながら魚屋の店主と話しているのが見えた。
話が終わったのを見計らってDJに聞いてみると、別に知り合いでもなんでもないという。
「あー、人見知りっぽいですもんねー、無理しなくてもいいですよ?」
「そういう訳にもいきません、何かコツのようなものがあればご教授願えませんでしょうか」
「……メイドさん、私は巫女としての務めを果たすために『こういうこと』をよくします」
「布教活動、でしょうか」
「それもそうですが、それだけではありません」
神は人と人との関わりの中にいる。
信者の数が力であり、友人の数が誉れであり、知人の数が寿命である。
だから、躊躇えない。
DJはそう語る。
「私にとってはですね、人前でどもってうまくしゃべれなかったり知らない人に変な目で見られることよりも、そんなことにビビッて足を止める事の方が恥ずかしいのです」
「……」
「これは失敗が許される務めです、躊躇う理由がありません、だからGOです」
「……DJ」
「はい」
「私、守矢に改宗します」
「あは、ありがとうございます、まあラジオで司会やるよりは簡単ですよ」
DJの激励を背に、私はその場を後にした。
ありがとうDJ、気合は入った。
そして1人でやった方が効率いいとか思っててすみませんでした。
なんとなく最初は年の近い女性で慣らしていきたいなどと思っていたが、やめた。
それでは不肖この十六夜咲夜、生まれて初めての逆ナンと行きましょう。
◆
そして2時間後、約束していた茶屋で落ち合った。
「大丈夫かお前、顔青いぞ?」
「そうみたいですね、大丈夫ですかDJ」
「いえ、あなたのことですよメイドさん」
「そうだぜ」
「……そうでしたか」
言えない。
2時間中の1時間半を相手探してうろうろしていたなんて言えない。
死地に赴く気概で話しかけた人が里の自警団の人で、『吸血鬼の手先め』的なことを言われて残り時間ずっとへこんでいたなんて言えない。
やっぱり女子供を相手にすべきだった。
大人の男の人怖い。
助けて美鈴。
「さーて、それじゃあ成果発表と行きましょう」
ビクッ。
「とりあえず若いやつら中心に聞いといたぜ、ていうかほとんどの奴がラジオ聞いてない」
「あー、やっぱりそうですか」
「あ、でも自警団の連中が結構聞いてたな、妖怪の情報欲しいって」
「うむむ、そういう使い方もされますよね、わかってたことですが」
「要望としちゃーそうだな、一言で言うなら『知られざる妖怪の生態』特集組んでほしいってとこか」
「ずいぶんストレートな物言いですが、要するに敵の情報が欲しいと」
「ま、そういうこった」
「もうちょっと平和な意見はなかったんですか?」
「人里の紹介番組が欲しいってのがあったぜ、あっちの里のラーメン屋が評判いいだとか、こっちの里の商店で新発売だとか」
「あー、なるほど、いい感じですね」
「あたしも忘れてたんだが、里の人ってのは意外と他の里に行かないもんなんだ」
「まあ道中危険ですしね」
「あたしはその辺フリーパスなんだがな、山とか丘とかじゃなけりゃ」
「山には来たじゃないですか」
「異変中は特例さ、こいつを振りかざせばとどめは刺されない」
「スペルカードですか、なんだかんだ言いつつ普段使ってる人いませんよね」
「ま、あたしからはこんなもんさ、そっちは?」
「私の方はですねー、老若男女広く浅く当たってみました」
「結果は?」
「誰もラジオ聞いてません」
「だよなー」
「100人くらいに聞いたんですけどねー、ゼロでした」
「1人1分強かよ」
「何人か固まってるところでまとめて聞きましたからね、こういうのは得意です」
「流石だぜ」
「ラジオの存在自体は聞いてるみたいなのですが、夜の6時って普通に仕事とか家事とかしているみたいで」
「ふーん」
「やっぱりもっと遅い時間の方がいいのでしょうか」
「ところでさっちゃんB、息してるか?」
「……」
「ま、まあメイドさんの成果は今度にしましょうか、まだ日も落ちてませんし、もうひと頑張りですよ」
「ああそうだな、また2時間でいいか?」
「申し訳、ありません」
「あ、いや、ですから、じゃあ2時間後にここで」
だめだ。
うやむやにだけは、してはいけない。
「1人にしか、聞けませんでした」
「……人には向き不向きがあるぜ」
「そうですよ、まあその1人はラッキーだったと思えば」
「死ね人類の敵め、と」
「Oh……」
「当然だろ」
「ちょっと!」
「お前そう言われるの覚悟で来てたんじゃないのか?」
「……」
「だからって女の子に言っていい言葉じゃありません!」
「よかったじゃねーか、嘘偽らざる本音が聞けて」
「やめてください魔理沙さん!」
「なんだ、まりりんって呼んでくんねーのか」
DJはかばってくれているが、どっちの言い分が真っ当かわかる程度には私は冷静だ。
分かっていたことが起きて、勝手にへこんでいるだけなのだ。
「ありがとうございますDJ、しかしこれは私の問題です」
「信者の問題は私の問題です、解決しなければなりません」
「お気持ちは嬉しいのですが、そのために足並みが揃わなくなってしまったら本末転倒です」
「お前いつからモリシタンになったんだよ」
「いいですかメイドさん、掃除洗濯が一夕一朝では上手くなれないように、初対面の方と笑顔で接することも簡単ではないのです、相応の訓練が必要なことなのです」
「それはまあ、そうなのかもしれませんが」
「いやだからいつの間に信者になったんだよ」
「それがご自身の問題だとおっしゃるならそれもいいでしょう、ですがこれは1人で解決しなければならないことでしょうか、もっと効率のいい方法はないでしょうか」
「……」
その通りだ。
自力ではもう、すでに2時間もかけてやっているのだ。
同じことを繰り返すのは効率的ではない。
ならどうする?
聞くは一時の恥。
重要なのは命令の遂行。
ここはDJに頭を下げ、教えを乞うのが最短ではないか。
そして後でお礼に特大のケーキでも作ってプレゼントしよう。
「DJ、私1人では知らない人に話しかけることができません、協力してくださいませんでしょうか」
「『プリーズ』が足りません」
「はい、どうかお願いします」
私は立ち上がり、静かに頭を下げた。
ちらっと見えたDJの目は、驚くほどに冷たく鋭く、どこか蛇のような印象を受けた。
しかしそれも一瞬のこと、すぐに柔和な顔に戻る。
「お任せください! この現人神、信者に頼られて時こそ真価を発揮するのです、必ずやメイドさんを営業のできるメイドさんに変えて見せましょう、『ほんとの私、デビュー』です」
「よろしくお願いします」
私はDJと手を取り合い、新たな領域への挑戦を決意した。
さあ、第2ラウンドだ。
「よくわかった、お前らあたしのこと嫌いなんだな?」
◆
逢魔が時のふもとの里を、巫女とメイドが2人で回る。
狙いは仕事上がりのお父さん方。
DJは上空10数メートル地点まで飛び上がりキョロキョロと辺りを見回したかと思うと、私も来るように手招きする。
「見えますか? あそこに集団で歩いている人たち」
「……はい」
DJの指差す方を見れば、若い男たちが7~8人固まって歩いているのが見える。
誰もが農具と思しきものを所持しており、くたびれながらも充実感にあふれた顔をしている。
「農作業帰りの方たちでしょう、彼らに話を聞いてみたいと思います、ていうかメイドさんよく表情まで見えますね」
「視力両目とも2.0なので」
「すごいじゃないですか」
訓練とブルーベリーの賜物です。
「ところで今何時ですか?」
「……5時20分です」
「いい感じですね、昨日もこの時間に家路についていてくれたら」
「聞いている公算大、ですか」
「ですです」
「いいですかメイドさん、若い男の人には多少バカっぽいキャラの方が受けます、変に恰好つけないでください」
「ぜ、善処します」
「善処ではだめです、やってください」
「了解です」
それだけ言うと、集団の先頭の方へと降下していった。
私も慌てて後を追う。
「お父さん方お疲れ様でーす、ファンタジック・ラジオ・ラインの東風谷早苗と申します」
「お、同じく、十六夜咲夜と申します」
うわ、ほんとに迷わず飛び込んだ。
「お? なんだい嬢ちゃんたち」
「えっへっへー、昨日からラジオの放送している者なんですが、この中に聞いてくれた方とかいらっしゃいませんかー?」
2人で話していた時よりも、3割ほど声が大きい。
これもあれか、テクニックなのだろうか。
「あ、おれっち聞いたぞ、『そこんとこなんとか』だろ」
集団の端にいた比較的若い、と言っても私たちよりは年上であろう青年が声を上げた。
その瞬間、DJの目の色が変わった。
獲物を見つけた、ハンターの目だ。
「うわー! ありがとうございます! 私司会やるの初めてだったんですけど、変じゃなかったですか?」
「あ、ああ、よかったと思うよ」
至近距離。
DJは触れ合いそうになるほど青年に近づき、嬉しくて嬉しくて堪らないといった表情で顔を覗き込んだ。
さらに互いの身長差を利用し、上目づかいで泣きそうな顔に変化させる。
これは私にもよくわかる。
よくフラン様が美鈴にやっている奴だ。
この後どうなるかも予想できる。
「う、ううー」
「わ、な、ど、どうした」
「うわーん!」
「うひゃおうわ!!?」
DJは青年に飛びつくと、その胸に頭を押し付けワンワン泣き出してしまう。
周囲の男性諸氏もどうしたらいいかわからずおろおろするばかりだ。
あんたら年頃の娘とかいてもおかしくないだろうに。
「えーん」
「な、な、な、なんだ、どうした」
「うう、ぐす、すみません、朝からずーっとラジオ聞いてくれた人探してたんですが、だーれも聞いててくれなくて、それで嬉しくなっちゃって、つい」
「そ、そうか」
そう言ってDJは名残惜しそうに青年から身体を離した。
身体を離しつつもぎりぎりまで指先を相手の胸に這わせるところがポイント高いのかもしれない。
「でも、本当にありがとうございます!」
「ああ、いや、おもしろかったよ」
あなたの顔も面白いように真っ赤になってますよ。
「えっへっへー、あーでも皆さんいつも仕事終わるのこれくらいの時間なんでしょうか」
DJはぐるりと振り向きながら問う、誰に、というわけどもなく、ただの確認のようだ。
「だったらもっと遅い時間に放送したほうがいいでしょうか?」
今度はかなり年配の方に聞く。
おそらくこの集団のまとめ役だろう。
『放送すれば聞く』と勝手に前提としたずるい聞き方だ、しかも誰に聞いたところで肯定と取れる返事が期待できる。
まさか『は? 何時にやったって聞かねーよガキが』などとは返ってくるまい。
だからこそ、この方に言わせることで集団の総意のように錯覚させるつもりなのだろう。
という理屈はなんとなくわかるのだが、なぜそれをこうもよどみなく実戦で行えるのか。
場数が違うのか。
それともそんな意図はないのか。
私の考えすぎか。
「あー、まあそうだなー、なんつったっけ、らずお?」
「はい! ラジオです!」
さっきまでの嘘泣きが嘘のよう。
ニコニコした笑顔でハキハキと元気な声を発する少女の姿に、年配の男性もつられて笑顔になる。
なるほど、そうやるのか。
「あー、かかあがいいっつったら聞いてみっがなー」
「ありがとうございます!」
その姿ははち切れんばかりに尻尾を振る犬の如く。
DJは全身で喜びを表現している。
これはむしろ本業のスキルだろうか。
祭事で踊りとかやるみたいだし、そっち方向の。
「ほらほら、さっちゃんもちゃんとお礼言う!」
「う、あ、ありがとうございます!」
い、いきなり振るんじゃないわ。
周りの人たちも私の慌て方が面白かったのか、笑い声が聞こえてきた。
想像以上にこっ恥ずかしいが、だからどうした。
私も問題児どもを束ねる紅い館のメイド長。
こんな連中ちょっとゴツイ新人メイドだと思えば。
「来週の金曜にもまたやるんですが、よかったら聞いてくださいますか?」
飛び切りの笑顔で言い放つ。
こんなのお嬢様にだって見せたことはない。
「はーい、午後6時から1チャンネルで放送になりますので、皆さんよろしくお願いします」
DJも合わせてくれる。
「おお、おれっちまた聞くぜ!」
「なんじゃ、おもしろそうじゃきに」
「おいも聞こーかな」
多少バカっぽく、メイド妖精を意識して。
やれ! 吹っ切れろ! 私!
「あは、ありがとうございます! 一生懸命やりますのでよろしくお願いしまーす!」
DJではない、私のセリフだ。
普段の私からはおおよそ想像もできないほど砕けた言動。
こんなところをお嬢様に見られたらどうしようか。
決まっている、胸を張ればいい。
「みなさんよろしくお願いしまーす」
「あいよー」
「へーい」
そのあと2言3言話をし、私たちは集団を見送った。
2人して手を振って、だ。
DJが泣きついた青年が何度もチラチラと振り返ってきたので、いつまでも振り続ける必要があった。
「ふはー」
「へへ、お疲れ様です」
疲れる。
身体がではない、心が疲れる。
でも、悪い心地ではなかった。
「さてメイドさん、次行きますよ」
「OK、DJ! いくらでも行きましょう!」
「はっはー! 染まってきたじゃないですか!」
「それでこそ守矢の信者でしょう?」
「それでこそ紅魔館なのですね?」
この幻想郷では、自分のキャラに囚われてはいけないらしい。
◆
「結果報告ターイム」
すっかり日が沈んだ頃、里の端にあるバーに集合となった。
洋風の店で洋酒が出る癖にメインのツマミが煮物という一風変わったバーで、美鈴のお気に入りの店の1つだ。
実は前から1度来てみたかった所だったりする。
テーブル席を1つ占拠し、注文していたものが来るのを待ってから結果報告を始めた。
「まりりんどうでした?」
「ああ、あたしの方は結構収穫……うめーなこれ」
モツ煮に舌鼓を打ちながら、魔理沙は成果を報告する。
「もぐもぐ、今回はあえて数人に絞って時間かけて聞いてきたぜ」
「ああ、そういう方法もありましたかー」
「布教じゃこういうのはしないだろうな」
と言って側にあったグラスを傾ける。
未成年に酒は出せないという至極真っ当な理由により、全員ソフトドリンクだ。
「ごはぁ! なんじゃくりゃ!」
グラスに口をつけたと思ったらこれだ。
なんとなく予想していた私とDJは、特に慌てることなく魔理沙が零した黒い飲み物をおしぼりでふき取った。
「舌になんか刺さったぞ!?」
「なにを世迷いごとを」
「炭酸飲料ごときにビビってんじゃねーです」
ごくごくとコーラを飲む私とDJを、魔理沙は奇異の目で見つめてくる。
そして私たちと手に持ったグラスを見比べると、もう1度挑戦しようと口をつけた。
「……うへぇ、なんでこんなの飲めるんだぜ」
「慣れれば病み付きですよー」
「骨をも溶かす魔性のドリンクです」
「そんな危険物をよく飲めるな」
「で、まりりんの炭酸飲料初体験はいいとして、結果はどうでした?」
「あ、ああ、その時間帯確実に暇なじい様たちに聞いてきたんだけどよ、若いねーちゃんが出てくるやつがいいってよ」
「安易ですねー」
やはりエロか。
私は間違ってなかった。
「魔理沙、それはどこで聞いたんですか?」
「碁会所だぜ、店長には貸しがあるからタダで入れた、あとこれあげる」
「さすがまりりん、俺たちにできないことを平然とやってのける」
魔理沙が押しやってきたコーラを受け取りつつ、DJはブリの煮付けに箸を伸ばす。
「あとは囲碁の対戦者を募集したいとかが多かったかな」
「対戦者募集よりも囲碁実況とかの方がいいですかね」
「よろしいんですか? 里の人間をスタジオに入れて」
「あー、それがありましたか、いや、里で録音すればいいんですよ、生放送にこだわる必要はありません」
それもそうか。
ふと見ると、魔理沙が何か複雑な表情でテーブルの隅を見ていた。
何か変なこと言っただろうか。
それとも追加注文だろうか。
「……ところでさー」
パチンと箸をテーブルに置くと、魔理沙はなんでもないことのように言う。
「そのラジオってのに、あたしが出てもいいのかね」
「……」
「……」
私とDJと、2人揃って言葉が詰まった。
魔理沙が、ラジオに?
DJの方を見る。
いまだかつてないほどに、真剣な顔になっていた。
「それは、私の一存では決められません」
DJは慎重に言葉を選んだようだ。
「ふーん、あっそ」
「しかしここまで協力していただいたのです、出演できるよう掛け合ってみましょう」
「いいよ、無駄だろ」
別に期待していた訳ではないのだろう。
魔理沙はつまらなそうにホッケの身を箸で崩し始めた。
「魔理沙さん、私としましては」
「もういいって」
魔理沙はにべもない。
しかし、実際問題無理だろう。
なぜなら、魔理沙は敵だから。
忘れていた訳だはない。
お嬢様は人類の敵。
神奈子もこっちサイド。
私とDJはそれらに与する者。
そして魔理沙は、それらを討つ者。
妖怪を殺す、人間サイドの人間。
人類の持つ数少ない対抗手段。
妖怪とタメ口が聞ける貴重な人材。
それが霧雨魔理沙という人物だった。
とてもじゃないが、山のスタジオにご招待とはいかないだろう。
たまに紅魔館に来るのだって、遊びに来ているわけではないのだ。
「別にあたしら、友達じゃねーんだし」
魔理沙は、わざわざそれを口に出した。
きっと本人にも割り切れないところがあるのだろう。
言わずには、いられなかったのだろう。
許されるのなら、私だって忘れていたかった。
しかしそれは、許されない。
こうして食事を供にすること自体、奇跡を通り越して異常なのだ。
「……」
それから3人、しばらく無言で煮物をつついた。
味は、よくわからなかった。
「もう、いいんだろ」
「……はい?」
「手伝えって話」
そうだ、そういう話だった。
「ええ、もう十分です」
私には、そうとしか答えられなかった。
◆
その日はそれで解散となった。
DJは山へ、魔理沙は森へ、私は紅魔館へ。
帰路は全員ばらばらだ。
「お帰り咲夜、どうだった?」
帰るなりお嬢様に報告する。
里で上がった要望をまとめ、簡潔に報告した。
詳しい内容は後々書面で提出する。
しかしなぜだろう。
報告を聞くお嬢様はつまらなそうに相槌を打つばかりだ。
まあ、確かにあまり実のある調査ではなかったが。
「ふーん、で、早苗ちゃんとは仲良くできた?」
「はい?」
「あんた結構箱入りだし、ちゃんと仲良くできたかなって」
「ええ、まあ」
なんだ、この違和感は。
アンケートの結果より、そっちが気になるというのだろうか?
「あの、お嬢様」
「なにかしら」
試してみるか。
「その、私は人と話すのが得意ではなく、早苗さんにいろいろ教わりながらの作業になりました」
「まあ! そうだったの咲夜、後でちゃんとお礼言いに行くのよ?」
「はい、ケーキでも焼いて持っていこうかと」
「素敵ね、それがいいわ!」
お嬢様は途端に笑顔になる。
明らかに態度が違う。
どういうことだろう。
いや、想像はつく。
しかしそんなことを考えたくはない。
だが、と思う。
もしかしたらお嬢様は私のために、同世代の友達を用意しようとしたのかもしれない。
年も種族も生態も、何もかも違う者たちに囲まれて生きてきた。
そんな私がさびしくないように、1人にならないように。
似た境遇の彼女を連れてきたのかもしれない。
だとしたら、どうしよう。
そんな下らないことのために、今日1日駆り出されたのだとしたら。
私は明日から、お嬢様をどんな目で見なければならないのだろう。
(咲夜、それはちがうわ)
「?」
きょろきょろと辺りを見回す。
しかし頭のイカレた魔法使いの姿はどもにもなく、ドブネズミの鳴き声のような汚い声だけが響いていた。
お嬢様にも聞こえている様子はない。
「ねえ咲夜、それから何があったの?」
「あ、はい」
(誰が声が『まきいづみ』そっくりだって?)
こいつ、直接脳内に……。
(こら、目上の人をこいつとか言わないの)
「言い忘れましたが、早苗さんの他に霧雨魔理沙にも協力を依頼していました」
「え、そうだったの?」
「といってもほとんど別行動で、私は早苗さんと2人でしたが」
「あ、うんうん、ならいいのよ」
目上もなにも私にはあなたが誰なのかもわかりません。
(うふふ、あなたの尊敬する偉大なる超魔法使い、パチュリー・ノーレッジよ)
なんだやっぱりお前か。
(『お前』はやめなさいってば)
ええい、パチュリー様の名をかたる悪徳魔法使いめ、私の敬愛する図書館の主は人の頭を勝手に覗いたりしないのよ。
「あとはそうですね、人と接する技術というものがいかに難しいか痛感いたしました」
「あーわかるわかる、人がやってるの見る分には簡単そうなのよね」
「はい、その点早苗さんは流石でした」
(そう、人と接するのは難しいの、自分のことばかり考えて腰振っちゃダメなのよ咲夜)
死ね。
(そ、そこまで言うことないじゃない、私の咲夜はそんなこと言わない! あんたこそ偽物なんでしょう!)
「あらあら、ずいぶん親しくなったものね、いい感じよ」
「はい」
「この調子で仲良くなさい」
「……はい、あの、それは望むところなのですが、なぜそんなにも私と早苗さんの仲を気になさるのですか?」
思わせぶりな魔法使いはなんの役にも立たない。
もういい、自分で聞こう。
「あら、その方が都合がいいからよ」
「都合、ですか?」
「いい咲夜、組織の交流って言うのは下の者から始めるものなの」
「はあ」
「あなたたちが仲良くすればするほど、私と神奈子も腹を割って話せるのよ」
ああ、なるほど。
そういうことでしたか。
(ね、言った通りでしょう?)
「まあ、下の者って言っても流石に妖精ちゃんたちじゃまずいからね、向こうも人間だし、誰か1人出せと言われたら咲夜よ」
「納得いたしました」
「諏訪子の方とも同じようなことをしているわ、こっちはパチェだけど」
「な、パ、パチュリー様をですか?」
信じられない。
あの女に任せて事態が好転するところが全く想像できない。
(んだとこら、いい加減にしろよ)
パチュリー様もいい加減人の心読むのやめてください。
(ぷっぷくぷー)
やめてください気持ち悪い、誰発祥なんですかそれ。
「まあちょっと堅物なところあるけどね、こっちも向こうも参謀ポジションだし、ちょうどいいわ」
おっかない話しそうよねー、とお嬢様はクスクス笑った。
お嬢様騙されてはいけません。
参謀はともかく間違っても堅物ではありません。
(……堅物だと思われてたんだ)
なんで寂しそうなんですか。
狙ってやってたんじゃないんですか?
(レミィの前で品のないこと言えるわけないでしょう!?)
その調子でフラン様の前でも、いえ美鈴以外すべての方の前でおやめください。
「馴れ合う必要も触れ合う必要もないわ、ただ隣り合っていなさい、それが紅魔館の利益となるの」
「……」
「そういう訳だから、よろしく頼むわ咲夜」
「かしこまりました、お嬢様」
(あら、美鈴はいいのね)
美鈴は分別のある大人ですから、勝手に軽蔑されてください。
(ひっど、さっちゃんBひっど)
ひどくな……なぜ貴様が『B』を知っている。
(えー? ずっと見てたしー、『あは、ありがとうございます! 一生懸命やりますのでよろしくお願いしまーす!』だっけ? ほら、胸を張りなさいよ、あ、もしかしてそれで精一杯? ごめーん背中かと思ったー)
時よ止まれ。
そして時は動き出す。
(うわらば!! ブツッ) ツー、ツー、ツー。
「……」
悪は去った。
守矢神社にいると思ったら案の定だった。
ぶっ殺す、と思った時にはすでに実行している。
ぶっ殺した、なら使っていい。
「にしてもパチェ遅いわねー、泊まる気かしら、あ、寝ないんだっけ?」
「今夜はきっと戻られませんよ」
「そう? ずいぶん嬉しそうね」
「お嬢様を独り占めできますから」
「あらあら、甘えんぼさんねぇ」
まったく、お嬢様のありがたいお話がパチュリー様のせいで台無しだ。
せっかくいいこと言っていたのに。
「おいで咲夜」
「はい」
お嬢様に導かれるまま、その足元に跪く。
そして私は、その寵愛を一身に受けることを許された。
「なでなで」
「……あぅ」
「もうこんなので喜ぶ年でもないのよね、なんだか寂しいわ」
「いえ、満更でもない自分が憎らしいです」
◆
『幻想郷のみなさーん! 祀られるものですよー!!』
そして次の金曜日。
『始めましての方始めまして! そうじゃない方も始めまして! ファンタジック・ラジオ・ライン、FRRの東風谷早苗でございます』
今日も食堂の一角でみんなの視線をラジオが独占していた。
ちなみに今回はお嬢様もフラン様もいるし、パチュリー様の友人であるアリスさんもいらしていた。
アリスさんとは以前いろいろあったが、今では和解している。
それにしても吸血鬼のお2人は眠そうだ。
『“そこんとこ教えて、妖怪事情”第2回目のゲストはこの方、新聞だけでは収まらない! 一番乗りは私のもの! 幻想郷最速! 射命丸文さんです』
『あややや、清く正しい射命丸です』
妖精たちも含め20人以上が集まるといかに広い食堂でも手狭になってしまうし、ラジオの音も端まで届かない。
そこで考案されたのが紅魔館特性6連結スピーカーである。
もともと5.1chサラウンド用に所有していたパチュリー様の私物をナイフをちらつかせて接収し、改造させた。
ラジオをたくさん用意すればいいだろと美鈴に言われたが、その時すでに改造は終わっていた。
壁に頭を打ち付けるパチュリー様は見ものだった。
とにもかくにもみんなでラジオを聴くことができる。
ちなみにラジオ本体にステレオ用のミニジャックがなかったため、中身を分解して無理やり接続している。
しかもなぜか電池式からコンセント式に変わってしまっていた。
でもちゃんと音は鳴る。
ずいぶんメカに強い魔法使いだ。
(アンプ追加したから電力食うのよ)
ちっ、また奴か。
(私のウーハーユニットが……)
だから直接脳内に語りかけるのはおやめください。
『え? お便りが来ているのですか?』
『いやーそうなんですよー、新聞配達してたら外来人の方からもらっちゃいましてー』
『あは、うれしいですねー、さっそく読み上げてみましょう、えー、ラジオネーム“フィクション大魔王”さんからのお便り』
『ラジオネームってなんですかねー』
『あー、ラジオに投稿するときに使う名前ですよ、別に本名でもいいのですけどね、凝ったお名前もお待ちしております』
(そのケーブルもいくらしたと思ってるのよ、1メートル200ドルくらいするのよ?)
こんなものがそんなにするはずがない、魔法使いはみんな嘘つきだ。
(それは聞き捨てならないわね)
(アリス! わかってくれるのね!)
(ええ、オーディオは淑女のたしなみよ、私はもっぱらレコードだけど)
(ああ、なんてこと、求めてやまなかった同志はこんなにも近くにいたというのね)
(ええ、今夜はベッドで語り明かしましょう)
私の頭でチャットをしないでいただきたい。
ていうか頭が痛い。
あいたたたた。
(む、音悪いわね)
(流石に2人はきついわよ、場所を変えましょう)
(ちっ、使えないサーバーね)
……あいつら毒とか効くのだろうか。
「咲夜大丈夫か? 顔色悪いぞ」
「ありがとう美鈴、あなただけが頼りよ、ところで中国で過去一番猛威を振るった毒って何?」
「……アヘンかな」
『あーこれは番組への要望ですね、なになに? “もっとエロス満載な番組が聞きたいです、できれば深夜に放送してください、こそこそと人目を忍んで聞くところにロマンがあるのです”』
『……わあ正直ですね、でもわからなくはないですよ? 私もそういう話は好きですし』
「おいパチュリー、なに投稿してるんだよ」
「わ、私じゃないわよ、限りなく私っぽいけど」
『なるほどー、天狗はエロエロがお好きですか』
『ちょ、へ、変な言い方しないでくださいよもー』
『実はですねー、あるんですよ深夜企画』
『え? 本当ですか?』
そうなのだ、通ってしまったのだ、あの企画。
深夜帯に猥談番組。
これが私発案などと何人の人が信じるだろうか。
「ふふふ、咲夜のアイディア通ったのね」
「えー? 咲夜が考えたのー?」
「お嬢様、あまり言いふらさないでください」
「咲夜エロー」
「フラン様もおやめください」
取り乱してはダメだ。
この手の状況でわずかにでも隙を与えようものなら、私のあだ名は永遠にエロス大魔王になってしまうことだろう。
そしてこの思考を読んでいる魔法使いがいたら刺そう。
「ゲホッゲホッ」
「コホン」
そしてわざとらしく咳き込む人物が2人。
まるでパチュリー様が2人になったかのようだ。
そして私のプライバシーはどこにあるのだろうか。
「メイド長えろー」
「えろーん」
「むっつり長ー」
「地味にマゾヒストー」
「エロスー」
とりあえずメイド妖精たちに拳骨を食らわせながら、事態の鎮静化を待った。
時の流れは大抵のことを解決してくれる。
『という訳で新番組“マーガトロイドの微熱な日々”、来週の土曜、夜11時から放送しまーす』
『わーお』
「みんな聞いてねー♪」
「あんたかよ!」
「ちょっとアリスなんで私呼んでくれなかったの!?」
「アリスえろー」
「エロー」
えろー、えろー、とメイド妖精たちの合唱が始まり、私に向いていた矛先は完全に向こうへ行った。
よし。
番組自体はどうでもいい。
ついでにパチュリー様も巻き込んでくれるとうれしい。
『マーガトロイドって、魔法の森のアリスさんのことですよね』
『はいはいそうですよー、人形使いのアリスさん、私もこの前ぬいぐるみ作ってもらっちゃいました』
『へー、早苗ちゃんそういうの好きなんですか?』
『そうなんですよー、この間も……』
しかしながらDJ、前回に比べて格段にしゃべりがうまくなった気がする。
話の拾い方、つなぎ方、切り替え方。
まだ2回目だというのにもうベテランの風格だ。
さりげなく紅魔館の輸入品を話に取り入れるところなど、感動的ですらある。
これこの前、北の里で見つけたんですけどー、などと魔理沙の拾ってきたアイディアも組み込みつつ、中身は立派な宣伝。
言われなければ、気づかない。
『そうだ早苗ちゃん、早苗ちゃんみたいなラジオの司会の人ってなんていうんでしたっけ、DJでしたっけ?』
『あーよく間違えられるんですが、ディスクジョッキーは音楽を紹介する人のことですね、音楽を紹介する番組ができたらそっちの司会がそうなります』
『へー、そうなんですか』
『会話がメインの番組でしたらパーソナリティっていいますね』
むぅ、やはりDJって呼ぶのはまずかっただろうか。
「言われてるわね咲夜」
余計なお世話ですパチュリー様。
「……咲夜?」
「……余計なお世話です」
「うふふのふー」
……読んでなかったか。
『ですのでパーソナリティって呼んでください』
『はーい』
『コホン、私をDJと呼んでいいのは1人だけです』
「……!」
『あれー? そのラッキーな人はどなたですかー?』
『ひーみつー、です』
『ははーん、さてはコレですね? イヤー若いなー』
『いやいや射命丸さん、親指立てたって見えませんよ』
『あ、そうでした』
……。
私のこと、だよねぇ。
「咲夜? どうした、やっぱ調子悪いのか?」
「あ、ううん、平気」
「……ハンカチ貸してやるよ」
「うん、ありがとう美鈴」
なんだか、じんわり来てしまった。
『あややや、もうこんな時間ですか、早いもんですねー』
『うーむ、楽しい時間は早く過ぎてしまいますね、もっと長くしてほしいという要望が多かったら放送時間も伸びるかもしれませんが』
『あざといですねー』
『そ、そんなことないですよー、っと、そろそろ本当にお時間が来てしまいました』
『あいあいー、みんな天狗の社会も大変だってことが分かってもらえましたかー?』
『さーて射命丸さん、来週のゲストはだれを呼んでくれるんですか?』
『大天狗のじじいと言いたいところですが、奴はヘルニアが悪化したとかで入院しちまいましてね』
『あー、だいぶお年を召してますものね』
『代わりと言っちゃなんですが、もっといいのを呼んでおきました』
『どなたです?』
『八雲藍です』
『うは、八雲さんですか』
『今でこそ管理者の側近だとか言われてますがね、昔はよく一緒に遊んだものです』
『幼馴染なんですね?』
『まー腐れ縁ですよ、藍と私と燐で山の悪ガキ3人組と言われていたこともあります、何気に私が一番出世してないです』
『へー、あれ? 燐ってたしか地下の……』
『ま、いろいろありましてね』
『ではそのへんの事情も来週藍さんにうかがっていきましょう、“そこんとこ教えて、妖怪事情”ではリスナーの皆様からのご意見ご感想を募集しております』
『待ってまーす』
『それでは皆様また来週、金曜午後8時にお会いしましょう』
『あややや、放送時間変わりましたので間違えないでくださいね』
『はい、金曜午後8時です、お間違え無く! この放送はFRR、ファンタジック・ラジオ・ラインがお送りいたしました、それではまた! ぷっぷくぷー!』
『はーい、ぷっぷくぷー!』
ジャスト1時間。
今日のラジオも無事に終了した。
しかしながら、いろいろとあったいうのがなんなのか地味に気になってしまった。
一体何年前の話なのか。
そしてあの八雲藍が『ぷっぷくぷー』などと口にするのか。
これは来週も聞き逃せない。
そんなことを思いながら、私は食堂を後にした。
◆
その事件が起きたのは、それから1か月ほどたったある日の夕方のことだった。
その日は雲一つない快晴で、そろって休暇をもらった私と美鈴は2人で近くの里に出かけていた。
端っこが赤くなり始めた空の下、育ての親であり、名づけの親であり、生みの親の仇である人食い妖怪と隣り合って歩く。
美鈴といるときは、変に気を張らなくて済む。
というか、そんな気にすらなれない。
私だけではない。
お嬢様も、フラン様も、あろうことかパチュリー様までもが美鈴の前では非常にリラックスした表情を見せてくれた。
ぶっきらぼうなくせに、不思議な魅力を持っている。
そんな同僚と買い物に来ていた。
「あれ? メイドさんじゃないですか、こんにちは」
最近よく来るようになった店でお茶葉を物色していたら、見知った顔に出くわした。
「DJ、あなたもお茶を?」
「はい、射命丸さんにこの店オススメだって教えていただきまして、メイドさんはよくこちらに?」
DJとはあれ以来結構な交流がある。
なんのかんの言いつつ人間同士で年が近いというのは大きなパラメータなのだと痛感するが、それだけではない。
彼女は彼女でお嬢様とはまた違う求心力があり、なんだかゾクゾクしてしまうのだ。
「ええ、よく来ますよ」
「そうなんですか? よかったらいいお茶を教えてくださいませんか?」
「そうですね、これなどは酸味が少なく……」
実際、守矢との合同任務ではほぼ確実に彼女と組まされ、DJが指揮を執り私が実行する、というパターンが出来上がってしまっている。
私に従者根性が染みついているように、彼女は天性の指揮官なのだ。
私がプロのメイドであるように、彼女は神の代行人なのだ。
案外うちのメイド妖精たちも、DJなら軽くまとめられるのかもしれない。
「あは、ありがとうございます、じゃあそれにしてみますね」
「ええ、きっと気に入ると思います」
DJはこれから収録のための打ち合わせがあるらしく、すぐに行かないといけないらしい。
そう言えば今日は金曜日だったか。
もう少し話していたかったが、そういうことならば仕方がない。
「咲夜ー、決まったー?」
「どこに隠れてたのよ美鈴」
「いや、邪魔しちゃ悪いと思って」
なにを言ってるのか。
「んじゃ、それ買ったらそろそろ帰るか? まだ寄るとこあるか?」
「そうね……あ、この前フラン様が湯呑み割っちゃったんだった」
「あー、そうだった、ここに売ってねーかな」
「……なさそうね、瀬戸物屋さん近くにあったかしら」
そのあと結局他にも色々と店を回ってしまい、当初の帰宅予定より遅い時間になってしまっていた。
「げ、もう7時回ってんじゃん」
「夕飯食べてっちゃう?」
「だーめ」
太陽はかろうじてその残光を西の空に残していたが、空に輝く星々が道行く妖怪たちに夜の訪れを知らせていた。
日は沈んだ。
ここからは彼らの時間となる。
と言っても美鈴がいれば心配ないけれど。
「咲夜」
「うん?」
隣を歩いていた美鈴がぴたりと足を止める。
いつになく真剣な表情だ。
「飛ぶぞ」
持っていた買い物袋を放り投げ、宙へと舞い上がった。
私も慌てて後を追う。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「……嘘だろ」
美鈴が見ている方向、紅魔館の方を見る。
月明かりを反射して輝く湖のほとりに、赤い色の我が家が見える。
2.0の視力をもってしても分かりづらかったが、煙が上がっているようにも見えた。
「火事!?」
「咲夜先行しろ! お嬢とフランを最優先! 消火も迎撃もしなくていい! 行け!!」
「……っ!」
時よ止まれ!
「……」
止まった時の中を全力で飛ばした。
時間を止めてるのに急ぐ必要などないのだが、いてもたってもいられなかった。
美鈴は迎撃と言った。
『火事』ならまだいい。
でもこれが『襲撃』だったら?
最悪の可能性を、覚悟した。
「……これは」
縦横無尽に走るヒビ、滑走路の如く焼きついたカーペット、部屋をいくつも貫いている極太の砲撃跡。
そのどれもが、ほんの2か月前に見たものばかりだった。
「あの嘘つきが」
2度としないって言ったじゃないか。
破壊の痕跡をたどり、大広間へと行きつく。
先月神奈子がやってきた、あの部屋だ。
「お嬢様!」
扉を蹴破り、時間停止を解除する。
「あら咲夜、ずいぶん遅かったわね、お帰りなさい」
「……!」
思わず目を見開いた。
部屋の惨状もさることながら、血だまりの中に横たわる襲撃者の身体は、見るに堪えないほどにズタボロにされていた。
「……魔理沙」
返事はない。
片腕と両足があらぬ方向へと折れ曲がり、右肩から左の脇腹に向けて大きな傷が3本もついている。
さらに、よくよく見れば部屋中に彼女のものと思しき血痕が飛び散っていた、これは、致死量じゃなかろうか。
「襲ってきたのよ、私をね」
「まさか」
まさか、だ。
いくらなんでも、そこまで馬鹿じゃあるまい。
パチュリー様に勝てない人が、お嬢様に勝てるはずがない。
「見て咲夜、怪我しちゃった」
そう言ってお嬢様は右腕を差し出した。
なるほど、確かにその二の腕にはやけどの跡のようなものが伺えた。
ただし、すでに治りかけているが。
「……快挙、ですね」
「ええ、この吸血鬼に傷を負わせるとはなかなかやるわ」
私は魔理沙へと歩み寄った。
血で汚れることを気にも留めず、彼女の脈を確認する。
「気をつけなさい、血の汚れは取れにくいわよ」
「存じております」
「そうだったわね」
驚いたことに魔理沙にはまだ息があった。
首筋と胸辺りにチカチカと点滅する光が見えるのだが、もしかしたら魔法の生命維持装置的なものかもしれない。
「咲夜、どいてちょうだい」
「……あの」
「流石に咲夜にやれなんて言わないわ、むこうを向いていなさい」
とどめを刺す気だ。
「……」
「パチェと遊んでるくらいなら黙認していたけれど、これはダメよ、私の命を狙ってくるようじゃ」
そうだ、当たり前だ。
魔理沙は紅魔館に喧嘩を売ったのだから。
紅魔館家訓第2条、外敵は薙ぎ払え。
「咲夜、どいてちょうだい」
「……」
私は、冷静だ。
久々の鉄火場を見て動転なんかしていないし、むせ返る血の匂いに惑わされてもいない。
消え入りそうな呼吸音、あくまで優しい主の声。
何もかもを考慮に入れ、稚拙な頭を最大限に使って。
私は決断した。
時よ、止まれ。
◆
連れて行くところは決まっていた。
魔理沙は恐らく魔法で体をいじくっている。
普通の医者ではだめだ。
でも竹林の怪物どもは信用できない。
だから、ここに来た。
「はー、はー、アリス様、おられますか?」
「あら、どうかし……魔理沙!?」
彼女の手当ては迅速だった。
なにがあったのかろくに説明も聞かないまま、迷うことなく家へと招き入れてくれる。
本格的な医療器具などドラマでしか見たことがない私だったが、彼女が用いたものがそれとはかけ離れたものだということはわかった。
「あんた血液型は!?」
「A型のRH+です」
「紅魔館にストックとか無いの!? B型の+」
「申し訳ありません」
なにをしているのかは私にはよくわからなかった。
光る糸で針もなしに縫合したかと思えば、黄緑色の薬品を傷口に吹きかけたり。
仕舞いには魔理沙の髪の毛を切り、何事か呪文を唱える。
すると見る見るうちに髪の毛が液状化し、魔理沙につながれた管へと流れて行った。
輸血の代わりにでもする気だろうか。
どちらにせよアリスを頼った私の判断は正しかったようで、2時間もしないうちに魔理沙は目を覚ました。
「うぅ」
「魔理沙……」
「かなり強引に麻酔かけたから、まだ朦朧としてるはずよ」
だらしなく椅子に腰かけたアリスは、濡れたタオルを顔にかぶせて疲れをとっていた。
このまま回復するかどうかは、魔理沙の体力次第だという。
「魔理沙、起きてる?」
「……ん、あ、あれ?」
焦点の定まらない目で辺りを見回したかと思うと、最後に私の方へと向き直った。
「そうか、私死んだか」
「いえ、生きてますよ」
「冥途にメイドがいるぜ」
「余裕じゃないですか」
強がってはいるが、苦しそうだ。
「麻酔が切れたらキツイわよ、原型とどめてなかったし」
「ああ、アリスか、助かったぜ」
「お礼ならその子に言いなさい、あんたも自分で説明なさい」
「聞かなくても分かるぜ」
「ええ、答えるまでもありません」
「そう」
と言って、アリスは部屋を出て行った。
気を利かせてくれたのだろう。
「紅魔館に戻ります」
魔理沙を助けた理由。
そんなの、私が人間だからに決まっている。
この子は人類の希望なのだ。
博麗の巫女などという張りぼての偶像ではない。
怪物どもを薙ぎ払う一筋の閃光なのだ。
こんなところで、失ってたまるか。
「……そっか」
この子にはいずれアリスさんもパチュリー様も超えた大魔法使いになってもらう。
同じ人間として、彼女を見殺しにすることなどできなかった。
それをしてしまったら、私は人間ではなくなってしまうだろうから。
この後自分がどうなるか、そんなことは頭になかった。
願わくばその砲撃で、人類を救い賜へ。
「ところで、なぜ今日だったのですか、あなたがお嬢様に挑もうなんて100年早いですよ?」
「あー、あれだ」
そう言って魔理沙は部屋の一角に視線を向けた。
そこにあったのは見慣れた機械。
「今日のラジオのゲスト、パチュリーなんだよ」
「……」
「里でお前らを見かけたとき、今日しかないと思った」
「……どういう」
「こんなチャンス、向こう100年はありえなかった」
確かに、手薄と言われれば手薄だった。
それを、チャンスと捉えたというのか。
今日思いついて、今日実行したのか。
「どういう、精神構造ですか」
「これが魔女だ」
魔理沙は短く答える。
まだ麻酔が効いているだろうに、寒気がするほどの気迫があった。
「そうですか、しかしお嬢様は我々が全力で守ります」
「まとめて貫いてやるぜ」
「はい、心から応援しています」
「きははは」
どうしようもないダブルスタンダード。
しかしこれこそが妖怪サイドの人間、十六夜咲夜のあり方だ。
「では、失礼します」
もうここに用はない。
後はアリスさんに任せてしまえばいいだろう。
しかし立ち去ろうとする私を、魔理沙は呼び止めた。
「咲夜」
「はい?」
「その、なんだ、今言うのも変な話だが」
「なんでしょう」
「……いらん詮索して、悪かったよ」
ああ、あの事か。
ほんと、最後の会話がこれとは笑える。
だから私は笑って答えた。
「私だって、見栄くらい張ります」
魔理沙の返答を待たず、時を止めた。
◆
美鈴はすでに帰っていた。
まあ、かなり時間もたっているし、当たり前と言えば当たり前だ。
パチュリー様はまだのようだったが。
「お帰り咲夜」
「お帰り」
「はい、ただ今戻りました」
「あの子は?」
「安全な所へ」
「そう」
それっきりお嬢様も美鈴も口をつぐんでしまう。
メイド妖精たちが瓦礫を片付ける音だけが辺りに響いてたが、ここの雰囲気を察したのか、手を止めて遠巻きにチラチラ覗く者も現れ始めた。
それでも、私たちは何も言わない。
言うべきことなど、なにもない。
「……咲夜」
と思っていたら、お嬢様が沈黙を破る。
その顔からは怒りも落胆も伺えなかった。
「あんたも大変ね」
苦笑しながらお嬢様は言う。
普段の泰然とした態度からは想像もできない、心を許した者にしか見せないような、そんな素の表情だった。
「おかげさまで」
そして私も、似たような顔をしていただろう。
2人とも声には出さず、心の中でクスクスと笑い合う。
普段あんなにも遠いお嬢様が、今はすぐそばに感じられる。
紅魔館に来て10年。
初めてお嬢様と心を通わせられた気がした。
「美鈴」
「はい」
そしてお嬢様は命令を下す。
紅魔館の当主として、当然の命令を。
「裏切り者を、始末しなさい」
そして忠臣は、迷うことなく返答する。
「御意に」
◆
美鈴が近づいてくる。
私はこうなると分かっていて戻ってきた。
そんなの、私が紅魔館の一員だからに決まっている。
紅魔館は背信を許さない。
逃げることも誤魔化すこともうまくやることもできなかった。
きっと私がA型だからだろう。
さっちゃんBなのに。
そして美鈴は拳を振り上げた。
私の非力なそれとは違う、妖怪の拳。
かつて神話の時代、すべての事象は神が決め、人はその通りに創り、妖怪はその通りに壊していたという。
クフ王も生まれていないような昔から、彼らの牙は破壊を担当していた。
曰く、世界の新陳代謝。
そんな妖怪の殺意が、私の頭蓋骨を軽々と噛み砕いた。
急速に薄れゆく意識の中においても、私の思考に後悔は無かった。
訳も分からず襲われて倒れる外来人たちに比べたら、なんと充実した末期だろう。
死ぬまではそばにいる。
約束だってきっちり果たした。
胸を張ればいい。
種族や所属に囚われる必要はない。
私は『私』を、全うしたのだから。
了
年齢:19
種族:人間
所属:紅魔館
尊敬する人物:霧雨魔理沙
◆
キッチンを出ると、食堂の一角に人だかりができているのが目に入った。
パチュリー様と美鈴を中心に、妖精たちが群がっている。
「……?」
よくよく見ればテーブルの上には見覚えのない小型の機械が置いてあり、同僚たちの視線はそれに釘付けになっていた。
とりあえず持っていたトレイを置き、時間を止めて2人分のお茶を淹れてくる。
「お疲れ様です」
言いながらパチュリー様と美鈴の前にお茶を置く。
「あら、ありがとう」
「お、サンキュー」
それを見たメイド妖精たちが、我も我もと集まってきた。
「あーずるーい」
「メイドちょー、わたしもー」
「もっと光をー」
平メイドたちは不平を漏らすが、全員分入れるのも面倒だ。
あなたたちは自分で淹れなさい。
「ラジオか何かですか?」
「当たりだ」
人差し指を立てて美鈴が言う。
妙に得意げな顔が腹立たしい。
「あと5分で始まるぞ、お前も聞いてけよ」
「あと3分10秒よ」
「こまけーことはいいんだよ」
言いながら、美鈴はパチュリー様の頭を乱暴に撫でる。
グリーンだよー、とうめくパチュリー様はそれに抵抗するも、結局やられっぱなしになってしまっていた。
しかし周りの妖精たちはいつもの事かと静かなもの。
慣れたものだ。
それにしてもすっかり忘れていた。
先月初めに建てられたラジオ塔。
妖怪の山に満ちるありのままの自然をあざ笑うかのような無骨な鉄塔。
それが本格的に稼動し、幻想郷中にラジオ番組を放送できるようになったのだった。
今日はその記念すべき初放送日。
守矢神社主催のトーク番組が放送されるらしいが、ラジオ自体に馴染みのない私にはどういうものなのかが良く分からなかった。
「頭を、ぐしゃぐしゃに、するんじゃ、ないわ!」
「はっはっは、そりゃ悪かった」
「パンチ!」
撫でる手を止めない美鈴に、パチュリー様が拳を放つ。
しかし、座ったままなので威力はない。
ただし、立っていてもそう変わらない。
仲の良い2人だった。
「……そろそろ時間よ」
「んん、おめーら静かにしろー」
はーい、と妖精たちの元気のいい返事を聞き流しつつ、ラジオを見つめる。
テレビじゃないんだから見つめる必要はなさそうだけれど、気分の問題かもしれない。
次の瞬間、わずかなノイズとともにレシーバから軽快な音楽が流れだす。
そして幻想郷の歴史に新たな1ページが刻まれた。
『幻想郷のみなさーん! 祀られるものですよー!!』
おおおお! と、食堂に驚嘆の声が響き渡る。
思っていたより音が綺麗で聞き取りやすい。
河童の技術も大したものだ。
『始めましての方始めまして! そうじゃない方も始めまして! ファンタジック・ラジオ・ライン、FRRの東風谷早苗でございます』
「あ、これ山の巫女さんじゃない?」
「そーなん?」
「そうですね、聞いたことのある名前です」
『 この放送は幻想郷初のラジオ番組として山、森、里、もろもろ人妖隔たりなく皆様の下にお届けしています。 本日この放送は、“そこんとこ教えて、妖怪事情”と題しまして、幻想郷の有名どころの方をスタジオにお招きして、普段どんな仕事をしているのか、どんな生活をしているのか、などなど皆さんが“知りたーい”と思うようなところを教えてもらっちゃおうというコーナーです』
日本語がおかしい所が散見されたが、まあ、意味はわからなくはない。
しかし、話している人間の緊張がこっちまで伝わってくるようだ。
声色がだいぶ怪しく、勢いで何とかしようという魂胆が見え隠れしている。
「がっちがちじゃねーか、大丈夫かこいつ」
「あらやだ、美鈴ったら卑猥なことを」
「……ちっ」
「……」
「……」
「ちょっと無視しないでよ、私だけ痛い子みたいじゃない! ほ、ほら、紅魔館家訓第4条は?」
「……ボケたら拾う」
「そうよ! ちゃんと頼むわよ!」
パチュリー様はちょっと黙っててはくれないだろうか。
『と、言う訳で記念すべき第1回は、な、なーんといきなりの超大物、幻想入りして10と数年、異変騒乱バッチこい、赤い館の吸血ガール、レミリア・スカーレッドさんです!』
『ふふ、皆さん御機嫌よう、レミリア・スカーレットよ、館はレッドだけどスカーレットだからよろしくね』
『あ゛っ、し、失礼しましたレミリアさん』
ラジオからお嬢様のお声が聞こえ、同時に食堂に歓声があがった。
「出た!」
「キター!」
「お嬢様きたー!」
「東風谷ー! 名前名前ー!」
「レミィぺろぺろしたいお!」
「お嬢様こっち見てー!」
そう、ラジオ番組第1回のゲストは、何を隠そううちの当主なのだ。
ゲストの件に関しては、スポンサー特権よ! とお嬢様は鼻息を荒くしていらっしゃったが、実際問題適役なのだろう。
外のラジオを知っていて、そこそこ以上に知名度もあって。
そして、どさくさにまぎれてパチュリー様が寝言をほざいていたが、皆一様に聞かなかったことにしていた。
本当に誰一人として反応しない。
この辺の団結力が紅魔館の強みなのかもしれない。
『おほん、さてさてレミリアさん』
『はいはい、なにかしら?』
『“そこんとこ教えて、妖怪事情”という番組名通り、レミリアさんのお仕事や私生活についてちょーっとだけ教えてほしいのですが』
『企業秘密以外なら何でも答えるわ、なんでも聞いちゃってー』
『それじゃあまずレミリアさんといえば紅霧異変ですが、そもそも発端はなんだったんですか?』
『んーと、そうねー』
まあ、インパクトで言えば吸血鬼異変の足元にも及ばないけれど、ラジオ番組で話すような内容じゃない。
『今だから言うけど、あれ紫に頼まれてやったのよ』
「あ? これ言っていいのか?」
美鈴が誰にでもなく話しかける。
確かに、グレーな内容かもしれない。
「大丈夫よ、紫には了承もらってるから」
と、パチュリー様が親指を立てた。
なぜだろう、別におかしな動作ではないのにこの人がやると非常に腹立たしい。
壊滅的に似合っていない。
いっそ不快と言ってしまっても差し支えないほど。
「……んなこといつのまに」
「このあいだよ、美鈴聞いてなかったっけ、あと咲夜、他人の表層思考くらい魔法で読めるから」
「パチュリー様は聡明なるお方、人の心に土足で踏み入るような真似はいたしません」
「ぷっぷくぷー」
……イラッ
『ええー!? そうだったんですかー!?』
『スペルカードルール普及のためにね、なるべく大規模で、実害がなくて、誰がやったか分かるようなのって無茶振りされたわ』
『ははー、それで霧を、と』
『ええ、洗濯物乾かなかった人はごめんなさいね』
番組は続く。
DJだかパーソナリティだかよくわからないが、全体を通して山の巫女が質問をしてお嬢様がお答えになる、という形で構成されていた。
単純な構成にもかかわらず不思議と飽きはせず、気がつけば結構な時間が経っていた。
『では休日は料理なんかもなされると』
『ええ、外へ行き来できるもの、秋刀魚とかよく庭で焼いて食べるわ』
『大根おろしとポン酢でですか?』
『スダチと胡椒よ』
『つ、通ですね』
妖精達の歓声、美鈴のツッコミ、パチュリー様の妄言など挟まなくて良いものまで挟みつつ、番組も終盤を迎える。
なぜだれも静かに聞こうとしないのか。
ちなみに秋刀魚もスダチも紅魔館経由で輸入しないと手に入らない。
商売上手な吸血鬼だった。
『さて、名残惜しいですが“そこんとこ教えて、妖怪事情”、おしまいの時間が近づいてまいりました』
『あら、あっという間だったわね』
『なお、番組ではリスナーの皆様からのご意見ご感想を随時募集しております』
『どこに送ればいいのかしら』
『はい、投稿はお近くの妖怪ポストか新聞配達の天狗さん、あるいは守矢神社まで直接お願いしまーす』
『番組に出てみたい、とかこういう企画やって欲しい、とかもありかしら』
『ありありですよー、じゃんじゃん送っちゃってくださーい』
時計を見たら1時間近く経っていた。
本当にあっという間だ。
パチュリー様風に言うなら『レミィの話術マジパネェ』と言ったところだろうか。
「レミィのトークスキルは世界一ィ!」
……惜しかった。
「お前ホントお嬢のいないとこだと馬鹿丸出しだよな」
「うるさいわ」
『はい、それじゃあレミリアさん本日はご多忙なところをありがとうございました、次回はレミリアさんのご友人、射命丸文さんが登場します』
『こちらことそ楽しかったわ、また呼んでちょうだい』
『ぜひともお願いいたします、それでは皆様また来週、金曜午後6時にお会いしましょう』
『お聞きの逃しのなく』
『この放送はFRR、ファンタジック・ラジオ・ラインがお送りいたしました、それではまた! ぷっぷくぷー!』
『ぷ、ぷっぷくぷー』
シンクロニシティ?
◆
「あー、終わっちゃったー」
「もうなのー?」
不満たらたらな妖精たちに持ち場に戻るよう指示すると、私も用事の途中だったことを思い出した。
置きっぱなしにしていたトレイを持ち、食堂を後にすることにした。
「あれ? 咲夜夕飯まだだっけ?」
「……ちょっとね」
「ふーん」
美鈴を適当にあしらい今度こそ食堂を出ると、後ろから声が聞こえてきた。
「食べ盛りなのよ、察しなさいな」
「ここで食えばいいじゃん」
「乙女なのよ、察しなさいな」
「そんな何もかも察せねーよ」
なにやら勝手なことを言われているが、まあいいか。
私はご飯と味噌汁の乗ったトレイを手に、地下室へと向かった。
重厚な鉄扉の前に立つ。
あちこち傷だらけのその扉は、それでも今までただの一度も破られたことはない。
パチュリー様謹製の特殊装甲で守られているからだ。
時を止め、扉の鍵を開ける。
万に一つも、中の人物が外に出ないように。
かつて妹様が使用していたこの地下室は、今はこの女のためにあった。
「起きなさい」
「うぐ……」
両手は後ろで縛られ、両足は正座の形で固定され、その人物は前のめりに倒れながらうめいている。
地面とキスでもしているようだ。
何日も風呂に入れていない上に、排泄物も垂れ流し。
そのせいか部屋には異臭が立ち込め、おおよそ衛生といったものからは縁遠い状況となっていた。
「えさの時間よ」
「……」
大型犬用のえさ皿を部屋の隅から持ってくると、トレイに乗せていたご飯を移す。
さらにその上から味噌汁をかければ、猫まんまの完成だ。
しかしこれを食べるのは、犬でも猫でもなかった。
「お腹空いたでしょう、魔理沙」
「……うぅ」
「少し冷めちゃったけど、残さず食べるのよ」
口元にえさ皿を持っていくと、魔理沙は迷うことなくかぶりついた。
もちろん両手は固定したままなので、口だけで食べることになる。
最初こそ意地を張っていたが、最近は本当に素直になった。
「知ってる? 今日ラジオが始まったのよ」
「……げほ、ラジオ?」
「離れたところの会話をみんなで聞くの」
「通信機か」
「ちょっと違うわ、娯楽品よ」
「そうか」
魔理沙はそれだけ言うと食事を再開した。
こんな目にあっているのに、受け答えはしっかりできるらしい。
腐っても魔法使い、その根性はさすがと言ったところか。
「……」
「お粗末様」
それだけ言い、えさ皿をそこらに放り投げた。
もうここに用はない、戻るとしよう。
「咲夜、待ってくれ」
「待たないわ」
「ああ、頼む、本当にすまなかったと思ってる、もう二度としない」
「聞き飽きたわ、あなたは改心なんかしない、何度でも繰り返す」
「本当だ、誰にだって知られたくないことぐらいあるって事は痛いほど身に染みたんだ」
「これで分かってなかったら脳みそを溶かしたバターと交換したほうが良いわ」
「頼む、頼むよ、本当に申し訳なかった、2度とPADだなんて言わない」
蹴った。
「痛っつ、あ、いや、今のは」
「黙れ」
もう一回蹴った。
「……っ」
「いい魔理沙、前にも言ったわよね」
「あ、ああ、そうだった、お前が怒ってるのは紅魔館に侵入したことについてだ」
「ええそうよ、あと館を壊して美鈴に怪我させて勝手に私の部屋を漁った事よ」
「ああそうだ、それ以外には何もない、本当にすまなかった」
「分かってるとは思えないわ」
「そんなことはない、どうやったら伝わるんだ」
「伝わって尚これよ」
「なんてこった」
私は1度トレイを置くと、魔理沙の油ぎった髪を掴み上げた。
「いい? これは罰なの、反省して当然、後悔して当然、そしてそんなこととは無関係に続くの」
「……そんな」
このとき初めて、魔理沙の顔が弱気にしおれた。
眉をゆがませ目をそらし、今にも大粒の涙がこぼれそう。
その姿に満足し、私は部屋を後にした。
◆
「ああ咲夜、いいところに来たわね」
翌日、山盛りの洗濯物を抱えて廊下を歩いていると、不意にお嬢様に呼び止められた。
しかしながら私の視界の半分は回収した衣類にうめつくされていて、声のする方向にはパチュリー様の勝負下着しか見えない。
こういうのどこで買うのだろう。
「そこにおいでですか、お嬢様」
「午後から神奈子たちが来るわ、あなたも同席なさい」
「かしこまりました」
それだけ言うと満足したのか、お嬢様の気配が消えてなくなる。
同時にかすかに聞こえるパサリという音。
何かと思って洗濯物かごを置いてみれば、お嬢様のお召し物1式が廊下に落ちていた。
「……」
霧になって飛んで行ったらしい。
そしてこれは洗っておけということらしい。
やりたい放題だった。
洗濯と掃除とランチを済ませ、大広間へと向かう。
普段はお嬢様の謁見などにも使う部屋なのだが、テーブルと椅子を用意すれば会議室にもなる。
さて、山の神様とその巫女さんが一体全体何の用だというのだろう。
やはりあれか、例のラジオか。
「まあ、その通りだ」
「かけなさい咲夜」
あまりにも堂々と答える神奈子にあくまでもマイペースなお嬢様。
そして苦笑いしかできない巫女さん。
3人にお茶を配り、自分も席に着いた。
カエルの神様はいないらしい。
「新番組を作りたいんだって」
「はぁ」
なんとなくそんな気はしていたので、2人が来る前にいろいろと調べてはおいた。
「やはり手っ取り早いのは音楽番組でしょうか、外の音源はクオリティの高いものばかりですし、権利団体もここまで追ってはこれません」
「ああ、悪くないね、諏訪子もそういっていたよ」
「さらに曲を紹介するだけでしたらスタッフ側の労力も最小で済むでしょうし、ネタに困ることもありません」
『外の音楽』という新規需要が生み出せれば、輸入業もさらに活性化する。
里の連中にCDを買わせてやろう。
そしてもろもろの利権は紅魔館が総取りする。
「宗教における集団心理のコントロール術にも音楽を使ったものもあります、もっともこの辺りはそちらの方がお詳しいのでしょうが」
「はは、それは密室で長時間単調な……、ああ、いや続けてくれ」
「はい、さらには外の世界でいうところの有線放送というシステムを確立できれば、その放送はすべて山の電波塔から行うことになるでしょう」
「ああ、店の中で音楽を垂れ流しにするやつか」
「はい、慣れない曲調が浸透するまでどの程度の期間がかかるかは予想の難しいところではありますが、元より独占事業、外の世界で流行ることはやはり流行るかと思われます」
「ふーむ」
神奈子は口に手を当て考える素振りをする。
その割にはジロジロと嘗め回すように私を見てくるのが気になるところだけれど。
「他には?」
「はい?」
「音楽番組の他にはあるかい?」
机の上で指を組み、こちらの瞳をまっすぐに見つめてくる。
口元が隠れて見づらいが、端が吊り上っていることは見て取れた。
ちらりと横を伺ってみると、お嬢様も似たような顔つきでこちらを覗いている。
無駄に緊張するからあまり見ないでほしい。
「通販はどうでしょう、文化レベルを上げすぎない程度の外の物品を紹介、カラス天狗がお届け」
「悪くないな、だが八雲ともすり合わせが必要だ」
「リスナー参加型の企画はどうですか? 『そこんとこ教えて、妖怪事情』でも質問を募集していたようですが、あれはあくまで補助的な意味合いに聞こえました」
「それもいいな、次はラジオネーム『ミセス・ケロちゃん』さんからのお便りってな」
「むしろリスナーに質問して面白いものを採用する形式になりますね、付いてこれるかどうかわかりませんが」
「そこはそれ、脚本とパーソナリティの腕の見せ所さね」
「ニュースはどうでしょう、天気予報や行楽情報などを一元化します」
「それは残念だが出来そうもない、新聞が売れなくなる」
「笑えませんね」
「ああ、笑えない」
「人生相談、法律番組、ご近所トラブル解決」
「得意中の得意だ」
「DJ八坂様の誕生でしょうか」
「読むのは天狗にやらせるさ」
「あとはやはりエロですね」
「……なに?」
「ラジオ文化自体がまだまだ未発達ですから、手っ取り早くリスナーを増やせるかと」
「深夜帯に猥談か、それは今まで出なかったな」
なんでしたらウチの色ボケ魔法使いを貸し出します。
「しかしまあ、よくもそんなにすぐ思いつくものね」
「ああ、神社でブリーフィングした時は同じもの出すのに1晩かかったぞ」
お嬢様と神奈子が感心したように言う。
巫女さんに至っては口が半開きだ。
そんな顔をしないでほしい。
こっちだって今朝お嬢様に言われてから慌てて調べたのだから。
「うちの巫女は優秀ね」
と、お嬢様は言う。
「それに比べてこっちのメイドは」
と、神奈子が言う。
誰が巫女か。
「え? 諏訪子様にメイド服ですか?」
「違う、何もかもが」
「どちらかというとスク水の方が」
「お前少し黙ってろ」
なんだこの子は、ふざけているのか。
「話を戻すが、猥談は興味深い、いや変な意味じゃなく」
「わかってるわ神奈子、確かに盲点だった、さすがは10代の女の子ね」
「お嬢様、その言い方は」
「あら失礼」
などと言いながらお茶を飲み干す。
謝る気はゼロらしい。
別にいいけれど。
「えーと、あー、メイド」
「申し遅れました、十六夜咲夜と申します、以後お見知りおきを」
「ああ、咲夜、外で放送された猥談中心の番組はどんなものがあった?」
「それでしたら直接聞いていただいた方がよろしいかと」
時を止め、テーブルの上にラジカセを持ってきた。
河童製ではない、外から持ち込んだものだ。
「実際に外で放送されていたものです」
驚く神奈子を尻目に、カセットテープを再生させた。
よく知らない芸能人が、素人の新婚夫婦相手に夜の生活について赤裸々に語らせている。
「……結構生々しいですね」
そう言ったのは巫女さんだ。
名前はなんだったか。
確か、昨日のラジオで言っていた気がするけれど。
こちや、なんとか。
「これどうしたの? 咲夜の?」
「いえ、パチュリー様の私物です、無断で拝借いたしました」
「不問に処すわ」
「ありがとうございます」
番組が終わる度にカセットテープを交換し、持ってきたものをいくつか聞き終える。
一応方向性の違うものを選出したつもりだ。
「なるほどな、参考になった」
「咲夜、サンプルはこれで全部なのかしら」
「いえ、同様のものが棚1つ分ありました」
「そんなにこのセクシー・オールナイトってシリーズがお気に入りなのかしら」
個人的な趣味か魔女としての性か。
パチュリー様のエロ関係への情熱にはおおよそ底というものがない。
グッズ収集に飽き足らず技能的な分野へもその食指を伸ばし、『48種類全部できるのよ』などとよく自慢している。
挙句の果てには美鈴に性転換魔法をかけて襲いかかるという暴挙にまで出る始末。
私に手を出さないのは彼女なりの倫理なのか。
お嬢様に手を出したら刺すべきか。
それ以前に今現在純潔を保っているのか。
「咲夜、ちょっと咲夜ったら聞いてる?」
「あ、はい、なんでしょう」
「だから、あの子と一緒に里の需要をリサーチしてきてほしいのよ」
「……あの子?」
嫌な予感というかなんというか、そういうことなのだろう。
ニコニコとアホ面で笑みを浮かべる巫女さんは、手のひらをこちらに向けていた。
「よろしくお願いしまーす☆」
「…………よろしく」
テーブル越しに手を握り、私は深いため息をついた。
「つまり、どんな番組が聞きたいか実際に聞いて回るということですか?」
「ええ、予想や統計も大事だけれど『生の声』っていうのも雑には扱えないものなのよ」
「左様ですか」
「頼むぞ咲夜、我らがやるよりも人間同士の方がいくらか口も開きやすかろう」
まあ、言わんとすることはわかるけれども。
「しかしながら、人間の身で妖怪に仕える私では逆に警戒される恐れもあります」
「妖怪の身で妖怪を束ねる私より?」
「神の身で妖怪を束ねる我よりか?」
「……せめて、人を使うことをお許しください」
「うむ、よかろう」
あなたには聞いてません。
「だいじょーぶです! その為に私がいっしょに行くんですから!」
お前は黙ってなさい。
「お願いね咲夜、あなただけが頼りよ」
……まあ、仕方あるまい。
別に無理する必要もないし、ほどほどに成果を出したら切り上げよう。
私は席を立ち、スカートの裾を摘まみながらお嬢様にこうべを垂れた。
「かしこまりましたお嬢様、この咲夜、俗の身ながらも全力にて」
「うん」
ニコニコと笑うお嬢様。
それとは対照的に、神奈子は獲物を狙う蛇のような目をこちらを向けていた。
その表情は玩具を欲しがる子供の様だ。
「あげないわ」
「ぷっぷくぷー」
笑みを絶やさないお嬢様に、神奈子はおどけて返した。
というか、もしかしてそれは流行っているのだろうか。
◆
「じゃ、よろしくレミきゅん」
「OK、カナりん」
と、あまり聞きたくなかった挨拶を交わして神奈子は山へと帰って行った。
いや、確かに山へと帰って行ったのだが、これだと野生動物が巣に帰ったみたいに聞こえてしまう。
まあいいか。
お嬢様はそれを見送りに行き、この場には待つように言われた私と巫女さんだけが残された。
「えへへ、がんばりましょうね」
「そうですね」
そんなことよりもこっちだ。
これと一緒に里を回らなければならない。
お嬢様のご命令とあらば致し方ないが、はっきり言って1人でやった方が効率がいい。
「さーって、メイドさん」
「なんですか巫女さん」
「聞いての通りです、里へのラジオ普及のため、顧客の声をリサーチに行くのです」
「左様ですか、しかしながら私はあまり里の情勢に詳しいわけではないのですが」
紅魔館で暮らしている限り、里との交流はほとんどない。
生活物資は『外』から持ってこれるし、輸入品の売買も向こうが持ってくる台車に載せるだけ。
ぞろぞろと護衛をつけて物資を運ぶ様子はなかなかに壮観だが、その辺の管理はすべて美鈴が行っているため私はろくに人と話すことすらない。
「あー、私もときたま買い物に行くだけでほとんど寄り付きませんね、後はお寺の敵状視察くらい?」
「仲悪いんですか?」
「……まあまあです」
誤魔化すように言う。
深入りするべき事ではないだろう。
「しかし困りましたね、博麗さんはどうですかね」
「まあ、私たちよりは里とも友好的な関係を築いているでしょうが……」
と、そこまで言って気づいた。
いるではないか、適任が。
「巫女さん、いえDJ」
「DJ!?」
「こちらでしばしお待ちください」
「え? あのDJって」
皆まで言わせず時を止め、例の部屋へと移動した。
「魔理沙」
「うお? 今日は早いじゃないか」
上目使いにこちらを覗き込みながら、にやりと歯を見せて笑って見せる。
本当に、どういう神経をしているのだろう。
何日も監禁され、散々な屈辱を味わったはず。
この状況で、この環境で、どうして笑えるのか。
「そろそろ許してあげようと思って」
「あ、本当か!?」
「ええ、いい加減反省もしているみたいだし」
「ああ、マジで悪かったよ、2度としない」
「ほんと頼むわよ、それと1つ条件があるわ」
「ああ、何でも言ってくれ」
向こうは軽口のつもりだろうが、こっちは割と本気であてにしている。
変に嘘をついても意味はないと判断し、ラジオについてのあらましを説明した。
「OK、乗った」
「……」
即決即断。
判断の早い奴だった。
魔理沙を繋いでいた拘束を解き、部屋を片付けた。
時間を止めてやった為、魔理沙には一瞬のことに思えただろう。
「うおっ、すげーな、どうやった?」
「企業秘密よ、いえ、企業秘密です」
「あん?」
「シャワーを用意してあります、どうぞこちらへ」
「ああ、そういうことか」
勝手に納得した魔理沙を立たせ、シャワールームへと案内した。
若干ふらついていたが、たぶん大丈夫だろう。
「DJ、朗報です」
「あの、私はDJではなくパーソナリティなんですが」
「DJ、私はこの呼び方が気に入りました、私たちの友好を深める意味を込めてこう呼ばせてください」
「メイドさんはもしかしてボケなのですか?」
紅魔館家訓第6条、不思議ちゃんにはツッコムな。
私を誰だと思っている。
貴様程度ではメイド妖精の足元にも及ばないし、パチュリー様の影すら踏めない。
「協力者ですか」
「霧雨魔理沙と言います、ご存知でしょうか」
「ご存知も何も有名人じゃないですか、一応面識もあります」
「左様でしたか」
それは話が早くて助かる。
ツッコミは魔理沙に全部任せよう。
「若干14歳にしてプロのトラブルバスター、森の妖怪くらいなら単身で狩ると聞いてます、流石に天狗は無理でしょうが」
「よく御存じで」
「まあ私も18ですがね、メイドさんは?」
「19です」
当然ながら紅魔館最年少だ。
まあ、メイド妖精たちを150億歳とカウントするならの話だが。
宇宙誕生の時からいるらしいし。
「ところがどっこい山の最年少は私ではないのです、去年河童の赤ちゃんが誕生したのです」
「そうですか」
「小っちゃいお皿がキュートでした」
「それは何よりで」
などと雑談に興じているうちに、魔理沙が部屋に入ってきた。
「お、ここだったか、迷っちゃったぜ」
「あ、まりりんちーっす」
「よう、さっちゃん、それにさっちゃんも」
面白い冗談だった。
「誰がさっちゃんですか」
「そう青筋を立てていきり立つなよさっちゃんB、10歳は老けて見えるぜ」
「よくもそこまで滑らかに嘘がつけますね」
「はっ、不可能を可能と騙すのが魔法の神髄なんだぜ」
そんなことは知らない。
「先ほど話した通りです、私たちは新たなラジオ番組を作らなければなりません」
「ああ、嘘はつくけど約束は守るぜ、男と男の約束だもんな」
「さしあたってどうでしょう、地道に聞いて回るにしても効率というものがあります」
「ボケたら拾うのが紅魔館の家訓だってパッチェさんが言ってたぜ」
「え? 紅魔館もそうなんですか?」
「本当に息をするように嘘をつく」
「いや嘘じゃねーよ! お前が知らないわけないだろ」
「え? え? どっちなんですか?」
「DJ、これは信用の問題です、信じたい方を信じてください」
「じゃあメイドさんで」
「なんでだぜ!」
「私にも立場というものがあります」
「これだから宮仕えは!」
宮仕えの意味をはき違えている。
無学なサルはこれだから。
「で、魔理沙、あてはないでしょうか、まとめてたくさんの意見を取り入れられるような場所は」
「寺子屋とかどうですか? あそこの先生と話してみたかったんですよ」
「ガキしかいないぜ?」
「満月の夜に変身するとか乙女心をくすぐられますし」
「人の話聞いてないぜ、寺子屋行くくらいならお寺さんの方がいくらか有意義ぜ?」
有意義ぜ? ってなんだ。
「異教のカス共に頭なんか下げられるか!」
「でかい声出すんじゃないぜ」
「テーブルを叩かないでください、それと私プロテスタントなんですが」
「……失礼しました、この話題はやめましょう」
「それがいいぜ、ちなみにうちの実家は仏教だ」
「寺子屋も命蓮寺もダメならどこが残っているでしょうか」
「商店街ならいつでもある程度の人がいるぜ?」
「悪くはないですが、どういう聞き方したらいいですかね」
「あー、そりゃどんなのが聞きたいかを……いや、それじゃピンと来ないか?」
「むふー、そもそも昨日の放送聞いてくれた人どのくらいいるのでしょうか」
「あたし聞いてないぜ」
「あ、そうだったんですか、じゃあ1回聞いてもらった方がいいですね、神社にデータはあるのですが取ってくるのも時間かかりますね、紅魔館で録音とかしてませんか?」
「……」
「メイドさん?」
「どうしたさっちゃんB、さっきから黙っちゃって」
……今更気が付いた。
これ、無理がある。
里の人間にリサーチをかける。
ラジオ初放送が昨日。
確かに新聞やらなんやらでだいぶ前から周知はしていた。
週末の午後という時間帯も聞きやすい時間かもしれない。
受信機だってタダ同然でばらまいた。
聞いてくれた人も少なくはないのかもしれない。
だからって、昨日の今日でこれはどうなのだろう。
リスナーからすれば、前例が1件しかないのだ。
アイディアなど出せようはずもない。
出たとしても机上の空論。
それでも、お嬢様や神奈子からすれば貴重な情報なのかもしれないが、もう1、2か月待ってからでも遅くはないんじゃなかろうか。
昨日は聞いてなかった人も、来週は聞くかもしれない。
音楽番組でもなんでもいいから手当たり次第に放送し、聞く側もセオリーを理解してからの方が発想の幅も広がるだろう。
それとも、番組の制作とは私の想像以上にコストのかかるものなのだろうか。
不人気な番組は決して許されないレベルで?
だとしたらなぜ2人でやれなんて言う?
もっと確実な方法はあったはず。
魔理沙を起用したのは私の判断だけど、魔理沙が話に乗ったのはたまたまだ。
たまたま、私に逆らえない状況にいたから。
運命操作?
いや、それにしても―――
「ギリギリチョップ!」
「あう!」
DJに頭をどつかれた。
思わず変な声が出てしまった。
「なに1人で盛り上がってるんですか」
「あ、すいませんDJ」
「頼むぜB、それとDJってなんだぜ」
「AでもBでもDJでもいいですけど、私らはこの無茶ぶりをこなして結果を出さないといけないのです」
「しかし、あまりにも効率が」
「効率どうこうよりもまずはやってみましょう! そもそもそういう趣旨だったはずです!」
「そうかもしれませんが、見切り発車で事をなすことはできません、事前に計画を立てるべきです」
「埒が明かないって結論になったじゃないですか」
「それは、そうですが……そうでしたっけ?」
「ならばGOです! グジグジ考えてないでいっぺんやってみろってセロテープ作った人も言ってたじゃないですか」
誰だそれは。
「せろてーぷってなんだぜ?」
「さあ行きますよ2人とも! とその前にメイドさん」
「……なんでしょう」
「昨日の放送録音してませんか?」
◆
幻想郷の里は1つではない。
大小さまざまな里が郷中にひしめき合い、その数は10に届くか届かないかといったところだ。
「私あんな声してたんですね」
「声が緊張しまくりだったぜ」
「うるさいですねー、私だからあれで済んでるんですよ」
「レミリアがなんだって?」
「レミリアさんは役者が違いますよ」
「社交界でスピーチするよりは楽だとおっしゃっていました」
「マジすか」
私たちは今、妖怪の山にいちばん近い、俗にふもとの里と呼ばれる所に足を運んでいた。
この里は幻想郷の中で最も妖怪が出入りする里の1つで、ここならばDJの顔見知りが少なからず存在するし、私への風当たりも比較的マシなものになるだろうという理由だった。
「それにしてもさっちゃんBってメイド服以外を着ると死ぬんじゃなかったのか?」
「今までメイドさんと呼んでいたことが裏目に出ましたね」
「なにがどう裏目なのかはわかりませんが、私だってあの恰好で外を出歩いたりはしません」
基本的には、と注釈がつくけども。
悪目立ちするわけにもいかないので、今は私服に着替えている。
和服はないため洋服だが、最近は里でも着ている人は少なくない。
「しかしありえないぜ」
「悪かったですね」
「お前のファッションセンスがじゃねーよ、こんな美少女が3人もいるのに誰も寄ってこねーことがだよ」
「3人? 私とメイドさんとあと誰ですか?」
「このブロンド美人が見えねーってか? さっちゃんAよぉ」
「若干匂うからでしょう」
「あー、言われてみれば」
「誰のせいだ!」
商店街に着いてからは3人バラバラで活動を開始した。
他の2人は知らない人に話しかけることに抵抗がないらしく、そこらへんにいる里の住人に笑顔で話しかけている。
素直に感心した。
いや、感心というかもっとこう、すごいと思った。
人と交わることもスキルの1つ、とパチュリー様に教わったのはいつだったか。
人と話すのがそんなに難しいわけがない、とその時は心の中で一笑に付していたが、いざやろうとすると軽く足がすくむ。
もしかしたら『交わる』の意味が違うかもしれないが、気づかないふりをしておこう。
道を行き交う見たこともない人たちに話しかけ、情報をもらう。
やるしかない。
やるしかないのだが、怖い。
遠くの方でDJがケラケラ笑いながら魚屋の店主と話しているのが見えた。
話が終わったのを見計らってDJに聞いてみると、別に知り合いでもなんでもないという。
「あー、人見知りっぽいですもんねー、無理しなくてもいいですよ?」
「そういう訳にもいきません、何かコツのようなものがあればご教授願えませんでしょうか」
「……メイドさん、私は巫女としての務めを果たすために『こういうこと』をよくします」
「布教活動、でしょうか」
「それもそうですが、それだけではありません」
神は人と人との関わりの中にいる。
信者の数が力であり、友人の数が誉れであり、知人の数が寿命である。
だから、躊躇えない。
DJはそう語る。
「私にとってはですね、人前でどもってうまくしゃべれなかったり知らない人に変な目で見られることよりも、そんなことにビビッて足を止める事の方が恥ずかしいのです」
「……」
「これは失敗が許される務めです、躊躇う理由がありません、だからGOです」
「……DJ」
「はい」
「私、守矢に改宗します」
「あは、ありがとうございます、まあラジオで司会やるよりは簡単ですよ」
DJの激励を背に、私はその場を後にした。
ありがとうDJ、気合は入った。
そして1人でやった方が効率いいとか思っててすみませんでした。
なんとなく最初は年の近い女性で慣らしていきたいなどと思っていたが、やめた。
それでは不肖この十六夜咲夜、生まれて初めての逆ナンと行きましょう。
◆
そして2時間後、約束していた茶屋で落ち合った。
「大丈夫かお前、顔青いぞ?」
「そうみたいですね、大丈夫ですかDJ」
「いえ、あなたのことですよメイドさん」
「そうだぜ」
「……そうでしたか」
言えない。
2時間中の1時間半を相手探してうろうろしていたなんて言えない。
死地に赴く気概で話しかけた人が里の自警団の人で、『吸血鬼の手先め』的なことを言われて残り時間ずっとへこんでいたなんて言えない。
やっぱり女子供を相手にすべきだった。
大人の男の人怖い。
助けて美鈴。
「さーて、それじゃあ成果発表と行きましょう」
ビクッ。
「とりあえず若いやつら中心に聞いといたぜ、ていうかほとんどの奴がラジオ聞いてない」
「あー、やっぱりそうですか」
「あ、でも自警団の連中が結構聞いてたな、妖怪の情報欲しいって」
「うむむ、そういう使い方もされますよね、わかってたことですが」
「要望としちゃーそうだな、一言で言うなら『知られざる妖怪の生態』特集組んでほしいってとこか」
「ずいぶんストレートな物言いですが、要するに敵の情報が欲しいと」
「ま、そういうこった」
「もうちょっと平和な意見はなかったんですか?」
「人里の紹介番組が欲しいってのがあったぜ、あっちの里のラーメン屋が評判いいだとか、こっちの里の商店で新発売だとか」
「あー、なるほど、いい感じですね」
「あたしも忘れてたんだが、里の人ってのは意外と他の里に行かないもんなんだ」
「まあ道中危険ですしね」
「あたしはその辺フリーパスなんだがな、山とか丘とかじゃなけりゃ」
「山には来たじゃないですか」
「異変中は特例さ、こいつを振りかざせばとどめは刺されない」
「スペルカードですか、なんだかんだ言いつつ普段使ってる人いませんよね」
「ま、あたしからはこんなもんさ、そっちは?」
「私の方はですねー、老若男女広く浅く当たってみました」
「結果は?」
「誰もラジオ聞いてません」
「だよなー」
「100人くらいに聞いたんですけどねー、ゼロでした」
「1人1分強かよ」
「何人か固まってるところでまとめて聞きましたからね、こういうのは得意です」
「流石だぜ」
「ラジオの存在自体は聞いてるみたいなのですが、夜の6時って普通に仕事とか家事とかしているみたいで」
「ふーん」
「やっぱりもっと遅い時間の方がいいのでしょうか」
「ところでさっちゃんB、息してるか?」
「……」
「ま、まあメイドさんの成果は今度にしましょうか、まだ日も落ちてませんし、もうひと頑張りですよ」
「ああそうだな、また2時間でいいか?」
「申し訳、ありません」
「あ、いや、ですから、じゃあ2時間後にここで」
だめだ。
うやむやにだけは、してはいけない。
「1人にしか、聞けませんでした」
「……人には向き不向きがあるぜ」
「そうですよ、まあその1人はラッキーだったと思えば」
「死ね人類の敵め、と」
「Oh……」
「当然だろ」
「ちょっと!」
「お前そう言われるの覚悟で来てたんじゃないのか?」
「……」
「だからって女の子に言っていい言葉じゃありません!」
「よかったじゃねーか、嘘偽らざる本音が聞けて」
「やめてください魔理沙さん!」
「なんだ、まりりんって呼んでくんねーのか」
DJはかばってくれているが、どっちの言い分が真っ当かわかる程度には私は冷静だ。
分かっていたことが起きて、勝手にへこんでいるだけなのだ。
「ありがとうございますDJ、しかしこれは私の問題です」
「信者の問題は私の問題です、解決しなければなりません」
「お気持ちは嬉しいのですが、そのために足並みが揃わなくなってしまったら本末転倒です」
「お前いつからモリシタンになったんだよ」
「いいですかメイドさん、掃除洗濯が一夕一朝では上手くなれないように、初対面の方と笑顔で接することも簡単ではないのです、相応の訓練が必要なことなのです」
「それはまあ、そうなのかもしれませんが」
「いやだからいつの間に信者になったんだよ」
「それがご自身の問題だとおっしゃるならそれもいいでしょう、ですがこれは1人で解決しなければならないことでしょうか、もっと効率のいい方法はないでしょうか」
「……」
その通りだ。
自力ではもう、すでに2時間もかけてやっているのだ。
同じことを繰り返すのは効率的ではない。
ならどうする?
聞くは一時の恥。
重要なのは命令の遂行。
ここはDJに頭を下げ、教えを乞うのが最短ではないか。
そして後でお礼に特大のケーキでも作ってプレゼントしよう。
「DJ、私1人では知らない人に話しかけることができません、協力してくださいませんでしょうか」
「『プリーズ』が足りません」
「はい、どうかお願いします」
私は立ち上がり、静かに頭を下げた。
ちらっと見えたDJの目は、驚くほどに冷たく鋭く、どこか蛇のような印象を受けた。
しかしそれも一瞬のこと、すぐに柔和な顔に戻る。
「お任せください! この現人神、信者に頼られて時こそ真価を発揮するのです、必ずやメイドさんを営業のできるメイドさんに変えて見せましょう、『ほんとの私、デビュー』です」
「よろしくお願いします」
私はDJと手を取り合い、新たな領域への挑戦を決意した。
さあ、第2ラウンドだ。
「よくわかった、お前らあたしのこと嫌いなんだな?」
◆
逢魔が時のふもとの里を、巫女とメイドが2人で回る。
狙いは仕事上がりのお父さん方。
DJは上空10数メートル地点まで飛び上がりキョロキョロと辺りを見回したかと思うと、私も来るように手招きする。
「見えますか? あそこに集団で歩いている人たち」
「……はい」
DJの指差す方を見れば、若い男たちが7~8人固まって歩いているのが見える。
誰もが農具と思しきものを所持しており、くたびれながらも充実感にあふれた顔をしている。
「農作業帰りの方たちでしょう、彼らに話を聞いてみたいと思います、ていうかメイドさんよく表情まで見えますね」
「視力両目とも2.0なので」
「すごいじゃないですか」
訓練とブルーベリーの賜物です。
「ところで今何時ですか?」
「……5時20分です」
「いい感じですね、昨日もこの時間に家路についていてくれたら」
「聞いている公算大、ですか」
「ですです」
「いいですかメイドさん、若い男の人には多少バカっぽいキャラの方が受けます、変に恰好つけないでください」
「ぜ、善処します」
「善処ではだめです、やってください」
「了解です」
それだけ言うと、集団の先頭の方へと降下していった。
私も慌てて後を追う。
「お父さん方お疲れ様でーす、ファンタジック・ラジオ・ラインの東風谷早苗と申します」
「お、同じく、十六夜咲夜と申します」
うわ、ほんとに迷わず飛び込んだ。
「お? なんだい嬢ちゃんたち」
「えっへっへー、昨日からラジオの放送している者なんですが、この中に聞いてくれた方とかいらっしゃいませんかー?」
2人で話していた時よりも、3割ほど声が大きい。
これもあれか、テクニックなのだろうか。
「あ、おれっち聞いたぞ、『そこんとこなんとか』だろ」
集団の端にいた比較的若い、と言っても私たちよりは年上であろう青年が声を上げた。
その瞬間、DJの目の色が変わった。
獲物を見つけた、ハンターの目だ。
「うわー! ありがとうございます! 私司会やるの初めてだったんですけど、変じゃなかったですか?」
「あ、ああ、よかったと思うよ」
至近距離。
DJは触れ合いそうになるほど青年に近づき、嬉しくて嬉しくて堪らないといった表情で顔を覗き込んだ。
さらに互いの身長差を利用し、上目づかいで泣きそうな顔に変化させる。
これは私にもよくわかる。
よくフラン様が美鈴にやっている奴だ。
この後どうなるかも予想できる。
「う、ううー」
「わ、な、ど、どうした」
「うわーん!」
「うひゃおうわ!!?」
DJは青年に飛びつくと、その胸に頭を押し付けワンワン泣き出してしまう。
周囲の男性諸氏もどうしたらいいかわからずおろおろするばかりだ。
あんたら年頃の娘とかいてもおかしくないだろうに。
「えーん」
「な、な、な、なんだ、どうした」
「うう、ぐす、すみません、朝からずーっとラジオ聞いてくれた人探してたんですが、だーれも聞いててくれなくて、それで嬉しくなっちゃって、つい」
「そ、そうか」
そう言ってDJは名残惜しそうに青年から身体を離した。
身体を離しつつもぎりぎりまで指先を相手の胸に這わせるところがポイント高いのかもしれない。
「でも、本当にありがとうございます!」
「ああ、いや、おもしろかったよ」
あなたの顔も面白いように真っ赤になってますよ。
「えっへっへー、あーでも皆さんいつも仕事終わるのこれくらいの時間なんでしょうか」
DJはぐるりと振り向きながら問う、誰に、というわけどもなく、ただの確認のようだ。
「だったらもっと遅い時間に放送したほうがいいでしょうか?」
今度はかなり年配の方に聞く。
おそらくこの集団のまとめ役だろう。
『放送すれば聞く』と勝手に前提としたずるい聞き方だ、しかも誰に聞いたところで肯定と取れる返事が期待できる。
まさか『は? 何時にやったって聞かねーよガキが』などとは返ってくるまい。
だからこそ、この方に言わせることで集団の総意のように錯覚させるつもりなのだろう。
という理屈はなんとなくわかるのだが、なぜそれをこうもよどみなく実戦で行えるのか。
場数が違うのか。
それともそんな意図はないのか。
私の考えすぎか。
「あー、まあそうだなー、なんつったっけ、らずお?」
「はい! ラジオです!」
さっきまでの嘘泣きが嘘のよう。
ニコニコした笑顔でハキハキと元気な声を発する少女の姿に、年配の男性もつられて笑顔になる。
なるほど、そうやるのか。
「あー、かかあがいいっつったら聞いてみっがなー」
「ありがとうございます!」
その姿ははち切れんばかりに尻尾を振る犬の如く。
DJは全身で喜びを表現している。
これはむしろ本業のスキルだろうか。
祭事で踊りとかやるみたいだし、そっち方向の。
「ほらほら、さっちゃんもちゃんとお礼言う!」
「う、あ、ありがとうございます!」
い、いきなり振るんじゃないわ。
周りの人たちも私の慌て方が面白かったのか、笑い声が聞こえてきた。
想像以上にこっ恥ずかしいが、だからどうした。
私も問題児どもを束ねる紅い館のメイド長。
こんな連中ちょっとゴツイ新人メイドだと思えば。
「来週の金曜にもまたやるんですが、よかったら聞いてくださいますか?」
飛び切りの笑顔で言い放つ。
こんなのお嬢様にだって見せたことはない。
「はーい、午後6時から1チャンネルで放送になりますので、皆さんよろしくお願いします」
DJも合わせてくれる。
「おお、おれっちまた聞くぜ!」
「なんじゃ、おもしろそうじゃきに」
「おいも聞こーかな」
多少バカっぽく、メイド妖精を意識して。
やれ! 吹っ切れろ! 私!
「あは、ありがとうございます! 一生懸命やりますのでよろしくお願いしまーす!」
DJではない、私のセリフだ。
普段の私からはおおよそ想像もできないほど砕けた言動。
こんなところをお嬢様に見られたらどうしようか。
決まっている、胸を張ればいい。
「みなさんよろしくお願いしまーす」
「あいよー」
「へーい」
そのあと2言3言話をし、私たちは集団を見送った。
2人して手を振って、だ。
DJが泣きついた青年が何度もチラチラと振り返ってきたので、いつまでも振り続ける必要があった。
「ふはー」
「へへ、お疲れ様です」
疲れる。
身体がではない、心が疲れる。
でも、悪い心地ではなかった。
「さてメイドさん、次行きますよ」
「OK、DJ! いくらでも行きましょう!」
「はっはー! 染まってきたじゃないですか!」
「それでこそ守矢の信者でしょう?」
「それでこそ紅魔館なのですね?」
この幻想郷では、自分のキャラに囚われてはいけないらしい。
◆
「結果報告ターイム」
すっかり日が沈んだ頃、里の端にあるバーに集合となった。
洋風の店で洋酒が出る癖にメインのツマミが煮物という一風変わったバーで、美鈴のお気に入りの店の1つだ。
実は前から1度来てみたかった所だったりする。
テーブル席を1つ占拠し、注文していたものが来るのを待ってから結果報告を始めた。
「まりりんどうでした?」
「ああ、あたしの方は結構収穫……うめーなこれ」
モツ煮に舌鼓を打ちながら、魔理沙は成果を報告する。
「もぐもぐ、今回はあえて数人に絞って時間かけて聞いてきたぜ」
「ああ、そういう方法もありましたかー」
「布教じゃこういうのはしないだろうな」
と言って側にあったグラスを傾ける。
未成年に酒は出せないという至極真っ当な理由により、全員ソフトドリンクだ。
「ごはぁ! なんじゃくりゃ!」
グラスに口をつけたと思ったらこれだ。
なんとなく予想していた私とDJは、特に慌てることなく魔理沙が零した黒い飲み物をおしぼりでふき取った。
「舌になんか刺さったぞ!?」
「なにを世迷いごとを」
「炭酸飲料ごときにビビってんじゃねーです」
ごくごくとコーラを飲む私とDJを、魔理沙は奇異の目で見つめてくる。
そして私たちと手に持ったグラスを見比べると、もう1度挑戦しようと口をつけた。
「……うへぇ、なんでこんなの飲めるんだぜ」
「慣れれば病み付きですよー」
「骨をも溶かす魔性のドリンクです」
「そんな危険物をよく飲めるな」
「で、まりりんの炭酸飲料初体験はいいとして、結果はどうでした?」
「あ、ああ、その時間帯確実に暇なじい様たちに聞いてきたんだけどよ、若いねーちゃんが出てくるやつがいいってよ」
「安易ですねー」
やはりエロか。
私は間違ってなかった。
「魔理沙、それはどこで聞いたんですか?」
「碁会所だぜ、店長には貸しがあるからタダで入れた、あとこれあげる」
「さすがまりりん、俺たちにできないことを平然とやってのける」
魔理沙が押しやってきたコーラを受け取りつつ、DJはブリの煮付けに箸を伸ばす。
「あとは囲碁の対戦者を募集したいとかが多かったかな」
「対戦者募集よりも囲碁実況とかの方がいいですかね」
「よろしいんですか? 里の人間をスタジオに入れて」
「あー、それがありましたか、いや、里で録音すればいいんですよ、生放送にこだわる必要はありません」
それもそうか。
ふと見ると、魔理沙が何か複雑な表情でテーブルの隅を見ていた。
何か変なこと言っただろうか。
それとも追加注文だろうか。
「……ところでさー」
パチンと箸をテーブルに置くと、魔理沙はなんでもないことのように言う。
「そのラジオってのに、あたしが出てもいいのかね」
「……」
「……」
私とDJと、2人揃って言葉が詰まった。
魔理沙が、ラジオに?
DJの方を見る。
いまだかつてないほどに、真剣な顔になっていた。
「それは、私の一存では決められません」
DJは慎重に言葉を選んだようだ。
「ふーん、あっそ」
「しかしここまで協力していただいたのです、出演できるよう掛け合ってみましょう」
「いいよ、無駄だろ」
別に期待していた訳ではないのだろう。
魔理沙はつまらなそうにホッケの身を箸で崩し始めた。
「魔理沙さん、私としましては」
「もういいって」
魔理沙はにべもない。
しかし、実際問題無理だろう。
なぜなら、魔理沙は敵だから。
忘れていた訳だはない。
お嬢様は人類の敵。
神奈子もこっちサイド。
私とDJはそれらに与する者。
そして魔理沙は、それらを討つ者。
妖怪を殺す、人間サイドの人間。
人類の持つ数少ない対抗手段。
妖怪とタメ口が聞ける貴重な人材。
それが霧雨魔理沙という人物だった。
とてもじゃないが、山のスタジオにご招待とはいかないだろう。
たまに紅魔館に来るのだって、遊びに来ているわけではないのだ。
「別にあたしら、友達じゃねーんだし」
魔理沙は、わざわざそれを口に出した。
きっと本人にも割り切れないところがあるのだろう。
言わずには、いられなかったのだろう。
許されるのなら、私だって忘れていたかった。
しかしそれは、許されない。
こうして食事を供にすること自体、奇跡を通り越して異常なのだ。
「……」
それから3人、しばらく無言で煮物をつついた。
味は、よくわからなかった。
「もう、いいんだろ」
「……はい?」
「手伝えって話」
そうだ、そういう話だった。
「ええ、もう十分です」
私には、そうとしか答えられなかった。
◆
その日はそれで解散となった。
DJは山へ、魔理沙は森へ、私は紅魔館へ。
帰路は全員ばらばらだ。
「お帰り咲夜、どうだった?」
帰るなりお嬢様に報告する。
里で上がった要望をまとめ、簡潔に報告した。
詳しい内容は後々書面で提出する。
しかしなぜだろう。
報告を聞くお嬢様はつまらなそうに相槌を打つばかりだ。
まあ、確かにあまり実のある調査ではなかったが。
「ふーん、で、早苗ちゃんとは仲良くできた?」
「はい?」
「あんた結構箱入りだし、ちゃんと仲良くできたかなって」
「ええ、まあ」
なんだ、この違和感は。
アンケートの結果より、そっちが気になるというのだろうか?
「あの、お嬢様」
「なにかしら」
試してみるか。
「その、私は人と話すのが得意ではなく、早苗さんにいろいろ教わりながらの作業になりました」
「まあ! そうだったの咲夜、後でちゃんとお礼言いに行くのよ?」
「はい、ケーキでも焼いて持っていこうかと」
「素敵ね、それがいいわ!」
お嬢様は途端に笑顔になる。
明らかに態度が違う。
どういうことだろう。
いや、想像はつく。
しかしそんなことを考えたくはない。
だが、と思う。
もしかしたらお嬢様は私のために、同世代の友達を用意しようとしたのかもしれない。
年も種族も生態も、何もかも違う者たちに囲まれて生きてきた。
そんな私がさびしくないように、1人にならないように。
似た境遇の彼女を連れてきたのかもしれない。
だとしたら、どうしよう。
そんな下らないことのために、今日1日駆り出されたのだとしたら。
私は明日から、お嬢様をどんな目で見なければならないのだろう。
(咲夜、それはちがうわ)
「?」
きょろきょろと辺りを見回す。
しかし頭のイカレた魔法使いの姿はどもにもなく、ドブネズミの鳴き声のような汚い声だけが響いていた。
お嬢様にも聞こえている様子はない。
「ねえ咲夜、それから何があったの?」
「あ、はい」
(誰が声が『まきいづみ』そっくりだって?)
こいつ、直接脳内に……。
(こら、目上の人をこいつとか言わないの)
「言い忘れましたが、早苗さんの他に霧雨魔理沙にも協力を依頼していました」
「え、そうだったの?」
「といってもほとんど別行動で、私は早苗さんと2人でしたが」
「あ、うんうん、ならいいのよ」
目上もなにも私にはあなたが誰なのかもわかりません。
(うふふ、あなたの尊敬する偉大なる超魔法使い、パチュリー・ノーレッジよ)
なんだやっぱりお前か。
(『お前』はやめなさいってば)
ええい、パチュリー様の名をかたる悪徳魔法使いめ、私の敬愛する図書館の主は人の頭を勝手に覗いたりしないのよ。
「あとはそうですね、人と接する技術というものがいかに難しいか痛感いたしました」
「あーわかるわかる、人がやってるの見る分には簡単そうなのよね」
「はい、その点早苗さんは流石でした」
(そう、人と接するのは難しいの、自分のことばかり考えて腰振っちゃダメなのよ咲夜)
死ね。
(そ、そこまで言うことないじゃない、私の咲夜はそんなこと言わない! あんたこそ偽物なんでしょう!)
「あらあら、ずいぶん親しくなったものね、いい感じよ」
「はい」
「この調子で仲良くなさい」
「……はい、あの、それは望むところなのですが、なぜそんなにも私と早苗さんの仲を気になさるのですか?」
思わせぶりな魔法使いはなんの役にも立たない。
もういい、自分で聞こう。
「あら、その方が都合がいいからよ」
「都合、ですか?」
「いい咲夜、組織の交流って言うのは下の者から始めるものなの」
「はあ」
「あなたたちが仲良くすればするほど、私と神奈子も腹を割って話せるのよ」
ああ、なるほど。
そういうことでしたか。
(ね、言った通りでしょう?)
「まあ、下の者って言っても流石に妖精ちゃんたちじゃまずいからね、向こうも人間だし、誰か1人出せと言われたら咲夜よ」
「納得いたしました」
「諏訪子の方とも同じようなことをしているわ、こっちはパチェだけど」
「な、パ、パチュリー様をですか?」
信じられない。
あの女に任せて事態が好転するところが全く想像できない。
(んだとこら、いい加減にしろよ)
パチュリー様もいい加減人の心読むのやめてください。
(ぷっぷくぷー)
やめてください気持ち悪い、誰発祥なんですかそれ。
「まあちょっと堅物なところあるけどね、こっちも向こうも参謀ポジションだし、ちょうどいいわ」
おっかない話しそうよねー、とお嬢様はクスクス笑った。
お嬢様騙されてはいけません。
参謀はともかく間違っても堅物ではありません。
(……堅物だと思われてたんだ)
なんで寂しそうなんですか。
狙ってやってたんじゃないんですか?
(レミィの前で品のないこと言えるわけないでしょう!?)
その調子でフラン様の前でも、いえ美鈴以外すべての方の前でおやめください。
「馴れ合う必要も触れ合う必要もないわ、ただ隣り合っていなさい、それが紅魔館の利益となるの」
「……」
「そういう訳だから、よろしく頼むわ咲夜」
「かしこまりました、お嬢様」
(あら、美鈴はいいのね)
美鈴は分別のある大人ですから、勝手に軽蔑されてください。
(ひっど、さっちゃんBひっど)
ひどくな……なぜ貴様が『B』を知っている。
(えー? ずっと見てたしー、『あは、ありがとうございます! 一生懸命やりますのでよろしくお願いしまーす!』だっけ? ほら、胸を張りなさいよ、あ、もしかしてそれで精一杯? ごめーん背中かと思ったー)
時よ止まれ。
そして時は動き出す。
(うわらば!! ブツッ) ツー、ツー、ツー。
「……」
悪は去った。
守矢神社にいると思ったら案の定だった。
ぶっ殺す、と思った時にはすでに実行している。
ぶっ殺した、なら使っていい。
「にしてもパチェ遅いわねー、泊まる気かしら、あ、寝ないんだっけ?」
「今夜はきっと戻られませんよ」
「そう? ずいぶん嬉しそうね」
「お嬢様を独り占めできますから」
「あらあら、甘えんぼさんねぇ」
まったく、お嬢様のありがたいお話がパチュリー様のせいで台無しだ。
せっかくいいこと言っていたのに。
「おいで咲夜」
「はい」
お嬢様に導かれるまま、その足元に跪く。
そして私は、その寵愛を一身に受けることを許された。
「なでなで」
「……あぅ」
「もうこんなので喜ぶ年でもないのよね、なんだか寂しいわ」
「いえ、満更でもない自分が憎らしいです」
◆
『幻想郷のみなさーん! 祀られるものですよー!!』
そして次の金曜日。
『始めましての方始めまして! そうじゃない方も始めまして! ファンタジック・ラジオ・ライン、FRRの東風谷早苗でございます』
今日も食堂の一角でみんなの視線をラジオが独占していた。
ちなみに今回はお嬢様もフラン様もいるし、パチュリー様の友人であるアリスさんもいらしていた。
アリスさんとは以前いろいろあったが、今では和解している。
それにしても吸血鬼のお2人は眠そうだ。
『“そこんとこ教えて、妖怪事情”第2回目のゲストはこの方、新聞だけでは収まらない! 一番乗りは私のもの! 幻想郷最速! 射命丸文さんです』
『あややや、清く正しい射命丸です』
妖精たちも含め20人以上が集まるといかに広い食堂でも手狭になってしまうし、ラジオの音も端まで届かない。
そこで考案されたのが紅魔館特性6連結スピーカーである。
もともと5.1chサラウンド用に所有していたパチュリー様の私物をナイフをちらつかせて接収し、改造させた。
ラジオをたくさん用意すればいいだろと美鈴に言われたが、その時すでに改造は終わっていた。
壁に頭を打ち付けるパチュリー様は見ものだった。
とにもかくにもみんなでラジオを聴くことができる。
ちなみにラジオ本体にステレオ用のミニジャックがなかったため、中身を分解して無理やり接続している。
しかもなぜか電池式からコンセント式に変わってしまっていた。
でもちゃんと音は鳴る。
ずいぶんメカに強い魔法使いだ。
(アンプ追加したから電力食うのよ)
ちっ、また奴か。
(私のウーハーユニットが……)
だから直接脳内に語りかけるのはおやめください。
『え? お便りが来ているのですか?』
『いやーそうなんですよー、新聞配達してたら外来人の方からもらっちゃいましてー』
『あは、うれしいですねー、さっそく読み上げてみましょう、えー、ラジオネーム“フィクション大魔王”さんからのお便り』
『ラジオネームってなんですかねー』
『あー、ラジオに投稿するときに使う名前ですよ、別に本名でもいいのですけどね、凝ったお名前もお待ちしております』
(そのケーブルもいくらしたと思ってるのよ、1メートル200ドルくらいするのよ?)
こんなものがそんなにするはずがない、魔法使いはみんな嘘つきだ。
(それは聞き捨てならないわね)
(アリス! わかってくれるのね!)
(ええ、オーディオは淑女のたしなみよ、私はもっぱらレコードだけど)
(ああ、なんてこと、求めてやまなかった同志はこんなにも近くにいたというのね)
(ええ、今夜はベッドで語り明かしましょう)
私の頭でチャットをしないでいただきたい。
ていうか頭が痛い。
あいたたたた。
(む、音悪いわね)
(流石に2人はきついわよ、場所を変えましょう)
(ちっ、使えないサーバーね)
……あいつら毒とか効くのだろうか。
「咲夜大丈夫か? 顔色悪いぞ」
「ありがとう美鈴、あなただけが頼りよ、ところで中国で過去一番猛威を振るった毒って何?」
「……アヘンかな」
『あーこれは番組への要望ですね、なになに? “もっとエロス満載な番組が聞きたいです、できれば深夜に放送してください、こそこそと人目を忍んで聞くところにロマンがあるのです”』
『……わあ正直ですね、でもわからなくはないですよ? 私もそういう話は好きですし』
「おいパチュリー、なに投稿してるんだよ」
「わ、私じゃないわよ、限りなく私っぽいけど」
『なるほどー、天狗はエロエロがお好きですか』
『ちょ、へ、変な言い方しないでくださいよもー』
『実はですねー、あるんですよ深夜企画』
『え? 本当ですか?』
そうなのだ、通ってしまったのだ、あの企画。
深夜帯に猥談番組。
これが私発案などと何人の人が信じるだろうか。
「ふふふ、咲夜のアイディア通ったのね」
「えー? 咲夜が考えたのー?」
「お嬢様、あまり言いふらさないでください」
「咲夜エロー」
「フラン様もおやめください」
取り乱してはダメだ。
この手の状況でわずかにでも隙を与えようものなら、私のあだ名は永遠にエロス大魔王になってしまうことだろう。
そしてこの思考を読んでいる魔法使いがいたら刺そう。
「ゲホッゲホッ」
「コホン」
そしてわざとらしく咳き込む人物が2人。
まるでパチュリー様が2人になったかのようだ。
そして私のプライバシーはどこにあるのだろうか。
「メイド長えろー」
「えろーん」
「むっつり長ー」
「地味にマゾヒストー」
「エロスー」
とりあえずメイド妖精たちに拳骨を食らわせながら、事態の鎮静化を待った。
時の流れは大抵のことを解決してくれる。
『という訳で新番組“マーガトロイドの微熱な日々”、来週の土曜、夜11時から放送しまーす』
『わーお』
「みんな聞いてねー♪」
「あんたかよ!」
「ちょっとアリスなんで私呼んでくれなかったの!?」
「アリスえろー」
「エロー」
えろー、えろー、とメイド妖精たちの合唱が始まり、私に向いていた矛先は完全に向こうへ行った。
よし。
番組自体はどうでもいい。
ついでにパチュリー様も巻き込んでくれるとうれしい。
『マーガトロイドって、魔法の森のアリスさんのことですよね』
『はいはいそうですよー、人形使いのアリスさん、私もこの前ぬいぐるみ作ってもらっちゃいました』
『へー、早苗ちゃんそういうの好きなんですか?』
『そうなんですよー、この間も……』
しかしながらDJ、前回に比べて格段にしゃべりがうまくなった気がする。
話の拾い方、つなぎ方、切り替え方。
まだ2回目だというのにもうベテランの風格だ。
さりげなく紅魔館の輸入品を話に取り入れるところなど、感動的ですらある。
これこの前、北の里で見つけたんですけどー、などと魔理沙の拾ってきたアイディアも組み込みつつ、中身は立派な宣伝。
言われなければ、気づかない。
『そうだ早苗ちゃん、早苗ちゃんみたいなラジオの司会の人ってなんていうんでしたっけ、DJでしたっけ?』
『あーよく間違えられるんですが、ディスクジョッキーは音楽を紹介する人のことですね、音楽を紹介する番組ができたらそっちの司会がそうなります』
『へー、そうなんですか』
『会話がメインの番組でしたらパーソナリティっていいますね』
むぅ、やはりDJって呼ぶのはまずかっただろうか。
「言われてるわね咲夜」
余計なお世話ですパチュリー様。
「……咲夜?」
「……余計なお世話です」
「うふふのふー」
……読んでなかったか。
『ですのでパーソナリティって呼んでください』
『はーい』
『コホン、私をDJと呼んでいいのは1人だけです』
「……!」
『あれー? そのラッキーな人はどなたですかー?』
『ひーみつー、です』
『ははーん、さてはコレですね? イヤー若いなー』
『いやいや射命丸さん、親指立てたって見えませんよ』
『あ、そうでした』
……。
私のこと、だよねぇ。
「咲夜? どうした、やっぱ調子悪いのか?」
「あ、ううん、平気」
「……ハンカチ貸してやるよ」
「うん、ありがとう美鈴」
なんだか、じんわり来てしまった。
『あややや、もうこんな時間ですか、早いもんですねー』
『うーむ、楽しい時間は早く過ぎてしまいますね、もっと長くしてほしいという要望が多かったら放送時間も伸びるかもしれませんが』
『あざといですねー』
『そ、そんなことないですよー、っと、そろそろ本当にお時間が来てしまいました』
『あいあいー、みんな天狗の社会も大変だってことが分かってもらえましたかー?』
『さーて射命丸さん、来週のゲストはだれを呼んでくれるんですか?』
『大天狗のじじいと言いたいところですが、奴はヘルニアが悪化したとかで入院しちまいましてね』
『あー、だいぶお年を召してますものね』
『代わりと言っちゃなんですが、もっといいのを呼んでおきました』
『どなたです?』
『八雲藍です』
『うは、八雲さんですか』
『今でこそ管理者の側近だとか言われてますがね、昔はよく一緒に遊んだものです』
『幼馴染なんですね?』
『まー腐れ縁ですよ、藍と私と燐で山の悪ガキ3人組と言われていたこともあります、何気に私が一番出世してないです』
『へー、あれ? 燐ってたしか地下の……』
『ま、いろいろありましてね』
『ではそのへんの事情も来週藍さんにうかがっていきましょう、“そこんとこ教えて、妖怪事情”ではリスナーの皆様からのご意見ご感想を募集しております』
『待ってまーす』
『それでは皆様また来週、金曜午後8時にお会いしましょう』
『あややや、放送時間変わりましたので間違えないでくださいね』
『はい、金曜午後8時です、お間違え無く! この放送はFRR、ファンタジック・ラジオ・ラインがお送りいたしました、それではまた! ぷっぷくぷー!』
『はーい、ぷっぷくぷー!』
ジャスト1時間。
今日のラジオも無事に終了した。
しかしながら、いろいろとあったいうのがなんなのか地味に気になってしまった。
一体何年前の話なのか。
そしてあの八雲藍が『ぷっぷくぷー』などと口にするのか。
これは来週も聞き逃せない。
そんなことを思いながら、私は食堂を後にした。
◆
その事件が起きたのは、それから1か月ほどたったある日の夕方のことだった。
その日は雲一つない快晴で、そろって休暇をもらった私と美鈴は2人で近くの里に出かけていた。
端っこが赤くなり始めた空の下、育ての親であり、名づけの親であり、生みの親の仇である人食い妖怪と隣り合って歩く。
美鈴といるときは、変に気を張らなくて済む。
というか、そんな気にすらなれない。
私だけではない。
お嬢様も、フラン様も、あろうことかパチュリー様までもが美鈴の前では非常にリラックスした表情を見せてくれた。
ぶっきらぼうなくせに、不思議な魅力を持っている。
そんな同僚と買い物に来ていた。
「あれ? メイドさんじゃないですか、こんにちは」
最近よく来るようになった店でお茶葉を物色していたら、見知った顔に出くわした。
「DJ、あなたもお茶を?」
「はい、射命丸さんにこの店オススメだって教えていただきまして、メイドさんはよくこちらに?」
DJとはあれ以来結構な交流がある。
なんのかんの言いつつ人間同士で年が近いというのは大きなパラメータなのだと痛感するが、それだけではない。
彼女は彼女でお嬢様とはまた違う求心力があり、なんだかゾクゾクしてしまうのだ。
「ええ、よく来ますよ」
「そうなんですか? よかったらいいお茶を教えてくださいませんか?」
「そうですね、これなどは酸味が少なく……」
実際、守矢との合同任務ではほぼ確実に彼女と組まされ、DJが指揮を執り私が実行する、というパターンが出来上がってしまっている。
私に従者根性が染みついているように、彼女は天性の指揮官なのだ。
私がプロのメイドであるように、彼女は神の代行人なのだ。
案外うちのメイド妖精たちも、DJなら軽くまとめられるのかもしれない。
「あは、ありがとうございます、じゃあそれにしてみますね」
「ええ、きっと気に入ると思います」
DJはこれから収録のための打ち合わせがあるらしく、すぐに行かないといけないらしい。
そう言えば今日は金曜日だったか。
もう少し話していたかったが、そういうことならば仕方がない。
「咲夜ー、決まったー?」
「どこに隠れてたのよ美鈴」
「いや、邪魔しちゃ悪いと思って」
なにを言ってるのか。
「んじゃ、それ買ったらそろそろ帰るか? まだ寄るとこあるか?」
「そうね……あ、この前フラン様が湯呑み割っちゃったんだった」
「あー、そうだった、ここに売ってねーかな」
「……なさそうね、瀬戸物屋さん近くにあったかしら」
そのあと結局他にも色々と店を回ってしまい、当初の帰宅予定より遅い時間になってしまっていた。
「げ、もう7時回ってんじゃん」
「夕飯食べてっちゃう?」
「だーめ」
太陽はかろうじてその残光を西の空に残していたが、空に輝く星々が道行く妖怪たちに夜の訪れを知らせていた。
日は沈んだ。
ここからは彼らの時間となる。
と言っても美鈴がいれば心配ないけれど。
「咲夜」
「うん?」
隣を歩いていた美鈴がぴたりと足を止める。
いつになく真剣な表情だ。
「飛ぶぞ」
持っていた買い物袋を放り投げ、宙へと舞い上がった。
私も慌てて後を追う。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「……嘘だろ」
美鈴が見ている方向、紅魔館の方を見る。
月明かりを反射して輝く湖のほとりに、赤い色の我が家が見える。
2.0の視力をもってしても分かりづらかったが、煙が上がっているようにも見えた。
「火事!?」
「咲夜先行しろ! お嬢とフランを最優先! 消火も迎撃もしなくていい! 行け!!」
「……っ!」
時よ止まれ!
「……」
止まった時の中を全力で飛ばした。
時間を止めてるのに急ぐ必要などないのだが、いてもたってもいられなかった。
美鈴は迎撃と言った。
『火事』ならまだいい。
でもこれが『襲撃』だったら?
最悪の可能性を、覚悟した。
「……これは」
縦横無尽に走るヒビ、滑走路の如く焼きついたカーペット、部屋をいくつも貫いている極太の砲撃跡。
そのどれもが、ほんの2か月前に見たものばかりだった。
「あの嘘つきが」
2度としないって言ったじゃないか。
破壊の痕跡をたどり、大広間へと行きつく。
先月神奈子がやってきた、あの部屋だ。
「お嬢様!」
扉を蹴破り、時間停止を解除する。
「あら咲夜、ずいぶん遅かったわね、お帰りなさい」
「……!」
思わず目を見開いた。
部屋の惨状もさることながら、血だまりの中に横たわる襲撃者の身体は、見るに堪えないほどにズタボロにされていた。
「……魔理沙」
返事はない。
片腕と両足があらぬ方向へと折れ曲がり、右肩から左の脇腹に向けて大きな傷が3本もついている。
さらに、よくよく見れば部屋中に彼女のものと思しき血痕が飛び散っていた、これは、致死量じゃなかろうか。
「襲ってきたのよ、私をね」
「まさか」
まさか、だ。
いくらなんでも、そこまで馬鹿じゃあるまい。
パチュリー様に勝てない人が、お嬢様に勝てるはずがない。
「見て咲夜、怪我しちゃった」
そう言ってお嬢様は右腕を差し出した。
なるほど、確かにその二の腕にはやけどの跡のようなものが伺えた。
ただし、すでに治りかけているが。
「……快挙、ですね」
「ええ、この吸血鬼に傷を負わせるとはなかなかやるわ」
私は魔理沙へと歩み寄った。
血で汚れることを気にも留めず、彼女の脈を確認する。
「気をつけなさい、血の汚れは取れにくいわよ」
「存じております」
「そうだったわね」
驚いたことに魔理沙にはまだ息があった。
首筋と胸辺りにチカチカと点滅する光が見えるのだが、もしかしたら魔法の生命維持装置的なものかもしれない。
「咲夜、どいてちょうだい」
「……あの」
「流石に咲夜にやれなんて言わないわ、むこうを向いていなさい」
とどめを刺す気だ。
「……」
「パチェと遊んでるくらいなら黙認していたけれど、これはダメよ、私の命を狙ってくるようじゃ」
そうだ、当たり前だ。
魔理沙は紅魔館に喧嘩を売ったのだから。
紅魔館家訓第2条、外敵は薙ぎ払え。
「咲夜、どいてちょうだい」
「……」
私は、冷静だ。
久々の鉄火場を見て動転なんかしていないし、むせ返る血の匂いに惑わされてもいない。
消え入りそうな呼吸音、あくまで優しい主の声。
何もかもを考慮に入れ、稚拙な頭を最大限に使って。
私は決断した。
時よ、止まれ。
◆
連れて行くところは決まっていた。
魔理沙は恐らく魔法で体をいじくっている。
普通の医者ではだめだ。
でも竹林の怪物どもは信用できない。
だから、ここに来た。
「はー、はー、アリス様、おられますか?」
「あら、どうかし……魔理沙!?」
彼女の手当ては迅速だった。
なにがあったのかろくに説明も聞かないまま、迷うことなく家へと招き入れてくれる。
本格的な医療器具などドラマでしか見たことがない私だったが、彼女が用いたものがそれとはかけ離れたものだということはわかった。
「あんた血液型は!?」
「A型のRH+です」
「紅魔館にストックとか無いの!? B型の+」
「申し訳ありません」
なにをしているのかは私にはよくわからなかった。
光る糸で針もなしに縫合したかと思えば、黄緑色の薬品を傷口に吹きかけたり。
仕舞いには魔理沙の髪の毛を切り、何事か呪文を唱える。
すると見る見るうちに髪の毛が液状化し、魔理沙につながれた管へと流れて行った。
輸血の代わりにでもする気だろうか。
どちらにせよアリスを頼った私の判断は正しかったようで、2時間もしないうちに魔理沙は目を覚ました。
「うぅ」
「魔理沙……」
「かなり強引に麻酔かけたから、まだ朦朧としてるはずよ」
だらしなく椅子に腰かけたアリスは、濡れたタオルを顔にかぶせて疲れをとっていた。
このまま回復するかどうかは、魔理沙の体力次第だという。
「魔理沙、起きてる?」
「……ん、あ、あれ?」
焦点の定まらない目で辺りを見回したかと思うと、最後に私の方へと向き直った。
「そうか、私死んだか」
「いえ、生きてますよ」
「冥途にメイドがいるぜ」
「余裕じゃないですか」
強がってはいるが、苦しそうだ。
「麻酔が切れたらキツイわよ、原型とどめてなかったし」
「ああ、アリスか、助かったぜ」
「お礼ならその子に言いなさい、あんたも自分で説明なさい」
「聞かなくても分かるぜ」
「ええ、答えるまでもありません」
「そう」
と言って、アリスは部屋を出て行った。
気を利かせてくれたのだろう。
「紅魔館に戻ります」
魔理沙を助けた理由。
そんなの、私が人間だからに決まっている。
この子は人類の希望なのだ。
博麗の巫女などという張りぼての偶像ではない。
怪物どもを薙ぎ払う一筋の閃光なのだ。
こんなところで、失ってたまるか。
「……そっか」
この子にはいずれアリスさんもパチュリー様も超えた大魔法使いになってもらう。
同じ人間として、彼女を見殺しにすることなどできなかった。
それをしてしまったら、私は人間ではなくなってしまうだろうから。
この後自分がどうなるか、そんなことは頭になかった。
願わくばその砲撃で、人類を救い賜へ。
「ところで、なぜ今日だったのですか、あなたがお嬢様に挑もうなんて100年早いですよ?」
「あー、あれだ」
そう言って魔理沙は部屋の一角に視線を向けた。
そこにあったのは見慣れた機械。
「今日のラジオのゲスト、パチュリーなんだよ」
「……」
「里でお前らを見かけたとき、今日しかないと思った」
「……どういう」
「こんなチャンス、向こう100年はありえなかった」
確かに、手薄と言われれば手薄だった。
それを、チャンスと捉えたというのか。
今日思いついて、今日実行したのか。
「どういう、精神構造ですか」
「これが魔女だ」
魔理沙は短く答える。
まだ麻酔が効いているだろうに、寒気がするほどの気迫があった。
「そうですか、しかしお嬢様は我々が全力で守ります」
「まとめて貫いてやるぜ」
「はい、心から応援しています」
「きははは」
どうしようもないダブルスタンダード。
しかしこれこそが妖怪サイドの人間、十六夜咲夜のあり方だ。
「では、失礼します」
もうここに用はない。
後はアリスさんに任せてしまえばいいだろう。
しかし立ち去ろうとする私を、魔理沙は呼び止めた。
「咲夜」
「はい?」
「その、なんだ、今言うのも変な話だが」
「なんでしょう」
「……いらん詮索して、悪かったよ」
ああ、あの事か。
ほんと、最後の会話がこれとは笑える。
だから私は笑って答えた。
「私だって、見栄くらい張ります」
魔理沙の返答を待たず、時を止めた。
◆
美鈴はすでに帰っていた。
まあ、かなり時間もたっているし、当たり前と言えば当たり前だ。
パチュリー様はまだのようだったが。
「お帰り咲夜」
「お帰り」
「はい、ただ今戻りました」
「あの子は?」
「安全な所へ」
「そう」
それっきりお嬢様も美鈴も口をつぐんでしまう。
メイド妖精たちが瓦礫を片付ける音だけが辺りに響いてたが、ここの雰囲気を察したのか、手を止めて遠巻きにチラチラ覗く者も現れ始めた。
それでも、私たちは何も言わない。
言うべきことなど、なにもない。
「……咲夜」
と思っていたら、お嬢様が沈黙を破る。
その顔からは怒りも落胆も伺えなかった。
「あんたも大変ね」
苦笑しながらお嬢様は言う。
普段の泰然とした態度からは想像もできない、心を許した者にしか見せないような、そんな素の表情だった。
「おかげさまで」
そして私も、似たような顔をしていただろう。
2人とも声には出さず、心の中でクスクスと笑い合う。
普段あんなにも遠いお嬢様が、今はすぐそばに感じられる。
紅魔館に来て10年。
初めてお嬢様と心を通わせられた気がした。
「美鈴」
「はい」
そしてお嬢様は命令を下す。
紅魔館の当主として、当然の命令を。
「裏切り者を、始末しなさい」
そして忠臣は、迷うことなく返答する。
「御意に」
◆
美鈴が近づいてくる。
私はこうなると分かっていて戻ってきた。
そんなの、私が紅魔館の一員だからに決まっている。
紅魔館は背信を許さない。
逃げることも誤魔化すこともうまくやることもできなかった。
きっと私がA型だからだろう。
さっちゃんBなのに。
そして美鈴は拳を振り上げた。
私の非力なそれとは違う、妖怪の拳。
かつて神話の時代、すべての事象は神が決め、人はその通りに創り、妖怪はその通りに壊していたという。
クフ王も生まれていないような昔から、彼らの牙は破壊を担当していた。
曰く、世界の新陳代謝。
そんな妖怪の殺意が、私の頭蓋骨を軽々と噛み砕いた。
急速に薄れゆく意識の中においても、私の思考に後悔は無かった。
訳も分からず襲われて倒れる外来人たちに比べたら、なんと充実した末期だろう。
死ぬまではそばにいる。
約束だってきっちり果たした。
胸を張ればいい。
種族や所属に囚われる必要はない。
私は『私』を、全うしたのだから。
了
やりたいことを頑張って目指したんだなってのがよくわかります。キャラクターの面では特に、これはこれでクセになるものがある。会話も見ていて楽しい。
ただこのオチに持っていきたいんだったら、もっと書き込むところがある。容量もそこそこあるのに、展開に唐突さを感じるので、構成をもう少し練るべきそうすべき。
でもラジオの部分は面白かったのでこの点で。
ただ、コメディ的なパートと殺伐シリアスパートの緩急がキツ過ぎて、話の雰囲気に頭がついていけない感がありますね。
ちょっと注意書きぐらい欲しくなりますね。
ネタにしろ結末にしろ、激しく理不尽。
これは……そう、『銀○』くさいんだ。そうだ、ピンときた。
唐突に始まるシリアスとか。浅いのか深いのか分かりにくい結末とか。
が、ちょっと説明不足感が凄いですね。
駆け足ってレベルじゃない。
色々見えないけど、中でも『魔理沙は何でレミリアに挑んだのか』と『咲夜は何でそこまで魔理沙を買っているのか』が読んでいて分からなかったので、どうにも感情移入できない。
「これが魔女だ」じゃねーぜ。語尾に「(キリッ」が見えたわ。
それだけじゃなくて、登場人物の考えている事が想像できない。これは辛い。
とりあえず、魔理沙の暴走と咲夜への処断で、レミリアが銃口で政権を作っているのは分かりました。けざわひがしさんの名言ですね。
となると、それまで平和的な目的に見えてたラジオも、その一環と見るべきか。銃口とはそう言うもの。
そう考えると……ラジオは里の平和的従属化への布石かな?
今は植民地の配分を神奈子と牽制し合っている状態と。
殺伐とした世界観と合わせると、そうとしか見えない。
そう思って読み返すと、なるほど。
早苗さんと咲夜さんの対比は、事情を知っているか否かから来ているわけですな。
事情を知ってる早苗さんは、ピエロに徹していると。
そこまで考えて書いたなら、素直にシャッポを脱ぎますわ。
しかし、この世界観でアリスが魔理沙に友好的なのが分からないな。
最後、アリスは死にかけの魔理沙をこれさいわいと自分の糧にして捨てると思ってたわ。
引き合いに出すだけ出して、一切伏線の無い霊夢も気になる辺り。むきゅー
点数はやや甘め。
頭の体操をさせて頂きました。
なのに、言葉にはしづらいんだけども、妙な魅力を感じてしまう。ピカレスク的なダイナミズムというか。ハードボイルドになり損なった半熟卵みたいな絶妙な塩梅で、俺の東方センサーをつついてきまして。
アネキな美鈴とか、超好み。
死ぬことと見つけたりでは在りませんが、あり得ないレベルで死と日常を同列に置いている世界だと感じましたね。
そこに人物たちの心情が見えた気がします。
しかし、だからと言って、諸手を上げて称賛できるかと言われたら、感覚的な部分での違和感も拭いきることができない。
なんともふわふわしたコメントでごめんなさい。
人間たちの実感があるところと壊れた部分の配合が面白かったです
人間と妖怪は相容れぬ。魔女である前に人間であった魔理沙は、悪魔の手先であると同時に人間であった咲夜に守られ、その咲夜は背信ゆえに始末され。
ショートショート6のレミリアの願いは、奇しくも彼女自身の手で打ち砕かれた。全てがままならねぇ。