Coolier - 新生・東方創想話

萃香の腋の明るすぎる夜

2012/05/25 18:20:02
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 殊更論ずるまでもなく、本邦と卯酉線を同じくするこの幻想郷に於いて、実際にそう言った現象が起こり得る道理はないし、況してやこれは西遊記にあって夜を消失せしめたと言う、唯晝怪が跋扈跳梁した結果でもない。
 眼前には恰も白夜としか形容出来ぬ異観が今尚幅を利かせているのであったが、その原因が誰あらん伊吹萃香の婀娜めく腋に存するものである――などと言う馬鹿気た話を真に受ける者が、この事件発生当初に於いて縦しんば皆無であったとしても、果してそれは至極尤もな分別に基づくものとして、畢竟拠無き仕儀と察せられない譯ではなかった。譬いこの荒唐無稽な真実に辿り着いた者が劈頭から件を触れ廻ったとして、恐らく癲狂の謗りは免れなかったに相違ない。天に二日なしと言う言葉もあるが、晝をも欺くあの輝きが、よもや見目形のすぐれた小鬼の腋窩から発せられたる壊劫の火とは、浄玻璃鏡を持つ閻魔でもない限り俄に信じられるものではないのである。にも拘わらず――後に妖怪達がその奇天烈極まり無い認識を共有するに到った経緯に就て、私、射命丸文の煽動的な報道に一半の責任が顕在したことは、今日誰の眼にも明かな事実であった。

 祇園精舎の鐘の聲――とは今に伝わる平家物語の一とくさりである。爛漫たる樺桜の如き栄耀を悉く恣にした平家の有為と転変は、太古幻想郷を支配し、いづくへかと姿を消した鬼の姿と瓜二たつとも思われる。
 そして第二の太陽と化した萃香の腋も亦平家であった。嘗て漱石が英蘭語の求愛表現を以て、「月が綺麗ですね」と意譯した例は大概人口に廣く膾炙をしていよう。又瘋癲を直截に指し示すルナティックと言う言葉の端緒は、古代羅馬の羅甸語に於ける鬼魅憑依にまで遡れる。加えて先の永夜異変は未だ記憶に鮮明であって、皓皓たる太陰が精神文明を支配すると言う拠り所には古今枚挙に遑がない。――その月輪の百倍の明るさを持つ新たな日輪の出現が、尭風舜雨の幻想郷をして混沌の坩堝と成さしめたことは凡そ無理からぬ話と言わざるを得ないのである。人人の周章たるや眼を掩わん許りの惨状を其処彼処に呈していたし、陰翳を力の源とする妖怪達の狼狽とても猖獗此処に極まりて、宛らその光景は礪波山の役も斯くやと言う可き地獄絵圖そのものであったとささめかれる。晝夜を分かたず地上を焦がし続ける萃香の腋は、果して火焚地獄とは斯様のものかとの恐慌を、巷間に遍く横溢させてしまったのである。
 そしてこの前代未聞の椿事が一箇月もの間続くに及び、心像の熱灰流は遂に丈餘の深さにまで到達して、彼らの正気を根刮ぎ運び去ってしまったのであろう。爾来挙措を喪った人妖達の遣り場のない情念は、異変に対し何等の手段を講じようとしない、博麗の巫女に対する無軌道な瞋りへとしぜん変わっていった。曰く、斯かる事態を豫見せざるは、偏に陰陽道を奉ずる博麗の巫女の怠慢に外ならぬ。旧く貞永元年には、これに比べる可くもない極く小規模の異変でさえも、陰陽寮の責任のみには迚も留まらず、あろうことか時の帝であった後堀河天皇にまで累を及ぼしたと言うではないか。況んや全天を覆い盡くさんとすこの曠古の妖光に於いてをや。
 常ならば殆ど顧みられることのなかった、幻想郷美少女報――「文文。新聞」に、斯くの如きの神通力が備わったのは、以上の特殊な事情に依るものであろう。詰まる所、私はその混乱に乗じ、傾き掛けた天秤に、鐵筆を以て纔か許りの力を加えただけに過ぎないのである。

 宛ら世界は溶礦爐の如くであったと言うその光景を、当時の私はこう書き記している。――成ル程蓋シ古往今来比類ノナイ、至大ノ天変地異デアロウコトニハ今更何ラノ疑イノ餘地モナイ。ケレドモコレハ妖怪ノ賢者ガ定メタ伊吹童子座ノ首星、金腋ガ一生ヲ終エル間際ノ最後ノ輝キデアッテ、二千年、イヤ一萬年ニ一度ノ規模ノ、説明可能ナ自然災碍ト言ウ、ソノ範疇ヲ一毫タリトモ越エルモノデハナイノデアル。況シテ末世ノ到来ヲ告ゲル半鐘ナドニハ決シテ非ズ、則チ寛弘三年ニ天文博士安倍吉昌ガ観測シ、彼ノ藤原定家モ明月記ニ録シタト言ウ一聯ノ客星ト全ク同種ノモノニ外ナラナイ。外界デハ巨人ノ腋下トモ呼称サレルト言ウコノ天体ノ発光現象ハ数年ヲ置カズ収束ニ向カイ、後ニハ燃エ滓ニ中ル星雲ガ只ソノ名残ヲ止メ置ク許リトナルデアロウ。太陽ノ所為ト言ウ科白デ知ラレルカミュノ不条理戯作ニ、実ハ不条理性ナド何処ニモ存在シテ居ナイ様ニ、コノ事件ニ於イテモ亦アランガプロポニ記シタ、乳児ニ刺サルピンノ一トツ以上ノ意味ナドアリハシナイノデアル――などと嘯き乍ら、結論から舒述をすれば、僅僅数日に亙って張り続けたこの牽強附會の論陣は、自身の豫想を遙かに上廻る驚く可き効果を世に齎して、結果私は狂瀾を既倒に廻らす如きの赫赫たる戦果を挙げてしまうのである。
 星火燎原とは正にこのことであろう。人妖達は理窟を十分に呑み込めた譯ではなかったのであろうけれども、常に頭上に坐す烈日に依って、その紅蓮に嬲られ続けたムルソー宜しく、判断力を餘す所なく奪われたのである。然もありなんと首肯した彼女らの認識は眼瞬く間に幻想郷中を席捲し大火となって四方を焼盡せしめたのである。

 慥かに――これらの内容は嘘偽りに依って糊塗された全くの捏造である。そしてそれを行わせたのは、私の前から姿を消した、萃香に対する野分が如き瞋恚であった。
 空冥に燃え盛る萃香の腋は、今や金烏とも玉兎とも見定め難い星芒であった。銀河鐵道の夜で知られる宮沢賢治に依拠するならば、夜鷹や蠍ですら星に姿を変えるのだと言う。況して此処は如何なる現象をも赦し容れられる別乾坤である。萃香が真実上天を果したとして、そこに不審を打つ理由など那辺にあろう。

 幼形成熟(ネオテニー)と言う言葉がある。これはぜんたい人間との共生関係を築く上での、缺かすことの出来ない絶対的な條件であろう。犬猫は永らえる為に人人の歓心を買い、愛されることを自ら獲得したのであって、事実これを潔しとせずに旧弊を押し通した日本狼は既に亡く、そして纔か百年前には全世界で十萬頭もの殷盛を極めたと言う、強きものの象徴とされた猛虎であってすら決してその埒外として峻別されるものではない。
 かわいくなければ生き残れない。一見無駄とさえ思えるこの「かわいい」と言う概念には、有りとあらゆる生物にとって実は極めて重要な法典が匿されていると考えるより外にない。就中人類にとっての愛着理論とは社會的な紐帯である。かわいらしさとは、その紐帯を得る為の戦略であり、そして稚いと言うことは刀槍を揮うが如きの壓倒的な暴力である。
 いかさま人間に缺くことの出来ぬ家畜共には、遍くこの性質が賦与されているのであるし、外界から完全に隔てられたこの幻想郷にあってさえもそれは同前であろう。妖怪達が悉皆妍き乙女たらねばならないことは、その證左と断ず可き暗黙の義務と呼び習わされるものである。
 そして以上の理窟を勘案すれば――人類同様の社會生活を営む天狗の自身が、その総身にあどけなさを湛える人妖達に懸想を抱き、取材の大義名分を以て日日窃視盗撮に明け暮れたとして、それは決して變態性慾などと言うものの発露に依る、汚穢な狼藉などでありはしない。当然成す可き唯一無二の、尚又アプリオリからの――そして五倫五常に能う君子の徳行であることは明明白白の真実と言えるものである。
 実際私には疚しきところなど缺片もなかった。お稚児趣味とは遠きにありて思うもの、被寫体としてのみ愉しむものとして厳格なルールを自らに課して、これまでそれを破ることはなかったし、未来に於いても当然揆を一にするとの考を、全く疑いもしなかった。
 鞍馬天狗が遮那王に兵を伝授したと言う講談からも、天狗が小児性愛と言う嗜好を持つこと自体は世に具に流布をするところである。能の鞍馬天狗は、天狗と牛若丸との濃密な少年愛を謳い上げたものであり、そして文政年間の寅吉少年を曳くまでもなく、天狗とは取りも直さずエフェボフィリアを本分とした存在に外なるまい。
 にも拘わらず――現代の幻想郷に於いて天狗攫いなどと言うものは全くの御法度と相い成っている。この自我同一性の危機を眼前にして、過去私は自身の淵源に根差す衝動を書畫に置き換え、そして近年なって漸く擡頭し始めていた寫眞へと新たな壺中の天を求めたのである。私は子供を勾引す行為の代償として、ファインダーに収めることこそを至上の悦びと自らに認知させ、社會と自身との間にある如何なる悖理をも矛盾をも拂拭し、紙面と言う宇宙の中で私はペンに依って彼女らとの逢瀬を誰憚りなく、存分に繰り廣いでいったのである。

 斯くの如きの盈ち足りた筈であった生活を、滅茶苦茶に掻き毀したのが萃香であった。そもそも私が、突如として幻想郷に現れた萃香との交渉を求めし手蔓に於いて、自身が属する妖怪の山の密旨があったことを押して否定をするものではない。舊主である伊吹萃香が、一体どの様な思惑を以てこの山塊に舞い戻ったのか。よもや嘗ての領地を恢復せんが為とも限らぬ。その真意を突き止めることは我我天狗にとって必要缺く可からざる喫緊の要事であった。
 語られる怪力乱神の威名をも馳せた鬼に対して、生半な者では思うに委せぬであろうとの配慮から、幻想郷でも屈指の実力を持つとされ、天狗社會に於いても確乎たる地歩を占めるこの射命丸文に白羽の矢が立ったことは寧ろ必然であった。職業婦人としての幇間めいた慇懃な立居振舞も、或は萃香に油断を催させると加味されたであろうことも亦想像に難くない。
 尤も萃香にとっては、如何な後圖を策されたとて、何らの痛痒を覚えるものではなかった筈である。結局の所、この不羈奔放の鬼が何故幻想郷に拠り所を求めたのかと言う、肝腎の理由に就ては今以て判然としていない。奏功確実として全権を委譲された自身が終始一貫してサボタージュを行っていたのであるから、これは当然と言えば当然の帰結であろう。
 慥かに萃香は豫想に違わず、唯我独尊にして眼中人無し、傲然極まり無い紋切り型とも言える鬼の地金を有してはいた。しかし齢稚きは七難隠すは私の座右の銘である。この見目好き童女にとって、それらの瑕瑾は長所であっても決して缺点とは成り得ぬものと私には映じたのである。
 思い起こせば既にこの時、一と眼見ただけの小さき鬼に、私は心臓を確と奪われていたのであろう。迂濶であった。常に萃香が帯びる酒気――萃まる香には、或は理性を薙ぎ拂う咒力の様なものが施されていたとしても一向不思議はないのである。思わず掻き抱きたくなる程のすらりとした手足、嫋やかでそれでいて信念が籠もる聲色、そして月光を在り在りと想起させて已まぬ雪肌――これら悉くが黙過出来ない引力を携えて居り、上膊と腋窩とを大胆に露わにした装いに到っては、やわかどうして如何なる計畫に依るものであろうかとあやしまれる程である。媚態に溢れた萃香の腋は、今まで自身が大切に守ってきた一切を打ち捨てさせてしまい兼ねない、抗い難い潮汐力を持つ全き月輪であった。そう彼女こそが総べての元兇である。筆舌に盡くし難き魔性の月である。以来私はもう嘗て程他の幼い人妖達を憧憬する気持ちが薄れつつあることにも心附いた。縦しや懸念の通りに萃香が再びこの山巒を平らげたいと望んだとして、私は進んで合力に及び奉ることも吝かではないとさえ考えるに及び、そう言った自らの思考にハッと胸を衝かれて戦慄を覚えたことも一再所の話ではない。良心は篠突く雨の様な警鐘を絶えず打ち鳴らし続け、然ればと言ってそうした煩悶も、萃香に相い対すれば忽ちの内に疎散して消えた。

 慾界の天人が命盡きようとする際に現れる五衰とは、正しく精神に於ける病を指すものである。妖怪は物質的には不朽不滅であったとしても、その魂までもが無疆であり続けられる譯ではない。そして戀と言うものは、その死に到る病の最も甚だしきものの一とつである。
 女の白い脹ら脛に心を奪われ、通力を喪ったと言う久米の仙人を私は到底笑えぬであろう。

 そして私は萃香がどうして天に昇ってしまったのかと言う、その理由をも実は明瞭に理解している筈であった。
 ――誰が私を責められよう。私は萃香が顕れて以来、自身がこれまで見まい見まいとしてきた、さもしき天狗の本性と言うものに、否が応でも向き合い続けてきたのである。
 あの――袖のない軽羅の隙間から垣間見ゆ、鴇色の月夜を度度眼の前にして、正気を保ち続けられる者などありはしない。もし居るとするならばそれは誇り高い太陰の眷属ではない屹度別箇の何かであろう。私は小禽の様に美辞麗句を繁く萃香に囀り乍ら、その実、常に艶冶な縮景を窃み視る機會を求め、鵜の眼鷹の眼として漸う附け狙っていたのである。
 しかし最早それだけでは胸中に萌す饑渇を癒し切れぬことは明かであり、悪しき煩悩を斥け続けることも亦私には殆ど不可能であった。
 そもそも萃香も悪いのである。譬い――私が、ああした無礼を働いたとして、苟も豪放磊落を以て世に知られる懐深き鬼神であるならば、赧いは酒の咎ぞかしとして笑って赦してくれてもよさそうなものではないか。一廻だけなら誤射やも知れぬ。それを、あの様な愚行を演じ奉るなど、誇り高い鬼の肚中から出た所業とは到底思えるものではない。
 軽挙であったことは認めよう。しかし天に遁走してしまう程――其処まで、其処まで私のことを厭うていたのか。
 萃香を恨むのはお門違いとは理解し乍ら、それでも私には彼女に対する憤りを止められなかった。あの行為は私にとって悪戯などでは断じてない。真箇に萃香を求めた末の罪科なのである。

 夜天を見上げる。――罪無くして配所の月を見るが如き徒ならぬ創痍が肺腑を衝く。
 ゆくりなくも誰憚りなく萃香と差しつ差されつする境遇を得て暫くして、萃香の悠揚迫らない挙措進退の中にあって、しかし荒寥として擴がる幻夜の存在を私は見遁さなかった。天衣無縫の筈である萃香が時折見せる形容し難き表情は、或は寂しさからのものではなかったか。彼女が幻想郷に廻帰したのは、或はその空隙を埋める為ではなかったか。
 表の態度とは裏肚の、ずっと線の細い、鬼らしからぬ萃香の実像が浮き彫りなってくるにつれ、私にはその揣摩憶測がどうしても否み難く感ぜられてならないのである。
 
 しかし孰れにせよ――もう今となっては慥かめようのない当て推量に過ぎぬものである。
 肚立ち紛れに試みた萃香に対する誹謗中傷が、今日の抜差しならぬ事態を招いたことは、覆しようのない事実であった。
 前説を飜し、あれは萃香そのものであると新聞に記して以後、萃香に対する怨嗟の聲は、まるで南都と盧遮那仏とを灰燼に帰した平家に対する號怒そのものであり、桀紂或は第六天魔王の権化であるとの悪口雑言は、思わず耳朶を覆わん許りの凄まじさである。
 仕方がなかった。兎に角あの儘誤った認知の歪みが普遍のものとなってしまえば――萃香は妖怪として烏有に帰してしまうしかないのである。

 日本一の大天狗とは、平家を亡ぼした後白河院の異称である。宜なるかな、恐らく萃香と私との間には、宿縁めいた因果の様なものが滔滔として横たわっていたのに相違ない。
 断じて行えば鬼神も之を避くと言う。ならば若しか私が、萃香に思いの丈を伝えていれば、否さ一擲乾坤を賭して、あの稚き鬼を、天狗の私が、千萬人と雖も吾往かん矣との不退の決意を以て、いっそ攫ってしまっていれば――。
 後悔の火柱に灼かれた私は恰も火達磨であり、大気圏で焼盡すると言う奔星――天狗星の様でもあった。その炮烙刑の苦しみは、源平の――紅白の衣裳を纏った博麗の巫女が私を退治するまで続いたのである。



(了)
 文<YES! ロリータ!
 萃<NO! タッチ!

 あやややは全然いやがってないですよ! 公式で! すいかーや! 茨歌仙第二巻五十九頁に、酌み交わしあってる萃香あやややキマシ大廈高楼!
 ――と言う思いの限りを、作品に籠めさせて戴きました。お読み戴き寔にありがとうございました。
ice
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コメント



0.660簡易評価
2.90名前が無い程度の能力削除
超新星まで出して大層なことだが、結局触ったのかね?
そこが問題ではないかね!?
こんな一族に列される息子が二人もいる鳥羽院NDK
3.90名前が無い程度の能力削除
児ポ単純所持禁止が幻想郷入りしたら、あややんどうなってしまうのん!
5.100名前が無い程度の能力削除
ああ、うん。なんだろう、これ。
1割くらい漢字が読めなかった。そして、そんだけ難しい言葉を使ってるのに、中身はYES! ロリータ!

えっと、なんにせよ、凄いには違いないということで、100点献上いたしますです。
6.90奇声を発する程度の能力削除
雰囲気と内容の差が…w
12.100名前が無い程度の能力削除
天狗ロリコンすぐる
15.100名前が無い程度の能力削除
後白河院も相当な変態だったそうですから。
射命丸がロリコンでも仕方ないよね。
17.100名前が無い程度の能力削除
前のは消して点数いれ直しました
すいかーやもっと増えればいいのに
20.90名前が無い程度の能力削除
元ネタに香霖堂とか、たくさんの小技が効いてて読み応えがありました。
平家星は本当に爆発しそうなんですよね。一次設定に対するリスペクトも感じられて好感が持てます。
しかし古風な作風と思ってましたら、中盤以降はロリコンの理論武装てもう笑うしかない。
21.無評価ice削除
コメントを戴きました皆皆様に感謝感激雨霰です!
有難う御座いますッ! 有難う御座います……ッ!

>2様
踊り子には手を触れないでくださいませ!
怨霊として有名な崇徳上皇は、天狗としても亦名高いですよね。
後鳥羽上皇、後醍醐天皇もポピュラーです!

>3様
まだ……まだ二次があります!
と申しますか、トリーズナーあやややなら屹度反逆してくださいます!

>5様
受け容れられるかどうか本当に不安でしたが、そう仰って戴けるだけでも投稿した甲斐がありました!
寔に、寔にありがとうございました!

>奇声を発する程度の能力様
奇声を発する程度の能力様からコメントを戴けますとは本当に感激です!
これでまたわたくし頑張れます!
 
>12様
天狗はロリショタの妖怪――。
人間友好度普通、危険度高は伊達じゃない!(by東方求聞史紀)

>15様
貴方には是非、ファンキー後白河院伝説をぐぐって戴きたいと思って居ります!

>17様
すいかーやタグは、入れようかどうか正直迷ったのですけれども。
何方かと言うと、あやすいかですよね!(迫真)

>>20様
正に杞憂と思いつつも、ベテルギウスのGRBで地球がヤバイ!
ゆかりんは親友の萃香ちゃんの名前を星座に名附けてしまいますとか、何だか迚もロマンチックでこれだけでも一本書けてしまいそうです!
24.90名前が無い程度の能力削除
ページ開いて少し圧倒されてしまった。
でも読んでみれば面白い。茨歌仙ネタにニヤリ。
26.100名前が無い程度の能力削除
なるほど天狗の由来はメテオからきてるんやね