「龍神様、今回はどのようなご用件で……」
衣玖は、竜宮の使いの中でも能力的にも申し分なかった。
そして、龍神からの信頼も厚く。
天人に対する監視兼世話役も任されていたし。
家族ぐるみで付き合いすら何度か経験していた。だから今日のように急な呼び出しがあるのは珍しくもない。
だからだろうか。
「……」
天界でも、幻想郷でもない。専用の結界で隔てられた龍の城の奥。本来では龍神しか座ることを許されていないはずの豪華な玉座に、龍神以外の人物が……
岩みたいな角を生やした、絢爛豪華な服装の女性がいきなり座っていても。
すっごく不機嫌そうに、コツコツコツっと指で椅子を叩いていたりしても。
「おはようございます、奥方様」
驚きを胸に秘めて、しっかりと大人の対応ができる。
加えて、衣玖は竜宮の使いの中でも一際空気が読める女と評判であり……
「我が今日から龍神である。彼奴のことは死んだと思え!!」
「……わかりました、竜神様」
と、深々と頭を下げながら。
即座に悟るのだ。
龍神様、また浮気しに出かけたな、と。
英雄色を好む、とはよく言ったもので。
龍神には昔から、そういった手癖の悪さがあった。
噂では、幻想郷から離れたのも、かの大妖怪、八雲紫との間柄を奥方に問われ、身の潔白を証明するために違う世界に身を置いたとも言われている。
それでも、また、今回のように昔の癖が出てきてしまうのが、男性の性ともいえるものなのかもしれない。
現に――
「母上様、竜神様とはどのような方なのですか?」
と、衣玖が今の職場に配属される前に、実の母親に訪ねたところ。
「素敵な御方よ。とてもたくましくて……」
などと、頬を赤らめて実の娘に告げる母親ってどうなんだろう。
あまり深く考えると自分の出生すら危うくなるので置いておくとして。
とにかく、衣玖が今の職についてから、周囲の先輩からも同じような噂を聞いたので、信憑性は高いと思われる。
「……いっそのこと、奥方様に即位してもらったほうがいいかもしれませんね」
とは言っても、奥方も奥方で。
こうやって、ぷんすかと腹を立てるのは、持って後数日。
それを過ぎると、急にそわそわし始めて。
『彼奴はまだ戻らぬのか! はよう探してまいれ!』
などと、今度は探してこいと言う無茶振りを周囲にばら撒き始める。そのため、今衣玖が取れる最善の手段というのが……
とりあえず、浮気の正否は置いといて、すぐ連れ戻せるように龍神の居場所を特定しておくこと。
そして、見つけたら竜宮の使いの中でローテーションを組み、当番制で見張り続けるのみである。
ただし――
その見つける作業がもっとも困難なのは言うまでもない。
龍の姿をしたまま空でも飛んでいてくれれば良いのだが、ほとんどのケースで人間の男に化けて人里に入り込むことが多い。
つまり、木を隠すなら森の中、人を隠すなら里の中。
怪しい人が増えていないか、と地道に聞き込み作業を繰り返さないといけないため。奥方が癇癪を起こす前に見つけられないことも多々あった。
「……いっそのこと異変のきっかけになっていてくれれば」
とりあえず、大穴狙いで衣玖は、博麗神社へと足を運んでみることにした。近寄ってみても、人のいない殺風景な境内が広がっているのだろうと、たかをくくっていた衣玖であったが。
「徳が高い仙人にもなれば、動物たちとて自然と心を開いてくれるもの。それは巫女の修行にも通ずるところがあるはず。そうは思いませんか?」
「あのね、龍つれて交渉しに来るのは脅しとか言わないのかしら? 仙人の名が泣くわよ」
「失礼な、この子が遊びたいというのでしょうがなく連れているだけです。それ以外の意図はまったくありません」
上空から見てもわかりやすい、長い影と。
その近くにある二つの人影。
加えて、二人が発した龍という言葉に、吸い寄せられ。
「こんにちは、何をなさっているのです?」
何気ない風を装い、接近を試みる。
すると、霊夢は何故か表情を明るくし、
「あら、あの異変以来じゃない。珍しいわね。暇なら上がっていきなさいよ。もうすぐ別のところからも来る予定だし」
「え、あ、ちょっと?」
何故か衣玖を神社の中へ入れようとする。
すると、もう一方の人物は少々面白くなさそうに目を細め。
「はじめまして、茨木華扇と申します。残念ですが、これから霊夢は私と修行することになっていまして。もう少し後に出直していただけると助かるのですが?」
そうだ、そうだ、と。
華扇を応援するように、龍もその大きな口を開く。
なるほど、龍とはいってもこの大きさだ。おそらく、子供の部類であろう。一応、近くで眺めれば何か違ったことがあるかもしれないと、華扇の横を素通りして、龍に顔を寄せてみた。
が、やはり、龍は不思議そうな顔をするばかり。
「こら、私を無視してこの子に何を」
「すみません、私は竜宮の使いでして、ちょっと龍には興味があるんです」
「そうでしたか、この子は最近私のところにやってきた龍の子でして、私としては束縛するつもりもありません。すでに一体おりまして、後々けんかになっても困りますし。あ、こらこら、話をしているときは大人しくしないといけませんよ」
華扇に構って欲しいのか、身体を預けたり。胸に顔を擦り付けたりと、やんちゃな子龍。終いには霊夢にも顔を擦り付け始めてしまう。少々いやらしくも見えるが子供のすることなら仕方ない。
そう、子供のすることなら。
「どうやら、そちらの仙人の方の言うとおり、邪魔のようですので。今は引き下がるとしましょう」
衣玖は、ふぅっとため息をついて、二人に背を向け。
一歩、二歩……
「ところで、龍神様?」
歩いたところで回れ右。
いつもの微笑を浮かべて、振り返る。
あまりにいきなり過ぎて、霊夢と華扇は正確に聞き取ることができない。
しかし、身に覚えのある『もう一人』は
「がう?」
と、しっかり反応して。
はっ! と口を閉じる。
しかし、その一連の動作を衣玖が見逃すはずがなく。
「……華扇さん、少々その龍をお借りしますね。すぐお返ししますので」
「え? あ? あの?」
むんずっと。
華扇が状況を把握する前に、龍の向かって右側の角を引っつかむと。ずるずると神社の裏へと連れて行く。
そして、二人の姿が見えなくなったところで。
しっかりがっちり、ヘッドロック。
「……な、に、を、な、さ、っ、て、い、る、の、で、す!!」
『なぁに、心の洗濯をな……、あ、痛い。ごめんなさい、痛いです、はい』
ぺちぺち、と。
短い前足で衣玖の太もも辺りを叩いてギブアップ宣言をするが。それでも衣玖は力を緩めない。
「何が洗濯ですか! 奥方様カンカンでしたよ!」
『ふ、中々弾力のある洗濯板であった。ほう、衣玖もなかなか……。 あ、ごめんなさい。角捻るのやめてもらえると助かります』
「まったく、龍神様が姿を消したせいで、また私たちにいらぬ仕事が振ってくるんですよ! 天子様のお世話だけで大変だというのに!」
『それは、衣玖の責任でもあるのではないか。自らの職務に実績が伴わないからと儂にぶつけるとは、浅はかにもほどが――』
「……折りますよ?」
『す、すまなんだ! 後、二日! 後二日地上を楽しんだら天に帰るゆえ、帰るゆえ!』
「……わかりました。約束ですからね、まったくもう」
龍と、竜宮の使いにのみ許された念話を緊急事態でもないのに駆使し、なんとか約束を取り付けた衣玖は、やりきった顔で額の汗をひと拭い。
「しかし、子龍に姿を変えてまであの仙人のところで何をしているのですか?」
どうせ、なんかいい匂いだったからとか。そういう返答が帰ってくるだろう。そう思いながらも衣玖が尋ねてみると、何故か龍神は表情を固くする。
「実は独立した息子のところから、相談があってな」
「独立……ああ、長男の」
「うむ、それで、そやつの300歳になるやんちゃ坊主が、時空の壁に向かって遊びに行ってしまったらしくてのぅ。もう4年も戻ってこぬから、そろそろ捜索しようか、とな。儂は10年くらいまで大丈夫であろうと言うのじゃが」
「……えっと、笑い話ですかこれ?」
「うむ、親馬鹿な息子ゆえ、しかたなかろう。娘は娘で、まだ嫁に行こうとすらせぬし……困ったものだ」
ダイナミックすぎる迷子である。
が、あっけらかんとする龍神の態度を見る限り、そんな特別なことでもないのだろう。
「それでな、あの仙人がはぐれの龍を持っておるというので、少々潜入調査をな。結局は外れであったが」
「そうだったのですか、そんな正当な理由があるなら。お話ししてから出かければ良いじゃないですか」
「ふ、わかっておらぬなぁ」
短い前足を器用に組んで、胸(?)を張る。
「奴がついてくると、女子と遊べぬではないか」
「……感心した私が馬鹿でした」
「それにのぅ、今宵はこの神社で客を招いた宴があると聞く。たまにはお主も羽目をはずしてみてはどうか」
「……共犯ですか、まあ、たまには」
「そうでなくては、おもしろくない」
そうして、共同戦線を張った衣玖と、龍神は。
霊夢が修行を終えるのを待ってから。
久方ぶりの地上での宴会を楽しみ……
「あらあら、お酒を飲んだからって甘えすぎですね。この子は」
相変わらず、龍神はいろいろとお楽しみであった。
ただ、霊夢は直感で何かを感じたのか。
龍が近づいてきても鼻の頭を押さえて鉄壁防御の構え。
「よし、あいつらも来たみたいね。忙しくなるわよー」
となれば、新しい客人に手を出してみようと思ったのか。神社の中に上がってくる人影にゆっくりと近づいていき……
「……あら、龍なんて珍し」
先頭のネグリジェ風パジャマ魔女の身体に擦り寄った途端。
ドゴォォン
「え?」
衣玖どころか、誰も反応できない速度で。
何かが龍の顔の横に突き刺さった。
それが拳だと理解したのは、攻撃の残身がそこにあったから。
「あら? どうしたの美鈴。何か危険な妖怪でも?」
遅れて入ってきたレミリアの言葉通り、それを行ったのは門番の美鈴。温厚な彼女がいきなり攻撃をするのも珍しいので、レミリアとパリュリーは目を丸くした。
攻撃を受けた龍はというと。
ぴくぴく、と。
数メートルほどしか吹き飛ばされていないのに。
なんだか危険な痙攣を繰り返していた。
「こら! 何の罪もない龍の子になんてことを!」
もちろん、華扇はその行為を容認できるはずもなく。
文句を良いに近寄っていったが……
「あ、すいません。ちょっと因縁の深い妖怪と似ておりましたので……、つい。私と母親を苦しめた、どうしようもない妖怪に……」
「ああ、そうだったのですか。しかし、それでも勘違いで攻撃するのは許されることではありませんよ」
「そうですね……。では、謝罪の意味を含めて、今宵の間はその龍を私がお世話してもよろしいでしょうか?」
「わかりました。それでは、あなたにお任せするとしましょう」
気絶する龍をずるずると引きずり、宴席の輪に加えると。
美鈴はその頭をひざの上に乗せて、周囲の妖怪たちと談笑を始める。そんななか、やっと回復したのか。
龍の子が怒りをこめた目をして起き上がるが。
ひょいっと。
あっさり龍の文字がついた帽子をかぶったままの美鈴が、その顔を再びひざの上に戻して……、顔そ覗き込む。
「……ごめんなさい。どこかいたいところはありませんか?」
微笑みを向けられた龍は、びくりっと大きく尻尾を跳ねさせた。
そして、居心地悪そうに身じろぎを繰り返していたが。
最後には諦めたのか、美鈴が運んできた料理を素直に口で受け取るようになっていた。
「……仲直りできてよかったですね」
華扇はその微笑ましい光景を肴に、杯を傾け。
「ああ、そういえば……下界にいらっしゃったんでしたね……」
衣玖はというと。
大声で笑いたくなる衝動を必死で抑えながら、
ありえるはずのない光景を楽しんだのだった。
龍神様かっけー
あと奥方様かわいい
でもそこにおっぱいがあるのだもの、仕方ないね
なんでもありな感じ、大好き。