Coolier - 新生・東方創想話

守銭奴:二ッ岩マミゾウ

2012/05/23 23:53:13
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「あそこに近づいちゃいけないよ……」

 空が茜色に染まる頃、遅くまで遊んでいた子供たちは一様に家路へと戻っていく。とある一画で遊んでいた女の子と男の子も、いつものように別れたのだが――
 男の子が裏路地にはいったところで、不意に大人の女性に呼び止められた。
 なんで、と男の子が尋ねても、女性は口を濁すばかり。

「とにかく、あそこで遊ばないこと! いいね!」

 最後には強い口調で告げられてしまう。しかたなく男の子が頷くと、大人の女性は満足そうにその場を去り。

「さて、と」

 その後、赤く染まっていた空に闇が下りる頃。
 男の子は、大きな尻尾を持つ女性の妖怪へと姿を変えていた。
 








「ん」
「ん?」

 お昼まであと半刻といったとき、命蓮寺の事務室で「?」マークが飛んだ。
 と、同時に部屋の中にあった二つの人陰は、まったく異なる体勢で同時に動きを止める。
 にこやかに微笑むマミゾウは、星に手のひらを見せたまま微動だにせず。
 星にいたっては、両腕を高く上げ、背伸びをした態勢で器用に首を傾げている状態であった。
 そのままどれ位の時が流れただろう。
 まるで世界が止まったかのように、二人は見つめ合い。

「ん!」

 ついに我慢ができなくなったマミゾウが、ずいっと膝を擦りながら前に出る。
 相変わらず、手の平を星に向けて。
 普通、これだけだと気付かないかもしれないが。星という妖怪は、見た目にそぐわず頭脳明晰。難しい職務であっても、すぐに片付けてしまう敏腕ぶりが評判であった。
 よって、このマミゾウの仕草が何を意味するかなど、即座に理解して。

 ぽんっと。

 欠伸の名残を目尻に浮かべながら、軽く握ったこぶしをマミゾウの手に乗せる。
 すると、星の思惑通り、マミゾウが満足そうにうんうんと頷いて。

 頷いて――

「えーっと……」

 しばらく星の右手と顔をいったりきたり。
 視線を彷徨わせたマミゾウは、一度だけ首を傾げて。
 そっと、星の右手を相手の膝の上に戻した。

「こほんっ」

 そして、咳払いの後でもう一度トライ。
 今度は逆の手を星に見せる、と。

「はい」

 星も素早くそれに応じる。
 今度は左手を軽く握って、手の平に置いた。
 満面の笑みのままで。
 すると、マミゾウは何故か困った様子で……

「ん」
「はいっ!」

 もう一度右手を出しても、また同じ。

「ん」
「はいっ!」
「ん」
「はいっ!」

 右、左と続けてみても、また同じ。
 そして、回数をこなす度に最初は明るかったマミゾウの顔から、落胆の色が浮かび始めるわけで。

「ば、ばかにしておるのかっ!」
「え、ええっ!?」

 最後は、足音荒くして出て行ってしまったのだった。
 1人取り残された星は、正座したまま小さく唸り声を上げた後。
 ぱんぱんっとその場で手を鳴らし――




「……君は馬鹿か?」
「な、馬鹿というヤツが馬鹿という因果応報の言葉を知らないのですか!」

 呼び出しに応じたナズーリンにジト目で睨まれる。
 とりあえず何故マミゾウが怒ったのかを聞きたいだけだったのにこの仕打ち。星は若干涙目になりながら、畳を叩いてナズーリンに訴えた。

「下手な人間よりも人間らしい生活をしているのに、どこまで一般常識が皆無なんだ! ご主人は!」
「ひ、ひぅっ!?」

 が、カウンターを返されてしまう。
 正座した体制から抜き身(?)のダウジングロッドを鼻先に突きつけられて、すでにギブアップ状態である。
 仕事では優秀であるのに、この落差はいったい何なのであろうか。

「ほら、こうやって。仕事の後、手の平を差し出してくるということは、何かを要求しているわけだよ。よく考えればすぐわかるだろう? 仕事に見合った対価というか、そういうものだよ」

 ナズーリンのアドバイスを受けた星は、顎に手を当てて悩む。
 その時間、数十秒。

「お手?」

 にこっ♪

「えっと、ナズーリン。Nの先っぽが頬に当たって痛いのですが……」
「対価と、いっただろう! ほら、もう一回」
「……二回目だから、おかわり!」
「わざとやってるだろ、ご主人……」
「失敬な、私は全身全霊を掛けてナズーリンに誠意を見せているというのに! それなのにあなたという人は、私の頬をつんつん突いて、失礼ではありませんか!」

 日常生活での星とナズーリンのやり取りについて、マミゾウよりも前に住み始めたNさんによると。
『正体不明の関係』
 だそうで、主従関係が成り立っているのが不思議で仕方ない様子であった。
 それでも、事務とか会計とか、業務については本当に優秀で――
 何かきっかけがあれば大化けすると噂である。
 その証拠に――

「あ、なるほど。わかりましたそういうことですね、ナズーリン!」

 会話の中から答えを探し出した星は自慢げに右手の人差し指を立て、胸を張る。
 むろん、ナズーリンのダウジングロッドはまだ星の頬で存在感を示しており。

「毘沙門天の代理である私に対して、お手やおかわりなどを強要すること自体が間違っている、と! と、とりゅるるるるるるるっ!?」

 星が自慢げに胸を張ったとき。
 それが、ダウジングロッドのバイブ機能(手動)がオンになった瞬間でもあった




 ◇ ◇ ◇




「年を取ると急にがめつくなる人間も居るけど、マミゾウもそんな感じなんじゃない?」

 正座する二人を前に、畳の上で胡坐を書いたままのぬえは、ん~っと唸りながら思い当たることを口にする。

「確かに、人間の中にはそういった傾向を持つものもいると私の同胞たちもいっていたが……マミゾウが、ねぇ」

 昼食後、聖、一輪、ムラサ、そして最後にぬえの部屋を個別に回って意見を確認した結果、面白いことがわかった。
 ナズーリンは独自で把握しているようだったが、星はそんなこと一度も聞いたことがないらしく。目を丸くするばかり。
 それが何かというと、目の前に座っているぬえを含めて、全員がマミゾウに手間賃、つまりは仕事の報酬を要求されたことがある、ということ。
 しかも最近になって頻繁に。

「ナズーリンにはそういったことありませんでした?」
「私の仕事は独特だからね、手伝うことなんてありはしないさ。特に誰かさんの失せ物探しとかなんてね。個人情報もかかわってくるし」
「うう、耳が痛いです……」

 そういえば、と、ふと星は考える。
 なし崩し的に命蓮寺に住むことになったものの、マミゾウの立場が非常に曖昧であることを。
 働かざるもの食うべからず、の精神で住み込みながら家事を手伝ってもらったり、事務仕事の一部を任せている中で、報酬という面でいたらないところはなかったか、と。
 
「その発想が今まで出てこなかった気持ちもわかるけどね。ほら、星って、聖の仕事の手伝いができれば幸せーって感じでしょ?」 

 こくり、と。迷いなく頷く星の姿に、ぬえとナズーリンは思わず苦笑する。

「一輪とかムラサもおんなじ。そういうのだから、お寺に人間のお手伝いが寄り付きにくいんだよねぇ。ナズーリンはちゃっかりいろいろもらってそうだけど」
「失礼な。私だって“地上では”そういったものを積極的に請求してはいないさ」
「そうなんだ。まあ、とりあえずさっきの話を聞いて判断すれば、星の仕事に対してお給金を要求したら、『お手』で返されたって所かな」
「ご主人が手を乗せたときは、貰えると期待したんだろうね」

 二人の会話を不機嫌そうな顔で聞いていた星であったが、いきなりすばやく立ち上がり。空気を切り裂くほどの切れの良い動きで、二人を交互に指差した。

「何を言っているんですか、二人とも! 私たちは聖の理想のために努力するものであって、世俗に関わりのあるものに執着するのはよくありません!」
「はあ、そういうのが……」
「駄目だって言ってるじゃないか……ご主人」
「え? そうなのですか?」

 握り拳を作って意気込む星を見て、微笑みながら頭を抱える二人であった。
 頑固というか、融通が利かない星ではあるが、その後の二人との相談の結果。

「なにはともあれ、マミゾウがお給金を求めていることはわかりましたから。今度聖と相談してみましょう」
「正式という形になると食事等の必要経費も計算して、払うべきかも判断しないとね」
「もう、私だってそれくらいわかっています」
「ははっ、それはよかった」

 聖に相談して、処遇を決めることで落ち着いた。
 悩みが解決したからか、多少すっきりした顔で星はぬえの部屋から出て行き、

「それでは、仕事に戻りましょう。あ、それとナズーリンこの前のお墓の件は……」
「ああ、手配しておくよ」

 ナズーリンもそれに従う。
 簡単に会釈して出て行く二人を手を振って見送ったぬえは、楽しそうに笑いつつ身なりを整え始めたのだった。




 ◇ ◇ ◇




 ちゃりん、

「んふふ」

 ちゃりん、ちゃりん。

「ふふふふふ……」

 巾着を振りながら恍惚の笑みを浮かべ、お茶を一口。
 そしてまた、小銭を貯金箱に入れて含み笑いを繰り返す。
 君子あやうきに近寄らず。と、言うべきか大人たちはその生き物の周りを避けるように通ろうとする。けれど、猫背気味にうつむくその妖怪の視線の高さと合ってしまう子供たちはというと、興味本位で近寄ろうとしてしまい。

『こら、見ちゃいけません!』

 大人が、慌てて引き離すという事態が発生。
 昼下がりの人里の中で大きな尻尾を振っているだけでも目立つというのに、その生き物が茶屋の前の長椅子を事実上占拠しているのだから営業妨害も良いところである。
 そろそろ巫女や命蓮寺に連絡するべきかと、店主が考え始めたところで。

 パシャリ、と。

 太陽の光の中にあっても自己主張の激しい閃光が走った。
 直後、普段は見せないはずの大きな翼を広げて二つの影が舞い降りる。

「はーい、清く正しく、美しく。迅速丁寧正確無比な情報提供がモットーの。あなたの里の新聞屋さん、射命丸文でございます! 今日は人里で注目を浴びている妖怪に突撃取材を断行させていただきましょう! 現場のはたてさーん!」
「……え、ちょ、いきなり、なんで私っ!?」

 お金の音を肴にお茶を楽しんでいたマミゾウが顔を上げれば、すぐ手が触れられそうな位置に見慣れぬ天狗が立っていた。
 しかも、あわあわと、胸の前で手の平を上下させるばかりであきらかに取材なれしていない様子である。

「何を言ってるの? あなたが私の取材方法を教えてって言ったんじゃない。だから、こうやって一緒に回ってあげているというのに」
「だって、この狸と私初対面よ!」
「……知人にばかり取材してどうするんですかあなたは。それだから念写や盗撮でしか写真が撮れないのでしょう?」
「でも、だって……これ、なんかキモイ」
「む」

 いくら温厚なマミゾウであっても、いきなり指差されての正直すぎる発言には考えるところがあったようで。巾着を仕舞い込みながら眼鏡をくいっと上げた。

「これこれ、盛り上がっているところ悪いが、いきなり出てきて『きもい』とは何事じゃ。儂のすいーとたいむを邪魔しおって」
「そうですよ、はたて、いくらとっさに頭に浮かんできたといえ、正直に言っていいことと悪いことがあることを瞬時に判断しなくては」
「……お主も大概じゃな、文よ」
「そちらもお元気そうで何より♪」

 うんざりとした顔で、マミゾウは残り少なくなったお茶を啜る。
 こちらの世界にやってきてすぐに密着取材をされたことのあるマミゾウは、文にあまり好印象を持っていない。
 その取材でマミゾウのスリーサイズが知られたということを記せば、マミゾウの苦悩を少しでも表現できるであろうか。

「で、あれか? 今日はこの頭に二本尻尾を生やした奴のいんたびゅ~を受ければいいということか? あまりお昼のわいどしょーのような扱いにされては困るのじゃが」
「ええ、まあ、この子の練習に付き合っていただければ、と。ところでそのわいどしょー? とは?」

 外の世界の癖か、ときおり幻想郷の住人が理解できない言葉を発してしまうのが玉に瑕。動く新聞のようなもの、と簡単に流して、そそくさとマミゾウは席を立つ。
 いきなり妖怪の数が増えたことによる里の人間の視線の増加も意識しての判断だった。
 そうすれば、人の注目や天狗の意識をそらせると思ったのかもしれない。

「ねえ、文? 小さな見出しは『新参の狸妖怪の本性? 守銭奴疑惑に記者が迫る』とかでいいかな?」
「もうちょっとインパクトがあるものでもいいかもしれません。『同情するなら金をくれ! 狸怒りの集金』とか」
「それ、わけわかんなくない?」
「そう?」

 だが、そうやって移動を始めた後も、やはり談笑しながらついてくる天狗をちらりっと振り返って。
 はぁっと深いため息を吐き、肩を落としたのだった。




 ◇ ◇ ◇




 歩きながら話す、とマミゾウから言われ、はたてと文は質問を繰り返しながらメモを取る作業を続けていた。
 その中でも特に多かったのが、記事の中心であろう。マミゾウが何故そんなにお金に執着しているのかということであったが。

『欲しいものがある。それでよいじゃろ?』

 と、簡単に流されてしまい。詳しく知ることができなかった。それでも、食い下がって触りだけでも教えてくれと頼み込んだ結果……
 じゃあ、少しだけという約束を取り付け。





 そして現在、人通りの少ない居住区に至る。
 そこでマミゾウは二人に裏路地で姿を隠すように告げ、立ち並ぶ家々の一つへと足を伸ばした。人里では一般的な大きさの、平屋建て。何の変哲もない建物だった。
 と、マミゾウが入り口まで迫ったとき、その音に反応したのか。齢十歳くらいの女の子が恐る恐る顔を出す。それと同時に小さな犬が飛び出してきた。
 何事かと、はたてと文が物陰から見守っていると。
 マミゾウが親しげに声を発した。

「のぅ、お嬢ちゃん? そろそろー、ここから立ち退く気になったかな?」

 お友達になりたくない人が多い、そんな闇属性の世界の言葉を。

「こ、ここは私の家だもん……」
「ワン、ワンワンッ!!」
「お主の家? 勘違いしておるようじゃが、お主はその土地と家を借りておるだけじゃろぅ? 持ち主の者が偉く困っておってのぅ? まあ、お主の祖母が少し多めに金は払っておったようじゃからしばらくは問題ないじゃろうが……、さてさて、その頼りの者もいなくなった今、収入のないお嬢ちゃんは今後どうやって、支払うつもりなのじゃ?」
「そ、それは……」
「ワン、ワンワンッ!!」
「そうやって、意地を張るのも良いが、周りに迷惑を掛けておることはしっかり認識せねばなるまいて。子供だからという理屈が通らないことは、この世に腐るほどあるからのぅ。身寄りがなければ先方は一緒に住んでいいとも言うておるのじゃし」
「…………」
「ワン、ワンワンワンッ!!」
「まあ、新しい家庭が不安なら儂もついていってやる。それで良いではないか。儂とて交渉を頼まれておる立場じゃから悪いようにはせぬ。無理に出て行けとも言わんつもりじゃ。それと、ハチもそう吠えるでない。儂はいじめたくてこういった話をしておるわけではないからのぅ」
「…………」
「うむ、良い子じゃ。まだ期限まではもう少しあるからのぅ。よう考えておくことじゃ」

 表情暗く、今にも倒れてしまいそうな女の子を残し、マミゾウは回れ右してその家から離れていく。
 そんな彼女を出迎える言葉は限られるだろう。
 マミゾウが裏路地に入ると、文とはたては笑顔で出迎え。
 びしっと指差しながら声を揃える。

『インテリヤクザ』
「ちょ、ちょっとまてぃっ」

 ぱっと見、かなり緩めに見ても地上げ屋である。

「守銭奴で、そっち系ですかー。うわー、ゲスの極みですね」
「ああはなりなくないね、文……」
「さらっと物凄いことを口走るでない。こら、はたてとやら! お主も筆を動かすな!」

 マミゾウが慌てて訂正するも、二人の筆は止まらない。
 もう、水を得た魚状態であった。

「じゃから、そのさわりの部分はこれから説明すると、さっきいったでは――」

 と、脱力感で眼鏡すらずり落ちかけたそのとき。

「ほーほー、なるほどー。こういうことしてたら聖や星には説明できないよねー♪ いいものみ~ちゃった!」
「ぬ、ぬえっ!?」
 
 マミゾウにとって一番厄介な場面で、天から正体不明が降ってきた。
 もう、顔を覆うしかないというかなんというか。

「ねーねー、二人はマミゾウのこと取材してたんでしょ。どんな情報集まった?」
「良くぞ聞いてくれました、これがですね……、そのすべてがマミゾウさんは黒だと告げているわけでして」
「あ~、こんなの記事にするくらいなら自分の部屋で別のネタ出してた方がましだよ」

 3人寄れば姦しい。というが、もう、ぬえを加えたマミゾウ疑惑会議は、盛り上がりを見せるばかり。
 本人を置いてけぼりで、どんどん捏造が進んでいく。
 そんな中、マミゾウが秘密結社の代表で、幻想郷の支配を企んでいるという情報まで飛び出したところで。
 とうとうマミゾウは首を縦に振り、

「わかった! わかったのじゃ! 触り程度ではなく、後である程度詳しく説明してやるから。静かにしておれ!」

 明確な敗北宣言した。
 その直後。

『は~い!』

 さっきまで路地裏からあふれ出そうだった声はぴたり、と止み。
 あくどい笑みを浮かべた見た目少女の3人がそこにいた。
 それに対してマミゾウができた事と言えば。
 
「……のう? 明らかにお主等の方が悪人ではないか?」

 くぐもった弱々しい声を発することと。
 ひんやりとした裏路地の壁に、軽く額を押し付けることだけだった。




 ◇ ◇ ◇




 その姦しい三人組との一件の後、三対一では分が悪いと判断したマミゾウは話してやる代わりに条件を一つつけた。
 天狗二人に対し、ぬえを通して情報を提供する、と。
 正確な情報を貰えるならば良いと、新聞記者たちは引き下がり、その日は一段落。

 その次の日のこと。

 人里のとある場所に呼び出されたぬえは、マミゾウに手を引かれるまま見覚えのある家に連れ込まれた。
 一般的な日本家屋の平屋建て、土間と居間が段差で区切られているのが目立つくらいで。特に変わって事もない。
 いきなりなんのつもりかと、マミゾウに尋ねれば。
『初めは、人間に化けて人里の様子を探っていただけ』
 と、のんびりとした口調で返された。
 ときには青年に、ときには老婆に、ときには子供に化けてその年代でしか知ることのできない情報を集め、虎視眈々と機会を狙っていた、と。
 いきなり過ぎて、それが昨日言っていた情報だと判断するのに必要以上の時間を要してしまう。

「俗に言うびじねすちゃんす、という奴じゃな」

 そんなマミゾウは、自分の家でもないのに堂々と居間へ上がりこむと。落ちていた三つのお手玉をぽんぽんっと投げ上げ始めた。畳の上で胡坐を組みつつ、流れるような動きで。
 お手玉など器用な人妖であれば特に難しくもないことなのだが、あまり見慣れていないのか。マミゾウの横で目を輝かせる黒髪の少女は拍手喝采を始める。
 
「ビジネス? あー、マミゾウが外の世界でやってた金貸しとかそういうやつ?」
「ふふん、ぬえや。今更一つの業種に絞るなど古い古い。もちろん金貸しもやってみたいところではあるが、妖怪の若者代表である儂としてはもっと手広く、なんでも挑戦せねばと考えておる。ん? なんじゃ? その生ぬくい視線は」

 とりあえず平屋の中、マミゾウの正面に座ったぬえは、頭の上にはてなを浮かべる。話題についていけてないというよりも、マミゾウから飛び出した一つの単語が気になっているようだ。
 何もいわず、足を崩したまま。半分閉じた目をマミゾウに向け続けていた。

「まあ、あれじゃな。何でも買えるこんびにえん……、いやいや、万屋というものがあるじゃろ? その仕事ばーじょんといったところじゃな」
「とりあえず、何でも引き受けるってこと?」
「もちろん、これ次第ではあるが」

 くっくっく、と含み笑いを隠そうともせず、手のひらを上に向けて人差し指で円を作る。
 お手玉中によくそんなことができるなと、感心しているぬえであったが。

「ねえ、マミゾウ。ちょっとお願いがあるんだけど」

 とりあえず、ぬえにははもっと気になっていることがある。というよりそろそろどうにかしなければいけないわけで。
 
「マミゾウが急にお金を集めだした理由は大体わかったし、天狗の人たちにも誤解はといておくから」

 眉毛の上あたり。
 そこに指先を当ててうーっと、軽く唸ってから。
 ひょいっと、いびつな青い羽の一本を高く上げたら。

「これ、なんとかして」
「あ、ハチ! だめじゃない!」

 犬がついてきた。
 ぶんぶんっと、ぬえが羽を上下させても噛り付いたままで離れる気配がない。しかも遊んでいるというわけではなく、時折低く唸り声を上げているところを見ると。
 犬的にマジのようであった。
 女の子が外そうとしても、びくともしない。

「まあ、正体不明とか、不審人物にもほどがあるからのぅ。番犬としては正しい対応ではあるな。ま、あきらめるしかあるまい」
「ま、いいけどね。そんな痛くもないし」
「それと、おユキも気をつけねば危ないかもしれぬよ。こう見えてぬえも中々のつわものゆえな」
「え、ぬえさんって怖い妖怪なの?」
「怖いっていうか。結構凄い妖怪なんだけどなー、私。その私にあんまり無礼を働いちゃいけないんだぞー」
 
 がおーっと、ぬえが悪ふざけして少女に飛び掛る真似をするものだから、犬が暴れる暴れる。他人が見ていて大丈夫かと心配になるくらい息を荒げて身体を振り回している。等の脅かされた側のユキという少女は、ぬえを見て笑っているだけであった。
 どうにもその凄さは伝わっていないようである。

「マミゾウもいっちゃってよー、私の凄さってやつ」
「おうよ、夜な夜な人の屋敷の上を飛び回っては、意味もなく歌い続けるという嫌がらせを繰り返す。ご近所の女性の肌荒れの原因にもなるほどの、それはそれは恐ろしい奴なのじゃ」
「……す、すごーい」
「あのね、そういうところは無理に褒めようとしなくていいからね。すっごい情けなくなるから」
「しかも、人間が呪いと勘違いするほどの音痴」
「……がんばって、お姉さん」
「ねえ、マミゾウ。私なんだか励まされたんだけど」

 事実は確実に捻じ曲がって伝わっているが、実際ぬえがやっていたことと大差ないのが悲しいところである。
 しかし、自らの名誉のために音痴だけは訂正しようとするものの。
 余計に少女に励まされるばかり。
 それでも、やっと初対面の少女と打ち解け始めたぬえは、最初から疑問に思っていたことをやっと口にすることができた。

「それにしても、なんでマミゾウとこの子供が仲良いの?」

 当然といえば、当然の疑問である。
 ぬえの記憶が確かなら、ここは昨日、マミゾウが新聞記者との話の前に立ち寄るのを空から眺めていた家。
 マミゾウがいう儲け話には、まったく関係ないようにも見える。それでもマミゾウが親しくしているのが、不自然にしか映らなかったのだろう。
 質問をぶつけられた少女はというと、横に座っているマミゾウの顔をじっと眺めてから。
 
「だって、おばあちゃん妖怪だから」
「……む」

 マミゾウが不機嫌そうに眉を跳ね上げるが、そんなことは別段問題ではない。

「……ごめん、ちょっとおばあちゃんの後の言葉が理解できないね。何? 妖怪だから、マミゾウのことが好きってこと?」
「うん、妖怪だから。お姉さんも、マミゾウおばあちゃんと仲良しの妖怪だから」
「あー、んー、まって、やっぱりちょっとそのあたりを詳し――」
「おーおー、すまん。ユキ。そろそろ儂は人里近くの寺に戻らねばならん。ほれ、ぬえもいくぞ」
「え、ちょ、まだ私の質問の途中っ!? って、犬もまだついてるし!」
「大丈夫じゃ、帰ろうとすればちゃんと離れる。ほれ、さっさと立たんか」
「あ、マミゾウおばあちゃん、ばいばい」
「さらばじゃ」
「ばいばーい、って、あ、ほんとに離れた」

 入ってきたときと同じように、無理やりマミゾウに引っ張られて少女の家を出た途端。さっきまで堂あがいても取れなかったハチが、嘘のように簡単に剥がれる。
 家の敷居から外に出たから、もう攻撃は必要ないと判断したのかもしれない。
 そして、ハチは自分の力で追い出したとアピールするかのように。お座りしたまま、頭のてっぺんをユキに向けていた。その様子は褒めて褒めてと、いわんばかり。

「んー、やっぱり普通の女の子にしか見えないよねー」

 そんな少女を振り返りながら歩くぬえの疑問は、消えることがなく。それともう一つ違和感が――

「あれ?」
「では、次にいくとするかの」
「あ、ちょっとまってよ!」

 犬が離れた瞬間、痛みとか噛まれていた感触も一気に消えてしまったような。
 ぬえは羽を上下に動かしながら頭にはてなマークを浮かべていた。
 それでも、ずるずるとマミゾウに引き連れられて、やってきた次の場所は――

「葬儀、屋?」

 仏とか、神とか。なんだか見るからに縁起の悪い字の並んだ店だった。




 ◇ ◇ ◇




「……それでね、聞いてよ天狗さん! 私はあの区画から出て別な場所に家を建てたいって、大工の人たちに言ってるのに、人手が足りないっていうばかりで取り合ってもくれないんだよ!」
「ほうほう、なるほどなるほど。手が足りなくなるほど仕事があったということは、それほど危険だという話題に?」
「話題ってもんじゃないよ。あの巫女風にいうなら異変だよこれは! こんな春過ぎにあんなことがおきるなんて、こんな年寄りになるまで生きてきたけど初めてだよ」
「おやおや、そんなに肌がお綺麗でお若いのに?」
「いやだよぉ! お世辞なんてぇ!」
「はっはっは、これは失礼」

 ばんばんっと、恰幅の良いおばちゃん特有の力で背中を叩かれながらも、微動だにしない筆さばきで文は手帳に字を書き連ねていく。
 昼の仕事を終えて井戸端会議中のおばちゃんに突撃して、本日三回目。
 その三回とも、文が欲しい情報が簡単に出てくるのだから、特定の事象が人里で起きていたのは間違いなく事実なのだろう。

「さてさて、皆さん。ありがとうございました。今後とも文々。新聞をごひいきに~」

 営業スマイルを残して、文はすばやく空へと上がる。
 そして、人里から少し離れた林の中に入ると、周囲と比べて一際大きい杉の幹に背中を預けた。妖怪の山の森よりの葉の密度が薄いからだろうか。
 薄暗い中に差し込む光と風は中々に心地よいもので、

「……文、私がせっかく情報集めてきたのに、なに休んでるわけ?」
「こっちはある程度終わったもの。はたてが遅いんじゃないの?」

 取材口調とは違い、文は一段階ほど高さを落とした声音で、葉っぱの隙間から飛び込んできた天狗に目を向けた。

「私は永遠亭の医者とその助手から、完璧な情報を手に入れてきた。幻想郷っていう閉鎖空間のなかで、突然変異した病原体が人里の中で発生。それでも永遠亭がすばやく対処したため、実質的な被害はほとんどなかったって。ふふん、文の情報なんて要らなかったんじゃない?」
「……はぁ」
「ちょ、なんで! なんでそんなムカツク顔でため息ついてるわけ! 私の取材のどこがいけないって言うのよ!」

 同じ情報を得た状態で、どちらが面白い新聞記事を書くか。
 それが今回、二人が一緒に行動している根底であった。それで、永遠亭の有力情報を得たはたては、すぐにでも新聞を書くつもりであったのだが。
 文はその情報を出して自慢げにしているはたてに指を向ける。

「では、私の集めた情報を出しましょう。人里では、新しい流行り病だと大騒ぎ。主婦の話題のほとんどが今やそっちの愚痴になってる。病気が発生した区域の人とは一緒に生活したくないっていう風潮が溢れてて、沈静化した今でもまだ消える気配がない」
「……え? でも、永遠亭だと」
「そう、永遠亭はそういった医療機関。外部に出す情報として、感染症としては被害が少なかったと報告するのが当然。実質10名程度しか死亡していないんだから。私たちの天狗新聞の新聞を媒体にしてでも混乱は押さえようとする。
 でも、人里からみたら、自分の生活と直結してるわけだから、大問題だってわけ。はたてだって、何の関係もない人間が10人が死ぬより、すぐお隣の白狼天狗が死ぬ方が気になるでしょう?」
「じゃあ、どうしろっていうのよ!」
「簡単なことよ、情報が出揃うのを待てってこと」

 はたてが医療機関の。
 そして、文が現地の人間の。
 異なる二つの情報を重ね合わせることができた。
 そして、今度はそれ以上に……

「もう一つ、客観的な、なんでもない情報が加わると、面白いことがおきるかもね」

 少しだけ傾き始めた太陽を見上げて、文はまた気持ち良さそうに目を閉じる。
 それに釣られて、はたてもその当たりの木に背を預け、羽を休めた。




 ◇ ◇ ◇




 ところ変わって、命蓮寺のマミゾウの自室では。
 人里を一緒に回ったぬえの頭から、湯気が噴出しそうになっていた。

「……マミゾウ、うん、もう一回説明して」

 主に、知恵熱で。

「ああん? しょうのないやつじゃのぅ……、じゃから今回の仕事はちゃんとした儲け話で、一つも二つも旨みがあると言うておるじゃろうが」

 人里で流行り病が発生し、空き屋が多少できた。
 命蓮寺と人里で商売になりそうな話を集めていたマミゾウにとって、これはまたとないチャンスだったのだという。
 何でも屋を始めるにも、寺以外の本拠があったほうがやりやすくなるのだから。
 
「人のうわさも75日、今は死人が出た家として気味が悪いと噂されるかも知れぬが、75日もすればほれ、単なる空き屋。ならば、妙な噂が流れている今と、噂が自然消滅し始めた頃。どちらが家の価格が低いか、いや値切り易いかとなってくれば言うまでもなかろう?」
「……なんか、マミゾウが悪人に見えてきた」
「これこれ、人聞きの悪いことはいうものではないぞ。こちらは買い手がつかぬ家を好意で購入しようというのじゃ。感謝はしてもらっても、疎まれることはあるまい」
「うん、まあ、そうなんだけど。なんかやっぱりマミゾウだなーって気がする」
「じゃろ? こうでなくては面白くない」
 
 身を寄せ合いつつ正座し、こそこそと話をしているのは、ナズーリンの同胞を警戒しているからか。見るからに怪しい格好ではあるが、障子を閉めている今は、疑われることもないだろう。

「それで、死亡した中でその所有者と揉めている事例はないかーっとな? 聞き込みを繰り返し、葬儀屋で教えてもろうた大地主を回っておったら」
「おばあちゃんが死んで、孫だけが残ってる家があった。ってこと?」
「そういうわけじゃ。しかもその地主とその家は親戚であり、死んだ者も相当の土地を持っておったとな。ただ、こっちは家関係ではなく、畑や田といったところじゃが。いやー、そんなものが死んで、まだ畑や田が耕せない孫だけが直系として残っておった場合どうなるか。
 ふふ、『昼どら』的などろどろした相続というものが発生してじゃな。これがまた、興味深い。『大きくなるまで土地を休めていては危ない、私が変わりに管理します!』
『何を言うんですかおじさん! 僕がおばさんの後を継いで。農業をしていきます!』
『黙れ、あの土地は俺が開墾したところもある! 俺が貰えないのは不公平だ!』
 なんてのぅ~、そういう一悶着があったんじゃろうなぁ、ふふふ」
「……なんか、マミゾウ? あっちの世界で黒くなってない? それになにその『昼どら』ってやつ」
「ん? あちらにおったときの儂のばいぶる、というやつじゃ。なかなか為になると噂じゃぞ。ま、あの子供を説得できれば無料で家を提供しても言いという話も出ておるし、話をまとめた後の謝礼も約束されておるし」

 どうやら、その『昼どら』というものがマミゾウに悪影響を与えたんだろう。
 と、大まかに予想しながら、ぬえは今までの会話と、人里でのことを思い出し。
 そこでやっと、一本の線がつながった。

「あ、そうか! それで、あの子供。人間が嫌いになったんだ」
「うむ、正解じゃ。人間不信、ともいうな。大人のあんまり格好悪い姿に幻滅したのであろう。普段は静かに暮らしておったのに、死んだとたんに群がってくる奴らに、憎しみすら覚えたのかも知れぬ」
「……それと、マミゾウがきっとおばあちゃんっぽいから」
「……あん?」
「ナニモイッテナイデスヨ?」

 ずいっと、顔が触れるほど接近するマミゾウの迫力に押され、ぬえは自然と立ち上がり、障子を開けて外に出た。

「じゃ、じゃあ天狗にそのへんのこと教えてくるからね~!」
「これ、逃げるでない。儂が何度年寄りではないと言うたらわかるんじゃこのあほう! ったく」

 あわてて追いかけて、手を伸ばす……
 ……振り、をしたときにはもうぬえはマミゾウの視界から消えており。
 空には傾く太陽があるくらい。

「おや? マミゾウ。何かあったのかい?」

 と、そんな騒動を聞きつけたのか。
 ちょうど角を曲がったところのナズーリンが歩み寄ってくる。さっきの話を丸々語るわけには行かないので、マミゾウは笑みを浮かべつつ。

「いやいや、ちょっとな。ぬえがその辺におったから儂の代わりに、天狗へ情報をもっていってもらったのじゃて」

 大事な情報を省いた説明をする。
 すると、なぜかナズーリンは顎に手を置いて、上目遣いにマミゾウを見る。

「……ふーん、君にしては非効率的な手段を選んだものだね、人を介せばそれだけ情報が薄まってしまったというのに。それに人情に厚そうなイメージがあったからね、てっきりそういったことはマミゾウ自身が動くと思っていたよ」
「おやおや、儂はそんなに面倒くさがりではないのじゃがのぅ」

 奇妙なものを見るようなナズーリンの視線を受けて、マミゾウは楽しそうに笑い。
 また、空を見上げる。

「しかし、こうでもせぬと中々他の妖怪と接しようとせぬ馬鹿者がおるからのぅ」
「……あ~、はは、前言撤回させてもらうよ。邪魔をしてすまなかったね」

 苦笑して去っていくナズーリンの姿が消えるまで、マミゾウはその姿を横目で追い。

「ふむ、儂のこともよう調べておる、なかなか厄介じゃな。あやつは」

 新たな友人を見つけた子供のように、嬉しそうに声を上げた。
 そしてもう一度、周囲の気配を伺ってから。
 ぬえと同じように、寺の外へと向かったのだった。

 行き先を、誰にも告げず。




 ◇ ◇ ◇




 トトンッ、トトンッ

 爽やかな朝日が差し込む命蓮寺の廊下に、軽いステップの音が乗る。
 星やナズーリンに見つかれば叱られること間違いなしの行動を続け、廊下を進む張本人は。

『マミゾウの部屋、のっくすること』

 と、板の掛かった部屋の前で立ち止まると。

 すぱぁーんっ!

「ま・み・ぞー! 新聞見た見た?」

 全力で障子を両側に開き、硬い音を響かせた。
 途端、座布団を枕に横になっていたマミゾウの耳が、おもしろいくらいに跳ね上がり。お気に入りのキセルから、タバコが零れ落ちそうになる。
 畳に焦げ跡でもつけたら大惨事と、慌てて手を動かしたおかげで危機は去った。が、灰皿にこんこんっとキセルをぶつけながら、何か言いたそうな顔でぬえを見上げる。

「はぁ、ぬえや……新聞を見るまえに、障子の上の看板は見なかったのかのぅ?」
「ん、なんのこと? あ、マミゾウ、寝タバコはだめだって聖に言われたでしょ~。ま、でもいまはそんなことどうでもいいから。これ見て、こーれ!」
「まったく、お主は落ち着きがないのが……んあ? なんじゃ? 新聞を二つも持ってきて」

 マミゾウは畳の上で胡坐をかき、側に置いてあった眼鏡を掛ける。欠伸をかみ殺しながら、ぬえが差し出してきた新聞を眺めれば。
 一番最初の頁に、ぬえがはしゃぐ原因があった。
 この前の人里の調査報告、そういっても差し支えない内容だったのだから。

「この文々。新聞というのはどちらかというと淡々と事実を書いて折るようにも見えるな。まあ、面白みもないが、わかりやすい。もう一つ工夫があればよいかもしれんのじゃが」

 とはいえ、被害者に老人や子供が多かったことや、命蓮寺で犠牲者の墓が作られているという情報まで関連して書いてあるところを見ると、この件については中々調べているらしい。写真も人里と永遠亭という医療施設の風景等を主に載せてあるようだった。
 ふむふむ、と。マミゾウが唸るのを目を輝かせていた見ていたぬえであったが。

「あれ? マミゾウ?」

 もう一つの新聞を手に取った瞬間。
 あからさまに、マミゾウが眉を吊り上げたのだ。
 
「なるほどのう、事件内容よりも。あの子供を題材にした、か。悪くない。そういったお涙頂戴の内容は、受けが良いからのぅ」

 祖母を失った子供と、妖怪の心温まる交流。
 そういった内容の記事だった。多少、捏造された部分もあるように感じたが、目くじらを立てるほどでもないように見える。
 そんな記事の内容よりも、やはり目を引くのは、でかでかと掲載された写真。その中では、おかっぱ頭の少女、ユキがくったくのない笑みを浮かべている。そして、近くには……

「あー、わかる。マミゾウもいつ撮られたか気になってるんでしょう」
「……ああ、まあそういうこともあるが」

 間違いなく、マミゾウとぬえの姿も写っていた。ほぼ、全身が収まるような形で。
 正体不明の妖怪が写真に写っても良いのかと、そういった疑問は置いておくとして、ぬえが上機嫌なのはこの記事のことがあるからと推測はできる。
 確かに、内容としては先に呼んだものよりも面白くは仕上がっている。先のものよりも人気が出るに違いない。
 ただ、問題は……、
 いまぬえが告げたように、いつ、どのような手法で撮られたかわからないということと――
 
「うん、でもいいじゃん。綺麗に三人だけ写ってるし。あ、聖に障子のり借りて切り張りしちゃおっかなー」
「……ぬえがそれで良いのなら保管でも何でもするがよかろう」
「うん、そうする」

 嬉しそうに出て行くぬえを見送って、マミゾウはごろんっと再び横になり。
 空になったキセルを口にくわえて、くるくると回す。

「余計なことだけは、せねばよいが……なっ、と」

 そうやってしばらく時間を潰した後で、頼まれ事を思い出し聖の部屋へと向かったのだった。




 ◇ ◇ ◇




 人里では最近、火葬を推進していた。
 燃やして骨になっていたほうが、墓に入れる際に面積が小さくすむからだ。
 それと、お腹をすかせた妖怪が墓荒らしをしないように、との配慮もある。
 ただし、限られた面積の中で火葬場という専用の施設は作るのが難しく……

 長年生きてきた竹林の炎術使いの指導の下、各家や施設単位で遺体の焼却が行われることが多かった。

「いらっしゃいませ、何の御用でしょうか。診療時間はもう少し後からになるのですが」

 もちろん、永遠亭も例外ではない。
 病で死亡した人間の火葬については、特別な権利を与えられてもいる。特に今回のような事件では、万が一病が死体から広がらないよういち早く処分することとしていた。
 で、それを誰が取りに行くかと言えば。
 家族、もしくは。

「……命蓮寺の使いじゃが、例のものは準備できておるかのぅ?」

 墓を建造する業者側。
 しかも、命蓮寺は資産が少なくても立ててあげるという新設設定。というわけで、一人暮らしになったあの少女の祖母の墓も命蓮寺の管轄となったわけだが、まさか少女に永遠亭まで行けと言えるはずもなく。
 時間的猶予があり、危険な人里の外を平気で歩けるマミゾウに白羽の矢が立ったというわけだ。
 朝からひとっとび永遠亭まで出かけ、気だるさを背負ったまま受付の鈴仙という妖怪兎へと声を掛ければ、裏口のほうへと案内された。
 さすがに、診療所の待合室で骨の交換というのは、げんが悪いとの配慮だろう。一度入り口から外に出てぐるーっと回って。
 ぴょんっと何もないところで、軽く跳ねてから。
 
「えーっと、これとこれと、これ。命蓮寺行きは3つですね。風呂敷の中には一応遺留品として、最後に見につけていたかんざしなどの飾りものが入っています。もちろん病原菌は死滅しておりますのでご安心を」
「……なんじゃ、三つもあるんかい。うら若き乙女に何たる仕打ちか」
「うらわか、き?」
「ん? 何ぞ文句があるか?」
「い、いえ、若いなら3つくらい余裕かなーって」
「そうは言うがな、さすがにこれを運ぶには、急いでも二個ずつ。しかし、中身のことを考えれば、素直に三回か、となるとそれなりの時間は必要じゃな」

 言えの名前が書かれた、一抱えほどの骨壷が三つ。
 それが裏口付近に置かれているのを見て、マミゾウは肩を落とす。荷車でもあれば話は別だが、空を飛んできたマミゾウにとって、これは想定外の事態。
 
「仕方ない。お主、もう少し入り口のほうまで壷を運ぶの手伝ってくれんか? まさかここまでやってきて骨壷を盗むものなどおらんじゃろうし」
「ええ、それくらいならいいですけど」

 と、鈴仙は身近にあった一個を持って、てくてくと、土の上を進み。
 それを目をぱちぱちさせながら眺めていたマミゾウが、素早く鈴仙の前に回り込んだ。
 いきなり、どうしたのか。と、尋ねようとしつつ鈴仙が足を前に軽く進めるのと。

「え?」

 重力に引っ張られるのは、同時だった。
 てゐの落とし穴だと気付いたときにはもう遅く。

「いたたた、もぅ! あ、骨壷!」

 手元にはない、まさか割れたか。
 さーっと、鈴仙の血の気が一気に引いていき。

「……あー、なんじゃお主。きづいておらなんだのか、すまぬのぅ」

 尻餅をついたまま慌てて見上げると、何もなかったかのように平然としているマミゾウがふよふよと浮かんでいた。
 落下と同時に鈴仙が手放した壷を捕まえながら。




 マミゾウが慎重に骨壷運びを実施していた頃。
 墓石の調達を終えたぬえは、何をするでもなく人里を歩いていた。ぬえと誰かがすれ違うたび、必ずと言って良いほど相手が振り返る。という感覚を楽しんでいるようである。
 ふと、気がつくと、見覚えのある建物が並ぶ通りに来ていた。
 人通りがなくなったのが気に入らないのか、キョロキョロと周囲を見渡してから回れ右して、

「あれ、ぬえさん? どうしたの?」
「ん? ユキじゃない、そっちこそ何してるの?」

 振り返った瞬間、知った顔の少女に声を掛けられた。
 簡単に手を振って、挨拶を返せば少女は困ったような顔をして笑う。
 
「だって、私の家の近くだもん。ちょっと、お買い物してたんだ」

 どれどれ、と。ぬえが覗き込むと。
子供には似つかわしくない竹細工の買い物籠の中には、朝取れたと思われる野菜が詰まっていた。

「ふーん、人間ってこういうの食べないと生きてられないから不便だよね。あ、そうだ。ユキは郷の新聞見た?」
「見たよ。ちょっと、びっくりしたけど、人里の中で一杯配られてたから、買い物するときも大変だった」
「あ、そうか。確かに大変だね」

 あまり大人を信用できなくなったユキがちょっとした有名人になり、新聞に載ったせいで声を掛けられるようになってしまった。
 たぶん、大変という言葉はそういう意味なんだろう。

「がんばってって、応援されても。何をがんばればいいかわかんないし」

 マミゾウが嫌そうな顔をしたのは、もしかしたらこういうことなのかもしれない。辛そうに俯く少女になんて話しかけようか、そんなことを考えながら、ぬえはぱんっと手を叩き。

「まあ、そういうのも仕方ないよ。ほらほら、私が荷物持ってあげるからさ。ハチのとこ帰ろう」
「うん」

 結局、いい案が出てこなかったので、一緒に家に帰ってあげることにした。
 会話もないゆっくりした足取りではあったものの、ユキはぬえと寄り添うようにして歩き、

「ひっ!?」

 角を曲がって、家が見えた途端。
 ユキが短い悲鳴を上げる。

「……あー、なるほどー、あれね」

 家の前に集まる、10人ほどの大人たちを見て、カタカタと震えながら、ぬえの服をぎゅっと掴む。これだけで、ぬえが理解するには十分だった。
 新聞は確かに、ぬえやマミゾウ、命蓮寺の住人の名を上げることに繋がったのかもしれない。けれど、それはどうやら相続権を狙うものたちに焦りを与えた。人間を信用しなくなり始めたユキが、土地を妖怪に譲るなどと言い出さないか。
 それをやめさせるために、その代表が出向いてきたといったところか。
 一人の少女に会いに来ているのに、誰一人として笑顔を見せないその異様な光景は、ユキの瞳の中で堂映っているのだろうか。
 おそらく、閉められた入り口の内側ではハチが噛み付くチャンスをうかがっているに違いない。
 そんな緊張した気配を感じたのか、その辺をうろついていた野良猫もぬえのところに逃げてきて……

「ごめんね、ユキ。私、浮かれてる場合じゃなかったみたい」

 ぬえはその猫を掴んで、背中を撫でると。
 一瞬だけ妖力を開放し、猫を大人たちの真ん中に放り投げる。
 すると、何故か大人たちは慌てて猫のほうへと群がっていった。
 当然猫は全速力で逃げるが、それでも大人たちは、猫を追いかけ続け、それを何度も繰り返して。

 やっと家の前が静かになった。

「ありがと、ぬえお姉さん」
「どういたしまして」

 ぬえが正体不明の種を使い、猫をユキの姿に見せたことは、ユキにわかるはずもない。それでも何かをしてくれたと感じ取っているようで、素直に頭を下げてくる。
 そして、

「ねえ、ちょっとだけ。時間ある?」
「ん? ハチはいいの?」
「うん、あの子は……、大丈夫」
「なら、いいけど」

 買い物籠を置くが早いか、すぐに家の外に戻ってきたユキにお願いされ、ぬえは人里の端へと移動していったのだった。




 ◇ ◇ ◇




 骨壷を命蓮寺に運んで、壷に書かれた名前と準備された墓石の名前を確認すること三回。それを終えたら、ちょうど昼食の時間になっており。
 匂いに誘われるまま、居間へと出向いてみると。

『ぬえがどこにいるか知らないか』

 と、他の仲間たちに尋ねられた。
 仕事を終えて人里に遊びにいったまま、まだ帰っていないのだという。とりあえず、自分の食事を終えてから、のんびりとした足取りで人里へと向かってみたはいいものの。

「ぬえの年で、迷子などありえるわけもないからのぅ。まあ、そのうち寺へ戻るに違いなかろう」

 探すでもなく、情報を集めるでもなく。
 ただ、自分の仕事である家の交渉の続きでもしようかと、依頼主の家へと向かってみれば。

「おーい、お邪魔す……、あ~、なんということを……」

 脅えて固まる猫を中心に、10人近い大人が居間で正座していた。
 しかも、その猫を『ユキ』と呼び、語り続ける始末。
 それで何があったのかを大体察したマミゾウは、片手で頭を押さえながら猫の背中にくっついていたぬえの術式の種を引き剥がす。
 
「目が覚めたか、お主等。まったく、手間のかかることをしてくれたのぅ……」

 そしてすぐに、ぷちっとその種を潰す。幻術から開放され、狐に化かされたような顔をする大人たちへと、にこやかに言葉を掛けた。
 マミゾウとしては、交渉は続けるから無闇に怖がらせるようなことはするな。と、注意をするつもりだったのだが、この状況から判断して手遅れに違いない。

「儂に土地が渡ったとしても、そちらに譲り渡すと言う約束であったはずじゃろう? まったく、欲にまみれるのもいいが、加減を知らねばな」

 別にマミゾウは人間の大人たちの行動を否定するつもりはない。目の前に欲しいものが落ちていたら、それを自分のものにしたいという感情はマミゾウにだってあるからだ。
 それを抑えて利用するか、飲まれて溺れるか。ただそれだけの違いでしかない。ただし、仕事の邪魔になられては、どうしようもないのは確か。

「とにかく、儂を雇っておるうちはあまり勝手なことはせぬこと。それだけお願いしておくのじゃて、お互いの仕事のためにものぅ」

 これ以上、ユキと接触しないよう念を押したマミゾウは、大きな尻尾を揺らして玄関へと向かい。

「あ、そうじゃ。お主等。ハチという犬は、ずっとあの家で飼われておったのかのぅ? それと、あの子の両親は?」

 急な質問を、ぶつけた。
 その中の一人が、頷き。

『あそこのばあちゃんは、変わり者で。畑仕事に出て良く動物を拾ってきていた。
 ユキだって、畑に捨てられてた赤ん坊だって聞いてる。それでも、自分が死んだらユキにすべてを任せるっていうから……』

 血縁関係でもない、他所の子供に土地をすべて奪われるなど我慢できない。
 その言葉には、その場にいる全員の本音が、垣間見えるようで。
 それでも、おどろおどろしい気配を半身で受けたマミゾウは、おおっ、と何故か感嘆の声を上げ。

「うむ、その情報が知りたかった。いまいち自信がなくてな」

 人間たちの方へと微笑を向けてから、その場を後にするのだった。






 昼を過ぎて人通りがまばらになった里の中、マミゾウはそのとおりの中央で眉間にしわを寄せてたっていた。

「さてさて、どうするか……」

 情報とは恐ろしいもので、角を立たないように示そうとすればどうしても、わかりにくいものになってしまうし。逆に急いだり、一方を詳しく説明しようとすると、どこかに綻びができてしまう。
 今回のはたての新聞がいい例で、尖った内容のものは特に、といったところか。
 しかし、当然、公開するよりも収集する作業の方が困難であるのは周知の事実である。時には大きな犠牲を払う必要もあるのだから。
 しかし……
 
「た、助けておくれよ! あの天狗がしつこいんだよー」
「ああ~、お燐や。儂は今急いでおるというか。あまり手間を掛けたくないというかじゃなぁ……」

 人里の中、火車(人型)がいきなり飛びかかって、抱きついてきた場合はどのような犠牲を払えばよいのだろう。
 しかもその後詰めとして、

「こんにちは、清く正しいみんなの味方、射命丸文です」

 お燐を追ってきたと思われる天狗が、瞳を輝かせていた。

「おやおや、これは白昼堂々と。猫と狸の禁断の恋というやつで?」
「からかうのはやめてくれぬか。お燐も困っておるようじゃし、さっさと開放してはくれんかい?」
「ふふ、そうはいきませんよ。死体運びという残念な趣味をお持ちのお燐さんが、人里のあの病気の発生区域をうろついていた。それだけでも何か事件の匂いがするというものです。それに、あそこに最近出入りしているあなたとも顔見知り。
 私の勘が告げています。これは何かある、と」

 朝のあの遺骨運びに予想以上の時間を割いたのが、まずかったか、と。マミゾウは頭を振って文に対し、肩を竦める。素直にお手上げの仕草を見せた。
 ここまで怪しい情報を見せておいて、
『何もありませんでした♪』
 が、素直に通る相手でもない。
 それに、

「まあ、待ち合わせ時間にまだ余裕があるからと寄り道した儂にも問題がある。それに、じゃ。ちょうどお主に任せたい仕事ができたしのぅ」

 後で文と交渉をしなければいけないと考えていたところだ。
 ただ、化かすにも化かし方がある。というポリシーを持ったマミゾウだからこそ。その順序が繰り上がってしまうのだけが、面白くないのかもしれない。

「文の方にはこちらから説明する、お主は念のため準備をしておいてくれると助かるのじゃ」
「ん、まかせておくれよ。えーっと、そのときはお空も連れて来ていいかい。あの子あたいに付いてこようとするし、撒くの大変なんだよね。たぶん、それなりに役に立つと思うし」
「ふむ、ではそのお空という者ともまた、細かな打ち合わせを……」
「……あ、うん。止めといた方が良いよ。あたいの真似させておくからさ」
「そうか? しかし、内容を理解しておった方が動きやすいのでは……」
「手段のためには、目的を選ばない子でね……」
「……ん? 逆では?」

 しかし、お燐は横に首を振る。
 沈痛な面持ちで、目を伏せて。

「手段のためには、目的を選ばない子でね……」

 もう一度、繰り返す。
 難しい目的を伝えても、伝わらない。
 そんなニュアンスで。

「……まあ、その辺りの判断は任せるとしようかの。ではな~」

 お燐は、マミゾウから離れると、文におもいっきり下を出してから駆け出していく。もちろん、トレードマークの台車を押して。

「あやや、嫌われてしまいましたかね」
「そりゃあそうじゃろう」

 そのお燐がいなくなったスペースに、今度は文がにじり寄ってきた。
 手帳を取り出し、もう我慢できないといわんばかりに。

「で、どこで話をするのが所望じゃ?」
「それでは、人里の近くの取材キャンプで。とはいっても、簡単な風の結界が張ってあるだけの場所ですが、そちらにご案内します。あの子に横取りされても困りますし」
「ふむ、あの子か。できれば、そやつにも話を通しておきたかったのじゃがな」

 そうして、文の案内のもと、マミゾウは人里近くの林の中へと入っていき。
 誰にも邪魔されない、結界の中へ。

 そして――
 
「え、えーっ!!」

 はみ出しそうな程の不満の声が、閉鎖空間の中で響いたのだった。
 
 
 
 
 
 
『……なんで、私がはたての補助役のような立ち回りをしないといけないのですか。それにこんな特ダネを差し出しておいて、真実を報道するな。などとは…… いくら人道的配慮とはいっても、こちらとしてもプライドがあるわけですし。ましてや、号外であっても必ず上司の目は通るのですから。やはりこちらとして犠牲に払うものが多すぎる気が……』
『……ほれ、天狗換算で1ヶ月分程度の飲み代じゃ』
『はい、よろこんで~♪』


 …………


「まったく、どっちか守銭奴かわからぬのぅ……」

 鬼と飲み比べが可能な限られた種族である天狗が、本気で一ヶ月飲み明かしたときの酒代がいくらになるか。推して知るべし。

「必要経費として聖殿に請求できるはずもなく……はぁ」

 本気で軽くなった財布を悲しそうに振りながら、マミゾウはまた少女の家に向かう。墓と、遺骨と、祖母の弔いの準備ができたことを伝えるという大事な表の仕事があるから。
 と同時に、裏の仕事もそろそろ仕上げに掛からなければいけない。
 そうでなければ、どちらにとっても良くないのだから。

「まあ、お燐の方は無償で協力すると言ってくれておるし、当初計画よりも少なく済んでおるのは恩の字ではあるか」

 ぶつぶつと、考え事をしながらつぶやいてしまうのは悪い癖。
 それでも、そっちの方が情報を整理しやすく、自分に対する確認にもなるのだから仕方ない。財布を懐の中にしまい、収支計算を頭の中でささっと終えてしまえば、後は行動に移すだけ。
 マミゾウは少女の家の前にやってきて、とんとんっと。
 扉をノックする。

「ど、どなたですか?」

 すると、いつものように脅えた声が返ってきて。

「儂じゃ、マミゾウじゃよ」

 いつものように名を告げてから。家へと入った。
 マミゾウがやってきたということで、落ち着きを取り戻したユキは、すぐ側で眠っているハチの背中を撫でつつ、座ったまま頭を下げる。

「ああ、そのまま楽にしておってくれてかまわんよ。今日はちょっとした伝令にきただけじゃからな」

 そしてマミゾウも気兼ねすることなく畳の上で胡坐をかき、淡々と命蓮寺の仕事をこなす。遺骨と墓の準備ができて、あとは葬儀をどういった形にするかと。
 簡単に墓の前で終わらせてもいいし、里の中の葬儀屋に頼むのもいい。
 まずはそれだけを少女に告げる。

「おばあちゃんは、自分の葬儀にお金を掛けるなんて勿体無い。簡単に済ませて欲しいって、口癖みたいに言ってたから」
「ああ、わかった。そのとおり大人たちに繋げておくとするのじゃて、あー、とそれとじゃな」

 表の話は、これでおわり。
 そう少女も感じ取ったのか、暗い顔でマミゾウを見つめる・

「あの、さっき。こんな封が届きました。身寄りのない子供を迎えたいという要望が、里の長のところにあったって。それで、次の満月の夜の後までに、引き取り手が決まらなかったら……」
「……まあ、常識的な手段じゃろ。新聞で話題になったのも問題だったかもしれぬが。もう決断しなければならぬ」

 マミゾウが厳しい言葉をぶつけると、ユキはハチをもう一度見つめる。
 けれど、

「ハチや祖母のこと、この家のこと、拘っているのはわかるが。自分が何をするべきかを冷静に判断し、実行することじゃて」
「……私が、決めるんですか?」
「お前が、おばあちゃんの孫であると言い続けるなら。それが責任というものじゃ」

 ぎゅっと、畳の上の少女の手が強く握り締められる。
 こんな大事なことをすぐに判断しろというのは、酷かもしれないが。マミゾウはここで線を引いた。
 
「ちなみに、満月は三日後。お互い良い結果を望むとしようではないか」
 
 衣擦れの音だけを残し、静かに立ち上がると。
 薄暗くなり始めた部屋をもう一度見渡し。
 最後に、顔も上げずマミゾウに挨拶も返さなくなってしまったユキを見下ろし。
 そっと、封筒を差し出す。

「それとな、これは。儂からの選別じゃ。本当にどうしようもなくなったとき、封を切るがよい」
「どうしようも、なくなったとき?」

 今じゃだめなのか。
 瞳を潤ませながら、ユキがそう尋ねてくるが。
 マミゾウは首を横に振る。

「駄目じゃ、考えて、考えて、考え抜いて。もう人里に居場所がないと判断したら、じゃ。
 なにせ、この封筒に入っておるのは……」

 封筒を握るユキの手を、両手で包み込むようにし。
 目をまっすぐ見据えながら、囁いた。

「地獄への片道切符、じゃからな……」

 諭すように。
 そして、脅すように。




 ◇ ◇ ◇




 必要な場所に費用を投入し、人間の動きも抑えた。
 根回しは十分であり、後処理さえ間違わなければ……

「ちゅうちゅう、たこ、かい、なっ! と、まあまあじゃな」

 ゆらゆらと揺れる蝋燭の明かりの下でそろばんを弾き、数字を見ながら口元を綻ばせた。余剰に出た利益は、酒代に還元できるのだからいうことなし。

「まあ、引っ掻き回してくれたが、ぬえにも多少は良い思いをさせてやるか」

 と、噂をすればなんとやら。
 こんこんっと控えめなノックが、入り口のほうから聞こえてきて。

「入るよ」

 了承をする間もなく、ぬえが入ってきた。
 多少の進歩を喜べば良いのか、それとも、相手の許可を得てから入れと叱るべきか。
 難題に立たされたマミゾウが首を捻っていると。

「ねえ、マミゾウ。あのユキって女の子のことなんだけどさ。私、いっぱい話し聞いてきた」
「なんじゃ、お主も手伝ってくれておったのか。それならそうと言うてくれればよいのに」
「ま、まあね。それでね。マミゾウに話さなきゃって思って」

 それから、ぬえは不器用ながらも、ユキが説明したことをマミゾウに伝えていく。
 ユキが、あの家に拾われたということ。
 そのときハチもいて、ずっと三人で暮らしてきたということ。
 そして寺子屋にもいかず、家の手伝いだけをして暮らしたいた、と。

「ふむ、寺子屋の情報は調べておらなんだ、字の読みは直接教わったということか」
「うん、たぶんそうだと思う」

 さすが直接本人から聞いたという情報だけあって、ぬえの話から事柄の細部までが見渡せるようになっていく。
 それを心地よく感じていたマミゾウであったが。

「それでね、みんな仲良く暮らしてるときに、あの病気が出たんだって」

 事件のことをぬえが語り始めてから、表情が険しくなっていく。
 あの家の中ではユキだけが無事で、ハチも祖母も病気に掛かったのだと。それで祖母が永遠亭に運ばれて、『二人』になって。
 周りの家でも、どんどん被害者が増えて。
 町の人から、病気が移るから近寄るなと殴られたこともある、と。

「……」

 その噂は知っている。
 マミゾウが子供に化けて人里を歩き回っていたとき、不意に大人からあの区画に近づくなと言われたこともある。
 
 ぬえは、ハチも、と言ったのだ。

「ほら、これ見て。マミゾウ。私たちが写ってる新聞の写真。本当は、ことのきき付かないとだめだったんだよね」

 マミゾウ、ぬえ、ユキの三人だけが写っている写真。
 そうだあのとき、ぬえは間違いなく。ハチに噛まれていた。
 それなのに写っていない。

 そこにいるはずのハチの影が、ない。

「だからさ、私。ハチも病気になってるって話しを聞いてから。この写真のこと思い出した。それで、ユキにもう一回聞いてみたら。やっぱりハチは死んでるっていうんだよ。祖母の死体とは別に、永遠亭のところで焼かれたって。
 でも、あそこにはハチがまだいるんだよ。マミゾウ」
「ああ、ああ、わかっておったよ。ぬえや。ハチという犬が最初からおらなんだことはのぅ。しかし、じゃからどうしたというのかの? まさか、ハチの幽霊があそこにいたとでも?」
「それしか考えられないじゃない! だから、ユキはあそこを出て行けないんだよ。ハチが可愛そうで。きっと、ハチは死んじゃったおばあちゃんを待ってるんだ!」
「……その最後の話は、ユキが?」
「ううん、私が」
「……そうか、ふむ」

 キセルの中に乾燥した葉を入れ、強く吸い込む。
 ぬえの意見を受け入れ、思考を繰り返す動作にも見えたが。

「話にならんな」

 告げられたのは、全否定の言葉。
 
「な、なんで!」
「前提が間違っておるんじゃよ。本当の、前提がな。可愛そうで出て行けない? はは、それならば、巫女でも呼んで退治してやればそれで終わる。土地に縛られた自縛霊ほど、厄介な悪霊はおらんからな」
「悪霊って……そんな」

 わなわなと震え始めるぬえとは対照的に、マミゾウは酷く落胆した様子でため息を吐いた。

「化かす妖怪ゆえ、多少は目が肥えているかと思ったが見当違いじゃったな。それに、じゃ。あきらかにユキ側の意見でしか物を語っておらぬ。
 余計なことに手を出すのは良いが、儂の邪魔はするでないぞ。後三日でユキは引き取られる算段になったのじゃからな。これは人里の長の命じゃ」
「……え、嘘」
「本当じゃよ、そういう文が長のところに届いたらしくてな。頑固者の小娘が、人の家を借りっぱなしで返さない。どうすればよいかのーっと――」

 ぱしんっ

 肌と肌がぶつかり合う、独特の高い音が部屋の中に響く。
 
「それ、マミゾウが出したんでしょ?」
「ああ、もちろんじゃとも」

 炎のように熱い視線と、凍りつきそうなほど冷めた視線。
 それがぶつかり合うちょうど中央――

「やっぱり、変わったね。マミゾウ。外の世界ってそんな嫌な場所だったの?」
「ほう、半人前が言うようになった。して、これはなんのまねじゃ? ぬえ?」

 ぬえの握り拳を、マミゾウが手の平で受け止める。
 軽く見積もっても人間の数倍はあろうかというぬえの力だ。
 それを防ぐマミゾウの腕は震え、限界を訴えているように見えるが、それでもまだぬえの力を受け止め続けていた。

「このとおりの意味だよ……、マミゾウが何をする気が知らないけど、私は絶対やらせないから」
「……そうか、残念じゃ」
「うん、本当にね」

 ぬえは、それだけ伝えると腕の力を緩め。
 入り口の障子を開け放ったまま、部屋を出て行く。
 どんどんっと、思い足音のおまけをつけて。

「……まったく、あの馬鹿力め」

 マミゾウは決別の証である鈍い痛みを腕に残したまま、ふぅっと。
 空中に煙の輪を作ってから。

 ぬえの拳を受け止めた、手の平をこっそりと舐めた。

 


 ◇ ◇ ◇




 その次の日、ぬえは満月の夜までユキに泊まらせてくれるようお願いした。
 おそらく、マミゾウが何かしてくると思って防衛するつもりだったのだろう。そのあたりの事情は何も告げずに、お願いしたため多少疑われはしたものの。
 心細さが勝ったのか、了承を取り付けることができた。

「よーし、ユキ。困ったことがあったら私に頼って良いからね!」

 許可が下りたならこっちのものと、意気揚々と家に上がり込み。
 人間の大人たちの嫌がらせ。
 マミゾウによる策略。
 それ以外の、予測できない悪意。
 それらから守るために、玄関の中でずっと身構えていたら。

「……おかしいな」

 気付いたら、一日目が終わっていた。
 特に何の行為もなく、何気なく一日が過ぎてしまった。やったことといえばユキと交わした世間話くらい。
 来客もないので、時間だけはたっぷりあり。
 退屈さもあって、どんどん防衛よりもお話に熱中。
 ユキがぬえのことを教えてというから、外の世界で暴れていたことや、封印されたこと。そして地底で再起を図って無事に地上に出てくることができたこと。
 そこまでを、じっくり。自慢話も添えて話したら。

「……えーっと」

 あっさり二日目も終わりを告げていた。
 もう、今日しかない。
 夜になり、月が出て、朝になったら。
 ユキはここを立ち退かなければいけないと、マミゾウは言っていた。

「ぬえおねえさん……」

 さすがに、それを実感したせいか。
 夜が近づくにつれ、ユキの言葉数は少なくなり。最後には、ぬえに抱きついたまま動かないようになってしまった。
 時間はもう夕方、人里では対妖怪防御のための準備が仕上がる頃だ。
 そんな装備を持ったものが、もしユキの家に押し入ってきたらと、余計に警戒するぬえであったが……

『自警団の皆は、北と南を。私は人里を隠した後東門を防衛する!』

 慧音の大声が響いても、やはり誰もこの家にやってこない。
 まるで、マミゾウが静かに考える時間を作っているような、そんな錯覚さえぬえの中に浮かんできた。
 そうやって、冷静に考える時間ができて、やっと。
 ぬえの中に疑問が浮かんできた。

「あれ?」

 ハチがいないのである。
 泊まりに来たときからずっと、その姿がない。
 ぬえを警戒して身を隠している、と、最初は考えていたのだが、もうすぐ三日経とうというのに、一度も姿を見せないのは不自然でしかない。
 それと、もう一つ。ぬえが人間というものをあまり知らないだけかもしれないのだが……
 ユキとぬえは、この三日間ずっと同じ場所にいる。
 ぬえは、外出もしていないし、眠ってもいない。
 そんな状態で防衛を続けていたんだから、しっかりと把握できていた。
 
「……ねえ、ユキ? ご飯、食べなくていいの?」

 人間というものは、
 人間の子供というものは、何も飲まず食わずでこんな元気でいられるのだろうか、と。
 
「…………」

 その言葉を受けて、ユキはぬえから無言で身体を離し、まじまじと自分の姿を見つめ始めた。もう、日が沈み真っ暗になって部屋の中で、瞳だけを爛々と輝かせて、手を、足を、胴体を。
 何かを確認するように、じっと。

 そうやって、静かに座っていたかと思うと。いきなり、カチカチと歯を鳴らし始めて……

「――!」

 叫び声を上げながら、畳んであった布団に飛びつく。
 めちゃめちゃに抱きつき、噛み付き。
 敷布団も掛け布団も、わけがわからないくらいに蹴飛ばして。

「ちょ、ちょっと。ユキ、どうしたのっ!」

 そうやって家の中を暴れまわってから、畳の上で大の字に転がった。
 息を荒くして、嗚咽を零して……

「嫌……、おばあちゃん、助けて……」

 もうこの世にいない祖母を呼ぶ。
 そうやって、半狂乱になって暴れ始めたユキに対し、ぬえはもうその身体を引き寄せてやることしかできず。

「大丈夫、大丈夫……」
「大丈夫じゃないよ! 誰も、誰も私をわかってくれない! おばあちゃんがいないと駄目なのに! おばあちゃんの家守らないと駄目なのに! 怖いよ、もう嫌だよぉ!」

 ぬえには、ユキの祖母が最後になんと伝えたのかはわからない。
 もしかしたら、病院にいく前に。

『家のこと、頼んだよ』

 ちょっと出かける気分で、そう伝えたのかもしれない。
 でも、ユキはそれを忠実に守って……

「あっ!?」
「い、痛っ!」

 そんな興奮状態の中、ユキが再び動き始める。
 しかし今度はでたらめに動くのではなく、ある一点。布団の上においてあった戸棚へと駆け出して、一番上の引き出しを目いっぱい引き抜いた。
 子供の力とは思えないくらい、勢い良く引き出されたため。金具が壊れてしまうが、そんなことはお構いなし。
 その中に入っていた一枚の封筒を大事そうに抱え、震える手でそれを開き始めた。
 また、布団みたいにめちゃくちゃにするかもしれない。
 ぬえの頭の中で、ばらばらの紙が舞う映像が浮かんでくるが。

「……あ」

 アレだけ暴れていたユキの動きが、いきなり止まる。

「……ああ」

 ぬえの位置からではわからないが。
 ユキの頭が何度も横に動いたりたてに動いたりしているのを見れば、それをどれだけ一生懸命に読んでいるのかがよくわかる。
 何度も、何度も、藁にも縋るように。

「わかって……くれてたんだ……」

 ついには、口元を押さえて泣き出してしまう。
 嬉しそうに、うんうん。と頷いて。
 だから、ぬえはもう大丈夫だと思った。
 やっと落ち着いてくれたと、安心した。

 だから――

「マミゾウおばあちゃん……いま、行くからね……」
「え?」
 
 その言葉の意味を理解することも。
 すばやく家を飛び出すユキに反応することもできなかった。
 視界の中で、残像を残す小さな影を見送った後で、やっと、身体が動き始めた。

「ユキっ!!」

 マミゾウは騙しの技術だけなら、幻術使いでは最高峰。
 何らかの方法で、事前に封筒を渡し。ある行動をさせる暗示をかける。
『化かし』
 を実行していたというのなら。
 もう、ユキの行動を止めるには物理的手段しかない。
 それでも、妖怪であるぬえと、子供であるユキの身体能力だけで見るなら。そんなに難しくもないはず。

「マミゾウの思い通りなんかにっ!」

 わずかに、ほんのわずかに遅れてぬえが家を出れば。
 まだ、通りの端にユキが見えた。

「させないっ!」

 この距離なら間に合う。
 子供の脚力と、闇夜の見通しの悪さ。
 これだけの悪条件で、人間の子供がぬえから逃げ切れるはずがない。
 それでも、ぬえは油断することなく空を飛んで、一気に間合いを詰める。

「もう一回!」

 一度目の曲がり角では追いつけなかった。
 でも、まだユキはぬえの視界の中。
 まっすぐ西門の方へ向かっているようだが、今はもう広い一本道。
 今度こそ捕まえると、さらに速度を上げた。
 そう、上げたはずだった。

「え?」
 
 なのに。
 ユキの背中が全然大きくならない。
 何か、強力な暗示でもかけられているのか。人間では到底だせるはずのない速度で通りを進んでいくその姿に、ぬえは焦りを覚える。
 妖怪でも自分の力以上のことをやろうとすると、どこか調子が悪くなるのに。
 ユキをあのまま止めなくていいのか、と。
 取り返しがつかなくなるんじゃないか、と。
 嫌なイメージばかりしか浮かんでこなくて。

「駄目、止まって!!」

 とうとう、ユキは人里の外へとその姿を消した。






 人里の外は、お世辞にも綺麗とはいえない状況だった。
 己の存在維持のため人を襲わなければいけない。
 人を襲うものと人間によって定義された、力の弱い妖怪たちで溢れ返っていた。

「可愛そう……」

もちろん、そんなものが万全の防御を敷いた人里へと到達できるはずもなく、そこら中に転がっている。
 それでも、人を襲う行為を実行した彼らは、体力さえ戻ればしばらく活動することができるだろう。それがどこか狂った、この夜のルール。
 一歩間違えれば命を落とすかもしれないのに、命をつなぐために攻撃するしかない。
 そうやって己の責務を果たし、倒れた妖怪たちの間を縫って、ぬえはユキを探し続ける。

「ゆき~っ!! どこにいるのーっ!!」

 満月によって周囲が明るく照らし出されているものの、一度見失った小さな影は中々見つからない。そうやって探している間にも、また新しい妖怪の群れがぬえの方に近寄ってきた。

「……邪魔するなら!」

 ぬえは、力を右手に集めて槍を生み出し。進路方向の妖怪を一網打尽に――

「容赦しないよーっ!!」

「!?」

 今のは、ぬえの声ではなかった。
 まるで遊んでいるような、楽しげな声。
 それが響き渡った直後。

「くっ!!」

 口が滑っても遊びとは言えない爆風が、進行方向から発生。
 それをまともに受けた妖怪たちがぬえの近くを吹っ飛んでいき。
 風と、砂埃が収まった頃には……

「へへへ~、見てたー、お燐~!」
「ねえ、お空? 制御って言葉知ってる? 加減とか?」
「んにゅ?」
「……うん、じゃあもう今のままで良いから助けて」

 その爆心地と思われる場所から、放射線状に綺麗な地面がむき出しとなっており。
 中央には、大きな羽の妖怪が楽しそうに手を振っていた。
 吹き飛ばされた妖怪の下から、這い出そうともがく猫の妖怪に向かって。

「……あんたたち、地下の」
「あはは、奇遇だね。お姉さん」
「いや、この状況で奇遇って……」

 地霊殿で大人しくしているはずの、ペット。お燐とお空が満月の夜に人里を守る。そんな話など聞いたことがない。
 ぬえが呆然としていると、空の手助けでやっと抜け出したお燐が、とんっと背中を押した。

「まあまあ、あたいたちのことはいいから、お姉さんはあっち。綺麗に掃除しといたからさ」
「そこにお姉さんが探してる人がいるって、お燐が言ってたよ」

 きっと、ユキに違いない。
 そう判断したぬえは、お礼を言うが早いかお燐が押した方向へ全速力で飛ぶ。確かに進めば進むほど、綺麗な地面が広がっている。
 きっと、お空の爆風で片っ端から吹き飛ばしたんだろう。

 そうして、一際広く。
 綺麗に地面がならされた場所にやってきたら。

「遅刻じゃぞ、ぬえ」

 裏で糸を引いていたマミゾウが、とんとんっと自分の肩を叩きながら立っていた。
 まるで最初からわかっていたように。
 槍を手に持ったままのぬえが、近づいてもまるで警戒していない。

「そう怖い顔をするな、お色直しがそろそろ済む頃じゃからな」

 地霊殿まで巻き込んで、いったい何のつもりか。
 こんなところで何をしようとしているのか。
 ユキをどこにやったのか。
 ぬえの頭の中でいくつも疑問が生まれ、唇から飛び出そうとする。
 
 けれど――

 不意にマミゾウが指差したその先。
 ちょうどこの広い空間の真ん中に、一人の少女が座しているのを見て言葉が止まる。

 整った純白の着物と、長い髪が。満月の光を浴びて幻想的に煌き。
 獣の象徴である長く尖った耳や、長い毛覆われた尾すら気品を感じさせる。
 不健康なくらい白く見える肌も、まるで透き通る宝石のよう。そんな淡く、儚げな外見の中にあっても、相手をまっすぐに見つめる金色の瞳だけが、彼女の強い決意を物語っていた。
 そして、見覚えのないその二尾の白い妖怪狐は、じっとぬえを見つめたまま深々と頭を下げる。
 感謝をしているようにも、謝罪しているようにも見える、そんな一礼だった。

「達者でな」
「……うん」

 まるで、雪のように白い、純白は。
 マミゾウの言葉を受けて頭を上げると、瞳いっぱいに涙を溜めて。

「本当に、ありがとう。ぬえおねえさん。マミゾウおばあちゃん」

 それだけ残して、
 闇の中に解けて消えた。




 もうすぐ、春が終わる。
 そんな、とある一夜の出来事であった。




 ◇ ◇ ◇




「……今回の事件は祖母の死と、大人の見苦しい相続問題が一人の少女を苦しめた結果であり、人里の発展と住人の生活安定のために今後こういった事件がないことを願う、か。ふふん、中々良いではないか。のぅ、ぬえや?」
「納得できなーい!」
「ん? なんじゃ? すべて丸く収まって万事解決ではないか」

 自室でキセルを吹かし、かんらかんらと笑うマミゾウとは対照的に、ぬえは不機嫌な顔で新聞を眺めていた。あの夜の真相は語られず、一人の少女が心的負担で人里の外へ飛び出し、不幸な事故にあった。などと書かれている新聞記事を。
 もちろん、その記事を作製したのは、マミゾウと子供のつながりを記事にしたこともあるはたてである。情報提供元に小さく『文』と書いてあるのがなんだか微笑ましい。
 ただ新聞記事になろうがなるまいが、祖母が相続させるといっていた子供が事実上いなくなったわけで、マミゾウに依頼していた親族の大人たちへと家や農地が転がり込んでくるのは間違いない。
 しかし、である。
 こういった新聞記事を書かれては対面が悪いのか。今回、人里で積極的に子供の相手をしてくれた命蓮寺のマミゾウに家に関係した土地を寄付するということで、世論を押さえた。

「農地の権利はあっち、そして人里の家の権利はこっち、でしょ? 結局マミゾウの一人勝ちじゃん。その家を使って何でも屋ができるんだから、よかったねー、マミゾウ」
「は? あんなもんもう売ったぞ?」
「ひへ!?」

 予想外の言葉に、ぬえの声が裏返る。
 マミゾウが行動していたのは、あくまでも金儲けや資産を増やすのが目的だと考えていたからだ。
 
「家を貰った後、霊夢とあの早苗という二人の巫女に依頼してのう。あの病気の流行ったところ辺りをお払いしてもらったのじゃ。それで、二つの神社が協同で憑き物落としをした安全な土地として売り出してみたら、面白いくらい高値でうれてしもうて~♪」
「……守銭奴、鬼、悪魔」
「はっはっは、どうとでもいうがよいわ~」

 結局、マミゾウは最初から店を出す位置を決めていたらしい。
 その開店資金を溜めるためだけに、今回の家を利用したのだと。
 ただ、お金の流れはそれでいいとしてだ。
 人里、妖怪の山、地底、二つの神社。
 特に伝令も使わず、どうやってこの短時間でここまで策を練ることができたのか。少しでも失敗すれば取らぬ狸の皮算用では済まなかったはずなのに、である。

 そもそも――

「ねえ、マミゾウって……いつからユキが狐の妖怪だって気付いてた?」

 それがわからなかったら、作戦を立てられるはずがない。
 ぬえの問いかけに、マミゾウは当然といった様子で鼻を鳴らし。

「最初からじゃ」
「はひ?」
「狐とまでは特定できなんだが、狸か狐の妖怪の可能性が高いとは思っておった」
「う、うそだー! 絶対嘘だそんなの!」
「本当じゃよ、ほれ、あ奴。ハチという犬を自分の幻術で作り出し、操っておったのじゃが。どうも、こう、動きが不自然でな。あんなもの、わからぬ方が幻術使いとして問題じゃろ? 
 それに、新聞に写っておらなんだというのも、まあ、その証拠にもなった。そもそも、それをわかっておらなんだら封筒など仕掛けられぬよ」
「うぐ」
「誰かさんは~、それを幽霊の仕業じゃ~って騒いでおったが~。はて~、だれじゃったかいのぅ?」
「ぐぬぬぬ……」
「はてさて、近くにおる気配はするのじゃが~? ぬえや? 心当たりはないかいのぅ?」
「う、うわぁぁ~~~ん! マミゾウの守銭奴、薄情者、後期高齢者~!!」
「あ、こら! 高齢者とは何じゃ! ぬぇ~~~っ! まったく、困った奴じゃ」

 捨て台詞を残して部屋を出て行くぬえの姿に思わず苦笑し、またタバコを一服。
 心地よい煙を肺一杯に吸い込んで、

「さて、注文の品は立派に仕上がったかいのぅ」

 ぬえが隠れていないか、気配を探りながら中庭へと降りた。






 雨が晴れた後の墓地は、中々美しいもので。
 打ち水をした後の光沢に趣を感じてしまう。
 そんな光景に目を奪われながら、マミゾウは線香を数本手にとって火をつけた。

 その墓には、病気でなくなったある人物と、その孫娘の名前が彫られていて。
 そのすぐ側には、少し小さめの墓石が添えられていた。

『ハチ』

 そう名前の彫られた石は、寄贈者の名前がなく。
 ただ、小さな犬が生きた証拠だけが残る。
 そんな二つの墓石へ向けて、一礼した。

「すまんのう、本来ならお主の孫娘はこちらで面倒を見るべきなのかも知れぬが。あまり人里に良い『いめーじ』とやらをもっておらぬようでな。別なところで引き取ってもらうことにした。
 あそこであれば、同じような境遇の獣もおるじゃろうし。心の傷を癒すにもちょうどよかろう、まあ、家と土地を無理やり奪うようなことになって、儂を恨んでおるかも知れぬがな。墓を準備しただけで許してくれというのは、虫のよい話じゃし……」

 献花立てに花を添えて、ぱんぱんっと手を叩き。
 くるりっと、きびすを返した。

「あ奴の望む通り、ユキという人間は死んだ。こっちの方で許してくれると助かる」

 さて、戻ろうかとマミゾウが足を踏み出そうとしたとき。

「おっと」

 いきなり強い風が吹いて、よろめいてしまう。
 それが収まってから、花が吹き飛んでいないかと、確認してみれば。

「……ふむ」

 墓の前に、さきほどまでなかった。
『地霊の湯限定饅頭』
 と、書かれた箱が墓の前に置かれており。

「心配は、無用じゃな」

 マミゾウの足元にも、同じものが音もなく置かれていた。

 

  

 
さとり:そう、あなたの最初の変化を見てくれたのもその、おばあさんでしたか。
ユキ:はい、狐の姿ではできないお世話もしたいとおもったら……
さとり:その優しさは伝わっていたと思うわ。だからあなたに自分の財産を譲りたいと思ったのでしょうし、うらまないようにすることです。
ユキ:はい……、ありがとうございます。



さとり:ところで……、昨日、温泉の清算が合わなかったのだけれど心当たりはありませんか? ちょうど、温泉饅頭2箱分なのですが?
ユキ:えっと、それは……

ばんっ!

うつほ:駄目だよ! お燐が二箱ぐらい持ってっても大丈夫とか言ったとか、そういうこと考えちゃ! 
りん:ちょ、まっ!? 言い出したのお空じゃないのさ! それに実行したのも!
うつほ:私、饅頭渡しただけだもんね~。へへ~ん。


さとり:……そこの二人、おやつ抜き。

二人:えーーーーーーーーっ!?
pys
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コメント



0.2060簡易評価
6.100白銀狼削除
久しぶりに暖かい気持ちになれました。
11.90奇声を発する程度の能力削除
とても良いお話で、心温まりました
23.100名前が無い程度の能力削除
やるな高齢者
25.70名前が無い程度の能力削除
誤字が多いのが気になりましたが いい話でした
27.100名前が無い程度の能力削除
良い作品を読ませていただきました。
化け狸って最初に振れた妖怪モノが狸って凄く似合いますよね。

誤字報告です。中盤の部分
淡々と事実を書いて折る → 淡々と事実を書いておる。
立ててあげるという新設設定。 → 立ててあげるという親切設定。
だと思います。修正をお願いします。
34.80名前が無い程度の能力削除
マイはいないのか……
マミゾウの個性が出ていて良かったです
天狗二人やぬえの描写も楽しかった
36.90名前が無い程度の能力削除
良いおばあちゃま
45.100絶望を司る程度の能力削除
泣かされました。