まるでゴミ山のように骸が散らばる無縁塚。その場所で、森近霖之助は他人から見ればゴミ同然な物を集めることを趣味としている。
それらは外の世界の道具であり、幻想郷に入って来たということは、ほとんどの場合人に忘れられたからである。
頻度は日によってまちまちだが、霖之助が暇にならない程度には道具は幻想入りしていた。すなわち、外の世界では既にそれらが使われていない、ということだ。
新しい物を買ったとき、多くの人は丁寧に使用するだろう。いつまでも綺麗に使おうと考えるだろう。しかし、それも買って数日の話だ。
大抵は日が経てば扱いが雑になり、目新しい物や更に優れた物が出れば人はまた欲する。
そして、以前まで使用していた物は最終的に捨てられる。
長く愛用された物には魂が宿ると言うが、これが所謂付喪神というものだ。逆に、理不尽に捨てられた物はやがて妖怪となり、人間を襲う。幻想郷では日常茶飯事だ。
では、捨てられたのではなく、別の理由で持ち主の手から離れた道具はどうなるのだろうか?
そう、例えば――
「何さっきから難しい顔してるのよ」
生い茂る木々のこぼれ日が窓から差し込む店内にて、少女は雑巾を片手に小難しい顔をして突っ立つ店主に声をかけた。
緩いウェーブのかかった金髪を掻き上げながら尋ねた少女の名前は、水橋パルスィ。
暇つぶしと趣味を兼ねて度々香霖堂に訪れている彼女は、出されたお茶にまだ手を付けていない。
「ちょっと考え事をね」
「考え事って、それのこと?」
パルスィが退屈そうに指差した先には、木で出来た大きな柱時計があった。
それはとても大きく、少女達より頭一つ二つ大きい霖之助だが、その時計は彼と同じ程の高さがある。
ローマ数字の書かれた時計盤から伸びる大きな金属の振り子が特徴的だ。
先程まで時計の掃除をしていた霖之助は、その大きな時計の前で眉間にしわを寄せていたのだ。
手に持った雑巾も気にならないほど思考の闇にのめり込んでいるらしく、そのまま雑巾ごと手を顎にやったため、顎が黒く燻んでいる。
やがて思い出したのか、霖之助は再び作業を開始した。
「古いけど立派そうじゃない。どこで買ったの?」
「いや、これは無縁塚から拾って来たんだ」
よくよく見てみると、針も振り子も動いていない。
どうやら壊れているようだ。
「壊れたからって勿体無いことをする人もいるのね。ああ妬ましい妬ましい」
そう言って、パルスィはわざとらしく肩をすくめて見せた。
彼女のお決まりの台詞は鴉天狗にパフォーマンス疑惑を持たれて以来、より頻繁に使われている。
最近はとにかく言っている節もあるが、彼女なりに思う事があるのかもしれない。
淡々と拾ったいきさつを話す霖之助だが、その手が時計の手入れを休めることはなかった。
パルスィが店に来たときは埃まみれだったその時計は、今ではワックスも塗られ、新品のように輝いている。
満足気に時計を眺める霖之助を横目に、パルスィも近づいてみた。
確かに古いが、どこか気品と懐かしさが感じられるデザインの柱時計。
とくに大きな傷跡も無いところから、丁寧に扱われていたのだろう。
「ねぇ、これはどのくらい使われていたのかわかる?」
「そうだね……素人目だが百年程度だろう」
「ふぅん……」
「パルスィ?」
時計盤に手を添えたパルスィに霖之助が答えると、彼女の眼が下に落ちた。
その宝石の様な緑色の瞳が揺れている。どこか浮かない顔だ。
元々静かだった店内だが、更に得体の知れない静けさが生まれていた。
どんなに立派だろうが高価だろうが、例え愛されていようが――
「百年も使うほど愛着があるのに、捨てられる時はあっけないものね」
押し黙る少女を見て声をかけようとしたところで、パルスィが静かに口を開いた。
彼女の口から出たその言葉は、霖之助に向けられたものではないようだ。
呆ける霖之助の相槌も待たず、彼女は、パルスィは、橋姫は一人愚痴る。
「そりゃそうよね、誰だって新しいモノ、優れたモノが欲しいわよ。欲望まみれの人間なんだから」
大好きだと言われた、愛していると言われた、一生離さないと言われた。
それは確かに本心からだったのだろう。それは確かに嘘偽り無かったのだろう。
それに対し、自分は心から共感し、愛し、誓った。
だが結果は違った。好かれず、愛されず、離された。
それを言った人間は、別の対象に情熱を注ぎ始めたのだ。
共有した時間など関係無い。興味が離れた時点で、終わりなのだから。
「この子もきっと、私と同じ。ああ妬ましい妬ましい」
水橋パルスィは橋姫である。他の女に夫を奪われた女が憎悪と殺意のあまり、川に身を浸し生きながらに鬼になり恨みを晴らしたという伝説がある、あの橋姫。
詳細は知らない霖之助でも、彼女が何を思い浮かべているかは悟ることが出来た。
悟りはしたが、口は挟まなかった。かける言葉が見つからないというわけではない。
口出しするだけ野暮なのだ。
やがて寂しげな――自分を哀れむ様な――眼を向けていたパルスィは、押し黙る霖之助に気が付いた。
「えっと、なんかごめんなさい」
「いや、構わないさ。君には君の考えがあるのだろう」
柄にもなく自分をさらけ出してしまい、悪くもないのにとりあえず謝るパルスィ。
悔恨の念と同時に彼女に浮かぶのは、同情の念。
「ねぇ、それよりこの時計、修理出来る……?」
壊れて捨てられた時計を見つめて、パルスィはか細い声で呟く。
捨てられ、離されたのなら、せめて、せめて……
誰かを重ねてそう懇願する彼女に、しかし霖之助は至って平静に返した。
「修理も何も、これは壊れて無いんだよ」
「……え?」
「そもそも、この時計は持ち主に捨てられたわけじゃないよ」
「えぇ!?」
針も振り子もピクリともしない大きな古時計。
時刻を知らせる、という唯一無二の能力を放棄したそれは、しかし店主の話では壊れていないという。
一体どのような謎かけなのか、あまりの混乱にパルスィの精神が二転三転する。
儚げな表情から一変してキョトンとするパルスィに、霖之助は時計を撫でつつ説明を始めた。
「この時計は外の世界から流れてきた物でね。僕も文献と能力で知ったのだが、なんでもとあるおじいさんが生まれた時から愛用していた物らしい」
霖之助はそう言って、ぽんぽん、と軽く時計の横板を叩いた。
確かに古い時計だが、多少叩かれたくらいではびくともしていない。余程持ち主の手入れが行き届いていたのだろう。
そう霖之助は理解し、確信した。
「おじいさんと時計は、生まれた時から、成長する時も結婚する時も、チクタクチクタクと、共に歴史を刻んでいたそうだ。それこそ嬉しい事も悲しい事も皆知っているだろうし、おじいさんもさぞや自慢にしていたはずだ」
淡々と己の自論も入れつつ霖之助の語りは続くが、パルスィもただそれを聞き続ける。
いつもの呆れ飽きる蘊蓄と違い――どこが違うのかはパルスィ自身気付けなかったが――するすると頭に入って来た。
「だが、人の成長は妖怪と違って限度がある。やがて月日が経ち……」
「死んだのね」
「そう、『おいていった』わけだ」
「人間って、脆いくせに残酷」
「それが人の悪い所であり、良い所さ」
人間は妖怪と比べて、簡単にあっけなく死ぬ。
しかし人間はその短い生を謳歌するために,妖怪の一生分以上に努力をする。
その点が、一生が長くその時その時を生きる妖怪には決して真似ることの出来ない生き方だ。
ま、例外もいるけどね。
こう追加した霖之助は、乾いた口を休ませるために話を途切った。そのまま、パルスィと二人して無言でその大きくて古い柱時計を見上げる。
依然として動かない時計は、それでも見る者に感嘆の溜息を吐かせるだけの何かを持っていた。
「やっぱり、可哀想……」
「そうかな?」
「だってそうでしょう? 持ち主のおじいさんが亡くなった後も、この時計は何も知らずに一人ぼっちで時間を刻んでたのよ?」
「そう、そこがこの話のキモでもある」
「え?」
「実はこの時計、おじいさんが亡くなった時から一秒たりとも動いていないんだ」
その言葉に釣られて、パルスィは食い入る様に時計の針を見た。
やや先端が曲がって見える針が指し示す数字から考えるに、昼間ないし真夜中のようだ。
長針の位置は丁度真上で止まっていた。霖之助の言葉が正しいとするなら、おじいさんの死は鐘が鳴った直後、となる。
「長い年月を経て古くなったり、長く生きた道具には神や霊魂などが宿る。所謂付喪神だ。例の唐傘妖怪もその類いだね」
パルスィの頭に浮かぶのは、悪趣味な茄子色傘を振り回すオッドアイの少女の姿。
最近幻想郷に現れた彼女は元々単なる忘れ物の傘だったが、誰にも拾われることなく雨風に飛ばされているうちに妖怪となったらしい。
妖怪になったは良いが、人を驚かせる程度しか目的が無い辺り大した事はないのだが。
「生まれた時から死ぬまで愛された時計だ、魂の一つや二つくらい宿るだろう」
「なら、この時計が意思を持って止まってるとでも言うの?」
「そう、おじいさんの死に気付いてね。そうでなければ壊れてもいないのに動かない理由が付かないじゃないか」
「でも、なんで……」
「こう考えられないか? いつまでも主人の帰りを待っている……と」
霖之助の言葉は、パルスィの頭に何度も反復して響いた。
深く愛し、愛された相手が消え、自分だけ取り残された世界。
そんなちっぽけで壮大な世界で、その時計は時の歩みを止めたと言う。
いつか、再び出会える時まで。
「そんなの、来るわけ無いじゃない……」
だから少女は、尚更に自分を重ねてしまう。
いつかの自分がそうしたからだ。
もし、たぶん、きっと、恐らく。
そんな言葉に縋りながら、僅かでも寄りかかれる事象を信じて、彼女は待った。
待つ。待った。待っていた。
食事もろくに喉を通らず、涙で枕を濡らした。寝ることすら躊躇うようになった。
しかし、涙も枯れた彼女の元に帰って来た結末は……
「さて、君はこの時計に何かを重ねているようだが――」
パルスィが伏し目がちに呟いた、嘆き、恨み、ためらい。
それら全てを含んだ声を聞いた霖之助は、あえて抑揚を付けて言葉を発した。
「君がおじいさんの立場だったら、どう思う?」
「……え?」
もし自分が、離れる立場だったら……
パルスィは想像する。今までそんな事は考えたことも無かった。
苦楽を共にした相手を残し、一人旅立つ。
その原因は誰にも止められぬ、『死』というどうにもならない理由。
残ることも叶わず、しかし一緒に連れて行けるわけもなく……
「ひょっとしたら、『おいていった』おじいさんの方が辛かったんじゃないかな」
確かに、おじいさんも辛い思いをしたのかもしれない。
しかし自分の場合は違う。相手は私を捨て、別の女の元へ走ったのだ。
そこに性欲以外の理由などない。私はあの妬ましい男に捨てられたのだ。
何故捨てたのだろう、何故戻って来なかったのだろう、何故……
そんな終わらない思考の輪廻に差し込む、もう一つの道。
けれど、何か他に理由があったとしたらどうだろうか。
誰かにとっては大したことはない問題でも、当人にとっては死と同等の問題になりうることもある。
もし、もし自分が想像も出来ないほどの、どうにもならない理由があったとしたら――
「勿論、そんなことはさとり妖怪でもないと分からないがね」
パルスィはそこまで考えて、しかし首を横に振った。
彼の言う通り分からないのだし、それに、今さら分かった所で何がどう変わるわけでもない。
仮に相手にどうにもならない理由があって去ったとしたら、今度は妬みの矛先を落ち度があった自分に向けるだろう。
結局何も変わらない。この先も妬みながら生きていくのだ。私は橋姫なのだから。
結論など出しても無意味なら、これからも分からないままあやふやに行こう。
その方が、数倍楽だ。
パルスィ自身気付かないうちに肩に力を入れていたらしく、ふっと力を抜いてみた。
時計盤を眺めてみると、先程まで曲がって見えた針が心なしか真っ直ぐに見えた。
「なんか、どうでもよくなっちゃった」
「そうかい」
「人間でも妖怪でもない中途半端な存在なのに、よく色々思いつくものね」
「……褒め言葉として受け取っておこうか。それに、中途半端だから気付く事もあるものだよ」
「あ、そうそう。先輩として一つ忠告しておくけど、待つのって結構退屈よ?」
川の水だって冷たいし、と再び誰に言うでもなく呟いたパルスィ。
そのまま彼女は淹れてから時間の経ってしまったお茶に手を伸ばし、口に含んだ。
冷たくも熱くもない、苦いような甘いような中途半端であやふやなお茶。
そんなお茶が、今のパルスィには妙に心地よく思えた。
彼女の反応に、霖之助は眼を細めて笑っている。
霖之助がどこか満足気に見えるのは気のせいだろうか。
「ねぇ、それよりこの時計はいくらで売ってくれるのかしら?」
「我が香霖堂は客が満足いく商品しか提供しない店だ。こんな動かない古時計なんて売ったら、それこそ店の名折れだよ。折角拾ったのに捨てるのも仕方が無いから、これは僕が管理しておくさ」
「……言うと思った」
一応聞いてみたものの、ほぼ予想通りの答えが返ってきたことに笑ってしまうパルスィ。
香霖堂の棚には用途のよくわからない商品が多い。
と言うのも、店主の霖之助が用途のわかる物、便利な物、珍しい物はほぼ全て私物化してしまうからである。
そのせいで、霖之助は真面目に店をやってるつもりだが、傍から見たら道楽に近い。
店の経営まで中途半端なのかは分からないが、しかしそこがまた少女達が気楽に来れる原因の一つかもしれない。
ほとんどの少女はあまり商品を買わないが……
「ふふ、まぁいいわ。それじゃ、そろそろ帰るわね」
「ん、そうか。また来るといい。次はちゃんと動く時計を用意しておくよ」
「たぶん買わないと思うけどね」
「それは、妬ましいな……」
軽やかに出口へ向かうパルスィを霖之助は送る。
外はそろそろ日も暮れようかと考えているらしく、空には赤みが増してきていた。
簡単な別れの挨拶をしつつ、パルスィがドアに手をかけた時――
――チク タク チク タク
パルスィの耳にどこか心が安らぐような音が入り、彼女は反射的に振り向いた。
しかしそこには、今はもう動かない大きな古時計が立っているだけだった。
揺れる金髪に釣られるようにして霖之助も振り向いてはみたが、そもそもなぜ彼女が振り向いたのか理解していないようだ。
「い、今時計の音聞こえなかった!?」
「いや、聞こえなかったが……」
霖之助が改めて時計を確認してみても、やはりどこも動いていなかった。
空耳じゃないのかい? と尋ねられ、パルスィも怪訝そうに首を傾げる。
店主の真似事をして考えてみた結果、彼女はある仮定にたどり着いた。
確かに聞こえたあの音は、先程の忠告に反応したのではないかと。
いつまでも待ってみせると反発したのか、もう待てないと弱音を吐いたのか。
考えても考えても、しかしパルスィには真の解が分からなかった。
時計が彼女に何を伝えたかったのか。それは一人の老人を除いて誰にも分からないのだから。
文句無しで100点。持ってってください!
けど心地よい読了感
おじいさんの古時計とは懐かしい
今聞いたら涙腺に来ちゃいそうだなぁ……
後書きの「置いていく物、老いて逝く者」もなかなかにうまいと思います。
文句なしの100点ですね。
だが「おいtake」てめーはダメだ。
しかし、時計の持ち主の人称を「おじいさん」とすることには終始違和感を覚えた。
既に亡くなっていること、生涯所有していたこと、直接本人にあったわけでなく伝聞で知り得たことの三点から「或る男性」といったものの方がしっくりくる。
どうでもいいことだがね。
なんというかこう、心に来た