「幸せを欲しいんですが、売っていませんか?」
「よくぞ聞いてくれたね。この壺は一見ごく普通の壺なんだが、なんと持っているわけで幸せが集まってくるという素晴らしいアイテムなんだ」
夕暮れ時にやってきた鈴仙・優曇華院・イナバは物凄く不信感を持った表情で僕と壺とを交互に見ていた。
「嘘ですよねそれ」
「そりゃあそうだ。幸せの壷なんて便利なアイテムこの世に存在しないよ。わかったら帰りたまえ。ああ、他のどこに行ったってそんなものは無いと予め宣言しておこう」
そう言って僕は本に目線を戻した。冷やかしに付き合うほど暇ではないのである。
「でも招き猫とかそういうのだってあるじゃないですか。似たようなものはないんですか?」
「あれは商売という限定的なものにだけ効果があるものだよ」
それにしたって世に広まりすぎてて、ひとつひとつの効果は薄まってしまっているのだ。簡単に効果を得られるものではない。
「うーん、困ったなあ。姫様からの注文なのに……」
「かぐや姫の難題かい」
彼女の難題を解ける気は僕にはしないし、求婚するつもりもないのだが。
「はい。てゐに何か言われたみたいでして」
「ふむ」
てゐは人間を幸運にする程度の能力を持っている。幸運とはまあ幸せと言い換えることも出来るだろう。
彼女ならばある程度幸せを集められるし自由に扱えるはずだ。
「まあ、姫様も本気で探しているわけじゃ無いのかもしれませんが」
「他は探したのかい?」
「いえ。人里で聞いても笑われるだけでしょうしね。ここなら何かあるんじゃないかなと」
「ふむ」
すると僕の商人としての技量を試されているとも言えそうだ。
適当にあしらうつもりだったのだが、少し興味が湧いてきた。
「そういう事なら詳しく話を聞こう。君は幸せが欲しいと言ったね。姫はそのままの言葉で言ったのかい?」
「ええ。一言一句違わずそのまま」
「なるほど。幸せという概念そのものがご所望か」
そもそも幸せとはなんだろうか?
「幸せ、幸福とはすなわち心が満ち足りていることだ。だから人によって様々で、誰しもこうだと言い切ることは難しいな」
「じゃあ……心を満たす道具が欲しいって事なんですかね?」
「それも考え物なんだがね」
「どうしてでしょう?」
「最初に僕がやったように怪しげな何の効果もないインチキアイテムだって、信じればそれは幸せをもたらす道具になるからさ」
「それって騙されてるんじゃ……」
「何せ気持ちの問題だからね」
たとえ外部から騙されていると見えたとしても、本人が幸せならばそれは幸せであることに違いないのだ。
「道具を使った結果、幸せになったというなら構わないと思うが……最初から幸せになることを期待して道具を使うのはあまり宜しくないな」
「そうかもしれませんね……」
「結局のところ使う者次第さ。例えばかぐや姫の物語では火鼠の皮衣という道具が出てくるだろう」
「求婚の時に用意させたというアレですか?」
「そう。その道具は本来火の中に入れても燃えない、つまり火を防ぐ用途が正しいものだ。だがこの道具は求婚の道具として使われた。本来の用途と異なった使い方をされたということだね」
道具は視点次第で、その価値も効果もまるで違うものになるものだ。
「求婚した側からすればこれは結婚のための道具だから幸せの象徴だといえる。しかし、かぐや姫としては結婚したくないが為に出した難題の道具だ。幸せの象徴にはならないだろう」
「スペルカードにするくらいだから気にいってはいるみたいですけどね」
「そうするとまたややこしい話になってしまうな。まあ、そんな感じで道具の使い方も幸せの象徴なのかも判断するのは難しいんだよ」
「うーん、確かにそうですねえ」
だから姫の要望をそのまま満たせる道具となると、ちょっと考え方を変えなければいけない。
「実はこの場合、道具なんか何にもいらなかったりするんだがね」
「え?」
鈴仙は首を傾げていた。もう少し詳しく説明するべきだろう。
「幸せとは気持ちの問題と僕は言ったけれど、それならば幸せを感じる時というのはどんな時だろうか?」
「それこそ人によって様々なんじゃありませんか?」
「そうだね。だからこの場合、概ね全てのものに共通する幸せの概念を考えるのが正しい」
では生き物に共通の幸せとは何だろうか。
「何故生きているのか……なんて難しい話はする気はないが、生きていることはそれだけで幸せなんだがね」
「それじゃあ何の解決にもなってないじゃないですか」
「まあもう少し話を聞いてくれ。幸せとは満ち足りたこと、つまり欲求が満たされた状態だ。生き物に共通の欲求とはなんだかわかるかな」
「……ええと、三大欲求でしたっけ」
「そうだね」
それはすなわち性欲と睡眠欲と食欲である。
「三大欲求は本能であるから、それを幸せと感じないのは本能に抗うことだ」
これらのどれが欠けても生き物は不安定になるのだ。
「さて幻想郷では弾幕ごっこが流行っているがそれは何故だと思う」
「え、三大欲求の話じゃないんですか?」
「話は続いているよ。ちゃんと関連した話だ」
「うーん。やっぱり楽しいからじゃないですかね?」
「その通りだ」
人も妖怪も神様も、楽しいと感じたから弾幕ごっこは流行ったのだ。
「楽しいというのは心が満たされているということだね。つまりは幸せということだ」
「確かに弾幕ごっこをやってる時は楽しいですからねー。でも、それと欲求と何の関係が?」
「大いに関係あるさ。例えば白玉楼の西行寺幽々子。彼女は幽霊だから食事なんか不要のはずだ。しかし彼女は食べ物好きで有名だろう」
「……言われてみれば確かにそうですね」
「他にもいくらだっているさ。捨食を使った魔法使いだって、神様だって、君の姫様だってそうだ。何故彼女たちは食事を取るんだんだと思う」
「えーと、話の流れからするとそれが楽しいからということですか?」
「その通りだね」
彼女は理解が早いようだ。
「食事が不要な生き物ですら食事を嗜むのはそれが本能を、精神を満たす手段として効率がいいからなんだよ。舌が味というものを感じるのは危険なものを回避する為でもあるが、何より食べることを娯楽とするための要素が強い」
「いろんな物を食べて美味しいと感じるのは楽しい……幸せ……なるほど」
輝夜も不老不死の身ではあるが、元はそうではなかった。だから人としての本能はそれらを求めている。
「それと、君はお米を食べるかい」
「食べますねえ」
「米一粒には七人の神様が宿ると言われている。また別の説では八十八もの神が宿ると言われているね」
「そんなにですか?」
「秋穣子でも八坂神奈子にでも聞けばいい。詳しく教えてくれるさ」
彼女らもまた豊穣の神である。
「五穀豊穣の祈願はどこでも行われている。古来より日本はそういった神々に、作物の豊作に感謝をしていた。それは食事をすることが生きることであり、幸せであると知っていたからに他ならない」
「本当は日頃から感謝をしなくてはいけないんですよね……」
「そうだね。一瞬だけ感謝をしてその後は忘れてしまう、ではよくない。そうしないためにも日常で幸せを感じるというのは大事なのかもしれないな」
「そうなんですか?」
「人々の幸せは即ち神々の幸せだよ」
だからこそ神は信仰を求め、信仰に応えて力を発揮するのだ。
「神々が我々を助けてくれているということもまた幸せだろう。難しい話ではなく、単に毎日ごはんを食べて味を楽しみ、美味しいと思えることはもう幸せそのものなんだよ」
「でも、そう言われて急にそうだって実感出来るものじゃないと思いますが……」
「まあ、三日ぐらい何も食べなければいいんだろうが、そういうのもちょっと違うな。あくまで日常の中で幸せを見つけ出さなくては意味が無い」
日常であるからこそ、それを実感するのは難しいのだ。
「日常の考え方ひとつ変えることで、幸せは常に存在しているものだと実感出来ると思うよ僕は」
「なんだか精神論っぽいですが……」
「繰り返すが、幸せ自体がそういうものだからね。さて、食事自体が幸せであることはわかったね。朝ごはん、昼ごはん、晩ごはん。これが三食毎日食べられるとしたらそれはさらに幸せであるといえよう」
「あー」
鈴仙にも何か思い当たることがあるのか、納得したような顔をしていた。
「君のところは大所帯だと思うが、自分が用意しなくても食事が出てくるなんてもう幸せの極みといえるんじゃないかな」
「でも姫様にはそれが当たり前ですからねえ……」
「それだ」
「はい?」
「何度でも言うが、当たり前のことが当たり前であること。それも幸せなんだよ」
「そうですね。ご飯が一日に三度食べられることが普通であるって幸せですよね」
彼女は元々軍人であったという。戦場ではまともな食事を食べられない時だってあっただろう。
「失って初めてわかる、とはよく言うし、繰り返すが日常でそれを感じるのは難しい」
「慣れって怖いですねえ」
「だが慣れていたって嬉しいことはあるさ。例えば好物が晩ご飯に出てきた」
「そんな子供じゃないんですから」
鈴仙は苦笑いをしていた。
「嬉しくないかい? 人参料理が出たら」
「……そりゃあ嬉しいですけど」
「それが幸せでなくて何だというのかな」
好きなものを食べられることは幸せだ。しかも自分で用意しなくても出てくるだなんて。
「だが嫌いな食べ物が出てくることもあるだろう。そうするとそれは幸せでなくなってしまうだろうか?」
「悩ましいところですね。量にもよるんじゃないでしょうか」
「ここが重要なところなんだよ。たとえ嫌いな食べ物が九割だったとしても、一割が好きなものだったらそれは幸せなんだ」
「それって難しくないですか?」
「嫌いな食べ物……つまり悪いものの比率が多いからかい」
「それだと幸せじゃないなあと思うんですが」
なるほど全体で見れば確かにその通りかもしれない。
「ではこう考えてみてはどうだろう。十割嫌いなものではなくて一割も好きなものがあったんだって」
「前向きですねえ……」
「幸せを日常にあることに気づくには、小さなことが幸せだと思うその意識が大事なんだよ」
「うーん」
「三回の食事うちに一度でも好きなものが出てきたら幸運じゃないかい?」
「三回全部好きなものだったらそう思うかもしれませんけれど」
「そう。生き物は幸せを高望みしすぎるんだ」
幸せを願う時に、どう考えても実現が不可能な願いを願ってしまう。
「それでは叶うわけがない。だが三回の食事のうち一度でも、一品でも好きな食べ物が出た。どうかな?」
「……まあ、そこまで妥協すれば出る可能性は高いですよね」
「そのほんのちょっとの幸せが毎日続いたらどうだろうか? 不幸かい?」
「不幸ではないと思いますが……」
鈴仙は渋い顔をしていた。
「うー、なんだかてゐと話してる気分になってきました」
「幸せについて話すなんてそんなものだよ。話半分に聞いてくれて構わない」
「それじゃ困るんですよ。食事が幸せだというのはまあわかりました。ですが、私は姫様が納得するものを持ち帰らないと」
「それもそうか。だがあと一つだけ聞いてほしい」
「まだあるんですか?」
味を楽しむことが出来る。食事は本能であるというのはあくまで理由の一つだ。
「記録ではなく記憶が未来を決定する。いいかい。記録よりも記憶のほうが遥かに重要な要素なんだ」
僕はいつぞや霊夢に聞いた話を思い出していた。
「よくわかりませんけど、どういうことなんです?」
「先に食べ物の好き嫌いの話をしたが……それは本人の持つ記憶がそれを好きか嫌いかを判断しているだろう?」
そこに記録は一切関与しない。歴史の上でそれは美味しい食べ物ですと書かれていたって、本人がそう思わなければそうならないのだ。
「梅干しを食べたことのある人は想像しただけで唾液が出る。それは梅干しの味を覚えているからこそ起きることだ。幸せも同じようなものだね」
幸せを幸せだと感じるのは、過去の記憶が存在するからなのだ。
「だから記憶の中で美味しかったものを再び食べた時。あるいは思い出した時に、その幸せが蘇るんだ」
「姫様の好物を用意しろって事でしょうか?」
「それも勿論なんだが……好きとか嫌いとかを超越して、それを食べられることが幸せだと感じるものは確かに存在する」
「あるんですかそんなもの?」
「それは家族の作った料理だ」
それが手に入らなくなって長ければ長いほどに恋しくなる味である。
「ある人はこう言ったそうだ。死ぬ間際に高級料亭の料理と母親の料理、どっちが食べたいか?とね」
味、質においては高級料亭の料理のほうが上なのは確実だろう。だがそこに記憶は関与しない。
「どんなものでもその者の記憶にある家族の作った料理の味にかないっこないさ」
「でもそれって、家族でなくては再現出来ませんよね」
「君等が家族じゃないというならそうだろう。僕は君らは十分すぎるほどに姫の家族だと思うが違うのかい」
「……どうなんでしょうか?」
「まあ、今回に限って言えばそれで記憶を揺さぶるにはいささか難しいだろう。近すぎて慣れてしまっているからね。ならば答えは簡単だ。古く懐かしい記憶を蘇らせればいいのさ」
子供の頃の記憶というのは、失っているようで案外強烈なものだ。
特に味覚や臭覚に関するそれは中々変わるものではないらしい。
「よってお薦めの商品は……ええと……これだ」
僕は棚から竹で作られたお椀と箸を差し出した。
「これは……」
「語らずとも分かるだろう。竹取の翁。彼は竹をいろいろなものを作るのに使っていたそうだ」
「なるほど」
「これはごく普通の道具でしかない。だが彼女の記憶を、幸せを十分すぎるくらいに満たしてくれるだろう」
「ええ。これなら姫様も満足すると思います」
物語にあるように、竹取の翁と暮らしていた時の彼女は幸せそのものだったはずだ。
「この食器が無くたって、幸せはそこに存在しているものなんだがね」
お椀と箸があり、それでごはんを食べる。それ自体は本当に当たり前のことだ。
だがその当たり前こそが幸せなのだ。
思い出があるということは何よりも幸せなのである。
先に幸せの壷なんて存在しないと言ったが、記憶というものは幸せの壷そのものかもしれない。
「ありがとうございます。助かりました」
彼女はその食器らを僕が提示したより高額で買って持って行ってくれた。
おまけとして用意した、たけのこご飯の作り方が良かったようだ。
「これで彼女も気づいてくれればいいんだがな」
肝心なのは気づくかどうかなのだ。
生きることにおいて必要不可欠なものを、いかに楽しめるか。
姫様の気まぐれもたまにはいいものだ。こうやって大切な事に気づくことが出来るのだから。
「さて今日は僕もたけのこご飯にしようかな」
そう思い立ち上がるとドアベルが鳴り、勢い良くドアが開いた。
「おーい、香霖。いいもの持ってきてやったぜ」
白黒の魔女はそう言って笑い、帽子いっぱいに入ったキノコを見せつけてくる。
「魔理沙は幸せそうでいいね」
「急になんだよ。まあ今の私は幸せ一杯だがな。台所借りるぜー」
今日の晩御飯はキノコご飯になってしまいそうだ。
だがまあそれもそれでいいだろう。
魔理沙の料理を食べるのも久々だ。少し楽しみになってきた。
「手伝おうか魔理沙」
「なんだよ香霖のくせにニヤニヤして気持ち悪い」
「悪かったね」
まあきっと、今の僕は幸せなんだろうな。そう思った。
「よくぞ聞いてくれたね。この壺は一見ごく普通の壺なんだが、なんと持っているわけで幸せが集まってくるという素晴らしいアイテムなんだ」
夕暮れ時にやってきた鈴仙・優曇華院・イナバは物凄く不信感を持った表情で僕と壺とを交互に見ていた。
「嘘ですよねそれ」
「そりゃあそうだ。幸せの壷なんて便利なアイテムこの世に存在しないよ。わかったら帰りたまえ。ああ、他のどこに行ったってそんなものは無いと予め宣言しておこう」
そう言って僕は本に目線を戻した。冷やかしに付き合うほど暇ではないのである。
「でも招き猫とかそういうのだってあるじゃないですか。似たようなものはないんですか?」
「あれは商売という限定的なものにだけ効果があるものだよ」
それにしたって世に広まりすぎてて、ひとつひとつの効果は薄まってしまっているのだ。簡単に効果を得られるものではない。
「うーん、困ったなあ。姫様からの注文なのに……」
「かぐや姫の難題かい」
彼女の難題を解ける気は僕にはしないし、求婚するつもりもないのだが。
「はい。てゐに何か言われたみたいでして」
「ふむ」
てゐは人間を幸運にする程度の能力を持っている。幸運とはまあ幸せと言い換えることも出来るだろう。
彼女ならばある程度幸せを集められるし自由に扱えるはずだ。
「まあ、姫様も本気で探しているわけじゃ無いのかもしれませんが」
「他は探したのかい?」
「いえ。人里で聞いても笑われるだけでしょうしね。ここなら何かあるんじゃないかなと」
「ふむ」
すると僕の商人としての技量を試されているとも言えそうだ。
適当にあしらうつもりだったのだが、少し興味が湧いてきた。
「そういう事なら詳しく話を聞こう。君は幸せが欲しいと言ったね。姫はそのままの言葉で言ったのかい?」
「ええ。一言一句違わずそのまま」
「なるほど。幸せという概念そのものがご所望か」
そもそも幸せとはなんだろうか?
「幸せ、幸福とはすなわち心が満ち足りていることだ。だから人によって様々で、誰しもこうだと言い切ることは難しいな」
「じゃあ……心を満たす道具が欲しいって事なんですかね?」
「それも考え物なんだがね」
「どうしてでしょう?」
「最初に僕がやったように怪しげな何の効果もないインチキアイテムだって、信じればそれは幸せをもたらす道具になるからさ」
「それって騙されてるんじゃ……」
「何せ気持ちの問題だからね」
たとえ外部から騙されていると見えたとしても、本人が幸せならばそれは幸せであることに違いないのだ。
「道具を使った結果、幸せになったというなら構わないと思うが……最初から幸せになることを期待して道具を使うのはあまり宜しくないな」
「そうかもしれませんね……」
「結局のところ使う者次第さ。例えばかぐや姫の物語では火鼠の皮衣という道具が出てくるだろう」
「求婚の時に用意させたというアレですか?」
「そう。その道具は本来火の中に入れても燃えない、つまり火を防ぐ用途が正しいものだ。だがこの道具は求婚の道具として使われた。本来の用途と異なった使い方をされたということだね」
道具は視点次第で、その価値も効果もまるで違うものになるものだ。
「求婚した側からすればこれは結婚のための道具だから幸せの象徴だといえる。しかし、かぐや姫としては結婚したくないが為に出した難題の道具だ。幸せの象徴にはならないだろう」
「スペルカードにするくらいだから気にいってはいるみたいですけどね」
「そうするとまたややこしい話になってしまうな。まあ、そんな感じで道具の使い方も幸せの象徴なのかも判断するのは難しいんだよ」
「うーん、確かにそうですねえ」
だから姫の要望をそのまま満たせる道具となると、ちょっと考え方を変えなければいけない。
「実はこの場合、道具なんか何にもいらなかったりするんだがね」
「え?」
鈴仙は首を傾げていた。もう少し詳しく説明するべきだろう。
「幸せとは気持ちの問題と僕は言ったけれど、それならば幸せを感じる時というのはどんな時だろうか?」
「それこそ人によって様々なんじゃありませんか?」
「そうだね。だからこの場合、概ね全てのものに共通する幸せの概念を考えるのが正しい」
では生き物に共通の幸せとは何だろうか。
「何故生きているのか……なんて難しい話はする気はないが、生きていることはそれだけで幸せなんだがね」
「それじゃあ何の解決にもなってないじゃないですか」
「まあもう少し話を聞いてくれ。幸せとは満ち足りたこと、つまり欲求が満たされた状態だ。生き物に共通の欲求とはなんだかわかるかな」
「……ええと、三大欲求でしたっけ」
「そうだね」
それはすなわち性欲と睡眠欲と食欲である。
「三大欲求は本能であるから、それを幸せと感じないのは本能に抗うことだ」
これらのどれが欠けても生き物は不安定になるのだ。
「さて幻想郷では弾幕ごっこが流行っているがそれは何故だと思う」
「え、三大欲求の話じゃないんですか?」
「話は続いているよ。ちゃんと関連した話だ」
「うーん。やっぱり楽しいからじゃないですかね?」
「その通りだ」
人も妖怪も神様も、楽しいと感じたから弾幕ごっこは流行ったのだ。
「楽しいというのは心が満たされているということだね。つまりは幸せということだ」
「確かに弾幕ごっこをやってる時は楽しいですからねー。でも、それと欲求と何の関係が?」
「大いに関係あるさ。例えば白玉楼の西行寺幽々子。彼女は幽霊だから食事なんか不要のはずだ。しかし彼女は食べ物好きで有名だろう」
「……言われてみれば確かにそうですね」
「他にもいくらだっているさ。捨食を使った魔法使いだって、神様だって、君の姫様だってそうだ。何故彼女たちは食事を取るんだんだと思う」
「えーと、話の流れからするとそれが楽しいからということですか?」
「その通りだね」
彼女は理解が早いようだ。
「食事が不要な生き物ですら食事を嗜むのはそれが本能を、精神を満たす手段として効率がいいからなんだよ。舌が味というものを感じるのは危険なものを回避する為でもあるが、何より食べることを娯楽とするための要素が強い」
「いろんな物を食べて美味しいと感じるのは楽しい……幸せ……なるほど」
輝夜も不老不死の身ではあるが、元はそうではなかった。だから人としての本能はそれらを求めている。
「それと、君はお米を食べるかい」
「食べますねえ」
「米一粒には七人の神様が宿ると言われている。また別の説では八十八もの神が宿ると言われているね」
「そんなにですか?」
「秋穣子でも八坂神奈子にでも聞けばいい。詳しく教えてくれるさ」
彼女らもまた豊穣の神である。
「五穀豊穣の祈願はどこでも行われている。古来より日本はそういった神々に、作物の豊作に感謝をしていた。それは食事をすることが生きることであり、幸せであると知っていたからに他ならない」
「本当は日頃から感謝をしなくてはいけないんですよね……」
「そうだね。一瞬だけ感謝をしてその後は忘れてしまう、ではよくない。そうしないためにも日常で幸せを感じるというのは大事なのかもしれないな」
「そうなんですか?」
「人々の幸せは即ち神々の幸せだよ」
だからこそ神は信仰を求め、信仰に応えて力を発揮するのだ。
「神々が我々を助けてくれているということもまた幸せだろう。難しい話ではなく、単に毎日ごはんを食べて味を楽しみ、美味しいと思えることはもう幸せそのものなんだよ」
「でも、そう言われて急にそうだって実感出来るものじゃないと思いますが……」
「まあ、三日ぐらい何も食べなければいいんだろうが、そういうのもちょっと違うな。あくまで日常の中で幸せを見つけ出さなくては意味が無い」
日常であるからこそ、それを実感するのは難しいのだ。
「日常の考え方ひとつ変えることで、幸せは常に存在しているものだと実感出来ると思うよ僕は」
「なんだか精神論っぽいですが……」
「繰り返すが、幸せ自体がそういうものだからね。さて、食事自体が幸せであることはわかったね。朝ごはん、昼ごはん、晩ごはん。これが三食毎日食べられるとしたらそれはさらに幸せであるといえよう」
「あー」
鈴仙にも何か思い当たることがあるのか、納得したような顔をしていた。
「君のところは大所帯だと思うが、自分が用意しなくても食事が出てくるなんてもう幸せの極みといえるんじゃないかな」
「でも姫様にはそれが当たり前ですからねえ……」
「それだ」
「はい?」
「何度でも言うが、当たり前のことが当たり前であること。それも幸せなんだよ」
「そうですね。ご飯が一日に三度食べられることが普通であるって幸せですよね」
彼女は元々軍人であったという。戦場ではまともな食事を食べられない時だってあっただろう。
「失って初めてわかる、とはよく言うし、繰り返すが日常でそれを感じるのは難しい」
「慣れって怖いですねえ」
「だが慣れていたって嬉しいことはあるさ。例えば好物が晩ご飯に出てきた」
「そんな子供じゃないんですから」
鈴仙は苦笑いをしていた。
「嬉しくないかい? 人参料理が出たら」
「……そりゃあ嬉しいですけど」
「それが幸せでなくて何だというのかな」
好きなものを食べられることは幸せだ。しかも自分で用意しなくても出てくるだなんて。
「だが嫌いな食べ物が出てくることもあるだろう。そうするとそれは幸せでなくなってしまうだろうか?」
「悩ましいところですね。量にもよるんじゃないでしょうか」
「ここが重要なところなんだよ。たとえ嫌いな食べ物が九割だったとしても、一割が好きなものだったらそれは幸せなんだ」
「それって難しくないですか?」
「嫌いな食べ物……つまり悪いものの比率が多いからかい」
「それだと幸せじゃないなあと思うんですが」
なるほど全体で見れば確かにその通りかもしれない。
「ではこう考えてみてはどうだろう。十割嫌いなものではなくて一割も好きなものがあったんだって」
「前向きですねえ……」
「幸せを日常にあることに気づくには、小さなことが幸せだと思うその意識が大事なんだよ」
「うーん」
「三回の食事うちに一度でも好きなものが出てきたら幸運じゃないかい?」
「三回全部好きなものだったらそう思うかもしれませんけれど」
「そう。生き物は幸せを高望みしすぎるんだ」
幸せを願う時に、どう考えても実現が不可能な願いを願ってしまう。
「それでは叶うわけがない。だが三回の食事のうち一度でも、一品でも好きな食べ物が出た。どうかな?」
「……まあ、そこまで妥協すれば出る可能性は高いですよね」
「そのほんのちょっとの幸せが毎日続いたらどうだろうか? 不幸かい?」
「不幸ではないと思いますが……」
鈴仙は渋い顔をしていた。
「うー、なんだかてゐと話してる気分になってきました」
「幸せについて話すなんてそんなものだよ。話半分に聞いてくれて構わない」
「それじゃ困るんですよ。食事が幸せだというのはまあわかりました。ですが、私は姫様が納得するものを持ち帰らないと」
「それもそうか。だがあと一つだけ聞いてほしい」
「まだあるんですか?」
味を楽しむことが出来る。食事は本能であるというのはあくまで理由の一つだ。
「記録ではなく記憶が未来を決定する。いいかい。記録よりも記憶のほうが遥かに重要な要素なんだ」
僕はいつぞや霊夢に聞いた話を思い出していた。
「よくわかりませんけど、どういうことなんです?」
「先に食べ物の好き嫌いの話をしたが……それは本人の持つ記憶がそれを好きか嫌いかを判断しているだろう?」
そこに記録は一切関与しない。歴史の上でそれは美味しい食べ物ですと書かれていたって、本人がそう思わなければそうならないのだ。
「梅干しを食べたことのある人は想像しただけで唾液が出る。それは梅干しの味を覚えているからこそ起きることだ。幸せも同じようなものだね」
幸せを幸せだと感じるのは、過去の記憶が存在するからなのだ。
「だから記憶の中で美味しかったものを再び食べた時。あるいは思い出した時に、その幸せが蘇るんだ」
「姫様の好物を用意しろって事でしょうか?」
「それも勿論なんだが……好きとか嫌いとかを超越して、それを食べられることが幸せだと感じるものは確かに存在する」
「あるんですかそんなもの?」
「それは家族の作った料理だ」
それが手に入らなくなって長ければ長いほどに恋しくなる味である。
「ある人はこう言ったそうだ。死ぬ間際に高級料亭の料理と母親の料理、どっちが食べたいか?とね」
味、質においては高級料亭の料理のほうが上なのは確実だろう。だがそこに記憶は関与しない。
「どんなものでもその者の記憶にある家族の作った料理の味にかないっこないさ」
「でもそれって、家族でなくては再現出来ませんよね」
「君等が家族じゃないというならそうだろう。僕は君らは十分すぎるほどに姫の家族だと思うが違うのかい」
「……どうなんでしょうか?」
「まあ、今回に限って言えばそれで記憶を揺さぶるにはいささか難しいだろう。近すぎて慣れてしまっているからね。ならば答えは簡単だ。古く懐かしい記憶を蘇らせればいいのさ」
子供の頃の記憶というのは、失っているようで案外強烈なものだ。
特に味覚や臭覚に関するそれは中々変わるものではないらしい。
「よってお薦めの商品は……ええと……これだ」
僕は棚から竹で作られたお椀と箸を差し出した。
「これは……」
「語らずとも分かるだろう。竹取の翁。彼は竹をいろいろなものを作るのに使っていたそうだ」
「なるほど」
「これはごく普通の道具でしかない。だが彼女の記憶を、幸せを十分すぎるくらいに満たしてくれるだろう」
「ええ。これなら姫様も満足すると思います」
物語にあるように、竹取の翁と暮らしていた時の彼女は幸せそのものだったはずだ。
「この食器が無くたって、幸せはそこに存在しているものなんだがね」
お椀と箸があり、それでごはんを食べる。それ自体は本当に当たり前のことだ。
だがその当たり前こそが幸せなのだ。
思い出があるということは何よりも幸せなのである。
先に幸せの壷なんて存在しないと言ったが、記憶というものは幸せの壷そのものかもしれない。
「ありがとうございます。助かりました」
彼女はその食器らを僕が提示したより高額で買って持って行ってくれた。
おまけとして用意した、たけのこご飯の作り方が良かったようだ。
「これで彼女も気づいてくれればいいんだがな」
肝心なのは気づくかどうかなのだ。
生きることにおいて必要不可欠なものを、いかに楽しめるか。
姫様の気まぐれもたまにはいいものだ。こうやって大切な事に気づくことが出来るのだから。
「さて今日は僕もたけのこご飯にしようかな」
そう思い立ち上がるとドアベルが鳴り、勢い良くドアが開いた。
「おーい、香霖。いいもの持ってきてやったぜ」
白黒の魔女はそう言って笑い、帽子いっぱいに入ったキノコを見せつけてくる。
「魔理沙は幸せそうでいいね」
「急になんだよ。まあ今の私は幸せ一杯だがな。台所借りるぜー」
今日の晩御飯はキノコご飯になってしまいそうだ。
だがまあそれもそれでいいだろう。
魔理沙の料理を食べるのも久々だ。少し楽しみになってきた。
「手伝おうか魔理沙」
「なんだよ香霖のくせにニヤニヤして気持ち悪い」
「悪かったね」
まあきっと、今の僕は幸せなんだろうな。そう思った。
結構冗長な霖之助の話に律儀に付き合ううどんげが良い聞き役ですね。
飯がうまくなりそう